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2017年9月30日 (土)

生物学茶話@渋めのダージリンはいかが88 トランスポゾン2

今回はトランスポゾンの種類や構造について述べます。細菌から私達人類まで、あらゆる生物はファージ(バクテリオファージ=細菌に感染するウィルスなので、広義のウィルスの範疇に含まれると考えてよい)やウィルスの脅威にさらされています。しかしファージは細胞に感染するとすぐに増殖して細胞を破壊するようなタイプのものばかりではなく、なかにはホストのDNAに組み込まれてプロファージの状態となり、あたかもホストのDNAの一部であるように振る舞うタイプもあります(1)。

すなわち太古の昔から、素性の知れない外界DNAをホストのDNAの中に埋め込む生化学的システムは存在したと考えられます。そのために必要な最小限のメカニズムには、ホストのDNAと親和性を持った塩基配列、ホストのDNAに切れ目を入れるエンドヌクレアーゼ活性、ホストのDNAと接続するためのDNAリガーゼ活性などが含まれているはずです。

ホストのDNAに埋め込まれたウィルスのDNAの一部に突然変異が生じて、例えば殻のタンパク質をコードする遺伝子が使えなくなってしまったらどうなるでしょう。もはやウィルスはホストの外では活動できません。ただDNAを切り出したり、埋め込んだりする活性が残っていればホストのDNAの中で移動することは可能かもしれません。

真核生物の場合は、このようなDNAを遺伝物質として持つウィルス以外に、RNAを遺伝物質として持つレトロウィルスが感染する場合があります。この場合レトロは「昔の」という意味ではなく、「逆の」という意味です。普通の生物がやっているDNAからRNAへの転写ではなく、レトロウィルスはRNAを鋳型として、逆転写酵素によりDNAを合成する(=逆転写)ことができます。

レトロウィルスとは、ヒトに感染するものではインフルエンザウィルス、HIV、はしかウィルス、ムンプス(おたふくかぜ)ウィルス、B型以外の肝炎ウィルスなどがそうです。この場合も逆転写されたDNAがたまたまホストのDNAに組み込まれてプロウィルスの状態になることがあります。

プロウィルスとなっても細胞に感染するための遺伝子が変異して役立たなくなることはあり得ます。このように感染力を失ったウィルスは、本来持っていた 1)細胞に外から感染するシステム、2)遺伝子を殻内部にパッケージングするためのシステム、3)遺伝子を包む殻、4)細胞を破壊するためのシステム などに関連する多くの遺伝子はすべて正常であっても、感染できないという意味で結果は同じになるので、最初に変異した遺伝子以外の上記の遺伝子にも全く選択圧力がかからなくなり、荒れ放題(変異放題)となります。

ただしホストの細胞内でずっと遺伝子を残す手立てはあります。たとえば細菌や一部の真核生物の場合はプラスミドとなって、ずっと細菌体内で存続することができます。細菌のDNAに組み込まれた状態でも、そのまま存続できる場合があります。すなわち他のすべての遺伝子を失っても、DNAを切り出す活性とDNAに組み込む活性が保存されていれば、ホストのDNAを移動することができますし、切り出されている間にDNAを複製して増殖することすら可能です。哺乳類の場合、プラスミドとして生き残るものは多分ないと思いますが、ホストDNAの一部としては世代を超えて残留することができます。

細菌のトランスポゾンはすべてDNAトランスポゾンですが、真核生物のトランスポゾンにはDNAトランスポゾンとレトロトランスポゾンが存在します。まずDNAトランスポゾンからみていきましょう(2、図1)。

DNAトランスポゾンには両端にダイレクトリピート(DR)という同方向を向いた反復配列がある場合があります。これはターゲットのDNAにトランスポゾンを挿入する際に使われると考えられます。ダイレクトリピートの内側にITR(inverted terminal repeat)、またはTIR(terminal inverted repeat)という逆向きの反復配列があります(図1)。これは図3であらためて説明しますが、トランスポゾンのDNAを切り出すときに認識する配列です。

これらの反復配列以外に、DNAトランスポゾンはDNAトランズポゼースの遺伝子をもっており、この他にこの遺伝子を転写するために必要な配列があれば、最小限の構成を確保できます(図1)。なお図1の塩基配列は1例であり、実際の配列とは関係ありません。実例についてもっと詳しく知りたい方は文献(3、4)などが参考になると思います。

 

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細菌のトランスポゾンはDNAトランズポゾンですし、植物の中には稲のようにゲノムの大部分がDNAトランスポゾンで構成されているものも多いと思われるので、おそらく世界で一番多い遺伝子は「DNAトランスポゼースの遺伝子」でしょう。DNAトランスポゾンには図2のように2つのタイプがあり、ひとつは二重鎖ごとカットして他の部位にペーストする移動型、いまひとつは一重鎖のみ切り出して、複製して二重鎖としてから他の部位に挿入する複製型です。複製型の場合、切り出された一重鎖の部分は残された鎖を鋳型としてホストの酵素で複製されるので、結果的にコピー&ペーストとなり、トランスポゾンが2倍に増幅されます。

 

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Inverted terminal repeat ( ITR ) がDNAトランスポゾンの両端にあることは、DNAトランスポゼースの作用機構と密接な関連があります。図3のようにDNAトランスポゼースはダイマーとしてそれぞれがITRを認識して働く、すなわちDNAを切断するので、ITRがトランズポゾンの両端にあることは都合が良いのです。このことはトランスポゾンのエリアを2つのITRにはさまれた部分という認識を酵素が行う上でも重要です(5)。図3右図はプロテイン・データバンク・ジャパンのイラストです。DNAトランスポゼースとDNAの関係を3Dで表現したものです。

 

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DNAトランスポゾンをDNAに挿入するときに、ギャップができることがわかっており、ここがダイレクトリピート(DR)あるいはターゲット・サイト・デュプリケーション(TSD)と呼ばれるサイトと考えられています(5)。この部分は当然修復されDNAの接続(ライゲーション)が行われなければなりません。

図4にみられるように、トランスポゾンが挿入されたあと、ホストの細胞が持っている酵素によってギャップは修復されます(6)。修復された部分はトランスポゾンの両端に存在し、同じ方向を向いた同じ配列となります(ダイレクトリピート)。次にこの位置のトランスポゾンを切り出すときに、ダイレクトリピートを置いていくと、DNA上に昔トランスポゾンがあったという痕跡が残りますし、持ち出すとダイレクトリピート付きのトランスポゾンができます。

 

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ここまでDNAトランスポゾンについて述べてきましたが、トランスポゾンにはもうひとつレトロトランスポゾンというジャンルのものがあります。これはDNAの一部が別の位置に移転するという結果は同じなのですが、メカニズムはまったく異なります。細菌にはこのタイプのトランスポゾンはみられず、真核生物だけに存在するものです。レトロトランスポゾンの場合、普通の遺伝子のようにいったんRNAに転写され、そのRNAを鋳型として逆転写によってDNAが合成され、さらにその単鎖DNAを鋳型として二重鎖DNAが合成され、ホストのDNAに埋め込まれます(7、図5)。

 

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大変複雑なように見えますが、実はありふれたウィルスであるインフルエンザウィルス、HIV、B型以外の肝炎ウィルス、おたふく風邪ウィルス、はしかウィルスなどはみんな遺伝子はRNAの形でホストに感染し、ホストの細胞の中で逆転写によって相補的なDNAを合成してホストDNAにプロウィルスという形で埋め込まれた状態で潜伏し、転写によって遺伝子RNAと必要なタンパク質を合成してウィルス粒子を作り、ホストを破壊して外に出るという生活史を繰り返します。

細菌のプロファージの場合と同様、ホストのDNAに必要な遺伝子のセットを埋め込んだまではいいものの、その一部が壊れてしまったらどうなるでしょう。ウィルス粒子を作って他の細胞に感染することができなくなるので、プロウィルスのままホストのDNAにとどまるしかありません。いったんとどまってしまったら、プロウィルスとして存在するための遺伝子を除いて、他の遺伝子は壊れ放題になってしまいます。そうなるとプロウィルスは原型をとどめないトランスポゾンとなってしまいます。これをレトロトランスポゾンといいます。

レトロトランスポゾンの中で、一番ウィルスの原型をとどめているのはLTR型レトロトランスポゾンで、図6に示すように、両端にLTR(long terminal repeat)という構造を持っています。ロングと言っても数百から数千塩基対というバラエティーがあって、その機能は十分には解明されていませんが、レトロウィルスはこの部位を利用してホストDNAに逆転写したDNAを組み込んでいることは間違いなさそうです(8)。

そのレトロウィルスの機能を使ってトランスポゾンをホスト内部で移動させようというのが、LTR型レトロトランスポゾンです。このトランスポゾンは内部にエンドヌクレアーゼ(DNAを切断する酵素)と逆転写酵素(リバーストランスクリプターゼ)の有効な遺伝子を保存していますが、他の構造タンパク質などの遺伝子(gag、env など)は変異して無効になっています(図6)。

 

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そのウィルスの遺産であるLTRを失った長鎖トランスポゾンをLine(long interspersed nuclear elements)といいます。LTRのかわりにやや長いTSDがあり、さらに長い非翻訳領域が3’と5’の両端にTSDに続いて存在し、何らかの形でLTRのかわりにトランスポゾンのDNA組み込みのメカニズムにかかわっていると思われます。LineはLTR型と同様内部にエンドヌクレアーゼとリバーストランスクリプターゼの遺伝子を持っており、それゆえに短くはなれません。だいたい4,000~10,000塩基対(bp)となっています。

これに対してSine(short interspersed nuclear elements)はLTRのみならず、内部のエンドヌクレアーゼとリバーストランスクリプターゼの遺伝子も失っており、そもそもレトロウィルスを起源とするものかどうかも定かではありません。内部にtRNA、5SrRNA、7SL-RNAなどの機能RNAの一部に類似した塩基配列を持っており、3’末にはLineと相同な配列とポリAテイルがあります。おそらくレトロウィルスとは関係なく二次的に発生したものなのでしょう。転移するための酵素がないので、Lineなどが持っている酵素の支援がなければ転移することができません。構造に大きなバラエティーがあるのも特徴です(9)。

 

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霊長類は霊長類にしかないAluエレメントというSineの1種を持っています。Aluエレメントという名は、Aluという制限酵素で切断される部位があることから名付けられました(図8)。ヒトの場合、全ゲノムの11%がAluエレメントだとされています(10)。なぜこんなに大量の特殊なトランスポゾンがヒトのゲノムにあるのかは謎です。このトランスポゾンは7SL-RNAという、タンパク質を細胞外に分泌するためのメカニズムの一翼をになうRNAの遺伝子と共通な配列の断片を数多く持っています(図8)。

図8に両者のフルシーケンスを示しましたので、目をこらして比較してみて下さい。Aluエレメントを発見したのは、カール・シュミット(Carl W. Schmid )とプレスコット・ダイニンジャー(Prescott Deininger) (11、図8)ですが、こんな特殊なトランスポゾンがヒトのゲノムに大量にあるとわかって、さぞかしびっくりしたことでしょう。

 

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さまざまな生物のなかには、DNAトランスポゾンを多く持つグループとレトロトランスポゾンを多く持つグループがあります(12、図9)。この中で注目したいのは、Entamoeba histolytica という哺乳類に感染する赤痢アメーバはレトロトランスポゾンを圧倒的に多く持っている一方で、Entamoeba invadense という爬虫類に感染する赤痢アメーバはDNAトランスポゾンが圧倒的に多いという研究結果です。

つまりトランスポゾンが蔓延するために要する期間は、進化のスケールで考えるとかなり短いのではないかということが示唆されています。

実際ショウジョウバエのPエレメントというDNAトランスポゾンは、ほとんどの自然界のハエが持っているにもかかわらず、古くから飼い継がれている実験用のハエにはどれにも全くみられないということが知られており、この場合数十年の内にPエレメントが自然界で蔓延したと思われます(13)。

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参照

1)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%82%B8

2)Transposons: Mobile DNA
http://grupo.us.es/gfnl/dna/genetic_ingeniering/transposons.htm

3)  Kosuke Yusa, piggyBac Transposon., Microbiolspec, vol. 3 no. 2  (2015) doi:10.1128/microbiolspec.MDNA3-0028-2014
http://www.asmscience.org/content/journal/microbiolspec/10.1128/microbiolspec.MDNA3-0028-2014

4)Narayanavari SA, Chilkunda SS, Ivics Z, Izsvák Z., Sleeping Beauty transposition: from biology to applications., Crit Rev Biochem Mol Biol.  vol.52, no.1, pp. 18-44. (2017) doi:

10.1080/10409238.2016.1237935. Epub 2016 Oct 4.
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/27696897

5)JD Watson, Molecular Biology of the Gene., 6th edn., pp.334-370, Cold Spring Harbor Laboratory Press (2008)

6)Jennifer McDowall, Transposase.
http://www.ebi.ac.uk/interpro/potm/2006_12/Page1.htm

7)https://en.wikipedia.org/wiki/Retrotransposon

8)http://what-when-how.com/molecular-biology/long-terminal-repeats-molecular-biology/

9)http://sines.eimb.ru/Help.html

10)Prescott Deininger, Alu elements: know the SINEs.,  Genome Biol. 2011; vo. 12(12): pp. 236-248. Published online 2011 Dec 28.  doi:  10.1186/gb-2011-12-12-236

11)Schmid CW, Deininger PL  "Sequence organization of the human genome". Cell. 6: 345–358. (1975)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC3334610/

12)Leslie A. Pray, Transposons: The Jumping Genes, Nature Education vol.1(1), p. 204 (2008)
https://www.nature.com/scitable/nated/article?action=showContentInPopup&contentPK=518

13)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%9D%E3%82%BE%E3%83%B3 (具体例のセクションを参照)

 

 

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2017年9月21日 (木)

生物学茶話@渋めのダージリンはいかが87: トランスポゾン1

トランスポゾンとは染色体上での位置を変えることができるDNA断片のことですが、発見したのはバーバラ・マクリントックという女性科学者です(図1)。

彼女は1902年の生まれで日本では明治の末期ですが、当時は米国でも女性が科学者になるのはまれなことでした。実際コーネル大学の農学部に進学したのですが、希望した植物育種学科は女人禁制で、大学院も遺伝学は女性は専攻できなかったので、やむなく植物学を専攻することになりました。

マクリントックが最初に目指したのは、当時モーガン研のスターティヴァントがショウジョウバエの4つの染色体を識別し、それぞれにおける遺伝子の場所を記した染色体地図を発表していたので、彼女が研究材料としていたトウモロコシでも染色体地図を作成するということでした。彼女はまず染色体を識別する上で助けになる酢酸カーミン染色法を開発しました。これは図1のカルミン酸を酢酸に溶かして鉄イオンなどを加えた染色液を用いる方法で、現在でも使われています。カルミン酸はある種のカイガラムシが合成する色素で、1991年まで人工合成はできませんでした。

 

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彼女はまず自ら開発した染色法を駆使して、トウモロコシの染色体が10組20本であることを確定し、各染色体に1~10番の番号を付けました(1)。この論文を発表した年(1929)に、ハリエット・クレイトン(図2)という大学院生がやってきて、マクリントックの指導で研究をはじめました。彼女たちが興味を寄せたのは奇妙な形の染色体を持つトウモロコシの変異体でした。当時としては、組み換えという現象があることはわかっていましたが、これが線路のポイント切り替えのようなダイナミックな染色体の物理的切断と結合の結果なのか、それとも遺伝子ごとの交換のようなミクロな現象なのかよくわかっていませんでした。

クレイトンとマクリントックは、染色体の両端にそれぞれ特徴的な構造、すなわちノブとしっぽ(非染色体DNA)を持つ変異体をみつけて、ノブとしっぽが組み換えによっていれかわることを示しました。これによって組み換えが可視化され、誰もが染色体の切断と再結合(交叉)によって組み換えが行われることを納得しました(2)。

図2をみると、CとWという2つの遺伝子の間で組み換えがおこると、本来ならCはノブとしっぽを伴ってF2に出現すべきところ、Cはノブ、Wはしっぽという組み合わせでF2に出現することになり、物理的な染色体の切断・結合と、形質から判断される遺伝子の組み換えが同時に起こっていることがわかります。

 

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私はこの文章を書くに当たって、マクリントックが後にトランスポゾンの理論をうちたてるきっかけとなった論文のことを調べるために文献(3)にあたりました。その中には 「1931年の秋、彼女はカリフォルニア大学バークレイ校の研究者から送られてきた別刷りを受け取った。そこに彼女がミズーリで見たものと同じ種類の斑入りが載っていた。バークレイの研究者たちもまた、染色体の切断あるいは欠落で生じた小さな染色体について触れていた」 という記述があります。ところがこのバークレイの研究者が誰なのかは書かれていません。

不満を感じながら調べたところ、マクリントックの論文(4)に引用文献がありました。この論文には引用文献が2つしかなく、そのひとつでした。Nawashin M. という人物の論文なのですが、さらに調べると、どうもこの引用文献のスペルが間違っているらしくて、Navashin M. という人物なら当時バークレイ校で植物の遺伝学をやっていたようなのですが、Nawashin M. という人物は見当たりませんでした。これからは全く私の想像ですが、Navasin さんはドイツ語でも論文を書いているのでドイツ人で、本来は Nawashin だったわけですが、米国では名前の発音が違って呼ばれるのが嫌で Navashin にスペルを代えたのではないでしょうか?マクリントックへの手紙には Nawashin と書いたのかもしれません。

マクリントックは斑入りの原因が、環状染色体(5、図3)内における染色分体間での姉妹鎖交換によって、セントロメアを2個含む染色体と全く含まない染色体が形成され、セントロメアを含まない染色体は細胞分裂によって娘細胞に分配されないため、色に関する遺伝子が無効になった細胞集団ができることによって斑入りが発生することを示しました(4)。

 

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マクリントックは米国学術研究会議から奨学金をもらって、コーネル大学、ミシガン大学、カルテックなどを渡り歩いて研究をしていましたが、その奨学金が切れてしまって、ドイツで研究を続けることにしました(6)。1933年~1934年はドイツで核小体と染色体の関係について研究していましたが、ナチスドイツの台頭もあって、コーネル大学に戻ることになりました。そして1936年に、30才代半ばでようやくミズーリ大学での定職(assistant professor)を得ることができました。Assistant professor といえば日本では助教のようなポストでしたが、その状態で彼女は米国遺伝学会の会長になりました。マクリントックは全く協調性がなく、喧嘩っ早い人間だったので、業績は大いに評価されてもポストは与えられず、女性の地位が低かった時代とは言え、あとからきた女性に先に准教授(associate professor)のポストが与えられるという有様でした(3)。

マクリントックが幸運だったのは、このような状況の中で旧友のマーカス・ローズがコールド・スプリング・ハーバー研究所に誘ってくれたことでした。ここは生物学のジャンルでは最も有名なシンポジウムが開催される場所として業界で知らない人はいません。夏期休暇を利用して多くの研究者が集まる施設ですが、冬は静かな環境で思う存分研究ができる場所でした(図4)。

この研究所のたたずまいはちょっと変わっていて、図4のように普通のビルディングではなく、敷地に散在する個人の住宅のような建物がひとつの研究室になっています。右はマクリントックの研究室で、彼女が亡くなったあともそのまま保存されていました。

このような施設をみると、日本人(=日本政府)は科学を利用しようとするだけで、愛してはいないということを痛感させられます。ちなみに2009年にはコールド・スプリング・ハーバー・アジアが中国の蘇州に開設され、活動を開始しました。これからの科学は中国によって牽引されることが予感させられます。

 

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これからの話を理解するためにアントシアニジンという色素について説明しなければなりません。この色素は多くの植物で花や実の色に関与しており、複雑な過程を経て合成され、しかも図5のように側鎖の種類によって様々な発色が可能です。実際にはこの色素に糖が結合した配糖体の形で花や実に存在しています。

 

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マクリントックは1941年12月から、ほとんどの残りの人生をコールド・スプリング・ハーバーで過ごしました。1941年12月といえば、8日の真珠湾攻撃から太平洋戦争が勃発した時期でした。彼女が「動く遺伝子」の研究を始めたのは1944年ですから、日本軍が太平洋の島々で玉砕を重ねていた時期です。「動く遺伝子」に関する仕事は非常に困難だったので、数年間は論文が書けませんでしたが、戦争中にもかかわらずカーネギー財団はずっとこの仕事に援助を続けました。

この間にマクリントックは、Ac と Ds というDNA上の因子が、DNA上で他の部位にジャンプして遺伝子発現の調節を行っていることをつきとめ、例えば図6で言えば、通常は紫色の実が、Dsがアントシアニジン合成遺伝子の位置に移動してくると、その合成遺伝子の発現が抑制されて実の色が白くなり、Dsがそこから抜けて移動すると、ふたたび色素が合成されるようになります。どの程度元に戻れるかによって発色の状況が違っていきます。これが斑入りの原因になります。

 

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マクリントックは1951年にコールド・スプリング・ハーバー研究所のシンポジウムで「動く遺伝子」に関する永年の研究成果を発表しました。しかし予想に反して全く反響はなく、誰も彼女が何を言っているのか理解できませんでした。ジャコブとモノーのオペロン仮説よりも前、ワトソンとクリックの二重らせんよりも前だったので、当時としては想像もできないようなお話だったようです。DNAの一部が遺伝子の活動を制御するなどと言う概念すらなかった時代だったということもありますが、当時は遺伝学者の興味がファージや大腸菌に大きく傾いていた時代だったので、トウモロコシの話題などみんなあまり興味がなかったということもあるのでしょう。

その後も分子生物学的な裏付けがなかったので、「動く遺伝子(トランスポゾン)」はなかなか業界で認められませんでしたが、1982年にスプラドリングとルビン(図7)がショウジョウバエにPエレメントが存在することを証明し(8、9)、ついに1983年にフェドロフ(図7)がトウモロコシのAcとDsの分子的実体とその動きを解明した(10)ことで、間髪を入れずマクリントックはノーベル生理学医学賞を授けられることになりました。

授賞時マクリントックは80才を越えていましたが、メンデルと違って生きているうちにきちんと再評価されたのはよかったと思います。ただ私の意見としては、ニーナ・フェドロフと共に授賞すべきだったのではないか、そのほうがマクリントックも嬉しかったのではないかと思いますね。天才だけでなく、実験的証明を行った人々についても、きちんと評価されて然るべきです。


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現在ではトランスポゾンは細菌からヒトに至るまでユニバーサルに存在することが知られていますし、種類も様々です。少し長くなりそうなので、続きは次回に述べることにします。


参照

1) B. McClintock.,  Chromosome Morphology in Zea mays. Science 69: 629 (1929)
http://science.sciencemag.org/content/69/1798/629.long

2)Creighton, H., and McClintock, B. 1931 A correlation of cytological and genetical crossing-over in Zea mays. PNAS vol. 17: pp. 492–497 (1931)
http://www.esp.org/foundations/genetics/classical/holdings/m/hc-bm-31.pdf

3)Ray Spangenberg  and  Diane Kit Moser  著,  大坪 久子 (翻訳)  「ノーベル賞学者バーバラ・マクリントックの生涯 動く遺伝子の発見」  養賢堂 2016年刊

4)B. McClintock., A correlation of ring-shaped chromosomes with variegation in zea mays., Natl. Acad. Sci. USA, vol.18, no.12, pp. 677-681 (1932)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC1076312/pdf/pnas01740-0003.pdf

5)Lillian V. Morgan., Correlation between shape and behavior of archromosome., Proc. Natl. Acad. Sci. USA, vol. 12., pp.180-181 (1926)
http://www.pnas.org/content/12/3/180

6)Famous scientists. Barbara McClintock.,
https://www.famousscientists.org/barbara-mcclintock/

7)Barbara McClintock, The origin and behavior of mutable loci in maize., Proc. Natl. Acad. Sci. USA vol. 36,  pp. 344-355 (1950)

8)Spradling AC, Rubin GM,  "Transposition of cloned P elements into Drosophila germ line chromosomes". Science. vol. 218 (4570): pp. 341–347. (1982)
Bibcode:1982Sci...218..341S. PMID 6289435. doi:10.1126/science.6289435.

9)Rubin GM, Spradling AC, "Genetic transformation of Drosophila with transposable element vectors". Science. vol. 218 (4570): pp. 348–353. (1982)
Bibcode:1982Sci...218..348R. PMID 6289436. doi:10.1126/science.6289436.

10)N. Fedoroff, S. Wessler, and M. Shure, Isolation of the transposable maize controlling elements Ac and Ds., Cell vol. 35, pp. 235-242 (1983)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/6313225

 

 

 

 

 

 

 

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2017年9月 8日 (金)

生物学茶話@渋めのダージリンはいかが86: PCR

PCRとはポリメラーゼ・チェイン・リアクションの略称で、「科捜研の女」などでもお馴染みですが、痕跡的なDNAを大量に増やす方法です。本題に入る前に、少し歴史的経緯をみてみましょう。

ところで一般には大腸菌くらい簡単に培養できるのだろうと思われがちですが、昭和時代にはそういうわけにはいきませんでした。私が学生時代、同じ建物に微生物学教室がありましたが、そこには宇宙船のハッチのようなものがあって、中に入ると数人が作業できるような部屋があり、各種実験器具、培地、シャーレ、Lブロス、ピペットなどが大量に積み重ねられていました。これは高温高圧で滅菌作業をするボイラー室でした。

空気中には雑菌が浮遊しているので、これらを芽胞を含めて完全に死滅させるには高温高圧(たとえば121℃、20分)で処理しなければいけません。そのためにはボイラー室を用意して、資格を持った技術員を雇用しなければなりません(1)。実験は普通の実験台ではできず、クリーンベンチという、外から雑菌が流入しないよう空気の流れをコントロールした、巨大な無菌ボックスの中に手を突っ込んで行わなければなりません。現在では実験器具はすでに企業で滅菌した使い捨て製品を買って使う場合が多く、このてのプラスチック製品は使った後棄てるだけなので、よほど特殊な実験でなければボイラー室を使うことはなく、廊下の隅にでも置けるようなオートクレーヴ装置(高圧蒸気滅菌)で事足ります(2)。ただしクリーンベンチで仕事をしなければいけないことに変わりはありません。

ですから当時の生命科学研究者にとって、大腸菌にプラスミドを入れて遺伝子を増幅させるという作業は、大がかりな設備が整った微生物学の研究室以外ではじめるには大きな壁がありました。増幅させたいのはDNAという化学物質なので、なんとか細菌を使わず酵素を使ってやりたいと思うのは当然です。そこに登場したのがマリス(図1、Kary Banks Mullis)でした。

マリスはカリフォルニア大学バークレイ校で学位を取った後、カンザス大学の小児心臓病研究室のポストドクになり(1972年)、1975年までに2度離婚して仕事も辞めバークレーに舞い戻りました。バークレーでは最初の妻が経営するコーヒーショップで店長をやっていたそうです(3)。そんなある日、バークレー校時代の友人であるトーマス・ホワイト(図1)と再会し、ホワイトの紹介でカリフォルニア大学サンフランシスコ校のポストドクになり、脳研究をはじめました。しかしそこも結局すぐにやめてしまい、困ったホワイトは自分が幹部社員であるシ-タス社に、技術員としてもぐりこませることにしました(3、4)。持つべきものは友です。

 

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マリスは著しく協調性を欠く性格で、会社でまわりと衝突をくりかえすやっかいものでしたが、ホワイトはあえてDNA合成室長に抜擢しました。ここでマリスはDNA合成自動化装置の製品化で貢献して、ようやく会社での自分の立場を確立しました。そうして1983年、有名な出来事が起こります。文献4の記述を引用します。

In 1983, while driving along the Pacific Coast Highway 128 of California in his Honda Civic from San Francisco to his home in La Jolla, California, USA, Kary Mullis was thinking about a simple method of determining a specific nucleotide from along a stretch of DNA. He then, like many great scientists, claimed having a sudden flash of inspirational vision. He had conceived a way to start and stop DNA polymerase action and repeating numerously, a way of exponentially amplifying a DNA sequence in a test tube(4).

ドライブ中に突然あるアイデアが浮かんだというわけです。それはPCR(ポリメラーゼ・チェイン・リアクション)法の根幹となるすばらしいアイデアだったのですが、マリスは相変わらず喧嘩をくりかえし、アイデアが採用されるどころか「早くクビにしろ」という多くの研究員からの要請がホワイトのもとに届く有様でした。

ホワイトはそのアイデアを評価しましたが、実験が下手くそな上に室員との折り合いも最悪なマリスにまかせておいてはどうにもならないと考え、マリスを棚上げして、彼のアイデアを実現するプロジェクトを別の研究室で立ち上げました。そうしてからはランディ・サイキとスティーヴン・シャーフという優秀な研究者達が中心となって、順調に仕事は完成しました。

論文のファースト・オーサーはマリスで、マリスがまとめる予定だったのですが、さっぱり論文を書かないので、結局1985年にサイキ(5)、1986年にシャーフ(6)が論文を書くことになりました。マリスがやっとこさ論文を書いたのはオリジナルペーパーというより実験技術の本で、1987年になってしましました(7)。そこまで待っていたらシータス社は特許をとれなかったでしょう。それでもマリスは1993年にノーベル化学賞を単独で受賞しました。

ここでPCR法の基盤となるDNAの性質を簡単に述べます。DNAの二重鎖は高温(図2では94℃)で解離し一重鎖となります。ゆっくり低温にもどすとアニーリングがおこって、再び二重鎖が形成されますが、急速に温度を下げると長いDNA鎖はアニーリングをおこしにくく、一重鎖のままとなります。ここに短いプライマーを投入すると相方の相補鎖より優先的にDNA鎖に結合することができます。

 

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そこで50℃~60℃に急冷した後、プライマーを大過剰に投入してDNAと結合させます(図3)。

 

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次に72℃に温度を上げて高分子DNAのアニーリングを阻止しながら、DNAポリメラーゼと基質を投入してDNA合成を行わせます(図4)。この温度でDNA合成を行わせるには、後述のTaqポリメラーゼという特殊な耐熱性のDNAポリメラーゼが必要です。

 

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もともと生物が出現しはじめた頃の地球は高温で、当然その頃の細菌・古細菌は好熱性だったわけです(8)。そして現在でも一部の真正細菌や多くの古細菌は温泉などの高温環境で生活しています。しかしはるか昔の地質時代とはことなり、現在は芽胞という熱に強い特殊な仮死状態で生きている生物も多く、そのような生物では酵素がすべて耐熱性とは限りません。トーマス・ブロックとハドソン・フリーズ(図5)はそんななかから、Thermus aquaticus という至適増殖温度が70℃~72℃の真正細菌を分離しました(9)。これは当時としては驚異的な高温で生育する生物でした。しかもこの温度はPCR法を実行する上で都合の良い温度でした。

アリス・チエン(図5、現アリス・チエン・チャン)は Thermus aquaticus からDNAポリメラーゼを抽出・精製し、これは後に学名の頭文字から Taqポリメラーゼと名付けられました(10)。ブロック、フリーズ、チエンらはこんな面白いめずらしいものがあるよというような感覚で研究していたと思いますが、これが20世紀でも指折りのイノベーションになるとは、全く予想していなかったでしょう。科学の進展は思わぬところからやってくるというのは、このブログでも繰り返し述べているところです。

 

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通常のDNAポリメラーゼを使ってPCR法をやろうとすると、37℃でDNA合成を行わなければならず、この間にもとの巨大分子であるDNAのアニーリングがおこるために効率が下がり、さらにまずいことに94℃に温度をあげるとDNAポリメラーゼは失活します。そうすると1サイクルごとに酵素を新たに添加することが必要で、かつだんだん効率が悪くなるわけです。こんなところが誰もPCRなどということを考えなかった理由なのでしょう。

しかしTaqポリメラーゼを使うと状況は一変します。72℃で絶好調、94℃でも失活しないので酵素の添加は不要ですし、72℃の反応では長鎖DNAのアニーリングはおこらないので、効率も落ちません。つまり温度をたとえば 96℃→56℃→72℃→96℃→56℃→72℃→ というように繰り返し変化させるだけで、魔法のようにDNAが増幅されていきます(11)。このようなことを考えると、Taqポリメラーゼの発見を差し置いて、マリスが単独でノーベル賞を受賞したことには疑問が感じられます。

図6をみていただくと2サイクル目で、目的のDNAが1本鎖だけですが(緑)生成されていることがわかります。図7の3サイクル目では8本生成される二重鎖DNAのうち、2本が目的DNAの二重鎖です(緑x2)。いったん二重鎖目的DNAが生成されると次のサイクルではその二重鎖DNAが複製されます。こうして4サイクル目には16本生成される二重鎖DNAのうち8本が目的の二重鎖DNAとなり、サイクルが進むにつれて目的DNAの純度は上がって、最終的にはそれ以外のDNAは無視できるくらいの%になります。

図6、図7をじっくりとよく眺めてください。最初は様々なDNAが合成されますが、同じことを繰り返しているうちに目的のDNAが自動的にメインになっていく。そう、まるで魔法のようなギミックに茫然とします。

 

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先輩からはこのPCRの作業をやるために、何時間トイレを我慢したというような話を聞かされました。3つのウォーターバスを用意して、それぞれ96℃、56℃、72℃に設定し、やることと言えば、時間が来ると試験管をあっちからこっちのバス移動させるだけの作業を延々と繰り返すだけなのです。お疲れ様。

しかし当然2~3年もすれば自動的に移動させる装置が発売され(図8A)、さらに同じ試験管の液体を極めて短い時間で温度変化させる新機軸の開発もあって、やがて水槽は不要となり、極めて小型の装置で作業を行えるようになりました(図8B)。現在では生成したDNAをモニターできるような光学系を装備したリアルタイムPCR装置が主流となっています(図8C)。

 

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PCRが普及することによって、バイオテクノロジーの研究室や工場のみならず、科学捜査や感染微生物の同定など社会の様々な場面で、この技術が利用されるようになりました。本物のジュラシック・パークも開園できるかもしれません。

ひとつ気をつけなければならないのは、もとのサンプルに微量のDNAが混在していた場合、それも増幅されてしまうということです。生成物を電気泳動法などで解析すれば、何種類のDNAが生成されたかわかります。エラーで実験失敗程度なら笑えますが、科学捜査の失敗や、思わぬ病原遺伝子の増幅などということがおこればしゃれになりません。

 

参照

1)https://www.sat-co.info/boiler-engineer

2)http://www.zetadental.jp/category-1888-b0-%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%88%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%96.html?_ad=1&gclid=EAIaIQobChMIx5K-37OK1gIVywcqCh11wg9bEAAYASAAEgKsi_D_BwE

3)野島博著 「分子生物学の軌跡」 化学同人 (2007)

4)Ma Hongbao, Development Application of Polymerase Chain Reaction (PCR), The Journal of American Science vol. 1, no. 3, pp.1-47 (2005)

5)Randall K. Saiki, Stephen Scharf, Fred Faloona, Kary B. Mullis, Glenn T. Horn, Henry A. Erlich, Norman Arnheim. "Enzymatic Amplification of β-globin Genomic Sequences and Restriction Site Analysis for Diagnosis of Sickle Cell Anemia" Science vol. 230 pp. 1350-1354 (1985).
http://www.sciencemag.org/site/feature/data/genomes/230-4732-1350.pdf

6)SJ Scharf, GT Horn, HA Erlich "Direct Cloning and Sequence Analysis of Enzymatically Amplified Genomic Sequences" Science vol. 233, pp.1076-1078 (1986).

7)Mullis KB and Faloona FA  "Specific Synthesis of DNA in vitro via a Polymerase-Catalyzed Chain Reaction."  Methods in Enzymology vol. 155(F) pp. 335-350 (1987).

8)https://morph.way-nifty.com/lecture/2016/09/post-1be1.html

9)Brock, Thomas D.; Hudson Freeze (August 1969). "Thermus aquaticus gen. n. and sp. n., a nonsporulating extreme thermophile". Journal of Bacteriology. American Society for Microbiology. 98 (1): 289–297. PMC 249935 Freely accessible. PMID 5781580.

10)A Chien, D B Edgar, and J M Trela., Deoxyribonucleic acid polymerase from the extreme thermophile Thermus aquaticus. J Bacteriol. 1976 Sep; 127(3): 1550–1557.
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC232952/

11)RK Saiki, DH Gelfand, S Stoffel, SJ Scharf, R Higuchi, GT Horn, KB Mullis, HA Erlich.,  Primer-directed enzymatic amplification of DNA with a thermostable DNA polymerase.,  Science  29 Jan 1988: Vol. 239, Issue 4839, pp. 487-491DOI: 10.1126/science.2448875

 

 

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2017年9月 2日 (土)

生物学茶話@渋めのダージリンはいかが85: ベクター

ベクターというのはラテン語で運搬者という意味だそうです。分子生物学では主に遺伝子の運搬者という意味で使います。

これまでの話で明らかなように、制限酵素で切断したDNAは断点の周辺に相補的な構造ができるので、別々のソースから得た2本鎖DNAを同じ制限酵素で切った場合に、別々のDNAであっても自在に接続できることがわかりました。ここですぐに思いつくのは遺伝子を細胞に導入したいということです。それによって人工的な「進化」が可能になります。ところがDNAは簡単には細胞に入り込めません。これは当たり前で、DNAがどんどん細胞に入ってくればさまざまなタンパク質が野放図に合成される可能性があり、代謝のバランスが崩壊して生命を維持することができなくなると思われますし、例え崩壊しなくても種という概念が成立せず、生物のあり方が地球上の生物とは全く異なることになるからです。

ひとつの遺伝子を細胞に導入するということは、未知遺伝子の機能をさぐるのはもちろん、「ある遺伝子を欠損した細胞に、もとのあるべき遺伝子を導入すると失われた機能が回復する」ということがわかれば、その遺伝子の機能を確認できるという目的も果たせますし、生物に新しい機能を付加するとか、細菌に有用なタンパク質を合成させるとか、遺伝子治療を行なうとかの野心的な目標も当然めざしたいわけです。

そこでスタンレー・コーエン、ポール・バーグ、ハーバート・ボイヤーらが目を付けたのがプラスミドというDNAです(図1)。これは生物が本来持っているゲノム以外に、独立に増殖する機能を持って住み着いているDNAで、原核生物には一般的に存在するものですが、酵母にも存在することが知られています。プラスミドは宿を借りているといっても、寄生虫のようなわるさはしませんし、むしろホストにとって有用な役割を果たしています。ですからホストによってそのDNAはメチル化されて保護されており、ファージのように分解されることがありません。この意味では真核生物における共生に近い関係だと思われます。

 

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例えばコリシンというプラスミドはホストには無害で他の細菌を殺す物質の遺伝子ですし、R因子プラスミドは薬剤抵抗性をホストに付与します。F因子プラスミドは線毛を作り出す遺伝子を持っており、線毛でF因子をもたない細菌をひきよせて接合状態をつくり、複製したF因子や他のプラスミドを送り込むことができます(図1)。接合は線毛が作られなくてもおこり、R因子なども複数の方法で他の細胞に送り込むことができます。F因子が細菌本体のゲノムに組み込まれるとゲノム自体が他の細胞に送り込まれることもあるので、これが細菌の有性生殖だとも言えますが、これは性をどのように定義するかによって考え方が変わります(1)。

ベクターに送り込みたい遺伝子を含むDNAを、その遺伝子の両側で制限酵素 EcoRI を使って切断すると、図2のように AATT---TTAA フラグメントができます。同じ酵素でベクターとして用いるプラスミドを切断して---TTAA  AATT---という断端を作成すれば、そこにアニーリングによってフラグメントを挿入することができます。

アニーリングというのは、もともと二重鎖を構成していたDNAが100°Cで変性して一重鎖になったとしても、60°Cくらいの温度を保つことによって、相補的な配列が水素結合をつくってもとの二重鎖にもどるという現象です。相補的付着末端一本鎖を持つ二本鎖DNA同士も、条件を最適化すれば同じメカニズムで付着末端同士で結合して、結果的に環状DNAをつくり、最後にDNAリガーゼで3’OHと5’Pをつないであげると、切れ目のない新しい環状二重鎖DNAを形成することができます(図2)。

この方法で、遺伝子をプラスミドに組み込むことができます。プラスミドは独自に複製を行うための複製開始点領域を持っていますが、それ以外に抗生物質耐性のゲノムを持たせておきます。こうするとプラスミドを増やしたときにその抗生物質の存在下で細菌を培養すると、抗生物質耐性の遺伝子を持つプラスミドを取り込んだ細菌だけが抗生物質の影響を受けずに増殖するので、プラスミドを取り込んだ細菌を見つけやすくなります。図2ではテトラサイクリン耐性のプラスミドが用いられています。

 

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初期の組み換え実験に頻繁に用いられたベクターは、図3のようなものです。pBR322と名付けられましたが、pはプラスミド、BRは写真のボイヤーの研究室で働いていたポストドクの Bolivar と Rodriguez の頭文字をとったものです。さまざまな制限酵素でそれぞれ1ヶ所で切断されるように設計されています。抗生物質耐性領域に断点があると、そこが切断された場合耐性が失われるので、2ヶ所に抗生物質耐性領域があります。図3の場合アンピシリン(amp)とテトラサイクリン(tet)に耐性の領域左右にがあります。Eco RI または Nde I を用いた場合には、断点がこれらの領域の外なので、両方の抗生物質耐性領域が生きていることになります。

 

 

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遺伝子操作においては、しばしばDNAリガーゼという言葉が登場します。この酵素についてはこのブログでも何度か取り上げていますが(4、5)、基本的に図4Aの様に付着末端どうしがくっついた状態で、最終的に3’OHと5’Pを結合させて断点のないDNAを完成させる役割をもっています。図4Bのような平滑末端同士を結合させるのは苦手です。ところがヴィットリオ・スガラメッラ(6、図4)らは、T4ファージのDNAリガーゼはある条件で平滑末端を結合させることを発見したのです(7、図4B)。

 

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細胞内では、しばしばDNAの損傷や修復、ウィルスによるDNA合成などに伴って、不要なDNA断片が発生します。これらはすみやかにDNA分解酵素で分解してしまわなければいけません。このような浮遊するジャンクDNAを、非特異的に結合して巨大DNAにしてしまうような酵素はあってはならないものです。実際に細菌や真核生物はこのような酵素を保持しませんが、ファージの中になぜかこのような酵素を持つ者がいたわけです。平滑末端同士を結合できる酵素がみつかったことは、遺伝子組み換えの作業には福音でした。

例えば図5のように Eco RI による切断部位を1ヶ所持つ短い鎖長のリンカーDNA(青灰色)を作成しておき、この断片を研究したいDNA(黄緑色)の両端にT4リガーゼで接続して、その後 Eco RI で切断し、同様に Eco RI で切断したベクターとくっつけると組み換えDNAが完成します(図5)。こうして作成された環状組み換えDNAは、基本的にプラスミドと同じなので、大腸菌に挿入して大腸菌を培養すると、自然にベクターも倍々ゲームで増殖し、したがって目的のDNAを爆発的に増やすことができます。

 

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もうひとつ、奇妙な酵素について言及しなければなりません。それはターミナルヌクレオチジルトランスフェラーゼ(terminal deoxynucleotidyl transferase)という酵素で、名前が長いのでよく TdT という略称が使われます。この酵素は鋳型(テンプレート)非依存的にDNAを3’OHから延長するというユニークな機能を持っています。図6に示したように、1本鎖または2本鎖でも3’OHが突出したDNAを延長するのが得意ですが(活性大 図6)、平滑末端を持つ2本鎖の末端3’OHからの延長も可能です(活性中)。5’Pが突出した2本鎖DNAの3’OHから延長するのは得意ではありませんが、不可能ではないようです(活性小)。

この酵素はAGCTをランダムに付加していくので、DNAを合成することはできても複製することはできません。しかし実験室では基質としてdATPだけを与えることもできるので、こうするとTdTはAAAAAnのように、DNAの末端にホモポリマーを付加していくような形での反応を行わせることができます(図6)。そもそもなぜこんな奇妙な酵素が存在するのかということですが、哺乳類では抗体やT細胞抗原受容体の多様性を確保するために重要な役割を果たしているようです(8)。本来役に立たないはずの、障害を持った酵素が思わぬ用途で使われる・・・・・まさしく進化は「ケガの功名」を積み上げたものであることを教えてくれる酵素です。

 

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ポリAとポリTなど相補的ホモポリマーの親和性は高いので、これを利用して図7のように組み換えDNAをつくることができます。両端が平滑のDNAにまずポリAを結合させ、ベクターにはポリTを結合させてアニールすると、組み換えDNAが作成できます。ただAおよびTの数は同じにできないので、あとで調整が必要になります。予め塩基数が決まったホモポリマーを用意して、T4リガーゼで結合しても同様な実験ができます。制限酵素による切断部位からポリAとポリTを延ばすようにすれば、あとで制限酵素によって目的部位を切り出すこともできます。

 

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ここまで述べてきた組み換えDNA作成技術の前提となる大腸菌にファージやプラスミドを導入する技術は、1970年にハワイ大学のモートン・マンデルと比嘉昭子によって開発されました。彼らは制限能(免疫能)のない大腸菌を、低温下で塩化カルシウム処理すると、外界のDNA断片を菌体内に取り込ませることができることを証明しました(9、10、図8)。

外界DNAを取り込めるようになった細胞をコンピテントセルといいます。コンピテントセルに組み換え型プラスミドを取り込ませ培養すれば増殖させることができます。取り込まなかった細胞を排除するには、たとえばアンピシリン耐性の遺伝子を持つプラスミドを取り込ませた場合、アンピシリンを培地に入れるとプラスミドを取り込まなかった細胞は死滅するので、取り込んだ細胞を選択することができます。

 

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モートン・マンデルと比嘉昭子の写真は、ウェブサイトを探しましたが残念ながらみつかりませんでした。彼らが先鞭を付けたトランスフェクション(遺伝子導入)の技術は現在にもひきつがれ、さらに哺乳動物細胞や個体への遺伝子導入の方法が盛んに研究されています。

プラスミドを使わずバクテリオファージやウィルスを用いた遺伝子導入の手法があります(11)。ラムダファージが最も有名です。ラムダファージのDNAはファージの殻の中では線状なのですが、両端にCOSという相補的な部位があり、大腸菌に感染すると環状化します(図9)。このDNAをベクター(コスミドベクター)として使いやすいように改変して使用します。

 

プラスミドと比べてファージ(ウィルス)ペクターの欠点は、ファージ(ウィルス)の殻の中は狭いので、長いDNAを組み込むとはいりきらなくなることです。このため増殖に必要がないファージの遺伝子の一部を切り取って短いベクターをつくり、ある程度長めの遺伝子でも組み込めるようにします(図9)。ファージ(ウィルス)ベクターの利点は、トランスフェクションで苦労しなくても自動的にホストの細胞に侵入してくれることです。

 

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哺乳動物細胞への遺伝子導入については、未知遺伝子なら導入した遺伝子を発現させて機能を研究する、遺伝子発現を制御する機構について研究する、実験動物に変異遺伝子を発現させて遺伝病を発症させる、遺伝病の動物に正常遺伝子などを移入して治療するなどの研究が行われています。

遺伝子導入の方法はいろいろあって、タカラバイオのサイトから図10にコピペしておきます(12)。いろいろあるといっても、それは試験管の中での実験についての話であって、患者の遺伝子治療に使えそうなのは今のところウィルスベクターを使う方法しかありません。

 

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ウィルスの場合、ウィルスの中に目的の遺伝子を入れさえすれば感染によって自動的に細胞にはいるので、遺伝子移入は容易なのですが、問題は安全性です。ウィルスもどきが体内で増殖したり、炎症を引き起こしたり、遺伝子発現に影響を与えて病気になるのではお話になりません。実際1990年代にはすぐにでも臨床に使えるような雰囲気でしたが、どうなったかというと、1999年にペンシルベニア大学で治療中の患者で、注入したアデノウィルスベクターによって全身性の炎症反応がおきて、患者が死亡するという事故が発生し(ゲルジンジャー事件)、さらに2002年にはフランスで2名の患者が白血病を発症するなどの問題がおきて(13)、一気に研究は停滞しました。フランスの事故の場合、レトロウィルスベクターが癌遺伝子の上流に導入されたために、癌遺伝子が活性化して発病したようです(14)。医師・研究者が前のめりになりすぎた結果だと思います。

とはいえ、最近再び遺伝子治療(疾病の治療を目的として遺伝子または遺伝子を導入した細胞を人の体内に投与すること)の機運が盛り上がっており、2018年には遺伝子治療薬がはじめて認可されるようです(15)。まあ過大な期待はしないで見守りましょう(16)。


参考

1)プラスミドってなに? 
http://www.seibutsushi.net/blog/2008/07/513.html

2)Bolivar F, Rodriguez RL, Betlach MC, Boyer HW (1977). "Construction and characterization of new cloning vehicles. I. Ampicillin-resistant derivatives of the plasmid pMB9". Gene. 2 (2): 75–93. PMID 344136. doi:10.1016/0378-1119(77)90074-9.

3)Bolivar F, Rodriguez RL, Greene PJ, Betlach MC, Heyneker HL, Boyer HW, Crosa JH, Falkow S (1977). "Construction and characterization of new cloning vehicles. II. A multipurpose cloning system". Gene. 2 (2): 95–113. PMID 344137. doi:10.1016/0378-1119(77)90000-2.

4)ワイス博士の不遇 
http://app.cocolog-nifty.com/t/app/weblog/post?__mode=edit_entry&id=17207703&blog_id=203765

5)岡崎フラグメント
http://app.cocolog-nifty.com/t/app/weblog/post?__mode=edit_entry&id=86368774&blog_id=203765

6)Vittorio Sgaramella
http://www.scienzainrete.it/documenti/autori/vittorio-sgaramella

7)Sgaramella V, Van de Sande JH, Khorana HG., Studies on polynucleotides, C. A novel joining reaction catalyzed by the T4-polynucleotide ligase. Proc Natl Acad Sci U S A. 1970 Nov;67(3):1468-75. (1970)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/5274471

8)Edward A. Motea and Anthony J. Berdis, Terminal Deoxynucleotidyl Transferase: The Story of a Misguided DNA Polymerase.,  Biochim Biophys Acta. vol.1804(5):  pp. 1151–1166. (2010)  doi:  10.1016/j.bbapap.2009.06.030
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC2846215/

9)Mandel, M. and Higa, A. (1970). “Calcium-dependent bacteriophage DNA infection”. Journal of Molecular Biology 53 (1): 159-162. PMID 4922220.
http://www.sciencedirect.com/science/article/pii/0022283670900513

10)Akiko Higa,  Morton Mandel, Factors Influencing Competence of Escherichia coli for Lambda-Phage Deoxyribonucleic Acid Infection., Japanese Journal of Microbiology, Vol. 16, No. 4,  pp. 251-257 (1972)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/mandi1957/16/4/16_4_251/_article/-char/ja/

11)R. W. オールド、S.B. プリムローズ著 「遺伝子操作の原理」第5版 倍風館 (2000)

12)タカラバイオ 遺伝子導入実験ハンドブック
http://catalog.takara-bio.co.jp/PDFS/transgenesis_experiment.pdf

13)小澤敬也 遺伝子治療テクノロジーの開発とその応用 ウィルス vol.54, no.1, pp. 49-57 (2004)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsv/54/1/54_1_49/_pdf

14)島田隆 日本の遺伝子治療の課題 (2013)
http://www.mhlw.go.jp/file.jsp?id=146735&name=2r98520000033pt6.pdf

15)市場調査レポート 2017年版 遺伝子治療薬の将来展望 Seed Planning
http://store.seedplanning.co.jp/item/9516.html

16)CAR-T療法 リンパ球バンク株式会社 (2016)
https://www.lymphocyte-bank.co.jp/blog/medicine/%EF%BD%83%EF%BD%81%EF%BD%92%EF%BC%8D%EF%BD%94%E7%99%82%E6%B3%95/

 

 

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