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2020年1月27日 (月)

100.初期発生と情報伝達 Ⅱ

 遺伝子発現と初期発生現象のかかわりを研究する上で、遺伝学の研究でよく使われるショウジョウバエやマウスには若干不都合な事情があります。ショウジョウバエの場合、初期発生は表割という特殊な様式で行なわれるので(1)、両生類・魚類・爬虫類・鳥類・哺乳類で構成されるグループとの関連性がつかみにくいという問題があります。マウスのような哺乳類の場合、発生は母親の用意した環境(子宮)で行なわれるので、初期発生が物質の濃度勾配による影響などを含めて母体環境に依存したメカニズムで進展する可能性があります。ショウジョウバエの場合も発生はナース細胞によってサポートされています。
 この点両生類は卵割で形成された割球のすべてがその個体の細胞になること、外界に産み落とされるので分化はすべて自前のプログラムで行なわれること、シュペーマンが使った材料であり、オーガナイザーの分子生物学による説明の素材として適していることなど、実験動物として適している点が多いと思われます。特にアフリカツメガエルは肺を持ちながら陸上では生活しない、すなわち水槽だけで飼育できるという利点があるので良く用いられます(図100-1)。

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図100-1 アフリカツメガエルとその卵

 すでに体軸形成のセクションで述べたように、カエルの原腸陥入の位置にはβ-カテニンが局在し、Wntシグナルの標準型経路(キャノニカル・パスウェイ)が関与していると思われます(2、図100-1)。最近の研究ではキャノニカル・パスウェイとノンキャノニカル・パスウェイ(3)は、細胞膜における第2受容体の違いでは識別できるものの、細胞内の錯綜した生化学経路のなかでお互いに干渉し合っており、簡単には分離できないことが判明しています(4、図100-2)。

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図100-2 初期発生とWnt経路

 そういう複雑さは前提となりますが、Wnt経路と発生との関連についてはクー(Ku)とメルトン(Melton)がツメガエルの成熟した卵母細胞において、Wnt11のmRNAが植物極側のコーテックス(細胞膜のすぐ内側の細胞質)に局在していることを、すでに20世紀に発見していました(5)。Wnt11のmRNAはその後陥入が起こる背側帯域(dorsal marginal zone) に高濃度で局在します(5)。 彼らはWnt11はノンキャノニカル・パスウェイを介して発生を制御していると考えていました。
 しかしヒースマン研のコフロンらは2001年に、β-カテニン分解複合体の構成因子である母親由来のアキシンを欠く胚では、β-カテニンが安定化されて胚の過剰の背側化( dorsalization )がおこり、過大な脊索や頭部の構造、縮退した尾や腹部が形成されることを明らかにしました(6、図100-3)。このことは腹背の決定にキャノニカル・パスウェイが関与していることを意味します。
 ツメガエルWnt11についての研究は、その後ヒースマンの研究室で大きく進展しました。中心となって研究を進めたのはタオとヨコタです(7、図100-4)。彼らは成熟した卵母細胞にWnt11のアンチセンスオリゴマーを投与して、Wnt11 mRNAのレベルを20%まで下げ、このような胚は腹側に偏った発生を行ない、神経褶が形成されないことを証明しました。このような胚に Wnt11  mRNA を注入すると背側化が部分的に再促進されることもわかりました。彼らはさらにWnt過剰発現は 背側化転写因子である siamois や Xnr3 の発現をβ-カテニンに依存して促進することや、卵割の途中で細胞膜直下のコーテックスに局在していたWnt11のmRNAが細胞質に広がっていくことを確認しました(7)。

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図100-3 β-カテニン分解複合体の構成因子である母親由来のアキシンを欠く胚では、β-カテニンが安定化されて胚の過剰の背側化がおこる

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図100-4 Wnt11による背側化を証明した研究者達

 2016年にようやくアフリカツメガエルの全ゲノム解析結果が発表されました(8)。これによってトランスクリプト-ム解析が可能となり、シュペーマンオーガナイザーの分子的実体についての全容が明らかになる日も近いと思われます。初期胚は形態形成という1点をめざした細胞集合体とも考えられるので、母親由来のmRNAのプロファイリングと共に、特にトランスクリプト-ム解析を綿密に行なうことがメカニズム解明のために有効だと思われます。
 トランスクリプト-ム解析などによって ディ・ロバーティス(de Robertis)のチームが明らかにしたことの一部を図100-5に示します。彼らの図式によれば、シュペーマンオーガナイザーを構成する多くの因子は、母親Wntシグナル → β - カテニン → Siamois(シャム)の下流にあることになっています。詳しくは文献(9)を参照して下さい。もちろんこの仕事によってシュペーマンオーガナイザーのすべてが明らかになったわけではなく、今後の進展に期待したいところです。

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図100-5 Wntシグナルからシュペーマンオーガナイザーへの道

 STAP細胞の件で自殺した笹井芳樹は、ディ・ロバーティス(de Robertis)の研究室でアフリカツメガエルを使って、シュペーマンオーガナイザーの構成分子のひとつである コーディン(chordin)の研究をしていました(10)。ご冥福をお祈りします。
 先日平良眞規先生の退官記念シンポジウムに行ってきました。三井らもWntシグナルは重視しているようでしたが、ノンキャノニカルシグナルに重点を置いて研究されているように思いました。Wntが N-sulfo-rich へパラン硫酸に結合しているという知見は斬新です(11)。哺乳類においてもWntシグナル、特にキャノニカルパスウェイが初期発生において重要な役割を果たしていることは証明されています(12)。

 

参照

1.卵割 自宅で学ぶ高校生物
http://manabu-biology.com/archives/42123775.html
2.生物学茶話@渋めのダージリンはいかが97: 体軸形成
https://morph.way-nifty.com/lecture/2017/12/post-1408.html
3.生物学茶話@渋めのダージリンはいかが99: 初期発生と情報伝達1
https://morph.way-nifty.com/lecture/2018/01/post-8af9.html
4.F.Fagotto, Wnt signaling during early Xenopus development. in "Xenopus development" ed., M. Kloc and J.Z.Kubiak., John Wiley & Sons Inc., (2014)
5.Ku M and Melton DA, Xwnt-11: a maternally expressed Xenopus wnt gene., Development.  vol.119 (4): pp. 1161-1173 (1993).
http://www.xenbase.org/literature/article.do?method=display&articleId=21903
6.Kofron M1, Klein P, Zhang F, Houston DW, Schaible K, Wylie C, Heasman J., The role of maternal axin in patterning the Xenopus embryo., Dev Biol. vol. 237(1):  pp. 183-201 (2001)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/11518515
7.Qinghua Tao, Chika Yokota (same contribution) et al., Maternal Wnt11 Activates the Canonical Wnt Signaling Pathway Required for Axis Formation in Xenopus Embryos., Cell, Vol. 120, pp. 857–871, (2005)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/15797385
8.Adam M. Session et al., Genome evolution in the allotetraploid frog Xenopus laevis., Nature volume 538, pages 336–343 (2016) doi:10.1038/nature19840
https://www.nature.com/articles/nature19840
9.Yi Ding, Diego Ploper (same contribution), Eric A. Sosa, Gabriele Colozza, Yuki Moriyama, Maria D. J. Benitez,
Kelvin Zhang, Daria Merkurjevc, and Edward M. De Robertis, Spemann organizer transcriptome induction by earlybeta-catenin, Wnt, Nodal, and Siamois signals in Xenopus laevis., PNAS April 11, 2017. 114 (15) E3081-E3090 (2017)
http://www.pnas.org/content/114/15/E3081.long
10.Yoshiki Sasai, Bin Lu, Herbert Steinbeisser, Douglas Geissert, Linda K. Gont, and Eddy M. De Robertis., Xenopus chordin: A Novel Dorsalizing Factor Activated by Organizer-Specific Homeobox Genes.,
Cell. vol. 79 (5): pp. 779–790 (1994)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC3082463/
11.Mii Y, Yamamoto T, Takada R, Mizumoto S, Matsuyama M, Yamada S, Takada S, Taira M.Roles of two types of heparan sulfate clusters in Wnt distribution and signaling in Xenopus. 
Nat Commun. vol. 8(1):1973. doi: 10.1038/s41467-017-02076-0. (2017)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC5719454/
12.Jianbo Wang, Tanvi Sinha, and Anthony Wynshaw-Boris, Wnt Signaling in Mammalian Development:
Lessons from Mouse Genetics., Cold Spring Harb Perspect Biol vol.4, no.5 :a007963 (2012)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC3331704/

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99.初期発生と情報伝達 I

 ヒトは一人では生きられないといいますが、一般に多細胞生物の細胞は1個では生きられません。他の細胞が発したシグナルを受け取って、自分が何をすべきかを判断するというシグナル伝達のウェブのなかで多細胞生物の個々の細胞は生きています。情報はホルモン、フェロモン、サイトカインなどの生理活性物質、神経伝達物質、臭い、光などで細胞に伝えられますが、それらを細胞膜で受け取って細胞内に伝えるのがGタンパク質共役受容体(G protein coupled receptor = GPCR)であり、これは生命の本質と極めてかかわりの深い物質と言えます(1)。
 GPCRはヘビのようにクネクネと分子を折れ曲がらせて細胞膜を7回貫通しているタンパク質で、糖鎖(N-グリカン)と脂質(パルミトイルグループ)を結合しています(図99-1)。細胞膜の外側にはみ出した部分に情報物質を受け取る受容体部分があり、ここにリガンドが結合することによってタンパク質全体が構造変化を起こして細胞内に情報を伝えます(図99-1)。現在ヒトでは約800種類のGPCRの存在が報告されています。ほとんどの動物は膨大なGPCR分子群を保持していると考えられています(1)。この分子を発見した功績でブライアン・コビルカとロバート・レフコヴィッツは2012年のノーベル化学賞を受賞しました(2、図99-1)。後に出てくる wnt (ウィント)もGPCRグループの分子です。
 図99-1はウィキペディアから借用した図で、細かいことが色々掲載されていますが、とりあえずGPCRには細胞外につきだした部分、細胞膜に埋め込まれた部分、細胞内に垂れ下がっている部分の3つの領域があること、そしてペプチド鎖が細胞膜を7回貫通していることを見ておいて下さい。

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図99-1 Gタンパク質共役受容体(GPCR)

 幹細胞などの未分化な細胞に何ができるかというと、それは分化と増殖です。それともうひとつ、なにも変化しないでそのまま待機するというのも大事な役割ではあります。極限的な幹細胞は卵ですが、卵も受精するまではなるべく変化しないで待機しているのが普通です。そして受精すると一気に活性化します。受精したばかりの卵は細胞分裂を行なうと共に、あらゆる細胞に分化するポテンシャルを持っており、さまざまなシグナルによって制御されながら分化への道を歩み始めます。細胞を導くシグナルは多様ですが、とりわけ Wnt、TGF-β、FGFなどのグループに所属する分子群は様々な指示を細胞に与える情報伝達物質で、初期発生においても重要な役割を果たしています。
 Wnt1は例えばマウスでは370個のアミノ酸からなる分子量41,086のタンパク質で、4ヶ所に糖鎖が結合し、1ヶ所に脂質が結合しています(3)。Wntシグナル伝達経路は単細胞生物・植物・カビ・細菌などにはみられませんが、海綿を含むほとんどの動物(メタゾア=後生動物)には存在すると考えられています(4)。また単細胞生物にもいくつかのモジュール(経路の一部)は存在するので、これらをうまく組み合わせることによって多細胞生物が成立し得たとも考えられます(4)。
 Wntシグナルはショウジョウバエの wingless変異体をショウプ(Shope)が発見したことが発見の契機となったと様々な文献に書いてあるのですが(4-6)、オリジナルの引用はありません。ひょっとするとヒンディー語で書いてあるので引用できないなどということがあるのでしょうか? そういうわけで肖像写真も発見できず、図99-2に載せられなくて残念です。Wingless変異体群のなかにはWntだけでなく、dishevelled などさまざまなWntシグナル伝達経路の要素となる分子の遺伝子変異体が網羅されていました。
 哺乳類の Wnt はショウジョウバエのホモログを探索してみつかったのではなく、図99-2に写真を掲載したヌッセとヴァーマスがマウスの乳がん原因遺伝子としてint-1をクローニングしたら(7)、それがたまたまショウジョウバエのwinglessのホモログらしいことがわかって、折半して Wnt-1と改名したのが真相のようです(8)。現在では哺乳類においては19種類のWntが同定されています(9)。

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図99-2 Wntシグナル研究のパイオニア ロエル・ヌッセとハロルド・ヴァーマス

 標準的なWntシグナル伝達系で重要な役割を果たすのが β-カテニンというタンパク質です。β-カテニン(β-Cat)は通常は構造タンパク質として図99-3の左図のように、カドヘリンに結合して細胞接着を実行する複合体の一部に組み込まれています。このとき余剰のβ-Catは分解複合体に吸収されてリン酸化され、これが目印となって分解されてしまいます(10、図99-3)。ところが Wnt シグナルが存在するとβ-Cat分解複合体が形成されず、細胞質に浮遊するβ-Cat は核にとりこまれて転写因子として機能します(11-12、図99-3)。同じ分子に全く異なる機能を持たせるというのは危険な選択だと思いますが、このようなやり方を生物は選択したわけです。

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図99-3 Wntシグナル(標準型)の作用機構

 Wntシグナル伝達系はβ-カテニンを介した転写制御以外にも、プロフィリンをはじめとするアクチン結合因子などを介して細胞骨格を制御する機能も持っています(13-15、図99-3)。胞胚から嚢胚に移行する過程で細胞は変形したり、テンションを与えたり、移動したりするので、Wntシグナル伝達系は様々な方法でこのようなプロセスを制御していると考えられます。Wnt に関してはNusseがWntホームページを運営しているようなので、わからないことがあれば訪問してみると良いかもしれません(16)。 
 Wntシグナル伝達系には標準的(canonical)経路以外に、いくつかの非標準的(noncanonical)なβ-Catを介さない経路も報告されています。発展途上の分野でもありこれらの経路について詳しく述べることはできませんが、アクチン結合タンパク質を介してアクチンの重合を制御し、細胞骨格の再編成をおこなうという効果をもたらす経路があるようです(17、図99-4)。胞胚から嚢胚に至る過程で、細胞はさかんに形態変化や移動を行なうので、活発な細胞骨格の活動は欠かせません。

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図99-4 Wntシグナル(非標準型)の作用機構

 さてWntシグナルに続いて重要な情報伝達系としてTGF-β スーパーファミリーが関与するものがあります。最初の発見者はアソイアンらとされています(18)。リチャード・アソイアンは現在ペンシルベニア大学で薬理学の教授をやっていますが、若い頃ニューヨーク市街をドライヴ中に銃撃され左目を失うという悲劇を経験しています(19)。運が悪かったのでしょうか、それとも命があっただけ運が良かったのでしょうか?
 Wntと同様TGF-βも様々な多細胞生物にユニバーサルに存在し、23の異なる遺伝子がみつかっています(20)。アンドリュー・ヒンクによって、それらの分子進化的な関係も明らかにされています(21、図99-5)。

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図99-5 TGF-βスーパーファミリーのメンバー

 これらのTGF-β スーパーファミリーのなかから、まずBMPをみてみましょう。BMPはbone morphogenetic protein = 骨形成因子の略称で、ウォズニーらによって1988年に遺伝子が同定されて、TGF-β スーパーファミリーのメンバーであることがわかりました(22)。現在BMPと名前が付けられている分子はヒトでは12種類あるそうですが(図99-5でGDFという名前がつけられているものも含めると15種類)、それらが本当に近縁なグループではかならずしもありませんし(図99-5)、またすべてに骨形成活性があるわけでもありません。モノマーの分子量は多くは2~3万程度です。
 このファミリーのタンパク質は wnt と同様、細胞の外から細胞膜の受容体に結合することによって生理作用を惹起するリガンドです。その受容体はwnt とはことなり、1回膜貫通タンパク質です(図99-6)。細胞内の領域にはセリン・スレオニンキナーゼの活性部位があります。BMPは骨形成促進作用とは別に、初期発生においても中胚葉の誘導などに重要な役割を果たしていることが示唆されています(23-25)
 BMP受容体(レセプター)単分子には1型と2型があり、それぞれ2分子づつ合計4分子でリガンドを受け止めます(図99-6)。4つの分子が受容体のサブユニットのような形になっています。リガンドが結合すると2型のセリン・スレオニンキナーゼによって1型のGSボックスという部位がリン酸化されて、1型のセリン・スレオニンキナーゼ酵素活性部位が活性化されます(23、図99-6)。これによってsmad1、smad5、smad9がリン酸化され,次いでこれらがsmad4と複合体を作ることによって核へ移行し,転写活性を制御することになります。またsmad を介さない経路もあることがわかっています(23、図99-6)。

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図99-6 BMPシグナル受容体と情報伝達

 次にFGFについてもふれておきましょう。FGFはfibroblast growth factor = 繊維芽細胞増殖因子)の略称で、最初はフーゴ・アーメリンによって報告されました(26)。現在脊椎動物には22種類のFGFが報告されており、ヒトも22種類のFGFを持っています(27-28)。分子量は17kDa~34kDaで様々であり、FGFグループに所属する分子種間の相同性は高くないようですが、それぞれの分子種の動物種間での相同性は極めて高いそうです(28)。NCBIのデータバンクで fibroblast growth factor 遺伝子の塩基配列を検索すると33610件ヒットしたのでびっくりしました(29)。
 FGF受容体は免疫グロブリンスーパーファミリーに所属するタンパク質で1回膜貫通タンパク質です。脊椎動物は4種類のFGF受容体を持つことが知られています。受容体分子は細胞外に免疫グロブリン様ドメインを2または3個持っています(オルタナティヴスプライシングによって変化する)。免疫グロブリンでは抗原を結合するサイトですが、FGF受容体ではFGFを結合します(29-30、図99-7)。
 免疫グロブリンドメインは図7のようにβシートがいくつも折り重なったような構造になっています。FGF受容体は細胞内にチロシンキナーゼドメインを1分子について2個づつ持っており、これでさまざまな分子をリン酸化することによって最終的に転写因子を核内に送り込む役割を持つカスケードを発動します。

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図99-7 FGFシグナル

 

参照

1)Wikipedia: G protein-coupled receptor
https://en.wikipedia.org/wiki/G_protein-coupled_receptor
2)Kungul. Vetenskapsakademien, Press release, The Nobel Prize
https://www.nobelprize.org/prizes/chemistry/2012/press-release/
3)UniProtKB - P04426 http://www.uniprot.org/uniprot/P04426
4)Thomas W. Holstein, The Evolution of the Wnt Pathway., Cold Spring Harb Perspect Biol. (2012)  Jul; 4(7): a007922. doi:  10.1101/cshperspect.a007922
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC3385961/
5)太田 訓正、河野 利恵、脳科学辞典「wnt」 
https://bsd.neuroinf.jp/wiki/Wnt
6)wikipathologica WntタンパクとWnt/βカテニン経路
http://www.ft-patho.net/index.php?Wnt%20protein
7)R Nusse, H E Varmus,  Many tumors induced by the mouse mammary tumor virus contain a provirus integrated in the same region of the host genome. ,
Cell: vol. 31(1); pp. 99-109 (1982)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/6297757
8)濃野勉 「Wntファミリーと形態形成」 現代医療 vol. 32, pp. 1912-1921 (2000)
http://www.kawasaki-m.ac.jp/molbiol/WntRevMS00.pdf
9)山本英樹 「Wnt シグナル伝達経路の活性制御と発がんとの関連」 生化学第80巻第12号,pp.1079-1093,(2008)
10)Liu C, Li Y, Semenov M, Han C, Baeg GH, Tan Y, Zhang Z, Lin X, He X. Control of beta-catenin phosphorylation/degradation by a dual-kinase mechanism. Cell  Vol. 108: pp. 837–847. (2002)
http://www.cell.com/cell/fulltext/S0092-8674(02)00685-2?_returnURL=http%3A%2F%2Flinkinghub.elsevier.com%2Fretrieve%2Fpii%2FS0092867402006852%3Fshowall%3Dtrue
11)Miranda Molenaar et al., XTcf-3 Transcription Factor Mediates β-Catenin-Induced Axis Formation in Xenopus Embryos., Cell Vol. 86, Issue 3, pp.391–399, (2009)
https://www.morebooks.de/store/gb/book/role-of-tcf-in-body-axis-formation/isbn/978-3-8383-2052-6
12)Behrens, J., von Kries, J. P., Kuhl, M., Bruhn, L., Wedlich, D., Grosschedl, R., and Birchmeier, W.,  Functional interaction of beta-catenin with the transcription factor LEF-1. Nature 382, pp. 638-642. (1996)
13)Patricia C. Salinas, Modulation of the microtubule cytoskeleton: a role for a divergent canonical Wnt pathway., Trends in Cell Biology., Vol. 17, Issue 7, pp. 333–342,  (2007)  http://dx.doi.org/10.1016/j.tcb.2007.07.003
http://www.cell.com/trends/cell-biology/fulltext/S0962-8924(07)00136-5
14) Stamatakou E, Hoyos-Flight M, Salinas PC, Wnt Signalling Promotes Actin Dynamics during Axon Remodelling through the Actin-Binding Protein Eps 8.
PLoS One. 2015 Aug 7;10(8):e0134976. doi: 10.1371/journal.pone.0134976. eCollection (2015)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/26252776
15)Akira Sato, Deepak K. Khadka, Wei Liu, Ritu Bharti, Loren W. Runnels, Igor B. Dawid, Raymond Habas, Profilin is an effector for Daam1 in non-canonical Wnt signaling and is required for vertebrate gastrulation., Development  Vol. 133:  pp. 4219-4231 (2006)  doi: 10.1242/dev.02590
16)Roel Nusse:The Wnt homepage:
https://web.stanford.edu/group/nusselab/cgi-bin/wnt/node/269
17)Yuko Komiya and Raymond Habas, Wnt signal transduction pathways., Organogenesis. , Vo. 4 (2):  pp. 68–75. (2008)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC2634250/#__sec4title
18)Assoian RK, Komoriya A, Meyers CA, Miller DM, Sporn MB,  "Transforming growth factor-beta in human platelets. Identification of a major storage site, purification, and characterization". J. Biol. Chem. vol. 258 (11): pp. 7155–7160. (1983)
19)Todd S. Purdum, The New York Times, Professor loses eye in shooting on broadway., http://www.nytimes.com/1987/03/21/nyregion/professor-loses-eye-in-shooting-on-broadway.html
20)Wikipedia: Transforming growth factor beta superfamily.,
https://en.wikipedia.org/wiki/Transforming_growth_factor_beta_superfamily
21)Andrew P. Hinck, Structural studies of the TGF-βs and their receptors – insights into evolution of the TGF-β superfamily., FEBS Letters, Vol. 586, Issue 14, pp. 1860-1870 (2012)
https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0014579312004036
22)JM Wozney et al., Novel regulators of bone formation: molecular clones and activities., Science Vol. 242, Issue 4885, pp. 1528-1534 (1988)
DOI: 10.1126/science.3201241
http://science.sciencemag.org/content/242/4885/1528
23)三品 裕司、BMPシグナルの多彩な機能̶̶ 初期発生から骨格形成まで.,  生化学 第89 巻第3号,pp. 400‒413(2017)
https://seikagaku.jbsoc.or.jp/10.14952/SEIKAGAKU.2017.890400/data/index.html
24)Mishina, Y., Suzuki, A., Ueno, N., & Behringer, R.R., Bmpr encodes a type I bone morphogenetic protein receptor that is essential for gastrulation during mouse embryogenesis. Genes Dev., vol. 9, pp. 3027‒3037. (1995)
http://genesdev.cshlp.org/content/9/24/3027
25)Beppu, H., Kawabata, M., Hamamoto, T., Chytil, A., Minowa, O., Noda, T., & Miyazono, K. , BMP type II receptor is required for gastrulation and early development of mouse embryos. Dev. Biol., 221, 249‒258. (2000)  https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/10772805
26)Hugo A. Armelin, Pituitary Extracts and Steroid Hormones in the Control of 3T3 Cell Growth., Proc Natl Acad Sci U S A.,  Vol. 70(9): pp. 2702–2706. (1973)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC427087/
27)Wikipedia: Fibroblast growth factor, https://en.wikipedia.org/wiki/Fibroblast_growth_factor
28)David M Ornitz and Nobuyuki Itoh, Fibroblast growth factors.,  Genome Biology vol. 2: reviews 3005.1 (2001)
https://genomebiology.biomedcentral.com/articles/10.1186/gb-2001-2-3-reviews3005
29)https://www.ncbi.nlm.nih.gov/nuccore/?term=fibroblast+growth+factor
30)Wikipedia: Fibroblast growth factor receptor,
https://en.wikipedia.org/wiki/Fibroblast_growth_factor_receptor

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98.原腸と胚葉

 動物の発生を研究業績として残した最初の人はアリストテレスということになっています。彼が残した「De Generatione Animalium」という本は詳細な研究書で、アリストテレスがかなり熱心に動物の発生を観察した結果が記載されています。Arthur Platt が英語に翻訳して1910年に出版した本をウェブサイトで読むことができます(1、図98-1)。
 私は「De Generatione Animalium」を全部読むつもりはありませんが、例えば毛髪については「老化するにつれて少なくなるが、生命が存在する限り伸びる」と書いてありました。さらに「死後も伸びる」と書いてありますが、これは現在では皮膚がひからびるために「伸びたように見える」という錯覚に基づくものとされています。それにしても死後の毛髪まで観察しているとは、彼の観察意欲の旺盛さがうかがえます。

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図98-1 アリストテレスの著作 「De Generatione Animalium(動物の発生)」

 近代になって発生学を生物学の中でメジャーなものとしたのは、シュペーマンと彼の研究室の大学院生であったマンゴルトによるオーガナイザーの発見でしょう。彼らはイモリの原腸胚の原口背唇部(図98-2の橙色の部分)を反対側にも移植すると、反対側にも神経管・頭部が形成されて、いわゆるシャム双生児のような上半身がふたつある個体の生物が発生してくることを発見しました(2-3、図98-2)。しかし原腸胚の時期を過ぎると、移植してもそのようなことは起こりません(2)。またホストとドナーで違う色のイモリを使った実験で、ドナーのオーガナイザーはそれ自身が新たな体軸を形成するのではなく、ホストの組織を誘導して結合双生児を形成することを証明しました。
 このことは、原腸胚という特定の時期に、オーガナイザーという胚の中の小さな部域のはたらきによって、神経管、上半身、脳などの発生が誘導されることを意味します。すなわち発生は決して神秘的な現象ではなく、科学で追求できる現象であることが明らかになりました。ヒルデ・マンゴルトはこのような大発見をしたことによって、カイザー・ウィルヘルム生物学研究所で研究指導者のポジションを獲得し、私生活でも図98-2のように子供を設けて順風満帆の輝かしい未来が開けたわけですが、まさにその時にキッチンでのガスストーブの爆発事故によって、1924年にわずか25才で世を去りました(4)。誠に人生は理不尽です。一方ハンス・シュペーマンは72才まで生きて、1935年にはノーベル生理学・医学賞を授賞しました(5)。

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図98-2 オーガナイザーの発見 シュペーマンとマンゴルト 右下はオーガナイザー移植によって発生したシャム双生児のようなイモリ

 動物発生の最初に起こるべき事は体軸の形成ですが(6)、その次に起こるべき事は口から肛門に至る消化管という管の形成です。それまで球形だった胚を貫通するトンネルができるわけです。ウニなどの場合、シンプルに球の一部がへこんで、そのままへこみが拡大伸長してトンネルが形成されます。このトンネルが原腸です。原腸形成は、将来消化管となるトンネルができること以外にも重要な意味を持っています。
 すなわちへこんだ部分の細胞と外側に残った細胞では、それぞれ将来どのような生体構造を分化させるかという運命が違うことになります。へこんだ部分の細胞を内胚葉、外側に残った細胞を外胚葉といいます。これ以外に、卵割腔のなかに落とし込まれた細胞(図98-3のウニ卵の中の赤い細胞)が中胚葉を形成します。なお図98-3の一部はKasui's Family のサイト(http://y-arisa.sakura.ne.jp)から借用させていただきました。御礼申し上げます。
 カエルなどの場合少し複雑で、最初にへこんだ部分そのものが原腸になるわけではなく、その周辺の細胞が引きずられて内部に陥入し原腸を形成します(図98-3)。脊椎動物では一般に陥入した細胞は内胚葉を形成せず、中胚葉に分類される細胞群となり、分化して脊索という結合組織を形成して、それに沿って脊索の背側に神経管が誘導形成されます。ウニなどと違ってカエルの場合、卵の内部が原腸陥入以前から、かなり細胞で埋まっています(図98-3)。この内部を埋めている細胞が内胚葉を形成します。

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図98-3 原腸の形成と3胚葉(外胚葉・中胚葉・内胚葉)の分化

 原腸形成の契機となる原口の形成はどのようなメカニズムではじまるのでしょうか?

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図98-4 原口形成のメカニズム

 それは外胚葉の一部にボトル細胞群という部分があり、ここにある細胞(ボトル細胞)は最初は円柱状ですが、外側の外界と接している部分が収縮して縮まり、コルベンをさかさにしたような形(逆3角形)が形成されます(図98-4)。 この「へこみ」に沿って図98-4のように細胞が胚の内部に陥入していって原腸が形成されます。ボトル細胞底面の収縮は筋肉と同様F-アクチンとミオシンの相互作用によります(図98-4)。このことを解明したのは Jen-Yi Lee と Richard Harland です(7)。ハーランド研のホームページに Jen-Yi Lee の名前はありますが、残念ながら消息はつかめませんでした(8)。
 鳥類や哺乳類では原口(ブラストポア)ではなく、原条(プリミティヴストリーク)という渓谷状の構造ができて、そこに細胞群が落ち込んでいきます(図98-5、図98-6)。ジオメトリックな意味で、両生類とくらべて陥入の方向が90度回転し、かつ2方向に分かれています。落ち込んだ細胞は中胚葉を形成し、残った細胞は外胚葉を形成します。同時に内胚葉も形成されます(図98-6)。鳥類・哺乳類におけるヘンゼン結節(図6)は、両生類の原口背唇部(オーガナイザー)に相当します。図98-6はodontologi.wikispaces.com のサイトから借用しました(9)。

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図98-5 胚内部に陥入する細胞群  原口から、原条から

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図98-6 ヒト胚原条に陥入する細胞の流れと3胚葉の形成

 胚葉という概念はラトヴィア出身の発生学者クリスチャン・ハインリッヒ・パンダーによってもたらされました(10、11、図98-7)。彼はニワトリの発生の形態学的研究から、中胚葉から血管が発生することを発見しました。図98-7のニワトリ胚の血管の図はパンダ-が描いたものです(10)。彼はニワトリ発生の研究を深く掘り下げないで、後に動物化石の研究者になりました。ドイツにはパンダ-協会という組織がありますが、これは発生学者の会ではなく、考古学者の会です。
 しかし彼の発生学における業績は、エストニア出身の友人であるカール・エルンスト・フォン・ベーア(図98-7)によって引き継がれました。ベーアはヒトを含む哺乳類の卵を発見したほか、脊椎動物の特徴として、まず脊索ができるということを示しました。また動物は発生の初期ほどよく似ていて、発生が進むにつれて違いがでてくるという考え方を生み出しました(12)。これはベーアの法則「胚の形成において,ある群のすべての構成員にみられる器官の一般的な性質のほうが,その群の個々の構成員を識別する特殊な性質よりも前に出現する・・・他」の根幹をなす考え方です。
 フォン・ベーアは1828年に「Über Entwickelungsgeschichte der Thiere」という本を出版していて、この本はパンダ-に捧げられています(13)。倉谷滋はこの本を読んだらしく、評論しています(14)。少し引用させていただきます。ちなみにパンダーやフォン・ベーアはチャールズ・ダーウィンより十数年前に生まれています。この本が出版されたとき、まだエルンスト・ヘッケルは生まれていません。

(引用開始)・・・「進化の認識が標準となったヘッケル以前は、発生が「進化を反復する」のではなく、「生物の序列を反復する」と考えられた。アリストテレス以来、この世には「下等な長虫」から始まり、カエルやトカゲを経て哺乳類、さらにヒトへと至る序列があり、この順番とヒトの発生過程、化石が出現する順序に並行関係があると考えられた。しかも哺乳類の胎児は、硬骨魚や両生類の親と直接比較されていた。フォン=ベーアは、この古典的反復説を現代的バージョンへと改訂するための橋渡しをした人物である。
 本書のなかで彼は「発生法則」を提唱、ある動物の胚が別の動物の親ではなく、胚に似ること、動物の一般的特徴が個別的特徴よりも早く現れることなどを指摘した。そうして彼は、当時の反復説を「否定」していたのだ。ところが同時にフォン=ベーアの考えは、胚の発生過程が、脊椎動物→四足動物→羊膜類→哺乳類→霊長類→ヒトのように、分類学的入れ子の順序で進行することを主張するものでもある。これを系統的に焼き直せば、ヘッケルの反復説そのものになる。
 このようなわけで現代の我々には、反復説の父として、また、その否定者としてのフォン=ベーアがともに現われることになる。彼自身はあくまで「否定」しているつもりだった。が、歴史を振り返る機会を与えられている我々は、はっきりと「現代版反復説の父」として記憶にとどめるべきだろう。ちなみに本書は、ニワトリ胚に3つの胚葉があること(胚葉説)を記した最初でもある。これによって比較形態学は発生学的根拠を得、同時に前成説も力を失ってゆく。当時にあって、実に画期的に科学的な本なのである。」・・・(引用終了)

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図98-7 発生学の創始者達 パンダーとフォン=ベーア

 原腸形成と同時に生成された内胚葉・中胚葉・外胚葉から、その後の発生過程の中でさまざまな臓器や生体組織が形成されてくるわけですが、それぞれの胚葉からどんな臓器・組織ができあがってくるかリストアップしておきます(図98-8)。より詳細を知りたい方は文献(15)などを参照して下さい。3胚葉からそれぞれの臓器・組織が分化してくるというのは非常に伝統的な知見で、もちろん根拠はそれなりにあるのですが、実はそれ以外にX胚葉とかY胚葉というものを想定して、そこから分化してきたと考える方が実態に近い可能性も残されています。つまり3胚葉に分化する時期前後に、ある別の細胞グループが独自に発生運命を定められているという可能性はあります。例えば図98-8の外胚葉系に含まれる神経堤は別の胚葉とした方が良いという考え方もあります。

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図98-8 3胚葉から分化する組織・器官(脊椎動物の場合)

 神経堤(Neural crest)という言葉はいままで出てこなかったので、図98-9で説明します。両生類・爬虫類・鳥類・哺乳類のグループは、原腸陥入によって陥入した細胞の一部が脊索という組織をを形成し、その脊索の誘導によって背側の外胚葉が第2の陥入を起こして神経管が形成されます。このとき陥入して神経になる細胞群と、とどまって表皮組織になる細胞群の中間の位置に、図98-9で緑色に彩色した細胞群があります。この細胞群は神経管が形成される途中で、堤防のような位置に存在することから神経堤とよばれることになりました(図98-9)。

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図98-9 神経管と神経堤の形成   外胚葉が脊索方向に落ち込んで神経溝を形成する際に、神経管になる細胞と表皮になる細胞の間に、神経堤細胞という別グループの細胞群が発生する

 神経堤細胞群は自身が様々な細胞に分化すると共に、他の細胞の分化を誘導する役目も果たしているとされています(16、図98-10)。この細胞群が神経節の原基であることを同定したのはウィルヘルム・ヘスです(17)。江戸時代が終わった1868年のことでした。その後さまざまな組織がこの細胞群にルーツを持つことが示されました。ウィキペディア(16)にしたがって、図98-10にそれら、およびこの細胞群が誘導する組織をリストアップします。

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図98-10 神経堤細胞が分化する組織および誘導する組織

 

参照

1)Aristotole「De Generatione Animalium」translated by Arthur Platt
Oxford at the Clarendon Press (1910)
https://archive.org/details/worksofaristotle512aris
2)Spemann, Hans und Mangold, Hilde (1924) Über Induktion von Embryonalanlagen durch Implantation artfremder Organisatoren. Archiv für mikroskopische Anatomie und Entwicklungsmechanik
, Volume 100, Issue 3–4,  pp. 599–638 (1924)
https://link.springer.com/article/10.1007%2FBF02108133
英訳:http://www.sns.ias.edu/~tlusty/courses/landmark/Spemann1923.pdf
3)シュペーマン&マンゴルトの方法で作成した双頭のオタマジャクシ
https://neurophilosophy.wordpress.com/2006/12/20/how-to-create-siamese-twins-or-an-embryo-with-2-heads/
4)Maria Doty, The embryo project encyclopedia. Hilde Mangold (1898-1924)
http://embryo.asu.edu/pages/hilde-mangold-1898-1924
5)Wikipedia: Hans Spemann
https://en.wikipedia.org/wiki/Hans_Spemann
6)https://morph.way-nifty.com/lecture/2017/12/post-1408.html
https://morph.way-nifty.com/grey/2017/12/post-7bba.html
7)Lee, J.; Harland, R. M. (2007). "Actomyosin contractility and microtubules drive apical constriction in Xenopus bottle cells". Developmental Biology. 311: 40–52. doi:10.1016/j.ydbio.2007.08.010. PMC 2744900 Freely accessible. PMID
http://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0012160607012559?via%3Dihub
8)Harland研究室のメンバー:http://mcb.berkeley.edu/labs/harland/formerpeeps.html
9)https://odontologi.wikispaces.com/Embryologi%2C+instuderingshj%C3%A4lp
(2005年から活動してきたこのサイトは2018年に閉鎖されました)
10)Christian Heinrich Pander, Beitrage zur Entwickelungsgeschichte des Huhnchens im eye. (1817)
https://books.google.co.jp/books?id=cEdfAAAAcAAJ&pg=PA1&lpg=PA1&dq=Beitr%C3%A4ge+zur+Entwicklungsgeschichte+des+H%C3%BChnchens+im+Eie&source=bl&ots=wY5sKluEHN&sig=tvPTHU-Fn2B7VggwjbJ7LkpbeQc&hl=ja&sa=X&ved=0ahUKEwiVpp3QrdnYAhVBErwKHbnvBzsQ6AEILzAB#v=onepage&q=Beitr%C3%A4ge%20zur%20Entwicklungsgeschichte%20des%20H%C3%BChnchens%20im%20Eie&f=false
11)The Embryo Project Encyclopedia. Christian Heinrich Pander (1794-1865)
https://embryo.asu.edu/pages/christian-heinrich-pander-1794-1865
12)The Embryo Project Encyclopedia. Karl Ernst von Baer (1792-1876)
https://embryo.asu.edu/pages/karl-ernst-von-baer-1792-1876
13)Karl Ernst von Baer, Über Entwickelungsgeschichte der Thiere. (1828)
https://archive.org/details/berentwickelun01baer
14)倉谷滋: 反復するのか、しないのか ー フォン=ベーアの反復説? (2005)
http://www.cdb.riken.jp/emo/clm/clmj/0510j.html
15)Life Map Discovery, Embryonic Development of the Primitive Streak
https://discovery.lifemapsc.com/in-vivo-development/primitive-streak
16)ウィキペディア: 神経堤
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E7%B5%8C%E5%A0%A4
17)Full text of "Untersuchungen über die erste Anlage des Wirbelthierleibes : die erste Entwickelung des Hühnchens im Ei"
https://archive.org/stream/untersuchungen1868hisw/untersuchungen1868hisw_djvu.txt

 

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97.体軸形成

 生物学のさまざまなジャンルの中で発生という現象、すなわち1個の卵=ひとつの細胞が分裂を繰り返すと同時に形態を形成し、機能を分化させ、最終的に1個の生物に至るという驚異のプロセスは最も興味をひくと思われますが、最近は iPS細胞や遺伝子編集などに主役を奪われがちです。しかし発生生物学の分野はまだまだ謎だらけで、解明すべきことは山積されています。
 生物学の教科書に必ず出てくるクシクラゲという海洋生物がいます(図97-1)。水族館に行けばたいてい実物をみられます(1-2)。クラゲと呼ばれている生物には大きく分けて二つのグループがあり、ひとつは刺胞を持つミズクラゲなどの刺胞動物門、いまひとつは刺胞を持たないフウセンクラゲなどのクシクラゲ類が属する有櫛(ゆうしつ)動物門です。最近このクシクラゲで、生物学の根幹をゆるがすような大発見がありました。動物が生きていく上でエサを食べて消化し排泄するというのは基本です。これまでクラゲの仲間は口からエサをとって、排泄も口から行なうというのが常識でした。
 ところがプレスネル、ブラウニーら(図97-1)のグループは、クシクラゲが肛門を持つことを発見したのです(3-4)。どうしてこんなことが21世紀の今日までわかっていなかったというと、クシクラゲを飼育する際に、あまり彼らが好む、あるいは適したエサを与えていなかったので「こんなもの食えるか」と口から吐き出したのを排泄したと勘違いしていたわけです。これには私も腰が抜けるほどびっくりしました。研究者達はエサの小魚のDNAに赤い色素の遺伝子を導入し、肛門から赤い排泄物が排出されるのを確認しました。
 肛門のあるクシクラゲの図を描いてみると(図97-1)、口があってのどがあって胃があって肛門があって、泳ぐための櫛板(繊毛の束)があり、エサをつかむための触手もあり、基本私達と大して違わないような気もします。すでにカンブリア紀にはもっと進化していた仲間の種もいたようです(5)。

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図97-1 有櫛動物(クシクラゲ)

 さてクシクラゲが教科書に出てくるのは、その卵が典型的なモザイク卵だからです。モザイク卵というのは図97-2のように受精卵がふたつの細胞に分裂したときに細胞を分けると、それぞれの細胞からできてくる個体は、本来8つあるはずの櫛板がそれぞれ4つづつしかないという結果になります。4つの細胞ができてから分けると、それぞれ2つの櫛板をもつ不完全な個体が発生します(6)。すなわち未受精卵のうちにどの部分がどう分化するかという設計図が書き込まれていて、あとで修正できないということです。ですからクシクラゲに親と同じ形をした完全体の双生児はいません。ヒトで言えば、左手と左足だけの子と右手と右足だけの子が生まれるようなものです。
 これに対してウニの卵は2細胞期、または4細胞期に細胞を分けると、それぞれ普通の形態をもつ幼生(プルテウス)が発生します。このような卵を調節卵と言います。ヒトの場合も一卵性双生児が存在しますから調節卵と言えます。もちろん調節卵といえども、発生のどこかのステージで分化は決定されるので、モザイク卵と調節卵の違いは分化決定のタイミングが早いか遅いかの違いに起因します。

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図97-2 モザイク卵と調節卵

 生物の形をおおざっぱにみると、前後(口側と肛門側)、背腹、左右という3つの軸が基本になっています。両生類-爬虫類-鳥類-哺乳類を含む生物グループの卵は、発生の際に細胞がダイナミックに動き回るので、軸形成のメカニズムの研究においては難解な応用問題であり、基本的な問題を解決する素材としては不向きです。頭の良い人々はショウジョウバエを材料として課題に取り組みました。
 エドワード・ルイスはいわゆる「ホメオティック遺伝子群」によって生物の形態が定められることを発見しました(7)。名詞のホメオーシスはハエの触覚が脚に変わるように、遺伝的要因によってある器官が別の器官に変わることを意味します。ホメオティック遺伝子はウィキペディアの定義によれば「動物の胚発生の初期において組織の前後軸および体節制を決定する遺伝子である。この遺伝子は、胚段階で体節にかかわる構造(たとえば脚、触角、目など)の適切な数量と配置について決定的な役割を持つ」とされています。これについては後述します。少し横道にそれますが、ルイスホメオティック遺伝子以外に広島・長崎における被曝の影響についても詳細な研究を行ないました。この方面での業績はジェニファー・カロンによってまとめられています(8)。
 ニュスライン=フォルハルトとヴィーシャウスはエドワード・ルイスのショウジョウバエの発生に関する仕事を発展させ、多数の突然変異体を分離して発生に関与する遺伝子を包括的に分析し、その機能を解明しました(9-10)。これらの業績によって3人は1995年度のノーベル生理学医学賞を受賞しました(図97-3)。

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 そしてドリーヴァーとニュスライン=フォルハルトはついにビコイド(bicoid)にたどりつきました(11、図97-4)。ショウジョウバエの未受精卵にはすでに母親の遺言のようなビコイドmRNAの「頭部では濃く尾部では薄い」という濃度勾配が形成されており、受精とともにこのmRNAは翻訳されてビコイドタンパク質が合成されます。ビコイドタンパク質は胚の後方部位の特徴を表現するためのコーダルmRNAに結合して、その機能を阻害します。ビコイドタンパク質の濃度は頭部(前方)では高いので、コーダルmRNAの翻訳は行なわれませんが、尾部では低いのでコーダルmRNAの翻訳がさかんに行なわれることになり、尾部の特徴が現われることになります(図97-4)。

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図97-4 ショウジョウバエ前後軸形成におけるビコイドおよびナノスの役割

 一方ナノスmRNAはビコイドと逆に「頭部で薄く尾部で濃い」という濃度勾配が形成されています。受精とともにナノスタンパク質がこの勾配にしたがって合成され、前方部位の特徴を表現するためのハンチバックmRNAに結合して、その機能を阻害します(12)。ナノスタンパク質の濃度は尾部(後方)では高いので、ハンチバックmRNAの翻訳は行なわれませんが、頭部では低いのでハンチバックmRNAの翻訳がさかんに行なわれることになり、頭部の特徴が現われることになります(図97-4)。コーダルやハンチバックのmRNAには濃度勾配がなく、その翻訳はビコイドタンパク質やナノスタンパク質によって制御されているわけです。
 ここで注意しておきたいのは、ショウジョウバエのような昆虫の場合、他の多くの生物と違って胚発生の初期には細胞分裂は行なわれず、核だけ分裂して卵全体に分布し、その後核が卵表層に移行してから仕切りができて細胞が形成されるという経緯をたどります(表割)。したがって胚発生初期においては細胞の移動や細胞間の物質輸送などは考慮せず、純粋にmRNAとタンパク質の濃度勾配で説明できるところがミソです。
 さて前後軸に続いて腹背軸についてみていきましょう。前後軸があり海底を這って移動する生物は、腹側には移動手段(足など)、背側には防御手段(硬い皮膚やトゲなど)が
あることがベストで、そのような必要性から背と腹が分化してきたのでしょう。

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図97-5 ショウジョウバエ腹背軸の形成

 ショウジョウバエの腹背軸形成については、Robin L. Cooper 氏が作成した図(13、図97-5)をお借りして説明しますと、まず初期胚の腹側でシュペッツレというホルモン様の物質がトールという細胞膜の受容体に結合し(14)、これがシグナルとなってペレというタンパク質分解酵素が活性化されます。ペレはドーサルに結合して不活化していたタンパク質カクタスを分解し、ドーサルが活性化されます。活性化されたドーサルは核に侵入し、腹形成に必要な遺伝子を活性化します。活性化されたドーサルの濃度が低い背側では別の遺伝子が活性化されて背が形成されます(15、図97-5)。
  ドーサルというのは「背中」のという意味なので、その濃度が濃いと腹が形成されるというのは奇妙な印象を受けるかもしれませんが、ドーサルという遺伝子を欠損させると腹側も背中のような生物ができあがるので、遺伝学の習慣として「背中ばかりにさせる遺伝子」としてドーサルと命名されたわけです。赤眼を形成させる遺伝子も、欠損すると白眼になることからホワイトと命名されています。
 昆虫などとは系統樹でいえば別の幹に分かれた両生類-爬虫類-鳥類-哺乳類を含む生物グループでは軸決定の詳細は判明していませんが、βカテニン-Wntシグナル経路が重要な役割を果たしていることはわかっています。カエルの場合腹背軸の決定が最初に行なわれますが、これには精子が卵に侵入する位置がかかわっています。
 カエルの未受精卵は図97-6の一番左側の写真のように、上部にはメラニン色素があり、下部には卵黄があるのでその不均一性は明らかです。メラニン色素は保護色、卵黄は比重のためとされています。重要なのは下部の表層にディシェベルドという情報伝達タンパク質が局在していることです。受精するとその表層が約30度回転して、ディシェベルドの位置も30度ずれます(図97-6)。精子はかならず卵の上部から進入するので、ほぼその進入位置の反対側がずれたディシェベルドの位置となり、その周辺が背側になります(15)。ディシェベルドはWnt(ウィント)情報伝達経路という多くの生物にとって大変重要な経路をはたらかせ、通常は単独分子の状態ではすぐに分解されてしまう β-カテニンの分解を停止し(脱リン酸化される)、核に侵入させてTCF/LEFファミリーの転写因子を活性化し、その転写因子が様々な背側形成遺伝子を活性化します(16)。

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図97-6 カエル腹背軸の形成

 哺乳類における体軸決定はより複雑でここでは述べませんが、興味のある方は文献を参照して下さい(17-19)。カエルと同様Wntシグナルが関与していることは間違いないでしょう。ケンブリッジ大学のイワン・ベドゾフ(Ivan Bedzhov) らのグループは、マウス胚の前後軸は母親から残されたシグナルによらないで決まると主張しています(20)。

 

参照

1)海遊館日記 http://www.kaiyukan.com/blog/2013/01/post-58.html
2)新江ノ島水族館 えのすいトリーター日誌
http://www.enosui.com/diaryentry.php?eid=02647
3)Jason S. Presnell, Lauren E. Vandepas, Kaitlyn J. Warren, Billie J. Swalla, Chris T. Amemiya, William E. Browne
The Presence of a Functionally Tripartite Through-Gut in Ctenophora Has Implications for Metazoan Character Trait Evolution
Curr. Biol., Volume 26, Issue 20, p2814–2820, 24 October 2016
http://www.cell.com/current-biology/fulltext/S0960-9822(16)30931-
4)ナショナルジオグラフィック日本版 肛門の起源の定説白紙に、クシクラゲも「うんち」 未知のタイプの肛門を確認、教科書書き換える発見
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/16/082400314/
5)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%89%E6%AB%9B%E5%8B%95%E7%89%A9
6)ウィキペディア: 有櫛動物
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%82%B6%E3%82%A4%E3%82%AF%E5%8D%B5
7)Lewis Edward. A gene complex controlling segmentation in Drosophila. Nature. 1978;277(5688):565-570. doi:10.1038/276565a0.
http://sns.ias.edu/~tlusty/courses/landmark/Lewis1978.pdf
8)Jennifer Caron, Edward Lewis and radioactive fallout. The impact of caltech biologists on the debate over nuclear weapons testing in the 1950s and 60s. (2003)
https://thesis.library.caltech.edu/1190/1/LewisandFallout.pdf
9)Nüsslein-Volhard C, Wieschaus E (October 1980). "Mutations affecting segment number and polarity in Drosophila". Nature. 287 (5785): 795–801. doi:10.1038/287795a0. PMID 6776413
https://web.stanford.edu/class/cs379c/archive/2012/suggested_reading_list/supplements/documents/Nusslein-VolhardandWieschausNATURE-80.pdf
10)The Nobel Prize in Physiology or Medicine 1995
https://www.nobelprize.org/nobel_prizes/medicine/laureates/1995/
11)Driever, W., Nüsslein-Volhard, C., "The bicoid protein determines position in the Drosophila embryo in a concentration-dependent manner".,  Cell. vol. 54: pp. 95–104. (1988) doi:10.1016/0092-8674(88)90183-3.
http://www.mbl.edu/physiology/files/2014/06/Driever-1988.pdf
12)Irish V, Lehmann R, Akam M., The Drosophila posterior-group gene nanos functions by repressing hunchback activity. Nature., vol. 338 (6217)  pp. 646-648(1989). DOI: 10.1038/338646a0
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/2704419
13)Robin L. Cooper,  Chapter 8: Development of the Fruit Fly Drosophila melanogaster
http://web.as.uky.edu/Biology/faculty/cooper/Population%20dynamics%20examples%20with%20fruit%20flies/08Drosophila.pdf#search=%27drosophila+development%27
14)Miranda Lewis et al., Cytokine Spätzle binds to the Drosophila immunoreceptor Toll with a neurotrophin-like specificity and couples receptor activation., Proc Natl Acad Sci U S A. 2013 Dec 17; 110(51): 20461–20466.
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC3870763/
15)東中川徹・八杉貞雄・西駕秀俊編 ベーシックマスター 「発生生物学」 第6章 オーム社 2008年刊
16)Wikipedia: Wnt signaling pathway  https://en.wikipedia.org/wiki/Wnt_signaling_pathway
17)吉田千春 マウス胚の前後軸決定におけるシグナル因子の挙動とその役割 上原記念生命科学財団研究報告集22(2008)
https://ueharazaidan.yoshida-p.net/houkokushu/Vol.22/pdf/096_report.pdf#search=%27%E3%83%9E%E3%82%A6%E3%82%B9+%E5%89%8D%E5%BE%8C%E8%BB%B8%27
18)大阪大学 生命機能研究科  発生遺伝学グループ 体軸の始まり(前後軸形成からのアプローチ) 
http://www.fbs.osaka-u.ac.jp/labs/hamada/%E5%89%8D%E5%BE%8C.html
19)平松竜司・松尾 勲 マウスの胚における前後軸の形成は子宮から胚への力学的な作用により開始される (2013)
http://first.lifesciencedb.jp/archives/7892
20)Ivan Bedzhov et al., Development of the anterior-posterior axis is a self-organizing process in the absence of maternal cues in the mouse embryo.
Cell Research vol. 25, pp. 1368-1371. (2015) doi:10.1038/cr.2015.104
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC4670986/pdf/cr2015104a.pdf

 

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2020年1月26日 (日)

96. クリスパー(補足)

 95.で、、「クリスパーシステムを用いた遺伝子治療を行なうには、プラスミドかウィルスにCAS-クリスパーを潜入させて、標的になる細胞にとりこませなければなりません。受精卵は大きいのでマイクロインジェクションで注入できますが、体細胞にはこのやり方は向いていません。このあたりがなかなか難しいところです。」と記述しました。 動物では上記のように難しいのですが、植物の場合この困難をうまく乗り越えられる方法があります。アグロバクテリウムというグループの土壌細菌(1)は、植物の根に感染すると、自分の遺伝子を植物細胞のゲノムの任意の位置に組み込む性質を持っています(2、図96-1)。この細菌にCas9(タンパク質)とsgRNAをとりこませ(またはこれらの遺伝情報を持ったプラスミドをとりこませ)植物に感染させると、任意の位置ではなく、狙った植物の遺伝子に変異を導入して無効化することができます。

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図96-1 アグロバクテリウムによって誘導された虫こぶ(参照文献1より)

 この方法でALS(アセト乳酸合成酵素)の遺伝子を無効化すると、除草剤耐性の植物ができあがります。最初はジャガイモで成功しました(2)。最近では、Cas9の代わりにシトシン→チミンの変換を行なう酵素を使って(TargetAID)、除草剤耐性のイネを作成したという報告があります(3、4)。このような除草剤耐性を付与されるタイプの作物は需要が大きいらしく、次々と製造されると思われますが、それぞれの除草剤の安全性チェックが形ばかりで実質後手になる可能性が大きく、このために折角の叡智であるクリスパーが十把一絡げで悪者になってしまうのはあまりにも残念です。
 モンサント社のラウンドアップを農家が大量散布したため、土壌が汚染された上に耐性雑草が蔓延してどうにもならなくなったという歴史に学ぶ必要があります(5、6)。これでラウンドアップをやめたのはいいけれど、次々に新しい農薬で汚染に汚染を重ね、多剤耐性の雑草が蔓延するような世界はみたくありません。モンサントも会社が立ちゆかなくなり、バイエルに買収されました(7)。世界各国で禁止されているラウンドアップですが、日本では大手を振って販売されています(8)。
 ここでひとつ指摘したいのは、グローバル企業が自社の利益のために人類に多大な損害を与える恐れがあるとき、それを規制するシステムがないということです。インターポールは国外逃亡犯を逮捕するのがせいぜいのところで、各国の法律が異なるため、国際的な企業の暴走をを制御するなどということは不可能に近いと思われます。他国の農民に種を採取してはならないなどという規制をかけるのは、グローバル企業が国家権力を超越した指令をだしているも同然で、決して許して良いことではありません。現在クリスパーを利用した品種改良はほとんど特定の位置で遺伝子に変異を導入するという形(NHEJ)で行なわれており、遺伝子組み換えはありません(11)。これはほぼ今まで行なわれてきた品種改良と同じで、遺伝子組み換え作物と比べて安全性は高いと思われますが、ひとつ心配なのはその改良の速度が速すぎて安全性のチェックが後手に回る恐れがあることです。現に2016年時点での遺伝子組み換え作物の日本への輸入量は約1471万トンということで(11)、商品の表示とはほど遠い数値であり、人体実験をやりながら食事をしているような状況でしょう。いずれクリスパーで改良した作物由来の食品はもっと大量に輸入されるでしょうし、この種の作物は国内でも生産されるでしょう。
 クリスパーは本来医学でも活用されるべきものであり、特に遺伝病の治療や予防に有効だと思われます。ただそれを理想的に行なうには今の技術には足りない部分が多々あり、特に人工遺伝子の移入にはもっと新しい技術が求められます。私はそれが完成したときに、はじめて遺伝子編集という言葉を使っても良いと思います。
 そのような技術が完成した際には、当然親が子のゲノムのデザインをやってもいいかという議論になるとおもいますが、私はそれには「否」を唱えます。ただ重篤な遺伝病がみつかったときには、治療してから受胎するという行為は許容されるべきです。私達には病気を治療する権利があり、それは卵や胎児にもあると思うからです。どこまで遺伝子の変換を認めるかかというのは、厚生労働省がガイドラインを作成して医師に守らせるように指導するしかありませんし、守らない医師は処罰することも必要でしょう。

 

参照

1)ウィキペディア: アグロバクテリウム
2)Nathaniel M. Butler, Paul A. Atkins, Daniel F. Voytas, David S. Douches., Generation and Inheritance of TargetedMutations in Potato (Solanum tuberosum L.)Using the CRISPR/Cas System., PLoS ONE 10(12):e0144591.(2015) doi:10.1371/journal.pone.0144591
http://journals.plos.org/plosone/article/file?id=10.1371/journal.pone.0144591&type=printable
3)神戸大学広報 DNAを切らずに書き換える新たなゲノム編集技術を作物に応用 ― 新しい品種開発技術として期待 ―
http://www.kobe-u.ac.jp/research_at_kobe/NEWS/news/2017_03_28_01.html
4)Nishida, K., T. Arazoe, N. Yachie, S. Banno, M. Kakimoto, M. Tabata, M. Mochizuki, A. Miyabe, M. Araki, K. Y. Hara, Z. Shimatani and A. Kondo: Targeted nucleotide editing using hybrid prokaryotic and vertebrate adaptive immune systems. Science, 10.1126/science.aaf8729 (2016).
5)ウィキペディア:ラウンドアップ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%83%89%E3%82%A2%E3%83%83%E3%83%97#ラウンドアップ耐性雑草の世界的な問題
6)深刻化する除草剤耐性雑草~傾向と対策
http://www.foocom.net/column/gmo2/6839/
7)7兆円を超える大型買収、100年以上続いた「モンサント」の名を消すバイエルの思惑
https://www.businessinsider.jp/post-169013
8)世界中が禁止するラウンドアップ 余剰分が日本で溢れかえる
https://www.chosyu-journal.jp/shakai/11791
9)消えるハチ Bees in decline
http://www.greenpeace.org/japan/Global/japan/pdf/201404_BeesInDecline.pdf
10)猪瀬聖 ガラパゴス化する日本の食品安全行政
https://news.yahoo.co.jp/byline/inosehijiri/20150623-00046911/
11)石井哲也 ゲノム編集を問う-作物からヒトまで 岩波新書 (2017)

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95.クリスパー

 遺伝病は遺伝子のたった一組の塩基対の異常によっても発生し、それが原因で落命するということもあり得ます。有名なのは鎌形赤血球貧血症で、わずか一対の塩基対の異常によって、ヘモグロビンベータ分子を構成する1ヶ所のアミノ酸であるグルタミン酸がバリンに代わり、この結果ヘモグロビンの機能が低下して貧血になります。どの遺伝子のどの塩基対が変異をきたしても病気になる可能性があるので、遺伝病のバラエティは無数にあります。
 これらの遺伝子を正常にもどして病気を治療するというのは、分子生物学者にとってのひとつの夢でした。当初考えられたのは、レトロウィルスベクターを使って正常な遺伝子を細胞に注入するというやり方でした。しかしそこで予想もしなかった事態が発生しました。まず1999年にゲルシンガー事件というのがおこりました。患者のゲルシンガー氏の免疫系がベクターに異常に強い反応を起こして、患者が死亡してしまったのです。2000年代のはじめには、X連鎖重症複合型免疫不全症(SCID-X1)と呼ばれる疾患に対して、20人の小児患者が遺伝子治療を受けましたが、そのうちの5人が白血病を発症し、1人が死亡するという事件が起きました。この原因は患者のゲノムに挿入された治療用遺伝子が「がん遺伝子」を活性化したためと考えられています(1、2)。現在ではレトロウィルスベクターのかわりに、より安全性を担保されたレンチウィルスベクターが用いられ、ウィルスベクターによる遺伝子治療が再出発しています(3)。
 しかしこのようなウィルスベクターによる治療にはいつくか問題点があります。ひとつは遺伝子が挿入される場所を指定できないので、何が起こるか判らないという怖さがあること。いまひとつはハンチントン病のように、変異遺伝子が生成する異常タンパク質が、正常なタンパク質の作用を妨害するような場合には無効であることです(4)。したがって、そのようなウィルスベクターによる治療に危惧を抱いていたグループの中では、前稿でとりあげたカペッキやスミティーズの相同遺伝子組み換え技術によって、異常遺伝子を正常遺伝子に組み換えるという可能性を追求しようという機運がひろがっていました。
 そもそも相同遺伝子組み換えというのは、真核生物では主に減数分裂の時におこる現象ですが、どのようなメカニズムで行なわれるのでしょうか? このそもそも論に取り組んだのがジャック・ショスタクです。彼はテロメア・テロメラーゼ関連でノーベル賞を受賞しましたが、それ以外の仕事でもその天才ぶりを遺憾なく発揮しました。
 DNAは常に放射線・紫外線・化学物質などにさらされており、日常的に損傷を受けています。損傷のタイプは大きく分けて二つあり、ひとつは1本鎖の切断で、これは修復機構が数多く知られています(5-6、図96-1)。いまひとつは2本鎖の切断で、1本鎖の切断の場合と異なり、断点でDNAが生き別れてしまうおそれがあるという生命にとって極めて危険な状況が発生します。しかし生命はあえて損傷時以外にも、減数分裂時には染色体の組み換えを行なって、遺伝子のシャフリングを行なっています。そのためには2本鎖の切断と修復が必要です(図96-1)。

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図95-1 DNAの損傷:1本鎖切断と2本鎖切断

 ショスタクらは1983年に、2本鎖切断を修復する機構のモデル(仮説)を発表しました(7、図95-2)。今見てみると非常に味わい深いモデルだと思いますが、発表された当時はあまりに都合の良いことを単純につなぎ合わせたような気がして、信じ難い感じがしました。多くの研究者が当時はそう思っていたのではないでしょうか。しかし現在では着々とその正しさが証明されつつあります(8)。
 図95-2を使ってショスタクのモデルを説明すると次のようになります。2本鎖の断点から、まず1本鎖が断点の5’側からエクソヌクレアーゼによってかじられ(タンパク質がとりつくスペースを空けるためでしょう)、かじられなかったもう1本の鎖にRAD51(図95-2の赤丸)というタンパク質がとりつきます。これとRAD54(図95-2のオレンジ楕円)などが協力して相同染色体の対応部位をさがしてとりつきます。ここで相同染色体にある塩基配列を利用して図95-2の黒点線ような修復を行ないます。結果的に染色体の組み換えが行なわれていることに注意して下さい。修復に利用された相同染色体側から見れば、染色体の一部が切り取られて移動しただけですが、2本鎖切断を受けた側の染色体では、極めて複雑なプロセスがあることがわかります。図では概要だけを示しており、このプロセスの全貌はまだ解明されていません。重要なのは、生物が本来持っている遺伝子組み換え機構を発動するには、DNA2本鎖切断、相同染色体、DNA加工酵素群、相同部位を探すために必要なタンパク質、の4者が必要だということです。

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図95-2 ショスタクのDNA2本鎖切断修復モデル

 DNAの2本鎖修復が、切断を受けたDNA以外のDNAを利用して行なわれることの証拠をはじめて示したのはマリア・ジャシンらでした。彼女らは18塩基配列を認識して2本鎖DNAを切断する特殊なエンドヌクレアーゼをマウスに導入し(マウスにはこの18塩基配列がひとつもないため、ずっと発現していても何もおこらない)、18塩基配列をマウスゲノムに埋め込むとともに、この配列に相補的なDNA断片を供給すると、約10%の細胞が相同組み換えによってDNAを修復することができました(9)。
 ジェニファー・ダウドナはショスタクの研究室で博士号を得ているので、当然相同遺伝子組み換えには関心を持っていたはずですが、ポストドクはコロラド大学のトム・チェックの研究室でリボザイムの研究を行なっていました。DNAの修復や相同遺伝子組み換えとは全く畑違いの分野です。彼女が就職してから最初に取り組んだのは、「細菌の免疫機構」というテーマでした。
 参照文献(4)によると、2006年のある日、面識のないジリアン・バンフィールド(ジル)という研究者から電話がかかってきて、共同研究のオファーがあったそうです。よくわけがわからなかったそうですが、ダウドナはその熱意にほだされて会って話を聴くことにしました。ジルはあらゆる細菌DNAが規則的にとびとびに並んだクラスター状の回文反復配列を持っており、その反復配列の間に異なる配列がはさまれているという話をしました(図95-3、灰色部が反復配列、赤・青・緑がそれぞれ異なる配列)。この回文反復配列は、もともと別の大腸菌遺伝子の研究をしていた石野良純がその隣接領域に発見して報告していたものです(10、図95-3の赤枠の中)。当時は石野も含めてこの配列の重要性に誰も気づきませんでしたが、かなり後になって、この配列が多くの細菌・古細菌にみられるということをフランシスコ・モヒカらが報告しました(11)。ウィキペディアによれば、配列決定された原核生物のうち真正細菌の4割と古細菌の9割に見出されているそうです。この配列は2002年にルート・ヤンセンらによってCRISPR(クリスパー=Clustered Regularly Interspersed Short Palindromic Repeats)と命名され、この近傍にはCAS遺伝子群(CRISPR-associated genes)が存在することも明らかになりました(12)。

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図95-3 CAS-CRISPRの発見

 ダウドナがジルに会う少し前に、アレグザンダー・ボロティンらが、反復配列にはさまれた赤・青・緑の領域がウィルスの塩基配列とホモロジーがあることを発表していました(13)。さらにジルはダウドナにマカロヴァらの最新の論文を見せ、そこにはクリスパーが細菌の免疫機構のひとつであることが示唆されていました(14)。 ダウドナは自分がそれまで研究していたRNA干渉(mRNAの相補配列をもつRNAが転写を制御する機構)が、原核生物の免疫に関与しているという話に驚愕し、ただちに食いつきました(4)。ダウドナの本には、海中の細菌の40%が毎日ウィルス感染によって死んでいると書いてあります。細菌にはすごい増殖能力があるのでウィルス感染なんて「へ」でもないというわけにはいかないようです。彼らにも高度な免疫機能が必要でした。
 ちょうどその頃、ロドルフ・バランガウ(Rodolphe Barrangou)らはウィルス抵抗性を獲得した細菌のクリスパーを調べて、新規にそのウィルスのゲノム配列がスペーサー部にコピーされていることを発見し、クリスパーが細菌の獲得免疫をになう機構であることを証明しました(15)。この免疫機構が素晴らしいのは、いったん獲得するとそれが子孫にも受け継がれるという点です。
 2008年になりスタン・ブロウンズらは、まずクリスパー全体が転写され、次に転写されたRNAがリピート部分でRNA分解酵素によって切断されて、各スペーサー部分と相補的なRNA分子が生成されることを示しました(16、図95-4)。この短いRNAはウィルスゲノムと相補的な構造をもっているため、ウィルスを不活化することができると考えられます。しかしそのメカニズムはそのようなシンプルなものなのでしょうか? 最近の研究ではこのメカニズムは大きくわけて大腸菌などに適用される I 型と レンサ球菌などに適用される II型があることがわかってます。

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図95-4 CRISPRは転写されRNAレベルでスペーサー部位が切断されて、免疫反応のツールとなる短いRNAがつくられる

 ダウドナの研究室では2011年頃までは主に特異性の低いクリスパー I 型について研究していたのですが、プエルトリコのカフェで偶然エマニュエル・シャルパンティエと出会って共同研究を始めた頃から、特異性の高い II 型の研究に重心を移しました(4)。エマニュエルは II 型クリスパーシステムを持つレンサ球菌のCAS9という酵素(DNase )を研究していて、この遺伝子の突然変異によって免疫機構が失われることをみつけていました。ダウドナ研ではエマニュエルの研究室の他各地から人材を集めてCAS9の機能分析を行ないました。中心となったのはダウドナ研のマーティン・イーネック(Martin Jinek) とシャルパンディエ研の クシシュトフ・チリンスキ(Krzysztof Chylinski)です(図95-5)。二人ともポーランド語を話せたので意思疎通はうまくいったようです。
 当初はクリスパーRNAとCAS9でファージDNAを切断できると思っていたわけですが、実はそれ以外に tracrRNA(trans-activated crRNA)というもうひとつの役者が必要であることがわかりました。このRNAはクリスパーRNAと相補配列をもち、ハイブリッドを形成してCAS9を分解すべきDNAの特定部位に導きます。PAM配列という、生物種や関連分子種によって異なる特異配列が誘導に介在しています。CAS9がDNAの2本鎖をこじ開けると、クリスパーRNAがその片側と結合します。その状態でCAS9のふたつのヌクレアーゼサイトを同時に使って2本鎖の両方を同時に切断します(17、図95-5)。
 ダウドナ研で tracrRNAとクリスパーRNA(crRNA)を人工RNAで接続し1分子(キメラ分子)に統合してもCAS9を切断部位に誘導できることが示され、図95-5のようにクリスパーをツールとして用いるときは、このようなキメラ分子を使うのが便利ということになりました(図95-5)。この人工キメラ分子はsgRNA(シングルガイドRNA)と名付けられました。

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図95-5 CAS-CRISPRがウィルスDNAを切断するメカニズムと、crRNAとtracrRNAの人工的接続による効率化

 図95-6はクリスパーの基礎研究を主導した3人の女性研究者です。彼女たちは研究者としてのみならずマネージャーとしても一流で、多額の研究費を得て大規模な研究室を維持し切り盛りしています。ダウドナ研のHPは(18)です。CAS-クリスパーシステムのもう少し専門的または詳しい日本語解説をみたい方は(19、22)などを参照されるとよいでしょう。

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図95-6 バンフィールド シャルパンティエ ダウドナ

 CAS-CRISPRシステム(sgRNA+Cas)と挿入用のDNAを使えば、正確な位置にDNAを挿入することができます(図95-7)。といっても遺伝子をまるごと挿入できるわけではありません。ダウドナはその著書のなかで「CRISPRは私たちに生命の分子そのものを思うままに書き換える手段を与え」と述べていますが、それはちょっと大げさです。たとえば2種類のsgRNAを用いてひとつの遺伝子を両端で切断してとりはずし、別の遺伝子と入れ換えるなどということはできません。2本鎖切断が行われると、その場所でさまざまなDNAの加工が発生します。相同組み換えという生体が持っている非効率なシステムに全面的に依存しているというのも弱点です。

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図95-7 CAS-CRISPRシステムによるDNA挿入

 CAS-クリスパーシステム(sgRNA+Cas)を使ってDNAを切断すると2本鎖切断がおきるので、鋳型に依存しない通常不正確な修復機構によってDNAがつながります。この結果しばしば遺伝情報のフレームシフト(横ずれ)によってコードが意味をなさなくなり、遺伝子の機能が失われます(図95-8)。もともとCAS-CRISPRシステムはDNAを無効化するためのシステムなので、遺伝子破壊は得意です。遺伝子に突然変異を導入する効率は飛躍的に向上しました。

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図95-8 CAS-CRISPRシステムによる遺伝子の破壊(ノックアウト)

 マウスの受精卵にCAS-クリスパーシステム(sgRNA+Cas)を注入し、胚盤胞まで培養して仮親に育てさせると(図95-9)、狙った遺伝子が図95-8のような機構で無効化し、ノックアウトマウスを作成できます。また同時にオリゴDNAを注入すると、そのオリゴDNAをゲノムDNAにとりこんだ動物ができます。たとえば点突然変異を持つ動物を作成できます(20、図95-7)。

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図95-9 CAS-CRISPRシステムを卵核に注入する

 ある遺伝子に変異を導入して病原菌のターゲットにならないように遺伝子を改変するというのは、CAS-CRISPRシステムの得意とするところです。うどんこ病に抵抗性のコムギなどは大きな成功でしょう(21)。このシステムでは狙った特定の位置に正確に変異を導入できるので、X線・ガンマ線・化学物質などを使ってランダムに導入された変異などとはわけが違う、素性のはっきりした品種改良であり、これは私達が慎重さを確保した上で受け入れるべきものでしょう。注意すべきはCASはあくまでもDNA分解酵素なので、条件によっては切ってはならないところでDNAを切断する可能性があることを心に留めておくことが必要です(22)。
 ダウドナの本(4)は非常によくまとめられていて、著者の頭の良さをうかがわせますが、同時にCAS-CRISPRシステムのプロパガンダの本でもあります。クリスパーはもともとウィルスのDNAを破壊するためのシステムであり、特定の配列を認識してDNAを切断することはできますが、これを遺伝子編集というのはかなりおおげさな表現だと思います。CAS-CRISPRシステムが制限酵素のシステムと違うのは、ひとつはウィルスのDNA配列を記憶しておけるということ。もうひとつは制限酵素よりはるかに長い配列(20塩基)を認識できるので、自分のDNAを間違って切断する心配はない(したがってメチル化による保護は不要)ということです。
 CAS-CRISPRシステムを用いた遺伝子治療を行なうには、プラスミドかウィルスにCAS-CRISPRを潜入させて、標的になる細胞にとりこませなければなりません。受精卵は大きいのでマイクロインジェクションで注入できますが、体細胞にはこのやり方は向いていません。このあたりがなかなか難しいところです。

 

参照

1)免疫不全症の遺伝子治療 AASJ
http://aasj.jp/news/watch/2281
2)遺伝子治療の現状と課題 PMDA科学委員会
https://www.pmda.go.jp/files/000156275.pdf
3)遺伝子治療の再来 北青山Dクリニック がん遺伝子治療センター
https://cancergenetherapy-dclinic.info/knowledge/treatment/457/
4)ジェニファー・ダウドナ、サミュエル・スターンバーグ著 櫻井裕子訳 「クリスパー 究極の遺伝子編集技術の発見」文藝春秋社(2017)
5)https://morph.way-nifty.com/grey/2016/11/post-4728.html
6)https://morph.way-nifty.com/grey/2016/12/post-1ebc.html
7)Jack W. Szostak , Terry L. Orr-Weaver , Rodney J. Rothstein , Franklin W. Stahl., The double-strand-break repair model for recombination., Cell Vol. 33, Issue 1,  pp. 25-35 (1983)
https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/0092867483903318
8)黒沢綾、足立典隆 ヒト細胞における DNA 二本鎖切断の修復 Isotope News  2014 年 5 月号 No.721、 pp. 8-14
https://www.jrias.or.jp/books/pdf/201405_TENBO_KUROSAWA_ADACHI.pdf#search=%27%E9%BB%92%E6%B2%A2%E7%B6%BE%E3%80%81%E8%B6%B3%E7%AB%8B%E5%85%B8%E9%9A%86%27
9)Philippe Rouet, Fatima Smih and Maria Jasin., Expression of a Site-Specific Endonuclease Stimulates Homologous Recombination in Mammalian Cells., Proc. NAS., Vol. 91, No. 13, pp. 6064-6068 (1994)
https://www.jstor.org/stable/2365114
10)Ishino, Y., Shinagawa, H., Makino, K., Amemura, M., and Nakata, A. (1987) Nucleotide sequence of the iap gene, responsible for alkaline phosphatase isozyme conversion in Escherichia coli, and identification of the gene product. J. Bacteriol. 169, 5429-5433.
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC213968/pdf/jbacter00202-0107.pdf
11)Francisco J. M. Mojica, Cesar Díez-Villaseñor, Elena Soria, Guadalupe Juez., Biological significance of a family of regularly spaced repeats in the genomes of Archaea, Bacteria and mitochondria., Molec. Microbiol., vol. 36, Issue 1, pp. 244–246 (2000)
http://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1046/j.1365-2958.2000.01838.x/full
12)Jansen R, Embden JD, Gaastra W, Schouls LM.,  “Identification of genes that are associated with DNA repeats in prokaryotes”. Mol Microbiol vol. 43 (6): pp. 1565–1575. (2002) doi:10.1046/j.1365-2958.2002.02839.x. PMID 11952905
13)Bolotin A, Quinquis B, Sorokin A, Ehrlich SD., Clustered regularly interspaced short palindrome repeats (CRISPRs) have spacers of extrachromosomal origin., Microbiology. vol. 151(Pt 8): pp. 2551-2261. (2005)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/16079334
14)Makarova KS, Grishin NV, Shabalina SA, Wolf YI, Koonin EV., A putative RNA-interference-based immune system in prokaryotes: computational analysis of the predicted enzymatic machinery, functional analogies with eukaryotic RNAi, and hypothetical mechanisms of action.,  Biology Direct, 1:7, (2006)  doi:10.1186/1745-6150-1-7
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/16545108
15)Rodolphe Barrangou et al., CRISPR Provides Acquired Resistance Against Viruses in Prokaryotes., Science vol. 315, Issue 5819, pp. 1709-1712 (2007)
DOI: 10.1126/science.1138140
http://science.sciencemag.org/content/315/5819/1709.long
16)Brouns SJ et al., Small CRISPR RNAs guide antiviral defense in prokaryotes., Science. vol. 321 (5891): pp. 960-964. (2008)  doi: 10.1126/science.1159689.
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/18703739
17)Jinek M, Chylinski K, Fonfara I, Hauer M, Doudna JA, Charpentier E., A programmable dual-RNA-guided DNA endonuclease in adaptive bacterial immunity.,
Science vol. 337(6096):  pp. 816-821. (2012)  doi: 10.1126/science.1225829. Epub 2012 Jun 28.
18)http://doudnalab.org/
19)新海暁男  CRISPR-Casシステムの構造と機能 生物物理 vol. 54(5),pp. 247-252(2014)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/biophys/54/5/54_247/_pdf
20)H Wang et al., One step generation of mice carrying mutations in multiple genes by CRISPR/Cas-mediated genome engineering., Cell vol. 153 pp. 910-918 (2013)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC3969854/
21)Yanpeng Wang et al., Simultaneous editing of three homoeoalleles in hexaploid bread wheat confers heritable resistance  to powdery mildew., Nature Biotechnology, vol. 32, pp. 947-952  (2014 ) DOI: 10.1038/nbt.2969
22)https://syodokukai.exblog.jp/19701018/

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94.ノックアウトマウス

 1970年代後半から、遺伝子クローニングやDNA塩基配列解析の技術が飛躍的に進歩しました。それにともなって、構造はわかったが機能がわからない遺伝子がたまっていくことになりました。このような未知遺伝子の機能を解析するには、とりあえずその遺伝子を無効化して何が起こるか見てみたいわけです。
 1980年代になってエヴァンスらが胚盤胞の内部細胞塊から多分化能をもつ細胞株(ES細胞)の樹立に成功し(1、図94-1~3)、ES細胞由来のマウスを作成することが可能になりました。1985年には、スミティーズらが相同遺伝子組み換え法によって、ベータグロビン遺伝子領域に外来のDNAを挿入できることを示しました(2、図94-1~3)。そしてついに1987年になって、カペッキらは、ヒポキサンチン-グアニンホスホリボシルトランスフェラーゼ (HPRT)という酵素の遺伝子の一部に、ネオマイシン耐性遺伝子を組み込んだベクタ-を作成し、ES細胞内で相同遺伝子組み換えを起こさせてHPRTを欠損する細胞を作成しました(3、図94-1~3)。個体レベルでは、HPRTを欠損すると体内に尿酸が蓄積して痛風や腎不全が引き起こされます(4)。
 エヴァンス・スミティーズ・カペッキらによって開発された技術は一般化され、どの遺伝子でも人為的に欠損させてその機能を調べられるようになりました。この功績によって彼ら3人に2007年のノーベル生理学・医学賞が授与されました(5、図94-1)。
 マリオ・カペッキはイタリア人ですが、父親は戦死、母親は反ファシスト運動を行ったかどで、ドイツのダッハウ強制収容所に送られ、孤児となったカペッキは4才からヴェローナの街を放浪して、数年間コチェビのような生活(ストリート・チルドレン)をしていたそうです(6)。幸いなことに母親は殺害を免れ、必死の捜索を行って戦後息子と再会。叔父の援助で渡米し、マリオは米国で教育を受けてハーバード大学大学院に進学することができました。

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図94-1 ノックアウトマウスの開発

 ノックアウトマウス(KOマウス)作成の概要は次のようになります。まず標的遺伝子と似ているが不活化した遺伝子を含むベクターを用意します。通常この内部にはネオマイシン耐性遺伝子などの、組み換えが成功した細胞を選択するための遺伝子を挿入しておきます。このベクターを胚性幹細胞(ES細胞)を培養しているシャーレに投入して、電気ショックやリン酸カルシウム処理などで細胞内に侵入させ、標的遺伝子との組み換えを行なわせます(図94-2)。
 組み換えに成功した細胞はネオマイシン耐性などで選別します。生き残ったES細胞(相同遺伝子組み換えに成功した細胞)を胚盤胞に注入します(図94-2)。注入された細胞は、内部細胞塊の細胞と混ざって、これから生まれる個体の一部になります。つまりこの胚盤胞はキメラ動物になります。

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図94-2 ノックアウトマウスの作成1 遺伝子を組み換えた細胞を杯盤胞に注入

 ノックアウトマウスを作成するためには熟練した研究者がチームを組んで、緊密なチームワークで行わなければなりません。通常図94-2~4のような研究を行なう場合、分子生物学担当者、細胞培養・胚操作担当者、などとは別に動物実験担当者を決めておく必要があります。動物実験担当者はまず研究の進行状態にあわせて、パイプカット手術(無精子となる)をした♂と正常な♀を交配させて、偽妊娠状態の♀を作成しておきます。偽妊娠状態の♀に図94-2のような方法で作成した胚盤胞を移植して着床させます(図94-3)。こうして仮親となった♀から生まれた子供は、本来の親由来の細胞と外部から注入したES細胞由来の細胞の両者を持っており、いわゆるキメラの状態になります(図94-3)。

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図94-3 ノックアウトマウスの作成2 キメラマウスの作成

 キメラマウスの卵または精子のなかにはES細胞由来の遺伝子を持つものがあるはずで、そのような生殖細胞と正常な動物の生殖細胞が接合すると、ES細胞由来の遺伝子をヘテロで保有する動物が生まれてきます(図94-4)。そのヘテロ動物同士をかけあわせると、メンデルの法則に基づいて25%の確率でホモの生物が生まれます。このホモマウスは本来持つべき遺伝子を2本の染色体共に喪失しているので、当該遺伝子に関していわゆるノックアウト状態になります(図94-4)。このような状態のマウスをノックアウトマウスとよびます。

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図94-3 ノックアウトマウスの作成3 ノックアウトマウス(ヘテロおよびホモ)の作成

 相同組み換えを起こさせるために、通常はES細胞の培養系にベクターを投入するのですが、もともとは図94-5のように、受精卵の核にDNAを注射する(マイクロインジェクション)という方法も採られました。吸引用の毛細管で吸引することによって卵を固定し、反対側から注射用毛細管でDNAを卵核に注入します。難しい技術で効率もよくないのですが、この方法でもノックアウトマウス作成が可能です(図94-5)。

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図94-5 毛細管をもちいて受精卵の核に遺伝子改変用DNAを注入する

 そもそも遺伝子は必要であるからこそ代々受け継がれてくるわけで、ノックアウトすれば当然不都合が発生するはずです。特に日常的に必要とされるタンパク質をコードする遺伝子をノックアウトすると、胚または胎仔のうちに死亡して生まれてさえこないということになります。それでは遺伝子の機能解析ができません。
 そこで外部からなんらかのシグナルを送らない限り遺伝子の喪失がおこらないような生物が、ブライアン・ザウアーらによって考案されました(7-8、図94-6)。それはCre/loxPというシステムですが、このシステムのルーツはバクテリオファージP1にあります。このファージは環状化するためにloxPという配列(図94-6)を両端に持っており、この2ヶ所にCreというリコンビナーゼが結合し、その後それぞれのCreが結合することによって反応がはじまって、ホストDNAからファージDNAが切り出されて環状化します。
 ブライアン・ザウアーという人はもともと天文学者になりたかったそうですが、ウィスコンシン大学の数学科を卒業してから縁あってデュポン社の研究所で仕事をするようになり、そこで同僚がバクテリオファージのCre/loxPシステムを研究していたので、それを真核生物の研究に役立てる方法はないかと考えるうちに、遺伝子ノックアウトに使えるのではないかと思いついたそうです(9)。
 標的遺伝子と相同組み換えを行なうDNAの両端にloxP配列を入れておくと、そのDNAが標的遺伝子と同じ機能を持つとしても、Creが作用すればloxPにはさまれた部分は環状化してゲノムから切り離され、遺伝子機能は失われます(図94-6)。ここでCreを核内に侵入させる方法を考えます。あるシグナルがあると核内に移行するタンパク質があれば使えるかもしれません。たとえばエストロジェン受容体にCreを結合し、タモキシフェンを作用させるとエストロジェン受容体はCreと共に核内に移行します。そうするとCreはloxPと反応して標的DNAを切り出し無効化させることができます。すなわちタモキシフェンの投与によって、随時遺伝子をノックアウトできるのです(10、図94-6)。

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図94-6 Cre/loxPシステムによる標的遺伝子の切り出し

 このCre/loxPというシステムは大変便利なもので、Creの遺伝子をゲノムにあらかじめ組み込んでおき、その上流にあるプロモーターを組織特異的に機能するプロモーターに付け替えておくと、例えば筋組織だけで機能するプロモーターだと、筋組織だけである時期にCreが発現して遺伝子を無効化する生物を作成することができます(図94-7)。エストロジェン受容体を利用する方法だと任意の時間に遺伝子を無効化できるのに対して、この方法だと組織特異的に任意の遺伝子を無効化できるということになります。したがって個体全体の遺伝子を無効化すると死亡するような場合でも、ある組織だけだと死亡させないでその効果をみることができます。

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図94-7 遺伝子の組織特異的ノックアウト

 また、標的遺伝子をloxPではさみ、さらにレポーター遺伝子(たとえば細胞を緑色に光らせるGFP遺伝子など)をつないだ相同組み換えを行なったマウス(floxedマウス)を作成し、これとCreをゲノムに組み込んだマウスを交配するとCre/loxPマウスが作成できます(図94-8)。図94-8について説明すると、まずCreを遺伝子導入したマウス(左上)と、解析対象の遺伝子をloxPで囲み下流にGFP遺伝子を配置したマウス(右上)とを掛け合わせます。Creが発現した細胞(左下)では解析対象の遺伝子が排除されるため、仮にその遺伝子が発現すべき時には代わりに下流に導入したGFPが発現します。Creが発現しない細胞(右下)では元々の遺伝子が発現します。あとは上記の通り、時期特異的なり組織特異的なりの方法で、本来なら発現しているはずの遺伝子が発現していない場所を光らせてマーキングすることができ、このことを利用して遺伝子機能を解析することができます。
 実はこれらのプロセスのかなりの部分は、お金さえあればコンディショナルノックアウトマウス作製受託サービス業者に委託してやってもらうことも可能です(11)。また胚や精子を大学や業者に預けて保存してもらうことも可能です(12、13)。マウス以外の遺伝子をマウスゲノムに導入し、かつその外来遺伝子に対応するマウスにおける相同遺伝子を破壊するするような高度な技術を用いた実験も業者に委託することが可能です(11)。

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図94-8 Cre-loxPの下流にGFP遺伝子を導入したシステム

 

参照

1) Evans, M. J., and Kaufman, M. H. Establishment in culture of pluripotential cells from mouse embryos. Nature, vol. 292, pp. 154-156 (1981). doi:10.1038/292154a0
http://www.nature.com/articles/292154a0
2) Oliver Smithies, Ronald G. Gregg, Sallie S. Boggs, Michael A. Koralewski & Raju S. Kucherlapati., Insertion of DNA sequences into the human chromosomal β-globin locus by homologous recombination., Nature vol. 317, pp. 230–234 (1985) doi:10.1038/317230a0
http://www.nature.com/articles/317230a0
3)Thomas, K. R., and Capecchi, M. R. Site-directed mutagenesis by gene targeting in mouse embryo-derived stem cells. Cell, vol. 51, pp. 503-512 (1987).
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/2822260
4)Weblio辞書 レッシュ・ナイハン症候群
5)The Nobel Prizein Physiology or Medicine 2007 is awarded jointly to Mario R. Capecchi, Martin J. Evans and Oliver Smithiesfor their discoveries of “principles for introducing specific gene modifications in mice by the use of embryonic stem cells”
https://www.nobelprize.org/nobel_prizes/medicine/laureates/2007/popular-medicineprize2007.pdf
6)Wikipedia: Mario Capecchi
https://en.wikipedia.org/wiki/Mario_Capecchi
7)Sauer, B. "Functional expression of the Cre-Lox site-specific recombination system in the yeast Saccharomyces cerevisiae". Mol Cell Biol. vol. 7 (6): pp. 2087–2096. (1987)doi:10.1128/mcb.7.6.2087. PMC 365329 Freely accessible. PMID 3037344.
8)Sauer, B.; Henderson, N. (1988). "Site-specific DNA recombination in mammalian cells by the Cre recombinase of bacteriophage P1". Proc. Natl. Acad. Sci. USA. vol.85 (14): pp. 5166–5170. (1988)  doi:10.1073/pnas.85.14.5166. PMC 281709 Freely accessible. PMID
9)DNA Learning Center, Biography 41: Brian Sauer
https://www.dnalc.org/view/16868-Biography-41-Brian-Sauer-1949-.html
10)D Metzger, J Clifford, H Chiba, P Chambon.,  Conditional site-specific recombination in mammalian cells using a ligand-dependent chimeric Cre recombinase. Proc. Natl. Acad. Sci. U.S.A., vol. 92(15); pp. 6991-6995 (1995) [PubMed:7624356]  [WorldCat.org]
11)(株)トランスジェニック
http://www.funakoshi.co.jp/contents/7812
12)(株)トランスジェニック
http://www.transgenic.co.jp/products/mice-service/modified_mouse/icsi.php
13)京都大学医学部附属動物実験施設報 第2号
http://www.anim.med.kyoto-u.ac.jp/NEW_ILA/reports/v2/2seijyou.htm

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93.ES細胞とiPS細胞

 哺乳動物はプラナリアのように分断してもまた個体が再生されるという生物ではありません。トカゲのようにしっぽを切ったらまた生やすという能力もありません。カエルも哺乳動物と同様足を切ったらまた生えてくるわけではない生物ですが、1958年にガードン( J. B. Gurdon )が、カエルの腸の細胞の核を予め除核した卵に移植すると、低い確率ですがカエルが発生することを発見していました(1)。
 すなわちカエルはプラナリアのように体を切り刻んでも個体の再生はできないけれど、少なくとも一部の体細胞には発生の全過程をサポートする能力のある遺伝子が残っているということが示されました。この実験は後に ワブル(M. R. Wabl )らによって検証され、たまたま腸に残存していた多能性幹細胞の核が採取されたのではなく、実際に分化が完了している細胞のDNAに、発生の全過程をサポートする遺伝情報のフルセットが存在することが証明されました(2)。また哺乳類でもテラトカルシノーマという癌は内部に様々な分化した細胞を内包することは昔から知られていました(3)。これらのことは組織や臓器を培養容器内で生成しようとする人々に勇気を与えました。
 1996年になって、キース・キャンベルとイアン・ウィルムット(Keith Campbell and Ian Wilmut )らは羊の乳腺細胞を通常の血清濃度の1/20で培養して多能性を復活させ、別の個体から得られた未受精卵の核を除去して、多能性復活処理した乳腺細胞と電気刺激で融合させました。さらにその細胞を胚盤胞まで体外で育て(図93-1、図93-2)、代理母の子宮に移植すると子羊が誕生しました。

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図93-1 クローン羊ドリーの登場

 この子羊は乳腺細胞を採取した羊のクローンであり、ドリーと名付けられました(4、図93-1)。ドリーは哺乳類初のクローン個体であり、その誕生は畏怖の念をもって世界から注目されました。ノーベル文学賞のカズオ・イシグロの「わたしを離さないで」(2005年刊)でも、ヒトのクローンがとりあげられました。
 同じ方法ではありませんが、クローン動物は優秀な種牛の保存などに実用化されました。ペット(イヌ・ネコ)を復活させようという試みも成功しています。遺伝子は同じでも全く別の個体なので、こんな技術は倫理的にも問題があり無用という人もいますが、私もペットを飼育しているので、永年寄り添って生きてきたペットが死んだ後、姿形だけでも同じ個体が再生できるというのは心がさわぎます。中国などではもうクローンペットのビジネスは普及していますが、クローンといえども毛色の模様などは必ずしも同じでないというのは少しほっとさせられます。
 学術的な見地からは、絶滅危惧種の保存などには有用でしょう。哺乳類成体の組織から幹細胞を採取してドリーのようなクローンをつくる技術は、非常に成功率が低い上にヒトに応用するにはあまりにも倫理的な問題が大きすぎて、その後華々しく発展することはありませんでした。とはいえ多能性幹細胞を採取して研究しようという試みの際には、常にバックグラウンドとなっていることに間違いはありません。
 医学的な応用や分子生物学的な研究のためには、やはり多能性幹細胞を培養器の中で制御しながら分化させる技術が必要です。さて組織や臓器を培養容器内で高い効率で作成するには、その種すなわち実験材料となる細胞をどこから採ってきましょうか? 哺乳類の場合図93-2のように、受精した卵はまず不規則に卵割し桑実胚という細胞の集塊を形成します。その後細胞は2つのグループに分かれ、片方は栄養細胞層、他方は内部細胞塊を形成します。その際に卵割腔という空洞も形成されます(図93-2)。この内部細胞塊を構成する細胞はまだ多能性を保持していて、ここから図93-2に示したような様々な組織・器官が発生するわけです。実験技術上の観点や実用的な観点から言えば、その多能性幹細胞をシャーレで培養し、何らかの方法で筋肉や皮膚などの組織を誘導できれば有難いわけです。
 ドリーから少し時代をさかのぼりますが、1981年マーチン・エヴァンス のグループと彼の弟子である ゲイル・マーチン は、独立にそれぞれヒト胚の内部細胞塊から細胞を取り出して培養し、さまざまな細胞に分化させることに成功しました(5-6、図93-2、図93-3)。
 女性が生涯に生み出せる卵子は400個くらいですが、そのひとつをもらって人工受精させ、培養容器内で胚盤胞(図93-2)まで発生させます。前述したように、この胚盤胞の中にある内部細胞塊は、このあとヒトの様々な組織をつくる未分化な細胞群です。マーチン・エヴァンスはこの未分化細胞にレトロウィルスベクターを用いて遺伝子を導入し、代理母の子宮で育てさせてトランスジェニックマウスの作成に成功しました。マーチン・エヴァンスは2007年にノーベル生理学医学賞を授賞しました。

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図93-2 哺乳類胚と内部細胞塊

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図93-3 内部細胞塊から細胞を取り出して培養する

 エヴァンスやゲイル・マーチンが開発した多能性幹細胞培養技術を飛躍的に進化させたのはジェームス・トムソン(James A. Thomson、図93-3)でした。トムソンはまずサルの内部細胞塊からES細胞(胚性幹細胞 embryonic stem cell)の株を樹立することに成功しました(7)。細胞株というのは、長期間にわたってシャーレ内で細胞分裂を繰り返しても、分化して分裂を停止することなく、そのままの状態で継代しながら培養可能な細胞のことです。通常癌化した細胞を継代培養して樹立されますが、哺乳類の多能性幹細胞でこのような株がつくられたのははじめてのことです。トムソンはこれですぐ誰かがヒトのES細胞株をつくるだろうと予想したそうですが、意外にも誰も手を出さず、ならばと自分でとヒトES細胞株を自作しました(8-9)。トムソンの株は8ヶ月培養しても変化なく、カリオタイプも安定していて優秀な細胞株でした。
 トムソン自身は医学的利用にはあまり関心がなく、この細胞株を使ってヒトの発生過程における遺伝子発現の変化などを研究しようと考えていたようです(9)。一方でこれで様々な組織や臓器を作成して、病気の治療に利用しようとするグループは勢いづきました。クローン人間も容易に制作できそうでした。そのためこの分野の研究に危機感を抱くグループ、特に宗教関係者からは激しい拒否反応がおきました(9)。胚を実験に使うのは殺人行為で許されないという主張です。ジョージ・ブッシュ大統領はこの勢力に同調し、2001年にはES細胞研究には助成金を出さないことを決定しました(10)。この措置はオバマ大統領に代わるまで継続しました。
 もし胚の細胞ではなく、成体の幹細胞から株を作成できれば反対派の主張を回避できます。乳腺細胞からクローン羊ができたわけですから、そのような細胞株ができても不思議ではありません。ここで登場したのが黄禹錫(ファン・ウソク)です。黄禹錫事件に興味のある方は私のブログ記事(11-13)などを参照して下さい。黄禹錫の実験の概要は、成体の幹細胞(体性幹細胞)の核を除核した受精卵に移植し、電気ショックを与えるとES細胞ができるというものでした(図93-4)。彼の論文は続けざまにサイエンス誌に掲載され、世界の大注目を浴びましたが、これが捏造論文だということがわかって、韓国のみならず世界の科学界は底知れぬ衝撃を受け、かつ信用を失ってしまいました。

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図93-4 黄禹錫の捏造(ねつぞう)論文

 黄禹錫事件の影響もあって、ヒト胚の幹細胞を使って研究や医療技術の開発を進めることは困難になってきました。そうなると幹細胞は成人の組織にひそんでいるものを探し出すか、それともすでに分化が進んだ細胞を幹細胞に若返らせるかしかありません。
 それを実現したのが奈良先端科学技術大学院大学の山中グループでした。徳澤佳美(図93-5)は初期胚や多能性幹細胞で強く発現している Fbx15 という遺伝子に注目し、この遺伝子をDNAから除外して、その場所にネオマイシン耐性遺伝子を挿入したノックインマウスを作成しました。
 このマウスは多能性幹細胞をつくることができず、胎仔期に死亡することが期待されましたが、予想に反して健康に成長し、子孫をつくることもできたのです(14)。残念な結果でしたが、このようなことはままあることで、生物はフェイルセーフ機能を持つ場合があって、ある遺伝子が損傷をうけても他の遺伝子が機能を代替することがあります。この場合は Fbx15遺伝子を喪失しても、他の遺伝子が機能を代替したわけです。重要な機能であればあるほどその可能性は高まります。とはいってもFbx15遺伝子は多能性幹細胞で発現しているので、Fbx15遺伝子の上流には多能性幹細胞が生成する物質を関知して、Fbx15に置き換えられたネオマイシン耐性遺伝子を活性化する領域が存在します。したがって、細胞に様々な候補遺伝子をレトロウィルスベクターを用いて投入し、遺伝子が多能性幹細胞の出現や維持に関係あれば、ネオマイシンを含む培地で生存できるというテストシステムとして使えます。
 その頃には多能性幹細胞に関係がありそうな候補がかなり報告されていたので、高橋和利(図93-5)は24の遺伝子を選んで、それぞれひとつづつを線維芽細胞(真皮の細胞)に導入し徳澤のテストシステムにかけてみましたが、すべての細胞はネオマイシン培地で生き残ることができませんでした。そこで高橋は24遺伝子を全部挿入したらどうなるか試してみました。24遺伝子を同時に導入すると(といっても全部が挿入されるわけではなく、ランダムにいくつかの遺伝子が導入される可能性が高い)、一部の細胞はネオマイシン培地で生き延びました。そこで高橋は24遺伝子から順次ひとつづつ遺伝子を減らした23遺伝子を挿入するという膨大な実験で、Oct3/4・Klf4・Sox2・c-Mycの遺伝子導入が多能性幹細胞形成に必須であることを示しました。つまりこの4因子のひとつを欠くと、多能性幹細胞ができないわけです。実際この4因子を導入すると、0.1%以下の低い確率とはいえ、見事に人工多能性幹細胞(iPS細胞=induced pluripotent stem cell)が生成されました(15)。2006年のことです。
 徳澤はアッセイシステムを作成したばかりでなく、マウスES細胞を用いてKlf4が多能性幹細胞の維持に必要であることを示していたので、当然参照論文(15)の共著者になるべきだったと思いますが、山中によれば自分が黄禹錫のようになった場合を恐れて除外したそうです(16-17)。このエクスキューズには、ちょっと納得できかねるものがあります。私はこの件についてはもっと裏があるような気がします。
 この論文発表(15)の翌年には、山中グループはヒトの線維芽細胞を用いて、同様な方法で ヒトiPS細胞 の作成に成功しました(18)。ローマ法王庁は受精卵を破壊しない山中の手法を絶賛するコメントを発表しました(19)。山中伸弥はJ.B.ガードンと共に2012年のノーベル生理学・医学賞を受賞しています。

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図93-5 iPS細胞の作成

 iPS細胞の培養法をウィキペディアからコピペしたのが図93-6です。成体から採取した細胞を培養してある程度シャーレで増殖したら、必要な遺伝子を組み込んだベクターを投入して細胞内にとりこませ、薬剤耐性テストでとりこんだと確認された細胞をフィーダー細胞(シャーレの底に張り付いて、増殖をサポートする細胞)の上で培養し、増殖させてコロニーを形成させます。一つのコロニーを取り上げて別のシャーレで培養することにより、継代培養が可能なiPS細胞の株ができたことになります。さまざまな微量成分を含むフィーダー細胞や血清を利用すると、それらが放出する、あるいはそれらに含まれているどんな成分が培養に必要なのかというのがブラックボックスになるので、できれば使いたくないのですが、それほど細胞培養はデリケートなものであるということは言えます。山中は「京都の水を使ったからできたなどと言われないようにしよう」と言ったそうです。
 ES細胞やiPS細胞は未分化で無限増殖能を持つわけですが、これを様々な組織に分化誘導するにはどうすればよいのでしょうか? 神経系の細胞に誘導するのは簡単で、血清や増殖因子無しで培養すると、自然に神経系細胞に分化します。上谷らは細胞内における誘導因子としてZpf521というタンパク質を同定しました(20)。高橋らによると網膜細胞はDkk-1 と Lefty-A という因子を培養に添加することによって分化誘導できるそうです(21)。
 最近ではシステマティックな誘導も部分的には可能になっているようです(22)。すでにヒトiPS細胞を心筋細胞に分化させるキットなども販売されています(23)。このような方法で作成した細胞のシートを組織や器官にはりつけると、細胞は自然に組織や器官の一部となって再生医療ができる場合があります。京都大学のiPS細胞研究所では3次元的な心臓組織の作成にも成功しています(24)。このような直接治療に関わる利用以外にも、ES細胞やiPS細胞は薬剤が有効かどうか、どのような副作用があるかなどのさまざまな試験を、実験動物を使用しないで行なうことができるというメリットもあります(25)。

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図93-6 iPS細胞の培養法

 iPS細胞作成に必要な山中4因子のうち c-Mycは癌を発生させる可能性がある危険な因子ですが、その後 Glis1という因子を代用することができて、こちらのほうが効率が良く、癌化の危険性も少ないということがわかりました(26-27、図7)

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図93-7 Glis1の利用

 iPS細胞を使った治療は、本人のiPS細胞を用いるのが理想なのですが、それには多大な費用が必要で普及させることは困難です。免疫拒否反応について配慮されたストックを使うという道が現実的です。他人のiPS細胞から誘導された網膜の移植によって滲出型加齢黄斑変性の治療を行なうという手術がすでに行なわれており、現在経過観察中だそうです(28)。良い結果となることを期待したいですね。
 最近iPS細胞の作成を支援する政府の大型予算が2022年度で終了するということが明らかになりましたが、ここまできてこの分野の研究開発が頓挫するというのは残念なので何とかしてほしいです(29)。報道によると、iPS細胞の研究開発があまり企業を潤わすような結果になりそうもないからということでした。私はこれにはもう少し裏があるような気がします。

 

参照

1)Gurdon, J. B.; Elsdale, T. R.; Fischberg, M. (1958). "Sexually Mature Individuals of Xenopus laevis from the Transplantation of Single Somatic Nuclei". Nature. 182 (4627): 64?65. doi:10.1038/182064a0. PMID 13566187.
2)Wabl, M. R.; Brun, R. B.; Du Pasquier, L. (1975). "Lymphocytes of the toad Xenopus laevis have the gene set for promoting tadpole development". Science. 190 (4221): 1310?1312. doi:10.1126/science.1198115. PMID 1198115.
3)ギズモード・ジャパン 少女の卵巣から小さな脳と頭蓋骨の一部、髪の毛が発見される http://news.livedoor.com/article/detail/12531644/
4)Campbell K. H.,  McWhir J.,  Ritchie W. A., Wilmut I., "Sheep cloned by nuclear transfer from a cultured cell line". Nature. vol. 380 (6569): pp. 64–66. (1996) Bibcode:1996Natur.380...64C. PMID 8598906. doi:10.1038/380064a0.
5)Evans M, Kaufman M., Establishment in culture of pluripotent cells from mouse embryos. Nature vol. 292 (5819): pp. 154–156. (1981) doi:10.1038/292154a0. PMID 7242681.
6)Martin G., “Isolation of a pluripotent cell line from early mouse embryos cultured in medium conditioned by teratocarcinoma stem cells”. Proc Natl Acad Sci USA vol. 78 (12): pp. 7634–7638.  (1981) doi:10.1073/pnas.78.12.7634. PMC 349323. PMID 6950406.
7)Thomson, J. A., Kalishman, J., Golos, T. G., et al., Isolation of a primate embryonic stem cell line. Proc. Natl. Acad. Sci. USA vol. 92, pp. 7844–7848. (1995)
8)James A. Thomson et al "Embryonic Stem Cell Lines Derived from Human Blastocysts", Science, vol. 282, 5391, pp. 1145-1147 (1998)
9)クリストファー・スコット著 矢野真千子訳 「ES細胞の最前線(原題: Stem Cell Now)」 河出書房新社 (2006)
10)井樋三枝子 ES 細胞研究に関連する法案の動向 外国の立法 vol. 230 pp. 167-175 (2006)
http://www.ndl.go.jp/jp/diet/publication/legis/230/023008.pdf
11)黄禹錫(ファン・ウソク) 転落の経緯1
https://morph.way-nifty.com/grey/2007/07/post_5a4b.html
12)黄禹錫(ファン・ウソク) 転落の経緯2
https://morph.way-nifty.com/grey/2007/07/post_5dd2.html
13)黄禹錫(ファン・ウソク) 転落の経緯3
https://morph.way-nifty.com/grey/2007/07/post_aab3.html
14)田中幹人編著 「iPS細胞 ヒトはどこまで再生できるのか」 日本実業出版社 (2008) 
15)Kazutoshi Takahashi, Shinya Yamanaka., Induction of Pluripotent Stem Cells from Mouse Embryonic and Adult Fibroblast Cultures by Defined Factors., Cell Vol. 126, Issue 4,  pp. 663–676 (2006)
http://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0092867406009767
16)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3%E6%BE%A4%E4%BD%B3%E7%BE%8E
17)せるてく・あらかると iPS細胞の樹立--若い力がもたらした幸運 (特集 iPS細胞が与えた衝撃). 細胞工学 28(3), 242-244, (2009)
http://gakken-mesh.jp/journal/detail/9784879624949.html
18)Takahashi, K.; Tanabe, K.; Ohnuki, M.; Narita, M.; Ichisaka, T.; Tomoda, K.; Yamanaka, S.,  "Induction of Pluripotent Stem Cells from Adult Human Fibroblasts by Defined Factors". Cell. 131 (5): 861–872. (2007)  PMID 18035408. doi:10.1016/j.cell.2007.11.019.
19)万能細胞とバチカン 科学に問う生命の根源 朝日新聞 2008年01月13日
http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY200801130045.html
20)理研プレスリリース ES細胞から神経細胞へ分化開始させるスイッチ因子を解明
http://www.riken.jp/pr/press/2011/20110217/
21)iPS細胞から網膜細胞を作る方法 http://kankyo-j.sakura.ne.jp/kuma2-iPS-RPE1.html
22)iPSポータル(株)のサイト http://ips-guide.com/induction/
23)ヒト多能性幹細胞を心筋細胞に分化させるキット  PSdif-Cardio Cardiomyocyte Differentiation Kit   http://www.funakoshi.co.jp/contents/7324
24)理研プレスリリース ヒトiPS細胞から3次元的な心臓組織を作製し、 致死性不整脈の複雑な特徴を培養下に再現することに成功
http://www.cira.kyoto-u.ac.jp/j/pressrelease/news/171023-160000.html
25)iPS細胞とはなにか 朝日新聞大阪本社科学医療グループ (2011)
26)Maekawa M, Yamaguchi K, Nakamura T, Shibukawa R, Kodanaka I, Ichisaka T, Kawamura Y, Mochizuki H, Goshima N, Yamanaka S.,  "Direct reprogramming of somatic cells is promoted by maternal transcription factor Glis1". Nature. 474 (7350): 225–9. (2011)  doi:10.1038/nature10106. PMID 21654807. Lay summary – AsianScientist.
27)前川桃子助教インタビュー 工夫を重ねて出会えたGlis1 が見せてくれた可能性
http://www.cira.kyoto-u.ac.jp/j/pressrelease/html-newsletters/201106/#page_4
28)https://mainichi.jp/articles/20170329/k00/00m/040/124000c
29)日本経済新聞 iPS研究予算「いきなりゼロは理不尽」 山中伸弥所長 
支援継続を政府に求める
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO52033220R11C19A1000000/?fbclid=IwAR2DBRXZdXG-AhPLTgRgtGxRbKDG8BFMpQrpBi3StLPJRIdAVixwWjWqFHk

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92.幹細胞

 幹細胞という言葉はES細胞や iPS細胞のおかげですっかり世の中に定着しました。しかし改めてきちんとその意味を復習しておきましょう。すでに述べたように、多細胞生物は不死の生殖細胞系列と死を運命付けられた体細胞系列からなります。確かに体細胞は死する運命にありますが、なにしろヒトの体細胞は数十兆個あります。まず大量の細胞をつくらなければなりません。その上で細胞分裂を繰り返しながら3つのグループ(外胚葉・中胚葉・内胚葉)に分かれ、それぞれがまた小グループに分かれて表皮・骨格・消化管などになります(図92-1)。
 体細胞は分裂を繰り返すごとに自分の可能性を狭めていき、最終的にひとつの目標に到達します。これは小学校ではまだ無数の可能性を秘めていた少年が、やがて進学校に合格、受験勉強を経て医学部に入学して卒業し医師免許を取得、医師として一生働くというようなことでしょう。体細胞は通常人為的な操作を加えない限り、可能性を狭めることはできても広げることはできません。これは至極当然で、皮膚の中に突然消化管が現われては困るわけです。
 脳神経細胞や心臓の筋細胞などは終末分化した細胞の典型例で、幼少時に分化した細胞はそのまま死ぬまで同じ場所で働きます。ここでひとつの疑問が生じます。なぜ大人になっても髪の毛は伸びるのでしょうか? 
 ヒトの毛髪は3日で約1ミリメーターくらい伸びるわけですが、細胞は高さが数マイクロメーターくらいの大きさなので、髪の毛の中の細胞縦1列について3日間で200個弱くらい新しい細胞が生み出されていることになります。1日60個とすると1時間で2.5個の細胞が毛根で生み出されていることになります。これは縦1列の分だけですから、毛1本分ではその数百倍の細胞ができているわけです。これは細菌の増殖速度にも匹敵するハイスピードです。ヒトは衣服を発明して毛は退化途上にありますが、サルまでの動物においては、寒さをしのいだり、何かとぶつかったときの皮膚の損傷を防いだり、紫外線が直接皮膚に当たるのを避けるために、毛はなくてはならない器官でした。しかも暑い季節になると毛を落とす必要があります。こうした理由から毛は高速増殖が必要だと考えられます。
 このように多細胞生物が体を構築するシステムは、必要な体細胞を最初に大量に作っておいて、あとはそれらが分化して死んだら個体も死ぬという単純なものではなく、同じ体細胞でも途中で自己複製し補充しながら成人の体をささえていくような細胞も存在します。毛髪・皮膚・爪・血液・小腸などは特に毎日大量の細胞をつくっています。これらの元になる自己複製しながら組織の細胞を供給していく細胞が幹細胞といわれるものです。幹細胞は細胞分裂が可能な若い細胞なのですが、かといって毛髪の幹細胞から爪や赤血球ができては困ります。各組織の幹細胞は、それぞれ運命が限定されています(1)。
 図92-1のように受精卵は成体のあらゆる細胞を製造する能力を秘めていますが、やがて生殖細胞系と体細胞系というグループにわかれ、体細胞系は外胚葉・中胚葉・内胚葉という能力が限定されたグループにわかれ、それぞれから様々な臓器が生まれてくるわけです。

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図92-1 生殖細胞と体細胞

 様々な臓器をつくるとき、例えば脳になるべき細胞群の中に爪になる予定の細胞が混じっているとか、筋肉になるべき細胞群の中に腎臓に予定の細胞が混じっているなどということは避けなければならないので、細胞分裂が可能な細胞は、分化が進行しつつある中間点のあるタイミングで、デジタル的に自分の運命をはっきりと決定しなければなりません。これが図2のA、B、Cのプロセスです。
 色がついている細胞は実際に分化した細胞ではなく、白い細胞に比べて分化する可能性が限定された細胞を意味します。A、Bの過程だけだと白丸で示した未分化細胞がなくなってしまうので、細胞がダメージを受けたり老化が進んだ場合、組織や臓器が必要とする細胞を補充することができません。脳神経細胞や心筋細胞は一生同じ細胞を使う場合が一般的なので、AやBのプロセスを経た色つきの細胞集団に近いと言えます。
 一方毛髪など生きている間は常時補填が必要な臓器はCやDの自己複製が可能な細胞(幹細胞)を維持していかなければなりません。幹細胞を定義すればCのように、細胞分裂した際に自分自身のコピーと分化していく運命にある娘細胞を作り出す細胞ということになりますが、実際には幹細胞のある場所にはCとDが共存していると思われます。A、Bのプロセスが活発に進行している組織では、Dのプロセスがなければ細胞が足りなくなってしまう可能性があります。

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図92-2 体細胞の4つの分裂様式  ここでは未分化細胞について記していますが、すでに分化決定した細胞(着色細胞)がそのプログラムを維持したまま細胞分裂を行う場合もあります。

 成人の体にも自己複製できる細胞が存在することは容易に想像できたわけですが、それを科学的に証明するのはなかなか困難でした。それを最初に行なったのはカナダの研究者 ティルとマックローチ(Till & McCulloch) で、1961年のことでした。放射線医学生物学分野の研究者なら、Till と McCulloch の業績は誰でも知っていますが、意外に他分野の研究者達は知らないのではないでしょうか。幹細胞の研究は長い間、ごく一部の研究者しか興味を持たないような不遇の時代が続いたという事情があります。
 Till と McCulloch の実験の概要を図92-3に示します。致死量の放射線を当てたマウスは造血ができなくなって、脾臓も紙のように薄くなって死亡します。マウスはヒトなどと異なり、主要な造血器官は骨髄ではなく脾臓です。放射線を当てたマウスが死亡する前に、他のマウスの骨髄細胞を注射すると、脾臓に「こぶ」のような細胞の固まり=コロニーができて造血を行い、本来なら死亡するはずのマウスが生き延びることを彼らは実証しました(2、図92-3)。つまり他の個体の骨髄に含まれていた造血幹細胞が脾臓に定着し、図92-8にみられるような様々な血液細胞が生成されて生き延びることができたということになります。

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図92-3 造血幹細胞の存在を証明したティルとマックローチの実験

 ジョンソンとメットカーフ(Johnson & Metcalf) はさらに造血幹細胞をシャーレの中で培養し、シャーレの中で1個の細胞からコロニーを作らせることに成功しました(3、図92-4)。そのコロニーの中に、様々な血液細胞が生成されていました。

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図92-4 ドナルド・メットカーフとシャーレの中で生育した血液細胞のコロニー

 その後血液幹細胞を培養するという実験は大流行し、そこからES細胞(胚性幹細胞)へと研究がつながっていったわけです。
 ES細胞やiPS細胞は血液細胞だけでなく、あらゆる細胞に分化する能力を持っています。幹細胞の分野ではES細胞や iPS細胞の作成で複数の研究者がノーベル賞を受賞していますが(4-5)、これらはむしろ応用技術であり、幹細胞の存在を証明したというルーツの業績を残した人々、すなわちティル・マックローチ・ジョンソン・メットカーフらが蚊帳の外というのは納得できないところです。応用技術というのは次々と技術革新が行なわれることによって乗り越えられていくものですが、ルーツを作ったあるいは原理を証明したという業績は永遠に残るべきものです。
 ヒトの体内にはさまざまな幹細胞が存在します。表皮の幹細胞のように表皮にしかならないもの、毛髪の幹細胞のように毛髪だけでなく、やけどをしたときは表皮も再生できるもの、造血幹細胞のように赤血球、血小板、白血球、リンパ球など様々なタイプの細胞をつくりだせるものなど様々ですが、そのまま個体を再生できる体細胞はありません。
 生物学の研究材料としては比較的ポピュラーな、プラナリアという生物がいます。水の綺麗な小川の底石をはがすとみつかることがあります。長さが1cmくらいの扁平な生き物です。プラナリアは体を切断すると、断片から個体を再生できます(図92-5)。このことは究極の幹細胞、すなわちあらゆる成体の組織を新生できる能力を持つ幹細胞を、彼らは多数体内に維持していることを意味します。
 体を細かく分断しても断片から全体を再生できるというのはいわゆる無性生殖であり、彼らは有性生殖も行なうので、進化の途上で体細胞に含まれる全能性の幹細胞を失わなかったというのが彼らの生き方です。ES細胞や iPS細胞はヒトのプラナリア化を可能にする技術とも言えます。

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図92-5 プラナリアの切断と再生

 一方線虫の1種であるC.エレガンス(Caenorhabditis elegans)は私達と同じく、体細胞は細胞分裂を繰り返すにつれてその可能性を狭めていき、最終的には特定の臓器に分化して死ぬという運命を持っています。違うのは成人が数十兆個の細胞を持っているのに対して、C.エレガンスの大人(雌雄同体)は959個の細胞しか持っていません。それらの細胞はひとつひとつ受精卵から終末分化するまで、まるで家系図のように出処進退が明らかにされています。
 C.エレガンスは結構個体そのものが活発に動きますし、さらに細胞は位置が固定されて動かないわけではなく、発生の過程で複雑に動くので、個々の細胞それぞれをきちんと最後まで見届けるのは途方もない作業ですが、サルストン(Sulston)と共同研究者達は、細胞に色をつけたりして綿密に追跡し、ついにその途方もない観察を成し遂げました(7、図92-6)。56ページの長大な論文ですが、専門外にもかかわらず私は手元に置いています。まさに人類の宝のような論文です。ウェブサイトにも公開されています(8)。サルストンは2002年のノーベル生理学・医学賞を受賞しています。図92-6の右下の系譜は大幅に省略した記載です。詳しくは原著をご覧下さい。

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図92-6 サルストンとC.エレガンスの細胞系譜

 サルストンらの驚異の業績と比べると小さな知見ですが、ヒトの造血幹細胞の分化系譜も明らかになってきました。まず古典的な系譜を示します(図92-7)。この図では、造血幹細胞はリンパ系の細胞と骨髄系の細胞に分かれます。骨髄系の細胞は好酸球・好中球・好塩基球のグループと単球(マクロファージ・樹状細胞)のグループ、そしてそれらとは別の系譜の赤血球・血小板系のグループに分かれたあと、それぞれの細胞系譜に分化していきます。
 赤血球・血小板系以外の細胞はすべて免疫関連細胞で、異物を排除するためのシステムに所属しますが、赤血球・血小板系は全く異なる役割を持っており、赤血球は呼吸=ガス交換、血小板は血液凝固=傷対策という機能を果たしています(1)。ただし、リンパ系のT細胞と骨髄系の単球に分化できる細胞(赤矢印)が存在するとの報告もあります(9)。この件について河本宏と桂義元が日本語で詳しく解説しています(10-11)。最近ではT細胞系は他の細胞と別系列だという考え方が主流のようです(図92-8)。

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図92-7 伝統的な血液細胞の細胞系譜

 骨髄にはおそらく図92-2のA~Dタイプの細胞が棲み着いており、条件によってコントロールされた増殖・分化を行なっていると思われます。最近の知見に基づけば、T細胞系の前駆細胞は骨髄に定着するB細胞とは離れた細胞系列で、胸腺に定着して増殖・分化してT細胞を生成するとされています。T細胞は抗体(イムノグロブリン)を産生する以外のさまざまな免疫機能、たとえば細菌に感染した細胞を識別して殺す、免疫機能を活性化するサイトカインを分泌する、B細胞の成熟分化をサポートする、などさまざまな機能を持っています。B細胞は抗体を産生する細胞です。図92-8をみると、B細胞はT細胞よりむしろ単球やマクロファージと近いことになり、B細胞とT細胞をまとめてリンパ球と称するのも疑問ということになります。

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図92-8 血液細胞の系譜(修正版)

 

参照

1)森岡清和著 「素顔の赤血球-その生いたちと運命をさぐる」 金原出版(1994)
2)Till JE, McCulloch EA: A direct measurement of the radiation sensitivity of normal mouse bone marrow cells. Rad. Res. 14, 213-222 (1961)
3)Johnson GR, Metcalf D: Pure and mixed erythroid colony formation in vitro stimulated by spleen conditioned medium with no detectable erythropoietin. Proc. Natl. Acad. Sci. USA pp. 3879-3882 (1977) 
4)https://www.nobelprize.org/nobel_prizes/medicine/laureates/2007/evans-bio.html
5)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E4%B8%AD%E4%BC%B8%E5%BC%A5
6)動物トリビアんワールド http://animalkun.org/archives/943
7)J.E. Sulston, E. Schierenberg, J.G. White and J.N. Thomson., The Embryonic Cell Lineage of the Nematode Caenorhabditis elegans., Developmental Biology vol. 100: pp. 64-119  (1983)  doi: 10.1016/0012-1606(83)90201-4
8)Wormatlas,  JE Sulston et al., The Embryonic Cell Lineage of the Nematode Caenorhabditis elegans.
http://www.wormatlas.org/SulstonembCellLin_1983/SulstonembCellLin1983.html
9)Nature 免疫:血液細胞の系譜を作り直す
http://www.natureasia.com/ja-jp/nature/highlights/18591
10)河本宏・桂義元 “リンパ球系列” という既成概念からの解放 科学 vol. 79, no.6, pp. 605-613 (2009)
http://kawamoto.frontier.kyoto-u.ac.jp/common/images/contents_for_researchers/d_03/kagakusousetu.pdf
11)河本宏 免疫細胞はどこで、どんな細胞からつくられるの? 
http://www.jsi-men-eki.org/general/qa_pdf/kawamoto.pdf

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91. 有性生殖

 細菌も真核生物も日常的に、活性酸素や環境毒素や放射線・紫外線などによって、細胞を構成するタンパク質・核酸・脂質が変質するという危機にさらされており、これをどう乗り越えて若々しい個体を維持していくかということが、あらゆる生物にとって大きな課題です。
 細菌はコンパクトで無駄のないゲノムを保持し、高速度の増殖能によって、突然変異の蓄積でダメになった細胞を棄てても、種としては生き残れるという生き方を選択しました。それに加えてDNAの高度な修復システムやプラスミドの移動なども彼らの生存に役立っています。真核生物の中でも多細胞生物の生存戦略は細菌とは全く異なっていて、個体の大部分の細胞(体細胞)を使い捨て、一部の細胞だけを変質要因からなるべく遠ざけて、生殖細胞系(ジャームライン)として保護して子孫に伝えるという生き方を選択しました。
 細菌は主として点突然変異によってゲノムの多様性を維持するという戦略をとっていますが、真核生物は生殖細胞系で減数分裂を行ない、その際の組み換えによってゲノムの多様性を維持するシステムを選択しました。減数分裂によって多様性を獲得したゲノムは1倍体なので、もとにもどるには2倍体にならなければなりません。そこで受精というメカニズム、すなわち有性生殖が誕生したと思われます。
 有性生殖について語るには、まずトレーシー・ソネボーン(図91-1)の業績からはじめるべきでしょう。彼は分子生物学が華やかに進展した20世紀の半ばに、近所の池にいるゾウリムシと顕微鏡と培養容器だけで素晴らしい成果を得た研究者です。

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図91-1 トレーシー・ソネボーンとゾウリムシ

 ゾウリムシは他の繊毛虫同様、体軸方向の前後の部分に分かれるようにして細胞分裂するするというのが通常の増殖の方式で、これは無性生殖です。有性生殖としては細胞の接合が行われます。接合に先立ち大核(転写が主目的の栄養核)が消失するとともに生殖核である小核が減数分裂を行い、4つの核に分かれます。このうち3つは消失し、残った1つがさらに2つに分裂し、このうち1つの核を、接合した細胞が互いに交換します(図91-2)。その後、それぞれの細胞内の2核が融合することで接合は完了します。大核はこの後それぞれの細胞で新規につくられます(1)。
 興味深いことに、この4つの生殖核のうち3つが消失するというのは、ヒトのメスの卵母細胞が減数分裂したときに生まれた4つの卵細胞のうち3つは極体として消滅するというのと似ています。無駄をはぶくということなのでしょうか。それにしても神秘的な類似です。
 ソネボーンはゾウリムシをエサが枯渇した条件に置くと、上記のような接合だけでなく、図91-2のようにひとつの細胞の中でnの核とnの核が融合して2nの核ができるオートガミーという現象を発見しました(2)。エサを常に十分に与えておくと、ゾウリムシは接合やオートガミーという有性生殖を起こさず無性生殖で増殖しますが、それらの細胞は次第に老化して全滅します。エサが十分にあるのに死滅してしまうというのは、一見種の存続に不利なように感じますが、ひとつの池に大量発生すると、いずれエサ不足で全滅することになるので、それほど問題にならないかもしれません。それよりこのような寿命のある細胞があることが、多細胞生物出現の基盤になったと思われます。

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図91-2 ゾウリムシの接合とオートガミー

 接合にせよオートガミーにせよ、有性生殖を行うと細胞はリセットされて若返り、集団(クローン)全体が老化するということはありません。つまりときどきエサが枯渇するような条件でゾウリムシを飼育すると、寿命とは関係なく長期間飼育できるということになります。オートガミーでは同じDNAを交換するのですから、遺伝情報は全く変わりません。にもかかわらず有性生殖を行うことによって細胞は若返り、新しい生命史をきざむことができるのです。すなわち有性生殖を行なう生物は、有性生殖を行った細胞だけが生き残り、有性生殖を行わなかった細胞には寿命があって必ず死ぬということを意味します(3)。余談になりますが、満年齢というのは出産を寿命のはじまりとしていて胎内での経過を無視しているので、生物学的には正しくなく、むしろ数え年のほうが受精をはじまりとしているので正しいと言えます。
 ゾウリムシがなぜ有性生殖をするか、その理由のひとつは大核と小核に分業をさせることにしたからでしょう。大核はハウスキーピングな転写を常に行っていて、DNAに変異をきたしやすいいわば消耗品であるのに対して、小核は遺伝子の保存を主目的としているため日常は使われません。このことによって遺伝子を修復するという負担が著しく軽減されるのが大きなメリットです。ある一定の期間が過ぎると、変異が蓄積された大核DNAを捨てて、新鮮な小核DNAを元に再出発するという作戦です。
 真核生物はゾウリムシのような単細胞生物から多細胞生物に進化することによって、核の分業は細胞の分業に進化し、生殖細胞と体細胞が生まれました。このことにより、生殖細胞には寿命がなく、体細胞には寿命があるというはっきりとした区別が発生しました。
 ところが多細胞生物にも例外的に個体全体をリセットできるものがいることがわかっています。そのひとつはベニクラゲです(4、7、図91-3)。久保田信氏によると、このクラゲを100回くらい針で刺すと、彼らは死期を予感するのか若返るそうです。そうして世代を引き継ぐ培養を行ない、2年間で10回も若返らせることに成功しました(5、6)。もちろんそのような人為的な操作を行なわなくても、死期が迫ると彼らは若返ります(7)。まさしく自らを多能性幹細胞に還元して、新しい世代を作成するわけです。

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図91-3 久保田信とベニクラゲ

 ところで読者の皆さんは、では細菌の接合は有性生殖なのかという疑問を抱かれると思います。真核生物のトランズポゾンの伝播と同様、遺伝子の水平伝播と考えるむきもあります。しかしこれはそう単純には決められないことでもあります。有性生殖を遺伝情報の多様化とする見方からすると、細菌の接合は薬剤耐性を獲得したり、有機化合物に対する分解活性を付与するなどの遺伝情報の受け渡しに貢献しているので、有性生殖の1種と考えられないわけではありません。
 という訳で、定義上は細菌の接合も有性生殖としてもいいのですが、真核生物は通常2n(2倍のゲノム情報)とn(1倍のゲノム情報)の世代を持っていて、2n→(減数分裂)→n(生殖細胞)→受精→2n というライフサイクルを繰り返します。細菌はnだけなのですが、進化の過程のどこかでこれがまず2倍になって細胞分裂も2n→4n→2n+2nにならなければなりません。これはニワトリが先か卵が先かという話ではなく、nが先なのはわかっているので、どこで2nの細胞になったかという話です。
 2nになると不利なことがあります。それは突然変異がおきても、スペアのDNAが代替してまずいところがすぐ表に出ないので、進化のスピードが著しく低下するということです。そこを乗り越えて減数分裂という作業で組み換えを行ない、ようやく進化のスピードを上げることができるのです。
 この細菌:1倍体→古細菌:1倍体→古細菌:2倍体→減数分裂→受精:真核生物というプロセスの中で、2倍体の古細菌というのがミッシングリンクになっています。ひょっとすると適者生存の圧力がほとんどかからなかったと思われる深海の海底に、このような生物がいるのかもしれません(8)。ただ原生生物の中には、ある種の粘菌のように、接合や受精とは関係なくnと2nの細胞が現われる例もあるようです(9)。ですから、ひょっとすると原生生物に進化してから2n世代が出現したのかもしれません。皮肉なことに2nになってはみたものの、前記したように2nの生物は進化上の不利が生じます。これを回避するため、彼らはときどきn世代の生物に回帰する必要が生じたと考えられます。
 高木由臣は図91-4のような細胞分裂の様式を考えています(3)。2n→4n→2nで細胞分裂を繰り返している生物が、あるとき2nの細胞が分裂した際に、ランダムに染色体を娘細胞に分配し、n、n、2n、染色体無しの娘細胞ができることを仮定します。nの細胞ができることを仮定したのは、染色体に蓄積された突然変異が生存に役立たない場合、それを排除するのに有利であるからです。nの細胞は致命的な遺伝的欠陥が生じるとバックアップの遺伝情報がないため、ただちに死滅し、これによって有害な突然変異を排除することができます。たとえば図91-4で遺伝子Aが突然変異を起こして遺伝子aができたとします。遺伝子aが生存に不利な変異だった場合、aしかもたないn世代細胞は死滅するでしょう。
 このような細胞分裂様式を獲得した生物のなかから減数分裂・受精を行なうものが現われて、現在の標準的な真核生物に進化したというわけです。減数分裂の際の組み換えシステムを確立した生物は、おそらく2n世代での選別でも事足りるようになったので、生存のためには不利と考えられるn世代の期間をなるべく短くするような方向に進化しているようにみえます。
 前期のゾウリムシは減数分裂と接合(ある種の受精)を行なっているわけですが、ここから多細胞生物に進化すると、このシステムは非常に有効に機能します。それは生殖細胞と体細胞という分業を行なうことによって、体細胞は遺伝子を最大限に活用して、動いたり、栄養をとりこんだり、見たり、聴いたり、感じたりと様々な機能を持って活動し、一方で生殖細胞はひっそりと遺伝子を守ることに専念します。これによって多細胞生物は驚異的な進化を遂げることができました。体細胞の遺伝子はきちんと守る必要がなく、どんどん使って(増殖と分化)ボロボロになれば棄てればいいのです。ここで体細胞の寿命が発生しました。そのかわり生殖細胞の遺伝子はきちんと守って、次の世代に引き継ぐという生き方になります。

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図91-4 減数分裂を行う生物がまだ居なかった時代の無性的1倍体を仮定する仮説

 最近有性生殖は減数分裂によって遺伝子を混ぜ合わせると言う意義だけではないことが証明されました。ゴミムシダマシというと見たことがない方が多いと思いますが、幼虫はミールワームといわれて、ペットのエサなどに利用されているポピュラーな昆虫です。この生物を使って、アリソン・ラムリーらは多数のオスが少数のメスを争う環境と少数のオスが少数のメスを争う環境を設定し、同系(遺伝子のエラーが蓄積しやすい近親)の集団を7年にわたって飼育してみました。するとオスが交配するメスを争わなくて良いグループは近親交配による弊害で10世代で絶滅したのに対して、厳しくメスを争ったグループは20世代まで生き延びたという実験結果を得ました(10-11、図91-5)。

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図91-5 アリソン・ラムリーとマシュー・ゲイジらのグループはゴミムシダマシを用いた実験で、オスがメスを争うことの意義を解明した。

 ラムリーらは「自身のライバルを効果的に打ち負かし、争いのなかで生殖のパートナーを見つけるためには、個体はあらゆる分野で優秀でなくてはなりません。このため、性淘汰は種の遺伝的優位性を維持・改善する、重要で効果的なフィルターとなります」と結論しています。平たく言えばオスがいかにしてメスにもてようかと努力することが、生物の生存と進化にとって重要であるということでしょう。
 有性生殖は遺伝子のまぜあわせによって進化するために必要と思われますが、より短期的には進化と言うより感染あるいは寄生しようという生物にとりつかれないために変化することが必要なのだという考え方があります。
 ウィキペディアによると 「ウィリアム・ハミルトン(図91-6)は1980年から90年にかけて、M・ズック、I・イーシェル、J・シーゲル、R・アクセルロッドらと共に、遺伝的多様性が適応や進化の速度を向上させるという従来の説を種の利益論法だと批判し、多くの生物で遺伝的多型が保持されているのは多型を支持するような選択圧が常に働いているためで、その選択圧をもたらす者は寄生者であると主張しました。種やその他の集団レベルにおける進化を認めてきた古典的な理論とは対照的に、赤の女王効果は遺伝子レベルでの有性生殖の利点を説明することが可能である」 の記載があります(12)。「赤の女王」とはルイス・キャロルの小説『鏡の国のアリス』に登場する人物で、彼女が作中で発した「その場にとどまるためには、全力で走り続けなければならない(It takes all the running you can do, to keep in the same place.)」という台詞から、種・個体・遺伝子が生き残るためには進化し続けなければならないことの比喩として用いられています。

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図91-6 マット・リドレーとウィリアム・ハミルトン 右端は「赤の女王」

 サイエンスライターのマット・リドレー(図91-6)は、1993年の著書「赤の女王 性とヒトの進化」(13)の中で、「有性生殖の有利さは、常に変化するような環境に棲む生物で発揮される。有性生殖する生物にそのような環境の変化をもたらす者は寄生者(寄生虫、ウイルス、細菌など)と考えられる。寄生者と宿主の間での恒常的な軍拡競争において、この具体例が確認できる。一般に寄生者はその寿命の短さにより、より速く進化する。そのような寄生者の進化は、宿主に対する攻撃方法の多様化を招く(つまり、宿主にとって環境が変化する)。このような場合、有性生殖による組み替えで常に遺伝子を混ぜ合わせ、短期間で集団の遺伝的多様性を増加させ続けることは、寄生者の大規模な侵略を止める効果を果たすと考えられる。実際、ボトルネック効果(14)などによって遺伝的多様性が失われた個体群は感染症に弱いことがわかっている。通常分裂(無性生殖の一つ)を行う生物(ゾウリムシや大腸菌など)でも環境によっては接合(有性生殖の一つ)によって遺伝子を混ぜ合わせることは可能である。すなわち寄生者との間で周期的な軍拡競争を行っている生物では、性が寄生者に対する抵抗性を維持するための仕組みであると考えられる。赤の女王仮説は性の起源を説明する理論ではなく、性が維持されるメリットの一つを説明する理論である」と述べています(13)。

 

参照

1)ウィキペディア: ゾウリムシ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BE%E3%82%A6%E3%83%AA%E3%83%A0%E3%82%B7
2)John R. Preer, JR., Biographical Memoir:Tracy Morton Sonneborn, National Academy of Sciences (1996)
http://www.nasonline.org/publications/biographical-memoirs/memoir-pdfs/sonneborn-tracy.pdf
3)高木由臣著 有性生殖論 「性」と「死」はなぜ生まれたのか NHKブックス(2014)
4)Wikipedia: Turritopsis dohrnii,  https://en.wikipedia.org/wiki/Turritopsis_dohrnii
5)Shin Kubota, Repeating rejuvenation in Turritopsis, an immortal hydrozoan (Cnidaria, Hydrozoa). Biogeography vol. 13, pp. 101-103.101-103. (2011)
6)太田出版 ケトルニュース 「若返り」を研究する京大准教授 クラゲを若返らせることに成功
http://www.ohtabooks.com/qjkettle/news/2013/01/28111848.html
7)Piraino S, Boero F, Aeschbach B, Schmid V., “Reversing the Life Cycle: Medusae Transforming into Polyps and Cell Transdifferentiation in Turritopsis nutricula (Cnidaria, Hydrozoa)”. The Biological Bulletin 190 (3): 302-12. (1996)
http://www.journals.uchicago.edu/doi/pdfplus/10.2307/1543022
8)日本語版:ガリレオ-矢倉美登里/高橋朋子
https://wired.jp/2008/08/05/%e3%80%8c%e3%81%bb%e3%81%a8%e3%82%93%e3%81%a9%e6%ad%bb%e3%82%93%e3%81%a7%e3%81%84%e3%82%8b%e3%80%8d%e7%94%9f%e7%89%a9%e3%80%81%e6%b5%b7%e5%ba%95%e5%9c%b0%e4%b8%8b%e3%81%ae%e3%80%8c%e5%8f%a4%e7%b4%b0/
9)R. R. Sussman AND M. Sussman., Ploidal Inheritance in the Slime Mould Dictyostelium discoideum: Haploidization and Genetic Segregationof Diploid Strains., J . gen. Microbial.,  vol. 30, pp. 349-355 (1963)
http://www.microbiologyresearch.org/docserver/fulltext/micro/30/3/mic-30-3-349.pdf?expires=1509070562&id=id&accname=guest&checksum=AD51BC0EA0609F7EBD6956F7F7A46D94
10)Alyson J. Lumley, Lukasz Michalczyk, James J. N. Kitson, Lewis G. Spurgin, Catriona A. Morrison, Joanne L. Godwin1, Matthew E. Dickinson, Oliver Y. Martin, Brent C. Emerson, Tracey Chapman & Matthew J. G. Gage.,Sexual selection protects against extinction., Nature vol. 522, pp. 470–473 (2015)  doi:10.1038/nature14419
https://www.researchgate.net/publication/276849836_Sexual_selection_protects_against_extinction
11)Wired News: オスの存在理由、実験で証明される
https://wired.jp/2015/06/15/sexual-reproduction/
12)ウィキペディア: 赤の女王仮説 
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%A4%E3%81%AE%E5%A5%B3%E7%8E%8B%E4%BB%AE%E8%AA%AC
13)The Red Queen: Sex and the Evolution of Human Nature, (1993) 長谷川真理子訳 『赤の女王 性とヒトの進化』 翔泳社 (1995)
14)ウィキペディア: ボトルネック効果
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%83%88%E3%83%AB%E3%83%8D%E3%83%83%E3%82%AF%E5%8A%B9%E6%9E%9C

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90.染色体の数と性

 いろいろな生物で染色体の数はさまざまですが、それには意味があるのでしょうか。また性染色体の数や種類が性によってどう定まっているかについてもみてみましょう。染色体の数について論じる上でよく話題になるのがホエジカです。
 ホエジカ属(ムンチャック Muntjac) のシカは東南アジア、中国南部、インドなどに分布しています。図90-1左はインドホエジカ、右は中国ホエジカ(キョン)で、とても良く似た動物です。キョンは行川アイランドなどの動物園から逃げ出した個体が房総半島や伊豆大島で野生化し、食害が問題になっています(1)。千葉県などは駆除にやっきになっています。もともと古代の琉球以外の日本にはいなくて、人間が持ち込んだ動物なので、駆除というのも身勝手な話です。現在は特定外来生物に指定されており、許可なく日本国内に持ち込んだり国内で飼育したりすることは禁止されています。

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図90-1 インドホエジカと中国ホエジカ(キョン)

 ホエジカ(Muntiacus)属はウシ科のダイカー(https://en.wikipedia.org/wiki/Duiker)から分岐したグループです。分岐はミトコンドリアDNAから推定されました(2)。染色体の数が近縁種でも著しく異なることで有名です(図90-2)。図90-2の学名のあとについている数字は、さまざまな亜種があることを意味します。M.reevesi は更新世初期(100万年以前)に化石がみつかっていますが、M. muntjak と M. feae は更新世中期(50~100万年前)からしか化石がみつかりません。たかだか50万年くらいの間に染色体数が変化し、新しい種が生まれたことになります。

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図90-2 ホエジカ属の起源・分岐と染色体数の変化

 インドホエジカとキョンのカリオタイプを比較すると図90-3のようになります(3)。キョンは私達ヒトと同じ46本の染色体を持ち、そのなかにメスはXX、オスはXYという性染色体が含まれます。ところがインドホエジカはメスは6本、オスは7本の染色体を持ち、オスに余分にある1本がY染色体に相当すると思われますが、最近の文献(4)にY2などという記載があるように、一筋縄ではいかないようです。いずれにしても染色体の数が劇的に変化しても、同じ遺伝子のセットが存在すれば、それほど生物の特徴に変化は発生しないということは結論できそうです。ただ、もしY染色体が単独の染色体であるとすると、減数分裂の際の組み換えの可能性がゼロになるので進化上不利になるのは否めません。

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図90-3 インドホエジカとキョンのカリオタイプ

 前のパラグラフで「染色体の数が劇的に変化しても、同じ遺伝子のセットが存在すれば、それほど生物の特徴に変化は発生しない」と述べましたが、性に関する染色体の問題は特別です。ヒトではメスはXX、オスはXYという組み合わせの染色体が性を指定しています。他の動物ではどうでしょうか? 図90-4のように大きく分けてXY型(オスがヘテロ)とZW型(メスがヘテロ)があります(5、図90-4)。
 有羊膜類では哺乳類・単孔類がXY型、鳥類・ヘビ類がZW型です。おそらくペルム紀にZW型の爬虫類からXY型の哺乳類型爬虫類が分かれたと思われますが、定かではありません。XY型というのはここではXY型=メスXX&オスXY・XO型=メスXX・オスXO・XnYn型・XnO型を含む総称です。カモノハシは雄・・・X1Y1X2Y2X3Y3X4Y4X5Y5:雌・・・ X1X1X2X2X3X3X4X4X5X5 という奇妙なカリオタイプですが(XnYn型)(6)、XY型の1種とされています。
 ZW型にはメスZW・オスZZというタイプと、メスZO・オスZZというタイプがあります。O(オー)というのは染色体がないという意味です。

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図90-4 有羊膜類の性染色体の分岐と、性決定の様々な様式

 現在生きているヘビ以外の爬虫類は、環境の温度によってオスかメスかが決まる場合が多いようです(図90-5)。たとえばカミツキガメ(Chelydra serpentina) では、20°C以下の低温と30°C以上の高温の環境ではメスが産まれ、中間の22~28°Cでは主にオスが産まれます(7)。アオウミガメの場合は、28℃以下ならオス、28~29℃ならオスメス半々、30℃以上の高温だとメスとなります(7)。
 一般に遺伝子にバラエティーをつくるより、ともかく種の絶滅を防ぐことを優先しなければならないときは、メスを増やすのが得策です。ただそれぞれの生物が生きている環境によって、オス・メスどちらを優先的に作成すべきかは微妙に異なるでしょう。図90-5の最も古いタイプの爬虫類に似ていて生きた化石といわれるムカシトカゲが、性染色体による性決定を行うとしてありますが、ウィキペディア(8)をみると、「21℃では雌雄比は半々だが、22℃では80%がオスになる。さらに20℃では80%が、18℃でほぼ100%がメスになる。ただしムカシトカゲの性決定は環境要因(温度)だけでなく遺伝子要因も関係している複雑なものらしいという説がある」 と詳細に記載してあります。
 爬虫類の場合、単為生殖を行なう生物も少なくないようです(9-10)。この場合メス1匹だけ生き残った場合も、単為生殖を行なってオスを産めば絶滅を免れる可能性があるという利点があります。哺乳類の場合実験的操作を伴なわない限り、単為生殖を行なうのは不可能だとされています。どうしてそうなったかは未解決のひとつの謎です。

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図90-5 爬虫類の性決定機構

 図90-4に示したように、哺乳類ではXXはメス、XYはオスという染色体型によって性が決定されますが、性を決定する遺伝子はアンドリュー・シンクレア、ピーター・グッドフェローらによって解明されました(11、図90-6)。彼らによればY染色体上のSRY遺伝子が精巣形成を決定しているということです。クープマン、ラベル=バッジらは、さらにマウスXX胚にSRY遺伝子を導入すると、本来メスになるべきXX胚がオスになることを証明しました(12、図90-6)。
 性決定遺伝子の発見はめざましい業績だと思いますが、図90-6の4人はノーベル賞にはとどいていません。その理由はいろいろあると思いますが、ひとつはSRY遺伝子の上流に別の遺伝子があるかもしれないということです。すなわちその遺伝子がまずONになって、その遺伝子産物がSRY遺伝子を活性化するのかもしれません。性決定に関連する遺伝子も数多くあることがわかってきました(13)。もちろんSRY遺伝子の下流には、性ホルモンの産生など実際に精巣を形成するためにかかわっている遺伝子群が働いているでしょう。

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図90-6 性決定機構機構を解明した研究者達

 驚くべき事に、トゲネズミという日本にだけ棲息する絶滅危惧種3種(オキナワトゲネズミ、アマミトゲネズミ、トクノシマトゲネズミ)のうち、アマミトゲネズミとトクノシマトゲネズミは染色体がXO型で、Y染色体が存在しません(14)。黒岩麻里氏によると、これらのネズミはY染色体の一部に変異が生じて、減数分裂がうまくいかなくなり、性決定関連部位がX染色体に転移することによって生き延びたそうです(15)。その転移の際にSRY遺伝子は失われ、CBX2という遺伝子が機能を代替することになったのでしょう。図90-7のように、XX/XY型の一般的な哺乳類と同じ性決定様式だったオキナワトゲネズミからアマミトゲネズミやトクノシマトゲネズミが派生したと考えられます。

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図90-7 トゲネズミの染色体

 ショウジョウバエは哺乳類と同じくメスはXX、オスはXYの染色体型ですが、性決定のメカニズムは全然違うことがわかっています。Y染色体にはSRYのような性決定遺伝子がなく、常染色体とX染色体の比率で性が決定されます。すなわちショウジョウバエの染色体は2n=8本ですが、Aを常染色体としますと、AAAAAAXX or AAAAAAXXY=♀(A:X=3:1)、AAAAAAXYor AAAAAAXO=♂(A:X=6:1)、となりますが、A:Xの比が大きい場合(6:1)は♂、小さい場合(3:1)は♀となります(16)。
 哺乳類の場合原則的にY染色体が1本あればオス、鳥類の場合W染色体が1本あればメスになります。魚類は爬虫類と近いところがあって、性決定遺伝子は存在しますが(メダカでDMY遺伝子がみつかっている)、一筋縄ではいきません。たとえばヒラメはXX/XY型の性決定機構を持っているものの、XX稚魚を18°Cで飼育するとすべてメスになり、同じXX稚魚を20°Cで飼育するとすべてオスになることがわかっています(17)。
 またベラは一夫多妻制ですが、その家族のなかで1匹のオスが死ぬと、一番大きなメスがオスに性転換することが知られています(17)。よくテレビなどに登場するコブダイはタイではなく、ベラ科の魚です。このように魚類では遺伝要因よりしばしば環境要因が優先されます。ソードテイルは一度稚魚を産むと、オスに性転換するとされています(図90-8)。

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図90-8 ソードテイルの♂♀

 性は2種類というのが私達の常識ですが、繊毛虫(原生動物)のなかには10種類あるいはそれ以上の性をもつものがいるそうです(18)。こうなると交配する相手を見つけるのが大変だと思いますが、それはフェロモンで解決しているようです。原核生物にも性は存在し、たとえば大腸菌で性を担う遺伝子は、Fプラスミドという形でゲノム本体からは分離独立して存在し、接合(conjugation)の際に相手の細胞に注入されます。

 

参照

1)キョン房総で大繁殖14年で50倍5万頭 農業被害拡大
https://mainichi.jp/articles/20170413/k00/00e/040/242000c
2)Wen Wang, Hong Lan., Rapid and parallel chromosomal number reductions in muntjac deer inferred from mitochondrial DNA phylogeny., Molecular Biology and Evolution, vol.17,
pp.1326-1333 (2000)
https://doi.org/10.1093/oxfordjournals.molbev.a026416
3)Doris H. Wurster, Kurt Benirschke., Indian Momtjac, Muntiacus muntiak: A Deer with a Low Diploid Chromosome Number., Science  Vol. 168, Issue 3937, pp. 1364-1366 (1970)
DOI: 10.1126/science.168.3937.1364
4)Crancot Nature, Le Sambar et le Cerf aboyeur - Thaïlande
http://crancot-nature.blogspot.jp/2016/08/le-sambar-et-le-cerf-aboyeur-deux.html#!/2016/08/le-sambar-et-le-cerf-aboyeur-deux.html
5)ウィキペディア: 性染色体
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%80%A7%E6%9F%93%E8%89%B2%E4%BD%93
6)生物史から、自然の摂理を読み解く カモノハシの不思議?
http://www.seibutsushi.net/blog/2008/02/386.html
7)https://matome.naver.jp/odai/2138201788384062201
8)ウィキペディア: ムカシトカゲ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A0%E3%82%AB%E3%82%B7%E3%83%88%E3%82%AB%E3%82%B2
9)池田清彦 President online,  トカゲ・ヘビ・カメは、オス抜きで子がつくれます
https://president.jp/articles/-/7527
10)ナショナルジオグラフィック日本版 オスがいても“単為生殖”する野生ヘビ
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/6745/
11)Sinclair AH, Berta P, Palmer MS, Hawkins JR, Griffiths BL, Smith MJ, Foster JW, Frischauf AM, Lovell-Badge R, Goodfellow PN (1990). “A gene from the human sex-determining region encodes a protein with homology to a conserved DNA-binding motif”. Nature vol. 346: pp. 216-217. (1990)   doi:doi:10.1038/346240a0. PMID 1695712.
12)Koopman P, Gubbay J, Vivian N, Goodfellow P, Lovell-Badge R,  “Male development of chromosomally female mice transgenic for SRY”.,  Nature vol. 351: pp.117-121. (1991) doi:10.1038/351117a0. PMID 2030730.
13)諸橋憲一郎 性の決定に働く遺伝子たち 季刊誌「生命誌」通 巻24号
https://www.brh.co.jp/seimeishi/journal/024/ss_4.html
14)ウィキペディア: トゲネズミ属
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%82%B2%E3%83%8D%E3%82%BA%E3%83%9F%E5%B1%9E
15)黒岩麻里 Y 染色体をもたない哺乳類の性決定メカニズム 生化学 第84巻 第11号 pp. 931-934 (2012)
file:///C:/Users/User/AppData/Local/Microsoft/Windows/INetCache/IE/C8FQEO1U/84-11-04.pdf
16)啓林館 生物 I :
http://www.keirinkan.com/kori/kori_biology/kori_biology_1_kaitei/contents/bi-1/2-bu/2-3-4.htm
17)長濱嘉孝、小林亨、松田勝., 魚類の性決定と生殖腺の性分化/性転換 タンパク質・核酸・酵素 vol. 49, no. 2, pp. 116-123 (2004)
18)高木由臣著 有性生殖論 「性」と「死」は何故生まれたのか NHKブックス (2014)

 

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2020年1月25日 (土)

89.ヒトゲノム

 ヒトゲノムについて語る前に、まずゲノム(英語ではジノム)とはなにか、どう定義するのでしょうか? これがなかなか一筋縄ではいきません。とりあえずウィキペディアの定義では下記のようになっています(1)。

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In modern molecular biology and genetics, a genome is the genetic material of an organism. It consists of DNA (or RNA in RNA viruses). The genome includes both the genes (the coding regions), the noncoding DNA and the genetic material of the mitochondria and chloroplasts.

拙訳:現代の分子生物学および遺伝学において、ゲノムはひとつの生命体の遺伝物質を指します。それはDNA(RNAウィルスではRNA)で構成されています。ゲノムは遺伝子(コーディング領域)、非コーディングDNA、ミトコンドリアと葉緑体の遺伝物質を含みます。
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 ところが日本語版のウィキペディアでは、たとえばヒトゲノムといった場合、ヒトのミトコンドリアの遺伝物質は含まないとも解釈できる記載があるので、英語版とは若干ニュアンスの違いが感じられます(2)。日本語版の方がわかりやすい感じもするので、ここではミトコンドリアのゲノムは含まないことにします。
 ここでコーディング、非コーディングという言葉が出てきました。コーディングDNAとは、その部分のDNAが転写されてmRNAとなり、さらに翻訳されてタンパク質となるDNAの領域を意味します。エクソンはコーディング領域と同義ではなく、エクソンのなかにもタンパク質に翻訳されない領域があり、また当然tRNAのエクソンはすべて翻訳されません。エクソン以外の部分はイントロンも含めてすべて非コーディングDNAです。非コーディングDNAには転写されてリボソームRNAやトランスファーRNAを生成するための領域、転写調節因子の結合部位、偽遺伝子、トランスポゾンなどを含みます。
 ではヒトゲノムにおいて、コーディング領域、非コーディング領域はそれぞれどのくらいの割合になっているのでしょうか? 図89-1をみてみましょう(図89-1は文献3、4などを参照して作成しました)。実際にその塩基配列がタンパク質と対応しているコーディング領域は全ゲノムの1.3%に過ぎません。ヒトをマシンとしてみると、非常に効率が悪いシステムです。それはもちろんヒトは誰かが設計して作った作品ではなく、進化の結果として様々な歴史をしょって生まれてきたからです。
 エクソン以外にイントロンは遺伝子の一部です。rRNA、tRNA、snRNA、miRNAなどさまざまなRNAに対応するDNAも遺伝子です。進化の過程で不要になり崩壊過程にある遺伝子は偽遺伝子です。また遺伝子を制御するために、転写因子と結合するDNAの領域もその意義が明確です。しかしこれら素性と意義が明確なDNA領域を全部たしても、ゲノムの半分にもなりません。ゲノムのそれ以外のほとんどの部分は機能のわからない未解明領域とトランスポゾンで構成されています。

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図89-1 ヒトゲノムの構成  遺伝子部分は34.3%しかなくトランスポゾンがより多くの領域を占めている

 トランスポゾンはその転移能力が活発に発揮されると、頻繁に遺伝子に割り込んだり非相補的な組み換えがおこったりしてホストが死んでしまうので、ある程度暴れたら転移能力を失ってホストと共存します。そうなった生き物しか生き残れません。ヒトのトランスポゾンもその原理は同様で、ほぼすべてのトランスポゾンにおいてトランスポゼースの遺伝子が壊れて不活化しているので、転移することはできません(5)。
 万一転移がおこってその細胞に不具合が発生しても、体細胞では代替する他の細胞がいるので、がんが引き起こされるような特殊な場合を除いては問題はおこりません。しかし生殖細胞ではそこに起源を持つ細胞がすべて転移したトランスポゾンを保有することになるので、深刻な疾病を引き起こす可能性があります。例えばAluの転移が原因とみられる疾病も数多く知られていますが(6)、それらのほとんどは遺伝病であり、遠い過去に起こったことが現在まで引き継がれていると考えられます。現在のAluに転移する能力はありません。ただしAluも含めてSineは生殖巣において転写されることが知られており、しかもホストにストレスがかかると意外にもその転写量が膨大になるそうです(7)。このことは何か意味がありそうな気がします。Aluの歴史については文献(7)を参照してください。
 コーディング領域の遺伝子については、ウィキペディアにグラフが出ていたので転載しておきます(8)。意外に構造タンパク質や酵素の割合は高くなく、転写因子・DNA結合因子・トランスポーターなどの遺伝子が多くの領域を占めていることがわかります。

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図89-2 タンパク質をコードする各種遺伝子の分類と割合

 ヒトゲノムという概念は抽象的なものですが、その実体は染色体にあります。染色体を顕微鏡で見て形態を観察する技術は19世紀から開発されており、サットンはそれによって20世紀初頭に遺伝因子=染色体という説を唱えました。しかしそれからヒトの染色体は何本あるかという結論までは50年以上の歳月を要しました。アルベルト・ルヴァンとジョー・ヒン・チョー(図89-3)がヒトの染色体は46本であると報告したのは、ワトソンとクリックがDNAの構造を解明してから3年も後の1956年でした(9)。
 ジェローム・ルジェーヌは体細胞の21番染色体が3本存在することによって、ダウン症候群が発生することをみつけました。

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図89-3 ヒト染色体研究のパイオニア達

 色素による染色で分別されたヒト染色体一覧を図89-4に示します。点線はセントロメアの位置です。X染色体とY染色体はあまりにも形態が異なっており、相同性が保たれている部分も短いので厳密には相同染色体とはいえませんが、細胞分裂の際には相同染色体のように行動します。

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図89-4 ヒトの染色体一覧

 古典的なギムザ染色法によって染色体を分別する方法をGバンド法といいます。図89-5にその例を示します。ATリッチな部位が濃く染まり、GCリッチな部位は薄く染まるとされています(10)。

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図89-5 Gバンド法およびAlu染色を行ったヒト染色体

 現在ではFISH(Fluorescent InSitu Hybridization)法によって染色体の分別がよくおこなわれます。この原理は図89-6で説明しますが、図89-5の下図ではAlu配列を標的として、緑色蛍光色素で染色しています(11)。Aluの多い場所が緑色に染色されます。Alu配列のある場所に大きな偏りがあることがわかります。21番の染色体セットは片方が染色され、片方は染色されていませんが(11)、これが実験上のエラーなのか実際にそうなのかはわかりません。
 それぞれの染色体には別の遺伝子が乗っているわけですし、遺伝子以外の決まった配列もそこそこあるわけですから、その相補性配列を持つDNAを合成して標識をつければ正確かつ容易に各染色体を分別できるはずです。図89-6のように相補性のDNAに例えばビオチンを結合させ、これに「アビジン+蛍光色素」を結合させると(ビオチンとアビジンは強力に結合する)、染色体をそれぞれ特異的に染色することができます。ビオチン-アビジンのセットでなくても、強力に接着する化学物質でDNAまたは蛍光色素と結合する組み合わせのセットなら使えます。
 それぞれ別の色に光る蛍光色素を使えば、23対の染色体をそれぞれ色で識別することができます(図89-6)。100年も四苦八苦して分別していた染色体を、科学技術のちょっとした進展によって、わずかな時間で正確に分別できるようになりました。

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図89-6 FISH法の原理とマルチカラーFISH

 遺伝病の中には遺伝子のミクロな変化に起因するもの他に、染色体の本数の異常などダイナミックな染色体の変化によるものがあり、それらは染色体検査によって診断できます。最も有名なのはダウン症候群で、この疾患の原因が21番染色体が3本ある(トリソミー)ことによることを解明したのはジェローム・ルジューヌでした(図89-3、図89-7の〇で囲んだ部分)。彼は敬虔なキリスト教徒で、生涯妊娠中絶に反対し、このため女性や遺伝学者らから強い反発をうけました。胎児の染色体を検査し、異常な場合には中絶を行う-という道を拓いたことを後悔していたのかもしれません。彼の人となりは映画になっており、DVDはジェローム・ルジューヌ財団から入手できます(12)。ジェローム・ルジューヌ財団はダウン症の親子をケアするための活動を行っています。
 日本では敬虔なキリスト教徒が少ないせいでしょうか、ルジューヌが恐れていたことがまさしく現出しています。ある調査では胎児の染色体異常が確定した886人の妊婦のうち819人が人工妊娠中絶手術で堕胎したということです(13)。
 ターナー症候群は通常女性が2本持つX染色体を1本しかもたない(もちろんY染色体はない)患者で(図89-7)、低身長で第二次性徴を欠くなどの症状を発症します(14)。ウィリアムズ症候群は第7染色体セットの1本のエラスチン遺伝子周辺の複数の遺伝子が欠失する病気で(図89-7)、知能低下などの精神遅滞・心臓疾患などを発症するとされています(15)。

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 遺伝子は各染色体に同じ密度で存在するのではなく、疎な染色体と密な染色体があります(16)。図89-8で塩基対(緑 Base pairs)の数に対して遺伝子の数(ピンク)が多い場合密ということになります。13番・18番・Y染色体が特に遺伝子がまばらにしか存在しない染色体であることがわかります。13番・18番の染色体は、図89-5ではAlu配列が特に少ない染色体であることがわかります。関連性があるようにみえますが、これは偶然なのでしょうか?

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図89-8 核染色体における遺伝子の密度(緑:DNAのサイズ、ピンク:遺伝子の数)

 さまざまな遺伝子の中でもリボソームRNAの遺伝子は特別です。なにしろリボソームRNAは、細胞内全RNAの60%の重量を占めるほど大量に存在し(17)、遺伝子も400コピーが存在するほどゲノムの中でメジャーな存在なのです(18、文献19では350コピーになっています)。リボソーム遺伝子は図89-9のような構造をとっています。すなわち18S、5.8S、28Sがスペーサーをはさんで連結しており、ひとつのオペロンを構成しています。このスペーサーはITSと呼ばれており、イントロンのように転写されます。オペロンとオペロンの間にはNTSという転写されないスペーサーが存在します。ヒト染色体においては13番・14番・15番・21番・22番染色体の短腕の大部分がリボソーム遺伝子領域とされています(20)。
 リボソームにはもう1種5Sタイプがありますが、これは1番目の染色体に遺伝子のクラスターが存在します(21)。図89-9のリボソーム遺伝子群はRNAポリメラーゼ I によって転写されますが、5SRNA遺伝子はRNAポリメラーゼ III という特殊なRNAポリメラーゼによって転写されることが知られています。
 トランスファーRNA遺伝子も、リボソームRNA遺伝子に次いでゲノムの大きな領域を占めていると思われます。ウィキペディアのよると「ゲノム中のtRNA遺伝子の数は生物により様々である。線虫C. elegansの核ゲノムには全部で19000遺伝子があるが、そのうち659がtRNAをコードしている。出芽酵母では275である。ヒトでは497個が知られており、アンチコドンごとに整理すると49種となる」とされています。これ以外の非コード領域には図89-10で示すようなもの(1から7まで)があります。

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図89-9 真核生物のリボソーム遺伝子

 細菌はゲノムのサイズが小さく、サーキュラーなので複製開始点がひとつでいいのですが、真核生物はゲノムのサイズが大きく、複数の直鎖状DNAからなるので、1本のDNAについて複数の開始点があることは必須で、図89-10の1のような形になります。メガネのような形になるので、レプリケーション・アイともいいます。
 複製開始点には多くのタンパク質が結合して鎖を大きくほどかなくてはなりません。したがって、このための塩基配列をDNAが用意しなければなりません。各遺伝子ごとに、それぞれ特に上流にはプロモーターやエンハンサーが必須で、ここにも特定の塩基配列が必要です。なかには下流にもエンハンサーをもつ遺伝子もあります。
 この他染色体組み換えに必要な構造、セントロメア、テロメア、相同染色体が対合するための構造、核膜や核の構造タンパク質にDNAを結合させる部位などに、コーディング領域ではない特定の塩基配列が必要です。このようなコーディング領域ではないのに特定の塩基配列が必要で、リボソームRNAやトランスファーRNAに対応したDNAの領域とは異なる部分を分類し、図89-10にまとめて示しました。

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図89-10 非コード領域で特定の塩基配列が必要な部位

 

参照

1)Wikipedia: Genome,  https://en.wikipedia.org/wiki/Genome
2)ウィキペディア: ゲノム
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B2%E3%83%8E%E3%83%A0
3)Research Map  悪のペンギン帝国
http://researchmap.jp/jo6z5r93q-17709/#_17709
4)Genomes 2nd ed.,  Chapter 1 The Human Genome
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/books/NBK21134/
5)西川伸一 JT生命誌研究館 ゲノムの解剖学 (2015)
https://www.brh.co.jp/communication/shinka/2015/post_000011.html
6)小林武彦編 「ゲノムを司るインターメア 非コードDNAの新たな展開」 化学同人 p. 209  (2015)
7)東京工業大学大学院 生命理工学研究科 進化・統御学講座(岡田研究室)HP:
http://www.fais.or.jp/okada/okada-past/research/keywords/m01_alu.html
8)Wikipedia; Human genome,  https://en.wikipedia.org/wiki/Human_genome
9)Joe Hin Tjio and Albert Levan., The chromosome number of man. , Hereditas vol. 42:  pages 1–6, (1956)
http://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1111/j.1601-5223.1956.tb03010.x/pdf
10)リンク切れ http://ipsgene.com/genome/dna/band-method
11)Wikipedia: Karyotype
https://en.wikipedia.org/wiki/Karyotype
12)ジェローム・ルジューヌ財団 https://lejeunefoundation.org/
または https://www.ds21.info/?p=8644
13)Abema Times ”9割が中絶を選択” 出生前診断を受け、「命の選択」を迫られた夫婦の苦悩 (2019)
https://times.abema.tv/posts/7000165
14)Wikipedia: Turner symdrome
https://en.wikipedia.org/wiki/Turner_syndrome
15)Wikipedia: Williams symdrome
https://en.wikipedia.org/wiki/Williams_syndrome
16)Wikipedia: Chromosome
https://en.wikipedia.org/wiki/Chromosome
17)小林武彦、赤松由布子 リボソームRNA 遺伝子の不安定性と生理作用-出芽酵母を中心にして 生化学 第85巻 第10号,pp. 839-844,(2013)
http://www.jbsoc.or.jp/seika/wp-content/uploads/2014/06/85-10-03.pdf
18)奥脇暢 リボソームRNA 遺伝子と核小体構造の調節  生化学 第85巻 第10号,pp. 845-851,(2013)
http://www.jbsoc.or.jp/seika/wp-content/uploads/2014/06/85-10-04.pdf
19)小林武彦編 「ゲノムを司るインターメア 非コードDNAの新たな展開」 化学同人 p. 111 (2015)
20)小林武彦編 「ゲノムを司るインターメア 非コードDNAの新たな展開」 化学同人 p. 2 (2015)
21)Timofeeva Mla et al.,  Organization of a 5S ribosomal RNA gene cluster in the human genome., Mol Biol (Mosk). vol. 27(4):  pp. 861-868. (1993)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/8395649

 

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88.トランスポゾン Ⅱ

 細菌から私達人類まで、あらゆる生物はファージ(細菌に感染するウィルス)やウィルスの脅威にさらされています。しかしファージやウィルスは細胞に感染するとすぐに増殖して細胞を破壊するようなタイプのものばかりではなく、なかにはホストのDNAに組み込まれて、あたかもホストのDNAの一部であるように振る舞うタイプもあります(1)。すなわち太古の昔から、素性の知れない外界DNAをホストのDNAの中に埋め込む生化学的システムは存在したと考えられます。そのために必要な最小限のメカニズムには、ホストのDNAと親和性を持つ(侵入DNAの)塩基配列、ホストDNA(と感染DNAの境目)に切れ目を入れるエンドヌクレアーゼ活性(侵入DNAの遺伝子由来)、ホストのDNAと接続するためのDNAリガーゼ活性(これはホストのものでよい)などが含まれているはずです。
 ホストのDNAに埋め込まれたウィルスのDNAの一部に突然変異が生じて、例えば殻のタンパク質をコードする遺伝子が使えなくなってしまったらどうなるでしょう。もはやウィルスはホストの外では活動できません。しかしDNAを切り出したり、埋め込んだりする活性が残っていればホストのDNAの中で移動することは可能かもしれません。
 真核生物の場合は、このようなDNAを遺伝物質として持つウィルス以外に、RNAを遺伝物質として持つレトロウィルスが感染する場合があります。この場合レトロは「昔の」という意味ではなく、「逆の」という意味です。普通の生物がやっているDNAからRNAへの転写ではなく、レトロウィルスはRNAを鋳型として、逆転写酵素によりDNAを合成する(=逆転写)ことができます。レトロウィルスとは、ヒトに感染するものではインフルエンザウィルス、HIV、はしかウィルス、ムンプス(おたふくかぜ)ウィルス、B型以外の肝炎ウィルスなどがそうです。この場合も逆転写されたDNAがたまたまホストのDNAに組み込まれてプロウィルスの状態になることがあります
 プロウィルスとなっても細胞に感染するための遺伝子が変異して役立たなくなることはあり得ます。このように感染力を失ったウィルスは、本来持っていた 1)細胞に外から感染するシステム、2)遺伝子を殻内部にパッケージングするためのシステム、3)遺伝子を包む殻、4)細胞を破壊するためのシステム などに関連する多くの遺伝子はすべて正常であっても、感染できないという意味で結果は同じになるので、最初に変異した遺伝子以外の上記1)~4)の遺伝子にも全く選択圧力がかからなくなり、荒れ放題(変異放題)となります。こうなるともう永遠に感染性を持った生物(?)として生きることは不可能となりますが、細菌のプラスミドのようにホストの体内で生き延びる可能性は残されています。哺乳類の場合プラスミドとして存続するDNAはみつかっていませんが、ホストのDNAに組み込まれたまま存続するDNAは存在します。特にそのDNAにDNAを切り出す遺伝子と、再度ホストDNAに組み込む遺伝子が残されていれば、ホストのシステムを使って増殖することすら可能です。
 細菌のトランスポゾンはすべてDNAトランスポゾンですが、真核生物のトランスポゾンにはDNAトランスポゾンとレトロトランスポゾンが存在します。まずDNAトランスポゾンからみていきましょう(2、図88-1)。
 DNAトランスポゾンには両端にダイレクトリピート(DR)という同方向を向いた反復配列がある場合があります。これはターゲットのDNAにトランスポゾンを挿入する際に使われると考えられます。ダイレクトリピートの内側にITR(inverted terminal repeat)、またはTIR(terminal inverted repeat)という逆向きの反復配列があります(図88-1)。これは図88-3であらためて説明しますが、トランスポゾンのDNAを切り出すときに認識する配列です。これらの反復配列以外に、DNAトランスポゾンはDNAトランズポゼースの遺伝子をもっており、この他にこの遺伝子を転写するために必要な配列があれば、最小限の構成を確保できます(図88-1)。なお図88-1の塩基配列は1例であり、実際の配列とは関係ありません。実例についてもっと詳しく知りたい方は文献(3、4)などが参考になると思います。

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図88-1 DNAトランスポゾン

 細菌のトランスポゾンはDNAトランズポゾンですし、植物の中には稲のようにゲノムの大部分がDNAトランスポゾンで構成されているものも多いと思われるので、おそらく真核生物が持つ世界最多遺伝子は「DNAトランスポゼースという酵素の遺伝子」でしょう。DNAトランスポゾンには図88-2のように2つのタイプがあり、ひとつは二重鎖ごとカットして他の部位にペーストする移動型、いまひとつは一重鎖のみ切り出して、複製して二重鎖としてから他の部位に挿入する増殖型です。増殖型の場合、切り出された一重鎖の部分は残された鎖を鋳型としてホストの酵素で複製されるので、結果的にコピー&ペーストとなり、トランスポゾンが2倍に増幅されます。移動型は基本的にカット&ペーストですが、切り出されている間にホストのシステムで複製されないとは限りません。

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図88-2 DNAトランスポゾン 移動型と増殖型

 Inverted terminal repeat ( ITR ) がDNAトランスポゾンの両端にあることは、DNAトランスポゼースの作用機構と密接な関連があります。図88-3のようにDNAトランスポゼースはダイマーとしてそれぞれがITRを認識して働く、すなわちDNAを切断するので、ITRがトランズポゾンの両端にあることは都合が良いのです。このことはトランスポゾンのエリアを2つのITRにはさまれた部分という認識を酵素が行う上でも重要です(5)。図88-3右図はプロテイン・データバンク・ジャパンのイラストです。DNAトランスポゼースとDNAの関係を3Dで表現したものです。

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図88-3 トランスポゾンの切り離しとインバーテッド・ターミナル・リピート(ITR)

 DNAトランスポゾンをDNAに挿入するときに、ギャップができることがわかっており、ここがダイレクトリピート(DR)あるいはターゲット・サイト・デュプリケーション(TSD)と呼ばれるサイトと考えられています(5)。この部分は当然修復されDNAの接続(ライゲーション)が行われなければなりません。
 図88-4にみられるように、トランスポゾンが挿入されたあと、ホストの酵素によってギャップは修復されます(6)。修復された部分はトランスポゾンの両端に存在し、同じ方向を向いた同じ配列となります(ダイレクトリピート=DR)。次にこの位置のトランスポゾンを切り出すときにDRを置いていくと、DNA上に昔トランスポゾンがあったという痕跡が残りますし、持ち出すとDR配列付きのトランスポゾンができます。

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図88- トランスポゾンの挿入とダイレクトリピート(DR)

 ここまでDNAトランスポゾンについて述べてきましたが、トランスポゾンにはもうひとつレトロトランスポゾンというジャンルのものがあります。細菌にはこのタイプのトランスポゾンはみられず、真核生物だけに存在するものです。レトロトランスポゾンの場合、潜伏するトランスポゾンDNAは普通の遺伝子のようにいったんRNAに転写され、そのRNAを鋳型として逆転写によってDNAが合成され、さらにその単鎖DNAを鋳型として二重鎖DNAが合成され、ホストのDNAに埋め込まれます(7、図88-5)。

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図88-5 レトロトランスポゾン

 大変複雑なように見えますが、実はありふれたウィルスであるインフルエンザウィルス、HIV、B型以外の肝炎ウィルス、おたふく風邪ウィルス、はしかウィルスなどはみんなRNAの形でホストに感染し、逆転写によって相補的なDNAを合成してホストDNAにプロウィルスという形で埋め込まれた状態で潜伏し、転写によって遺伝子RNAと必要なタンパク質を合成してウィルス粒子を作り、外に出るという生活史を繰り返します。
 ホストのDNAに遺伝子のセットを埋め込んで仮住まいしたのはいいとして、その一部が壊れてしまったらどうなるでしょう。ウィルス粒子を作って他の細胞に感染することができなくなるので、プロウィルスのままホストのDNAにとどまるしかありません。いったんとどまってしまったら、プロウィルスとしてホストの細胞内で存続するための遺伝子を除いて、他の遺伝子は壊れ放題になってしまいます。そうなるとプロウィルスは原型をとどめないトランスポゾンとなってしまいます。これをレトロトランスポゾンといいます。
 レトロトランスポゾンの中で、一番ウィルスの原型をとどめているのはLTR型レトロトランスポゾンで、図88-6に示すように、両端にLTR(long terminal repeat)という構造を持っています。ロングと言っても数百から数千塩基対というバラエティーがあって、その機能は十分には解明されていませんが、レトロウィルスはこの部位を利用してホストDNAに逆転写したDNAを組み込んでいることは間違いなさそうです(8)。そのレトロウィルスの機能を使ってトランスポゾンをホスト内部で移動させようというのが、LTR型レトロトランスポゾンです。このトランスポゾンは内部にエンドヌクレアーゼ(DNAを切断する酵素)と逆転写酵素(リバーストランスクリプターゼ)の有効な遺伝子を保存していますが、他の構造タンパク質などの遺伝子(gag、env など)は変異して無効になっています(図88-6)。

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図88-6 LTR型レトロトランスポゾンとLine

 そのウィルスの遺産であるLTRを失った長鎖トランスポゾンをLine(long interspersed nuclear elements)といいます。LTRのかわりにやや長いダイレクトリピートDR=TSDがあり、さらに長い非翻訳領域が3’と5’の両端にTSDに続いて存在し、これらが何らかの形でLTRのかわりにトランスポゾンのDNA組み込みのメカニズムにかかわっていると思われます。LineはLTR型と同様内部にエンドヌクレアーゼとリバーストランスクリプターゼの遺伝子を持っており、それゆえに短くはなれません。だいたい4,000~10,000塩基対(bp)となっています。
 これに対してSine(short interspersed nuclear elements)はLTRのみならず、内部のエンドヌクレアーゼとリバーストランスクリプターゼの遺伝子も失っており、そもそもレトロウィルスを起源とするものかどうかも定かではありません。内部にtRNA、5SrRNA、7SL-RNAなどの機能RNAの一部に類似した塩基配列を持っており、3’末にはLineと相同な配列とポリAテイルがあります。おそらくレトロウィルスとは関係なく二次的に発生したものなのでしょう。転移するための酵素がないので、Lineなどが持っている酵素の支援がなければ転移することができません。構造に大きなバラエティーがあるのも特徴です(9)。

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図88-7 非LTR型短鎖レトロトランスポゾン(Sine)

 霊長類は霊長類にしかないAluエレメントというSineの1種を持っています。Aluエレメントという名は、Aluという制限酵素で切断される部位があることから名付けられました(図88-8)。ヒトの場合、全ゲノムの11%がAluエレメントだとされています(10)。なぜこんなに大量の特殊なトランスポゾンがヒトのゲノムにあるのかは謎です。このトランスポゾンは7SL-RNAという、タンパク質を細胞外に分泌するためのメカニズムの一翼をになうRNAの遺伝子と共通な配列の断片を数多く持っています(図88-8)。図88-8に両者のフルシーケンスを示しましたので、目をこらして比較してみて下さい。Aluエレメントを発見したのは、カール・シュミット(Carl W. Schmid )とプレスコット・ダイニンジャー(Prescott Deininger)(11、図88-8)ですが、こんな特殊なトランスポゾンがヒトのゲノムに大量にあるとわかって、さぞかしびっくりしたことでしょう。

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図88-8 Aluエレメントと7SL-RNA遺伝子

 さまざまな生物のなかには、DNAトランスポゾンを多く持つグループとレトロトランスポゾンを多く持つグループがあります(12、図88-9)。この中で注目したいのは、Entamoeba histolytica という哺乳類に感染する赤痢アメーバはレトロトランスポゾンを圧倒的に多く持っている一方で、Entamoeba invadense という爬虫類に感染する赤痢アメーバはDNAトランスポゾンが圧倒的に多いという研究結果です。つまりトランスポゾンが蔓延するために要する期間は、進化のスケールで考えるとかなり短いのではないかということが示唆されています。
 実際ショウジョウバエのPエレメントというDNAトランスポゾンは、ほとんどの自然界のハエが持っているにもかかわらず、古くから自然から隔離されてヒトに飼い継がれている実験用のハエには、どれにも全くみられないということが知られており、この場合数十年の内にPエレメントが自然界で蔓延したと思われます(13)。

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図88-9 生物種によるトランスポゾンの相違

 

参照

1)ウィキペディア: プロファージ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%82%B8
2)Transposons: Mobile DNA
http://grupo.us.es/gfnl/dna/genetic_ingeniering/transposons.htm
3)  Kosuke Yusa, piggyBac Transposon., Microbiolspec, vol. 3 no. 2  (2015)
doi:10.1128/microbiolspec.MDNA3-0028-2014
http://www.asmscience.org/content/journal/microbiolspec/10.1128/microbiolspec.MDNA3-0028-2014
4)Narayanavari SA, Chilkunda SS, Ivics Z, Izsvák Z., Sleeping Beauty transposition: from biology to applications., Crit Rev Biochem Mol Biol.  vol.52, no.1, pp. 18-44. (2017) doi:
10.1080/10409238.2016.1237935. Epub 2016 Oct 4.
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/27696897
5)JD Watson, Molecular Biology of the Gene., 6th edn., pp.334-370, Cold Spring Harbor Laboratory Press (2008)
6)Jennifer McDowall, Transposase.
http://www.ebi.ac.uk/interpro/potm/2006_12/Page1.htm
7)Wikipedia: Retrotransposon
https://en.wikipedia.org/wiki/Retrotransposon
8)what-when-how In Depth Tutorials and Information
Long Terminal Repeats
http://what-when-how.com/molecular-biology/long-terminal-repeats-molecular-biology/
9)http://sines.eimb.ru/Help.html
10)Prescott Deininger, Alu elements: know the SINEs.,  Genome Biol. 2011; vo. 12(12): pp. 236-248. Published online 2011 Dec 28.  doi:  10.1186/gb-2011-12-12-236
11)Schmid CW, Deininger PL  "Sequence organization of the human genome". Cell. 6: 345–358. (1975)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC3334610/
12)Leslie A. Pray, Transposons: The Jumping Genes, Nature Education vol.1(1), p. 204 (2008)
https://www.nature.com/scitable/nated/article?action=showContentInPopup&contentPK=518
13)ウィキペディア: トランスポゾン
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%9D%E3%82%BE%E3%83%B3 (具体例のセクションを参照)

 

 

 

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87.トランスポゾン I

 トランスポゾンとは染色体上での位置を変えることができるDNA断片のことですが、発見したのはバーバラ・マクリントックという女性科学者です(図87-1)。彼女は1902年の生まれで日本では明治の末期ですが、当時は米国でも女性が科学者になるのはまれなことでした。実際コーネル大学の農学部に進学したのですが、希望した植物育種学科は女人禁制で、大学院も遺伝学は女性は専攻できなかったので、やむなく植物学を専攻することになりました。
 マクリントックが最初に目指したのは、当時モーガン研のスターティヴァントがショウジョウバエの4つの染色体を識別し、それぞれにおける遺伝子の場所を記した染色体地図を発表していたので、彼女が研究材料としていたトウモロコシでも染色体地図を作成するということでした。彼女はまず染色体を識別する上で助けになる酢酸カーミン染色法を開発しました。これは図87-1のカルミン酸を酢酸に溶かして鉄イオンなどを加えた染色液を用いる方法で、現在でも使われています。カルミン酸はある種のカイガラムシが合成する色素で、1991年まで人工合成はできませんでした。

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図87-1 バーバラ・マクリントックとカルミン酸

 クレイトンとマクリントックは、染色体の両端にそれぞれ特徴的な構造、すなわちノブとしっぽ(非染色体DNA)を持つ変異体をみつけて、ノブとしっぽが組み換えによっていれかわることを示しました。これによって組み換えが可視化され、誰もが染色体の切断と再結合(交叉)によって組み換えが行われることを納得しました(2)。
 図87-2をみると、CとWという2つの遺伝子の間で組み換えがおこると、本来ならCはノブとしっぽを伴ってF2に出現すべきところ、Cはノブ、Wはしっぽという組み合わせでF2に出現することになり、物理的な染色体の切断・結合と、形質から判断される遺伝子の組み換えが同時に起こっていることがわかります。

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図87-2 染色体の切断・結合の可視化

 私はこの文章を書くに当たって、マクリントックが後にトランスポゾンの理論をうちたてるきっかけとなった論文のことを調べるために文献(3)にあたりました。その中には 「1931年の秋、彼女はカリフォルニア大学バークレイ校の研究者から送られてきた別刷りを受け取った。そこに彼女がミズーリで見たものと同じ種類の斑入りが載っていた。バークレイの研究者たちもまた、染色体の切断あるいは欠落で生じた小さな染色体について触れていた」 という記述があります。ところがこのバークレイの研究者が誰なのかは書かれていません。
 疑問を感じながら調べたところ、マクリントックの論文(4)に引用文献がありました。この論文には引用文献が2つしかなく、そのひとつでした。Nawashin M. という人物の論文なのですが、さらに調べると、どうもこの引用文献のスペルが間違っているらしくて、Navashin M. (ナヴァシン M.)という人物なら当時バークレイ校で植物の遺伝学をやっていたようなのですが、Nawashin M. という人物は見当たりませんでした。これからは全く私の想像ですが、Navasin さんはドイツ語でも論文を書いているのでドイツ人で、本来は Nawashin だったわけですが、米国では名前の発音が違って呼ばれるのが嫌で Navashin にスペルを代えたのではないでしょうか?マクリントックへの手紙には Nawashin と書いたのかもしれません。この人物の貢献があったことは確かでしょう。
 マクリントックは斑入りの原因が、環状染色体(5、図87-3)内における染色分体間での姉妹鎖交換によって、セントロメアを2個含む染色体と全く含まない染色体が形成され、セントロメアを含まない染色体は細胞分裂によって娘細胞に分配されないため、色に関する遺伝子が無効になった細胞集団ができることによって斑入りが発生することを示しました(4)。

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図87-3 斑入りのトウモロコシが発生する原因

 マクリントックは米国学術研究会議から奨学金をもらって、コーネル大学、ミシガン大学、カルテックなどを渡り歩いて研究をしていましたが、その奨学金が切れてしまって、ドイツで研究を続けることにしました(6)。1933年~1934年はやむなくドイツで核小体と染色体の関係について研究していましたが、ナチス勢力の台頭もあって、コーネル大学に戻ることになりました。そして1936年に、30才代半ばでようやくミズーリ大学での定職(assistant professor)を得ることができました。Assistant professor といえば日本では助教のようなポストでしたが、その状態で彼女は米国遺伝学会の会長になりました。マクリントックは全く協調性がなく、喧嘩っ早い人間だったので、業績は大いに評価されてもポストは与えられず、女性の地位が低かった時代とは言え、あとからきた女性に先に准教授(associate professor)のポストが与えられるという有様でした(3)。
 マクリントックが幸運だったのは、このような状況の中で旧友のマーカス・ローズがコールド・スプリング・ハーバー研究所に誘ってくれたことでした。ここは分子生物学のジャンルでは最も有名なシンポジウム「Cold Spring Harbor Laboratory Symposium on Quantitative Biology」が開催される場所として業界で知らない人はいません。夏期休暇を利用して多くの研究者が集まる施設ですが、冬は静かな環境で思う存分研究ができる場所でした(図87-4)。
 この研究所のたたずまいはちょっと変わっていて、図87-4に示されているように、普通のビルディングではなく、敷地に散在する個人の住宅のような建物がひとつの研究室になっています。右はマクリントックの研究室で、彼女が亡くなったあともそのまま保存されていました。このような施設をみると、某国は科学を利用しようとするだけで、愛してはいないということを痛感させられます。ちなみに2009年にはコールド・スプリング・ハーバー・アジアが中国の蘇州に開設され、活動を開始しました。これからの科学は中国によって牽引されることが予感させられます。

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図87-4 コールド・スプリング・ハーバー研究所に保存されているマクリントックの研究室

 これからの話を理解するためにアントシアニジンという色素について説明しなければなりません。この色素は多くの植物で花や実の色に関与しており、複雑な過程を経て合成され、しかも図87-5のように側鎖の種類によって様々な発色が可能です。実際にはこの色素に糖が結合した配糖体の形で花や実に存在しています。多くの植物はこの色素を合成する酵素の遺伝子を保持しており、それが働かない場合色は失われます。

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図87-5 アントシアニジンは側鎖の種類によって、様々な発色を行う

 マクリントックは1941年12月から、ほとんどの残りの人生をコールド・スプリング・ハーバーで過ごしました。1941年12月といえば、8日の真珠湾攻撃から太平洋戦争が勃発した時期でした。彼女が「動く遺伝子」の研究を始めたのは1944年ですから、日本軍が太平洋の島々で玉砕を重ねていた時期です。「動く遺伝子」に関する仕事は非常に困難だったので、数年間は論文が書けませんでしたが、戦争中にもかかわらずカーネギー財団はずっとこの仕事に援助を続けました。
 この間にマクリントックは、Ac と Ds というDNA上の因子が、DNA上で他の部位にジャンプして遺伝子発現の調節を行っていることをつきとめ、例えば図87-6で言えば、通常は紫色の実が、Dsがアントシアニジン合成遺伝子の位置に移動してくると、その合成遺伝子の発現が抑制されて実の色が白くなり、Dsがそこから抜けて移動すると、ふたたび色素が合成されるようになります。どの程度元に戻れるかによって発色の状況が違っていきます。これが斑入りの原因になります。

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図87-6 トランスポゾンと斑入りの発生

 マクリントックは1951年にコールド・スプリング・ハーバー研究所のシンポジウムで「動く遺伝子」に関する永年の研究成果を発表しました。しかし予想に反して全く反響はなく、誰も彼女が何を言っているのか理解できませんでした。ジャコブとモノーのオペロン仮説よりも前、ワトソンとクリックの二重らせんよりも前だったので、当時としては想像もできないようなお話だったようです。DNAの一部が遺伝子の活動を制御するなどと言う概念すらなかった時代だったということもありますが、当時は遺伝学者の興味がファージや大腸菌に大きく傾いていた時代だったので、トウモロコシの話題などみんなあまり興味がなかったということもあるのでしょう。
 その後も分子生物学的な裏付けがなかったので、「動く遺伝子(トランスポゾン)」はなかなか業界で認められませんでしたが、1982年にスプラドリングとルビン(図87-7)がショウジョウバエにPエレメントが存在することを証明し(8、9)、ついに1983年にフェドロフ(図87-7)がトウモロコシのAcとDsの分子的実体とその動きを解明した(10)ことで、間髪を入れずマクリントックはノーベル生理学医学賞を授けられることになりました。
 授賞時マクリントックは80才を越えていましたが、メンデルと違って生きているうちにきちんと再評価されたのはよかったと思います。ただ私の意見としては、ニーナ・フェドロフと共に授賞すべきだったのではないか、そのほうがマクリントックも嬉しかったのではないかと思いますね。天才だけでなく、実験的証明を行った人々についても、きちんとした評価がなされて然るべきです。

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図87-7 トランスポゾンの存在を実験的に証明した研究者達

 現在ではトランスポゾンは細菌からヒトに至るまでユニバーサルに存在することが知られていますし、種類も様々です。

 

参照

1) B. McClintock.,  Chromosome Morphology in Zea mays. Science 69: 629 (1929)
http://science.sciencemag.org/content/69/1798/629.long
2)Creighton, H., and McClintock, B. 1931 A correlation of cytological and genetical crossing-over in Zea mays. PNAS vol. 17: pp. 492–497 (1931)
http://www.esp.org/foundations/genetics/classical/holdings/m/hc-bm-31.pdf
3)Ray Spangenberg  and  Diane Kit Moser  著,  大坪 久子 (翻訳)  「ノーベル賞学者バーバラ・マクリントックの生涯 動く遺伝子の発見」  養賢堂 2016年刊
4)B. McClintock., A correlation of ring-shaped chromosomes with variegation in zea mays., Natl. Acad. Sci. USA, vol.18, no.12, pp. 677-681 (1932)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC1076312/pdf/pnas01740-0003.pdf
5)Lillian V. Morgan., Correlation between shape and behavior of archromosome., Proc. Natl. Acad. Sci. USA, vol. 12., pp.180-181 (1926)
http://www.pnas.org/content/12/3/180
6)Famous scientists. Barbara McClintock.,
https://www.famousscientists.org/barbara-mcclintock/
7)Barbara McClintock, The origin and behavior of mutable loci in maize., Proc. Natl. Acad. Sci. USA vol. 36,  pp. 344-355 (1950)
8)Spradling AC, Rubin GM,  "Transposition of cloned P elements into Drosophila germ line chromosomes". Science. vol. 218 (4570): pp. 341–347. (1982)
Bibcode:1982Sci...218..341S. PMID 6289435. doi:10.1126/science.6289435.
9)Rubin GM, Spradling AC, "Genetic transformation of Drosophila with transposable element vectors". Science. vol. 218 (4570): pp. 348–353. (1982)
Bibcode:1982Sci...218..348R. PMID 6289436. doi:10.1126/science.6289436.
10)N. Fedoroff, S. Wessler, and M. Shure, Isolation of the transposable maize controlling elements Ac and Ds., Cell vol. 35, pp. 235-242 (1983)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/6313225

 

 

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86.PCR

 PCRとはポリメラーゼ・チェイン・リアクションの略称で、DNAを大量に増やす方法です。痕跡的少量のDNAでも検査に十分な量まで増やせるので、今では警察の捜査でも定番になるほど普及しました。本題に入る前に、少し歴史的経緯をみてみましょう。
 一般には大腸菌くらい簡単に培養できるのだろうと思われがちですが、昭和時代にはそういうわけにはいきませんでした。私が学生時代、同じ建物に微生物学教室がありましたが、そこには宇宙船のハッチのようなものがあって中に入ると数人が作業できるような部屋があり、各種実験器具、培地、シャーレ、Lブロス、ピペットなどが大量に積み重ねられていました。これは高温高圧で滅菌作業をするボイラー室でした。空気中には雑菌が浮遊しているので、これらを芽胞を含めて完全に死滅させるには高温高圧(たとえば121℃、20分)で処理しなければいけません。上記の実験器具などは使う前にすべてこのボイラー室に入れて高温高圧処理します。
 ボイラー室を管理運営するためには、資格を持った技術員を雇用しなければなりません(1)。実験は普通の実験台ではできず、クリーンベンチという、外から雑菌が流入しないように空気の流れをコントロールした、巨大な無菌ボックスの中に手を突っ込んで行わなければなりません。現在では実験器具はすでに企業で滅菌した使い捨て製品を買って使う場合が多く、このてのプラスチック製品は使った後棄てるだけなので、よほど特殊な実験でなければボイラー室を使うことはなく、廊下の隅にでも置けるようなオートクレーヴ装置(高圧蒸気滅菌)で事足ります(2)。ただしクリーンベンチで仕事をしなければいけないことに変わりはありません。
 ですから当時の生命科学研究者にとって、大腸菌にプラスミドを入れて遺伝子を増幅させるという作業は、大がかりな設備が整った微生物学の研究室以外ではじめるには大きな壁がありました。増幅させたいのはDNAという化学物質なので、なんとか細菌を使わず酵素を使ってやりたいと思うのは当然です。そこに登場したのがマリス(図86-1、Kary Banks Mullis)でした。
 マリスはカリフォルニア大学バークレイ校で学位を取った後、カンザス大学の小児心臓病研究室のポストドクになり(1972年)、1975年までに2度離婚して仕事も辞めバークレーに舞い戻りました。バークレーでは最初の妻が経営するコーヒーショップで店長をやっていたそうです(3)。そんなある日、バークレー校時代の友人であるトーマス・ホワイト(図86-1)と再会し、ホワイトの紹介でカリフォルニア大学サンフランシスコ校のポストドクになり、脳研究をはじめました。しかしそこも結局すぐにやめてしまい、困ったホワイトは自分が幹部社員であるシ-タス社に、技術員としてもぐりこませることにしました(3、4)。持つべきものは友です。

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図86-1 トーマス・ホワイトとキャリー・マリス

 マリスは著しく協調性を欠く性格で、会社でまわりと衝突をくりかえすやっかいものでしたが、ホワイトはあえてDNA合成室長に抜擢しました。ここでマリスはDNA合成自動化装置の製品化で貢献して、ようやく会社での自分の立場を確立しました。そうして1983年、有名な出来事が起こります。文献4の記述をあえて英語のまま引用します。

 In 1983, while driving along the Pacific Coast Highway 128 of California in his Honda Civic from San Francisco to his home in La Jolla, California, USA, Kary Mullis was thinking about a simple method of determining a specific nucleotide from along a stretch of DNA. He then, like many great scientists, claimed having a sudden flash of inspirational vision. He had conceived a way to start and stop DNA polymerase action and repeating numerously, a way of exponentially amplifying a DNA sequence in a test tube(4).

 ドライブ中に突然あるアイデアが浮かんだというわけです。それはPCR(ポリメラーゼ・チェイン・リアクション)法の根幹となるすばらしいアイデアだったのですが、マリスは相変わらず喧嘩をくりかえし、アイデアが採用されるどころか「早くクビにしろ」という多くの研究員からの要請がホワイトのもとに届く有様でした。
 ホワイトはそのアイデアを評価しましたが、実験が下手くそな上に室員との折り合いも最悪なマリスにまかせておいてはどうにもならないと考え、マリスを棚上げして、彼のアイデアを実現するプロジェクトを別の研究室で立ち上げました。そうしてからはランディ・サイキとスティーヴン・シャーフという優秀な研究者達が中心となって、順調に仕事は進み完成しました。
 論文のファースト・オーサーはマリスで、マリスがまとめる予定だったのですが、さっぱり論文を書かないので、結局1985年にサイキ(5)、1986年にシャーフ(6)が論文を書くことになりました。マリスがやっとこさ論文を書いたのはオリジナルペーパーというより実験技術の本で、1987年になってしましました(7)。そこまで待っていたらシータス社は特許をとれなかったでしょう。それでもマリスは1993年にノーベル化学賞を単独で受賞しました。マリスというのは本当にツキのある人です。
 ここでPCR法の基盤となるDNAの性質を簡単に述べます。DNAの二重鎖は高温(図86-2では94℃)で解離し一重鎖となります。ゆっくり低温にもどすとアニーリングがおこって、再び二重鎖が形成されますが、急速に温度を下げると長いDNA鎖はアニーリングをおこしにくく、一重鎖のままとなります。ここに短いプライマーを投入すると相方の相補鎖より優先的にDNA鎖に結合することができます。

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図86-2 DNAの熱変成

 そこで一重鎖DNAをつくるべく50℃~60℃に急冷した後、プライマーを大過剰に投入してDNAと結合させます(図86-3)。プライマーとは鎖長が短い相補性DNAです(赤線 図86-3)。一重鎖DNAが元の相方を見つけて二重鎖に戻らないうちに、プライマーが先に結合する条件をみつけることがポイントです。

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図86-3 プライマーを目的のDNAと結合させる

 次に72℃に温度を上げて高分子DNAのアニーリングを阻止しながら、DNAポリメラーゼと基質を投入してDNA合成を行わせます(図86-4)。この温度でDNA合成を行わせるには、後述のTaqポリメラーゼという特殊な耐熱性のDNAポリメラーゼが必要です。

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図86-4 高温でのDNA合成

 もともと生物が出現しはじめた頃の地球は高温で、当然その頃の細菌・古細菌は好熱性だったわけです(8)。そして現在でも一部の真正細菌や多くの古細菌は温泉などの高温環境で生活しています。しかしはるか昔の地質時代とはことなり、現在は芽胞という熱に強い特殊な仮死状態で生きている生物も多く、そのような生物では酵素がすべて耐熱性とは限りません。トーマス・ブロックとハドソン・フリーズ(図86-5)はそんななかから、Thermus aquaticus という至適増殖温度が70℃~72℃の真正細菌を分離しました(9)。これは当時としては驚異的な高温で生育する生物でした。しかもこの温度はPCR法を実行する上で都合の良い温度でした。
 アリス・チエン(図86-5、現アリス・チエン・チャン)は Thermus aquaticus からDNAポリメラーゼを抽出・精製し、これは後に学名の頭文字から Taqポリメラーゼと名付けられました(10)。ブロック、フリーズ、チエンらはこんな面白いめずらしいものがあるよというような感覚で研究していたと思いますが、これが20世紀でも指折りのイノベーションになるとは、全く予想していなかったでしょう。科学の進展はしばしば思わぬところからもやってくるというのは繰り返し述べているところです。

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図86-5 Taqポリメラーゼの発見と実用化に貢献した研究者達

 通常のDNAポリメラーゼを使ってPCR法をやろうとすると、37℃でDNA合成を行わなければならず、この間にもとの巨大分子であるDNAのアニーリングがおこるために効率が下がり、さらにまずいことに94℃に温度をあげるとDNAポリメラーゼは失活します。そうすると1サイクルごとに酵素を新たに添加することが必要で、かつだんだん効率が悪くなるわけです。こんなところが誰もPCRなどということを考えなかった理由なのでしょう。
 しかしTaqポリメラーゼを使うと状況は一変します。72℃で絶好調、94℃でも失活しないので酵素の添加は不要ですし、72℃の反応では長鎖DNAのアニーリングはおこらないので、効率も落ちません。つまり温度をたとえば 96℃→56℃→72℃→96℃→56℃→72℃→ というように繰り返し変化させるだけで、魔法のようにDNAが増幅されていきます(11)。このようなことを考えると、Taqポリメラーゼの発見を差し置いて、マリスが単独でノーベル賞を受賞したことには疑問が感じられます。
 図86-6をみていただくと2サイクル目で、目的のDNAが1本鎖だけですが(緑)生成されていることがわかります。図86-7の3サイクル目では8本生成される二重鎖DNAのうち、2本が目的DNAの二重鎖です(緑・緑)。いったん二重鎖目的DNAが生成されると次のサイクルではその二重鎖DNA(緑・緑)が複製されます。こうして4サイクル目には16本生成される二重鎖DNAのうち8本が目的の二重鎖DNAとなり、サイクルが進むにつれて目的DNAの純度は上がって、最終的にはそれ以外のDNAは無視できるくらいの割合になります。
 図86-6、図86-7をじっくりとよく眺めてください。最初は様々なDNAが合成されますが、同じことを繰り返しているうちに目的のDNA(緑)=黒の元DNAを複製したもの、が自動的にメインになっていく。そう、まるで魔法のようなギミックに茫然とします。このプロセスを続けていくと、最終的にはほとんどが緑:緑の二重鎖DNAとなり、これが目的のPCR産物です。

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図86-6 PCR法によるDNAの複製I サイクル1とサイクル2

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図86-7 PCR法によるDNAの複製II サイクル3

 先輩からはこのPCRの作業をやるために、何時間トイレを我慢したというような話を聞かされました。3つのウォーターバスを用意して、それぞれ96℃、56℃、72℃に設定し、やることと言えば、時間が来ると試験管をあっちからこっちのバス移動させるだけの作業を延々と繰り返すだけなのです。お疲れ様。
 しかし当然2~3年もすれば自動的に移動させる装置が発売され(図86-8A)、さらに同じ試験管の液体を極めて短い時間で温度変化させる新機軸の開発もあって、やがて水槽は不要となり、極めて小型の装置で作業を行えるようになりました(図86-8B)。現在では生成したDNAをモニターできるような光学系を装備したリアルタイムPCR装置が主流となっています(図86-8C)。
 PCRが普及することによって、バイオテクノロジーの研究室や工場のみならず、科学捜査や感染微生物の同定など社会の様々な場面で、この技術が利用されるようになりました。本物のジュラシック・パークも開園できるかもしれません。

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図86-8 PCR装置

 ひとつ気をつけなければならないのは、もとのサンプルに微量の目的とは異なるDNAが混在していた場合、それも増幅されてしまうということです。生成物を電気泳動法などで解析すれば、何種類のDNAが生成されたかわかります。エラーで実験失敗程度なら笑えますが、科学捜査の失敗や、思わぬ病原遺伝子の増幅などということがおこればしゃれになりません。

 

参照

1)2級ボイラー技士の合格率と資格取得後のキャリアアップ
https://www.sat-co.info/boiler-engineer
2)オートクレーヴ
http://www.zetadental.jp/category-1888-b0-%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%88%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%96.html?_ad=1&gclid=EAIaIQobChMIx5K-37OK1gIVywcqCh11wg9bEAAYASAAEgKsi_D_BwE
3)野島博著 「分子生物学の軌跡」 化学同人 (2007)
4)Ma Hongbao, Development Application of Polymerase Chain Reaction (PCR), The Journal of American Science vol. 1, no. 3, pp.1-47 (2005)
5)Randall K. Saiki, Stephen Scharf, Fred Faloona, Kary B. Mullis, Glenn T. Horn, Henry A. Erlich, Norman Arnheim. "Enzymatic Amplification of β-globin Genomic Sequences and Restriction Site Analysis for Diagnosis of Sickle Cell Anemia" Science vol. 230 pp. 1350-1354 (1985).
http://www.sciencemag.org/site/feature/data/genomes/230-4732-1350.pdf
6)SJ Scharf, GT Horn, HA Erlich "Direct Cloning and Sequence Analysis of Enzymatically Amplified Genomic Sequences" Science vol. 233, pp.1076-1078 (1986).
7)Mullis KB and Faloona FA  "Specific Synthesis of DNA in vitro via a Polymerase-Catalyzed Chain Reaction."  Methods in Enzymology vol. 155(F) pp. 335-350 (1987).
8)https://morph.way-nifty.com/lecture/2016/09/post-1be1.html
9)Brock, Thomas D.; Hudson Freeze (August 1969). "Thermus aquaticus gen. n. and sp. n., a nonsporulating extreme thermophile". Journal of Bacteriology. American Society for Microbiology. 98 (1): 289–297. PMC 249935 Freely accessible. PMID 5781580.
10)A Chien, D B Edgar, and J M Trela., Deoxyribonucleic acid polymerase from the extreme thermophile Thermus aquaticus. J Bacteriol. 1976 Sep; 127(3): 1550–1557.
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC232952/
11)RK Saiki, DH Gelfand, S Stoffel, SJ Scharf, R Higuchi, GT Horn, KB Mullis, HA Erlich.,  Primer-directed enzymatic amplification of DNA with a thermostable DNA polymerase.,  Science  29 Jan 1988: Vol. 239, Issue 4839, pp. 487-491DOI: 10.1126/science.2448875

 

 

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85.ベクター

 ベクターというのはラテン語で運搬者という意味だそうです。分子生物学では主に遺伝子の運搬者という意味で使います。これまでの話で明らかなように、制限酵素で切断したDNAは断点の周辺に相補的な構造ができるので、別々のソースから得た2本鎖DNAを同じ制限酵素で切った場合に、別々のDNAであっても自在に接続できることがわかりました。ここですぐに思いつくのは遺伝子を細胞に導入したいということです。それによって人工的な「進化」が可能になります。ところがDNAは簡単には細胞に入り込めません。これは当たり前で、DNAがどんどん細胞に入ってくれば、ウィルス感染の危機はもちろん、様々なタンパク質が野放図に合成される可能性があり、代謝のバランスが崩壊して生命を維持することができなくなると思われますし、例え崩壊しなくても種という概念が成立せず、生物のあり方が地球上の生物とは全く異なることになるからです。
 しかし、ひとつの遺伝子を細胞に導入するということは、未知遺伝子の機能をさぐるのはもちろん、「ある遺伝子を欠損した細胞に、もとのあるべき遺伝子を導入すると失われた機能が回復する」ということがわかれば、その遺伝子の機能を確認できるという目的も果たせますし、生物に新しい機能を付加するとか、細菌に有用なタンパク質を合成させるとか、遺伝子治療を行なうとかの野心的な目標も当然めざしたいわけです。
 そこでスタンレー・コーエン、ポール・バーグ、ハーバート・ボイヤーらが目を付けたのがプラスミドというDNAです(図85-1)。これは生物が本来持っているゲノム以外に、独立に増殖する機能を持って住み着いているDNAで、原核生物には一般的に存在するものですが、酵母にも存在することが知られています。プラスミドは宿を借りているといっても、寄生虫のようなわるさはしませんし、むしろホストにとって有用な役割を果たしています。ですからホストによってそのDNAはメチル化されて保護されており、ファージのように分解されることがありません。この意味では真核生物における共生に近い関係だと思われます。

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図85-1 プラスミドとは  F因子は♂の細胞質にあり、F繊毛を作って♀をトラップし、♀にコピーを送り込んで♂化することができる
(♂♀は便宜的な用語)

 例えばコリシンというプラスミドはホストには無害で他の細菌を殺す物質の遺伝子ですし、R因子プラスミドは薬剤抵抗性をホストに付与します。F因子プラスミドはF繊毛を作り出す遺伝子を持っており、F繊毛でF因子をもたない細菌をひきよせて接合状態をつくり、複製したF因子や他のプラスミドを送り込むことができます(図85-1)。F因子が細菌本体のゲノムに組み込まれるとゲノム自体が他の細胞に送り込まれることもあるので、これが細菌の有性生殖だとも言えますが、これは性をどのように定義するかによって考え方が変わります(1)。
 ベクターに送り込みたい遺伝子を含むDNAを、その遺伝子の両側で制限酵素 EcoRI を使って切断すると、図85-2のように AATT---TTAA フラグメントができます。同じ酵素でベクターとして用いるプラスミドを切断して---TTAA  AATT---という断端を作成すれば、そこにアニーリングによってフラグメントを挿入することができます。

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図85-2 組み替え型プラスミドの作成

 アニーリングというのは、もともと二重鎖を構成していたDNAが100°Cで変性して一重鎖になったとしても、60°Cくらいの温度を保つことによって、相補的な配列が水素結合をつくってもとの二重鎖にもどるという現象です。相補的付着末端一本鎖を持つ二本鎖DNA同士も、条件を最適化すれば同じメカニズムで付着末端同士で結合して、結果的に環状DNAをつくり、最後にDNAリガーゼで3’OHと5’Pをつないであげると、切れ目のない新しい環状二重鎖DNAを形成することができます(図85-2)。
 この方法で、遺伝子をプラスミドに組み込むことができます。プラスミドは独自に複製を行うための複製開始点領域を持っていますが、それ以外に抗生物質耐性のゲノムを持たせておきます。こうするとプラスミドを増やしたときにその抗生物質の存在下で細菌を培養すると、抗生物質耐性の遺伝子を持つプラスミドを取り込んだ細菌だけが抗生物質の影響を受けずに増殖するので、プラスミドを取り込んだ細菌を見つけやすくなります。図85-2ではテトラサイクリン耐性のプラスミドが用いられています。
 初期の組み換え実験に頻繁に用いられたベクターは、図85-3のようなものです。pBR322と名付けられましたが、pはプラスミド、BRは写真のボイヤーの研究室で働いていたポストドクの Bolivar と Rodriguez の頭文字をとったものです。さまざまな制限酵素でそれぞれ1ヶ所で切断されるように設計されています。抗生物質耐性領域に断点があると、そこが切断された場合耐性が失われるので、2ヶ所に抗生物質耐性領域があります。図85-3の場合アンピシリン(amp)とテトラサイクリン(tet)に耐性の領域左右にがあります。Eco RI または Nde I を用いた場合には、断点がこれらの領域の外なので、両方の抗生物質耐性領域が分断されることなく生きていることになります。

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図85-3 ベクターpBR322

 遺伝子操作においては、しばしばDNAリガーゼという言葉が登場します。この酵素については私も何度か取り上げていますが(4-5)、基本的に図85-4Aの様に付着末端同士がくっついた状態で、最終的に3’OHと5’Pを結合させて断点のないDNAを完成させる役割をもっています。図85-4Bのような平滑末端同士を結合させるのは苦手です。ところがヴィットリオ・スガラメッラ(6、図85-4)らは、T4ファージのDNAリガーゼはある条件で平滑末端を結合させることを発見したのです(7、図85-4B)。

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図85-4 T4 DNAリガーゼ

 細胞内では、しばしばDNAの損傷や修復、ウィルスによるDNA合成などに伴って、不要なDNA断片が発生します。これらはすみやかにDNA分解酵素で分解してしまわなければいけません。このような浮遊するジャンクDNAを、非特異的に結合して巨大DNAにしてしまうような酵素はあってはならないものです。実際に細菌や真核生物はこのような酵素を保持しませんが、ファージの中になぜかこのような酵素を持つ者がいたわけです。平滑末端同士を結合できる酵素がみつかったことは、遺伝子組み換えの作業には福音でした。

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図85-5 リンカーを用いた組み換えDNAの作成

 例えば図85-5のように Eco RI による切断部位を1ヶ所持つ短い鎖長のリンカーDNA(青灰色)を作成しておき、この断片を研究したいDNA(黄緑色)の両端に前述のT4リガーゼで接続して、その後 Eco RI で切断し、同様に Eco RI で切断したベクターとくっつけると組み換えDNAが完成します(図85-5)。こうして作成された環状組み換えDNAは、基本的にプラスミドと同じなので、大腸菌に挿入して大腸菌を培養すると、自然にベクターも倍々ゲームで増殖し、したがって目的のDNAを爆発的に増やすことができます。
 もうひとつ、奇妙な酵素について言及しなければなりません。それはターミナルヌクレオチジルトランスフェラーゼ(terminal deoxynucleotidyl transferase)という酵素で、名前が長いのでよく TdT という略称が使われます。この酵素は鋳型(テンプレート)非依存的にDNAを3’OHから延長するというユニークな機能を持っています。図85-6に示したように、1本鎖または2本鎖でも3’OHが突出したDNAを延長するのが得意ですが(活性大 図85-6)、平滑末端を持つ2本鎖の末端3’OHからの延長も可能です(活性中)。5’Pが突出した2本鎖DNAの3’OHから延長するのは得意ではありませんが、不可能ではないようです(活性小)。
 この酵素はAGCTをランダムに付加していくので、DNAを合成することはできても複製することはできません。しかし実験室では基質としてdATPだけを与えることもできるので、こうするとTdTはAAAAAnのように、DNAの末端にホモポリマーを付加していくような形での反応を行わせることができます(図85-6)。そもそもなぜこんな奇妙な酵素が存在するのかということですが、哺乳類では抗体やT細胞抗原受容体の多様性を確保するために重要な役割を果たしているようです(8)。DNA合成酵素とは本来DNAの複製や修復に使われるはずだったのですが、本来の役割とは全く異なる用途に用いられる・・・・・まさしく進化は「ケガの功名」を積み上げたものであることを教えてくれる酵素です。

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図85-6 TdT(ターミナルデオキシヌクレオチジルトランスフェラーゼ)

 ポリAとポリTなど相補的ホモポリマーの親和性は高いので、これを利用して図85-7のように組み換えDNAをつくることができます。両端が平滑のDNAにまずポリAを結合させ、ベクターにはポリTを結合させてアニールすると、組み換えDNAが作成できます。ただAおよびTの数は同じにできないので、あとで調整が必要になります。予め塩基数が決まったホモポリマーを用意して、T4リガーゼで結合しても同様な実験ができます。制限酵素による切断部位からポリAとポリTを延ばすようにすれば、あとで制限酵素によって目的部位を切り出すこともできます。

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図85-7 TdTを用いた組み替えDNAの作成

 ここまで述べてきた組み換えDNA作成技術の前提となる大腸菌にファージやプラスミドを導入する技術は、1970年にハワイ大学のモートン・マンデルと比嘉昭子によって開発されました。彼らは制限能(免疫能)のない大腸菌を、低温下で塩化カルシウム処理すると、外界のDNA断片を菌体内に取り込ませることができることを証明しました(9-10、図8)。
 外界DNAを取り込めるようになった細胞をコンピテントセルといいます。コンピテントセルに組み換え型プラスミドを取り込ませ培養すれば増殖させることができます。取り込まなかった細胞を排除するには、たとえばアンピシリン耐性の遺伝子を持つプラスミドを取り込ませた場合、アンピシリンを培地に入れるとプラスミドを取り込まなかった細胞は死滅するので、取り込んだ細胞を選択することができます。
 モートン・マンデルと比嘉昭子の写真は、ウェブサイトを探しましたが、残念ながらみつかりませんでした。彼らが先鞭を付けたトランスフェクション(遺伝子導入)の技術は現在にもひきつがれ、さらに哺乳動物細胞や個体への遺伝子導入の方法が盛んに研究されています。

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図85-8 形質転換(DNAを細胞にとりこませる技術)

 プラスミドを使わず、バクテリオファージやウィルスを用いた遺伝子導入の手法があります(11)。ラムダファージが最も有名です。ラムダファージのDNAはファージの殻の中では線状なのですが、両端にCOSという相補的な部位があり、大腸菌に感染すると環状化します(図85-9)。このDNAをベクター(コスミドベクター)として使いやすいように改変して使用します。
 プラスミドと比べてファージ(ウィルス)ペクターの欠点は、ファージ(ウィルス)の殻の中は狭いので、長いDNAを組み込むとはいりきらなくなることです。このため増殖に必要がないファージの遺伝子の一部を切り取って短いベクターをつくり、ある程度長めの遺伝子でも組み込めるようにします(図85-9)。ファージ(ウィルス)ベクターの利点は、トランスフェクションで苦労しなくても自動的にホストの細胞に侵入してくれることです。
 哺乳動物細胞への遺伝子導入については、未知遺伝子なら導入した遺伝子を発現させて機能を研究する、遺伝子発現を制御する機構について研究する、実験動物に変異遺伝子を発現させて遺伝病を発症させる、遺伝病の動物に正常遺伝子などを移入して治療するなどの研究が行われています。
 遺伝子導入の方法はいろいろあって、タカラバイオのサイトから図85-10にコピペしておきます(12)。いろいろあるといっても、それは試験管の中での実験についての話であって、患者の遺伝子治療に使えそうなのは、今のところウィルスベクターを使う方法しかありません。

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図85-9 ラムダファージベクターを用いた細菌細胞への遺伝子導入

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図85-10 哺乳類細胞への遺伝子導入

 ウィルスの場合、ウィルスの中に目的の遺伝子を入れさえすれば感染によって自動的に細胞にはいるので、遺伝子移入は容易なのですが、問題は安全性です。ウィルスもどきが体内で増殖したり、炎症を引き起こしたり、遺伝子発現に影響を与えて病気になるのではお話になりません。実際1990年代にはすぐにでも臨床に使えるような雰囲気でしたが、どうなったかというと、1999年にペンシルベニア大学で治療中の患者で、注入したアデノウィルスベクターによって全身性の炎症反応がおきて、患者が死亡するという事故が発生し(ゲルジンジャー事件)、さらに2002年にはフランスで2名の患者が白血病を発症するなどの問題がおきて(13)、一気に研究は停滞しました。フランスの事故の場合、レトロウィルスベクターが癌遺伝子の上流に導入されたために、癌遺伝子が活性化して発病したようです(14)。医師・研究者が前のめりになりすぎた結果だと思います。 とはいえ、最近再び遺伝子治療(疾病の治療を目的として遺伝子または遺伝子を導入した細胞を人の体内に投与すること)の機運が盛り上がっています。まあ過大な期待はしないで研究の進展を見守りましょう(15-16)。

 

参考

1)プラスミドってなに? 
http://www.seibutsushi.net/blog/2008/07/513.html
2)Bolivar F, Rodriguez RL, Betlach MC, Boyer HW (1977). "Construction and characterization of new cloning vehicles. I. Ampicillin-resistant derivatives of the plasmid pMB9". Gene. 2 (2): 75–93. PMID 344136. doi:10.1016/0378-1119(77)90074-9.
3)Bolivar F, Rodriguez RL, Greene PJ, Betlach MC, Heyneker HL, Boyer HW, Crosa JH, Falkow S (1977). "Construction and characterization of new cloning vehicles. II. A multipurpose cloning system". Gene. 2 (2): 95–113. PMID 344137. doi:10.1016/0378-1119(77)90000-2.
4)ワイス博士の不遇 
http://app.cocolog-nifty.com/t/app/weblog/post?__mode=edit_entry&id=17207703&blog_id=203765
5)岡崎フラグメント
http://app.cocolog-nifty.com/t/app/weblog/post?__mode=edit_entry&id=86368774&blog_id=203765
6)Vittorio Sgaramella
http://www.scienzainrete.it/documenti/autori/vittorio-sgaramella
7)Sgaramella V, Van de Sande JH, Khorana HG., Studies on polynucleotides, C. A novel joining reaction catalyzed by the T4-polynucleotide ligase. Proc Natl Acad Sci U S A. 1970 Nov;67(3):1468-75. (1970)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/5274471
8)Edward A. Motea and Anthony J. Berdis, Terminal Deoxynucleotidyl Transferase: The Story of a Misguided DNA Polymerase.,  Biochim Biophys Acta. vol.1804(5):  pp. 1151–1166. (2010)  doi:  10.1016/j.bbapap.2009.06.030
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC2846215/
9)Mandel, M. and Higa, A. (1970). “Calcium-dependent bacteriophage DNA infection”. Journal of Molecular Biology 53 (1): 159-162. PMID 4922220.
http://www.sciencedirect.com/science/article/pii/0022283670900513
10)Akiko Higa,  Morton Mandel, Factors Influencing Competence of Escherichia coli for Lambda-Phage Deoxyribonucleic Acid Infection., Japanese Journal of Microbiology, Vol. 16, No. 4,  pp. 251-257 (1972)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/mandi1957/16/4/16_4_251/_article/-char/ja/
11)R. W. オールド、S.B. プリムローズ著 「遺伝子操作の原理」第5版 倍風館 (2000)
12)タカラバイオ 遺伝子導入実験ハンドブック
http://catalog.takara-bio.co.jp/PDFS/transgenesis_experiment.pdf
13)小澤敬也 遺伝子治療テクノロジーの開発とその応用 ウィルス vol.54, no.1, pp. 49-57 (2004)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsv/54/1/54_1_49/_pdf
14)島田隆 日本の遺伝子治療の課題 (2013)
http://www.mhlw.go.jp/file.jsp?id=146735&name=2r98520000033pt6.pdf
15)市場調査レポート 2017年版 遺伝子治療薬の将来展望 Seed Planning
http://store.seedplanning.co.jp/item/9516.html
16)CAR-T療法 リンパ球バンク株式会社 (2016)
https://www.lymphocyte-bank.co.jp/blog/medicine/%EF%BD%83%EF%BD%81%EF%BD%92%EF%BC%8D%EF%BD%94%E7%99%82%E6%B3%95/

 

 

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2020年1月24日 (金)

84.DNA塩基配列の解読

 フレデリック・サンガーという人(図84-1)の偉大さは驚異的です。なにしろ生物の主成分である核酸とタンパク質の構成単位(ヌクレオチドとアミノ酸)がどのように配列しているか解析する方法を、両方とも開発したわけですから。彼はまずタンパク質を構成するアミノ酸の配列を解析する手法を開発し、1953年にインシュリンの全一次構造を明らかにして、1958年度のノーベル化学賞を受賞しています。
 さらに彼の研究グループは、1977年にジデオキシ法によるDNAの塩基配列解析に成功し(1)、この業績によってサンガーは1980年に2度目のノーベル化学賞を受賞しました。同じ分野のノーベル賞を2回受賞した人は彼以外にはジョン・バーディーン(トランジスタの発明と超伝導理論で2回物理学賞を受賞)しかいませんし、他にノーベル賞を2回受賞した人はマリ・キュリー(物理学賞と化学賞)とライナス・ポーリング(化学賞と平和賞)のみです。
 本当は彼はRNAの塩基配列解読も1番乗りしたかったと思いますが、これはロバート・ホリ-に先を越されてしまいました(2)。サンガーにとっては、大変残念なことだったと思います。

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図84-1 フレデリック・サンガー

 ジデオキシ法のミソは、通常デオキシリボース5員環の2の位置はHで、3の位置はOHのデオキシヌクレオチジル3リン酸(dNTP)ですが、その3の位置のOHをHに置換したジデオキシヌクレオチジル3リン酸(ddNTP、図84-2)を、DNA合成の基質に紛れ込ませることにあります。これまでにも何度も述べているように3の位置にOHがないと、DNAポリメラーゼは鎖を延長できません。したがって運悪くddNTPを取り込んだ場合、DNA合成はそこで停止します。このことを利用してサンガーは巧妙なDNA塩基配列解析法を開発しました。

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図84-2 ddNTP(ジデオキシまたはダイデオキシNTP)

 ここでdATPにddATP(dideoxy ATP)を紛れ込ませたとしましょう。他の3種のデオキシヌクレオチドdTTP、dGTP、dCTPは純粋品でdd型を含みません。そうするとdATPのかわりに、運悪くddATPを取り込んだ場合にだけDNA合成が停止します。従って停止した位置の対面にある鋳型の塩基はTということになります。図84-3の場合、3、9、15番目の位置で停止するのでその位置の鋳型DNAの塩基がTであることがわかります。反応を途中で停止した3種の短いDNA(左端が3’H)は、電気泳動法などによってサイズで識別します。

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図84-3 ジデオキシ法によるDNA塩基配列の決定

 新生DNAのサイズを識別するには、鋳型DNAと新生DNAを分離しなければなりません。これにはいくつか方法がありますが、図84-4のように尿素などを添加して2本鎖のDNAを結びつけている水素結合を引きはがすのが一般的な方法です。尿素は塩基と塩基同士より強力な水素結合をつくることによって、塩基同士の水素結合形成を妨害します(図84-4)。

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図84-4 二重鎖DNAは尿素の存在によって一重鎖に分離する

 高濃度の尿素の存在下で図5のように通電して、DNA断片をポリアクリルアミドゲルの中に誘導すると、ポリアクリルアミドの架橋した立体構造の中で動きにくい高分子のDNA断片は遅く、動きやすい低分子の断片は早く移動し、図3の右図のように分離することができ、かつレファレンスと同時に泳動することによって分子量(鎖長)も決定できます(3-4)。DNAは酸性(マイナスチャージ)なので、電流とは逆方向に移動することになります。

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図84-5 ポリアクリルアミドゲル電気泳動法によるDNA断片の長さによる分離

 塩基配列決定を効率的に行うための技術開発は現在に至るまで活発に行われていますが、そのきっかけになったのはジデオキシヌクレオチドを蛍光物質で標識しておくという技術です。この技術を開発したのは誰なのかということに興味を持って少し調べましたが、ちょっと複雑な経緯があるので最後に述べます。実際にはサーモフィッシャーという会社で売っている Big Dye(5)などを使ってシーケンシングは実行されています。
 4種のddNTPをそれぞれ別の蛍光色素で標識しておくと、同時にひとつの試験管で反応させても、色つきの生成物を分析すれば一挙に塩基配列が可能となります。さらに図84-6のようなオートメーションを使えば、簡単に塩基配列のチャートが入手できます。

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図84-6 DNA塩基配列決定の自動化

 サンガー法ではDNAポリメラーゼという酵素を使うので、それなりの不安定性やエラーがあります。マクサム・ギルバート法では化学的に特定の塩基の部分でDNAを切断します(図84-7)。できた断片を長さによって分離するのはジデオキシ法と変わりません。この方法は安定性は高いのですが、試薬の特異性に問題があり、かつ使用する試薬はすべてDNAを切断する作用を持つ危険な化合物なので、現在ではほとんど使用されていません。

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図84-7 マクサム・ギルバート法によるDNA塩基配列の決定

 しかしこの方法を開発したウォルター・ギルバートは、フレデリック・サンガーと共に1980にノーベル化学賞を受賞しています。テクノロジーで授賞すると、それより便利なテクノロジーが出現した途端に使われなくなり忘れ去られるというリスクがありますが、ギルバートの場合もそれに近いような状況です。アラン・マクサムに至っては写真もみつかりませんでした。
 ジア・グオはジデオキシ法をさらに発展させました。彼はddNTPにとりはずしのできる蛍光色素を結合させ、さらに3’OHも付け外しができるようなシステムを開発しました(6、図84-8)。反応開始後最初に結合したddNTPを同定し、色を確認してから蛍光色素をとりはずして、さらに3’Hを3’OHにして次の反応を行うというプロセスを繰り返すことによって、理論的には無限の長さのDNAシーケンシングをオートメーションで行うことが可能となりました。

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図84-8 ジア・グオによる改良法

 もうすこし具体的に書けば

1)DNAの断片を作成し、断片末端にアダプターを結合させる。
2)PCR法(後のセクションで述べる予定)で大量にDNA断片を複製したのち精製する。
3)DNA断片のアダプターを相補的配列を持つオリゴDNAで捕捉し、捕捉したDNAを増幅してクローンを作成する。
4)可変型蛍光標識ターミネータ(それぞれddNTPに代替する)4種を入れてフローセルでDNA合成を行わせる。
5)フローセル内でDNAクローンにとりこまれた最初のターミネータを蛍光励起法で同定する。
6)いったんDNA断片端の蛍光をはずし、3’OHを付けてDNA鎖を伸長させる。
7)4、5、6のステップを n回繰り返して、長さ n の断片のシーケンシングを実行する。
8)数百万個の断片を大量並列的に解析するので、高速でシーケンシングすることが可能になった。
9)各断片の塩基配列を、コンピュータを用いてアラインメント(図84-9、後述)を行い、断片化する前の全DNAの配列を決定する。
10)DNAライブラリーごとに、別のアダプターを結合させておけば、3のステップでクローンごとにどのライブラリーのDNAか識別できるので、一気に複数のライブラリーのDNAを解析することが可能です。

 ここでアラインメントという言葉が出てきましたが、これはDNAシーケンシングで得られたDNA断片のデータをもとに、より長いDNAの塩基配列を決めるプロセスのことで、図84-9で説明しますと、5つのDNA断片セットをそれぞれサンガー法で解析して、より長い青色のDNAの全塩基配列が明らかになって、それをコンティグ1としますと、同様にコンティグ5までのデータを得て、それぞれの末端の配列を比較することによって各コンティグの並び方を決め、さらに長いDNAの配列を確定します。このような作業をアラインメントといいます。

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図84-9 DNA塩基配列のアラインメント

 シーケンシングの技術は日進月歩で、イルミナ社の「次世代シーケンステクノロジーのご紹介」というパンフレットをみると、図84-10のような進歩の歴史が書いてありました(7)。

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図84-10 DNA塩基配列決定に要するコストの変遷

 新しい情報はオミックスクラブ(8)などで知ることができます。私が少し興味をひかれたのは、電子顕微鏡を用いたDNAシーケンシングで、この場合dNTPは重金属でラベルしておき、1本鎖DNAを視野にきれいに並べて、視野の広さ分の塩基配列を一気に読み取るというやり方です(9)。しかしサンプルを重ならないようきれいに並べるというのは、電子顕微鏡レベルでは非常に難しい技術で、成功寸前まで行きながら資金ショートで倒産した会社もあるようです。
 ところでddNTPに4種の蛍光物質を結合させてシーケンシングを効率的に行うというアイデアはもともと伏見譲のアイデアで、1982年10月の第20回日本生物物理学会で発表されたそうです(10)。1983年に研究を実際に担当していた土屋政幸は修士論文を発表しました(10)。当然ネイチャーかサイエンスに発表すべき研究結果でしたが、伏見は十分な自信を持てないという理由でそれをしませんでした。それでも1983年に特許は申請しました。ところが1984年になって、当時の科学技術庁が「国から研究資金をもらっておいて、特許はないんじゃないですか」という横やりが入って、伏見は特許申請を取り下げるという、現在からみると驚くべき経緯があって、結局カリフォルニア工科大学のグループ(Mike Hunkapiller, Tim Hunkapillar, and Applied Biosystems)が1984年に申請した特許が結局最終的に有効となって、伏見は完敗となりました(11)。
 この話はこれで終わりではなく、このアイデアは Hunkapillar 兄弟のものではなく自分のものだという同じ研究室にいた人物が現れたのです。それは Henry Huang という人で、裁判をおこしましたが敗北しました(11)。そういうわけで、4種の蛍光物質でddNTPをラベルしてシーケンシングするというアイデアは誰のものなのかは霧の中で、特許だけが厳然と残るという結果になりました。
 私は基礎研究に多額の公的資金が投入されているのは事実なので、当時の科学技術庁の横やりはもっともだと思います。特許争いに大きなエネルギーをそそぐくらいなら、さっさと公表して誰でも使えるようにしたほうがよいと思いますし、国際社会が基礎科学の分野については特許至上主義から抜け出すべきだとも思います。研究者は研究資金とポストで処遇されるべきでしょう。
 これに対する反論は、研究者といえども前に特許というニンジンをつるしたほうが、一生懸命走るという考え方に基づいています。それはそうかもしれませんが、上記の理由の他、特許獲得には研究と同様大きなエネルギ-が必要ですし、ダークな側面がつきまとうということも事実です。

 

参照

1)F. Sanger, S. Nicklen, and A. R. Coulson, DNA sequencing with chain-terminating inhibitors., Proc. Nati. Acad. Sci. USAVol.74, No.12, pp.5463-5467,(1977)
http://www.pnas.org/content/74/12/5463.full.pdf
2)Holley, R. W.; Apgar, J.; Everett, G. A.; Madison, J. T.; Marquisee, M.; Merrill, S. H.; Penswick, J. R.; Zamir, A. (1965). "Structure of a Ribonucleic Acid". Science. 147 (3664): 1462–1465. Bibcode:1965Sci...147.1462H. doi:10.1126/science.147.3664.1462. PMID 1426376
3)Heike Summer, René Grämer, and Peter Dröge, Denaturing Urea Polyacrylamide Gel Electrophoresis (Urea PAGE).,  J Vis Exp.,  vol. 32., p. 1485. (2009)
doi:  10.3791/1485
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC3329804/
4)Denaturing Polyacrylamide/Urea Gel Electrophoresis
https://tools.thermofisher.com/content/sfs/manuals/MAN0011970_Denaturing_PolyacrylamideUrea_Gel_Electrophoresis_UG.pdf
5)ThermoFisher  https://www.thermofisher.com/order/catalog/product/4337455
6)Jia Guo et al, Four-color DNA sequencing with 3′-O-modified nucleotide reversible terminators and chemically cleavable fluorescent dideoxynucleotides, Proc. Natl. Acad. Sci. USA,  vol. 105 (27), pp.9145-9150 (2008)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/18591653
7)jp.illumina.com/technology/next-generation-sequencing.html
8)http://omics-club.blogspot.jp/
9)http://omics-club.blogspot.jp/2013/08/20130820.html
10)岸宣仁著 「ゲノム敗北 知財立国日本が危ない!」ダイヤモンド社(2004) URLが非常に長いですが、あえて掲載しました
https://books.google.co.jp/books?id=IVRKAAAAQBAJ&pg=PT36&lpg=PT36&dq=%E3%83%9E%E3%82%AF%E3%82%B5%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%88%E6%B3%95&source=bl&ots=c7UnsDbmjl&sig=3ssOCV3KUo0X6Hk0RbxgfyWqNdY&hl=ja&sa=X&ved=0ahUKEwjWkbvHtezVAhXKp5QKHXrIBc04ChDoAQhIMAc#v=onepage&q=%E3%83%9E%E3%82%AF%E3%82%B5%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%88%E6%B3%95&f=false
11)https://plaza.rakuten.co.jp/cozycoach/diary/200412260000/

 

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83.制限酵素

 細菌にとって最大の天敵はバクテリオファージ(ウィルス)です。この寄生体はホスト細菌の細胞壁にとりついて、注射器のようなツールでDNAを注入し、細菌のDNAにまぎれこませたり、あるいは直ちに細菌の中にある栄養物質を使って増殖し、殻もつくってホストを殺して外に出たりするわけです。
 ベルタ-ニとワイグルはファージの細菌感染を研究しているうちに、不思議な現象を発見しました(1、図83-1)。それは、ある系統の大腸菌(図83-1、斜線)で生育させたファージを取り出して、別系統の大腸菌(図83-1、ドット)に感染させると、斜線の大腸菌で生育したファージはドットの大腸菌に対する感染能を失っている場合があるということです(赤で示した!は感染能の喪失を示します)。すなわち大腸菌はP2やλファージの感染性を制御する、あるいは不活化する能力を持っているということを意味します。彼らはこの現象が遺伝子の突然変異によるものではないことを示しましたが、そのメカニズムは解明できませんでした。ヒトはインフルエンザウィルスに感染すると、抗体を作るなど免疫機構を発動して対抗しますが、細菌もなんらかの防御機構を持っているのでしょうか? 他にもこの現象に気がついていた研究者もいましたが、誰もメカニズムを解明できませんでした(2)。

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図83-1 バクテリオファージの感染能力はホストの細菌によって制御される場合がある  この図について本文より詳細な説明をご覧になりたい方は、文献(1)を参照して下さい。

 アルバー(図83-2)はジュネーヴ大学を卒業して、電子顕微鏡のオペレーターの仕事をしていましたが、そこからファージの研究に転身して、λファージを大腸菌に感染させる仕事をしていました。そしてλファージが大腸菌の中で、うまく増殖してくれないことに関心を持って研究を進めるうちに、λファージDNAを放射性のP(32P)でラベルして感染させると、大腸菌のなかでDNAが分解され、32Pは可溶性分画に出てくることがわかりました(3)。大腸菌の免疫機構が発動して、ファージを分解していたのです。

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図83-2 制限酵素の発見者達  ウェルナー・アルバー ハミルトン・スミス ダニエル・ネイサンズ

 1960年代には、この免疫機構にS-アデノシルメチオニンが必要なことや、DNAのメチル化がかかわっていることがわかってきました。すなわち修飾がないとファージと同様にみずからの分解酵素でアタックされるはずの大腸菌DNAの切断部位が、メチル化されることによって切断を免れることが判明しました(4)。ファージのDNAを分解する酵素を制限酵素 (ファージの増殖を制限するという意味 英語では restriction endonuclease) といい、ホストのDNAを保護するDNAメチラーゼとあわせて制限修飾系(R-Mシステム)ともいいます。
 制限酵素を大腸菌から最初に精製したのはメセルソンとユアンでした(5)。この酵素はその後 I 型制限酵素と呼ばれ、DNA鎖上の特異的な塩基配列を認識しますが、DNAを切断する部位は認識部位から400~7000塩基(bp)も離れたところにあるので、遺伝子工学の研究者からは「使えない」酵素として忘れ去られました。大腸菌にしてみれば、自分のゲノムは切断されず、進入してきたファージDNAを切断してくれるわけですから、I 型でも十分用は足りているわけです。
 I 型制限酵素はDNAを切断するRサブユニット2個、DNAをメチル化するMサブユニット2個、DNAの塩基配列を認識するSサブユニット1個の計5つのサブユニットからなり、同じ塩基配列を認識しても、ホストのDNAはメチル化し、ファージのDNAは切断するという複数の役割をひとつの分子が行なうことができます(6、図83-3)。Sサブユニットもふたつのドメインが逆向きに重なったような構造で、2本の αヘリックスからなるバーの両端に塩基配列認識部位があるので、離れた2ヶ所で塩基配列を認識します。非常に高度な機能を持った有能な酵素なのですが、I 型制限酵素は認識した塩基配列から離れた位置でDNAを切断する点、そしてメチラーゼ活性を持っているという点で遺伝子工学のツールとしては不適切でした。

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図83-3 I型制限酵素

 ハミルトン・スミス(図83-2)は大学では数学を専攻していました。その後カリフォルニア大学、ジョンズ・ホプキンス大学と渡り歩いて医師になりました(7-8)。ところが彼はアルバーが制限酵素を発見したことに興味を持ち、ちょうど自分の研究室を持てることになったので、せっかく資格を得た医師の仕事を棄てて研究者になりました。同じ材料で追試するだけではつまらないので、彼はアルバーが使った大腸菌とは異なるインフルエンザ菌(昔この菌がインフルエンザの病原体と考えられていた時期があり、その名残で名前が残っている)の制限酵素を調べてみました(8)。実験材料だけ換えて追試するというのはバカにされがちですが、これも必要な研究ですし、ときには思いがけない重要な発見もあるのです。まさにハミルトン・スミスは彼の最初の学生だったケント・ウィルコックスと共に驚きの実験結果を得ました。
 インフルエンザ菌の制限酵素はなんと認識した塩基配列を、その位置で切断したのです(9、図83-4)。この酵素は現在 HincⅡ(または HindⅡ) とよばれています。図83-4にみられるように HincⅡ は1種類の塩基配列だけ認識するわけではなく、若干の幅があって、4種類の塩基配列を認識し、その中央でDNAを切断します。II 型制限酵素は、I 型のようにATPやS-アデノシルメチオニンを必要とせず、マグネシウムイオンのみを要求する酵素反応を行います。またほとんどはDNAメチラーゼの活性をもっておらず、制限修飾系は別の分子であるDNAメチラーゼと協力して成立します。

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図83-4 II型制限酵素

 ハミルトン・スミスの研究結果は分子生物学の分野で燎原の火のように広がり、われもわれもと新しい制限酵素の発見競争がはじまりました。そのなかのひとりがダニエル・ネイサンズ(図83-2)でした。彼はSV40というヒトやサルに感染するウィルスを研究していましたが、このウィルスのDNAをハミルトン・スミスの酵素で処理すると最大11個の断片に切断することができました(10)。これはDNAの塩基配列の研究に非常に有用であり、かつ塩基配列レベルでの遺伝子地図の作成が可能であることを示唆しました(図83-5)。
 例えば図83-5で、あるDNAを制限酵素「赤」で切断して3つの断片A,B,Cが得られたとします。それだけでは各断片の塩基配列を解析してもABCの順番はわかりません。しかし同じDNAを別の制限酵素「青」で切断して4つの断片が得られ、そのうちひとつの断片の左側(2’)が断片Aの右側(2)と一致し、右側(3’)が断片Bの左側(3)と一致すれば、断片Aは断片Bの左隣であることがわかります。同様に断片B、Cについても調べれば、BがCの左隣であることがわかり、制限酵素「赤」で切断した結果の3断片はABCの順に並んでいることがわかります。

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図83-5 制限酵素を用いた塩基配列レベルでの遺伝子マッピング

 アルバー、スミス、ネイサンズの3人(図83-2)は1978年にノーベル生理学医学賞を受賞しました(11)。その受賞理由は「for the discovery of restriction enzymes and their application to problems of molecular genetics」となっています。生理学医学賞で application to という言葉が使われたのははじめてです。すなわち生理学医学の領域においてもサイエンスのみならず、テクノロジーの分野における貢献もノーベル賞の対象になるということを、彼らは示しました。
 さて、次々とみつかった II 型制限酵素を統一的に命名し整理することが必要になりました。スミスとネイサンズは1978年に命名法の基準を提案しましたが(12)、現在でもほぼ彼らの考え方に沿った形で命名が行われています。

1.当該制限酵素を産生する生物の属名の先頭の1文字、種名の先頭の2文字を記す。例えば大腸菌なら学名は Escherichia Coli ですから Eco、インフルエンザ菌なら Haemophilus influenzae ですから Hin となります。

2.制限酵素の由来がその生物のゲノムではなく、潜在ウィルスやプラスミドに由来する場合はそれらの頭文字(大文字)を記す。例えば EcoR。

3.生物の株によって産生する酵素が異なる場合、株名を記す。例えばHaemophilus influenzae のd 株(小文字)なら Hind となる。

4.同じ株が複数の制限酵素を産生する場合は、それぞれローマ数字をつける。例えばHaemophilus influenzae のd 株は3種の制限酵素を産生するので、それぞれ Hind I, Hind II, Hind III となります。

 制限酵素によるDNA切断の様式を大きく分類すると、図83-6のような3種類になります。平滑末端を作るタイプの制限酵素は、リボンをハサミで切断するように、突出部位の無い平滑な末端(blunt end)をつくります。5’ が突出するタイプの末端をつくる酵素は、DNAの両鎖ともに5’ が突出した末端が形成されます。Hind III の場合TCGAとAGCTという相補的な末端ができるので、これらは再びくっつき易いという特徴をもっています(cohesive end)。また3’-OH があって鋳型もあるわけですから、DNAポリメラーゼのよい標的になります。3’ が突出するタイプの末端を作る酵素は5’突出型と同様な特徴がありますが、DNAポリメラーゼの標的にはなりません(3’-OHはありますが鋳型がありません)(図83-6)。

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図83-6 制限酵素による切断部位の種類  平滑末端 5’突出末端 3’突出末端

 現在4000種類の制限酵素がみつかっており、そのうち600種類は市販されているそうです(13)。
 ところで図83-6の塩基配列をみればわかりますが、制限酵素が認識する部位は塩基配列が回文構造になっています。回文とはアニマルマニアのように前から読んでも後ろから読んでも同じ文のことですが、たとえばHind Ⅲが認識する配列は、AAGCTTであり、これ自体は回文ではありませんが、対面するDNAの塩基配列はTTCGAAであり、180度回転対称となっているので、この意味で回文構造と称しているわけです。
 どうしてこのような構造になったのかの説明ですが、図83-7に示したように、回文配列はDNAの裏から酵素がアプローチしても塩基配列を認識できることから、酵素による認識効率が2倍になるためという説がありますが、どうでしょう? 2倍の効率というのは、この様式が固定されるにはちょっと低すぎると思います。回文配列の部分が特異な構造なので、熱力学的に切断に要する化学エネルギーが少なくて済むからという可能性もあると思います。またII型制限酵素はホモダイマーあるいはテトラマーであり、同時にDNAの表裏を認識していると思われ、このような様式を利用してDNA塩基配列を認識し切断するというやり方が、このシステムができた初期の頃に定まったというのがひとつの理由なのかもしれません(14)。
 II 型制限酵素を使うと、自在にDNAを切断して再連結することができるので、例えば図83-8のように別種のDNA(AとB)をそれぞれHind III で処理し混合すると、それぞれAGCT、TCGAという相補的な突出部位を持っているので、再連結させることができます(アニーリング)。そしてDNAリガーゼで3’OHと5’Pを接続すると、AとBを連結したハイブリッドDNAができあがります(15)。

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図83-7 制限酵素は回文構造を認識してオペレーションを開始する

  これはAという菌とBという別種の菌を融合した新種の菌ABができる可能性を示唆しており、まさしく科学が神(=創造主)の領域にまで進出したということで騒ぎになりました。またこの種の研究がきっかけとなって、日本でも分子生物学会が設立されました(1978年)。しかし誰も科学技術の進歩は止められず、20世紀末にDNAの加工に関連したテクノロジーは大発展をとげることになります。とは言っても、ハミルトン・スミスの論文が出版されてから50年を経過する今日に至っても、疾病原因遺伝子を自在に正常遺伝子に置き換えるというような治療には程遠いというのが現実です。

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図83-8 ハイブリッドDNAの作成

 細菌は I、II 型とは異なるタイプの制限酵素ももっていて、むしろ III 型はより一般的なのかもしれません。III 型制限酵素はメチル化活性を持つ酵素ですが、エンドヌクレアーゼのサブユニットx2+DNAメチラーゼのサブユニットx2で構成されていて、I型のように塩基配列認識のためのサブユニットがないので、それぞれの酵素活性をもつサブユニットが認識していると思われます(16)。
 例えばサルモネラ菌の StyL TI は5’-CAGAG-3’ という塩基配列を認識します。III 型はこの認識部位でDNAを切断するのではなく、25-27bp下流(3’側)で切断します。DNA切断にはマグネシウムイオンとATP、メチル化にはマグネシウムイオンとS-アデノシルメチオニンが必要です。細菌とファージの戦いは熾烈で永遠です。このほかにも IV型、V型などの制限酵素がみつかっているようです(17)。
 ともあれ細菌の免疫機構という地味な研究の中で見つかった制限酵素を使うことによって、分子生物学が飛躍的な進歩をとげたことは奇跡的な幸運としか思えません。まさに目的指向的な研究だけをやっていては開かれない扉があることの証といえるでしょう。

 

参照

1)G. Bertani and J. J. Weigle., HOST CONTROLLED VARIATION IN BACTERIAL VIRUSES, J Bacteriol., vol. 65(2), pp.113-121. (1953)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC169650/
2)Luria SE. Host-induced modifications of viruses, Cold Spring Harb. Symp. Quant. Biol., vol.18, pp.237-244 (1953)
3)Daisy Dussoix,Werner Arber., Host specificity of DNA produced by Escherichia coli: II. Control over acceptance of DNA from infecting phage λ., Journal of Molecular Biology, Vol.5, Issue 1, pp.37-49 (1962)
http://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S002228366280059X?via%3Dihub
4)Werner Arber and Stuart Linn., DNA modification and restriction.,  Annual Review of Biochemistry., Vol.38, pp.467-500 (1969)
5)Matthew Meselson and Robert Yuan., DNA restriction enzyme from E.Coli., Nature 217, 1110-1114 (1968). doi:10.1038/2171110a0
https://www.nature.com/scitable/content/DNA-Restriction-Enzyme-from-E-coli-12388
6)Wil A. M. Loenen, David T. F. Dryden, Elisabeth A. Raleigh and Geoffrey G. Wilson., SURVEY AND SUMMARY  Type I restriction enzymes and their relatives.,  Nucleic Acids Research, Vol. 42, No. 1, pp. 20-44 (2014)
doi:10.1093/nar/gkt847
7)https://en.wikipedia.org/wiki/Hamilton_O._Smith
8)Jane Gitschier, A Half-Century of Inspiration: An Interview with Hamilton Smith. PLoS Genetics vol. 8, pp. 1-5 (2012)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC3257296/pdf/pgen.1002466.pdf
9)Hamilton O. Smith and Kent W. Welcox., A Restriction enzyme from Hemophilus influenzae: I. Purification and general properties., Journal of Molecular Biology
Vol. 51, Issue 2,  pp. 379-391 (1970)
http://www.sciencedirect.com/science/article/pii/002228367090149X?via%3Dihub
10)The Daniel Nathans Papers.  Restriction Enzymes and the "New Genetics," 1970-1980. US National Library of Medicine., NIH
https://profiles.nlm.nih.gov/ps/retrieve/Narrative/PD/p-nid/325
11)The Nobel Prize in Physiology or Medicine 1978
http://www.nobelprize.org/nobel_prizes/medicine/laureates/1978/
12)Smith HO, Nathans D., A suggested nomenclature for bacterial host modification and restriction systems and their enzymes., J Mol Biol.. vol. 81(3), pp. 419-23. (1973)
13)Thermo Fischer Scientific  制限酵素の基礎知識
https://www.thermofisher.com/jp/ja/home/life-science/cloning/cloning-learning-center/invitrogen-school-of-molecular-biology/molecular-cloning/restriction-enzymes/restriction-enzyme-basics.html
14)Pingoud A, Fuxreiter M, Pingoud V, Wende W., Type II restriction endonucleases: structure and mechanism., Cell Mol Life Sci., vol. 62(6), pp. 685-707. (2005)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/15770420
15)R.W.オールド、S.B.プリムローズ 「遺伝子操作の原理」 第5版 関口睦夫監訳 培風館 (2000)
16)Desirazu N. Rao, David T. F. Dryden and Shivakumara Bheemanaik., SURVEY AND SUMMARY Type III restriction-modification enzymes: a historical perspective., Nucleic Acids Research, Vol. 42, No. 1 pp. 45–55 (2014)  doi:10.1093/nar/gkt616
17)Wikipedia: Restriction enzyme,  https://en.wikipedia.org/wiki/Restriction_enzyme

 

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82.染色体 Ⅲ

   減数分裂がおこるときには、体細胞分裂ではおこらない不思議な染色体の行動が観察されます。それは相同染色体を探してペアを形成することです。それぞれの染色体は2nですから、このペアは4nの遺伝情報を持っていることになります(図82-1)。このペアリングのことを日本語では相同染色体対合、英語では homologous chromosome pairing といいます。ペアリングの後2回の細胞分裂が起こって、4個の細胞(遺伝情報はそれぞれn)が生まれ、精子あるいは卵子となります。図82-1はこの1回目の減数分裂と、通常の体細胞分裂を比較して示したものです。減数分裂の最初のステップで、染色体はどうやって相同染色体を探してペアリング(対合)するのでしょうか? 私はこの現象に関連する研究はやったことがありませんが、このことは学生時代からとても不思議で、いつも頭の片隅にひっかかっていました。

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図82-1 体細胞分裂と1回目の減数分裂の比較

 ペアリングがおこると染色分体同士がキアズマを形成して一部の遺伝情報を交換し、いわゆる染色体の組み換えを行うことが容易になるという利点があります(1、図82-2)。ただこのためだけにペアリングが行われるのかどうかはわかりません。その後の減数分裂の進行に必要なのかもしれません。
 減数分裂時の相同染色体ペアリングは、マウス・ショウジョウバエ・酵母・シロイヌナズナ・小麦・コメ・たまねぎなどさまざまな生物で確認されています(3)。不可解なのは、相同染色体のペアリングの前に非特異的な染色体のペアリングがみられることです。Obeso(オベソ)らはこれをペアリングと呼ぶのはおかしいということで、カップリングと呼んでいます(3)。

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図82-2 染色分体が遺伝情報を交換するための3つのステップ 染色体の対合 キアズマ形成 染色体の組み替え

 オベソらはカップリングからペアリングへの切り替えは、セントロメア近辺でおこるプログラムされたDNA損傷修復が引き金となっておこると述べています(3)。このことはカップルとなっている染色体を切り離すと言う意味があるかもしれません。しかしペアリングそのもののプロセスや染色体ペアの安定化はDNA損傷修復とは関係がないというのがコンセンサスになっています(4-5)。
 現在問題となっているのは、ペアリングがセントロメア主導なのか、短腕・長腕での相互作用が機能しているのかという非常にプリミティヴなことで、まだまだ解決にはほど遠い感じがします。ただZip1というタンパク質が関係していると言うことは昔から言われています(6、7)。Zip1を欠く突然変異体では、ペアリングは成功しません(8、9)。オベソらのモデルを図82-3に示しますが、これが正しいかどうかはわかりませんし、これはあくまでもペアリングした結果であって、どのような機構で染色体が正しいペアリングの相手をみつけたかはわかりません。

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図82-3 相同染色体対合に関する Obeso モデル

 非コードRNAが相同染色体の相互認識に寄与していることを報告した論文は注目すべきだと思います(10)。今後の研究の進展に期待したいところです。
 染色体というセクションの中で、もうひとつ述べておかなければならないことがあります。細菌や古細菌のDNAは環状であるのに対して、真核生物のDNA(クロマチン)は線状です。おそらく古細菌の中に線状のDNAを持つグループがいて、そのなかから真核生物が生まれたのではないでしょうか。現在ではその真核生物のルーツとおぼしきグループは絶滅したために、古細菌と真核生物のつながりがたどれなくなったと思われます。
 線状DNAのメリットあるいはアドバンテージが何であるかということはよくわかりません。ただ原核生物にも真核生物にも線状のプラスミドを持つ生物がいることが知られています(11)。おそらく最初に線状化したのはプラスミドで、そのメカニズムを利用して、本家のDNAを線状化することに成功したのでしょう。線状DNAは環状DNAと違って、積み木のパーツとして使うことができるというメリットがあるかもしれません。例えば(本家DNA)-(プラスミド)-(別個体のDNA)という風につなげば、2n分のDNAを1分子としてまとめることができます。
 メリットはともかくとして、線状DNAには大きなデメリットがあります。それは複製したDNAが短くなってしまうからです。どうしてそんなバカなことになるのでしょうか? それはやはり生物が歴史の産物だからです。DNAは創生以来ずっとプライマーRNAの3’OHを起点として複製されてきたので(12)、図82-4のように複製された新DNAの端にあるRNAプライマー(赤の点線)を除去したときに、線状DNAだと5’PのDNA末端をどうしようもないのです。地球上のどんなDNAポリメラーゼも5’P側からDNA鎖を延長することはできません。もしこれが環状DNAならば、ぐるっと一周した反対側に3’OHがあるので、そこからDNAを伸ばして連結できるのですが、線状だと何もないのでプライマーRNAの分だけDNA鎖が短くなってしまいます。

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図82-4 線状DNAだと複製するごとに短縮する

 それともうひとつの問題は、DNAに端が存在するとそこから核酸分解酵素(エクソヌクレアーゼ)にDNAがかじられて、さらに鎖長が短くなってしまうおそれがあるということです。メッセンジャーRNAのように一時的にしか存在しない核酸分子でさえも、端はキャップとポリAでブロックされています。
 この問題に最初に言及したのはハーマン・マラー(13)でした。マラーはX線によって生物に突然変異が発生することを発見し、それによって1946年にノーベル生理学医学賞を受賞しています。マラーはテロメアという言葉を発明し、染色体の逆位の研究などから染色体の末端が特別な構造になっていると予測しました。また動く遺伝子で後にノーベル賞を受賞したバーバラ・マクリントックも、染色体の端にはなんらかの先端キャップのような構造があることを指摘しました(14)。
 しかしテロメアの構造と合成酵素が解明されたのは1970年代後半からで、エリザベス・ブラックバーン、キャロライン(キャロル)・グライダー、ジャック・ショスタクの3人が、この功績で2009年にノーベル生理学医学賞を受賞しています。彼らは鋳型RNAをかかえこんでいる酵素テロメラーゼによって、その鋳型を使用して線状DNAの末端に特殊な繰り返し構造が作られることを解明しました(15-16、図82-5)。

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図82-5 テロメアの構造解明とテロメラーゼの発見

 なおテロメアの塩基配列は生物によって異なっています(図82-6)。初期はテトラヒメナ(繊毛虫)を用いた研究が多かったので、図82-5ではTTGGGGという塩基配列が採用されています。かなり異なる塩基配列を用いている生物もいますが、ヒト・アカパンカビ(Neurospora crassa)・モジホコリ(Physarum polycephalum)・トリパノソーマで共通(TTAGGG)、昆虫(TTAGG)や植物の一部(TTTAGGG)とも1塩基違いというのは、強く保存された塩基配列と言えます。

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図82-6 様々な生物におけるテロメアの塩基配列

 テロメア形成の方法は図82-5では簡単すぎるので、別に図85-7(17)を示して説明します。

1.複製終了後のDNA末端は5’末端のプライマーRNAが分解されて、その後を埋められず片鎖が短い状態です。

2.DNA末端にはテロメアに特異的な塩基配列があり、テロメラーゼは保有するRNAの相補的配列を利用してテロメアの末端に結合します。

3.テロメラーゼはテロメアDNA末端の3’OHと、自分が保有する鋳型RNAを使って、RNA-directed DNA polymerase 活性でテロメアを延長することができます。

4.2と3を繰り返すことによって、どんどんテロメアを延長します。したがってテロメアの塩基配列は同じ塩基配列がリピートした構造になります。

5.2~4の反応とは別に、テロメラーゼが保有するRNAの3’OH末端から、ギャップを埋め戻す反応をDNAポリメラーゼ(これはテロメラーゼではなく、DNA-directed DNA polymerase) を用いて行うことができます。この場合テロメラーゼのRNAはプライマーとして用いられます。

 おそらく最初にDNA末端と結合したテロメラーゼはテロメアを自分保有の鋳型分延長すると、鋳型だけ残してDNAから離れるのではないでしょうか。このときに逆方向のDNA埋め戻しが行われ、鋳型RNAが分解されてから再びテロメラーゼが結合すると考えると説明しやすく感じます。図82-7をみれば容易に理解できます。

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図82-7 テロメラーゼによるテロメア作成と延長の反応

 いずれにしても、このようにテロメラーゼがテロメアに結合することによって、テロメアの延長と短くなったDNAの修復が同時にできるので、これは素晴らしいメカニズムです。古細菌から真核生物に進化する過程で獲得された、このエンジニアが設計図を描いて制作したような巧妙な仕掛けに、私は茫然とするしかありません。
 テロメアはテロメラーゼの活性が強いか弱いかなどの影響で、長い細胞と短い細胞があります。生物種によっても違います。一般的に通常の体細胞は培養していると、50~70回細胞分裂を繰り返すと、分裂を停止します。図82-8(18)には分裂回数が省略して書いてありますが(実際には50~70回)、テロメラーゼの活性が無いか低くてテロメアが短くなってくると、安全装置のようなものが働いて細胞分裂が停止すると考えられています。一方生殖細胞・がん細胞などではテロメラーゼ活性が強く、細胞分裂を行ってもテロメアは短縮されにくいようです。

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図82-8 テロメアの長さ

 明らかにテロメアは細胞の寿命に関係していますが、テロメアを延長さえすれば細胞寿命が長くなると考えるのは早計です。実験用のマウスはヒトの数倍の長いテロメアを持っている上に、体細胞にもテロメラーゼの発現があることが知られています。しかしマウスの体細胞を培養すると、ヒトより早く分裂を停止しますし、そのときのテロメアは長いままです。だいたいマウスの寿命はヒトより30倍も短いので、テロメアが長ければ長生きできるというわけではありません。しかしテロメラーゼを欠損するマウスを作成すると、寿命が短縮されるというのもまた事実です。そしてこのようなマウスでテロメアを復活させると、若返りが実現します(19)。
 しかし生きるために必要な遺伝子の変異や欠損は寿命の短縮を招く可能性があるわけで、テロメラーゼの変異だけが寿命を短縮させるわけではありません。さらにテロメアの短縮以外にも老化の理由は存在するということで、それらを解明しない限り不老不死は実現できません。たとえばDNAの修復に欠陥があれば、老化は進むでしょう。ただテロメラーゼを活性化すれば、肌の若返りくらいは可能かもしれません。ビル・アンドリュースなど大まじめに取り組んでいる人々もいます(20)。

 

参照

1)Bruce Alberts et al., Essential Cell Biology 4th edn., pp.645-657, Garland Science (2014)
2)染色体とその組み換え 遺伝子博物館
https://www.nig.ac.jp/museum/history/06_d.html
3)David Obeso, Roberto J Pezza, and Dean Dawson, Couples, Pairs, and Clusters: Mechanisms and Implications of Centromere Associations in Meiosis., Chromosoma., vol.123, pp.43-55. (2014) doi:10.1007/s00412-013-0439-4.
4)Clarke L, Carbon J. Genomic substitutions of centromeres in Saccharomyces cerevisiae. Nature, vol.305, pp.23-28.(1983)
5)Bisig C.G.et al., Synaptonemal complex components persist at centromeres and are required for homologous centromere pairing in mouse spermatocytes. PLoS genetics. Published: June 28, 2012
http://journals.plos.org/plosgenetics/article?id=10.1371/journal.pgen.1002701
6)Sym M, Roeder GS. Zip1-induced changes in synaptonemal complex structure and polycomplexassembly. J Cell Biol., vol.128, pp.455-466.(1995) PMID: 7860625
7)Xiangyu Chen et al., Phosphorylation of the Synaptonemal Complex Protein Zip1 Regulates the Crossover/Noncrossover Decision during Yeast Meiosis. PLoS Biol 13(12): e1002329. doi:10.1371/journal.pbio.1002329
8)Gladstone MN, Obeso D, Chuong H, Dawson DS. The synaptonemal complex protein Zip1 promotes bi-orientation of centromeres at meiosis I. PLoS genetics. 2009; 5:e1000771.
9)Newnham L, Jordan P, Rockmill B, Roeder GS, Hoffmann E. The synaptonemal complex protein Zip1, promotes the segregation of nonexchange chromosomes at meiosis I. Proc Natl Acad Sci USA., vol.107, pp.781-785. (2010)
10)ライフサイエンス 新着論文レビュー 丁 大橋・平岡 泰 減数分裂前期の相同染色体の認識と対合に非コードRNAが関与する
http://first.lifesciencedb.jp/archives/5031
11)郡家徳郎, 徳永正雄 酵母線状DNAプラスミドとキラーシステム ウイルスとの接点 化学と生物 vol. 41, pp. 832-841 (2003)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/kagakutoseibutsu1962/41/12/41_12_832/_pdf
12)やぶにらみ生物論48 岡崎フラグメント
https://morph.way-nifty.com/grey/2016/11/post-7f79.html
13)Muller, H.J. The remaking of chromosomes. Collect. Net, vol. 13, pp. 181–195. (1938)
14)McClintock, B. The Association of Mutants with Homozygous Deficiencies in Zea Mays. Genetics, vol. 26, pp. 542–571. (1941)
15)The Nobel Prize in Physiology or Medicine 2009, Elizabeth H. Blackburn, Carol W. Greider and Jack W. Szostak., How chromosomes are protected by telomeres and the enzyme telomerase,  https://www.nobelprize.org/prizes/medicine/2009/press-release/
16)中山潤一 解説 2009年ノーベル賞を読み解く 生理学医学賞 細胞のがん化・老化にかかわるテロメアとは? 
http://www.nsc.nagoya-cu.ac.jp/~jnakayam/_src/sc734/pubj12.pdf
17)Wikipedia: Telomerase,  https://en.wikipedia.org/wiki/Telomerase
18)Wikipedia: Telomere, https://en.wikipedia.org/wiki/Telomere
19)Mariela Jaskelioff et al., Telomerase reactivation reverses tissue degeneration in aged telomerase deficient mice., Nature, vol. 469(7328): pp. 102–106 (2011)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC3057569/
http://www.med.keio.ac.jp/gcoe-stemcell/treatise/2011/20110725_02.html
20)https://テロメア.com/

 

 

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81.染色体 Ⅱ

 再確認となりますが、一般的に真核生物のDNAは核内においてタンパク質との複合体である「クロマチン(Chromatin)」の状態で存在します。その構成単位はヌクレオソーム(Nucleosome)と呼ばれ、4種類のヒストン(Histone)、すなわちヒストンH2A、ヒストンH2B、ヒストンH3、ヒストンH4それぞれ2つずつのタンパク質分子から成る8量体のコア・ヒストンに、DNA が巻きついた構造を取ります。ヒストンH1はコア・ヒストンには含まれず、リンカー・ヒストンと呼ばれ、ヌクレオソーム内のDNAを安定化する役割があります。
 細胞が分裂するM期においては、クロマチンは極端に凝縮した染色体という構造をとります(図81-1A)。このような状態では転写やDNA複製のための複合体はDNAにアクセスできないため、DNAの情報の読み取りという観点から言えば、染色体は極めて不活性な状態にあります。一方未分化な状態の細胞、たとえば卵割期の細胞や幹細胞などでは、様々なDNAの情報が読み取り可能で、ヌクレオソームとヌクレオソームの間に広い間隙が存在します(図81-1C)。
 そして最も一般的な核の状態は、図80-1Bのように一部はヘテロクロマチンを形成して核膜の裏側に結合して不活性な状態にあり、一部は核内で流動的な状態で、図80-1Cと同様ヌクレオソーム間に広い間隙が存在するユークロマチンとなっている状況です。この状態では一部のクロマチンでのみ転写が可能になっています。分化というのは特定の遺伝子しか転写されないというのとほぼ同義なので、図80-1Bの状態は合理的です。分化した細胞は通常細胞分裂しないか、しても通常は長い間隔をおいて分裂するという状態です。どのようなメカニズムでヘテロクロマチンが核膜の内側に結合するかは現在活発に研究が行われています(1)。

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図81-1 核の3状態 A.M期 B.通常 C.卵割期など

 ヌクレオソームを構成する4種のヒストン(コアヒストン)は、そのポリペプチド鎖がC末からN末まできっちりヌクレオソーム内に収納されているわけではなく、一部は「しっぽ」のようにヌクレオソーム外にはみ出しています(図81-2)。ヌクレオソームはポリペプチド鎖が折りたたまれた上に、まわりにDNAが巻き付いているので、アミノ酸を修飾する酵素が非常にアクセスしにくい状態であるのに比べ、ヌクレオソーム外にはみ出している「しっぽ」部分は修飾酵素が容易にアプローチできそうです。実際図81-2に示すような、様々な修飾が行われていることがわかっています。

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図81-2 コアヒストン分子の化学修飾

 ヒストンの「しっぽ」がどのように修飾されるかによって、クロマチンの存在状態、DNA複製のタイミング、アクセスできる転写複合体などが選別されます。つまりDNAやクロマチンにアクセスしたいタンパク質群は、ヒストンの状況によって許可・却下が決まることから、そのヒストンの修飾状況を「ヒストンコード」と呼ぶことがあります(2)。翻訳すると意味不明になる恐れがあるので、提唱者の定義のままに記すと 「We propose that distinct histone modifications, on one or more tails, act sequentially or in combination to form a 'histone code' that is, read by other proteins to bring about distinct downstream events」 とのことです。
 ではそれぞれの修飾について個別に見ていきましょう。まずメチル化ですが、メチル化されるアミノ酸残基はリジンとアルギニンです。リジンの場合 mono, di, tri と3種類の修飾が存在します(図81-3)。アルギニンの場合メチル基が3つ付くことはありませんが、やはりmono, di(asymmetric), di(symmetric) の3種類の修飾があります。メチル基を供給するのはSアデノシルメチオニンで、転移酵素によってヒストンに転移します(図81-3)。ヒストンからメチル基をはずす酵素(ヒストンデメチラーゼ)も知られています(3)。ヒストンのメチル化はクロマチンの凝集や転写の活性化および不活性化を制御します。DNAの修復と複製の制御も行います(4)。また性決定にも関与しています(3)。X染色体の不活化の際には、DNAだけではなくヒストンH3がメチル化されていることが知られています(5)。
 X染色体の不活化はすべての細胞で同じ染色体が不活化されるのではなく、細胞によって対立遺伝子が乗っているX染色体が不活化される場合もあるので、三毛猫のような細胞によってフェオメラニンが発現したり、ユーメラニンが発現したりするような個体が現れます。雄では通常X染色体はひとつなので三毛猫は生まれません。ヒストンのメチル化もDNAのメチル化とリンクしていると思われます。

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図81-3 ヒストンのメチル化

 アルギニンの脱イミノ化反応(シトルリン化)は尿素回路などでもおなじみですが、ヒストンのアルギニン残基の脱イミノ化は核移行シグナルを持つPAD4(Peptidylarginine deiminase 4)によって実行されます(図81-4)。この化学修飾はヒストンのメチル化と転写制御に関して拮抗的に働くことがあるようです(6、7)。またこの修飾が著しく進むと、クロマチンの脱凝縮が行われることが示唆されています(8)。自己免疫疾患が持つ患者の抗体が、脱イミノ化されたタンパク質を攻撃することが知られています(6、9)。

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図81-4 ヒストンのアルギニン残基のシトルリン化(脱イミノ化)

 ヒストンのアセチル化は、ヒストンの修飾のなかでもメジャーなものです。図81-2にみられるように、コアヒストン(H2A、H2B、H3、H4)のしっぽには、いずれも多くのリジン残基が存在しますが、ほとんどは側鎖のアセチル化(図81-5)が可能です。アセチル基を供給するのはアセチルCoAです(図81-5)。ヒストンアセチル化酵素(HAT)の作用によって、アセチル化が進行するとヒストンの塩基性が失われ、一般にDNAのリン酸との結合が弱くなってヒストンとDNAが解離し、転写が活性化されます。逆にヒストン脱アセチル化酵素(HDAC)の作用によって、ユークロマチンはヘテロクロマチンに移行し、転写は抑制されます(10-11、図81-5、図81-6)。

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図81-5 ヒストンのアセチル化

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図81-6 ヒストンのアセチル化とクロマチンの状態

 ヒストンのリン酸化は、セリン・スレオニン・チロシン残基の側鎖OHがヒストンキナーゼでリン酸化されることによって行われます(図81-7)。ヒストンH3のN末から10番目のセリンのリン酸化がM期における染色体凝縮にかかわっていることが知られています(12-13)。またDNAがダメージを受けた際にヒストンH2Aなどのリン酸化がおこり、このことがDNA修復開始のシグナルになると言われています(13)。単純に考えるとヒストンのリン酸化はヒストンの塩基性を消滅させる方向の変化なので、ヒストンとDNAの結合を弱めます。例えばDNAの修復システムがアクセスするには有効かもしれませんが、染色体凝縮にどのようにかかわっているかは謎です。
 最近ではヒストンのリン酸化が転写の制御に関わっているとか、ヒストンアセチル化・メチル化などのカスケードの起点になっているとかの報告もあるようです(13)。またH2AのバリアントであるH2AXのリン酸化がアポトーシスに関与しているとの報告もあります(14)。

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図81-7 ヒストンのリン酸化

 最近注目されているヒストンの修飾反応にポリADPリボシル化があります。シャンボンらによって1966年に発見されましたが、その後京都大学の上田国寛のグループと国立がんセンターの三輪正直のグループを中心に、わが国において反応の全体像が明らかにされました(図81-8)。

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図81-8 上田国寛と三輪正直

 この反応はNAD+を基質としてタンパク質のグルタミン酸あるいはアスパラギン酸側鎖のカルボキシル基に、NAD+からニコチン酸アミドを切り離してADP-リボースを結合し、さらに次々とADPリボースを添加してポリマーを形成するものです(15、図81-9)。ヒストンもその主要なターゲットになります(16-17)。反応はポリADPリボースポリメラーゼ(PARP)によって行われますが、別に分解酵素も存在するので、他のヒストン修飾と同様結果的に反応は可逆です。

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図81-9 ヒストンのポリADPリボシル化

 このほかにもヒストンの化学修飾にはユビキチン化(19)などが知られています。

 

参照

1)Jennifer C Harr, Adriana Gonzalez-Sandoval, & Susan M Gasser, Histones and histone modifications in perinuclear chromatin anchoring: from yeast to man.
EMBO Reports, vol. 17, pp. 139–155,  (2016)   DOI 10.15252/embr.201541809
http://embor.embopress.org/content/early/2016/01/20/embr.201541809
2)Strahl BD1, Allis CD., The language of covalent histone modifications., Nature., vol. 403 (6765), pp. 41-45., (2000)
http://www.gs.washington.edu/academics/courses/braun/55105/readings/strahl.pdf
3)S Kuroki, S Matoba, M Akiyoshi, Y Matsumura, H Miyachi, et al., Epigenetic Regulation of Mouse Sex Determination by the Histone Demethylase Jmjd1a., Science vol. 341 (6150): pp. 1106-1109. doi:10.1126/science.1239864. (2013)
4)Black JC, Van Rechem C, Whetstine JR.,  Histone lysine methylation dynamics: establishment, regulation, and biological impact. Mol. Cell vol. 48(4), pp. 491–507. (2012)
5)ウィキペディア: X染色体の不活化
6)有田恭平他 ヒストン修飾酵素 Peptidylarginine deiminase 4 (PAD4) の活性化とヒストン認識 PF NEWS vol. 42, no.2, pp. 16-22 (2006)
7)Wang Y. et al.,  Human PAD4 regulates histone arginine methylation levels via demethylimination. Science. vol. 306, pp. 279–283 (2004)
8)Yanming Wang et al., Histone hypercitrullination mediates chromatin decondensation and neutrophil extracellular trap formation.,  J Cell Biol., vol. 184(2): pp. 205–213. (2009)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC2654299
9)Wikipedia: Citrullination,  https://en.wikipedia.org/wiki/Citrullination
10)Tony Kouzarides, Chromatin modifications and their function., Cell. vol.128, pp. 693-705., (2007)
http://www.cell.com/cell/fulltext/S0092-8674(07)00184-5?_returnURL=http%3A%2F%2Flinkinghub.elsevier.com%2Fretrieve%2Fpii%2FS0092867407001845%3Fshowall%3Dtrue
11)Min-Hao Kuo, C. David Allis., Roles of histone acetyltransferases and deacetylases in gene regulation., BioEssays Vol. 20,  pp. 615–626 (1998)
12)中山潤一 ヒストン修飾酵素
http://www.nsc.nagoya-cu.ac.jp/~jnakayam/_src/sc744/pubj03.pdf#search=%27%E3%83%92%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%B3%E3%82%AD%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%82%BC%27
13)Dorine Rossetto, Nikita Avvakumov, Jacques Cote., Histone phosphorylation. A chromatin modification involved in diverse nuclear events. Epigenetics vol. 7, no.10, pp. 1098-1108 (2012)
http://www.tandfonline.com/doi/abs/10.4161/epi.21975
14)Peter J. Cook et al., Tyrosine dephosphorylation of H2AX modulates apoptosis and survival decisions., Nature vol. 458, pp. 591–596 (2009) | doi:10.1038/nature07849
http://www.nature.com/nature/journal/v458/n7238/abs/nature07849_ja.html?lang=ja&foxtrotcallback=true
15)Wikipedia: Poly (ADP-ribose) polymerase, 
https://en.wikipedia.org/wiki/Poly_(ADP-ribose)_polymerase
16)Morioka K., Tanaka K., Ono T., Poly(ADP-ribose) and differentiation of Friend leukemia cells.,  J. Biochem., vol. 88, pp. 517-524 (1980)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/biochemistry1922/88/2/88_2_517/_pdf
17)Morioka K., Tanaka K., Ono T., Acceptors of poly(ADP-ribosylation) in differentiation inducer-treated and untreated Friend erythroleukemia cells., Biochimica et Biophysica Acta (BBA) - Gene Structure and Expression, Vol. 699, Issue 3, pp. 255-263 (1982)
http://www.sciencedirect.com/science/article/pii/0167478182901154
18)Rebecca Gupte, Ziying Liu, and W. Lee Kraus., PARPs and ADP-ribosylation: recentadvances linking molecular functionsto biological outcomes., GENES & DEVELOPMENT vol. 3, pp. 101–126 (2017)
http://genesdev.cshlp.org/content/31/2/101
19)伊藤敬 ヒストンH2A のユビキチン化と遺伝子転写抑制 生化学 第82巻第3号,pp.232-236,(2010)
http://www.jbsoc.or.jp/seika/wp-content/uploads/2013/10/82-03-08.pdf#search=%27%E3%83%92%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%B3%E3%81%AE%E3%83%A6%E3%83%93%E3%82%AD%E3%83%81%E3%83%B3%E5%8C%96%27

 

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80.染色体 I

 ほとんどの細胞は膨大な情報を持つ生命の糸=DNAをそれぞれ抱え込んでいます。これはPCで言えばハードディスクのようなものであり、PCなら外付けもできますが、細胞はそういうわけにはいきません。これはもともと生物は単細胞であったということに起因しています。生物は進化がつくったものであり、過去の蓄積の上に現在があるということからは逃れられません。私達多細胞生物も元はと言えば単細胞生物であり、生涯の一時期ではありますが、精子や卵子の間はいまでも単細胞生物であった歴史を再現しています。
 DNAの長さはヒトの場合細胞当たり2mくらいで、これはさまざまな生物の中で、とびきり長いとも言えないくらいの長さです。それでもある計算では、バスケットボールに髪の毛くらいの太さのひもが100kmぶんくらい入っているくらいの感じだそうです(1)。大腸菌ですら細胞の長さの200倍のDNAを抱え込んでいるので、いかにしてこのDNAをコンパクトに収納するかというのは何十億年も前から生物の重要な課題のひとつであったはずです。
 細菌には核膜はありませんが、DNAは裸ではなく数多くのタンパク質によって被われていて、真核生物と同様クロマチンのような構造を形成しています。それは昔からヌクレオイド(核様体)として知られていましたが、その実体はよくわかっていなくて、ようやく20世紀の終盤に研究が進み始めました(2)。DNAをコンパクトに収納するだけでなく、遺伝子の発現やDNAの複製などに応じて適切にリモデリングも行うことが明らかになりました(3)。とはいっても細菌のヌクレオイドが真核生物と同様、ヌクレオソームのような構造をとっているかどうかはわかっていません。
 そんななかで理研の研究グループは古細菌のAlba2 というタンパク質がDNAを包み込むパイプのような構造をとっていることを解明し、業界を驚かせました(図80-1、4-5)。ただこの論文を読むと、要旨はもちろん、イントロでも全く細菌のクロマチンには言及しておらず、議論もしていません。細菌についてはまだよくわかっていないのでしょう・

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図80-1 好気性超好熱古細菌のクロマチン

 細菌・古細菌にくらべて、真核生物のクロマチンおよび染色体ははるかに詳しく研究されています。DNAは通常ヒストンなどのタンパク質と共にクロマチンを形成して存在しているわけですが、細胞分裂する場合、一時的に凝縮して棒状の構造になります。これを染色体(クロモソーム=chromosome)といいます。染色体を発見したのはネーゲリとされています(6)。クロモソーム(ドイツ語なので chromosomen : 常に複数あるので複数を用語とした)という言葉をはじめて使ったのは Heinrich Wilhelm Gottfried von Waldeyer-Hartz (ハインリッヒ・ウィルヘルム・ワルダイエル、図80-2)です(7)。彼は解剖学者で、いまでもワルダイエル咽頭輪などにその名を残しています。中西宥によると、これを染色体と訳したのは石川千代松(図80-2)だそうです(8)。
 染色体=クロモソームの定義が明確なのに対して、「クロマチン」はあまり明確ではありません。もともとは「細胞核内の染色されやすい物質」として定義されたのですが、ウィキペディアを引用すると「その後の研究の発展と共にクロマチンという語のもつ意味合いは変わってきた。クロマチンに含まれるDNAが遺伝情報の担体であると認識されてからは、その貯蔵形態としての役割が強調されてきたが、最近では、遺伝子の発現・複製・分離・修復等、DNAが関わるあらゆる機能の制御に積極的な役割を果たしていると考えられるようになってきた」となっています(9)。染色体は有糸分裂期にクロマチンがとる特殊な形態と理解されています。

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図80-2 クロモソーム・染色体の発見と命名にかかわった人物

 ワルダイエルは染色体の研究を本格的に行ったわけではありませんが、石川千代松は染色体研究の草分けのひとりで(もちろんわが国では初)、アウグスト・ワイスマンの研究室に留学して、共著でエビの染色体の論文を執筆したほか、帰国後にネギの染色体についても研究しています。世界ではじめて染色体の図を描いたのは、あのメンデルの論文を全く評価せず闇に葬ったことで有名なドイツの遺伝学者カール・ネーゲリ(図80-2)で、1842年の論文にその図が掲載されています(7-8)。
 染色体研究の次のエポックはもちろんサットンの染色体説です。これについてはすでに私も紹介しています(6)。サットンの1902年と1903年の論文によって、染色体が遺伝因子の担体であることが明らかになり、さらにモーガンらによって遺伝子は染色体上に直線的に配置されているということが証明されました(10-11)。
 染色体を光学顕微鏡で観察する方法はいろいろありますが、現在でもヒトの細胞の標本からきっちり46本の染色体を識別すること(カリオタイピング)は難しい作業です。実際19世紀から20世紀の中盤まで、ヒトの染色体の数・性決定染色体については長い論争があり、最終的に チョー(Joe Hin Tjio 1919-2001)と Albert Levan が1956年の論文で46本で性染色体はXY型であることを確定しました(12)。仕事はスウェーデンで行われましたが、チョーはインドネシア人です。彼はスペインのサラゴサで仕事をしていたのですが、たまたま夏休みに訪れたスウェーデンのレヴァンの研究室で、短期間にこの仕事を成し遂げたわけです(13)。図80-3にヒト染色体を示します。

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図80-3 ヒト染色体の顕微鏡写真とカリオタイプ

 分裂する細胞はS→G2→M→G1→Sという細胞周期のサイクルを繰り返しますが、光学顕微鏡による観察ではM期(分裂期)にしか染色体はみつかりません。もはや分裂しない終末分化した細胞や静止期の細胞では観察できません。M期以外の染色体というよりクロマチンといった方が正確ですが、その構造が観察できるようになったのは電子顕微鏡の技術が発達した後になります。
 DNAはすでにS期に倍化されていますが、細胞分裂の際にはその遺伝情報を均等に娘細胞に分配しなければなりません。M期にはDNAは染色体という著しく凝縮した構造体にたたみ込まれ、それぞれの娘細胞に分配されるべく2分されます。その片方を染色分体と呼びます。2つの染色分体は一ヶ所で結合されていて、勝手に分離しないようになっています。その結合部位をセントロメアと呼びます。セントロメアと言っても染色体の中央にあるわけではなく、さまざまな場所にあります。セントロメアからクロマチンの端までの距離が短い部分を短腕、長い部分を長腕と呼びます(図80-4)。

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図80-4 染色体のパーツの名前

 M期にはセントロメアに多くのタンパク質が集積されて動原体(キネトコア)という構造が形成され、染色分体の分離や紡錘糸(チューブリン線維=微小管)との結合などが行われます(図80-5)。M期の中期にはきちんと紡錘体が形成され、それぞれの染色体が紡錘糸と結合して細胞中央に整列している=細胞分裂の準備が整っていることがチェックされ、OKであれば、動原体にあるコヒーシンによって結合されていた染色分体が、プロテアーゼによるコヒーシン切断によって分離し、それぞれ娘細胞に運ばれます。

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図80-5 体細胞分裂時の染色体の挙動  Mitotic checkpoint: 細胞分裂の準備が整っているかどうかチェックする

 クロマチンにはさまざまな構成要素がありますが、もちろん主成分はDNAとヒストンです。ヒストンはすでに1884年にアルブレヒト・コッセル(図80-6)によって発見されていましたが、その機能は永年謎でした(14)。1973年に至って、Hewish と Burgoyne は裸のDNAを分解酵素で処理すると不規則に分解されていくのに対して、クロマチンのDNAは一定のサイズに分解されることを示しました(15、図80-6)。このことはクロマチンがサブユニットから成り立っていることを示唆します。そのサブユニットの存在は Olins 夫妻(16、図80-6)が電子顕微鏡を用いて証明しました。

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図80-6 ヒストンとヌクレオソーム構造の発見者

 現在ではH2A・H2B・H3・H4というヒストンが各2分子づつ、計8つの分子がヌクレオソームという糸巻きのような構造を形成し、DNAはそれをひとつにつき1.75回転しながらその構造体の外側に巻き付いていることがわかっています(図80-7)。

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図80-7 ヌクレオソームの構造

 ヒストンにはもうひとつH1というグループがあり、これはヌクレオソーム内には存在していません。DNAがヌクレオソームに巻き付く際には出口と入口があるわけですが、その両方の位置でクリップのようにDNAを固定しているようです(17、図80-8)。ヒトやマウスの場合、ヒストンH1に属するグループの遺伝子は11個知られており、6個は細胞が増殖する際に発現し、残りは細胞増殖とはあまり関係がないとされています(18)。それぞれ少しづつ構造が異なっており、同じ機能または別々の機能を持つと考えられます。系統樹の上の種ほど多くのバリアントがあるとは限りません(図80-8)。

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図80-8 ヒストンH1

 ヌクレオソームがたがいに近接した位置にあり、さらに高次構造を作っているような場合、ヌクレオソーム間にあるDNAに転写複合体がアクセスできるようなスペースがありません。したがってクロマチンは不活性な状態になります。このようなクロマチンをヘテロクロマチンと呼びます。一方ヌクレオソーム間にある程度のスペースがある場合、転写複合体がDNAにアクセスして pre-mRNA を転写することができます。このような状態にあるクロマチンをユークロマチンと呼びます(図80-9)。凝縮したヘテロクロマチンをほどいてユークロマチンに変化させることをクロマチンリモデリングといい、このプロセスではATPを加水分解してそのエネルギーが使われます(19-20、 図80-9)。

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図80-9 クロマチン凝縮とリモデリング

 DNAがもっともコンパクトに折りたたまれるのは細胞増殖のM期で、染色体を形成するときです。このときヒト細胞に含まれる染色体の全長は230µmとなり、2mの長さのDNAがこのサイズに折りたたまれていることになります。これは約8700分の1の長さに、非常にコンパクトに折りたたまれたということであり、そのメカニズムや構造の全貌はあきらかになっていませんが、コンデンシンというタンパク質複合体が関与すると言われています。コンデンシンはATPアーゼ活性を持っており、ATPを加水分解して生じるエネルギーを使って作業を進めています。またヒストンの化学修飾がキーポイントであるようです(20-22、図80-10)。Nucleoplasmin, Nap1, FACT, topoisomerase II (topo II), condensin I の5種の因子とコアヒストンを用いて、染色体凝縮に成功したという報告があります(23)。
 どうしてそこまでして複雑で大規模な染色体凝縮という作業を行わなければならないか、その理由はいろいろあると思いますが、細胞分裂を行った時にはDNAを2つの細胞に分けなければいけないのですが、その際にDNAがちぎれてしまわないように力学的強度を与える必要があるというのは、説得力のあるひとつの理由です(20)。

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図89-10 DNAを折りたたむ

 

参照

1)アルブリの部屋 DNA分子の長さ (2010)
https://thompsons.exblog.jp/12917630/
2)Karl Drlica and Josette Rouviere-Yaniv., Histonelike Proteins of Bacteria, MICROBIOIOGICAL REVIEWS,vol.51(3), 301-319 (1987)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC373113/pdf/microrev00050-0009.pdf
3)Martin Thanbichler, Sherry C Wong, Lucy Shapiro., The Bacterial Nucleoid: A Highly Organized and Dynamic Structure., J. Cellular Biochemistry vol.96, pp. 506-521 (2005)
http://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1002/jcb.20519/epdf
4)理研 プレスリリース 原始的な生命の染色体立体構造を初めて解明
-パイプ型タンパク質が保護する遺伝情報- (2012)
https://www.riken.jp/press/2012/20120224_3/
5)Tomoyuki Tanaka, Sivaraman Padavattan, and Thirumananseri Kumarevel., Crystal Structure of Archaeal Chromatin Protein Alba2-Double-stranded DNA Complex from Aeropyrum pernix K1. The Journal of Biological Chemistry, Vol. 287, No.13, pp.10394-10402, (2012)
6)ウィキペディア: 染色体
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%93%E8%89%B2%E4%BD%93
7)Heinrich Wilhelm Gottfried von Waldeyer-Hartz., Über Karyokinese und ihre Beziehungen zu den Befruchtungsvorgängen. Archiv für mikroskopische Anatomie und Entwicklungsmechanik, vol. 32: pp. 1–122. (1888)
8)中西宥 「染色体の研究」 UP Biology シリーズ 東京大学出版会 (1981)
9)ウィキペディア: クロマチン
10)やぶにらみ生物論37:染色体説
https://morph.way-nifty.com/grey/2016/10/post-6236.html
11)ウィキペディア: トーマス・ハント・モーガン
12)Joe Hin Tjio and Albert Levan, The chromosome number of man., Hereditas,  vol. 42, pp. 1-6 (1956)
13)Wikipedia: Joe Hin Tjio,  https://en.wikipedia.org/wiki/Joe_Hin_Tjio
14)網代廣三 ヌクレオソーム発見25周年 蛋白質 核酸 酵素 vol. 45, pp. 721-726  (2000)
http://lifesciencedb.jp/dbsearch/Literature/get_pne_cgpdf.php?year=2000&number=4505&file=BXGPLUSbCJM6Y15Uh4jxPLUSAbLA==
15)D.R. Hewish and L. A. Burgoyne, Chromatin sub-structure. The digestion of chromatin DNA at regularly spaced sites by a nuclear deoxyribonuclease.  Biochem Biophys Res Commun, vol. 52, pp. 504-510 (1973)
16)Olins AL, Olins DE (1974). “Spheroid chromatin units (v bodies)”. Science 183: 330-332. PMID 4128918.
17)Wikipedia: Histone H1,  https://en.wikipedia.org/wiki/Histone_H1
18)Wikipedia: Linker histone H1variants,
https://en.wikipedia.org/wiki/Linker_histone_H1_variants
19)Wkikipedia: Chromatin remodeling,  https://en.wikipedia.org/wiki/Chromatin_remodeling
20)Wikipathologia: chromatin remodeling factor クロマチンリモデリング因子
http://www.ft-patho.net/index.php?chromatin%20remodeling%20factor%20%A5%AF%A5%ED%A5%DE%A5%C1%A5%F3%A5%EA%A5%E2%A5%C7%A5%EA%A5%F3%A5%B0%B0%F8%BB%D2
21)ウィキペディア: 染色体凝縮
22)Bryan J. Wilkins et al., A Cascade of Histone Modifications Induces Chromatin Condensation in Mitosis., Science  Vol. 343, Issue 6166, pp. 77-80 (2014)
doi: 10.1126/science.1244508
http://science.sciencemag.org/content/343/6166/77
23)Shintomi K, Takahashi TS, Hirano T, Reconstitution of mitotic chromatids with a minimum set of purified factors. Nature Cell Biol., vol. 17(8): pp. 1014-23 (2015)
doi: 10.1038/ncb3187
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/26075356

 

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2020年1月23日 (木)

79.核膜

 生きとし生けるものを最もおおざっぱに分類するとすれば、現代生物学ではその生物の細胞に核膜があるか、ないか、で2つに分けるということになります。フランスの海洋生物学者エドゥアール・シャトン(図79-1)は1925年に前者を Eukaryote(真核生物)、 後者を Prokaryote (原核生物)と名付けました(1-2)。この考え方は後に彼の友人アンドレ・ルウォフと、カナダの微生物学者ロジェ・スタニエ(図79-1)によって、電子顕微鏡による観察を基盤とした洗練された形で発表され、現在の分類学の基本となりました(3)。

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図79-1 真核生物と原核生物の概念をつくった研究者達

 真核生物にとって、核膜は必須のツールです。たとえば私達の遺伝子はたいてい分断されており、転写の際には、まず分断されている部分(イントロン)もまとめてPre-mRNAがつくられ、それがスプライシングをうけてmRNAがつくられます(4)。核膜がなければPre-mRNAにリボソームがとりついて、意味のないタンパク質がどんどん合成されるという悲惨な状況になるかもしれません。核膜があれば、リボソームは核内に侵入できません。プロセッシングが終了した正規の mRNA に加工されてから順に核の外に出して、正確なタンパク質合成を行うことができます。細菌では大部分の遺伝子は分断されていないので、RNAに転写されると直ちにリボソームがとりついてタンパク質が合成されても問題ありません。
 しかし進化という観点から言えば、分断された遺伝子から正しいタンパク質を製造するために核膜が形成されたかというと、それはないだろうと思われます。多くの場合遺伝子が分断された個体は死んで生物の歴史から排除されたであろうからです。むしろ核膜が形成されたために、遺伝子の分断が許容されたと考えるべきでしょう。細菌にも分断された遺伝子が全くないわけではなく、それらは特殊な形をしていてリボソームが単純には仕事ができないようになっていると思われますが、特殊化というのは往々にして進化の障害となります。
 このようなことを考えると、真核生物の核膜には進化の当初から核膜孔が存在していたと思われます。核膜孔の存在をはじめて示したのはカランとトムリンとされています(5)。R.W.メリアムはカエルの卵母細胞を電子顕微鏡で観察することによって、核膜に多数の孔のようなものが見えることを報告しました。1962年のことです(6)。メリアムの論文の General discussion というセクションには初期の核膜孔の研究状況が詳しく記してあります。
 核膜孔複合体(NPC=nuclear pore complex)に対する蛍光抗体を作成して、図79-2の赤で示したのが核膜孔複合体(NPC)です。NPCは一定の間隔で並んでいるのではなく、ほぼランダムに配置されています。緑色は「細胞骨格3」(7)に登場したラミンを示します。ラミンは核膜の裏側にびっしりと張り付いています。核膜の構造を強化するには有用でしょう。染色体は多くの場合核膜の内側に接するように存在します(図79-2)。ひとつの核にいくつNPCがあるかというと、参照文献(8)によれば酵母で200、増殖中のヒト細胞で2000~5000、アフリカツメガエルの卵母細胞で5000万とされています。細胞のサイズ・種類・状態によって、大きくその数は異なります。

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図79-2 核膜における核膜孔複合体の配置、および核膜の裏打ちとなるラミンBの可視化(蛍光抗体による)

 哺乳類の核膜孔複合体(nuclear pore complex=NPC)全体のサイズは直径1200nmと非常に大きいものですが、開いている孔そのものの内径は5~10nmくらいの小さなものです。哺乳類NPCの分子量は124メガダルトン(1億2400万ダルトン)という巨大なもので、30種類くらいのタンパク質(ヌクレオポリン=Nup)のそれぞれマルチコピー(総数500~1000分子)によって構成されています。その全体像は図3のようになります。孔の周りに分厚いリング状の構造物があり、核の内部と外部では形態が異なります。このようなおおざっぱな形態は各種の生物でほとんど同じです。
 NPCの詳細な構造は参照文献(8)や(9)をみるとよくわかります。NPCを構成するタンパク質複合体は次の6つのグループに分類されています。

1:通常の核膜とNPCの境目にあって、NPC形成の基盤となる膜タンパク質
2:膜並置ヌクレオポリン
3:アダプターヌクレオポリン
4:チャネルヌクレオポリン
5:核バスケットヌクレオポリン
6:細胞質側フィラメントヌクレオポリン。

 それぞれのグループの位置関係は図79-3に示します。

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図79-3 核膜孔複合体の構造

 NPCについてひとつの困った問題は、細胞分裂の際に染色体が分離してから分裂が完了するまでの間核膜がなくなり、NPCも崩壊してしまうということです。これは細胞質に形成された紡錘糸が染色体にコンタクトするためには、核膜がじゃまになるからです。したがって図79-4に示すように、M期(細胞分裂期)のはじめに核膜は崩壊し、おわりに再構築されます。そのため核膜に付属する核膜孔も細胞分裂のたびにいったん崩壊し、再構築されなければなりません。数万個以上の分子を正しく集合させて巨大なNPCをつくるわけですから大変な作業であり、その全貌は現在も明らかではありません。

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図79-4 細胞周期と核・核膜孔の消長

 NPCを分子が通過する機構は核内への移行と核外への移行で異なります。まず核内への移行には積荷となるタンパク質が核移行シグナル(NLS=nuclear localization signal)をもっていることが重要で、これに kap α (インポーチン)が結合し、さらに kap β(エクスポーチン)が結合して通過複合体を形成することによって、核膜孔を通過することができます。
 通過後核内のRan-GTPと 通過複合体の kap β が結合することによって通過複合体は解離し、核内移行が完了します。Ran-GTPと結合した kap β は再び核膜孔を通過し細胞質に移行します。このときRan-GTPはRan-GDPとなって、エネルギーを消費します(8、図79-5)。

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図79-5 核膜孔を通って、細胞質から核内に移行する機構

 核外への移行はタンパク質だけでなく各種RNAも輸送しなければならないので、核内への移行とくらべて積荷の種類が多くてはるかに複雑です。積荷がタンパク質だった場合、核外移行シグナルを持っていれば、kap β が認識して「積荷-kap β-Ran-GTP」複合体が形成され、核外に移行できます(図79-6)。核外移行の際Ran-GTPはRan-GDPとなって、エネルギーを消費します。tRNAも kap β が認識して結合し同様に核外に輸送されます(8)。
 rRNAやmRNAも核外に輸送する必要がありますが、mRNAはアダプタータンパク質などを用いた独自の複合体を形成して輸送されます(9)。rRNAも特殊な方法で輸送されるようですが、基本的にはリボソームのサブユニットとしてタンパク質と結合した状態で輸送されるので、タンパク質の核外移行シグナルを使って kap β の輸送システムを利用します(10)。発展途上分野なので詳述はいたしません。興味ある方は、文献9、10などを参考にして下さい。
 核膜孔移行に用いられるタンパク質はカリオフェリンまたはトランスポーチンと呼ばれています。ただ kap β (カリオフェリンβ)は核内移行にも関与しているので、エクスポーチンという名前はふさわしくないと思いますが、普通に使われているようです。

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図79-6 タンパク質やtRNAの核外輸送システム

 核膜の内側はラミンという細胞骨格タンパク質が主体となっている核ラミナという網目構造によって裏打ちされています。核ラミナはさまざまなタンパク質と結合しており、たとえばネスプリンという膜貫通タンパク質は細胞質のアクチンフィラメントや中間径フィラメントと接続することが可能で(11)、核が細胞内をピンボールのように自由に動かないように係留することができます。また核ラミナは染色体と結合して、染色体を核膜の内側に係留することができます(図79-7)。

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図79-7 核ラミナ

 

参照

1)Chatton E. Pansporella perplexa: Reflexions sur la biologie et la
phylogenie des protozoaires. Ann Sci Nat Zool vol.8:pp.5-84 (1925)
2)Soyer-Gobillard MO. Scientific research at the Laboratoire Arago (Banyuls, France) in the twentieth Century: Edouard Chatton, the“master”, and Andre Lwoff, the “pupil”. Int Microbiol vol.5:pp.37-42 (2002)
3)Stanier R, Lwoff A. Le concept de microbe de Pasteur a nos jours.
La Nouvelle Presse Medicale vol.2:pp.1191-1198 (1973)
4)https://morph.way-nifty.com/grey/2016/12/post-b88f.html
5)Callan H. G., Tomlin S. G. Experimental studies on amphibian oocyte nuclei. I. Investigation of the structure of the nuclear membrane by means of the electron microscope. Proc. R. Soc. B vol. 137, pp. 367–378 (1950)  10.1098/rspb.1950.0047
6)R.W. Merriam, Some dynamic aspects of the nuclear envelope., J. Cell Biol., vol.12, pp. 79-90 (1962)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC2106017/pdf/79.pdf
7)「細胞骨格3」https://morph.way-nifty.com/lecture/2017/06/post-8a89.html
8)橋爪智恵子,Richard W. Wong、 核膜孔複合体の構造と機能、生化学 vol.83(10), pp. 957-965 (2011)
http://www.jbsoc.or.jp/seika/wp-content/uploads/2013/05/83-10-09.pdf#search=%27%E6%A0%B8%E8%86%9C%E8%A4%87%E5%90%88%E4%BD%93+%EF%BC%AE%EF%BD%95%EF%BD%90%EF%BD%93%27
9)片平じゅん、mRNA核外輸送複合体の形成機構 生化学 vol. 87(1): pp. 75-81 (2015)
https://seikagaku.jbsoc.or.jp/10.14952/SEIKAGAKU.2015.870075/data/index.html
10)松尾芳隆、核外輸送の過程におけるリボソームの品質管理の機構、ライフサイエンス 新着論文レビュー DOI: 10.7875/first.author.2013.158
http://first.lifesciencedb.jp/archives/8023
Coupled GTPase and remodelling ATPase activities form a checkpoint for ribosome export. Yoshitaka Matsuo, Sander Granneman, Matthias Thoms, Rizos-Georgios Manikas, David Tollervey, Ed Hurt., Nature, vo. 505, pp. 112-116 (2014)
11)Wikipedia: Nesprin,  https://en.wikipedia.org/wiki/Nesprin

 

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78.リソソームとオートファジー

 電子顕微鏡で細胞を観察していると、しばしば細胞内に何かわけのわからない内容物を含んだ閉じた袋のような構造体をみかけます。たとえば図78-1の細胞Aや細胞B(ラット真皮の細胞)の矢印の構造体です。矢印以外にも数多くみられます。これらの構造体は外界から取り込んだ固形物や液体、あるいは細胞内で生じた不要物などを集めて分解し、無害化したり、栄養として再利用したりするための、リソソーム(英語ではライソソーム)を主役とした「ごみ処理・再利用システム」の一部と考えられています。

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図78-1 毛包と真皮の電子顕微鏡写真  Dermis: 真皮 Hari follicle: 毛包 Deremal sheath: 真皮性毛根鞘  ― : 1μm

 リソソームはすでに1950年代にクリスチャン・ド・デューブ(図78-3)によって発見されており、ド・デューブは1974年にノーベル賞を受賞しています。彼のグループはラットの肝臓をすりつぶし、遠心力で分画して、マイクロソームとミトコンドリアの中間の画分にリソソームというオルガネラ(細胞内小器官)が存在し、その画分には酸性で稼働する加水分解酵素が多く含まれていることを証明しました。さらにファゴソームと名付けられた小胞が細胞質成分を包み込み、それがリソソームと融合して消化されるというシステムの存在を示唆しました(1-2)。
 現在わかっていることを大まかに示すと図78-2のようになります。細胞膜ではファゴサイトーシスやピノサイトーシス(まとめてエンドサイト-シス)によって、細胞外からウィルスなどの固形物や、溶液などを取り込むという活動が行われています。ファゴサイトーシスが細胞外に浮遊する粒子(細胞破片、細菌、ウィルス)を選択的に細胞内に取り込むことを指すのに対し、ピノサイトーシスは細胞外液を非選択的に細胞内に取り込むことを指します。ファゴは食べる、ピノは飲むという意味です。これは細胞近傍の有害物質を無害化したり、高分子の栄養物質をとりこんだりするために行われています。細胞膜の1部を使ってしまいますが、考えようによっては細胞膜一部を更新するという新陳代謝を行っているともいえます。
 集めた外界の物質などはエンドソームに集められ、次に内部がpH5のリソソームと融合してファゴリソソームとなり、ゴルジ体からリソソームやエンドソームに供給された数十種類の加水分解酵素が働いて消化活動を行います。これらの酵素はpH5周辺が至適の酵素なので、細胞質に漏れ出ても細胞を破壊することはありません。ファゴリソソームでの消化が終了すると、ファゴリソソームはリソソームに戻って次の機会を待ちます(図78-2)。
 ゴルジ体で作られた酸性が至適pHの加水分解酵素群はそれぞれマンノース6リン酸と結合し、マンノース6リン酸がマーカーとなってレセプターと結合し、ゴルジ体から分離した小胞でリソソームなどに運ばれます。ここでレセプターから離れた加水分解酵素は仕事をはじめます。エンドソームもリソソームほどではなくてもpHは酸性になっているので加水分解は可能ですが、もちろんリソソームと融合すると効率的に消化がすすみます(図78-2)。

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図78-2 エンドソーム・リソソームシステムによる高分子分解機構

 リソソームシステムは細胞外の物質だけではなく、細胞内の物質も消化することがわかっています(1-4)。この場合ファゴソームはオートファゴソーム、ファゴリソソームはオートリソソームといいます(オートは自分自身という意味)。そしてこのような自己消化活動全体を指してオートファジーといいます。ド・デューブの時代からオートファジーという現象があると言われていたのですが、その後細胞外から貪食作用(ファゴサイトーシス)によってとりこまれたものはリソソームシステムによって消化されるが、細胞内のものは消化されないとか、タンパク質のターンオーバーにはリソソームは関与しないという批判があり、さらにプロテアソームによる不要タンパク質分解機構が発見されるに至って、オートファジーは冬の自体を迎えることになりました(3)。
 そのような冬の時代にも、出芽酵母(お酒やパンをつくるのに使われる酵母です)のオートファジーに関心を持っていたのが大隅良典(図78-3)で、彼は出芽酵母の突然変異体を5000体作成し、そのなかからたったひとつのオートファジーを行わない突然変異体を分離しました(3)。この変異体は通常は普通に増殖しますが、栄養状態が悪くなると早死にしてしまいます。すなわちオートファジーとは飢餓時に自食することによって生きながらえるためのメカニズムであることが示唆されました。

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図78-3 リソソーム・オートファジー研究のパイオニア

 最新科学や先進技術もその歴史をひもとくと、実は知らない人から見ると全く個人の趣味・カルトな興味・重要性が全く見いだせないとしか思えない研究に行き着く場合が多いのです。DNAを切り貼りしてゲノムを編集するなどという技術も、もとをたどれば、細菌がいかにしてウィルスの攻撃を逃れるかという「細菌の免疫機構」の研究から生まれた代物であって、最初からDNAの改変を目的として開発された技術ではありません。大隅先生がよく基礎科学の重要性を強調されるのはそういうことだと思います。
 ですから研究費はばらまくことが必要なのです。どんな研究が科学の飛躍的発展につながるかなんて、神様しか知ることはできないのです。私は少額の科学研究費は抽選にしましょうと昔から主張しています。まともな研究者はそういうことがよくわかっているので、同じ研究分野の貧困研究者にこっそり30万円づつ配っていた先生もおられました。
 出芽酵母は図78-4のようにゲノムが1セットのn世代と2セットの2n世代があり、n世代のα タイプと a タイプが接合することによって2n世代がはじまります。このn世代(ゲノムが1セット)でも2n世代と同様な状態で普通に生きられる生物であることが味噌です。1ヶ所の遺伝子の傷によって表現型が変化する可能性が高いので、遺伝学の世界では重宝されています。哺乳類だと精子・卵子以外はすべて2nなので、1ヶ所の傷だと+/+が+/-になるだけで、健全な遺伝子が傷ついた遺伝子の働きを代替する場合が多く、遺伝子型と表現型は1:1に対応しません。研究に都合の良い素材を選ぶことは重要です。
 出芽酵母の2n世代は胞子をつくることができます。非常に興味深いことに、オートファジーができないミュータントは胞子をつくることができないそうです(3)。胞子は飢餓など環境の悪化に抵抗性の高い状態です。すなわち酵母のような10億年前から生きている原始的な生物においても、オートファジーは自食だけでなく、もっと複雑なサバイバル戦略の要になっていることがわかります。

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図78-4 出芽酵母のライフサイクル  a or α:1倍体 a/α:2倍体

 大隅らの研究によって、オートファジーができないミュータントはApg1というタンパク質が欠損していることがわかりましたが、次にはその他にオートファジーに関与しているタンパク質(遺伝子)はないのかということになります。この研究を実行したのが埼玉大学から東大駒場キャンパスの大隅研にやってきた大学院生の塚田美樹でした(図78-3)。それまで5000体の変異体からわずかひとつだけしか分離できなかったオートファジーのミュータントを、彼女は38,000体の変異体から何と15体も分離し、FEBS lett. に発表しました(5)。この論文がその後のオートファジー研究の出発点となりました。私もこの論文を読む機会があって、大変感動したことを覚えています。大隅は2016年のノーベル生理学医学賞を受賞しましたが、当時の研究室の思い出を弟子の方々がつづった思い出文集「駒場での大隅研究室」がウェブサイトで公開されています(6)。
 塚田・大隅の論文が出版された頃にはもうヒトやマウスの全DNA配列が解明されてきていて、酵母でオートファジーを担う遺伝子に対応した哺乳類の遺伝子も明らかになり、2000年前後から一瀉千里に研究は発展しました。オートファジーは真核生物全般に見られ、原核生物にはみられません。まず細胞質に脂質2重膜が2枚重なったようなお椀のような構造体が現れ、やがて球形に閉じて中身を閉じ込め(オートファゴソーム)、その外側の膜とリソソームの膜が融合してオートリソソームが完成します(図78-5、文献7より)。そのなかで構造体の分解消化が行われます。哺乳類でも酵母と同様、飢餓状態になると盛大にオートファジーが行われます。図78-5Cは飢餓状態にしたラットの肝臓のオートファジーを観察したものです。

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図78-5 オートファジー

 水島(図78-3)によると、哺乳類では受精直後(卵巣から離れると、着床するまでしばらく母親が残したタンパク質を栄養源として生き延びる)、出生直後(へその緒からの栄養供給がなくなるので自食で補う)、成体が飢餓状態・・・のような時にオートファジーが特に活発になるそうです(8)。もちろんオートファジーのシステムは普段から細胞内の老廃物を分解し、再利用したり廃棄したりするゴミ処理場の役割を果たしています。変性したタンパク質はオートファジーだけでなく、プロテアソームシステムでも排除できますが、不良ミトコンドリアはオートファジーまたは未知のシステムを使わなければ排除できません(4)。赤血球からミトコンドリアを排除する際にも、オートファジーのシステムが使われているようですが、未知のシステムが関与している可能性も残されています(4、9、10)。
 タンパク質を分解するシステムは前記のようにプロテアソームというのがあるのですが、プロテアソームは多糖類や糖脂質を分解することはできません。したがってこれらを分解するリソソーム酵素が欠損すると、細胞内に不要な多糖類や糖脂質が蓄積して病気が発生します。どんな病気があるかは Lyso Life というサイト(11)を参照し、主要なものだけ列挙しておきます。詳しくはサイト(11)をご覧下さい。

ゴーシェ病
グルコセレブロシダーゼという酵素の働きがなかったり、低くなったりしていることで、グルコセレブロシドという物質が分解されにくくなります。肝臓や脾臓が大きくなる、貧血や血小板の減少、骨症状などがみられ、けいれんや斜視(左右の目の視線が一致しない)などの神経症状が現れることもあります。

ファブリー病
α−ガラクトシダーゼ(α‐GAL)という酵素の働きがなかったり、低くなったりしていることで、グロボトリアオシルセラミド(GL-3)という物質が分解されにくくなります。手足の痛みや汗をかきにくいといった症状や、腎機能障害、心機能障害、脳血管障害などが現れます。

ポンペ病(糖原病Ⅱ型)
酸性α−グルコシダーゼという酵素の働きがなかったり、低くなったりしていることで、グリコーゲンという物質が分解されにくくなります。骨格を支える筋肉や呼吸に必要な筋肉の力が弱くなり、体重が増えにくい、心臓の働きが悪くなるなどの症状が現れることもあります。

ムコ多糖症Ⅰ型
α−L−イズロニダーゼという酵素の働きがなかったり、低くなったりしていることで、グリコサミノグリカン(ムコ多糖)という物質が分解されにくくなります。関節のこわばり、骨の変形、肝臓や脾臓が大きくなる、むくむくとした顔立ち、水頭症(頭の中に水がたまる)などの症状がみられ、知的な発達の遅れなどが現れることもあります。

ムコ多糖症Ⅱ型
イズロン酸−2−スルファターゼという酵素の働きがなかったり、低くなったりしていることで、グリコサミノグリカン(ムコ多糖)という物質が分解されにくくなります。関節のこわばり、骨の変形、肝臓や脾臓が大きくなる、むくむくとした顔立ちなどの症状がみられ、知的な発達の遅れなどが現れることもあります。

 

参照

1)C. De Dube, B. C. Pressman, R. Gianetto, R. Wattiaux and F. Applemans. Tissue Fractionation Studies. 6. INTRACELLULAR DISTRIBUTION PATTERNS OF ENZYMES IN RAT-LIVER TISSUE. Biochem J. vol. 60(4): pp. 604–617.
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC1216159/
2)Alex B. Novikoff, H. Beaufay,  and C. De Duve. ELECTRON MICROSCOPY OF LYSOSOME-RICHFRACTIONS FROM RAT LIVER.  J. Biophys. Biochem. Cytol., Vol. 2, NO. 4, Suppl. pp.179-190 (1956)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC2229688/pdf/179.pdf
3)荒木保弘・大隅良典 「オートファジーを長き眠りからめざめさせた酵母」 領域融合レビュー, 1, e005 (2012) DOI: 10.7875/leading.author.1.e005
Yasuhiro Araki & Yoshinori Ohsumi: Awakening the hibernation of autophagy research using yeast.
http://leading.lifesciencedb.jp/1-e005/
4)水島昇 「細胞が自分を食べる オートファジーの謎」 PHPサイエンスワールド新書 PHP研究所 (2011)
5)Miki Tsukada, Yoshinori Ohsumi., Isofation and characterization of autophagy-defective mutants of Saccharomyces cerevisiae., FEBS lett. Volume 333, number 1,2, pp. 169-174 (1993)
http://www.selectividad.pt/uploads/8/7/4/5/87451854/tsukada_et_al-1993-febs_letters.pdf
6)大隅良典先生ノーベル賞受賞記念思い出文集「駒場での大隅研究室」
http://bio.c.u-tokyo.ac.jp/file/OHSUMI.pdf
7)Wikipedia: Autophagy,  https://en.wikipedia.org/wiki/Autophagy
8)水島昇 哺乳類胚発生におけるオートファジーの役割を解明-マウス受精卵、自身の細胞内たんぱく質を分解して栄養に-
http://www.jst.go.jp/pr/announce/20080704/index.html?newwindow=true
9)H. Takano-Ohmuro, M. Mukaida, E. Kominami, K. Morioka., Autophagy in embryonic erythroid cells: its role in maturation. Eur. J. Cell Biol., vol. 79, pp. 759-764 (2000).
10)S. Honda et al., Ulk1-mediated Atg5-independent macroautophagy mediates elimination of mitochondria from embryonic reticulocytes. Nat. Commun.  Jun 4; vol. 5: 4004. (2014) doi: 10.1038/ncomms5004
11)Lyso Life,  ライソゾーム病とは http://www.lysolife.jp/about/about/kind.html

 

 

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77.ミトコンドリア

 ここではミトコンドリアというオルガネラについて、最も基本的なところからあらためて展開したいと思います。本書ですでに述べた部分もありますし、一部私がウェブサイトで記述している部分もあります(1)。
 ミトコンドリアを発見したのは、ミーシャーの協力者であり、「nuclein ヌクレイン」 を正しく 「nucleic acid 核酸」 と改名したリヒャルト・アルトマンです。ミトコンドリアは光学顕微鏡による観察ではサイズが小さすぎて見えないのですが、適切に固定・染色すれば細菌と同様観察することができます。アルトマンはその固定法や染色法を工夫して、あらゆる細胞の中に細菌のような生物が棲息していることを示唆しました。1890年頃のことです。アルトマンはそれをバイオブラストと命名し、シンビオント(共生体、ヒトとこの微生物が共生している)であることを早くも予想していました(2、3)。
 現在ではゲノムの解析などから、ミトコンドリアが αプロテオバクテリア にその起源を持つことは一般的に認められていますが、当時ではまさに荒唐無稽な説であり、アルトマンが言うところのバイオブラストは固定・染色のアーティファクトだとされて、全く相手にされなかったようです。そのためアルトマンは晩年は自室に引きこもって隠遁生活を余儀なくされたそうです(2-3)。アルトマンは21世紀になってから再評価されて、著書も復刻されました(図77-1)。彼はわずか48歳で他界していますが、その肖像は異様に年老いてみえます(図77-1)。悩みの多い人生だったことがうかがえますが、私はまだこの写真(4)が本当にアルトマンなのか疑いを禁じ得ません。
 しかし当時から小数ながら彼を支持する研究者もいて、1898年にカール・ベンダはアルトマンのバイオブラストが、あるときには糸(mito in Greek)、あるときには顆粒(chondros in Greek)に見えることから、改めてミトコンドリオン(複数はミトコンドリア)と命名しました。さらに1900年にはレノア・ミカエリスが生細胞をヤヌス・グリーンという色素で染めてミトコンドリアを観察することに成功し、しだいにミトコンドリアはその存在を認められるようになりました(3)。1960年代にはリン・マーギュリスがミトコンドリア=シンビオント説を再興し(5、図77-1)、現在ではそれが広く認められるようになりました。文献5の著者のファミリーネームがセーガンとなっているのは、当時彼女がカール・セーガン(映画「コンタクト」の原作者:主演ジョディ・フォスターが素晴らしく、ストーリーもうまくできているのでおすすめします)の奥様だったからです。
 ウィキペディアによると、ヒトの場合ミトコンドリアの総重量は体重の約10%を占めるとされています(6)。確かに肝臓の細胞などを観察していると、そのことが納得できるくらい頻繁にミトコンドリアをみつけることができます。ヒトの場合ひとつの細胞に、平均すると数百個のミトコンドリアが存在すると言われています。ただ酸素を運ぶのが仕事の赤血球では、おそらくミトコンドリアが途中で酸素を使ってしまうのを防ぐために、ミトコンドリアを消滅させています(7-8)。消滅させるメカニズムは、大隅良典のノーベル賞授賞で有名になったオートファジーなどです(7-8)。角質化した細胞(表皮上層部・爪・毛など)にもミトコンドリアはみられません。

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図77-1 リヒャルト・アルトマンと彼の復刻された著書および彼のシンビオント説を復活させたリン・マーギュリス

 ミトコンドリアは図77-2のように、いちばん外側は進化上真核生物に由来すると思われる外膜に包まれ、その内側に細菌(シンビオント)由来と思われる内膜が存在します。内膜は外膜をぴったりと裏打ちしているわけではなく、ときおり細胞内に突出する場合があり、この構造をクリステといいます(図77-2)。外膜と内膜の間やクリステには膜間腔という狭い空間があります。内膜の内側にはマトリックスと呼ばれる細胞質があり、核はなくミトコンドリアDNAがあります(図77-2)。ひとつのミトコンドリアには通常数コピーのミトコンドリアDNAを保有しています。またそれらのDNAは裸ではなくタンパク質でラップされている状態にあります(6)。

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図77-2 ミトコンドリアの内部構造

 ヒトを含めて多くの動物のミトコンドリアDNAに含まれる遺伝子は、リボソームRNAが2個、トランスファーRNAが22個、その他ATP合成酵素などが13個、計37個(9、図77-3)で、大腸菌が約4000個の遺伝子を持つことを考えると、シンビオントが共生をはじめてから、進化の過程でほとんどの遺伝子がホスト(ヒト)のゲノムに移行または吸収されてしまったことが示唆されます。これはおそらくミトコンドリアが独立した生物として、勝手に増殖や機能発現を行わないように制御するためと思われますが、ここまで徹底的に移転させたのには、それなりの理由または特別なイベントがあったのかもしれません。ミトコンドリアの呼吸鎖複合体4つのすべては、ホストのゲノムにコードされているタンパク質がなければ活動できないので、ミトコンドリアにおけるATP産生はホストによって決定的に規制されています。

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図77-3 ミトコンドリアに残された遺伝子

 ミトコンドリアDNAは円形(サーキュラー)でかつ非常に小さいので、ウィルスやプラスミドが行うようなローリングサークル型DNA複製を行います。これは図77-4のように、トイレットペーパーを引き出すような形で、とりあえず片側のDNAだけをタンデムに複数コピーして作成し、切断・二重鎖化・環状化はそのあとゆっくり進行させるというやり方です。
 このやり方のひとつの利点は、1個のミトコンドリアに「変異が蓄積して不要なDNA」と「無傷のDNA」が共存した場合、ミトコンドリアが分裂したときに無傷のDNAをローリングサークルで多数複製し、それを娘ミトコンドリアに送り込むことができるということです。これは1種のクローニングで、そうしてできた娘ミトコンドリアは新品同様なので、卵母細胞などメスの生殖細胞ではこのようなミトコンドリアが使われていると考えられます(10)。
 ミトコンドリアは静的な存在ではなく、しばしば融合や分裂を繰り返す動的な存在です。ミトコンドリアを縊り切って分裂させる装置の主役となるタンパク質は、細菌のチュブリンファミリーや真核生物のアクチンファミリ-ではなく、なんとダイナミンファミリーの Drp (哺乳類の場合)です(11-12、図77-5)。驚くべき事に彼らは過去に装備していた分裂装置を捨て去り、かと言ってホストの分裂装置も借りないで、全く新しい生き方を選びました。ホストの細胞内という環境の中で、ホストと自分自身の生存に有利な方向に進化してきたのでしょう。

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図77-4 ミトコンドリアのDNA複製

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図77-5 ミトコンドリアの分裂・融合・係留

 しかも新しい分裂装置を獲得する中で、ミトコンドリア同士を融合するシステムを獲得しました(図77-5)。図77-5に示したダイナミンファミリーの Drp、 Mfn、Opa、の他にも多くのタンパク質が細胞融合にかかわっているようです(11)。獲得したと言いましたが、もちろんミトコンドリアが独自に進化したのではなく、これらのダイナミンファミリーの遺伝子はすべてホストのゲノムに存在しているので、ホストの進化といっても良いわけです。
 ミトコンドリアの融合がなぜ有用なのかは、まだ完全に理解されているわけではありませんが、例えばDrp1の突然変異が重篤な新生児致死の原因となる、Mfn2 に変異が生じると末梢神経に障害をもつ神経変性疾患である Charcot-Marie-Tooth 病に罹患する、Opa1 の変異は視神経形成異常となるDominant Optic Atrophy (優性視神経萎縮症)の原因となるなどが報告されています(11、12)。ローリングサークルで大量のDNAを合成した場合、その事後処理のため大型のミトコンドリアが必要とも考えられます。心筋などでは多量のATPが必要とされるので、ミトコンドリアが巨大化し、かつびっしりと繋がって存在する場合があります(13)。
  ミトコンドリアは現在ではリボソームRNA遺伝子やシトクロムc遺伝子の構造比較から、αプロテオバクテリアに起源するとされており、そのなかでもリケッチアあるいはその祖先に近いとされるペラジバクター(現在でも海洋に浮遊する普通種)が起源ではないかと言われています(6)。
 話は変わりますが、ミトコンドリアは母親から受け継がれるので、ミトコンドリアDNAの塩基配列を解析し系統樹を作成すると、最初の一人の母親にたどりつくという研究があります。そのアフリカに住んでいたとされる母親はミトコンドリア・イヴと呼ばれることもあります。ただし聖書のようにその母親からすべての人類が生まれたわけではなく、たまたま20万年もの間、子供に必ず女性がいたというとてもめずらしい家系の頂点にいる女性ということです。ミトコンドリアが母親から受け継がれるというのは真実で、それなら精子のミトコンドリアは受精後どうなってしまうのでしょうか? 図77-6のように受精後しばらくは精子のミトコンドリアも受精卵の中で生きているのですが、融合や増殖は禁止されています。そして受精卵が分裂を繰り返し個体に発生していく過程で、父系のミトコンドリアはオートファゴソームという袋につつまれて分解(オートファジー)されてしまいます(14、15)。父系のミトコンドリアをすべて殺してしまうというのが生物にどんなメリットを与えるのかはよくわかっていません。卵子ではミトコンドリアの品質がきちんと管理されているが、精子では管理されていないということも考えられます。

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図77-6 ミトコンドリアは母親のみから受け継がれる

 ミトコンドリアは酸素を使って代謝を行っている上、鉄も多く含むため、活性酸素が発生しやすい条件が整っています。活性酸素はタンパク質・脂質・核酸などの生体物質と反応して変質させることがあります。したがってミトコンドリアは常に劣化する危険にさらされています。劣化したミトコンドリアは通常オートファジーによって排除されますが、それでも間に合わない場合、ミトコンドリア内部からシトクロムcというタンパク質が放出され、ホストの細胞ごと自殺に導くという究極のプロセスが発動します。
 このプロセスはアポトーシスと呼ばれており、もともと細胞が修復不能なダメージを受けたとき、p53というタンパク質がシグナルとなってミトコンドリアに情報を伝え、それにミトコンドリアが反応してシトクロムcを放出するというメカニズムがあるのですが(図77-7)、それを利用してミトコンドリアの品質管理が行われることもあり得るということです。
 真核生物はミトコンドリアからほとんどの遺伝子を奪い取りましたが、一方で自らの生死をミトコンドリアの指令によって決めるというメカニズムを構築しました。不思議な進化の物語です。

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図77-7 アポトーシス

 ミトコンドリア遺伝子の異常、ミトコンドリア品質管理の異常などが原因の疾患はいろいろ知られています。詳しくはウィキペディアのミトコンドリア病の項などを参照していただきたいですが、アルツハイマー病やパーキンソン病にミトコンドリアの機能不全が原因とおぼしきものがあるらしいそうで、これはちょっとした驚きです(16)。

参照

1)https://morph.way-nifty.com/grey/2017/05/post-d4be.html
2)Brian O'Rourke, From Bioblasts to Mitochondria: Ever Expanding Roles of Mitochondria in Cell Physiology., Front Physiol., vol. 1: article 7, pp. 1-4 (2010)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC3059936/pdf/fphys-01-00007.pdf
3)Carolyn Csanyi, Discovery of the Mitochondria, Sciencing (2017)
http://sciencing.com/discovery-mitochondria-20329.html
4)Ecu Red  Richard Altmann, https://www.ecured.cu/Richard_Altmann
5)Lynn Sagan  On the origin of mitosing cells. J. Theoretical Biology vol. 14(3), pp. 255-274. (1967) PMID 11541392 doi:10.1016/0022-5193(67)90079-3
6)ウィキペディア: ミトコンドリア
7)H. Takano-Ohmuro, M. Mukaida, E. Kominami, K. Morioka., Autophagy in embryonic erythroid cells: its role in maturation. Eur. J. Cell Biol., vol. 79, pp. 759-764 (2000).
8)S. Honda et al., Ulk1-mediated Atg5-independent macroautophagy mediates elimination of mitochondria from embryonic reticulocytes. Nat. Commun.  Jun 4; vol. 5: 4004. (2014) doi: 10.1038/ncomms5004
http://www.natureasia.com/ja-jp/jobs/tokushu/detail/329
http://www.nature.com/articles/ncomms5004
9)Jeffrey L. Boore, Animal mitochondrial genomes., Nucleic Acids Res., vol. 27 (8): pp. 1767-1780 (1999),  DOI: https://doi.org/10.1093/nar/27.8.1767
https://academic.oup.com/nar/article/27/8/1767/2847916/Animal-mitochondrial-genomes
10)石原直忠、 融合と分裂によるミトコンドリアの形態制御の分子機構と生理機能 生化学 vol. 83, no.5, pp. 365-373 (2011)
11)伴 匡人,後藤雅史,石原直忠、ミトコンドリアの融合と分裂 その意義と制御機構 化学と生物 vol. 53, no.1, pp. 27-33 (2015)
12)H. R. Waterham, J. Koster, C. W. T. van Roermund, P. A. W. Mooyer, R. J. A. Wanders & J. V. Leonard:  A Lethal Defect of Mitochondrial and Peroxisomal Fission.  N. Engl. J. Med., vol. 356, pp.1736-1741, (2007).
13)Cell image library,  http://www.cellimagelibrary.org/images/7567
14)佐藤美由紀  父由来のミトコンドリアが消されるしくみ 生命誌 vol.84-87 「つむぐ」 新曜社 pp. 100-105 (2016)
http://www.brh.co.jp/seimeishi/journal/085/research/2.html
15)佐藤美由紀、佐藤健  ミトコンドリアゲノムの母性遺伝のメカニズム オートファジーによる父性ミトコンドリアの分解 化学と生物 vol. 50 (7) pp. 479-480 (2012)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/kagakutoseibutsu/50/7/50_479/_pdf
16)田中敦、Richard J Youle  ミトコンドリアの品質維持とパーキンソン病 細胞工学 vol. 29 (5) pp. 431-437 (2010)

 

 

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76.細胞骨格 Ⅲ

 ここまで述べてきましたように、マイクロフィラメントや微小管は細胞骨格とはいえ 、むしろ細胞移動・細胞内輸送・細胞分裂などダイナミックな作業を実行するためのツールであり、変動も激しく、形成や活動にATPやGTPを大量に使用します。それらと比較すると中間径線維は安定で、線維の形成にATPやGTPを必要としないので、細胞骨格という名前にふさわしいかもしれません。中間径というのは、約6nm径のマイクロフィラメントと約25nmの微小管の中間のサイズ=約10nmという意味です。
 図76-1はケラチンを例にとりましたが、Ⅰ型とⅡ型のケラチンがヘテロ2量体をつくり、そのヘテロ2量体がアンチパラレルに結合して4量体を形成し、それらが4本集まってプロトフィブリルを形成します。プロトフィブリルが多数集まって、中間径線維ができあがります。このような構造を形成するためにATPやGTPは消費しません。

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図76-1 中間系線維の構築

 中間径線維も伸長や短縮を行いますが頻繁ではなく、基本的には細胞の形態を決めるのに役立っているとも言えますが、実際にはそんなに単純ではなくて、例えばケラチンの場合、その生理的意義・機能は非常に多岐にわたっており、角化によって水分の蒸発を防ぐ、細菌やウィルスの侵入を防ぐ、紫外線のダメージを吸収する、体温を維持する、捕殺や負傷を防ぐ、敵を突き殺す、指先に力を与える、蹄で体重をささえて走る、羽毛で空を飛ぶ、など数えきれません。
 中間径線維を構成するタンパク質は図76-2のように多数のグループがあり、通常それぞれのグループに複数の種類のタンパク質が所属します。グループを越えて複合的な繊維をつくることは一般的にはありません。ケラチンは上皮組織、ビメンチンは間充織、デスミンは筋肉、ニューロフィラメントは神経など特定の組織で発現するタンパク質が多いのですが、ラミンだけは例外的に広汎な組織にみられます。

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図76-2 中間系線維の種類と局在

 各タンパク質の分子構造をみていきますと、図76-3のように、すべてNH2側(N末)とCOOH側(C末)にαヘリックスやβシートを形成しない領域があり、中央にαヘリックスからなるロッド領域があるという形で、3つのドメインで構成されています。ロッド領域は2~3ヶ所の非αヘリックスリンカーで分断されています。ロッド領域で多数の分子がパラレルに結合することによって太いケーブルが形成され、C末とN末がタンデムに結合して長いケーブルとなります。中間系線維を構成する分子はすべて細胞質にありますが、ラミンだけは例外的に核にあるのでC末ドメインに核局在配列が存在します。(分子量は5万~7万です)。

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図76-3 中間系線維を構成する様々なタンパク質の構造を比較する

 ケラチンは生化学者には嫌われているタンパク質です。というのはラーメン店でスープを指にかけながら持ってくるウェイトレスのような研究者もいて、電気泳動槽のバッファに指をちゃぽちゃぽ浸しながら移動すると、目的のタンパク質以外に皮膚のケラチンが検出されます。頭を洗っていない研究者だとフケが落下したりもします。
 ケラチンにはSHが多く(髪が焦げると硫黄の臭いがします)、となりの分子のSHと結合してSS(ジスルフィド結合)を形成するので、分子の独立性は失われ、やや大げさに言えば毛髪・爪・角・鱗などはひとつで1巨大分子ということになります。ケラチンは肝臓のような柔らかい組織にもあるので、存在場所に応じて多くの種類があります。ヒトを含めて動物は数十種類のケラチン分子種すなわち遺伝子を保有しています。
 ケラチンを発見したのは誰だか判りませんが、16世紀の中国の薬草学者李時珍(Li Shih-chen 図76-4)が治療に用いていたことが、私は未読ですが、彼の大著「本草綱目Compendium of Materia Medica」から読み取れるそうです(1-2)。最初にケラチン遺伝子の配列を決めたのはハヌコグルとフックスです(3、図76-4)。

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図76-4 ケラチン研究の先覚者達

 これはややめずらしいことだと思いますが、たとえばヒトの場合、I 型ケラチングループの各遺伝子は第17染色体の特定部位(17q21.2)に、II 型ケラチングループの各遺伝子は第12染色体の特定部位(12q13.13)にぎっしりかたまって存在しています。しかも上皮ケラチン・毛根鞘ケラチン・毛&爪ケラチンはそれぞれクラスターを形成しています。偽遺伝子もいくつかみつかっています(図76-5)。ケラチンの大きな特徴として、表皮・毛髪・爪・角・鱗などの死細胞においても、垢・雲脂・生え替わりなどで外界に廃棄されるまで、その機能を果たしていることが上げられます。

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図76-5染色体上のケラチン遺伝子の位置とクラスター

 ビメンチン(分子量57,000)は発見者がはっきりしています。ドイツのマックス・プランク研究所の Franke WW, Schmid E, Osborn M, and Weber K. です(4)。オズボーンとウィーバー(夫妻)は生化学に手を染めた者なら誰でも使ったことがあるはずの「SDS-PAGE」という分析法を開発したことで有名な研究者です(図76-6)。フランケは近年はアンチ・ドーピングの研究者としても有名です(図76-6)。

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図76-6 ビメンチンの発見者達

  図76-7Aはラット胎児の皮膚で私が撮影したものですが、ビメンチンが茶色に染まっています。表皮や毛包の上皮性組織はほとんど染まらず、間充織である真皮や毛乳頭はよく染まっていることがわかります。違いが明白なので腫瘍が上皮性か間充織性かを判別するのに、ビメンチンの染色が使われています。図76-7Bは細胞内におけるビメンチンの分布です。核を包み込むような感じですが、ミトコンドリアや小胞体と結合する場合もあるようです(6)。

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図76-7ビメンチンの染色  HF: Hari follicle(毛包) ED: Epidermis(表皮) D: Dermis(真皮) ↑: Dermal papilla(毛乳頭)

 ビメンチンの機能はかなり微小管が代替することができるようで、両者の機能の切り分けがはっきりとわかっていませんが、ビメンチンには細胞に弾力を与えたり、オルガネラを保護するような役割があるようです(6)。ビメンチンの遺伝子を欠損すると負傷からの回復が遅れるという報告もあります(7)。
  デスミン(分子量53,500)は筋細胞に特異的に存在するタンパク質で、デスミンがつくる線維は細胞骨格と言うより筋組織のパーツとしての役割を担っています。。ラザリデスのグループによって発見され(8)、遺伝子配列はLi Zhenlin(9)らによって解明されました。デスミン遺伝子を欠損させたマウスでは、正常な筋肉組織が形成されないことが明らかになっています(10)。デスミン遺伝子の突然変異によるヒト筋肉疾患も報告されています(11)。
 デスミン線維は横紋筋細胞では図76-8のように配置されていて、筋原線維のZディスク同士、Zディスクと筋鞘(サルコレンマ)のコスタメア、Zディスクとミトコンドリアや核を連結しています(12、図76-8)。

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図76-8 横紋筋細胞におけるデスミン線維の配置

 ニューロフィラメントは神経細胞に特異的に出現する中間径繊維で、発見者は F.C. Huneeus(イヌ) & P.F. Davison です(13)。構成しているタンパク質は3種類の分子量がかなり異なるアイソフォームで、それぞれNF-H (分子量 200-220 kDa)、 NF-M (分子量145-160 kDa)、 NF-L (分子量68-70 kDa)と命名されています。軸索の内径を広げて、神経伝達がスムースに行われるようにするという説があります(14)。
 類似したタンパク質にα-インターネキシン(分子量66kDa)というのがありますが、図76-9のようにニューロフィラメントタンパク質(グリーン)とは異なる細胞(図76-9の場合は未分化な神経細胞 レッド)に発現する場合があります。神経細胞にはこの他にネスチン、ペリフェリンなどの中間径繊維形成タンパク質も発現します。
  最後にラミンですが、ラミンだけは核に局在しているタンパク質で、ラミン線維は核ラミナと呼ばれる核膜を裏打ちしている構造となっています。初期の研究は Aaronson RP と Blobel G によって行われました(15)。10年後には遺伝子配列も明らかになりました(16)。ラミンは真核生物が出現すると同時に生まれたのではないようです。ヒドラからヒトまですべての動物(後生生物)にあるのですが、植物・カビ・単細胞生物は持っていません。このことはラミンが動物独特の体細胞分裂に関与していることを示唆しています(17、18)。また核内での染色体の位置決めとかDNAの転写にも関与しているかもしれません(18)。

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図76-9 脳細胞におけるニューロフィラメントL(緑)とα-インターネキシン(赤)

 ラミンにはAタイプとBタイプがあり、それぞれ別の遺伝子にコードされています。これ以外にCタイプというのがあるのですが、CタイプとAタイプは同じ遺伝子にコードされており、Cタイプは選択的スプライシングによって生成されたものです。Cタイプも含めたAタイプは胎生期にしか発現しません。一方BタイプはB1・B2が別の遺伝子にコードされており、これらはすべての細胞に認められます。AタイプはBタイプから進化的に派生したと考えられています(17、18)。Aラミンの機能をBラミンがすべて代替できるわけではなく、マウスではAタイプラミンの欠損によって、成長が著しく遅れ、筋ジストロフィーが発生するそうです。またラミンBの欠損は致死です(18)。ラミンの局在に関心がある方は、参照に記載したサイトをご覧ください(19-22)。

 

参照

1)Compendium of Materia Medica:https://en.wikipedia.org/wiki/Compendium_of_Materia_Medica
2)The discovery of keratin. http://keratininformation.weebly.com/discovery.html
3)Hanukoglu, I.; Fuchs, E., "The cDNA sequence of a human epidermal keratin: divergence of sequence but conservation of structure among intermediate filament proteins". Cell. vol. 31 (1): pp. 243–252.  (1982) doi:10.1016/0092-8674(82)90424-X. PMID 6186381.
4) Franke WW, Schmid E, Osborn M, Weber K. Different intermediate-sized filaments distinguished by immunofluorescence microscopy. Proc Natl Acad Sci USA vol. 75: pp. 5034-5038 (1978)
5)Wikipedia(German): Werner Franke (Biologe), https://de.wikipedia.org/wiki/Werner_Franke_(Biologe)
6)Wikipedia: Vimentin,  https://en.wikipedia.org/wiki/Vimentin
7)Eckes B, Colucci-Guyon E, Smola H, Nodder S, Babinet C, Krieg T, Martin P., "Impaired wound healing in embryonic and adult mice lacking vimentin.". Journal of Cell Science. vol. 113: pp. 2455–2462. (2000) PMID 10852824.
8) Izant JG, Lazarides E.,  "Invariance and heterogeneity in the major structural and regulatory proteins of chick muscle cells revealed by two-dimensional gel electrophoresis". Proc. Natl. Acad. Sci. U.S.A. vol. 74 (4): pp. 1450–1454. (1977) PMID 266185. doi:10.1073/pnas.74.4.145
9)Li Zhenlin, Alain Lilienbauma, Gillian Butler-Browneb, Denise Paulin., Human desmin-coding gene: complete nucleotide sequence, characterization and regulation of expression during myogenesis and development., Gene, vol. 78, Issue 2,  pp. 243–254 (1989)
http://www.sciencedirect.com/science/article/pii/0378111989902278
10)Capetanaki Y1, Milner DJ, Weitzer G., Desmin in muscle formation and maintenance: knockouts and consequences., Cell Struct Funct., vol. 22(1): pp. 103-116. (1997)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/9113396
11)デスミンミオパシー,デスミン遺伝子の突然変異による心筋ミオパシーを伴った骨格筋ミオパシー: 
http://www.nejm.jp/abstract/vol342.p770
12)Panagiotis Koutakis et al., Abnormal Accumulation of Desmin in Gastrocnemius Myofibers of Patients with Peripheral Artery Disease: Association with Altered Myofiber Morphology and Density, Mitochondrial Dysfunction and Impaired Limb Function., Journal of Histochemistry and Cytochemistry (2015)
https://www.researchgate.net/publication/270705709_Abnormal_Accumulation_of_Desmin_in_Gastrocnemius_Myofibers_of_Patients_with_Peripheral_Artery_Disease_Association_with_Altered_Myofiber_Morphology_and_Density_Mitochondrial_Dysfunction_and_Impaired_Li
13)F.C. Huneeus. and P.F. Davison,  Fibrillar proteins from squid axons: I. Neurofilament protein, Journal of Molecular Biology, vol. 52, Issue 3, pp. 415-418 (1970).
http://www.sciencedirect.com/science/article/pii/0022283670904109#
14)Wikipedia: Neurofilament,  https://en.wikipedia.org/wiki/Neurofilament
15)Aaronson RP, Blobel G., Isolation of nuclear pore complexes in association with a lamina. Proc Natl Acad Sci vol. 72: pp. 1007–1011 (1975)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC2964183/
16)McKeon FD, Kirschner MW, Caput D., Homologies in both primary and secondary structure between nuclear envelope and intermediate filament proteins. Nature 319: 463–468 (1986)
17)Wikipedia: Lamin,  https://en.wikipedia.org/wiki/Lamin
18)Thomas Dechat, Stephen A. Adam, Pekka Taimen, Takeshi Shimi,and Robert D. Goldman, Nuclear Lamins., Cold Spring Harb Perspect Biol;2:a000547 (2010)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC2964183/
19)http://www.abcam.co.jp/lamin-b1-antibody-nuclear-envelope-marker-ab16048.html
20)http://www.abcam.co.jp/lamin-a-antibody-ab26300.html
21)https://www.thermofisher.com/jp/ja/home/life-science/antibodies

 

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75.細胞骨格 Ⅱ

 真核生物のチュブリン・アクチン・ケラチンについて、基本的なことはすでに述べています(1)。ここではもう少し進んだ話題を取り上げます。
 まずチュブリンについて。チュブリンにはいずれも分子量約5万の α と β があり、通常 α と β が結合してαβ の形で存在します。このほか動原体にある γ 、中心体にある δ と ε などが知られています。微小管はαβ がタンデムに連結したプロトフィラメント(αβαβαβαβ・・・)同士がパラレルに11~16本結合して、中空のチューブを形成しています(図75-1)。微小管は細胞分裂の際には紡錘体を形成し(図75-2)、鞭毛・繊毛においても特殊な配列をとりますが(図75-2)、一般的には細胞質全体にひろがって存在します(図75-1)。

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図75-1 微小管線維とチュブリンの配列

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図75-2 微小管が形成する特殊な構造  左:細胞分裂時 右:繊毛・鞭毛の横断面

 α  と β はヘテロダイマーとして行動し、αβαβαβαβ・・・という形でプロトフィラメントが形成されるので、プロトフィラメントには極性が存在します。しかもフィラメント同士はパラレルなので、微小管全体として極性が発生し、β側を+末端、α側を-末端と呼びます。β 側でフィラメントが伸長し、α 側で崩壊するという意味での+-なのですが、-末端は比較的安定で、+末端は-末端より頻繁に大規模な崩壊(カタストロフ)や修復(レスキュー)を繰り返していることがわかってきました(2-3、図75-3)。 カタストロフの過程では、プロトフィラメントの末端からGTP結合チュブリンの脱落からはじまるフィラメントの短縮だけでなく、フィラメント同士の接着もはがれるようです(3、図75-3)。

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 図75-3 微小管のプラス末端とマイナス末端

 このような微小管の動態を制御しているタンパク質群はMAPS(microtubule-associated proteins、4、5)、+TIPS(6)など非常に数多く、微小管の機能や制御の多彩さを示しています。あまりに複雑なため、現在でも未知の領域が数多く残されていると思われます。
 もうひとつ微小管の重要な役割は、細胞の中の道路として機能することです。ダイニンやキネシンはATPをエネルギー源として微小管上を袋(ベシクル)をかついで「歩行」し、細胞の隅々まで物質を届けます(7、図75-4)。神経細胞の軸索などは1mくらいの場合もあるので(通常、細胞の直径は5~10μm程度です)、ダイニンやキネシンのようなモータータンパク質を使わないと、必要な物質を末端まで短時間では供給できません。ダイニンはもともと繊毛や鞭毛の運動を生み出す分子として同定されましたが、その後細胞内の分子の移動にかかわる種類が存在することがわかりました(7)。キネシンはキネシンスーパーファミリータンパク質という一群を形成するほど多彩なメンバーを持っています(8-9)。

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図75-4 ダイニンとキネシン

 次はアクチンです。チュブリンを発見・精製・命名したのは戦後間もない日本の毛利秀雄でしたが、アクチンの発見者も当時科学では辺境の地であったハンガリーのブルノ・フェレンツ・シュトラウプでした。彼はハトの筋肉をすりつぶし、アセトンにいったん溶かして乾燥し、アセトンパウダーを作成して、そこからアクチンを抽出・精製しました。今でもアクチンの精製には、基本的にシュトラウプの方法が使われています(10)。
 アクチンは単独の分子の場合G-アクチンともいい、G-アクチンが連結して線維を形成している場合F-アクチンといいます。Fアクチンにざまざまな制御タンパク質が結合してマイクロフィラメントが形成されますが、図75-5ではアクチンのポリマーとして示してあります。

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図75-5 アクチン分子とその集合体であるマイクロフィラメント

 マイクロフィラメントには微小管と同様+末端と-末端があり、ATPが結合したGアクチンが+末端に結合してフィラメントを伸ばし、ADP-Gアクチンが-末端から脱落してフィラメントを縮めるということになります。図5の下図をみると、マイクロフィラメントは細胞がある方向に伸長している場合、その伸長方向に平行に伸びている場合が多いことがわかります。また細胞膜近傍に顕著に観察されます。
 真核生物が誕生したとき、生物の生き方に関するひとつの革命が起きました。それは固体に密着して生き、移動には鞭毛ではなくアメーバ運動を利用するということです。アメーバ運動をするためには仮足が必要です。仮足には図75-6Bのような糸状仮足(フィロポディウム)と図6Cのような葉状仮足(ラメリポディウム)があります。いずれも仮足の先端部にはマイクロフィラメントが密集していて、マイクロフィラメントの伸長・短縮によって仮足が動いていることが示唆されます。
 一方でマイクロフィラメントの基部には微小管が集結しています。あたかもマイクロフィラメントの枝を微小管の幹がささえているようなイメージです。糸状仮足が伸びるということは、マイクロフィラメントの+末端にGアクチンが次々と結合している状態に他なりません。
 75-6BC図と異なり、75-6A図ではマイクロフィラメントが赤になっていることに注意してください。動いていない図75-6Aのような細胞では、マイクロフィラメントは細胞膜の裏打ち構造を形成しています。まるで細胞膜の輪郭線をなぞっているように見えます。細胞質のマイクロフィラメントは太い束にならず、細胞全体に分散しているように見えます。ただし方向はランダムではなく、パラレルな感じで分布しています。一方微小管(緑)は核の周辺に密集し、そこから部分的に細胞の辺縁に伸びているように見えます。

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図75-6 アクチンとチュブリンの細胞内での分布

 アクチンは細胞の形態を決める細胞骨格としての役割以外に、細胞運動にもかかわっていますが、さらに細菌や古細菌ではFtsZが担っていた細胞分裂の主役も、真核生物ではアクチンが担うようになりました。図75-7のようにアクチンが分裂溝に集結しています。

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図75-7 細胞分裂時にアクチンは分裂溝に集合する

 私達のような動物では、アクチンはミオシンという別グループのタンパク質と協力して筋肉という組織を形成して、これを使って歩行したり、キーボードをたたいたり、胃腸を動かしたり、心臓を収縮させたりしています。横紋筋にはサルコメア(筋節)という収縮の単位構造があり、この中にアクチン線維とミオシン線維が交互に配置されていて、その相互作用により筋収縮が行われています(図75-8)。

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図75-8 筋細胞におけるアクチンとミオシン

 このことは1954年に Andrew Fielding Huxley ら(11、図75-9)と Hugh Esmor Huxley ら(12、図75-9)によって同時に発表されました。しかしミオシン線維の中にアクチン線維が滑り込むといういわゆる「すべり説」は、現在でも基本的に正しいとされているにもかかわらず(13)、二人ともこの件ではノーベル賞を授与されていません。江橋節郎(図75-9)がカルシウムが筋収縮のシグナルであることを発見したにもかかわらずノーベル賞を授与されなかったのも、このことが影響していると思われます。
 江橋節郎は「カルシウムと私」という文のなかで、カルシウム説を学会で発表した当時の様子を次のように述べています: 「 “座長のハンス・ウェーバーが 「討議の結果、カルシウム説は明らかに否定された」と宣言するや、娘のアンネマリー・ウェーバーは激昂して絶叫し、エバシは日本語でわめいた。皆は腹をかかえて笑った” 。座長は、皮肉なことにアンネマリーの父であり、当時筋研究の泰斗として世界に知られるハンス・ウェーバーだった。アンネマリーが激昂して絶叫したのも本当だし、私がわめいたのも本当である。しかし、いかに興奮したとはいえ、日本語を使うはずがない。私の英語が誰も理解できなかったのである。この会議で、2人はまさにピエロだった。厳格な父親のウェーバーは、娘が変な日本人に引っ掛かって困っていると言っていたそうだ。 」(14)。

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図75-9 筋収縮機構の基本を解明した3人

 勿論現在では「カルシウムがトロポニン・トロポミオシンを介して筋収縮を制御している・・・細胞内のカルシウム濃度が上昇する際に収縮し、下降するとき弛緩する・・・」ということは明らかとなっています(図75-10)。

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図75-10 筋収縮とカルシウム

 「すべり」は当然ミオシンとアクチンの分子的相互作用によっておこるわけですが、そのメカニズムについては当初ミオシン分子がATPのエネルギーを用いて変形し、そっれに伴ってアクチンが動くという「首振り説」(図75-8)が有力でしたが、その後柳田敏男らがミオシン分子滑走モデルを提出し(15、図75-8)、激烈な論争になりました。私にはこの論争の詳細はよくわかりませんが、首振りのような動作ではなくても、ミオシンの分子変形がアクチンの動きに関与していることは否定しがたい事実のようです(16-17)。ただし1個のミオシン分子の変形によって、接するアクチンの移動する距離を説明することはできないので、さらなる研究が必要です(18)。

参照

1)渋めのダージリンはいかが
https://morph.way-nifty.com/grey/2017/02/post-ef6b.html
https://morph.way-nifty.com/lecture/2017/02/post-2862.html
2)Tim Mitchison & Marc Kirschner, Dynamic instability of microtubule growth., Nature vol. 312, pp. 237 - 242 (1984); doi:10.1038/312237a0
3)伊藤知彦: 微小管 動態の基礎 in  「細胞骨格と細胞接着」 蛋白質 核酸 酵素 vol. 51, pp. 529 - 534 (2006)
4)小谷 亨、松島一幸、久永眞市: 微小管結合タンパク質の構造と機能 蛋白質 核酸 酵素 vol. 51, pp. 535 - 542 (2006)
5)Wikipedia: Microtubule-associated protein,  https://en.wikipedia.org/wiki/Microtubule-associated_protein
6)Anna Akhmanova and Michel O. Steinmetz, Microtubule +TIPs at a glance.,  J Cell Sci., vol. 123(10), pp. 3415 - 3419 (2010)
https://pdfs.semanticscholar.org/3f9f/197f841548e9cd9f886ca76e58bfe77b7942.pdf
7)Wikipedia: dynein,  https://en.wikipedia.org/wiki/Dynein
8)近藤誠、廣川信隆 脳科学辞典 キネシン
https://bsd.neuroinf.jp/wiki/%E3%82%AD%E3%83%8D%E3%82%B7%E3%83%B3
9)Wikipedia: kinesin,  https://en.wikipedia.org/wiki/Kinesin
10)水野 裕昭、山城 佐和子: アセトンパウダーからのATP, ADPアクチンの精製 日本細胞生物学会HP http://www.jscb.gr.jp/protocol/protocol.html?id=25
11)Huxley A.F., Niedergerke R., Structural changes in muscle during contraction; interference microscopy of living muscle fibres. Nature. Vol. 22;173(4412): pp. 971-973. (1954)
12)Huxley H, Hanson J., Changes in the cross-striations of muscle during contraction and stretch and their structural interpretation. Nature. Vol. 22;173(4412): pp. 973-976. (1954)
13)W. O.Williams, Huxley’s Model of Muscle Contraction with Compliance., Journal of Elasticity, Vol. 105, Issue 1,  pp. 365–380 (2011)
http://www.math.cmu.edu/~wow/papers/complmusc.pdf
14)江橋節郎 「カルシウムと私」 生命誌ジャーナル12号 JT生命誌研究館
15)Wedge Infinity, 柳田敏雄 ふらふらしている人がいい仕事をする
https://wedge.ismedia.jp/articles/-/1140
16)上田太郎、ミオシン首振り説:部位特異的変異による検証から構造遺伝学によるメカニズム解明へ。生物物理 Vol. 37 No.1 pp.331-335 (1997)
17)Lauren J. Dupuis, Joost Lumens, Theo Arts, Tammo Delhaas, Mechano-chemical Interactions in Cardiac Sarcomere Contraction: A Computational
Modeling Study., PLOS Computational Biology,  | DOI:10.1371/journal.pcbi.1005126 October 7, (2016)
18)http://brownian.motion.ne.jp/16_FlexibleMolMachine/03_IsMascleMorter.html

 

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74.細胞骨格 I

 ボートは船の格好をしている堅い構造体なので漕げば思う方向に進むわけですが、これが方向性のない円形の形態をとったり不定形のふにゃふにゃとしたものであれば、乱流が発生して漕ぐのはとても困難になるでしょう。佐渡のたらい船ですが、実際にこれを漕いでみた方は、その困難さに驚いたのではないでしょうか(1)。
 ですから細菌がピンと張った船あるいは棒状の細胞であることは重要です。彼らは保有している唯一の複雑で高級な備品である鞭毛を動かし、栄養物質を求めて泳ぎます。細菌はアメーバのような方法で移動することはできません。脂質で構成されている細胞膜ではこのような堅さは実現できません。そこで細菌は糖ペプチドや糖脂質でできた細胞壁で細胞を被って、丈夫でかつ鞭毛で泳ぎやすい細胞を作り出しました。細菌にも細胞骨格があるという話を聞いたときには、おそらく硬い屋根のような構造には梁が必要だろうと予想できたわけですが、事はそう単純ではありませんでした。
 真核生物の細胞骨格には、チュブリン系・アクチン系・ケラチン系の3つのグループのタンパク質群が存在します。細胞骨格という名前からは骨のような硬い物質が連想されますが、そうではなく、分子が重合して繊維状の構造を形成できる物質と考えた方が近いと思います。ひとつ注意したいのはカイコの繭やクモの糸などは繊維状のタンパク質重合体ではありますが、細胞の外に出て機能するものは細胞骨格とは言いません。
 細菌の細胞骨格研究の萌芽は、1991年のバイとルトケンハウスによるFtsZの局在に関する研究でした(2)。どうして真核生物に比べて、細菌の細胞骨格研究が著しく遅れたかというと、それは細菌におけるタンパク質の局在は、光学顕微鏡で研究するのはターゲットが小さいためなかなか難しく、電子顕微鏡に頼らざるを得なかったからです。電子顕微鏡によるタンパク質の同定(免疫電顕)には多くの技術的制限があって、一筋縄ではいかないことが多いのです。
 バイとルトケンハウスの研究をまとめたのが図74-1です。真核生物の収縮環にアクチンが集合するのはわかっていたので(右の緑色に染められた細胞)、細菌型アクチンかと色めき立ったのですが、真相はもっと驚くべきことでした。デブール(図74-1)らとレイチャンドゥーリらは1992年、FtsZがアクチンではなくチュブリンのホモログであることを発表したのです(3-4)。細菌ばかりでなく、一般的に古細菌もFtsZを使っているようです(5)。

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図74-1 FtsZは細菌の細胞分裂時に、分裂溝に集合する

 FtsZは20世紀の中頃、広田幸敬が細胞分裂の温度感受性突然変異体を多数作ったなかに、この遺伝子のミュータントがみつかっていました(6)。これがチュブリンのホモログだなんてきっと広田は墓の中で驚いていることでしょう。ようやく1990年代になってその研究が端緒についたわけです。まだFtsZがどのように分裂溝形成にかかわっているかということは完全には解明されていませんが、細胞膜と結合するためのアンカーや制御因子の研究は進んでいるようです。この遺伝子を分裂酵母に組み込んで発現させると、やはり分裂溝に集まってくるそうです(7)。
 FtsZは葉緑体にも存在し、驚くべきことに真核生物においては真核生物にしかないダイナミンファミリーのタンパク質が、太古のタンパク質FtsZと共同して分裂装置を形成するそうで、まさに10億年の時空を越えたコラボレーションです(8)。私達ヒトのミトコンドリアはもはやFtsZを持っていませんが、原生動物・藻類・粘菌など古参の真核生物のミトコンドリアはFtsZを使って分裂しているようです(9)。
 クインとマーゴリンは、大腸菌の細胞分裂時におけるFtsZの局在をGFPラベルで示した美しい写真を教育用に提供してくれているので図74-2に示しました。平常時にはラベルが分散しているのではっきりとはみえませんが、細胞分裂時には分裂溝に集結するのでよく見えます(明るく光っています)。オリジナル論文は(10)です。

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図74-2 大腸菌の細胞分裂時におけるFtsZの局在

 図74-3は β-チュブリンとFtsZの分子構造を比較したものですが(11)、素人目にもかなり似ている部分(サークル内)があるように思いました。

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図74-3 β-チュブリンとFtsZの構造的類似性

 このようにしてチュブリンのホモログはみつかりましたが、ではアクチンに類似した細菌タンパク質もあるのでしょうか? このことが判明したのは21世紀になってからでした。
 MreBというアクチンスーパーファミリーに属するタンパク質が細菌に存在することを発見したのはフシニータ・ファン・デン・エントらでした(12)。アラインメントの結果、MreBは真核生物のアクチンとはわずか15%の一致でしたが、重合してケーブルを形成することや、細胞の形態を維持するために必須であること、3次元構造がよく似ていること(13、図74-4)などから、ホモログであると考えられています。MreBを欠損すると、大腸菌は棒状(ロッド状)の形態を失って球形の大きな細胞になり、娘細胞への染色体の分配がうまくできなくなって致命的となります(14)。

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図74-4 アクチンと類縁関係にある細菌のタンパク質

 MreBは細胞膜直下でコイル状やリング状に重合したケーブルとなって、細菌のロッド状構造を維持することができます(15、図74-5)。これはシュラフからテントへの昇格に例えられるでしょう。ほとんどの原核生物はMreBを使って形態を維持しているようです。 細胞分裂の際には真核生物の紡錘糸のような役割も果たしているようです(16)。しかしそれではチュブリンとアクチンの役割が細菌と真核生物で入れ替わったということになり、奇怪なミステリーです。このような奇怪な役割交代がなぜおこったかについては全くわかっていません。ただチュブリン系は重合にGTPのエネルギーを、アクチン系はATPのエネルギーを使うという方式は十億年以上の時を越えてほぼ維持されているようです。

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図74-5 MreBの役割

 MreBそのものは膜結合タンパク質または膜に埋め込まれるタンパク質ではないため、細胞膜直下に局在するためには他のタンパク質がアシストしてあげなければなりません。ファン・デン・エントらは図6のようなモデルを提出しています(17)。このモデルではRodZというタンパク質がMreBと膜貫通タンパク質の両者と結合して、クランプの役割をはたしていることになります。
 細菌のアクチンホモログの研究は21世紀になってからはじまったので、まだまだ解決しなければいけない課題は多いと思います。ただ研究費が続くかどうかはわかりません。病気と直接関係の無い細菌や古細菌の研究は趣味的とされがちですが、それでもこれは生身の生物についての科学ですから、どんなところに人類に有用な知識が潜んでいるかわかりません。それはこれまでの経験によって証明されています。

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図74-6 MreBを細胞膜にアンカーするモデル

 細菌のアクチンホモログはMreBだけではなく、同じオペロンに含まれるMreC、MreDなどのほか、ParMというグループもみつかっています(13、図74-4、図74-7)。ParM の役割としては、細胞分裂の際に図74-7のようにプラスミドDNAを細胞の両端に押し分け、片方の娘細胞に偏ってプラスミドが分配されないようにすることがわかっています(11、13)。図74-7の右側の図は、ParMがプラスミドDNAに結合したParRと結合していることを示しています。さらにフリーのParMは、ATPのエネルギーを使ってParM線維にDNA側から結合し、線維を伸長させることを示唆しています。 ジェケリーはその総説の中で、原核生物のタンパク質ネットワークは、1)プラスミドのパーティショニング(ParMの語源)、2)細胞分裂のための装置、3)細胞膜の合成と細胞の骨組み のために発達してきたと述べています(18)。

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図74-7 ParMの役割と線維伸長の機構

 古細菌の細胞骨格研究はあまり進んでいないようですが、クレナクチンという真核生物のアクチンとよく似たアクチンホモログがみつかっています(19-20)。アクチンホモログの分子進化はおおまかには図74-8のようになっています。FtsAは分裂溝に出現するタンパク質です。

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図74-8 細菌におけるアクチン類縁タンパク質の分子系統図

 最後にケラチン系のタンパク質についてみてみましょう。このグループのタンパク質がつくるケーブルは中間径線維と呼ばれています。真核生物の場合、アクチンがつくるケーブルはマイクロフィラメントと呼ばれており、径は5~9nm。チュブリンがつくるケーブルは微小管と呼ばれていて、径は約25nm。中間径線維のケーブルの径は8~12nmで、マイクロフィラメントと微小管の中間的なサイズです。
 真核生物の中間径繊維をつくるタンパク質は多様で、ケラチン・ビメンチン・ニューロフィラメント・核ラミンなどがあります。細菌にもこのグループのタンパク質はみつかっていて、それはクレセンチンです(21-22)。細胞がロッド状でなくジェリービーンズのような格好をした菌、あるいはヘビのようにくねくねした形態の菌に、図74-9のように片側に偏った感じで配置されています。クレセンチンがあるサイドはテンションがかかっていて縮み、逆サイドは延びるということになります。両サイドが交互に重合と解離を繰り返せば泳げるかもしれません。何かに付着したい場合、湾曲の角度を変えてぴったり密着させることができるかもしれません。
 クレセンチンはウィキペディアによると、ケラチン19のアミノ酸配列を比較すると25%が一致し40% の領域で相同性が認められるそうです。核ラミンと比較しても同様なホモロジーがあるそうで、ケラチン系タンパク質の祖先であることは間違いないと思われます。

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図74-9 クレセンチンによる細胞の屈曲と発見したアスミーズ

 脂質二重層でDNAを被えば、それは生物としての出発点といえるでしょうが、脂質だけの細胞膜は脆弱すぎるという問題があります。ですから細胞膜を多糖類やタンパク質で裏打ちしたり、その工事のために足場をつくったりするために細胞骨格が必要であったとは容易に想像できます。しかしジェケリーが言うように(18)、とりわけプラスミドDNAをうまく娘細胞に分離するために必要だったという考え方にもうなづけるものがあります。例えば図74-8の分子系統図をみるとMreBやFtsAより、ParMファミリーの方が古いタンパク質とされています。

 

参照

1)力屋観光汽船 意外と漕ぐのが難しいたらい舟
https://www.tripadvisor.jp/ShowUserReviews-g1021355-d1947724-r278970072-Rikiya_Kanko_Kisen-Sado_Niigata_Prefecture_Koshinetsu_Chubu.html
2)Erfei Bi and Joe Lutkenhaus, FtsZ ring structure associated with division in Escherichia coli., Nature vol.354, pp.161-163 (1991)
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3)de Boer P., Crossley R., Rothfield L., The essential bacterial cell division protein FtsZ is a GTPase., Nature vol. 359, pp. 254-256 (1992)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/1528268
4)RayChandhuri D., Park J. T., Escherichia coli cell-division gene ftsZ encodes a novel GTP-binding protein. Nature vol. 359, pp. 251-254 (1992)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/1528267
5)亀井綾美、山岸明彦 原核生物における細胞骨格の進化 蛋白質 核酸 酵素 vol.53, no.13 pp. 1759-1764 (2008)
file:///C:/Users/User/AppData/Local/Microsoft/Windows/INetCache/IE/C8FQEO1U/1759_53_2008.pdf
6)ウィキペディア FtsZ  https://ja.wikipedia.org/wiki/FtsZ
7)Ramanujam Srinivasan et al., The bacterial cell division protein FtsZ assembles into cytoplasmic rings in fission yeast. Genes and Development vol. 22, pp.1741-1746 (2008)
http://genesdev.cshlp.org/content/22/13/1741.full
8)宮城島進也、葉緑体の分裂制御機構とその進化 植物科学最前線 vol. 5, pp. 21-36 (2014)
9)Kiefel BR1, Gilson PR, Beech PL., Diverse eukaryotes have retained mitochondrial homologues of the bacterial division protein FtsZ., Protist.  vol. 155 (1), pp. 105-115. (2004)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/15144062
10)Qin Sun and William Margolin, FtsZ Dynamics during the Division Cycle of Live Escherichia coli Cells., J Bacteriol. vol.180(8):  pp. 2050–2056. (1998)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC107129/
11)Yu-Ling Shih and Lawrence Rothfield, The bacterial cytoskeleton., Microbiol Molec Biol Reviews pp. 729-754 (2006)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC1594594/figure/f1/
12)Fusinita van den Ent, Linda A. Amos & Jan Lowe, Prokaryotic origin of the actin cytoskeleton. Nature vol. 413, pp. 39-44 (2001)
http://www.ibt.unam.mx/computo/pdfs/cursosviejos/bcelular/procaryoticoriginofactin.pdf
13)Joshua W. Shaevitz and Zemer Gitai, The Structure and Function of Bacterial Actin Homologs, Cold Spring Harb Perspect Biol, 2:a000364 (2010)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/20630996
14)Kruse T, and Gerdes K., Bacterial DNA segregation by the actin-like MreB protein. Trends Cell Biol. vo. 15(7), pp. 343-345. (2005)
15)Figge RM, Divakaruni AV, Gober JW., MreB, the cell shape-determining bacterial actin homologue, co-ordinates cell wall morphogenesis in Caulobacter crescentus. Mol Microbiol. Vol. 51(5), pp. 1321-32. (2004)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/14982627
16)生物史から、自然の摂理を読み解く 
http://www.seibutsushi.net/blog/2008/09/566.html
17)Fusinita van den Ent, Christopher M Johnson, Logan Persons, Piet de Boer, and Jan  Löwe, Bacterial actin MreB assembles in complex
with cell shape protein RodZ., EMBO J., Vol. 29(6), pp. 1081–1090 (2010)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC2845281/
18)Gaspar Jekely, Origin and evolution of the self-organizing cytoskeleton in the network of eukaryotic organelles. Cold Spring Harb Perspect Biol, 6:a016030 (2014)
19)Thierry Izoré, Danguole Kureisaite-Ciziene, Stephen H McLaughlin,  Jan Löwe,  Crenactin forms actin-like double helical filaments regulated by arcadin-2, eLife Vol.5:e21600 (2016)
https://elifesciences.org/content/5/e21600
20)Tatjana Brauna et al., Archaeal actin from a hyperthermophile forms a single-stranded filament.,Proc NAS USA vol.112, pp. 9340-9345 (2015)
http://www.pnas.org/content/112/30/9340.full
21)Nora Ausmees, Jeffrey R Kuhn, Christine Jacobs-Wagner, The Bacterial Cytoskeleton. An Intermediate Filament-Like Function in Cell Shape. Cell,Vol.115, Issue 6, pp. 705–713, 12 December (2003)
http://www.cell.com/cell/fulltext/S0092-8674(03)00935-8?_returnURL=http%3A%2F%2Flinkinghub.elsevier.com%2Fretrieve%2Fpii%2FS0092867403009358%3Fshowall%3Dtrue
22)Ausmees N, Intermediate filament-like cytoskeleton of Caulobacter crescentus. J Mol Microbiol Biotechnol. 2006;11(3-5):152-8.

 

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73.細胞膜

 生命の起源をたどっていけば様々な触媒物質上での生化学的化学反応にたどりつくのでしょうが、これが生物であると言うためには外界との仕切りが必要であり、それは細胞膜以外にありません。生命にとって最も基本的なツールである細胞膜ですが、意外なことにその基本的な構造がわかってきたのは20世紀終盤でした。
 現在では細胞膜は脂質二重層からなることは明らかとなっていますが(図73-1)、最初に脂質二重層仮説を提出したのはゴーターとグレンデルです。1925年のことでした。彼らは赤血球から脂質を抽出し、それが水面を完全に覆ったときの面積を赤血球の表面積で割るとほぼ2という値が得られたことから、赤血球の細胞膜は脂質二重層で構成されていると考えました(1)。
 その後 Davson-Danielliのモデル、すなわちタンパク質が脂質二重層でサンドイッチされているというような考え方もありましたが(2)、結局シンガーとニコルソンが1972年に提出した流動体モザイクモデル=脂質二重層モデル(3)が、その後多くの検証を経て現在では基本的に正しいと考えられています(4)。
 デジタル大辞泉では「(生体膜は)リン脂質分子の二重層からなり、親水性の部分を外側に向け、疎水性部分を内側に挟み込むように向い合い、たんぱく質分子がその表面や内部もしくは上下に貫通するようにモザイク状に入り混じっており、脂質・たんぱく質ともに流動性をもつ」と説明されています。模式図で示すと図73-1のようになり、電子顕微鏡でも二重層を見ることができます。
 ニコルソンはこのモデルが認められたことで有名になりましたが、もうひとつ彼を有名にした事件があります。余談となりますが、このことに触れないわけにはいきません。ニコルソンは Ph D であり、経歴を見ると医学を学んだ形跡はありませんが、次第に医学に傾斜し、湾岸戦争症候群の原因解明に主導的な役割を果たしました。
 彼とナンシー夫人は、湾岸戦争症候群の主要な原因が、マイコプラズマであることを妨害を乗り越えてつきとめ、多くの患者を救いました(5-9)。これが生物兵器かどうかは別として、政府の失態であったことは確かで、そのためにニコルソン夫妻は盗聴やさまざまな生活妨害を受け、そのうち研究を停止させられるという目に遭いました。結局カリフォルニアに自分で分子医学研究所を設立して、そこで研究を続けることになりました。
 生物兵器をいったん世の中に出してしまうと、それを完全に回収することはできません。したがっていつパンデミックが発生してもおかしくない事態になります。慢性疲労症候群などの原因がマイコプラズマである可能性は高く(10)、これが生物兵器由来である可能性は否定できないと思います。また生物兵器を使用するには、人体実験をしなければならないので、政府にとっては調査・研究が行われたことが明るみに出ると、甚だまずい事態となります。ニコルソン夫妻は有名人だったので消されずにすんだのだと思います。

731

図73-1 脂質二重層と流動体モザイクモデル

732

図73-2 ガース・ニコルソンとセイモア・シンガー

 さてこれまでにも述べてきましたが、細胞膜を構成する脂質は主にフォスファチジルセリン、フォスファチジルエタノールアミン、フォスファチジルコリン、スフィンゴミエリン、グリコシルセレブロシドの5種類です(図73-3)。すべて親水性の頭部と疎水性の尾部という構造になっており、同じ方向を向いた層と、逆向きの層とが合体して脂質二重層を形成しています(図73-1)。脂質の比率は生物種・細胞によって異なり、たとえば大腸菌ではほとんどがフォスファチジルエタノールアミンであり、ヒト赤血球ではフォスファチジルセリン・フォスファチジルエタノールアミン・フォスファチジルコリン・スフィンゴミエリンの4種がバランス良く配合されています(11)。脳神経系ではグリコセレブロシドの比率が高まるでしょう。

733

図73-3 細胞膜の主要な脂質

 シンガーとニコルソンの流動体モザイクモデルは細胞膜一般についてのモデルですが、細胞膜はどこでも均一ではなく、マイクロドメインが存在するということは電子顕微鏡を用いた観察から、1950年代にはすでに話題となっていたそうです(12)。しかしそれが脂質ラフトという名で、機能的にも重要であることが認識されてきたのは20世紀末のことです(13)。ラフトというのはいかだを意味し、細胞膜という湖にいかだが浮かんでいるということなのでしょう。この「いかだ」は通常の脂質以外にコレステロールとタンパク質が多く含まれていることがわかっています(14)。
 図73-4にウィキペディアに出ていた脂質ラフトのイラストを転載します。ラフトには膜貫通タンパク質やグリコフォスファチジルイノシトールという柄のついた傘のようなタンパク質、さらに糖タンパク質、糖脂質、コレステロールなどが集結しています。通常の部分が細胞を外界と仕切る壁とすれば、ラフトは細胞膜の特別な機能を果たす場所と言えます。コレステロールはこの特殊な場所が他の場所と混じり合わないよう、ラフト領域の流動性を低下させていると考えられます(15)。また脂質ラフトは、脂肪酸として飽和脂肪酸を含むスフィンゴ脂質あるいはスフィンゴ糖脂質を主成分としています。飽和脂肪酸は分子が直線状であるため立体障害が少なく分子が密に会合しています。一方、折れ曲がった分子である不飽和脂肪酸で構成される他の領域は比較的緩やかに会合しています。このような性状により、脂質ラフトは他の領域と比較して流動性が比較的低くなっているようです(12)。また脂質ラフトは他の部分に比べて厚みがあるので、膜貫通領域が長いタンパク質を収容することができます。

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図73-4 細胞膜の脂質ラフト

 膜貫通タンパク質は細胞の外側と内側をつなぐ物質と情報の中継点であり、また内外の分子の濃度差を利用してエネルギーやパルスをつくることもできます。膜貫通タンパク質は次の4つのグループに分けられます。

1.1回貫通タンパク質
2.イオンチャネル
3.7回貫通タンパク質(Gタンパク質共役受容体)
4.その他

 まず1回貫通タンパク質ですが、多くはチロシンキナーゼ活性またはセリン/スレオニンキナーゼ活性をもつ酵素です。細胞外からシグナル因子がくると、それの受容体となって結合し、構造変化を起こしてチロシンキナーゼ活性を発動させ、細胞内の因子をリン酸化してなんらかの効果を得るという機能を持つタンパク質です。インスリン受容体、上皮成長因子(EGF)受容体、神経成長因子(NGF)受容体、血管内皮細胞増殖因子(VEGF)受容体、インスリン様増殖因子(IGF)受容体、繊維芽細胞増殖因子(FGF)受容体、肝細胞増殖因子(HGF)受容体、血小板由来成長因子(PDGF)受容体、サイトカイン受容体、細胞接着因子受容体など多くのタンパク質がこのグループに所属します(16)。
 代表例としてインスリン受容体を図73-5に示しました。ちなみにインスリンがどのようにインスリン受容体と結合するかが解明されたのはごく最近のことです(17)。図をみると一見2回貫通しているように見えますが、細胞外でダイマーを形成しているわけで、それぞれの酵素は1回貫通です。ただしダイマーのうち片方にしかインスリンは結合しません。インスリン結合によって受容体は活性化され、細胞内のチロシンキナーゼ活性によってIRS-1という因子がリン酸化され、さまざまな反応が連鎖しておこります。この結果グルコースが細胞にとりこまれ血糖値は低下します(図73-5)。

735

図73-5 インスリン受容体

 次にイオンチャネルですが、細胞には適切なイオン濃度があって適宜調節が必要です。もちろん最適なイオン濃度はイオンによって異なりますし、細胞によっても異なります。ロデリック・マッキノンら(図73-6)は放線菌のカリウムチャネルタンパク質を結晶化して構造解析することに成功しました(18)。

736

図73-6 ロデリック・マッキノンとピーター・アグレ

 カリウムチャネルは1回膜貫通タンパク質であり、中心に穴が開いていてイオンが通過できる構造になっています(図73-7)。ただし図73-8左図のようにイオンを選別するフィルター様の構造があり、ここのドメインにうまく結合しないとチャネルを通過できないようになっているため、各イオンチャネルは特定のイオンだけを選別して通す機能を持っています。イオンチャネルは濃度勾配でイオンを移動させるわけですが、開閉によってイオン濃度を調節することができます。開閉のシグナルは、膜電位・リガンド・機械刺激・温度・リン酸化などさまざまです(19)。

737

図73-7 上から俯瞰したカリウムチャネル

 水を選択的に透過させるチャンネルもみつかっています。解明したのはピーター・アグレらで(20、図6)、アクアポリン(水チャンネル)と呼ばれるこのタンパク質は6回膜貫通タンパク質であり、イオンチャネルとは全く素性の異なる物質です。前記の膜貫通タンパク質の分類では「4.その他」になるタンパク質で、N末とC末の両者が細胞内にあります。多数の種類があり、水以外の物質を通過させるものもあるようです(21)。

738

図73-8 イオンチャネルと水チャネル(アクアポリン)

 マッキノンとアグレはここに述べた業績で、2003年のノーベル化学賞を受賞しました。マッキノンは医学への道を棄てて基礎科学に転じた人ですが、東洋系の奥さんが支えてくれたおかげでポストドク時代の困難な生活を乗り切ることができたそうです(22)。基礎科学では飯が食えないので医師に転じたという知人・友人は多いですが、逆のケースはほとんど知りません。フランソワ・ジャコブが戦傷で医師への道を断念して基礎科学に転じたというのは有名な話ですが。一方アグレはしばしばキューバに渡航して、学会や講義活動を行ったばかりでなく、フィデル・カストロ首相と会ったりして外交的活動にも関心があったようです。また北朝鮮にも渡航して学術交流を行うなど、学問を通した国際交流にも熱心で、一時は上院議員を志したこともあるそうです。
 最後に7回膜貫通タンパク質について少し述べておきます。その構造を二次元的に展開したのが図73-9ですが、細胞膜を7回貫通し、細胞外にN末端、細胞内にC末端があります。7回膜貫通タンパク質はすべてGタンパク質共役受容体です。すなわちGタンパク質が、7回膜貫通タンパク質がループを形成している細胞内の青色などの部分に結合すると、Gタンパク質は結合していたGDPをリリースしGTPと結合します。同時に、Gタンパク質はサブユニットGαとGβγに分離し、それぞれの機能を発揮します。その後GαはGTPを加水分解し、そのエネルギーを用いてGβγと再結合します。
 7回膜貫通タンパク質は外界からの情報を受け取る、すなわち細胞外にある受容体にリガンドが結合すると、細胞内部分がGタンパク質と結合し、その結果Gタンパク質が活性化されて、生化学反応のカスケードが起動されるという機能を持っています。このタンパク質については、この後もしばしば登場すると思います。

739

図73-9 細胞膜7回膜貫通タンパク質=Gタンパク質共役受容体

 7回膜貫通タンパク質=Gタンパク質共役受容体はメジャーなホルモンなどの受容体なので、市販の薬の約60%がこのグループをターゲットとしていると言われています。主なものを図73-10に示しました。ほぼ同じ長さの7本のαヘリックスが円筒状の構造を形成しているタンパク質であることがわかります。このほかにも嗅覚受容体・光受容体など非常に生理的に重要な物質も含まれています。

7310

図73-10 Gタンパク質共役受容体の主要な例

 Gタンパク質共役受容体(GPCR=G protein-coupled receptor)の研究で、ブライアン・コビルカとロバート・レフコウィッツの2名が2012年のノーベル化学賞を共同で受賞しています(図73-11)。

7311

図73-11 ブライアン・コビルカとロバート・レフコウィッツ

 細胞膜を職場としているタンパク質には、膜貫通タンパク質以外に、特殊なアンカー(GPIアンカー、GPI:Glycosylphosphatidylinositol )で膜とつながり、膜の外に突き出た状態で機能するものがあります(図73-4、図73-12)。GPIアンカーの構造は図73-12のようなもので、タンパク質-フォスフォエタノールアミン-3マンノース&Nアセチルグルコサミン-フォスファチジルイノシトール-2脂肪酸という順につながっています。最後の脂肪酸が細胞膜に埋め込まれている部分です。GPIアンカー型タンパク質は原生生物・酵母・カビ・粘菌・植物・無脊椎動物を含む真核生物全域でみつかっています(23)。

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図73-12 GPIアンカーを持つタンパク質

 細胞膜の外側で酵素を働かせようとした場合にGPIアンカーが使われるようです。リストを図73-13に示しますが、酵素の他、細胞接着、補体の制御、神経系のレセプターなどの機能があるようです。FGFの活性を制御していると言われるグリピカンファミリーもこのグループに属します(24)。Gタンパク質共役受容体のグループに比べると地味な感じですが、薬剤のターゲットとして注目されているようです。

7313

図73-13 哺乳類に見られるGPIアンカー型タンパク質のリスト

参照

1)E. Gorter and F. Grendel, On bimolecular layers of lipoids on the chromocytes of the blood., J Exp Med. vol. 41(4): pp. 439-443. (1925)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC2130960/pdf/439.pdf
2)J. Danielli and H. Davson, A contribution to the theory of permeability of the films.,  J.Cellul.Physiol. vol. 5, Issue 4, pp. 495-508 (1935)
3)S. J. Singer, and Garth L. Nicolson, The Fluid Mosaic Model of the Structure of Cell Membranes., Science. vol.175 (no.4023): pp.720-723 (1972)
http://www.jstor.org/stable/1733071?origin=JSTOR-pdf&seq=1#page_scan_tab_contents
4)Garth L. Nicolson, The Fluid—Mosaic Model of Membrane Structure: Still relevant to understanding the structure, function and dynamics of biological membranes after more than 40 years. Biochimica et Biophysica Acta (BBA) - Biomembranes, Vol. 1838, Issue 6,  pp. 1451–1466 (2014)
http://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0005273613003933
5)Garth L. Nicolson, Ph.D. and Nancy L. Nicolson, Ph.D. Chronic Fatigue Illnesses Associatedwith Service in Operation Desert Storm. Were Biological Weapons Used Against our Forcesin the Gulf War?  TOWNSEND LETTER FOR DOCTORS 1996; 156:42-48.
http://www.immed.org/GWI%20Research%20docs/06.26.12.updates.pdfs.gwi/TownsendLettGWI1996.pdf
6)湾岸戦争症候群に罹患した復員軍人の「家族」の血液から生物兵器?を続々検出
http://www.asyura2.com/0311/war41/msg/282.html
7)白血球から検出のマイコプラズマにエイズウイルスの被膜遺伝子配列:生物兵器の証拠文献
http://www.asyura2.com/0311/war41/msg/582.html
8)米軍病理学研究所へようこそ!:これが米国のばら撒いた「免疫不全」マイコ生物兵器:全訳付き
http://www.asyura2.com/0311/war41/msg/707.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/141.html
9)ニコルソン博士夫妻に驚くべき妨害
http://satehate.exblog.jp/11649060/
10)Endresen, G.K., Mycoplasma blood infection in chronic fatigue and fibromyalgia syndromes., Rheumatol Int. vo. 23(5), pp. 211-215. Epub 2003 Jul 16.
http://link.springer.com/article/10.1007%2Fs00296-003-0355-7
11)京都大学大学院 梅田研究室
http://www.sbchem.kyoto-u.ac.jp/umeda-lab/research/hikaku.html
12)ウィキペディア: 脂質ラフト
13)Kai Simons & Elina Ikonen, Functional rafts in cell membranes., Nature vol. 387, pp. 569-572 (1997) | doi:10.1038/42408
14)Richard M. Epand, Proteins and cholesterol-rich domains., Biochimica et Biophysica Acta (BBA) - Biomembranes, Vol. 1778, pp. 1576-1582 (2008)
http://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S000527360800120X
15)慶應義塾大学環境情報学部・基礎分子生物学3 「膜の構造と機能」
http://chianti.ucsd.edu/~rsaito/ENTRY1/WEB_RS3/PDF/JPN/Texts/biobasic3-2-7.pdf#search=%27%E3%82%B3%E3%83%AC%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%AB++%E8%86%9C%E6%B5%81%E5%8B%95%E6%80%A7%E3%81%AE%E4%BD%8E%E4%B8%8B%27
16)薬のすべてがわかる!薬学まとめ
http://kusuri-yakugaku.com/pharmaceutical-field/pharmacolory/receptor/membrane-receptor/1tm-receptor/
17)John G. Menting et al., How insulin engages its primary binding site on the insulin receptor., Nature  vol. 493, pp. 241–245 (2013) doi:10.1038/nature11781
18)Doyle DA, Morais Cabral J, Pfuetzner RA, Kuo A, Gulbis JM, Cohen SL, Chait BT, MacKinnon R.,  The structure of the potassium channel: molecular basis of K+ conduction and selectivity.,  Science vol. 280 (5360): pp. 69–77. (1998)  doi:10.1126/science.280.5360.69. PMID 9525859
19)ウィキペディア: イオンチャネル
20)Peter Agre et al., Aquaporin CHIP: the archetypal molecular water channel., American Journal of Physiology - Renal Physiology  Vol. 265  no.  4,   F463-F476  (1993)
21)ウィキペディア: アクアポリン
22)The Nobel Prize.,  Roderick MacKinnon Biographical
https://www.nobelprize.org/prizes/chemistry/2003/mackinnon/biographical/
23)Varki A, Cummings RD, Esko JD, et al., editors. Essentials of Glycobiology. 2nd edition. Cold Spring Harbor Laboratory Press (2009).
24)小嶋哲人、シンデカンとグリピカン - 細胞表面プロテオグリカン
https://www.glycoforum.gr.jp/glycoword/proteoglycan/PGA02J.html

 

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2020年1月22日 (水)

72.呼吸

 ハンス・クレブスやフリッツ・リップマンらの研究によって、クエン酸回路の全貌が明らかとなり、ブドウ糖が体内でどのように代謝されるかが解明されました(図72-1)。しかし図72-1にATPという文字はどこにも書かれていません。酸素もどこにも現れません。クエン酸回路は呼吸の要(かなめ)なのにどうなっているのでしょうか?
 クエン酸回路は、TCA回路、TCAサイクル (tricarboxylic acid cycle) 、トリカルボン酸回路、クレブス回路などとよばれることがありますが、すべて同じ意味です。

721

図72-1 クエン酸回路

 まずクエン酸回路に投入される物質(インプット)と、クエン酸回路で生成される物質(アウトプット)を図72-2にまとめてみました。科学者に課せられた課題は、このアウトプットがどのようにATP生成や酸素の消費にかかわっているかということでした。

722

図72-2 クエン酸回路に投入される分子と、クエン酸回路で生成される分子

 クエン酸回路の反応が行われている場所がミトコンドリアであることは、当時から推測されていたわけですが、その反応系を試験管の中に取り出すことは誰にもできませんでした。そのためにはまず細胞を壊して、反応系が無傷で保存されているミトコンドリアを取り出さなければいけません。つまり細胞は壊れているけれど、ミトコンドリアは壊れていないという状態です。これに成功したのがアルベール・クロード(図72-3)でした。
 クロードはベルギー人で、子供の頃に母親を亡くして叔母の手で貧困の中で育ちましたが、第一次世界大戦がはじまったときにチャーチルにあこがれて英国のスパイ組織に従事し、戦後連合国のメダルと退役軍人のステータスを獲得することができて、進学の機会を与えられました。彼は高校に行ってなかったので、リエ-ジュ大学医学部に入学する前に鉱山学校で勉強することが必要でしたが、そこで鉱石を遠心分離機で分離する技術を知ることができました。何が幸いするかわかりません。彼はこれを細胞にも応用して、ミトコンドリアを遠心分離機を使って無傷で取り出すことに成功したのです。この技術は細胞分画法とよばれるもので、後の生化学の発展に大きく寄与しました(1)。
 ミトコンドリアはサイズが小さすぎて光学顕微鏡ではうまく観察できないので、構造を解明するためには電子顕微鏡を用いた研究が必要でした。クロードはルーマニア人のジョージ・パラディー(図72-3)を誘って、電子顕微鏡を生物試料に適用する研究を進めてもらいました。二人は後年(1974年)ノーベル医学生理学賞を受賞しました。

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図72-3 アルベール・クロードとジョージ・パラディー

 さてそのミトコンドリアですが、もともとは細菌だったと考えられているわけです。真核生物にとりこまれ、紆余曲折を経て現在のようにオルガネラとして細胞の中で生きています。ミトコンドリアの最もシンプルな構造図を図72-4に記します。外膜は真核生物由来らしく、細菌から引き継いだ特異な機構は内膜に集中しています。ウィキペディアによるとミトコンドリアの重量は人間の体重の10%を占めるそうで、私達はまさしく真核生物と細菌の合作であることを思い起こさせます。
 ミトコンドリアは真核生物に取り込まれる前から、クエン酸回路で生成したNADHやFADH2、および取り込んだ酸素を使ってH+(プロトン)を膜間腔に追い出し、マトリックスと膜間腔の間に形成されたH+の濃度差による化学浸透圧を利用してATPを合成しています。このようなメカニズムに最初に気がついたのはピーター・ミッチェル(図72-5)でした。彼はその研究結果を1961年にNature誌に報告しました(2)。しかしその理論はあまりにも斬新なものだったので信じる人が少なく、職を得ることができなかったので、自宅をGlynn研究所と名付けて自費で研究を続けるしかありませんでした(3、4)。

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図72-4 ミトコンドリアの模式的構造図

 この困難な状況はエフレム・ラッカー、香川靖雄(図72-5)らによって、ミトコンドリアの内膜に埋め込まれたATP合成酵素が発見されたことで劇的に改善され、ピーター・ミッチェルは1978年にノーベル化学賞を受賞しました。このあたりの事情は参照文献(3)に詳述されています。図72-4の膜内粒子とはATP合成酵素でした。この酵素は複雑で巨大な構造をとっており、まだ正確な分子量は明らかになっておりません。

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図72-5 ピーター・ミッチェルと香川靖雄

 現在の理解では、図72-6に示されるように膜貫通システム複合体 I、III、IV、およびそれを補佐するシステムIIによって、NADH、FADH2、酸素を使ってプロトン(H+)をマトリックスから膜間腔に排出するポンプを駆動し、排出されたプロトンが化学浸透圧によってマトリックスに回帰する際に、そのエネルギーを利用してATP合成酵素がADPからATPを合成するということになっています(5、6)。

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図72-6 ミトコンドリアにおける内膜からの水素イオン排出とATPの産生

 複合体 I についてウィキペディアの受け売りをしますと、図72-7のように、「複合体 I では、解糖系およびクエン酸回路から得られた NADH から2つの電子が取り除かれ、脂質可溶キャリアであるユビキノンに移される。ユビキノンの還元生成物であるユビキノールは膜の内部を自由に拡散し、次の複合体 III に電子伝達を行なう。複合体 I はプロトンポンプ機構(プロトンが膜を通過する機構)およびキノンサイクル機構を用いて4つのプロトンを膜を通して移動させ、プロトン勾配を作る」 ということになっているそうです(7)。ユビキノンの還元について関心のある方は(8)をご覧下さい。複合体 I が行っていることの収支式は:
NADH + ユビキノン(Q) + 5H+ in → NAD+ + ユビキノール(QH2) + 4H+out です。

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図72-7 ミトコンドリアの膜貫通システム電子伝達系複合体

 プロトンの排出を行っている複合体は細菌とミトコンドリアではかなり異なっているようですが(7)、ATP合成酵素は全生物共通で進化の痕跡がみられない(9)というのは驚異的です。
 ATP合成酵素の研究でポール・ボイヤーとジョン・ウォーカーが1997年にノーベル化学賞を受賞しましたが(10、図72-8)、その影には木下一彦(図72-8)らの革命的な研究があったことは確かでしょう。ボイヤーらはATP合成酵素がタービンのように回転するという仮説をたてていましたが、誰もそれを証明することができなかったのです。しかし木下らは酵素を標識することによって、顕微鏡下でその回転を可視化することに成功しました(11)。これによってボイヤーは高齢でノーベル賞を受賞することができたと思われます。
 木下一彦や吉田賢右(12-13)は当然ノーベル賞を受賞すべき成果を上げましたが、ボイヤーが高齢であることから迅速にということで、彼と結晶化して分子構造を解析したジョン・ウォーカーが、とってつけたような Na-K-ATPase のイェンス・スコウと共に授賞されました。論文発表の年に授賞というのはいくらなんでも無理だったのでこういうことになったのでしょう。

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図72-8 ポール・ボイヤー(1918~2018) ジョン・ウォーカー(1941~) 木下一彦(1946~2015)

 ATP合成酵素は膜間腔につきだしているF1部位と、ミトコンドリア内膜に埋め込まれているFo(エフオー)部位からなる巨大なタンパク質複合体です(図72-9)。プロトンの流れによってF1部位の γ サブユニットがタービンのように回転し(反時計回り)、ATPを合成するエネルギーを生み出していると考えられます(13)。ATP合成酵素によってマトリックスにとりこまれたプロトンは、すぐに酸素と結合して水になってしまうので、クエン酸回路とプロトンポンプが動いている限り、内膜の外と内でプロトンの濃度差がなくなる状態にはなりません。
 以上のようにエムデン・マイヤーホフ系はミトコンドリア外の細胞質で、クエン酸回路はミトコンドリアマトリックスで、プロトンポンプとATP合成酵素はミトコンドリア内膜で機能しています。

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図72-9 モーターとして機能するATP合成酵素

 木下一彦氏は2015年の秋に、南アルプス小仙丈岳付近で滑落死するという不慮の死をとげています(14)。私もこのあたりは何度も歩いたことがありますが、夏山では何の問題もないハイキングコースのようなところでも、凍結していると危険なことをあらためて痛感しました。故木下氏にお線香やお花を手向けるサイトが開設されています(15)。ご冥福をお祈りします。

参照

1)Wikipedia: Albert Claude,  https://en.wikipedia.org/wiki/Albert_Claude
2)Peter Mitchell, Coupling of phosphorylation to electron and hydrogen transfer by a chemi-osmotic type of mechanism. Nature  vol. 4784, pp. 144 - 148 (1961)
3)香川靖雄 「ATP合成酵素の発見から人体エネルギー学まで」 日本蛋白質科学会 シリーズ「わが国の蛋白質科学研究発展の歴史」第4回 pp. 23-32
http://www.pssj.jp/archives/files/ps_history/PS_History_04.pdf
(筆者註:この文献はいつ出版されたのか確認できませんでした。日本蛋白質科学会が設立されたのが2001年なので、それ以降であることは確かです)
4)杉晴夫 「栄養学を拓いた巨人たち」 講談社ブルーバックス (2013)
5)ウィキペディア: ミトコンドリア
6)役に立つ薬の情報~専門薬学 電子伝達系と酸化的リン酸化
http://kusuri-jouhou.com/creature1/dentatu.html
7)ウィキペディア: 電子伝達系
8)CoQ10(ユビキノン) http://hobab.fc2web.com/sub4-CoQ.htm
9)ウィキペディア: ATP合成酵素
https://ja.wikipedia.org/wiki/ATP%E5%90%88%E6%88%90%E9%85%B5%E7%B4%A0
10) The Nobel Prize in Chemistry 1997,
https://www.nobelprize.org/nobel_prizes/chemistry/laureates/1997/
11)Noji H1, Yasuda R, Yoshida M, Kinosita K Jr.,  Direct observation of the rotation of F1-ATPase.,  Nature, vol. 386(6622): pp. 299-302. (1997)
12)京都産業大学 吉田賢右教授 https://www.kyoto-su.ac.jp/liaison/kenkyu/message48.html
13)野地博行 安田涼平 木下一彦 「回る酵素の観察」 バイオサイエンスとインダストリー vol. 56, no.10, pp. 665-670 (1998)
http://www.k2.phys.waseda.ac.jp/PDF/1998BioSI_Noji_RotEnz.pdf
14)明滅する一筋の光が我々にみせたもの ~木下一彦さんの追悼に代えて~
http://slight-bright.hatenablog.com/entry/2016/01/28/225438
15)https://mairi.me/-/1135542

 

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71.解糖

 17世紀英国の天才化学者ジョン・メイヨー(図71-1)は、密閉容器にねずみとろうそくを入れ、ろうそくを燃やすと、まずろうそくが消えて、そのあとねずみが死ぬことを発見しました。ろうそくを燃やさないと、ねずみは燃やしたときと比べてもっと永く生きられました。ボイルがすでに燃焼には空気が必要であることを主張していましたが、メイヨーは燃焼および生命現象には、空気の成分の1部だけが必要であるとし、その要素を酸素と命名しました。彼は肺が空気から酸素をより分けて血液に供給していると考え、さらに筋肉の活動も体温維持も酸素の燃焼によって行われていると考えていました(1)。メイヨーの慧眼には恐るべきものがあります。
 メイヨーの学説はほぼ100年後に、ジョゼフ・プリーストリーとアントワーヌ・ラボアジェ(1743~1794、図71-1)によって再発見され、特にラボアジェは当時流布していたフロギストン説(「燃焼」はフロギストンという物質の放出の過程である)を否定し、物質と酸素が結合することが燃焼の本質であることを証明しました。彼はこのことを契機に質量保存の法則をみつけました。

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図71-1 ジョン・メイヨーとアントワーヌ・ラボアジェ

 ラボアジェはメイヨーの考えを正しく引き継ぎ、生命の本質とは、呼吸によって体内に取り込まれた酸素によって、体内の物質を燃焼させることであると考えました。彼の著書 "Elements of Chemistry" は英文版もあり、無料でダウンロードして読むことができます(2)。業績をわかりやすくまとめたサイトもあります(3)。
  彼は炭の燃焼を研究し、その本質が炭素と酸素の結合によって二酸化炭素が発生することであることを発見しました。さらに人間の呼吸もこれと類似した現象で、体内にとりこまれた酸素が、体内の炭素と結合して炭酸になることであるとしました。図71-2(4より)はラボアジェと共同研究者達が人の吐く息を集めて、成分を分析する実験を行っているところです。一番右でノートをとっているのが彼の妻マリー=アンヌ・ピエレット・ポールズで、なんと13才でラボアジェに嫁ぎ、その後彼のために多大な貢献をしました。彼女は実験ノートをとるだけでなく、実験器具や実験を実施している状況を正確に絵に描いたり、実験の手伝いや英語の論文の翻訳(仏語・英語・イタリア語・ラテン語に堪能でした)など八面六臂の大活躍で、世界最初の女性科学者とされています(5)。また自宅にサロンをひらいて、国内外から著名な科学者らを集め議論したそうです(6)。

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図71-2 ラボアジェの実験室

 ラボアジェは徴税請負人の仕事で研究費を稼いでいました。この仕事は当然庶民から恨みを買う仕事であり、フランス革命において断罪され処刑される結果となりました。彼の名はもちろんエッフェル塔に刻まれています。フランス革命政府のとりかえしのつかない失策でした。彼を訴追した男は夫人の抗議で、後に逮捕されたそうですがラボアジェが処刑された後のことでした(6)。
 さて、ではラボアジェの言う酸素と結合して燃焼する生体物質とは何なのでしょうか? この答えを得るために大きな貢献をしたのがクロード・ベルナール(1813~1878、図71-3)でした。彼はエネルギー源となる物質はブドウ糖であること、ブドウ糖はグリコゲンという形で肝臓に貯蔵され、グリコゲンは必要時にブドウ糖に分解されることなどを証明しました。このほかにも膵液がタンパク質や多糖類を消化する、胆汁は脂質の消化を助ける、など栄養学の基盤となるような現象を次々と解明しました(7)。ただベルナールの時代には実験動物の取り扱いが悲惨なものだったので、彼の家族は動物実験に反対してみんな出て行ってしまいました(3)。国葬までされた偉大な科学者でしたが、プライベートは寂しい人生だったようです。
 クロード・ベルナールは科学哲学者でもあり、松岡正剛がまとめた彼の言葉(8)から少し引用してみました。

● 実験は客観と主観のあいだの唯一の仲介者である。
● 実験的方法とは、精神と思想の自由を宣言する科学的方法である。
● われわれは疑念をおこすべきなのであって、懐疑的であってはならない。
● 実験的見解は完成した科学の最終仕上げである。

 いくら自分の見解を声高に主張しても、それは単なる主観であって、その正当性は実験によってしか証明できません。ベルナールの「実験医学序説」は私も学生時代に読んだ記憶があります。現在も岩波文庫で出版されているようです(9、図71-3)。

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図71-3 クロード・ベルナールと実験医学序説

 エネルギー源がブドウ糖であることがわかったので、次はブドウ糖がどのように代謝されてエネルギーが生み出されるのかという問題でした。この問題を解明したのはグスタフ・エムデン(1874~1933、図71-4)とオットー・マイヤーホフ(1884~1951、図71-4)でした。
 エムデンとマイヤーホフは共にユダヤ人だったので、ヒトラーが台頭してからは悲惨な人生でした。エムデンはヒトラー・ユーゲントの乱入で講義を妨害され、自宅に引きこもって失意のうちに病死、マイヤーホフはフランスからピレネー山脈を越えてスペインに逃れ、さらにアメリカに亡命しました。このあたりの事情は木村光が詳細を記述しています(10)。彼の文章を読むと、マイヤーホフがアメリカに亡命できたのはまさに奇跡であったことがわかります。

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図71-4 グスタフ・エムデンとオットー・マイヤーホフ

 エムデンとマイヤーホフと彼らの協力者達が解明したブドウ糖からピルビン酸への代謝経路を図71-5に示します。現代的知見では、この経路で1分子のブドウ糖の代謝によって4分子のATPが生成され、2分子のATPが消費されます。またNADHが2分子生成されます。図71-5で計算が合わないと思われる方もおられるかもしれませんが、グルコース1分子からグリセルアルデヒド-3-リン酸2分子が生成されるので計算は合っています。この代謝経路は解糖におけるエムデン-マイヤーホフ経路と呼ばれています。エムデンとマイヤーホフはまさしくライバルであり、競い合ってこの経路を解明しました。
 エムデン-マイヤーホフ経路は、多少のバリエーションはありますが、細菌・古細菌・真核生物それぞれの、ドメインを問わない共通の代謝経路です。酸素がなくてもATPを産生できるので、地球の大気に酸素がなかった時代から完成していたと思われます。地球の生物がひとつのファミリーであることの証左でもあります。

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図71-5 エムデン-マイヤーホフ経路

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図71-6 牧野堅とその経歴・業績

 すでに核酸のところでも出ましたが、ATPの構造を再揭します(図711-7)。ATPは図のように高エネルギー結合を2ヶ所に持っており、加水分解されてADPあるいはAMPに代謝されると、エネルギーを放出します。狭い場所に酸素原子が5個も存在して、電気的反発で非常に居心地が悪いのに、酸素を挟んで並ぶPとPが中間にある酸素のローンペアを綱引きしているので、いわゆる共鳴による安定化ができないため、非常に不安定な状態にあります(図71-7)。両側からバネで無理矢理圧縮されているような状態なので、加水分解で解放されると激しく振動し、温度を上昇させます。

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図71-7 アデノシン3リン酸(ATP)の構造と高エネルギー結合

 またATPは図71-8に示したように、共役反応によって、基質Aをより自由エネルギーの高い活性化状態に担ぎ上げることができます。この状態でBと反応が進行し、リン酸を放出して化合物A-Bが生成します。この場合AとBと酵素を単にまぜあわせても、ATPがなければA-Bという化合物はできません。ATPを使う共役反応で、生物は必要な物質を、高分子物質すら合成することができます。ATPはこのように生合成や発熱に使われるだけでなく、筋収縮や能動輸送など生物に特異な現象に幅広く関わっています。

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図71-8 ATPを用いた共役反応

 1937年ハンス・クレブス(1900~1981、図71-9、14)はハト胸筋のスライスにピルビン酸とオキザロ酢酸を加えるとクエン酸が生成されることを発見しました。その頃までにコハク酸からオキザロ酢酸への経路はセント・ジェルジによって、クエン酸からα-ケトグルタル酸への経路はカール・マルチウスとフランツ・クヌープによって明らかにされていたので、この両者をつなぐことができたことで、一気にクエン酸回路の完成に近づきました(5)。彼は尿素回路も発見した、まさに天才的科学者でかつ医師でしたが、ユダヤ人であったためにドイツで働くことができず、英国に移住して研究を行いました。
 クレブスの実験はあくまでも細胞にピルビン酸とオキザロ酢酸を加えると、途中の経路はブラックボックスで、結果的に細胞がクエン酸を生成するというもので、反応の実体は不明でした。このブラックボックスを解明したのがフリッツ・リップマン(1899~1986、図71-9、15)でした。リップマンもユダヤ人であり、ナチスの迫害を逃れて米国で研究を行いました。彼らに限らず、20世紀における科学の重要な進展の多くは、ナチスに追われたユダヤ人によって成し遂げられました。

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図71-9 ハンス・クレブスとフリッツ・リップマン

 解糖によって生成されたピルビン酸が、どのようにしてクエン酸回路に投入されるかという問題はリップマンによって解明されました。キーとなる因子はリップマンが発見したコエンザイムA(CoA あるいは HSCoA などとも表記します)でした(図71-10)。まずピルビン酸はコエンザイムAと反応してコエンザイムをアセチル化し、アセチルCoAを生成します(図71-10、図71-11)。この反応で二酸化炭素とプロトンが発生し、二酸化炭素は肺から外界に排出されます。プロトンはミトコンドリアに蓄積されます。
 次にアセチルCoAはオキザロ酢酸とアセチル基を連結させてクエン酸とHSCoAを生成します。クエン酸はクエン酸回路に投入され、HSCoAは再利用されるということになります。クレブスとリップマンはクエン酸回路の解明によって、1953年にノーベル医学・生理学賞を受賞しています(16-18)。
 余談ですが、クエン酸回路を記憶するための歌が YouTube に発表されています(19)。

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図71-10 コエンザイムAとアセチルコエンザイムA

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図71-11 クエン酸回路へのクエン酸の投入

 コエンザイムAのような非常に複雑な分子が、どのような経緯で酸素存在下での生物の大発展のためのキーファクターになったのか、それは謎です。

 

参照

1)J.J.Beringer,  John Mayow: Chemist and Physician.,  Journal of the Royal Institution of Cornwall. Royal Institution of Cornwall. vol.IX, pp.319-324
https://books.google.co.jp/books?id=10MBAAAAYAAJ&pg=PA319&redir_esc=y&hl=ja#v=onepage&q&f=false
2)Internet Archive:  Elements of chemistry by Lavoisier, Antoine Laurent, 1743-1794
https://archive.org/details/elementschemist00kerrgoog/page/n14
3)近代化学の父:ラボアジェ
https://istudy.konan.ed.jp/renandi/materialcontents/107932/101920/2016PreLabo09.pdf
4)ウィキペディア: アントワーヌ・ラヴォアジエ
5)杉晴夫著 「栄養学を拓いた巨人たち」 講談社ブルーバックスB-1811 (2013)
6)ウィキペディア: マリー=アンヌ・ピエレット・ポールズ
7)F. G. Young, Claude Bernard And The Discovery Of Glycogen: A Century Of Retrospect., The British Medical Journal, Vol. 1, pp. 1431-1437  (1957)
https://www.jstor.org/stable/25382898?seq=1#page_scan_tab_contents
8)松岡正剛の千夜千冊 クロード・ベルナール「実験医学序説」
https://1000ya.isis.ne.jp/0175.html
9)クロード・ベルナール著、三浦岱栄訳 「実験医学序説」 岩波文庫 青916-1(1970)
10)木村光、オットー・マイヤーホッフのヒトラーとナチスからの逃脱-ピレネー越えの真相 化学と生物 vol. 53 (11), pp.792-796 (2015)
https://katosei.jsbba.or.jp/view_html.php?aid=478
11)Fiske CH, Subbarow Y.,  Phosphorus compounds of muscle and liver. Science 1929, vo. 70, pp. 381-382 (1929)
12)Makino K., Ueber die Konstitution der Adenosin-Triphosphorsaeure. Biochem Z. vol. 278, pp. 161-163 (1935)
13)松田誠 牧野堅によるATP構造解明 慈恵医大誌 vol. 125, pp. 239-248 (2010)
http://ir.jikei.ac.jp/bitstream/10328/6505/1/125-6-239.pdf
14)ウィキペディア: ハンス・クレブス
15)ウィキペディア: フリッツ・アルベルト・リップマン
16)Award Ceremony Speech.
https://www.nobelprize.org/nobel_prizes/medicine/laureates/1953/press.html
17)Hans Krebs: Nobel lecture, The citric acid cycle.
https://www.nobelprize.org/nobel_prizes/medicine/laureates/1953/krebs-lecture.pdf
18)Marc A. Shampo and Robert A. Kyle., Fritz Lipmann—Nobel Prize in Discovery of Coenzyme A. Mayo Clinic Proceedings, Volume 75, Issue 1,  Page 30
http://www.mayoclinicproceedings.org/article/S0025-6196(11)64252-3/pdf
19)https://www.youtube.com/watch?v=9bpdMyxNLfQ

 

 

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70.ステロイド

   ステロイドというと一般的には炎症を抑えるために処方されるコルチゾール系の薬品を意味しますが、学術的にはもっと幅広く、性ホルモン・胆汁酸・コレステロールなども含みます。ステロイドという生体物質は、脂肪酸や油脂とは全く異なり、図70-1に示されるような風変わりな基本構造(ステロイド骨格)を持っています。この基本構造はA,B,Cという3つの6員環とDというひとつの5員環からなり、通常3の位置がヒドロキシル化(-OH)またはカルボニル化(=O)されています。また10と13の位置はメチル化、17の位置はアルキル化されています。アルキル化というのはCH3、CH2CH3、CH2CH2CH3、・・・ などCnH2n+1が結合するという意味です。
 ステロイド骨格そのものは脂溶性で水に不溶ですが、ヒドロキシル化されていると多少水に溶ける場合があります。17位に結合しているアルキル基がヒドロキシル化されることもあります。

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図70-1 ステロイド骨格における炭素の番号

 ステロイドはほとんどの真核生物の体内で生合成され、細胞膜の重要な構成成分となっているほか、胆汁に含まれる胆汁酸やホルモン類(性ホルモン・副腎皮質ホルモンや昆虫の変態ホルモンなど)として、幅広く利用されています。ただしステロイドは真核生物だけに合成能力があり、細菌や古細菌にはみられません。したがって例えば化石にステロイドが含まれていれば真核生物と示唆されます。もちろん現生生物による汚染の問題は常に考慮されなければなりません(1)。
 話は変わりますが、多くの硬骨魚類は鰾(うきぶくろ)を持っていますが、サメなどの軟骨魚類はもっていません。従って泳がないと海底に沈んでしまいます。このような事態をさけるために、一部のサメは肝臓に多量のスクワレンという脂質を蓄えて浮力の足しにしています(2、3)。サプリメントの肝油というのはこの種のサメの肝臓の抽出物です(4)。辻本満丸は1906年にサメの肝油からスクワレンを発見して記載しています(5、図70-2左)。後日書籍にもなっているようです(図70-2右)。

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図70-2 辻本満丸によるスクワレンの発見

 スクワレンの分子構造は、1929年になってイアン(イシドール)・ヒールブロンによって明らかにされました(6)。 スクワレンはクエン酸回路やβ酸化にもかかわっている、いわば代謝の交差点のようなアセチルCoAから生合成されます(図70-3)。そしてスクワレンがステロイド合成の起点となります。

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図70-3 スクワレンの合成経路  スクワレンが起点となってステロイドが合成される

 スクワレンはスクワレンエポキシデース(7)とラノステロールシンテース(8)という2種の酵素のはたらきで、ラノステロールというステロイド骨格をもつ化合物に変化します。

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図70-4 スクワレン(スクアレン)からステロイドへの合成経路 ラノステロールの合成

 ラノステロールはあらゆるステロイド化合物の前駆体ですが、自身もラノリンの成分として動物の皮脂腺から分泌されており、毛皮に水分が浸透しないように保護する役割があるとされています(9)。実は毛根は表皮を経由せず直接外界と接しているので、もし皮脂がなければ容易にウィルスや細菌が侵入してきます。したがって毛穴を皮脂で埋めておくことは大事なことです。ですから、毛根鞘の死細胞を取り除くというメリットがあるとしても、毎日髪をシャンプーで洗うことは健康には良くないと言えます。髪を洗うと風邪を引くというのは、バリヤフリーとなった毛根にウィルスが感染するからかもしれません。なのにどうしてヒトは髪を洗うと気分が良くなるのか、生物学的には不思議な現象です。もちろん毎日シャンプーで毛を洗う生物なんて、ヒト以外にあり得ません。
 ラノステロールからコレステロールが合成される経路をステロイド合成3として図70-5に掲載しました(10)。

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図70-5 ラノステロールからステロイド骨格形成に至る経路

 これらの複雑なステロイド生合成経路を解明した業績で、コンラート・ブロッホとフェオドル・リュネン(図70-6)が1964年のノーベル生理学・医学賞を受賞しています。ブロッホはユダヤ人で、ナチスから逃れて米国にたどりついた人です。リュネンはミュンヘンで生まれ育ち、ミュンヘン大学教授からミュンヘンのマックス・プランク細胞化学研究所の研究所長になりました。伝説の京都大学故沼正作先生はこの方のお弟子さんだそうです(11)。

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図70-6 コンラート・ブロッホ(1912~2000)とフェオドル・リュネン(1911~1979)

 代表的なステロイド系化合物の構造を図70-7に示しました。コレステロールは細胞膜の構成要素、コール酸は胆汁の成分、テストステロンは男性ホルモン、エストラディオールは女性ホルモン、コルチゾールは副腎皮質ホルモンです。

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図70-7 代表的なステロイド系化合物

 ではステロイド系化合物は生体内でどんな役割を果たしているのでしょうか。図70-8にみられるように、コレステロールは細胞膜の構成要素です。細胞膜の基本構造はリン脂質が「親水部位」を細胞外および細胞内の外側向け、「疎水部位」を膜内部にむけて整列した2重膜構造になっていますが(12)、コレステロールも親水側を細胞外または細胞内に向け、疎水部をリン脂質の疎水部位に埋め込んだ形で存在します。
 コレステロールが膜構造に加わることによって、膜の流動性(しなやかさ)が高くなり、温度が下がることによって発生する相転移(硬くなる)が阻止されます。細胞膜は単なる壁ではなくて、その中で化学反応や分子構造の変化、物質の出し入れなどが行われているので、それなりの可塑性の高さが必要です。

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図70-8 細胞膜の構成要素  コレステロールは細胞膜の構成要素のひとつ

 コレステロールが特に集積している組織として、ミエリン鞘が知られています。ミエリン鞘は神経細胞の軸索を被うカバーのような組織です。その実体は図70-9に示すように、シュワン細胞はが「ふとん」で軸索が「人」だとすると、「ふとん」でぐるぐる巻きにしたような構造になっています。すなわち細胞膜が何重にもなっているような構造なので、細胞膜の脂質は当然大量に含まれることになります(13)。脳の白質はミエリン鞘が集積している組織なので、特に脂質が豊富です。

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図70-9 ミエリン鞘

  コレステロールというと、すぐに健康診断でのHDL・LDLの値が頭に浮かぶわけで、ここを避けては通れません。コレステロールは水への溶解度が低く(95マイクログラム/リットル)、体の中を移動するにはタンパク質と結合して、リポタンパク質の形をとらなければなりません。コレステロールは主としてLDL(low density lipoprotein)またはHDL(high density lipoprotein)というリポタンパク質として移動します。LDLはコレステロールを肝臓から末梢組織へ供給し、HDLは過剰なコレステロールを末梢組織から肝臓に戻す役割があると言われています。HDLでもLDLでもコレステロール自体の分子構造に変わりはなくて、結合するタンパク質の方が異なっています。
 LDLは悪玉コレステロール、HDLは善玉コレステロールと呼ばれていますが、これは害虫と益虫のような自然科学とは乖離した命名で、科学者としては使いたくないのですが、LDLが動脈硬化の一因であることは確かなようです(14)。
 LDLが細胞内で発生する活性酸素によって酸化されると、マクロファージに貪食され、大量にLDLを取り込んだそのマクロファージが死ぬと、死んだ場所にコレステロールの塊(胆石はコレステロールまたはビリルビンの塊です)が残されます。これによって動脈硬化が促進され、最悪心筋梗塞や脳梗塞に至ります。
 HDLが少なすぎても、余分なコレステロールを肝臓にもどせなくなって動脈硬化が進展すると思われますが、かといってどんどんもどすと肝臓の脂肪細胞が巨大になって、脂肪細胞が分泌するホルモンなどが過剰になり生理活性物質のバランスがくずれると思うのですが、そのあたりのことは解明されていません。
 肥満になると脂肪細胞から分泌される物質(アディポサイトカイン)が異常となり、生活習慣病を誘発すると指摘している書物はあります(15)。ただウィキペディアをのぞいてみると、意外なことにHDLのないマウスも生きているみたいなので、コレステロールを運搬する別経路があることも示唆されています(16)。ならば健康診断の結果を見て、指導員がHDLが少ないからどうしろこうしろというのも、本当に妥当な指示なのでしょうか。まだまだ基礎研究によって確認しなければいけないことが山積しているように思われます。
 コレステロールは最終産物として機能するだけはなく、さらに有用な物質の中間生成物でもあります。コール酸は肝臓でコレステロールから合成されてたあと、グリシンやタウリンと結合してグリココール酸やタウロコール酸となります(図70-10)。これらは抱合胆汁酸と呼ばれますが、胆嚢に蓄積された後、胆汁の成分として腸内に放出され、脂肪をミセル化して腸に吸収されやすくします。脂肪をミセル化した代表的食品として図70-10のマヨネーズがあります。
  コレステロールから生合成されるさまざまな性ホルモンについては、あらためて述べる機会もあると思います。ここでは最後に糖質コルチコイド(=グルココルチコイド)について少し述べておきます。コルチコステロン・コルチゾール(図70-7)・コルチゾンなどがこれに相当します。デキサメタゾンなどは自然に存在するものではなく、人工的に合成された薬剤であり、主として炎症をおさえるため、または免疫反応を抑制するために使用されます。

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図70-10 グリココール酸とタウロコール酸

 生体に存在する糖質コルチコイドは副腎皮質で作られ、抗炎症作用や免疫抑制作用のほか、図70-11のようにインスリンと逆の役割で、血糖値を上昇させる作用があります。主に生体がストレスを感じたときに分泌されます。
 糖質コルチコイドなどのステロイドホルモンは一般的に細胞膜を通過することができ、細胞質にある転写調節因子と結合して核内に侵入し、転写を調節することによって機能が発揮されます(17)。

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図70-11 インスリンと糖質コルチコイド

参照

1)神無久 サイエンスあれこれ 真核生物の起源再考
http://blog.livedoor.jp/science_q/archives/1861037.html
2)松縄正彦 mark の部屋 浮き袋を持たない魚、なぜ浮き袋がないのか?
http://markpine.blog95.fc2.com/blog-entry-69.html
3)ウィキペディア: スクワレン
4)えがおの肝油 鮫珠
http://www.241241.jp/products/supplement/same/
5)辻本満丸  “黒子鮫油に就て”. 工業化学雑誌 vol. 9 (10): pp. 953-958. doi:10.1246/nikkashi1898.9.953 (1906)
6)Heilbron, I. M.; Thompson, A. ,  "CXV.—The unsaponifiable matter from the oils of elasmobranch fish. Part VI. The constitution of squalene as deduced froma study of the decahydrosqualenes."  J. Chem. Soc. pp. 883–892. (1929)  doi:10.1039/JR9290000883.
7)榊原順、小野輝夫、スクアレンエポキシダーゼ -もうひとつのコレステロール合成律速酵素 蛋白質 核酸 酵素 vol. 39 (9), pp. 1508-1517 (1994)
http://lifesciencedb.jp/dbsearch/Literature/get_pne_cgpdf.php?year=1994&number=3909&file=j9768PH3xxMJB18tkcGRUQ==
8)阿部郁朗、スクワレン閉環酵素の生物有機化学 蛋白質 核酸 酵素 vol. 39 (10),  pp. 1613-1624 (1994)
http://lifesciencedb.jp/dbsearch/Literature/get_pne_cgpdf.php?year=1994&number=3910&file=c/RbruPLUSYUeEJB18tkcGRUQ==
9)ウィキペディア: ラノリン
10)ウィキペディア: コレステロール
11)日本の科学と技術 ~研究の世界~  沼研の伝説的なエピソード 
http://scienceandtechnology.jp/archives/9655
12)ウィキペディア: 細胞膜
13)Wikipedia: Myelin.  https://en.wikipedia.org/wiki/Myelin
14)FMD検査 動脈硬化の進展を知る http://fmd-kensa.jp/pg2.html
15)近藤和雄 「人のアブラはなぜ嫌われるのか」 ~脂質「コレステロール・中性脂肪など」の正しい科学 技術評論社 (2015)
16)Wikipedia: High-density lipoprotein.  https://en.wikipedia.org/wiki/High-density_lipoprotei
17)管理薬剤師.com  ステロイドの作用機序  https://kanri.nkdesk.com/hifuka/ste2.php

 

 

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69.糖脂質

 セクション68で、スフィンゴシンやセラミドの発見者としてトゥーディヒョウムの名前を出しましたが、彼は臨床医で科学実験は自宅でやっていたこともあって、当時の学会からは嘲笑・圧殺されるような存在だったそうです。しかし彼はスフィンゴシンやセラミドのみならず、糖脂質の研究も創始しました。トゥーディヒョウムは1901年に死亡しましたが、死後1910年代になって再評価が進み、1913年以降1870年代に彼が脳から抽出精製した糖脂質(セレブロシド)の構造が解明されて、埋もれていた研究が日の目を見ることになり、トゥーディヒョウムが正当に評価されるようになりました(1)。
 セレブロシドの構造を解明したのはオットー・ローゼンハイムやハンス・ティーレフェルダーらで、トゥーディヒョウムが脳から抽出して精製した物質はガラクトース-スフィンゴシン-リグノセリン酸およびガラクトース-スフィンゴシン-セレブロン酸の2種であることがわかりました(図69-1)。セレブロン酸は、HOOC-C(OH)-(CH2)22CH3という構造のヒドロキシ酸です。いずれもスフィンゴシンに糖と脂肪酸が結合した化合物であり、これが糖脂質(スフィンゴ糖脂質)の基本構造になります。
 光合成細菌や植物はスフィンゴ糖脂質とは異なるグリセロ糖脂質(図69-1右下)を持っており、これはグリセリンの3つのOHのうち、2つに脂肪酸、1つにガラクトースが結合している構造になります(2)。機能も研究されています(3)。私たち動物の体にも多少見つかるようですがその機能はよくわかっていないようです。

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図69-1 スフィンゴ糖脂質

 その後エルンスト・クレンクやアルバート・キンバルらによって、セレブロシドの脂肪酸の部分が、リグノセリン酸とセレブロン酸以外にネルボン酸や α-オキシネルボン酸 の場合もあることが示されました(4-5、図69-2)。

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図69-2 ネルボン酸とα-オキシネルボン酸

 セレブロシドに含まれる糖はガラクトースだけでなく、グルコースの場合もあります(図69-3)。ガラクトセレブロシドが脳に多いのに対して、グルコセレブロシドは全身に存在します。グルコセレブロシドをグルコースとセラミドに分解する酵素(グルコセレブロシダーゼ)に遺伝的欠陥または欠損があった場合ゴーシェ病となり、肝臓・脾臓・骨髄・脳などにグルコセレブロシドが蓄積して様々な症状を発症します。
 グルコースを含むセレブロシドの存在は、ゴーシェ病の患者さんに蓄積されたセレブロシドの解析から明らかになりました(1)。病気の解析が基礎科学の進歩に寄与することはよくあることです。

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図69-3 グルコセレブロシド

 実はクレンクらが提出していたセレブロシドの構造式には間違ってい点があって、ハーバート・E・カーターらはそれまでの間違いを正し最終的にスフィンゴシンの構造を確定しました(6)。もちろん図69-1に示した構造は確定されたものです。第二次世界大戦後の糖脂質の研究は、ハーバート・E・カーター(図69-4)を中心に進められました。彼の人となりなどは「参照」に示したメモアールに記載されていますが、学会の前日でも雨のゴルフコースに出て行くほどゴルフ好きだったようです(7)。ちなみに山川民夫も平日定期的に仕事を休んプレイするほどのゴルフ好きでした。

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図69-4 ハーバート・E.カーター

 さてスフィンゴ糖脂質にはセレブロシド以外にもうひとつ大きなグループがあり、それはウィキペディアの定義によれば、糖がセレブロシドでは単糖であるのに対してオリゴ糖の物質ということで、ガングリオシドと呼ばれています。ガングリオシドの名の由来はガングリオン(神経節)で、脳の灰白質に多いことからクレンクが命名しました(8)。図69-5に代表的なガングリオシドであるGM1の構造式を示しました。ノイラミン酸という新顔も登場します。これらで構成されるオリゴ糖には多様性があり、図69-6に示されるように、外からひとつづつ糖を削っていくとGM2、GM3となりますし、追加や枝分かれもあるので、非常に多様な構造になり得ます。

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図69-5 ガングリオシド

 図69-6にはガングリオシドを3種に分類したGM1、GM2、GM3の関係を示します。

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図69-6 ガングリオシドの分類 GM1、GM2、GM3  NANAとはN-アセチル-α-ノイラミン酸を意味する

 ノイラミン酸は糖脂質だけでなく、糖タンパク質においても頻出しますが、ノイラミン酸そのものは生体には存在せず、アミノ基や水酸基の水素が置換されてできた化合物が重要な役割を果たしているようです。N-アセチルノイラミン酸やN-グリコリルノイラミン酸はその例で、これらをまとめてシアル酸とよびます(図69-7)。

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図69-7 シアル酸とは

 細胞膜は脂質でできているので、ガングリオシドはそのスフィンゴシンやステアリン酸の疎水性の部分を細胞膜に埋め込み、オリゴ糖部分を細胞外に突き出すことができます。まさしく樹木の地下部分と地上部分のようなイメージです。そうすると地上部分のオリゴ糖の構造によって、細胞を識別することが可能です。つまり接着しやすい構造の細胞が集まって組織をつくることができるわけです。また細胞外からの情報を、あるグループの細胞だけが受けとることもできます。
 第二次世界大戦前後の頃は、そんな糖脂質の機能など想像もされていなかったのですが、突破口を開いたのは戦後間もない日本の山川民夫(図69-8)でした。彼が目を付けたのは、ウマの赤血球をウサギに注射すると、ウマの赤血球を凝集する抗体がウサギの血清中に産生されますが、その血清は、ウシやヒツジなどの赤血球を凝集することはできないという、いわゆる種特異性凝集反応でした。彼は赤血球膜には種特異性を示す何かがあるかもしれないと考えました。
 まずウシの赤血球を水に投入して溶血させ、細胞膜を遠心分離によって沈殿させます。その沈殿(ゴースト)を多量に集めて脂質を抽出すると、セレブロシドではなくガングリオシドに似た物質が抽出されました。これを山川はヘマトシドと名付け、ブタの脳のガングリオシドと比較研究をはじめました。ヘマトシドにはブタの脳のサンプルと異なりノイラミン酸が含まれていることがわかりました。その後ヒトの赤血球の糖脂質とも比較しましたが、それはウマの糖脂質とはかなり成分が異なっており、グロボシドと名付けられました。グロボシドには脂肪酸・スフィンゴシン・グルコース・ガラクトース・アセチルガラクトサミンが含まれていました。

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図69-8 カール・ラントシュタイナーと山川民夫

 いろいろな動物で調べてみると、ノイラミン酸がなくてガラクトサミンがあるタイプ(グロボシド型、ヒト・ブタ・モルモット・ヒツジ・ヤギ)と、ノイラミン酸があってガラクトサミンがないタイプ(ヘマトシド型、ウマ・イヌ・ネコ)に分かれていることがわかりました(1)。
 カール・ラントシュタイナー(図69-8)がABO血液型を発見したのは1901年のことでした。1960年になって、山川らはグロボシドと抗A抗体の沈殿から糖脂質を抽出し、ラントシュタイナーが示した血液型物質の実体が糖脂質であることを示唆しました。このことは多くの研究者によって追試され、赤血球表層にある血液型物質が糖脂質であることが確定しました(1)。
 図69-9をみるとわかるように、ガングリオシド(グロボシド)のオリゴ糖部分はO型が基本となっており根元がフコースで、ガラクトース・Nアセチルグルコサミン・ガラクトースとつながっています、A型ではフコースの次に位置するガラクトースにN-アセチルガラクトサミンの側鎖があり、B型では同じガラクトースにガラクトースの側鎖がついています。AB型ではA型の側鎖があるガングリオシドとB型の側鎖があるガングリオシドの両者があります。

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図69-9 ABO式血液型

 血液型についての詳細な説明は下にウィキペディアをコピペしておきます。内容はちょっと難しいかもしれませんが、興味のある方はご覧下さい。H抗原というのは図69-9ですべての型の人が持っているフコース+ガラクトース+Nアセチルグルコサミン+ガラクトースのチェインのことだと思います。このチェインにNアセチルガラクトサミンまたはガラクトースを結合させる際に、それぞれ別の酵素が必要で、それがA型、B型の人は1種づつ、AB型の人は2種もっていて、O型の人は両方とも持っていないということでしょう。ただそのH抗原の糖鎖をつくるのにも酵素が必要なので、この土台をつくる酵素が欠損している場合、Nアセチルガラクトサミンまたはガラクトースを結合させる酵素が存在しても、実際にはA抗原もB抗原も形成されず、見かけ上O型と同じになってしまうので注意が必要です。

(wikipedia の引用 開始)
A型はA抗原を発現する遺伝子(A型転移酵素をコードする遺伝子)を持っており、B型はB抗原を発現する遺伝子(B型転移酵素をコードする遺伝子)を、AB型は両方の抗原を発現する遺伝子を持っている。A抗原、B抗原はH抗原からそれぞれA型転移酵素、B型転移酵素によって化学的に変換される。

3種の遺伝子の組み合わせによる表現型、ABO式血液型を決定する遺伝子は第9染色体に存在する。H物質発現をコードする遺伝子は第19染色体に位置し、H前駆物質をH物質へ変換させる。この遺伝子が発現しない場合はボンベイ型となる(後述)。
◦A型 - A遺伝子をすくなくとも一つ持ち、B遺伝子は持たない(AA型、AO型)→A抗原を持つ。B抗原に対する抗体βが形成
◦B型 - B遺伝子をすくなくとも一つ持ち、A遺伝子は持たない(BB型、BO型)→B抗原を持つ。A抗原に対する抗体αが形成
◦O型 - A遺伝子・B遺伝子ともに無い(OO型)→H抗原のみ持つ。A,B抗原それぞれに対する抗体α、抗体βが形成
•AB型 - A遺伝子・B遺伝子を一つずつ持つ(AB型)→A抗原、B抗原両方を持つ。抗体形成なし

A抗原とB抗原は、持っていないとそれに対する自然抗体が形成されることが多く、この場合、型違い輸血により即時拒絶が起こる。自然抗体がなくとも型違い輸血により1週間程度で新しいIgM抗体が生産されこれが拒絶反応をおこす。そのため、基本的には型違い輸血は行われない。輸血される血液は受血者の血液より少量のため、血漿によって希釈されて抗原抗体反応が起こらなくなる。そのため、かつてはO型は全能供血者、AB型は全能受血者と呼ばれていたが、ABO以外の型物質(Rh因子やMN式血液型など)が存在することもあり現在では緊急時を除いては通常行われない。2010年4月には大阪大学医学部附属病院で治療を受けた60代の患者が同型の赤血球製剤とO型の新鮮凍結血漿の輸血後に死亡する事故が発生している(但し、この患者は搬送当時すでに意識がなかったことから輸血が原因でない可能性もある)。

なお、自然抗体を持っている理由は、細菌やウイルスが唾液や性的接触などにより人間間で感染するように、人間の細胞や細胞の断片も人間間を移動するからであり、移動した断片はマクロファージによりファゴサイトーシスされ、これがT細胞に提示され抗体が作られる。主にIgMが作られるが、IgG抗体も作られることもある。
(引用終了)

 糖脂質についてもっと詳しく知りたい方には総説(9、10)などがあります。

 

参照

1)山川民夫著 「糖脂質物語」講談社学術文庫 (1981)
2)日本光合成学会 モノガラクトシルジアシルグリセロール[monogalactosyl diacylglycerol (MGDG)]
http://photosyn.jp/pwiki/index.php?%E3%83%A2%E3%83%8E%E3%82%AC%E3%83%A9%E3%82%AF%E3%83%88%E3%82%B7%E3%83%AB%E3%82%B8%E3%82%A2%E3%82%B7%E3%83%AB%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%82%BB%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%AB
3)下嶋美恵・小林康一・太田啓之 葉緑体チラコイド膜を構成するグリセロ糖脂質の生合成と機能 化学と生物 vol.46, pp.330-337 (2008)
4)H.Thierfelder and E.Klenk., Die Chemie der Cerebroside und Phosphatide. (1930)
5)A.C.Chimball, S.H.Piper, and E.F.Williams.,  XVIII.THE FATTY ACIDS OF PHRENOSIN AND KERASIN. Biochem.XXX pp.100-114 (1936)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC1263366/pdf/biochemj01065-0112.pdf#search=%27Thierfelder+and+Klenk+1930%27
6)Herbert E. Carter et al., Biochemistry of the sphingolipides. III. Structure of sphingosine.  J. Biol. Chem. vol.170, pp.285-294 (1947)
http://www.jbc.org/content/170/1/285.full.pdf
7)National Academy of Sciences, Herbert Edmund Carter 1910-2007 A Biographical Memoir by Robert K. Yu and John H. Law (2009)
http://www.nasonline.org/publications/biographical-memoirs/memoir-pdfs/carter-herbert-e.pdf
8)William W. Christie., GANGLIOSIDES STRUCTURE, OCCURRENCE, BIOLOGY AND ANALYSIS (2012)
https://web.archive.org/web/20120328213709/http://lipidlibrary.aocs.org/lipids/gang/file.pdf
https://web.archive.org/web/20091217095434/http://lipidlibrary.aocs.org:80/Lipids/gang/index.htm
9)Sen-itiroh Hakomori., Structure and function of glycosphingolipids and sphingolipids: Recollections and future trends. Biochim Biophys Acta. vol. 1780(3)  pp.325–346. (2008)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC2312460/
10)Zhou and Blom. Trafficking and Functions of Bioactive Sphingolipids: Lessons from Cells and Model Membranes. Lipid Insights vol. 8 (S1)  pp. 11–20  (2015) doi:10.4137/LPI .S31615.
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC4685176/pdf/lpi-suppl.1-2015-011.pdf

 

 

 

 

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68.脂肪酸と油脂

 脂肪というとすぐ中性脂肪とかセルライトが気になるわけですが、エネルギーを蓄えておくためのツールとして脂肪は重要です。動物にとって飢餓は日常的であり、いざというときに生き残れるかどうかは、水があるとすればどれだけ脂肪とグリコーゲンを体内に蓄えておけるかにかかっています。人間については、現在世界で9億2500万人が飢餓状態にあり(1)、日本でも2011年の厚生労働省の調査では年間1746人が餓死しています(食糧不足+栄養不足、2)。現在でも貧困化が進んでいるので、この数字が減っているとは思えません。食べ物がないときに生き残るには冬眠・夏眠が有効ですが、残念ながらヒトにはその能力はありません。かといって冬眠・夏眠の研究が進むと、その成果が為政者によって都合よく利用されるという恐ろしい社会が現実化するかもしれません。日本の食料自給率はカロリーベースで37%です(3)。
 しかし生物にとって飢餓対策が課題になるより進化上はるかに前の段階で、脂肪は細胞膜の最も主要な成分として、すなわち生命と外界を分かつパーティションとしての役割がはじまったはずです。これは生命誕生のひとつの条件であり、たとえ熱水噴出口近傍の金属片の上で核酸や酵素が生成されたとしても、それらが細胞膜で包み込まれるまでは生命体とは言えないでしょう。そして現在では、脂肪はホルモンや情報伝達物質としても重要な役割を果たしていることがわかっています。
 脂肪の基本は脂肪酸です。最初に脂肪酸を発見したのは誰だか私にはわかりませんが、ステアリン酸やオレイン酸を発見して精製したのはミシェル=ウジェーヌ・シュヴルールです(4、図68-1)。彼はフランス革命とエッフェル塔建設の両方を目撃した数少ないフランス人だそうです。エッフェル塔の展望室の少し下の壁に、フランスの偉人の名前が刻まれていますが、シュヴルールの名も図68-2の赤の矢印の下にみつけることができます(5)。

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図68-1 ミシェル=ウジェーヌ・シュヴルール(1786~1889)

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図68-2 エッフェル塔にはフランスの偉人の名前が刻まれています(黄色枠の中段あたり) 赤矢印の下にシュヴルールの名があります。

 脂質は脂肪酸関連物質、芳香族化合物の環構造を持つ物質、複合脂質の3つのグループにわけられると思いますが(図68-3)、量的に言えば脂肪酸関連物質が生体内には圧倒的に多量に存在します。カルボン酸をR-COOHと書くとすると、Rが水に溶けないCとHからなる場合脂肪酸といいます。ただしRがH、CH3、CH3CH2あたりまではカルボキシル基の影響が強く、脂肪らしくない性質なので、通常脂肪酸とは呼びません。CH3CH2CH2(酪酸)あたりからは脂肪酸と呼びます(図68-4)。これらの脂肪の性質を与える炭素+水素の鎖を、鎖の長さを問わずアシル基と呼ぶことがあります。

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図68-3 脂質の分類(3グループ)

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図68-4 脂肪酸とは

 常温で液体の脂肪酸は世の中で最も「臭い」物質の1グループだと思います。吉草酸やカプロン酸の臭さは半端じゃありません。私が学生実習などでかいだ臭いの中では、ピリジンとトップを争う悪臭と思います。屍体の臭いは多数の物質の混合臭なので比較することはできません。
 これらの低分子量の脂肪酸は確かに毒性の強い物質ですが(6)、特別にそのような脂肪酸を忌避する能力(臭いと感じる能力)が私たちに備わっていることには何らかの理由があるまたはあったのでしょう。炭素原子数が10くらいになると常温で固体なので、臭いは気にならなくなります(図68-5)。図5にはR-COOHのR部分にC=Cの二重結合がない、いわゆる飽和脂肪酸のリストを示しました。カプリル酸より分子量が大きい脂肪酸は食用に使えます。

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図68-5 飽和脂肪酸(炭素と炭素の結合がC-Cのみで、C=Cはない) 数値の:より左側の数値は炭素原子の数、右側の0は二重結合が無いことを意味する

 カプリル酸はウィキペディアによると母乳に含まれているそうですが、カプリル酸には殺菌作用があるので、免疫機構が未発達の新生児には有益なのかもしれません。
 脂肪酸は生合成されるときに炭素が2個単位で重合していくため(7-8)、生体内に存在する主要な脂肪酸の炭素の数は偶数になります(7、図68-5)。ただしメインであるアセチルCoAとマロニルCoAとの縮合ではなく、プロピオニルCoAとマロニルCoAの縮合を出発点とする経路もあるので、炭素が奇数の脂肪酸が全く存在しないわけではありません。
 脂肪酸は数値表現されることがあり、図68-5の左端列に示してあります。コロンの左側が炭素分子の数。コロンの右側が二重結合(C=C)の数になります。飽和脂肪酸の場合二重結合がないのでコロンの右は0になります。数値表現はわかりやすくて便利です。
 二重結合(C=C)が分子内に存在する脂肪酸を不飽和脂肪酸と呼びます。炭素数が18の例を図68-6に示しますが、例えば18:2(9、12)というのは炭素数=18、二重結合が2ヶ所に存在し、(9、12)は二重結合がカルボキシル基から数えて9番目と10番目および12番目と13番目の炭素によって形成されているという意味です。オレイン酸はステアリン酸から生合成されますが、ヒトの場合、生きていく上で必要なのにもかかわらず、リノール酸、リノレン酸、EPA、DHAなどは生合成できないので、これらは必須脂肪酸とされています。

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図68-6 不飽和脂肪酸  図68-5と同じですが、( )内の数値はC=Cの位置を示します

 図68-6では炭素の鎖が途中で180度折れているように描いてありますが、慣用表記のひとつであり、実際にこのような急角度で分子が折れているわけではありません。分子の屈曲は二重結合の性質(シスかトランスか)、数、位置によって異なります。図68-7に例を示します。αリノレン酸は大きく屈曲しています。

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図68-7 脂肪酸の立体構造  二重結合の存在によって、脂肪酸が大きく屈曲した構造をとることがあります

 混乱して困る話なのですが、脂肪酸の命名法のなかに、カルボキシル基と反対側のCH3から数える方法もあって、ω:オメガ法ではα-リノレン酸は3つめに最初の二重結合があるのでω3脂肪酸、γ-リノレン酸は6つめに最初の二重結合があるのでω6脂肪酸などと呼ばれます(図68-8)。n-数値という表現も逆から数えた表現法です。α と γ は習慣的に使用している表現法に過ぎません。

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図68-8 オメガ(ω)法による脂肪酸の命名

 C=Cの二重結合にはシス型とトランス型があって、一般にシス型すなわち二重結合の片方にふたつのHが来る場合、図68-9のように分枝は屈曲します。自然界に存在するオレイン酸はほとんどシス型なので、通常オレイン酸と言った場合シス型を意味します。シス型の二重結合が二つあった場合、屈曲が修正されることがあります。人工的に製造されたトランス脂肪酸は食べると健康に悪影響があることがわかっています(9)。アメリカの食品医薬品局(FDA)は、マーガリンなどに含まれる「トランス脂肪酸」の発生源となる油の食品への使用を、2018年以降原則禁止すると発表しました(10-11)。

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図68-9 脂肪酸の二重結合におけるシス型とトランス型

 グリセリン+脂肪酸=油脂+水という公式は、中学の化学の時間に皆さん習ったはずですが、再掲しておきます(図68-10)。油脂は生体内では最もメジャーな脂質です。油脂は図68-10のように、グリセリン(グリセロール)1分子に脂肪酸3分子がエステル結合(-OC[=O]-)したものです。これによってグリセリンのOH、脂肪酸のCOOHという親水性の部分が消滅するので、典型的な疎水性の物質ができます。
 3分子の脂肪酸はそれぞれ種類が指定されないので、例えば10種類の脂肪酸が用いられるとすると、10x10x10で1000種類の油脂ができ得ることになります。実際には脂肪酸の種類はもっと多いので、油脂の種類は無数にあることになります。

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図68-10 油脂(トリアシルグリセロール)

 グリセロリン脂質はグリセリンのOHのうち、R1・R2は油脂と同じ脂肪酸と結合し、R3のOHがリン酸エステル(-OP[=O、-O]-)結合したものです。リン酸に結合する物質によって、フォスファチジルコリン・フォスファチジルセリン・フォスファチジルエタノールアミンなどが知られています(図68-11)。これらは脂質であるにもかかわらず、親水的な部分が存在するという特異な性質を持っています。この性質は細胞の内側と外側の両方で水と接触する細胞膜にとって、あるいは脂肪を血液中で運搬する作業にとって重要です。これらについては別のセクションで述べます。

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図68-11 グリセロリン脂質  フォスファチジルコリン フォスファチジルセリン フォスファチジルエタノールアミン

 動植物の細胞膜中に最も多量にあるのはグリセロリン脂質ですが、次に多いのはスフィンゴ脂質です。哺乳類では特に中枢神経に多いとされています(12)。スフィンゴ脂質の基本骨格はスフィンゴシンです。アミノ基1個とOHを2つ持つ直鎖状の分子です(図12)。このアミノ基に1分子の脂肪酸がアミド結合したものがセラミドです。 
 セラミドの末端のOHにフォスフォコリンやフォスフォエタノールアミンが結合したものを、スフィンゴミエリンといいます。スフィンゴミエリンは神経のサヤである神経鞘の主成分です。セラミドは保湿剤として化粧品に配合されている場合があります(13)。「うるむセラミド」などというキャッチフレーズもありました。

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図68-12 スフィンゴシン セラミド スフィンゴリン脂質

 スフィンゴシンやセラミドを発見したのはトゥーディヒョウム(図68-13 日本ではツディクムとも発音されます Johann Ludwig Wilhelm Thudichum 1829~1901)。1884年に刊行された ”Chemische Konstitution des Gehirns des Menschen und die Tiere(Chemical constitution of the brain)” という本に彼の業績が記載されているようですが私は読んでおりません。
 竹富保の「"神経化学の父"ツディクム」という文献が、廃刊となった「自然」誌に掲載されています(14)。 トゥーディヒョウムはドイツ生まれで、主にイングランドで仕事をしました。英国ではJohn Louis William Thudichum と名乗っていました。彼の業績はNIHが公開しています(15)
  トゥーディヒョウムは多才な人だったようで、ウィキペディアにはお料理の本を出版しているという記載があります(16)。日本の糖脂質研究の泰斗である山川民夫は、トゥーディヒョウムの故郷であるビューディンゲンまで行って(とんでもない田舎)で記念碑の除幕式に出席したそうです(17)。当時の欧州には、どんな田舎からも天才を発掘する力があったということなのでしょう。

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図68-13 神経化学の父 トゥーディヒョウム

 アラキドン酸(5,8,11,14-Eicosatetraenoic acid)は図68-14のとおり何の変哲もない不飽和脂肪酸の1種なのですが、そこからプロスタグランディン、トロンボキサン、ロイコトリエン(すべて総称で特定の化学物質を指しているわけではありません)を生合成する経路が派生しています(アラキドン酸カスケード)。これらの物質は免疫反応と深い関わりがあり、薬学の分野では数十年間、間断なく注目を集めています。

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図68-14 アラキドン酸カスケード(エイコサノイドはアラキドン酸を骨格に持つ化合物またはその誘導体)

 

参照

1)JIFH(日本国際飢餓対策機構)集計: https://www.jifh.org/joinus/know/population.html
2)国家公務員一般労働組合 5時間ごとに1人、1日に5人近くが餓死する日本-生活保護改悪は国家による殺人を増幅させるhttp://ameblo.jp/kokkoippan/entry-11541237843.html
3)農林水産省 日本の食料自給率 http://www.maff.go.jp/j/zyukyu/zikyu_ritu/012.html
4)Michel Eugène Chevreul, Recherches chimiques sur les corps gras d'origine animale. (1823)
https://books.google.co.jp/books?id=94_H7hfQfS0C&hl=fr&redir_esc=y
5)生物学茶話@渋めのダージリンはいかが68: 脂肪酸と油脂
https://morph.way-nifty.com/lecture/2017/04/post-684d.html
6)職場の安全サイト ヘキサン酸 https://anzeninfo.mhlw.go.jp/anzen/gmsds/142-62-1.html
7)福岡大学教育資料 脂肪酸の合成 
http://www.sc.fukuoka-u.ac.jp/~bc1/Biochem/fa-syn.htm
8)ウィキペディア: 脂肪酸
9)ウィキペディア: トランス脂肪酸
10)農林水産省 トランス脂肪酸の摂取と健康への影響
http://www.maff.go.jp/j/syouan/seisaku/trans_fat/t_eikyou/trans_eikyou.html
11)日本経済新聞 米、トランス脂肪酸の食品添加禁止 18年6月から 
https://www.nikkei.com/article/DGXLASDZ17HQH_X10C15A6000000/
12)ホートン 生化学第3版 東京化学同人(2003)
13)【スキンケア】肌に必要なセラミドって何!?【skin care】
https://www.youtube.com/watch?v=8RtDw0FKzPk
14)竹富保「"神経化学の父"ツディクム」 自然 / 中央公論社 vol. 29, 12号、pp.44-52 (1974)  国会図書館に収蔵されているようですが、デジタルコンテンツとして読むことはできませんでした。
15)J.L.W. Thudichum Papers 1885-1942 
https://oculus.nlm.nih.gov/cgi/f/findaid/findaid-idx?c=nlmfindaid;idno=thudichum122
16)Wikipedia: Johann Ludwig Wilhelm Thudichum                              https://en.wikipedia.org/wiki/Johann_Ludwig_Wilhelm_Thudichum
17)山川民夫 「糖脂質物語」 講談社(1881)

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2020年1月21日 (火)

67.糖タンパク質

 糖が生体構成成分となる場合、しばしばタンパク質や脂質と共有結合した複合分子として存在する場合があります。今回は糖とタンパク質の複合体に着目します。谷口直之によると「タンパク質のおよそ50%以上には糖鎖が付加されている」そうです(1)。これが多少盛った話だとしても、糖タンパク質が生体内でありふれた存在であることに間違いはありません。
 糖がタンパク質と共有結合する場合に通常2つの方法があって、ひとつはN-結合型、いまひとつはO-結合型です(2)。N-結合型の場合、タンパク質のアスパラギンの側鎖アミノ酸の窒素原子(N)にグリコシド結合します(図67-1)。アスパラギンならどれでも良いわけではなく、アスパラギン-(任意アミノ酸)-セリン/スレオニンという配列に限られます。最初の糖鎖は多くの場合N-アセチルグルコサミン(GlcNAc)です。
 O-結合型の場合は、タンパク質のセリンまたはスレオニンの水酸基とO-グリコシド結合します。タンパク質と結合する最初の糖鎖は多くの場合N-アセチルガラクトサミンです(GalNAc、図67-1)。ひとつのタンパク質分子が複数の糖鎖をもつこともありますし、N-結合型とO-結合型の両者の糖鎖をもつこともあります。同じ種類のタンパク質でも糖鎖の付いている分子と付いていない分子がありますし、糖鎖が付いていてもその構造が異なる場合もあります。

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図67-1 糖タンパク質 N-グリコシル結合とO-グリコシル結合

 糖には無数のバラエティーがありますが、タンパク質に結合する糖鎖を構成する単糖は、ほぼ図67-2に示した8種に限られています。これは合成する酵素の自由度やバラエティーに限界があるからでしょう。8種類とは少ないようですが、DNAが4種の塩基で構成されていることを考えると、8種類でも順列組み合わせを考えると膨大な種類の糖鎖ができ得ることは明らかです。この中にアミノ糖が3種はいっていることは特徴的です。N-アセチルグルコサミンはグルクナック、Nーアセチルガラクトサミンはギャルナックとよばれることもあります。1種の愛称のようなものです

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図67-2 糖タンパク質の糖鎖を構成する単糖

 N-グリコシド結合を行ってできる糖鎖は3つのグループ、すなわち複合型(コンプレックス型)・高マンノース型(ハイマンノース型)・混成型(ハイブリッド型)に分類できます(3)。いずれもアスパラギンにN-アセチルグルコサミンが結合し、図67-3の破線に囲まれた部分は共通の構造(コア)ですが、さらにその先複合型ではN-アセチルグルコサミン→ガラクトースという順に並び、高マンノース型ではマンノース→マンノース、混成型ではマンノース・N-アセチルグルコサミン・N-アセチルグルコサミン→ガラクトースという3種類構成になっています。

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図67-3 N-グリコシル結合型糖タンパク質に用いられる糖鎖コアの構造  破線内は共通で、その先の構造により3種類に分類される

 O-グリコシド結合を行ってできる糖鎖は、N-グリコシド結合の場合よりもバラエティーに富んでいますが、コアは8種類に分類できます(3-4)。いずれもタンパク質のセリンまたはスレオニン残基と最初に結合する糖はN-アセチルガラクトサミンで、α型結合でアミノ酸と結合します。2番目の糖がガラクトース・N-アセチルガラクトサミン・N-アセチルグルコサミンなどとなり、分岐もあるので、8種類のバラエティーが発生します(3-4、図67-4)。図67-4下方のエピトープは抗体によって認識される部位(抗原)のことで、血液型については糖脂質のところで述べます。3番目以降は千差万別で、分類する意味も多分ありません。

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図67-4 O-グリコシル結合型糖タンパク質に用いられる糖鎖コアの構造

 これらの糖鎖の構造決定には多くの人々が関わって解明されてきましたが、N-結合型糖鎖の根元、すなわちタンパク質と結合している糖がN-アセチルグルコサミンであることを解明したのはサウル・ローズマン (図67-4)です(5-6)。彼は「セレンディピティー(思いがけない発見)のプリンス」と呼ばれていたそうです(7)。

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図67-5 サウル・ローズマン(1921~2011)

 では個別の例についてみていきましょう。まずエリスロポエチンをみてみますと、3ヶ所にN-結合型糖鎖が、1ヶ所にO結合型糖鎖が認められます(図67-6)。エリスロポエチンは主に腎臓で合成されるタンパク質ホルモンで、赤血球の増殖や分化を促進します。腎不全が貧血を伴うのは、このホルモンの合成が低下するからです。糖鎖がついていないホルモンも生理活性がないわけではないのですが、糖鎖が付くことによって生理活性が高まり、安定性も増加します。
 図67-6に示された所定の場所に糖鎖が結合することによって最大の活性が得られることが、村上真淑らによって最近証明されました(8)。糖鎖の位置にそこまで遺伝的セレクションがかかっているとは、私にとってはちょっとした驚きでした。腎不全による貧血をエリスロポエチン投与によって治療するというやり方は、かなり以前から行なわれています。

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図67-6 エリスロポエチンのアミノ酸配列と糖鎖が結合する位置

 ムチンは動物粘液の主成分でヒトの胃液や粘液などにも含まれています。なんとヒトは20種類以上のムチン遺伝子を保有しているそうです(9)。セリンとスレオニンを多数含んでいるアミノ酸配列なので、O結合型糖鎖が非常にできやすい状態にあり、タンパク質の周りに密林のように糖鎖が生えています(図67-7)。そのため抜群の水分保持力があり、乾燥を防ぐほか、体表にゲル状に広がっていると感染を防ぐこともできます。粘膜を保護する役割も重要です。これだけ多数の糖鎖に被われていると、タンパク質分解酵素がアクセスしにくくなるので、壊されにくい分子になっています。胃が消化液で消化されないのも、胃粘膜のムチンのおかげなのでしょう。
 日本ではムチンは納豆や山芋などネバネバした食品に含まれている糖タンパク質だとされていますが、これは国際的には認められておらず、植物性のネバネバ物質は動物のムチンとは全く異なる物質なので、科学的に正しくはありません(10)

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図67-7 ムチン

 最後に細菌の細胞壁に使われているペプチドグリカンをみてみましょう。図67-8は典型例(黄色ブドウ球菌)ですが、N-アセチルグルコサミンとN-アセチルムラミン酸がひとつのユニットになっており、糖鎖はN-アセチルムラミン酸の乳酸残基にテトラペプチド(TP)が結合しています(図67-8左図)。このユニットがタンデム、およびペプチドを介してラテラルに結合して細胞壁を形成しています(図67-8右図)。
 細菌によって使われている糖の種類も変わり、ペプチドの種類や長さも変わりますが、グラム陽性菌は分厚いペプチドグリカン層で細胞全体が被われており、細胞膜が脆弱であっても生きていけるわけです(4、11)。分厚いペプチドグリカン層がクリスタルバイオレットという色素で染まるので、グラム陽性菌という名前になりました。

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図67-8 細菌のペプチドグリカン

 

参照

1)谷口直之 生命誌研究館 サイエンティスト・ライブラリー No.64
グルタチオン代謝から糖鎖生物学への広がり  http://brh.co.jp/s_library/interview/64/
2)IonSource (Mass Spectrometry Educational Resource)
http://www.ionsource.com/Card/carbo/nolink.htm
3)大阪大学 Kajihara Laboratory: 
http://www.chem.sci.osaka-u.ac.jp/lab/kajihara/background.html
4)Lianchun Wang, O-GalNAc Glycans:
https://www.ccrc.uga.edu/~lwang/bcmb8020/O-glycans-B.pdf
5)Fabrizio Monaco and Jacob Robbins,  Incorporation of N-Acetylmannosamine and N-Acetylglucosamine into Thyroglobulin in Rat.  Thyroid in Vitro.,  J. Biol. Chem., Vol. 248, No. 6,  pp. 2072-2077 (1973)
http://www.jbc.org/content/248/6/2072.full.pdf?sid=b4c0f52f-ec70-497d-b615-fe3651ae6f9b
6)Saul Roseman, The synthesis of complex carbohydrates by multigulycosyltransferase systems and their potential function in intercellular adheshion. Chem. Phys. Lipids vol. 5, pp. 270-297 (1970)
7)Biologist Saul Roseman, 90, champion of serendipitous discovery
http://archive.gazette.jhu.edu/2011/07/18/biologist-saul-roseman-90-champion-of-serendipitous-discovery/
8)ResOU(Research at Osaka Univ.): 精密化学合成により調整した糖タンパク質:エリスロポエチンの糖鎖機能を解明 http://resou.osaka-u.ac.jp/ja/research/2016/20160116_1
9)ウィキペディア: ムチン
10)丑田公規 ムチン奇譚:我が国における誤った名称の起源  生物工学 第97巻 第1号 pp. 48-49(2019)
file:///C:/Users/User/AppData/Local/Microsoft/Windows/INetCache/IE/CFQW7HJS/9701_kaisetsu.pdf
11)Wikipedia: Peptidoglycan,  https://en.wikipedia.org/wiki/Peptidoglycan

 

 

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66.多糖類

   多糖類はタンパク質と異なり、その構造が遺伝子によって指定されていないので、例えばグリコーゲンといっても、同じグリコーゲン分子はないというくらい多様性があります。これはたとえばケヤキの幹や枝が同じ形の樹木がないのと似ています。それでもケヤキをクスノキや桜と識別できるように、多糖類も構成ユニットである単糖の種類、結合の様式などで分類することはもちろん可能です。1種類の単糖で構成されている多糖類をホモグリカン、複数の単糖で構成されているものをヘテログリカンといいます(1)。
 まずホモグリカンの代表として、グルコースだけで構成される多糖類をみていきましょう。私たちが主食としている米や芋の主成分はでんぷんです。デンプンは主に植物によってつくられる多糖類で、α-1,4-結合でグルコースが直鎖状に重合したアミロースと、α-1,4結合だけでなく、ところどころでα-1,6-結合で分岐しているアミロペクチンがあります(1-2、図66-1)。
 お米の場合、うるち米はアミロースとアミロペクチンがおよそ2:8なのに対して、「もち米」はアミロペクチンのみでアミロースを含んでいないので、枝分かれ構造のあるアミロペクチンがお餅の粘りのもとなのでしょう(3)。アミロースもアミロペクチンもα-D-グルコースだけが重合したもので、β-D-グルコースは含まれていません(図66-1)。

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図66-1 でんぷんの構造 アミロースとアミロペクチン

 デンプンは唾液や膵液に含まれるアミラーゼによって分解されますが、アミラーゼは1種類ではなく、図66-2のようなα型、β型、γ型、イソ型という4種類があります。α型はいわゆるエンドタイプの分解酵素で鎖の任意の位置で切断します。ただし切断できるのは 1,4 結合のみで、1,6結合(分枝する位置)は切断できません。グルコースダイマーのマルトースは切断できません。
 β型は植物などに存在するエクソタイプの分解酵素で、鎖の末端から2つのグルコースをマルトースの形で切り離します。γ型は同じくエクソタイプで、鎖の末端からひとつづつグルコースを切り離します。ヒトの場合マルトースを2つのグルコースに分解する活性も高いとされていて、マルターゼあるいはグルコアミラーゼとも呼ばれています。1,4 結合のみならず1,6結合も分解できるので(4)、αタイプとγタイプのアミラーゼがあればデンプンをグルコースにほぼ分解できます。イソアミラーゼは植物などに存在する酵素で1,6結合を特異的に切断します。

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図66-2 でんぷんの分解 αアミラーゼ(黒)(1,4結合を切断するエンド型)、 βアミラーゼ(赤)(エクソ型)、 γアミラーゼ(青)(エクソ型)、 イソアミラーゼ(黄)枝分かれの部分で枝を切断

 セルロースはβ-D-グルコースだけが重合した多糖類で、α-D-グルコースは含まれていません(図66-3)。セルロースは主に植物によって作られますが、草食動物はセルロースを主な栄養分としています。草食動物やシロアリは腸内細菌によってセルロースを分解しており、これらの細菌を体内に共生させることによって生体の素材やエネルギーを得ているわけです。
 セルロースはβ-D-グルコースがβ-1,4-結合によって重合した直鎖状のポリマーですが、直鎖同士が非常に水素結合をつくりやすい構造になっているので、シート状の形態になります(図66-3)。構造は非常に安定で、熱水や酸・アルカリに溶けません。ヒトはこのことを利用して衣服(木綿)や紙を製造しました。
 木綿は8000年前からメキシコで、7000年前からインド・バングラデシュで栽培されていた証拠があるようです。しかしその技術が欧州にもたらされたのは9世紀になってからです(5)。紙は中国で紀元前から使用されていたようですが、紀元後の後漢王朝の頃、宦官の蔡倫が製造法を確立して現在に至ります(6)。紙が欧州にもたらされたのはルネサンスの頃で、ルイ・ロベールが紙漉き用の機械を製造してから一般的に使われるようになりました(7)。

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図66-3 セルロース

 細菌などが持つセルロース分解システムは複雑ですが、大まかには図66-4のような3種類の酵素の作用で行われます。このような分解系を利用してさまざまな有用物質を生産しようとする試みは盛んに行われています(8)。特にセルロースからエタノールを得てエネルギー源にしようとする試みは注目されています。セルロースというタイトルの専門誌も存在します(9)。

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図66-4 セルロースの分解

 植物がデンプンを貯蔵するのに対して、動物はグリコーゲンを貯蔵します。グリコーゲンはα-D-グルコースが α1,4 および α1,6結合で重合しているという意味ではデンプンと同じです。ただ分岐は非常に多く編目のような構造になっています(図66-5)。分岐が多いということの利点は、少ない容積に多数のグルコースを詰め込むことができるということです。もうひとつグリコーゲンに特徴的なのは、最初にグリコジェニンという特異な酵素が働くことです。この酵素は自らが基質となり、自分のチロシンのOHにグルコースを結合させ、そこからグルコース鎖を延長させることができます(10-11)。

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図66-5 グリコーゲン 複雑で不規則な枝分かれ構造を形成するが、中心に位置しているのはグリコジェニンという酵素兼基質

グリコーゲンをつくるための最初の反応は

UDP-alpha-D-glucose + glycogenin ⇌ UDP + alpha-D-glucosylglycogenin

次の反応は

alpha-D-glucosylglycogenin + UDP-alpha-D-glucose ⇌ UDP + alpha-D-glucosylglycosylglycogenin

となります。グルコースにUDP(ウリジン2リン酸)がくっついているのは、反応を進行させるためにグルコースを活性化するというしかけです。

 ある程度鎖が延長されるとグリコジェニンはお役御免となり、グリコーゲンシンテースや分岐酵素にバトンタッチして鎖延長や分岐が続行されます。グリコジェニンという奇妙な酵素はクララ・クリスマン、ウィリアム・ウェランらによって発見されました(10-13、図66-6)。クララ・クリスマンらはUDP-グルコ-スを14Cでラベルして肝臓抽出液に投入してインキュベートすると、トリクロル酢酸で沈殿する分画にラベルが移行し、これによってグルコースオリゴマーがタンパク質に結合していることを示唆しました。ウェランらはこの結合が共有結合であることを証明しました。グリコーゲンがタンパク質と共有結合しているかどうかは、昔激しい論争があったようで、ウェランも刺激的なタイトルの総説を書いています(12)。自分が基質になる酵素というのは他にないわけではなく、たとえばタンパク質分解酵素のなかには自己消化を行うものもありますが、それはある酵素分子が自分自身を消化するという意味ではありません。

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図66-6 ウィリアム・ウェラン

 グルコースの誘導体のひとつとしてN-アセチルグルコサミンについては前回述べましたが、N-アセチルグルコサミンがβ-1,4-結合を繰り返してポリマーになったものがキチンです(図66-7)。節足動物の体表を被う外骨格の素材として用いられています。セルロースと同様に分子間の水素結合が強力で、丈夫な線維・シートを形成することができます。創傷治癒のための医療用品・化粧品・衣料・農薬などの素材に用いられています(14)。

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図66-7 キチンの構造単位

 さて私たちオピストコンタと植物(プランタ=アーケプラスチダ)というかけ離れた分類学上の位置にある生物が似たような多糖類、すなわちデンプンとグリコーゲンをエネルギー源として貯蔵しているのはちょっとした驚きですが、両者と分類学上離れた位置にあり、ストラメノパイルというスーパーグループに属する昆布などはどのような多糖類を合成しているのでしょうか? 
 ウィキペディアによると昆布は夏から秋にかけて重量の40~50%を占めるくらい大量のラミナランという多糖類を合成して貯蔵しておくそうです。それはやはりグルコースのポリマーなのですが、結合様式が β1,3結合 と β1,6結合 からなっていて、オピストコンタやプランタとは大きく異なっています(15、図66-8)。

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図66-8 ラミナラン


 ヘテログリカンの代表としてヒアルロン酸を紹介しておきます。ヒアルロン酸はN-アセチルグルコサミンとグルクロン酸がβ-1,4-結合した2糖を基本単位として、これらがβ-1,3-結合で重合したものです(図66-9)。ヒアルロン酸は主に細胞外に放出されて、細胞間のマトリクスとして存在します。ぬめぬめしたゲルのような性質で、関節がなめらかに動くように機能しています。また皮下の結合組織や眼球の硝子体に多量に存在しますが、これはヒアルロン酸が水を保持する能力に優れ、組織や細胞をひからびさせないようにする作用があるためと思われます。

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図66-9 ヒアルロン酸

 膝の関節に注入することによって疼痛を軽減できますが、徐々に分解されるので、ある期間が過ぎると追加が必要になります。経口ではほぼ効かないようです(16)。毒性がほとんどないのでシワとりなど美容整形にもよく用いられますが、この場合も徐々に分解することは避けられません。また間違って動脈に針が入ると、血管が詰まって悲惨なことになってしまうので、個人的にはあまりおすすめできません。

参照

1)研究.net  研究用語辞典 「多糖」 http://www.kenq.net/dic/157.html
2)ホートン 生化学第3版 p.183 東京化学同人(2002)
3)JA全農やまぐち http://www.yc.zennoh.or.jp/rice/mamechishiki/mame01-4.html
4)酵素辞典 http://www.amano-enzyme.co.jp/jp/enzyme/4.html
5)ウィキペディア: 木綿
6)中国の歴史 紙の発明と歴史 【古代中国での発明と蔡倫による改良】
http://chugokugo-script.net/rekishi/kami.html
7)飯田清昭 抄紙機における技術開発の歴史:ロベールから始まる100年間 第1部:フォードリニヤー抄紙機及び円網抄紙機の誕生
 紙パ技協誌 68 巻 4 号(2014)
8)三重大学 教育資料 セルラーゼの話題 http://www.bio.mie-u.ac.jp/~karita/sub3.html
9)Cellulose,  Springer  https://link.springer.com/journal/10570
10)Krisman CR, Barengo R., A precursor of glycogen biosynthesis: alpha-1,4-glucan-protein. Eur. J. Biochem. vol.52, pp. 117–23 (1975)  doi:10.1111/j.1432-1033. 1975. tb03979.x. PMID 809265
11)Whelan WJ., The initiation of glycogen synthesis. BioEssays vol.5, pp. 136-140 (1986)
12)Whelan WJ., Pride and prejudice: the discovery of the primer for glycogen synthesis., Protein Sci. vol.7, 2038–2041 (1998)  doi:10.1002/pro.5560070921. PMC 2144155Freely accessible. PMID 9761486
13)Whelan WJ., My Favorite Enzyme Glycogenin., IUBMB Life, Vol. 61, pp. 1099-1100 (2009)
14)キチン・キトサン利用技術:http://www.inpit.go.jp/blob/katsuyo/pdf/chart/fkagaku19.pdf
15)ウィキペディア: ラミナラン
16)変形性膝関節症: http://www.jcoa.gr.jp/health/clinic/knee/koa.pdf
file:///C:/Users/User/AppData/Local/Microsoft/Windows/INetCache/IE/PVA09UPG/koa.pdf

 

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65.糖質

 生体は核酸とタンパク質だけでできているわけではなく、糖質や脂質ももちろんその構成要素です。糖質の構造の基本は19世紀末にここにも何度も登場しているエミール・フィッシャーによって明らかにされ、構造式の書き方も彼が考案したものが現在も使われています(1)。糖質でやっかいなのは異性体が非常に多いことで、きちんと整理しておかないと混乱します。まず図65-1におおまかな異性体の分類を示しておきます。
 異性体は大きく分けて、構造異性体と立体異性体があり、立体異性体にはさらにジアステレオマーとエナンシオマーがあります。

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図65-1 異性体の分類

いろいろな異性体について定義したいのですが、これがなかなか難しい。一応考えてみましたが、これでは不十分だと思います。

1.異性体:異性体(isomer)とは、同じ数、同じ種類の原子を持っているが、違う構造をしている物質のこと。

2.構造異性体:構造異性体(structural isomer)とは、組成式は等しいが原子の間の結合関係が異なる分子のこと。ブタンと2-メチルプロパン:組成式はともに C4H10 であるが、ブタンの構造式は H3C-CH2-CH2-CH3 であるのに対し、2-メチルプロパンは H3C-CH(CH3)-CH3 です。

3.立体異性体:立体異性体(stereoisomer)は、同じ構造異性体同士で、3次元空間内ではどう移動しても重ね合わせる(スーパーインポーズする)ことができない分子。

4.鏡像異性体:鏡像異性体(enantiomer)とは立体異性体のうち、左手と右手のように鏡に映した形ふたつの分子の関係を意味し、鏡像異性体をもつ分子をキラル分子といいます。炭素原子が持つ4価の共有結合の相手がすべて異なる場合、必ず鏡像異性体があり得るので、このような結合を行っている炭素を不斉炭素(キラル炭素)といいます。例えばアラニンは不斉炭素にNH2、CH3、H、COOHという4種のグループが結合しているので、LアラニンとDアラニンという互いに鏡に映した形の鏡像異性体が存在します。

5.ジアステレオマー(Diastereomer):立体異性体のうち鏡像異性体でない分子。シス-トランス異性体などはジアステレオマーです。

 

 糖類を代表する分子としてまずグルコースをとりあげましょう。グルコースは水溶液中では図65-2のように、α型とβ型の環状体と中央の鎖状体の3つの形が平衡状態にあります。鎖状体はα型またはβ型に対して構造異性体、α型とβ型は立体異性体ということになります(1-2)。α型とβ型を互いにアノマーであるという表現も用いられます。

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図65-2 水溶液中でのグルコースの構造 α型、鎖状構造、β型が平衡状態にある

 ここで鎖状構造のグルコースの異性体に着目してみます(図65-3)。上から炭素に番号を付けると、2番目から5番目の炭素が不斉炭素です。ここで5番目の炭素の左右と下の構造を固定し(赤で示したOHが右にある)、上だけ可変とすると、図65-3のように8種類の異性体が考えられます。それぞれの異性体に鏡像異性体が存在するので16の異性体が存在します。5番目の炭素のOHを左側にもってくると異性体の数は32となります。それぞれの異性体には名前があります。なかなかこの全部の名前を書いてある文献はありませんでしたが、masaさんのブログに書いてありました(3)。フィッシャーは分析機器が乏しい当時の研究法で III がグルコースであることを示しました。

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図65-3 鎖状構造グルコースの異性体

 32種でも混乱するのですが、グルコースには図65-2で示した3つの形があるので、32x3=96の異性体があることになります。さらにいす型やふね型の立体配座の異性体があるので(4)、それらをカウントすると、とんでもない数になります。糖質化学のおそるべき複雑さを垣間見ましたが、自然界に存在するグルコースはほとんどが 図65-3-III の5番目のCの右側にOHがあるD体です(5)。歴史的には結晶に光を照射したときに、右にまがる(dextro-rotatory)か左にまがる(levo-rotatory)かで判定されました(DL法)。もっと理論的な命名法がRS法ですが、ここでは詳しく説明しないので正確な情報を知りたい方は文献(6)を見て下さい。簡単に言うと、不斉炭素が結合している原子団に原子番号などによって優先順位を決め、2位の原子団のどちら側に3位の原子団があるかによってRかSかを決める方法です。糖とアミノ酸の場合RS法はあまり使われません。
 グルコースのようにひとつの環でできている糖を単糖とよびます。単糖にはグルコースのように5つのCとひとつのOで構成される環が基本となっているヘキソースと、リボースやキシロースのように4つのCとひとつのOで構成される環が基本となっているペントースが存在します(図65-4)。この6員環(5炭素+1酸素)をピラン、5員環(4炭素+1酸素)をフランとよびます。ピラン環でもフラン環でもOと結合している炭素は、O以外にC・H・OHと結合している場合不斉炭素であり、HとOHが上下逆のα型とβ型を生じます。リボースはRNAの構成成分ですが、2の位置のOHがHに変わったデオキシリボースはDNAの構成成分です。

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図65-4 ピラン環(グルコース)とフラン環(リボース、デオキシリボース)

 グルコースの2の位置のOHはアミノ基と置換されることもあり、この場合はグルコサミンとよばれます。一般的にOHがアミノ基と置換された糖をアミノ糖といいます。またアミノ基がアセチル化された場合、N-アセチルグルコサミンとよばれます。グルコサミンやN-アセチルグルコサミンは後に述べる複合糖質・ヒアルロン酸・糖脂質の材料として重要な物質です。グルコサミンはサプリメントとしても有名ですが、関節症などに効くかどうかは疑わしいと考えられています(7)。


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図65-5 グルコサミンとN-アセチルグルコサミン

 糖を鎖状に書くと(たとえば図65-3)、上端はCHO(アルデヒド)、下端はCH2OHとなります。上端に書かれたアルデヒドのOと、下端のCH2OHのH2のうちひとつのHが失われて環状化するとラクトンが形成されます。グルコースの場合グルコノラクトンとなります。このグループの化合物にはビタミンC(アスコルビン酸)という人類には必須の物質があります(図65-6)。ビタミンCはグルコースからやや複雑な経路で合成されます(8)。ビタミンCは私たちの体の中でコラーゲン合成、スーパーオキサイドの除去などの重要な役割を果たしています。
 私たちはビタミンCを体内で合成できません。私たちの祖先のサルが果実を主食としてビタミンCを日常的に外界から得ていたため、合成経路をになう酵素が突然変異したまま活性が失われたと考えられています。霊長類の中でも、キツネザル・アイアイ・ロリスという原始的なグループはビタミンCを合成することができますが、ヒトを含めたそれ以外のグループは合成できません(8)。

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図65-6 グルコノラクトンとビタミンC(アスコルビン酸)  ビタミンCはC=OのOがO- になったとき、負電荷をフラン環で共有して安定化することができ、アスコルビン酸という酸として挙動します。

 さて単糖だけでも膨大な異性体が存在するわけですが、これが2糖となるとそのかけ算となる上多彩な結合が存在しますから手に負えません。とはいえスキップするのもどうかと思うので、少しだけ紹介しておきます(図65-7)。グルコース+グルコースでできている麦芽糖(マルトース)は、デンプンがαまたはβアミラーゼによって分解されたときに生成する2糖類です。甘味料の他点滴にも使用されています。急激な血糖値の上昇を防ぐには2糖が有効です。麦芽糖はαグルコシダーゼの作用によって徐々に分解され、2分子のグルコースになります。

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図65-7 麦芽糖とショ糖

 ショ糖(シュークロース)はグルコース+フルクトース(フラクトース)で構成される、自然界に最も多量に存在する2糖です。自然界では植物だけが合成できる化合物です。動物はインベルターゼという酵素でグルコースとフラクトースに分解して利用することができます。どうしてサトウキビやテンサイがショ糖を大量に蓄積するのか、調べましたがわかりませんでした。私が想像するに、ショ糖はデンプンなどと違って草食動物に対して歯を溶かすなどなんらかの毒性があり、サトウキビやテンサイを好んで食べる動物に危害を与えて、それらの動物に食べ尽くされるのを防いでいるのかもしれません。

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図65-8 サトウキビとテンサイ

 糖の正式な命名法は(9)を参照していただくことをおすすめします。ただIUPACが推薦する正式名称は、専門家が論文を書くときに使うくらいで、あまり普及しているとは言えないと思います。

参照

1)フィッシャー投影式を使って単糖の構造式の暗記量を激減させる方法
https://受験理系特化プログラム.xyz/organic/fischer-3
2)グルコースの構造式: http://sci-pursuit.com/chem/organic/glucose_structure.html
3)32個の異性体: https://ameblo.jp/apium/entry-10212514628.html
4)ウィキペディア: シクロヘキサンの立体配座
5)役に立つ薬の情報 専門薬学 糖の性質
https://kusuri-jouhou.com/creature1/suger.html
6)立体配置の記述法: http://www.chiral.jp/main/R%26S.html
7)Wandel, Simon; Jüni, Peter; Tendal, Britta; Nüesch, Eveline; Villiger, Peter M; Welton, Nicky J; Reichenbach, Stephan; Trelle, Sven (2010). “Effects of glucosamine, chondroitin, or placebo in patients with osteoarthritis of hip or knee: network meta-analysis”. BMJ 341. doi:10.1136/bmj.c4675. ISSN 0959-8138. http://www.bmj.com/content/341/bmj.c4675
8)ビタミンCの真実: http://www.vit-c.jp/vitaminc/vc-02.html
9)http://nomenclator.la.coocan.jp/chem/text/carbohy.htm

 

 

 

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64.制御タンパク質他

 数回にわたってタンパク質とはどんなものかをざっくり述べてきましたが、最後に「制御タンパク質他」のジャンルに属するものについてふれておきましょう。
 酵素などは基本的には作られる量と壊される量によって制御されています。その他に他の酵素によって化学修飾されたり、ビタミンや生成物などの低分子物質によっても制御されます。しかし中にはわざわざ自分の活性を制御する専門のタンパク質が遺伝子として存在するようなラグジュアリーな酵素も存在します。ODC(オルニチン脱炭酸酵素)はそのひとつです。
 オルニチンはすでに述べたように(1)、尿素サイクルに含まれる物質で、アンモニアを解毒し排出するうえで重要な位置にありますが、それ以外にODCによってオルニチンはプトレシンに代謝されます。

H2N-(CH2)3-CH(NH2)-COOH(オルニチン) → H2N–(CH2)4–NH2 (プトレシン)+ CO2

 プトレシンを起点として、いわゆるポリアミン類-スペルミジン・スペルミンが合成されます。ポリアミンは精液に多量に含まれますが、その機能は細胞増殖、イオンチャンネルの制御、DNAの安定化など多岐にわたっており、まだ完全には解明されていません(2)。ポリアミンは多すぎても少なすぎても生物が生きていく上で障害になるので、ODCの活性は厳密に制御されなければなりません。余談ですが、そういう意味ではオルニチンをサプリメントとして摂取するのは、体に負担をかけることになるのではないかと危惧されます。
 そこで登場するのがODCアンチザイムという制御因子で、このタンパク質がODCに結合することによって、ODCは迅速に分解されます(3、図64-1)。結合状態での分子形態なども報告されています(4)。ODCアンチザイム自身がODCを分解するわけではなく、あくまでもODCの形態(コンフォメーション)を変化させて、タンパク質分解酵素が見つけやすいターゲットにするということです。アンチザイム自身は分解されないので、再利用されます。
  アンチザイムは特殊な例ですが、もっと一般的で重要なアロステリックモデュレーターとして機能する因子があります。

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 図64-1 オルニチンデカルボキシラーゼ(ODC)とアンチザイム

 図64-2のように細胞膜を何度も貫通するタンパク質は数多く存在しますが、それらは外界からのシグナル(例えばホルモン)を受けて、分子形態が変化し、細胞内に出ている部分を使って外界からきたシグナルを細胞内に反映させるべく仕事をします。このような機能を正方向(+)あるいは負方向(-)に導くためのタンパク質性制御因子が存在します(5-6、図64-2)。このような制御因子(アロステリックモデュレーター)は膜貫通タンパク質等に結合することによって、その構造を変化させ機能に影響を与えます。

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図64-2 細胞膜の膜貫通タンパク質とそのアロステリックモデュレーター 膜貫通タンパク質に作用し、正方向(+)または負方向(-)の制御を行なう

 制御因子のなかにはDNAと結合して転写を制御しているものもあります。これらは通常転写因子(transcription factor)とよばれています。例えばbZipは、C末側でαヘリックスがロイシンなどを介して結合してダイマーを形成し、N末側ではキッチン用品のトングのようにDNAをはさんで転写を制御します(図64-3)。2本のαヘリックスがジッパーのように重なりあって結合している部位をロイシンジッパーといいます。


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図64-3 転写因子の例 bZip ロイシンジッパー

 またZif268(またはEGR1)という転写因子は、分子内にジンクフィンガーという部位(図64-4A)を3ヶ所持っており、その特異な構造を使ってDNAに結合します(図64-4B)。ジンクフィンガーというのは亜鉛原子を抱え込んだ指のような構造で、図64-4Aでは2つのシステインと2つのヒスチジンが亜鉛原子と結合しています。2つのβシートと1つのαヘリックスを含んだ構造が亜鉛原子によって安定化されているようです(7、図64-4B)

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図64-4 転写因子の例 Zif268 ジンクフィンガー

 ロイシンジッパーやジンクフィンガー部位をもつタンパク質は数多く存在し、またそれぞれがさまざまな遺伝子を発現させるので、機能によって分類や命名ができないため、酵素などと違って暗号のような名前になっています。タンパク質分子をいくつかの領域に分けて、それぞれをドメインとよぶことがあります。その場合ロイシンジッパードメインとかジンクフィンガードメインなどとよばれます。
 もうひとつ、bHLH(basic helix-loop-helix)というドメイン(図64-5A)をもつ転写因子について述べておきます。このドメインは図64-5Aのように、2つの短いαヘリックスがループ状の構造でつながっています。このグループを代表する転写因子はMyoDです。MyoDはE12という別の転写因子とヘテロダイマーを形成して2本足のような構造をつくり、塩基性アミノ酸を使ってDNAと結合します(図64-5B)。

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図64-5 転写因子の例 MyoD  bHLH(basic helix-loop-helix)

 MyoDはデイヴィス(R.L. Davis)らが発見した元締め的転写因子で、筋肉形成という極めて複雑なプロセスにゴーサインを出すマスター制御因子とされています(8-9)。発生の途中で未分化細胞を筋細胞に分化させるだけでなく、例えば筋トレをしたときもこれが発現して筋肉が増強されると考えられています。将来工場で細胞を分化させて食糧を製造するというようなことがあるとすれば、MyoDはキーファクターとして使われるかもしれません。
 転写因子にはこれらの他にも非常に多くの種類があり、きりがありませんが、細胞がそれぞれ特徴を出すためにどの道を行くか決めるハンドルのようなものです。ノーベル賞の山中4因子(Oct3/4、Sox2、Klf4、c-Myc)もすべて転写因子です(10)。これらはいったん来た道を逆行して元に戻るプログラムを進行させる因子とも言えます。
 最初に 「制御因子他」 と書きましたが、「他」 というのは例えばヘモグロビンです(図64-6)。ヘモグロビンは(グロビン+ヘム)x4(テトラマー)で構成されるタンパク質で、モノマーのグロビンも含めると真核生物のみならず、酸素を利用する生物には細菌も含めて広範囲に分布しています(11)。このタンパク質は酵素でも、構造タンパク質でも、制御因子でもなく、酸素や二酸化炭素を運搬する担体として使われています。

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図64-6 A.ヘモグロビンの立体構造(グロビン+ヘム)x4 B.ヘムの分子構造

 そのほかにもリボソームというタンパク質製造マシーンではRNAと共に100種類近いタンパク質が、そのパーツとして働いています。メッセンジャ-RNAを製造する工場であるスプライソソームでも多くのタンパク質がそれぞれ役割を果たしています。すなわち酵素・構造タンパク質・制御因子以外にも重要な役割を担っているタンパク質は数多く存在します。

参照

1)https://morph.way-nifty.com/grey/2016/05/post-8705.html
2)栗原新、ポリアミンのとても多彩な機能、生物工学会誌 vol.89,p.555 (2011)
https://www.sbj.or.jp/wp-content/uploads/file/sbj/8909/8909_biomedia_3.pdf
3)村上安子, 松藤千弥、迅速なポリアミン制御を可能にするオルニチン脱炭酸酵素の分解系、化学と生物 Vol. 39, No. 3, pp.171-176 (2001)・・・アンチザイム
https://www.jstage.jst.go.jp/article/kagakutoseibutsu1962/39/3/39_3_171/_pdf
4)Hsiang-Yi Wu et al., Structural basis of antizyme-mediated regulation of polyamine homeostasis. Proc Natl Acad Sci USA, vol. 112 no. 36, pp. 11229–11234 (2015)
http://www.pnas.org/content/112/36/11229.full.pdf
5)Lauren T. May, Katie Leach, Patrick M. Sexton, and Arthur Christopoulos, Allosteric Modulation of G Protein-Coupled Receptors.Annual Review of Pharmacology and Toxicology  Vol. 47, pp. 1-51 (Volume publication date 10 February 2007)
http://www.annualreviews.org/doi/10.1146/annurev.pharmtox.47.120505.105159
6)J.N. Kew, Positive and negative allosteric modulation of metabotropic glutamate receptors: emerging therapeutic potential., Pharmacol Ther. vol.104(3), pp. 233-244 (2004)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/15556676
7)Wikipedia: Zinc Finger,  https://en.wikipedia.org/wiki/Zinc_finger
8)Robert L. Davis, Harold Weintraub, Andrew B. Lassa, Expression of a single transfected cDNA converts fibroblasts to myoblasts.  Cell, Vol.51, Issue 6, pp. 987–1000 (1987)
9)Ma, P.C.,Rould, M.A.,Weintraub, H.,Pabo, C.O.Crystal structure of MyoD bHLH domain-DNA complex: perspectives on DNA recognition and implications for transcriptional activation. Cell vol.77, pp. 451-459 (1994)
10)iPSビズ ヤマナカファクターとは http://ips 細胞.biz/dic/30.html
11)ウィキペディア: ヘモグロビン

 

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63.構造タンパク質

 タンパク質をその役割で分類すると、最もおおざっぱには酵素、制御因子、構造タンパク質、その他ということになります。ここでは構造タンパク質の概要についてみてみましょう。構造タンパク質を代表するものとして、その地球上での量ではダントツのアクチンとミオシンがあります(ミオシンは酵素でもありますが)。これらは筋肉の主成分であり、肉食動物はこの2種類のタンパク質を主な栄養源として生きています。人間は雑食ですが、多くの人々は穀物(炭水化物)の他に、特に南米などではアクチンとミオシンを主要な栄養源としています。日本人も次第にそのようなライフスタイルに近づきつつあります。動物を殺さなくても美味な食事ができるようになれば、人間はもう少し高尚な生物になれると思いますが、エミール・フィッシャーの夢はなかなか実現しそうにありません。
 生物が生物であるためには、生物と外界との間に仕切りが必要ですが、それは脂質が中心となった細胞膜です。細菌や植物はその外にさらに多糖類でできた細胞壁という構造を持っています。細胞壁はいわゆる動物にはありません。脂質の膜は細胞の内部にもあり、コンパートメントや物質輸送の役を果たしています。
 ではタンパク質は細胞の構造形成にどのような役割を果たしているのでしょうか。ひとつは家で言えば柱とか梁のような、細胞に一定の形をとらせることです。細胞壁のない細胞は柱や梁に相当する構造がなければ一定の形態を保つことは不可能です。とは言っても家屋のような静的な恒久構造ではなく、ダイナミックに変化します。もうひとつは、これは特殊な役割ですが、細胞分裂を実行する構造ツールとしてタンパク質が機能するということがあります。
 これらに関与しているタンパク質はほぼ3つのグループ、すなわちチュブリン、アクチン、中間系線維(線維という漢字が好まれますが、繊維でもかまいません)に分類できます。この3つのグループは、細菌・古細菌・真核生物のすべてに存在するユニバーサルなタンパク質です。
 細菌では図63-1のように、チュブリン系のタンパク質であるFtsZは細胞分裂の際にZリングという構造を作って細胞と細胞の仕切りを形成する役割を果たしています。アクチン系のMreBは細胞膜の直下に、細胞の全長に及ぶ繊維構造からなる螺旋状のネットワークを形成しており、細菌がロッド状の形態をとるために必要な役割を果たしています。またある種の細菌では真核生物の場合と同様、収縮リングをつくって細胞分裂を実行する役割を担っているようです(図63-1)。
 中間系繊維グループのクレセンチンは、細胞が三日月のある種の細菌に存在し、細胞を屈曲させる役割を果たしています(図63-1)。人間の胃に住んでいるヘリコバクター・ピロリ、いわゆるピロリ菌もこの仲間のようです。栄養リッチな環境に住んでいる細菌は、その場所から流されたくないので、ひっかかりやすい構造をめざしたのでしょうか? 細菌の細胞骨格については、ウィキペディアにもう少し詳しい解説があります(1)。

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図63-1 細菌の細胞骨格 真核生物との比較

 真核生物におけるチュブリンは毛利秀雄(図63-2)によって発見・命名された分子量約5万の球状タンパク質で(2)、通常重合して微小管などの構造を形成しています。αチュブリンとβチュブリンは図63-3のようにヘテロダイマーαβを形成し、さらにそのヘテロダイマーが連結して線維状のプロトフィラメントを形成し、13本のプロトフィラメントが集合して管になったような形の微小管が形成されます(3)。微小管の直径は約25nmです。

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図63-2 毛利秀雄(1930~)とフェレンツ・ブルノ・シュトラウプ(1914~1996)

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図63-3 チュブリンと微小管

 微小管が最も規則的で美しい形態ととっているのは精子の鞭毛です。私たちオピストコンタの精子は、細胞の進行方向後方に1本の精子の鞭毛を持っています。鞭毛を輪切り(クロスセクション)にすると、中心にある1対=2本の微小管を、9ペア=18本の微小管が取り囲むという美しい規則的な構造になっています(図63-4)。微小管の周囲に存在するダイニンはATPが持つ化学エネルギーを運動エネルギーに変換することができるタンパク質(モータータンパク質)であり、これらの作用によって精子は鞭毛を動かし、泳いで卵に到達することができます。この9+2の構造は繊毛でも同じで、しかも原生動物からヒトに至るまで同じです(4)。

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図63-4 精子の鞭毛 クロスセクション

 アクチンはF.B.シュトラウプ(図63-2)によって発見された、分子量約4万2千の球状タンパク質です(5)。微妙に異なる6種類があり、冒頭で述べた筋肉を作るタイプのものとは異なるβ型アクチンは、重合してマイクロフィラメントという直径6nm前後の線維を形成し、微小管と同様細胞骨格の役割を果たしています(図63-5)。アクチン自体はモータータンパク質ではありませんが、ATPやADPと結合することによって線維形成が制御されています(6-7)。

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図63-5 アクチンとアクチン線維赤丸のATPが結合することによって、アクチンが重合し線維が形成される。 線維が形成された後、ATPはADPとなるので、アクチン線維(マイクロフィラメント)には前後の方向性が存在する。

 細胞形態がいかにチュブリンやアクチンに依存しているかということは、図63-6をみれば一目瞭然です。細胞質の中は微小管やマイクロフィラメントのジャングルジムのようです。これらの細胞骨格はジャングルジムと違ってフレキシブルで、次の瞬間には別の形になることもあります。微小管やマイクロフィラメントは常に多くの分子が参加したり離脱したりしているので、細胞の柱や梁といっても、非常に流動的なパーツではあります(8)。

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図63-6 蛍光染色によって可視化された細胞骨格  緑:微小管(マイクロチューブル) 赤:微笑線維(マイクロフィラメント)

 細胞骨格にはもうひとつの要素、すなわち中間径線維があります。中間径というのは線維の直径が微小管とマイクロフィラメントの中間という意味で、約10nmのサイズになります。中間径フィラメントを構成するタンパク質には、ケラチン、ニューロフィラメントタンパク質、デスミン、ビメンチン、ラミンなどがあり、細胞の種類によって特異性があります。ミオシンもこのグループに近いタンパク質です。
 中間径線維の代表としてケラチンに注目してみましょう。ケラチンは毛髪・羽毛・爪・表皮・角・くちばし・魚類以外のウロコなどの主成分となるタンパク質です。ケラチンはヒトのものだけでも54種類あり、まだ増えるかもしれません(9-10)。ケラチン分子は細長い線維性(フィブラス)の分子で、図63-7のようにまず2分子が同じ方向性でダイマーを形成し、2つのダイマーが互いに逆方向で重合して4量体(テトラマー)をつくり、そのテトラマーがタンデムに結合してマイクロフィラメントが形成されます。8本のマイクロフィラメント(これはアクチンが形成するマイクロフィラメントと同じ用語なので感心しません)が集合してマイクロフィブリルを形成し、マイクロフィブリルがさらに集合して毛や皮膚などの細胞に充満しています(図63-7)。
 ケラチン分子はシステインを多く含んでいる場合があり、システインが分子間で共有結合(S-S)を多数形成すると、非常に強靱な構造をつくることができます。こうなると物理的に強靱であるばかりでなく、酵素による分解も受けにくくなり、場合によっては羽毛恐竜のように1億年以上前の化石からも検出できるようなことがあります。

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図63-7 ケラチン線維の形成

 図63-8は私が撮影した毛の断面の電子顕微鏡写真で、まだ完全にケラチン線維で埋め尽くされていない未分化な下部の構造です。ケラチン線維の束(マイクロフィブリル)の間に隙間がまだみられます(9)。

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図63-8 毛の電子顕微鏡写真(クロスセクション)

 筋肉は中間径線維グループに近縁のミオシンと、全く別オリジンのアクチンなどのタンパク質が共同して作った驚異的な芸術的作品です。筋肉によって動物は歩行し、呼吸し、消化し、出産し、飛翔し、遊泳し、目のピントを合わせ、キーボードをたたくことができます。いずれまた話題になると思いますのが、ここでは1枚の私が撮影した電子顕微鏡写真だけ貼っておきます(9、図63-9)。ケラチンについては文献(10-11)などにも簡潔にまとめてあり、フリーで読めます。より詳しい情報を得たい方は、この分野の世界的権威であるラングバイン博士と共同研究者達が多数のレビューを書いており、一部(12など)はフリーで読むことができます。

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図63-9 筋線維の電子顕微鏡写真 mtはミトコンドリア  筋肉はアクチンとミオシンの相互作用によって収縮する
A帯はその相互作用が行われている場所 I帯はアクチンフィラメント H帯はミオシンフィラメント

参照

1)ウィキペディア: 原核生物の細胞骨格
2)Mohri H., “Amino-acid composition of Tubulin constituting microtubules of sperm flagella.”. Nature vol. 217, pp. 1053-1054 (1968)  PMID 4296139
3)Nogales, E., Wolf, S.G., Downing, K.H. , Structure of the alpha beta tubulin dimer by electron crystallography. Nature vol. 391, pp. 199-203 (1998)
4)廣野雅文 東京大学理学部広報プレスリリース (2011)
https://www.s.u-tokyo.ac.jp/ja/press/2011/06.html
5)Straub FB., Actin,  Studies Inst Med Chem Univ Szeged. vol.2, pp. 3–16 (1942)
http://actin.aok.pte.hu/archives/pdf/StudiesII_1.pdf
6)ウィキペディア: アクチン
7)Geoffrey M Cooper, Structure and Organization of Actin Filaments. The Cell: A Molecular Approach. 2nd edition. Sunderland (MA) (2000).
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/books/NBK9908/
8)Wikipedia: Cytoskeleton,  https://en.wikipedia.org/wiki/Cytoskeleton
9)K. Morioka, "Hair Follicle. Differentiation under th Electron Microscope. An Atlas" Spirnger-Verlag Tokyo (2005)
https://www.amazon.co.jp/Hair-Follicle-Differentiation-Electron-Microscope-ebook/dp/B000SNUPWM/ref=sr_1_1?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&keywords=hair+follicle&qid=1572774225&s=digital-text&sr=1-1
10)京都大学教育資料 ケラチン
https://www.kuhp.kyoto-u.ac.jp/~pathology/templates/keratin.html
11)片方陽太郎 ケラチン蛋白質の生化学 -構造、機能、そして遺伝子まで-、蛋白質 核酸 酵素 vol. 38, pp. 2711-2722 (1993)
http://lifesciencedb.jp/dbsearch/Literature/get_pne_cgpdf.php?year=1993&number=3816&file=sU0K8gPLUSkWylrPLUS03QAhjDig==
12)Moll R, Divo M, Langbein L., The human keratins: biology and pathology.,
Histochem Cell Biol. vol. 129(6): pp. 705-33. (2008)  doi: 10.1007/s00418-008-0435-6. Epub 2008 May 7.
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/18461349

 



 

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62.酵素 Ⅱ

   第二次世界大戦前までに、酵素はタンパク質であり、生命現象に必要なほとんどの化学変化は、酵素によって触媒される反応であることが明らかになりました。大戦後は酵素の作用機構や制御が主要な課題となりました。
 エミール・フィッシャーの古典的な「鍵と鍵穴」説の検証と新しい概念構築の中心になったのはジャン=ピエール・シャンジューでした。シャンジュー(図62-1)は学生の頃パスツール研究所のジャコブ&モノー研究室で過ごました。彼はそこでタンパク質は固定した形を持つものではなく、基質や様々な制御因子の影響、オリゴマーの形成などによって形を変えるフレキシブルな物質であることに注目し、アロステリック変化という概念を提出しました(1-2)。この理論はダニエル・コシュランド(図62-1)らによってさらに発展し、「誘導適合説」などが提唱されました。このあたりの事情を知るには、コシュランドが書いたレビューが出版されています(3)。コシュランドは第二次世界大戦中はマンハッタン計画に参加して、原爆製造の仕事にかかわっていました(4)。

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図62-1 ジャン=ピエール・シャンジュー(1936~)とダニエル・コシュランド(1920~2007)

 簡単に説明すると、図62-2のように「鍵と鍵穴」説ではもともと鍵にぴったり合った鍵穴があることになっていますが、「誘導適合」説では、基質の接近によって酵素が形態(コンフォメーション)を変えて、基質を取り込むということになります。
 またこのコンフォーメーションの変化に伴って、ケミカルアタックを行うサイト(catalytic site、図62-2の赤のサイト) が基質と接近して活動を行うことができるようになります。このサイトは2ヶ所に分かれていて、サイト-基質-サイトという形で電子や原子の受け渡しを行ないます。

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図62-2 「鍵と鍵穴」説と「誘導適合」説

 では具体的にトリオースリン酸イソメラーゼを例にとって。酵素反応の機構をみていきましょう(5)。この酵素はジヒドロキシアセトンリン酸(DHAP)をD-グリセルアルデヒド3リン酸(GAP)に代謝するときに利用されます。これはグルコースをピルビン酸に代謝する解糖経路の要所にある重要な反応です。ケトンをアルデヒドに変換する反応のひとつという見方もできます(図62-3)。

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図62-3 トリオースリン酸イソメラーゼによる反応

 酵素のポケット(鍵穴)に取り込まれたDHAPは、まずグルタミン酸側鎖COO-の電子をうけとってC1とC2の結合を二重結合化します。このときC1とC2はそのままでは共に5価になってしまうので、C1はHをひとつ手放し、C2は酸素との二重結合を一重結合化します(図62-4、図62-5)。

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図62-4 C1とC2の二重結合化

 C2と二重結合していたOの解放された電子はヒスチジン側鎖のNHに攻撃を仕掛け、Hを奪い取ります(図62-5)。

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図62-5 ヒスチジン側鎖NHに対するアタック

Hを奪い取られたヒスチジン側鎖のNはC1からHを奪い返します(図62-6)。

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図62-6 Hを奪われたヒスチジンによるC1への逆襲

 ヒスチジンに水素を奪われたC1は、酸素との結合が二重結合になってしまうので5価となり、C2との二重結合を一重結合にします。この結果C2は3価となるので、グルタミン酸側鎖のカルボキシル基からHを奪って4価にもどします(図62-7)。

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図62-7 C1がグルタミン酸のHを奪って4価を回復


 因果は巡って、結局GAPが生成され、95番のヒスチジン側鎖と165番のグルタミン酸側鎖も元通りに戻ります。すなわち酵素はもとのままで、DHAP→GAPの化学反応が遂行されました(図62-8)。

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図62-8 反応は終了し、グルタルアルデヒド3リン酸(GAP)が生成された

 以上は単純化された仮説で、実際にはもっと複雑かもしれません。さてすべての酵素は基質濃度だけに反応して、役目を果たすのでしょうか? 答えはNoです。酵素には阻害物質を利用して反応生成物を適度な濃度で管理するという機構がしばしば存在します。
 最も単純なのは図62-9のように、基質と同じ鍵穴にアクセスできる別の鍵があり、その鍵が先にはまると基質は鍵穴にアクセスできなくなるというメカニズムです。すなわち基質と阻害剤が同じサイトに競合してアクセスしようとするわけですから、どちらがアクセスできるかはそれぞれの濃度に依存します。したがってもし大過剰の基質を投入すれば、阻害剤の影響は無視できる程度に低下するはずです。このような単純競合の場合、タンパク質自体の立体構造の変換を伴わないので、アロステリック制御とは言えません。

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図62-9 拮抗阻害  同じサイト(鍵穴)を基質と阻害剤が競い合って結合しようとする

 しかし図62-10の場合のように、阻害剤がアクセスする別のサイト(鍵穴)があって、そこに阻害剤がアクセスすると基質の鍵穴が変形して使用不能になるとすれば、これはアロステリック制御のひとつであり、このようなケースでは基質を大過剰にしても反応は抑制されることになります。この非拮抗阻害と呼ばれる方式ですと、阻害剤が高濃度に存在すると反応が完全に停止するので、反応を再開するには阻害剤が代謝されてしまうことが必要になります。

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図62-10 非拮抗阻害  阻害剤が結合すると、酵素は構造変化を起こし、基質に結合しなくなる

 阻害の様式にはもうひとつ、不拮抗阻害というのがあり(図11)、この場合フリーの酵素に阻害剤はアクセスすることができず、基質が結合した酵素にしかアクセスできません。阻害剤がアクセスに成功すると、基質結合部位がアロステリック効果により変形して基質が結合できなくなります。阻害剤がアクセスするまでの時間的余裕があるので、基質があればある程度反応は進行し、その後阻害されるということになります。

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図62-11 不拮抗阻害  基質が結合した後で、阻害剤が結合する

 阻害剤という反応進行に負の影響を及ぼす因子について述べてきましたが、このような阻害剤による負のアロステリック効果だけでなく、正のアロステリック効果も存在します(図62-12)。この場合、正のAE(アロステリックエフェクター)が酵素にアクセスすることが引き金になって、基質結合部位が形成され反応が開始します。

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図62-12 正と負のアロステリック効果

 ただし酵素反応は一般に無制限に進行することは許されず、特定のタイミングで適切な量の反応生成物を得ることを目的としています。細胞外に放出されるペプシンですら、胃に食べ物がないときには放出されないように制御されています。酵素反応をいかに制御するかということは、生命現象の本質のひとつと言えるでしょう。
 一連の酵素反応の結果生成された最終反応生成物が阻害因子となって、自らを生成した酵素反応カスケードを停止させるという場合があり、これをフィードバック制御といいます(図62-13)。

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図62-13 フィードバック制御  反応生成物が酵素-基質の結合に影響を与える

 例えばアスパラギン酸トランスカルバモイラーゼは最終反応生成物であるCTPによって阻害されます(6)。このような負のフィードバック制御が一般的ですが、なかには最終反応生成物が一連の反応を加速させる場合もあり、これは正のフィードバック制御です。途中で神経伝達が関与していますが、オキシトシンが分泌されて子宮収縮=分娩が促進されるような場合がその1例と考えられます。

参照

1)Monod, J., Wyman, J., Changeux, J. P., On the Nature of Allosteric Transitions: A Plausible Model. Journal of Molecular Biology. vol.12, pp.88-118 (1965). doi:10.1016/S0022-2836(65)80285-6. PMID 14343300.
2)ウィキペディア: アロステリック効果
3)Daniel E. Koshland Jr., The Key-Lock Theory and the Induced Fit Theory. Angewandte Chemie col.33, pp.2375-2378 (1995)
4)Wikipedia: Daniel Koshland,  https://en.wikipedia.org/wiki/Daniel_E._Koshland_Jr.
5)Proteopedia: Triose Phosphate Isomerase Structure & Mechanism.
http://proteopedia.org/wiki/index.php/Triose_Phosphate_Isomerase_Structure_%26_Mechanism
6)Berg JM, Tymoczko JL, Stryer L., Biochemistry 5th edn. Section 10.1, W. H. Freeman (2002) https://www.ncbi.nlm.nih.gov/books/NBK22460/

 

 

 

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2020年1月20日 (月)

61.酵素 I

 酵素を誰が発見したのかというのは、特定の人物を指定することがやや難しい問題です。歴史をたどっていくことにしましょう。
 1752年、フランスの科学者ルネ・レオミュール(René-Antoine Ferchault de Réaumur、図61-1)は、消化されなかった食べ物を吐き出す習性があるトンビに目を付け、金網で囲った肉を食べさせて、はき出した金網の中の肉が溶けていたことを確認ました。さらにスポンジ(当時のことですから海綿)を食べさせて、はき出したスポンジから胃液を集め、その胃液に肉片を浸すことで肉片が溶けることも観察しました(1-2)。この結果からレオミュールは、胃液には肉を分解する物質が含まれると考えました。

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図61-1 ルネ・レオミュール(1687~1757)

 レオミュールという人は偉大な昆虫学者で、全六巻からなる大著「昆虫誌」(3)を出版しました。もちろんフランス語ですが、オープンライブラリーで閲覧可能なようです。
 レオミュールの観察を受け継いだのは、イタリア人のラッザロ・スパランツァーニ(Lazzaro Spallanzani, 図61-2)というとてつもない科学者でした。彼はレオミュールの実験をさまざまな動物で追試し、吐き出した海綿中に消化を行う物質があることは間違いないという確信を持ちました。それからが彼の異常なところで、1776年に同じ実験を自分自身の体を使って追試してみようと考えたのです。といっても思いつきでやってみたのではなく、イヌやヘビに布袋を飲ませようとしてかみつかれるなどの困難に直面した後の苦渋の決断だったようです。

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図61-2 ラッザロ・スパランツァーニ(1729~1799)

 スパランツァーニはまず研究ず布袋にパンを入れて飲み込み、排泄された布袋の中からパンが無くなっていることを観察しました。次に竹を削って木筒をつくり、そのなかにパンや肉片を入れ、小さな穴を開けた木筒を布袋に入れて飲み込みました。出てきた木筒の中の食物はなくなっていました。
 これによって胃ですりつぶされて食物が粉々になったためになくなったわけではないことが証明されました。木筒に骨を入れた場合は、消化されずにそのまま出てきました。このような実験を多数繰り返して、スパランツァーニは胃には鳥類の砂嚢のように食べ物を粉々にする作用はなく、胃液に含まれる因子によって食べ物が消化されるのだという確信を持ちました。
 しかしもう一押し、胃液を取り出して、その中で食べ物が消化されるのを見たいと思うのは、科学者として必然のなりゆきでしょう。そこからがまた彼の凄いところで、指をノドに突っ込んで自分の胃液をはき出すトレーニングをして実行したのです。そして実際に自分の胃液の中で肉が消化されるのを観察しました。それは腐敗とは違うことも確認しました。さらに前記の肉片の入った木筒を飲み込み、しばらくして吐き出すという名人芸も会得し、中を調べてみると肉片が消化されかかっていました。

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図61-3 「自分の体で実験したい」Leslie Dendy and Mel Boring 著 梶山あゆみ訳、紀伊國屋書店(2007)

 スパランツァーニが一連の自分の体を使った人体実験から得た結論は、「消化は機械的粉砕や微生物による腐敗や発酵ではなく、胃液が促進する通常の化学反応だ」 というものでした。彼の功績は「自分の体で実験したい」という本に詳しく記してあります(4)。この本の表紙を図61-3に示しました。布袋を飲み込みつつあるスパランツァーニの姿が表紙になっています。
 私も購入して通読しましたが、この本にはスパランツァーニ以外にも、自分をモルモットにして命がけで実験をした大勢の科学者の業績が記されています。命を落とした人もいるということで合掌・・・・・。
 18世紀におけるレオミュールやスパランツァーニの偉大な実験にもかかわらず、多くの科学者が酵素の存在を確信するまでには、さらに1世紀もの長い時間が必要でした。19世紀に入ると、まずパヤン Anselme Payenとペルソ Jean Francois Persoz (図61-4) が、麦芽抽出液からデンプンをグルコースに分解する酵素を分離しジアスターゼと名付けました(1833年、5)。これは現在ではアミラーゼと呼ばれています。

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図61-4 アンセルム・パヤン(1795~1871)とジャン・フランソワ・ペルソ(1805~1868)

 スパランツァーニの研究もいくつかの研究室で引き続き発展しました。1834年ヨハン・エベールは乾燥させた胃の粘膜から消化能力のある溶液を調製することに成功しました。その溶液で処理すると、卵白アルブミンは溶けてしまうだけではなく、検出できなくなりました細胞説で有名なテオドール・シュワンはエベールの実験結果に注目し、1836年に胃液に含まれる成分がアルブミン以外のタンパク質も分解することを確認して、ペプシンと命名しました。しかしそのペプシンを精製することはできませんでした。19世紀の生化学で優勢だったのは、パスツールが証明した「生物は生物からしか生まれない、そして発酵や腐敗は微生物によって行われる」という考え方で、消化もやはり微生物の作用あるいは何らかの生命力によると思われていましたが、一方でパヤン&ペルソらの酵素の作用による有機物の化学変化もまた無視できないという隔靴掻痒の状況にありました。

 そうした中で、1897年エドゥアルト・ブフナー(Eduard Buchner, 図61-5)がすりつぶした酵母をろ過した抽出液(無細胞抽出液)の中で、糖が発酵してアルコールと二酸化炭素になることを発見したことは大きな衝撃でした(6)。すなわち生きた細胞がいなくてもアルコール発酵が行われることが証明されたことになります。

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図61-5 エドゥアルト・ブブナー(1860~1917)

 これは大変重要な実験でした。なぜならこれで生気説は否定され、有機物の生成や分解も普通の化学変化にすぎないという考え方が勝利したからです。ブフナーは1907年にノーベル化学賞を受賞しました。しかしその10年後に第一次世界大戦で従軍し、戦死しました。

 最終的に酵素がタンパク質であるということが証明されたのは20世紀も深まってからでした。1919年に米国の化学者ジョン・ノースロップ(John Howard Northrop, 図61-6)はペプシンを単離して結晶化し、それがタンパク質であることを証明しました(7-8)。ノースロップは1946年にノーベル化学賞を受賞しています。

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図61-6 ジョン・ハワード・ノースロップ(1891~1987)

 結論的に言えば、酵素の発見は誰がというより、ここで述べた科学者達を中心とした多くの科学者達が、200年近くの歳月をかけてなしとげた業績です。
 酵素の作用機構についてはすでに1894年からエミール・フィッシャーが「鍵と鍵穴」説を発表しており(9)、現在でも当たらずといえども遠からずという評価を受けていて、説明にはよく用いられます。すなわち酵素には基質(=鍵)を凸とすると凹の形態を持った鍵穴があり、そこに基質を収納すると基質がケミカルアタックを受けて生成物に変化するという考え方です(図61-7)。

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図67-7 エミール・フィッシャーの鍵と鍵穴説

 この過程を、レオノア・ミカエリスとモード・メンテン(図61-8)は次のような化学式で表現しました。

酵素 (E) + 基質 (S) ⇔  酵素基質複合体 (ES) → 酵素 (E) + 生成物 (P)
E: enzyme,  S: substrate,  ES: enzyme-substrate complex,  P: product

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図61-8 レオノア・ミカエリス(1875~1949)とモード・メンテン(1879~1960)

 ここで重要なのはE+S⇄ ESの1段階目の反応は可逆的なのに、2段階目のES→E+Pという反応は不可逆的だということです。もしそうでなければ、デンプンを分解してブドウ糖を生成しエネルギー源として利用しようとしても、ブドウ糖がある程度たまるとデンプンに逆戻りしてしまうという不都合が発生します。ただし生成物が少量で良い時などには、フィードバック制御という別プロセスで酵素に阻害がかかり、反応が停止するということはあります。
 酵素は触媒の1種ですが、金属触媒などを用いた無機化学反応と違って、基質濃度を上昇させてもあるところで頭打ちになってしまいます。基質濃度を横軸、反応速度を縦軸としてグラフを描くと図61-9のようになります。

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図61-9 基質濃度と反応速度  基質濃度を上げても、比例的に反応速度が上昇することはなく、頭打ちになる。

1913年にミカエリスとメンテンは、このグラフを数式で表現する、ミカエリス・メンテンの式を発表しました(10、図61-10)。

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図61-10 ミカエリス・メンテン式

 図61-9において、最大反応速度はVmax、その2分の1の反応速度で反応が進行しているときの基質濃度をKmとしています。ミカエリス・メンテン式において、[S] = Km とすると、v = 0.5 x Vmax となります。ミカエリス・メンテン式の導出のしかたについて興味がある方はサイト(11)を参照して下さい。
 本稿でもうひとつ触れておきたいのは、酵素が化学変化の過程において、活性化エネルギーを低下させるということです。物質Aは自然に自由エネルギーが低い物質Bに変化していくことは、熱力学の第2法則が示していますが、それでも物質Aが存在しているのは、物質Bに変化するために要する時間が無限大に近いことによります。酵素は物質A(基質=S)が物質B(生成物=P)に変化するために必要な、活性化エネルギーのレベルを下げる作用を持っています(図61-11、赤線)。このことによって変化に必要な時間を著しく短縮することができるので、生命現象に必要な化学変化を現実的な時間で実行することが可能になるわけです。

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図61-11 酵素はSがPに変化するために必要な中間段階の自由エネルギーレベルを引き下げる効果を持つ 酵素と基質が結合することによって(ES)、反応中間段階に到達するための活性化エネルギーが少なくなる(赤線)。

 

参照

1)ウィキペディア: ルネ・レオミュール
2)http://contest.japias.jp/tqj2005/80064/kousohakkenn.html
3)René-Antoine Ferchault de Réaumur, Memoires pour servir a l'histoire des insectes. A Paris : De l'imprimerie royale (1734) 
https://archive.org/details/memoirespourserv01ra
4)「自分の体で実験したい」 原題:Guinea Pig Scientists、 Leslie Dendy and Mel Boring 著 梶山あゆみ訳、紀伊國屋書店 (2007)
5)A. Payen and J.-F. Persoz, "Mémoire sur la diastase, les principaux produits de ses réactions et leurs applications aux arts industriels" (Memoir on diastase, the principal products of its reactions, and their applications to the industrial arts), Annales de chimie et de physique, 2nd series, vol. 53, pages 73–92 (1833)
6)Eduard Buchner, “Alkoholische Gärung ohne Hefezellen (Vorläufige Mitteilung)”. Berichte der Deutschen Chemischen Gesellschaft. vol. 30,  pp. 117–124 (1897)
7)Northrop J.H., Crystallin pepsin., Science vol. 69,  p. 580 (1929)
8)P. A. Levene, J. H. Helberger, CRYSTALLINE PEPSIN OF NORTHROP, Science Vol. 73, Issue 1897,  pp. 494 (1931) DOI: 10.1126/science.73.1897.494
https://science.sciencemag.org/content/73/1897/494.1.long
9)Emil Fischer, Einfluss der Configuration auf die Wirkung der Enzyme. Berichte der deutschen chemischen Gesellschaft, Volume 27, pp. 2985–2993 (1894)
10)Michaelis, L.,and Menten, M., Die kinetik der invertinwirkung, Biochemistry Zeitung vol. 49, pp. 333-369 (1913)
11)ウィキペディア: ミカエリス・メンテン式

 

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60.タンパク質の基本 Ⅱ

   アミノ酸はアミノ基とカルボキシル基を持っているので、酸性溶液中ではアミノ基がNH3+となって塩基、アルカリ性溶液中ではカルボキシル基がCOO-となって酸となります。すなわちアミノ酸は両性電解質であるという特性と持っています。

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図60-1 アラニンの滴定曲線  アラニンを酸に溶かした溶液に、一定量づつNaOHなどのアルカリを滴下して、pHの変化を記録していくと、滴定曲線を作成できます。

 図60-1は酸性の溶液にアラニンを溶解し、アルカリ(OH-)を加えて滴定したときのpH変化を示したものです。まずpH2あたりで勾配がゆるやかになりますが、このあたりではアラニンは

+H3N-CHCH3-COOH → +H3N-CHCH3-COO- + H+

のようになるので、加えたOH-はH+に吸収され、pHの上昇がゆるやかになります。もう1ヶ所、pH10あたりで勾配がゆるやかになりますが、これはこのあたりで

+H3N-CHCH3-COO- → H2N-CHCH3-COO- + H+

となってもう1個プロトンが放出されるので、pH上昇がもう一度ゆるやかになります。
 このような緩衝作用を2ヶ所で発揮するのが、両性電解質の特徴です。アミノ酸によって緩衝作用を発揮するpH領域は異なるので、アミノ酸の混合液は広い範囲にわたって、環境の変化に対してpHを一定に保つ働きがあり、生物に福音をもたらします。
 +H3NとCOO-が拮抗して存在するpHを等電点といいます。アラニンの場合6.00です。
 タンパク質はアミノ酸が集まってできたものですが、アミノ酸が持っているアミノ基とカルボキシル基はアミノ酸が連結してタンパク質をつくる際にペプチド結合をつくって電荷が消滅するので、両端にしか電荷が発生しません。しかし例外として酸性アミノ酸と塩基性アミノ酸は通常ペプチド結合を形成しない側鎖にアミノ基またはカルボキシル基を持っているので、それらをどのくらい含むかによって、タンパク質もバラエティーに富んだ両性電解質になり得ます(図60-2)。

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図60-2 酸性アミノ酸と塩基性アミノ酸  タンパク質はそのなかにどのくらいのアスパラギン酸・グルタミン酸・アルギニン・リジンを含むかによって、等電点にバラエティーが発生します。

 図60-2に記したアミノ酸の数・位置によって、タンパク質の性質は大きく変わります。タンパク質の種類によって、酸性アミノ酸あるいはアルカリ性アミノ酸の含有量に差があるので、例えば等電点には大きなバリエーションがあります(図60-3)。


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図60-3 さまざまなタンパク質の等電点

 例えばリゾチーム(ニワトリ卵白)という酵素のアミノ酸配列をみますと、塩基性アミノ酸の数が酸性アミノ酸の数を上回っており、このような場合タンパク質は塩基性となります(図60-4)。図60-3に示されるように、リゾチームの等電点は11を少し上回っています。

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図60-4 卵白リゾチーム(ニワトリ)の1次構造  酸性アミノ酸(ピンク)10個と塩基性アミノ酸(青)17個を含む

 一方イヌのペプシンBのアミノ酸配列をみますと、酸性アミノ酸の数が塩基性アミノ酸の数を大きく上回っています。このような場合タンパク質は酸性となります(図60-5)。ペプシンの場合偏りが極端で、等電点が1となります。胃という特殊な環境で作用する酵素なので、特殊な構造をもっていると思われます。

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図60-5 ペプシンB(イヌ)の1次構造  酸性アミノ酸(ピンク)31個と塩基性アミノ酸(青)12個を含む

 生化学実験では等電点の違いを利用してタンパク質を分離精製するという作業がよく行われます。タンパク質の混合液に電流を流して、酸性タンパク質は+側に、塩基性タンパク質は-側に移動するのを利用するわけですが、実際には自然拡散や振動の影響を回避するため、タンパク質が移動できる程度のゆるいゲルを用います(図60-6)。

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図60-6 等電点電気泳動法

 図60-6には両性電解質をゲルに溶かしておく場合を示していますが、ゲルを作成するときに予めpHの勾配を作ってあるのを購入して使うというのが簡便で、よく利用されます(1)。タンパク質は通常プラスかマイナスにチャージしているので、精製された分子同士は電荷の反発でくっつきにくいのですが、等電点周辺では分子としてはチャージがなくなるので接近しやすく、場合によっては沈殿が発生します。これは等電沈殿という現象で、等電点電気泳動を行う場合には注意しなければいけません。
 等電点電気泳動法で分離した後、分子量の差を利用してさらに分離すると、少量とは言え、かなり純度の高いタンパク質が得られる場合が多いです(2、3)。もっと大量のタンパク質を精製する技術は、今でも生化学者の腕のみせどころで、非常に多くの方法が考案されています(4、5)。
 タンパク質にはもうひとつ特徴的な性質があります。それはある条件で相転移を行うことで、典型的な例は熱変性です。図60-7のように生卵に熱を加えると、ある時点で不可逆的にゆで卵になります。これはαヘリックスやβシートというタンパク質の基本構造が、熱によって破壊されることが主な原因です。αヘリックスやβシートは弱い水素結合によって形成されているので、温度が上昇すると不安定になり、構造が破壊されてランダムに近い状態になってしまいます。これによって多数の分子がからまりあって集合し、不溶性のかたまりを形成します。ただしペプチド結合は破壊されないので、バラバラになる(アミノ酸単体に分解される)ことはありません(図60-7)。タンパク質は酸でも変性します。たとえば胃液によって胃の中のタンパク質は変性を受け、消化酵素による分解を受けやすくなります。
 100℃でも生きている耐熱菌がいますが、これらの生物は様々なストラテジーで熱耐性を獲得しました。タンパク質について言えば、熱に弱いアミノ酸の排除、αヘリックスの安定化など様々な戦略で熱変性に耐える構造となっています(6)。

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図60-7 タンパク質の変性

 タンパク質には完成後に化学的修飾を受けて機能を発揮する分子も少なくありません。非常に色々な修飾が報告されていますが、ここでもいくつか紹介します。まずリン酸化について見てみますと、セリン・スレオニン・チロシンのOHがリン酸化されてOPO3-となります(図60-8)。リン酸化されているかいないかということが、あるシリーズの生体化学反応の起動スイッチになっている場合が多く、タンパク質のリン酸化は情報伝達のキーとなるイベントになっています。この分野のパイオニアはジョージ・バーネットとユージン・ケネディでしょう(7)。最近話題の抗がん剤オプジーボのターゲットであるPD-1もリン酸化されることによってスイッチを起動するタンパク質のひとつです(8)。タンパク質のリン酸化は、いくらでも話題が出てくる広範な領域なので、レビュー(9)などをみると俯瞰できます。

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図60-8 タンパク質の翻訳後修飾1 リン酸化とアセチル化

 タンパク質のアセチル化も重要な化学修飾です。ヒストンの低アセチル化は転写が抑制されたヘテロクロマチン状態のマーカーとされています(10)。また癌抑制因子として最も有名なp53はアセチル化によって活性化あるいは安定化することも知られています(11-13)。

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図60-9 タンパク質の翻訳後修飾2 SS結合と糖の付加

 

参照

1)GEヘルスケア・ライフサイエンス 等電点電気泳動
https://www.gelifesciences.co.jp/technologies/2d-electro/guide-3.html
2)GEヘルスケア・ライフサイエンス 二次元電気泳動
https://www.gelifesciences.co.jp/technologies/2d-electro/guide.html
3)山本佳宏 一発分析? 二次元電気泳動とは 生物工学 vol. 90,  pp. 128-131 (2012)
file:///C:/Users/User/AppData/Local/Microsoft/Windows/INetCache/IE/CFQW7HJS/9003_yomoyama_2.pdf
4)マイクロソフト ネットキャッシュfile:///C:/Users/User/AppData/Local/Microsoft/Windows/INetCache/IE/C8FQEO1U/02_1analysis1.pdf
5)GEヘルスケア・ライフサイエンス バイオ実験の原理と方法
https://www.gelifesciences.co.jp/newsletter/biodirect_mail/technical_tips/
6)赤沼哲史、山岸明彦  好熱菌のタンパク質はなぜ熱に強いか 生化学 vol. 81, no.12, pp. 1064-1071 (2009)
file:///C:/Users/User/AppData/Local/Microsoft/Windows/INetCache/IE/B04HR93V/81-12-06.pdf
7)G. Burnett and E.P. Kennedy, The enzymatic phosphorylation of proteins, J. Biol. Chem. vol. 211, pp. 969–980 (1954) 
8)Programmed cell death 1, 
http://www.ft-patho.net/index.php?Programmed%20cell%20death%201
9)Joseph Schlessinger, Receptor Tyrosine Kinases: Legacy of the First Two Decades.  Cold Spring Harb Perspect Biol. vol. 6,  pp.1-13 (2014) doi: 10.1101/cshperspect.a008912.
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC3949355/pdf/cshperspect-RTK-a008912.pdf
10)Cell Signaling Technology, タンパク質のアセチル化
https://www.cellsignal.jp/contents/science-cst-pathways-epigenetics/protein-acetylation/pathways-chromatin-acetylation
11)http://www.cyclex.co.jp/resource/keyword/jkeyword_2.html
12)田中知明、転写因子p53の翻訳後修飾と転写活性化機構. 生化学 vol. 82, no.3, pp. 200-209  (2010)
13) Nature ダイジェスト : http://www.natureasia.com/ja-jp/nature/highlights/79254

 





 

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59.タンパク質の基本 I

     タンパク質は生物の体を構成する要素として最も重要な物質であり、同時に栄養源としても重要です。タンパク質に含まれるアミノ酸の数をnとすると理論上20のn乗の種類のタンパク質があり得ますが、遺伝情報としてDNAに刻まれているのは、哺乳類では2万数千種類くらいです。それらは生物の歴史を反映したものであり、なかには細菌・古細菌・真核生物のすべてにおいて機能しているタンパク質も少なくありません。
 これまでの復習もかねてタンパク質の基本構造を示すと、図59-1のようになります。まずアミノ酸がペプチド結合でつながった1次構造。すなわちつながるアミノ酸の順列が一番基本的な構造になります。次にαヘリックス・βシート・ランダムコイル(実際にはランダムじゃないので適切な言葉とはいえません)・その他の規則的な構造などのローカルな共通構造を2次構造とよびます。数学で言う「次元」とは別の概念なので注意しましょう。
 αヘリックスやβシートなどを空間に3次元的に配置したものを3次構造とよびます。図59-1のリゾチームの図(1)がそれにあたります。リゾチームは細菌の細胞膜を構成する多糖類を分解する酵素で、抗菌作用があります。ヒトの涙、鼻汁、母乳などにも含まれており、ひとつの免疫機構と考えられます。ウィルスには無効なのに風邪薬に含まれており、不可解だったのですが、ようやく2016年に無効が確認されて販売が中止されたそうです(2)。
 同じまたは異なるタンパク質が、特定の配置で集合して機能を発揮するような場合、その集合体を4次構造とよぶことがあります。これも数学の「次元」とは異なる概念です。ちょっと無理があるなので、あまり使いたくない言葉ですが他に適切な言葉がみつかりません。

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図59-1 タンパク質の構造

 タンパク質の3次元構造は、X線結晶解析によって解明されました(3-4)。この功績によりジョン・ケンドリュー(1917~1997)とマックス・ペルーツ(1914~2002)(図59-2)は1962年のノーベル化学賞を受賞しました。同じ年にワトソンとクリックもノーベル医学生理学賞を受賞したので、この年のノーベル賞は、タンパク質とDNAの構造解明者が同時に受賞するという、分子生物学の歴史上最大の出来事と言っても良いでしょう。

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図59-2 ペルーツとケンドリュー

 ペルーツはナチが台頭する前にウィーンからイングランドに留学していたのですが、ナチの侵略後は両親が難民となったため資金を絶たれピンチとなりました。しかしロックフェラー財団の援助で学業・研究を続けられたそうです。第二次世界大戦中は氷山空母(氷の上から戦闘機が飛び立つ)を建造する計画に参加していました(5)。
 ケンドリューは英国空軍の研究所でレーダーの研究をしていましたが、なぜかタンパク質に関心を持つようになって、生物物理学の分野にやってきた人です。ケンドリューとペルーツは二人ともケンブリッジ大学のキャベンディッシュ研究所に在籍し、サー・ローレンス・ブラッグの高弟でした。ワトソンとクリックがDNAの構造を解明したのも、この研究所での仕事でした。
 彼らが研究材料として用いたミオグロビンというタンパク質(図59-3)は、クジラなど海に棲む哺乳動物の筋肉に豊富なもので、酸素を強く結合して保管しておき、血液中の酸素濃度が低下したときに放出して、長い時間海に潜ったままで活動する彼らの生活をささえています。血液中の酸素リザーバーはヘモグロビンで、ミオグロビンと類似したグロビン分子4つで構成されています(図59-5)。ですので単独分子のミオグロビンはヘモグロビンよりかなりシンプルな構造であり、研究材料として好適だったわけです(6)。もちろんクジラから採取するので、サンプルが大量に確保できるという利点もありました。

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図59-3 ミオグロビン

 ただちょっと複雑なのは、ミオグロビンはアミノ酸が連結した鎖だけでできているのではなく、ヘムという非タンパク質の、いわゆる補欠分子族といわれる物質を含んでいます。ヘムはポルフィリン環と中央部の鉄原子からなり、この鉄原子は酸素分圧によって、酸素と結合したり分離したりします(図59-4)。この反応を利用してミオグロビンは酸素が必要な時に、筋肉に酸素を供給しています。ミオグロビンは8つのαヘリックスをもつ安定な構造のタンパク質で(図59-3、それぞれのヘリックスに番号がつけられています)、ヘムを組み込むことによって適切に酸素を組織に供給する役割を果たしています。

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図59-4 ヘムにおける鉄原子の挙動 酸素分圧が下がると、鉄は酸素を解離して組織に供給する。

 ヘモグロビンはミオグロビンに類似したαグロビンとβグロビンを2個づつ組み合わせた4量体タンパク質で、前述のいわゆる4次構造を持っています(図59-5)。それぞれのグロビンがひとつのヘムを持っているので、1分子のヘモグロビンには4個のヘムが存在します。ヘモグロビンのヘムは、ミオグロビンのヘムにくらべて酸素との親和性が低く、酸素を放出しやすい性質を持っています。ヘモグロビンやミオグロビンは単なるヘムの台座ではなく、必要な酸素を適切に供給できるようなシステムを提供していると言えるでしょう。


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図59-5 ヘモグロビン

 ヘムはミオグロビンやヘモグロビン以外にもいくつかのタンパク質に含まれており、シトクロムcもそのひとつです(7、図59-6)。シトクロムcはαヘリックスを4つ持ち(図59-6)、アミノ酸約100個からなる小さなタンパク質ですが、酸素呼吸を行う生物(細菌から哺乳類に至るまで)にとっては必須の生体分子です(7)。

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図59-6 シトクロムc

 シトクロムcに含まれるヘム鉄(図59-6の朱色の球)は、Fe2+とFe3+に可逆的に変換することができ、それによってシトクロムcはミトコンドリアでの電子の受け渡しに関与しています。またミトコンドリアから放出されるとアポトーシスによる細胞死を誘導することが知られています(7)。シトクロムcに含まれるヘムは、ミオグロビンやヘモグロビンのヘムbとは異なり、ヘムcという構造をとっています。ヘムcはタンパク質と硫黄原子を介して共有結合しています(8、図59-7)。

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図59-7 ヘムbとヘムc

 ヘム以外にも補欠分子族にはさまざまなものがあり、図59-8と図59-9に主要なものを示しました。タンパク質と頻繁に結合したり分離したりする分子の場合、常時タンパク質に結合している補欠分子族と区別して補酵素とよぶこともあります。補欠分子族や補酵素はタンパク質以外の物質についての命名であり、これらと同様な機能をタンパク質が持つ場合、それらはサブユニットとよばれるタンパク質の4次構造の一部または独立の制御因子とみなされます。

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図59-8 補欠分子族と補酵素 FMNなど

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図59-9 補欠分子族と補酵素 NAD+など

 補欠分子族・補酵素はビタミンと関係が深く、FMN(フラビンモノヌクレオチド)・FAD(フラビンアデニンジヌクレオチド)はリボフラビン=ビタミンB2から合成され、テトラヒドロ葉酸はメチルコバラミン(ビタミンB12)、ピリドキサルリン酸はピリドキサール(ビタミンB6)、NAD+・NADP+はナイアシンから合成されます。またビオチン=ビタミンB7、チアミン=ビタミンB1など補酵素そのものがビタミンである場合あります。
 ミオグロビン・ヘモグロビン・シトクロムcはすべてαヘリックスとランダムコイルに近いペプチド鎖で構成されたタンパク質ですが、たとえばポリンのように、主要な構造がβシートで構成されているタンパク質もあります(9、図59-10)。ポリンは細胞膜にβシートが壁に相当するトンネルを埋め込んだような形で存在し、膜を通過する低分子物質の選別を行います。βシートはその通りシート状の構造や、かごのような構造をつくることもできます。

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図59-10 ポリン

 αヘリックスやβシートとは異なる、あるいはバリエーション的な規則構造をもつタンパク質も存在します。絹フィブロインは昆虫の繭の成分ですが、 Gly-Ser-Gly-Ala-Gly-Ala というアミノ酸配列の繰り返しを多数持っていて、図59-11のようにこの構造の逆順鎖と隣接することによって、まるでファスナーのように側鎖がかみ合って、繊維状の構造を形成しています。この側鎖が大小大小と交互に並ぶ特殊なファスナー様構造によって、絹は非常にちぎれにくい丈夫な繊維になることができます。

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図59-11 シルクフィブロイン

 さまざまなタンパク質のアミノ酸配列およびその他の情報はデータベースに集積されており、誰でも閲覧することができます。たとえば pir=protein information resource (10)にアクセスして、上部のバーから search/analysis を選択してクリック、次の画面から text search を選択してクリック、そうすると選択と入力の窓がでてきますので、選択の方は protein name を選択、入力の方は globin と入力し、search をクリックします。検索結果画面の最初に Protein name and ID という欄がありますので、その HBA MOUSE をクリックすると、マウスのαグロビンに関する様々な情報が得られます。スクロールしていくと真ん中あたりにアミノ酸配列が記載してあります(図59-12)。
  またはゲノムネットにアクセスし(http://www.genome.jp/ja/)、DBget search を開いて swiss prot というデータベースを探してクリックします。でてきた入力の窓に mouse globin と入力し、リストの中から HBA MOUSE を選択すると同様なデータが得られます。Swiss prot では、最後(ボトムエンドまでスクロールする)にアミノ酸配列の情報が記載されています。

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図59-12 マウスα-グロビンのアミノ酸配列

 このようなデーターベースの情報を用いて、すべての動物が持っているタンパク質であるシトクロムcのアミノ酸配列を、さまざまな動物について打ち出してみると、興味深いことがわかります(図59-13)。

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図59-13 様々な動物のシトクロムcのアミノ酸配列

 左から3番目のアミノ酸をみてみますと、20種類の動物のうち16種類ではすべてバリンですが、七面鳥・鶏・鳩・王様ペンギンの4種類ではイソロイシン(赤囲い)になっています。哺乳類はこのアミノ酸を魚類・両生類・爬虫類から引き継いでいますが、鳥類はある時点でバリンをイソロイシンに転換したということになります。これはたまたまなのか、何らかの意義があるのかよくわかりませんが、アミノ酸配列から進化系統について論ずることが可能であることが示唆されています。
 もうひとつ興味深いのは4番目と46番目です。いずれもサル目のなかでクモザルだけが他と異なるアミノ酸になっています。ただし4番目の場合、爬虫類・鳥類・哺乳類のすべてがグルタミン酸(E)であるのにクモザルだけフェニルアラニン(F)となっています(青囲い)。対照的に46番目では爬虫類・鳥類・哺乳類のすべてがフェニルアラニン(F)なのに、クモザル以外のサル目の動物だけ(ヒト・チンパンジー・マカク)がチロシン(Y、赤囲い)となっています。これだけのデータでも、サル目のなかでクモザルだけが独立したグループであることが示唆されます。一方で11~12番目をみると、クモザルを含めたサル目が、サル目以外の哺乳類・鳥類・爬虫類・魚類とは異なる共通配列(IM=イソロイシン・メチオニン、赤囲い)を持っていることがわかります。
 たった1種のタンパク質のアミノ酸配列を比較しただけでも、様々な生物の歴史や系統関係を調べる糸口になります。実際シトクロムcのアミノ酸配列を比較するだけで系統樹を記述することができたという論文もあります(11)。ここで少し留意していただきたいのは、このような分子レベルでの変異が直接適者生存(ダーウィン的進化)にかかわる場合は少ないということです(12)。

参照

1)Wikipedia: Lysozyme,  https://en.wikipedia.org/wiki/Lysozyme
2)ウィキペディア: リゾチーム
3)John Kendrew et al., A Three-Dimensional Model of the Myoglobin Molecule Obtained by X-Ray Analysis., Nature vol. 181, pp.662 - 666 (1958); doi:10.1038/181662a0
4)Max Perutz et al., Structure of Hæmoglobin: A Three-Dimensional Fourier Synthesis at 5.5-Å. Resolution, Obtained by X-Ray Analysis., Nature vol. 185, pp. 416 - 422 (1960); doi:10.1038/185416a0
5)Reviewed by Richard E. Dickerson, "Max Perutz and the secret of life" by Georgina Ferry,
Protein Sci. vol. 17, pp. 377–379 (2008) doi:  10.1110/ps.073363908
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC2222719/
6)Myoglobin: A brief history of structural biology. Video presentation.
http://www.richannel.org/myoglobin-a-brief-history-of-structural-biology.
7)ウィキペディア: シトクロムc
8)wikipedia: Heme C,  https://en.wikipedia.org/wiki/Heme_C
9)ウィキペディア: ポリン
10)PIR(Protein Information Resource)
https://proteininformationresource.org/
11)Robert M. Schwartz and Margaret O. Dayhoff, Origins of prokaryotes eukaryotes mitochondria and chloroplasts. Science,
Vol. 199, Issue 4327, pp. 395-403 (1978)
12)ウィキペディア: 中立進化説

 

 

 

 

 

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2020年1月19日 (日)

58.オリゴペプチド・ポリペプチド

 タンパク質の話題に入る前に、構成要素であるアミノ酸の数が少ないだけの、いわば弟分にあたるオリゴペプチド・ポリペプチドについてみておきましょう。オリゴペプチドは数個、ポリペプチドは数十個までのアミノ酸で構成されています。1928年アレクサンダー・フレミング(1881~1955)は、研究のために培養していたブドウ球菌の培養皿に青カビ(ペニシリウム)が生えていることに気がつきました。初歩的な失敗でしたが、よくみると青カビの周辺ではブドウ球菌が生育していないことに気がつきました。
 フレミングはこの青カビの毒素を抽出・精製することに成功しませんでしたが、ハワード・フローリー(1898~1968)とエルンスト・チェイン(1906~1979)は1940年に、このブドウ球菌の生育を阻止する毒素を精製し、いくつかの成分があることをつきとめました。それらを総称してペニシリンと言います。これらは20世紀最大の医薬品であり、開発の功績によって3人は1945年にノーベル医学生理学賞を受賞しました(1、図58-1)。現在でもよく使われるセフェム系の抗生物質はペニシリンと構造が類似した、同じグループの医薬品です。

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図58-1 ペニシリンを開発した3人の科学者

 ペニシリンのひとつであるペニシリンNの合成過程と構造式を図58-2に示します。アミノアジピン酸+システイン+バリンのトリペプチドであることがわかります。ただしアミノアジピン酸が遺伝暗号表にはないアミノ酸であること、青点線で示したような環状構造(β-ラクタム4員環+5員環)をつくること、バリンがもとはL型なのに、ペプチドに取り込まれたときにはD型になっていることなどの特異な性質を持っています。ペニシリンはもともとペニシリウム(青カビ)が生存競争のために産生する毒素(アロモン)なので、生物が簡単には分解解毒できないように特殊な構造を持っていると考えられます。
 ペニシリンはペプチドですが、リボソームで作られるのではなく、細菌が持つ酵素によって合成されます。遺伝暗号表に書き込まれていないものは、リボソームでは合成できません。ペニシリンは細菌の細胞壁の合成を阻害する作用を持っていますが、真核生物にとっては基本的に毒物としての作用はありません。ただもともと真核生物の体内に類似物質があるわけではなく、しかも特異な分子形態なので、強いアレルギー反応がおきやすいことがわかっています。私の父も直接的にはペニシリンショックで命を落としました。当時は現在のような十分な配慮なく投与されていたと思われます。交通事故や医療事故で突然人生が終了するというのは誠に理不尽なことです。
 米国NIHはペニシリンの効果と人体への安全性を確認するため、1946年から1948年にかけてグアテマラで人体実験を行ったことが、最近になって発覚しました。オバマ大統領は2010年にグアテマラに謝罪しました(2)。

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図58-2 青カビによるペニシリンの生合成

 真核生物にもペプチド性の毒素を持つものは多く、例えばテングタケの α-アマニチン(図58-3)は8つのアミノ酸からなるオリゴペプチドです。2次元の図はまるで駐禁マークのようです。α-アマニチンはRNAポリメラーゼIIに結合し、タンパク質の合成に必要なmRNAの合成反応を阻害します。蛇毒やヒキガエルの毒もペプチド性のものです。

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図58-3 αアマニチン

 最初にいくつか毒ペプチドについて述べたわけですが、もちろんオリゴペプチドにも有用な生理作用を持つものは数多く存在します。まずグルタチオンについてみてみましょう。図58-4のようにグルタチオンはグルタミン酸+システイン+グリシンからなるトリペプチドです。青丸のHによって過酸化物や活性酸素を還元無毒化する機能があります
 生物は酸素を利用するようになってから、酸素の毒性=あらゆるものを酸化しようとする(サビさせようとする)性質、からいかにして逃れるかが大きな課題だったわけですが、そのひとつの解決策がグルタチオンでした。生体内に還元型のグルタチオンをためておいて、活性酸素が発生するとすばやく還元し、結果生成した酸化型のグルタチオンは、ただちにグルタチオンリダクターゼとNADPHの作用によってまた還元型にもどすというサイクルによって、体の「サビ」を防ぐことができます(図58-4)。ただしグルタチオンは多量にあればあるほどよいわけではなく、代謝のバランスを保つことも必要ですし、タンパク質が持つSS結合を切断する作用もあるため、濃度は適切に調節される必要があります。

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図58-4 グルタチオン(還元型と酸化型)

 図58-4のグルタチオンの構造をよく見ると、一番左側にアミノ基とカルボキシル基があります。通常のペプチドだと左端はアミノ基、右端はカルボキシル基なので、これは普通ではありません。すなわちグルタミン酸の側鎖(γ位)のカルボキシル基を使って、隣のシステインとペプチド結合を形成しています。したがってL-γ-glutamyl-L-cysteinyl-glycineという名前が正式名になります。どうしてこのような構造が選択されたのかは、おそらく酵素による分解に抵抗するためと思われます。ペプチド結合を切断する酵素は数多くありますが、ほとんどは側鎖を使った結合を切断することができないので、グルタチオンは切断されにくくなっています。ペニシリンと同様、グルタチオンもリボソームではなく専用の酵素によって合成されます。
 オキシトシンはペニシリンやグルタチオンよりアミノ酸数が多い、Gly-Leu-Pro-Cys-Asn-Gln-Ile-Tyr-Cys の9個のアミノ酸で構成されています。図58-5に構造式を示します。末端のシステインが中間部のシステインとSS結合を形成して環状構造になっています(3)。通常のペプチド鎖と異なり、カルボキシル末端が存在しません。

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 オキシトシンの9個のアミノ酸の配列は遺伝子に刻まれており、ペニシリンやグルタチオンと違ってリボソームによってまず前駆体が合成され、複雑な加工の過程を経て図58-5のような構造の分子がつくられます。生体内では脳の視床下部でつくられ、脳下垂体からホルモンとして血流に放出されます。オキシトシンの作用によって、分娩時に子宮筋の収縮が促され、また出産後には乳腺の筋肉を収縮させ乳汁分泌が促進されます。
 女性だけではなく男性でも分泌され、仲間内での親密さを増す作用があることが知られています(4)。一方で仲間でない者には反発心が強まるという副作用もあると言われています。右翼的心情のベースになる物質かもしれません。
 ペプチドホルモンとしてはじめてオキシトシン・バソプレッシンを同定し構造解析と合成を行った功績で、ヴィンセント・デュ・ヴィニョーが1955年にノーベル化学賞を受賞しています(5)。脳がホルモンを合成するということで、当時は非常な驚きを持ってむかえられた研究でした。タレントでもある脳科学者中野信子がオキシトシンの作用を研究していることでも知られています(6)。この他にもペプチド性のホルモンは多数知られています(下記)。ペプチドホルモンの作用機構などについては、いずれ稿をあらためて述べるつもりです。


★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

 天然のオリゴペプチド・ポリペプチドの代表的なものを並べてみますと、次のようになります。

1.ペプチドホルモン:インスリン、グルカゴン、オキシトシン、バソプレッシン、アンジオテンシン、成長ホルモン、ガストリン、セクレチン、TRH、GnRH
2.抗生物質:ペニシリン、グラミシジンS
3.真核生物の抗菌性ペプチド(7,8):マガイニン、タチプレシン、ディフェンシン
4.酵素阻害ペプチド:ロイペプチン, ペプスタチン,植物トリプシンインヒビター
5.神経伝達物質:エンケファリン、エンドルフィン、ダイノルフィン
6.毒ペプチド:アマニチン,コブラトキシン
7.細胞内還元剤:グルタチオン

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

 

 TRH(甲状腺刺激ホルモン放出ホルモン)やGnRH(性腺刺激ホルモン放出ホルモン 図58-6)はいずれも視床下部で放出されて、脳下垂体の機能を調節するホルモンですが、これらの構造決定についてはロジェ・ギヤマン(Roger Charles Louis Guillemin)とアンドリュー・シャリー(Andrzej Wiktor Schally)の歴史的死闘とも言える競争があったことは業界では有名なお話です。興味のある方は書籍(9-10)を参照して下さい。なお二人とも1977年のノーベル医学・生理学賞を受賞しました。現在お二人とも90才と超えていますが、長生きでも競争しているようです。

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図58-6 GnRH

 人工甘味料のアスパルテームも N-L-α-aspartyl-L-phenylalanine 1-methyl ester というオリゴペプチドです(図58-7)。これは天然には存在しないものですが、無害の食品添加物として広く用いられています。ただし実は有害であるとの報告も蓄積されつつあります(11)。

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図58-7 アスパルテーム

 

参照

1)Wikipedia: Penicillin,  https://en.wikipedia.org/wiki/Penicillin
2)ウィキペディア: グアテマラ人体実験
3)Wikipedia: Oxytocin,  https://en.wikipedia.org/wiki/Oxytocin
4)上田 陽一、“オキシトシン”の多彩な生理作用 公益財団法人山口内分泌疾患研究振興財団 内分泌に関する最新情報 pp. 1-7 (2015)
file:///C:/Users/User/AppData/Local/Microsoft/Windows/INetCache/IE/CFQW7HJS/ueta201508.pdf
5)Vincent du Vigneaud et al., The synthesis of an octapeptide amide with the hormonal activity of oxytocin. . Am. Chem. Soc., vol.75, pp 4879–4880 (1953)
6)天才脳科学者:中野信子の脳は今夜もドーパミンでいっぱい
https://morph.way-nifty.com/grey/2015/01/post-b78b.html
7)小林聖枝、抗菌性ペプチドMagainin 2 とTachyplesin Iの細菌選択的相乗効果 カクテル療法への可能性、YAKUGAKU ZASSHI vol. 122, pp. 967-973 (2002)
8)富田哲治・長瀬隆英、生体防御機構としてのディフェンシン、日老医誌, vol.38, pp. 440-443 (2001)
9)Wade, Nicholas (1981). The Nobel Duel. Doubleday. ISBN 978-0-385-14981-5.
10)Nicholas Wade著 丸山工作・林 泉 訳、 ノーベル賞の決闘、岩波書店 (1984)  ISBN 978-4002601243
11)人工甘味料アスパルテームの危険性とは? 【常識はウソだらけ】
https://matome.naver.jp/odai/2136780173669119701

 

 

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57.ペプチド結合・αヘリックス・βシート

 タンパク質はアミノ酸が脱水縮合して合成される物質です。このことを発見したのはエミール・フィッシャー(図57-1)です。エミール・フィッシャーは糖やプリン誘導体の研究者として有名で、それらに関する研究業績を評価されて、1902年にファント・ホッフに続いて2人目のノーベル化学賞を受賞しています。

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図57-1 エミール・フィッシャー (1852-1919)

 エミール・フィッシャーは有機化学・生化学の父とでも言うべき人で、糖やプリン誘導体以外にも多方面に業績があり、1901年にはエルネスト・フォルノー(1872~1949)と共に、グリシンとグリシンを脱水縮合させてグリシルグリシンを合成しています(1)。これがタンパク質化学のはじまりでしょう。
 彼はその後18個のアミノ酸をつないで、ポリペプチドと言えるような高分子を化学合成することに成功しました。その性質は天然のタンパク質とよく似ていたそうです(2)。論文(2)は100年以上前の文献で私は読んでいませんが、現在でも7000円くらい支払えば読むことができます。
 フィッシャーはタンパク質合成に成功したとき、これで近未来に人類の食糧問題は解決するだろうと考えましたが、残念ながら現代に至っても食糧問題は人類にとって深刻な課題のまま残されています。フィッシャーは膨大な業績を残しましたが私生活には恵まれず、奥方は結婚後7年で病死、息子3人のうちひとりは戦死、ひとりは自殺で失っています。彼自身も1919年に自殺しました(3)。リヒテンターラーが彼の生涯や業績についてレビューを出版しています(4)。自殺の原因は不明ですが、彼自身が開発して糖の構造解析に用いていたフェニルヒドラジンによって、癌になったことが原因だという説があります。
 アミノ酸の脱水縮合(アミノ酸1+アミノ酸2=ジペプチド+H2O)は図57-2のように、カルボキシル基(COOH)のOHとアミノ基(NH2)のHが結合してH2Oとなって離脱し、残されたCOとNHがO=C-N-Hという形で結合し(ペプチド結合)、2つのアミノ酸を連結する形で行われます。
 したがって反応生成物はH2N-HCR-ペプチド結合-HCR-COOH(Rはそれぞれのアミノ酸によって異なる)という形になります。図57-3のように4つのアミノ酸が連結されるとH2N-HCR-ペプチド結合-HCR-ペプチド結合-HCR-ペプチド結合-HCR-COOHとなります。

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図57-2 アミノ酸の脱水縮合 ペプチド結合の形成

 図57-3では具体的にバリン-グリシン-セリン-アラニンのテトラペプチドの構造を記してあります。連結されたアミノ酸の数が数十個以内の場合、タンパク質ではなくポリペプチドと呼ばれる場合が多いです。またより小数の場合オリゴペプチドとも呼ばれます。図57-3の青丸バックのCはアミノ酸が連結されたあとでも不斉炭素です。グリシンは側鎖がHなので不斉炭素はありません。ポリペプチド(タンパク質)の両端はそれぞれアミノ基とカルボキシル基が露出していて、それぞれN末・C末(N端・C端)などと呼ばれることがあります。

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図57-3 ペプチド結合によるアミノ酸の連結

 タンパク質構造研究の次のエポックは、ライナス・ポーリング(図57-4)によって創られました。彼は貧困家庭の生まれで、ハイスクールを卒業できなかったそうですが、苦学してオレゴン農業大学を卒業しました。そして第二次世界大戦中に、マンハッタン計画の化学部門のヘッドにハントされるほどの量子化学部門での重鎮となりました(そのポストに就くのは断ったそうです)(5)。ポーリングは化学結合に関する研究で1954年にノーベル賞を受賞していますが、タンパク質の構造については50才も近づいた頃から研究をはじめて、たちまちαヘリックス(6)やβシート(7)という概念を提唱するなど卓越した業績を残しました。これらの論文および現代的観点から見た業績の解説は無料で読むことができます(8)。

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図57-4 ライナス・ポーリング(1901~1994)

 ポーリングらがこれらの重要な発表を行った当時、米国ではマッカーシ-イズム(レッドパージ)が吹き荒れており、マンハッタン計画参加を断ったポーリングは反政府勢力とみなされてパージされそうになっていたのですが、それまでの卓越した業績によって地位を保つことができたようです(8)。ポーリングはその後も反核運動を続けて、1962年にはノーベル平和賞を受賞し、ノーベル賞を2回受賞した4人のうちのひとりとなりました。
 ポーリングはタンパク質の構造形成において水素結合が重要な役割を果たしていることを示しました。水素の原子核は小さく弱体で、保有する電子を強い(陽子の多い)原子核を持つ原子に奪われがちです。
 水の分子における水素も原子を酸素に奪われがちで、その結果水素原子はプラスのチャージを持つようになります(図57-5左)。

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図57-5 水分子は極性をもっている 

水素はプラスチャージを帯びやすく、2個のマイナスイオンの間に位置して水素結合を形成することができます。酸素原子は過剰な電子でマイナスチャージを帯びるので、水分子は片側が+、反対側が-のチャージを帯び、水分子同士が引き合って安定した構造を保ち、その結果比熱が高くなって、熱を加えてもなかなか気体になりません(図57-5左)。
 酸素分子以外でも水素は電子を奪われて+にチャージしがちなので、他の原子を引き寄せることができます。結果的に水素をはさんで他の2原子がブリッジをつくるような形になります(図57-5右)。これが水素結合です。
 DNAの塩基対ATおよびGCは水素結合によって形成され、DNAを適度に安定化しています。水素結合は分子同士ばかりでなく、分子の内部でも形成されます。タンパク質の場合はそれによってαヘリックス(図57-6)やβシート(図57-7)が形成され、分子が安定化します。αヘリックスは1本のペプチド鎖によって形成されますが、βシートは2本のペプチド鎖によって形成されます。図7のように分子内で鎖が折れ曲がって行ったり来たりすることによって、同じ分子内でβシートを形成することが可能になります。

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図57-6 αヘリックス

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図57-7 βシート

 水素結合のエネルギーは5~30KJ/モルであり、数百KJ/モルの共有結合と比べると非常に小さいので弱い結合と言えますが、DNAには分子が持つ塩基対の2~3倍の数の水素結合があるわけですし、タンパク質分子内にあるαヘリックスやβシートそれぞれの内部には非常に多数の水素結合があるので(図57-6、図57-7)、分子の安定性には相当寄与しています。

 またDNAポリメラーゼやRNAポリメラーゼがDNAの情報を読み取るには、水素結合を引きはがして単鎖にしなくてはいけないわけですし、タンパク質が他の因子によって機能を制御されたり、自身が酵素の機能を発揮するような場合には分子の形を変えなくてはいけないので、水素結合が弱い結合であることにはそれなりに意義があるわけです(9)。
 ポーリングは晩年癌のビタミンC大量投与療法の研究などでバッシングを受けて、研究ができないような状況に追いやられましたが、死後彼の研究を支持する結果も報告されて、名誉は回復されました(10)。彼自身マキシマムヘルスを実現するため、マルチビタミンの摂取を実行し、現在でも「ライナス・ポーリング博士のスーパーマルチビタミン」「ライナス・ポーリング博士のビタミンC」などという商品が販売されています(図57-8)。

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図57-8 ライナス・ポーリング博士の名前がついたマルチビタミン剤

 

参照

1)Emil Fischer and Ernest Fourneau, Berichte der deutschen chemischen Gesellschaft, vol.34, p.2868 (1901)
2)Emil Fischer, Synthese von Polypeptiden, Berichte der deutschen chemischen Gesellschaft, vol.36,pp.2982-2992 (1903) doi:10.1002/cber.19030360356.
http://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1002/cber.19030360356/abstract
3)Top 5 suicide chemists. 1) Emil Fischer (1852-1919)
http://syntheticenvironment.blogspot.jp/2007/04/top-5-suicide-chemists.html
4)Emil Fischer, His Personality, His Achievements, and His Scientific Progeny, Frieder W. Lichtenthaler, European Journal of Organic Chemistry
Volume 2002, Issue 24,  pages 4095-4122 (2002)
http://onlinelibrary.wiley.com/wol1/doi/10.1002/1099-0690(200212)2002:24%3C4095::AID-EJOC4095%3E3.0.CO;2-2/full
5)ウィキペディア: ライナス・ポーリング
6)Linus Pauling, Robert B. Corey, and H. R. Branson、The structure of proteins: two hydrogen-bonded helical configurations of the polypeptide chain. Proc. Natl. Acad. Sci. USA vol.37, pp.205-211 (1951)
http://www.pnas.org/content/37/4/205.full.pdf?sid=d8637919-9b62-43f1-b1f3-7e675806b4a5
7)Linus Pauling, and Robert B. Corey、The pleated sheet, A new layer configuration of polypeptide chains. Proc. Natl. Acad. Sci. USA vol.37, pp.251-256 (1951)
http://www.pnas.org/content/37/5/251.full.pdf?sid=585970d7-d233-401b-84a1-c5a4668381d9
8)David Eisenberg、The discovery of the α-helix and β-sheet, the principalstructural features of proteins. Proc. Natl. Acad. Sci. USA vol.100, pp.11207–11210 (2003)
http://www.pnas.org/content/100/20/11207.full
9)J. D. Watson et al., Molecular Biology of the Gene 6th edn, Chapter 5, Cold Spring Harbor Laboratory Press (2008)
10)Padayatty S, Riordan H, Hewitt S, Katz A, Hoffer L, Levine M (2006). “Intravenously administered vitamin C as cancer therapy: three cases”. CMAJ vol.174 (7), pp.937-942. PMID 16567755.

 

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56.アミノ酸

 しばらく核酸(DNA・RNA)のお話がつづきました。かなりつっこみましたので、このあたりで少しタンパク質の話題にワープしようと思います。核酸とタンパク質は生命現象をささえる両輪と言えます。タンパク質は約20種のアミノ酸からなる生体高分子ですが、まずその構成要素であるアミノ酸のお話から始めましょう。最初にアミノ酸を発見したのはフランスの薬剤師・化学者ルイ=ニコラ・ヴォークラン(1763~1829)と彼の助手だったピエール=ジャン・ロビケ(1780~1840)です(図56-1)。彼らは1806年にアスパラガスから高純度のアミノ酸を抽出し、その性質を研究してアスパラギンと命名しました(1-3)。またアンリ・ブラコノー(1780~1855、図56-1)は1820年にゼラチンの分解物からグリシンを発見しました(4)。
 結局ほぼすべてのアミノ酸が発見されるまでには100年の歳月を要しました。日本のアミノ酸研究者としては池田菊苗(1864~1936)が有名です。彼はグルタミン酸の発見者ではありませんが、このアミノ酸のナトリウム塩が「だし」のうまみ成分であることを発見しました(5)。

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図56-1 アミノ酸の発見者達

 最初にタンパク質の一次構造、すなわちアミノ酸が並ぶ順番を解明したのはフレデリック・サンガー(図56-2)でした。これによって、アミノ酸のみがつながってタンパク質を構成していることもわかりました。サンガーはこの業績によって1958年のノーベル化学賞を受賞しましたが、後にDNAの塩基配列を決定する方法も開発して、1980年に2度目のノーベル化学賞を受賞しています(6-7)。2度ノーベル賞を受賞したのはサンガー以外では、ジョン・バーディーン、マリ・キュリー、ライナス・ポーリングの3名のみです。

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図56-2 フレデリック・サンガー(1918~2013)

 サンガーが解明したのはインスリン分子におけるアミノ酸の配列ですが、その前にアミノ酸の略号による表記を図56-3に示しておきます。3文字を用いる場合と1文字を用いる場合があります。

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図56-3 アミノ酸の略称 3文字略称と1文字略称

 図56-3の1文字による表記を使ってインスリン分子の構造を示したのが図56-4です。サンガーが使用したインスリンのサンプルは牛の膵臓から抽出して、何度も結晶化することによって精製されたものです。アミノ酸の配列は動物種によって多少異なります。ですからヒトなどほかの生物のインシュリンのアミノ酸配列が教科書などに出ている場合、この配列とは異なる可能性があります。
 インスリン分子は単にアミノ酸がタンデム(直列)につながったものではなく、A鎖(21アミノ酸)・B鎖(30アミノ酸)の2列のアミノ酸が、システインのところでS-S結合(ジスルフィド結合)を形成し、接続された構造になっています(図56-4)。

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図56-4 インスリンの化学構造とSS結合の位置


 タンパク質の構造については後にまた述べることとして、まずタンパク質の構成要素であるアミノ酸についてみていきましょう。生物に含まれるアミノ酸はいろいろバリエーションはありますが、基本的には図56-3に示した20種類です。すべてのアミノ酸分子は炭素原子を中心として、これにカルボキシル基(COOH)、アミノ基(NH2)、水素(H)、側鎖が結合しています(図56-5)。この4つの要素がすべて異なる場合、図6のように鏡像の構造体=エナンティオマー(対掌体)が存在し得ます。4つの要素の中心になる炭素を不斉炭素(アシンメトリックカーボン)と呼びます。

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図56-5 アミノ酸の基本形

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図56-6 対掌体としてのアミノ酸

 対掌体は光線を当てたときの回折方向が異なるので、以前は光学異性体と呼ばれていました。対掌体のふたつの化合物はそれぞれD体、L体と呼ばれます。アミノ酸の場合、生物はほぼL体のみを用いてタンパク質を合成します。ただまれにD体を使用する場合もあるので、DL変換を行なうアミノ酸ラセマーゼという酵素も存在します(8-9)。
 アミノ酸のうちグリシンは図56-5のRの部分が水素(H)なので、図56-7のように鏡像を構成する物質は120度回転すると同じになってしまいます。したがって対掌体は存在しません。またプロリンは通常のアミノ酸と構造が異なりますが、対掌体(光学異性体)は存在します(10)。

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図56-7 グリシンにはDL対掌体が存在しない

 アミノ酸は側鎖R(図56-5)の構造によって、異なる性質をもつグループに分類できます。図56-8に示したのは中性で疎水性のグループです。球形のタンパク質をつくる場合、外側の水と接する部分を親水性のアミノ酸、内側を疎水性のアミノ酸にすれば、うまく球状の分子構造を形成することができます。また細胞膜の外側と内側に親水性、細胞膜内部に疎水性のアミノ酸を配置すれば、細胞膜を貫通するタンパク質のデザインとして好適となります。疎水性のアミノ酸をさらに細かく分類すると、芳香族のトリプトファンとフェニルアラニン、それ以外の脂肪族のグループに分けられます。

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図56-8 疎水性アミノ酸の側鎖

 次に中性で親水性のグループを図56-9に示します。1級アミド(CONH2)や水酸基など水と親和性が高い分子パーツを持っています。極性分子グループと分類されることもあります。極性とは分子の片側に電子が偏って存在することを意味します。水も極性分子で、電子は酸素側に偏っています。したがって水に極性分子を混ぜると、電子が豊富な部位と、足りない部位が引き合ってうまく混合し、溶解度は高くなります。酵素は通常水に溶解した状態で作用するので、特に表層は親水性のグループで被われている必要があります。

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図56-9 親水性アミノ酸の側鎖

 図56-10には塩基性、図56-11には酸性のアミノ酸を示します。塩基性のアミノ酸は特に核酸との相互作用を行なう上で重要です。酸性のアミノ酸はその反応性の高さを利用するため、酵素の活性中心に位置する場合があります。図56-11に示したプロリンは特異なアミノ酸で、アミノ基がありません。その代わり5員環のNHがアミノ基の役割をしていて、他のアミノ酸のカルボキシル基と反応して結合することができます。これによってアミノ酸鎖の角度を変えることができるので、球形分子などを形成するときには重要な役割を果たします。タウリンはカルボキシル基を持たず、代わりにスルホン基(-SO3H)を持っていますが、タンパク質には含まれず単独分子で機能します。

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図56-10 塩基性アミノ酸の側鎖

 

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図56-11 酸性アミノ酸の側鎖

 植物のような独立栄養生物はすべてのアミノ酸を自前で合成できますが、従属栄養生物はアミノ酸をエサとして取り込む必要があります。ヒトの場合一般に、図56-12に示される9種類のアミノ酸を外界から摂取する必要があります(11-12)。ヒスチジンは体内で作られますが、急速な発育をする幼児の食事に欠かせないことから、1985年からこれも必要なアミノ酸として加わるようになりました(13)。なお、アルギニンは体内でも合成され、成人では非必須アミノ酸ではありますが、成長の早い乳幼児期では体内での合成量が十分でなく不足しやすいため、準必須アミノ酸とされています。

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図56-12 ヒトの必須アミノ酸

 一般に肉食動物は自分とほぼ同じアミノ酸バランスの食事なので栄養的には優れていますが、それを続けていると次第にアミノ酸合成を行なう酵素に進化的欠陥が発生し、必須アミノ酸が増える可能性が高くなります。図56-13で猫とヒトを比較していますが、アルギニン・チロシン・システインなどについては、ヒトと比べて猫は要求性が高くなっているようです。また猫はタウリンを合成できません。タウリンは、心臓の筋肉や目の細胞に多く含まれ、タウリンの欠乏は 網膜の異常(失明につながることもあり) 拡張型心筋症(発病すると死に至る…)や子猫の発育異常、免疫不全などの原因になります(14-15)。

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図56-13 ネコとヒトの必須アミノ酸

 とはいえ草食動物でも羊がシステインを合成できないなどということもあり、腸内細菌にアミノ酸合成を行わせる(草食動物の腸は長いので大量の腸内細菌を維持できる)場合もあって、必須アミノ酸のお話もそう単純ではありません(16)。アブラムシはその細胞内にブフネラという細菌を飼っていて必須アミノ酸をつくらせているというような極端な場合もあります(17)。シロアリはなんと窒素固定細菌を腸内に飼っていて、この細菌に空気中の窒素からアミノ酸をつくらせているそうです(18)。

 

参照

1)ウィキペディア: ルイ=ニコラ・ヴォークラン
2)http://www.a-creation.jp/basic/history/
3)http://andantelife.co.jp/aminoacids/aminoacids.htm
4)https://glycine-corp.com/2016/08/11/what-is-glycine/
5)大越 慎一:うま味の発見と池田菊苗教授、東京大学理学部広報
http://www.s.u-tokyo.ac.jp/ja/story/newsletter/treasure/02.html
6)ウィキペディア: フレデリック・サンガー
7)Antony O. W. Stretton、The First Sequence: Fred Sanger and Insulin、Genetics vol.162, pp.527–532 (2002)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC1462286/pdf/12399368.pdf
http://www.genetics.org/content/162/2/527
8)山根隆 D-アミノ酸の効率的合成に関係する酵素の構造と機能  Japanest NIPPON (2011) http://japanest-nippon.com/jp/mbinfo/mb_detail1.php?cid=1&id=12
9)ウィキペディア: アミノ酸ラセマーゼ
10)http://www.tennoji-h.oku.ed.jp/tennoji/oka/OCDB/Protein/proline.htm
11)ウィキペディア: 必須アミノ酸
12)馬渕知子 タンパク質を構成する9種類の「必須アミノ酸」とは? 
http://www.skincare-univ.com/article/011704/
13)山口迪夫 食事:ヒスチジンが必須アミノ酸と考えられる理由
http://www.nutritio.net/question/FMPro?-db=question-bbs.fp5&-lay=main&-Format=detail.htm&hatugenID=97&-Find
14)岩田麻美子 猫の栄養学講座 タンパク質
https://allabout.co.jp/gm/gc/69259/all/
15)ロイヤルカナン イヌと猫の栄養成分辞典
https://www.royalcanin.co.jp/dictionary/nutrients/%E3%82%BF%E3%82%A6%E3%83%AA%E3%83%B3
16)Weblio辞書 https://www.weblio.jp/wkpja/content/システイン_羊
17)理化学研究所 プレスリリース(2009)
http://www.riken.jp/pr/press/2009/20090310_2/
18)理化学研究所 プレスリリース(2015)
http://www.riken.jp/pr/press/2015/20150512_2/

 

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55.真核生物メッセンジャーRNAの成熟 Ⅱ

 「真核生物メッセンジャーRNAの成熟 I」で述べたように、シャープやレダーらによって真核生物の遺伝子がイントロンによって分断されていることが明らかになり、これは真核生物の特徴であるとしばらく考えられていましたが、それは主要なモデル生物である大腸菌がたまたまイントロンを持っていなかったことの影響が強かったからと思われます。しばらくするとイントロンは細菌や古細菌にも存在し得ることがわかりました(1)。このうち古細菌のイントロンはわが国の研究者達が発見したものです(2)。
 図55-1に各種イントロンのリストをまとめて記しておきます。真核生物においてもミトコンドリアや葉緑体の遺伝子には細菌型のイントロンが存在します。またrRNAには細菌型の、tRNAには古細菌型のイントロンが存在します。細菌型のイントロンは転写されたRNA自身が酵素の機能を持っていたり、イントロンの内部に酵素の遺伝子を持っていたりして、自力でスプライシングを行うことができます。

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図55-1 生物によるイントロンとスプライシングの様式の相違

 細菌のイントロンには様々なものがありますが、いずれも構造は複雑です。本来は蛋白質である酵素の役割をRNAが代替しようというわけですから、それは当然と言えます。ここではウィキペディアからグループIIイントロンの構造を拝借して、図55-2として示しておきます(3)。

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図55-2 グループIIイントロン

 古細菌型のイントロンはリボヌクレアーゼとRNAリガーゼによってスプライシングが行われます。真核生物でもtRNAのイントロンでは古細菌型のスプライシングが行われますが、オルガネラやリボソーム遺伝子以外の大部分の遺伝子はスプライソソームというメカニズムでスプライシングが行われます。
 酵母のイントロンが飢餓に対する抵抗性を担っているという論文が出版されてから(4-5))、「イントロンというのはDNAの病気であり、スプライシングとはその治療法」という見解には疑問符がつくことになりました。ただ参照文献(1)によると、クラミドモナスという藻類ではミトコンドリアのある酵素が1~2億年の間に核に移転したことがわかっていますが、その間に真核生物型のイントロンが、この酵素の遺伝子に15個も挿入されていたそうです。1000万年に1遺伝子あたり1個のイントロンが挿入されるという計算ですね。ヒトの遺伝子は約2万あるので、1000万を2万でわると500ですから、約500年にひとつイントロンが増加する計算になります。甚だ迷惑な話ですが、イントロンも長い間「ホスト」のDNAに棲み着いていると、その内部にエンハンサーが挿入されたり、イントロンの塩基配列が変わるとスプライシングに失敗したりするので、それなりに役割を主張しはじめる、言い換えれば進化的保存を要求することになります。

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図55-3 ジョアン・スタイツ

 ともあれイントロンはタンパク質合成の際にアミノ酸配列として反映されることはないので、タンパク質をコードするRNA(すなわちmRNA)においては、必ずなんらかのメカニズムによって取り除かれなくてはいけません。ジョアン・スタイツ(1941~、図55-3)らのグループは、small nuclear RNA という機能が不明だった核内のRNAが、タンパク質と複合体をつくって1群の small nuclear ribonucleoproteins (snRNP) をつくり、このsnRNPがmRNAのスプライシングにかかわっていることを示唆しました(6)。その後このsnRNP複合体はスプライソソームあるいはスプライセオソームなどとよばれています。
 イントロンが取り除かれるプロセスを簡単に示したのが図55-4ですが、多くの場合イントロンはキャップ側の端がGU、ポリA側の端がAGとなっています。また中間部分に存在するAが重要な役割を果たします。その他ピリミジンリッチな配列とか、それぞれのsnRNPに親和性がある配列などがありますが、厳密には定められていません。
 第1のステップでは、キャップ側のGUがはずれて中間部のAと結合します。これはAの2の位置のOHがエクソン1右端の 3'-5' 結合を攻撃して切断し、AG結合をつくることによって実現します。この結果投げ縄のような構造が形成されます(図55-4)。第2のステップでは、エクソン1右端の3OHがエクソン2左端を攻撃して切断し、エクソン1とエクソン2が結合し、同時に投げ縄構造となったイントロンが切り離されます(図55-4)。

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図55-4 イントロンの除去

 真核生物のイントロンの転写物は、細菌のような複雑な構造をとっているわけではなく、リボザイム(酵素機能を持つRNA)ではないので、図55-4のようなダイナミックな反応(スプライシング)は外部因子の力を借りて行われます。スプライシングを実行する外部因子とは U1、U2、U4、U5、U6 という snRNP で構成されるスプライソソームです。snRNPとは small nuclear ribonucleoprotein (核内低分子リボ核タンパク質)の略称で、RNAとタンパク質の複合体です。真核生物でもスプライシングを行うためには、RNAの助けが必要です。他の因子もかかわっていますが、ここでは省略します。詳しく知りたい方は参照文献(7)などを参照して下さい。
 図55-5のようにまずU1がイントロンとエクソン1の境界部に結合します。U1はこの位置に結合するためのRNAを含んでいます。図ではぴったりイントロンのキャップ側(5' 側)の塩基配列と対合していますが、ぴったり対合する必要はありません。同時に中間部にあるAの近傍にU2が結合します。これにU4+U5+U6の複合体が結合してイントロンRNA(pre-mRNAの内部)にテンションを発生させ、Aをエクソン1の右端に接近させてエクソン1とイントロンを切断します。
 ここでU4がはずれ、U5+U6がエクソン1の右端とエクソン2の左端を接近させて連結させます。この反応によって、イントロンの投げ縄構造とそれに結合しているsnRNP群がはずれて、mRNAが完成します。
 こうして完成したmRNAですが、蛋白質合成に使用するためにはもう一手間かけなければなりません。それは核膜というバリアを抜けて、リボソームのある細胞質まで行かなければならないからです。核膜には核膜孔という関所のようなトンネルがあって、生体高分子はそこを通らないと核に入ったり核から出たりすることはできません。核膜を通過するためにmRNAが持つべき通行手形とその作成過程はまだ未知の部分があって、ワトソンの教科書などでもあっさりと通り過ぎています。Tapとp15という二つの蛋白質の複合体(ヘテロダイマー)が、mRNAにべったりくっつくことが重要だという説は正しいようですが(8)、まだわかっていない部分も多いと思われます。

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図55-5 スプライシングの機構

 

参照

1)大濱武 遺伝子の中の厄介者、イントロンはどうしてなくならないか 生命誌 29号 (2000)
https://www.brh.co.jp/seimeishi/journal/029/ex_1.html
2)渡邊洋一、横堀伸一、河原林裕、原核生物遺伝子のイントロン 古細菌タンパク質遺伝子のイントロンの発見 蛋白質・核酸・酵素 vol.47, pp.833-836 (2002)
3)Wikipedia: Group II intron,  https://en.wikipedia.org/wiki/Group_II_intron
4)Jeffrey T. Morgan, Gerald R. Fink & David P. Bartel, Excised linear introns regulate growth in yeast., Nature vol. 565, pp. 606–611 (2019)
5)Samantha R. Edwards & Tracy L. Johnson, Intron RNA sequences help yeast cells to survive starvation., Nature vol. 565, pp. 578-579 (2019)
6))M.R. Lerner, J.A. Boyle, S.M. Mount, S.L. Wolin & J.A. Steitz, Are snRNPs involved in splicing? Nature vol.283, pp.220 - 224 (1980); doi:10.1038/283220a0
http://www.nature.com/nature/journal/v283/n5743/abs/283220a0.html
7)J.D. Watson et al. Molecular Biology of the Gene 6th edn. (2008) or 7th edn (2013)
8)大阪大学大学院 米田研究室のサイト: 
http://www.anat3.med.osaka-u.ac.jp/research/research3_1.html

 

 

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54.真核生物メッセンジャーRNAの成熟 I

   細菌では転写が行われると、通常できたばかりのRNAにリボソームがくっついて翻訳(RNAからタンパク質へ)が開始されます。ですから鋳型DNAと転写されたRNAと翻訳工場のリボソームが一体化した状況の電子顕微鏡写真が撮影されています(44.メッセンジャーRNA)。しかし真核生物ではそうはいきません。転写は核内で行なわれますが、リボソームは核の外の細胞質内にあります。従ってRNAを核膜を通過させて核の外に出し、そのRNAをリボソームまで導かなければなりません。
 このようなプロセスを裸のRNAにやらせようとすると、リボソームにたどり着く前にヌクレアーゼで分解されて影も形もなくなってしまうでしょう。そこで転写されたRNAには直ちに5’側にはキャップ、3’側にはポリAテイルが付加されて、端からRNA分解酵素にかじられるのを防いだり、自らがmRNAであることのシグナルとして機能させたりという役割を与えられています(図54-1)。
 キャップとテイルは翻訳領域に直接つけられるのではなく、それぞれ翻訳されない領域 (5'-UTR=5' untranslated region, and 3'-UTR=3' untranslated region) で隔てられた部分につけられます。つまりmRNAはその全域がタンパク質の情報として翻訳されるのではなく、翻訳領域の両側(上流・下流)に余裕を持って非翻訳領域を配置し、さらにその両端にキャップとテイルを配置するような構造になっています(図54-1)。

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図54-1 真核生物の成熟したメッセンジャーRNA

 キャップの存在を発見したのは古市泰宏 で、当時の事情は彼自身が詳しいレビューを出版していますし(1)、日本語での自慢話も読めます(2)。図54-2に示したように、転写されたRNAの5’末端ではリボース2つの2’の位置がメチル化されていて、さらに末端に7-メチルグアノシン3リン酸が5’-5’という奇妙な配位で結合しています。通常ヌクレオチドは5’-3’結合しかしないので、生化学的にこれは特殊な例と言えます。この構造のために通常のエクソヌクレアーゼはアクセスできなくなっています。

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図54-2 メッセンジャーRNAの5’末端に付加されるキャップ構造 7メチルグアノシン3リン酸が、図の茶色〇に示したように5’-5’でメッセンジャーRNAの5’末端に結合する。

 次に3’末端ですが、ポリAポリメラーゼはすでに1960年にエドモンズらによって発見されていましたが(3、図54-3)、ながらく何のためにあるのかわかりませんでした。転写されたRNAのテイルにポリAを付加するためだとわかったのは10年以上後になります(4,5)。転写されたRNAにキャップがかぶせられるのは数秒以内。テイルが付加されるのは30秒以内だとされています(6)。


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図54-3 メアリー・エドモンズ(1922~2005)

 ポリAテイルがどのような役割を担っているかは現在でもホットな研究課題です。ポリAテイルに親和性をもつタンパク質は数多く、例えばPABP1というタンパク質ひとつとってみても、翻訳の開始、翻訳の促進、翻訳の抑制、mRNAの安定化、mRNAのターンオーバーなど驚くほど多彩なプロセスに関わっているようです(7)。
 キャップとテイルでmRNAの加工は終わりかと思われていたのですが、1977年になって予想外の事態になりました。当時DNAとDNA、DNAとRNAを試験管の中で対面させて、相補的な塩基配列を持つ部分を結合させる(ハイブリダイゼーション)という技術が開発され、また電子顕微鏡で核酸分子を検鏡する技術も開発されました。
 そこでアデノウィルスの完成された殻タンパク質をコードするmRNAと遺伝子DNAをハイブリダイズさせてみると、ぴったりとは符合せず、DNAが余ってループをつくる部分ができることがわかりました(8)。これは転写されたRNAの一部が切り離されたために、DNAの一部がハイブリッドを形成できなかったことを示唆します。フィリップ・シャープとリチャード・ロバーツはこの発見によって、1993年にノーベル生理学医学賞を受賞しています。
 このような実験結果は、図54-4のような模式図によって説明できます。切り離される部分をイントロンといいます。イントロンの塩基配列は当然タンパク質の構造には反映されず、mRNAは残されたエクソンとキャップとポリAテイルによって構成されます(図54-4)。イントロンが切り離され、エクソンが結合されるプロセスをスプライシングとよびます。イントロンが切り離される前のRNAをプレmRNAとよびます。核に存在するmRNA、rRNA、tRNA以外のRNAをまとめてhnRNA(heterogenous nuclear RNA) とよぶこともあります。hnRNA がプレmRNAを意味する場合もあります。

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図54-4 イントロン(非翻訳領域)とエクソン(翻訳領域)

 レダーらのグループはより明確にスプライシングの存在を証明しました。彼らはマウスのβグロビン遺伝子の塩基配列を完全解明し、どこからどこまでがエクソン、どこからどこまでがイントロンなどの詳しい研究結果を示しました(9、図54-5)。これによって遺伝子が内部のふたつのイントロンによって分断されていることがわかりました。福岡大学のサイトにβグロビン遺伝子の全塩基配列やエクソン・イントロンの位置などが示されています(10)。

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図54-5 βグロビンの遺伝子と完成されたmRNA

 細菌や古細菌にも遺伝子の分断はみられますが、一般的ではありません。真核生物でも酵母やカビにはごく少数しかみられませんが、ヒトやマウスでは遺伝子ひとつあたり平均7~8ヶ所の分断がみられます(11)。最近の研究結果によると、酵母のイントロンは飢餓に対する抵抗性に寄与しているそうです(12)。ですからイントロンはすべて無用とは言えません。

参照

1)Yasuhiro Furuichi,  Discovery of m7G-cap in eukaryotic mRNAs. Proceedings of the Japan Academy, Series B Vol. 91 (2015)  No. 8  p. 394-409
https://www.jstage.jst.go.jp/article/pjab/91/8/91_PJA9108B-01/_article
2)RNAJapan(日本RNA学会) 古市泰宏、 走馬灯の逆廻し:RNA研究、発見エピソードの数々 はじめに キャップ構造の発見
https://www.rnaj.org/component/k2/item/383-furuichi-1
3)Edmonds M, Abrams R., Polynucleotide biosynthesis: Formation of a sequence of adenylate units from adenosine triphosphate by an enzyme from thymus nuclei. J Biol Chem 235: 1142–1149. (1960)
4)Edmonds M, Vaughan MR, Nakazato H. 1971. Polyadenylic acid sequences in the heterogeneous nuclear RNA and rapidly-labeled polyribosomal RNA of HeLa cells: Possible evidence for a precursor relationship. Proc Natl Acad Sci 68: 1336–1340. (1971)
5)Darnell JE, Philipson L, Wall R, Adesnik M. Polyadenylic acid sequences: Role in conversion of nuclear RNA into messenger RNA. Science 174: 507–510. (1971)
6)JE. Darnell, Jr., Reflections on the history of pre-mRNA processing and highlights of current knowledge: A unified picture. RNA vol.19, pp. 443-460 (2013)
http://rnajournal.cshlp.org/content/19/4/443.full
7)Richard W.P. Smith, Tajekesa K.P. Blee and Nicola K. Gray, Poly(A)-binding proteins are required for diversebiological processes in metazoans. Biochem. Soc. Trans. vol. 42, pp. 1229–1237 (2014) doi:10.1042/BST20140111
8)Berget S.M., Moore C., Sharp P.A., Spliced segments at the 5' terminus of adenovirus 2 late mRNA. Proc. Nati. Acad. Sci. USA, Vol. 74, pp. 3171-3175, (1977)
9)Konkel DA, Tilghman SM, Leder P. The sequence of the chromosomal mouse β-globin major gene: Homologies in capping, splicing and poly(A) sites. Cell vol.15, pp.1125–1132. (1978) http://www.cell.com/cell/fulltext/0092-8674(78)90040-5
10)福岡大学教育資料 転写 http://www.sc.fukuoka-u.ac.jp/~bc1/Biochem/transcrp.htm
11)J.D. Watson et al. Molecular Biology of the Gene 6th edn p.416 (2008)
12)Nature  分子生物学:出芽酵母のイントロンは飢餓における細胞生存を調節する
(2019) https://www.natureasia.com/ja-jp/nature/highlights/96150

 



 

 

 

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53.転写 Ⅱ

 転写1では細菌の転写について述べましたが、ここでは真核生物について述べます。細菌でも真核生物でもDNAの情報をRNAにコピーして、それを設計図としてリボソームでタンパク質を合成するという方式にかわりはありません。
 まず細菌のRNAポリメラーゼと真核生物のRNAポリメラーゼ II を比較してみると、真核生物のRNAポリメラーゼ II は細菌の酵素の構成要素である5つのサブユニットと相同のサブユニットを保持していて(α2:RPB3&RPB11、β:RPB2、β’:RPB1、ω:RPB6)、これに7つのサブユニットが追加されたような構造になっています(1、図53-1。)

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図53-1 細菌と真核生物のRNAポリメラーゼ

 どうしてRNAポリメラーゼが巨大化したのか、その理由はゲノムのサイズが大きくなり、多種多様なタンパク質を適切な時期に発現させるという複雑なニーズに対応したものと考えたくなりますが、実は細菌よりゲノムサイズが小さめの古細菌(アーケア)のRNAポリメラーゼの構造は、細菌の酵素より真核生物のRNAポリメラーゼに圧倒的に近いということから(1-2)、この考え方は否定されます。古細菌は見た目は細菌と同じなのですが、生命現象の基幹的な部分が真核生物に近いという意味で、進化の最大の謎といっても過言ではありません。真核生物はこのグループから進化したと考えられていますが、その詳細は不明です。
 古細菌も真核生物も構造は異なりますがクロマチンというDNAを保護する重層的な3次元構造を持っているため(3)、そのような障害を乗り越えて転写を行うためにサブユニットが増加したという考え方は可能でしょう。このことはまた真核生物は細菌より古細菌と近縁な関係にあることのひとつの強力な証拠でもあります。真核生物のRNAポリメラーゼ I および III は II よりもさらにサブユニットが増えており(1)、II を基本としてそこから派生したものと考えられます。
 古細菌や真核生物においても転写に際しては細菌と同様なプロモーターが存在し、細菌の-10領域の配列を進化の中で引き継いだと思われるTATAボックスといわれる配列が存在します。この配列は厳密に指定されいるわけではありませんが、5'-TATA(A or T)A(A or T)G-3' のようにTATAという配列を含むものが多く、TATAボックスとかTATAエレメントなどと呼ばれています。この配列は細菌ではシグマ因子が認識するわけですが、古細菌や真核生物ではTBP(TATA binding protein)という転写因子が認識します。TBPはRNAポリメラーゼのサブユニットではなく、真核生物の場合、TFIIDという巨大な転写因子のサブユニットとして機能します(図53-2)。図53-2にみられるように、真核生物の場合細菌よりも多数のプロモーターが存在し、転写開始点をまたいでいるものや、転写開始点より下流にあるものもあります。実は真核生物の場合、転写開始点からすぐ mRNA が読み取られるのではなく、mRNAの塩基配列はかなり下流からはじまるので、このようなことが起こりうるわけです。

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図53-2 真核生物の転写用プロモーターと主要な転写因子

 図53-2に示したように、それぞれのプロモーターにはその配列に結合する転写因子が存在し、GCボックス-Sp1、CAATボックス-NF-Y、BRE(B recognition element)-TFIIB、TATAボックス-TBP、Inr(initiator element)・DCE(downstream core element )I~III・DPE(downstream promoter element)-TFIID などという組み合わせになっています。
 当初すべての生物に普遍的に存在するTATAボックス-TBPが特に重要と考えられていましたが、真核生物ではすべての遺伝子のうちTATAボックスを持っているのは20%以下という調査結果が報告されており(4-6)、さらに同じ生物の同じ遺伝子でも組織によって使用するプロモーターが異なるというデータもあります(7)。
 TFIIDはTAF1~15とAF4B・AF9B、そしてTBPという多数のサブユニット(全部そろっているとは限らない)で構成される巨大な転写因子複合体で、転写開始に直接的にかかわっていると考えられます(8)。TATAボックスがなくTBPを欠いている場合は、転写開始の位置が正確ではなくなり、複数の位置から開始される場合があることが知られています。実際に転写が開始される場合、TFIIDだけでなく、TFIIA・TFIIB・TFIIFなども加わって、さらに巨大な転写因子複合体を形成し、RNAポリメラーゼを所定の位置に配置した後、RNAポリメラーゼの一部をリン酸化することによって複合体から解離させて転写を開始させることになります(図53-3)。

533

図53-3 RNAポリメラーゼはリン酸化されることによって転写を開始する

 真核生物の場合、DNAはヌクレオソームにまきつき(後のセクションで述べます)、クロマチンという3次元構造をとっているので、それらをほぐさないと転写ができませんし、外部からの指令もさまざまな形できますので、TFIIグループの転写因子複合体だけでは遺伝子発現の調節に対応できません。したがってDNAが3次元的に折れ曲がっていることを利用して、遺伝子から離れた位置にあるプロモーターやエンハンサー配列に結合する因子なども遺伝子発現に影響を与えることができるようなシステムになっています。このため遺伝子発現を調節するためのタンパク質複合体は数メガダルトンという巨大なサイズになることもあります(図53-4)。このようなシステムは細菌や古細菌にはありません。
 このようにして転写は進みますが、どこかで終結させなければなりません。古細菌ではすでに細菌が行っているρ因子やステムループを用いる転写終結をやめていて(9)、真核生物も別のメカニズムで転写を終結させています(10)。

534

図53-4 転写調節のための巨大複合体


 真核生物の場合、例としてβ-グロビンの場合を図53-5に示してありますが、転写開始がmRNAの先頭からはじまるわけではないように、転写終結も終止コドンの位置で終わらず、さらに下流まで転写は継続します。そしてDNAにAATAAAというポリA付加シグナルという塩基配列があると、その少し下流の転写終結シグナルTTTT、TTGCのところで転写は終結します。このあたりは厳密には指定されてはおらず、例えばポリA付加シグナルの何塩基下流でとか、終結シグナルがひとつでもあれば必ず止まるとかというわけではありません。実際この場合TTTTはスルーされています。転写されたRNA3’末端には、ポリAポリメラーゼという特殊なRNAポリメラーゼによって、鋳型なしにAが連続的に付加されます(図53-5)。

535

図53-5 真核生物における転写終結シグナル

 

参照

1)Guy Drouin and Robert Carter, Evolution of Eukaryotic RNA Polymerases. Wiley Online Library., eLS, DOI: 10.1002/9780470015902.a0022872 (2010).
http://www.els.net/WileyCDA/ElsArticle/refId-a0022872.html
2) 平田章, 古細菌の転写装置. 生化学 vol. 81, pp. 377-381 (2009)
file:///C:/Users/User/AppData/Local/Microsoft/Windows/INetCache/IE/CFQW7HJS/81-05-04.pdf
3)Tanaka T1, Padavattan S, Kumarevel T., Crystal structure of archaeal chromatin protein Alba2-dsDNA complex from Aeropyrum pernix K1. Jornal of Biological Chemistry, vol. 287, pp. 10394-10402 (2012), doi: 10.1074/JBC.M112.343210
http://www.riken.jp/pr/press/2012/20120224_3/
4)ウィキペディア: TATAボックス
5)Civán P1, Svec M., Genome-wide analysis of rice (Oryza sativa L. subsp. japonica) TATA box and Y Patch promoterelements. Genome. vol. 52, pp. 294-297. doi: 10.1139/G09-001. (2009)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/19234558
6)Chuhu Yang et al., Prevalence of the Initiator over the TATA box in human and yeast genes and identification of DNA motifs enriched in human TATA-less core promoters. Gene., vol. 389(1): pp. 52–65. (2007) doi: 10.1016/j.gene.2006.09.029
7)Paul Gagniuc1 and Constantin Ionescu-Tirgoviste, Eukaryotic genomes may exhibit up to 10 genericclasses of gene promoters. BMC Genomics , vol.13, pp.512-527 (2012), DOI: 10.1186/1471-2164-13-512
8)Robert K. Louder,  Yuan He, José Ramón López-Blanco, Jie Fang, Pablo Chacón & Eva Nogales , Structure of promoter-bound TFIID and model of human pre-initiation complex assembly. Nature  vol. 531, pp. 604–609 (2016)
http://www.nature.com/nature/journal/v531/n7596/abs/nature17394_ja.html
9)房富 絵美子 他 古細菌型転写終結因子NusAの結晶構造解析及びRNA結合解析
file:///C:/Users/User/AppData/Local/Microsoft/Windows/INetCache/IE/CFQW7HJS/39_e.fusatomi.pdf
10)杉本崇 真核生物mRNA3′末端プロセシング研究の新展開  生化学第86巻第1号,pp. 77~80(2014)
file:///C:/Users/User/AppData/Local/Microsoft/Windows/INetCache/IE/C8FQEO1U/86-01-11.pdf

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2020年1月18日 (土)

52.転写 I

 1960年頃にはすでにリボソームがタンパク質の製造工場であることは分子生物学者の間ではコンセンサスになっていました。トランスファーRNA(tRNA)の役割もわかってきていました。すなわちアンチコドンを持ちアミノ酸を運ぶ tRNAが、順次 リボソームにアクセスすることによって、タンパク質が合成されることになります。
 しかし当初リボソームが持つRNAはそれぞれのリボソームに特異的であり、各リボソームがそれぞれ別々のタンパク質を合成するという考え方が一般的でした。この頃にはまだメッセンジャーRNA(mRNA)という概念がなかったので、こういう考え方になるのも仕方ありません。メッセンジャーRNAのところで、ブレナー・ジャコブ・メセルソンがDNAからリボソームに情報を運ぶ不安定なRNAが存在することを示唆する研究を行ったことを述べましたが、この1961年の研究を出発点としてDNAからmRNAを合成するメカニズムの研究が進展しました。DNAを鋳型としてmRNAが合成されるプロセスを転写(transcription) といいます。
 ただ彼らの実験でmRNAの構造と機能が明らかになったわけではなく、あくまでもこれは端緒にすぎません。マシュー・コブ は「誰がmRNAを発見したのか?」という科学エッセイを発表していますが(1)、どうも明快な結論はないようです。ニレンバーグとレダーは大腸菌の無細胞系(大腸菌をすりつぶした抽出液)に、ポリUを入れるとフェニルアラニンがタンパク質にとりこまれることを証明しましたが、このポリUはまさしくmRNAなわけで、ニレンバーグとレダーが発見者という見方もできます。また後にニレンバーグとマタイは大腸菌の無細胞系にさまざまなポリリボヌクレオチドを投入して、タンパク質合成がこれらのポリリボヌクレオチドに依存していることをみています(2)。コブはブレナーらの実験と共にこの仕事を重視しています
 アヴィヴとレダー(図52-1)の実験も完成品の美しさがあります。彼らはうさぎのグロビン(ヘモグロビンを構成するタンパク質)のmRNAをオリゴdTセルロース法という方法を使って精製し、がん細胞をすりつぶした抽出液の無細胞系で、うさぎのグロビンを合成することに成功しています(3)。

521

図52-1 フィリップ・レダー(Philip Leder 1934- )

  大腸菌の無細胞系とファージを使った実験というのはやや一般性に欠けると思います。ファージは生物ではないという考え方もできます。上記のグロビンmRNAの実験を行ったフィリップ・レダーは、ニレンバーグと共にコドンの最初の解読者であり、mRNAの機能を確定し、後にグロビンの遺伝子が分断されていることをも発見した(4)という卓越した業績の研究者であるにもかかわらず、ノーベル賞は授与されていません。遺伝子の分断の件でも。ファージのグループが受賞して彼ははずされました。全く理不尽なことだと思います。
 リボソームRNA(rRNA)やトランスファーRNA(tRNA)が安定な物質であるのに対して、メッセンジャーRNA(mRNA)は壊れやすい不安定な物質です。rRNA・tRNAはハウスキーピングないつも必要なものであるのに対して、mRNAは必要なときだけにあればよいものだという意味で、この違いは合理的です。たとえばラクトースが周りに豊富にあるときには、大腸菌はラクトース分解系のタンパク質をコードするmRNAが必要ですが、ラクトースがなくなれば必要ありません。ジャコブとモノーは、リプレッサーが通常はオペレーター領域に結合していて、ラクトースの存在によってリプレッサーとDNAの結合が解かれ、RNA合成がはじまることを示しましたが、これは最も単純な例であって、実際のRNA合成の制御機構ははるかに複雑を極めるものです。
 DNAを複製するのはDNAポリメラーゼであるのに対して、DNAを鋳型としてRNAを合成するのがRNAポリメラーゼです。DNAポリメラーゼが dATP, dTTP, dGTP, dCTP を基質とするのに対して、RNAポリメラーゼは ATP, UTP, GTP, CTP を基質とします。DNAポリメラーゼが 3'OH を起点として必要とするのに対して、RNAポリメラーゼは必要としません。ですからRNAポリメラーゼはRNA合成をはじめる基点を他の因子に決めてもらう必要があります。DNAポリメラーゼには多くの種類がありますが、RNAポリメラーゼはごく特殊なものを除いて細菌では1種類、真核生物では3種類しかありません。真核生物の3種類とそれぞれの役割は、RNAポリメラーゼ I:rRNAの合成、RNAポリメラーゼII:mRNAの合成、RNAポリメラーゼIII:tRNAと一部のrRNAの合成となっていて、基本的に3種類のRNAを分業で合成しています。
 まず大腸菌のRNAポリメラーゼについてみていきましょう(図52-2)。RNAポリメラーゼのコア酵素は5つのサブユニット(α、α、β、β’、ω)からなり、転写を開始する際にはσ因子が結合してホロ酵素の状態になります。σ(シグマ)因子は転写を開始する位置を指定します。細菌の場合、転写を開始する位置から上流側(鋳型鎖の3’側)に10ヌクレオチドおよび35ヌクレオチドあたりにσ因子と親和性の高い塩基配列(プロモーター配列、赤で示す)があり、σ因子はこのふたつのサイト周辺の塩基配列を認識してDNAと結合し、RNAポリメラーゼが転写を始める位置を指定します。このふたつのプロモーターサイトは-35領域、-10領域と呼ばれます。

522

図52-2 大腸菌のRNAポリメラーゼ

 プロモーター配列は厳密に決まっているわけではなく、一例を挙げれば TGTTGACA(-35領域)、TATAAT(-10領域)などがあります。これらにσ因子が結合することによってRNAポリメラーゼと隣接DNAの立体構造が変化して、閉じられていたDNAの2重鎖が開いて、鋳型鎖の情報をRNAポリメラーゼが読み取ることができる状況になります。そしてRNAポリメラーゼは+1の位置から転写を開始します(図52-3)。もちろんこのときリプレッサーはDNAからはずれていなければなりません。

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図52-3 プロモーター配列と転写

 大腸菌は7種類のσ因子を持っていることが知られており、分子量に応じて分類されています(例えば分子量約7万のものはσ70)。σ19、σ24、σ28、σ32,σ38、σ54、σ70のうち、通常はσ70が使われています。σ28は鞭毛専用。ヒートショックを受けた場合はσ24・σ32、飢餓の場合はσ38など用途や状況によって使い分けているようです(5)。それぞれのσ因子によって、当然親和性の高いDNA塩基配列も異なります。単細胞の細菌でも7種類の転写部位を指定する因子があるわけですが、真核生物の場合このような細菌のやり方を拡張し、非常に複雑な転写指定を行うことによって細胞の多彩なニーズに対応するように進化しました。これについては後程述べます。
  σ因子のはたらきで転写を開始したRNAポリメラーゼですが、では転写を終結する位置はどのように指定されているのでしょうか? これには2つの方法があって、ρ因子依存性と非依存性と呼ばれています(6-7)。ρ因子は図52-4Aのように6個のρタンパク質がドーナツのように集合した因子で、Cが多い rut site という配列を認識してDNAに結合し転写を終結させます(7)。ただし詳しいメカニズムはわかっていないようです。ρ因子非依存性の終結メカニズムは、転写されたmRNAがヘアピンのような構造をとることがポイントです。このような部分的二重鎖をつくるために、DNAおよびmRNAの一部に回文構造(パリンドローム)が形成されています。回文とは「竹藪焼けた」のように前から読んでも後ろから読んでも同じと言う文章ですが、塩基配列でこのようになっている部分(図52-4B赤線)がなっていない部分を挟んで存在すると、図52-4B右側の図のようにヘアピン構造を形成します。

524

図52-4 ρ因子と転写の終結

 ヘアピン構造のあとにUUUUUUUUという配列がありますが、このような場合DNAとmRNAの親和性が弱いことがわかっており、転写終結後、mRNAがDNAから離れるために有効であると考えられています。ここで述べてきたのは細菌の転写機構のお話です。

 

参照

1)Matthew Cobb, Who discovered messenger RNA?,  Current Biology 25, R523-R532 (2015)
file:///C:/Users/User/AppData/Local/Microsoft/Windows/INetCache/IE/PVA09UPG/PIIS0960982215006065.pdf
2)M.W. Nirenberg  and J.H. Matthaei, The dependence of cell-free protein synthesis in E. Coli upon naturally occurring or synthetic polyribonucleotides. Proc Natl Acad Sci USA vol.47, pp.1588-1602 (1961)
https://www.pnas.org/content/47/10/1588
3)H. Aviv and P. Leder, Purification of biologically active globin messenger RNA by chromatography of oligothymidylic acid-cellulose. Proc Natl Acad Sci USA vol.69, pp.1408-1412 (1972)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/4504350
4)Konkel DA, Tilghman SM, Leder P. The sequence of the chromosomal mouse β-globin major gene: Homologies in capping, splicingand poly(A) sites. Cell vol.15, pp. 1125–1132. (1978)
https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/0092867478900405
5)Wikipedia: Sigma factor, https://en.wikipedia.org/wiki/Sigma_factor
6)J.D. Watson et al. Molecular Biology of the Gene 6th edn. pp.394-395 (2008)
7)Wikipedia: Rho factor,  https://en.wikipedia.org/wiki/Rho_factor

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51.オペロン説

 フランソワ・ジャコブ(1920~2013、図51-1)がパリ大学の医学部に入学してしばらくした頃ドイツでナチが台頭し、フランスに攻め込んでくる状況になりました。20世紀における分子生物学の爆発的進展は、二重らせんのワトソン&クリックと、岡崎フラグメントの岡崎以外は、多くはユダヤ人の業績なのですが、ジャコブもご多分に漏れずユダヤ人だったので、生命の危機を感じてロンドンに脱出しました。
 しかし彼はそこで医学生として勉強を続けるのではなく、自由フランス軍の兵士として参戦する道を選び、衛生兵としてアフリカを転戦しているうちに負傷して入院生活をおくることになりましたが、回復後再び参戦し、今度はノルマンディー上陸作戦に参加しました(1)。ノルマンディーでの戦闘がどんなにすさまじいものだったかは、スピルバーグの「プライベート・ライアン 原題:Saving private Ryan」という映画をご覧になった方ならご存じでしょう。ジャコブはこの戦闘で爆弾の破片が100個以上も体に突き刺さるという重傷を負い、九死に一生を得て野戦病院に収容され、戦争が終結してからパリに送られました。大学にもどるまでに治療とリハビリで4年もかかったそうです(2)。結局その後の研究も、体の中に摘出できなかった破片をかかえこんだままで行なわれました

511

図51-1 フランソワ・ジャコブ(1920~2013)とジャック・モノー(1910~1976)

 しかし長いブランクの影響は大きく、ようやく医師の資格は得たものの、臨床医としてやっていくモチベーションもなくしてしまい、軍隊時代の伝手でペニシリンセンターに就職して研究者としての道を歩み始めました。ところがそのセンターもまもなく倒産して路頭に迷ってしまいました。そしてまたなんとか伝手をたどってパスツール研究所にもぐりこみました。そこでジャコブはルウォフの研究室に所属しモノーと出会うことになります。モノーも戦争中はレジスタンス軍の参謀としてパリで地下活動を行っていました。しかしジャコブの最初の重要な共同研究者はエリー・ウォルマンでした。エリーの両親ユージンとエリザベスは溶原性ファージ(細菌のDNAに組み込まれるファージ=プロファージ)を発見した研究者でしたが、実験室でゲシュタポに捕らえられ、アウシュビッツに送られてしまいました。エリーはそんな両親の衣鉢を継ぐために微生物の研究者になりました(3)。
 エリーと共にジャコブは大腸菌に性因子が存在すること。それはオスの大腸菌の中で別荘のような小さな独立のDNAとして存在し(現在はプラスミドと呼ばれている)、接合の際に本家のDNAと共にメスに送り込まれるということを発見しました。このことが遺伝子の制御という生物学上の大問題を解決する糸口になろうとは、当初誰も考えていなかったのでしょう。
 ジャコブと同じルウォフの研究室に所属していたジャック・モノー(1910~1976、図51-1)は、以前から大腸菌がラクトースを消化して栄養源とする過程を分析していましたが、大腸菌は普段はこのために必要な酵素をつくっていなくて、周りにラクトースが出現したときだけに合成するということを見いだしていました。ジャコブらの実験をみていたモノーは、ジャコブらと協力して、ラクトース分解酵素を合成できないメス株と合成できるオス株とを接合させ、オスのDNAがメスに取り込まれる過程を追って酵素活性を測定しました。そうするとメスに遺伝子が移転された途端に酵素活性が上がりますが、30分後には活性が失なわれたのです。これはラクトース分解酵素とは別の因子がメスに存在し、この因子(リプレッサー)が酵素の発現を抑制したと想像されました。彼らはさらに研究を続けてオペロン説という遺伝子制御の基本となる理論を打ち立てました(4)。
 オペロン説というのは図51-2Aのように、ラクトースが無い状態ではDNAにリプレッサー(緑)が結合していて、RNAポリメラーゼ(黄色)はプロモーターの位置にとどまり、DNAの情報を読み取れない状況にありますが、ラクトースが存在するとリプレッサーはラクトースと結合してDNAから離れ(図51-2B)、RNAポリメラーゼは情報を読み取り始めるという機構です。しかもラクトースの代謝に必要な酵素やタンパク質の遺伝子はオペレーター部位を先頭に並んでいて、まとめて制御されています(5)。

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図51-2 オペロン説 A:ラクトースが周辺にない場合 B:ラクトースが利用できる環境の場合

 DNA上に並ぶ遺伝子6、7、8(図51-2)がコードするタンパク質はそれぞれ、β-galactosidase (遺伝子名LacZ)、β-galactoside permease(遺伝子名LacY)、β-galactoside transacetylase (遺伝子名LacA)です。β-ガラクトシダーゼはラクトースをガラクトースとグルコースに分解する酵素(図51-3)。β-ガラクトシドパーミエースはラクトースなどを細胞に取り込むための細胞膜のタンパク質、β-ガラクトシドトランスアセチラーゼはラクトースなどにアセチル基を転移する酵素です。
 リプレッサーを精製し、それがオペレーター領域に結合することはローゼンバーグらによって後に確認されました(6)。オペロン説はもうひとつ重要な課題を提起しました。それはリプレッサーがラクトースを結合することにより構造変化をおこして、DNAとの親和性に変化をきたすという考え方で、これはアロステリック効果と呼ばれるタンパク質化学において重要なテーマであり、その後もこのラクトースオペロンにおけるリプレッサーを材料としても、現代に至るまで詳しく研究されています(7-8)。

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図51-3 β-ガラクトシダーゼによるラクトースの分解

 オペロン説は複数の遺伝子がひとつのオペレーター領域で制御されていることが注目されたため、そのようなことがほとんどない真核生物を含めると意義が薄れた感もありますが、むしろ遺伝子はタンパク質をコードする領域だけでできているのではなく、「プロモーターやオペレーターなどの制御領域とセットとなって一人前」という概念を提供したことに意義があると思われます。フランソワ・ジャコブ、ジャック・モノー、アンドレ・ルウォフは1965年度のノーベル医学生理学賞を受賞しました。ルウォフはジャコブやモノーのボスでしたが、主にバクテリオファージ合成の制御について研究を行っていました。ルウォフは「モノー君はいつも、酵素生成の誘導とファージ出現の誘導とは、同一の現象のあらわれたものであると言っておりました。これはことばのあやのように見えましたが、 実際には、きわめてすぐれた直観力のあらわれだったわけです」という意見を残しています(9)。

参照

1)Francois Jacob - Biographical.
https://www.nobelprize.org/nobel_prizes/medicine/laureates/1965/jacob-bio.html
2)野島博著 「分子生物学の軌跡」 化学同人社(2007)
3)Rudolf Hausmann, To grasp the essence of life -A history of molecular biology. Kluwer Academic Publishers (2002)
4)Francois Jacob and Jacques Monod, Genetic regulatory mechanisms in the synthesis of proteins., J. Mol. Biol. vol.3, pp.318-356 (1961)
http://libgallery.cshl.edu/items/show/74013
5)Wikipedia: lac operon.  https://en.wikipedia.org/wiki/Lac_operon
6)J M Rosenberg, O B Khallai, M L Kopka, R E Dickerson, and A D Riggs, Lac repressor purification without inactivation of DNA binding activity. Nucleic Acids Res. vol. 4, pp. 567–572. (1977)
7)Robert Daber, Steven Stayrook, Allison Rosenberg, Mitchell Lewis, Structural Analysis of Lac Repressor Bound to Allosteric Effectors. Journal of Molecular Biology, Volume 370,  Pages 609-619 (2007)
8)松下祐貴,島村香菜子,大石叡人,大山達也,栗田典之, ラクトースリプレッサーとDNA複合体へのアロステリック効果の解析:古典MD及びab initioフラグメントMO計算, 第37回情報化学討論会, P12, (2014)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/ciqs/2014/0/2014_P12/_pdf
9)"Adaptive enzymes, what is that?" http://www.din.or.jp/~mium/Monod/lwoff.html

 

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50.DNA修復 Ⅱ

 ジャン・ジャック・ワイグル(1901~1968)はもともとはスイスでX線解析などをやっていた物理学者だったのですが、なぜか米国に渡って微生物学者になりました。彼は1953年に不思議な現象を発見しました。彼が培養していたラムダファージを紫外線で不活化し(=殺し)、それを紫外線を照射した大腸菌にとりこませると、ファージは再活性化される(=生き返る)のです(1)。
 ワイグルが発見した現象は、その後数十年かけて徐々にその全貌は解明されつつあります。驚くべきことに、この現象は細菌からヒトを含む真核生物に連綿と受け継がれた「DNA乗り越え修復 translesion DNA repair = TLS DNA repair」という想像を絶する機構に基づくものであることがわかりました。普段は隠れていたこの機構が、紫外線を照射されるという危機的な状況で表に現れ、生命を救うのです。ですからSOSリペアなどともよばれていました。
 図50-1に示すように、DNA複製の際にDNAに損傷が発生し、DNAポリメラーゼがその位置で停止してしまうと、そこから先のDNAは複製されず細胞はアンダー・コンストラクションの状態で死を待つことになります。通常2本鎖DNAの片側に損傷が発生した場合、その部分を切り取って、対面のDNA配列を利用して修復することができます(2)。しかしDNA複製の際には複製フォーク(レプリケーションフォーク)が形成されているため、損傷部位の対面配列は離れた位置にあり利用できません(図50-1)。

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図50-1 複製途上でDNAが損傷を受けた場合

 この問題を解決するために、細菌は「DNA損傷乗り越え修復」という技を編み出しました。道で事故車が止まっていたときに、それをレッカー車で移動してから通過するのではなく、いったん歩道に乗り上げて事故車を通過するというような強引なやり方です。損傷部位に乗り上げたDNAポリメラーゼIIIは離脱し、RecAというタンパク質がATPを使ってRecA複合体を形成すると共に、DNAポリメラーゼVと共同して損傷部位を鋳型としてDNAを合成しつつあった鎖を、損傷部位のヌクレオチドをあまり気にしないで、強引に乗り越えさせて鎖を延長するのです(3-4)。
 なぜこの酵素だと延長できるかというと、DNAポリメラーゼVは厳密にワトソンクリック型の対面ヌクレオチド、すなわちATまたはGCペアを必ずしも合成するのではなく、かなり特異性が低くて間違ったヌクレオチドを持ってきてもそこで反応がストップしないという特徴をもっているからです。別の言い方ではフィデリティー(忠実度)が低いとも言います。ですから図50-2にみられるようにTに対してGをもってきたりするわけです。
 フィデリティーの低さの利点は、壊れているTも壊れていないヌクレオチドと認識することができるという利点があるところです。このためDNAポリメラーゼIIIが読めなくて停止するような場合(図50-2-1)でも、涼しい顔で通り過ぎることができるわけです。損傷部位を通り過ぎた段階でDNAポリメラーゼVはお役御免で、DNAポリメラーゼIIIにふたたびバトンタッチします(図50-2-4)。どうしてこのような選手交代がスムースにいくのかはよくわかっていません。しかしこのプロセスが実行された結果、間違った塩基配列が形成されたとしても、とりあえず細胞は死を逃れることができます。細胞が生き延びれば、あとでミスマッチリペアの機構によってエラーは修復されるかもしれません。

502

図50-2 DNA損傷乗り越え修復

 DNAポリメラーゼVは忠実度の低い酵素なので、通常は使われないよう厳しく管理されています。大腸菌に紫外線を照射して数十分後にようやくこの「DNA損傷乗り越え修復」という機能が発動します。つまり他の忠実性の高いシステムで修復を試みて、どうしても修復できない場合の最後の手段として使うという意味もあるようです。DNAポリメラーゼII や DNAポリメラーゼIV もDNA乗り越え修復の機能があるようですが、詳細は不明のようです(5)。
  DNAポリメラーゼVなどのTLSポリメラーゼ(translesion DNA polymerase, 損傷乗り越え修復DNAポリメラーゼ)は、細菌・古細菌で類似しているだけでなく、真核生物においてもその遺伝子構造が引き継がれており、ヒトも例外ではありません。このような祖先生物から複数の種に機能・構造が引き継がれている遺伝子をたがいにオルソログであるといいます。真核生物のTLSポリメラーゼにはイオタ、エータ、ゼータ、カッパがあります。大腸菌のPolIV・PolV、古細菌のDpo4、真核生物のPolイオタ・Polエータ・PolカッパはYファミリーとよばれるオルソログ、大腸菌のPolIIと真核生物のPolゼータはBファミリーというオルソログのグループを形成しています(5)。真核生物にもDNA損傷乗り越え修復を行う機能はあり、DNAポリメラーゼ イオタ(ι)、エータ(η)、ゼータ(ζ)、カッパ(κ)などが関与しているようです。このほかにも2本鎖がどちらも切断されたときとか、組み替え修復などの機構を生物は持っていますが、ここでは触れません。

 いろいろなDNAポリメラーゼが話の中に出てきて混乱するので、大腸菌と真核生物の各種DNAポリメラーゼをリストアップして、簡単な解説をつけておきます。

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

大腸菌の場合

#DNAポリメラーゼI: 1956年に、アーサー・コーンバーグによって最初に発見されたDNAポリメラーゼ。この酵素が働かなくても大腸菌は生存可能なので、DNAの複製に必須ではありませんが、このような株は紫外線の感受性が高いことが知られています。またこの酵素はTSL型ではないため、主に各種除去修復の際のDNA合成に関与していると考えらています。この酵素の特徴はエキソヌクレアーゼ活性(3’→5’)を持っていることで、間違った塩基のペアができた場合、鋳型の上を逆走してそれらを分解し、DNA合成をやりなおすことができます。これは校正機能とよばれています(6)。また逆方向(5’→3’)のエキソヌクレアーゼ活性も持っているため、おしりでDNA合成しながら頭でDNA分解を行うことができます。したがって頭の位置にあるDNAの断点(ニック)を、結果的に進行方向にずらしていくことが可能で、これをニックトランスレーションと呼びますが、この反応を行わせるときに放射性のヌクレオチドを入れておくと、このポリメラーゼが通過した部分のDNAが放射能で標識されます。この機能を使えば手持ちのDNAをとりあえず標識できるので、研究上便利です。
 この酵素がなくても大腸菌は生存可能とはいえ、あった場合はDNAの複製にも関与すると言われています。ウィキペディアによるとRNAプライマーが分解されたあとのギャップを埋めるのに使われるとされています。この酵素は真核生物のミトコンドリアに存在するDNAポリメラーゼガンマとオルソログであり、Aファミリーを形成します(6)。

#DNAポリメラーゼII: この酵素はDNAポリメラーゼI と同様な校正機能を持っていて、しかも忠実度(フィデリティー)が非常に高いので、DNAポリメラーゼIIIが正しいペア形成に失敗したときに修正する機能があるとされています。ラギング鎖のDNA合成を行なうとも言われています。DNAにクロスリンクができてしまったときの処理に働いているという説もあります。バックアップ用の酵素かもしれませんが、まだ未解明な部分が多いと思われます(7)。大腸菌のDNAポリメラーゼIIは古細菌から発見されたPol B1, Pol B3、真核生物の Polアルファ、Polデルタ、Polイプシロン、Polゼータなどとオルソログであり、Bファミリーを形成しています。細菌のDNA複製の主役はDNAポリメラーゼIII(Cファミリー)なのですが、古細菌や真核生物はこれを没にして、Bファミリーの酵素群を主役(複製用酵素)に抜擢しています。

#DNAポリメラーゼ III : トーマス・コーンバーグとマルコム・ゲフターによって1970年に報告されました。細胞増殖のために行われるDNAの複製を担う酵素としては、はじめて発見されたDNAポリメラーゼです。DNA合成を行うために他の多くの因子とDNAレプリソームという複合体を形成して働きます。3’→5’エキソヌクレアーゼ活性を持っており、校正機能があります(8)。DNAポリメラーゼIIのところで述べたように、この酵素ファミリー(Cファミリー)は古細菌や真核生物では用いられていません。細菌用の酵素として非常に完成度が高かったため、生物の進化に対応できなかった可能性があります。

#DNAポリメラーゼIV: DNA損傷乗り越え修復を行なう酵素です。DNA合成が途中で停止したような場合に大量に出現し、合成を完了させるための損傷乗り越え修復を行ないます。この酵素を欠損する株では、DNAの損傷をひきおこすような薬剤を投与した場合に、突然変異の確率が高まることが知られています(9)。

#DNAポリメラーゼV: DNAポリメラーゼIVと同様、DNA損傷乗り越え修復を行ないます。IVと共にYファミリーを形成し、古細菌や真核生物にも多くのオルソログが存在する大ファミリーです。Yファミリーの酵素は、忠実度を低くすることによって、鋳型(テンプレート)が損傷を受けてもDNA合成を継続させるのが仕事なのですが、それでも損傷を受けた鋳型に対して、正しい対面ヌクレオチドを選択するに超したことはありません。従って受けた損傷の形に応じて使う酵素を変えて、より正確な複製を行うために種類が増えたのかもしれませ(10)。

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

真核生物の場合

#DNAポリメラーゼアルファ(α): プライメースと複合体を形成して、DNA合成をスタートさせる役割を担っています。プライマーの末端3'OHからDNA鎖を延長していきますが、20ヌクレオチドあるいはそれ以内の鎖を合成したところで、デルタやイプシロンと交代します(11)。エキソヌクレアーゼ活性を持っておらず、校正機能が無いため、デルタやイプシロンほど正確な複製ができません。BファミリーのDNAポリメラーゼです。

#DNAポリメラーゼベータ(β): 塩基除去修復に必要とされている酵素です。DNAポリメラーゼラムダやDNAポリメラーゼミューと同じXファミリーに所属します(12)。しかしラムダやミューはベータとは別の役割を果たしているようです(12)。細菌のDNAポリメラーゼXは研究が進んでいないようです。

#DNAポリメラーゼガンマ(γ): ミトコンドリアに存在し、ミトコンドリアのDNA複製に関与すると考えられています(13)。大腸菌のDNAポリメラーゼ I と同じAファミリーに所属しています。ミトコンドリアは活性酸素が多い環境なので、DNAはダメージを受けやすく、この酵素が校正機能を持っていることには大きなメリットがあります。

#DNAポリメラーゼデルタ(δ): DNAを複製および修復するときに用いられます。以前はラギング鎖のみ複製すると考えられていましたが、リーディング鎖の複製も行っているようです(14)。Bファミリーに所属し、校正機能を持っています。δと次のεは真核生物にとってDNA複製における主役を張る酵素といえます。

#DNAポリメラーゼイプシロン(ε): DNAを複製および修復するときに用いられます。主にリーディング鎖の複製を行っていると考えられますが、これはデルタで代用できるようです。しかしそれ以外に、2重鎖になっているDNAをほどいてルーズな状態に変化させるDNAヘリカーゼ(ヘリケース)を活性化する機能があり、これによって複製フォークが形成されるようで、こちらの機能は代替不可だそうです(15)。Bファミリーに所属し、校正機能を持っています。

#DNAポリメラーゼ ラムダ(λ)&ミュー(μ): DNAの2本鎖が両方とも切れたときの修復(非相同末端結合)に使われるようです。また相同組み換えにも使われるようですが、まだ詳しく研究されていないようです(16)。いずれもXファミリーに所属しています。

#DNAポリメラーゼ イオタ(ι)、エータ(η)、ゼータ(ζ)、& カッパ(κ): いずれもこのセクションで取り上げたDNA乗り越え修復に関与する酵素です。エータのようにチミンダイマーの対面をきちんとAAに修復できるエラーレスの酵素もあれば、エラーの確率が高い酵素もあります。ゼータはBファミリーですが、他の3つはYファミリーに所属します。他にも特殊な酵素がいくつかありますが、ここでは述べません。文献(16-17)などを参照してください。

 

参照

1)J. J. Weigle, Induction of mutations in a bacterial virus, Proc. Natl. Acad. Sci. USA vol. 39, pp. 628-636  (1953)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC1063835/pdf/pnas01592-0060.pdf
2)生物学茶話@渋めのダージリンはいかが49: DNA修復1
https://morph.way-nifty.com/lecture/2016/11/post-455d.html
3)Reuven NB, Arad G, Maor-Shoshani A, Livneh Z., The mutagenesis protein UmuC is a DNA polymerase activated by UmuD', RecA, and SSB and is specialized for translesion replication., J Biol Chem. vol. 274(45): pp. 31763-31766. (1999)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/10542196
4)Mengjia Tang et al., UmuD′2C is an error-prone DNA polymerase, Escherichia coli pol V. Proc Natl Acad Sci U S A.  vol. 96(16): pp. 8919–8924. (1999)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC17708/
5)Myron F. Goodman and Roger Woodgate, Translesion DNA Polymerases., Cold Spring Harb Perspect Biol doi: 10.1101/cshperspect.a010363 (2013)
6)Wikipedia: DNA polymerase I,  https://en.wikipedia.org/wiki/DNA polymerase I
7)Wikipedia: DNA polymerase II,  https://en.wikipedia.org/wiki/DNA polymerase II
8)Wikipedia: DNA polymerase III,  holoenzymehttps://en.wikipedia.org/wiki/DNA polymerase III holoenzyme
9)Wikipedia: DNA polymerase IV,  https://en.wikipedia.org/wiki/DNA polymerase IV
10)Wikipedia: DNA polymrase V,  https://en.wikipedia.org/wiki/DNA polymerase V
11)L. Pellegrini, The Pol alpha -primase complex. Subcell Biochem. vol. 62, pp. 157-169 (2012)
12)10. J. Yamtich and J.B. Sweasy, DNA polymerase family X: function, structure, and cellular roles., Biochim Biophys Acta. vol.1804, pp.1136-1150 (2010)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/19631767
13)R. Krasich1, W.C. Copeland, DNA polymerases in the mitochondria: A critical review of the evidence. Frontiers in Bioscience, Landmark, 22, pp.692-709 (2017)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/27814640
14)R.E. Johnson, R. Klassen, L. Prakash, and S. Prakash, A Major Role of DNA Polymerase δ in Replication of Both the Leading and Lagging DNA Strands., Mol. Cell. vol. 59, pp.163–175. doi:10.1016/j.molcel.2015.05.038. PMC 4517859Freely accessible. PMID 26145172
15)T. Handa et al., DNA polymerization-independent functions of DNA polymerase epsilon in assembly and progression of the replisome in fission yeast., Mol Biol Cell, vol.23, pp.3240-3253 (2012), doi: 10.1091/mbc.E12-05-0339
https://www.bio.sci.osaka-u.ac.jp/newinfo/info72.html
16)道津貫太郎、横井雅幸、花岡文雄、立体構造解析から見えてきた損傷乗り越えDNA複製の分子メカニズム. 放射線生物研究 vol. 46,pp. 1~14 (2011)
file:///C:/Users/User/AppData/Local/Microsoft/Windows/INetCache/IE/C8FQEO1U/sys_information_20120419145418-0629667827EFC1B364A7195B0E15E6FE7C89611DC470359C2E08D0B029287E1A.pdf
17)S. Doublie and K.E. Zahn, Structural insights into eukaryotic DNA replication. Frontiers in Microbiology. vol.5, pp.1~34 (2014)

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49.DNA修復 I

 DNAはヌクレオチドがフォスフォジエステル結合を介して連結されていますが(図49-1)、このヌクレオチド同士の結合は化学的には非常に安定で、加熱・酸・アルカリなどそれぞれの単独処理ではほぼ壊れない強固な結合です。ジフェニルアミン法でのDNAの化学的定量の際には過塩素酸の存在下でボイルして分解・染色します(1)。
 しかし加熱・酸・アルカリには安定でも、生体内にはDNAを切断・分解する酵素が存在するので安泰とは言えません。化石のDNAが分解されるのは、主として微生物の酵素によってです。また有機塩基は糖鎖やリン酸と比べると化学的に不安定で、加水分解でアミノ基がアンモニアとなってはずれてしまったり、塩基全体が糖からはずれてしまったり、アルキル化・酸化によって構造が変わったりします。これらの化学反応は酵素がなくても進行します。またDNAを合成する際に、間違った塩基(GCまたはATというペアを形成しない)が取り込まれてしまうこともあります。

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図49-1 DNAの基本ユニット(ヌクレオチド)はフォスフォジエステル結合によってポリマーを形成している

 細胞が本来維持している環境の中でのエラーやダメージ以外にも、外界の放射線や紫外線によって発生するダメージも深刻です。生物は太古の昔から、このようなさまざまな要因によるDNAの損傷を修復するべく知恵をしぼってきました。もちろんDNAの変異が進化をもたらしたことは事実ですが、毎日起きているDNAの損傷は桁違いで、ウィキペディアによると「DNAの損傷は、細胞内における正常な代謝の過程でも1細胞につき1日あたり5万回~50万回の頻度で発生する」(2)となっています。
 たった1ヶ所の変異によって、その部分の遺伝子情報によって作られている蛋白質の機能がゼロになったり、発がんの原因になったりすることもあります。ですから生物は様々なDNAの救急システム=DNA損傷修復の機能を持っているわけですが、それ以外にも私たちの体を見てみると、生きている細胞が普段露出しているのは角膜と乳頭くらいで、あとは皮膚表層の死細胞が紫外線から生きている細胞を保護しています。またヒト以外の動物では皮膚に加えて毛皮や甲冑で保護している場合が多くみかけられます。
 生物がまだ水中で生活していた頃は、水によって放射線や紫外線が遮蔽されるので、内因的な損傷だけを修復すればよかったのですが、陸に上がったとたんに外界から激しい損傷をうけることになるので、浅瀬で暮らしている時代に十分な準備をしておかないと、上陸は不可能だったでしょう。これは陸地を歩ける足を準備するのと同じくらい進化の上で重要な段取りだったと思われます。
 さて2015年度のノーベル化学賞は、リンダール(1938~)・モドリッチ(1946~)・サンジャール(1946~)の3人が授与されました(図49-2)。彼らは皆それぞれ別の様式のDNA修復に関する研究で受賞しました(3)。彼らが発見した3種類のDNA修復は、大腸菌(原核生物)もヒト(真核生物)も、関与する因子の名前こそ違いますが、様式は基本的に同じで、おそらく10億年以上保存されてきたメカニズムだと思われます。生物は深海の熱水噴出口周辺で生まれたと思われますが、細菌はかなり早くから浅い海や地上で生きていたに違いありません。ですから彼らは優秀なDNA修復機構を太古の時代から持っていて、その後長い間海中で生活することになった真核生物も、彼らの業績を引き継いでいたということになります。

 

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図49-2 2015ノーベル化学賞を受賞した3人

 ノーベル賞を受賞した3人の科学者達の業績をたどってDNA修復の機構をみていきましょう。まずトマス・リンダールは塩基除去修復(base excision repair)という様式を発見しました(4)。例えばグアニン(G)が酸化されて8-オキソグアニン(G*)に化学変化したとします(図49-3)。

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 まずこの異常な部位にグリコシラーゼがやってきて、異常な塩基である8-オキソグアニンと糖の結合を切断して、8-オキソグアニンを遊離させます。そうするとDNAに塩基のない空白部分(APサイト、apurinic apyrimidinic site)ができます(図49-4)。この状態を認識するAPエンドヌクレアーゼというDNA分解酵素がやってきて、AP部位のDNAを切断します(図49-4)。
 DNAを切断する酵素を大きく分けると、一番端から順次内部に切っていく(鎖を短くしていく)酵素群をエキソヌクレアーゼ(exonuclease)と、鎖の内部を切断する酵素群(APエンドヌクレアーゼ AP endonuclease のように特定の部位だけ切断するものから、非特異的に滅多切りするものまでいろいろあります)があります。前者のエキソヌクレアーゼがAPエンドヌクレアーゼで切断されたDNAの断端をみつけて、ひとつヌクレオチドを切り離します(図49-4)。このエキソヌクレアーゼはヌクレオチドひとつ分だけしか切りません。


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図49-4 塩基除去修復(base excision repair)

 ヌクレオチドが切り離されると、専門のDNAポリメラーゼ(真核生物だとDNAポリメラーゼベータ)がやってきて、鋳型に対応するヌクレオチドをひとつ3’OHに結合させます。例によってDNAポリメラーゼはこれを5’P と結合させることはできないので、DNAリガーゼがやってきて結合し、元のDNAへの修復が完成します(図49-4、右下端)。
 次はアシス・サンジャールですが、彼はヌクレオチド除去修復(nucleotide excision repair)のメカニズムを解明しました(5、6)。彼はトルコでの裕福な医師生活を捨てて米国で勉強をやり直し、テクニシャンからはじめて、朝9時から深夜3時まで働くというハードワークで成功した人物です。
  ヌクレオチド除去修復は、主にDNAが紫外線によって損傷を受けた場合に発動します。PDBjの記述を引用しますと「夏がやってくると、みんな外に出て日光浴を楽しむ。しかし日よけクリームを忘れてはいけない、なぜなら過剰な日光が細胞に害を与えるからである。少量の日光はビタミンDをつくるのに必要だが、大量の日光はDNAに危害を加える。その主要因は日光に含まれる紫外線である。その中で最もエネルギーが高く有害な紫外光の波長は、UVCと呼ばれており、大気上層のオゾンによって遮蔽されている(少なくとも今のところは)。ところがUVA、UVBと呼ばれているより弱い紫外光は、大気を通り抜けDNAに化学的な変化を起こすのに十分な強度を持ってやってくる」(7)。このような紫外線がDNAに照射されると、DNAの塩基配列上でチミンが二つ並んでいるところで、チミンダイマーが形成されます(図49-5)。

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図49-5 紫外線によるチミン2量体(チミンダイマー)の形成

 チミンダイマーが形成されると、周辺のDNAにひずみが発生します。これをUvrA+UvrBの複合蛋白質が認識し、ATPのエネルギーを使ってチミンダイマー周辺のDNAを変形させて塩基同士の結合をひきはがします(図49-6-2)。するとそこにUvrCがやってきて、チミンダイマーの両側でDNAを切断します(図49-6-3)。切断されるのはチミンダイマーの隣接部位ではなく、多少の余裕をみて数ヌクレオチド離れた場所で切断されます。チミンダイマーを含む単鎖DNAは遊離し、DNAにギャップが形成されます(図49-6-4)。この比較的広いギャップは、DNAヘリカーゼ(ヘリケース)によってDNAポリメラーゼがアクセスできるように立体構造が整形され、真核生物の場合DNAポリメラーゼイプシロン(ε、リーディング鎖の複製を行なう酵素)によってDNA合成が行われ埋められます(図49-6-5)。最後にDNAリガーゼによってDNAが連結されて修復が完了します(図49-6-6)。

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図49-6 ヌクレオチド除去修復

 ヌクレオチド除去修復に関連した因子が正常に機能しない場合、色素性乾皮症(xeroderma pigmuntosum)という生命に関わる重要な病気が発生することがあります。この病気は遺伝性(常染色体劣性遺伝)で、患者さんは太陽に当たると癌が発生する危険性が普通の人の数千倍高いので、一生暗い部屋で、外出するときは皮膚をすべて被うという気の毒な生活をしなければなりません。指定難病であり、日本でも数百名の患者さんがいます(8)。
 最後はモドリッチですが、その前に一つ述べておかなければならないのは、すべての生物がDNAの複製に用いている酵素であるDNAポリメラーゼは種類も多くありますが、すべて100%正確にG・C、A・Tのルール通りのDNA合成が可能かというとそうではありません。確率は低いですがエラーが発生して、例えば図49-7のようにGの対面が誤ってTになったとします。このエラーを放置すると、もう一度細胞分裂が起こった場合、Tの対面はAになって、ずっと先の世代まで間違ったDNAが引き継がれることになります。このようなエラーの修復法をモドリッチが解明しました(9、10)。ミスマッチ修復と呼ばれています。

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図49-7 ミスマッチ修復

 ミスマッチが発生した場合、図49-7-1のようにMutSαというタンパク質がその位置を検出し、結合するとともにATPを使って構造変化を起こしてMutLαと結合します(図49-7-2)。MutLαはDNAに断点をいれる酵素(エンドヌクレアーゼ)で、ミスマッチの両側にNick(断点)をつくります(図49-7-3)。次にExo1という断点から5→3の方向に順次DNAを分解していく酵素(エキソヌクレアーゼ)が、もうひとつの断点までDNAを分解しギャップをつくります(図49-7-4)。真核生物の場合このギャップは主にDNAポリメラーゼデルタがDNA合成を行うことによって埋められます(図49-7-5)。そして最後はDNAリガーゼが 3'OH と 5'P を連結して修復は完了します。

 

参照

1)慶應義塾大学 自然科学研究教育センター DNAの抽出と同定
http://www.sci.keio.ac.jp/eduproject/practice/biology/detail.php?eid=00012
2)ウィキペディア: DNA修復
3)The Nobel Prize in Chemistry 2015
https://www.nobelprize.org/prizes/chemistry/2015/summary/
4)Tomas Lindahl, Instability and decay of the primary structure of DNA. Nature vol.362, pp.709-715 (1993)
5)Kara Rogers, Britannica: Aziz Sancar Turkish-American biochemist. (2019)
https://www.britannica.com/biography/Aziz-Sancar
6)Sancar, A. and Rupp, W. D., A Novel Repair Enzyme: UVRABC Excision Nuclease of Escherichia coli Cuts a DNA Strand on Both Sides of the Damaged Region, Cell vol. 33, pp. 249–260 (1983)
7)Protein data bank japan, チミン2量体  https://pdbj.org/mom/91
8)難病情報センター 色素性乾皮症(指定難病159)
http://www.nanbyou.or.jp/entry/112
8)Ravi R. Iyer, Anna Pluciennik, Vickers Burdett, and Paul L. Modrich, DNA Mismatch Repair: Functions and Mechanisms. Chem. Rev., vol. 106,  pp. 302–323 (2006)
http://pubs.acs.org/doi/abs/10.1021/cr0404794
9)Lahue, R. S, Au, K. G. and Modrich, P., DNA Mismatch Correction in a Defined System, Science, vol. 245, pp. 160–164 (1989)

 

 

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48.岡崎フラグメント

 岡崎令治氏(1930~1975)は20世紀の分子生物学の爆発的進歩に、太平洋戦争の敗戦後間もない日本(名古屋大学)で、日本人として最大の貢献を果たした科学者だと思います。広島に原爆が落とされたときに爆心地近傍で被曝されたとのことで、白血病で若くして亡くなりました(1、図48-1)。

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図48-1 岡崎令治

 奥様の恒子氏も科学者かつ共同研究者で、「岡崎フラグメントと私」という一文を生命誌ジャーナルに寄稿されています(2)。発見時の状況や苦労した点などを含めて記述されているので、DNAの複製に興味のある方は一読をお勧めします。もう少しアカデミックな記載としては、やはり岡崎恒子氏の「不連続複製機構を紡いだ日々」(3)という文献が、いまはなき「蛋白質・核酸・酵素」という雑誌のバックナンバーに残されています。
 生物は(ウィルスも生物だとすれば)一部のウィルスを除いて、すべて図48-2のようなレプリケーションフォークを作ってDNAを複製します。ラジオオートグラフィーなどで巨視的に見れば、DNAはY型のレプリケーションフォークを形成しつつ、両鎖が同時に複製されるようにみえるわけです。そこで図48-2Aのように複製が行われるのであれば簡単なのですが、ひとつ問題があって、プライマーの5'P末端側からDNAを伸ばしていくDNAポリメラーゼがさっぱりみつからないのです。DNAポリメラーゼはどうも3'OH を起点として5’→3’の方向にしかしかDNA合成を行えないとしか考えられません。
 そこで岡崎らは図48-2Bのような複製様式を考えて(当時はプライマーの存在はわかっていなかったので、緑の線は後の知識を加えて描いたものです)、1966年に放射性チミジンが1000~2000ヌクレオチドの短いDNAの鎖(後に岡崎フラグメントと呼ばれることになる)に取り込まれることを発表しました(4)。つまり微視的にみれば、片側の鎖は逆方向に短い鎖として複製され、あとでつながるという方式です。二股に分かれる部分が左方に移動した分だけの短いDNAが漸次複製されるというわけです。

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図48-2 DNAが合成される方向

A:3’→5’と5’→3’の双方向の合成ができると考えた場合

B:5’→3’の方向にしか合成できないと考えた場合

 しかし複製中のDNAを集めて単鎖に変性させると、多量のプライマーや岡崎フラグメントが採取できるかというと、そういうわけにはいきません。プライマーはどんどん分解され、DNAはどんどん接続されるので、無傷のプライマーや岡崎フラグメントは本当にわずかな量がわずかな時間にだけ存在するのです。
 ここで救いの神となったのはDNAを接続する酵素であるDNAリガーゼの発見者であるリチャードソン(C. C. Richardson) で、彼は岡崎研にリガーゼが温度感受性となっているT4ファージの株をプレゼントしてくれたのです。その株で実験してみると、リガーゼが働かない高温条件だと、予想通りじゃんじゃん大量の岡崎フラグメントが発生し、温度を下げるとそれらはつながることが証明されました(5)。岡崎らはさらに両鎖とも5’→3’方向に鎖の伸長が進むことを示しました(6)。
 あとひとつ解決しなければならないことは、最初に不連続複製のモデルを提出した頃にはわかっていなかったプライマーの問題なのですが、ここにいきつくまでに令治氏は他界し、恒子氏率いるグループに課題は残されました。1979年に至って恒子氏のグループはプライマーRNAの構造を解明し(7)、図48-3のようなDNA不連続複製の全貌が明らかとなりました。すなわちリーディング鎖ではDNAの複製は連続的に行われ、ラギング鎖では逐次プライマーと岡崎フラグメント(a, b, c 等)が形成される逆方向の不連続複製が行われるということになりました。

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図48-3 岡崎フラグメント

 DNAの2本の鎖はそれぞれ別の様式で複製されるため、3’末端から複製される鎖はリーディング鎖、5’末端から複製される鎖はラギング鎖と名付けられました。ラギング鎖においては、リーディング鎖とはことなり、逆方向から岡崎フラグメント(a, b , c) をつくりながら複製が行われます。逆方向とは言っても、鋳型(テンプレート)が逆方向なわけで、DNAを合成する方向としてはどちらも 3’OH を起点として5’→3’方向に進んでいるのです。
 図48-3の状態からさらにプライマー(緑)を取り去り、できたギャップを埋め、DNA鎖を接続するという作業が必要になります。これは概略図48-4のように行われます。図48-4におけるDNAの塩基配列は説明のために記載した任意のものであり、実際の配列とは関係ありません。
 私はこれまで岡崎令治氏は早逝されたのでノーベル賞を受賞できなかったと思っていたのですが、この文章を書くに当たっていくつかの文献にあたっているうちに、いろいろ難癖をつけられた岡崎フラグメントをさまざまな実験で世に認めさせるとともに、DNA合成の基本的なメカニズムを明らかにした功績から言えば、岡崎恒子氏の貢献が非常に大きかったのではないかと思いました。そういう意味では岡崎恒子氏がノーベル賞を受賞しても全く不思議ではないとの確信を得ました。

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図48-4 DNA合成:岡崎フラグメント形成後の詳細

1.岡崎フラグメント(矢印青)がDNAポリメラーゼによって伸長されるとプライマー(緑)の 5'P 側とぶつかります。DNAポリメラーゼは伸長DNA端の 3'OH とこの P を結合させることはできないので、ニック(切れ目)を生じたままそこで反応を停止します。

2.RNase HなどによってプライマーRNAが分解されますが、RNase Hはリボースとリボースの結合しか切れないので、リボースとデオキシリボースが結合している最後の1ヌクレオチド(緑のドット)は処理できません。

3.最後の1ヌクレオチドは 5'P 側からリボースとデオキシリボースの結合を切るヌクレアーゼが作用して、もとプライマーがあった部分が完全なギャップとなります。

4.このギャップはDNAポリメラーゼによって埋められますが(哺乳類の場合DNAポリメラーゼデルタ)、DNAポリメラーゼは 3'OH を認識してそこにヌクレオチドをくっつけていく酵素なので、赤矢印右端の 3'OH を既存の 5'P と接続することはできません。したがってニックができることになります。

5.このニックはDNAリガーゼ(英語ではライゲース)によって接続され、岡崎フラグメントは解消されて、ラギング鎖の新生DNAは連結されます。

6.そしてプライメースによってプライマーがつくられ、そこからDNAが合成され、1のステップにもどります。この1~6のステップを繰り返すことによって、ラギング鎖のDNA複製が行われます。

 もうひとつここでふれておきたいことがあります。DNAリガーゼは1967年に  ワイス(Bernard Weiss)とリチャードソン(Charles Clifton Richardson)によって発見された、DNAの断点(ニック)を接続したり、DNA同士を連結させる酵素です。 彼らについては米国版も含めてウィキペディアへの記載もありませんでした。DNAを合成する酵素、DNAを切断する酵素については数人がノーベル賞を受賞していますが、DNA合成のキーエンザイムであり、かつ遺伝子工学で頻繁に用いられるDNAを結合させる酵素=DNAリガーゼについては候補にもあがらないというのは不可解です。

 

参照

1)名古屋大学 Tsuneko & Reiji Okazaki Award
http://www.itbm.nagoya-u.ac.jp/okazaki_award/home_jp.html
2)「岡崎フラグメントと私」岡崎恒子、生命誌ジャーナル vol.9、no.3、pp.24-29 (2001)
http://brh.co.jp/s_library/interview/32/
3)「不連続複製機構を紡いだ日々」岡崎恒子、蛋白質核酸酵素 vol.48, no.6, pp.718-726 (2003)
http://lifesciencedb.jp/dbsearch/Literature/get_pne_cgpdf.php?year=2003&number=4806&file=usD0LKftXwfjSwF9ietppw==
4)K.Sakabe and R. Okazaki, A unique property of the replicating region of chromosomal DNA. Biochim Biophys Acta. vol.129, pp.651-654 (1966)
5)R Okazaki, T Okazaki, K Sakabe, K Sugimoto, and A Sugino, Mechanism of DNA chain growth. I. Possible discontinuity and unusual secondary structure of newly synthesized chains. Proc. Natl. Acad. Sci. USA, vol.59, pp.598-605 (1968)
6)T. Okazaki and R. Okazaki, Mechanism of DNA chain growth, IV. Direction of synthesis of T4 short DNA chains as revealed by exonuleolytic degradation. Proc. Natl. Acad. Sci. USA, vol.64, pp.1242-1248 (1969)
7)T. Okazaki et al., Structure and Metabolism of the RNA Primer in the Discontinuous Replication of Prokaryotic DNA. Cold Spring Harb Symp (1979)

 

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2020年1月17日 (金)

47.DNAの複製機構

 「43.DNAの半保存的複製」のところで、1956年にアーサー・コーンバーグがDNAの複製に関わる酵素DNAポリメラーゼを発見したことを述べました。世紀の大発見で、早くも1959年には彼にノーベル賞が授与されたくらいです。ところがそれから10年経った1969年、DNAポリメラーゼ活性を失った大腸菌の変異株を分離したという驚天動地の報告が Nature 誌に発表されました(1)。これはアーサー・コーンバーグの酵素がなくても大腸菌は増殖できることを意味します。大ピンチに陥ったアーサー・コーンバーグでしたが、その後始末は息子のトーマス・コーンバーグや、共同研究者のマルコム・ゲフター、広田幸敬(1930~1986)らによって迅速に行われました。
 ゲフターとトーマス・コーンバーグはすぐに、大腸菌抽出液中にアーサーが発見した酵素( pol I ) 以外に2種類のDNA合成酵素があることを発見し、それらを精製して pol II, pol III と命名しました。当時広田はDNA合成に関する温度感受性変異株を多数分離しており、ゲフターとトーマスは広田との共同研究によって、それらの温度感受性変異株と pol I のダブルミュータントを解析しました。そうすると pol II はどの株でも正常でしたが、ある株で pol III が強い温度感受性を示しました。この株では pol III が高温によって変性してしまったために、DNAが複製できなくなったのです(2)。このことは pol III がDNA複製を担う酵素であることを強く示唆しましたが、この酵素単独では複製能力が低く、DNAの複製はそんなに簡単にいくものではない、すなわち未知因子がかかわっていることも示唆されました。
 閑話休題、トーマス・コーンバーグはチェリストでもあり、著名なピアニストのエマニュエル・アックスとベートーヴェンのチェロソナタを見事に演奏している様子が YouTube にアップされています(3)。私は広田幸敬先生の講義を聴いたことがあります。気さくで親しみやすい方との印象でした。「大腸菌の性因子に関する研究が、ちょっとした時間差でジャコブの手柄になって非常に残念だった」というようなことを話されていたことを記憶しています。若くして亡くなられたのは誠に残念でした。
 さて、ではDNA複製にどんな因子がかかわっているのでしょうか? この後アーサー・コーンバーグ研究室のすさまじい逆襲がはじまりました。多くの有能な若手研究者や学生を集めて、毎月複数の論文が出版されるほどの精力的な研究が進められました。しかもジェラルド・ハーウィッツの研究室も同じテーマに参戦してきました。
 彼らはまず試験管内無細胞系のDNA合成システムを完成させました。温度感受性変異株は高温下ではこのシステムでも当然DNA合成はできません。これに正常株の抽出液を加えるとDNA合成は回復します。そこで正常株の抽出液をクロマトグラフィーなどによって幾つかの画分に分け、どの画分を加えると回復するか調べます(相補性テスト)。これを繰り返すことによって画分に含まれる成分は減少し、最終的にある精製された1種のタンパク質を加えると回復するということが判明します。別の株で同様な操作を行うと、また別種のDNA合成にかかわるタンパク質が精製されます。このような相補性テストで次々と精製されたタンパク質はそれぞれ DnaX (X は任意のアルファベット)という名前が付けられ、それぞれの機能が解明されていきました。
 なぜそんなに多くの因子が必要かということを考える前に、とりあえずDNAポリメラーゼができることを図47-1に示します。DNAポリメラーゼは2重鎖と1重鎖の両方を部分を持つDNAにしかアクセスできません。しかも短い方の鎖(プライマー)の 3'OH が2重鎖の末端でない方に露出している必要があります(図47-1)。
 プライマーの3'OH末端、 鋳型(テンプレート)DNA、そしてデオキシヌクレオシド3リン酸が存在したとき、DNAポリメラーゼはデオキシヌクレオシド3リン酸からピロリン酸を切り離し、鋳型DNAに適合したデオキシヌクレオシド1リン酸の5'Pを3'OH末端に結合させて、DNAの鎖長をのばすことができます。これ以外のことはできません。鎖長を連続的に延長させるためには、もちろん基質となる dATP、dTTP、dGTP、dCTP の4種のデオキシヌクレオシド3リン酸が必要です。

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図47-1 DNAポリメラーゼが実行する反応 プライマー、テンプレート、基質(4種のデオキシヌクレオシド3リン酸)が必要

 ですから2重鎖だけのDNAや1重鎖だけのDNAがあってもこの酵素はDNA合成はできません。実際細胞内にはそのようなDNAがまま存在するので(たとえば放射線で2重鎖切断が起きた場合や、ウィルスが感染した場合)、意味のない、あるいは有害なDNAをどんどん増やさないために、DNAポリメラーゼの機能が厳しく制約されていることには生理的意義があります。ただDNAの損傷修復に用いられるDNAポリメラーゼの中には、そのような制約を受けないものもあるようです。
 図47-1ではDNAになっていますが、実際にはプライマーは(驚くべきことに)通常RNAです。ですからプライマーをつくるプライメースはRNAポリメラーゼの1種です。RNAポリメラーゼは一般的にプライマーを必要としない酵素です。ですからプライマーのない1本鎖のDNAだけではどうすることもできないDNAポリメラーゼに代わって部分的な2本鎖(DNA・RNAの部分的ハイブリッド)をつくることができます。
 DNAの複製は DnaX タンパク質群やさまざまな酵素などのお膳立てや後始末があって、はじめて可能になります。コーンバーグらが研究を続けていくと、pol III 以外の多くの種類のタンパク質や酵素がDNA合成にかかわっていることがわかってきました。DNAポリメラーゼIII (pol III) 自体も、現在では多くのタンパク質が結合したDNAポリメラーゼⅢホロ酵素のかたちで、DNA複製を実行することがわかっています(3、図47-2)。図47-2で pol III (コア酵素)は α と表示されています。あるいはα+ε+θがコア酵素という考え方もできます。図47-2をみると、コア酵素2つをくっつける機能を持ったサブユニットの存在が示されており、変則的なダイマーとしてこの酵素が機能することが示唆されています。これら以外にもβというやや独立的なサブユニットが反応進行にかかわっています。DNAポリメラーゼIIIホロ酵素はDNAを複製するだけでなく、AT、GC以外の誤ったペアを合成した場合、それらを削除して複製し直すという校正機能も持っています。より詳細な反応機構を知りたい方は文献(4)などを参照して下さい。なおここで取り扱っているのは大腸菌の酵素の話であり、真核生物については後述する予定です。


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図47-2 DNAポリメラーゼIIIホロ酵素

 DNAは通常2重らせん構造をとっているので、DNAポリメラーゼがそのままアクセスすることは不可能です。ですからまずDNAの鎖をほどいて1本鎖の塩基側を露出させ、かつ酵素がアクセスするに十分なスペースをつくらなければいけません。

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図47-3 大腸菌DNAの複製

 DNAはある決まった位置から複製が開始されます。開始位置領域には oriC という名前がつけられ、そこに大腸菌の場合8つの DnaAタンパク質の結合部位(TTATCCACAなど)が存在し、ここにDnaAが結合することによって、周辺に存在するATリッチな部分の2重ラセンをほどき、DnaBタンパク質とDnaCタンパク質がアクセスできるようにします。DnaB (ヘリカーゼ) とDnaCは協力してDNAの単鎖構造を安定化させ、DNA複製のお膳立てをします(5、図47-3)。
 こうして作られた ”アクセス可能な部位” にDNA複製酵素がやってきて、すぐに複製を開始するかというと、そのような生物は見つかってなくて、ほとんどの生物ではまずプライマーという短いRNA(生物によってはDNA)がRNAポリメラーゼによって作成され、そこを起点としてようやくDNA複製が開始されます(図47-1)。大腸菌の場合、まず塩基の数にして11±1のRNAフラグメント(プライマー)がプライメース(primase)という1種のRNAポリメラーゼによって作成され、その3’末からDNA複製がはじまります。
  プライマーのRNAフラグメントは後に別の酵素によって取り除かれます。この別の酵素というのが RNaseH やアーサー・コーンバーグが発見したDNAポリメラーゼ I(pol I)だとされています。このときには pol I はRNAを分解する酵素としても働くという2面性を持った特異な酵素です。そうして取り除かれたあとの空白をDNAで埋め戻し、最後に残された5'Pと3'OHの断点をDNAリガーゼ(DNA ligase)で接続してようやくDNA複製は完了します(5-6)。DNAの合成はDNA複製のときだけではなく、DNAがダメージをうけたときにも行われます。アーサー・コーンバーグの酵素はそのような際にはDNAポリメラーゼとしても作用します。
 大腸菌の場合ゲノムはサーキュラーで複製開始点はひとつですが(図47-3)、真核生物ではゲノムはリニアで多数の複製開始点があります(図47-4)。酵母で複製開始点を同定したデータをみますと、一定間隔であるわけでもないし、いっせいに複製が開始されるわけでもないようです(7)。DNA複製が行われている部分のことを replication bubble とか replication eye などと呼ぶことがあります。

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図47-4 真核生物のレプリケーションアイ

 

参照

1)Paul de Lucia, John Cairns, Isolation of an E.Coli strain with a mutation affecting DNA polymerase. Nature vol.224, pp.1164-1166 (1969)
2)Malcolm L. Gefter, Yukinori Hirota, Thomas Kornberg, James A. Wechsler, and C. Barnoux. Analysis of DNA Polymerases II and III in Mutants of Escherichia coli Thermosensitive for DNA Synthesis. Proc Natl Acad Sci U S A. vol.68, pp.3150-3153 (1971)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC389610/
3)Wikipedia: DNA polymerase III holoenzyme, 
https://en.wikipedia.org/wiki/DNA_polymerase_III_holoenzyme
4)Cell, The DNA Polymerase III Holoenzyme
https://www.cell.com/fulltext/S0092-86740100400-7
5)Molecular Biology of the Gene. 7th edn., J.D.Watson et al., Cold Spring Harbor Laboratory Press (2008)
6)福岡大学教育資料 DNA複製
http://www.sc.fukuoka-u.ac.jp/~bc1/Biochem/replicat.htm
7)大阪大学大学院升方研究室 研究紹介
http://www.bio.sci.osaka-u.ac.jp/bio_web/lab_page/masukata/research/index.html

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2020年1月16日 (木)

46.リボソーム

 mRNA、tRNA、リボソームなどは生命現象を維持するために必須のアイテムであり、細菌からヒトまですべての生物が持っているものです。これらを使ってタンパク質合成を行うというやり方をはずれた生物は1種もみつかっていないので、地球上の生命体はすべて同じルーツという考え方には説得力があります。
 リボソームの話に入る前に、生化学者にとっては今でも大切な細胞分画法について述べましょう。真核生物の細胞内には核・ミトコンドリア・葉緑体・ミクロソーム・リボソーム・リソソーム・細胞骨格など不溶性の構造体が数多く含まれます。これらをそれぞれ分離して集め、構造と機能の解析を行うことは生化学の基本です。

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図46-1 ホモジェナイザー(1、Wheaton 社の製品) 先端のテフロン部分が円柱状になっているものはダウンス型、球状のタイプはポッター型。棒状の部分(ペスル)はステンレス製。

 細胞をまず図46-1のようなホモジェナイザーを使って壊します。ガラス容器の中に細胞懸濁液を入れ、その中に先端にテフロンブロックのついたペスルを差し込んで、回転させたり上下ピストン運動をくりかえしたりして細胞を壊します。ミキサーのように刃物で壊すと目的の構造体が破壊されたり、DNAや細胞骨格が寸断されたりしてあまりよい結果が得られません。
 ガラス容器とテフロンの間にわずかな隙間があり、細胞のサイズや堅さに応じて、その隙間の幅を変えて使います。ガラスとテフロンの膨張率は異なるので、通常4℃で隙間の幅は設定されています。軟組織を壊して、細胞を壊さず分離するような目的にも用いられます。そのときにはもちろん隙間は大きくとることになります。
 ホモジェナイザーで作成した細胞破壊液を遠心分離機にかけて、沈殿と上清にわけ、沈殿を採取した後、上清をさらに強い遠心力を使って沈殿と上清にわけるというのを繰り返すやりかたで、さまざまな細胞内構造体を分離するのが細胞分画法で、アルベール・クロード(1899~1983)が創始した方法です(2、図46-2)。遠心力の強さ(+遠心時間の長さ)によって、沈殿してくる細胞内構造体は変わります(図46-2)。たとえば1000Gでは核は沈殿しますが、ミトコンドリアは上清にあります。しかし2万Gをかけるとミトコンドリアも沈殿します。


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図46-2 細胞分画法

 リボソームは細胞分画法で得たミクロソーム画分にあります。図46-2では8万Gで遠心分離した沈殿の画分です。ジョージ・パラディー(1912~2008)は1955年に出版した論文で、電子顕微鏡を用いてリボソームを観察し、それがミクロソーム(エンドプラズミック・レティキュラム=ER)に結合していることを報告しました(3)。

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図46-3 切手の図柄に採用されたジョージ・パラディー

 パラディーはルーマニア人ですが、米国ロックフェラー研究所のアルベール・クロード研究室のポストドクとなり、クロードが開発した「生物を電子顕微鏡で観察する手法」を発展させました。母国では切手になりました(図46-3)。アルベール・クロードとジョージ・パラディーの師弟2人は、リソソームの発見者であるクリスチャン・ド・デューブと共に1974年度のノーベル医学生理学賞を受賞しました(4)。
 リボソームはタンパク質を製造する工場であり、巨大なRNAと多数のタンパク質の集合体です。直径が20~30nmくらいあるので、容易に電子顕微鏡で粒子として見ることができます(3)。リボソームは分子としては非常に巨大で、例えば真核生物では分子量420万というような値になるので、種類の違いやサブユニットの区別のためには通常沈降係数で表記されます。
 沈降係数S=Vt(沈降速度)/負荷された加速度、つまり遠心力を強くかけたときに沈降速度がどの程度増加するかという単位がS(スヴェドベリ)ということになります。細菌と真核生物のリボソームはいずれも鏡餅のように2つの分子集合体からなりますが、サイズや構造は微妙に異なっています(図46-4)。

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図46-4 真核生物と原核生物(細菌)のリボソーム

 例えば真核生物の60Sサブユニットは5.8S、5S、28Sの3種類のリボソームRNAと49種類のタンパク質で構成されています。他のサブユニットもすべてリボソームRNAとタンパク質の複合体です。ウィキペディアなどにでている立体構造の図などを見るとわかるように(5)、リボソームはリボソームRNA(rRNA)で構成された骨格に、さまざまなタンパク質が結合した複合体で、そのタンパク質の種類の多さからみても非常に複雑なメカニズムで稼働していることが想像されます。しかもタンパク質合成にかかわっているタンパク質はリボソームを構成しているもののみではなく、フリーのものもあります。分子生物学の定番教科書「Molecular  Biology of the Gene (Cold Spring Harbor Press)」  でも、リボソームにおけるタンパク質合成のメカニズムについて数十ページを費やしているくらい複雑で、ここですべて説明するのは無謀です。詳しく勉強したい方は上記の教科書を読むか、無料の論文なら参照(6)を推奨します。キーポイントだけ述べますと、リボソームはmRNAをトラップするサイトと、tRNAをトラップするサイトの2つのサイトがあります。さらに tRNA をトラップするサイトにはPサイトとAサイトという2種類のサイトがあります(図46-5)。

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図46-5 リボソーム上でタンパク質が合成される機構

 図46-5のPサイトにはポリペプチドを結合した tRNA がつながれています。Aサイトにはアミノ酸をひとつ持った tRNA がやってきて、Pサイトのポリペプチドの根元にあるCOOを攻撃して、ここにペプチド結合(CONH)を作ります(図46-5左)。
 その結果ポリペプチドはAサイトの tRNA に移行し、Pサイトの tRNA はフリーになってリボソームから離れます(図46-5右)。すなわちポリペプチドの長さは1アミノ酸分だけ長くなります。そしてこの延長されたポリペプチドを持ったAサイトの tRNA はPサイトに移行し、mRNAも1コドン分移動します。そしてまたAサイトに新たな tRNA がトラップされます。この反応をアニメ化したものがウィキペディア「リボソーム」の項目の最後にあります(7)。ちょっとコマ送りが早いですが、よくみるとポリペプチドの合成の様子をわかりやすく表現しています。

参照

1)日本ジェネティックス ホモジナイザー ポッター型 https://www.n-genetics.com/products/search/detail.html?product_id=4524
2)Albert Claude, The constiturion of protoplasm.  Science vol. 97,  pp. 451-456 (1943)
https://www.ganino.com/games/Science/science%20magazine%201940-1957/root/data/Science_1940-1957/pdf/1943_v097_n2525/p2525_0451.pdf
3)George E. Palade, Small particulate component of the cytoplasm. J.Biophysc. and Biochem. Cytol. vol. 1,  pp. 59-68 (1955)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC2223592/pdf/59.pdf
4)The Nobel Prize in Physiology or Medicine 1974
https://www.nobelprize.org/prizes/medicine/1974/summary/
5)Wikipedia: Ribosome,  https://en.wikipedia.org/wiki/Ribosome
6)Dmitri Graifer and Galina Karpova, Interaction of tRNA with Eukaryotic Ribosome. Int J Mol Sci. vol.16 pp.7173?7194 (2015)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC4425011/
7)ウィキペディア: リボソーム

 

 

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45.トランスファーRNA(tRNA)

 DNAが遺伝情報の実体で、それが mRNA として読み取られるというところまできました。では mRNA が持っている情報は、どのようにタンパク質とつながっているのでしょうか。タンパク質はアミノ酸が連結したものなので、合成されるときにどのような順にアミノ酸が連結されるのかが重要です。これを解決するために生物はトランスファーRNA (tRNA)というギミックを生み出しました。mRNAからタンパク質をつくるプロセスを翻訳(translation)といいます。
 翻訳をきちんと行うためには、特定のアミノ酸と結合し、タンパク質合成工場であるリボソームまでそのアミノ酸を運んで、mRNA に指定された順にリボソームに送り込む物質が存在しなければいけません。
 ザメクニック(図45-1)らは、ラットの肝臓を使って試験管内無細胞系でタンパク質合成が行われる実験系を開発し、ATPの存在下で、各アミノ酸と結合する可溶性のRNAが存在することを証明しました(2)。このような重要な発見であるにもかかわらず、mRNAの場合と同様、tRNA の発見者にもノーベル賞は授与されませんでした。少なくとも、この研究の中心となったポール・ザメクニックには授与されるべきだったと思うのは私だけではありません(3)。

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図45-1 ポール・ザメクニック(1、Paul Zamecnik 1912~2009)

  とはいえ tRNA の構造を解明したロバート・ホリー(4、図45-2)には1968年にノーベル賞が授与されています。ロバート・ホリーらが研究を始めた頃には、すでにザメクニックらによって、各アミノ酸は tRNA 末端のアデノシンに結合することがわかっていたので、構造が異なる tRNA がアミノ酸の種類だけ存在すると想像できました。つまりアラニンにはアラニン専用の tRNA、リジンにはリジン専用の tRNA等々というわけです。ロバート・ホリーは第二次世界大戦中に、コーネル大学の大学院生の頃、はやくもペニシリンの化学合成にはじめて成功するなどの輝かしい業績を残しましたが、彼の最大の貢献はtRNAの化学構造解明でした。

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図45-2 ロバート・ホリー(Robert Holley)

 ホリーのグループはクレイグの向流分配法(5)を4年がかりでtRNAに最適化することによって、さまざまな tRNA を分離することに成功しました。彼らは特にうまく分離できたアラニン-tRNAをまず分析しました。140kgのパン酵母から1gの精製されたアラニン-tRNAを得るのに3年を要しました。1961年には、この tRNA は約80個のヌクレオチドが連結した単鎖であることがわかりました(6)。ホリーらの仕事は、本格的な構造決定作業の前に、7年もの準備作業を要したわけで、その間研究室(特に予算)を維持するのが大変だったことでしょう。
  彼らは精製したアラニン-tRNAをRNA分解酵素で切断してフラグメントをつくり、カラムクロマトグラフィーで各フラグメントを分離して、それぞれの構造を決定しました。そしてついに1965年にアラニン-tRNAの全構造を解明しました(7、図45-3)。すでに発表されいたRNAの2次構造に関する FRESCO-ALBERTS-DOTY モデルを参考にアラニン-tRNAの2次構造を描くと、美しいクローバーリーフ状の構造になりました。そしてその中央の葉の先端の3つの塩基がmRNAに対応することもわかりました。この3つの塩基はmRNAが指定するコドンの裏側の配列であり、アンチコドンと呼びます。その他のアミノ酸に対応する tRNA の構造も、その後次々と同様な方法で解明されました。
 tRNAの構造と機能が明らかになることによって、mRNAが持っている情報がいかにタンパク質に構造につながるのかが解明されました。なお図45-3のアラニンtRNAの構造についてはカール・メリルが若干の修正を行っています(8)。
  以前にDNAは2重らせん構造をとるのに対して、RNAは基本的に単鎖と書きましたが、RNAも短い2重鎖をつくることは可能で、特にtRNAの場合には顕著です。これによってtRNAは複雑な構造をとることが可能です。トランスファーRNAの一般的な構造を図45-4に示します。上方にアミノ酸の結合部位があります。下方の赤の部分のアンチコドンに対応したアミノ酸が結合します。おおざっぱには、2重鎖構造をとっている4本の幹と、単鎖の3つのループ、そして短い枝のような部分(γ 図45-4)からできています。

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図45-3 アラニン-tRNAの全構造

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図45-4 tRNAの模式図

 左側にDループ、右側にT(またはTΨC=TプサイC)ループがあり、これらの構造の違いによって、別々の酵素がそれぞれ固有のtRNAにアクセスし、適切なアミノ酸を結合させることができます。下方のAループ(アンチコドンアーム)にはアンチコドン領域があり、ここで mRNA のコドンを認識します。これについては後述します。

 ここでコドンのリストを見て下さい(図45-5)。

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図45-5 コドンのリスト

 DNA・mRNAは3つの塩基でアミノ酸を指定しており、4x4x4=64種類のアミノ酸に対応できますが、アミノ酸は20種類ほどしかなく、複数のコドンがひとつのアミノ酸に対応するようにせざるを得ません。
 たとえば左上のフェニルアラニン(Phe)の場合、UUUとUUCが対応します。ロイシン(Leu)の場合、UUA・UUG・CUU・CUC・CUA・CUG の6つのコドンが対応します。なかにはメチオニン(Met)やトリプトファン(Trp)のように、対応するコドンがひとつしかないものもあります。
 全体をみていくと、最初の2つの塩基は各アミノ酸に特異的であり、3つめはしばりがゆるくなっていることがわかります。コドンのなかにはアミノ酸を指定しないものが3つあり(UAA・UAG・UGA)、これらはここでタンパク質合成を停止せよというシグナルのストップコドンになっています。
 図45-6はtRNAのAループの先端のアンチコドン領域を示したものです。アンチコドンを形成する3つの塩基のうち2つは厳密なワトソン・クリック型の対応(AU・GC)なのですが、残りのひとつ(アンチコドン側からいえば1番目の塩基)はルーズになっており、たとえばイノシン(I)はA・U・G・Cのどれとも塩基対を形成できるので、GUA・GUU・GUG・GUCのコドンに対して、アンチコドンはIACの1種類で対応し、バリンが指定されます。
 このように生物はイノシンを用いるなどの巧妙な方法で厳密なワトソン・クリック型の塩基対を回避し、64種(ストップコドンを除けば61種)のコドンで20種のアミノ酸を指定するという難題を解決しているのです。

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図45-6 コドンとアンチコドンの対応

 酵母のフェニルアラニンtRNAの塩基配列を示します(図45-7)。tRNAはmRNAのようにA・U・G・Cだけからできているわけではなく、その他のいろいろな塩基を含んでいます。mはメチル化されていることを示します。数字はメチル化される場所を示します。Ψはシュードウリジンで、ウリジンとは構造が異なります(図45-8)。たとえばフェニルアラニンtRNAはバリンtRNAと間違えられると困るので、酵素が認識しやすいようにさまざまな修飾がほどこされていると考えられます。

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図45-7 フェニルアラニンtRNAの構造

 今までに知られたメチル化など修飾塩基の種類は100を超えているそうです(9)。22Gというのは2の位置にメチル基が2個ついているという意味です。遺伝暗号とtRNAの関係についてより詳しく知りたい方は文献(10)などを参照して下さい。いずれにしても64種のコドンで20種のアミノ酸を指定することと、特定のtRNAに特定のアミノ酸を正確に結合させるということは、生物がこの世に出現する上で非常に困難かつ重要なステップでした。

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図45-8 ウリジン(U)とシュードウリジン(Ψ)

 tRNAの 3'OH側の端は必ずCCAという塩基配列になっています(図45-7)。この一番端のAがついているリボースにアミノ酸が結合するわけです。ここにアミノ酸を結合させるためには、まずアミノ酸をアミノアシルAMPにしなければなりません。すなわちアミノ酸 NH2-R-COOH を NH2-R-CO-AMPという形にしなければなりません(アシル化とはR-COをくっつけること この場合Rはアミノ酸の種類の数だけ存在します)。この形になると以下の反応が可能となります。

NH2-R-CO-AMP+tRNA → NH2-R-CO-tRNA+AMP 
(アミノ酸-AMP + tRNA = アミノ酸-tRNA + AMP)

 この反応を触媒する酵素は、最低でもアミノ酸の種類の数だけ(20種類以上)存在し、例えばアラニンtRNAには必ずアラニンを結合させるようになっています。この酵素はアミノアシルtRNA合成酵素と呼ばれますが、核酸の持っている情報を使ってタンパク質を合成するというのはすべての生物がやっていることなので、どの生物でも各アミノ酸に対応して最低20種類はもっていなくてはいけません。これは無生物から生物が誕生する上で大きな壁で、ここを突破してはじめて生物なるものが登場し得たわけです。
 こうしてできたアミノ酸-tRNAがタンパク質製造工場であるリボソームに運ばれて、タンパク質が合成されます。その状況はウィキペディアでうまく表現されていたので、図45-9にコピペしておきます(11)。リボソームおよび翻訳機構(トランスレーション)についてはあらためて述べますが、とりあえずtRNA(図45-9ではTRNAと表記されています)がアミノ酸を運んできて、mRNAの指示通りの順にリボソーム内でアミノ酸を結合させ、アミノ酸を手放したtRNAはまたリボソームから去って行くというメカニズムだと理解できます。
  tRNAの3D立体構造については、例えば文献(12)などに美しいイラストが掲載されています。

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図45-9 アミノ酸が結合したtRNA(TRNA)はメッセンジャーRNAが指定した通りの順にリボソームにとりこまれ、タンパク質が合成される。

参照

1)Wikipedia: Paul Zamecnik,  https://en.wikipedia.org/wiki/Paul_Zamecnik
2)Mahlon B. Hoagland, Mary Louise, Stephenson, Jesse F. Scott, Liselotte I. Hecht, and Paul C. Zamecnik., A soluble ribonucleic acid intermedeate in protein synnthesis., J. Biol. Chem. vol.231, pp.241-257 (1958)
3)Thomas H. Maugh II, Dr.Paul Zamecnik dies at 96; scientist made two major discoveries.
http://www.latimes.com/nation/la-me-paul-zamecnik19-2009nov19-story.html
4)ウィキペディア: ロバート・W・ホリー
5)L.C. Craig., Partition Chromatography and Countercurrent Distribution., Anal. Chem. vol. 22, pp. 1346-1352 (1950),  https://doi.org/10.1021/ac60047a003
6)Holley R.W., Apgar J., Merrill S.H., Zubkoff P.L. Nucleotide and oligonucleotide compositions of the alanine-, valine-, and tyrosine-acceptorsoluble ribonucleic acids of yeast. J. Am. Chem. Soc., vol.83:pp.4861~4862 (1961)
http://pubs.acs.org/doi/abs/10.1021/ja01484a040)
7)Holley R.W. et al., Structure fo a ribonucleic acid., Science, vol.147, pp.1462-1465 (1965)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/14263761
8)Carl R. Merril, Reinvestigation of the primary structure of yeast alanine tRNA., Biopolyners vol.6, pp. 1727-1735 (1968) https://onlinelibrary.wiley.com/doi/abs/10.1002/bip.1968.360061207
9)Chem-Station, 核酸塩基は4つだけではない
https://www.chem-station.com/blog/2012/07/post-417.html
10)NS遺伝子研究室 遺伝暗号とアミノアシルtRNA
http://nsgene-lab.jp/expression/genetic_code/
11)Wikipedia: Ribosome,  https://en.wikipedia.org/wiki/Ribosome
12)M. Naganuma et al., The selective tRNA aminoacylation mechanism based on a single G・U pair., Nature. vol. 510(7506): pp. 507-11. (2014) doi: 10.1038/nature13440.
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/24919148

 



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44.メッセンジャーRNA

 1956年にエリオット・ヴォルキンとローレンス・アストラハン(Elliot Volkin and Lawrence Astrachan)は興味深い実験を行いました。彼らによると、T2ファージを大腸菌に感染させる実験の際に培地に入れた放射性のリンをとりこませて、その後RNAを分析すると、大部分のRNAには取り込まれないが、一部のRNAには顕著に取り込まれるという結果になりました(1)。その後彼らは研究を進めて、このリン酸をとりこんだRNAの寿命は極めて短く、かつファージのDNAと極めて塩基組成が似ていることを確認しました。
 野村眞康らはこのRNAがタンパク質製造工場の一部であるリボソームRNAやアミノ酸を運ぶトランスファーRNAとはサイズが異なり、マグネシウム濃度が高い場合はリボソームに結合しているが、マグネシウム濃度が低い場合は解離することを発見しました(2)。

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図44-1 シドニー・ブレンナー(Sydney Brenner1927~2019)とフランソワ・ジャコブ(François Jacob 1920~2013)

 シドニー・ブレナーとフランソワ・ジャコブ(図44-1)らは大腸菌をN15とC13の重い元素からなる培地で培養し、ファージに感染させてすぐ、N14とC12の軽い元素からなる培地に移しました。そうして作られたRNAを超遠心分析装置で調べました。そうすると半減期が16分で、軽い元素からなる新種のRNAが合成され、これは重い元素からなる安定なRNAが含まれるリボソームに結合することがわかりました。これこそがメッセンジャーRNA(mRNA)だったわけです(3)。
 前のセクションでDNAの半保存的複製を証明した実験を紹介しましたが、それを実行したメセルソンもこの実験に協力していました。彼ははこの実験を行うためにC13のガスをロシア(当時はソ連)からシビアな交渉を経て取り寄せ、炭酸ガスに変換したあと藻類に吸収させて、光合成によって大腸菌の培地に入れる素材を作ったそうです(4)。この実験で、メッセンジャーRNAの存在を証明したことは非常に重要だと思いますが、なぜかブレナーとジャコブは別件でノーベル賞を受賞し、メセルソンはすでに述べたメセルソン-スタールの実験でDNAの半保存的複製を証明したばかりか、メッセンジャーRNAの存在を証明したのにノーベル賞をもらえなかった・・・という気の毒な運命となりました。
 DNAに含まれる有機塩基A・G・C・Tは、T・C・G・Aという新たなDNAの鋳型になりますが、同時にU・C・G・AというmRNAの鋳型にもなり得ます。DNAが複製されるときはAの対面はT、mRNAがつくられるときはAの対面はUというわけです。チミン(T)とウラシル(U)は5の位置にメチル基がついているかついていないかだけの違いです(図44-2)。

442

図44-2 チミンとウラシル

 DNAとmRNAにはもうひとつ違いがあって、それは前者の骨格となる糖はデオキシリボースであり、後者はリボースであるということです。2の位置がHかOHかという違いです(図44-3 青丸がDNAに含まれるデオキシリボース2の位置のH、赤丸がmRNAに含まれるリボース2の位置のOH)。ウラシルはチミンより不安定、リボースはデオキシリボースより不安定という化学的特性があります。DNAが世代にわたって安定であるべきなのに対して、mRNAはDNAからその時に必要な情報を読み取るためのツールなわけですから、用が済めばすみやかに消滅することが望ましいのです。

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図44-3 DNAとmRNA

 シトシンはときどき何らかの理由でウラシルに変わってしまうことがあって、もしDNAの成分にウラシルがもともと含まれているとすると、DNAを修復するシステムが仕事を始めようとした際に、シトシンから変わったウラシルなのか、もとからあるウラシルなのか判別できず困ってしまいます。DNAにはウラシルがないと決まっていれば、問答無用にウラシルを除去してシトシンに変えれば良いのですから修復は可能です。このこともウラシルがDNAに含まれないことの理由と考えられます。
 DNAは特別な場合を除いて二重らせん構造をとっていますが、mRNAは上記のような構造上の違いで通常一重鎖となっています。mRNAが二重鎖になってしまうとリボソームに結合してタンパク質を合成することができなくなるので、一重鎖であることは重要です。

DNA → mRNA →  (リボソーム&トランスファーRNAと連携作業) → タンパク質

という基本的な情報の流れについての図式を描くことができます。後に詳述しますが、リボソームはタンパク質合成工場、トランスファーRNA(tRNA)はアミノ酸を運ぶ運搬体、mRNAはDNAからの情報の運搬体と、とりあえず理解しておいてください。
 DNAがDNAポリメラーゼという酵素によって複製されるように、mRNAはRNAポリメラーゼという酵素によってDNAから読み取られます。このことを転写(トランスクリプション)といいます。その状況を図44-4に示しました。DNAの二重らせんの一部がほどけて、そこからmRNAのリボンが伸びてくるというイメージです。伸びたmRNAのリボンはリボソームと結合してタンパク質合成に利用されます。細菌の場合はそうなのですが、真核生物の場合、mRNAは核で加工された後、細胞質に送り出され、細胞質でリボソームと結合してタンパク質合成を行います。

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図44-4 転写(トランスクリプション)

 図44-4は見てきたような話なのですが、1970年になって本当にそのような画像が電子顕微鏡によってキャッチされました(5-6、図44-5)。DNAの電子顕微鏡写真は特殊な方法によって撮影されますが、方法を開発した ミラー Jr. らの業績は素晴らしいと思います。

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図44-5 転写の電子顕微鏡写真 ウィキペディア(6)の写真に説明を加えました。

 これはまた後のセクションに出てきますが、DNAのすべてが遺伝子の情報で隙間無く満たされているわけではありません。実際には 中間部分-遺伝子-中間部分ー遺伝子という構造になっています。mRNAは遺伝子の部分にしか対応していないので、DNAのすべての部分に対応した mRNAが存在するわけではありません。しかし中間部分には遺伝子の発現を制御する領域などが含まれており、重要な部分も存在します。


参照

1)Volkin E and Astrachan L. Intracellular distribution of labeled ribonucleic acid after phage infection of Escherichia coli. Virology Volume 2, Issue 4, pp. 433-437 (1956)
2)Nomura M., Hall B.D. and Spiegelman S. Characterization of RNA synthesized in Escherichia coli after bacteriophage T2 infection.Journal of Molecular Biology vol.2(5), pp.306-326 (1960)
3)Brenner, S., Jacob, F., & Meselson, M. An Unstable Intermediate Carrying Information from Genes to Ribosomes for Protein Synthesis. Nature 190, pp.576-581 (1961).
4)Sick pages. https://sickpapes.tumblr.com/post/51016848003/brenner-s-jacob-f-and-meselson-m-1961-an
5)O. L. Miller Jr., Barbara A. Hamkalo, C. A. Thomas Jr., Visualization of Bacterial Genes in Action. Science, Vol. 169, Issue 3943, pp. 392-395 (1970)
http://science.sciencemag.org/content/169/3943/392.full.pdf+html
6)Wikipedia: Transcription(Biology)  https://en.wikipedia.org/wiki/Transcription_(biology)



 

 

 

 

 

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43.DNAの半保存的複製

Photo_20200116132201  ワトソン-クリック式DNAモデルをもう一度別の観点で図43-1(1)に示します。

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図43-1 DNAの化学構造

 中央にATおよびGCの塩基対があり、両側にデオキシリボースがリン酸で連結された鎖(バックボーン)があります。この鎖の端の構造をみると、左側の鎖の上端はデオキシリボースの5の位置にリン酸がつながった形で終了し、右側の鎖の上端はデオキシリボースの3の位置に結合したOHで終了しています。そして下端は左鎖は3-OH、右鎖は5-リン酸で終了しています。つまり鎖には方向性があり、両鎖の向きは逆になっています。 5-リン酸で終わっている方を5’エンド(ファイブプライムエンド)、3-OHで終わっている方を3’エンド(スリープライムエンド)といいます。DNAは二重らせんの立体構造をとっていますが(1、図43-2)、しめ縄とは少し違って、ひと巻きごとに太い溝(major groove)と細い溝(minor groove)が交互に出現します。つまり二回り分がひとつのユニットとなって積み重なったような構造になっています。 
 5-リン酸で終わっている方を5’エンド(ファイブプライムエンド)、3-OHで終わっている方を3’エンド(スリープライムエンド)といいます。DNAは二重らせんの立体構造をとっていますが(1、図43-2)、しめ縄とは少し違って、ひと巻きごとに太い溝(major groove)と細い溝(minor groove)が交互に出現します。つまり二回り分がひとつのユニットとなって積み重なったような構造になっています。

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図43-2 DNAの3次元構造モデルにはメジャーグルーヴ(太い黄色のバー)とマイナーグルーヴ(細い黄色のバー)が交互に出現する。

 DNA二重鎖の内側部分の塩基が、必ずA-T、G-Cのペアで構成されているということは、遺伝にとっては好都合です。Aの相方Tが細胞分裂で生き別れとなっても、またAが相方Tを見つければ元の遺伝情報が保存されることが期待できます。

  DNAを合成する酵素は1956年にアーサー・コーンバーグ(2、図43-3)によって発見されました(3)。

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図42-3 アーサー・コーンバーグ Arthur Kornberg(1918~2007)

 DNAを合成する酵素は1956年にアーサー・コーンバーグ(2、図43-3)によって発見されました(3)。この酵素は

ヌクレオシド3リン酸 + DNA(n) → ピロリン酸 + DNA(n+1)  

n:鎖の長さ

という反応を触媒します。DNAの末端にある3’OHがヌクレオシド3リン酸にアタックしてピロリン酸を解離させ、残ったヌクレオシド1リン酸を3’OHに結合させるわけです。これによってDNAの鎖は1ヌクレオチド分だけ長くなり、繰り返しによってさらに長い鎖をつくることができます。この酵素の発見によってコーンバーグは1959年度のノーベル医学・生理学賞を授与されました。酵素の名前は DNAポリメラーゼ(DNA polymerase) ということになりました。
 ワトソン・クリックが受賞したのは1962年ですから、アーサー・コーンバーグの場合異常に早く受賞したことがわかります。ただ残念なことにコーンバーグの発見した酵素は、大腸菌のゲノムを複製する機能を持つ酵素ではなく、DNAに発生したエラーを修復する酵素だったのです。ゲノムを複製するメインの酵素は1972年になってから、彼の次男のトーマス・コーンバーグと共同研究者のマルコム・ゲフターによって発見されました(4)。本来なら親子でノーベル賞をもらうべきだったかもしれません。ちなみに長男のロジャー・コーンバーグは RNA polymerase の研究でノーベル化学賞を受賞しています。DNAの複製については別稿で詳述します。ここではメセルソンとスタールの歴史的な実験についてだけ延べておきます。
 A-T、G-C塩基対の構造をもう一度みてみると(図43-4)、NとNまたはNとOとの間に水素原子がはさまれています。このような化学結合を水素結合といいます。この化学結合をはがすために必要なエネルギーは、N-H・・・Oの場合8KJ(キロジュール)/モル、N-H・・・Nの場合13KJ/モルで(1)、共有結合の場合と比べて1~2桁くらい小さなエネルギーでひきはがせる弱い結合です。例えば水分子のHとOをはがすには、463KJ/モルのエネルギーが必要です(5)。

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図43-4 アデニンとチミン、グアニンとシトシンの結合

 弱い力で二本の鎖が結合しているのなら、何かジッパーのような機構でDNAの二重らせんがはがされて一重となり、そこからまた相方のらせんが合成されて二重になることが証明されれば、非常に都合良く遺伝情報の複製が説明できます。このアイデアはロマンティックですが証明されなければなりません。
 DNAの複製の様式には3つの可能性が考えられます(図43-5)。ひとつは分散型。両方の鎖に親由来の素材と新しい素材が併存する二重らせんが2本形成されることになります(図43-5A)。半保存的複製では、すべて親由来の素材でできている単鎖とすべて新しい素材でできている単鎖がまきついてできた二重らせんが2本形成されることになります(図43-5B)。最後に保存的複製では、両鎖とも親由来のものと、両鎖とも新素材のものとの2重らせんが形成されます(図43-5C)。

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図43-5 DNA複製様式の3つの可能性

分散型
半保存型
保存型

 メセルソンとスタールは大腸菌をN15(重い窒素)の培地とN14(普通の窒素)の培地でそれぞれ培養します(6、7、図43-6)。それぞれのフラスコから大腸菌を集めDNAの重さを遠心分離で測定すると、N15の培地で育てた場合は茶色で、N14の培地で育てた場合はオレンジ色で表してありますが、当然N15の場合の方が重くて下に沈みます。N14の場合は軽いので上の方の画分に浮いています。
 N15の培地で育てた大腸菌を、N14の培地に移して、20分で1回細胞分裂を行うような条件で培養します。20分経過した大腸菌のDNAを分析すると、茶色の位置とオレンジの位置の中間の重さ(密度=densityで測定)の位置(赤)にひとつのバンドが現れました。この結果、親由来のDNAのみでできている茶色のバンドがないことが判ったので、保存的複製ではあり得ません。保存的複製だと茶色のバンドとオレンジのバンドが両方出現するはずです。
 次に細胞分裂が2回終了する40分が経過してからDNAを分析すると、中間の位置のもの(赤)が50%、軽い位置のもの(オレンジ)が50%になりました(図43-6)。分散型の複製なら、すべてのDNAは同じ重さ(密度)のはずなので、このように2本のバンドができることはあり得ません。

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図43-6 メセルソンとスタールの実験

 

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図43-7 半保存的複製が行われた場合の遠心分析の結果

 半保存的複製と考えると、図43-7に示すように2回細胞分裂が起こった場合、重いDNAと軽いDNAが1:1の二重鎖が2本と、軽いDNAのみの二重鎖が2本できるので、図43-6の実験の結果をうまく説明できます。分散型複製あるいは保存的複製では、このような実験結果にはなりません。前者ではどんな場合もバンドは1本、後者では1回分裂では重いDNA1本と軽いDNA1本で2つのバンドができます。半保存型だと1回分裂では1本(中間の重さ)、2回分裂では中間と軽いが同じ量の2本のバンドとなるはずです。実際に実験結果はそうなりました(図43-7)。
 このような結果から、メセルソンとスタールはDNAの複製は半保存的に行われると結論しました。そしてジッパーの役割はDNAポリメラーゼ( DNA polymerase )が果たすということになりますが、実際のメカニズムはDNAポリメラーゼ以外にも多くの因子が関与していて、これについてはいずれ稿を改めて述べます。メセルソンとスタールの実験結果は、DNAの構造が相補的な二重らせんであることとよく符合します。細胞が分裂するときには、DNAの2本鎖が1本鎖にわかれ、それぞれが相方のDNAの「鋳型」になることによって遺伝情報の複製が行われると考えると、細胞増殖や遺伝という現象がうまく説明できます。

参照

1)ウィキペディア: 二重らせん
2)Wikipedia: Arthur Kornberg,  https://en.wikipedia.org/wiki/Arthur_Kornberg
3)Arthur Kornberg. The biologic synthesis of deoxyribonucleic acid, Nobel Lecture, December 11, (1959)
http://www.nobelprize.org/nobel_prizes/medicine/laureates/1959/kornberg-lecture.pdf
4)Kornberg T, Gefter ML. Deoxyribonucleic acid synthesis in cell-free extracts. IV. Purification and catalytic properties of deoxyribonucleic acid polymerase III.,  J. Biol. Chem. vol. 247 (17): pp.5369-5375 (1972)
5)学びの館 共有結合と化学エネルギー
http://mh.rgr.jp/memo/mq0110.htm
6)Wikipedia: Meselson–Stahl experiment,  https://en.wikipedia.org/wiki/Meselson%E2%80%93Stahl_experiment
7)Matthew Meselson & F. W. Stahl. "The Replication of DNA in Escherichia coli",Proc Natl Acad Sci USA,Vol.44,p.671-682 (1958)
https://en.wikipedia.org/wiki/Meselson%E2%80%93Stahl_experiment

 

 

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42.二重らせん

 アーウィン・シャルガフ(1、図42-1)は現在のウクライナで生まれたユダヤ人です。ベルリン大学で研究をしていましたが、ナチの台頭でフランスに逃れ、さらにニューヨークのコロンビア大学に職を得て、40年間勤めました。

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図42-1 アーウィン・シャルガフ Erwin Chargaff(1905~2002)

  シャルガフはもともと核酸の研究者ではありませんでしたが、1944年に発表されたエイヴリーの論文の結論「遺伝物質はDNAである」(41.遺伝を担う物質は何か?)に「筆舌に尽くしがたい衝撃」を受け、それまでやっていた研究を全部やめて核酸の研究にのめりこんでいきました(2)。発表された当初、多くの研究者がエイヴリーの論文に衝撃を受けたというわけではなく、シャルガフによればほとんどの科学者が関心を持たなかったそうです。それは彼の言葉によれば「みな権力の回廊で自らのコマ廻しに忙しすぎたので見逃してしまったから」ということになりますが(2)、当時の知識では、DNAの種特異性がわかっていなかったので、あまり重要なことではないとみんな注目しなかったのでしょう。

 シャルガフにとって幸運だったのは、ちょうど1944年にペーパー・クロマトグラフィーという分析技術が報告され、DNAに含まれる4種の有機塩基をきれいに分離することができるようになった上に、同時期に紫外線分光光度計が売り出され、各塩基の検出も簡単にできるようになったことです。シャルガフと共同研究者達はこれらの先進的な技術を使って、様々な生物のアデニン(A)・グアニン(G)・シトシン(C)・チミン(T)の量を測定し、それらの比率が同じ種の生物の組織・器官では同じですが、別の種では様々に異なることを示しました(図42-2)。これは当時主流であったエイヴリーのテトラヌクレオチド仮説の理論には相反するものでした。しかし彼はさらに研究を進めて1950年に、

「A=T、G=C、しかし A=G=C=Tではない」

という驚くべき法則を発表しました(3)。

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図42-2 様々な生物のDNA組成

 図42-2が示すように、生物種によってA・G・C・Tの割合はまちまちですが、AとTの比率およびGとCの比率は極めて1に近いということがわかりました。シャルガフもこの驚くべき結果を論文に書くのは怖くて迷いに迷い、結局校正の段階でやっと決断して追加したそうです。この発表は主にDNAの構造をX線解析によって研究していた人々の注目を集め、実際シャルガフは英国のウィルキンスをはじめ何人かの研究者にDNAのサンプルを譲渡したそうです(2)。
 シャルガフは1952年に英国のケンブリッジ大学に行って、ジェームス・ワトソンとフランシス・クリック(図42-3 ウィキペディアより・・・リンク切れ)にこの法則について説明したそうですが、その時の詳しいいきさつは文献(2)に詳述してあります。ワトソンの著書にもこのことは書いてあって、シャルガフの法則はDNAの分子モデルを考える際に大いに参考になったと思われます。シャルガフはこの時に二人かららせん構造についての話しを聞いていたのですが、彼はDNAの特異性に関してはトポロジーが重要だとは思っていたものの、らせん構造については余り興味を持たなかったようです。
 シャルガフはAとT、およびCとGが構造的に隣接しているという考え方を以前にしていたことがあるが、それは廃棄したとこの会談で述べたことを記してします(2)。その廃棄した理由が、文献2の説明では私にはよくわかりませんでした。ワトソンとクリックも廃棄するに足る十分な理由はないと考えたと思います。

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図42-3 ワトソン(1928~)とクリック(1914~2004)

 結局この会談はシャルガフが、ワトソンとクリックはふたりとも化学のど素人だと判定した段階でうまくいかず、気まずく終わったようです。シャルガフがヨーロッパを訪問したもっと重要な用はパリでの国際会議で、そこではハーシーとチェイスがDNAが遺伝物質であるという決定的な証拠を示し、いよいよDNAが分子生物学の主戦場となることが明らかになりました。
 その頃英国ではDNAの構造研究の中心は、ワトソンとクリックがいたケンブリッジ大学ではなく、ロンドン大学のモーリス・ウィルキンス(1914~2004)の研究室でした。ところがそこでは若手研究者だったロザリンド・フランクリン(1920~1958)とボスのウィルキンスが激しく仲違いをして、プロジェクトがうまくいっていませんでした。
 その間隙を縫ってワトソンとクリックはDNAの3重らせんモデルを考案し、フランクリンに見てもらったのですが、リン酸がらせんの内側にあると水分子を置くスペースがなくなると即座に否定され、彼女におもちゃを使って遊んでいるバカ者共という印象を与えてしまったのです。これでふたりはDNAの研究から手を引かされるという羽目に陥りました(4)。
 しかし二人にとって、ここで思わぬ幸運が舞い込んできました。それは1953年に当時生体物質の構造化学では第一人者であるライナス・ポーリング(1901~1994)が、二人が考案したものに近い、しかし間違った3重らせん構造のモデルを提出したことでした。しかも彼のモデルではリン酸基がイオン化しておらず、それじゃあ核酸は酸じゃないのかというおまけまでついていて、これでワトソンとクリックは俄然勢いづきました。
 彼らはロンドン大学のグループにもう一度らせん構造を考えてみようと説得に行き、ウィルキンスにフランクリンの学生であるゴスリングのX線回折写真を見せてもらうことに成功しました。それはまさしくらせん構造を示す回折像だったのです(4)。ところがこれはフランクリンの許可を得ていなかったため、後に問題になりました。ウィルキンスに写真をみせる権限があったことはわかりますが、フェアーなやり方とは言えません。またフランクリンが書いた非公開の年次レポートを、閲覧する権限のあるペルーツが部下のクリックに渡したとされており(6)、これもさらにフェアーとは言えません。ただこのようなことは研究の世界では日常茶飯事であることもまた事実です。
  ワトソンはアデニンとチミン、グアニンとシトシンがそれぞれペアで存在するために可能な構造を示し(図42-4)、それを見たクリックは2本の鎖が逆向きの2重らせんの構造をすぐに思いついたそうです(図42-5)。このモデルは直ちに Nature 誌に投稿され、受理されました(7)。
 ワトソン・クリック・ウィルキンスは、「核酸の分子構造および生体における情報伝達に対するその意義の発見」に対して、1962年にノーベル生理学・医学賞を受賞しました。ロザリンド・フランクリンは1958年に37才の若さで亡くなっていたので、受賞対象にはなりませんでした。ワトソンとクリックにしてみれば、フランクリンは執拗にDNAのモデル構築に反対して、まるで自分たちの仕事が妨害されたように見えたでしょうし、フランクリンにしてみれば荒唐無稽なモデルをもてあそんでいる彼らとまともにつきあう必要はないと考えたというのもうなづけます。ただフランクリン(ゴスリング)の写真を見なければ正しい分子モデルはできなかったはずで、DNAの二重らせんモデルはこの3人に等しく栄誉が与えられるべきだったと思います。

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図42-4 アデニン(A)とチミン(T)、グアニン(G)とシトシン(C)がそれぞれペアで存在するために可能な構造

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図42-5 DNAの二重らせん構造

 2本のポリヌクレオチド鎖が逆向き、すなわち端がPかOHかで逆向きの平行に配向し、右巻きの二重らせん形態をとります。2本のポリヌクレオチド鎖は、相補的な塩基(ATまたはGC)対の水素結合を介して結合しています。
 塩基の相補性とは、A、T、G、C、の4種の塩基うち、1種を決めればそれと水素結合で結ばれるもう1種も決まる性質です。A:T間の水素結合は2個、CG:C間は3個であり(図42-4)、AT間の結合に比べて、GC間の結合の方がより安定です。
 二重らせん構造のDNAの長さを表現するため、たとえば10個のヌクレオチド鎖2本からなるDNAは10bp(ベースペア)という表現をします。
 ロザリンド・フランクリンの業績については友人のアンネ・セイヤーが1975年に本を出版しており(8、図42-6)、最近ではきちんと評価されています。また最初に鮮明なDNAのX線回折写真を撮影したレイモンド・ゴスリング(1926~2015)は、当時博士課程の学生だったので蚊帳の外になってしまいましたが、その後も素晴らしい写真を撮影して、大いにDNAの分子モデルの作成に貢献しており、本当は彼もノーベル賞をもらうべきだったのかもしれません。


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図42-6 Rosalind Franklin and DNA, written by Anne Sayre

 

参照

1)Wikipedia: Erwin Chargaff,  https://en.wikipedia.org/wiki/Erwin_Chargaff
2)アーウィン・シャルガフ著 村上陽一郎訳「ヘラクレイトスの火 (Heraclitean Fire)」  岩波書店 (1990)
3)Chargaff, Erwin; Chemical specificitiy of nucleic acids and mechanism of their enzymatic degradation. Experientia vol.6, pp.201-209 (1950)
4)James D. Watson and Andrew Berry 著, 日本語訳 青木薫.,  DNA: The secret of Life., Arrow Books, 講談社(2004)
5)ウィキペディア: ロザリンド・フランクリン
6)Wikipedia: Rosalind Franklin,  https://en.wikipedia.org/wiki/Rosalind_Franklin
7)J.D. Watson and F.H.C. Crick: Molecular structure of deoxypentose ribonucleic acids. Nature vol.171, pp.737-738 (1953)
http://www.nature.com/nature/dna50/watsoncrick.pdf
8) Rosalind Franklin and DNA, written by Anne Sayre, W.W. Norton New York and London (1975)

 

 

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41.遺伝情報を担う物質は何か?

 フレデリック・グリフィス(1、図41-1)は第一次世界大戦中に設立された英国保健衛生省の病理学研究室で研究を行っていました。彼の仕事は多くの患者から肺炎菌を集めて培養し、分類を行うことでした。写真嫌いだったそうで、図41-1はイヌ好きの彼が散歩途中のショットで貴重な1枚のようです。、大変慎重な人で、一生涯 「Almighty God is in no hurry - why should I be?」 という主義を貫いたそうです。

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図41-1 フレデリック・グリフィス(1879-1941)

 この仕事を進めているうちに、グリフィスは菌の種類・株によって、ホストの免疫機構に対する耐性が大きく異なることに気がつきました。細菌のなかには細胞壁(セルウォール)の外側に莢膜(カプセル)というオーバーコートをかぶっているものがあり、これらの菌は感染した際に、ホストの免疫機構によって排除されにくいのです。この理由としてカプセルの主成分である多糖類がタンパク質に比べて抗体との反応が弱いということがあげられますが、その他にもカプセルをもつ細菌は、白血球やマクロファージに食べられにくいという性質があります。
 カプセルを持つ菌はヒス染色(ゲンチャナバイオレットという色素で染色する方法)という方法で識別できます。カプセルを持っている場合、菌体は強く紫色に染色され、そのまわりでピンク色で囲まれているような感じに染色されます(2)。
 肺炎菌のR株(図41-2青)はカプセルを持たず病原性がありませんが、S株(図41-2赤)はカプセルを持っており病原性があります。S株は熱処理によって病原性を失いますが、この熱処理したS株と非病原性のR株を同時にマウスに投与すると、意外にも病原性が復活してマウスは死亡しました。グリフィスは死んだS株の形質転換因子(transforming principle) がR株の形質を転換し(transform)、病原性を与えたと説明しました(3、4)。この形質転換因子こそDNAだということが後にわかるのですが、当時その実体は全くわかりませんでした。

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図41-2 肺炎菌における形質転換実験


 形質転換のメカニズムを解明しないまま、グリフィスはナチス・ドイツによる1841年のロンドン・ブリッツ(ロンドン大空襲)によって不慮の死をとげてしまいました。彼が実験室で爆撃を受けたという説がありますが、後に調査の結果、自宅に居たときの空爆で死亡したということになったそうです。1941年のランセット誌5月3日号には死亡記事(5)が掲載されています。同じページに、彼の同僚で著名な細菌学者のウィリアム・スコットも空爆で死亡したという記事が掲載されています。

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図41-3 オズワルド・エイヴリー (1877-1955)

 グリフィスが残した課題はオズワルド・エイヴリー(図41-3)によって引き継がれました。彼はグリフィスが言う形質転換の原因は細菌がまわりの環境から遺伝物質をとりこむことができるからだと考えました。
 そこでS菌の細胞を破壊し、内容物をタンパク質分解酵素で処理してR菌の培養液に加えました。するとこの処理が無効だったことがわかり、タンパク質は形質転換に関与していないことが示唆されました。ところがDNA分解酵素で処理すると、R菌は形質転換を起こさなかったのです。これはDNAが形質転換に関与していることを強く示唆しました(6)。
  この論文が発表されたのは1944年ですからエイヴリーはすでに67才でした。しかも太平洋戦争の真っ最中です。日本ではほとんどの学術雑誌が休刊していましたが、米国では発行されていて、しかもこのような重要な基礎研究の論文が発表されていたということです。私はこれは国力の違いもありますが、さらに文化の違いもあると思います。科学の振興が民族・国家さらには人類にとって決定的に重要だということは、現在の日本人にも浸透していないと思います。とは言っても、当時は「DNAが遺伝物質かも」なんて考えている人は極めて少数だったので、エイヴリーの実験結果もそれほど注目されるには至りませんでした。
  ハーシーとチェイス(7、8、図41-4)は大腸菌に感染するT2ファージ(ある種のウィルス)を使って実験しました。このときチェイスはまだ博士号を取得していませんでしたが、共同研究者の扱いになっています。T2ファージはタンパク質とDNAだけからなっており、大腸菌に感染すると菌内で増殖して、菌細胞を破壊して外界に出て、また大腸菌に感染するというライフサイクルを行います。ですから子孫をつくるための情報はタンパク質かDNAのどちらかが持っているはずです。

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図41-4 
左:アルフレッド・ハーシー(1908~1997) 右:マーサ:チェイス(1927~2003)

 彼らが以下のような実験(9)をしてみようと思ったきっかけは、トーマス・アンダーソンが撮影したT2ファージが足で細菌の表面に付着している電子顕微鏡写真をみたことだそうです(10)。
 彼らはまずシャーレAの培地に放射性のリン(P32を含むオルトリン酸)を加え、もうひとつのシャーレBには放射性の硫黄(S35を含む硫酸マグネシウム)を加えてT2ファージと大腸菌を培養します。それらからP32を含むファージ(図41-5グリーン)とS35を含むファージ(図41-5レッド)を分離します。殻の中のDNAは硫黄を含まず、殻などのファージのタンパク質はリンを含まないので、右側のファージはDNAが放射性Pを含み(グリーン)、左側のファージはタンパク質が放射性Sを含んでいます(レッド)。それぞれを大腸菌に加えて感染させます(図41-5)。ファージは宇宙船のカプセルが着地するように細菌にくっついて、自らの遺伝物質を注射器のような装置を使って細菌に注入します。
 感染したタイミングを見計らって、培養液をブレンダーに入れて激しく攪拌し、ファージを菌体から引きはがします。次に遠心分離法によってファージと菌体を分離します。上清がファージで沈殿が菌体というかたちで分離できます(図41-5の最下段)。

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図41-5 ハーシーとチェイスの実験 赤:タンパク質の放射性標識 緑:核酸の放射性標識

 そうして沈殿から回収された菌体に含まれる放射性物質を検査するとそれはP32(グリーン)で、S35(レッド)は含まれていませんでした。S35はファージがいる上清にありました。すなわち遺伝情報の担い手はDNAであり、タンパク質ではないことが示されました(11)。この研究はエイヴリーが提唱していた<<DNAが遺伝情報の担い手である>>という説を強くサポートするものであり、この研究などによってハーシーは1969年にノーベル医学生理学賞を授与されています。一方チェイスは離婚や痴呆症のため、後半生はよい人生を送ることができなかったようです。
  ウィルスによって被害を受けるのは細菌だけではなく、哺乳動物なども被害を受けるわけですが、哺乳動物に感染するウィルスはT2ファージのようにDNAを細胞に注入するというような方法ではなく、細胞に吸着したあと、そのまま細胞に食べられる(ファゴサイトーシス)というような形で取り込まれるとか、ウィルスの外殻と細胞膜が融合して、ウィルスの中身が細胞内にはき出されるとかさまざまな形で細胞に侵入します。ウィルスがホストの細胞に侵入するメカニズムは、現代医学においても重要な研究課題です。

参照

1)ウィキペディア: フレデリック・グリフィス
2)武藤化学 ヒス莢膜染色キット
https://www.mutokagaku.com/products_search/bacteriology_hiss/item_1899
3) Frederick Griffith, THE SIGNIFICANCE OF PNEUMOCOCCAL TYPES. Journal of Hygiene,  vol.XXVII,  pp.113-157,  (1928)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC2167760/
4)Wikipedia: Griffith's experiment,  https://en.wikipedia.org/wiki/Griffith%27s_experiment
5)Obituary, The Lancet vol.237, no.6140, pp.588-589, (1941)   http://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0140673600951742
file:///C:/Users/User/AppData/Local/Microsoft/Windows/INetCache/IE/CFQW7HJS/1-s2.0-S0140673600951742-main.pdf
6)Oswald T. Avery, Colin M. MacLeod, and Maclyn McCarty, Studies on the chemical nat;ure of the substance inducing transformation of pneumococcal types.
Journal of Experimental Medicine vol.79, no.2, pp.137-158, 1944)   https://profiles.nlm.nih.gov/CC/A/A/B/Y/_/ccaaby.pdf
7)Wikipedia: Alfred Hershey,  https://en.wikipedia.org/wiki/Alfred_Hershey
8)Wikipedia: Martha Chase,  https://en.wikipedia.org/wiki/Martha_Chase
9)Wikipedia: Hershey–Chase experiment,  https://en.wikipedia.org/wiki/Hershey%E2%80%93Chase_experiment
10)file:///C:/Users/User/AppData/Local/Microsoft/Windows/INetCache/IE/PVA09UPG/0420.pdf
11)A. D. Hershey and M. Chase:Independent functions of viral protein and nucleic acid in growth of bacteriophage.  The Journal of General Physiology, vol.36, pp.39-56 (1952)
http://jgp.rupress.org/content/jgp/36/1/39.full.pdf

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2020年1月15日 (水)

40.核酸構造解析のはじまり

 アルブレヒト・コッセル(1、図40-1)はミーシャーが生化学・生理学を学んだホッペ=ザイラーの研究室、といってもチュービンゲンではなくてストラスブール(現在はフランス)にあった研究室で1877年から1881年まで助手をしていました。

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図40-1 アルブレヒト・コッセル(Albrecht Kossel)(1853-1927)

 ホッペ=ザイラーはミーシャーが発見した奇妙な酸性物質ヌクレイン(後に核酸と呼ばれる)に関心を寄せていて、コッセルも巻き込まれることになりました。コッセルはその後、ベルリン大学、大学、マールブルク大学、ハイデルベルク大学で教鞭をとりながら研究を進めました。
 19世紀末から20世紀初めにかけて、コッセルはエミール・フィッシャーをはじめとする多くの研究者の協力を得て、化学の手法のみによって核酸(DNA)が4種類の成分、アデニン・グアニン・シトシン・チミンと糖を含むことを証明しました(図40-2、当時の化学構造の書き方による)。現在では低分子物質の化学構造はさまざまな分析機器によって簡単に判るわけですが、当時は大変な作業で、いろいろと紆余曲折を経てようやく構造決定にこぎつけました。アデニン・グアニン・シトシン・チミンはまとめて核塩基と呼ばれます。

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図40-2 核酸に含まれる4種の塩基性化合物 シトシン、アデニン、チミン、グアニン
(コッセルが構造解明した当時の書法)

 コッセルはこの構造決定の業績によって1910年にノーベル賞を受賞しています。受賞講演の中で彼は、「核酸などの生体分子はビルディング・ブロックにたとえられる部品(ある種の原子のグループ)の集合体で構成されており、部品の段階で体内に吸収されて、体内で計画に基づいて生体分子が形成される」という考え方を述べています(2)。これは非常に先進的な考え方であり、コッセルのセンスの良さを感じます。
 もうひとつの核の塩基ウラシルは、1900年にアルベルト・アスコーリによって酵母の核酸から発見されました(3)。現在ではウラシルはDNAにはほとんど含まれず、もうひとつの核酸であるRNAの成分であることが知られています。現代的表現の構造式を図3に示します。

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図40-3 現代的書法によるDNA・RNAの構成成分である5種類の有機塩基アデニン(アデニン)・グアニン(グワーニン)
シトシン(サイタサン)・チミン(サイマン)・ウラシル(ユアラサル) ( )内は英語の発音

 コッセルは核酸には糖が含まれることを見いだしましたが、糖と核塩基との関係、さらにミーシャーが核酸の成分としているリン酸との関係は明らかではありませんでした。これらの構造的関係を明らかにしたのがフィーバス・レヴィン(4、図40-4)です。レヴィンは1905年にニューヨークのロックフェラー医学研究所の研究室長に抜擢され、ずっとそこで研究を続けました。当時この研究所には野口英世も在籍していました。

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図40-4 フィーバス・レヴィン(Foebus Levene)(1869-1940)

 レヴィンは1909年に核酸に含まれている糖がリボース(D-ribose)であるとし、1929年にはこれがデオキシリボース(2-deoxy-D-ribose)であると修正しました(5)。現在ではDNAの成分がデオキシリボース、RNAの成分がリボースであることが判っています。ここにいたってようやく ミーシャーのリン酸、コッセルの有機塩基、レヴィンのデオキシリボースというDNAのすべての構成要素が出そろったわけです。
  レヴィンのもうひとつの大きな業績は糖・核塩基・リン酸の構造的関係を明らかにしたことです。図40-5で示されるように、リン酸-デオキシリボース-塩基が化学結合し、核酸の基本的な構成ユニットとなっていることをレヴィンは解明しました。このユニットはヌクレオチド(nucleotide)と命名されました(4、6)。

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図40-5 核酸の基本的な構成単位(ヌクレオチド) リン酸・デオキシリボース・有機塩基

 ここまでは卓越した業績だったのですが、このあとレヴィンはひとつの失敗をしでかしました。レヴィンはこの構成ユニットがどのように連結されているかについて、テトラヌクレオチド仮説という誤った仮説を発表し、学界に大きな混乱をもたらしたのです。彼の仮説によると、アデニン-糖-リン酸、グアニン-糖-リン酸、シトシン-糖-リン酸、チミン-糖-リン酸という4つのユニットが図40-6のように連結されて核酸を構成していることになります。レヴィンの業績については文献(6)にまとめられています。
 テトラヌクレオチド仮説に対する決定的な反論はスウェーデンの科学者、スヴェドヴェリ(Theodor Svedverg 1884-1971)によって行われました。スヴェドヴェリは超遠心機を開発し、分子の沈降速度からその分子の大きさを計測しました(7)。それによれば、DNAはテトラヌクレオチドのような分子とは比較にならないくらい巨大な分子であることがわかりました(8)。
  このほかもしレヴィーンの説が正しければ、アデニン・グアニン・シトシン・チミンは常に1:1:1:1で存在しなければなりませんが、測定が精密になればなるほどそうではないことが明らかになってきました。こうして謎が深まる一方の状況で、レヴィンは1940年に亡くなってしまい、世界は第二次世界大戦に突入します。

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図40-6 レヴィンのテトラヌクレオチド仮説  4つのヌクレオチドがリング状に連結しているという美しい仮説でしたが、後に間違いであることが証明されました。

 ここでヌクレオチド関連物質の命名法についてまとめておきましょう(図40-7)。
5炭糖(炭素原子5個を含む糖、時計回りにそれぞれの炭素原子に1~5の番号がつけられています)のデオキシリボースまたはリボースは、炭素原子4個と酸素原子1個からなる複素環の5の位置にもう一つ炭素原子が結合した形になっています。1の位置の炭素が有機塩基(図40-7では Base と書いてあります)の窒素と結合してC-N結合でつながっています。このデオキシリボース(またはリボース)と有機塩基が結合した分子をヌクレオシド(nucleoside, ヌクレオサイド)と呼びます。ヌクレオシドの5炭糖の5の位置の炭素にリン酸が結合した分子をヌクレオチド(nucleotide, ヌクレオタイド)と呼びます。ヌクレオチドにはリン酸が1個または2個または3個結合する場合があり(図40-7)、区別が必要な場合はそれぞれ、ヌクレオシド1リン酸、ヌクレオシド2リン酸、ヌクレオシド3リン酸と呼びます。

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図40-7 核酸の基本構成要素 命名法  ヌクレオシド:糖+塩基、 ヌクレオチド:糖+塩基+リン酸(ヌクレオシド1リン酸、ヌクレオシド2リン酸、ヌクレオシド3リン酸の3つの場合を含む)

 ヌクレオシドには塩基として、アデニン、グアニン、チミン、シトシンが結合している分子があり、糖の2の位置がHだった場合、それぞれデオキシアデノシン、デオキシグアノシン、(デオキシ)チミジン、デオキシシチジンと呼びます。糖の2の位置がOHだった場合は、それぞれアデノシン、グアノシン、RNAの場合にはチミンでなくウラシルが結合していて、この場合ウリジンと呼びます、そしてシチジンです。チミジンの場合、ウリジンと判別が容易なので、頭にデオキシをつけないことがあります。
 次にヌクレオチドですが、例えばアデノシンに3つのリン酸が結合している場合、アデノシン3リン酸(ATP=adenosine triphosphate)と呼びます。2つのリン酸が結合している場合はアデノシン2リン酸(ADP=adenosine diphosphate)、ひとつだとアデノシン1リン酸(AMP=adenosine monophosphate) ということになります。これらの物質の名前は、生化学を学ぶときには嫌と言うほど頻繁に登場します。
 5炭糖の2の位置の炭素にHが結合する場合デオキシリボース、OHが結合する場合リボースと呼びます。DNAの構成要素はデオキシリボースです。アデニンとグアニンをまとめてプリン(5員環+6員環)、チミンとシトシンとウラシルをまとめてピリミジン(6員環)と呼ぶことがあります(9、図40-7)。

参照

1)Wikipedia: Albrecht Kossel, https://en.wikipedia.org/wiki/Albrecht_Kossel
2)アルブレヒト・コッセルのノーベル賞受賞講演
https://www.nobelprize.org/nobel_prizes/medicine/laureates/1910/kossel-lecture.html
3)Alberto Ascoli (1900). "Ueber ein neues Spaltungsprodukt des Hefenucleins" [On a new cleavage product of nucleic acid from yeast]. Zeitschrift für Physiologische Chemie. vol. 31 (1–2): pp. 161–164. (1900) doi:10.1515/bchm2.1901.31.1-2.161. Archived from the original on 12 May 2018
4)National Academy of Sciences Biographical Memoir
file:///C:/Users/User/AppData/Local/Microsoft/Windows/INetCache/IE/CFQW7HJS/levene-phoebus-a.pdf
5)P. A. Levene and E. S. London, The structure of thymonucleic acid., vol. 83, pp. 793-802 (1929) http://www.jbc.org/content/83/3/793.citation
file:///C:/Users/User/AppData/Local/Microsoft/Windows/INetCache/IE/B04HR93V/J.%20Biol.%20Chem.-1929-Levene-793-802.pdf
6)レヴィンの業績:PHOEBUS AARON THEODOR LEVENE 1869-1940、Proc NAS USA XXIII  pp.75-126 (1943)
http://www.nasonline.org/publications/biographical-memoirs/memoir-pdfs/levene-phoebus-a.pdf
7)ベックマン・コールター 超遠心分析の原理とできること
https://ls.beckmancoulter.co.jp/column/auc_basic-lecture/column01
8)Wikipedia: Svedberg,  https://en.wikipedia.org/wiki/Svedberg
9)Wikipedia: Nucleotide,  https://en.wikipedia.org/wiki/Nucleotide
 



 

 

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39.DNAの発見

 フリードリッヒ・ミーシャー(図39-1)の父親はスイスのバーゼル医科大学解剖学・生理学の教授でした。ミーシャーは父の跡を継いでバーゼル医科大学を卒業し、耳鼻科の医師になるトレーニングをはじめましたが、子供の頃からの難聴のせいで診察はうまくいきませんでした。また彼自身はもともとそんなに医師への興味はなく、むしろ生命現象の科学的解明に強い関心を抱いていたので、ドイツのチュービンゲン大学ホッペ=ザイラー教授の下で1868年から生理学の研究をはじめました。
 ミーシャーは当時としては遺伝学は全くの畑違いなので勉強していなかったと思いますが、1866年にはメンデルが遺伝の法則を発表しており、また同じ年にエルンスト・ヘッケルは遺伝情報が核にあるという説を発表していました。後者はおそらくミーシャーも知っていたと思われます。

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図39-1 フリードリッヒ・ミーシャー(1844-1895)

 ミーシャーは当初から生命現象を化学によって解明しようという目的で、生化学の創始者であるホッペ=ザイラーを師に選んだのです。ホッペ=ザイラーの研究室は中世からあるホーエンチュービンゲン城を改装した場所にあり、図39-2はミーシャーの研究室の有名な写真です(1)。この部屋は中世には厨房として使われていたそうです。現在のお城は博物館となっており、観光客にも対応しているそうです。

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図39-2 ミーシャーの研究室

 寒々とした研究室の様子ですが、生体試料の研究には部屋が寒い方が蛋白質などの腐敗・変質が遅いので好適だと言えます。しかし人間の健康には適していないわけで、一説によれば、このような部屋で研究を続けたために肺結核となり早死にしたとも言われています。

 ミーシャーはまず細胞の化学組成を解明しようと考えました。選んだ細胞はシンプルな球形で、遊離細胞であるリンパ球です(図39-3、筆者が撮影)。最初はリンパ球を実験動物のリンパ節やヒトの血液から採取しようとしましたが、採取できる量が少なすぎたため、ホッペ=ザイラーの助言に従って、患者の膿(うみ)から採取することにしました。現在では膿を見たことがない人もいるかもしれませんが、当時は消毒もいいかげんで、負傷者や手術した患者の包帯から大量の膿がとれたので、実験は軌道に乗りました。

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図39-2 リンパ球 ギムザ染色標本

 膿というのは、傷はすぐ消毒するのが当たり前の見たことがない人もいるかもしれませんが、生体防御反応のひとつで、細菌を殺すために出動した白血球やリンパ球およびそれらの崩壊産物が主成分です。

ミーシャーの実験プロトコルは次のようなものでした。

1: 当時 "核" の未知タンパク質が遺伝物質ではないかというヘッケルらの考えがあったので、ミーシャーはまずこのアイデアが正しいかどうか検討することを目的として、"核" と "細胞質" の分離を試みました。

試行錯誤の結果、ブタの胃の抽出物に含まれるペプシンというタンパク質分解酵素を含む液に、膿の細胞を数時間浸しておくと、細胞が溶けて核が分離できることがわかりました。ペプシンはあの細胞説で有名なテオドール・シュワンが1836年に発見していました。

2: こうして得られた核を弱いアルカリで処理し、抽出した物質の溶液に酸を加えると、未知物質の沈殿が生じることを見つけました。同じような物は肝臓、睾丸、酵母、鳥の赤血球からも抽出可能でした(哺乳類の赤血球には核がない)。ミーシャーはこの物質が、それまで知られていたどのタンパク質とも異なることを確かめ、ヌクレインと命名して1869年に学会で発表しました。論文出版は1871年です(2)。

 このヌクレインが、現在の知識に照らせばまさしくDNAだったわけです。論文(2)はホッペ=ザイラーが出版する雑誌に投稿されましたが、ホッペ=ザイラーは1年間かけて、自分ですべて追試した上で掲載を許可しました。当時としてはタンパク質にリン酸が多量に含まれていたり、タンパク質が強い酸性だったりすることがなかなか信じてもらえなかったわれです。そのくらい異常で重要な意味のありそうな論文だと、ホッペ=ザイラーも感じていたと思われます。

3: 彼はヌクレインの元素分析を行ない、通常タンパク質が含む炭素、水素、酸素、窒素以外にリンを含むことを明らかにしました。ミーシャーはヌクレインの成分に多量のリン酸が含まれることから、ひょっとするとこれはタンパク質ではないかもしれないとは考えていたようです。

 その後ミーシャーはバーゼル医科大学の生理学の教授となってヌクレインの研究を続けましたが、講義は苦手でしたし、研究環境としてはあまり良くなかったようです。さらに彼のヌクレインのサンプルは単に普通のタンパク質に無機リンが混入しただけだろう、という批判にはっきり答えられなかったため、しだいに忘れられそうになっていました。しかしそれでもミーシャーはこつこつとヌクレインの精製法の改良を続け、材料として理想的な鮭の精子から、かなり純粋な段階にまで精製することに成功しました。
 細胞の染色法やミトコンドリアの発見で知られているリヒャルト・アルトマン(3、図39-4)は、タンパク質をほとんど含まない画分にヌクレインが存在することを確かめ、ヌクレインを核酸 (nucleic acid) と改名することを提唱し、この物質がタンパク質とは異なることをアピールしました。ヌクレイン=核酸の精製法の進展はミーシャーの死後、シュミーデベルクによって論文にまとめられています(4)。
 ミーシャーやアルトマンらは核酸をバラエティーのない固定した構造の物質と考えていたので、大きなバラエティーが必要な遺伝子の担い手としては不適切だと考えざるを得ませんでした。しかしいろいろな時代的制約などによる限界がありましたが、もちろんミーシャーやアルトマンと共同研究者達こそがDNAの発見者であり、彼らの萌芽的研究から20世紀の輝かしい分子生物学の歴史が誕生したことに疑いの余地はありません。ミーシャーの業績は Ralf Dahm によってまとめられています(5)。

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図39-4 リヒャルト・アルトマン

 アルトマンは48才で死亡したことになっていますが、それにしては写真の感じが老人すぎるように思われます。生誕または死去の年齢か、写真かのどちらかに誤りがあるのかもしれませんが、調査してもわかりませんでした。
 ミーシャーにはヌクレインの精製以外にもうひとつの業績があります。それは鮭の精子からプロタミンを発見し、精製したことです(6)。プロタミンは塩基性のタンパク質で、ヌクレインの酸性を中和する役割が考えられました。現在から見ても、核の基本的な構成要素であるヌクレオソームは核酸とヒストン(またはプロタミン)の複合体であり、重要な知見であると言えます。精子の場合プロタミンがヒストンに代わってDNAの3次元構造に深く関わっています(7)。

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図39-5 鮭精子から精製されたDNA

 鮭の精子から採取されたDNAは現在でもよく研究用に使用されます(図39-5)。精製されたDNAは白い繊維状のもので、使うときはピンセットで一部を引き裂いて使います。
 スイスのバーゼルにはミーシャーの名を冠した ”Friedrich Miescher Institute for Biomedical Research” が1970年に設立され、現在も活発に活動しています(8)。またチュービンゲンのマックス・プランク研究所には Laboratory of Friedrich Miescher があります(9)。

参照

1)DNA from beginning. Friedrich Miescher (1844-1895)
https://www.fmi.ch/members/marilyn.vaccaro/ewww/index2.html
2)Miescher F. Uber die chemische Zusammensetzung der Eiterzellen. Med.-Chem.
Unters. vol. 4, pp. 441-460 (1871)
3)渋めのダージリンはいかが やぶにらみ生物論77: ミトコンドリア
https://morph.way-nifty.com/grey/2017/06/post-7bf2.html
4)Schmiedeberg O., and Miescher F., Physiologisch-chemische Untersuchungen uber die Lachsmilch. Arch. Exp. Pathol. Pharm. vol. 37, pp. 100-155 (1896)
5)Ralf Darm, Friedrich Miescher and the discovery of DNA. Develop. Biol. vol. 278, pp. 274-288 (2005)
6) Miescher F. Das Protamin - Eine neue organische Basis aus den Samenfaden des Rheinlachses. Ber. Dtsch. Chem. Ges. vol. 7, pp. 376 (1874)
7)Wikipedia: Protamine, https://en.wikipedia.org/wiki/Protamine
8)Novartis International AG., Friedrich Miescher Institute for Biomedical Research.
https://www.fmi.ch/
9)The Friedrich Miescher Laboratory, a research institute of the Max Planck Society
http://www.fml.tuebingen.mpg.de/

 

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38.ハエ部屋

 メンデルの法則と染色体の挙動を結びつけたサットンの業績は大きかったわけですが、まだメンデルの言うエレメント=遺伝子が染色体上にあるという証明にはなっていません。染色体の上にあると考えるとメンデルの法則をうまく説明できるというレベルです。
 サットンの研究者廃業のあとを受け継いで染色体説を発展させたのはトーマス・ハント・モーガンです。モーガンはもともと遺伝学者ではなく発生生物学者で、プラナリアなどの再生や発生を研究していました。プラナリアというとよく教科書に出てくる、頭を切れば頭が生えてくる、尾を切れば尾が生えてくるというあの生物です(1、図38-1)。モーガンは再生に必要な物質の勾配という概念を提出し、それは21世紀になって梅園らによって証明されました(2)。

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図38-1 プラナリア(Schmidtea mediterranea)

 モーガンは若い頃ブラインマーカレッジという女子大学で教鞭を執っており、この頃の彼の学生の中には後に津田塾大学を創設する津田梅子(3、図38-2)もいて、彼女にはカエルの発生の研究をやらせていたそうです。

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図38-2 左:津田梅子(1864~1929) 右:トーマス・ハント・モーガン(1866~1945)

 津田梅子は5000円の新紙幣(2024年度から)の肖像となることが決まっています(4)。彼女は明治4年に7才で渡米し、見知らぬ家に預けられて女学校を卒業する明治15年まで米国で生活しました。ブラインマーカレッジのモーガンの研究室に来たのは明治22年に再留学したときのことです。
 発生生物学の研究に携わっている学者にとって、遺伝学者の考えていることが単純すぎるようにみえることは理解できます。というのは、たいして特徴のない受精卵から、さまざまな組織・器官が時間の経過と共にできてくることを観察していると、形質というものは発生とともにどんどん動的に変化するもので、遺伝子で単純に規定される静的なものではないという考え方になりがちだからです。モーガン(5、図38-2)も当初はそのような考えを懐いていたと思われます。
 しかし当時はメンデルの再発見で大騒ぎとなっており、彼がウィルソンに呼ばれて来たコロンビア大学には、サットンという減数分裂を目視した俊英の大学院生がいました。モーガンがメンデルの法則や染色体説の真偽に関心を抱いたのは当然でしょう。モーガンはまたド・フリースの突然変異説に傾倒し、ダーウィンの自然選択が成立するためには突然変異が重要な役割を果たすものと考えました。そして1907年頃から、それらの課題を研究するために最適な実験動物としてキイロショウジョウバエを選択しました(5)。
 キイロショウジョウバエ(6、図38-3)はいわゆるコバエの一種であり、体長2~3ミリで、乾燥酵母・オートミール・蔗糖などで手軽に飼育することができます(5、図38-4)。メスが10日で成熟して、一度に50個前後の卵を産むことができるというのが研究上の魅力です。1年間で30代くらいの世代を重ねることが可能になります。モーガンはこれで飛躍的に研究が進むと期待したのでしょうが、最初の頃はまったくうまくいきませんでした。それは突然変異体を検出するのが非常に難しかったからです。何千何万という小さなハエを観察して変異を同定するのは骨が折れます。

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図38-3 キイロショウジョウバエ (Drosophila melanogaster)

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図38-4 ショウジョウバエの培養

 しかし1910年になって彼の前に救世主が現れました。それは白眼の突然変異体(ミュータント)で、これを野生型のメス(赤眼)と交配させるとF1はすべて赤眼となりますが、F2のオスは50%の確率で白眼になることがわかりました(5、図38-5)。

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図38-5 ショウジョウバエ 白眼の突然変異体

 この少し前にウィルソンとスティーヴンスはショウジョウバエのメスは2本(1対)のX染色体を持つが、オスはX染色体を1本しか持っていないことを観察していました。このことを考え合わせて、オスの1本のX染色体に変異が発生すると白眼になり、それはメンデルのいう劣性変異のため2本の性染色体を持つメスでは発現しないとするとうまく説明できます。すなわちこの白眼の変異は性染色体Xと挙動を共にすることがわかりました。
 ショウジョウバエはヒトと同じくメスはXX、オスはXYという性染色体をもっていますが、オスが父親から引き継ぐY染色体には眼の色にかかわる遺伝子は存在しないので、この場合考慮しなくていいのです。この研究結果によってモーガンは染色体説に強固な根拠を与えることになりました。モーガンの研究室にはスターティバント、ブリッジス、マラーなどの多くの優秀な学生が集結するようになり、人海戦術でショウジョウバエのミュータントを解析すると、次々と変異が見つかり(図38-6)、モーガン研究室はまさしく世界の遺伝学の中心となっていきました(7)。

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図38-6 ショウジョウバエの様々な突然変異

 カルヴィン・ブリッッジスは突然変異体を探し出す特異な才能があり、1925年にカタログ記載された突然変異体365種類のうち240種類は彼が発見したものだそうです(5)。モーガンが最初の2~3年全く突然変異体を検出できなかったことを考えると、これは驚異的です。そのほかにもブリッジスはいろいろと研究室発展の基盤となるような知見や技術を開発しました。ただ彼は知り合った女性すべてを口説くというドン・ジョバンニのような男で、ドン・ジョバンニはつきあった女性のカタログを従者につくらせていましたが、彼は自分でつくっていたそうです。そして寒い日にカブリオレでデートして心臓麻痺をおこし、若死にしてしまいました(8)。
 ショウジョウバエの染色体はわずか4対で、しかもそのうち1対は非常に小さなもので(図38-7の中央あたりにみえる)、わずかな遺伝子しか乗っていません(5、図38-7)。ですから2つの形質に着目したとき、それらが同じ遺伝子に乗っている確率はほぼ30%で、23対の染色体を持つヒトなどと比べると非常に高い確率です。すなわちメンデルの独立の法則が成立しない場合が非常に多いということです。

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図38-7 ショウジョウバエの染色体 左が♂、右が♀

 図38-8のようにAとbという形質が同じ染色体に乗っていれば、遺伝の際にまるで一つの形質のように行動を共にするはずなのですが、時にそれが分かれてしまうことがあります。このことについて、1909年にベルギーの生物学者ヤンセンスが、減数分裂で4つの染色体が集合した際に、それぞれの染色体の1部が交換されるということを発見していました(9)。この La théorie de la chiasmatypie Nouvelle interprétation des cinèses de maturation と題した論文は(9)のサイトで全文閲覧が可能です。
 Aとbの形質の間で染色体がちぎれて、a、Bの相方と交換されるとAB、abという新しい連鎖が成立します。染色体の一部が交換されてできた新たな染色体を組み替え型染色体といいます(図38-8)。

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図38-8 染色体の組み替え

 ここでアルフレッド・スターティバントは考えました。染色体がランダムな位置でちぎれるとすると、染色体上で離れた位置にある遺伝子は別れやすく、近傍にある遺伝子は分かれにくいと想定されます。すなわち「組み換え型染色体ができる確率は遺伝子A、Bの染色体上の距離に比例する」という公式が成立します(図38-9)。ですから組み替え型染色体ができる確率を多くの遺伝子について調べれば、遺伝子地図の作成が可能です。
 例えばAという形質とBという形質に注目したとき、両者が組み替えによって別れる確率が10%であるとします。そしてBとCは5%だとすると、さらにAとCについて検査してみると15%だった場合、A、B、C という形質は染色体上に図9に示されるような順と距離で配列されているということが推定されます。組み替え確率の%を距離に置き換えて、センチモルガンという単位を使用します。染色体全体を100センチモルガンとして、多くの形質について上記のような検査を行うと、原理的には何百何千という遺伝子を染色体上に並べることができます。こうして染色体地図を製作することができます。これは遺伝子が染色体上にあるということの決定的な証明となりました(図38-9)。

389

図38-9 染色体地図の作成

 ハーマン・マラーはX線照射によって突然変異が誘起されることを発見し、遺伝学・放射線医学生物学の進歩に大きな足跡を残しました。彼は筋金入りの共産主義者で、一時期レニングラード(現サンクトペテルブルク)に移住して、ソ連の科学アカデミーで活躍していたこともあるそうです。しかし彼の理想とは裏腹に、次第にソ連の遺伝学界はルイセンコに汚染され、彼を招いてくれたヴァヴィロフも獄死しました。「ハエ部屋」と呼ばれていたモーガンの研究室からは、モーガン自身以外にもマラーや後で登場するビードルというノーベル賞受賞者をはじめとして多くの遺伝学者が輩出し、スターティバントの弟子のデルブリュックやルイスもノーベル賞を受賞しました。
 モーガンの研究室のヴィヴィッドな描写を(8)のサイトから少し引用させてもらいます。
 (引用開始)モルガンと彼の学生達が生み出す知的なエネルギーは物理的な環境の劣悪さをものともしなかった。コロンビア大学構内のシェルマホーン・ホールの6階に位置する彼らの仕事場は16 x 23 フィートの広さの一部屋で、そこには8つの机が所狭しとばかりに詰め込まれていた。コロンビア大学はまだ大きな居住用アパート群に囲まれてはおらず、実験室からは近くの牧草地で草を食むヤギの群れが見えた。訪問客は即座に部屋の汚さと乱雑な様子に気づいて驚くのだった。中でハエが飛び回るガーゼで蓋をしたガラス瓶が、紙切れや終了した実験から出た屑ゴミで溢れた机と棚の空間を奪い合っていた。ハエ・グループの神秘的雰囲気の一部は、ハエを収めるミルク瓶が近くの家々の玄関先から収穫されたものではないかという疑いから来ていた。ハエは割り当てられたミルク瓶に閉じ込められてはいたが、あらゆる隙間と割れ目に潜むゴキブリがハエの餌や他の食物の残り滓の上を自由に這いずり回っていた。もちろんネズミが部屋の汚物置き場に集まった残り物の中から食物を探して運動会をしているような有様だった。部屋には酵母と腐りかけたバナナの匂いが漂っていた。時折、建物の友人や同僚達が壁を飾るバナナの茎をもらいにやって来たりした。(引用終了)

 ヒトが生活している中で、最もめざわりで迷惑な生物はハエ・ゴキブリ・マウス・ラットなどですが、それらが大変有用な実験動物として利用されていることは、一般の人々に理解して欲しいことです。ちなみに私が住んでいる団地でも、管理規約を読むと音楽教師・風俗・動物実験の3つの職業は禁止されています。

参照

1)ウィキペディア: プラナリア
2)Umezono et al., The molecular logic for planarian regeneration along the anterior-posterior axis., Nature vol. 500,  pp. 73-76 (2013)
http://www.kyoto-u.ac.jp/static/ja/news_data/h/h1/news6/2013/130725_1.htm
3)ウィキペディア: 津田梅子
4)財務省 プレスリリース 新しい日本銀行券及び五百円貨幣を発行します。
https://www.mof.go.jp/currency/bill/20190409.html
5)Wikipedia: Thomas Hunt Morgan
https://en.wikipedia.org/wiki/Thomas_Hunt_Morgan
6)Wikipedia: Drosophila
https://en.wikipedia.org/wiki/Drosophila
7)Arthur Hughes 著 西村顕治訳 「細胞学の歴史 生命化学を拓いた人々」八坂書房 (1999)
8)Paul Berg and Maxime Singer,  George Beadle, An Uncommon Farmer
 The Emergence of Genetics in the 20th Century.  Cold Spring Harbor Institute (2003) 翻訳:中村千春
http://www.research.kobe-u.ac.jp/ans-intergenomics/Farmer/chapter5.html
9)F. A. Janssens.,  La Theorie de la Chiasmatypie. Nouvelle interprétation des cinèses de maturation,  Genetics. vol. 191(2): pp. 319–346. (2012)  doi: 10.1534/genetics.112.139725
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC3374304/

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37.染色体説

 ドイツの生物学者シュライデンとシュワンが細胞説(生物の体は一般に細胞から成り立っている)を発表したのは1838・1839年ですが、1832年にベルギーの生物学者デュモルティエが細胞分裂を報告しているにもかかわらず、シュライデンとシュワンは細胞の増殖については正しい理論に到達しませんでした(1-2)。
 ドイツの病理学者ルドルフ・フィルヒョウ(図37-1)が「すべての細胞は細胞から生じる omnis cellula e cellula」という理論を提唱したのは1858年であり(3)、メンデルが1860年代に遺伝の法則を発表する直前でした。その頃にはまだフィルヒョウの考え方が一般に認められていたわけではないようです。

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図37-1 ルドルフ・フィルヒョウ  プロイセンの医学者で、すべての細胞は細胞からという理論をとなえたほか、白血病を発見し、静脈血栓症の原因を解明し、病気は個体が罹患するのではなく細胞が罹患するという当時としては斬新な学説を唱え、公衆衛生の改善にも尽力しました。また政党を設立するなど政治家でもありました。また考古学者でもありました。

 細胞説を前提として、染色体が生物の性質に重要な影響を与えることを示唆したのはボヴェリとサットンです(図37-2)。

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図37-2 ボヴェリとサットン

 ドイツの生物学者テオドール・ボヴェリはウニの発生の研究から、正常な胚発生のためには分裂した細胞それぞれにすべての染色体が存在することが必要であることを示しました。また染色体が異常になることが「がん」の原因であるという学説を提唱しました。すなわち生物の発生と形質には染色体が大きな影響を与えることを示唆したわけです(4)。
 メンデル再発見直前の1898年、ウォルター・サットンはカンザス大学の細胞学者クラレンス・E・マクラングの学生として染色体研究を始めました。1900年からはマクラングの勧めでニューヨークのコロンビア大学に移り、細胞学の大家であるエドマンド・B・ウィルソンのもとで博士課程の大学院生として研究を行いました。

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図37-3 マクラングとサットンが実験に用いていたバッタ(Brachystola magna)

 マクラングはバッタ Brachystola magna (図37-3)において性染色体を発見し、その研究を行っていました。このバッタは染色体が大きく、観察しやすいという細胞学研究上の利点がありました。サットンはこの昆虫のオスの精子形成では、生殖細胞に特異的な細胞分裂=減数分裂の過程にある染色体が大きくはっきりと観察できることを見いだし、その観察を行いました。彼はこの研究をウィルソンの研究室で発展させ、減数分裂における染色体の挙動はメンデルの法則に従うとする「染色体説」を提唱しました (5-6)。
  もしメンデルの言うエレメントを母親からひとつ、父親からひとつ受け継ぐとすると、F1のもつエレメントは2つです。そうするとF2は4つ、F3は8つのエレメントをもつことになり、もしエレメントに物理的実体があるとするとすぐに膨大な数になって理論は破綻します。親が持つエレメントの数を常に同じ数にするためには、生殖細胞(動物の場合は精子と卵子)のエレメント数は親の半分でなければいけません。サットンは精子形成過程において、この減数がおこなわれているのではないかと考え、顕微鏡で熱心に観察しました。皆さんも中高時代にムラサキツユクサなどで観察したことがあると思います。
  この結果図37-4のように精子の染色体の数は体細胞の半分で、これは精子形成過程で減数分裂という特殊な細胞分裂が行われることを示しています。親細胞と同じ娘細胞が2個できる通常の体細胞分裂と違って、減数分裂では染色体の数が半分の娘細胞が4個できることがわかりました。

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図37-4 減数分裂

生殖細胞をつくる際の減数分裂では、ひとつの細胞あたりの染色体数が半分になる。

 このことからサットンは体細胞はメンデルの言うエレメント=染色体を2セットずつ持っており、精子・卵子は1セットづつ持っていると考えると、それまで概念的な理論であったメンデルの法則が染色体という実体をともなってうまく説明できると考えました。簡単に言えばこれがサットンの「染色体説」です。サットン自身の記述を引用しておきましょう(5より)。

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I may finally call attention to the probability that the association of paternal and maternal chromosomes in pairs and their subsequent separation during the reducing division as indicated above may constitute the physical basis of the Mendelian law of heredity.
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きちんと述べると次のようになります。

1.メンデルの言うところの”要素=エレメント”は卵や精子(花粉)のような配偶子を通じて次世代に伝達される。卵と精子には均等に要素が含まれる。

2.細胞核の構成成分のうち、染色体は細胞分裂のとき娘細胞に均等に分配される。”要素”は卵と精子が均等にもっているはずなのに、卵の細胞質は巨大で、精子の細胞質は非常に乏しいことから、細胞質ではなく核(染色体)に要素が含まれると考えられる。

3.染色体は核の中で、メンデルの考えた”要素”という考え方に沿ったかたちで、対になって存在する(相同染色体) → ”要素”は染色体の上に乗っていることが示唆される。

4.卵や精子がつくられるときは、通常対になっているはずの染色体が分離し、そのうちの一つづつがランダムに選ばれて卵や精子に受け継がれる。たとえば体細胞がAaBbCcという要素をもっているとすると、卵や精子は、ABC, ABc, AbC, Abc, aBC, aBc, abC, abc の2の3乗通りの種類が考えられる。人の場合だと23組なので2の23乗通りの卵と精子が存在する。

5.染色体の数に比べて要素の数は非常に多いので、ひとつの染色体に多数の要素が相乗りしており、これらの相乗りしている要素についてはメンデルの独立の法則は成立しないと予測できる。

 これは大発見であり、サットンは次世代の生物学を担うホープと期待されました。しかし生来の熱血漢である彼は、あまり薄暗い実験室で顕微鏡を覗いてばかりというような生活は、自分の性格や生きていくポリシーと合わないと考えたのでしょう。大学院時代に歴史的論文を2編(5-6)発表した後、研究をやめてカンザスにもどり外科医に転業します。そして第一次世界大戦のときにはヨーロッパに渡り、フランスで兵士の治療にあたっています。サットンの面目躍如というところです。
 デンマークの遺伝学者ウィルヘルム・ヨハンセンは1909年にメンデルの「エレメント」を遺伝子(gene) と呼ぶよう提唱しました。そして形質という漠然とした概念をはっきりと「遺伝子型 genotype」と「表現型 phenotype」にわけて定義しました(7)。
  ヨーロッパから帰還してまもなく、サットンは虫垂炎にかかってしまいます。サットンは名医でしたが、自分で手術するわけにはいきません。この手術が失敗に終わり、彼はわずか39年の生涯を終えることになりました。もう少し生きていれば、間違いなく1901年からはじまったノーベル賞を受賞していたと思われるので、誠に残念な悲劇でした。彼の遺骸はサットン家の立派な霊廟に眠っています。
  減数分裂について、より詳しい知識や顕微鏡写真に興味がある方はサイト(8-10)を参照されることをお勧めします。

参照

1)ウィキペディア: 細胞説
2)Henry Harris, 「The birth of the cell」Yale University Press, (1999)
3)Rudolf Virchow: Die Cellularpathologie in ihrer Begründung und in ihrer Auswirkung auf die physiologische und pathologische Gewebelehre, Verlag A. Hirschwald, Berlin 1858 (und spätere Auflagen), https://de.wiktionary.org/wiki/omnis_cellula_e_cellula
4)Manfred D. Laubichlera and Eric H. Davidson,  Boveri's long experiment: Sea urchin merogones and the establishment of the role of nuclear chromosomes in development. Dev Biol.,  vol. 314(1): pp. 1–11. (2008)  doi: 10.1016/j.ydbio.2007.11.024
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC2247478/
5)W. S. Sutton. "On the morphology of the choromosome group in Brachystola magna" Biological Bulletin, vol. 4: pp. 24-39, (1902)
公開されています--- http://dev.esp.org/foundations/genetics/classical/wss-02.pdf
6) W. S. Sutton. "Chromosomes in heredity" Biological Bulletin, vol.4: pp. 231-251, (1903)
7)Roll-Hansen, Nils,  "The Genotype Theory of Wilhelm Johannsen and its Relation to Plant Breeding and the Study of Evolution". Centaurus. vol. 22, pp. 201–235. (1979) doi:10.1111/j.1600-0498.1979.tb00589.x
8) 細胞分裂と細胞周期 http://www.tmd.ac.jp/artsci/biol/textbook/celldiv.htm
9) ムラサキツユクサを使った減数分裂の観察 http://www.aichi-c.ed.jp/contents/rika/koutou/seibutu/se22/gensuubunretu/gensuubunretu.html
10) 走査型電子顕微鏡による減数分裂の観察: 鈴木晶子、高橋正道 香川生物(Kagawa Seibutsu)(19):pp. 53-58,(1992)  閲覧できます→AN00038146_19_53.pdf

 

 

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36.メンデルの再発見

 「メンデルの再発見」というのは科学史上の大事件ですが、「再発見」というのに少しひっかかります。昔の論文の追試をしたら、その通りの結果が出たとも言い換えられるわけで、そんな実験結果が次々と発表されたのが1900年という年だったのです。中沢信午氏の著書「メンデル散策 遺伝子論の数奇な運命」(1)を読むと、メンデルの論文が発表された1866年から、再発見される1900年まで、誰もがメンデルの研究を忘れていたわけではないそうです。実際メンデルの論文はスウェーデン・ロシア・ドイツ・USAの科学者達によって引用され、ブリタニカ百科事典第9版(1881~1895)にも紹介されています(1)。
 つまり気にしていた科学者はそこそこいたのですが、きっちり検証しようとした人は少なかったということでしょう。ド・フリースはケシの花色について、メンデルを意識した実験を行いました。そうすると花色の遺伝の様式がメンデルの法則にきっちり合っていることがわかり、さらに他の多くの例を追加して、メンデルの正しさを証明しました。普通ならド・フリースがメンデル再発見の栄誉をひとりじめできたのかもしれませんが、彼はちょっとした失敗をしてしまいます。1900年に彼は研究結果をほぼ同時にフランス語とドイツ語の論文にして発表したのですが、そのフランス語の論文にメンデルの論文が引用されていなかったのです。後の検証によって、これは編集上のミスだったとされています。家族に不幸があったために、きちんと校正をやってなかったらしいです。論文を執筆する人間にとって、編集者からの改善依頼とともに、校正の作業は大変骨の折れる作業であり、なかなか無事に済ませることができない難関です。
 ド・フリースのフランス語の論文を読んだチェルマクとコレンスはびっくりしました(彼らのところに送られてきたのはフランス語の論文でした)。彼らもメンデルの実験の追試をやっており、メンデルの正しさを確認していましたが、彼らは追試なので発表するほどの価値はないと思って、データをしまっていたのです。まるでド・フリースが自分でメンデルの法則を発見したかのような論文の書き方に、彼らが激怒したのは理解できます。しかもチェルマクは1898年にド・フリースを訪問しており、そのときにド・フリースがメンデルの研究を知っていることを確認していました。コレンスはあわてて論文をまとめて発表しました。チェルマクもも同じ年に論文を発表しました。このような事情によって、この3人がメンデルの再発見者ということになっています(図36-1)。

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図36-1 メンデル再発見にかかわった人々

 メンデルの法則が動物にも適用できることをはじめて証明したのはカイコ研究の泰斗である外山亀太郎です。農学関係者は誰でも知っていることですが、このことは意外に他分野の研究者にはあまり知られていません。外山亀太郎の業績については、現在でもカイコの研究を引き継いでいる東京大学の昆虫遺伝学教室のホームページに解説があります(2)。彼は若い頃は設備がなく自宅で研究していて、カイコのエサは窃盗で調達していたそうです。もうすこし設備があれば1900年までに研究が発表できて、あの3人に並んで再発見者になれたのにと悔やんでいたとのこと(3)。メンデルに関しては公益財団法人日本メンデル協会という組織があって、雑誌 Cytologia 刊行・講演会・展示会など活発に活動しています(4)。
 メンデルの論文「雑種植物の研究」は、はやくも1928年に小泉丹によって翻訳されて岩波文庫で出版されています。私が持っているのは第14版ですが(図36-2左)、これはさすがに旧仮名遣いで読みにくいので、 岩槻邦男 ・須原凖平 によって再翻訳され、1999年に岩波文庫で再出版されました(図36-2右)。読むのならこちらを推奨します。

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 メンデルの理論はその後染色体説などによって補強され、遺伝の原理として認められましたが、1934年にルイセンコ(図36-3)が獲得形質の遺伝を主軸とした反メンデル理論を発表し(5)、これがスターリンや、第二次世界大戦後もフルシチョフ、毛沢東、金日成などによって支持され、特にソ連(現ロシア)ではメンデル支持者の投獄や処刑が行われるという、まさしく焚書坑儒のような悲惨な事態を招くことになりました。

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図36-3 トロフィム・ルイセンコの肖像

 ここまでひどくはありませんでしたが、欧米や日本でもメンデルに固執する学者は守旧派で、遺伝を説明する新しい理論を求めるのが新時代の科学者という風潮はひろがっていました。これを見事に粉砕したのがワトソンとクリックによるDNAの構造解明で、これによってメンデルの正当性に分子生物学による基盤が付与されることになりました。私も若い頃にルイセンコ論争に興味を持って、中村禎里の本「日本のルイセンコ論争」を読んだりしましたがなくしていまいました。現在は新版が出版されているそうなので、興味のある方はご覧になるといいと思います(6)。
 ルイセンコ論争は政治家という素人集団が科学に深く関わることの危険性の例証であるとも言えます。政治家は科学を注意深く見つめる必要がありますが、自ら指揮しようとしてはいけません。また教条主義・愛国主義は科学の敵であり、科学は常に自由でインターナショナルであるべきです。

参照

1)中沢信午著「メンデル散策 遺伝子論の数奇な運命」 新日本新書(1998)
2)東京大学 大学院 農学生命科学研究科 昆虫遺伝学研究室 外山亀太郎先生について
http://papilio.ab.a.u-tokyo.ac.jp/igb/ja/profile2.html
3)外山亀太郎が興したカイコの遺伝学の今日的意義  嶋田透 第33回東京大学農学部公開セミナー
http://www.a.u-tokyo.ac.jp/seminar/33-yousisyu.pdf
4) 日本メンデル協会HP: http://square.umin.ac.jp/mendel/
5)ウィキペディア: ルイセンコ論争
6)中村 禎里 (著)、 米本 昌平(解説) 新版 日本のルィセンコ論争 みすず書房 (2017)

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35.メンデルの法則

 メンデルは純系のエンドウマメを作成し、それらを親(ペアレント)として交配しF1(雑種第1代)を作成しました。F1は花粉(おしべ)と胚珠(めしべ)からそれぞれ遺伝情報を伝えられているので、両者の情報がF1でどのように発現しているかは遺伝学の超基本です。
 優劣の法則とは、花粉と胚珠から伝えられた遺伝情報は、平等にF1の形質に反映されるわけではなく、どちらかが優先的に発現し、片方は隠されることになるという法則です。図35-1のように紫色の花のマメと白色の花のマメを交配すると、F1はすべて紫色の花のマメになります。メンデルは親はそれぞれ AA、aa という情報を持っており、これらを交配するとF1はすべて Aとa という2種類のエレメント(メンデルは遺伝情報の単位をこう呼びました)を保有することになります。このときに a は隠され、Aが優先的に発現するわけです。遺伝学ではAをドミナント(優性)、a をリセッシヴ(劣性)といいます。この場合紫色の花をつけるエレメントがドミナント、白色の花をつけるエレメントがリセッシヴということになります。

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図35-1 メンデルの法則(優劣の法則)

 ではAaのF1同士を交配させると、白色の花のマメはもう現れないのでしょうか。いえ実は25%の確率で現れるのです。このことを説明するのが分離の法則です。Aとa という2種類のエレメントを持っているF1の配偶子(花粉または胚珠)はAを持つ可能性が50%、a を持つ可能性が50%としますと、これらを交配するとAA:25%、Aa(50%)、aa (25%)ということになり、白色の花のマメ(aa)が現れる確率が25%であることが説明できます(図35-2)。
 もしF1の体内でAとa が混じり合ってしまうと、このようなことは起こりえません。すなわち a という形質はF1において隠されているだけで、そのままの状態で保管されていなければなりません。そうすればAとa がF2で分離して、紫色の花と白色の花の両者が発現することが可能となります。これが分離の法則です。

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図35-2 メンデルの法則(分離の法則)

 メンデルはエンドウマメの多くの形質について、分離の法則を確認する実験を行っており、その結果はほぼF2において優性形質の発現:劣性形質の発現=3:1であることが証明されました(図35-3)。どうしてぴったり3:1にならないのかという疑問があるかもしれませんが、それはひとつは統計上のゆらぎであり、いまひとつはサヤにマメがほとんど含まれていない場合や小さいマメが多数含まれている場合などに、それらのデータを棄却したことが影響していると思われます。実験に関係のない要因で異常が発生したと思われるときにデータを棄却するのは妥当なことだと思います。どのようなデータを棄却するかは科学者のセンスですが、後に批判の対象になることもあります。メンデルもデータの棄却を行ったかもしれませんが、現在では妥当な結果とされています(1-2)。

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図35-3 メンデルが分離の法則を証明するため使用したデータ

 最後に独立の法則ですが、これはランダムに2種類の形質に着目し、例えば(丸い種・しわの種)と(緑のさや・黄色のさや)という形質を取り上げた場合、丸い種のものは緑のさやになりやすい、あるいは黄色のさやになりやすいなどという傾向があるのか、それともランダムなのかということを検証してみたところ、図35-4のようにF2において両形質はお互いに影響を与えず、(丸い種・緑のさや):(丸い種・黄色のさや)黄色のバック:(しわの種・緑の種)赤い波線:(しわの種:黄色のさや)黄色のバックかつ赤い波線=9:3:3:1となることがわかりました。

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図35-4 メンデルの法則(独立の法則)

表現型がしわの種=赤い波線  表現型が黄色のさや=黄色のバック
(訂正:rGxRgの結果はRRGgではなくRrGgです)

 メンデルの法則は物理学の法則のように、あらゆる事象にあまねく適用できるというものではなく、むしろ一定の法則が適用される場合を選んだという意味もあるので、物理学の法則とは少し違う意味合いがあります。非常に複雑そうに見える遺伝という現象のなかに、あるシンプルな法則に従う場合があることを示したことが、以後の遺伝現象研究の突破口になったという意味で重要なのです。
 むしろメンデルの法則が適用できない場合は無数にあるわけですが、それぞれなぜ適用できないかということの探求が遺伝現象の本質を解明する手がかりとなりました。生物の表現形質はひと組の対立遺伝子によって決まるという場合はむしろ少なく、複数の遺伝子がからんでいる場合が普通です。その場合当然メンデルの法則は単純には適用できません。
 AAとAaでは、例えばAの実体が酵素であった場合、AAはAaの2倍酵素があるという場合もあるわけで(すなわち a は酵素が活性を失った変異だとしましょう)、2倍あれば赤い花、1倍ならピンクの花ということもあり得ます。この場合優劣の法則は成立しません。また生物は染色体を複数持っていますが、同じ染色体にのっかっている遺伝子は、当然F1でもF2でも一緒に行動するわけで、独立の法則は適用できません。メンデルの時代には染色体上に遺伝子が並んでいることなどわかっていなかったわけですから、独立の法則を適用できない場合があることは説明が不可能でした。
 ヒトの顔かたちを例にとるとメンデルの法則を単純に適用できる形質を見つける方がむしろ大変で、例えば富士びたい(優性)、耳たぶがない=密着型(劣性)、舌を巻いてU字型にできる(優性)などがあり、これらはひとつの遺伝子で決定される形質と思われます(3、図35-5)。

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図35-5 メンデルの法則がヒトの表現形質に単純に適用できる例

 メンデルは研究結果をブルノ自然研究会会誌第4号pp4~37(1866)に発表しました。タイトルは「植物雑種の研究(Einleitende Bemerkungen)」でした。1865年に学会に提出した論文の英訳をウェブサイトで読むことができます(4)。原著論文を掲載した雑誌は500部印刷され、各地の大学や図書館に配布されていて、多くの学者は簡単にみることができたはずですが、全く注目されませんでした。実はその論文は数式が頻繁に出てくるような、当時の生物学者としては見慣れない書き方だったので、多くの生物学者は理解できないと思って読むのを放棄したのではないかと考えられています。
 メンデルは修道院の院長に選挙で選ばれ多忙な中で、さまざまな生物の遺伝について自分の理論があてはまるかどうか精力的に研究を続けたのですが、エンドウマメほどきれいな結果が得られず、失意のうちにその生涯を終えました。高名な作曲家であるヤナーチェクはメンデルの修道院で聖歌隊の指揮をしており、メンデルの葬式にあたっては、ヤナーチェクの指揮で荘厳なミサが行われたそうです。
 このセクションの執筆に当たっては文献5、6を参考にしました。

参照

1)メンデル批判論争について https://togetter.com/li/1011756
2)Weblio 辞書: メンデルの実験データは合いすぎているのか
3)国立遺伝学研究所 遺伝学電子博物館 遺伝の法則
http://www.tmd.ac.jp/artsci/biol/textbook/genetics.htm
4)Mendel's Paper in English.  Experiments in Plant Hybridization (1865)
 by Gregor Mendel
5)中沢信午著「メンデル散策 遺伝子論の数奇な運命」 新日本新書(1998)
6)近藤滋 「コンドルは飛んでいる メンデルは跳んでいる」 (2018)
Kondo Labo,  Frontier Bioscience, Osaka Univ.

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34.19世紀のヨーロッパ

 地球創成から人類誕生まで長い旅でした。ここで突然ですが、話は19世紀のヨーロッパに飛びます。現代生物学の基礎を築いたのは、19世紀のヨーロッパで活躍した科学者達です。図34-1の5人はその中でも卓越した業績を残した人々です。

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図34-1 現代生物学の基礎を築いた科学者達

 英国のダーウィンは、生物は限られた資源を個体で争ううちに、生存に有利な変異を行った個体が子孫にその変異を伝えることによって進化がおこるという「自然選択説」を提唱し、キリスト教の教義に反するにもかかわらず、生存中にこの理論は人々に受け入れられて、亡くなったときには国葬まで行われました(1)。またパスツールはワクチン開発など医学に貢献したほか、自然発生説の否定、ビールや牛乳を日持ちさせる方法の開発など社会に大きく貢献する業績があって、存命中から大変有名な科学者でした(2)。
 しかし残りの3人、ミーシャー・アルトマン・メンデルは全く無名で、論文もあまり注目されないまま亡くなりました。ダーウィンもメンデルの仕事を知っていた“ふし”はあるのですが、獲得形質の遺伝というラマルク的な間違った理論を信奉していたくらいです。しかしDNAを発見したミーシャーとアルトマン、遺伝の理論を確立したメンデルは20世紀以降の生物学の根幹となる圧倒的に重要な業績を残したと言えます。
 3人の業績について述べる前に、ここではパスツールとダーウィンに少しだけ寄り道したいと思います。パスツールの業績は多岐にわたっていますが、生物学の観点からみると、生命の自然発生説を否定したことが際立っています。生命はもちろん20億年以上前に自然発生したわけですが、19世紀に現存する生物が自然発生するわけがありません。さすがにパスツールの時代には、ネズミがゴミ箱に自然発生するというような説は否定されていましたが、微生物は自然発生すると思われていました。パスツールはこれに反論するため、有名な「白鳥の首フラスコ」の実験を行いました(3、図34-2)。

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図34-2 白鳥の首フラスコの実験

 フラスコの中に肉汁を入れて煮沸滅菌し、そのままフラスコの口をバーナーで熱して伸ばし、図34-2のような湾曲した細い管にします。フラスコと外界は細い管でつながっていますが、このような状況でフラスコを放置しても肉汁は腐敗しませんでした。これはあとでわかるように、空気中の細菌はフラスコの首の一番低いところまでは落下してすぐたまりますが、細い首を右方に上がって行くには時間がかかるからです。
 自然発生派は煮沸滅菌した密閉容器で腐敗が発生しないのは、腐敗菌に必要な外気が供給されないからだと言っていたわけですが、この実験によって外界との通路が「白鳥の首」で確保されていても腐敗はおこらないことが証明されました。
 ところが白鳥の首を根元から折ったり、一番低い部分に無菌液をいれて(この状態だと左の入り口から液に落下菌がたまる)、しばらくしてからフラスコに流入させるとたちまち腐敗が誘導されました。つまり上から落下してくる菌がフラスコの中の液にはいると腐敗することがわかりました。菌は肉汁から自然発生するのではなく、空気中から落ちてきて増殖することが判明したわけです。
 これで自然発生説は否定されたように見えましたが、肉汁の代わりに干し草の抽出液をいれると、煮沸滅菌しても枯草菌が自然発生してしまいました。あのティンダル現象で有名なティンダルが、“枯草菌が芽胞という耐熱性の状態になる場合があるため、煮沸滅菌しても死ななかった”ということを解明して、ようやくこの問題に決着がつきました(4)。現在では完全に滅菌するためにはオートクレーヴという料理で使う圧力釜のような装置を使って、120°C、2気圧で15分以上処理します。
 ダーウィンの自然選択説はいろいろ修正を加えられながらも、現在ではほぼすべての生物学者に認められた考え方です。しかし例えば2016年に米国の共和党大統領候補選挙に出馬して、そこそこ人気があったテッド・クルーズなどは進化論否定論者ですし、米国では進化論と同時に「インテリジェント・デザイン説=何らかの知的な存在がすべての生物を創造した」も学校で教えなければならないという勢力が健在で、激しい論争が続いています。現在(2016年)でも米国人の1/3強は進化論を否定しています(5)。
 メンデルの法則もソ連(現ロシア)などでは20世紀になってからも激しい抵抗があり、ルイセンコ(1898年~1976年)は農業技師ミチューリン(1855年~1935年)の仕事(寒いロシアに適応した栽培品種をつくる研究、寒さに晒した種子は寒さに強い品種となり、それから採れる種子も寒さに強い品種になっている)を評価し、メンデルを否定しました。つまり、獲得形質の遺伝(ラマルク説)を支持したわけです。ルイセンコは政府にとりいりメンデル支持派を粛清・シベリア送りにしました。まさか自分の理論を支持したために処刑される人がでるとは、メンデルも墓の中で腰を抜かしたことでしょう(6)。
 メンデルはチェコのブルノ市郊外の農家で生まれました。彼は大変苦学してオロモウツ大学付属の哲学学校に入学し、ここで宗教・ラテン語・自然科学などの勉強をして、宗教家・科学者としての基礎を身につけました(7)。オロモウツ大学は1576年創設で、日本では織田信長の時代です。哲学学校を卒業したメンデルは、1843年にブルノ修道院に修道士見習いとして就職します。日本は江戸時代でしたが、1839年にはすでにブルノ~ウィーン間に鉄道が敷設されていました。図34-3は高速道路地図ですが、チェコの西側(ボヘミア)の中心はプラハ、東側(モラヴィア)の中心はブルノであることがよくわかります。ブルノ修道院の現況は図34-4に示します。

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図34-3 チェコの地図

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図34-4 ブルノ修道院の現況

 当時の修道院は宗教の中心であるのみならず、科学技術の中心でもありました。1840年にはブルノ修道院が主催してドイツ農業技術会議という大規模な学会が開催されています。院長のナップはメンデルの優秀さを認め、修道院の植物園を管理し、ブルノ哲学学校の教授でもあったクラーツェルにつけて植物学の研究をやらせようとしました。これがメンデルの生物学者としてのキャリアのはじまりだったわけです。
 クラーツェルは1848年までメンデルと共に、修道院の植物園を管理し、植物学の実験研究をやっていたそうです。しかしクラーツェルは当時チェコを支配していたウィーン政府からのチェコ独立を指導する反逆者として追放され、後に米国に渡って客死しますが、彼はダーウィンの「種の起源」を読んでいて信奉していたので、メンデルも当然影響を受けていたと思われます。ダーウィンはメンデルを知っていたとしても無視していたと思われますが、メンデルはダーウィンの理論を理解していた可能性が高いということです。
 メンデルは植物学のキャリアは積みましたが、決して優秀な修道士ではありませんでした。教員資格試験に落第し、看護師の仕事をさせると評判が悪いということで、困ったナップは彼をウィーン大学に留学させることにしました。当時のウィーン大学は世界最高クラスの科学者が集まっていた場所で、メンデルは多くの知識や考え方を学ぶことができたのでしょう。特に植物生理学者のフランツ・ウンガーはメンデルの法則の基礎となるような考え方をすでに持っていて、メンデルに影響を与えたと思われます。またメンデルはカール・ゲルトナーの植物の交配に関する実験結果を熱心に勉強していたようです。ゲルトナーは交雑一代目は親のどちらかの性質を受け継ぎ、交雑二代目に、交雑に用いた元の植物のそれぞれの性質が現れることをすでに見いだしており、このことは後のメンデルの法則の基盤になる知見です。
 メンデルはもともと記述的な生物学が得意ではなくて(だから教員資格試験に落第した)、物理学や数学が好きだったようです。ブルノに帰ったメンデルは遺伝という現象をなんとか数式で表現できないものかと考えて実験計画を練り上げました。メンデルはまず次のような仮説をたてました。
 メンデルの仮説: 生物体は各種の遺伝子の組み合わせで出来ており、その組み合わせに対応して形質が発現する。この過程は何らかの数学的な法則に従う。

以下はその仮説を検証するにあたってメンデルがたてた方針です。

1)この仮説を検証するため、メンデルは遺伝的に均一な(つまり雑種ではない)エンドウマメを、自家受粉を2年間繰り返して作成しました。こうしてできた純系のエンドウマメを出発点として交配を行い、上記の仮説の数学的法則があるかないかを検討しました。
2)メンデルはエンドウマメの形質のなかから、解析しやすいものを慎重に選択しました。メンデルは遺伝子のはたらきが現れた表現形質の集合体が生物だと考えていました。
3)メンデルが偉大だったのは、ひとつの形質はひとつの遺伝子によって決定されるものではなく、ある遺伝子とその対立遺伝子の優劣や相互作用によって決定されると考えたことです。これはあとでわかったことですが、実際に遺伝子は多くの場合ペアとなる染色体にひとつづつ存在し、それらのはたらきによって形質が決定されます。

参照

1)ウィキペディア: チャールズ・ダーウィン
2)ウィキペディア: ルイ・パスツール
3)NHK for Scool パスツールの実験
http://www2.nhk.or.jp/school/movie/clip.cgi?das_id=D0005300448_00000
4)ウィキペディア: 枯草菌
5)ウィキペディア: 進化論裁判
6)ウィキペディア: ルイセンコ論争
7)中沢信午著 「メンデル散策 遺伝子論の数奇な運命」 新日本新書 (1998)

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2020年1月14日 (火)

33.私たち以外の人類

 私たちはホモ・サピエンス(Homo sapiens)という学名の1属1種の生物ですが、私たちがチンパンジーとの共通祖先から進化する過程で、多くの種が生まれては消えていったと考えられます。後述しますが5万年くらい前までインドネシアの島でフローレス人が生きていたらしく、また少なくとも2万8000-2万4000年前までは私たちホモ・サピエンス=現生人類とは異なるネアンデルタール人がイベリア半島などで生きていました(1)。ネアンデルタール人が2~3万年前に絶滅して以来、人類は1属1種となりました。
  スミソニアン研究所がアップしている人類系統図(2)を簡略化して示したのが図1です。これによると人類は4つのグループに大別され、私たちはホモ・グループに属するとされています。他の3つのグループは100万年前以前に絶滅したため、最近100万年の間に生きていた人類はすべてホモ・グループ(ホモ属)ということになります。

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図33-1 人類の分岐図

 ネアンデルタール人とわれわれ現生人類はおそらく共通の祖先を持つ近縁種だと考えられます。ネアンデルタール人の遺伝子はかなり詳しく調べられていて、現生人類とは80万年前に分岐したとされています。分岐はアフリカで行われましたが、ネアンデルタール人の祖先は40~30万年前にアフリカを出てヨーロッパで繁栄しました。彼らの化石は主として南欧・南ドイツ・東欧の南部・中東から発掘されています。またネアンデルタール人とホモ・サピエンスは混血していて、私たちのケラチンの遺伝子は主としてネアンデルタール人から受け継いだとされています(3-4)。
 ネアンデルタール人と現生人類の頭蓋骨を比較すると(図33-2)、まずネアンデルタール人の頭が前後に長いということがわかります。もうひとつは眉の部分が張り出し、眼窩上隆起を形成しているということです。このことで思い出すのはキアヌ・リーブスとサンドラ・ブロック共演の映画「スピード」で、バス運転手を演じていたホーソーン・ジェイムスです。彼の顔が画面に登場したとき、「ネアンデルタール人!」と思いました(5)。

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図33-2 現生人類とネアンデルタール人の頭蓋骨の比較

 図33-3が復顔されたネアンデルタール人です(6)。もちろん顔はひとそれぞれですから、こんな人もいたんだなということですが。

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図33-3 復顔されたネアンデルタール人

 現生人類=ホモ・サピエンスは25万年前に東アフリカで誕生したとされていますが、彼らはネアンデルタール人よりかなり遅れて10万年前くらいにヨーロッパや中東に進出したようです。その後ネアンデルタール人と現生人類の祖先、そしてシベリアに住んでいたデニソワ人が小規模ながらも混血して、われわれ現在の現生人類が生まれたようです。デニソワ人はネアンデルタール人から分岐した人類であるとされていますが、確定した証拠はありません(6)。
 これはひとつの学説ですが、ネアンデルタール人が絶滅したのはイタリアの火山の噴火のためかもしれません。人口が激減しかつサピエンスとの交配が可能なら、次第にネアンデルタール人の血が薄まってしまったと考えられます。すなわち現生人類・ネアンデルタール人・デニソワ人は別種であるにしても、交配して生殖能力がある混血の子孫をつくることができたということです。あるいはこれらの人類はすべてホモ・サピエンスであり、亜種レベルでの違いとすべきであるという主張も説得力があります。
 21世紀になってからもう1種の人類、ホモ・フローレシエンシス=フローレス人がインドネシアのフローレス島の洞窟で発見されました(図33-4)。当初は1万2000年前まで生きていたとされていましたが、現在では5万年くらい前まで生きていたということになっています。考古学の世界は Nature のような雑誌に投稿された論文でも、すぐにひっくり返ってしまいます。ホモ・サピエンスがフローレス島に上陸したのが5万年前とされているので、ホモ・フローレシエンシスは現生人類=ホモ・サピエンスに滅ぼされたという可能性が高いということになりました(7-8)。
 フローレス人は骨の構造が現生人類とは大きく異なるので、体が小さい(大人でも身長1mくらい)のは小人症などではなくて、ホモ・ハビリスが島嶼化によって小型化したと考えられています(9)。島嶼化というのは、島に隔離された生物は食糧が乏しいことと、天敵がいないことで体が小さくなる傾向があるというという動物学の概念です。一方で国立科学博物館の海部陽介氏らは、ホモ・エレクトゥスの亜種であるジャワ原人がフローレス人の祖先であると主張しています(10-11)。いずれにしてもフローレス人も洗練された石器や火を使っていたらしいので、彼らなりに独自の進化を遂げていたと思われます。フローレス人の復元像は国立科学博物館で見学できるそうです(私はまだ見ていません)。

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図33-4 フローレス人(Homo floresiensis)の骨が発掘された洞窟 

左上はインドネシアの地図で、黄色い矢印が発掘現場のフローレス島

 

参照

1)Brill, D. (2006) Neanderthal's last stand, news@nature.com, 13 Septembre (2006)
doi:10.1038/news060911-8
http://www.nature.com/news/2006/060911/full/060911-8.html
2)Smithonian National Museum of Natural History. Human family tree.
http://humanorigins.si.edu/evidence/human-family-tree
3)Carl Zimmer, The New York Times, Toe Fossil Provides Complete Neanderthal Genome.
https://www.nytimes.com/2013/12/19/science/toe-fossil-provides-complete-neanderthal-genome.html?_r=0
4)日向やよい ニューズウィーク日本版 現代人は最大約2%ネアンデルタール人 人類史を塗り替える古代DNA革命
https://www.newsweekjapan.jp/stories/technology/2018/09/2dna.php
5)https://www.empireonline.com/people/hawthorne-james/
6)ウィキペディア: ネアンデルタール人
7)ナショナルジオグラフィック日本版 フローレス原人を絶滅させたのは現生人類だった?
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/16/033100119/
8)Dean Falk et al., The Brain of LB1, Homo floresiensis., Science, Vol. 308, Issue 5719, pp. 242-245 (2005) DOI: 10.1126/science.1109727
https://science.sciencemag.org/content/308/5719/242
9)Smithonian National Museum of Natural History. Homo floresiensis
http://humanorigins.si.edu/evidence/human-fossils/species/homo-floresiensis
10)ナショナルジオグラフィック日本版 人類進化の「常識」を覆した“小さな巨人”、フローレス原人
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/20130529/352350/
10)ナショナルジオグラフィック日本版 3Dプリンタでフローレス原人の脳サイズを測定
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/20130530/352490/

 

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32.現代の大絶滅

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図32-1 失われるアマゾンの森林 (from Shutterstock and Pixabay.com)

  生物学茶話では、これまで生物の歴史を俯瞰してきました。そのなかで、ほとんどの生物が死滅してしまうという危機(大絶滅)が何度か地球に訪れたということを見てきました。代表的なのはペルム紀末と白亜紀末の大絶滅ですが、どうやら現在の私たちはそれら以上の大絶滅のまっただ中にいるようです。
  現在地球上では、ひかえめにみて毎日100種を超える生物が絶滅しています。絶滅というのは、その種に属する個体がすべて死ぬということですから、半端じゃありません。例えば広島に原爆が投下されたときにも、広島市民全員が死亡したわけじゃありません。それよりも何千・何万倍もおぞましいことが毎日おこっているというのが現代です。
  種が絶滅したとすると、その種に食べられていた生物が異常発生してしまったり、その種を主食としていた生物が道連れ絶滅したりする可能性があり、巡り巡ってどんな人間にとっての不都合が発生するかは計り知れません。たとえばミツバチが絶滅してしまったら、ミツバチに依存している農業がたち行かなくなります。Jurriaan M. De Vos博士らの試算によると、現代の種消滅速度はバックグラウンドの約1000倍で、このままいくと将来10000倍までその速度があがるそうです(1)。
 生物の大絶滅によって、自然の秩序が失われ、地球の自然浄化作用も失われて、地球環境は加速度的に悪化し、私たちが住めなくなるようなひどい状態が来るのはここ100年以内の話しかもしれません。レッドブックに記載された生物を救うことは大事ですが、最も重要なことではありません。種の異常な速度による消滅は地球環境悪化のサインであり、そのことに気がついて、その消滅速度を遅くすることが重要です。ではどうすれば、遅くできるのか?
 今地球で普遍的に行われている資本主義は、投資したお金が増えて返ってくることを前提としています。すなわち生産活動の拡大が必須となります。このために人も企業も国も努力するわけです。それを阻害しようとする勢力は排除されます。これをやっている限り、森林伐採・自然破壊・環境汚染は避けられず、地球によって人類は報復されます。その報復が「適度」なうちに気がついてやめればいいのですが、このままでは人類はきっと最後まで資本主義をやめません。結局無数の生物種を道連れにして、人類は消滅するのでしょうか?
 資本主義をやめようという国際的コンセンサスができない以上、各国で個別に生き残る算段をするのでしょうか。例えば大部分の人類が滅びても自分たちだけは(日本だけは)生き残る・・・という方策を探すしかありません。ちょっとした大雨によるインフラ破壊を修復するめどもたたない日本政府に、そんな芸当ができるでしょうか? ダメでしょう。日本政府(=日本人)は企業活動を拡大あるいは維持するために死にものぐるいになっているので、自分たちが生物大絶滅を加速して自殺行為を行っていることなど、全く頭の片隅にもないのです。
 キーポイントはマスコミです。「景気をよくしろ」とか「株価をあげよう」とか「生産活動を拡大しよう」とかの方向でマスコミが発信している限り、資本主義という<<生産活動が拡大しないとなりたたない>>制度を廃止することはできません。大絶滅阻止活動は日本だけやっても意味がないので、世界レベルでのマスコミの発信が必要になります。そのためには、まず新聞記者やTVプロデューサーと環境問題専門家による国際会議を行うことが必要でしょうね。

 地球環境の危機は、その資本主義の総本山である米国の機関からも警告されています(2)。

 <<米国自然史博物館からの警告>>

1)我々は生物大絶滅時代のまっただ中にいます。このことは多くの生物学者が認めていることです。

2)生物多様性の消滅によって、地球が本来もっている空気や水の自浄作用が失われることになります。

3)生物大絶滅は次の世紀における人類の生存を危うくするほどのものなのに、多くの人々はそのことに気がついていない。

<<企業活動と生物多様性>>
ネスレ社がキットカットをつくるために大規模な森林破壊を行ったことで、バッシングを受けましたが、それだけでなく多方面から生物多様性について分析しているサイトがあります(3-5)。

<<三畳紀末の大絶滅との類似性>>
ダンヒルやウィルスは三畳紀末の大絶滅に注目しています。この大絶滅は火山の大噴火によって発生したのですが、最初は火山周辺の生物が絶滅しましたが、そのうち地球全体の生物が影響を受け、多くの種が失われました。このときの状況が現在と類似していると著者は警告しています(6-7)。

<<ミツバチの減少は何をもたらすか >>
多くの植物は、ミツバチによって花粉を運んでもらっています。ミツバチが死滅すると、困るのは人間です(8-9)。

 最近現代の大絶滅をとりあげるサイトも増えましたが(10-11)、科学者や環境保護団体だけが叫んでいたのではお話にならないのであって、政治家やマスコミがこのことをとりあげないといけないのです。放置すれば21世紀には食糧不足などから資源の争奪戦がおこり、悲惨な戦争で人類が絶滅する可能性もあります。おそらく人類の知能レベルから言って悲劇を回避するすべての試み(例えば株式市場を閉鎖するなど)は失敗し、結局最後はペルム紀の大絶滅を生き延びた生物のように、穴に潜り眠るということしか出来ないのかもしれません。科学者ができることと言えば、遺伝子操作でヒトに冬眠・夏眠の能力を付与するくらいのことでしょうか。あと地上に太陽光パネルを並べるくらいのことはできるかな。

参照

1)Jurriaan M. De Vos et al.,  Estimating the normal background rate of species extinction., Conservation Biology, Volume 29, Issue 2, pp. 452-462,  (2015)
http://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1111/cobi.12380/abstract;jsessionid=78F8B9C7E39C7F662636CB049B9D4E71.f02t01
2)National Survey Reveals Biodiversity Crisis - SCIENTIFIC EXPERTS BELIEVE WE ARE IN MIDST OF FASTEST MASS EXTINCTION IN EARTH'S HISTORY
http://web.archive.org/web/20070607101209/http://www.amnh.org/museum/press/feature/biofact.html
3)水田の生物多様性 企業活動と生物多様性 世界的ブランドの窮地
http://agrinext.jp/archive/tayousei/chapter1/
4)水田の生物多様性 企業活動と生物多様性 6度目の生物大量絶滅時代
http://agrinext.jp/archive/tayousei/chapter1/page02.html
5)水田の生物多様性 企業活動と生物多様性 生物多様性劣化の要因
http://agrinext.jp/archive/tayousei/chapter1/page03.html
6)Alexander M. Dunhill & Matthew A. Wills., Geographic range did not confer resilience to extinction in terrestrial vertebrates at the end-Triassic crisis.,  Nature Communications 6, Article number: 7980 (2015)
https://www.nature.com/articles/ncomms8980
7)「現在は6度目の大量絶滅期」 英誌に衝撃の論文…環境破壊で「第4次」酷似
https://www.sankei.com/life/news/150822/lif1508220002-n3.html
8)ミツバチがいなくなったら、いったいどうなるの?
https://www.greenpeace.org/japan/sustainable/story/2015/02/06/2688/
9)農業においてミツバチはとっても重要!いなくなるとどうなる?
https://nira-melon.net/news/agricultural-honeybee/
10)カラパイア 6度目の大量絶滅まであと100年くらい?我々は今、大量絶滅の最中にある。
http://karapaia.com/archives/52241943.html
11)世界遺産ニュース19/06/05: 現代は100万種が失われつつある大量絶滅時代
https://www.hasegawadai.com/world-heritage/世界遺産最新情報-世界遺産ニュース/

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31.古第三紀以降の生物 II

 サル目の別称に霊長目という呼び方がありますが。これはサルを生物の頂点と考える思想が根幹にあると思われるので、生物学者にとっては不本意な命名です。つまり今生きている生物はすべて、生命の起源から命を連綿と受け継いでいる者達で、すべて同じ長さの歴史を持っているという意味ではそれぞれ同一線上にあります。このような見方にたつとすれば、霊長という名は適切でないかもしれません。というわけで、ここではサル目という呼称を採用します。まずサル目の進化についての分岐図(図31-1)を示します。
 DNAの解析などからサル目の生物は白亜紀から存在したとされていますが(1、図31-1)、実際にサルと非常に近いとされるプルガトリウス(図31-2)という生物の化石が、6600万年前の白亜紀地層から発見されています。プルガトリウスは体長10cmくらいの一見トガリネズミのような生物ですが、歯の種類と配列(上下顎骨それぞれに6本の門歯、2本の犬歯、8本の小臼歯、6本の大臼歯 = 全部で44本の歯)がサルと同じなので、サル目の始祖と考えられています(2-3)。
  また5500万年前の地層からは、メガネザルと極めて近いサルの化石が発見されています(4-5)。この生物はオマキザル上科に属するマーモセットの特徴も兼ね備えていることから、メガネザルのグループと、ヒトなどのグループ(オマキザル・オナガザル・テナガザル・ヒト)の分岐点に位置する生物と考えられます(図31-1)。

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図31-1 サル目の分岐図

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図31-2 プルガトリウス

 さてあらためて図31-1をみると、サルはもっともおおざっぱに分けるとヒト・メガネザル系とキツネザル・ロリス系に分かれます。キツネザル・ロリス系の共通祖先は白亜紀に他のサルと分岐したと考えられています。彼らの共通祖先として、化石生物であるアダピ形類(5)が知られています。キツネザル・ロリス系のグループを曲鼻猿類と呼称することもあります。曲鼻とは鼻腔が屈曲して鼻孔が左右に離れて外側を向いていることを意味します。
  キツネザルは現在マダガスカル島にしか住んでいませんが、ロリスは世界各地に分布しています。ワオキツネザルの写真を貼っておきます(図31-3)。ワオキツネザルの顔をみていると、プルガトリウスがサルからかけはなれているとも言えないような気がしてきます。アイアイも曲鼻猿類のひとつでマダガスカル島の特産です。絶滅が危惧されていますが上野動物園の小獣館で見ることができます。完全空調でライトコントロールもされていてかなり元気です。ただし非常に暗いところで飼育されているので、写真撮影は困難です。キツネザルは競合種や天敵が少ないことから大繁栄していたようですが、人間が上陸してからは地上から追い払われ、絶滅が危惧される状態にまで追い詰められました。

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図31-3 ワオキツネザル(Lemur catta ) 市川動物園で撮影

 曲鼻猿類は私たちがイメージする「猿」とはやや異なる風貌をしていて、最近まで猿とはされていなかったものも含まれています。また以前はメガネザルもキツネザルやロリスのグループに入れられていましたが、最近の分子生物学的研究の成果によって、オマキザルやヒトなど真猿類に近いことが明らかになりました。
 メガネザル類と私たち真猿類を合わせて直鼻類と呼称します。直鼻とは鼻腔がまっすぐで鼻孔が左右そろって前方ないし下方を向いているという意味です。曲鼻猿類・直鼻猿類ともに、分類学上は亜目ということになります。
 フィリピンメガネザル(6、図31-4)は体長わずか12cm程度の世界最小の猿です。「スターウォーズ」に出てくるヨーダのモデルといわれています。手の指が妙に人間ぽい感じです。古第三紀にはいってすぐという非常に古い時代(約6000万年前)に他の直鼻猿類と分岐したので(図31-1)、風貌はむしろ曲鼻猿類に似ています。夜行性です。
 絶滅危惧種ですが、セブ島近郊のボホール島で観光名物にされていて、ツァーもあるようです。好ましいとはいえないかもしれませんが、それで得たお金で保護されているというので致し方ありません(7)。文献7から引用します「この島に生息する人気者は、世界最少のメガネザル「ターシャ」です。くりっと愛らしい大きな目が特徴のターシャは、体長約10cmほどしかなく、手の中にもすっぽりと納まってしまう小型サイズ。あまりの小ささにポケットに入れて持って帰ってしまう密猟が横行し、絶滅危惧種に指定されて大切に保護されています。驚くべきは、その生態。人間以上に繊細な性格で、ストレスがかかると自ら木などに頭をぶつけて自殺してしまうのです!環境の変化や温度差、人間がむやみに触れたり追いかけたりすることがターシャにとっては大きなストレスとなる為、観光客が触れることも禁止されています」(引用終了)。

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図31-4 フィリピンメガネザル(Carlito syrichta)

 再び図31-1をみますと、4000万年前を少し過ぎたあたりでオマキザル上科が分岐しています。新世界猿とも呼ばれるグループで、主に南米に分布します。サキ(図31-5 シロガオサキ この写真はフリーフォトサイト「足なり」より)、クモザル、オマキザルなどがこのグループに所属します。

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図31-5 シロガオサキ(Pithecia pithecia)

 オマキザル科には、マーモセット、タマリン、オマキザル、リスザルなどが所属します。特にオマキザル属のサルは、チンパンジーにも匹敵するくらい知能が高いと考えられています。道具を使ったり、絵を描いたりすることもできるそうです(8)。
 ナキガオオマキザル(9)は、5才の少女(マリーナ・チャップマン)を仲間の一員として迎え、彼女に教育をほどこして共同生活をしていた記録があります(10)。この本は私も購入して読みました。感想文をアップしております。興味のある方は一読していただけるとうれしいです(11)。特に毒草に苦しむ彼女を、長老のサルが泉まで連れて行って突き落とし吐かせたというくだりには鳥肌が立ちました。
 オマキザル上科と対照的にオナガザル上科のサルはアジア・アフリカに分布していて、旧世界猿とも呼ばれます。おなじみのニホンザル(12、図31-6)もオナガザルのグループに所属しています。尻尾が短いじゃないかといわれるかもしれませんが、それは彼らが北限の猿と言われているように寒い地域で生活するうちに適応したと思われます。長くてあまり使わない尻尾はしもやけになってしまうかもしれません。
 オナガザルはニホンザル・マンドリル・マントヒヒなどオナガザル亜科のグループと、テングザル・キンシコウ・コロブスなどのコロブス亜科に分かれています。オナガザル上科とヒト上科(ヒト科とテナガザル科)が分岐したのが、2600万年前あたりとされています。

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図31-6 ニホンザル(Macaca fuscata)

 最後に残ったヒト上科はテナガザル科とヒト科からなっています。ヒト上科に属するサルを類人猿と呼ぶこともあります。テナガザル科とヒト科が分岐したのは2000万年前あたりとされています(13)。テナガザルは東南アジアに棲息する樹上性・昼行性のサルで、上野動物園などで見ることができますが、野生のものは絶滅危惧種が多い状態となっています。
 ヒト科の現存生物はオランウータン・ゴリラ・チンパンジー・ボノボ・ヒトです。これらの系統分岐図を図31-7に示します。オランウータンは他のヒト科グループと1300万年前くらいに分岐しました。オランウータン属はアジアに棲息するわずか2種(ボルネオオランウータンとスマトラオランウータン)からなります。ゴリラやチンパンジーと違って、手でこぶしを作って歩くナックルウォークをしません。樹上生活者ですが、地上を歩くこともあり、その時には指の腹側を地面に接触させて歩きます。

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図31-7 ヒト科の分岐図

 市川動物園でオランウータンの母子を観察したことがありますが、子供が段ボールをちぎって頭に乗せるという遊びを、じっと楽しむように見つめている母親が印象的でした(図31-8)。母子はずっと一緒にいて、とても親密な感じです(図31-9)。

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図31-8 スマトラオランウータン (Pongo abelii) 
段ボールをちぎってかぶる子供

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図31-9 スマトラオランウータン (Pongo abelii)
親密な母子

 ゴリラはヒト・チンパンジーのグループと700万年前くらいに分岐し、現在はアフリカに子孫を残しています。以前は1種だけだと考えられていましたが、(西ローランドゴリラ+クロスリバーゴリラ)ともうひとつのグループ(東ローランドゴリラ+マウンテンゴリラ)の遺伝的差違が大きいことから2種となっているようです(14)。ゴリラは地上に降りたサルで、しかも昼行性です。地上に降りた以上、猛獣に襲われることもあり得るわけで、実際ヒョウに食べられたという例も報告されています。
  チンパンジーもアフリカのみに棲息する生物で、1属2種(チンパンジーとボノボ)です。チンパンジーは樹上生活者で昼行性ですが、ボノボはかなり地上でも活動するようです。チンパンジーがヒトから分岐したのは、ミトコンドリアDNAの全塩基配列解析から487万年前±23万年とされています(15)。言い換えれば、このときから、ヒトという属あるいは種の歴史が始まったとも言えます。600-700万年前に生きていたとされるサヘラントロプス(トゥーマイ)は、年代から言ってヒト属ではありません。むしろヒトとチンパンジーの共通祖先かもしれません。
 ボノボは非常に高い知性をもっており、ヒトと最も近い生物だと言えるでしょう。何しろパックマンでちゃんと遊べるそうですから(16)。ボノボはチンパンジーとは性行動が非常に異なるようです(17)。また争いを好まない平和的な生物だそうで、この点ではヒトよりも進化しているのかもしれません。
 最近何万年かの間にヒトは大発展して、現在では環境破壊によって他のサルを絶滅に追いやっているような状況ですが、それまでの時代、ヒト科の生物はマイナーな存在だったと言えます。だいたいオランウータン・ゴリラ・チンパンジ-・ヒトすべて種の数が少なすぎます。それぞれ1属1種か2種という地味さで、これでは世界各地の様々な環境に適応して、各地で繁栄するというわけにはいかないでしょう。例えばオナガザル上科の生物の方が圧倒的に種も頭数も多くて、優位に立っていたと思われます。ヒト科の生物の骨が稀少なのは、それなりに理由があるわけです。ヒトが農業や工業を発展させて大繁栄したというのは、地球の歴史の中で非常に特殊な出来事です。

参照

1)長谷川政美著 「系統樹をさかのぼって見えてくる進化の歴史」 ベレ出版 (2014)
2)Wikipedia: Purgatorius,  https://en.wikipedia.org/wiki/Purgatorius
3)Van Valen, L.; Sloan, R. (1965). "The earliest primates". Science. vol. 150 (3697): pp. 743–745. (1965)  doi:10.1126/science.150.3697.743. PMID 589170
4)The oldest known primate skeleton and early haplorhine evolution. Xijun Ni et al., Nature 498, 60–64 (2013)
https://www.nature.com/articles/nature12200
5)Wikipedia: Adapiformes,  https://en.wikipedia.org/wiki/Adapiformes
6)Wikipedia: リンク切れ
7)たび こふれ 繊細すぎて自殺しちゃう猿?!ボホール島の世界最小のメガネザル「ターシャ」がストレスで絶滅危惧種に!
https://tabicoffret.com/article/2519/
8)ウィキペディア オマキザル属
9)https://www.youtube.com/watch?v=DFV49Ko0o3k
10) マリーナ・チャップマン著 宝木多万紀訳 「失われた名前 サルとともに生きた少女の真実の物語」 駒草出版 (2013)
https://morph.way-nifty.com/grey/2018/09/post-2659.html
11)渋めのダージリンはいかが: 失われた名前 by マリーナ・チャップマン
https://morph.way-nifty.com/grey/2018/09/post-2659.html
12)Wikipedia: Japanese macaque,  https://en.wikipedia.org/wiki/Japanese_macaque
13) 「人類歴史年表」 http://www.eonet.ne.jp/~libell/sinkakeitouzu.html
14)國松豊 ヒ ト科の出現 -中新世におけるヒト上科の展 開-
Journal of Geography vol. 111(6) pp. 798-815 (2002)
file:///C:/Users/User/AppData/Local/Microsoft/Windows/INetCache/IE/B04HR93V/111_798.pdf
15)ウィキペディア: チンパンジー
16)https://www.youtube.com/watch?v=Rh8gfIcjQNY
17)共同体社会と人類婚姻史 性の問題を力で解決するチンパンジーと力に関わる問題をセックスで解決するボノボ
http://bbs.jinruisi.net/blog/2013/06/1147.html

 

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30.古第三紀以降の生物 I

   白亜紀に続く時代は古第三紀です。古第三紀は6600万年前から2300万年前までの時期です。白亜紀末におこったチクシュルーブ衝突体による大災害で、鳥類以外の恐竜は死滅し、一方で哺乳類はかなりの種が生き残りました。哺乳類の母乳による育児や雑食性についてはすでに述べましたが、彼らが生き残った理由には、他にもペルム紀大絶滅の時と同様、穴居生活を習慣とする者がかなりいたことや、冬眠・夏眠ができる能力がある者が多かったことが決め手になったのかもしれません。また穴にもぐることと、夏眠・冬眠することとは常識的に考えても密接に関連しています。
 哺乳類や他の生物についても数千万年も経過した化石のDNAは系統進化の研究に利用できませんが、哺乳類や鳥類の場合、化石しかない絶滅生物群と違って、現在も多数の種が生きているという大きなメリットがあります。この点が科学研究の方法において、古第三紀以降とそれまでの違いです。現存生物のDNAやタンパク質を比較することによって、それらの姻戚関係の遠近が推定されますし、グループ分けも可能です。またいつそのグループが分岐したのかについても推定できます。もちろん哺乳類・鳥類以外の現存生物、魚類・昆虫・爬虫類・植物などについても同様です。
 大絶滅によって鳥類以外の恐竜がほぼ絶滅したことは、生き残った哺乳類にとって望外の幸運でした。1億数千万年にわたって恐竜によって閉め出されてきた地上のニッチの大部分がフリーになったわけですから、あっという間にそれらは哺乳類、特に先進的な有胎盤類によって埋められました。樹上生活、穴居生活、夜行性などの条件付きで生きてきた哺乳類が昼間の地上を闊歩し始めたというわけです。ウィンタテリウムやピロテリウムなどの大型草食獣が草食恐竜に代わって出現しました。ネコ・イヌの祖先である肉食獣や絶滅したアンドリュウサルクスなどもいました。私たちの祖先であるサルは相変わらず樹上で生活していました。
 図30-1の進化系統図は M.S.Springer らがまとめたものですが(1)、多くの研究者の研究成果が含まれています。普通の進化系統図と違うのは絶対時系列で分岐点が示されていることです。翻訳した上に簡略化したので、詳しい情報を得たい方は原著(1)をご覧下さい。

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図30-1 哺乳類の進化系統図

 ここでちょっと驚くのはサルがすでに白亜紀に棲息していて、しかもメガネザル・キツネザル系のグループと、それ以外のグループに分岐していたという点です。霊長類についての詳細は稿をあらためて述べたいと思いますが、白亜紀の終わり頃には、かなりバラエティーに富んだ哺乳類が棲息していたことが示されています。そしてその多くのグループが、白亜紀末の大絶滅を乗り越えて、現在まで命をつないでいるのです。しかし数多い哺乳類のすべてにここで言及するのは無理なので、犬猫類(このセクション)と人猿類(次セクション)については少し詳しく、その他は簡潔に述べたいと思います。
 図30-1によると犬と猫が意外に近縁の生物であることがわかります。彼らは第三紀にはいってかなり経過してから分岐しました。では犬と猫の共通の祖先はどんな生物だったのでしょうか? その候補はミアキス・ヴルパヴス・ドルマーロキオンなどですが、生きた化石のような生物がマダガスカルにいます。それはフォッサです(2、図30-2)。マダガスカルは白亜紀に大陸から分離して孤島になったので、当時の動物がそのままに近い形で生き残っていたとしても不思議ではありません。

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図30-2 フォッサ(Cryptoprocta ferox)

 図30-2をみるとちょっと感動します。体長が60~80cmのこの動物は、容姿が犬のようでもあり、猫のようでもあります。鼻はイヌっぽい感じですね。手足が頑丈に見えます。肉食獣で、樹上に住み、夜行性だそうですが、子供は地上の穴などで育てていたようです。上野動物園で実物を見ることができます。私も1年に一度はこの動物を見るために上野動物園に行きます。絶滅危惧種なので、無事に生き延びることを祈りたいと思います。フォッサの生態についてはウェブサイト(3)に動画があります。彼らがいかに上手に樹上を移動するかがよくわかります。
 白亜紀には地上はほぼ恐竜に支配されていたので、哺乳類は昼間は樹上か穴で生活し、必要なら夜に地上を徘徊してエサを探すという生活をしていたのでしょう。恐竜は基本的に2足歩行であり、4足歩行する恐竜は大型草食動物がほとんどだったため、彼らにとって樹上での生活は困難だったと思われます。鳥類は歯を失ったうえに、飛翔に最適化した軽量な体に進化したため、ある程度体重のある哺乳類なら鳥類に襲われる可能性は少なかったのでしょう。子供は授乳で育てるので、親がある程度守ることができます。ミーアキャットなど集団生活をする哺乳類は、見張りをおくこともできます。
 犬と猫が分岐した後、ネコの系統の方にはニムラブス科(ネコ科と近縁ですが、同じではありません)の様々な生物が登場します。ディニクティスの図を貼っておきましょう(4、図30-3 Robert Bruce Horsfall による復元図)。体長1.1mのヒョウのような生物です。犬歯(牙)が長いので、サーベルタイガーのようでもあります。ニムラブスとネコは耳の構造に大きな違いがあるとされています。しかしその点と犬歯の長さを除外すれば、非常に現在のネコ科の生物と似ていると言えます。
 イヌと分かれたあと、最初期のネコ科の生物にはメタイルルスというピューマのような生物がいます(5)。これははやくもサーベルタイガーのような犬歯を持っており、これが進化とともにどんどん大きくなって、一般にも良く知られているスミロドンのようになったと思われます。ただしメタイルルスがスミロドンの直接の祖先とは考えられていません。ツシマヤマネコがメタイルルスの子孫だという説はあるようです。スミロドンの犬歯はあまりにも巨大で却って邪魔だと思いますが、専門家の間でもどうしてこうなったのか議論があるそうです。私の想像では、スミロドン系のネコは中小型のすばしっこい動物を捕らえるほどの俊敏さ、またはスピードがなく、また集団で狩りをするタイプでもなかったので、比較的大型の草食獣にいどみかかるしかなかったため、犬歯が異常に発達したのではないかと思います。

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図30-3 ディニクティス

  スミロドンのグループは絶滅しましたが、ネコファミリーのなかで犬歯を巨大化させなかったグループは、現在も図30-4のようにトラ・ライオン・ジャガー・カラカル・オセロット・家庭猫・ヤマネコ・チータ・ピューマなど多くの種が生きています。

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図30-4 ネコ科の分岐図  右端の“サラ”は私の飼い猫です。

 さて、では最初期のイヌはどのような生物だったのでしょうか? 土屋氏の著書(6)にしたがって紹介します。最初期のイヌを代表する生物としてヘスペロキオンが知られています(7、図30-5 Robert Bruce Horsfall の復元)。まだイヌというよりシベット猫(8-9)に似ています。ヘスペロキオンは後ろ足の指が5本あり、現在の飼い犬の後肢の指は4本なので、それなりに原始的な生き物ではありました。糞の化石を調べたところ齧歯類(ネズミなど)を食べていたようで、俊敏なハンターであったことが想像できます。

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図30-5 ヘスペロキオン(Hesperocyon gregarius )

 イヌ科の分岐図を次に示します(図30-6)。ヘスペロキオンの次に現れたレプトキオンは、イヌとキツネの中間的な生物のように思われます(10)。この生物の仲間の子孫から、キツネ・タヌキのグループとオオカミ・イヌのグループが分岐したと考えられています。もっと詳細な分岐図をご覧になりたい方は、ウィキペディアのサイトにアップされているので参照して下さい(11)。
 オオカミ・イヌのグループの中にもキツネという名前の付いた生物がいます。クルペオキツネなどはがそうですが、彼らはキツネよりひとまわり大きな体で、DNAの研究によって、キツネ・タヌキのグループではなく、オオカミ・イヌのグループに属しているとされています(図30-6)。図30-7をみると、風貌はコヨーテ(図30-8)に似ている感じです。
 図30-6でイヌ科に最も近い生物と思われる最上段のミアキスという生物が気になります。以前にはミアキス科というのが存在したようですが、研究が進むにつれて、これは系統がよくわからない生物の寄せ集めだったと理解されているようです。イタチやフォッサに似たような生物も含まれているようです(12)。
 見た目からすると、コロコロした体型で泳ぎが得意なヤブイヌと、チータのように草原を快速で疾走するタテガミオオカミが近縁だというのは意外ですが、DNAはウソをつかないのでしかたありません。ヤブイヌは埼玉こども動物自然公園やよこはまズーラシア動物園で見ることができるそうです(13)。タテガミオオカミは上野動物園にいます。先日見に行ったときは、ずっと寝ていたため本領発揮の姿はみられませんでした。残念。

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図30-6 イヌ科の分岐図

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図30-7 クルペオキツネ

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図30-8 コヨーテ

参照

1)M.S. Springer et al. The historical biogeography of mammalia.  Phil. Trans. R. Soc. B, vol. 366, pp.2478-2502 (2011)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC3138613/
2)Wikipedia: Fossa,  https://en.wikipedia.org/wiki/Fossa_(animal)
3)珍獣図鑑アルパカパカス マダガスカル諸島最大の肉食動物、森の怪猫・フォッサ。
http://www.alpacapacas.com/archives/845
4)Wikipedia: Dinictis,  https://en.wikipedia.org/wiki/Dinictis
5)Wikipedia: Metailurus,  https://en.wikipedia.org/wiki/Metailurus
6)土屋健著 「古第三紀・新第三紀・第四紀の生物」上 技術評論社 (2016)
7)Wikipedia: Hesperocyon,  https://en.wikipedia.org/wiki/Hesperocyon
8)ナショナルジオグラフィック日本版 マレーシアの希少種:タイガーシベット
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/2942/
9)五百部裕 マハレの動物たち 第23回ジャコウネコ科
http://mahale.main.jp/chimpun/031/02.html
10)The free social encyclopedia: Leptocyon,  https://alchetron.com/Leptocyon
11)ウィキペディア: イヌ科
12)ウィキペディア: ミアキス
13)はまれぽ.com: マーキングの芸達者「ヤブイヌ」
http://hamarepo.com/story.php?story_id=1694

 

 

 

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29.白亜紀の生物 IV

  「白亜紀の生物」の最後に、恐竜・鳥類・哺乳類以外の生物について概観したいと思います。白亜紀の海の生物の化石は、レバノンから数多く発掘されるそうです。当時のレバノンは温暖な内海で、多くの魚類やその他の海の生物が数多く暮らしていたようです。「Memory of time」 のサイト(1,2)や本のPDF(3)に、美しい化石の写真が数多く展示されています。魚類としてはエイの仲間の軟骨魚類、バラエティに富んだ条鰭類のほか、肉鰭類の化石も出ています。キクロバティスという美しいエイの化石があります(4、図29-1)。大変珍しい9500万年前のタコの化石もみつかっています(5)。白亜紀後期の超巨大なイカとタコの化石は北海道羽幌町からも出土しています(6)。オウムガイやアンモナイトも健在。

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図29-1 キクロバティス(Cyclobatis oligodactylus)

 白亜紀には浅海底の珊瑚礁が奇妙な二枚貝に駆逐されるという事件がおこりました。その二枚貝は厚歯二枚貝(ルディスト)という動物の角のような形の不思議な貝です(7)。海洋の大型動物としては首長竜や魚竜も健在でしたが、魚竜は白亜紀の半ばで絶滅してしまいます。代わってモササウルスという海棲爬虫類が登場します(8、図29-2)。体長15m前後の巨大生物で、凶暴な肉食生物だったようです。モササウルスは恐竜ではなく、現生生物ではオオトカゲに近縁のようです。

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図29-2 モササウルス(Mosasaurus hoffmannii)

 恐竜全盛時代にも、ワニは堂々と水辺のテリトリーを確保していたようです。ヘビはおそらく白亜紀に誕生したと考えられています(ジュラ紀の化石がない)。カメが海洋に進出したのも白亜紀のようです(9)。空には有名な巨大翼竜のプテラノドン(図29-3)が飛んでいましたが、翼竜は次第に鳥類にニッチを奪われていき、白亜紀末期にはごくわずかしかいなくなっていたようです。

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図29-3 プテラノドン(Pteranodon longiceps)

 ジュラ紀末期か白亜紀初期に被子植物が登場して、地球は花が咲く惑星となりました。しかしその美しい地球に、突然の悲劇がおとずれました。それは小惑星が6550万年前にユカタン半島に激突したことにはじまります。
 激突したときにできたクレーターは現在でも確認できます(11,図29-4)。この衝突を契機として世界各地に地層の境界が確認され。それはK-T境界と呼ばれています。衝突時のエネルギーは広島型原爆の10億倍。津波の高さは300メートルという想像を絶する規模の災害で、カンブリア紀以前のことはわかりませんが、カンブリア紀以後では史上2番目の規模の生物大絶滅が発生しました(最大規模はペルム紀末の大絶滅)。
 ルイス・W・アルバレツらは1980年にK-Pg境界(Cretaceous-Paleogene boundary 白亜紀と第三紀の境界)に、地球表層にはほとんどないイリジウムが多量に含まれていることから、小惑星の衝突による「衝突の冬」説を提唱しました(11)。衝突地点がユカタン半島だということを発見したのは、ボホールとセイツで、1990年のことでした。この説は現在多くの研究者によって認められているそうです。この衝突地点には硫黄が多く含まれた岩石があり、衝突で粉砕されて毒や酸性雨として地球全体にふりそそいだほか、エアロゾルとして太陽光を遮断しました(12)。
 この災害によって、鳥類以外の恐竜、翼竜、首長竜、モササウルス、アンモナイト、厚歯二枚貝などは地球から姿を消しました。生き残った生物ももちろんいるわけですが、彼らがなぜ生き残ったかというのは謎です。体重25kg以上の生物は全滅したという指摘があります。エサを多量に必要とする生物が不利だということは理解できます。
 多くの被子植物はこの災害で数を減らし、一時的にシダ類に取って代わられたことからも、まず植物食の生物が餓死し、そしてそれらをエサとしていた肉食獣も餓死したのでしょう。しかし体重25kg以下の生物が無事だったわけではありません。ほとんどが小型だった哺乳類も35%の種を失いました(13)。哺乳類が生き延びたのは、その雑食性と母乳で子供を育てられたことが有利だったのかもしれません。

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図29-4 ユカタン半島
点線で囲まれた位置に小惑星(14、チクシュルーブ衝突体)が衝突したと考えられています。チクシュルーブは近郊の街の名前です。点線の内部は直径約200km・深さ15-25kmのチクシュルーブ・クレーターと呼ばれています。

 ワニやカメは長期間エサがなくても生きられるという特技があり、これは災害時の生存には有利だったのでしょう。実際あまりダメージは受けませんでした。また昆虫はサナギの状態のものは生き延びた上に、腐った樹木や動物の遺体を食べて生き延びた者も多かったのでしょう。一部のセミのように、十数年も地中で生活するような昆虫は圧倒的に有利だったでしょう。
 翼竜は絶滅したのに、鳥類が生き延びたのはなぜでしょう? しかも鳥類の中でも、孔子鳥、エナンティオルニス、ヘスペロルニス、イクチオルニスが絶滅し、現生鳥類の直接の祖先だけが生き延びたのはなぜでしょう? これは未解決の謎です。アイデアすらわいてきません。
 海では表層ほど環境が悪化したので、特にアンモナイトなど卵が海面に浮く生物は不利だったようです(9)。石灰質の殻をもつプランクトンも大打撃を受けたため、この災害を最後に石灰質が地層に蓄積されることはなくなりました。すなわち白亜紀の終了です。

参照

1)Memory of time.,  http://www.memoryoftime.com/home
2)Memory of time: Fossiles.,  http://www.memoryoftime.com/fossils
3)Mireille Gayet, Pierre Abi Saad, and Olivier Gaudant., The Fossils of Lebanon.,  Éditions DésIris 2003, 2012  ISBN (english version) 978-2-915418-97-2
file:///C:/Users/User/AppData/Local/Microsoft/Windows/INetCache/IE/C8FQEO1U/9782915418972_extrait.pdf
4)新宿樹海 化石のおさかな水族館 https://hanadagumo2.blog.ss-blog.jp/2019-01-27
5)土屋健著 「白亜紀の生物」上巻 技術評論社 (2015)
6)ITmedia News, 巨大なイカとタコの化石発見 史上最大級、北海道の白亜紀地層から
https://www.itmedia.co.jp/news/articles/1503/06/news083.html
7)Wikipedia: Rudists,  https://en.wikipedia.org/wiki/Rudists
8)ウィキペディア: モササウルス
9)土屋健著 「白亜紀の生物」下巻 技術評論社 (2015)
10)Wikipedia: Pteranodon,  https://en.wikipedia.org/wiki/Pteranodon
11)Alvarez LW et al.,  Extraterrestrial cause for the cretaceous-tertiary extinction. Science, vol. 208(4448): pp. 1095–1108. (1980)
12)千葉工業大学・大阪大学プレスリリース 白亜紀末の生物大量絶滅は、隕石衝突による酸性雨と海洋酸性化が原因 -世界初!! 宇宙速度での衝突蒸発実験に成功-
(2014)
file:///C:/Users/User/AppData/Local/Microsoft/Windows/INetCache/IE/B04HR93V/140311.pdf
13)Richard Southwood 著 垂水雄二訳 「生命進化の物語」八坂書房(2007)
14)ウィキペディア: チクシュルーブ衝突体  白亜紀末の生物大量絶滅は、隕石衝突による酸性雨と海洋酸性化が原因

 

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28.白亜紀の生物 III

 白亜紀の哺乳類の進化についてみてみましょう(図28-1)。哺乳類は三畳紀にサイノドンから分岐したようです。まず単孔類(現存するのはカモノハシ・ハリモグラ・ミユビハリモグラのみ)のような生物が生まれ、その後ジュラ紀に有袋類と有胎盤類(真獣類)が出現したと考えられています。

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図28-1 哺乳類の進化

 哺乳類(哺乳形類)の化石は今のところ2億2500万年前(三畳紀後期)に生きていたアデロバシレウスが最古とされています(1)。アデロバシレウスはサイノドンと哺乳類の中間的な生物かも知れません。アデロバシレウスやその他の三畳紀の原始的哺乳類(哺乳形類)の復元図はすでに「三畳紀の生物 II」で示しました。哺乳類は単系統とされているので、私たちすべての哺乳類の祖先がアデロバシレウスのような生物かもしれません。ただ三畳紀のサイノドンは、かなり哺乳類に近い顎や耳の骨を持つように進化してきていたので、いくつかのサイノドンから系統が異なる哺乳類が進化してきた可能性は残されているのではないかと私は思っています。
 哺乳類の遺伝子解析によれば、単孔類と有袋類・有胎盤類が分岐したのは、2億3100万~ 2億1700万年前(三畳紀中期から後期)と推定してされています(2)。これは系統図におけるアデロバシレウスの位置決めにとっては微妙です。2つの系統がわかれる前の生物だったのか、それとも後だったのかがわかりません。専門家は哺乳形類(原始的哺乳類の意味)という枠を設けて、そこにとりあえず放り込んでいます。
 単孔類に属するカモノハシとハリモグラ(3、図28-2)はいまでもオーストラリアとパプアニューギニアで生きています。彼らは尿道・生殖道・結腸の出口が共通で、この点が有袋類や有胎盤類と異なります。カモノハシは卵生で、鳥類などと同様、親が抱卵して暖めますが、ハリモグラは繁殖期にできる育児嚢のなかに卵を産み、そこで孵化するまで育てます。単孔類の母親は乳首は持っていませんが、乳腺はもっており、孵化した子は母乳によって哺育します(4)。中生代の単孔類にはよい化石がなく、復元も困難だそうです。新生代の化石からは歯を持った体長1メートルくらいと予想されるカモノハシがみつかっています(5)。現在のカモノハシは子供にしか歯はありません。カモノハシやハリモグラは横隔膜を持っていて、おそらく一部のサイノドンが発明した横隔膜を継承したと思われます。このほかハリモグラは育児嚢を持っており、有袋類との密接な進化上のつながりが示唆されます(3、4)。
 有袋類は現在でも多数の種類がオーストラリア、パプアニューギニア、北南米に生きています。彼らは尿道・生殖道は一体ですが、肛門が分化して結腸の出口は別になりました。また胎盤をもっていないか、胎盤が未発達なため、非常に未熟な段階で子供を産み落とし、育児嚢のなかで育てることになります。内温動物ではありますが、気温により保ちうる体温が変動するなど、有胎盤類や多くの鳥類に比べ、体温調節能力は低いとされています。

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図28-2 ハリモグラ(Tachyglossus aculeatus)

 有袋類の中生代の化石は稀少ですが、1億2500万年前(白亜紀前期)のシノデルフィスという生物の化石が中国でみつかっています。これはかなり良い状態で、毛皮の存在までわかる全身(全長約15cm)の化石で、オポッサムのような感じです(図28-3)。BBCニュースのサイトに掲載された復元図を閲覧できます(6)。川崎悟司氏も復元図を描いています(7)。

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図28-3 シノデルフィス(Sinodelphys szalayi)

 有胎盤類は現在主流となっている哺乳類で、ヒトももちろん含まれます。有胎盤類(真獣類)で特筆されるのは、ジュラ紀のところで述べた
ジュラマイアという1億6000万年前の生物の化石が見つかっているという点です。現存生物のDNAを比較すると、有袋類と有胎盤類が分岐したのは1億6000万年前くらいということですので、ジュラマイヤは分岐したばかりの有胎盤類といえるでしょう。ジュラマイヤはマウスくらいの大きさの生物で、樹上生活に適した前肢の構造が認められるそうです。昼間は安全な樹上で休み、夜間に地上で昆虫を捕食するなどの活動していたのかもしれません(8-9)。
 ジュラマイヤよりさらに完全な化石が2013年に中国で発掘されました(10)。これはハラミヤという、やはり1億6000万年前に生きていた、現在で言えばハタネズミのような感じの生物ですが、リスのような樹上生活をしていたと考えられています。硬い木の実を食べられるような歯をもっていました。多丘歯類(あとで登場)と近縁とも言われています。James Erjavec という人が復元図を描いていますが、どのくらいの根拠があるのかはわかりません(11)。
  同時期にやや毛色の違うカストロカウダというビーバーに似た生物も生きていました(図28-4)。体長約45cmで、水中で魚を補食していたと思われます。サイノドンと哺乳類の中間的な生物のようです。樹上とか河川などは恐竜があまり得意でないニッチで、われわれの祖先はそのような場所を見つけてしぶとくジュラ紀・白亜紀を生き抜いたのでしょう。

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図28-4 カストロカウダ(Castorocauda lutrasimilis)

 やはり1億6000万年前の地層から、ルゴソドンという多丘歯類(齧歯類に近い)の化石もみつかっています。ラットとリスの中間的な印象ですが、雑食性の樹上生活者だったようです。くるぶしが180℃回転するという、樹上生活に適した体の構造を持っていました。この後白亜紀大絶滅も生き延びて、多丘歯類は哺乳類の中ではかなり繁栄したグループと言えます。最終的には類似した齧歯類との生存競争に敗れたと思われ、現存している種はありません。ルゴソドンについては、美しいイラストと詳しい解説が文献(12)にあります。
 ジュラ紀・白亜紀に恐竜とまともにニッチを争って生きていた哺乳類は少なかったと思われますが、トリコノドン類はまさしくそのような生き方をしていたと考えられています。1億3000万年前の地層から発掘されたレペノマムスは全長が1m以上あって、恐竜プシッタコサウルスの幼体を襲って食べていた証拠もみつかっています。図28-5に近縁のゴビコノドンの復元図(13)を掲載しておきます。レペノマムスの復元図は川崎悟司氏がアップしています(14)。彼らは夜行性ではなかったという説もあります。

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図28-5 ゴビコノドン(Gobiconodon)

 1億2500万年前のエオマイヤの化石も美しく印象的です(15、図28-6)。全身がまるごとみられることと、明らかに体毛が化石として残っているのがすごいところです。哺乳類やサイノドンは体毛を持っていたと考えられていますが、実際に化石として残っているのは、これが今のところ最古でしょう。この生物も原始的な有胎盤類と考えられています。ジュラマイヤが発見されるまで、この生物の化石が最古の有胎盤類でした。

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図28-6 エオマイヤ(Eomaia scansoria)

 哺乳類は樹上を自分たちのニッチとして獲得したと思われるのですが、それ以外にも重要な点があります。それは彼らが夜間の行動を得意としていたことです。その名残は現在でもみられます。恐竜の末裔である鳥類は4原色の非常にカラフルな世界で生きていますが、「とり目」と言われるように多くの鳥類は夜が苦手です。一方哺乳類はほとんどの種類がモノクロに近い世界で生きていて、ヒトなど一部の霊長類だけが3原色の色彩世界で生きています。もともと夜行性の生物は色彩の認識は不用で、むしろ光に対する感度を高める方が重要でした(16)。夜行性ということは、私たち哺乳類の特性と密接に結びついています。上記の目の感度上昇、耳の感度上昇、においの感度上昇、これらは脳の機能の発達とも関係があります。体毛を持つ内温動物であることも、寒い夜に行動するには大きなメリットです。感覚毛(ヒゲ)の発達も、暗闇で目鼻を傷つけないため大事でしょう。多くの哺乳類ではヒゲによって物質の形を認識できるようです。ヒトのヒゲは体毛と同じ構造に退化してしまったため、そのような能力は失われました。

参照

1)Wikipedia: Adelobasileus,  https://en.wikipedia.org/wiki/Adelobasileus
2)Lisa A. Urry; Michael L. Cain; Steven A. Wasserman; Peter V. Minorsky; Jane B. Reece; Neil A. Campbell,  Campbell Biology (11th Edition). Pearson. (2016).  ISBN 978-0134093413
3)ウィキペディア: ハリモグラ
4)生物史から、自然の摂理を読み解く。 単孔類・有袋類・有胎盤類の比較
http://www.seibutsushi.net/blog/2008/02/404.html
5)ナショナルジオグラフィック日本版 巨大なカモノハシの新種、化石を発見
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/8517/
6)BBC News, Paul Rincon, Oldest marsupial ancestor found.
http://news.bbc.co.uk/2/hi/science/nature/3311911.stm
7)古世界の住人 川崎悟司 シノデルフィス・スザライ
http://paleontology.sakura.ne.jp/sinoderufisu.html
8)ナショナルジオグラフィック日本版 最古の真獣類化石、1億6千万年前
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/4773/?ST=m_news
9)Katherine Harmon, Jurassic Mammal Moves Back Marsupial Divergence., Scientific American (Aug, 2011)
https://blogs.scientificamerican.com/observations/jurassic-mammal-moves-back-marsupial-divergence/
10)ウィキペディア: ハラミヤ目
11)Los animales en la prehistoria.,
http://animalesprehistoria.blogspot.com/2013/07/animales-prehistoricos-con-la-letra-h.html
12)Supporting Online Material (Science Ms 1237970) Chong-Xi Yuan, Qiang Ji, Qing-Jin Meng, Alan R. Tabrum, and Zhe-Xi Luo
file:///C:/Users/User/AppData/Local/Microsoft/Windows/INetCache/IE/B04HR93V/Yuan-SM.pdf
13)Wikipedia: Gobiconodon,  https://en.wikipedia.org/wiki/Gobiconodon
14)古世界の住人 川崎悟司 レペノマムス
http://paleontology.sakura.ne.jp/repenomamusu.html
15)ウィキペディア: エオマイヤ
16)NHK恐竜プロジェクト著 監修:小林快次 「恐竜vsほ乳類」ダイヤモンド社(2006)

 

 

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2020年1月13日 (月)

27.白亜紀の生物 II

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図27-1 恐竜学入門

  図27-1は私が中生代の生物に関する記事を書く上で、参考にした教科書(1)の表紙です。この表紙で復元されている動物は、鳥類以外で最初に羽毛が発見された恐竜で、白亜紀前期に生きていた、体長1メートルくらいの「シノサウロプテリクス」というコエルロサウルス類の一種です。コエルロサウルスは獣脚類の1グループで、このなかから鳥類の祖先であるマニラプトルの生物群が生まれてきました。
  化石に羽毛が認められたので、当初シノサウロプテリクスは鳥だと考えられ、発見された中国では「中華竜鳥」とよばれているそうです。ちなみにシノサウロプテリクスという名前は支那の竜の翼という意味です。長い尻尾があるとか、飛ぶための羽がないとか、歯があるとか、シノサウロプテリクスは明らかに鳥類ではありませんが、それでも羽毛だけでなく、ステゴサウルス・イグアノドン・トリケラトプス・ティラノサウルス・デイノニクスなどのスター恐竜たちとは一見して異なり、恐竜と鳥のミッシングリンクが埋められたという直感的な印象はあります。
 シノサウロプテリクスの羽毛化石が発見されたのは1996年ですが、その後続々と羽毛恐竜の化石が発見され、ついに2014年にはロシアで鳥盤目のクリンダドロメウスの羽毛化石がみつかって、恐竜において羽毛は特定の系統の生物だけが持つものではないという考え方が一般的になりました。なぜなら鳥盤目の生物は、鳥類とは系統的に非常に離れた存在であるからです。最も原始的な羽毛はおそらく三畳紀に生まれ、ジュラ紀・白亜紀を通して、かなりの系統の生物に受け継がれ進化して、ついに飛翔の道具として使う鳥類が生まれたのでしょう。羽毛の起源や進化については私の過去記事も参照してください(2)。参照文献(2)に掲載されている系統図では、図27-2のアヴィアラエに相当するところが Paraves となっていますが、この Paraves というカテゴリーはほぼエウマニラプトラと同義と考えてよいと思います。

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図27-2 鳥類の分岐図

 さて図27-2はコエルロサウリア→マニラプトラ→エウマニラプトラと進化してきた系統が、ついに広義の鳥類であるアヴィアラエを生み出してから、現生鳥類へつながっていく系統図です。アヴィアラエの根元に近い生物がアーケオプテリクス(始祖鳥)です(図27-3)。アーケオプテリクスはジュラ紀後期の地層から発見され、現在では多数の標本が発掘されています。長い尾を含めて50cmくらいの体長で、第1指が他の指と対向していないので、枝に止まるという行動は苦手で、地上を走って勢いをつけてから飛翔していたと思われます。羽にはまだ指があり、歯ももっています(3)。

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図27-3 アーケオプテリクス(Archaeopteryx) 始祖鳥ともいわれる

 白亜紀前期になるとコンフシウソルニス(孔子鳥、Confuciusornis)が登場します。サイズはスズメより少し大きいくらいの生物で、羽にはまだかぎ爪がみられますが、歯は失っており、尾骨の萎縮もはじまっています(4)。孔子鳥はくちばしを獲得した最も古い鳥類ですが、口からくちばしへの進化は別系統の生物で何度も繰り返し行われており(たとえば鳥盤類・カモノハシ・イルカなど)、遺伝子の変化に一定のパターンがあると思われます。くちばしから口へはもどれないようです。多分歯を形成するための遺伝子が失われるからでしょう。鳥は手を失った代償として、口をくちばしに代えて、獲物をつかまずに丸呑みし砂嚢ですりつぶすという方式にするほかなかったのでしょう。
 しかし鳥類のメインストリームは孔子鳥のグループではなく、分岐したオルニソソラセス(鳥胸類)です。オルニソソラセスは2つの大きなグループ、エナンティオルニテス(エナンティオルニス、反鳥類などの呼び方もある)とオルニスラエ(真鳥類)に分岐します。エナンティオルニテスに属する鳥の復元図がウィキペディアにありました(図27-4)。

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図27-4 イベロメソルニス(Iberomesornis)

 エナンティオルニテスに属する鳥類はジュラ紀から白亜紀に多くの種類が存在し、サイズ的にはスズメからカモメくらいのものまでいたようです。このグループは第1指が他の指と反対向きについているので、容易に木の枝に留まることができたと考えられています。また翼を完全に体にくっつけてたためるようになりました。オルニスラエとの違いは見た目にはよくわかりませんが、ウィキペディアによると「肩甲骨と烏口骨の関節面において烏口骨側が瘤状に突出し、肩甲骨側が皿状に窪んでいることーを指している。現生の鳥類ではこの凹凸の組み合わせが逆になっている」となっています。まだ歯がある種が多かったようです。食性は多種多様だったようです(5)。白亜紀末の大絶滅によりエナンティオルニスは絶滅し、オルニスラエは生き延びたわけですから、もっと大きな違いがあってもよさそうですが謎はつきないのです。
  そして鳥類の最後にオルニスラエ(真鳥類)が登場するわけですが、図27-2の系統図にヘスペロルニスという名前があります。これは真鳥類なのに。まだ歯を捨てていないグループで、骨格図を示します(図27-5)。

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図27-5 へスペロルニス(Hesperornis regalis)

 この Hesperornis regalis という種は体高が1.8メートルもある、巨大なペンギンのような生物で、白亜紀後期に生存し、主に海にもぐって魚をとっていたと考えられています。とはいってもペンギンの祖先ではなく、白亜紀末に絶滅しました。
 より現生鳥類に近いイクチオルニスは鳩くらいのサイズで、やはり白亜紀後期に生存し、アジサシのように海中にダイヴして魚を捕っていたと考えられています。イクチオルニスも歯を持っていました(図27-6)。イクチオルニスの子孫も現在みつかっていません。結局生き残ったのは現生鳥類のグループのみということです。

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図27-6 イクチオルニス(Ichthyornis dispar)

  現生鳥類はすでに白亜紀に、シギ・ダチョウ・カモ・キジなどある程度分岐したグループをつくっていたようです。ならばそれらは白亜紀末大絶滅を生き残ったのに、どうしてイクチオルニスも、ヘスペロルニスも、エナンティオルニテスも、孔子鳥も絶滅してしまったのでしょう? それはまだ誰も答えられません。
  現生鳥類の代表として、よくうちに遊びに来るヒヨドリの写真(ガラス越しなので不鮮明ですが)を掲載しておきます。

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図27-7 現生鳥類 ヒヨドリ(Hypsipetes amaurotis)

 

参照

1)D.E.Fastovsky, D.B.Weishampel 著 真鍋真 監訳 藤原慎一・松本涼子 訳「恐竜学入門-かたち・生態・絶滅-」 東京化学同人 (2015)
2)渋めのダージリンはいかが 毛髪夜話2 羽毛の進化
https://morph.way-nifty.com/grey/2014/04/post-fcbc.html
3)Wikipedia: Archaeopteryx,  https://en.wikipedia.org/wiki/Archaeopteryx
4)ウィキペディア: 孔子鳥
5)Wikipedia: Enantiornithes,  https://en.wikipedia.org/wiki/Enantiornithes

 

 

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26.白亜紀の生物 I

 ジュラ紀につづく白亜紀(Cretaceous period)は1億4500万年前から6600万年前までの時代です。ジュラ紀と白亜紀の境界には絶滅などのイベントはありません。この時代に有孔虫・サンゴ・貝類などが繁栄して、彼らが残した石灰石のために地層の色が白くなって、このような名前が付けられました。この時代にパンゲア大陸はさらに細かく分裂し、現在とほぼ同じ大陸が形成されました。気候が比較的安定していた上に、大陸が海で隔てられたことにより、生物の多様化が進行しました。生物にとって住みやすい時代だったと言えますが、それは総論であって、個体にとっては油断するとあっという間に他の動物のエサになってしまうという危険な時代でもありました。
 生存競争を勝ち抜いて、地上を制覇したのは爬虫類であり、とりわけ竜盤類と鳥盤類が目立つ存在となりました。竜盤類のなかでも竜脚類は巨大な草食生物となり、獣脚類は雑食または肉食生物の道を歩むことになりました。一方鳥盤類は基本的に草食生物ですが、特異な武器や防具を進化で獲得し、獣脚類に対抗しました。
 鳥盤類の系譜は図26-1のようになります。

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図26-1 鳥盤類の分岐図

 ピサノサウルスは三畳紀の最初期の鳥盤類とされていますが、骨格は部分的にしか発掘されていません。レソトサウルスはジュラ紀初期の鳥盤類で、植物食で2足歩行を行っていたようです。体長は1mくらい、体高は40cmくらいです。白亜紀には分岐図右下の鳥脚類がメインとなりました。鳥脚類を代表する恐竜イグアノドン(1、図26-2)は、19世紀から化石が発掘され、古くから研究されています。

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図26-2 イグアノドン(Hypselospinus fittoni)

 イグアノドンは体長7~9mの巨大な4足歩行の植物食の恐竜で、巨大竜脚類と同様な生き方をめざしていたようです。竜脚類のような長い首はありませんが、歯は竜脚類より優秀な、すりつぶしに適した臼歯を多数持っていました。また上顎にすりつぶし運動に必要な関節があります。
  また周飾頭類を代表するトリケラトプス(2、図26-3)も白亜紀を生きた恐竜としては有名です。イグアノドンと同じくらいの大きさの4足歩行植物食恐竜ですが、大きく異なるのは顔面に巨大な角があることと、顔の周りにフリルがついていることです。角は人間で言えば鼻の頭と眉毛の部分に計3本あって、トリケラトプスの名前の由来となっています。この武器は肉食獣脚類と戦うのに役に立ったでしょう。フリルも防具として役立ったと思います。この他にも口角の部分に角がありますが利用法はよくわかりません。

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図26-3 トリケラトプス(Triceratops horridus)

 さてもう片方のグループ竜盤類です。竜盤類は主に竜脚形類と獣脚類からなります。竜脚形類についてはジュラ紀のところで説明したので、ここでは獣脚類について述べますが、まず分岐図(図26-4)を見て下さい。

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図26-4 獣脚類の分岐図

 初期の獣脚類の例として、三畳紀のコエロフィシスがよく研究されています(図26-5)。米国ニューメキシコのゴーストランチで大量の化石が発見され、彼らは群れで暮らしていたことがわかりました。体長が3メートルもあるのに体重は30kg未満というスマートな体型の生物です。
 コエロフィシスは完全2足歩行で(すなわち手が存在する)、手足の指は4本ずつあり、獣脚類を特徴付ける中空の部分がある脊椎骨と四肢骨を持っていました。すでに三畳紀において獣脚類の基本は確立されていたわけです。しかもこれらの特徴は、現在の鳥類にも受け継がれています。

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図26-5 コエロフィシス(Coelophysis bauri)

  獣脚類の特徴として、後肢が体の真下についていて、まっすぐ前に踏み出せたということがあります。ファッションモデルの歩行のように、足跡が1直線になっている化石もあります。現在の鳥類にもこのような歩き方をするものは少なくありません。このような特徴によって、他の爬虫類より足が速いというアドバンテージを得ることができました。
  図26-4を見ていただくと、コエロフィシスらと分かれてテタヌラエというグループがあり、その分岐にスピノサウルスという名前があります。スピノサウルスは白亜紀に棲息した獣脚類ですが、かなりユニークで特筆すべき生物です。まずその大きさですが、なんと体長が15~17mもある、ティラノサウルス以上の巨大な肉食生物で、私も国立科学博物館で全身骨格をみて驚きました(3、図26-6 国立科学博物館で撮影)。水中で獲物をとるワニのような生き方をしていたと考えられています。また背中に「帆」を持っていました。多くの獣脚類が羽毛をもっていたと考えられていますが、スピノサウルスの場合水中では羽毛は役立たないので、帆を進化的に獲得したものと思われます。あるいは、このような巨大生物の場合、温暖な環境で激しく動くと体温が上昇しやすく、熱を逃がすことが必要で、帆はラジエーターの役割を果たしていたのかもしれません。ウィキペディアでもいろいろな議論が紹介されています(4)。いずれにしてもスピノサウルスは完全な内温動物ではなかったと思われます。

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図26-6 スピノサウルス(Spinosaurus aegyptiacus)

 スピノサウルスなどと分岐したアヴェロポーダというグループが獣脚類のメインストリームです。コエルロサウリアに属する白亜紀の小型恐竜シノサウロプテリクス(図26-7 幕張メッセにて撮影2012)は、恐竜としてはじめて羽毛の化石が見つかった生物で有名です。それは1996年のことですから、そんなに古い話ではありません(5-6)。その後この化石にメラノソームが含まれることがわかり、メラニンの化学分析などがすすんで、図26-7の毛色には多少の科学的根拠があります。獣脚類は一般に肉食と言われていますが、ティラノサウルスやマニラプトルを分岐する前のコエルロサウリアは植物食だったそうです(7)。マニラプトルがすべて肉食だったわけでもないようです。
 またシノサウロプテリクス以来、続々と羽毛の化石が発見され、コエルロサウリアやその子孫は一般的に羽毛恐竜であったと考えられています。私が2012年に幕張メッセでシノサウロプテリクスを見たときに書いた記事がありますので、参照していただければ幸いです(8)。シノサウロプテリクスの羽毛の化石を再掲しておきます(図26-8 幕張メッセで撮影2012)。もちろんレプリカですが、これを見たときには私も少し興奮しました。
 私が過去記事で掲載した分岐図(8)と、ここで示した分岐図(図27-4)には違いがありますが、どちらが正しいかは今後の研究をまたなければなりません。いずれにしても鳥類の祖先が恐竜であることに対する批判の最大の根拠が、羽毛のある恐竜が発見されないということだったので、上記の事実は鳥類の祖先が恐竜であったことを強く示唆するものです。化石の羽毛の化学分析の結果、主要な成分もβ-ケラチンであることがわかりました(9)。中国・遼寧省で羽毛恐竜の化石を発見した中国の古生物学者徐星(Xú Xīng、図26-7)の功績は素晴らしいといえます。ナショナルジオグラフィック誌が彼にインタビューした記事を読むことができます(10)。そのなかでティラノサウルスの祖先系と考えられるユティラヌスの化石に、脊髄に沿って明瞭な毛の痕跡がみとめられたことが語られています。

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図26-7 シノサウロプテリクスと中国の古生物学者徐星Xú Xīng

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図26-8 シノサウロプテリクスの羽毛の化石

 コエルロサウルスの仲間から進化した生物の中に、最も有名な恐竜であるティラノサウルス(またはティランノサウルス 図26-9)がいます。スピノサウルスには及びませんが、体長は11~13mの巨大なハンターで、白亜紀後期における百獣の王に相当する生物であったことは間違いないでしょう。進化の系譜からみてティラノサウルスも羽毛を持っていたと考えられています。ただし巨体だったので体温は失われにくく、羽毛は成体には無用の長物で幼体だけにあったという説もあります。ユティラヌスに羽毛があるからといってティラノサウルスにもあるとは限りません。マンモスには毛があるが、ゾウにはないというケースもあります。
 ティラノサウルスが優秀なハンターだったかどうかについては意見が分かれていて、極端な例ではその走行速度は時速4kmだったという人もいます(11)。体が巨大なので、2本足で速く走るには物凄い量の筋肉が必要だそうです。それに彼らはハンターとしては異常に幅広く巨大な歯を持っていて、しかも3t~8tの異常に強力な噛み砕く力も持っていた事が知られています。しかも手にはエサを切り裂くような構造がありません。このことから、彼らはひからびてコチコチになった屍体を噛み砕いて食べていたのではないかと推測する人もいます(11)。出土した化石からみて、体型的には図26-9はかなり正確に復元してあると思われますが、やはり頭部が一時代前のアロサウルスなどと比べてもさらにアンバランスに大きすぎる生物で、これで高速で走って逃げるエサに食いつくというのは無理な感じがします。

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図26-9 ティラノサウルス(Tyranozaur) 羽毛は想像に基づくもので、羽毛はほとんどないという説もある

 最近の研究によると、ティラノサウルスの仲間は知能は低いが、聴覚・嗅覚・視覚は優れていたとされています(11)。ここからは私の想像ですが、彼らは巨大草食恐竜のコロニーを襲って、幼体をエサにしていたのではないかと思います。獲物の親は鈍足なので、逃げる際に特に速く走る必要もありません。ただし尾によるムチ攻撃は避ける必要があります。そのためには親に気づかれないようチャンスを狙って襲い、大きな口と歯で一気に幼体の息の根を止めて屍体をくわえて逃げれば、それほどリスクを背負わずに食事ができたのではないでしょうか。つまり大きな口は獲物を加えて逃げるために必要だったというのが私の考えです。同じコロニーを何度も襲うのはリスクが大きいので、草原をさまよい、鋭い聴覚・嗅覚・視覚でコロニーを探知して新たな獲物をさがす毎日だったのでしょう。
 図26-9のティラノサウルスには毛がありますが、これは制作者の裁量です。実際には少なくとも体の大部分はうろこで覆われていたという説もあります(12)。2転3転していますが、毛の議論にも注目したいと思います。ティラノサウルスの化石の中に、生化学的に解析可能なコラーゲンが残っていたらしく、アミノ酸配列を解析した研究者がいて、彼らによるとそれがニワトリとよく似ていたと報告しました。最初は誰も信じなかったのですが、シュバイツアーらは辛抱強く研究を進展させて、獣脚類の蛋白質が現生鳥類のものに近いことがわかってきました(13-14)。正確を期すにはDNAを解析すればいいのではないかと思いますが、さすがにこれだけ古い時代のDNAは信頼できる形で残ってはいません。あるとすれば、ジュラシックパークでやっていたように、恐竜の血を吸った蚊がコハクに閉じ込められたのをみつけるとか、かなり特殊な方法でないと解析はできません。
 コエルロサウルス類の子孫の中で、ジュラ紀に上記のティラノサウルス類という巨大肉食恐竜に進むグループとは別の道を選んだグループがいて、それはマニラプトラです。マニラプトラはティラノサウルスとは逆に、小型の体型で雑食性の生き方を選びました。ジュラ紀の生物アンキオルニスはマニラプトラの基部に近い生物のひとつだと思われます。マニラプトラはオヴィラプトラとエウマニラプトラに分岐します(図26-4)。オヴィラプトラを代表するオヴィラプトルは体長2mくらいの生物ですが、抱卵している状態の化石がみつかっており、しかもその卵にはヒナが認められることから、現在の鳥類と同様卵を温めて孵化させていたと考えられています。そのためには彼らは当然内温動物だったということになります。しかし彼らは鳥類の直系の祖先ではなく、もう一つの分岐であるエウマニラプトラが鳥類の直系の祖先です。
 図26-4の分岐図を見ていただくと、エウマニラプトラはふたつのグループに分岐し(おそらくジュラ紀に分岐したと思われます)、片方はトロオドン・ドロマエオサウルス・デイノニクスらのグループ、もう片方は現在も繁栄している鳥類のグループです。前者を代表する生物のひとつがデイノニクス(ドロマエオサウルスと近縁)です。図26-10は私が幕張メッセで撮影したものです。上は羽毛恐竜説が一般的になる前の復元で、下が現在の復元です。デイノニクスは白亜紀前期に生きた体長2.5~4mの中型恐竜ですが、時速50kmで走ることができたと考えられています。デイノニクスと近縁で白亜紀後期の生物にヴェロキラプトルというのがいて、ジュラシックパークにも登場しますが、実は映画でヴェロキラプトルという名で登場する生物のモデルはデイノニクスです。

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図26-10 デイノニクス(Deinonychus)

 2009年に中国のジュラ紀の地層から風切羽をもつトロオドン類の生物が発掘されました。このことはエウマニラプトラがふたつのグループに分岐した頃から、一部の生物は風切羽を持っていて、滑空・飛翔の方向に進化し始めていたことが示唆されます。図26-11は白亜紀前期のトロオドンの一種(ジンフェンゴプテリクス 体長55cmくらいの生物)ですが、きわめて鳥類に近いことがわかります(15)。このような絵をみると、素人目には分岐図においてトロオドン類をもっとアーケオプテリクスに近い位置にしたほうがよいのではないかと思いますが、さてどうなのでしょうか。

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図26-11 ジンフェンゴプテリクス(Jinfengopteryx elegans)

 

参照

1)Wikipedia: Iguanodon,  https://en.wikipedia.org/wiki/Iguanodon
2)ウィキペディア トリケラトプス
3)Internet Museum  史上最大の肉食恐竜「スピノサウルス」が初来日 ── 国立科学博物館で「恐竜博2016」
https://www.museum.or.jp/modules/topNews/index.php?page=article&storyid=3765
4)Wikipedia: Spinosaurus,  https://en.wikipedia.org/wiki/Spinosaurus
5)Ji, Q.; Ji, S.. “On discovery of the earliest bird fossil in China (Sinosauropteryx gen. nov.) and the origin of birds”. Chinese Geology (Beijing: Chinese Geological Museum) vol.10 (233): pp.30–33. (1996)
file:///C:/Users/User/AppData/Local/Microsoft/Windows/INetCache/IE/B04HR93V/Ji&Ji_96.pdf
6)Qiang, J., .Currie, P.J., Norell., M.A. & Shu-An, J.,  Two feathered dinosaursfrom northeastern China. Nature vol.393,  pp.753-761. (1998)
https://www.nature.com/articles/31635
7)ウィキペディア コエルロサウルス類(Coelurosauria)
8)渋めのダージリンはいかが 毛髪夜話2 羽毛の進化
https://morph.way-nifty.com/grey/2014/04/post-fcbc.html
9)Schweitzer, Mary Higby, Watt, J.A., Avci, R., Knapp, L., Chiappe, L, Norell, Mark A., Marshall, M., Beta-Keratin Specific Immunological reactivity in Feather-Like Structures of the Cretaceous Alvarezsaurid, "Shuvuuia deserti", Journal of Experimental Biology (Mol Dev Evol) vol.255: pp.146-157 (1999)
10)ナショナルジオグラフィック日本版 徐星さん 恐竜の常識を変え続ける博士
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/20120620/313239/
11)D.E.Fastovsky, D.B.Weishampel 著 真鍋真 監訳 藤原慎一・松本涼子 訳「恐竜学入門-かたち・生態・絶滅-」 pp.176~185  東京化学同人 (2015)
12)ナショナルジオグラフィック日本版 ティラノサウルス羽毛説に反証 やはり「うろこ肌」?
https://style.nikkei.com/article/DGXMZO18999280Z10C17A7000000/
13)西村美里 国立科学博物館 目が離せない恐竜発掘・研究事情(協力:地学研究部 冨田幸光,真鍋真)
https://www.kahaku.go.jp/userguide/hotnews/theme.php?id=0001242347625173&p=4
14)Mary H. Schweitzer et al., Biomolecular Characterization and Protein Sequences of the Campanian Hadrosaur B. canadensis., Science  Vol. 324, Issue 5927, pp. 626-631 (2009)
DOI: 10.1126/science.1165069
https://science.sciencemag.org/content/324/5927/626.abstract
15)ウィキペディア: 華美金鳳鳥
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%AF%E7%BE%8E%E9%87%91%E9%B3%B3%E9%B3%A5

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25.ジュラ紀の生物 II

 地球史での生物多様性の推移を示した図25-1を再度見てください。カンブリア紀・オルドビス紀に順調に増加していた生物多様性が、デボン紀中期(矢印A)から三畳紀後半(矢印B)までの2億年弱の間、徐々に低下しています。しかしジュラ紀にはいると反転して上昇をはじめています。これは地球の環境がより生物が住みやすい状況になったことを意味していると考えられます。

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図25-1 ジュラ紀(j)から地球は生物にとって、より住みやすい環境に変化してきた。

 ジュラ紀・白亜紀の豊かな環境の中で、地上で最も繁栄したのが竜盤類(竜盤目)です。鳥盤類と竜盤類が分岐したのは、どちらが先にせよ三畳紀と考えられ、その後 図25-2に示すように、原始的な竜盤類から獣脚類のグループと、竜脚類・古竜脚類(まとめて竜脚形類ともいう)のグループに分かれました。竜盤類は鳥盤類より原始的だと言われたこともありますが、本当のところ、鳥盤類と竜盤類は両者とも派生的なグループと考えられていますが、どちらが先に分岐したかについてはよくわからないそうです(1)。両者を含めて、全恐竜類の子孫で現在でも生き残っているのは鳥類だけです。


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図25-2 恐竜(Dinosauria)の分岐図

 竜盤類の中で最も鳥盤類との分岐点に近い生物は、今のところテコドントサウルス(2、図25-3)が第一候補でしょう。古竜脚類に所属します。彼らは三畳紀に生きていた体長2m程度の小型恐竜です。初期の鳥盤類と似ています。三畳紀に生きていた恐竜では、プラテオサウルスもよく知られています。古い竜盤類の生物は2足歩行だったことが体型から示唆されます(1)。

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図25-3 テコドントサウルス(Thecodontosaurus antiquus)

 哺乳類が肺の拡張や横隔膜収縮、すなわち胸郭周囲の筋肉による呼吸を発達させたのに対して、鳥類は気道に気嚢というポンプを設置し、空気の吸い込みと押し出しを複数のポンプによって効率化していることが知られています。鳥類の祖先である竜盤類も気嚢システムを持っていたのではないかと推測されていて、多少の証拠もあります(2-3)。鳥類の直接の祖先である獣脚類はもちろんですが、竜脚類は巨大化した種が多かったので、体温が上がりすぎるのを防ぐためのラジエーターとしてや、また重すぎる骨の重量を軽くするための空洞として利用するなど、より切実に気嚢システムが必要だったのではないかと思われます。空を飛ぶ鳥は、竜脚類とは別の理由で体重を軽くするために骨を空洞化して、気嚢システムの一部として利用しています。鳥類の呼吸システムは非常に優秀で、標高1500メートル(ほぼジュラ紀の酸素濃度)ではほぼ哺乳類の2倍の効率で酸素をとりこめるそうです(4)。鳥類の中にはヒマラヤ山脈を越えて渡りをする者もいるので、呼吸システムの優秀さは哺乳類をはるかに凌駕しています。
 恐竜の中で、竜脚類(科と目の中間の分類群)は基本的に植物食です。ジュラ紀のはじめ頃に生きていた初期の竜脚類としてヴルカノドン(5、図25-4)があげられます。背中が人の身長くらいの控えめなサイズの竜脚類です。後ろ足の指は5本で、ヒトと似ています。三畳紀の古竜脚類は2足歩行でしたが、ヴルカノドンは明らかに4足歩行の体型です。この生物は体長が6m以上もある巨大動物です。ジュラ紀も中盤以降になると、やはり原始的なタイプであるマメンキサウルスなども巨大化してきます。

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図25-4 ヴルカノドン(Vulcanodon karibaensis)

  新しいタイプの竜脚類であるディプロドクス、ブロントザウルス、アパトサウルスなども(5、図25-5)も登場します。これらは全長20メートル以上の巨大草食恐竜です。森林の木の葉を食べて生活していたと考えられています。食事のアドバンテージ以外に、まるで大型トレーラーのような巨大な体になったの理由は、やはり肉食の獣脚類に食べられないためだったのでしょう。長いしっぽはムチとして使えば、かなり強力な武器になったと思われます。またこれらの巨大草食恐竜は足跡などの化石から集団生活をしていたと考えられています。いくら巨大化したといっても子供の時代はあるわけで、集団生活で子供を守ることは必要だったのではないでしょうか。
 これらの草食恐竜は葉をすりつぶして食べることができず、胃石を使って胃袋の中ですりつぶしながら消化していたようです(6-7)。

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図25-5 アパトサウルス・ブロントサウルスのサイズと体型 ヒトとの比較

 獣脚類は三畳紀のヘレラサウルスなどが根元にあたる系統のグループで、多くの種は肉食で2足歩行でした。ジュラ紀になって草食恐竜が巨大化するにしたがって、肉食恐竜も巨大化せざるを得なくなりました。ジュラ紀の獣脚類を代表するのは、やはり当時の食物連鎖の頂点に君臨していたと思われるアロサウルス(8、図25-6)でしょう。全長は8.5mくらいのいかにも凶暴な雰囲気の肉食獣で、後足は5本指ですが1本は地面につきません。前足はかぎ爪つきの3本指で、2足歩行をしていたため、ほぼ手として使っていたのでしょう。ディロフォサウルスやケラトサウルスもジュラ紀を代表する獣脚類です。

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図25-6 アロサウルス(Allosaurus)

 アロサウルスやティラノサウルスなどの巨大肉食恐竜が狩りをして獲物を殺して食べたのか、腐肉をあさっていたのかというのは専門家の間でも井戸端会議のようにいつも議論になるそうです(9)。彼らの手が短いのは巨大な頭部とバランスをとるためだということになっていますが、それでも2足歩行で走るには体重が重すぎますし、頭が巨大でバランスが悪くつんのめりそうです。小型の鳥盤類や竜脚類をエサにするように進化したとす
ると、ライオンのような4足歩行の方が早く走れるのでリーズナブルと思えますし、巨大なアパトサウルスなどの草食恐竜をエサにするには体が小さすぎて、尻尾の一撃で負傷しそうです。しかし死体を発見すれば大量の肉にありつけます。彼らは嗅覚が発達していたそうなので(8)、死体をみつけるのは得意だったのかもしれません。あるいは物陰から飛びだし、足に噛みついてエサが死亡するのを辛抱強く待つという作戦をとったのかもしれません。共食いの証拠もみつかるそうなので、それには口や歯の力がモノをいいそうです。テリトリー保護のために頭部が巨大化したのかもしれません。
 巨大肉食恐竜が羽毛を持っていたかどうかというのも議論の的ですが(10-11)、それはそれとして、1990年以降中国の遼寧省から発掘される獣脚類の化石の中に羽毛の痕跡が残っているものが多数あることがわかって、獣脚類が羽毛を持っていたことは動かしがたい事実となりました。すでにジュラ紀にして、ニワトリと見まがうようなアンキオルニス(12、図25-7)という獣脚類が現れました。色素タンパク質も調べられていて、体はほぼモノクロですがトサカが茶系統だったことが示唆されています(13)。始祖鳥も出現しました。白亜紀にはこれらの仲間から、鳥類への進化を実現する系統のグループが出現します。

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図25-7 アンキオルニス(Anchiornis huxleyi)

 空飛ぶ爬虫類の翼竜も健在で、ダーウィノプテルスというダーウィンの名前が付いた種の形態が注目されました。彼らは三畳紀の頭が小さく尾が長い翼竜と白亜紀の頭が大きく尾が短い翼竜の中間的な形態をとっており、まさしく進化の道筋をリンクさせる存在です。
 哺乳類も恐竜の陰に隠れて、さまざまな進化を遂げて生き延びていました。体長約45cmの、ビーバーのように水かきや平たい尾をもつカストロカウダや、白亜紀にはモモンガのように滑空するヴォラティコテリウムなどが知られています(14)。さらに中国遼寧省の1億6000万年前の地層から、真獣類(発達した胎盤をもつ)の化石もみつかっています。体長7cm~10cmの小さな生物でジュラマイア(15、図25-8)と名付けられました。ジュラ紀においてはやくも有袋類ではない哺乳類が出現していたことの証拠になります。現在で言えば小型のラットのような生物です。前肢の骨の研究から木登りができたことがわかりました(15)。

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図25-8 ジュラマイア(Juramaia sinensis)


 さて陸から離れて海をみると、まず三畳紀にひきつづいて魚竜が繁栄していました。ステノプテリギウス(16、図25-9)は全長4m弱であり、イルカとそっくりな形態で、出産途中の化石が発見されたことから胎生であるとされています。首長竜もプレシオサウルス(17、図25-10)などが健在でした。プレシオサウルスはネッシーのモデルになった動物ではないでしょうか(18)。魚類も健在で、条鰭類のリードシクティスは体長8.9m~16.5mの巨大な魚でした(14)。

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図25-9 ステノプテリギウス(Stenopterygius quadriscissus)

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図25-10 プレシオサウルス(Plesiosaurus dolichodeirus)

 

参照

1)D.E.Fastovsky, D.B.Weishampel 著 真鍋真 監訳 藤原慎一・松本涼子 訳「恐竜学入門-かたち・生態・絶滅-」 p.64  東京化学同人 (2015)
2)なるほど!Dinosaur 恐竜News 第29回恐竜にもあった気嚢
http://dinosaur-fan.net/naruhodo/news/29/
3)ウィキペディア: 気嚢 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%97%E5%9A%A2
4)ピーター・D・ウォード著  「恐竜はなぜ鳥に進化したか」 p.264 文藝春秋社 (2008)
5)Wikipedia: Apatosaurus,  https://en.wikipedia.org/wiki/Apatosaurus
6)D.E.Fastovsky, D.B.Weishampel 著 真鍋真 監訳 藤原慎一・松本涼子 訳「恐竜学入門-かたち・生態・絶滅-」 p.150  東京化学同人 (2015)
7)ウィキペディア: ディプロドクス
8)ウィキペディア: アロサウルス
9)D.E.Fastovsky, D.B.Weishampel 著 真鍋真 監訳 藤原慎一・松本涼子 訳「恐竜学入門-かたち・生態・絶滅-」 pp.176~185  東京化学同人 (2015)
10)ナショナルジオグラフィック日本版 ティラノサウルス羽毛説に反証 やはり「うろこ肌」?
https://style.nikkei.com/article/DGXMZO18999280Z10C17A7000000/
11)サイカル 羽毛があるティラノサウルス 最新研究紹介の展示会 アメリカ
https://www.nhk.or.jp/d-navi/sci_cul/2019/03/news/news_190306_2/
12)ウィキペディア: アンキオルニス
13)Quanguo Li1 et al., Plumage color patterns of an extinct dinosaur., Science vol.327, No.5971,  pp.1369–1372. (2010)
https://science.sciencemag.org/content/327/5971/1369
14)土屋健著 「ジュラ紀の生物」 技術評論社 (2015)
15)Wikipedia: Juramaia, https://en.wikipedia.org/wiki/Juramaia
16)Wikipedia: Stenopterygius,  https://en.wikipedia.org/wiki/Stenopterygius
17)Wikipedia: Plesiosaurus,  https://en.wikipedia.org/wiki/Plesiosaurus
18)https://www.youtube.com/watch?v=c2A4_Leh67A

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2020年1月12日 (日)

24.ジュラ紀の生物 I

 三畳紀末の大絶滅を経て、時代はジュラ紀(2億年前~1億4500万年前)に突入します。三畳紀には唯一の超大陸だったパンゲアが、この時代に北部のローラシア大陸(中国・ロシア・欧州)と南部のゴンドワナ大陸(南北アメリカ・アフリカ・オーストラリア・南極)に分裂しました。これによって赤道付近の海流が両大陸のまわりに流れるようになって、海洋性の温暖な地域が増えました。動植物にとっては生活しやすい気候になりました。ただ酸素濃度は三畳紀後期のどん底にくらべれば改善されたとは言え15%弱くらいの低濃度だったようです。
 三畳紀に地上の覇権を競っていたクルロタルシ、サイノドン、オルニソディラですが、三畳紀末の大絶滅によって、クルロタルシはワニ類などごく一部のグループみが生き残って地上の覇権は放棄しました。またサイノドンもそのひとつのバリエーションである哺乳類やトリティロドンなどのごく1部を残して絶滅し、生き延びたサイノドンの子孫たちは、覇権を狙わない目立たない生物としてジュラ紀を生き延びました。そしてジュラ紀はオルニソディラが地上の主役となりました。ジュラ紀に繁栄したオルニソディラの系譜を図24-1に示します。

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 図24-1  中生代におけるオルニソディラの展開と絶滅

 それまで空は昆虫の独壇場だったのですが、ついに翼竜という脊椎動物が参入してきました。彼らは三畳紀に恐竜の祖先と分岐し、独自の進化を行って三畳紀末の大絶滅を乗り切り、ジュラ紀に繁栄しました。空を飛べるというのは、エサをみつけるには圧倒的なアドバンテージがあります。彼らは第4指と足の間に皮膚の膜をはって(もちろん羽毛ではない)翼をつくり飛翔しました。現存の哺乳類であるコウモリのような方法で空を飛んだわけですが、コウモリほど1~3指は退化していなかったので(第5指は退化)、4足歩行もできたようです。ジュラ紀の翼竜を代表してプテロダクティルスを図24-2(1)に示します。翼を全開したときの幅は種によって異なり、25cm~2.5mくらいの幅があります。彼らはまだ確定的ではないものの、なんらかの毛を持つ内温動物であったと考えられています。浜辺でゴカイなどをあさったり、魚を捕らえて食べたりしていたようです。

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図24-2  プテロダクティルス(Pterodactylus antiquus)

 翼竜を分岐したあとのオルニソディラは、鳥盤類(鳥盤目)と竜盤類(竜盤目)からなる恐竜に進化しました。鳥盤類の起源については、恐竜学の教科書(2)によると、竜盤類から分岐したのではなく、鳥盤類・竜盤類ともに派生的であり、どちらが先に生まれたのかはわからないとしています。
 鳥盤類と竜盤類は図24-3のような骨盤の構造の違いによって分類されています。すなわち鳥盤類では恥骨の一部が座骨に寄り添って平行に後ろに伸びているのに対して、竜盤類では恥骨と座骨は別方向を向いています。このほか鳥盤類は前歯骨という下あごの前端の骨を持っているという特徴があります。恥骨が後ろに追いやられることによって、大きな胃とか長い腸を収める場所ができるという利点があります。植物を消化するには有用です。前歯骨はくちばしをサポートしており、このグループがくちばしのような構造を持っていたことと関係があります(2-4)。

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図24-3 鳥盤類と竜盤類の骨盤の違い

 国立科学博物館でクリンダドロメウスの骨格と復元を見ることができました(5-7、図24-4)。クリンダドロメウスは全長1.5mほどのジュラ紀を生きた鳥盤類ですが、なんとウロコと羽毛を持っていました。羽毛は竜盤類から鳥類へ受け継がれたものと私は理解していたので、これはショックでした。このことは三畳紀に生きていた鳥盤類・竜盤類の共通の祖先が、すでに羽毛を発明していたことを暗示します。単弓類のサイノドンが体毛を獲得していたのと同時期に、双弓類も羽毛を獲得していたのかもしれません。それだけ三畳紀が内温性を必要としていた時代だったのかもしれません。

図24-4 クリンダドロメウス(Kulindadoromeus zabaikalicus)

 鳥盤類は恐竜の大スターであるステゴサウルスを生み出しました(8、図24-5)。ステゴサウルスはジュラ紀から白亜紀にかけて生きていた体長7mくらいの草食恐竜です。彼らは背中にたくさんの板をしょっていますが、これらはどんな役割を果たしたのでしょうか? 

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図24-5 ステゴザウルス(Stegosaurus ungulatus)

 林昭次は国立科学博物館や世界各地の博物館にある実物を切断するという快挙をなしとげ(9)、この板に血管ネットワークがはりめぐらされていて、体温調節に役立ったことを示唆しました。これはペルム紀の盤竜類と同じで、彼らが少なくとも完全な内温性を獲得していなかったことを示唆しています。また中身がスカスカであることや倒れないことから、アーマー(防具)としては役立たないことがわかりました。また思春期に急激に大きくなることから異性へのディスプレイである可能性も指摘しています。ステゴサウルスのしっぽにあるスパイクは、肉食獣との戦闘に役立ったようです。幕張で恐竜展をやっていたとき、背骨にこのスパイクがささったあとがある肉食恐竜の骨がディスプレイされていました。
  もう1種鳥盤類の動物を紹介します。やはりジュラ紀に棲息していたフルイタデンス(10、図24-6)です。多くの鳥盤類が植物食であるなかで、このグループは雑食性だったと考えられています。中型犬くらいのサイズで、鳥盤類の中では最小クラスでした。ちいさなサイズの内温性動物は、大きなサイズの動物にくらべて熱を失いやすいので、ハイカロリーな食事を必要とします。

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図24-6 フルイタデンス(Fruitadens haagarorum) Artist's impression

 鳥盤類はジュラ紀から白亜紀にかけて多くの種類を繁栄させましたが、白亜紀最後の大絶滅によって世界から消え去り、現在では化石でしかみることができません。鳥盤類は恥骨が後ろ向きとか、くちばしのような口をもっているなど、現在の鳥類に似た点もありましたが、鳥類は彼らの子孫ではなく、もうひとつの恐竜のグループである竜盤類が生み出したものです。

参照

1)Wikipedia: Pterodactylus,  https://en.wikipedia.org/wiki/Pterodactylus
2)D.E.Fastovsky, D.B.Weishampel 著 真鍋真 監訳 藤原慎一・松本涼子 訳「恐竜学入門-かたち・生態・絶滅-」 東京化学同人 (2015)
3)スリーエム仙台市科学館 かがくナビ 鳥盤類と竜盤類
file:///C:/Users/User/AppData/Local/Microsoft/Windows/INetCache/IE/CFQW7HJS/4fstori.pdf
4)Wikippedia: Ornithischia,  https://en.wikipedia.org/wiki/Ornithischia
5)渋めのダージリンはいかが クリンダドロメウス@国立科学博物館
https://morph.way-nifty.com/grey/2016/04/post-d6d5.html
6)生田晴香 うろこと羽毛がある鳥盤類クリンダドロメウスの発見で考えられる事
https://lrnc.cc/_ct/17284431
7)ナショナルジオグラフィック日本版 すべての恐竜に羽毛があった可能性
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/9519/
8)Wikipedia: Stegosaurus,  https://en.wikipedia.org/wiki/Stegosaurus
9)川端裕人 ナショジオ 研究室に行ってみた。大阪市立自然史博物館 地史研究室 古脊椎動物学 林昭次
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/20141003/418474/?P=5
10)Wikipedia: Fruitadens,  https://en.wikipedia.org/wiki/Fruitadens

 

 

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23.三畳紀の生物 II

  ペルム紀に出現したとされるサイノドンはP-T境界を乗り越えて、三畳紀に命をつなぎました。三畳紀が始まった頃は砂漠のような場所が多く、酸素濃度も15%以下に低下するなど、非常に厳しい環境で生きなければいけませんでした。彼らはリストロサウルスのようにもっぱら省エネ(穴居と長期睡眠)で生きるという徹底的に消極的な作戦ではなく、やや積極的な進化戦略を実行しました。まず最初に横隔膜を使う呼吸法の獲得-これによって積極的に空気を出し入れして呼吸が楽になりましたが、腹式呼吸を行うには骨が邪魔になり、腹部の肋骨という内臓を防御する道具を捨てなければなりませんでした。
 2番目の戦略は、トカゲやワニのように足を横に張り出して体をクネクネとひねりながら歩く方法だと、ひねるたびに肺が圧迫されて呼吸が妨害されます。腕立て伏せをしながら歩いている感じなので、体重を支えるのが大変でもあります。これを避けるために、サイノドン達は足をなるべく体の下にまっすぐつけて、前後に動かすだけて移動するという方法を採用しました。このことは歩行のスピードを上げるにも有効です。体をくねらせて移動するというのは、カンブリア紀以来魚類が獲得してきた遊泳技術に基づくものであり、地上の歩行には適さない方法です。前項「三畳紀の生物 I」で見た双弓類のアジリサウルスなども、サイノドンとは独立に古い歩行法を捨てたものと思われます。
 3番目にはあごの骨の一部を進化させて、聴力を強化しました(図23-1)。これは危険を察知する上で、特に夜行性の動物には重要です。サイノドンはあごの奥の方ある様々な骨を徐々に、角骨→鼓室骨、関節骨→槌骨(つちこつ)、方形骨→砧骨(きぬたこつ)という耳の骨に変成させて、耳の構造を確立させていきました。ヒトなどの場合鼓室骨は鐙の形に進化し鐙骨(あぶみこつ)といいます。爬虫類から鳥類のラインも聴覚を発達させましたが、サイノドンから哺乳類のラインとは全く別の進化過程であったことが判っています。  北沢等の研究によると、前者では鼓膜は上顎領域から、後者では下顎領域から発生することがわかりました(1-2)。

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図23-1 爬虫類・サイノドン・哺乳類における耳小骨の進化

 4番目に内温性を確立すると共に体毛と感覚毛を発達させ、温度が下がる夜の活動に備えました。感覚毛は暗闇でも目鼻を傷つけないために重要な役割を果たしました。サイノドンが生きていた時代のオルニソディラはおそらく外温性であり、クルロタルシも当然外温性(ワニはいまでも外温性)だったと考えられるので、夜間・冬期・寒冷地帯ではサイノドン達が優位に立てたのでしょう。
 5番目にサイノドン達は卵ではなく、子供を産んで親が授乳して育てるという繁殖方式を確立しました。食糧不足だった三畳紀初期には、成獣は夏眠・冬眠すればいいのですが、それができない新生仔に与えるためのエサを確保するのが困難だったため、授乳というのは非常に有用だったと思われます。そこまでして卵を否定したのは、卵を温めている間は動けないので大変不便で危険でもある、生みっぱなしの卵は盗まれてエサにされやすいなどの理由によるものと思われますが、結局双弓類との繁殖競争に敗れたわけですから胎生が優位とは言えません。ただ夜行性の生活をするためには、気温が下がる夜に抱卵が必須になるとエサをさがせなくなるので、卵生の繁殖は非常に厳しいとは言えます。ともあれサイノドンは三畳紀の環境圧力に耐えて生き抜くため、この5つの方向に進化していったわけです。
 サイノドン達は三畳紀中期に出現した新興勢力である恐竜類や、それより前からの仇敵であるクルロタルシ達と弱肉強食の戦いを行う中で次第に劣勢になりますが、上記の5つの戦略をすすめて、ついに三畳紀後期には哺乳類を誕生させました。彼らのなかの1グループであるプロバイノグナシアが後に哺乳類を誕生させることになります。プロバイノグナシアに属する生物を一種紹介します。プロベレソドンです(3、図23-2)。

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図23-2 プロベレソドン(Probelesodon lewisi)

 これは中型犬くらいのサイズの生物です。三畳紀後期に、このグループから最初の哺乳類(不完全な哺乳類という意味で哺乳型類とよぶべきだと主張する人もいます)が誕生したとされています。最初期の哺乳類として、2億2500万年前の地層から発掘されたアデロバシレウス(4、図23-3)が知られています。モルガヌコドン(5、図23-4)やメガゾストロドン(6、図23-5)もよく知られています。いずれもネズミくらいのサイズの動物です。特にアデロバシレウスは、今生きているトガリネズミ(7)と外見がよく似ています。トガリネズミも白亜紀から生きている動物なので、関係があるのかもしれません。いずれにしても、哺乳類はネズミのような生物から出発したことは確かなようです。

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図23-3 アデロバシレウス(Adelobasileus cromptoni)

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図23-4 モルガヌコドン(Morganucodon watsoni)

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図23-5 メガゾストロドン(Megazostrodon)

 クルロタルシ(目と綱の中間の分類群)はサイノドンやオルニソディラをしのいで、三畳紀に繁栄したグループです。現在でもこのグループの直系子孫であるワニ類が生きています。クルロタルシの祖先はペルム紀からプロテロスクス(8、図23-6、体長1.5m)などが棲息していました。このグループはP-T境界を生き延びることができました。現在のワニから考えると、彼らは一度大量に摂食すると3年くらいはエサなしでも生きられるという特技をもっているので、ワニの祖先である彼らもこの術で生き延びたのかもしれません(9)。彼らが水中で多くの時間を過ごしていて火砕サージをまぬがれ、また「噴火の冬」時代で陸上生物の数が極少になったときに、エサを水中に求めることができたからという理由も考えられます。

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図23-6 プロテロスクス(Proterosuchus fergusi)

  もう一例ペルム紀のクルロタルシであるプロテロチャムサを図23-7に示しますが、見た目が現在のクロコダイルとほとんど同じです(10)。三畳紀にはこれと近縁の種から生まれたクルロタルシ類が適応放散していろんなタイプが生まれましたが、結局現在まで生き残ったのは原型に近いもので、進化の過程ではよくある現象です。

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図23-7 プロテロチャムサ (Proterochampsa barrionuevoi)

  では三畳紀のクルロタルシをいくつかみていきましょう。ポストスクス(図23-8)は体長4~5mの肉食獣で、当時食物連鎖のトップにいたとされています。ワニよりも足が長く直立していて、以前には恐竜の祖先とされていたこともあったそうです。ワニのように待機していて一瞬のアクションでエサを仕留める感じではなく、エサを求めて歩き回り、追いかけて仕留めることができるような体型です。発達した後肢と比べて、前肢が華奢なので2足歩行をしていたのではないかと考えられています(11)。これと類似した種は世界各地に分布していて、三畳紀の百獣の王はまさしくこれらのクルロタルシでした。

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図23-8 ポストスクス(Postosuchus kirkpatricki)

  同じクルロタルシの仲間で草食獣も繁栄していて、例えばデズマトスクス(図23-9)などは強力なアーマーを装備して、そのスパイクで敵を倒せそうです(12)。

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図23-9 デズマトスクス(Desmatosuchus haplocerus)

 三畳紀の初期(2億5000万年前)には恐竜の祖先動物も登場しました。プロロトダクティルスという祖先動物の足跡は有名です(13)。土屋健著「三畳紀の生物」(14)には復元図も掲載されています。猫くらいの大きさの足の長いトカゲという感じです。しかしその後2億2800万年前~2億3000万年前のエオラプトル(15、図23-10)、シレサウルス、マラスクスまで情報がありません。同時代の地層からパンファギアやエオドロマエウスも発見されていて、後者はティラノサウルスにもつながる肉食恐竜(獣脚類)の始祖と考えられています。

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図23-10 エオラプトル( Eoraptor lunensis )

 P-T境界の大絶滅の被害も癒えて、再び地球が活気を取り戻した三畳紀でしたが、2億100万年前にまたもや大絶滅が起こります。これはP-T境界のような破滅的なものではありませんでしたが、単弓類では哺乳類以外は絶滅し、クルロタルシ類ではワニ以外は絶滅しました。この三畳紀末の絶滅の原因は、おそらくパンゲアが分裂をはじめたことで地殻の下にあるマントルの溶岩が噴出し、P-T境界の時と似たような悲劇が地球を襲ったものと考えられています(16)。

参照

1)東京大学プレスリリース 哺乳類と爬虫類-鳥類は、独自に鼓膜を獲得
-2億年以上前の進化の痕跡を発生学実験で明らかに-
https://www.riken.jp/press/2015/20150422_2/
file:///C:/Users/User/AppData/Local/Microsoft/Windows/INetCache/IE/B04HR93V/release_20150422.pdf
2)Taro Kitazawa, Masaki Takechi, Tatsuya Hirasawa et al., "Developmental genetic bases behind the independent origin of the tympanic membrane in mammals and diapsids", Nature Communications, doi: 10.1038/ncomms7853 (2015)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC4423235/
file:///C:/Users/User/AppData/Local/Microsoft/Windows/INetCache/IE/C8FQEO1U/ncomms7853.pdf
3)Wikipedia: Probelesodon,  https://en.wikipedia.org/wiki/Probelesodon
4)ウィキペディア: アデロバシレウス
5)Wikipedia: Morganucodon  https://en.wikipedia.org/wiki/Morganucodon
6)Wikipedia: Megazostrodon,  https://en.wikipedia.org/wiki/Megazostrodon
7)中田圭亮 「トガリネズミの話」
file:///C:/Users/User/AppData/Local/Microsoft/Windows/INetCache/IE/C8FQEO1U/kiho43-3.pdf
8)Wikipedia: Proterosuchus,  https://en.wikipedia.org/wiki/Proterosuchus
9)ailovei: 食べ物無しでも長期間生存できる動物トップ11 (2017)
https://ailovei.com/?p=79949
10)Wikipedia: Proterochampsa,  https://en.wikipedia.org/wiki/Proterochampsa
11)Wikipedia: Postosuchus,  https://en.wikipedia.org/wiki/Postosuchus
12)Wikipedia: Desmatosuchus,  https://morph.way-nifty.com/lecture/2016/09/index.html
13)Wikiwand : 恐竜様類
https://www.wikiwand.com/ja/%E6%81%90%E7%AB%9C%E6%A7%98%E9%A1%9E
14)土屋健著 「三畳紀の生物」 技術評論社 2015年
15)Wikipedia: Eoraptor,  https://en.wikipedia.org/wiki/Eoraptor
16)ナショナルジオグラフィック日本版 三畳紀末の大量絶滅、原因は溶岩の噴出
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/7739/

 

 

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22.三畳紀の生物 I

  カンブリア紀から現在に至るまでで最大の絶滅が発生したP-T境界(ペルム紀-三畳紀境界)から、恐竜の時代であるジュラ紀がはじまるまでの期間、2億5千100万年前から2億年前までの約5000万年の期間を三畳紀とよびます。種レベルで90~95%の生物が絶滅したと言われるペルム紀末の大絶滅により、個体レベルではほぼ100%近くの生物は死滅し、ごくわずかの生き残りから再出発することになりました。ではどんな生物が生き残ったのでしょう? 図22-1に三畳紀前期の状況を示します。

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図22-1 三畳紀前期の生物

 ペルム紀に繁栄していた単弓類はほとんどが死に絶え、リストロサウルス・バウリア・サイノドンなどわずかなグループが生き残りました。リストロサウルス(図22-2)は見た目武器も防具も持たない平凡な草食動物のようですが、穴を掘って夏眠(冬眠)することができる動物だったとされています。体長も数十センチの小型動物です(種によってはもっと大型のものもいたようです)。火山灰が降って植物も消え去り、酸素も薄く砂漠のようになった大地で(前項21.ペルム紀の生物IIを参照)、彼らは眠ることで生き延びたのかもしれません。また彼らは大きな肺と、強力に肺を駆動して低酸素に耐える身体機能を持っていた、あるいは進化させたと思われます(1)。

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図22-2 リストロサウルス(Lystrosaurus murrayi)

 バウリア(2、図22-3)はリストロサウルスと同様、平和的な外見の草食動物ですが、二次口蓋(のどまで続く鼻の穴)が発達するなどかなり哺乳類に近い生物だったようです。二次口蓋があるということは、食事しているときの呼吸が格段に楽になるというメリットがあります。酸素が欠乏していた時代の草食動物にとってこのことは特に重要です。おそらくリストロサウルスと同様省エネ生活が得意だったのでしょう。噴火後2~3ヶ月生き延びられれば、草原がある程度復活して、最低限の食糧は確保できたのではないでしょうか。

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図22-3 バウリア 

ここで獣弓目について少し整理しておきましょう(図22-4)。

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図22-4 獣弓目

 初期の獣弓目のグループであるディノケファルスはP-T境界で絶滅し、ここを乗り越えて三畳紀まで生き残ったのは、ディキノドン、ゴルゴノプス、テロケファルス、サイノドンの4グループでした。そのサイノドンから後に哺乳類が分岐したと考えられます(3)。
 サイノドンはおそらく内温動物で、三畳紀前期は酸素が15%くらいあるいはそれ以下しかなかったので、さすがにウォードが言っているように低酸素環境が圧力となって内温性が進化したのでしょう。内温性の進化はミトコンドリアの質的・量的発達を意味していますが、同時に呼吸の効率化が進み低酸素に適応できたと思われます。
 サイノドンでは門歯と臼歯がはっきり分かれて分業し(異歯性の確立)、二次口蓋が完成し、脳が発達してきました。また腹部の肋骨が退化してきました。これは横隔膜による呼吸をはじめたことによります。横隔膜で呼吸するためには、腹部はでたりひっこんだりしなければならないので、肋骨は邪魔になります。サイノドンはリストロサウルスなどのディキノドングループとは全く異なる、横隔膜による呼吸法を獲得したと思われます(4)。
 トリナクソドン(図22-5)は代表的な三畳紀前期のサイノドンで、昆虫などを食べていた猫くらいの大きさの生物です。リストロサウルスなどと同様に多くの時間を穴の中ですごしていたと考えられています。顎骨に多くの穴が開いており、ヒゲの毛根を収納していたと思われます。私はヒゲがある生物はすべて体毛も持っていたと考えています。このほかプロガレサウルス(6)などもよく発掘されるようです。

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図22-5 トリナクソドン(Thrinaxodon liorhinus)

 2010年に六本木ヒルズで「地球最古の恐竜展」というのをやっていて、私も見てきたのですが、そこにサイノドンの1種として知られているエクサエレトドンの全身骨格があったのには感動しました(7)。三畳紀前期の地層から発掘されたもので、復元図はかなり凶暴な雰囲気ですが、実は草食動物だったそうです。
 ここまで単弓類について述べてきましたが、双弓類も単弓類と同様P-T境界で大打撃を受け、大変数が減ってしまいました。三畳紀後期には恐竜が登場するので、その祖先動物は生き残ったはずですが、その実体は明らかにはなっていません。恐竜や翼竜も含めて、これらのグループをオルニソディラとよびます。図22-1のように、双弓類はオルニソディラ以外にも、ヘビ・トカゲ・ワニ・カメ・魚竜など割と幅広くP-T境界を乗り越えた生物がいます。
 オルニソディラの基部に近い位置にある動物で、三畳紀の中期に生きていた動物はいくつかしられています。アジリサウルス(図22-6)は体長1~2mの大型で、マラスクスは猫くらいのサイズです。これらの生物は恐竜ではありませんがきわめて近縁で、共通の祖先から派生した動物だとされています。それにしてもアジリサウルスは素晴らしくスマートで格好いい、サラブレッドのような体型の生物で、クルロタルシ(ワニ)などに狙われたときの逃げ足も速かったのでしょう。彼らより古い三畳紀前期に生きていた類似動物としてプロロダクティルスが知られていますが、残念ながら足跡しか化石が見つかっていないようです。オルニソディラの系統樹基部・恐竜の起源などについては、まだまだ謎が多いのです。

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図22-6 アジリサウルス(Asilisaurus kongwe)

 湖沼や河川で生活していた生物は、完全に陸上に上がった生物に比べると、P-T境界を生き延びるチャンスが大きかったようです。この代表はクルロタルシ類で、上記のオルニソディラとは別系統の双弓類です(図22-1)。オルニソディラでは鳥類だけが現存し、クルロタルシではワニ類だけが現存しています。クルロタルシ類については次回で述べることにします。ウタツサウルス(図22-7)などの魚竜は三畳紀前期から出現していました。このグループの起源もよくわかりません。おそらくペルム紀の頃から存在して、P-T境界を生き延びたと思われます。首長竜はそのルーツがはっきりしない双弓類ですが、ペルム紀・三畳紀前期に祖先が存在していたことは想像されます。

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図22-7 ウタツサウルス(Utatsusaurus hataii)

 せっかく肺を獲得して地上で生活していた動物が再び海をめざすということは複雑な話ですが、我々哺乳類においてもクジラやイルカはそういう運命をたどりました。三畳紀前期の魚竜の中で、ウタツサウルス(図22-7)は宮城県の歌津というところ(現在は南三陸町)で発掘されました。ウタツサウルスは初期の魚竜ですが、足はすでにヒレに変化しています。魚竜は白亜紀で絶滅しており、現在では生きている生物をみつけることができません。
 両生類もP-T境界で大きなダメージを受け、ほとんどの種が絶滅してしまいました。わずかにリネスクスというトカゲっぽいグループ、クロニオスクスというワニっぽいグループ(もちろんワニではない)などが生き残りました。ペルム紀の生物とどうつながっているかはわかりませんが、三畳紀初期にトリアドバトラクス(8、図22-8)という、カエルの始祖と思われるような生物が新たに登場しました。まだ短い尾がついています。現在のカエルの成体には尾はありません。

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図22-8 トリアドバトラクス(Triadobatrachus massinoti)

 ペルム紀末の大絶滅によって、海洋の生物も大きなダメージを受けました。三葉虫・棘魚類・フズリナは絶滅してしまいました。絶滅はしないまでも、その後ずっとマイナーな生物として生き延びたグループとしては腕足類やウミユリなどがあげられます。棘魚類以外の魚類はなんとか生き延びることができました。
 アンモナイトは大打撃をうけながらも、ごく一部がしぶとく生き延びて、2億3000万年前くらいまでにはペルム紀をしのぐほどの大復活をとげました。彼らは白亜紀大絶滅まで生き残ります。また三畳紀には2枚貝が繁栄しました。アサリ・シジミなどの2枚貝は現在も繁栄を続けています。昆虫は非常に絶滅しにくいしぶといグループですが、それでもペルム紀に22目あったのが、P-T境界で14目に減りました。生き残った目に属する生物は、その後復活して現在に至っています。
 本稿執筆にあたり、ペルム紀大絶滅の考察などについて、土屋健氏の著書「三畳紀の生物」(9)を参考にさせていただきました。

参照

1)Wikipedia: Lystrosaurus,  https://en.wikipedia.org/wiki/Lystrosaurus
2)Wikipedia: Bauria,  https://en.wikipedia.org/wiki/Bauria
3)Wikipedia: Therapsid,  https://en.wikipedia.org/wiki/Therapsid
4)哺乳類の遠い祖先たち http://biggame.iza-yoi.net/Therapsida/Dinocephalians.html
5)Wikipedia: Thrinaxodon,  https://en.wikipedia.org/wiki/Thrinaxodon
6)Progalesaurus lootsbergensis by Viergacht on DeviantArt
https://www.pinterest.jp/pin/489836896943374172/
7)渋めのダージリンはいかが 地球最古の恐竜展
https://morph.way-nifty.com/grey/2010/08/post-beb8.html
8)ウィキペディア: トリアドバトラクス
9)土屋健著 「三畳紀の生物」 技術評論社 2015年

 

 

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21.ペルム紀の生物 II

  ペルム紀の中期から後期にかけて、おそらく2億7000万年前の頃に地上の主な四肢動物は盤竜類から獣弓類に入れ替わった、というより様々な系統の四肢動物のなかから獣弓類が主役に躍り出たということがわかっています。ペルム紀前期を代表する単弓類であるエダフォサウルスやディメトロドンは背中に帆を持っていて、これを日光で暖めて活動していたと思われますが、獣弓類にはそのような生物はいないこと、またその他のいくつかの理由から、獣弓類は内温性だったのではないか、それによって他の系統の生物との生存競争に勝利したのではないかと考えられています。
 それでは内温性とはいったいどういうものなのでしょうか? 実はその科学的解明や説明がとても難しいのです。そもそもエサを食べる(従属栄養の)生き物は、エサに含まれる分子を分解して、その際に発生するエネルギーを使ってATPという高エネルギー化合物を生成し、ATPを利用して筋肉を動かすなどの活動を行っています。そしてもちろんエサを分解したときに発生するすべてのエネルギーを化学エネルギーとして利用できるわけではなく、一部は熱となって放出されます。ですから従属栄養の生物はすべからく内温性であるとも言えます。独立栄養の生物だって、光エネルギーを利用するにしても、生命活動を行うには必ず発熱反応を伴います。
 食物を分解して得るエネルギーは、真核生物がATP生産工場としてミトコンドリアを飼い慣らすことによって、圧倒的に増加しました。したがって熱の発生量も増加しました。それでも足りないので、エダフォサウルスやディメトロドンは帆を発達させたのですが、そのほかの解決策もあります。ミツバチやマグロは運動の活発さを調節することによって、体温を一定に保っています。またミトコンドリアの活動を高めたり、数を増やすことで熱の発生量を増やすこともできます。ミシガン大学のベネットは、ラットと何種かの爬虫類のミトコンドリア呼吸関連酵素の活性を比較すると、ラットの方が5倍くらい活性が高いということを発見しました。そして顕微鏡で両者の肝臓などの組織をみると、ラットの方が明らかに多数のミトコンドリアをもっていることがわかりました(1)。
 その後アクメロフ(2)やハルバート&エルス研究室のメンバー(3)らが、内温性の哺乳類と外温性の爬虫類のミトコンドリアをさらに比較研究し、内温性の哺乳類においては、量的のみならず質的にも高い活性をもつミトコンドリアを持っていることがわかり、この点で獣弓類は旧来の四肢動物を凌駕することができたと示唆されました。このほかミトコンドリアには脱共役タンパク質という、ATPの産生が過剰なときにその合成を低下させて、熱としてエネルギーを逃がす作用がある物質が存在し、これも進化の過程で発展してきた代謝システムだとされています(4,5)。ただ哺乳類と爬虫類でどう違うかという文献はみつかりませんでした(熱心に探せばあるかもしれません)。
 私はピーター・ウォードのように、ペルム紀後期に酸素が低下してきた(それでも18%くらいはあった)ことに適応して、内温性が発達してきたとは思いません。パンゲア大陸は極地方から赤道地方まであったので、闘争に敗れた獣弓類などのグループが極地方に敗走し、そこで内温性という代謝システムを育てて、ついには大繁栄していた盤竜類を打倒して取って代わったという説を支持したいと思います。ただ三畳紀については別途考えたいですね。
 ペルム紀後期には陸上ではディキノドン類、ディノケファルス類、ゴルゴノプス類、テロケファルス類などの単弓綱・獣弓目の生物が大繁栄しましたが、双弓綱の生物も劣勢とはいえちゃんと生き延びていました。例えばヨンギナという体長40cmくらいのトカゲに似た生物(6)がいました(6-7、図21-1)。復元図も古世界の住人の川崎氏によって描かれています(8)。この頃から三畳紀にかけての双弓類はペトロコサウルスなどの原始的双弓類から進化し新双弓類(Neodiapsida)と呼ばれていて、泳いだり滑空したりする種類もいたようです(9)。

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図21-1 ヨンギナ

 ペルム紀の代表的な化石としてフズリナというのがあります。これは海洋単細胞生物なのですが、1cmくらいのサイズがあるのももあり、石灰の殻を持っていいるので死後も形を残すことができます(図21-2)。日本では、秋吉台などの石灰岩中に多量に存在することで知られています。ペルム紀に大繁栄していたにもかかわらず、ペルム紀大絶滅のあとには全く見られないことから、大絶滅の証拠としても重要です。

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図21-2 フズリナ(石炭紀~ペルム紀)に全盛期を迎えた原生動物(有孔虫)

 アンモナイト(図21-3)もペルム紀の代表的な海の生物です。アンモナイトはデボン紀からペルム紀大絶滅を乗り越えて白亜紀まで生き延びました。しかし白亜紀末の大絶滅で姿を消しました。アンモナイトの祖先といわれるオウムガイは現在まで生き延びています。

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図21-3 アンモナイト

 アンモナイトがいかにありふれた生物だったかということは、東京駅や六本木ミッドタウンの壁や床などでも簡単に化石がみつかることでも明らかです。

 魚類は軟骨魚類・硬骨魚類共に繁栄し、棘魚類もまだ生き残っていました。三葉虫も Proetida 目がまだ生き残っていました。ウミユリ・ウニ・ヒトデなどの棘皮動物は繁栄していたようです。このように百花繚乱の生物でにぎやかだったペルム紀後期の地球だったのですが、ペルム紀末にそれらのほとんどが死滅してしまいます。カンブリア紀から現在に至るまでの地球の歴史の中で、空前絶後の絶滅を引き起こした原因は何だったのでしょうか? 現在一番有力視されているのが、シベリアでの火山噴火です。この噴火は通常のものではなく、地殻の下にあるマントルが上昇して噴き出したとされていて、その溶岩の分厚さは3000~6000mに及び、広さは西欧を飲み込むくらいというとてつもないスケールでした。この累積した溶岩層をシベリアトラップといいます(10-11、 図21-4)。図21-2は溶岩が流れた場所(Lava)と火山灰によって岩石が形成された場所(Tuffe unf Tuffite)を示しています。
 絶滅の正確な年代についてはウィキペディアの記述を引用しておきます「中国南部の煤山にある当時の礁の地層に挟み込まれた複数の火山灰の分析から、2億5160万年前に突然絶滅が始まり続く百万年で大絶滅が起こったと想定されている。この年代値は中国の煤山と、そこから1000km離れた中国広西壮族自治区にあるP-T境界層で同じ値が得られている。Haijiun Song他 (2013) による研究では、この絶滅イベントは、ペルム紀末 (252.28Myr) と三畳紀最前期 (252.10Myr) の2回に分かれ、前者では大半の浮遊生及び若干の底生生物を中心に56.5%の種が絶滅し、後者では、残った内の70.9%の種が絶滅したと結論づけている」(12)。ともかく絶滅以降の1000万年の間の地層からは生物の化石がほとんどみつからないので、とてつもなくひどい状況だったことは間違いありません。

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図21-4 シベリア・トラップ

  この異常な噴火によって大量の火山ガスと粉じんが噴き出して空を被い、「噴火の冬」が訪れました。日照不足・酸性雨・硫化水素・オゾン層の破壊などの影響で、地上植物・海洋プランクトンが死滅し、大気中に放出されたメタンガスと酸素が化学反応をおこして大気の酸素が失われるという悲劇の連鎖が発生したのです。このペルム紀末期の大絶滅は古生物学におけるP-T境界(Permian-Triassic boundary)という境目をつくり、ここで生物相が大幅に入れ替わり、ペルム紀を最後とする古生代は終了し、三畳紀からはじまる中生代に移行します (13)。
 ペルム紀末大絶滅については可能性は低いと思いますが全く別の考え方もあることも付記しておきます。それはペルム紀末に、木のリグニンを分解できるペルオキシダーゼの遺伝子が出現したことが原因であるという考え方です。確かにペルム紀から後は、石炭ができなくなりました。この植物ペルオキシダーゼによって、炭酸ガスが増加し酸素が低下するという大気の変化がおこり、生物の大絶滅をもたらしたというわけです(14)。

参照

1)A. F. Bennett. Comparison of activities of metabolic enzymes in lizards and rats.  Comp. Biochem. Physiol., 1972, vol. 42B, pp. 637-647
2)R.N. Akhmerov. Qualitative difference in mitochondria of endothermic and ectothermic animals., FEBS lett., 1986, vol.198, pp. 251-255
3)M. D. Brand et al., Evolution of energy metabolism. Proton permeability of the inner membrane of liver mitochondria is greater in amammal than in a reptile. Biochem. J. 1991 vol. 275, pp. 81-86
4) 稲葉(伊東)靖子・斉藤茂.熱産生における脱共役タンパク質の役割と適応進化. 化学と生物 2008, vol. 46, pp. 841-849
5)脱共役たんぱく質のお勉強――にんにくを食べると発熱が増える
http://d.hatena.ne.jp/kuiiji_harris/20081129/1227941781
6)Wikipedia: Youngina,  https://en.wikipedia.org/wiki/Youngina
7)Dinopedia, A Blast From the Past, Youngina,  https://dinopedia.fandom.com/wiki/Youngina
8)http://paleontology.sakura.ne.jp/yongina.html
9)Wikipedia: Neodiapsida,  https://en.wikipedia.org/wiki/Neodiapsida
10)S. D. Burgess, J. D. Muirhead & S. A. Bowring, Initial pulse of Siberian Traps sills as the trigger of the end-Permian mass extinction. Nature Communications vol.8, Article number: 164 (2017)
11)ウィキペディア: シベリア・トラップ
12)ウィキペディア: P-T境界
13)ナショナルジオグラフィック日本版 ペルム紀大絶滅、わずか20万年で
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/5244/
14)アゴラ ペルム紀末の大絶滅の理由 --- 本田 進一郎
http://agora-web.jp/archives/2021961.html

 

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20.ペルム紀の生物 I

  ペルム紀の話を始める前に、すでに参照文献・参考書としてあげていますが、あらためて紹介しておきたい本があります。それは金子隆一著「哺乳類型爬虫類 ヒトの知られざる祖先」(1、図20-1)です。古い本なので修正が必要な部分はありますが、私はこの本によって古生物への興味をかき立てられました。単弓類についてこれほど詳しく解説した本はありません。残念ながら、現在ではおそらく中古本しか入手できないと思います。
 一節だけ引用しておくと「哺乳類型爬虫類は、われわれヒトを含むすべての哺乳類の祖先である。そして、恐竜王朝が地上を支配するよりも前、古生代石炭紀後期から中生代三畳紀中期まで、彼らはまぎれもなく地上でもっとも繁栄した生き物たちだった。しかし、にもかかわらず、われわれは自らのご先祖様を地球の王座から追い落としたライバルである恐竜ばかりをスター扱いしているのである。これは実に、理不尽な仕打ちと言わなければなるまい」

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図20-1 金子隆一著「哺乳類型爬虫類 ヒトの知られざる祖先」

 私は哺乳類型爬虫類という言葉はそんなに嫌いじゃないのですが、現在の考古学者達はお気に召さないらしく、あまり使われなくなりました。爬虫類じゃないのに爬虫類とはおかしいというわけですが、では虫じゃないのに爬虫類というのはどうなんだろう。これだけでなく、特に化石生物を含む爬虫類の分類は5年経ったらどうなっているかわからないという難しい分野ですから、専門家以外はあまり神経質に考えなくてもいいと思います。

とりあえず
==========
無弓類 (両生類から分岐したばかりの陸生の四肢動物で、側頭窓がない生物)
単弓類 (初期型単弓類の総称である盤竜類、獣弓類、哺乳類の3グループ)
双弓類 (首長竜、ムカシトカゲ、カメ、ワニ、恐竜、鳥類など)
==========
とでもわけておきましょう。

 さて石炭紀に続くのは古生代最後のペルム紀(2億9,900万年前から約2億5,100万年前まで)です。ペルム紀の初頭には超大陸パンゲアが完成しており、気候は寒冷でした。多くの湿地帯が凍結して、両生類は一部の温暖な地域にしか住めなくなり、陸上で生活できる爬虫類のなかでも特に単弓類(単弓綱)が適応放散しました。
 寒冷期の生存競争に勝つためのひとつの方法として、単弓類はエダフォサウルスやスフェナコドンという背中に帆を持つグループを生み出しました。背骨を変形させて突起を出し、その間の皮膚に血管を通して体温を調節するというシステムです。内温性(内熱性)動物がいない時代には、この方法は圧倒的に有利で、スフェナコドン類を代表するディメトロドン(2)は食物連鎖の頂点に立っていたと思われます。なぜなら帆を日光であたためて体温を高め、朝早くからすばやく活動できるので、早朝にはまだ動きの鈍い動物をエサにしやすいからです。体長が3メートル以上あった Dimetrodon grandis は図20-2のような生物です(図20-2 以下化石生物の復元図はウィキペディアより借用しました)。

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図20-2 ディメトロドン(Dimetrodon grandis)

 このスフェナコドンに近縁の生物から、獣弓類(獣弓目=テラプシダ)に進化した種が生まれたと考えられています。ウィキペディアによると、現在知られうる最古の獣弓類は、2億6,880万年~2億5,970万年前に生息したテトラケラトプスとしています(2-3、図20-3)。体長50~60cmで顔に4本の角があります。実は図にもみられるように、口角の後ろにもう一対角があります。歯が分化して牙や犬歯が存在します。白亜紀にトリケラトプスという恐竜がいましたが、これとは全く関係ありません。

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図20-3 テトラケラトプス(Tetraceratops insignis)

  獣弓類には大別して異歯亜目(ディキノドン類・ディノケファルス類)と獣歯亜目に分類されます。ディキノドン(4、図20-4)は異歯亜目を代表する生物の一つで、体長1.2mくらいの植物食の生物でした。ペルム紀最後の大絶滅で姿を消しましたが、大絶滅後近縁のリストロサウルスが繁栄し、中生代三畳紀を代表する生物となりました。ディノケファルスの例としては、モスコプス(5、図20-5)が有名です。彼らも植物食で体長は最大5mくらいある巨大な生物で、頭骨が分厚い(~10cm)のが特徴です。ディノケファルス類はペルム紀最後の大絶滅で、すべて姿を消しました。どうして彼らがそんなに分厚い頭骨を持っていたのかは謎ですが、草食動物だったので頭突きを武器として肉食獣と対決したのかもしれません。
 異歯とは歯が1種類ではなく、用途に応じて分化していることを示します。たとえばディキノドンは2本の犬歯を持っています。獣歯類はさらに哺乳類に近い歯を持っていました。つまりエサを殺戮するための牙、切り裂くための切歯、かみ砕くための臼歯などを備えていて、肉食に便利な歯の分化がおこったわけです。

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図20-4 ディキノドン (Dicynodon  lacerticeps) 

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図20-5 モスコプス(Moschops capensis)

 獣歯類を代表する生物としては、ゴルゴノプス(6、図20-6)とテロケファルス(7、図20-7)、そして哺乳類の直近の祖先と考えられているサイノドン(キノドン)があげられます。ゴルゴノプスは体長2mくらいの、ペルム紀後期を代表する肉食獣でしたが、ペルム紀末の大絶滅時代を生き延びることができませんでした。テロケファルスは小型の昆虫食あるいは植物食生物と思われますが、大絶滅時代を生き延びました。

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図20-6 ゴルゴノプス(Gorgonops whaitsi)

図20-7 テロケファルス(Moschorhinus)

 テロケファルスはサイノドンと近縁で、二次口蓋を持つなど哺乳類的な特徴を持つまでに進化しましたが、哺乳類と直接的なつながりはないとされています。
 ゴルゴノプスでひとつ注目したいのは、あごの骨に多くのくぼみがあり、これが洞毛(ひげ)の毛根を収納するためのものだったのではないかと考えられることです。そのような観点から頭部を復元した図がウィキペディアにでています(6、図20-8)。

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図20-8 ゴルゴノプスの頭部

 洞毛は哺乳類の場合 1)栄養を供給するための血洞で毛根を囲む 2)感覚神経が毛の動きを検出できるよう接触する 3)任意に動かせるように随意筋がくっついているなどの特徴がありますが、毛の構造自体は体毛と同じで、周辺の構造が体毛より進化したというものと考えられるので、洞毛があると言うことは体毛もあると考えてよいと思います。したがって、ゴルゴノプスには体毛があり、内温動物だったと想像できるということです。体毛は熱を逃がさないためにあるので、内温動物ならではの器官だと考えられます(8)。

参照

1)金子隆一著「哺乳類型爬虫類 ヒトの知られざる祖先」朝日新聞社 (1998)
2)Wikipedia: Dimetrodon,  https://en.wikipedia.org/wiki/Dimetrodon
3)Eli Amson and Michel Laurin、On the affinities of Tetraceratops insignis, an Early Permian synapsid., Acta Palaeontologica Polonica, vol. 56 (2), pp. 301-312 (2011)
doi: http://dx.doi.org/10.4202/app.2010.0063, http://www.app.pan.pl/article/item/app20100063.html4)Wikipedia: Dicynodon, https://en.wikipedia.org/wiki/Dicynodon
5)ウィキペディア: モスコプス
6)Wikipedia: Gorgonops,  https://en.wikipedia.org/wiki/Gorgonops
7)Wikipedia: Therocephalia,  https://en.wikipedia.org/wiki/Therocephalia
8)K. Morioka., "Hair follicle. Differentiation under the electron microscope. An Atlas.",  Springer-Verlag, Tokyo (2004)

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19.石炭紀の生物 II

   最初期に現れた爬虫類として考古学者に認められているのは、3億3400万年前の地層から発見されたカシネリア(Casineria)、あるいは3億1500万年前の地層から発見されたヒロノムス(Hylonomus)というトカゲに似た生物です(図19-1)。ウィキペディアによるとヒロノムスは30cmくらいの体長があったようです。カシネリアはその半分くらいの体長です。どちらも指は私たちと同じ5本です。しかも爪のような構造が認められます。初期の爬虫類は当時の両生類が獲得していた聴覚がなかったようで、より原始的な両生類から進化したのかもしれません。彼らの化石が水辺ではなく乾燥した岩石地帯らしき場所からみつかることから、羊膜を持ち乾燥に耐えられる卵を産んだのではないかと考えられています(1-2)。

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図19-1 最初期の爬虫類 カシネリアとヒロノムス

 カシネリアとヒロノムスはヒトにも存在する距骨を持っていました。これは足と指を連結する足首の骨で、爬虫類型両生類では3つに分かれていたのがひとつになったものです(3、図19-2)。大地を力強く踏みしめて歩くには必要な進化だったのでしょう。石炭紀に両生類から陸上生活に適応するものが出現する過程で、カシネリアやヒロノムスも含めて陸上で生活するためのさまざまな試行が行われ、それらの中から恐竜・カメ・ワニ・ヘビ・鳥に進化するグループと哺乳類に進化するグループが分岐して出現したと思われます。

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図19-2 距骨(きょこつ)

 上陸したばかりの初期の爬虫類の場合、頭蓋骨に開いている穴は鼻2、眼2、頭頂1の5つで、それ以外の穴(側頭窓)はありませんでした(4、図19-3)。このような原始的な爬虫類をまとめて無弓類と呼びますが、特に分類学的にまとまっているわけではないそうです。不思議なことに、このあと哺乳類に進化するグループは側頭窓が2つ(片側1つ)、恐竜などに進化するグループは側頭窓が4つ(片側2つ)あるものに限定されることになり、前者を単弓類、後者は双弓類と呼びます(図19-3)。これらにはいずれも綱という分類学上の階級が与えられています。各グループの頭蓋骨の形状を図19-3に示します。ただし現代に生きている鳥やヒトでは、これらの側頭窓は失われています。側頭窓の機能としては、アゴの筋肉を付着させて咀嚼力を高めるとされていますが、ピーター・D・ウォードなどは頭部を軽くするためとしています(5)。

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図19-3 側頭窓

 最古の単弓類として、石炭紀後期の3億1130万年から3億920万年前に生息していたアーケオシリス(6、図19-4)やクレプシドロプスが知られています。あるいはディアデクテスが単弓類の原型だという考え方もあります。これらの生物には片側あたりひとつの側頭窓が認められます。

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図19-4 アーケオシリス(Archaeothyris)

 同時期には最古の双弓類であるペトロラコサウルス(7、図19-5)なども生きていました。ペトロラコサウルスは片側ふたつの側頭窓を持っています。石炭紀後期からペルム紀に圧倒的に優勢になったのは単弓類でした。単弓類(当時の主要な単弓類をまとめて盤竜類ともいう)は石炭紀後期からペルム紀前期にかけて大繁栄し、多くの種を出現させました。

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図19-5 ペトロラコサウルス(Petrolacosaurus)

 図17-6は石炭紀の代表的な盤竜類(後に登場する獣弓類以外の単弓類を便宜的にまとめた呼称)で、アーケオシリスと近縁のオフィアコドン、スフェナコドン科の Ctenospondylus casei 、 エダフォサウルスの再現図をウィキペディアから借用して示します。背中にある帆のような突起物は、ここに血液を循環させて太陽熱であたため、朝なるべく早く活動できるようにするためと思われますが、さてどうでしょうか?
 石炭紀後期からペルム紀に至る単弓類全盛の時代には、双弓類は原型に近いトカゲのような形態を保って、地味に生き延びていたようです。彼らが適応放散して繁栄するのは中生代まで待たなければなりません。

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図17-6 石炭紀の盤竜類

 両生類と陸上生物についてばかり述べてきましたが、石炭紀当時の海はどうなっていたのでしょうか? ウミユリという棘皮動物、つまりウニやヒトデと同じ門の生物が大繁栄していました。ウミユリはカンブリア紀から現代までずっと生息しつづけている生物ですが、石炭紀の頃が量的にも多様性からも最も繁栄したと考えられています。現代で知られているのはインドネシアのコモド国立公園で、美しいウミユリが名物になっているようです(8)。石炭紀の海は、海底が色とりどりの草原のようで美しかったことでしょう。魚類ではサメが勢力を拡張しました。当時のサメの復元図を多数収録した本をウェブで読めます(9)。その奇妙な形態には驚かされます。
  石炭紀末からペルム紀初頭に至る200万年の間、氷河期が到来しました。ゴンドワナ大陸には2000万平方キロメートル(日本の面積の数十倍)の氷河が存在したそうです。同時にパンゲアすなわち地球上で唯一の巨大大陸が完成し、乾燥した気候がつづいて石炭紀の大森林が衰退しました。
  余り知られていませんが、ウェゲナーの大陸移動説(10)の証明には古生物学が大いに貢献しました。どの時代にどのような陸上生物の化石がどの大陸でみつかるかという結果を詳しく分析すれば、どの大陸がいつ分離したかということがわかります。陸上生物は海を渡って他の大陸に行けないので、離れた場所でも同じ生物種の化石が見つかれば、当時は地続きの大陸だったと推測できます。

参照

1)Wikipedia: Casineria.,  https://en.wikipedia.org/wiki/Casineria
2)Wikipedia: Hylonomus,  https://en.wikipedia.org/wiki/Hylonomus
3)Wikipedia: Talus bone,  https://en.wikipedia.org/wiki/Talus_bone
4)金子隆一著 「哺乳類型爬虫類 ヒトの知られざる祖先」 朝日新聞社 1998年
5)ピーター・J・ウォード著 垂水雄二日本語訳 「恐竜はなぜ鳥に進化したのか」 文藝春秋社 2008年
6)Wikipedia: Archaeothyris,  https://en.wikipedia.org/wiki/Archaeothyris
7)Wikipedia: Petrolacosaurus, https://en.wikipedia.org/wiki/Petrolacosaurus
8)ウミユリ コモド国立公園 で検索
9) Juan Castillo Cornejo、Patricio Bravo Fernández., Tiburones fósiles de Chile y la fauna fósil de Bahía Inglesa., Mago editors (2017)
https://books.google.co.jp/books?id=NqdyDwAAQBAJ&pg=PT77&dq=Echinochimaera&hl=ja&sa=X&ved=0ahUKEwi74q2Sy_LkAhULM94KHVC7D4kQ6AEIKDAA#v=onepage&q=Echinochimaera&f=false
https://www.amazon.co.jp/s?k=9789563173819
10)ジャムステック 吉田晶樹 ウェゲナー「大陸移動説」完成100年に寄せて 
https://www.jamstec.go.jp/j/jamstec_news/20150914/

 

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18.石炭紀の生物 I

 デボン紀に続く石炭紀は3億5900万年前~2億9900万年前の時代です。まず図18-1をみてみましょう。デボン紀の後期にFーF境界という謎の絶滅があって、しばらくしてから石炭紀になります。F-F境界については、当時気温が低下したのか上昇したのかすらよくわかっていないようです(1)。  
 絶滅時代に13%くらいに落ちていた酸素濃度は石炭紀の初期には17%くらいにまで回復し、その後ペルム紀初期にかけてどんどん上昇していきます。しかしながら、生物の多様性はこの間全体的には進行していないことが読み取れます(図18-1茶色カーブ)。石炭紀の中央あたりに青▼の絶滅マークがありますが、これについてもよくわかっていません。ゴンドワナ大陸とローレンシア大陸が衝突するという地殻変動の影響があったのかもしれません。

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図18-1 生物多様性の変化と絶滅(黄三角:5大絶滅、青三角:その他の絶滅)

 デボン紀から石炭紀にかけて、陸上にはじめて森林が形成されました。現在の大気中の二酸化炭素濃度は 0.037% (370ppm) ですが、デボン紀はじめには 3600ppm 以上あった濃度が、石炭紀の中頃には現在と同じくらいの濃度にまで低下してしまいました。すなわちデボン紀・石炭紀の空気中の二酸化炭素は植物によって固定され、植物の死骸が土に埋もれて石炭になってしまって、空気中には戻らなかったのです。これはシアノバクテリアによって大気に酸素が放出されて以来の、生物による自然環境の激変と言えるでしょう(2)。図18-2は石炭紀の想像風景です(3)。

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図18-2 石炭紀の想像風景

 ここで疑問が湧いてくるのは、巨大な草食恐竜を育てるのに十分な森林があったジュラ紀・白亜紀などに起源を持つ石炭が少ないのはなぜでしょうか? 木材の主成分の一つであるリグニンを分解できる白色腐朽菌が出現したのは石炭紀の末期(約2億9千万年前)で、それまでは樹木が倒れても腐らずそのまま地面に保存されていたので、石炭紀の地層には石炭が豊富に見られるそうです(4)。ペルム紀以降は樹木が倒れると、まず白色腐敗菌がリグニンを低分子化し、他の細菌がさらに分解して無機物質化するため、樹木が豊富でも石炭はできませんでした。つまり樹木が多いこととリグニンが分解されないことが石炭形成の条件です。ジュラ紀・白亜紀には後者の条件が満たされていませんでした。
 石炭紀後期には酸素濃度が30%くらいあったので、落雷があるごとに火事になっていたという記述があって、それなら微生物は分解利用する暇が無いし、植物の死と再生のサイクルが早くて、石炭ができやすかったのかもしれません(5)。
 酸素濃度が非常に高かったということは、石炭紀後期は肺を持たない節足動物にとっては好適な環境でした。メガニューラというトンボのなかには、羽を広げたときの幅が70cmくらいある種もいました(図18-3)。彼らをはじめ多くの昆虫が、石炭紀に陸地に上陸したばかりか、空を飛ぶ機能まで獲得したことは、それまでの静かな陸地の状況を一変させました。その他体長1メートルあるいはそれ以上のヤスデやサソリもいたようです。ロバート・ダドリーによると、酸素濃度を高くした環境でショウジョウバエを育てると、体の大きなショウジョウバエが発生するそうです(6)。

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図18-3 メガニューラ

 デボン紀にいたイクチオステガやアカントステガという、まだ主に水中で生活していたと思われる生物から、陸上主体の生活をする両生類が出現するまでの間に相当する石炭紀前期の地層から全く両生類の化石が発見されず、そのことを指摘したローマ-にちなんでこの期間は「ローマ-の空白 Romer's gap」と呼ばれていましたが、2002年にペデルペス(前回のデボン紀 IIに図があります)というミッシング・リンクが記載されて少し落ち着きました(7)。
 ただ3億6000万年前から3億3000万年前までの期間は、両生類にとっては細々と生き延びていた雌伏の時期だったのでしょう。ピーター・ウォードの仮説によれば、デボン紀の大量絶滅から石炭紀前期の「ローマ-の空白」期に至るまでの期間、酸素が不足していたため、陸上にはほとんど動物がいなかったということになっています。
 そして石炭紀中・後期にどんどん酸素濃度が上昇するとともに昆虫全盛期が訪れ、四肢動物もいよいよ陸上に進出しました。四肢動物が上陸を果たすには、これまでにも述べてきたように、浮力の無い地上でも歩き回れるような筋肉をもつ四肢、空気中の酸素を利用するための肺が必要ですが、必要なのはそれだけではありません。水中での生活と縁を切るためには、胎生となるか、殻付きの乾燥しない卵を地上に産むかという新機軸を獲得しなければなりません。

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図18-4 両生類と有羊膜類の卵

 図18-4は卵生と胎生のメカニズムを図示したものです(8)。両生類や魚類の卵はイクラをみればわかるように、子供と栄養(卵黄)をゼリーで被い、さらに卵膜で囲んであります。ゼリーや卵膜はアンモニアを透過するので、水中に生む場合は子供の尿(アンモニア)は拡散によってまわりに排出されるので大きな問題はありません。
 ところが陸に卵を産んだり、母体内で育てる場合には、アンモニアをどうするかが大問題となります。アンモニアはさわるとヤケドをするくらい危険な物質ですし、神経毒性もあって、とても体内にため込んではおけません。より毒性が低い尿素や尿酸に代謝する必要があります。爬虫類や鳥類は外界に殻付きの卵を産む場合が多いので、アンモニアを尿酸に代謝して尿膜腔という袋にためこみます。哺乳類は尿膜を胎盤と一体化させ、胎児が排出したアンモニアを胎盤を通して母親の体内に移して、母親が尿素に変換するというやり方で問題を解決しています。

 しかしここで一つ疑問があります。爬虫類は最初から殻付きの卵を産んでいたのでしょうか? 両生類が産むような卵に、単に殻をつけて陸上に産んでしまうと、子供は尿毒症で死んでしまいます。その前にアンモニアをどうにかする代謝経路や、子供を包んで乾燥を防ぐ羊膜や尿をため込む袋とか構造的なものも準備しなくてはなりません。
 内部が羊水で満たされた羊膜は爬虫類・鳥類・哺乳類が持っているもので、両生類にはありません。そこで爬虫類・鳥類・哺乳類をまとめて有羊膜類といいます。初期の爬虫類はおそらく羊膜をかぶせた胎児を羊水で満たされた羊膜腔で育てていたのではないでしょうか(胎盤はなくても胎生あるいは卵胎生)。アンモニアの代謝は現代魚類でもある程度は行っているので、初期の爬虫類もそこそこできたのではないでしょうか。
 今生きている爬虫類のなかにも、イエローベリー・スリートード・スキンク(Saiphos equalis)などのように、同じ種で胎生と卵生を行う場合があるので(9)、結構胎生と卵生の変換そのものは、進化の過程でそれぞれの準備ができていれば、そんなに困難ではないと思われます。たとえば羊膜に包まれた卵を湿地に産んだり、湿地が干上がってしまったら産まずに体内にとどめるなどということもあり得たと思います。そうこうするうちに尿膜腔を獲得し、輸卵管からの分泌で殻をつくる術を獲得しという順で進化が進んで、典型的な卵生の爬虫類が誕生したと想像できます。

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図18-5 エコーでみるヒト胎児の卵黄嚢と卵黄菅

 哺乳類の場合胎盤を発達させて、これを通して胎児への栄養供給と老廃物処理を行うようにしたので、卵黄と尿膜腔はいらなくなりました。尿膜腔は胎盤と一体化したと述べましたが、卵黄嚢は別の用途で利用しています。それは胎児型赤血球の産生で、肝臓・脾臓・骨髄などの造血器官がまだ整備されていない胎児は、卵黄嚢などでつくられた赤血球を、卵黄菅の中にある卵黄動静脈を介して利用します(10、図18-5)。
 図18-6はアンモニア・尿素・尿酸の構造式です。アンモニアと尿素は水に良く溶けますが、尿酸は難溶性です。アンモニアは有毒ですが、尿素・尿酸にそのような毒性はありません。しかし尿素は水に良く溶けるので、濃度が濃くなると浸透圧が高くなって子供の体から水を奪うことになります。このため殻付きの卵を選択した生物では、尿酸に代謝することが必要になります。

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図18-6 アンモニア・尿素・尿酸の構造式

 図18-7はアンモニア無毒化のために私たちが使っている代謝経路で、尿素回路と呼ばれています。私たちだけでなく、一般的に魚類・両生類・哺乳類はこの回路を利用し、そしておそらく初期の爬虫類も尿素回路を使ってアンモニアを無毒化していたと思われます。

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図18-7 尿素回路

 水生無脊椎動物はほとんどがアンモニアを排出します。硬骨魚類が排出する主要な窒素化合物は一般的にアンモニアですが、尿素も淡水魚では全窒素の10%~20%、海水魚では20%~40%排出します。種類による多様性も認められています(11)。軟骨魚類のサメやエイは主として尿素を排出します。肺魚は水生生活の時、アンモニア(65%)と尿素(35%)を排出しますが、夏眠中は全てを尿素として体内に蓄積し、夏眠が覚めると一気に排出します。オタマジャクシはアンモニア排出動物ですが、変態してカエルになると尿素排出動物となります。このように水生から陸生へ進むには、形態の変化だけではなく、代謝の変化も必要です。石炭紀前期はそのために生物が苦闘していた時代といえるでしょう。

参照

1)ウィキペディア: 大量絶滅
2)地球と気象・地震を考える 地球環境の主役 植物の世界を理解する⑫大気中の炭酸ガスを蓄積する植物活動
http://blog.sizen-kankyo.com/blog/2009/03/504.html
3)Wikipedia: Carboniferous,  https://en.wikipedia.org/wiki/Carboniferous
4)ウィキペディア: リグニン
5) ピーター・J・ウォード著 日本語訳:垂水雄二 「恐竜はなぜ鳥に進化したのか」文藝春秋社 2008年 または文春文庫2010年 (註:この本の日本語タイトルは内容と著しく異なっており(原題は Out of thin air)、実はカンブリア紀からの生物と環境の関係を記述してある本です)
6)ピーター・ウォード&ジョゼフ・カーシュヴィンク著 日本語訳:梶山あゆみ、「生物はなぜ誕生したのか 生命の起源と進化の最新科学」 河出書房新社 (2016)
7)Jennifer A. Clack, An early tetrapod from ‘Romer's Gap’., Nature vol. 418, pp. 72-76, (2002)  https://www.nature.com/articles/nature00824
8)金子隆一著 「哺乳類型爬虫類 ヒトの知られざる祖先」朝日新聞社 1998年
9)ナショナルジオグラフィック: 卵生から胎生へ進化中のトカゲ
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/3081/?ST=m_news 
10)森岡清和著 「素顔の赤血球 その生い立ちと運命をさぐる」金原出版(1994)
11)岩田勝哉 魚類の窒素代謝 比較生理化学 vol.15,  no.3,  pp.184-193 (1998)

 

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2020年1月11日 (土)

17.デボン紀の生物 Ⅱ

 「デボン紀の生物1」で記したように、デボン紀初期には陸上に植物が繁茂し、しかも空気中の酸素が25%もあったので、肺を持たないにもかかわらず節足動物はすでに陸地に進出していました。彼らの仲間はもともと海底を歩いていた者が多かったので、陸地での生活への適応は容易だったとおもわれます。ただそれは酸素濃度が濃い場合の話で、中期には13%まで濃度が減ってしまったので、この環境変化に彼らの多くは耐えられませんでした。昆虫は心臓や血管を使って酸素を体内に循環させるという心肺機能をもたず、気管内の拡散にたよっているため、現在の環境(酸素濃度20%)でも小さなサイズのものしか生きられません。13%という数値は、非常に厳しいといえます。
 一方で当時の脊椎動物はほとんどが泳いで生きるというライフスタイルだったため、デボン紀初期の上陸のチャンスを逸してしまいました。しかしその後の酸素濃度の低下に適応して、効率よく空気中の酸素を利用できる肺を発明したことが、デボン紀中後期における脊椎動物の地上への上陸の基盤になりました。初期の肺の使い方としては、ときどき水面まであがって空気を吸うという方式です。空気中には 200ml/L の酸素があるとして、水中の飽和酸素量は 20°C で 30ml/L くらいですから、肺があれば有利です(1)。
  条鰭類(じょうきるい)は肺を獲得したにもかかわらず、その後の乾燥による河川や湖沼の環境悪化のため、海に戻らざるを得ませんでしたが、一部の肉鰭類(にくきるい)はエラを手足に変化させて歩き始め、ついには陸上でも生きていけるようになります。しかしその過程は非常に困難なものでした。デボン紀後期には気候変動や隕石墜落による大絶滅時代が存在し、彼らはその時代を生き抜かなければなりませんでした。

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図17-1 肺魚から四肢動物へ

  図17-1は肉鰭類の肺魚が四肢を獲得するまでの過程を示したものです (2)。この左下に最も初期に四肢動物の兆候を示したユーステノプテロンがいます。化石は3億8500万年前(デボン紀中期から後期)くらいの地層から発掘されました。彼らは普通の魚類のようにみえますが(図17-2)、その胸びれ・腹びれには私たちと同様上腕骨・尺骨・橈骨が認められます(3)。彼らは自分たちが住んでいた河川・湖沼が干上がる兆候をみせたとき、この強靱な胸びれ・腹びれを使って陸地を移動できたと思われ、これが当時の環境において適者生存を勝ち得たのでしょう。

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図17-2 ユーステノプテロン(Eusthenopteron foordi)

 図17-1のユーステノプテロン(Eusthenopteron) の上に描いてあるのがデボン紀後期に出現するパンデリクチス (Pandericthys) です。ユーステノプテロンはまだ見た目魚類の感じですが、パンデリクチスになると、魚類とは違和感があります。その要因は彼らは背びれと体の下側の腹びれを失っていることです、手足に相当するひれしかないので、見た目にも四肢動物の祖先という雰囲気が漂っています(図17-3)。彼らは浅い沼のようなところで生活するのに適しており、目は上向きについていますし、頭頂に呼吸孔があってそこだけ出せば水底の泥の中にかくれていても呼吸ができたようです。

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図17-3 パンデリクチス(Pandericthys)

 図17-1でパンデリクチスの右側にいるのがティクターリクで、この生物に関する記載は2006年に発表されました。デボン紀後期(3億7500万年前)のワニっぽい感じの動物で、2メートル70センチの体長があると示唆される化石が発見されています。彼らには首があり、左右に振り向くことができたようです。また骨盤が発達してきていて、いよいよ後ろ足を使って歩く準備が進んできたことを示しています。ですから最初に地上を歩いたのはティクターリクに近縁の生物だと2010年までは考えられていました。
 ところが驚くべきことに、ポーランドの採石場から図17-1の左端、すなわち3億9000万年前に4足動物が歩いた足跡が発見されました(4-5)。しかも非常に多数発見されたのです。足跡から推測される体長は2m以上のものもありました。この動物の身体の化石が発見されていないのでまだ謎ですが、足跡は Zachelmie tracks として認められた化石です(図17-4)。

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図17-4 Zachelmie tetrapod tracks の年代的位置と、四肢動物の祖先と考えられている魚類たち

 ティクターリクの時代からデボン紀大絶滅がはじまりました。デボン紀末の大絶滅は、その原因や期間を含めてまだはっきりしないことが多いようですが、板皮類・棘魚類・無顎類の多くの種が絶滅したことは明らかです。もうひとつわかっていることは、海の動物にくらべて、河川・湖沼の動物は影響が軽微だったということです。そのためでしょうか、普通大絶滅があると生物相がガラッと変わって紀がかわるのですが、デボン紀の大絶滅期は、終了後もデボン紀です。終了後はデボン紀末期ということになります。
 デボン紀末期(3億6500万年前)にはアカントステガ(図17-5)が出現しました。彼らは明らかにヒレではない腕と足を持っており、しかもその先端には8本の指が認められます。サイズは60cmくらいだったようです。いつもは水中に生活していて、エサをとるために上陸したと考えられています。彼らが沼地に住んでいたか、海辺に住んでいたかについては議論がありますが、干潟では多くの生物が潮に取り残されて動きが鈍くなるので、水中よりずっと簡単にエサを捉えられたに違いありません。彼らよりずっと前から四足歩行して、足跡の化石を残した動物たちはデボン紀大絶滅の時代に絶滅したのかもしれません。どちらの系統が両生類につながっているかは、化石生物学の大きなテーマのひとつでしょう。

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図17-5 アカントステガ(Acanthostega gunnari)

 同じ時期にイクチオステガという後肢7本指(前肢不明)のよりがっちりとした体格の大型生物(体長1.5mくらい)も生きていました。彼らのような明らかな四肢動物と、ティクターリクなどの肉鰭魚類との中間的な動物もみつかっており、デボン紀後期~末期には、四肢動物あるいはその前駆的な動物は多様化が進んでいたと思われ、そのなかから石炭紀前期の両生類ペデルペス(図17-6)へとつながっていったのでしょう。

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図17-6 ペデルペス(Pederpes finneyae)

 デボン紀の先駆的四肢動物であるアカントステガやイクチオステガと、石炭紀に出現した両生類とをつなぐ化石は長い間発掘されませんでした(ローマーの空白)。そのミッシングリンクを埋めたのがペデルペスです(6、7)。体長は1mくらい、四肢は歩行専用のような形態で、指の数は5本で私たちと同じです。
 図17-1の右下にいるシーラカンスは不思議な生き物で、肉鰭類の魚なのですが、条鰭類と同様、いったん肺を獲得したにもかかわらず海に帰ったグループです。条鰭類は肺を浮き袋にして生き残りましたが、シーラカンスは浮き袋を獲得することはできず、そのかわり肺を脂肪で満たしたり、骨を軟骨にして深海で生き延びました。こうした一見進化から取り残されたような風変わりなグループが、デボン紀の大絶滅はもちろん、ペルム紀や白亜紀の大絶滅も乗り越えて数億年の間そのままの形で生き残り、図17-1にみられるその他の生物はすべて絶滅しているというのは進化の皮肉と言うべきでしょうか。
 最後に魚類・四肢動物以外の生物に触れておきます。軟体動物については腕足類やオウムガイは健在で、アンモナイトに近い種も出現しました。節足動物については、まずシルル紀に大繁栄したウミサソリは、シルル紀ほどではなくても健在。カブトガニも命脈を保ち、彼らはウミサソリが絶滅した現在でも生き続けています。サソリはデボン紀に陸上にあがり、やはり現在も健在です。三葉虫はシルル紀には低調でしたが、デボン紀には結構繁栄をとりもどしたようです。板皮類などに簡単に食べられないようにトゲなどで武装する種が増えました(8)。
 ダニやリニエラ(トビムシ)はデボン紀前期には陸上で生きていたようです。特に後者は昆虫の祖先と考えられています。リニエラの復元図は川崎悟司氏のイラストが有名です。興味ある方は文献(9)をご覧下さい。クモの祖先であるワレイタムシ(Trigonotarbida)も生きていたようです。ワレイタムシの化石からは書肺というクモがもつ空気呼吸用の臓器も発見されているそうで、すでにデボン紀前期に彼らが上陸していたことが示唆されます(8、10)。レピドカリスというエビもデボン紀前期の地層から数多くみつかっています(8)。

参照

1) Hatena Blog.,   飽和溶存酸素量について
http://d.hatena.ne.jp/Rion778/20110814/1313248269
2)Wikipedia: Sarcopterygii
https://en.wikipedia.org/wiki/Sarcopterygii
3)Palaeos: Life through deep time.Sarcopterygii: Osteolepiformes: Eusthenopteron.
http://palaeos.com/vertebrates/sarcopterygii/eusthenopteron.html
4)Grzegorz Niedźwiedzki, Piotr Szrek, Katarzyna Narkiewicz, Marek Narkiewicz & Per E. Ahlberg., Tetrapod trackways from the early Middle Devonian period of Poland., Nature vol. 463, pp. 43–48 (2010)
https://www.nature.com/articles/nature08623
5)National Geographic,  最古の四足動物の足跡を発見
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/2132/
6)Jennifer A. Clack, An early tetrapod from ‘Romer's Gap’,  Nature  vol. 418, pp. 72–76(2002) doi:10.1038/nature00824. PMID 12097908.
https://www.nature.com/articles/nature00824
7)Wikipedia: Pederpes  https://en.wikipedia.org/wiki/Pederpes
8)土屋健著「デボン紀の生物」(技術評論社 2014年刊)
9)古世界の住人 最古の昆虫
https://ameblo.jp/oldworld/entry-10004163620.html
10)Wikipedia: Trigonotarbida,  https://en.wikipedia.org/wiki/Trigonotarbida

 

 

 

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2020年1月10日 (金)

16.デボン紀の生物 I

 デボン紀はシルル紀につぐ4億1600万年前から3億5900万年前までの期間です。デボン紀にはあまりにも多くの生物にとって重要なイベントがあったので、簡単にまとめるのは難しいと思います。生物の歴史における最大のキーポイントかもしれません。

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図16-1 カンブリア紀から現在に至る生物多様性の推移

 最初にふたたび図16-1の Sepkoski curve を見てみましょう。カンブリア紀からオルドビス紀にかけて順調に増加してきた科の数が、オルドビス紀とシルル紀の境界にある寒冷期に(数字1)ドカンと落ち、シルル紀(S)に元の数にもどして以降、デボン紀(D)・石炭紀(C)およびそれに続くペルム紀(P)を通じて頭打ちになっていることがわかります。生物の多様性がデボン紀以降しばらく、どうして頭打ちになったのでしょうか? ジュラ紀以降にはまた増加していることから、この頭打ちは遺伝子の構造上の限界というものではなく、その時代の特殊な事情がかかわっていると思われます。
 その原因のひとつは、オルドビス紀からジワジワと陸地への上陸をはじめていた植物が、デボン紀に至って森林を形成するまでに陸上で繁茂するようになったことでしょう。植物はそれまで地球に蓄積されていた温暖化物質である二酸化炭素をとりこんで利用してしまったため、地球寒冷化を招いてしまったかもしれません。バーナーのシミュレーション(1-2)によるとデボン紀後期から二酸化炭素は急減し(16%→7%)、石炭紀からペルム紀中期まで非常に低い状態(1%あるいはそれ以下)が続いたそうです。一方酸素はデボン紀初期には25%ありましたが、中期には13%くらいまで落ち込みました。これは生物にとっても大きな影響があったに違いありません。
 もうひとつの変化は、シルル紀に地殻変動がおこり、ローレンシア大陸とバルチカ大陸が衝突してひとつの大陸となったことです。衝突地点には山脈が形成されました。山脈には雲がかかり、雨が降って川が形成されます。麓には広大な湿地帯ができたと思われます。生物の多様性はトータルでは頭打ちになりましたが、デボン紀にこの湿地帯で生きるための遺伝子を獲得した生物のなかから、私たちの祖先となる四肢動物が生まれてきたことは間違いないでしょう。
 四肢動物の話の前に、まず海洋の生物から話を進めましょう。デボン紀は魚類が大繁栄した時代として知られています。この大繁栄は現代まで続いています。魚類の歴史は古く、拙稿でも触れたようにカンブリア紀から生きていて、素晴らしい筋肉や装甲によって、逃亡力や防御力を高めてオルドビス紀・シルル紀と生き抜いてきました。それでも海の主役になれなかったのは、攻撃力が不足していたからです。しかしシルル紀に登場した棘魚類(きょくぎょるい)・板皮類(ばんぴるい)は顎をもち、歯に相当するものもあって、デボン紀にはついに海の主役に躍り出ました。
 特に有名なのは板皮類のダンクルオステウスで、海の王者にふさわしい凶暴な面構えには圧倒されます(図16-2)。ダンクルオステウスの噛む力は、あの最強の肉食恐竜ティラノサウルスにも匹敵するほどだったそうです。5トンの咬合力があれば節足動物の外骨格や軟体動物の貝殻も破壊することができて、まさに海の王者にふさわしいステータスだったと思われます(3-4)。

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図16-2 ダンクルオステウス(国立科学博物館で撮影)

 顎と歯をもつ魚類の起源はどのあたりにあるのかという疑問について、大きなヒントが中国の朱敏らの研究によって提供されました。彼らはエンテログナトゥス・プリモルディアリスというシルル紀末期の風変わりな板皮類の化石から、この魚類が私たちが持つ顎や歯の基本設計を確立したと推定しましたが、これにはまだ疑問の余地があるようです(5-6)。
 デボン紀には板皮類の他に棘魚類・硬骨魚類・軟骨魚類・無顎類などいろいろな魚類が生きていましたが、これらの類縁関係は現在でもはっきりしていません。とはいえとっかかりがなくては困るので、系統図を描いてみました(図16-3)。この図の中央にいる棘魚類というのが、板皮類・軟骨魚類・硬骨魚類の中間的なグループで。考古学者を特に悩ませているようです。板皮類もここで示した位置が正しいかどうかはまだわかっていないようです。棘魚類と板皮類が絶滅してしまったというのは、魚類の進化を研究している人々にとっては誠に残念なことでしょう。

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図16-3 魚類のおおざっぱな進化系統図

 デボン紀後期には、軟骨魚類(特にサメ)が全盛を誇っていた板皮類を脅かす存在として台頭してきました。代表的な当時のサメ、クラドセラケを図16-4に示します。体長は2mに達していました。彼らはスマートな体型、大きな腹びれと尾びれ、強力な筋肉によって破格の遊泳能力を獲得し、しだいに板皮類を圧倒していったのだと思われます。板皮類は絶滅しましたが、軟骨魚類は現在でも繁栄しています。

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図16-4 クラドセラケ

では現在脊椎動物の中で最も繁栄しているグループである硬骨魚類はどうしていたのでしょう? 硬骨魚類もすでにシルル紀から現れていたことがわかっていますが、デボン紀にはまだまだマイナーな存在でした。硬骨魚類には2つのグループ(綱)が存在し、ひとつは条鰭類(じょうきるい)でいわゆる現在普通に見られる硬骨魚類、いまひとつは肉鰭類(にくきるい)という私たちのご先祖様です。条鰭類は薄くて硬いヒレでスマートな泳ぎをめざし、肉鰭類はヒレに筋肉をつけて自在さとパワーを重視した方向をめざしました。
 当時生きていた条鰭類に極めて近い魚で、現在でもみられるのがポリプテルスとチョウザメです。チョウザメはサメではなくれっきとした硬骨魚類です。ポリプテルスは肺呼吸ができる魚類です。肉鰭類で現在でもデボン紀と同様な形態のものは、シーラカンスが有名です。しかしもうひとつの肉鰭類である肺魚というグループが現在も生息しています。一時期東京タワーの1Fにある水族館にすべての現存種が飼育されていましたが(7)、現在はみられません。ただ図16-5のアフリカハイギョのように養殖が成功して、容易に入手できるものもあるようです(8)。

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図16-5 アフリカハイギョ(Protopterus aethiopicus)

 肺魚の特徴は肺呼吸する以外に、鰭が筋肉質であることです。これが陸上で生活する四肢動物の起源となりました。デボン紀には肉鰭類はそこそこ繁栄していたようです。板皮類やサメとは棲み分けていたのかもしれません。特に肺魚は繁栄していたようです。彼らはおそらくローレンシア大陸に形成された広大な湿地帯で生きていて、乾燥に備えて肺呼吸が必要だったと思われます。また浅瀬では泳ぐと岩などに体をぶつけてケガをするので、底を這うような生き方の方が有利だったのかもしれません。
 硬骨魚類はデボン紀にはまだマイナーな存在であり、海洋ではサメや板皮類に追われる存在だったようです。彼らの中に、ローレンシア大陸の河川や湿地帯に移住するものが出現しました。しかしこれらの淡水域には雨期と乾期が存在し、乾期には酸素の不足が顕著になります。その結果おそらく彼らの中で肺を持つものが出現し、適者として生存することになりました。その後海洋での大絶滅などがあって、ふたたび海にもどったのが現在の魚類となりました。肺を獲得した硬骨魚類が海にもどるに際して、肺は不要になり浮き袋となりました。これは進化の妙で、浮き袋のおかげで彼らは眠ることができるようになりました。魚類は体の比重が海水より大きいので、何もしないと沈んでしまうのですが、硬骨魚類は浮くことができます(9)。
 一方サメなどはいつも沈まないように泳ぐことが必要で、骨も密度の低い軟骨でがまんしなければならないということになりました。つまり硬骨魚類はいったん海洋での生存競争に敗れましたが、河川で棲息するうちに肺を獲得したことによって、思わぬアドバンテージ=浮き袋を得て、いまや軟骨魚類を圧倒するような繁栄に至ったわけです。
 硬骨魚類の中で泳ぐのが得意な条鰭類は、中生代のはじめに多くが海に戻ってしまったのですが、肉鰭類のなかには泳ぐのが困難な浅瀬や湿地帯に適応して生き延びる種があらわれました。やがて筋肉質のヒレは手足に進化し、四肢動物が誕生することになりました。

参照

1)Robert A. Berner, GEOCARBSULF: A combined model for Phanerozoic atmospheric
O2 and CO2. Geochimica et Cosmochimica Acta, vol. 70, pp. 5653–5664 (2006)
2)Robert A. Berner, The Phanerozoic Carbon Cycle: CO2 and O2, Oxford University Press (2004)
3)古世界の住人 アゴ最強伝説2
https://ameblo.jp/oldworld/entry-11182339156.html
4)ウィキペディア: ダンクルオステウス
5)Min Zhu et al., A Silurian placoderm with osteichthyan-like marginal jaw bones., Nature vol.502, pp. 188-193, (2013) doi:10.1038/nature12617
https://www.nature.com/articles/nature12617
6)Eliot Barford 自然史ニュース 板皮類化石と顎の起源
http://yuihaga.blog.fc2.com/blog-entry-276.html
7)渋めのダージリンはいかが 東京タワー水族館 その2
https://morph.way-nifty.com/grey/2006/11/post_a3dc.html
8)ウィキペディア: ハイギョ
9)東京大学総合資料館 魚類 29 鰾——硬骨魚類の進化の舞台と鰾
http://umdb.um.u-tokyo.ac.jp/DKankoub/Publish_db/1995collection2/tenji_gyorui_29.html

 

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15.シルル紀の生物

 オルドビス紀の末期に気温が低下して、氷河期が到来しました。このために三葉虫や筆石は絶滅の危機に瀕しましたが、次のシルル紀(4億4300万年前~4億1600万年前)には温度が上昇し、現在よりも気温が高い温暖な気候になったため、生物は再び大繁栄することになりました。
 シルル紀を代表する生物のひとつである筆石=フデイシ(1)はカンブリア紀から存在する生物ですが、これまで言及しなかったので、ここで触れておきたいと思います。筆石はその名前の通り最初は鉱物と思われていたのですが、最近の研究によって翼鰓綱の生物とされています。この綱は半索動物門というわれわれ脊索動物門に近いグループに所属しています。筆石は群体生活を送り、個々の生物はそれぞれ自分の分泌物を使って住居(棲管)を作ってそのなかで生きています。その棲管が化石となって残るので、古生物学者にとっては有難い生物です。実際オルドビス紀からシルル紀までの時代を、この生物の化石の細かい違いによって、100万年単位で同定できる場合もあるようです。
 フデイシの形態は多種多様で、ウィキペディアにはブリタニカ百科事典の図が引用してあります(1)。フデイシと非常に近いと思われるフサカツギ(2)は現在も生きていますが、大変珍しいそうです(図15-1 東京医科歯科大学 和田勝先生描画)。半索動物にはもうひとつギボシムシ(3-5)というグループがあり、こちらは割とみつかりやすく、私も三浦半島の油壺周辺の砂浜から掘り出したことがあります。フサカツギとギボシムシが近縁な生物であることはDNAの解析から証明されています。またギボシムシのゲノムには、「咽頭部形成遺伝子クラスター」という新口動物にしかない遺伝子クラスターが存在します(4、6)。新口動物(=後口動物)とは原口が口にならず、肛門となり(あるいは、原口の付近に肛門が形成され)、口は別に形成される動物のことをいいます。棘皮動物門・半索動物門・脊索動物門などがこのグループに所属します。

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図15-1 フサカツギ

 さてオルドビス紀に食物連鎖の頂点に立ったチョッカクガイの仲間たちはどうなったのでしょうか? 彼らはオルドビス紀末の氷河期に絶滅したようですが、近縁のオウムガイ(7、図15-2)が生き残りシルル紀に繁栄しました。

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図15-2 オウムガイ

 しかもオウムガイは現在でも生きていて、その形態は4億年の間ほとんど変わっていません。飼育は難しいようですが、オウムガイやウミユリのような生物が5回の大絶滅時代を生き抜いてきたというのは謎です。形態的に類似するアンモナイトはまだその起源がはっきりしませんが、シルル紀にすでに出現していた可能性もあるようです。アンモナイトは形態的にはオウムガイに似ていますが、詳細な解析により現在ではむしろイカやタコと近縁な生物と考えられています(8)。アンモナイトはペルム紀末の大絶滅を生き延びましたが、白亜紀末の大絶滅で全滅してしまいました。これは私の想像ですが、アンモナイトが生きた餌が必要だったのに比べて、死体をあさるオウムガイの方が絶滅時代には生き延びやすかったのではないかと思います。
 ウミサソリ(図14-4)はオルドビス紀末の氷河期を生き抜き、シルル紀に繁栄しました。足のうち2本が歩くためのものから泳ぐための櫂(パドル)に変化しており、これを使ってボートを漕ぐように自由に遊泳していたと思われます。サソリと言ってもしっぽの毒針で攻撃するような生き方をしていたかどうかはわかりません。カブトガニは泳ごうとしないでゴソゴソ海底を這い回る生き方を選択しましたが、下積み生活のカブトガニが現在まで子孫を残し、ウミサソリは絶滅してしまいました(9)。

  マレッラ、三葉虫、ウミユリなどの生物もオルドビス紀からシルル紀に引き継がれました。ではオルドビス紀とシルル紀には大差がないように思われますが、最も大きくイメージチェンジしたのは魚類です。棘魚類(きょくぎょるい)という顎と歯を持った魚類の誕生によって、それまで目立たなかった魚類が、凶暴な捕食者として台頭してきました。ここではウィキペディアのクリマティウスの想像図を貼っておきます(10、図15-3)。今でも顎と歯を持つ魚類は大繁栄していますが、一方で顎のない魚類もかろうじて現代まで生き延びていて、ヌタウナギは死体をあさる、ヤツメウナギは泥を飲み込んで有機物をエサにするというような目立たない生き方をしています。
  一方で顎をもつ魚類はアグレッシヴで、のんびり遊泳している生物はたちまちバリバリと食べられてしまいます。棘魚類はその名前のように、腹びれと胸びれの間にトゲを持っているのが特徴です。この他に頭部が強力な骨のアーマーで装甲されているのが特徴の板皮類も出現しました。板皮類も棘魚類と同様、顎と歯を持っていました。これは次のデボン紀のこととなりますが、板皮類のなかには胎生のものがいたようです。へその緒の化石が2005年に発見されました(11)。棘魚類と板皮類は中生代までは生き残れませんでした。現代も繁栄している軟骨魚類(サメ・エイなど)や硬骨魚類(タイ・ヒラメなど)はシルル紀に出現したとされていますが、当時はまだまだマイナーな存在だったようです。

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図15-3 クリマティウス(Climatius reticulatus )

 DNAの解析からは昆虫の祖先はシルル紀には出現していたはずだそうですが、化石による証明がないのでまだはっきりしていないようです。一部の植物(コケ類)はオルドビス紀から陸上に存在したと考えられていますが、シルル紀になるとクックソニアという植物が本格的に上陸して生きていたことが、化石からわかっています。細菌(bacteria)や菌類(fungi)はすでに上陸していたと思われますが、いわゆる植物としてはクックソニアが今のところ最初に上陸したとされています。これも美しいイラストがウィキペディアにあったので、貼っておきます(12、図15-4)。観葉植物のクッソニアとは関係がありません。

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図15-4 クックソニア(Cooksonia)

参照

1)ウィキペディア: フデイシ
2)国立科学博物館 並河洋 謎の動物 “フサカツギ” を求めて
https://www.kahaku.go.jp/research/researcher/my_research/zoology/namikawa/index_vol2.html
3)和田研究室 ギボシムシから新口動物の進化を探る
http://www.biol.tsukuba.ac.jp/~hwada/project4.html
4)沖縄科学技術大学院大学(OIST)プレスリリース(2015)、私たちの遠い祖先の謎が明らかに!― ギボシムシのゲノムから考察する新口動物の起源 ―
https://www.oist.jp/ja/news-center/press-releases/22375
5)田川訓史 ギボシムシ海砂泥地に潜む面白い新口動物群
https://katosei.jsbba.or.jp/view_html.php?aid=782
6)Oleg Simakov et al., Hemichordate genomes and deuterostome origins., Nature, vol. 527, pp. 459–465 (2015)
https://www.nature.com/articles/nature16150
7)生きた化石 オウムガイ
http://www.ikita-kaseki.com/ikita/omugai/
8)ウィキペディア: アンモナイト
9)シルル紀の海洋と大陸・ウミサソリのイラスト
http://ameblo.jp/oldworld/entry-11577621209.html
10)Wikipedia: Climatius
https://en.wikipedia.org/wiki/Climatius
11)古世界の住人 最古の胎生~記録更新!
http://ameblo.jp/oldworld/entry-10102266577.html
12)Wikipedia: Cooksonia
https://en.wikipedia.org/wiki/Cooksonia

 

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14.オルドビス紀の生物

 オルドビス紀はカンブリア紀に続く4億8500万年前~4億4300万年前の時代です。以前はカンブリア紀の生物はオルドビス紀がはじまる前に多くが絶滅したと考えられていましたが、現在は多くが引き継がれていることがわかっています。
 カンブリア紀から現在に至るまで、生物の多様性がいかに実現されてきたのかをラウプとセプコスキ(Raup and Sepkoski) は示してくれました(1、図14-1)。この論文(1)のグラフは Sepkoski curve とよばれ、よく引用されます。すでにこの本にも登場しましたが、ここでも図14-1として示します(ウィキペディア版を改変)。縦軸は属の数(生物多様性を示す)、横軸は年代です(5千万年/目盛り)。これをみると、カンブリア紀 (Cm) の後期に若干の落ち込みはみられますが、おおまかにはカンブリア紀からオルドビス紀にかけて、順調に生物は多様性を拡大しているようにみえます。
 実際カンブリア紀からオルドビス紀にかけて大きな断絶がなかったことは、モロッコのオルドビス紀の地層からアノマロカリスの化石が出土することによって象徴的に示されましたが(2)、その他にもカンブリア紀の生物であるハルキゲニア、マ-レラ(3)、ウミユリ、筆石、腕足類、三葉虫などがオルドビス紀にも見られるので、オルドビス紀はカンブリア紀の生物を引き継ぎ、さらに様々な多様性が獲得された時代だと思われます。

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図14-1 カンブリア紀以降の生物多様性の変化

 三葉虫などはオルドビス紀になってさらに多様性を獲得し、この時代の主要な生物となりました(図14-2)。オルドビス紀には大きな地殻変動がなく、気候も後期を除いて温暖だったことがその主な理由だと思われます。

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図14-2 三葉虫(Phacops speculator)とコノドント(Promissum pulchrum)

 図14-2にはオルドビス紀から大繁栄したファコプスという三葉虫を示します。下のもう一種の生物はコノドントです。カンブリア紀から引き継いだ生物の中で、オルドビス紀に繁栄した三葉虫以外のもうひとつのグループはコノドントです。三畳紀までの非常に長い時代を生き延びた生物なのですが、完全な化石がみつからないので議論の多い生物です。現在ではミロクンミンギアと同じく無顎の魚類だと考えられています(4)。ウミユリはカンブリア紀から現在まで生き延びている数少ない生物です。
 ではカンブリア紀とオルドビス紀の違いは何なのでしょうか。サンゴとコケムシ(5)はカンブリア紀にはめだたない生物だったと思われるのですが、オルドビス紀になると繁栄して海底の様子を変えました。両者は門が違う系統的に離れた生物なのですが、どちらも炭酸カルシウムの外骨格を持っているので、死んだ後も海底の構造を複雑にして、多くの生物に隠れ家を与えることになりました。サンゴとコケムシはカンブリア紀から現代まで、おそらくあまり生き方を変えずに生き延びている生物です。彼らの遺骸のおかげで多くの生物種が生き延びることになり、彼らは生物多様性の拡大に寄与しました。
 オルドビス紀には軟体動物が大繁栄しました。二枚貝や巻貝が発展したほか、特にチョッカクガイ(図14-3)に代表される頭足類(現在のタコ・イカ類)はカンブリア紀のアノマロカリスに代わって、食物連鎖の頂点に立っていたようです。カメロケラスというチョッカクガイは体長6mくらいあったようです。カメロケラスは遊泳しながらエサをとらえ、当時の海洋の王者だったようです。

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図14-3 チョッカクガイ(頭足綱オウムガイ亜綱オルトセラス目)

 アノマロカリスに代わって海底で頭角を現わしてきた節足動物はウミサソリです(図14-4)。現代のサソリは砂漠の生物ですが、当時は海で生活していました(6)。彼らはシルル紀には海底の王者(食物連の頂点)に登りつめました。最大で体長2.5メートルに達し、地球史上最大の節足動物とされています。ウミサソリ目はペルム紀に絶滅しました。カブトガニが近縁の生物とされていましたが、最近の分類学者達の見解ではそれほど近縁ではないとされています(6)。

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図14-4 ウミサソリの2種  左 :Pterygotus anglicus  右 :Eurypterus fischeri

 オルドビス紀に繁栄していた魚類は主に無顎類だと思われますが、原始的な顎口類はすでにオルドビス紀に出現していたという多少の証拠はあるようですが確定的ではなく、確実なのは今のところシルル紀からのようです(7)。顎がいつ出現したかは進化生物学において非常に重要な問題であり、これから解明すべき課題です。
 オルドビス紀末に、カンブリア紀以降現在までに5回発生した生物の大量絶滅の最初のイベントが発生しました。図14-1のオルドビス紀末(黄色の逆三角形)の落ち込みは属のレベルではそんなにひどい落ち込みではないとみえますが、種のレベルでは85%が絶滅したとされています。この最大の原因は火山の噴火による気温の低下だと考えられています。気温の低下により氷河が形成されて海水面がさがり、浅瀬が陸地化してそこで生活していた生物が絶滅したわけです(8)。ただそれだけでは説明できそうもないことも事実であり、これからも議論は続きそうです。ひとつの可能性としては、氷河が出来ることにより、海洋水の循環が活発になり、たとえば深海の硫化水素が浅瀬まで流入してくるとか、酸素の濃度が変わるなどについて議論されています。海中に有毒金属が溶出し、奇形が100倍にも増えたという報告もあります(9)。

参照

1)Mass Extinctions in the Marine Fossil Record. DAVID M. RAUP and J. JOHN SEPKOSKI JR., Science Vol. 215, Issue 4539, pp.1501-1503 1982), DOI: 10.1126/science.215.4539.1501
http://coleoguy.github.io/reading.group/Raup_Sepkoski_1982.pdf
A recent result:: http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC33403/figure/F1/
2)Peter Van Roy and Derek E. G. Briggs., A giant ordovician anomalocaridid., Nature vol. 473, pp. 510-513 (2011).
3)ウィキペディア: マーレラ
4)国立科学博物館 コノドント
https://www.kahaku.go.jp/research/db/botany/bikaseki/2-konodonto.html
5)広瀬雅人 大気海洋研究所 ひょうたん島通信 no.1440 コケムシを調べて大槌の海を知る (2013)
file:///C:/Users/User/AppData/Local/Microsoft/Windows/INetCache/IE/B04HR93V/400009497.pdf
6)ウィキペディア: ウミサソリ
7)Martin D. Brazeau1 and Matt Friedman., The origin and early phylogenetic history of jawed vertebrates.  Nature., vol. 520(7548): pp. 490-497. (2015) doi:  10.1038/nature14438
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC4648279/
8)周藤瞳美 オルドビス紀末大量絶滅の地層から水銀の凝集、大火山噴火が原因か
https://news.mynavi.jp/article/20170511-a284/
9)Cheryl Katz(日本語訳=北村京子) National Geographic News  史上2番目の大量絶滅、原因は有毒金属とする新説 化石から予想の100倍超の奇形生物見つかる
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/15/a/091500035/

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13.カンブリア紀の生物 II

 カンブリア紀の地球は現在とは大きく異なり、現在の南アメリカ・アフリカ・南極・オーストラリア・中国が連結して巨大なゴンドワナ大陸を形成し、他の陸地は東欧のバルティカ、北米(バージェス頁岩がみつかった場所を含む)のローレンシア、シベリアの3つの島大陸となっていました(1)。バージェスはたまたま化石が残りやすい条件が整っていたわけですが、他にもそんな場所はなかったのでしょうか?

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図13-1 カンブリア紀化石の聖地 バージェス(カナダ)とチェンジャン(中国)

 それは中国雲南省の澄江(チェンジャン)にありました(図13-1)。カンブリア紀の澄江はゴンドワナ大陸の辺境地域の入江にありました。外洋から保護された湾の中で、生物にとっては住みやすい場所だったのでしょう。
 ここは1907年にフランスの地質学者達によって発掘されて、カンブリア紀の化石が出ることは知られていましたが、その後日中戦争などの影響で調査がおくれ、本格的な研究は1980年代以降になりました。発掘・調査は主に南京地質古生物研究所と西北大学によって行われました。
 その結果驚くべきことに、バージェスと澄江は数千キロは離れていたにもかかわらず、図13-2のアノマロカリスやハルキゲニアなど、バージェスで発掘されたカンブリア紀を代表する生物の化石が澄江でも発掘されています。当時の地球全体で共通の生態系があったことをうかがわせる結果です。しかしそれらは同じ種ではなく、微妙に異なっています。

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図13-2 アノマロカリスとハルキゲニア

 私たち人類は脊索動物門というグループに所属するわけですが、ではこの脊索動物門の生物はカンブリア紀にすでに存在していたのでしょうか? バージェスではピカイアという生物(図13-3)がみつかっています。ピカイアには脊椎はないと考えられており、脊索動物門のなかでも脊椎動物より原始的な頭索動物に分類されています。現在生きている頭索動物の代表はナメクジウオです(2-3、図13-3)。

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図13-3 ピカイア、ミロクンミンギア、ナメクジウオ

 ナメクジウオは日本でもみられ、天然記念物に指定されています。ピカイアは武器も甲冑も持たない弱々しい生物のようにみえますが、脊索という硬い組織(骨ではない)を得たことで、そこに結合する左右の強力な筋肉を装備して、くねくねと素早く動いて捕食を逃れたと思われます。またうまく泳ぐためには運動神経系とその機能を統合する部位も発達する必要があります。ピカイアは澄江での発掘が進むまで最も人類に近いカンブリア紀の生物と考えられていました。
  ところが澄江の地層から素晴らしい魚類の化石がみつかったことから、カンブリア紀に早々と脊椎動物が出現していたことが示唆されました。この魚類はミロクンミンギアと名付けられました(4、図13-3)。彼等はアゴを持っていない無顎類なので硬いものは食べられません。現在生きている無顎類はヤツメウナギとヌタウナギです。ミロクンミンギアはウィキペディアでは脊索動物でとどめられていますが(綱目は不記載)、一方で「頭部が存在することは、それが脊椎動物であることを強く示唆するものである。 従って、最初の魚類であるといわれる」との記述もあります(4)。脊索動物はひとつの門であり、脊椎動物、頭索動物、尾索動物は脊索動物門に含まれる下部分類群(亜門)です。
 結論的にカンブリア紀あるいはエディアカラ紀には、現存するすべての生物のグループ(門)が出そろっていたと考えられます。さらに言えばカンブリア紀以降5億年の間、新しい門は出現しませんでした。生物の長い歴史の中で、どうしてこのような特殊な時代が存在したのかということは、単に眼が出現したということだけで説明するのは無理かもしれません。今後の研究が待たれるところです。日本でも茨城県の常陸太田市や日立市にはカンブリア紀の地層がありますが、残念ながら化石の保存に適した条件でなかったせいか、バージェスや澄江のようなお宝はみつかっていません。
 カンブリア紀の個々の生物についてここでは詳しくとりあげませんでしたが、より深い知識を得たい方はセクション12で紹介したモリスかグールドの本を手に入れるか、またはウィキペディアの目次ページ(5)からウェブサーフィンでたどることもできます。

参照

1)Gigazine: Ancient earth globe  これまでの地球の姿を年代別に変化させて見ることができるサイト
https://gigazine.net/news/20180613-ancient-earth-globe/
http://dinosaurpictures.org/ancient-earth
2)Wikipedia: Cephalochordate
https://en.wikipedia.org/wiki/Cephalochordate
3)窪川かおる ナメクジウオの生物学 The Journal of Reproduction and Development. Topics., vo.47, no.6 (2001)
http://reproduction.jp/jrd/jpage/vol47/470603.html
4)ウィキペディア: ミロクンミンギア
5)ウィキペディア: Category:カンブリア紀の生物

 

 

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12.カンブリア紀の生物 I

 エディアカラ紀に続くのはカンブリア紀です。カンブリア紀は5億4200万年前から4億8500万年前までの時代です。カンブリア紀と、もう少し後で述べるジュラ紀は、専門用語であるにもかかわらずかなり一般に知られています。ジュラ紀は恐竜のおかげで有名になりましたが、カンブリア紀はカンブリア爆発という、現代の生物に近縁な多くの種が生まれた時代ということで有名です。

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図12-1 スティーヴン・ジェイ・グールド と サイモン・コンウェイ・モリス

  図12-1のように一般向けの文庫・新書(もちろん日本語訳本)も発売されています。左のワンダフルライフの英文原著(この本によって多くの人々がカンブリア爆発について知ることになったと思われます)は1989年に出版されたものです。しかしカンブリア紀についての研究は遙かに19世紀にさかのぼります。

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図12-2 カンブリア紀化石の聖地 バージェス(カナダ)とチェンジャン(中国)

 カンブリア紀の生物学はバージェス頁岩からはじまりました。バージェス頁岩(けつがん)はカナダのブリティシュコロンビア州にあります(図12-2)。頁岩というのは、まるでページが重なって分厚い本のような構造の岩という意味です。この岩に多くの生物の化石があることは1886年にリチャード・マッコネルとオットー・クロツが独立に発見したとされています。
 その後チャールズ・ウォルコットは20世紀の初頭に詳しい研究をおこなって、標本を約6万5千点も収集しました。しかし彼の死後、未亡人が標本を死蔵してしまったため、バージェス頁岩は忘れられたような状況になりました。研究がハーバード大学のハリー・ウィッティントンらによって本格的に再開されたのは、1960年代になってからのことです。このあたりの事情はモリス(1)やグールド(2)の本に記載してあります。
 ウィッティントンの仕事は、 図12-1の本の著者である米国のグールド、モリスやカナダのグループに引き継がれ大きく発展しました。グールドはカンブリアの生物を現代の生物とはかけ離れた存在、モリスは逆に現代の生物との関連性が深いとする考え方だったので、2人はかなり仲が悪かったそうです。カンブリア紀の生物のDNAはさすがに残っていないので、結論を出すことは困難です。カンブリア紀のいろいろな生物の図鑑はウェブサイトにもあります(3-4)。地図(図12-2)の下の方の中国の澄江(チェンジャン)については、カンブリア紀の生物 Ⅱで述べる予定です。

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図12-3 アンドリュー・パーカーの本

 どうしてカンブリア紀に非常に多彩な生物が登場したのかについては、カンブリア紀に初めて登場した眼を持つ捕食者から逃れるために、生物は様々な進化を遂げなければならなかったということと、捕食から逃れるための固い体表が化石として残りやすかったという理由が有力です。
 この考え方はアンドリュー・パーカーによって発表されましたが( 図12-3)、そのパーカーの本が大変な悪文で、私も読むのに大変苦労しました。日本語訳本も買いましたが、とても訳者によって読みやすくできるような代物ではありませんでした。彼の考え方をまとめると図12-4のようになります。

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図12-4 カンブリア爆発に理由についての仮説

 パーカーの考え方は非常にわかりやすいですが、エディアカラ紀のセクションで見てきたように、殻を作ってその中で生活するというサンゴのような生物やはエディアカラ紀にすでに存在していたことや、軟体動物もエディアカラ紀から存在していたことなどを考えると、カンブリア爆発という言葉が適切であるかどうかを含めて、さらに考えなければならないことは少なくないと思われます。分子遺伝学的には遺伝子の爆発的多様化はカンブリア爆発のおよそ3億年前に起こったはずで、カンブリア初期に短期間に大進化が起こったわけではないと推定されるそうです。すなわちいわゆるカンブリア爆発は「化石記録の」爆発的多様化であるということです。菅らの文献を見ると、実際遺伝子レベルでのカンブリア爆発は6~7億年前とされています(6)。宮田は「カンブリア爆発という表現形の大進化が、多細胞用の遺伝子を新しく作る(ハード)ことによってではなく、すでにあったものを使う(ソフト)ことで達成されたのではないか」と述べています(7)。 ただもちろんカンブリア紀あるいはそれ以前の化石から信頼できるDNAは取得できないので、なかなか困難な分野ではあります。
 カンブリア紀に食物連鎖の頂点にいたのは、おそらくアノマロカリスという節足動物です。アノマロカリスというのは「奇妙なエビ」という意味ですが、現在のエビと直接の関係はありません(同じ節足動物ですが)。多くのカンブリア紀の生物が体長数センチくらいだったのに対して、アノマロカリスは1メートルくらいもあるものがいたので、捕食動物として圧倒的に優位だったと思われます(8)。

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図12-5 アノマロカリスとカギムシ

 アノマロカリスの祖先に近縁と思われる生物が現在も生きていることが知られています。その生物はニューギニアなどに生息するカギムシという生物で、現代の分類学ではカギムシだけで構成される有爪(ゆうそう)動物門というグループに分類されています。 図5にみられるように、カギムシとアノマロカリスのルーツは同じで、両者の中間的な生物の化石もみつかっています(図12-5)。
 実はカギムシはなぜか人気があって、ペットショップで1万円くらいで入手できるようです。カギムシは5億年の間形態があまり変わっていないようで、おそらく粘液でエサを動けなくして食べるという一芸で5億年子孫を残したすごい生物だと思われます。私たち人類(ヒト属)が地球で生きているのは、せいぜい200万年にすぎません。あの古生代には世界中で大繁栄した三葉虫が、現在全く発見されないことを考えると驚異的です。コンチャらの研究によって、彼らが粘液を飛ばすメカニズムが解明されたそうです(5)。
 アノマロカリスとカギムシの中間的形態のパンブデルリオンという生物のぬいぐるみが発売されているのには驚きました(6)。

参照

1)サイモン・コンウェイ・モリス著 松井孝典監訳 「カンブリア紀の怪物たち」講談社現代新書(1997)
2)スティーヴン・ジェイ・グールド著 渡辺政隆訳 「ワンダフル・ライフ」早川書房(2000)
3)生き物係 カンブリア紀の生物図鑑!古代の海に迫る!!
https://soyat-info.com/%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%83%96%E3%83%AA%E3%82%A2%E7%B4%80%E3%81%AE%E7%94%9F%E7%89%A9%E5%9B%B3%E9%91%91%EF%BC%81%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%81%AE%E6%B5%B7%E3%81%AB%E8%BF%AB%E3%82%8B%EF%BC%81%EF%BC%81-2640
4)木ノ本景子 一悟術 地球の歴史 カンブリア紀の不思議な生物、カンブリアンモンスター
https://www.ichigojyutsu.com/roots/cambrian-period/
5)A. Concha et al., Oscillation of the velvet worm slime jet by passive hydrodynamic instability Nature Communications 6, Article number:6292 (2015) doi:10.1038/ncomms7292.
http://www.nature.com/articles/ncomms7292
6)菅裕、星山大介、宮田隆、カンブリア爆発と遺伝子の多様化 蛋白質核酸酵素 vol.44, no.3, pp.207-216 (1999)
file:///C:/Users/User/AppData/Local/Microsoft/Windows/INetCache/IE/PVA09UPG/207_44_1999.pdf
7)宮田隆著 「分子からみた生物進化」 講談社ブルーバックス (2014)
8)田中美千裕  古生物学から読み解く神経解剖 Niche-Neuro-Angiology conference 2015 (2015)
file:///C:/Users/User/AppData/Local/Microsoft/Windows/INetCache/IE/CFQW7HJS/田中PDF.pdf
9)https://www.hakuhinkan.net/?pid=33788455

 

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11.エディアカラ紀

 現在の生物に系統的に密接につながっていると思われる生物が出現するのはカンブリア紀からだと考えられていますが、その直前のエディアカラ紀の地層からも、これは確実に生物の化石だと思われるものが世界各地から発掘されています。エディアカラ紀がいつからいつまでかは、文献によりまちまちで困りますが、とりあえずウィキペディア(項目:エディアカラン)に従って約6億2000万年前~約5億4200万年前ということにしておきましょう(実は各国版のウィキペディアで統一されているわけでもありませんし、日本版の場合もエディアカラ生物群という項目では6億5000万年前~5億年前としてあります)。
 エディアカラ紀の生物の化石を最初に発見したのはアデレード大学のデービッドとウィラードということですが、彼らはそれらをカンブリア紀のものと考えており、その学術的意義を証明したのは同じ大学の学生だったスプリッグです(図11-1)。

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図11-1 スプリッグ Reginald Claude Sprigg、(1919 - 1994)

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図11-2 オーストラリア エディアカラの丘(*)とアデレード(赤丸)

 彼はアデレード近郊のエディアカラの丘(図11-2)でみつけたこれらの化石が、それまで考えられていたようなカンブリア紀のものではなく、より古い時代のものではないかと提案したわけです。これが1946年のことです。すなわち第二次世界大戦の前には、誰もエディアカラ紀の存在などは頭になかったわけです。その後紆余曲折を経て、1958年頃にはほぼ学会でも認められた定説になりました(1)。
  エディアカラ紀にも様々な生物が生活していましたが、代表的な化石はディッキンソニアという生物群で、一見左右(図では上下)相称のように見えます(図11-3、図4-2と同じものを再掲)。大きさは1cm~80cm以上までいろいろ見つかっています。

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図11-3 ディッキンソニア(Dickinsonia costata)

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図11-4 ディッキンソニアは左右相称生物なのか?

 一見左右相称のようにみえますが、中央部分の拡大図(図11-4)をみると溝の付け根の部分が右端ではほぼ一致していますが、中央では互い違いになっています。このことからディッキンソニアは完全な左右相称動物とは言えないかもしれないとされています。口や肛門が無いことから、平べったい体で海底を這い回り、海底の細菌類・藻類(バイオマット)や周囲の海水からの栄養物を、体表の機能を使って吸収していたと考えられています(2)。最近ミミズのような左右相称動物がエディアカラ紀に生きていたというレポートが発表されました(3)。
 より確実な化石を残した生物もいます。それはクロウディナという刺胞動物の仲間です(図11-5)

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図11-5 クロウディナ(Cloudina)

 この生物はソフトクリームのコーンを積み重ねたような殻を作って、その中で生活していたと思われます。レイチェル・ウッドは次のように述べています「中でも最も重要なのは、クロウディナ同士が互いに固着し合って礁を形成できたことだ。この発見によってクロウディナは最古の造礁動物の仲間入りをし・・・」(4)。つまりエディアカラ紀からサンゴのような生物がいて、海底に礁を形成したということです。そしてその礁の隙間にはナマポイキアという海綿動物が生活していたそうです(4)。
 カルニオディスクスという生物が1958年に英国でエディアカラ紀の地層から発掘され、その後約5億6500万年前-5億5500万年前の世界中の地層から発掘されました、これは刺胞動物の一種とされています(図11-6)。海底に固着部があり、そこから海中に伸びた茎葉のような形になります(図11-6下部の模式図)。左右相称ではありません。

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図11-6 カルニオディスクス (Charniodiscus)

 現在でもカルニオディスクスと一見似たような生物・・・ウミエラが日本近海にもいることがわかっていますが、両者が近縁かどうかは厳密にはわかりません。しかし刺胞動物だとすると形態も生活様式も似ていたと想像されます。そうするとシーラカンスどころではなく、ウミエラは最強の生きた化石と言えるでしょう。

図11-7は広島大学臨海実験所のサイトから拝借しました(5)。山口信雄氏が次のような解説をされています。

(山口信雄氏 談) 彼らはなかなか飼育することが難しく、潜る砂にも好き嫌いがあります。最初埋まってくれたウミエラですが、砂質に嫌気がさしたのか、深さが足りないのか、砂の上にゴロリと不貞寝してしまいました。餌として3種の珪藻を当実験所で培養したものや、市販のサンゴ用液状餌等を与えています。それでも徐々に痩せていきます。また、水温が高くなるとすぐに腐ります。水温を低め(25℃以下)に保っておくことがコツです。綺麗だからといって、安易に飼育にチャレンジしないほうがよさそうです。

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図11-7 ウミエラ(Pennatulacea)

 驚くべきことに、エディアカラ紀の地層から軟体動物だと考えられる生物の化石もみつかっています。それはキンベレラです(図11-8)。この生物の化石は状態の良いものが多数見つかっており、エディアカラ紀の生物研究のキーになる生物と思われます。ウィキペディアの記述を引用すると、「最初はクラゲとされたが、歯舌で引っ掻いた痕のような生痕化石が発見されたことで、現在はおそらく軟体動物とされている。」とのことです(6)。しかもこの生物は左右相称動物だとされています(7)。そうすると軟体動物と刺胞動物が分かれたのはエディアカラ紀の初期あるいはそれ以前ということになり、カンブリア紀に様々な門の起源となる生物が生まれたという説は成り立たなくなります。

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図11-8 キンベレラ(Kimberella)

参照

1)Susan Turner and David Oldroyd., The palerobiological revolution: Essay on the growth of modern paleontology. Print publication date: 2009, Print ISBN-13: 9780226748610, Published to Chicago Scholarship Online: February 2013,  DOI: 10.7208/chicago/9780226748597.001.0001
http://chicago.universitypressscholarship.com/view/10.7208/chicago/9780226748597.001.0001/upso-9780226748610-chapter-14
2)Wikipedia: Dickinsonia https://en.wikipedia.org/wiki/Dickinsonia
3)中島林彦 最古の左右相称動物 モンゴルで生痕化石を発見 日経サイエンス10月号 pp.32-39(2019)  原著: T. Oji et al., Penetrative trace fossils from the late ediacaran of mongolia: Early onset of the agronomic revolution., Royal Sciety Open Science, vol.5, Issue 2 (2018)
4)レイチェル・ウッド 生命爆発の導火線 エディアカラ生物の進化  日経サイエンス10月号 pp.25-31(2019)
5)広島大学大学院統合生命科学研究科附属臨海実験所https://home.hiroshima-u.ac.jp/~rinkai/index.php?%E3%82%A6%E3%83%9F%E3%82%A8%E3%83%A9%E9%A1%9E
6)Wikipedia: Kimberella https://en.wikipedia.org/wiki/Kimberella
7)Erwin DH, Davidson EH., The last common bilaterian ancestor., Development. vol.13, pp.:3021-32. (2002) https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/12070079

 

 

 

 

 

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10.オピストコンタ

 「8:系統樹とその逸脱」では簡略化して、真核生物は動物・植物・菌類・原生生物としましたが、もう少し詳しく記すと図10-1のような分類がおこなわれています。

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図10-1 真核生物のスーパーグループ

 まず真核生物というドメインを3つのスーパーグループ(上界)に分類します。オピストコンタは私たち動物とカビ・キノコ・酵母を含む分類群。アメーボゾアはアメーバ類。バイコンタは植物・原生生物などを含みます。バイコンタには非常に多様な生物が含まれるので、このように1本の線とボックスでひとまとめにして表現するべきかどうかは議論のあるところですが、ここでは便宜的にひとまとめにしました。

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図10-2 ヒトの精子が卵細胞と遭遇したところ

 オピストコンタとはギリシャ語でオピスト(=後方)+コンタ(鞭毛)だそうです(私はギリシャ語は知りませんが)。つまり進行方向の後方に1本の鞭毛があり、それをくねらせて泳ぐ生物という意味です。これは手を使わないでバタフライで泳ぐという、やってみるとかなり難しい泳法ですが、ウナギやウミヘビのようにマスターしている生物もいないわけではありません。私たちだって精子の頃にはこうやって泳いでいたわけで(図10-2)、現在でもオピストコンタという名前にふさわしい形態が残っていると言えます(1)。
 一方、原生動物や植物はバイコンタに所属します。バイコンタとはギリシャ語の2が bi なので、2本の鞭毛を持つ生物ということになります。2本持っているので平泳ぎ的な泳ぎ方で便利だろうと思うのですが、なかにはせっかく2本あるのに、図10-3のように1本を細くて短い毛に退化させて、エサを口にかきいれるのに使っているミドリムシのような生物もいるというのは進化の妙です。2本以上の鞭毛を持つバイコンタも数多く見られます。一方で、鞭毛が2本とも退化してしまった種類も存在します(2)。

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図10-3 左:本来のバイコンタ 右:2本の鞭毛のうち1本が特殊化したバイコンタ(ユーグレナ=ミドリムシなど)

 アメーバはオピストコンタと同じルーツをもつとされる系統の生物ですが、鞭毛はもたないという生き方を選択した生物です。そのかわり伸縮自在な偽足を出して移動するという術を身につけました。不思議なのはオピストコンタである私たちの血液などに含まれるマクロファージ系の細胞は、アメーバのように偽足を使って移動します。マクロファージに限らず、私たちオピストコンタは昔アメーバと近縁な生物だったという記憶が、分子や細胞のレベルに残されているのかもしれません。

参照

1)ウィキペディア: オピストコンタ
2)ウィキペディア: バイコンタ

 

 

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9.ミトコンドリアの役割

 生物は体を構成する物質すなわち有機物を合成するために、エネルギーを必要とします。そのエネルギーとは通常ATP(アデノシン3リン酸)を分解することによって獲得することになっているわけです。化学式で書けば
ATP → ADP + リン酸 + 化学エネルギー
となります。実際にはこの反応と、エネルギーが必要な反応をカップリングさせて生命維持に必要な物質をつくるというのが生命現象のひとつのからくりですが、ATPが上記のように分解するときに発生するエネルギーをモーターの駆動力として利用することもあります。ATPのエネルギーが力学的トルクに変換される瞬間を、光学顕微鏡で観察する技術なども開発されています(1-2)。
 ではそのATPをどうやってつくるかというのが課題になりますが、α-プロテオ細菌は酸素を利用した素晴らしい化学反応を進行させるシステムを獲得していました。「8:系統樹とその逸脱」でも示しましたが、再掲すると
   C6H12O6 + 6O2 + 38ADP + 38phosphate → 6CO2 + 6H2O + 38ATP
   (最近の研究によれば 38ATP ではなく 28.92または27.54 ATP (3)
 この細菌と共生することによって、豊富なATPを用いて真核生物は様々な有機物を製造することができるようになり、圧倒的なアドバンテージを獲得しました。現在生きている真核生物のほとんどあるいはすべては、α-プロテオ細菌との共生に成功してミトコンドリアを作り出した個体の子孫だと思われます。
 そして真核生物はミトコンドリアが勝手に増殖するのを制限するため、その遺伝子の多くをゲノムに移転しました。生物はDNAを切り貼りする機構を本来もっているため、外来のDNAをゲノムに取り込む危険とチャンスは常に存在します。ミトコンドリアに残されたDNAより真核生物に移転したDNAの方が、細胞核に守られていたので良好に保存されたため、いかにもDNAを奪ったようにみえる結果になったのかもしれません。
 結果的にミトコンドリアの自主性を奪うことになりましたが、一方で真核生物はミトコンドリアに細胞の生死を制御するシステムを持たせることにしました。なぜだかはわかりません。想像をめぐらしてみると、ゲノムに「死の司令室」を置いておくと、なにかの場合に間違って発現してしまうというリスクがあるからかもしれません。
 細胞に強いストレスがかかって耐えきれない場合、個体にとってみれば一部の細胞が死んでくれた方が都合が良かったりする場合、発生の過程で進化のなごりを除去する場合など、それらの情報をミトコンドリアにある「死の司令室」が斟酌して、本来ミトコンドリアの内部にあるべきチトクロム c (cytochrome c) というタンパク質を細胞質に排出し、Apaf-1 を介してカスパーゼ9 (caspase-9) を活性化し、活性カスパーゼ9がカスパーゼ3 (caspase-3) を活性化するという一連のリアクションを起こします。活性化されたカスパーゼ3はタンパク質を分解する機能を持つ酵素で、細胞を死に導きます。この様なプログラムされた細胞死をアポトーシスと呼びます(図9-1)。
 アポトーシスについては研究がかなり進んでいて(4)、この本でも後に言及します。アポトーシスのスペルは apoptosis で、ギリシャ語で落葉する様子などのことを意味するそうです。反対語はネクローシス=壊死です。昔はアポトーシス=プログラム細胞死という理解でしたが、現在ではアポトーシスはプログラム細胞死のひとつの型ということになっています(5)。うろこや体毛を持つ生物は日常的に死細胞を利用して、外敵・紫外線・低温などから体を防御しています。牙や角を持つ生物は死細胞を武器として利用しています。これらはある種ポジティブな目的を持ったプログラム細胞死です。私たちの体内で日常的に発生しているがん細胞は、アポトーシスによって取り除かれているとされています(4)。多くの多細胞生物にとって、プログラム細胞死は日常的な出来事です。

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図9-1 ミトコンドリアが起動するプログラム細胞死のシステム

 α-プロテオ細菌が効率的なエネルギー反応を発明する前提として、シアノバクテリアが地球上に酸素を多量に蓄積していなければなりません。そして酸素が蓄積することによって紫外線が遮蔽されて、陸上生物が現れることになります。一方で酸素を利用する生物は酸素の毒性を緩和するシステムを開発する必要があります。ミトコンドリアにある「死の司令室」のメンバーの全容については(6)に記載があります。

参照

1)西坂崇之、 政池知子. F1-ATPaseの化学―力学カップリング:1分子の反応を顕微鏡でとらえる 生物物理 vol.47(2),pp. 118-123 (2007)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/biophys/47/2/47_2_118/_pdf
2)Chun Biu Li et al., ATP Hydrolysis Assists Phosphate Release and Promotes Reaction Ordering in F1-ATPase., Nature Commun., 6:10223 (2015) │ DOI: 10.1038/ncomms10223
https://www.es.hokudai.ac.jp/result/2015-12-18-mlns/
3)ウィキペディア: 呼吸
4)ウィキペディア: アポトーシス
5)ウィキペディア: プログラム細胞死
6)Mitochondrial Control of Apoptosis. Cell Signaling Technology. A site of "Cell Signaling Technology"  (revised at 2012)
https://www.cellsignal.jp/contents/science-cst-pathways-cell-death/mitochondrial-control-of-apoptosis/pathways-apoptosis-control

 

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2020年1月 9日 (木)

8.系統樹とその逸脱

 生物の系統樹はチャールス・ダーウィンの進化論をもとに、エルンスト・ヘッケルがはじめて考案したものであり、現在でも生物の進化を説明するために汎用されます。ただ系統樹では説明出来ない進化のイベントが、生物の歴史の中で、少なくとも2回おこったと考えられています。

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図8-1 プロテオ細菌とシアノバクテリアによる系統樹の逸脱

 そのうちのひとつは図8-1のbで、細菌の一種であるα-プロテオバクテリアが、ある真核生物の細胞内に住み着いてミトコンドリアが形成され、そのミトコンドリアを持つ生物が現在まで子孫を残しているわけです(1、2)。真核生物(原生生物)の中でもまれにミトコンドリアを持たない生物がいるそうですが、それらのなかには系統樹のb地点に至る途中から分岐した生物の子孫がいる可能性があります(1)。
 そして2回目のイベントは、図のaで真核生物のなかで現在植物と呼ばれているグループの祖先が、シアノバクテリアを細胞内にとりこんで、葉緑体(クロロプラスト)を持つことになりました。これらのとりこまれたバクテリアは、勝手に増殖するとホストが死んでしまうので、ホストが様々な手段で制御して飼い慣らしているわけです。その最たるものは、バクテリアの遺伝子の一部を奪って、ホストのDNAに組み込んでしまうというやり方です。
 このような重要な生物進化の過程を系統樹は表現出来ません。強いて言えばいったん分岐した枝が再びからまりあって融合したという感じでしょうか。葉緑体と細胞内共生については鈴木雅大氏と大田修平氏がわかりやすく説明してくれています。もうすこし専門的な知識に興味がある方は文献を参照してください(3)。
 真核生物がミトコンドリアを取り込んだということには大きな意義があります。ミトコンドリアがない場合、真核生物は解糖系でグルコース1分子あたり1分子ないしは2分子のATPをつくり、二酸化炭素と水から、このATPのエネルギーを使って細々と有機物質を生成していましたが、α-プロテオ細菌は、
   C6H12O6 + 6O2 + 38ADP + 38phosphate → 6CO2 + 6H2O + 38ATP
   (最近の研究によれば 38ATP ではなく 28.92または27.54 ATP)(4)
という驚異的な代謝系を発明して、グルコース1分子から大量のATPを生成することができました。したがって、α-プロテオ細菌を細胞内に取り込んでミトコンドリアとして飼い慣らし共生することに成功した真核生物は、ふんだんにエネルギーを使うことができるようになりました。
 他の生物を細胞内に取り込んで使いこなすなどということは見てきたようなおとぎ話だと思う方もおられるかもしれませんが、それに近いようなプロセスを現在進めている生物もいるのです。それはアブラムシ(アリマキ)で、体内にブフネラという細菌をとりこみつつあります(5)。

参照

1)黒岩常祥 「ミトコンドリアはどこからきたか」 NHKBooks 日本放送協会 (2000)
2)ウィキペディア: ミトコンドリア
3)鈴木雅大・大田修平 色素体/葉緑体の成立と多様性(2015)
http://natural-history.main.jp/Algae_review/Symbiosis/Symbiosis.html
4)Wikipedia: 呼吸 
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%91%BC%E5%90%B8
5)石川統 細胞内の巧みな共生 ─ アブラムシとブフネラにみる 季刊誌「生命誌」通 巻32号 共生・共進化 時間と空間の中でつながる生きものたち
https://www.brh.co.jp/seimeishi/journal/032/ss_6.html

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7.生物を3つのドメインに分ける

 そもそも生物の分類を体系化したのはスウェーデンの科学者カール・フォン・リンネの功績です。生物は種名・属名・命名者の名前の順で表記されます。リンネの名は省略されL.と表記されることもあります(1、図7-1)。

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図7-1 カール・フォン・リンネと生物の分類

 現在ではもっとも大まかな生物の分類はドメインという名前がつけられています。すなわちすべての生物を3つのドメイン、細菌・古細菌・真核生物に分類するわけです。これには「2.地球の始まり」で述べたように異論もありますが(例えばロキ古細菌などは別のドメインとすべきであるなど)、とりあえず3ドメインということで話を進めます。
 一番下の種(species)や属(genus)はそう簡単には変わりませんが、研究の進展につれて、上部の分類は大きく変わることがまれではありません。例えばドメインやス-パーグループという分類法は、私が学生の頃にはありませんでした。
 生物分類学で定まっているのは種が最も下位の単位で、属科目綱門界の順に大まかなグループ分けとなります。英語では種がSpecies、だんだん下から上に大まかな単位となり、Kingdom は界に相当します(図7-2)。

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図7-2 生物分類学で採用されている階級名

 図7-3は非常におおざっぱな生物の系統樹です。生命の起源はもちろん謎ですが、3つのドメイン共通の祖先がどんな生物であったかも全く謎です。ただ細菌・古細菌・真核生物ともにDNAを遺伝子とし、RNA・リボソームを主役とした転写・翻訳のメカニズムを利用して、タンパク質を合成することによって生命現象を営む点では非常によく似ています。したがってこれらが全く別のルーツから発生したと考えるには無理があると思われます。

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図7-3 非常におおざっぱな生物の系統樹(赤は好熱性生物)

 もともと生物は熱水噴出口の近傍で生まれ、進化したと考えられています(2)。したがって初期の生物はすべて好熱性(赤)だったとされています。細菌は比較的初期にこの状況を脱して、常温で生きる種を増やしたのですが、古細菌は現在でも温泉などの高温条件下で生きている種がメインであるという違いがあります。真核生物は基本的に好熱性ではありませんが、中にはクマムシなど高熱に耐える生き方を獲得した種も存在します。
 とりあえずもう少し詳しい分類法を知りたい方は(3)をご覧下さい。

参照

1)ウィキペディア: カール・フォン・リンネ
2)ウィキベディア: 熱水噴出口
3)ウィキペディア: 生物の分類

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6.シアノバクテリア

 シアノバクテリアは昔は藍藻と呼ばれていました。藻というと植物を思わせ誤解を招くので、現在ではシアノバクテリアまたは藍色細菌 と呼ばれています。

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図6-1 地球史年表(再掲)

 シアノバクテリアは砂漠から氷河まで、地球上のありとあらゆる場所に住み着いています。私の家の近くの手賀沼ではときどき大発生してアオコと呼ばれています。そのような普通の環境に生きている種の他に、何年も水が無くても生存出来たり、70℃くらいの高温でも生存出来る種もあります。なにしろ30億年も、環境の変化に耐えて地球上のメジャーな生物で有り続けたのですから、分類学者もお手上げなくらい幅広いバラエティーがあり、全貌は不明です。
 図6-2は代表的なグループでネンジュモと呼ばれているもの(左)と、実験室で培養されているシアノバクテリア(右)です。ネンジュモは大腸菌などと比較すると細胞のサイズは大きく、ほぼヒトの細胞くらいのサイズで、しかも数珠つなぎとなって細長い形態をとります。シアノバクテリアは空気中の二酸化炭素や窒素を固定し、生物が利用できる化学物質に変換できます。

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図6-2 シアノバクテリア

 さてなぜこの細菌に注目するかというと、それはこの細菌が地球に酸素をもたらしたからです。シアノバクテリアが生まれる前から、光エネルギーを使って生きている細菌は存在したはずですが、シアノバクテリアの特徴は化学式としてまとめると

6CO2(二酸化炭素)+6H2O(水)+ 光 → C6H12O6(ブドウ糖)+6O2(酸素)

という化学反応で光合成を行い、酸素を反応生成物として放出しました。
  その結果ゆっくりと地球上に酸素が充満してきました。酸素はさまざまな物質を酸化させる(錆びさせる)力があり、生体物質も例外ではありません。したがって酸素の毒性を中和する機能を持たない生物は、そのような環境では生き延びられません。シアノバクテリアの繁栄によって、多くの生物が絶滅するか、酸素が少ない特殊な環境でしか生きられないマイナーな生物となりました。私たちはSOD(スーパーオキサイドディスムテース)という酵素とか、グルタチオンという低分子化合物とか、活性酸素の毒性を緩和するツールを持っているので、酸素が充満した大気の中で生きていくことができるのです。
 ところでシアノバクテリアは細菌ですから、化石といっても頼りない物で、そんな物でどうしてシアノバクテリアが何十億年も前から生きていたことがわかるのか不思議に思われるかもしれません。その謎を解くにはシアノバクテリアの中でもとてもマイナーな種の中に、海中の泥や砂の上に住み着いたら、昼は光合成、夜は粘液を出すという奇妙な性質をもつものがあるということがカギとなります。彼らは粘液で砂泥を固めて特異な石のようなものをつくるのです。これをストロマトライトと呼びます。
 現代でも西オーストラリアのシャーク・ベイなど、特定の場所にこのようなシアノバクテリアが生息する場所があります。彼らはバクテリアであるにもかかわらず、ストロマトライトを製造することによって、生きた痕跡を何億年も残すことができるのです。従って古い地層からストロマトライトが出てくれば、その時代にシアノバクテリアが生きていたことがわかります。現在27億年前のストロマトライトの化石がみつかっているそうです。

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図6-3 ストロマトライト

 図6-3の写真はウィキペディアに掲載されていたシャーク・ベイのストロマトライトの写真です。地球史年表に「32億年前 シアノバクテリア(光合成細菌)の出現」と書いてありますが、シアノバクテリアは出現したときから光合成をやっていたわけではなく、何億年もかけて光合成ができるよう進化したようです(1)。酸素を地球に充満させたことだけでもすごいことですが、シアノバクテリアはもうひとつ、とてつもないことをやってのけました。それは真核生物の体内に入って葉緑体として生きるものが生まれたことです。これは少し後で稿を改めて述べましょう。ストロマトライトの実物を見たい方は、国立科学博物館の地球館に展示してあります(2)。

参照

1)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%8D%E8%97%BB
2)国立科学博物館 常設展示
http://db.kahaku.go.jp/exh/?sno=1&data_id=1752498&hfwd=&estyp=2&zone1=95&zone2=101&zone3=104

 

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5.生命の起源についての学説

 先に進む前に、ここで少し立ち戻って生命の起源について考えてみましょう。もちろんそれはあまりにも古い出来事であるうえ、化石などから解明することも出来ませんし、今でも謎の出来事であることには間違いありません。もちろん古代から多くの科学者が生命の起源について真剣に考えていたことは想像出来ます。 近代になってパスツールらは生物は生物からしか生まれないということを証明して、古来からの迷信を打破したわけですが、それでも進化という途方もなく長い時間のスケールで考えると、無生物から生物が生まれるというイベントは必ず存在しなければなりません。
 このイベントについて、1924年にはじめての科学的な生命誕生の仮説であるコアセルベート仮説を発表したのがロシアの科学者オパーリンです。まず外界から隔離された部屋が確保されることが重要だという説です(1-2、図5-1、図5-2)。これに対してドイツのヴェヒターホイザーは黄鉄鉱上で、まずオープンスペースで二酸化炭素から有機物質をつくる化学的なプロセスが出来て、それが生命の第一歩だと考えました(3-4、図5-1、図5-2)。科学者は支持しませんが、何者かが生物を設計し製造したとする「インテリジェント・デザイン」説というのもあります。驚くべきことに、2005年には当時の米国大統領ジョージ・ウォーカー・ブッシュが、この説を学校で教えるべきだとコメントしました。同じ年にペンシルヴァニア州の裁判所で、この説を学校で教えることは違法であるという判決も出ています。
 最近ツヴィッカーらは、成長し分裂する液滴を作り出すことに成功しました。このような液滴の中で生物に特有の化学反応が育まれたのかもしれません(5、図5-1)。

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図5-1 生命の起源学説の提唱者

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図5-2 コアセルベート仮説と表面代謝仮説

 黄鉄鉱の表面代謝仮説をサポートしたのは、米国のウッズホール海洋研究所の潜水調査船アルビン号です(図5-3)。この船を使って深海を探索した科学者達は、深海に熱水噴出口があり、この周辺にはよく黄鉄鉱がみられることを発見しました。そして周辺には細菌や古細菌ばかりでなく、さまざまな真核生物もみられることから、このような太陽光が届かない深海の環境が生物を生み出したという考え方に至りました。

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図5-3 潜行中のアルビン号

 2010年にはケイマン諸島付近の5000mの深海で、熱水噴出口が発見され、周辺にさまざまな新種生物が発見されているそうです(6)。太古の時代には、そこいらじゅうにこのような熱水噴出口と、それに依存する生物群が存在したのかもしれません。これらの生物はスノーボールアースにも耐え抜いて進化し、現在の地球の生命圏があるのでしょう。
 有機物質は生命にしか生み出すことができないかというと、そんなことはありません。黄鉄鉱表面というような特殊な条件でなくても、太古には普通に空気中で有機物質がどんどん生成されていたということを、無機物質だけの気体中で放電することによって実験的に証明したのはスタンリー・ミラーらでしたが(図5-4)、この有名なユーリー&ミラーの実験については、太古の時代に存在したと予測される空気中の成分が彼らの仮定と一致しないという批判があります(7)。

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図5-4 ユーリー・ミラーの実験
高温下で無機物のガス混合気体中で放電すると有機化合物が生成する。

 深海の熱水噴出口周辺では、わき出した温泉に含まれる物質を酸化して、炭酸固定する化学合成独立栄養生物(硫黄酸化細菌)などが存在し、太陽エネルギーを使用しない一次生産者となっています。つまり 2H₂S+0₂=2H₂O+2S+エネルギー などの化学反応によってエネルギーを得て、二酸化炭素から有機物質を合成しているというわけです。このような細菌が、初期の生命圏形成の基盤になったのかもしれません。一方中沢は深海ではなく、地中の鉱物周辺で生命誕生のためのイベントが進行したとユニークな考え方を提唱しています(8、9)。20世紀以来さまざまな研究の進展があっても、生命の起源についてはいまだに1%も解明されていないと言っていいでしょう。遺伝子となる核酸がどのように生成し、それがどのように自己複製し、その核酸が持つ情報をタンパク質の構造に変換するシステムがどのように形成されたかなど、すべては謎に満ちています。ここでは深入りは避けます。ただひとつのキーポイントは、細胞の中にあるタンパク質合成工場=リボソームの主成分であるリボソームRNAの歴史を調べることにあります。これからの研究に注目したいところです(10-11)。

参照

1)Oparin A.I. 1924. Proiskhozhozhdenie zhizny, Moscow (translated by Ann Synge, in Bernal 1967. The Origin of Life, Weidenfeld and Nicolson, London.
2)オパーリン著 石本真訳 「生命―その本質, 起源, 発展」 岩波書店(1962) 
3)https://de.wikipedia.org/wiki/G%C3%BCnter_W%C3%A4chtersh%C3%A4user
4)Origin of Life: Life as We Don’t Know It. (2000)
http://ajdubre.tripod.com/Sci-Read-0/y-OriginLife-82500/OriginLifeSci-82500.html
5)David Zwicker et al., Growth and division of active droplets provides a model for protocells., Nature Physics, Vol.13., pp.408-413 (2017)
6)カリブ海の世界最深の噴出孔で新種続々発見、目のないエビなど
https://www.afpbb.com/articles/-/2850113
7)ユーリー-ミラーの実験
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%BC-%E3%83%9F%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%81%AE%E5%AE%9F%E9%A8%93
8)中沢弘基著「生命の起源・地球が書いたシナリオ」 新日本出版社(2006)
9)中沢弘基著「生命誕生 地球史から読み解く新しい生命像」 講談社新書(2014)
10)Ribosome and the origin of life
http://serious-science.org/ribosome-and-the-origin-of-life-5814
11)GE Fox., Origin and Evolution of the Ribosome.
Cold Spring Harb Perspect Biol. 2010 Sep; 2(9): a003483. doi:  [10.1101/cshperspect.a003483]
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC2926754/pdf/cshperspect-ORI-a003483.pdf

 

 

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4.スノーボールアース

図3-1のカンブリア紀以前の地球史年表のなかに、スノーボールアース(全球凍結)という記載があります。これは地球がすべて、赤道周辺の海も含めて凍結し、雪と氷で覆われた状態を示します。22~24億年前と6~8億年前の2回、このようなことがおこったとされています。
 もともと地球は大量の二酸化炭素で覆われていたと思われますが、海ができて二酸化炭素が海水に吸収されると、温暖化効果が失われて寒冷化が進みます。また地球の気温は太陽の活動に左右されます。太陽の活動は細かく変動していますが、おおざっぱには昔の方が暗かった(放出されるエネルギーが少ない)とされています。またいったん地表が氷で覆われはじめると、白い氷によって太陽光が反射されて、本来地球が吸収出来るはずのエネルギーが宇宙に放出されてしまい、加速度的に凍結が進んでしまいます。スノーボールアースでは雲が発生せず、毎日快晴です(1、図4-1)。

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図4-1 スノーボールアース

8~6億年前に発生したと思われるスノーボールアースは、やっと地球に生まれてきた生命を絶滅の危機にさらしました。実際大絶滅がおこったと思われますが、すべての生物が死滅したわけではないと考えられています。当時は鹿児島湾のように至る所に熱水が湧き出しているような浅い海が現在よりも多数存在し、熱水噴出口の近くで凍結しなかった海、あるいは凍結を免れた深海で、生物は細々と生き延びたのでしょう。スノーボールアースはおそらく大規模な火山の噴火によって終結したと考えられています。火山の噴火により、大量の二酸化炭素が放出され、その温暖化効果によって氷が溶けたようです。海が凍結している間は、二酸化炭素が水に吸収されないので、放出されるとすべて大気に蓄積し、温暖化を加速したと思われます。
 スノーボールアース時代が終了し、エディアカラ時代がはじまるといろいろな生物が出現します。この頃の生物は骨格が発達していないため化石が残りにくく、そのせいで、骨格が発達して化石が残りやすくなったカンブリア紀に、爆発的に種が増えたと誤解されている可能性があります。ただしエディアカラ時代の生物は、カンブリア紀の生物と違って、現存の生物のボディープランとはかなり異なるプランで設計されていたと思われます。エディアカラ紀の生物については別のセクションであらためて述べたいと思いますが、とりあえずウィキペディア掲載のディッキンソニアをご覧下さい(2、図4-2)。

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図4-2 ディッキンソニア

 大きいものでは体長が1メートル以上あります。現在このような生物は存在しません。捕食される立場にある弱い生物は、なんとか食べられないように, または食べられても繁殖でカバーしようと進化していくわけですが、生物の大絶滅が起こる場合、一般的にはヒエラルキーの上位の生物ほど飢餓によって絶滅しやすいと考えられます。したがってヒエラルキー下位の生物は捕食者に食べられてしまうという危険性が少なくなって、比較的自由にボディープランを変えることが出来るという余裕が生まれます。それによって前の時代とは異なる新しい生物群がいろいろな環境に適応してはびこる(適応放散)という結果になるのでしょう。
 昨今は地球温暖化による危機が叫ばれていますが、一方でミニ氷河期の到来が近いという論文も発表されています(3、4)。プラマイゼロならいいのですが、どうなるのかは科学者にもわからないようです。ただ寒冷化した場合も数十年くらいの短期間のようなので、その間にメタンや二酸化炭素をどんどん放出してしまうと、22世紀が灼熱地獄になるおそれがあります(3)。それを食い止められるほどヒトの知能は高くないのではないかという疑いが湧き上がってきます。折しも米国のトランプ政権はメタンガス排出の基準を緩和すると発表しました(5、6)。二酸化炭素は植物で吸収できますが、メタンはどうしようもありません。このような政策や、地球の異常に関する楽観的な考え方が生物絶滅を招来する危険性は大きいと思います。もう6回目の生物大絶滅ははじまっています(7)。

参照:

1)Wikipedia: Snowball Earth  https://en.wikipedia.org/wiki/Snowball_Earth
2)Wikipedia: Dickinsonia  https://en.wikipedia.org/wiki/Dickinsonia
3)Simon J. Shepherd, Sergei I. Zharkov, and Valentina V. Zharkova (2014)
Prediction of Solar Activity from Solar Background Magnetic Field Variations in Cycles 21-23
The Astrophysical Journal  Vol. 795,   No.1,  pp. 1-8
http://iopscience.iop.org/article/10.1088/0004-637X/795/1/46
4)https://indeep.jp/mini-ice-age-is-coming-soon-2018/
5)https://www.afpbb.com/articles/-/3242162
6)https://www.nikkei.com/article/DGXMZO49191220Q9A830C1000000/
7)6度目の大絶滅。人類は生き延びられるか? National Geographic (2015)
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/15/062600161/

 

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放射性同位元素による年代測定法

 化石の年代測定には放射性同位元素の計測が有用です。例えば炭素原子は陽子6個を持ちますが、中性子が6個の12C、7個の13C、8個の14Cと3種類の同位体があります。このうち14Cは放射性同位元素です。
 14Cは宇宙線の中の中性子によって14Nが崩壊して生じます。
   n + 14N → 14C +1H
 生成された14Cは、自然にその中性子が電子を放出して陽子となり14Nに戻ります。
   14C → 14N + e
 この14Cの生成と崩壊は開放系(宇宙の一般的な場所)では平衡状態にあり、それぞれの増減はありません。しかし岩石の中などに埋め込まれて、宇宙線が届かない場所では14Cの生成は起こらず、崩壊だけが進行します。その半減期は5730年です。12Cは安定で崩壊しないため、14C/12Cを測定すれば、その値を下式の左辺に代入して化石の年代(t)がわかります。右辺の14C/12Cは定数です。

 化石で観測された14C/12C = 開放系での14C/12C x 2(-t/5730乗)

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 もっと古い時代の化石を調べるには、例えば40Kの半減期は12.5億年なので、それらの半減期が長い放射性同位元素を用いることができます。


参照:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%8A%E6%B8%9B%E6%9C%9F

 

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3.真核生物

地球が誕生してから、カンブリア紀(いろいろな生物種が一気に出現したといわれている)に至るまでの歴史を整理しておきましょう。といってもそれぞれの出来事が起きた時期を判断する確固たる証拠があるわけでもないので、数年後には数字が書き換えられている可能性もあります。一応真核生物が出現したのは21億年前ということになっています(図3-1)。
 真核生物(ユーカリア)は細菌(バクテリア)や古細菌(アーキア)と違って、ゲノムすなわちミトコンドリアと葉緑体以外のすべての遺伝子が、核という閉じたボール状の構造に収納されています。ゲノムの情報が核の中で読み取られてRNAが合成され(転写)、合成されたRNAは核内でメッセンジャーRNAに加工されます。加工されることによってメッセンジャーRNAは核から、核膜に開いている穴(特定の物質だけが通行できる)をくぐって細胞質に出ることが可能となり、細胞質でその情報を元にリボソームという蛋白質とリボソームRNAからなる工場でタンパク質が合成されます(翻訳)。つまり真核生物では、それまでワンルームだった細胞が、1DKに進化したということになります。キッチンとリビングを分けるように、転写する部屋と翻訳する部屋を分けたというわけです(1-2、 図3-2)。このことのメリットは次ページに述べるように、かなり大きいものでした。

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図3-1 カンブリア紀以前の地球史年表

地球史年表はとりあえずこのようになっていますが、新しい証拠の発見などがあるとたちまち数億年のずれが生じたりしますので、あくまで現時点での理解と考えておいた方がよさそうです。

 

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図3-2 原核生物の細胞と真核細胞の細胞の構造を比較する

 ワンルームの細胞では、遺伝子発現ONの情報が来ると、すぐに転写→翻訳と進んでタンパク質ができますが、1DKでは、とりあえずDK(核)で転写して、それをリビングルーム(細胞質)に持っていって翻訳することになります。したがって、しばらくDKに品物を置いておき、時期をみてリビングに移動するというような融通はききます。細胞内にとりこまれたウィルスなど外界のDNAと、ゲノムのDNAが簡単には接触できないようにするというメリットもあります。細菌では外界からやってきたDNAが、比較的簡単に細胞内のDNAにもぐりこんで住み着くことができます。
 DNAのサイズが大きくなると、細胞全体にDNAが分散してしまうことになり、糸が絡まり合うような混乱がおこる可能性があります。そうなると細胞分裂の時などに収拾がつかなくなるかもしれません。真核生物ではとりあえずDNAを核にとじこめておくことができます。また核膜には放射線を遮蔽して、ゲノムDNAを保護する役割もあります。
 DNAは長いひものような分子なので、何かにまきつけておくとからまりにくくて便利なのですが、DNAの糸巻きのような構造を形成する能力があるヒストンあるいはそれと類縁関係にあるタンパク質を、ある種の古細菌と真核生物は持っています(3)。このことは古細菌と真核生物の近縁性を示す証拠のひとつです。DNAは通常ヒストンがつくる糸巻きにまきつけられて、核に収納されています。
 真核生物の細胞のサイズは普通直径10μmくらいですが、細菌は1μm以下です。そうなると体積でいえば、真核生物の細胞は細菌の1000倍以上になります。この中に含まれている各種分子の立場からみれば、犬小屋の中をうろうろしていたのがいきなり広いマンションに放り出されたような感じですから、他の分子と遭遇する機会が激減し、化学反応がうまくいきません。そのためどこにいけば反応すべき分子と出会えるか道案内が必要であったり、化学反応を行わせるためのツールを整列させたりすることが必要で、そのためにも細胞内膜系や細胞骨格を整備する必要があったと思われます。細胞内膜系や細胞骨格がないと、細胞は中に核やミトコンドリアというパチンコ球のような構造体が動き回る袋のようになり、これも好ましくはないでしょう。

参照:

1)Wikipedia "Prokaryote" https://en.wikipedia.org/wiki/Prokaryote
2)Wikipedia "Eukaryote" https://en.wikipedia.org/wiki/Eukaryote
3)Mattiroli et al., Structure of histone-based chromatin in Archaea., Science vol. 357, pp. 609-612 (2017)

 

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2.地球の始まり

私たちが住んでいる地球は、地球科学者によれば46億年前に出現し、そのできたばかりの地球に他の天体が衝突して(ジャイアントインパクト、図2-1)、ぶつかった天体は粉々になり、地球は衝突の衝撃で温度が上昇しマグマ化してしまった、あるいは粉々になってしまったとされています。気体化していたという説すらあります。最近ではこの衝突は接触事故のようなものではなく、正面衝突の可能性が高いとされています。しかしながら、月の成分は巨大衝突説が唱えるように1回の大規模衝突によって形成されたのでは説明がつかず、微惑星の小さな衝突が20回程度繰り返されて月形成がなされたとする説があります。私にはコメントできない天文学・地球科学分野の論争です(1-4)。

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図2-1 ジャイアントインパクト

いずれにせよ、天体衝突のときに形成された液状のマグマは現在でも地球のほとんどの体積を占め、私たちはようやく冷えて固まった卵の殻のような表層に相当する地殻に住んでいます。地球の周りに飛び散った衝突天体のかけらは次第に集積して月となったという説が有力であり、最初は極めて近くにあった月は次第に地球から離れていきました。今でも毎年月は地球から3.8cmづつ遠ざかっています(5)。
 マグマオーシャンとなった地球ですが、宇宙の低温によってしだいに冷やされ、43億年前には地殻が形成されたといわれています。地表が灼熱地獄だったときには地面までとどかなかった雨が、冷えるとともに地表に届くようになり、40億年前には海洋が形成されました。大気が無い地球の地殻表面には、とても生物が生きていけないような宇宙線や二次宇宙線が降り注いでいたので(6)、それらを遮蔽する機能がある海洋が形成されたことは、生物が生まれる上で決定的に重要なことだったと言えるでしょう。すなわち水の中で生きる生物なら宇宙線の影響をかなり緩和できるからです。
 生物は化学反応の集積であると言えば、それはウソではありません。45億年前の地球でも、現在の地球でも、たとえばCO₂(二酸化炭素) + H₂(水素)→ HCOOH(ギ酸)という化学反応は現在と全く同じであるのに対して、45億年前の地球には生物は存在しませんでした。ところが現在の地球には無数の生物が住んでいます。このことを考えれば、生物に関する科学には、化学反応だけではすまされない独自の理論や説明が必要であることがわかります。
 生物学の基本は地球の歴史の中での生物の進化であり、またその進化の中で作り上げられた独特なシステムを、物理学や化学の言葉で説明することです。広い宇宙には無限のバラエティに富んだ生物が存在するでしょうが、幸か不幸か私たちがそれらに接触するチャンスはこれまで一度も無かったし、これからもわずかな可能性しかないでしょう。地球に住む生物のルーツが複数あるという証拠は、これまでのところ存在しません。すなわちすべての地球上の生物には共通の祖先があり、したがってなんらかの共通点があります。生物学者は普通いくつかの生物種を選び、その限られた素材を用いて研究するので、その研究結果そのものは無数にある各論のひとつに過ぎませんが、それらは進化という1本の樹木につながる枝葉という意味ですべてつながっています。それによって生物学という大伽藍が成立していると言えましょう。
 さて、ではその共通の祖先である生命体はどのように「生物では無いもの」から生まれてきたのでしょうか? それについては今のところすべては仮説です。しかし無機物からどのように有機物ができたかというメカニズムについてはいろいろな実験が可能です。ただ当時の地球環境がどのようなものであったかはよくわからないので、確定的なことは何も言えません。したがってここではそれらはすべてスキップして、現在の科学の力によって解明されつつある進化という一つの樹木の根についてみてみましょう。
  図2-2にみられるように進化系統樹の根元には5つの系統の生物群があります。一昔前までは細菌・古細菌・真核生物の3つのドメイン(領域)というのが、最もおおまかな生物の分類だったのですが、そう簡単にはいかないようです。系統樹からも想像出来るように、古細菌というのは細菌よりもむしろ真核生物と共通な部分が多い生物なのですが、その生活は地球創世時代の海底火山周辺の高温の海に生きていた頃の状況を、今でも引き継いでいる種が大部分です。そういう意味で古という枕詞がつくのも納得出来ます。ロキ古細菌については私のブログ記事もあります(7)。興味のある方はご覧下さい。

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図2-2 ドメインについての仮説的進化系統樹

細菌や古細菌は、一般的に細胞内の構造体と言えば、DNA複合体とリボソームくらいのものなのですが、ロキ古細菌は細胞骨格・細胞変形・小胞体などに関連する遺伝子を持っており、細胞の構造は複雑で、かなり真核生物に近づいているようです(7)。メタン菌をメインとした多くの古細菌は「ユーリ古細菌」に属し、クレン古細菌の幹にはクレンアーキオータ、タウムアーキオータなど真核生物と共通点の多い特異な古細菌群が属します。現在でも海底に熱水が噴出している場所はいたるところにあります(8)。例えば鹿児島湾には水深100メートル以下の浅い海にも熱水噴出口がみられ、その周辺に古細菌が生きています。
 多くの古細菌は高温に順化しているので、彼らの酵素は40℃のような低い温度では反応速度が遅すぎて役に立たず生きていけません。彼らが生きているような100℃近い高温では、DNAもタンパク質も構造的に強い制限をうけるので、進化の速度が極めて遅くなってしまいます。そういうわけで、昔ながらの生き方しかできないのです。ごく一部の種が低温に順化し、そのなかから真核生物が生まれてきたと思われます。

参照:

1)ウィキペディア: ジャイアント・インパクト説
2)TOKANA: 45億年前の巨大衝突「ジャイアント・インパクト」はもっと大きな衝突だった!? 月の起源の秘密も…
https://tocana.jp/2016/02/45_entry_2.html
3)Excite news:月ができる時、地球がほぼ蒸発していた可能性が浮上
https://www.excite.co.jp/news/article/Gizmodo_201609_extremely-giant-impact/
4)ウィキペディア: 複数衝突説
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%88
5)logmi biz:  月は少しずつ地球から遠ざかっているらしい。では最終的にどうなるのか?
https://logmi.jp/business/articles/257365
6)東京大学宇宙線研究所 宇宙線とは
http://www.icrr.u-tokyo.ac.jp/about/cosmicray.html
7)渋めのダージリンはいかが 真核生物と古細菌
https://morph.way-nifty.com/grey/2015/10/post-d3d8.html
8)ウィキペディア: 熱水噴出孔

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1.生物とは何か

若い頃、自分は何者でどこから来たのか? 何のために生きているのか? と悩んだ人がいるでしょう。私もそうです。今悩んでいる人もいるかもしれません。それはあまりに難しい問題です。もう少しやさしい問題にとりくむことからはじめましょう。「いま私が使っているシャープペンシルとは何か?」 という問題になら答えられるかもしれません。
 まずシャープペンシルとそうでないものとを区別しなければなりません。鉛筆との違い、ボールペンとの違い、などを考慮するとかなり説明できるでしょう。解体して細部を観察すれば、よりきちんと説明できそうです(図1-1)。シャープペンシルを製造している工場を訪問して、形ができあがっていくプロセスを見学させてもらえば、より知識は深まるでしょう。生物学で言えば、分類学、形態学、発生学です。さらに博物館にある初期に製造された古いものと、最新のものを比較すれば、それは進化学です。そこまでやれば「シャープペンシルとは何か」という疑問に、かなり正確に答えることができるでしょう。

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図1-1 シャープペンシルの解剖図


 次にあらためて「生物とは何か」という問題に進んでみましょう。まず生物と生物でないものを区別しなければなりません。これがシャープペンシルとボールペンの区別のように簡単ではありません。もともと生物は突然できたものではなく、生物でないものから徐々に変化してできてきたものと想像されるので、どこかで線を引くというのはあまり意味のあることではないという考え方もできますが、実際に生物という言葉を使っている以上、定義をしなければ何を言っているのかわからないので、やはり避けては通れない問題です。


 孔子はある小さな国の政治をやってくれないかと頼まれました。しかしその国には予算は少なく、軍隊も弱い状態でした。弟子である子路は心配して、孔子に「そんなところで、先生は何をなさるのですか」とききました。すると孔子は

必也正名乎。名不正則言不順、 言不順則事不成。
(かならずや名をたださんか。名正しからざれば則(すなわ)ち言(げん)順(したが)わず、言順わざれば則ち事成らず)

という有名な言葉で答えました。この意味は「私はまず言葉を正しく定義する。もし言葉の定義が正しくなければ、何を言っているか意味がわからない。何を言っているかわからなければ、何事もできなくなってしまう」 


 生物と生物でないものとの中間的なものが知られています。そのひとつは、「牛海綿状脳症 (BSE=Bovine Spongiform Encephalopathy)」の病原体であるプリオンです(図1-2)。これに感染すると脳の組織がスポンジ状になり、異常行動、運動失調などを示し、死亡するとされています。BSEに感染した牛の脳や脊(せき)髄などを原料としたえさが、他の牛に与えられたことが原因で感染が起こります。羊のスクレイピーやヒトのクロイツフェルト・ヤコブ病も似たような病気です。
 プリオンはある種の異常なタンパク質(赤)で、正常なタンパク質(緑)と接触することによって、正常なタンパク質を自らと同じ異常なタンパク質(赤+赤)に変換します(図1-2)。これが繰り返されると、体内に正常タンパク質(緑)が減って、かわりに異常タンパク質(赤)が蓄積し、最終的に発病します(図1-2)。このプリオンを生物とみなさないというのは科学者のコンセンサスです。

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図1-2 プリオンの増殖  緑:正常タンパク質 赤:プリオンタンパク質

 しかしウィルスは違います。細胞にとりついて、内部に遺伝子を注入し、細胞のシステムを借りて自分の体をつくります。自分の体(遺伝子=DNAまたはRNA、遺伝子を包む殻などからなる)ができると、細胞を破壊して外界に飛び出し、また別の細胞をさがしてそれにとりつきます。こうなると、はて生物なのかそうでないのか迷います。通常は細菌よりはるかに小さいのですが、中には直径2μmなどという巨大なウィルスもみつかっていいます(1)
  もう少しきちんと言葉で定義する試みはNASA(米国航空宇宙局)の A. Lazcano によって行われました(2-3)。それは


Life could be defined as a self-sustaining chemical system that is capable of undergoing Darwinian evolution.


 これを翻訳すると 「ダーウィン的進化が可能な自己保存的化学系」 となります。ちょっと難しくなってしまいました。私もこれでいいのかどうか確信は持てません。例えばヒトには人権があるので、ダーウィン的進化はできないしするべきでもないとも考えられます。「可能な」という表現がミソではあります。
 ただすべての科学用語が正確に定義出来るかというと、そうではありません。政治・法律はすべて人為ですが、科学は未知の物質や事象もとりあつかうので、そういう場合は適当に名前をつけて話を進めることもあります。

参照:

1)生理学研究所 プレスリリース (2017)
http://www.nips.ac.jp/release/2017/11/post_352.html
2)A.Lazcano, Chemistry and Biodiversity vol.5, pp.1-15  (2008)
3)About life definition, Astrobiology at NASA
https://astrobiology.nasa.gov/research/life-detection/about/

 

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表紙ともくじ

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             生物学茶話

   @渋めのダージリンはいかが

            Vol.I

          森岡清和 著

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第1章 生物の歴史

1.生物とは何か   リンク1  
2.地球のはじまり リンク2
3.真核生物 リンク3
4.スノーボールアース リンク4
5.生命の起源についての学説 リンク5
6.シアノバクテリア リンク6
7.生物を3つのドメインにわける リンク7
8.系統樹とその逸脱  リンク8
9.ミトコンドリアの役割 リンク9
10.オピストコンタ リンク10
11.エディアカラ紀の生物 リンク11
12.カンブリア紀の生物 Ⅰ リンク12
13.カンブリア紀の生物 Ⅱ リンク13
14.オルドビス紀の生物 リンク14
15.シルル紀の生物 リンク15
16.デボン紀の生物 Ⅰ リンク16
17.デボン紀の生物 Ⅱ リンク17
18.石炭紀の生物 Ⅰ リンク18
19.石炭紀の生物 Ⅱ リンク19
20.ペルム紀の生物 Ⅰ リンク20
21.ペルム紀の生物 Ⅱ リンク21
22.三畳紀の生物 Ⅰ リンク22
23.三畳紀の生物 Ⅱ リンク23
24.ジュラ紀の生物 Ⅰ リンク24
25.ジュラ紀の生物 Ⅱ リンク25
26.白亜紀の生物 Ⅰ リンク26
27.白亜紀の生物 Ⅱ リンク27
28.白亜紀の生物 Ⅲ リンク28
29.白亜紀の生物 Ⅳ リンク29
30.古第三紀以降の生物 Ⅰ 哺乳類・犬・猫 リンク30
31.古第三紀以降の生物 Ⅱ 猿 リンク31
32.現代の大絶滅 リンク32
33.わたしたち以外の人類 リンク33

第2章 遺伝の本質

34.19世紀のヨーロッパ リンク34
35.メンデルの法則 リンク35
36.メンデルの再発見 リンク36
37.染色体説 リンク37
38.ハエ部屋 リンク38
39.DNAの発見 リンク39
40.核酸構造解析のはじまり リンク40
41.遺伝情報を担う物質は何か リンク41
42.二重らせん リンク42
43.DNAの半保存的複製 リンク43

第3章 分子生物学の勃興

44.メッセンジャーRNA(mRNA) リンク44
45.トランスファーRNA(tRNA) リンク45
46.リボソーム リンク46
47.DNA複製機構 リンク47  
48.岡崎フラグメント リンク48
49.DNA修復 Ⅰ リンク49
50.DNA修復 Ⅱ リンク50
51.オペロン説 リンク51
52.転写 Ⅰ リンク52
53.転写 Ⅱ リンク53
54.真核生物メッセンジャーRNAの成熟 Ⅰ リンク54
55.真核生物メッセンジャーRNAの成熟 Ⅱ リンク55

第4章 生命を構成する化学物質

56.アミノ酸 リンク56
57.ペプチド結合・αヘリックス・βシート リンク57
58.オリゴペプチド・ポリペプチド リンク58
59.タンパク質の基本 Ⅰ リンク59
60.タンパク質の基本 Ⅱ リンク60
61.酵素 Ⅰ リンク61
62.酵素 Ⅱ リンク62
63.構造タンパク質 リンク63
64.制御タンパク質他 リンク64
65.糖質 リンク65
66.多糖類 リンク66
67.糖タンパク質 リンク67
68.脂肪酸と油脂 リンク68
69.糖脂質 リンク69
70.ステロイド リンク70

第5章 生命現象のルーチン

71.解糖 リンク71
72.呼吸 リンク72
73.細胞膜 リンク73
74.細胞骨格 Ⅰ リンク74
75.細胞骨格 Ⅱ リンク75
76.細胞骨格 Ⅲ リンク76
77.ミトコンドリア リンク77
78.リソソームとオートファジー リンク78
79.核膜 リンク79
80.染色体 Ⅰ リンク80
81.染色体 Ⅱ リンク81
82.染色体 Ⅲ リンク82

第6章 ゲノムや細胞を操作する

83.制限酵素 リンク83
84.DNA塩基配列の解読 リンク84
85.ベクター リンク85
86.PCR リンク86
87.トランスポゾン Ⅰ リンク87
88.トランスポゾン Ⅱ リンク88
89.ヒトゲノム リンク89
90.染色体の数と性 リンク90
91.有性生殖 リンク91
92.幹細胞 リンク92
93.ES細胞と iPS細胞 リンク93
94.ノックアウトマウス リンク94
95.クリスパー リンク95
96.クリスパー(補足) リンク96


第7章 生物の発生

97.体軸形成 リンク97
98.原腸と胚葉 リンク98
99.初期発生と情報伝達 Ⅰ リンク99
100.初期発生と情報伝達 Ⅱ リンク100

 

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