« 2017年10月 | トップページ | 2017年12月 »

2017年11月26日 (日)

生物学茶話@渋めのダージリンはいかが94: ノックアウトマウス

1970年代後半から、遺伝子クローニングやDNA塩基配列解析の技術が飛躍的に進歩しました。それにともなって、構造はわかったが機能がわからない遺伝子がたまっていくことになりました。このような未知遺伝子の機能を解析するには、とりあえずその遺伝子を無効化して何が起こるか見てみたいわけです。

1980年代になってエヴァンスらが胚盤胞の内部細胞塊から多分化能をもつ細胞株(ES細胞)の樹立に成功し(1、図1))、ES細胞由来のマウスを作成することが可能になりました。1985年には、スミティーズらが相同遺伝子組み換え法によって、ベータグロビン遺伝子領域に外来のDNAを挿入できることを示しました(2、図1)。そしてついに1987年になって、カペッキらは、ヒポキサンチン-グアニンホスホリボシルトランスフェラーゼ (HPRT)という酵素の遺伝子の一部に、ネオマイシン耐性遺伝子を組み込んだベクタ-作成し、ES細胞内で相同遺伝子組み換えを起こさせてHPRTを欠損する細胞を作成しました(3、図1)。個体レベルでは、HPRTを欠損すると体内に尿酸が蓄積して痛風や腎不全が引き起こされます(4)。

エヴァンス・スミティーズ・カペッキらによって開発された技術は一般化され、どの遺伝子でも人為的に欠損させてその機能を調べられるようになりました。この功績によって彼ら3人に2007年のノーベル生理学・医学賞が授与されました(5)。マリオ・カペッキはイタリア人ですが、父親は戦死、母親は反ファシスト運動でダッハウ収容所に送られ、4才から放浪して数年間コチェビのような生活(ストリート・チルドレン)をしていたそうです(6)。幸いなことに母親は殺害を免れ、戦後息子と再会して渡米し、マリオはハーバード大学に進学することができました。

 

A

 

ノックアウトマウス(KOマウス)作成の概要は次のようになります。まず標的遺伝子と似ているが不活化した遺伝子を含むベクターを用意します。通常この内部にはネオマイシン耐性遺伝子などの、組み換えが成功した細胞を選択するための遺伝子を挿入しておきます。このベクターを胚性幹細胞(ES細胞)を培養しているシャーレに投入して、電気ショックやリン酸カルシウム処理などで細胞内に侵入させ、標的遺伝子との組み換えを行なわせます(図2)。

組み換えに成功した細胞はネオマイシン耐性などで選別します。生き残ったES細胞(相同遺伝子組み換えに成功した細胞)を胚盤胞に注入します(図2)。注入された細胞は、内部細胞塊の細胞と混ざって、これから生まれる個体の一部になります。つまりこの胚盤胞はキメラ動物になります。

 

A_2

 

通常図2のような研究を行なう場合、分子生物学担当、細胞培養・胚操作担当、などとは別に動物実験担当者を決めておき、担当者はまずパイプカット手術(無精子となる)をした♂と正常なメスを交配させて、偽妊娠状態の♀を作成しておきます。偽妊娠状態の♀に図2で作成した胚盤胞を移植して着床させます(図3)。この仮親となった♀から生まれた子供は、本来の親由来の細胞とES細胞由来の細胞の両者を持っており、いわゆるキメラの状態になります(図3)。

 

A_3

 

キメラマウスの卵または精子のなかにはES細胞由来の遺伝子を持つものがあるはずで、そのような生殖細胞と正常な動物の生殖細胞が接合すると、ES細胞由来の遺伝子をヘテロで保有する動物が生まれてきます(図4)。そのヘテロ動物同士をかけあわせると、メンデルの法則に基づいて25%の確率でホモの生物が生まれます。

このマウスは本来持つべき遺伝子を2本の染色体共に喪失しているので、当該遺伝子に関していわゆるノックアウト状態になります(図4)。このような状態のマウスをノックアウトマウスとよびます。

 

A_4

 

相同組み換えを起こさせるために、通常はES細胞の培養系にベクターを投入するのですが、もともとは図5のように、受精卵の核にDNAを注射する(マイクロインジェクション)という方法も採られました。

吸引用の毛細管で吸引することによって卵を固定し、反対側から注射用毛細管でDNAを卵核に注入します。難しい技術で効率もよくないのですが、この方法でもノックアウトマウス作成が可能です(図5)。

 

A_5

 

遺伝子は必要であるからこそ代々受け継がれてくるわけで、ノックアウトすれば当然不都合が発生するはずです。特に日常的に必要とされるタンパク質をコードする遺伝子をノックアウトすると、胚または胎仔のうちに死亡して生まれてさえこないということになります。それでは遺伝子の機能解析ができません。

そこで外部からなんらかのシグナルを送らない限り遺伝子の喪失がおこらないような生物が、ブライアン・ザウアーらによって考案されました(7、8、図6)。それはCre/loxPというシステムですが、このシステムのルーツはバクテリオファージP1にあります。このファージは環状化するためにloxPという配列(図6)を両端に持っており、この2ヶ所にCreというリコンビナーゼが結合し、その後それぞれのCreが結合することによって反応がはじまって、ホストDNAからファージDNAが切り出されて環状化します。

ブライアン・ザウアーという人はもともと天文学者になりたかったそうですが、ウィスコンシン大学の数学科を卒業してから縁あってデュポン社の研究所で仕事をするようになり、そこで同僚がバクテリオファージのCre/loxPシステムを研究していたので、それを真核生物の研究に役立てる方法はないかと考えるうちに、遺伝子ノックアウトに使えるのではないかと思いついたそうです(9)。

標的遺伝子と相同組み換えを行なうDNAの両端にloxP配列を入れておくと、そのDNAが標的遺伝子と同じ機能を持つとしても、Creが作用すればloxPにはさまれた部分は環状化してゲノムから切り離され、遺伝子機能は失われます(図6)。ここでCreを核内に侵入させる方法を考えます。あるシグナルがあると核内に移行するタンパク質があれば使えるかもしれません。

たとえばエストロジェン受容体にCreを結合し、タモキシフェンを作用させるとエストロジェン受容体はCreと共に核内に移行します。そうするとCreはloxPと反応して標的DNAを切り出し無効化させることができます。すなわちタモキシフェンの投与によって、随時遺伝子をノックアウトできるのです(10、図6)。

 

A_6

 

このCre/loxPというシステムは大変便利なもので、例えばCreの上流にあるプロモーターを組織特異的に機能するプロモーターに付け替えておくと、例えば筋組織だけで機能するプロモーターだと、筋組織だけでCreが発現して遺伝子を無効化する生物を作成することができます。

 

A_7

 

また、標的遺伝子をloxPではさみ、さらにレポーター遺伝子(たとえば細胞を緑色に光らせるGFP遺伝子など)をつないだ相同組み換えを行なったマウス(floxedマウス)を作成し、これとCreをゲノムに組み込んだマウスを交配するとCre/loxPマウスが作成できます(図8)。あとは上記の通り、時期特異的なり組織特異的なりの方法で遺伝子機能を解析することができます。これらのプロセスのかなりの部分は、お金さえあれば業者に委託してやってもらうことも可能です(11)。また胚や精子を大学や業者に預けて保存してもらうことも可能です(12、13)。

 

A_8

 

参照

1) Evans, M. J., and Kaufman, M. H. Establishment in culture of pluripotential cells from mouse embryos. Nature, vol. 292, pp. 154-156 (1981). doi:10.1038/292154a0
http://www.nature.com/articles/292154a0

2) Oliver Smithies, Ronald G. Gregg, Sallie S. Boggs, Michael A. Koralewski & Raju S. Kucherlapati., Insertion of DNA sequences into the human chromosomal β-globin locus by homologous recombination., Nature vol. 317, pp. 230–234 (1985) doi:10.1038/317230a0
http://www.nature.com/articles/317230a0

3)Thomas, K. R., and Capecchi, M. R. Site-directed mutagenesis by gene targeting in mouse embryo-derived stem cells. Cell, vol. 51, pp. 503-512 (1987).
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/2822260

4)レッシュ・ナイハン症候群
https://www.weblio.jp/wkpja/content/%E3%83%AC%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%BB%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%83%8F%E3%83%B3%E7%97%87%E5%80%99%E7%BE%A4_%E3%83%AC%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%BB%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%83%8F%E3%83%B3%E7%97%87%E5%80%99%E7%BE%A4%E3%81%AE%E6%A6%82%E8%A6%81

5)The Nobel Prizein Physiology or Medicine 2007 is awarded jointly to Mario R. Capecchi, Martin J. Evans and Oliver Smithiesfor their discoveries of “principles for introducing specific gene modifications in mice by the use of embryonic stem cells”
https://www.nobelprize.org/nobel_prizes/medicine/laureates/2007/popular-medicineprize2007.pdf

6)https://en.wikipedia.org/wiki/Mario_Capecchi

7)Sauer, B. "Functional expression of the Cre-Lox site-specific recombination system in the yeast Saccharomyces cerevisiae". Mol Cell Biol. vol. 7 (6): pp. 2087–2096. (1987)doi:10.1128/mcb.7.6.2087. PMC 365329 Freely accessible. PMID 3037344.

8)Sauer, B.; Henderson, N. (1988). "Site-specific DNA recombination in mammalian cells by the Cre recombinase of bacteriophage P1". Proc. Natl. Acad. Sci. USA. vol.85 (14): pp. 5166–5170. (1988)  doi:10.1073/pnas.85.14.5166. PMC 281709 Freely accessible. PMID

9)https://www.dnalc.org/view/16868-Biography-41-Brian-Sauer-1949-.html

10)D Metzger, J Clifford, H Chiba, P Chambon.,  Conditional site-specific recombination in mammalian cells using a ligand-dependent chimeric Cre recombinase. Proc. Natl. Acad. Sci. U.S.A., vol. 92(15); pp. 6991-6995 (1995) [PubMed:7624356]  [WorldCat.org]

11)http://www.funakoshi.co.jp/contents/7812

12)http://www.transgenic.co.jp/products/mice-service/modified_mouse/icsi.php

13)http://www.anim.med.kyoto-u.ac.jp/NEW_ILA/reports/v2/2seijyou.htm

|

2017年11月17日 (金)

生物学茶話@渋めのダージリンはいかが93: ES細胞とiPS細胞

哺乳動物はプラナリアのように分断してもまた個体が再生されるという生物ではありません。トカゲのようにしっぽを切ったらまた生やすという能力もありません。カエルも哺乳動物と同様足を切ったらまた生えてくるわけではない生物ですが、1958年にガードン( J. B. Gurdon )が、カエルの腸の細胞の核を予め除核した卵に移植すると、低い確率ですがカエルが発生することを発見していました(1)。

すなわちカエルはプラナリアのように体を切り刻んでも個体の再生はできないけれど、少なくとも一部の体細胞には発生の全過程をサポートする能力のある遺伝子が残っているということが示されました。この実験は後に ワブル(M. R. Wabl )らによって検証され、たまたま腸に残存していた多能性幹細胞の核が採取されたのではなく、実際に分化が完了している細胞のDNAに、発生の全過程をサポートする遺伝情報のフルセットが存在することが証明されました(2)。また哺乳類でもテラトカルシノーマという癌は内部に様々な分化した細胞を内包することは昔から知られていました(3)。これらのことは組織や臓器を培養容器内で生成しようとする人々に勇気を与えました。

1996年になって、キース・キャンベルとイアン・ウィルムット(Keith Campbell and Ian Wilmut )らは羊の乳腺細胞を通常の血清濃度の1/20で培養して多能性を復活させ、別の個体から得られた未受精卵の核を除去して、多能性復活処理した乳腺細胞と電気刺激で融合させました。さらにその細胞を胚盤胞まで体外で育て(図2)、代理母の子宮に移植すると子羊が誕生しました。

この子羊は乳腺細胞を採取した羊のクローンであり、ドリーと名付けられました(4,図1)。ドリーは哺乳類初のクローン個体であり、その誕生は畏怖の念をもって世界から注目されました。ノーベル文学賞のカズオ・イシグロの「わたしを離さないで」(2005年刊)でも、ヒトのクローンがとりあげられました。

 

A

同じ方法ではありませんが、クローン動物は優秀な種牛の保存などに実用化されました。ペット(イヌ・ネコ)を復活させようという試みも成功しています。遺伝子は同じでも全く別の個体なので、こんな技術は倫理的にも問題があり無用という人もいますが、私もペットを飼育しているので、永年寄り添って生きてきたペットが死んだ後、姿形だけでも同じ個体が再生できるというのは心がさわぎます。

学術的な見地からは、絶滅危惧種の保存などには有用でしょう。哺乳類成体の組織から幹細胞を採取してドリーのようなクローンをつくる技術は、非常に成功率が低い上にヒトに応用するにはあまりにも倫理的な問題が大きすぎて、その後華々しく発展することはありませんでした。とはいえ多能性幹細胞を採取して研究しようという試みの際には、常にバックグラウンドとなっていることに間違いはありません。

医学的な応用や分子生物学的な研究のためには、やはり多能性幹細胞を培養器の中で制御しながら分化させていくという技術が必要です。さて組織や臓器を培養容器内で高い効率で作成するには、その種になる細胞をどこから採ってきましょうか?

哺乳類の場合図2のように、受精した卵はまず不規則に卵割し桑実胚という細胞の集塊を形成します。その後細胞は2つのグループに分かれ、片方は栄養細胞層、他方は内部細胞塊を形成します。その際に卵割腔という空洞も形成されます。実験技術上の観点や実用的な観点から言えば、その多能性幹細胞をシャーレで培養し、何らかの方法で筋肉や皮膚などの組織を誘導できれば有難いわけです。

 

A


ドリーから少し時代をさかのぼりますが、1981年マーチン・エヴァンス のグループと彼の弟子である ゲイル・マーチン は、独立にそれぞれヒト胚の内部細胞塊から細胞を取り出して培養し、さまざまな細胞に分化させることに成功しました(5、6、図2、図3)。

女性が生涯に生み出せる卵子は400個くらいですが、そのひとつをもらって人工受精させ、培養容器内で胚盤胞(図2)まで発生させます。この胚盤胞の中にある内部細胞塊は、このあとヒトの様々な組織をつくる未分化な細胞群です。マーチン・エヴァンスはこの未分化細胞にレトロウィルスベクターを用いて遺伝子を導入し、代理母の子宮で育てさせてトランスジェニックマウスの作成に成功しました。マーチン・エヴァンスは2007年にノーベル生理学医学賞を授賞しました。

 

A_2



エヴァンスやゲイル・マーチンが開発した多能性幹細胞培養技術を飛躍的に進化させたのはジェームス・トムソン(James A. Thomson、図3)でした。トムソンはまずサルの内部細胞塊からES細胞(胚性幹細胞 embryonic stem cell)の株を樹立することに成功しました(7)。細胞株というのは、長期間にわたってシャーレ内で細胞分裂を繰り返しても、分化して分裂を停止することなく、そのままの状態で継代しながら培養可能な細胞のことです。

通常癌化した細胞を継代培養して樹立されますが、哺乳類の多能性幹細胞でこのような株がつくられたのははじめてのことです。トムソンはこれですぐ誰かがヒトのES細胞株をつくるだろうと予想したそうですが、意外にも誰も手を出さず、ならばと自分でとヒトES細胞株を自作しました(8、9)。トムソンの株は8ヶ月培養しても変化なく、カリオタイプも安定していて優秀な細胞株でした。

トムソン自身は医学的利用にはあまり関心がなく、この細胞株を使ってヒトの発生過程における遺伝子発現の変化などを研究しようと考えていたようです(9)。一方でこれで様々な組織や臓器を作成して、病気の治療に利用しようとするグループは勢いづきました。クローン人間も容易に制作できそうでした。そのためこの分野の研究に危機感を抱くグループ、特に宗教関係者からは激しい拒否反応がおきました(9)。胚を実験に使うのは殺人行為で許されないという主張です。ジョージ・ブッシュ大統領はこの勢力に同調し、2001年にはES細胞研究には助成金を出さないことを決定しました(10)。この措置はオバマ大統領に代わるまで継続しました。

もし胚の細胞ではなく、成体の幹細胞から株を作成できれば反対派の主張を回避できます。乳腺細胞からクローン羊ができたわけですから、そのような細胞株ができても不思議ではありません。ここで登場したのが黄禹錫(ファン・ウソク)です。黄禹錫事件に興味のある方は私の過去記事(11-13)などを参照して下さい。黄禹錫の実験の概要は、成体の幹細胞(体性幹細胞)の核を除核した受精卵に移植し、電気ショックを与えるとES細胞ができるというものでした(図4)。

彼の論文は続けざまにサイエンス誌に掲載され、世界の大注目を浴びましたが、これが捏造論文だということがわかって、韓国のみならず世界の科学界は底知れぬ衝撃を受け、かつ信用を失ってしまいました。

 

A_3


黄禹錫事件の影響もあって、ヒト胚の幹細胞を使って研究や医療技術の開発を進めることは困難になってきました。そうなると幹細胞は成人の組織にひそんでいるものを探し出すか、それともすでに分化が進んだ細胞を幹細胞に若返らせるかしかありません。

それを実現したのが奈良先端科学技術大学院大学の山中グループでした。徳澤佳美(図5)は初期胚や多能性幹細胞で強く発現している Fbx15 という遺伝子に注目し、この遺伝子をDNAから除外して、その場所にネオマイシン耐性遺伝子を挿入したノックインマウスを作成しました。

このマウスは多能性幹細胞をつくることができず、マウスは胎仔期に死亡することが期待されましたが、予想に反して健康に成長し、子孫をつくることもできたのです(14)。残念な結果でしたが、このようなことはままあることで、生物はフェイルセーフ機能を持つ場合があって、ある遺伝子が損傷をうけても他の遺伝子が機能を代替することがあります。この場合は Fbx15遺伝子を喪失しても、他の遺伝子が機能を代替したわけです。重要な機能であればあるほどその可能性は高まります。

とはいってもFbx15遺伝子は多能性幹細胞で発現しているので、Fbx15遺伝子の上流には多能性幹細胞が生成する物質を関知して、Fbx15に置き換えられたネオマイシン耐性遺伝子を活性化する領域が存在します。したがって、細胞に様々な候補遺伝子をレトロウィルスベクターを用いて投入し、遺伝子が多能性幹細胞の出現や維持に関係あれば、ネオマイシンを含む培地で生存できるというテストシステムとして使えます。

その頃には多能性幹細胞に関係がありそうな候補がかなり報告されていたので、高橋和利(図5)は24の遺伝子を選んで、それぞれひとつづつを線維芽細胞(真皮の細胞)に導入し徳澤のテストシステムにかけてみましたが、すべての細胞はネオマイシン培地で生き残ることができませんでした。

そこで高橋は24遺伝子を全部挿入したらどうなるか試してみました。24遺伝子を同時に導入すると(といっても全部が挿入されるわけではなく、ランダムにいくつかの遺伝子が導入される可能性が高い)、一部の細胞はネオマイシン培地で生き延びました。そこで高橋は24遺伝子から順次ひとつづつ遺伝子を減らした23遺伝子を挿入するという手法で、Oct3/4・Klf4・Sox2・c-Mycの遺伝子導入が多能性幹細胞形成に必須であることを示しました。つまりこの4因子のひとつを欠くと、多能性幹細胞ができないわけです。実際この4因子を導入すると、0.1%以下の低い確率とはいえ、見事に人工多能性幹細胞(iPS細胞=induced pluripotent stem cell)が生成されました(15)。2006年のことです。

徳澤はアッセイシステムを作成したばかりでなく、マウスES細胞を用いてKlf4が多能性幹細胞の維持に必要であることを示していたので、当然参照論文15の共著者になるべきだったと思いますが、山中によれば自分が黄禹錫のようになった場合を恐れて除外したそうです(16、17)。私はこの件についてはもっと裏があるような気がします。

この論文発表(15)の翌年には、山中グループはヒトの線維芽細胞を用いて、同様な方法で ヒトiPS細胞 の作成に成功しました(18)。ローマ法王庁は受精卵を破壊しない山中の手法を絶賛するコメントを発表しました(19)。山中伸弥はJ.B.ガードンと共に2012年のノーベル生理学・医学賞を受賞しています。

 

A_4

 

iPS細胞の一般的作製法をウィキペディアからコピペしたのが図6です。成体から採取した細胞を培養してある程度シャーレで増殖したら、必要な遺伝子を組み込んだベクターを投入して細胞内にとりこませ、薬剤耐性テストでとりこんだと確認された細胞をフィーダー細胞(シャーレの底に張り付いて、増殖をサポートする細胞)の上で培養し、増殖させてコロニーを形成させます。一つのコロニーを取り上げて別のシャーレで培養することにより、継代培養が可能なiPS細胞の株ができたことになります。

さまざまな微量成分を含むフィーダー細胞や血清を利用すると、それらが放出する、あるいはそれらに含まれているどんな成分が培養に必要なのかというのがブラックボックスになるので、できれば使いたくないのですが、それほど細胞培養はデリケートなものであるということは言えます。山中伸弥は「京都の水を使ったからできたなどと言われないようにしよう」と言ったそうです。

 

A_5


ES細胞やiPS細胞は未分化で無限増殖能を持つわけですが、これを様々な組織に分化誘導するにはどうすればよいのでしょうか? 神経系の細胞に誘導するのは簡単で、血清や増殖因子無しで培養すると、自然に神経系細胞に分化します。上谷らは細胞内における誘導因子としてZpf521というタンパク質を同定しました(20)。高橋らによると網膜細胞はDkk-1 と Lefty-A という因子を培養に添加することによって分化誘導できるそうです(21)。

最近ではシステマティックな誘導も部分的には可能になっているようです(22)。すでにヒトiPS細胞を心筋細胞に分化させるキットなども販売されています(23)。このような方法で作成した細胞のシートを組織や器官にはりつけると、細胞は自然に組織や器官の一部となって再生医療ができる場合があります。京都大学のiPS細胞研究所では3次元的な心臓組織の作成にも成功しています(24)。このような直接治療に関わる利用以外にも、ES細胞やiPS細胞は薬剤が有効かどうか、どのような副作用があるかなどのさまざまな試験を、実験動物を使用しないで行なうことができるというメリットもあります(25)。

iPS細胞作成に必要な山中4因子のうち c-Mycは癌を発生させる可能性がある危険な因子ですが、その後 Glis1という因子を代わりに使用することができて、こちらのほうが効率が良く、癌化の危険性も少ないということがわかりました(26、27、図7)。

 

A_6

 

iPS細胞を使った治療は、本人のiPS細胞を用いるのが理想なのですが、それには多大な費用が必要で普及させることは困難です。免疫拒否反応について配慮されたストックを使うという道が現実的です。他人のiPS細胞から誘導された網膜の移植によって滲出型加齢黄斑変性の治療を行なうという手術がすでに行なわれており、現在経過観察中だそうです(28)。良い結果となることを期待したいですね。

 

参照

1)Gurdon, J. B.; Elsdale, T. R.; Fischberg, M. (1958). "Sexually Mature Individuals of Xenopus laevis from the Transplantation of Single Somatic Nuclei". Nature. 182 (4627): 64?65. doi:10.1038/182064a0. PMID 13566187.

2)Wabl, M. R.; Brun, R. B.; Du Pasquier, L. (1975). "Lymphocytes of the toad Xenopus laevis have the gene set for promoting tadpole development". Science. 190 (4221): 1310?1312. doi:10.1126/science.1198115. PMID 1198115.

3)http://news.livedoor.com/article/detail/12531644/

4)Campbell K. H.,  McWhir J.,  Ritchie W. A., Wilmut I., "Sheep cloned by nuclear transfer from a cultured cell line". Nature. vol. 380 (6569): pp. 64–66. (1996) Bibcode:1996Natur.380...64C. PMID 8598906. doi:10.1038/380064a0.

5)Evans M, Kaufman M., “Establishment in culture of pluripotent cells from mouse embryos”. Nature vol. 292 (5819): pp. 154–156. (1981) doi:10.1038/292154a0. PMID 7242681.

6)Martin G., “Isolation of a pluripotent cell line from early mouse embryos cultured in medium conditioned by teratocarcinoma stem cells”. Proc Natl Acad Sci USA vol. 78 (12): pp. 7634–7638.  (1981) doi:10.1073/pnas.78.12.7634. PMC 349323. PMID 6950406.

7)Thomson, J. A., Kalishman, J., Golos, T. G., et al., Isolation of a primate embryonic stem cell line. Proc. Natl. Acad. Sci. USA vol. 92, pp. 7844–7848. (1995)

8)James A. Thomson et al "Embryonic Stem Cell Lines Derived from Human Blastocysts", Science, vol. 282, 5391, pp. 1145-1147 (1998)

9)クリストファー・スコット著 矢野真千子訳 「ES細胞の最前線(原題: Stem Cell Now)」 河出書房新社 (2006)

10)井樋三枝子 ES 細胞研究に関連する法案の動向 外国の立法 vol. 230 pp. 167-175 (2006)
http://www.ndl.go.jp/jp/diet/publication/legis/230/023008.pdf

11)黄禹錫(ファン・ウソク) 転落の経緯1
https://morph.way-nifty.com/grey/2007/07/post_5a4b.html

12)黄禹錫(ファン・ウソク) 転落の経緯2
https://morph.way-nifty.com/grey/2007/07/post_5dd2.html

13)黄禹錫(ファン・ウソク) 転落の経緯3
https://morph.way-nifty.com/grey/2007/07/post_aab3.html

14)田中幹人編著 「iPS細胞 ヒトはどこまで再生できるのか」 日本実業出版社 (2008) 

15)Kazutoshi Takahashi, Shinya Yamanaka., Induction of Pluripotent Stem Cells from Mouse Embryonic and Adult Fibroblast Cultures by Defined Factors., Cell Vol. 126, Issue 4,  pp. 663–676 (2006)
http://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0092867406009767

16)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3%E6%BE%A4%E4%BD%B3%E7%BE%8E

17)せるてく・あらかると iPS細胞の樹立--若い力がもたらした幸運 (特集 iPS細胞が与えた衝撃). 細胞工学 28(3), 242-244, (2009)
http://gakken-mesh.jp/journal/detail/9784879624949.html

18)Takahashi, K.; Tanabe, K.; Ohnuki, M.; Narita, M.; Ichisaka, T.; Tomoda, K.; Yamanaka, S.,  "Induction of Pluripotent Stem Cells from Adult Human Fibroblasts by Defined Factors". Cell. 131 (5): 861–872. (2007)  PMID 18035408. doi:10.1016/j.cell.2007.11.019.

19)万能細胞とバチカン 科学に問う生命の根源 朝日新聞 2008年01月13日
http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY200801130045.html

20)理研プレスリリース ES細胞から神経細胞へ分化開始させるスイッチ因子を解明
http://www.riken.jp/pr/press/2011/20110217/

21)http://kankyo-j.sakura.ne.jp/kuma2-iPS-RPE1.html

22)iPSポータル(株)のサイト
http://ips-guide.com/induction/

23)ヒト多能性幹細胞を心筋細胞に分化させるキット  PSdif-Cardio Cardiomyocyte Differentiation Kit
http://www.funakoshi.co.jp/contents/7324

24)理研プレスリリース ヒトiPS細胞から3次元的な心臓組織を作製し、 致死性不整脈の複雑な特徴を培養下に再現することに成功
http://www.cira.kyoto-u.ac.jp/j/pressrelease/news/171023-160000.html

25)iPS細胞とはなにか 朝日新聞大阪本社科学医療グループ (2011)

26)Maekawa M, Yamaguchi K, Nakamura T, Shibukawa R, Kodanaka I, Ichisaka T, Kawamura Y, Mochizuki H, Goshima N, Yamanaka S.,  "Direct reprogramming of somatic cells is promoted by maternal transcription factor Glis1". Nature. 474 (7350): 225–9. (2011)  doi:10.1038/nature10106. PMID 21654807. Lay summary – AsianScientist.

27)前川桃子助教インタビュー 工夫を重ねて出会えたGlis1 が見せてくれた可能性
http://www.cira.kyoto-u.ac.jp/j/pressrelease/html-newsletters/201106/#page_4

28)https://mainichi.jp/articles/20170329/k00/00m/040/124000c

 

 

|

2017年11月 7日 (火)

生物学茶話@渋めのダージリンはいかが92: 幹細胞

幹細胞という言葉はES細胞や iPS細胞のおかげですっかり世の中に定着しました。しかし改めてきちんとその意味をここで復習しておきましょう。

すでに述べたように、多細胞生物は不死の生殖細胞系列と死を運命付けられた体細胞系列からなります。確かに体細胞は死する運命にありますが、なにしろヒトの体細胞は数十兆個あります。まず大量の細胞をつくらなければなりません。その上で細胞分裂を繰り返しながら3つのグループ(外胚葉・中胚葉・内胚葉)に分かれ、それぞれがまた小グループに分かれて表皮・骨格・消化管などになります(図1)。

体細胞は分裂を繰り返すごとに自分の可能性を狭めていき、最終的にひとつの目標に到達します。これは小学校ではまだ無数の可能性を秘めていた少年が、やがて進学校に合格、受験勉強を経て医学部に入学して卒業し医師免許を取得、医師として一生働くというようなことでしょう。

体細胞は人為的な操作を加えない限り、可能性を狭めることはできても広げることはできません。これは至極当然で、皮膚の中に突然消化管が現われては困るわけです。


A


脳神経細胞や心臓の筋細胞などは終末分化した細胞の典型例で、幼少時に分化した細胞はそのまま死ぬまで同じ場所で働きます。ここでひとつの疑問が生じます。なぜ大人になっても髪の毛は伸びるのでしょうか? 

ヒトの毛髪は3日で約1ミリメーターくらい伸びるわけですが、細胞は高さが数マイクロメーターくらいの大きさなので、髪の毛の中の細胞縦1列について3日間で200個弱くらい新しい細胞が生み出されていることになります。1日60個とすると1時間で 2.5 個の細胞が毛根で生み出されていることになります。これは縦1列の分だけですから、毛1本分ではその数百倍の細胞ができているわけです。

このように多細胞生物が体を構築するシステムは、必要な体細胞を最初に大量に作っておいて、あとはそれらが分化して死んだら個体も死ぬという単純なものではなく、同じ体細胞でも途中で自己複製し補充しながら成人の体をささえていくような細胞も存在します。毛髪・皮膚・爪・血液・小腸などは特に毎日大量の細胞をつくっています。

これらの元になる自己複製しながら組織の細胞を供給していく細胞が幹細胞といわれるものです。幹細胞は細胞分裂が可能な若い細胞なのですが、かといって毛髪の幹細胞から爪や赤血球ができては困ります。各組織の幹細胞は、それぞれ運命が限定されています(1)。

図1のように受精卵は成体のあらゆる細胞を製造する能力を秘めていますが、やがて生殖細胞系と体細胞系というグループにわかれ、体細胞系は外胚葉・中胚葉・内胚葉という能力が限定されたグループにわかれ、それぞれから様々な臓器が生まれてくるわけです。

このとき例えば脳の中に爪になる細胞が混じっているとか、筋肉の中に腎臓の細胞が混じっているなどということは避けなければならないので、細胞分裂が可能な細胞は、分化が進行するあるときにデジタル的に自分の運命をはっきりと決定しなければなりません。これが図2のA、B、Cのプロセスです。

色がついている細胞は実際に分化した細胞ではなく、白い細胞に比べて分化する可能性が限定された細胞を意味します。A、Bの過程だけだと白丸で示した未分化細胞がなくなってしまうので、細胞がダメージを受けたり老化が進んだ場合、組織や臓器が必要とする細胞を補充することができません。脳神経細胞や心筋細胞は一生同じ細胞を使う場合が一般的なので、AやBのプロセスを経た色つきの細胞集団に近いと言えます。

一方毛髪など生きている間は常時補填が必要な臓器はCやDの自己複製が可能な細胞(幹細胞)を維持していかなければなりません。幹細胞を定義すればCのように、細胞分裂した際に自分自身のコピーと分化していく運命にある娘細胞を作り出す細胞ということになりますが、実際には幹細胞のある場所にはCとDが共存していると思われます。

毛髪など無くても生きている人は多いので、変な議論をやっていると思うかもしれませんが、毛髪が生きている間常時生育するのは私たちが洋服を持たなかったサルに似た動物であった頃の名残であり、そのような祖先の動物は体毛が無くては生きていけませんでした。

 

A_2

 

成人の体にも自己複製できる細胞が存在することは容易に想像できたわけですが、それを科学的に証明するのはなかなか困難でした。それを最初に行なったのはカナダの研究者 Till と McCulloch で、1961年のことでした。放射線医学・生物学分野の研究者なら、Till と McCulloch
の業績は古参の研究者なら誰でも知っていますが、意外に若い分子生物学の研究者達は知らないのではないでしょうか。幹細胞の研究は長い間、ごく一部の研究者しか興味を持たないような不遇の時代が続いたという事情があります。

Till と McCulloch の実験の概要を図3に示します。致死量の放射線を当てたマウスは造血ができなくなって、脾臓も紙のように薄くなって死亡します。マウスはヒトなどと異なり、骨髄でも造血しますが、より主要な造血器官は脾臓です。放射線を当てたマウスが死亡する前に、他のマウスの骨髄細胞を注射すると、脾臓に「こぶ」のような細胞の固まり=コロニーができて造血を行い、本来なら死亡するはずのマウスが生き延びることを彼らは実証しました(2、図3)。つまり他の個体の骨髄に含まれていた造血幹細胞から、図8にみられるような様々な血液細胞が生成されて生き延びることができたということになります。

 

A_3

 

JohnsonとMetcalf はさらに造血幹細胞をシャーレの中で培養し、シャーレの中で1個の細胞からコロニーを作らせることに成功しました(3、図4)。そのコロニーの中に、様々な血液細胞が生成されていました。その後血液幹細胞を培養するという実験は大流行し、そこからES細胞(胚性幹細胞)へと研究がつながっていったわけです。

ES細胞やiPS細胞は血液細胞だけでなく、あらゆる細胞に分化する能力を持っています。幹細胞の分野ではES細胞や iPS細胞の作成で複数の研究者がノーベル賞を受賞していますが(4、5)、これらはむしろ応用技術であり、幹細胞の存在を証明したというルーツの業績を残した人々、すなわち Till 、McCulloch 、Johnson、Metcalf らが授賞しないというのは納得できないところです。応用技術というのは次々と技術革新が行なわれることによって乗り越えられていくものですが、ルーツを作ったあるいは原理を証明したという業績は永遠に残るものです。

 

A_4

 

ヒトの体内にはさまざまな幹細胞が存在します。表皮の幹細胞のように表皮にしかならないもの、毛髪の幹細胞のように毛髪だけでなく、やけどをしたときは表皮も再生できるもの、造血幹細胞のように赤血球、血小板、白血球、リンパ球など様々なタイプの細胞をつくりだせるものなど様々ですが、そのまま個体を再生できる体細胞はありません。

生物学の研究材料としては比較的ポピュラーな、プラナリアという生物がいます。水の綺麗な小川の底石をはがすとみつかることがあります。長さが1cmくらいの扁平な生き物です。プラナリアは体を切断すると、断片から個体を再生できます(図5)。このことは究極の幹細胞、すなわちあらゆる成体の組織を新生できる能力を持つ幹細胞を、彼らは多数体内に維持していることを意味します。

体を細かく分断しても断片から全体を再生できるというのはいわゆる無性生殖であり、彼らは有性生殖も行なうので、進化の途上で体細胞に含まれる全能性の幹細胞を失わなかったというのが彼らの生き方です。ES細胞や iPS細胞はヒトのプラナリア化を可能にする技術とも言えます。

 

A_5

 

一方線虫の1種であるシー・エレガンス(Caenorhabditis elegans)は私達と同じく、体細胞は細胞分裂を繰り返すにつれてその可能性を狭めていき、最終的には特定の臓器に分化して死ぬという運命を持っています。違うのは成人が数十兆個の細胞を持っているのに対して、シー・エレガンスの大人(雌雄同体)は959個の細胞しか持っていません。それらの細胞は受精卵から終末分化するまで、まるで家系図のように出処進退が明らかにされています。

シー・エレガンスの個体も細胞も位置が固定されているわけではなく、発生の過程で複雑に動くので、それぞれをきちんと最後まで見届けるのは途方もない作業ですが、Sulston と共同研究者達は、細胞に色をつけたりして綿密に追跡し、ついにそれを成し遂げました(6、図6)。56ページの長大な論文ですが、専門外にもかかわらず私は手元に置いています。まさに人類の宝のような論文です。ウェブサイトにも公開されています(7)。サルストンは2002年のノーベル生理学・医学賞を受賞しています。図6の右下の系譜は大幅に省略した記載です。

 

A_6

 

サルストンらの驚異の業績と比べると小さな知見ですが、ヒトの造血幹細胞の分化系譜も明らかになってきました。まず古典的な系譜を示します(図7)。この図では、造血幹細胞はリンパ系の細胞と骨髄系の細胞に分かれます。骨髄系の細胞は好酸球・好中球・好塩基球のグループと単球(マクロファージ・樹状細胞)のグループ、そしてそれらとは別の系譜の赤血球・血小板系のグループに分かれたあと、それぞれの細胞系譜に分化していきます。

赤血球・血小板系以外の細胞はすべて免疫関連細胞で、異物を排除するためのシステムに所属しますが、赤血球・血小板系は全く異なる役割を持っており、赤血球は呼吸=ガス交換、血小板は血液凝固=傷対策という機能を果たしています(1)。ただし、リンパ系のT細胞と骨髄系の単球に分化できる細胞(赤矢印)が存在するとの報告もあります(8)。この件について河本宏と桂義元が日本語で詳しく解説しています(9、10)。最近ではT細胞系は他の細胞と別系列だという考え方が主流のようです。

 

A


骨髄にはおそらく図2のA~Dタイプの細胞が棲み着いており、条件によってコントロールされた増殖・分化を行なっていると思われます。最近の知見に基づけば、T細胞系の前駆細胞は骨髄に定着するB細胞とは離れた細胞系列で、胸腺に定着して増殖・分化してT細胞を生成するとされています。T細胞は抗体(イムノグロブリン)を産生する以外のさまざまな免疫機能(たとえば細菌に感染した細胞を殺すなど)を持っています。B細胞は抗体を産生する細胞で、B細胞とT細胞をまとめてリンパ球と称するのは正しくないようです。

 

A_2

ES細胞や iPS細胞については次回に述べます。

 

参照

1)森岡清和著 「素顔の赤血球-その生いたちと運命をさぐる」 金原出版(1994)

2)Till JE, McCulloch EA: A direct measurement of the radiation sensitivity of normal mouse bone marrow cells. Rad. Res. 14, 213-222 (1961)

3)Johnson GR, Metcalf D: Pure and mixed erythroid colony formation in vitro stimulated by spleen conditioned medium with no detectable erythropoietin. Proc. Natl. Acad. Sci. USA pp. 3879-3882 (1977) 

4)https://www.nobelprize.org/nobel_prizes/medicine/laureates/2007/evans-bio.html

5)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E4%B8%AD%E4%BC%B8%E5%BC%A5

6)J.E. Sulston, E. Schierenberg, J.G. White and J.N. Thomson., The Embryonic Cell Lineage of the Nematode Caenorhabditis elegans., Developmental Biology vol. 100: pp. 64-119  (1983)  doi: 10.1016/0012-1606(83)90201-4

7)http://www.wormatlas.org/SulstonembCellLin_1983/SulstonembCellLin1983.html

8)http://www.natureasia.com/ja-jp/nature/highlights/18591

9)河本宏・桂義元 “リンパ球系列” という既成概念からの解放 科学 vol. 79, no.6, pp. 605-613 (2009)
http://kawamoto.frontier.kyoto-u.ac.jp/common/images/contents_for_researchers/d_03/kagakusousetu.pdf

10)河本宏 免疫細胞はどこで、どんな細胞からつくられるの? 
http://www.jsi-men-eki.org/general/qa_pdf/kawamoto.pdf

|

« 2017年10月 | トップページ | 2017年12月 »