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2016年9月29日 (木)

生物学茶話@渋めのダージリンはいかが31: 古第三紀以降の生物2 サル

サル目の別称に霊長目という呼び方がありますが。これはサルを生物の頂点と考える思想が根幹にあると思われるので、ダーウィン以降の生物学者にとっては不本意な命名でしょう。つまり今生きている生物はすべて、生命の起源から命を連綿と受け継いでいる者達で、すべて同じ長さの歴史を持っているという意味ではそれぞれ同一線上にあるという見方にたつと、霊長という名は排除すべきなのでしょう。というわけで、ここではサル目という呼称を採用します。まずサル目の進化についての分岐図(図1)を示します。

 

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DNAの解析などからサル目の生物は白亜紀から存在したとされていますが(図1および文献1)、実際にサルと非常に近いとされるプルガトリウス(図2、ウィキペディアより)という生物の化石が、6600万年前の白亜紀地層から発見されています。プルガトリウスは体長10cmくらいの一見トガリネズミのような生物ですが、歯の種類と配列(上下顎骨それぞれに6本の門歯、2本の犬歯、8本の小臼歯、6本の大臼歯 = 全部で44本の歯)がサルと同じなので、サル目の始祖と考えられています(2)。

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また5500万年前の地層からは、メガネザルと極めて近いサルの化石が発見されています(3、4)。この生物はオマキザル上科に属するマーモセットの特徴も兼ね備えていることから、メガネザルのグループと、ヒトなどのグループ(オマキザル・オナガザル・テナガザル・ヒト)の分岐点に位置する生物と考えられます(図1参照)。

さて図1をみると、サルはもっともおおざっぱに分けるとヒト・メガネザル系とキツネザル・ロリス系に分かれます。キツネザル・ロリス系の共通祖先は白亜紀に他のサルと分岐したと考えられています。彼らの共通祖先として、化石生物であるアダピ形類(5)が知られています。キツネザル・ロリス系のグループを曲鼻猿類と呼称することもあります。曲鼻とは鼻腔が屈曲して鼻孔が左右に離れて外側を向いていることを意味します。

キツネザルは現在マダガスカル島にしか住んでいませんが、ロリスは世界各地に分布しています。ワオキツネザルの写真を貼っておきます(図3 市川動物園で撮影)。ワオキツネザルの顔をみていると、プルガトリウスがサルからかけはなれているとも言えないような気がしてきます。

アイアイも曲鼻猿類のひとつでマダガスカル島の特産です。絶滅が危惧されていますが上野動物園の小獣館で見ることができます。完全空調でライトコントロールもされていてかなり元気です。ただし非常に暗いところで飼育されているので、写真撮影は困難です。キツネザルは競合種や天敵が少ないことから大繁栄していたようですが、人間が上陸してからは地上から追い払われ、絶滅が危惧される状態にまで追い詰められました。

 

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曲鼻猿類は私たちがイメージする「猿」とはやや異なる風貌をしていて、最近まで猿とはされていなかったものも含まれています。また以前はメガネザルもキツネザルやロリスのグループに入れられていましたが、最近の分子生物学的研究の成果によって、オマキザルやヒトなど真猿類に近いことが明らかになりました。

メガネザル類と私たち真猿類を合わせて直鼻類と呼称します。直鼻とは鼻腔がまっすぐで鼻孔が左右そろって前方ないし下方を向いているという意味です。曲鼻猿類・直鼻猿類ともに、分類学上は亜目ということになります。

フィリピンメガネザル(図4 ウィキペディアより)は体長わずか12cm程度の世界最小の猿です。「スターウォーズ」に出てくるヨーダのモデルといわれています。手の指が妙に人間ぽい感じです。古第三紀にはいってすぐという非常に古い時代(約6000万年前)に他の直鼻猿類と分岐したので(図1)、風貌はむしろ曲鼻猿類に似ています。夜行性です。

絶滅危惧種ですが、セブ島近郊のボホール島で観光名物にされていて、ツァーもあるようです。好ましいとはいえないかもしれませんが、それで得たお金で保護されているというので致し方ありません。

 

Photo_4再び図1をみますと、4000万年前を少し過ぎたあたりでオマキザル上科が分岐しています。新世界猿とも呼ばれるグループで、主に南米に分布します。サキ(図5 シロガオサキ フリーフォトサイト「足なり」より)、クモザル、オマキザルなどがこのグループに所属します。

オマキザル科には、マーモセット、タマリン、オマキザル、リスザルなどが所属します。特にオマキザル属のサルは、チンパンジーにも匹敵するくらい知能が高いと考えられています。道具を使ったり、絵を描いたりすることもできるそうです(6)。

ナキガオオマキザル(7)は、5才の少女(マリーナ・チャップマン)を仲間の一員として迎え、彼女に教育をほどこして共同生活をしていた記録があります(8)。この本は私も購入して読みました。かなり感動して感想文をアップしました。興味のある方は一読していただけるとうれしいです(8)

 

 

 

 

 

 

 

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オマキザル上科と対照的にオナガザル上科のサルはアジア・アフリカに分布していて、旧世界猿とも呼ばれます。おなじみのニホンザル(図6)もオナガザルのグループに所属しています。尻尾が短いじゃないかといわれるかもしれませんが、それは彼らが北限の猿と言われているように寒い地域で生活するうちに適応したと思われます。長くてあまり使わない尻尾はしもやけになってしまうかもしれません。

オナガザルはニホンザル・マンドリル・マントヒヒなどオナガザル亜科のグループと、テングザル・キンシコウ・コロブスなどのコロブス亜科に分かれています。オナガザル上科とヒト上科(ヒト科とテナガザル科)が分岐したのが、2600万年前あたりとされています。

 

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最後に残ったヒト上科はテナガザル科とヒト科からなっています。ヒト上科に属するサルを類人猿と呼ぶこともあります。テナガザル科とヒト科が分岐したのは2000万年前あたりとされています(9)。テナガザルは東南アジアに棲息する樹上性・昼行性のサルで、上野動物園などで見ることができますが、野生のものは絶滅危惧種が多い状態となっています。

ヒト科の現存生物はオランウータン・ゴリラ・チンパンジー・ボノボ・ヒトです。これらの系統分岐図を図7に示します。

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オランウータンは他のヒト科グループと1300万年前くらいに分岐しました。オランウータン属はアジアに棲息するわずか2種(ボルネオオランウータンとスマトラオランウータン)からなります。ゴリラやチンパンジーと違って、手でこぶしを作って歩くナックルウォークをしません。樹上生活者ですが、地上を歩くこともあり、その時には指の腹側を地面に接触させて歩きます。

市川動物園でオランウータンの母子を観察したことがありますが、子供が段ボールをちぎって頭に乗せるという遊びを、じっと楽しむように見つめている母親が印象的でした(図8)。母子はずっと一緒にいて、とても親密な感じです(図9)。

 

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ゴリラはヒト・チンパンジーのグループと700万年前くらいに分岐し、現在はアフリカに子孫を残しています。以前は1種だけだと考えられていましたが、(西ローランドゴリラ+クロスリバーゴリラ)ともうひとつのグループ(東ローランドゴリラ+マウンテンゴリラ)の遺伝的差違が大きいことから2種となっているようです(ウィキペディア、10)。ゴリラは地上に降りたサルで、しかも昼行性です。地上に降りた以上、猛獣に襲われることもあり得るわけで、実際ヒョウに食べられたという例も報告されています。

チンパンジーもアフリカのみに棲息する生物で、1属2種(チンパンジーとボノボ)です。チンパンジーは樹上生活者で昼行性ですが、ボノボはかなり地上でも活動するようです。チンパンジーがヒトから分岐したのは、ミトコンドリアDNAの全塩基配列解析から487万年前±23万年とされています(11)。言い換えれば、このときから、ヒトという属あるいは種の歴史が始まったとも言えます。600-700万年前に生きていたとされるサヘラントロプス(トゥーマイ)は、年代から言ってヒト属ではありません。むしろヒトとチンパンジーの共通祖先かもしれません。

ボノボは非常に高い知性をもっており、ヒトと最も近い生物だと言えるでしょう。何しろパックマンでちゃんと遊べるそうですから(12)。ボノボはチンパンジーとは性行動が非常に異なるようです(13)。また争いを好まない平和的な生物だそうで、この点ではヒトよりも進化しているのかもしれません。

最近何万年かの間にヒトは大発展して、現在では環境破壊によって他のサルを絶滅に追いやっているような状況ですが、それまでの時代、ヒト科の生物はマイナーな存在だったと言えます。だいたいオランウータン・ゴリラ・チンパンジ-・ヒトすべて種の数が少なすぎます。それぞれ1属1種か2種という地味さで、これでは世界各地の様々な環境に適応して、各地で繁栄するというわけにはいかないでしょう。例えばオナガザル上科の生物の方が圧倒的に種も頭数も多くて、優位に立っていたと思われます。ヒト科の生物の骨が稀少なのは、それなりに理由があるわけです。ヒトが農業や工業を発展させて大繁栄したというのは、地球の歴史の中で非常に特殊な出来事です。

 

参照:

1) 「系統樹をさかのぼって見えてくる進化の歴史」 長谷川政美著 ベレ出版 (2014)

2) http://www.seibutsushi.net/blog/2007/04/204.html

3) http://www.cnn.co.jp/fringe/35033430.html

4) The oldest known primate skeleton and early haplorhine evolution. Xijun Ni et al., Nature 498, 60–64 (2013)

5) https://en.wikipedia.org/wiki/Adapiformes

6) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%9E%E3%82%AD%E3%82%B6%E3%83%AB%E5%B1%9E

7) https://www.youtube.com/watch?v=DFV49Ko0o3k

8) 「失われた名前 サルとともに生きた少女の真実の物語」 マリーナ・チャップマン著 宝木多万紀訳 駒草出版 (2013)
https://morph.way-nifty.com/grey/2018/09/post-2659.html

9) 「人類歴史年表」 http://www.eonet.ne.jp/~libell/sinkakeitouzu.html

10) 「ヒト科の出現 中新世におけるヒト上科の展開」 國松豊 Journal of Geography 111(6) 798-815 (2002) : https://www.jstage.jst.go.jp/article/jgeography1889/111/6/111_6_798/_pdf

11) https://www.nig.ac.jp/museum/evolution/02_c2.html

12) https://www.youtube.com/watch?v=Rh8gfIcjQNY

13) http://bbs.jinruisi.net/blog/2013/06/1147.html

 

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生物学茶話@渋めのダージリンはいかが30: 古第三紀以降の生物1 哺乳類・犬・猫

白亜紀に続く時代は古第三紀です。古第三紀は6600万年前から2300万年前までの時期です。白亜紀末におこった巨大隕石衝突による大災害で鳥類以外の恐竜は死滅し、一方で哺乳類はかなりの種が生き残りました。

哺乳類の母乳による育児や雑食性についてはすでに述べましたが、彼らが生き残った理由には、他にもペルム紀大絶滅の時と同様、穴居生活を習慣とする者がかなりいたことや、冬眠・夏眠ができる能力がある者が多かったことが決め手になったのかもしれません。また穴にもぐることと、夏眠・冬眠することとは密接に関連しています。

哺乳類や他の生物についても数千万年も経過した化石のDNAは系統進化の研究に利用できませんが、哺乳類や鳥類の場合、化石しかない絶滅生物群と違って、現在も多数の種が生きているという大きなメリットがあります。この点が古第三紀以降とそれまでの違いです。

現存生物のDNAやタンパク質を比較することによって、それらの姻戚関係の遠近が推定されますし、グループ分けも可能です。またいつそのグループが分岐したのかについても推定できます。もちろん哺乳類・鳥類以外の現存生物、魚類・昆虫・爬虫類・植物などについても同様です。

大絶滅によって鳥類以外の恐竜が絶滅したことは、生き残った哺乳類にとって望外の幸運でした。1億数千万年にわたって恐竜によって閉め出されてきた地上のニッチの大部分がフリーになったわけですから、あっという間にそれらは哺乳類、特に先進的な有胎盤類によって埋められました。樹上生活、穴居生活、夜行性などの条件付きで生きてきた哺乳類が昼間の地上を闊歩し始めたというわけです。ウィンタテリウムやピロテリウムなどの大型草食獣が草食恐竜に代わって出現しました。ネコ・イヌの祖先である肉食獣や絶滅したアンドリュウサルクスなどもいました。私たちの祖先であるサルは相変わらず樹上で生活していました。

図1の進化系統図は M.S.Springer らがまとめたものですが(1)、多くの研究者の研究成果が含まれています。普通の進化系統図と違うのは絶対時系列で分岐点が示されていることです。翻訳した上に簡略化したので、詳しい情報を得たい方は原著(1)をご覧下さい。

 

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ここでちょっと驚くのは霊長類がすでに白亜紀に棲息していて、しかもメガネザル・キツネザル系のグループと、それ以外のグループに分岐していたという点です。霊長類についての詳細は稿をあらためて述べたいと思いますが、白亜紀の終わり頃には、かなりバラエティーに富んだ哺乳類が棲息していたことが示されています。そしてその多くのグループが、白亜紀末の大絶滅を乗り越えて、現在まで命をつないでいるのです。

しかし数多い哺乳類のすべてにここで言及するのは無理なので、犬猫類(本稿)と人猿類(次稿)については少し詳しく、その他は簡潔に述べたいと思います。

図1によると犬と猫が意外に近縁の生物であることがわかります。彼らは第三紀にはいってかなり経過してから分岐しました。

では犬と猫の共通の祖先はどんな生物だったのでしょうか? その候補はミアキス・ヴルパヴス・ドルマーロキオンなどですが、生きた化石のような生物がマダガスカルにいます。それはフォッサです(図2 ウィキペディアより 以下同)。マダガスカルは白亜紀に大陸から分離して孤島になったので、当時の動物がそのままに近い形で生き残っていたとしても不思議ではありません。

 

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図2をみるとちょっと感動します。体長が60~80cmのこの動物は、容姿が犬のようでもあり、猫のようでもあります。鼻はイヌっぽい感じですね。手足が頑丈に見えます。肉食獣で、樹上に住み、夜行性だそうですが、子供は地上の穴などで育てていたようです。上野動物園で実物を見ることができます。私も1年に一度はこの動物を見るために上野動物園に行きます。絶滅危惧種なので、無事に生き延びることを祈りたいと思います。フォッサの生態についてはウェブサイト(2)に動画があります。彼らがいかに上手に樹上を移動するかがよくわかります。

白亜紀には地上はほぼ恐竜に支配されていたので、哺乳類は昼間は樹上か穴で生活し、必要なら夜に地上を徘徊してエサを探すという生活をしていたのでしょう。上野動物園の小獣館地下には、当時を想像させる小型の夜行性哺乳類が飼育されており、その薄暗がりでの素晴らしい敏捷性には驚かされます。

恐竜は基本的に2足歩行であり、4足歩行する恐竜は大型草食動物がほとんどだったため、彼らにとって樹上での生活は困難だったと思われます。鳥類は歯を失ったうえに、飛翔に最適化した軽量な体に進化したため、ある程度体重のある哺乳類なら鳥類に襲われる可能性は少なかったのでしょう。子供は授乳で育てるので、親がある程度守ることができます。ミーアキャットなど集団生活をする哺乳類は、見張りをおくこともできます。

犬と猫が分岐した後、ネコの系統の方にはニムラブス科(ネコ科と近縁ですが、同じではありません)の様々な生物が登場します。ディニクティスの図を貼っておきましょう(図3 Robert Bruce Horsfall の復元 ウィキペディアより)。ヒョウのような生物です。犬歯(牙)が長いので、サーベルタイガーのようでもあります。ニムラブスとネコは耳の構造に大きな違いがあるとされています。しかしその点と犬歯の長さを除外すれば、非常に現在のネコ科の生物と似ていると言えます。

 

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イヌと分かれたあと、最初期のネコ科の生物にはメタイルルスというピューマのような生物がいます(3)。これははやくもサーベルタイガーのような犬歯を持っており、これが進化とともにどんどん大きくなって、一般にも良く知られているスミロドンのようになったと思われます。ただしメタイルルスがスミロドンの直接の祖先とは考えられていません。ツシマヤマネコがメタイルルスの子孫だという説はあるようです。

スミロドンの犬歯はあまりにも巨大で、却って邪魔だと思いますが、これをどのように使ったのかについては議論があって、まだ定まってないそうです。私の想像では、スミロドン系のネコは中小型のすばしっこい動物を捕らえるほどの俊敏さ、またはスピードがなく、また集団で狩りをするタイプでもなかったので、比較的大型の草食獣にいどみかかるしかなかったため、犬歯が異常に発達したのではないかと思います。

スミロドンのグループは絶滅しましたが、ネコファミリーの中でもうひとつの犬歯を巨大化させなかったグループは、現在も図4のようにトラ・ライオン・ジャガー・カラカル・オセロット・家庭猫・ヤマネコ・チータ・ピューマなど多くの種が生きています。

 

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さて、では最初期のイヌはどのような生物だったのでしょうか? 土屋氏の著書(4)にしたがって紹介します。最初期のイヌを代表する生物としてヘスペロキオンが知られています(図5 Robert Bruce Horsfall の復元 ウィキペディアより)。まだイヌというよりシベット猫(5)に似ています。ヘスペロキオンは後ろ足の指が5本あり、現在の飼い犬の後肢の指は4本なので、それなりに原始的な生き物ではありました。糞の化石を調べたところ齧歯類(ネズミなど)を食べていたようで、俊敏なハンターであったことが想像できます。

 

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とりあえずイヌ科の系統図を示しておきます(図6)。ヘスペロキオンの次に出現したレプトキオンは、どちらかといえばキツネに近い生物のように思えます(6)。しかしこの生物の仲間の子孫から、キツネ・タヌキのグループとオオカミ・イヌのグループが分岐したと考えられています。

 

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オオカミ・イヌのグループの中にもキツネという名前の付いた生物がいます。クルペオキツネなどはがそうですが、彼らはキツネよりひとまわり大きな体で、DNAの研究によって、キツネ・タヌキのグループではなく、オオカミ・イヌのグループに属しているとされています(図6)。図7をみると、風貌はコヨーテ(図8)に似ている感じです。

 

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見た目からすると、コロコロした体型で泳ぎが得意なヤブイヌと、チータのように草原を快速で疾走するタテガミオオカミが近縁だというのは意外ですが、DNAはウソをつかないのでしかたありません。ヤブイヌは埼玉こども動物自然公園やよこはまズーラシア動物園で見ることができるそうです(7)。タテガミオオカミは上野動物園にいます。先日見に行ったときは、ずっと寝ていたため本領発揮の姿はみられませんでした。残念。

 

参考:

1) M.S. Springer et al. The historical biogeography of mammalia.  Phil. Trans. R. Soc. B, vol. 366, pp.2478-2502 (2011)

2) http://www.alpacapacas.com/archives/845

3) https://www.youtube.com/watch?v=M72BwXh0Si8

4) 土屋健著 「古第三紀・新第三紀・第四紀の生物」上 技術評論社 (2016)

5) https://en.wikipedia.org/wiki/Civet

6) http://dinosaurs.about.com/od/mesozoicmammals/p/Leptocyon.htm

7) http://matome.naver.jp/odai/2142294579556745401

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2016年9月28日 (水)

生物学茶話@渋めのダージリンはいかが29: 白亜紀の生物4

「白亜紀の生物」の最後に、恐竜・鳥類・哺乳類以外の生物について概観したいと思います。白亜紀の海の生物の化石は、レバノンから数多く発掘されるそうです。当時のレバノンは温暖な内海で、多くの魚類やその他の海の生物が数多く暮らしていたようです。「Memory of time」 のサイト(1,2)や本のPDF(3)に、美しい化石の写真が数多く展示されています。

魚類としてはエイの仲間の軟骨魚類、バラエティに富んだ条鰭類のほか、肉鰭類の化石も出ています。キクロバティス(図1)というエイの化石が売られていました(4)。大変珍しい9500万年前のタコの化石もみつかっています(5)。白亜紀後期の超巨大なイカとタコの化石は北海道羽幌町からも出土しています(6)。オウムガイやアンモナイトも健在。

 

1白亜紀には浅海底の珊瑚礁が奇妙な二枚貝に駆逐されるという事件がおこりました。その二枚貝は厚歯二枚貝という動物の角のような形の不思議な貝です(7)。

海洋の大型動物としては首長竜や魚竜も健在でしたが、魚竜は白亜紀の半ばで絶滅してしまいます。代わってモササウルスという海棲爬虫類が登場します(図2)。体長15m前後の巨大生物で、凶暴な肉食生物だったようです。モササウルスは恐竜ではなく、現生生物ではオオトカゲに近縁のようです。

 

 

 

 

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恐竜全盛時代にも、ワニは堂々と水辺のテリトリーを確保していたようです。ヘビはおそらく白亜紀に誕生したと考えられています(ジュラ紀の化石がない)。カメが海洋に進出したのも白亜紀のようです(8)。空には有名な巨大翼竜のプテラノドン(図3)が飛んでいましたが、翼竜は次第に鳥類にニッチを奪われていき、白亜紀末期にはごくわずかしかいなくなっていたようです。

 

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ジュラ紀末期か白亜紀初期に被子植物が登場して、地球は花が咲く惑星となりました。しかしその美しい地球に、突然の悲劇がおとずれました。それは小惑星が6550万年前にユカタン半島に激突したことにはじまります。

激突したときにできたクレーターは現在でも確認できます(9,図4)。この衝突を契機として世界各地に地層の境界が確認され。それはK-T境界と呼ばれています。衝突時のエネルギーは広島型原爆の10億倍。津波の高さは300メートルという想像を絶する規模の災害で、カンブリア紀以来では2番目の規模の生物大絶滅が発生しました(最大規模はペルム紀末の大絶滅)。

 

 

 

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ルイス・W・アルバレツらは1980年にK-T境界(白亜紀と第三紀の境界)に、地球表層にはほとんどないイリジウムが多量に含まれていることから、小惑星の衝突による「衝突の冬」説を提唱しました(9)。

衝突地点がユカタン半島だということを発見したのは、ボホールとセイツで、1990年のことでした。この説は現在多くの研究者によって認められているそうです。この衝突地点には硫黄が多く含まれた岩石があり、衝突で粉砕されて毒や酸性雨として地球全体にふりそそいだほか、エアロゾルとして太陽光を遮断しました。

この災害によって、鳥類以外の恐竜、翼竜、首長竜、モササウルス、アンモナイト、厚歯二枚貝などは地球から姿を消しました。生き残った生物がなぜ生き残ったかというのは謎です。体重25kg以上の生物は全滅したという指摘があります。エサを多量に必要とする生物が不利だということは理解できます。

多くの被子植物はこの災害で数を減らし、一時的にシダ類に取って代わられたことからも、まず植物食の生物が餓死し、そしてそれらをエサとしていた肉食獣も餓死したのでしょう。しかし体重25kg以下の生物が無事だったわけではありません。ほとんどが小型だった哺乳類も35%の種を失いました(10)。哺乳類が生き延びたのは、その雑食性と母乳で子供を育てられたことが有利だったのかもしれません。

ワニやカメは長期間エサがなくても生きられるという特技があり、これは災害時の生存には有利だったのでしょう。実際あまりダメージは受けませんでした。また昆虫はサナギの状態のものは生き延びた上に、腐った樹木や動物の遺体を食べて生き延びた者も多かったのでしょう。一部のセミのように、十数年も地中で生活するような昆虫は圧倒的に有利だったでしょう。

翼竜は絶滅したのに、鳥類が生き延びたのはなぜでしょう? しかも鳥類の中でも、孔子鳥、エナンティオルニス、ヘスペロルニス、イクチオルニスが絶滅し、現生鳥類の祖先だけが生き延びたのはなぜでしょう? これは未解決の謎です。アイデアすらわいてきません。

海では表層ほど環境が悪化したので、特にアンモナイトなど卵が海面に浮く生物は不利だったようです(8)。石灰質の殻をもつプランクトンも大打撃を受けたため、この災害を最後に石灰質が地層に蓄積されることはなくなりました。すなわち白亜紀の終了です。

 

参照:

1) http://www.memoryoftime.com/home

2) http://www.memoryoftime.com/fossils

3) こちら

4) http://www.master-fossil.jp/product/detail/FILeC-0001/

5) 「白亜紀の生物」上巻 土屋健著 技術評論社 2015年刊

6) http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1503/06/news083.html

7) http://pokesplicing24.tumblr.com/post/140671560133/ommanyte-so-whilst-the-initial-pok%C3%A9mon-sun

8) 「白亜紀の生物」下巻 土屋健著 技術評論社 2015年刊

9) Alvarez LW et al.,  Extraterrestrial cause for the cretaceous-tertiary extinction. Science. 1980 Jun 6; 208(4448):1095–1108.

10) 「生命進化の物語」 Richard Southwood 著 垂水雄二訳 八坂書房 2007年刊

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生物学茶話@渋めのダージリンはいかが28: 白亜紀の生物3

この「白亜紀の生物3」では、まず哺乳類の進化についてみてみます(図1)。哺乳類は三畳紀にサイノドンから分岐したようです。まず単孔類のような生物が生まれ、その後ジュラ紀に有袋類と有胎盤類(真獣類)が出現したと考えられています。

 

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哺乳類(哺乳形類)の化石は今のところ2億2500万年前(三畳紀後期)に生きていたアデロバシレウスが最古とされています。アデロバシレウスはサイノドンと哺乳類の中間的な生物かも知れません。アデロバシレウスやその他の三畳紀の原始的哺乳類(哺乳形類)の復元図はすでに示しました(1)。哺乳類は単系統とされているので、私たちすべての哺乳類の祖先がアデロバシレウスのような生物かもしれません。ただ三畳紀のサイノドンは、かなり哺乳類に近い顎や耳の骨を持つように進化してきていたので、いくつかの系統から哺乳類が進化してきた可能性は残されているのではないかと私は思っています。

哺乳類の遺伝子解析によれば、単孔類と有袋類・有胎盤類が分岐したのは、2億3100万~ 2億1700万年前(三畳紀中期から後期)と推定してされています(2)。これは系統図におけるアデロバシレウスの位置決めにとっては微妙です。2つの系統がわかれる前の生物だったのか、それとも後だったのかがわかりません。専門家は哺乳形類(原始的哺乳類の意味)という枠を設けて、そこにとりあえず放り込んでいます。

単孔類に属するカモノハシとハリモグラ(図2 ウィキペディアより 以下同)はいまでもオーストラリアとパプアニューギニアで生きています。彼らは尿道・生殖道・結腸の出口が共通で、この点が有袋類や有胎盤類と異なります。カモノハシは卵生で、鳥類などと同様、親が抱卵して暖めますが、ハリモグラは繁殖期にできる育児嚢のなかに卵を産み、そこで孵化するまで育てます(2)。単孔類の母親は乳首は持っていませんが、乳腺はもっており、孵化した子は母乳によって哺育します。中生代の単孔類にはよい化石がなく、復元も困難だそうです。新生代の化石からは歯を持ったカモノハシがみつかっています(3)。

 

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有袋類は現在でも多数の種類がオーストラリア、パプアニューギニア、北南米に生きています。彼らは尿道・生殖道は一体ですが、肛門が分化して結腸の出口は別になりました。また胎盤をもっていないか、胎盤が未発達なため、非常に未熟な段階で子供を産み落とし、育児嚢のなかで育てることになります。内温動物でありますが、気温により保ちうる体温が変動するなど、有胎盤類や多くの鳥類に比べ、体温調節能力は低いとされています。

有袋類の中生代の化石は稀少ですが、1億2500万年前(白亜紀前期)のシノデルフィスという生物の化石が中国でみつかっています。これはかなり良い状態で、毛皮の存在までわかる全身(全長約15cm)の化石で、オポッサムのような感じです(図3)。BBCニュースの復元図です(4)。川崎悟司氏も復元図を描いています(5)。

 

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有胎盤類は現在主流となっている哺乳類で、ヒトももちろん含まれます。有胎盤類(真獣類)で特筆されるのは、ジュラマイアという1億6000万年前の生物の化石が見つかっているという点です。現存生物のDNAを比較すると、有袋類と有胎盤類が分岐したのは1億6000万年前くらいということですので(6)、ジュラマイヤは分岐したばかりの有胎盤類といえるでしょう。ジュラマイヤはマウスくらいの大きさの生物で、樹上生活に適した前肢の構造が認められるそうです(6、7)。昼間は安全な樹上で休み、夜間に地上で昆虫を捕食するなどの活動していたのかもしれません。

ジュラマイヤよりさらに完全な化石が2013年に中国で発掘されました(8)。これはハラミヤという、やはり1億6000万年前に生きていた、現在で言えばハタネズミのような感じの生物ですが、リスのような樹上生活をしていたと考えられています。硬い木の実を食べられるような歯をもっていました。多丘歯類(あとで登場)と近縁とも言われています。この復元図(図4)は出所不明なので、問題があれば著者にお知らせいただければ削除します。

 

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同時期にやや毛色の違うカストロカウダというビーバーに似た生物も生きていました(図5)。体長約45cmで、水中で魚を補食していたと思われます。サイノドンと哺乳類の中間的な生物のようです。樹上とか河川などは恐竜があまり得意でないニッチで、われわれの祖先はそのような場所を見つけてしぶとくジュラ紀・白亜紀を生き抜いたのでしょう。


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やはり1億6000万年前の地層から、ルゴソドンという多丘歯類(齧歯類に近い)の化石もみつかっています。ラットとリスの中間的な印象ですが、雑食性の樹上生活者だったようです。くるぶしが180℃回転するという、樹上生活に適した体の構造を持っていました。この後白亜紀大絶滅も生き延びて、多丘歯類は哺乳類の中ではかなり繁栄したグループと言えます。最終的には類似した齧歯類との生存競争に敗れたと思われ、現存している種はありません。ルゴソドンについては、美しいイラストと詳しい解説が文献(9)にあります。

ジュラ紀・白亜紀に恐竜とまともにニッチを争って生きていた哺乳類は少なかったと思われますが、ゴビコノドン類(トリコノドンタ)はまさしくそのような生き方をしていたと考えられています。体長1mくらいのものもいたようで、レペノマムスは恐竜の幼体を襲って食べていた証拠もみつかっています。図6としてウィキペディアに出ていたゴビコノドンの復元図を貼っておきます。すばらしいイラストですが、耳が妙に人間的なのが気になります。


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1億2500万年前のエオマイヤの化石も美しく印象的です(図7)。全身がまるごとみられることと、明らかに体毛が化石として残っているのがすごいところです。哺乳類やサイノドンは体毛を持っていたと考えられていますが、実際に化石として残っているのは、これが今のところ最古でしょう。この生物も原始的な有胎盤類と考えられています。復元イラストは文献(10)を参照してください。ジュラマイヤが発見されるまで、この生物の化石が最古の有胎盤類でした。


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哺乳類は樹上を自分たちのニッチとして獲得したと思われるのですが、それ以外にも重要な点があります。それは彼らが夜間の行動を得意としていたことです。その名残は現在でもみられます。恐竜の末裔である鳥類は4原色の非常にカラフルな世界で生きていますが、「とり目」と言われるように多くの鳥類は夜が苦手です。一方哺乳類はほとんどの種類がモノクロに近い世界で生きていて、一部の霊長類だけが3原色の色彩世界で生きています。もともと夜行性の生物は色彩の認識は不用で、むしろ光に対する感度を高める方が重要でした(11)。

夜行性ということは、私たち哺乳類の特性と密接に結びついています。上記の目の感度上昇、耳の感度上昇、においの感度上昇、これらは脳の機能の発達と関係があります。体毛を持つ内温動物であることも、寒い夜に行動するには大きなメリットです。感覚毛(ヒゲ)の発達も、暗闇で目鼻を傷つけないため大事でしょう。

参照:

1) https://morph.way-nifty.com/grey/2016/06/post-12e9.html

2) http://www.seibutsushi.net/blog/2008/02/404.html

3) http://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/8517/

4) http://news.bbc.co.uk/2/hi/science/nature/3311911.stm

5) http://www.geocities.co.jp/NatureLand/5218/sinoderufisu.html

6) http://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/4773/?ST=m_news

7) http://blogs.scientificamerican.com/observations/jurassic-mammal-moves-back-marsupial-divergence/

8) http://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/9710/

9) http://science.sciencemag.org/content/suppl/2013/08/15/341.6147.779.DC1/Yuan-SM.pdf

10) http://www.geocities.co.jp/NatureLand/5218/eomaia.html

11) 「恐竜vsほ乳類」NHK恐竜プロジェクト著 監修:小林快次 ダイヤモンド社(2006)

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生物学茶話@渋めのダージリンはいかが27: 白亜紀の生物2

1

図1は私が中生代の生物に関する記事を書く上で、参考にした教科書(1)の表紙です。

この表紙で復元されている動物は、鳥類以外で最初に羽毛が発見された恐竜で、白亜紀前期に生きていた、体長1メートルくらいの「シノサウロプテリクス」というコエルロサウルス類の一種です。コエルロサウルスは獣脚類の1グループで、このなかから鳥類の祖先であるマニラプトルの生物群が生まれてきました。

化石に羽毛が認められたので、当初シノサウロプテリクスは鳥だと考えられ、発見された中国では「中華竜鳥」とよばれているそうです。ちなみにシノサウロプテリクスという名前は支那の竜の翼という意味です。

長い尻尾があるとか、飛ぶための羽がないとか、歯があるとか、シノサウロプテリクスは明らかに鳥類ではありませんが、それでも羽毛だけでなく、ステゴサウルス・イグアノドン・トリケラトプス・ティラノサウルス・デイノニクスなどのスター恐竜たちとは一見して異なり、恐竜と鳥のミッシングリンクが埋められたという直感的な印象はあります(ペットとして飼えるかも?)。

シノサウロプテリクスの羽毛化石が発見されたのは1996年ですが、その後続々と羽毛恐竜の化石が発見され、ついに2014年にはロシアで鳥盤目のクリンダドロメウスの羽毛化石がみつかって、恐竜において羽毛は特定の系統の生物だけが持つものではないという考え方が一般的になりました。

なぜなら鳥盤目の生物は、鳥類とは系統的に非常に離れた存在であるからです。最も原始的な羽毛はおそらく三畳紀に生まれ、ジュラ紀・白亜紀を通して、かなりの系統の生物に受け継がれ進化して、ついに飛翔の道具として使う鳥類が生まれたのでしょう。羽毛の起源や進化については私の過去記事も参照してください(2)。(2)の系統図では図2のアヴィアラエに相当するところが Paraves となっていますが、この Paraves というカテゴリーはほぼエウマニラプトラと同義と考えてよいと思います。

 

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さて図2はコエルロサウリア→マニラプトラ→エウマニラプトラと進化してきた系統が、ついに広義の鳥類であるアヴィアラエを生み出してから、現生鳥類へつながっていく系統図です。

アヴィアラエの根元に近い生物がアーケオプテリクス(始祖鳥)です(図3)。アーケオプテリクスはジュラ紀後期の地層から発見され、現在では多数の標本が発掘されています。長い尾を含めて50cmくらいの体長で、第1指が他の指と対向していないので、枝に止まるという行動は苦手で、地上を走って勢いをつけてから飛翔していたと思われます。写真で判るように羽にはまだ指があり、歯ももっていることがわかっています。

 

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アーケオプテリクスは今まで述べてきた羽毛恐竜とは異なり、羽毛を体温保持のためだけでなく、空を飛ぶために使用していたと思われます。それは彼らが現在の鳥類が持っているのと同様な羽軸に対して非対称な羽毛を持っているからです。保温のためだけなら、このような特殊な羽毛は必要ありません。アーケオプテリクスだけでなく、アヴィアラエに属する生物は一般にこの種の特殊な羽毛を持っています(2)。なぜと言われると、それを説明するには、流体力学などについての深い知識が必要なので、私にはできません。

白亜紀前期になるとコンフシウソルニス(孔子鳥)が登場します。ブリタニカが美しいイラストをのせています(3)。サイズはカラスくらいの生物で、羽にはまだかぎ爪がみられますが、歯は失っており、尾骨の萎縮もはじまっています。ブリタニカのイラストでは、第1指は他の指と対向していて木の枝に留まれそうですが、羽ばたくだけで静止位置から飛翔することはできなかった考えられています。

孔子鳥はくちばしを獲得した最も古い鳥類ですが、口からくちばしへの進化は別系統の生物で何度も繰り返し行われており(たとえば鳥盤類・カモノハシ・イルカなど)、遺伝子の変化に一定のパターンがあると思われます。くちばしから口へはもどれないようです。多分歯を形成するための遺伝子が失われるからでしょう。鳥は手を失った代償として、口をくちばしに代えて、獲物をつかまずに丸呑みし砂嚢ですりつぶすという方式にするほかなかったのでしょう。

しかし鳥類のメインストリームは孔子鳥のグループではなく、分岐したオルニソソラセス(鳥胸類)です。オルニソソラセスは2つの大きなグループ、エナンティオルニテス(エナンティオルニス、反鳥類などの呼び方もある)とオルニスラエ(真鳥類)に分岐します。エナンティオルニテスに属する鳥の復元図がウィキペディアにありましたので、貼っておきます(図4)。

 

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ジュラ紀から白亜紀に多くの種類が存在し、サイズ的にはスズメからカモメくらいのものまでいたようです。このグループは第1指が他の指と反対向きについているので、容易に木の枝に留まることができたと考えられています。また翼を完全に体にくっつけてたためるようになりました。

オルニスラエとの違いは見た目にはよくわかりませんが、ウィキペディアによると「肩甲骨と烏口骨の関節面において烏口骨側が瘤状に突出し、肩甲骨側が皿状に窪んでいることーを指している。現生の鳥類ではこの凹凸の組み合わせが逆になっている」となっています。まだ歯がある種が多かったようです。食性は多種多様だったようです。白亜紀末の大絶滅によりエナンティオルニスは絶滅し、オルニスラエは生き延びたわけですから、もっと大きな違いがあってもよさそうですが謎はつきないのです。

そして鳥類の最後にオルニスラエ(真鳥類)が登場するわけですが、図2の系統図にヘスペロルニスという名前があります。これは真鳥類なのに。まだ歯を捨てていないグループで、骨格図を示します(図5)。

Photo_4この Hesperornis regalis という種は体高が1.8メートルもある、巨大なペンギンのような生物で、白亜紀後期に生存し、主に海にもぐって魚をとっていたと考えられています。

とはいってもペンギンの祖先ではなく、白亜紀末に絶滅しました。

より現生鳥類に近いイクチオルニスは鳩くらいのサイズで、やはり白亜紀後期に生存し、アジサシのように海中にダイヴして魚を捕っていたと考えられています。イクチオルニスも歯を持っていました(図6)。イクチオルニスの子孫も現在みつかっていません。結局生き残ったのは現生鳥類のグループのみということです。

現生鳥類はすでに白亜紀に、シギ・ダチョウ・カモ・キジなどある程度分岐したグループをつくっていたようです。ならばそれらは白亜紀末大絶滅を生き残ったのに、どうしてイクチオルニスも、ヘスペロルニスも、エナンティオルニテスも、孔子鳥も絶滅してしまったのでしょう? それはまだ誰も答えられません。

 

Photo_5白亜紀を2で終わらせるつもりだったのですが、全然終わりませんでした。

まだ哺乳類について何も述べていません。稿を改めて3で述べることにします。さらにその他の生物や大絶滅について言及すると4まで膨張しそうです。

白亜紀の生物2(鳥類スペシャル)の終わりに、現生鳥類の代表として、うちにくるヒヨドリ=ジョージ2世の写真を貼っておきます。

 

 

 

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参照:

1) 「恐竜学入門-かたち・生態・絶滅-」 Fastovsky, Weishampel 著 東京化学同人 2015年刊

2) https://morph.way-nifty.com/grey/2014/04/post-fcbc.html

3) https://global.britannica.com/animal/Confuciusornis

 

 

 

 

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生物学茶話@渋めのダージリンはいかが26: 白亜紀の生物1

ジュラ紀につづく白亜紀(Cretaceous period)は1億4500万年前から6600万年前までの時代です。ジュラ紀と白亜紀の境界には絶滅などのイベントはありません。この時代に有孔虫・サンゴ・貝類などが繁栄して、彼らが残した石灰石のために地層の色が白くなって、このような名前が付けられました。この時代にパンゲア大陸はさらに細かく分裂し、現在とほぼ同じ大陸が形成されました。気候が比較的安定していた上に、大陸が海で隔てられたことにより、生物の多様化が進行しました。生物にとって住みやすい時代だったと言えますが、それは総論であって、個体にとっては油断するとあっという間に他の動物のエサになってしまうという危険な時代でもありました。

生存競争を勝ち抜いて、地上を制覇したのは爬虫類であり、とりわけ竜盤類と鳥盤類が目立つ存在となりました。竜盤類のなかでも竜脚類は巨大な草食生物となり、獣脚類は雑食または肉食生物の道を歩むことになりました。一方鳥盤類は基本的に草食生物ですが、特異な武器や防具を進化で獲得し、獣脚類に対抗しました。

鳥盤類の系譜は図1のようになります。ただしこれはもちろんファイナルバージョンではなく、研究者の意見も異なりますし、数年後には科学の進展に伴って改良された分岐図が発表になるかもしれません。

 

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ピサノサウルスは三畳紀の最初期の鳥盤類とされていますが、骨格は部分的にしか発掘されていません。レソトサウルスはジュラ紀初期の鳥盤類で、植物食で2足歩行を行っていたようです。体長は1mくらい、体高は40cmくらいです。白亜紀には分岐図右下の鳥脚類がメインとなりました。鳥脚類を代表する恐竜イグアノドン(図2 ウィキペディアより 特に断らない限り以下同)は、19世紀から化石が発掘され、古くから研究されています。体長7~9mの巨大な4足歩行の植物食の恐竜で、巨大竜脚類と同様な生き方をめざしていたようです。竜脚類のような長い首はありませんが、歯は竜脚類より優秀な、すりつぶしに適した臼歯を多数持っていました。

 

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また周飾頭類を代表するトリケラトプス(図3)も白亜紀を生きた恐竜としては有名です。イグアノドンと同じくらいの大きさの4足歩行植物食恐竜ですが、大きく異なるのは顔面に巨大な角があることと、顔の周りにフリルがついていることです。角は人間で言えば鼻の頭と眉毛の部分に計3本あって、トリケラトプスの名前の由来となっています。この武器は肉食獣脚類と戦うのに十分役に立ったでしょう。フリルも防具として役だったと思います。

 

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さてもう片方のグループ竜盤類です。竜盤類は主に竜脚形類と獣脚類からなります。竜脚形類についてはジュラ紀のところで説明したので、ここでは獣脚類について述べますが、まず分岐図(図4)を見て下さい。初期の獣脚類の例として、三畳紀のコエロフィシスがよく研究されています(図5)。米国ニューメキシコのゴーストランチで大量の化石が発見され、彼らは群れで暮らしていたことがわかりました。この写真は親が子に1本の骨を与えているところのようで、彼らの社会性を強調するディスプレイでしょう。

コエロフィシスは完全2足歩行で(すなわち手が存在する)、手足の指は4本ずつあり、獣脚類を特徴付ける中空の部分がある脊椎骨と四肢骨を持っていました。すでに三畳紀において獣脚類の基本は確立されていたわけです。しかもこれらの特徴は、現在の鳥類にも受け継がれています。

 

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獣脚類の特徴として、後肢が体の真下についていて、まっすぐ前に踏み出せたということがあります。ファッションモデルの歩行のように、足跡が1直線になっている化石もあります。現在の鳥類にもこのような歩き方をするものは少なくありません。このような特徴によって、他の爬虫類より足が速いというアドバンテージを得ることができました。

図4を見ていただくと、コエロフィシスらと分かれてテタヌラエというグループがあり、その根元の分岐にスピノサウルスという名前があります。スピノサウルスは白亜紀に棲息した獣脚類ですが、かなりユニークで特筆すべき生物です。まずその大きさですが、なんと体長が15~17mもある、ティラノサウルス以上の巨大な肉食生物で、私も国立科学博物館で全身骨格をみて驚きました(図6)。

水中で獲物をとるワニのような生き方をしていたと考えられています。また背中に「帆」を持っていました。多くの獣脚類が羽毛をもっていたと考えられていますが、スピノサウルスの場合水中では羽毛は役立たないので、帆を進化的に獲得したものと思われます。あるいは、このような巨大生物の場合、温暖な環境で激しく動くと体温が上昇しやすく、熱を逃がすことが必要で、帆はラジエーターの役割を果たしていたのかもしれません。いずれにしてもスピノサウルスは完全な内温動物ではなかったと思われます。

 

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スピノサウルスなどと分岐したアヴェロポーダというグループが獣脚類のメインストリームです。コエルロサウリアに属する白亜紀の小型恐竜シノサウロプテリクス(図7 幕張メッセにて撮影)は、恐竜としてはじめて羽毛の化石が見つかった生物で有名です。それは1996年のことですから、そんなに古い話ではありません。

その後化石にメラノソームが含まれることがわかったり、メラニンの化学分析などがすすんで、図7の毛色には多少の科学的根拠があります。獣脚類は一般に肉食と言われていますが、ティラノサウルスやマニラプトルを分岐する前のコエルロサウリアは植物食だったそうです(1)。マニラプトルがすべて肉食だったわけでもないようです。

またシノサウロプテリクス以来、続々と羽毛の化石が発見され、コエルロサウリアやその子孫は一般的に羽毛恐竜であったと考えられています。私が2012年に幕張メッセでシノサウロプテリクスを見たときに書いた記事がありますので、参照して戴ければ幸いです(2)。シノサウロプテリクスの羽毛の化石を再掲しておきます(図8)。この過去記事の分岐図(2)と、ここで示した分岐図(図4)には違いがありますが、どちらが正しいかは今後の研究をまたなければなりません。

 

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コエルロサウルスの仲間から進化した生物の中に、最も有名な恐竜であるティラノサウルス(またはティランノサウルス 図9)がいます。スピノサウルスには及びませんが、体長は11~13mの巨大なハンターで、白亜紀後期における百獣の王に相当する生物であったことは間違いないでしょう。進化の系譜からみてティラノサウルスも羽毛を持っていたと考えられています。ただし巨体だったので、生体には無用の長物で幼体だけにあったという説もあります。白亜紀前期の地層からティラノサウルスをそのまま小型にしたようなラプトレックスも発掘されています。手が小さくて指が2本、頭が巨大というようなティラノサウルスらしい特徴を持っていました。

 

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ティラノサウルスが優秀なハンターだったかどうかについては意見が分かれていて、極端な例ではその走行速度は時速4kmだったという人もいます(3)。体が巨大なので、2本足で速く走るには物凄い量の筋肉が必要だそうです。それに彼らはハンターとしては異常に幅広く巨大な歯を持っていて、しかも3t~8tの異常に強力な噛み砕く力も持っていた事が知られています。しかも手にはエサを切り裂くような構造がありません。このことから、彼らはひからびてコチコチになった屍体を噛み砕いて食べていたのではないかと推測する人もいます(3)。中にはティラノサウルスは時速50kmで走ることが可能だったと言っている人もいて、まだまだティラノサウルスの運動能力についての謎は未解決です。

最近の研究によると、ティラノサウルスの仲間は知能は低いが、聴覚・嗅覚・視覚は優れていたとされています(3)。私の想像では、彼らは巨大草食恐竜のコロニーを襲って、幼体をエサにしていたのではないかと思います。獲物の親は鈍足なので、逃げる際に特に速く走る必要もありません。ただし尾によるムチ攻撃は避ける必要があります。そのためには就寝中に襲い、大きな口と歯で一気に幼体の息の根を止めて屍体をくわえて逃げれば、それほどリスクを背負わずに食事ができたのではないでしょうか。同じコロニーを何度も襲うのはリスクが大きいので、草原をさまよい、鋭い聴覚・嗅覚・視覚でコロニーを探知して新たな獲物をさがす毎日だったのでしょう。もちろん他の肉食動物が食べ残した骨をかじって飢えをしのいだこともあったのでしょう。

図9のティラノサウルスには毛がありますが、実際には毛はなかったという説もあります(4)。2転3転していますが、毛の議論にも注目したいと思います。

ティラノサウルスの化石の中に、生化学的に解析可能なコラーゲンが残っていたらしく、アミノ酸配列を解析した研究者がいて、彼らによるとそれがニワトリとよく似ていたと報告しています(5)。しかし解析した領域が少ないことから異論も多く、まだ賛同者は多くはありません。DNAを解析すればいいのではないかと思いますが、さすがにこれだけ古い時代のDNAは信頼できる形で残ってはいません。あるとすれば、ジュラシックパークでやっていたように、恐竜の血を吸った蚊がコハクに閉じ込められたのをみつけるとか、かなり特殊な方法でないと解析はできません。

コエルロサウルス類の子孫の中で、ジュラ紀に上記のティラノサウルス類という巨大肉食恐竜に進むグループとは別の道を選んだグループがマニラプトラです。マニラプトラはティラノサウルスとは逆に、小型の体型で雑食性の生き方を選びました。ジュラ紀の生物2(6)で示したアンキオルニスはマニラプトラの基部に近い生物のひとつだと思われます。マニラプトラはオヴィラプトラとエウマニラプトラに分岐します。オヴィラプトラを代表するオヴィラプトルは体長2mくらいの生物ですが、抱卵している状態の化石がみつかっており、しかもその卵にはヒナが認められることから、現在の鳥類と同様卵を温めて孵化させていたと考えられています。そのためには彼らは当然内温動物だったということになります。しかし彼らは鳥類の直系の祖先ではなく、もう一つの分岐であるエウマニラプトラが鳥類の直系の祖先です。

図4の分岐図を見ていただくと、エウマニラプトラはふたつのグループに分岐し(おそらくジュラ紀に分岐したと思われます)、片方はトロオドン・ドロマエオサウルス・デイノニクスらのグループ、もう片方は現在も繁栄している鳥類のグループです。前者を代表する生物のひとつがデイノニクス(ドロマエオサウルスと近縁)です。私が幕張メッセで撮影したパネルの写真を貼っておきます(図10)。上は羽毛恐竜説が一般的になる前の復元で、下が現在の復元です。デイノニクスは白亜紀前期に生きた体長2.5~4mの中型恐竜ですが、時速50kmで走ることができたと考えられています。デイノニクスと近縁で白亜紀後期の生物にヴェロキラプトルというのがいて、ジュラシックパークにも登場しますが、実は映画でヴェロキラプトルという名で登場する生物のモデルはデイノニクスです。

 

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2009年に中国のジュラ紀の地層から風切羽をもつトロオドン類の生物が発掘されました。このことはエウマニラプトラがふたつのグループに分岐した頃から、一部の生物は風切羽を持っていて、滑空・飛翔の方向に進化し始めていたことが示唆されます。図11は白亜紀前期のトロオドンの一種(ジンフェンゴプテリクス)ですが、きわめて鳥類に近いことがわかります。このような絵をみると、素人目には分岐図においてトロオドン類をもっとアーケオプテリクスに近い位置にしたほうがよいのではないかと思いますが、さてどうなのでしょうか。最後に残った鳥類の進化、そして哺乳類については次稿にしたいと思います。

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参照:

1) こちら

2) https://morph.way-nifty.com/grey/2014/04/post-fcbc.html

3) 「恐竜学入門-かたち・生態・絶滅-」 Fastovsky, Weishampel 著 東京化学同人 2015年刊

4)https://matome.naver.jp/odai/2149689413325494101

5) http://news.nationalgeographic.com/news/2008/04/080424-trex-mastodon_2.html

6) https://morph.way-nifty.com/grey/2016/07/post-6720.html

分岐図は文献3)を参考にして作成しました。

 

 

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2016年9月24日 (土)

生物学茶話@渋めのダージリンはいかが25: ジュラ紀の生物2

地球史の中での生物多様性の推移を示した図1を再度見てください。カンブリア紀・オルドビス紀に順調に増加していた生物多様性が、デボン紀(矢印A)から三畳紀(矢印B)の2億年弱の間、徐々に低下しています。しかしジュラ紀にはいると反転して上昇をはじめています。これは生物が住む環境が豊かになったことを意味していると考えられます。

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ジュラ紀・白亜紀の豊かな環境の中で、地上で最も繁栄したのが竜盤類(竜盤目)です。鳥盤類と竜盤類が分岐したのは三畳紀と考えられ、その後 図2に示すように、原始的な竜盤類から獣脚類のグループと、竜脚類・古竜脚類(まとめて竜脚形類)のグループに分かれました。

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竜盤類の中で最も鳥盤類との分岐点に近い生物は、今のところテコドントサウルス(図3 ウィキペディアより 以下同)が第一候補でしょう。竜脚形類に所属します。彼らは三畳紀に生きていた体長2m程度の小型恐竜です。初期の鳥盤類と似ています。三畳紀に生きていた恐竜では、プラテオサウルスもよく知られています。

ひとつ問題があって、それはテコドントサウルスもプラテオサウルスも後ろ足の指が4本で、5本の指を持つ竜脚類とは直接つながらないということです。そういうわけで、これらはとりあえず古竜脚類として別枠におさめられています。またエオラプトルも以前は獣脚類に近いとされていましたが、竜脚形類のグループに属するのではないかとも言われています。竜盤類や竜脚形類のルーツについては、まだまだ議論の余地があります。

 

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哺乳類が肺の拡張や横隔膜収縮、すなわち胸郭周囲の筋肉による呼吸を発達させたのに対して、鳥類は気道に気嚢というポンプを設置し、空気の吸い込みと押し出しを複数のポンプによって効率化していることが知られています。鳥類の祖先である竜盤類も気嚢システムを持っていたのではないかと推測されていて、多少の証拠もあります(1,2)。

鳥類の直接の祖先である獣脚類はもちろんですが、竜脚類は巨大化した種が多かったので、体温が上がりすぎるのを防ぐためのラジエーターとしてや、また重すぎる骨の重量を軽くするための空洞として利用するなど、より切実に気嚢システムが必要だったのではないかと思われます。空を飛ぶ鳥は、竜脚類とは別の理由で体重を軽くするために骨を空洞化して、気嚢システムの一部として利用しています。鳥類の呼吸システムは哺乳類より優秀で、標高1500メートル(ほぼジュラ紀の酸素濃度)ではほぼ2倍の効率で酸素をとりこめるそうです(4)。鳥類の中にはヒマラヤ山脈を越えて渡りをする者もいるので、呼吸システムの優秀さは哺乳類をはるかに凌駕しています。

恐竜の中で、竜脚類(科と目の中間の分類群)は基本的に植物食です。ジュラ紀のはじめ頃に生きていた原始的な竜脚類としてヴルカノドン(図4)があげられます。背中が人の身長くらいの控えめなサイズの竜脚類です。後ろ足の指は5本で、ヒトと似ています。ジュラ紀も中盤以降になると、やはり原始的なタイプであるマメンキサウルスなども巨大化してきます。

 

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新しいタイプの竜脚類であるディプロドクス(図5)やアパトサウルス(図6)も登場します。これらは全長20メートル以上の巨大草食恐竜です。キリンのように高い位置の葉を食べるために首が長くなったという説もありますが、そのためには血圧を非常に高く上げる必要があり、現実的ではないという説が有力です。足は動かさず、首だけ動かして食事するほうが省エネだからというのが新しい考え方のようです。

ただこれだけ巨大になったのは、やはり肉食の獣脚類に食べられないためだったのでしょう。長いしっぽはムチとして使えば、かなり強力な武器になったと思われます。草食恐竜はいくら巨大化したといっても、子供の時代はあるわけで、集団生活で子供を守ることはマストだったのではないでしょうか。

 

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獣脚類は三畳紀のヘレラサウルスなどが根元にあたる系統のグループで、多くの種は肉食で2足歩行でした。ジュラ紀になって草食恐竜が巨大化するにしたがって、肉食恐竜も巨大化せざるを得なくなりました。ジュラ紀の獣脚類を代表するのは、やはり当時の食物連鎖の頂点に君臨していたと思われるアロサウルス(図7)でしょう。全長は8.5mくらいの凶暴な肉食獣で、後足は5本指ですが1本は地面につきません。前足はかぎ爪つきの3本指で、2足歩行をしていたため、ほぼ手として使っていたのでしょう。ディロフォサウルスやケラトサウルスもジュラ紀を代表する獣脚類です。

今のところはアロサウルスは図7のような復元になっていますが、鳥盤類のクリンダドロメウスが羽毛を持っていたことから、ひょっとすると彼らも羽毛を持っていたかもしれません。それが証明されれば、かなりイメージチェンジされた復元がなされなければならないことになります。

 

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1990年以降、中国の遼寧省から発掘される獣脚類の化石の中に羽毛の痕跡が残っているものが多数あることがわかって、獣脚類が羽毛を持っていたことは動かしがたい事実となりました。すでにジュラ紀にして、ニワトリと見まがうようなアンキオルニス(図8)という獣脚類が現れました。色素タンパク質も調べられていて、体はほぼモノクロですがトサカが茶系統だったことが示唆されています(5)。始祖鳥も出現しました。白亜紀にはこれらの仲間から、鳥類への進化を行う系統のグループが出現します。


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空飛ぶ爬虫類の翼竜も健在で、ダーウィノプテルスというダーウィンの名前が付いた種の形態が注目されました。彼らは三畳紀の頭が小さく尾が長い翼竜と白亜紀の頭が大きく尾が短い翼竜の中間的な形態をとっており、まさしく進化の道筋をリンクさせる存在です。

哺乳類も恐竜の陰に隠れて、さまざまな進化を遂げて生き延びていました。ビーバーのように水かきや平たい尾をもつカストロカウダや、モモンガのように滑空するヴィラティコテリウムなどが知られています(6)。さらに中国遼寧省の1億6000万年前の地層から、真獣類(発達した胎盤をもつ)の化石もみつかっています。体長5cm~10cmの小さな生物でジュラマイア(図9)と名付けられました。

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さて陸から離れて海をみると、まず三畳紀にひきつづいて魚竜が繁栄していました。ステノプテリギウス(図10)は全長4m弱であり、イルカとそっくりな形態で、出産途中の化石が発見されたことから胎生であるとされています。首長竜もプレシオサウルス(図11)などが健在でした。ネッシーのモデルになった動物ではないでしょうか(7)。魚類も健在で、条鰭類のリードシクティスは体長8.9m~16.5mの巨大な魚でした(6)。

 

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参照

1) http://dinosaur-fan.net/naruhodo/news/29/

2) http://www.dino-paradise.com/news/2013/07/a-new-sauropod-dinosaur-from-the-early-cretaceous-oftunisia-with-extreme-avian-like-pneumatization.html

3) http://www.nikkei-science.com/page/magazine/0608/dinosaur.html

4) 「恐竜はなぜ鳥に進化したか」 ピーター・D・ウォード著 文藝春秋社刊 2008年 p.264

5) Li, Q. et al (2010). "Plumage color patterns of an extinct dinosaur". Science 327, No.5971, pp.1369–1372.

6) 「ジュラ紀の生物」 土屋健著 技術評論社 (2015)

7) https://www.youtube.com/watch?v=c2A4_Leh67A


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生物学茶話@渋めのダージリンはいかが24: ジュラ紀の生物1

三畳紀末の大絶滅を経て、時代はジュラ紀(2億年前~1億4500万年前)に突入します。三畳紀には唯一の超大陸だったパンゲアが、この時代に北部のローラシア大陸(中国・ロシア・欧州)と南部のゴンドワナ大陸(南北アメリカ・アフリカ・オーストラリア・南極)に分裂しました。これによって赤道付近の海流が両大陸のまわりに流れるようになって、海洋性の温暖な地域が増えました。動植物にとっては生活しやすい気候になりました。ただ酸素濃度は三畳紀後期のどん底にくらべれば改善されたとは言え15%弱くらいの低濃度だったようです。

三畳紀に地上の覇権を競っていたクルロタルシ、サイノドン、オルニソディラですが、三畳紀末の大絶滅によって、クルロタルシはワニ類などごく一部のグループみが生き残って地上の覇権は放棄しました。またサイノドンもそのひとつのバリエーションである哺乳類やトリティロドンなどのごく1部を残して絶滅し、生き延びたサイノドンの子孫たちは、覇権を狙わない目立たない生物としてジュラ紀を生き延びました。そしてジュラ紀はオルニソディラが地上の主役となりました。

 

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ジュラ紀に繁栄したオルニソディラの系譜を図1に示します。それまで空は昆虫の独壇場だったのですが、ついに翼竜という脊椎動物が参入してきました。彼らは三畳紀に恐竜の祖先と分岐し、独自の進化を行って三畳紀末の大絶滅を乗り切り、ジュラ紀に繁栄しました。空を飛べるというのは、エサをみつけるには圧倒的なアドバンテージがあります。彼らは第4指と足の間に皮膚の膜をはって(もちろん羽毛ではない)翼をつくり飛翔しました。現存の哺乳類であるコウモリのような方法で空を飛んだわけですが、コウモリほど1~3指は退化していなかったので(第5指は退化)、4足歩行もできたようです。

ジュラ紀の翼竜を代表してプテロダクティルスを図2(ウィキペディアより)に示します。4足歩行しているイラストです。翼を全開したときの幅は種によって異なり、25cm~2.5mくらいの幅があります。彼らはまだ確定的ではないものの、なんらかの毛を持つ内温動物であったと考えられています。浜辺でゴカイなどをあさったり、魚を捕らえて食べたりしていたようです。

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翼竜を分岐したあとのオルニソディラは、鳥盤類(鳥盤目)と竜盤類(竜盤目)からなる恐竜に進化しました。鳥盤類の起源については、恐竜学の教科書(1)によると、竜盤類から分岐したのではなく、鳥盤類・竜盤類ともに派生的であり、どちらが先に生まれたのかはわからないとしています。

鳥盤類と竜盤類は図3のような骨盤の構造の違いによって分類されています。すなわち鳥盤類では恥骨の一部が座骨に寄り添って平行に後ろに伸びているのに対して、竜盤類では恥骨と座骨は別方向を向いています。このほか鳥盤類は前歯骨という下あごの前端の骨を持っているという特徴があります。恥骨が後ろに追いやられることによって、大きな胃とか長い腸を収める場所ができるという利点があります。植物を消化するには有用です。前歯骨はくちばしをサポートしており、このグループがくちばしのような構造を持っていたことと関係があります。


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昨年国立科学博物館でクリンダドロメウスの骨格と復元を見ることができました(2、図4 私が撮影)。クリンダドロメウスは全長1.5mほどのジュラ紀を生きた鳥盤類ですが、なんと羽毛を持っていました。羽毛は竜盤類から鳥類へ受け継がれたものと私は理解していたので、これはショックでした。このことは三畳紀に生きていた鳥盤類・竜盤類の共通の祖先が、すでに羽毛を発明していたことを暗示します。単弓類のサイノドンが体毛を獲得していたのと同時期に、双弓類も羽毛を獲得していたのかもしれません。それだけ三畳紀が内温性を必要としていた時代だったのかもしれません。

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鳥盤類は恐竜の大スターであるステゴサウルスを生み出しました(図5 ウィキペディアより)。ステゴサウルスはジュラ紀から白亜紀にかけて生きていた体長7mくらいの草食恐竜です。彼らは背中にたくさんの板をしょっていますが、これらはどんな役割を果たしたのでしょうか? 

林昭次氏は国立科学博物館や世界各地の博物館にある実物を切断するという快挙をなしとげ(3)、この板に血管ネットワークがはりめぐらされていて、体温調節に役立ったことを示唆しました。これはペルム紀の盤竜類と同じで、彼らが少なくとも完全な内温性を獲得していなかったことを示唆しています。また中身がスカスカであることや倒れないことから、アーマー(防具)としては役立たないことがわかりました。また思春期に急激に大きくなることから異性へのディスプレイである可能性も指摘しています。

ステゴサウルスのしっぽにある4本のスパイクは、肉食獣との戦闘に役立ったようです。幕張で恐竜展をやっていたとき、背骨にこのスパイクがささったあとがある肉食恐竜の骨がディスプレイされていました。

 

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もう1種鳥盤類の動物を紹介します。やはりジュラ紀に棲息していたフルイタデンス(図6 ウィキペディアより)です。多くの鳥盤類が植物食であるなかで、このグループは雑食性だったと考えられています。中型犬くらいのサイズで、鳥盤類の中では最小クラスでした。ちいさなサイズの内温性動物は、大きなサイズの動物にくらべて熱を失いやすいので、ハイカロリーな食事を必要とします。

 

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鳥盤類はジュラ紀から白亜紀にかけて多くの種類を繁栄させましたが、白亜紀最後の大絶滅によって世界から消え去り、現在では化石でしかみることができません。鳥盤類はくちばしをもっているなど、現在の鳥類に似た点もありましたが、鳥類は彼らの子孫ではなく、もうひとつの恐竜のグループである竜盤類が生み出したものです。竜盤類などについては次回に解説します。

 

1)「恐竜学入門-かたち・生態・絶滅-」 Fastovsky, Weishampel 著 東京化学同人 2015年刊

2) https://morph.way-nifty.com/grey/2016/04/post-d6d5.html

3) http://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/20141003/418474/?P=5

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生物学茶話@渋めのダージリンはいかが23: 三畳紀の生物2

ペルム紀に出現したとされるサイノドンはP-T境界を乗り越えて、三畳紀に命をつなぎました。三畳紀が始まった頃は砂漠のような場所が多く、酸素濃度も15%以下に低下するなど、非常に厳しい環境で生きなければいけませんでした。彼らはリストロサウルスのようにもっぱら省エネ(穴居と長期睡眠)で生きるという徹底的に消極的な作戦ではなく、やや積極的な進化戦略を実行しました。それは、1)横隔膜を使う呼吸法の獲得・・・これによって積極的に空気を出し入れして呼吸が楽になりましたが、腹部の肋骨という内臓を防御する道具を捨てなければなりませんでした。

次に、2)トカゲやワニのように足を横に張り出して体をクネクネとひねりながら歩く方法だと、ひねるたびに肺が圧迫されて呼吸が妨害されます。腕立て伏せをしながら歩いている感じなので、体重を支えるのが大変でもあります。これを避けるために、サイノドン達は足をなるべく体の下にまっすぐつけて、前後に動かすだけて移動するという方法を採用しました。このことは歩行のスピードを上げるにも有効です。体をくねらせて移動するというのは、カンブリア紀以来魚類が獲得してきた遊泳技術に基づくものであり、地上の歩行には適さない方法です。

3)あごの骨の一部を進化させて、聴力を強化しました(図1)。これは危険を察知する上で、特に夜行性の動物には重要です。サイノドンはあごの奥の方ある様々な骨を徐々に、角骨→鼓室骨、関節骨→槌骨、方形骨→砧骨という耳の骨に変成させて、耳の構造を確立させていきました。爬虫類から鳥類のラインも聴覚を発達させましたが、サイノドンから哺乳類のラインとは全く別の進化過程であったことが判っています(1)。

 

Photo4)内温性を確立すると共に体毛と感覚毛を発達させ、温度が下がる夜の活動に備えました。感覚毛は暗闇でも目鼻を傷つけないために重要な役割を果たしました。サイノドンが生きていた時代のオルニソディラはおそらく外温性であり、クルロタルシも当然外温性(ワニはいまでも外温性)だったと考えられるので、夜間・冬期・寒冷地帯ではサイノドン達が優位に立てたのでしょう。

5)卵ではなく、子供を産んで親が授乳して育てるという繁殖方式を確立しました。食糧不足だった三畳紀初期には、成獣は夏眠・冬眠すればいいのですが、それができない新生仔に与えるためのエサを確保するのが困難だったため、授乳というのは非常に有用だったと思われます。サイノドンは三畳紀の環境圧力に耐えて生き抜くため、この5つの方向に進化していったわけです。

サイノドン達は三畳紀中期に出現した新興勢力である恐竜類や、それより前からの仇敵であるクルロタルシ達と弱肉強食の戦いを行う中で次第に劣勢になりますが、上記の5つの戦略をすすめて、ついに三畳紀後期には哺乳類を誕生させました。つまりサイノドン達は爬虫類から哺乳類へ進化するさまざまな中間点と言えます。ですから最初の哺乳類が何かというのは、学術用語の定義上は大事ですが、それ以上の問題ではありません。

サイノドンについてはすでに「三畳紀1」でトリナクソドンとエクサエレトドンについて紹介しましたが、彼らのなかの1グループであるプロバイノグナシアが後に哺乳類を誕生させることになります。プロバイノグナシアに属する生物を一種紹介します。プロベレソドンです(図2)。これは中型犬くらいのサイズの生物です。三畳紀後期に、このグループから最初の哺乳類(不完全な哺乳類という意味で哺乳型類とよぶべきだと主張する人もいます)が誕生したとされています。

 

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最初期の哺乳類として、2億2500万年前の地層から発掘されたアデロバシレウス(図3)が知られています。モルガヌコドン(図4)やメガゾストロドン(図5)もよく知られています。いずれもネズミくらいのサイズの動物です。特にアデロバシレウスは、今生きているトガリネズミ(2)と外見がよく似ています。トガリネズミも白亜紀から生きている動物なので、関係があるのかもしれません。いずれにしても、哺乳類はネズミのような生物から出発したことは確かなようです。

 

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クルロタルシ(目と綱の中間の分類群)はサイノドンやオルニソディラをしのいで、三畳紀に繁栄したグループです。現在でもこのグループの直系子孫であるワニ類が生きています。クルロタルシの祖先はペルム紀からプロテロスクス(3、図6、体長1.5m)などが棲息していました。このグループはP-T境界を生き延びることができました。現在のワニから考えると、彼らは一度大量に摂食すると3年くらいはエサなしでも生きられるという特技をもっているので、ワニの祖先である彼らもこの術で生き延びたのかもしれません(4)。彼らが水中で多くの時間を過ごしていて火砕サージをまぬがれ、また「噴火の冬」時代にエサを水中に求めることができたからという理由も考えられます。

 

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もう一例ペルム紀のクルロタルシであるプロテロチャムサを図7に示しますが、見た目が現在のクロコダイルとほとんど同じです。三畳紀にはこれと近縁の種から生まれたクルロタルシ類が適応放散していろんなタイプが生まれましたが、結局現在まで生き残ったのは原型に近いもので、進化の過程ではよくある現象です。

 

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では三畳紀のクルロタルシをいくつかみていきましょう。ポストスクス(図8)は体長4~5mの肉食獣で、当時食物連鎖のトップにいたとされています。ワニよりも足が長く直立していて、以前には恐竜の祖先とされていたこともあったそうです。ワニのように待機していて一瞬のアクションでエサを仕留める感じではなく、エサを求めて歩き回り、追いかけて仕留めることができるような体型です。これと類似した種は世界各地に分布していて、三畳紀の百獣の王はまさしくこれらのクルロタルシでした。

 

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同じクルロタルシの仲間で草食獣も繁栄していて、例えばデスマトスクス(図9)などは強力なアーマーを装備して、そのスパイクで敵を倒せそうです。

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三畳紀の初期(2億5000万年前)には恐竜の祖先動物も登場しました。プロロトダクティルスという祖先動物の足跡は有名です。土屋健著「三畳紀の生物」(5)には復元図も掲載されています。猫くらいの大きさの足の長いトカゲという感じです。しかしその後2億2800万年前のエオラプトル(図10)まで情報がありません。同時代の地層からパンファギアやエオドロマエウスも発見されていて、後者はティラノサウルスにもつながる肉食恐竜(獣脚類)の始祖と考えられています。

恐竜は大きく分けて鳥盤目と竜盤目がありますが、上記の生物は竜盤目の根元に相当すると思われます。しかし2億2300万年前の地層からは、鳥盤目に分類されるピサノサウルスが発掘されています。三畳紀の半ばには、恐竜を構成するふたつの目が出そろったことになります。そして三畳紀の終わり頃には、レッセムサウルスという体長18mにも及ぶ巨大な草食恐竜が出現しました。三畳紀の後期には恐竜やクルロタルシとは別系統の爬虫類である首長竜も出現しました。これについてはジュラ紀で言及します。

 

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P-T境界の大絶滅の被害も癒えて、再び地球が活気を取り戻した三畳紀でしたが、2億100万年前にまたもや大絶滅が起こります。これはP-T境界のような破滅的なものではありませんでしたが、単弓類では哺乳類以外は絶滅し、クルロタルシ類ではワニ以外は絶滅しました。この三畳紀末の絶滅の原因は、まだ特定されていないそうです。そしてどうしてここで恐竜が優位を確立したかもよくわかっていません。

 

参照

1) http://www.riken.jp/pr/press/2015/20150422_2/

2) こちら

3)https://en.wikipedia.org/wiki/Proterosuchus

4)https://ailovei.com/?p=79949

5)「三畳紀の生物」 土屋健著 技術評論社 2015年

 

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2016年9月22日 (木)

生物学茶話@渋めのダージリンはいかが22: 三畳紀の生物1

カンブリア紀から現在に至るまでで最大の絶滅が発生したP-T境界(ペルム紀-三畳紀境界、1)から、恐竜の時代であるジュラ紀がはじまるまでの期間、2億5千100万年前から2億年前までの約5000万年の期間を三畳紀とよびます。種のレベルで90~95%の生物が絶滅したと言われるペルム紀末の大絶滅により、個体のレベルではほぼ100%ちかくの生物は死滅し、ごくわずかの生き残りから再出発することになりました。


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ではどんな生物が生き残ったのでしょう? 図1に三畳紀前期の状況を示します。ペルム紀に繁栄していた単弓類はほとんどが死に絶え、リストロサウルス・バウリア・サイノドンなどわずかなグループが生き残りました。リストロサウルス(図2 以下の図はウィキペディアより拝借)は見た目武器も防具も持たない平凡な草食動物のようですが、穴を掘って夏眠(冬眠)することができる動物だったとされています(2)。体長も数十センチの小型動物です。まず地下に住んでいたため火砕サージなどの直撃を免れたこともあるかもしれませんが、その後火山灰が降って植物も消え去り、砂漠のようになった大地で、彼らはわずかな食糧で生き延びることができたはずです。

 

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リストロサウルスはエネルギーをごくわずかしか使わずに生きる(多分眠ることによる)という術を持っていたことが幸いしたのでしょう。バウリア(図3)はリストロサウルスと同様、平和的な外見の草食動物ですが、二次口蓋(のどまで続く鼻の穴)が発達するなどかなり哺乳類に近い生物だったようです。二次口蓋があるということは、食事しているときの呼吸が格段に楽になるというメリットがあります。草食動物にとってこのことは特に重要です。ウィキペディアのバウリアの項目にはヒゲまで描いてあります。おそらくリストロサウルスと同様省エネ生活が得意だったのでしょう。噴火後2~3ヶ月生き延びられれば、草原がある程度復活して、最低限の食糧は確保できたのではないでしょうか。

 

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これらの生き残った草食動物は、さらにわずかに生き残った肉食動物にとって貴重な食糧となり、生態系の維持に大きな役割を果たしたと思われます。私たちのご先祖様であるサイノドンもいくつかのグループが生き残ったようで、サイノドンが全滅していればもちろん人類を含めた哺乳類は出現していないはずです。そうなると現在の地球の状況も随分違ったものになっていたでしょう。

サイノドンはおそらく内温動物で、三畳紀前期は酸素が15%くらいあるいはそれ以下しかなかったので、さすがにウォードが言っているように低酸素環境が圧力となって内温性が進化したのでしょう。内温性の進化はミトコンドリアの質的・量的発達を意味しているので、同時に呼吸の効率化が進み、低酸素に適応できたと思われます。

サイノドンでは門歯と臼歯がはっきり分かれて分業し(異歯性の確立)、二次口蓋が完成し、脳が発達してきました。また腹部の肋骨が退化してきました。これは横隔膜による呼吸をはじめたことによります。横隔膜で呼吸するためには、腹部はでたりひっこんだりしなければならないので、肋骨は邪魔になります。おそらくリストロサウルスなどのディキノドングループは横隔膜による呼吸法を獲得できなかったと思われます。彼らは腹部の肋骨を維持しています(4)。

トリナクソドン(図4)は代表的な三畳紀前期のサイノドンで、昆虫などを食べていた猫くらいの大きさの生物です。リストロサウルスなどと同様に多くの時間を穴の中ですごしていたと考えられています。顎骨に多くの穴が開いており、ヒゲの毛根を収納していたと思われます。私はヒゲがある生物はすべて体毛も持っていたと考えています。このほかプロガレサウルス(5)などもよく発掘されるようです。

 

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2010年に六本木ヒルズで「地球最古の恐竜展」というのをやっていて、私も見てきたのですが、そこにサイノドンの1種として知られているエクサエレトドンの全身骨格があったのには感動しました(6)。三畳紀前期の地層から発掘されたもので、復元図はかなり凶暴な雰囲気ですが、実は草食動物だったそうです。

ここまで単弓類について述べてきましたが、双弓類もP-T境界で大打撃を受け、大変数が減ってしまいました。三畳紀後期には恐竜が登場するので、その祖先動物は生き残ったはずですが、明らかにはなっていません。恐竜や翼竜も含めて、これらのグループをオルニソディラとよびます。

オルニソディラの基部に近い位置にある動物で、三畳紀の中期に生きていた動物はいくつかしられています。アシリサウルス(図5)は体長1~2mの大型で、マラスクスは猫くらいのサイズです。これらの生物は恐竜ではなく、共通の祖先から派生した動物だとされています。それにしても素晴らしくスマートな生物で、クルロタルシなどに狙われたときの逃げ足も速かったのでしょう。彼らより古い三畳紀前期に生きていた類似動物としてプロロダクティルスが知られていますが、残念ながら足跡しか化石が見つかっていないようです。オルニソディラの系統樹基部・恐竜の起源などについては、まだまだ謎が多いのです。

 

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湖沼や河川で生活していた生物は、完全に陸上に上がった生物に比べると、P-T境界を生き延びるチャンスが大きかったようです。この代表はクルロタルシ類で、上記のオルニソディラとは別系統の双弓類です(図1)。オルニソディラでは鳥類だけが現存し、クルロタルシではワニ類だけが現存しています。これにカメおよびその祖先動物を加えて主竜類とよぶこともあります。クルロタルシ類については次回で述べることにします。

主竜類以外の双弓類では、魚竜が三畳紀前期から出現していました。このグループの起源はよくわかりません。化石はみつかっていないようですが、おそらくペルム紀の頃から存在して、P-T境界を生き延びたと思われます。首長竜はオルニソディラやクルロタルシではなく、魚竜とも別のルーツを持つ双弓類のグループで、ペルム紀・三畳紀前期にもその祖先が存在していたことは想像されますが、証拠がみつかっていません。

せっかく肺を獲得して地上で生活していた動物が再び海をめざすということは複雑な話ですが、我々哺乳類においてもクジラやイルカはそういう運命をたどりました。三畳紀前期の魚竜の中で、ウタツサウルス(図6)は宮城県の歌津というところ(現在は南三陸町)で発掘されました。ウタツサウルスは初期の魚竜ですが、足はすでにヒレに変化しています。魚竜は白亜紀で絶滅しており、現在では生きている生物をみつけることができません。

 

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両生類もP-T境界で大きなダメージを受け、ほとんどの種が絶滅してしまいました。わずかにリネスクスというトカゲっぽいグループ、クロニオスクスというワニっぽいグループ(もちろんワニではない)などが生き残りました。ペルム紀の生物とどうつながっているかはわかりませんが、三畳紀初期にトリアドバトラクス(図7)という、カエルの始祖と思われるような生物が新たに登場しました。まだ短い尾がついています。現在のカエルには尾はありません。


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ペルム紀末の大絶滅によって、海洋の生物も大きなダメージを受けました。三葉虫・棘魚類・フズリナは絶滅してしまいました。絶滅はしないまでも、その後ずっとマイナーな生物として生き延びたグループとしては腕足類やウミユリなどがあげられます。棘魚類以外の魚類はなんとか生き延びることができました。

アンモナイトは大打撃をうけながらも、ごく一部がしぶとく生き延びて、2億3000万年前くらいまでにはペルム紀をしのぐほどの大復活をとげました。彼らは白亜紀大絶滅まで生き残ります。彼らの祖先生物と思われるオウムガイは、これらの大絶滅を乗り切って現在も生き続けています。また三畳紀には2枚貝が繁栄しました。アサリ・シジミなどの2枚貝は現在も繁栄を続けています。昆虫は非常に絶滅しにくいしぶといグループですが、それでもペルム紀に22目あったのが、P-T境界で14目に減りました。生き残った目に属する生物は、その後復活して現在に至っています。


参照

1) https://morph.way-nifty.com/grey/2016/06/post-dd7b.html

2)「三畳紀の生物」 土屋健著 技術評論社 2015年

3)C. A. Sidor and R. M. H. Smith. 2004. A new galesaurid (Therapsida: Cyndontia) from the Lower Triassic of South Africa. Palaeontology vol.47, pp535-556

4) http://biggame.iza-yoi.net/Therapsida/Dinocephalians.html

5) http://viergacht.deviantart.com/art/Progalesaurus-lootsbergensis-438381312

6)https://morph.way-nifty.com/grey/2010/08/post-beb8.html


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生物学茶話@渋めのダージリンはいかが21: ペルム紀の生物2

ペルム紀の中期から後期にかけて、おそらく2億7000万年前前後に地上の主な四肢動物は盤竜類から獣弓類に入れ替わった、というより様々な系統の四肢動物のなかから獣弓類が主役に躍り出たということがわかっています。ペルム紀前期を代表する単弓類であるエダフォサウルスやディメトロドンは背中に帆を持っていて、これを日光で暖めて活動していたと思われますが、獣弓類にはそのような生物はいないこと、またその他のいくつかの理由から、獣弓類は内温性だったのではないか、それによって他の系統の生物との生存競争に勝利したのではないかと考えられています。

それでは内温性とはいったいどういうものなのでしょうか? 実はその科学的解明や説明がとても難しいのです。そもそもエサを食べる(従属栄養の)生き物は、エサに含まれる分子を分解して、その際に発生するエネルギーを使ってATPという高エネルギー化合物を生成し、ATPを利用して筋肉を動かすなどの活動を行っています。そしてもちろんエサを分解したときに発生するすべてのエネルギーを化学エネルギーとして利用できるわけではなく、一部は熱となって放出されます。この意味で、従属栄養の生物はすべからく内温性であるとも言えます。独立栄養の生物だって、光エネルギーを利用するにしても、生命活動を行うには必ず発熱反応を伴います。

食物を分解して得るエネルギーは、真核生物がATP生産工場としてミトコンドリアを飼い慣らすことによって、圧倒的に増加しました。したがって熱の発生量も増加しました。それでも足りないので、エダフォサウルスやディメトロドンは帆を発達させたのですが、そのほかの解決策もあります。ミツバチやマグロは運動の活発さを調節することによって、体温を一定に保っています。またミトコンドリアの活動を高めたり、数を増やすことで熱の発生量を増やすこともできます。ミシガン大学のベネットは、ラットと何種かの爬虫類のミトコンドリア呼吸関連酵素の活性を比較すると、ラットの方が5倍くらい活性が高いということを発見しました。そして顕微鏡で両者の肝臓などの組織をみると、ラットの方が明らかに多数のミトコンドリアをもっていることがわかりました(1)

その後アクメロフ(2)やハルバート&エルス研究室のメンバー(3)らが、内温性の哺乳類と外温性の爬虫類のミトコンドリアをさらに比較研究し、内温性の哺乳類においては、量的のみならず質的にも高い活性をもつミトコンドリアを持っていることがわかり、この点で獣弓類は旧来の四肢動物を凌駕することができたと示唆されました。このほかミトコンドリアには脱共役タンパク質という、ATPの産生が過剰なときにその合成を低下させて、熱としてエネルギーを逃がす作用がある物質が存在し、これも進化の過程で発展してきた代謝システムだとされています(4,5)。ただ哺乳類と爬虫類でどう違うかという文献はみつかりませんでした(熱心に探せばあるかもしれません)。

私はピーター・ウォードのように、ペルム紀後期に酸素が低下してきた(それでも18%くらいはあった)ことに適応して、内温性が発達してきたとは思いません。パンゲア大陸は極地方から赤道地方まであったので、闘争に敗れた獣弓類などのグループが極地方に敗走し、そこで内温性という代謝システムを育てて、ついには大繁栄していた盤竜類を打倒して取って代わったという説を支持したいと思います。ただ三畳紀については別途考えたいですね。

ペルム紀後期には陸上ではディキノドン類、ディノケファルス類、ゴルゴノプス類、テロケファルス類などの単弓綱・獣弓目の生物が大繁栄しましたが、双弓綱の生物も劣勢とはいえちゃんと生き延びていました。例えばヨンギナという体長40cmくらいのトカゲに似た生物(6)がいました。類縁のタデオサウルスの復元図がウィキペディアに出ていたので、お借りして貼っておきます(図1)。

 

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ペルム紀の代表的な化石としてフズリナというのがあります。これは海洋単細胞生物なのですが、1cmくらいのサイズがあり、石灰の殻を持っていいるので死後も形を残すことができます(図2)。高知の海岸などでみられる星砂も近縁の生物が残した死骸です。アンモナイトもペルム紀の代表的な海の生物です。

 

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魚類は軟骨魚類・硬骨魚類共に繁栄し、棘魚類もまだ生き残っていました。三葉虫も Proetida 目がまだ生き残っていました。ウミユリ・ウニ・ヒトデなどの棘皮動物は繁栄していたようです。

このように百花繚乱の生物でにぎやかだったペルム紀後期の地球だったのですが、ペルム紀末にそれらのほとんどが死滅してしまいます。カンブリア紀から現在に至るまでの地球の歴史の中で、空前絶後の絶滅を引き起こした原因は何だったのでしょうか? 現在一番有力視されているのが、シベリアでの火山噴火です。この噴火は通常のものではなく、地殻の下にあるマントルが上昇して噴き出したとされていて、その溶岩の分厚さは3000~6000mに及び、広さは西欧を飲み込むくらいというとてつもないスケールでした。この累積した溶岩層をシベリアトラップといいます(7、図3)。

この異常な噴火によって大量の火山ガスと粉じんが噴き出して空を被い、「噴火の冬」が訪れました。日照不足・酸性雨・硫化水素・オゾン層の破壊などの影響で、地上植物・海洋プランクトンが死滅し、酸素も失われるという悲劇の連鎖が発生したのです。このペルム紀末期の大絶滅は古生物学におけるP-T境界という境目をつくり、ここで生物相が大幅に入れ替わり、ペルム紀を最後とする古生代は終了し、三畳紀からはじまる中生代に移行します (8)。

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ペルム紀末大絶滅については全く別の考え方もあることも付記しておきます。それはペルム紀末に、木のリグニンを分解できるペルオキシダーゼの遺伝子が出現したことが原因であるという考え方です。確かにペルム紀から後は、石炭ができなくなりました。この植物ペルオキシダーゼによって、炭酸ガスが増加し酸素が低下するという大気の変化がおこり、生物の大絶滅をもたらしたというわけです(9)。

参照

1)A. F. Bennett. Comparison of activities of metabolic enzymes in lizards and rats.  Comp. Biochem. Physiol., 1972, vol. 42B, pp. 637-647

2) R.N. Akhmerov. Qualitative difference in mitochondria of endothermic and ectothermic animals., FEBS lett., 1986, vol.198, pp. 251-255

3) M. D. Brand et al., Evolution of energy metabolism. Proton permeability of the inner membrane of liver mitochondria is greater in amammal than in a reptile. Biochem. J. 1991 vol. 275, pp. 81-86

4) 稲葉(伊東)靖子・斉藤茂.熱産生における脱共役タンパク質の役割と適応進化. 化学と生物 2008, vol. 46, pp. 841-849

5)http://d.hatena.ne.jp/kuiiji_harris/20081129/1227941781

6)https://amanaimages.com/info/infoRF.aspx?SearchKey=11079022977&GroupCD=0&no=

7)https://www.nature.com/articles/s41467-017-00083-9

8)https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/5244/

9)ペルム紀末の大絶滅の理由 --- 本田 進一郎
http://agora-web.jp/archives/2021961.html

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生物学茶話@渋めのダージリンはいかが20: ペルム紀の生物1

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ペルム紀の話を始める前に、すでに参照文献・参考書としてあげていますが、あらためて紹介しておきたい本があります。それは「哺乳類型爬虫類 ヒトの知られざる祖先」 金子隆一著 朝日新聞社 1998年 (図1)です。

古い本なので修正が必要な部分はありますが、私はこの本によって古生物への興味をかき立てられました。単弓類についてこれほど詳しく解説した本はありません。残念ながら、現在ではおそらく中古本しか入手できないと思います。

一節だけ引用しておくと「哺乳類型爬虫類は、われわれヒトを含むすべての哺乳類の祖先である。そして、恐竜王朝が地上を支配するよりも前、古生代石炭紀後期から中生代三畳紀中期まで、彼らはまぎれもなく地上でもっとも繁栄した生き物たちだった。しかし、にもかかわらず、われわれは自らのご先祖様を地球の王座から追い落としたライバルである恐竜ばかりをスター扱いしているのである。これは実に、理不尽な仕打ちと言わなければなるまい」

私は哺乳類型爬虫類という言葉はそんなに嫌いじゃないのですが、現在の考古学者達はお気に召さないらしく、あまり使われなくなりました。爬虫類じゃないのに爬虫類とはおかしいというわけですが、では虫じゃないのに爬虫類というのはどうなんだろう。これだけでなく、特に化石生物を含む爬虫類の分類は5年経ったらどうなっているかわからないという難しい分野ですから、専門家以外はあまり神経質に考えなくてもいいと思います。

とりあえず

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無弓類 (両生類から分岐したばかりの陸生の四肢動物で、側頭窓がない生物)
単弓類 (初期単弓類=盤竜類、獣弓類、哺乳類の3グループ)
双弓類 (首長竜、ムカシトカゲ、カメ、ワニ、恐竜、鳥類など)

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とでもわけておきましょう。

さて石炭紀に続くのは古生代最後のペルム紀(2億9,900万年前から約2億5,100万年前まで)です。ペルム紀の初頭には超大陸パンゲアが完成しており、気候は寒冷でした。多くの湿地帯が凍結して、両生類は一部の温暖な地域にしか住めなくなり、陸上で生活できる爬虫類のなかでも特に単弓類(単弓綱)が適応放散しました。

寒冷期の生存競争に勝つためのひとつの方法として、単弓類はエダフォサウルスやスフェナコドンという背中に帆を持つグループを生み出しました。背骨を変形させて突起を出し、その間の皮膚に血管を通して体温を調節するというシステムです。内温性(内熱性)動物がいない時代には、この方法は圧倒的に有利で、スフェナコドン類を代表するディメトロドン(1)は食物連鎖の頂点に立っていたと思われます。なぜなら帆を日光であたためて体温を高め、朝早くからすばやく活動できるので、早朝にはまだ動きの鈍い動物をエサにしやすいからです。体長が3メートル以上あった Dimetrodon grandis は下図のような生物です(図2 以下化石生物の図はウィキペディアより借用しました)。

 

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このスフェナコドンに近縁の生物から、獣弓類(獣弓目=テラプシダ)に進化した種が生まれたと考えられています。ウィキペディアによると、現在知られうる最古の獣弓類は、2億6,880万年~2億5,970万年前に生息したテトラケラトプスとしています(2、図3)。体長50~60cmで顔に4本の角があります。白亜紀にトリケラトプスという恐竜がいましたが、これとは全く関係ありません。

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獣弓類には大別して異歯亜目(ディキノドン類・ディノケファルス類)と獣歯亜目に分類されます。ディキノドン(3、図4)は異歯亜目を代表する生物の一つで、体長1.2mくらいの植物食の生き物でした。ペルム紀最後の大絶滅で姿を消しましたが、大絶滅後近縁のリストロサウルスが繁栄し、中生代三畳紀を代表する生物となりました。ディノケファルスの例としては、モスコプス(4、図5)が有名です。彼らも植物食で体長は最大5mくらいある巨大な生物で、頭骨が分厚い(~10cm)のが特徴です。ディノケファルス類はペルム紀最後の大絶滅で、すべて姿を消しました。

異歯とは歯が1種類ではなく、用途に応じて分化していることを示します。たとえばディキノドンは2本の犬歯を持っています。獣歯類はさらに哺乳類に近い歯を持っていました。つまりエサを殺戮するための牙、切り裂くための切歯、かみ砕くための臼歯などを備えていて、肉食に便利な歯の分化がおこったわけです。

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獣歯類を代表する生物としては、ゴルゴノプス(5、図6)とテロケファルス(6、図7 Moschorhinus kitchingi)、そして哺乳類の直近の祖先と考えられているサイノドン(キノドン)があげられます。ゴルゴノプスは体長2mくらいの、ペルム紀後期を代表する肉食獣でしたが、ペルム紀末の大絶滅時代を生き延びることができませんでした。

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ゴルゴノプスでひとつ注目したいのは、あごの骨に多くのくぼみがあり、これが洞毛(ひげ)の毛根を収納するためのものだったのではないかと考えられることです。そのような観点から頭部を復元した図がウィキペディアにでています(5、図8)。

洞毛は哺乳類の場合 1)栄養を供給するための血洞で毛根を囲む 2)感覚神経が毛の動きを検出できるよう接触する 3)任意に動かせるように随意筋がくっついているなどの特徴がありますが、毛の構造自体は体毛と同じで、周辺の構造が体毛より進化したというものなので、洞毛があると言うことは体毛もあると考えてよいと思います。

したがって、ゴルゴノプスには体毛があり、内温動物だったと想像できるということです。体毛は熱を逃がさないためにあるので、内温動物ならではの器官だと考えられます。

テロケファルスには図7のような肉食性の者以外に、草食性の生物もいたようです。彼らおよびサイノドンについては次回に譲ります。

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参照

1)https://en.wikipedia.org/wiki/Dimetrodon

2)https://en.wikipedia.org/wiki/Tetraceratops

3)https://en.wikipedia.org/wiki/Dicynodont

4)https://en.wikipedia.org/wiki/Dinocephalia

5)https://en.wikipedia.org/wiki/Gorgonops

6)https://en.wikipedia.org/wiki/Therocephalia

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生物学茶話@渋めのダージリンはいかが19: 石炭紀の生物2

最初期に現れた爬虫類として考古学者に認められているのは、3億1500万年前の地層から発見されたヒロノムスというトカゲに似た生物です(図1 ウィキペディアより)。ウィキペディアによると30cmくらいの体長があったようです。初期の爬虫類は当時の両生類が獲得していた聴覚を失っていたようで、より原始的な両生類から進化したのかもしれません。

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ヒロノムスはヒトにも存在する距骨を持っていました。これは足と指を連結する足首の骨で、爬虫類型両生類では3つに分かれていたのがひとつになったものです(図2)。大地を力強く踏みしめて歩くには必要な進化だったのでしょう。

彼らがどんな卵を産んでいたか、あるいは卵胎生だったか、などについては全くわかっていません。石炭紀後期に両生類から陸上生活に適応するものが出現する過程で、さまざまな試行が行われ、それらの中から恐竜・カメ・ワニ・ヘビ・鳥に進化するグループと哺乳類に進化するグループが分岐して出現したと思われます。

 

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上陸したばかりの初期の爬虫類であるヒロノムスなどの場合、頭蓋骨に開いている穴は鼻(2)、眼(2)、頭頂(1)の5つで、それ以外の穴(側頭窓)はありませんでした(図3)。このような原始的な爬虫類をまとめて無弓類と呼びますが、特に分類学的にまとまっているわけではないそうです。不思議なことに、このあと哺乳類に進化するグループは側頭窓が2つ(片側1つ)、恐竜などに進化するグループは側頭窓が4つ(片側2つ)あるものに限定されることになり、前者を単弓類、後者は双弓類と呼びます(図3)。これらにはいずれも綱という分類学上の階級が与えられています。

各グループの頭蓋骨の形状を図3に示します。ただし現代に生きている鳥やヒトでは、これらの側頭窓は失われています。側頭窓の機能としては、アゴの筋肉を付着させて咀嚼力を高めるとされていますが、ピーター・D・ウォードなどは頭部を軽くするためとしています。

 

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最古の単弓類として、石炭紀後期の3億1130万年から3億920万年前に生息していたアーケオシリス(1、図4)やクレプシドロプスが知られています。あるいはディアデクテスが単弓類の原型だという考え方もあります。

同時期には最古の双弓類であるペトロラコサウルス(図5)なども生きていました。しかし石炭紀後期からペルム紀に圧倒的に優勢になったのは単弓類でした。単弓類(当時の主要な単弓類をまとめて盤竜類ともいう)は石炭紀後期からペルム紀前期にかけて大繁栄し、多くの種を出現させました。

 

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図6は石炭紀の代表的な盤竜類(後に登場する獣弓類以外の単弓類を便宜的にまとめた呼称)で、アーケオシリスと近縁のオフィアコドン、スフェナコドン科の Ctenospondylus casei 、エダフォサウルスの再現図をウィキペディアから借用して示します。背中にある帆のような突起物は、ここに血液を循環させて太陽熱であたため、朝なるべく早く活動できるようにするためと思われますが、さてどうでしょうか?

石炭紀後期からペルム紀に至る単弓類全盛の時代には、双弓類は原型に近いトカゲのような形態を保って、地味に生き延びていたようです。彼らが適応放散して繁栄するのは中生代まで待たなければなりません。

 

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両生類と陸上生物についてばかり述べてきましたが、石炭紀当時の海はどうなっていたのでしょうか? ウミユリという棘皮動物、つまりウニやヒトデと同じ門の生物が大繁栄していました。ウミユリはカンブリア紀から現代までずっと生息しつづけている生物ですが、石炭紀の頃が量的にも多様性からも最も繁栄したと考えられています。現代で知られているのはインドネシアのコモド国立公園で、美しいウミユリが名物になっているようです(2)。

石炭紀の海は、海底が色とりどりの草原のようで美しかったことでしょう。魚類ではサメが勢力を拡張しました。ウィキペディアの図(図7)を貼っておきますが、上の3匹は Echinochimaera で、下の4匹は Harpagofututor という奇妙なサメです。

 

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石炭紀末からペルム紀初頭に至る200万年の間、氷河期が到来しました。ゴンドワナ大陸には2000万平方キロメートル(日本の面積の数十倍)の氷河が存在したそうです。同時にパンゲアすなわち地球上で唯一の巨大大陸が完成し、乾燥した気候がつづいて石炭紀の大森林が衰退しました。

余り知られていませんが、ウェゲナーの大陸移動説の証明には古生物学が大いに貢献しました。どの時代にどのような陸上生物の化石がどの大陸でみつかるかという結果を詳しく分析すれば、どの大陸がいつ分離したかということがわかります。陸上生物は海を渡って他の大陸に行けないので、離れた場所でも同じ生物種の化石が見つかれば、当時は地続きの大陸だったと推測できます。


参照

1)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%A4%E7%AB%9C%E9%A1%9E  

2)https://www.pinterest.com/pin/359865826448697713/


本稿執筆に当たり参考にした書籍

「恐竜はなぜ鳥に進化したのか」  ピーター・J・ウォード著 垂水雄二訳 文藝春秋社 2008年

「石炭紀・ペルム紀の生物」 土屋健著 技術評論社 2014年

「哺乳類型爬虫類 ヒトの知られざる祖先」 金子隆一著 朝日新聞社 1998年

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生物学茶話@渋めのダージリンはいかが18: 石炭紀の生物1

デボン紀に続く石炭紀は3億5900万年前~2億9900万年前の時代です。まず図1をみてみましょう。デボン紀の後期にFーF境界という謎の絶滅があって、しばらくしてから石炭紀になります。F-F境界については、ウィキペディアを見ても、当時気温が低下したのか上昇したのかすらよくわかっていないようです(1)。  

絶滅時代に13%くらいに落ちていた酸素濃度は石炭紀の初期には17%くらいにまで回復し、その後ペルム紀初期にかけてどんどん上昇していきます。しかしながら、生物の多様性はこの間全体的には進行していないことが読み取れます(図1赤いカーブ)。石炭紀の中央あたりに青▼の絶滅マークがありますが、これについてもよくわかっていません。二酸化炭素の減少に植物がまだ対応できなかったのか、あるいはゴンドワナ大陸とローレンシア大陸が衝突するという地殻変動の影響があったのかもしれません。

 

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デボン紀から石炭紀にかけて、陸上にはじめて森林が形成されました。現在の大気中の二酸化炭素濃度は 0.037% (370ppm) ですが、デボン紀はじめには 3600ppm 以上あった濃度が、石炭紀の中頃には現在と同じくらいの濃度にまで低下してしまいました。すなわちデボン紀・石炭紀の空気中の二酸化炭素は植物によって固定され、植物の死骸が土に埋もれて石炭になってしまって、空気中には戻らなかったのです。これはシアノバクテリアによって大気に酸素が放出されて以来の、生物による自然環境の激変と言えるでしょう(2)。

図2は石炭紀の想像風景です(ウィキペディアより)

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ここで疑問が湧いてくるのは、巨大な草食恐竜を育てるのに十分な森林があったジュラ紀・白亜紀などに起源を持つ石炭が少ないのはなぜでしょうか? 木材の主成分の一つであるリグニンを分解できる白色腐朽菌が出現したのは石炭紀の末期(約2億9千万年前)で、それまでは樹木が倒れても腐らずそのまま地面に保存されていたので、石炭紀の地層には石炭が豊富に見られるそうです(3)。ペルム紀以降は樹木が倒れると、まず白色腐敗菌がリグニンを低分子化し、他の細菌がさらに分解して無機物質化するため、樹木が豊富でも石炭はできませんでした。つまり樹木が多いこととリグニンが分解されないことが石炭形成の条件です。

さらにピーター・ウォードの本(4)を読んでいると、石炭紀後期には酸素濃度が30%くらいあったので、落雷があるごとに火事になっていたという記述があって、それなら微生物は分解利用する暇が無いし、植物の死と再生のサイクルが早くて、石炭ができやすかったのかもしれません。

酸素濃度が非常に高かったということは、石炭紀後期は肺を持たない節足動物にとっては好適な環境でした。メガニューラというトンボのなかには、羽を広げたときの幅が70cmくらいある種もいました(図3)。彼らをはじめ多くの昆虫が、石炭紀に陸地に上陸したばかりか、空を飛ぶ機能まで獲得したことは、それまでの静かな陸地の状況を一変させました。その他体長1メートルあるいはそれ以上のヤスデやサソリもいたようです。ロバート・ダドリーによると、酸素濃度を高くした環境でショウジョウバエを育てると、体の大きなショウジョウバエが発生するそうです(5)。

 

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デボン紀にいたイクチオステガやアカントステガという、まだ主に水中で生活していたと思われる生物(一応両生類とされている)から、陸上主体の生活をする両生類が出現するまでの間に相当する石炭紀前期の地層から全く両生類の化石が発見されず、そのことを指摘したローマ-にちなんでこの期間は「ローマ-の空白 Romer's gap」と呼ばれていましたが、ジェニファー・クラックが2002年にペデルペス(前回のデボン紀2の記事に図があります)というミッシング・リンクを発見して少し落ち着きました(6)。

ただ3億6000万年前から3億3000万年前までの期間は、両生類にとっては細々と生き延びていた雌伏の時期だったのでしょう。ピーター・ウォードの仮説によれば、デボン紀の大量絶滅から石炭紀前期の「ローマ-の空白」期に至るまでの期間、酸素が不足していたため、陸上にはほとんど動物がいなかったということになっています。

そして石炭紀中・後期にどんどん酸素濃度が上昇するとともに、上記の昆虫全盛期が訪れ、四肢動物もいよいよ陸上に進出しました。四肢動物が上陸を果たすには、これまでにも述べてきたように、浮力の無い地上でも歩き回れるような筋肉をもつ四肢、空気中の酸素を利用するための肺が必要でしたが、必要なのはそれだけではありません。水中での生活と縁を切るためには、胎生となるか、殻付きの乾燥しない卵を地上に産むかという新機軸を獲得しなければなりません。

 

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図4は卵生と胎生のメカニズムを図示したものです(7)。両生類や魚類の卵はイクラをみればわかるように、子供と栄養(卵黄)をゼリーで被い、さらに卵膜で囲んであります。ゼリーや卵膜はアンモニアを透過するので、水中に生む場合は子供の尿(アンモニア)は拡散によってまわりに排出されるので大きな問題はありません。

ところが陸に卵を産んだり、母体で育てる場合には、アンモニアをどうするかが大問題となります。アンモニアはさわるとヤケドをするくらい危険な物質ですし、神経毒性もあって、とても体内にため込んではおけません。より毒性が低い尿素や尿酸に代謝する必要があります。爬虫類や鳥類は外界に殻付きの卵を産む場合が多いので、アンモニアを尿酸に代謝して尿膜腔という袋にためこみます。哺乳類は尿膜を胎盤と一体化させ、胎児が排出したアンモニアを胎盤を通して母親の体内に移して、母親が尿素に変換するというやり方で問題を解決しています。

しかしここで一つ疑問があります。爬虫類は最初から殻付きの卵を産んでいたのでしょうか? 両生類が産むような卵に、単に殻をつけて陸上に産んでしまうと、子供は尿毒症で死んでしまいます。その前にアンモニアをどうにかする代謝経路や、子供を包んで乾燥を防ぐ羊膜や尿をため込む袋とか構造的なものも準備しなくてはなりません。

内部が羊水で満たされた羊膜は爬虫類・鳥類・哺乳類が持っているもので、両生類にはありません。そこで爬虫類・鳥類・哺乳類をまとめて有羊膜類といいます。初期の爬虫類はおそらく羊膜をかぶせた胎児を羊水で満たされた羊膜腔で育てていたのではないでしょうか(胎盤はなくても胎生あるいは卵胎生)。アンモニアの代謝は現代魚類でもある程度は行っているので、初期の爬虫類もそこそこできたのではないでしょうか。

今生きている爬虫類のなかにも、イエローベリー・スリートード・スキンク(Saiphos equalis)などのように、同じ種で胎生と卵生を行う場合があるので(8)、結構胎生と卵生の変換そのものは、進化の過程でそれぞれの準備ができていれば、そんなに困難ではないと思われます。たとえば羊膜に包まれた卵を湿地に産んだり、干上がってしまったら産まずに体内にとどめるなどということもあり得たと思います。そうこうするうちに尿膜腔を獲得し、輸卵管からの分泌で殻をつくる術を獲得しという順で進化が進んで、典型的な卵生の爬虫類が誕生したと想像できます。

 

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哺乳類の場合胎盤を発達させて、これを通して胎児への栄養供給と老廃物処理を行うようにしたので、卵黄と尿膜腔はいらなくなりました。尿膜腔は胎盤と一体化したと述べましたが、卵黄嚢は別の用途で利用しています。それは胎児型赤血球の産生で、肝臓・脾臓・骨髄などの造血器官がまだ整備されていない胎児は、卵黄嚢などでつくられた赤血球を利用します。図5はエコーでみるヒト胎児の卵黄嚢です(7)。

 

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図6はアンモニア・尿素・尿酸の構造式です。アンモニアと尿素は水に良く溶けますが、尿酸は難溶性です。尿素は水に良く溶けるので、濃度が濃くなると浸透圧が高くなって、子供の体から水を奪うことになります。このため殻付きの卵では、尿酸に代謝することが必要になります。

 

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図7はアンモニア無毒化のために私たちが使っている代謝経路で、尿素回路と呼ばれています。私たちだけでなく、一般的に魚類・両生類・哺乳類はこの回路を利用し、そしておそらく初期の爬虫類も尿素回路を使ってアンモニアを無毒化していたと思われます。

水生無脊椎動物はほとんどがアンモニアを排出します。硬骨魚類が排出する主要な窒素化合物はアンモニアですが、尿素も淡水魚では全窒素の10%~20%、海水魚では20%~40%排出します。軟骨魚類のサメやエイは主として尿素を排出します。肺魚は水生生活の時、アンモニア(65%)と尿素(35%)を排出しますが、夏眠中は全てを尿素として体内に蓄積し、夏眠が覚めると一気に排出します。オタマジャクシはアンモニア排出動物ですが、変態してカエルになると尿素排出動物となります。

このように水生から陸生へ進むには、形態の変化だけではなく、代謝の変化も必要です。石炭紀前期はそのために生物が苦闘していた時代といえるでしょう。

参照

1)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%87%8F%E7%B5%B6%E6%BB%85

2)地球と気象・地震を考える
http://blog.sizen-kankyo.com/blog/2009/03/504.html

3)リグニン
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%82%B0%E3%83%8B%E3%83%B3

4)「恐竜はなぜ鳥に進化したのか」 ピーター・J・ウォード著 垂水雄二訳 文藝春秋社 2008年 または文春文庫2010年 (註:この本の日本語タイトルは内容と著しく異なっており(原題は Out of thin air)、実はカンブリア紀からの生物と環境の関係を記述してある本です)

5)ピーター・ウォード、 ジョゼフ・カーシュヴィンク、 訳:梶山あゆみ、「生物はなぜ誕生したのか 生命の起源と進化の最新科学」 河出書房新社 (2016)
こちら

6)Jennifer A. Clack, An early tetrapod from ‘Romer's Gap’., Nature vol. 418, pp. 72-76, 2002
https://www.nature.com/articles/nature00824

7)「哺乳類型爬虫類 ヒトの知られざる祖先」 金子隆一著 朝日新聞社 1998年

8)ナショナルジオグラフィック: 卵生から胎生へ進化中のトカゲ
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/3081/?ST=m_news

 

 

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2016年9月17日 (土)

生物学茶話@渋めのダージリンはいかが17 デボン紀の生物2

「デボン紀の生物1」で記したように、デボン紀初期には陸上に植物が繁茂し、しかも空気中の酸素が25%もあったので、肺を持たないにもかかわらず節足動物はすでに陸地に進出していました。彼らの仲間はもともと海底を歩いていた者が多かったので、陸地での生活への適応は容易だったとおもわれます。ただそれは酸素濃度が濃い場合の話で、中期には13%まで濃度が減ってしまったので、この環境変化に彼らの多くは耐えられませんでした。昆虫は心臓や血管を使って酸素を体内に循環させるという心肺機能をもたず、気管内の拡散にたよっているため、現在の環境(酸素濃度20%)でも小さなサイズのものしか生きられません。13%という数値は、非常に厳しいといえます。

一方で当時の脊椎動物はほとんどが泳いで生きるというライフスタイルだったため、デボン紀初期の上陸のチャンスを逸してしまいました。しかしその後の酸素濃度の低下に適応して、効率よく空気中の酸素を利用できる肺を発明したことが、デボン紀中後期における脊椎動物の地上への上陸の基盤になりました。初期の肺の使い方としては、ときどき水面まであがって空気を吸うという方式です。空気中には 200ml/L の酸素があるとして、水中の飽和酸素量は 20°C で 30ml/L くらいですから、肺があれば有利です(1)。

条鰭類は肺を獲得したにもかかわらず、その後の乾燥による河川や湖沼の環境悪化のため、海に戻らざるを得ませんでしたが、一部の肉鰭類はエラを手足に変化させて歩き始め、ついには陸上でも生きていけるようになります。しかしその過程は非常に困難なものでした。デボン紀後期には気候変動や隕石墜落による大絶滅時代が存在し、彼らはその時代を生き抜かなければなりませんでした。

 

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図1は肉鰭類の肺魚が四肢を獲得するまでの過程を示したものです (from wikipedia 以下同)。この左下に最も初期に四肢動物の兆候を示したユーステノプテロンがいます。化石は3億8500万年前(デボン紀中期から後期)くらいの地層から発掘されました。彼らは普通の魚類のようにみえますが(図2)、その胸びれ・腹びれには私たちと同様上腕骨・尺骨・橈骨が認められます(2)。彼らは自分たちが住んでいた河川・湖沼が干上がる兆候をみせたとき、この強靱な胸びれ・腹びれを使って陸地を移動できたと思われ、これが当時の環境において適者生存を勝ち得たのでしょう。

 

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図1のユーステノプテロン(Eusthenopteron) の上に描いてあるのがデボン紀後期に出現するパンデリクチス (Pandericthys) です。ユーステノプテロンはまだ見た目魚類の感じですが、パンデリクチスになると、魚類とは違和感があります。その要因は彼らは背びれと体の下側の腹びれを失っていることです、手足に相当するひれしかないので、見た目にも四肢動物の祖先という雰囲気が漂っています(図3)。彼らは浅い沼のようなところで生活するのに適しており、目は上向きについていますし、頭頂に呼吸孔があってそこだけ出せば水底の泥の中にかくれていても呼吸ができたようです。

 

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図1でパンデリクチスの右側にいるのがティクターリクで、この生物に関する記載は2006年に発表されました。デボン紀後期(3億7500万年前)のワニっぽい感じの動物で、2メートル70センチの体長があると示唆される化石が発見されています。彼らには首があり、左右に振り向くことができたようです。また骨盤が発達してきていて、いよいよ後ろ足を使って歩く準備が進んできたことを示しています。そして彼らの時代からデボン紀大絶滅がはじまりました。デボン紀末の大絶滅は、その原因や期間を含めてまだはっきりしないことが多いようですが、板皮類・棘魚類・無顎類の多くの種が絶滅したことは明らかです。もうひとつわかっていることは、海の動物にくらべて、河川・湖沼の動物は影響が軽微だったということです。

そのためでしょうか、普通大絶滅があると生物相がガラッと変わって紀がかわるのですが、デボン紀の大絶滅期は、終了後もデボン紀です。終了後はデボン紀末期ということになります。

 

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そういうわけで魚類の四肢動物化は順調に進み、デボン紀末期(3億6500万年前)のアカントステガ(図4)に至ります。彼らは明らかにヒレではない腕と足を持っており、しかもその先端には8本の指が認められます。サイズは60cmくらいだったようです。いつもは水中に生活していて、エサをとるために上陸したと考えられています。同じ時期にイクチオステガという後肢7本指(前肢不明)のよりがっちりとした体格の大型生物(体長1.5mくらい)も生きていました。彼らのような明らかな四肢動物と、ティクターリクなどの肉鰭魚類との中間的な動物もみつかっており、デボン紀後期~末期には、四肢動物あるいはその前駆的な動物は多様化が進んでいたと思われ、そのなかから石炭紀前期の両生類ペデルペスへとつながっていったのでしょう(図5)。

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図1の右下にいるシーラカンスは不思議な生き物で、肉鰭類の魚なのですが、条鰭類と同様、いったん肺を獲得したにもかかわらず海に帰ったグループです。条鰭類は肺を浮き袋にして生き残りましたが、シーラカンスは浮き袋を獲得することはできず、そのかわり肺を脂肪で満たしたり、骨を軟骨にして深海で生き延びました。こうした一見進化から取り残されたような風変わりなグループが、デボン紀の大絶滅はもちろん、ペルム紀や白亜紀の大絶滅も乗り越えて数億年の間そのままの形で生き残り、図1にみられるその他のグループはすべて絶滅しているというのは進化の皮肉と言うべきでしょうか。

最後に魚類・四肢動物以外の生物に触れておきます。軟体動物については腕足類やオウムガイは健在で、アンモナイトに近い種も出現しました。節足動物については、まずシルル紀に大繁栄したウミサソリは、シルル紀ほどではなくても健在。カブトガニも命脈を保ち、彼らはウミサソリが絶滅した現在でも生き続けています。サソリはデボン紀に陸上にあがり、やはり現在も健在です。三葉虫はシルル紀には低調でしたが、デボン紀には結構繁栄をとりもどしたようです。板皮類などに簡単に食べられないようにトゲなどで武装する種が増えました。

ダニやリニエラ(トビムシ)はデボン紀前期には陸上で生きていたようです。特に後者は昆虫の祖先と考えられています。クモの祖先であるワレイタムシ(トリゴノタルビーダ)も生きていたようです。ワレイタムシの化石からは書肺というクモがもつ空気呼吸用の臓器も発見されているそうで、すでにデボン紀前期に彼らが上陸していたことが示唆されます。レピドカリスというエビもデボン紀前期の地層から数多くみつかっています。


参照

1)飽和溶存酸素量について
http://d.hatena.ne.jp/Rion778/20110814/1313248269

2)パレオス Sarcopterygii: Osteolepiformes: Eusthenopteron
http://palaeos.com/vertebrates/sarcopterygii/eusthenopteron.html

3)参考書:「デボン紀の生物」土屋健著(技術評論社 2014年刊)
本稿執筆に当たって参考にさせていただきました。

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生物学茶話@渋めのダージリンはいかが16: デボン紀の生物1

デボン紀はシルル紀(1)につぐ4億1600万年前から3億5900万年前までの期間です。デボン紀にはあまりにも多くの生物にとって重要なイベントがあったので、簡単にまとめるのは難しいと思います。生物の歴史における最大のキーポイントかもしれません。ここでは2回にわけて述べることにします。

 

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最初にふたたび図1の Sepkoski curve を見てみましょう。カンブリア紀からオルドビス紀にかけて順調に増加してきた科の数が、オルドビス紀とシルル紀の境界にある寒冷期に(数字1)ドカンと落ち、シルル紀(S)に元の数にもどして以降、デボン紀(D)・石炭紀(C)を通じて頭打ちになっていることがわかります。生物の多様性がデボン紀以降しばらく、どうして頭打ちになったのでしょうか? ジュラ紀以降にはまた増加していることから、この頭打ちは遺伝子の構造上の限界というものではなく、その時代の特殊な事情がかかわっていると思われます。

ひとつはオルドビス紀からジワジワと陸地への上陸をはじめていた植物が、デボン紀に至って森林を形成するまでに陸上で繁茂するようになったことでしょう。植物はそれまで地球に蓄積されていた温暖化物質である二酸化炭素をとりこんで利用してしまったため、地球寒冷化を招いてしまったかもしれません。バーナーのシミュレーション(2)によるとデボン紀後期から二酸化炭素は急減し(16%→7%)、石炭紀からペルム紀中期まで非常に低い状態(1%あるいはそれ以下)が続いたそうです。一方酸素はデボン紀初期には25%ありましたが、中期には13%くらいまで落ち込みました。これは生物にとっても大きな影響があったに違いありません。

もうひとつの変化は、シルル紀に地殻変動がおこり、ローレンシア大陸とバルチカ大陸が衝突してひとつの大陸となったことです。衝突地点には山脈が形成されました。山脈には雲がかかり、雨が降って川が形成されます。麓には広大な湿地帯ができたと思われます。生物の多様性はトータルでは頭打ちになりましたが、デボン紀にこの湿地帯で生きるための遺伝子を獲得した生物のなかから、私たちの祖先となる四肢動物が生まれてきたことは間違いないでしょう。

四肢動物の話の前に、まず海洋の生物から話を進めましょう。デボン紀は魚類が大繁栄した時代として知られています。この大繁栄は現代まで続いています。魚類の歴史は古く、拙稿でも触れたようにカンブリア紀から生きていて、素晴らしい筋肉や装甲によって、逃亡力や防御力を高めてオルドビス紀・シルル紀と生き抜いてきました。それでも海の主役になれなかったのは、攻撃力が不足していたからです。しかしシルル紀に登場した棘魚類(きょくぎょるい)・板皮類(ばんぴるい)は顎をもち、歯に相当するものもあって、デボン紀にはついに海の主役に躍り出ました。

特に有名なのは板皮類のダンクレオステウスで、海の王者にふさわしい凶暴な面構えには圧倒されます(図2)。ダンクレオステウスの噛む力は、あの最強の肉食恐竜ティラノサウルスにも匹敵するほどだったそうです(3)。5トンの咬合力があれば節足動物の外骨格や軟体動物の貝殻も破壊することができて、まさに海の王者にふさわしいステータスだったと思われます。

 

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顎と歯をもつ魚類の起源はどのあたりにあるのかという疑問について、大きなヒントが中国の朱敏らの研究によって提供されました。彼らはエンテログナトゥス・プリモルディアリスというシルル紀末期の風変わりな板皮類の化石から、この魚類が私たちが持つ顎や歯の基本設計を確立したと推定しましたが、これにはまだ疑問の余地があるようです(4)。

デボン紀には板皮類の他に棘魚類・硬骨魚類・軟骨魚類・無顎類などいろいろな魚類が生きていましたが、これらの類縁関係は現在でもはっきりしていません。とはいえとっかかりがなくては困るので、系統図を描いてみました(図3)。この図の中央にいる棘魚類というのが、板皮類・軟骨魚類・硬骨魚類の中間的なグループで。考古学者を特に悩ませているようです。

 

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デボン紀後期には、軟骨魚類(特にサメ)が全盛を誇っていた板皮類を脅かす存在として台頭してきました。代表的な当時のサメ、クラドセラケを図4に示します。体長は2mに達していました。彼らはスマートな体型、大きな腹びれと尾びれ、強力な筋肉によって破格の遊泳能力を獲得し、しだいに板皮類を圧倒していったのだと思われます。板皮類は絶滅しましたが、軟骨魚類は現在でも繁栄しています。

 

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では現在脊椎動物の中で最も繁栄しているグループである硬骨魚類はどうしていたのでしょう? 硬骨魚類もすでにシルル紀から現れていたことがわかっていますが、デボン紀にはまだまだマイナーな存在でした。硬骨魚類には2つのグループ(綱)が存在し、ひとつは条鰭類(じょうきるい)でいわゆる現在普通に見られる硬骨魚類、いまひとつは肉鰭類(にくきるい)という私たちのご先祖様です。条鰭類は薄くて硬いヒレでスマートな泳ぎをめざし、肉鰭類はヒレに筋肉をつけて自在さとパワーを重視した方向をめざしました。

当時生きていた条鰭類に極めて近い魚で、現在でもみられるのがポリプテルスとチョウザメです。チョウザメはサメではなくれっきとした硬骨魚類です。ポリプテルスは肺呼吸ができる魚類です。

肉鰭類で現在でもデボン紀と同様な形態のものは、シーラカンスが有名です。しかしもうひとつの肉鰭類である肺魚というグループが現在も生息しています。一時期東京タワーの1Fにある水族館にすべての現存種が飼育されていましたが、現在はみられません。ただ図5のアフリカハイギョのように養殖が成功して、容易に入手できるものもあるようです(5)。

 

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肺魚の特徴は肺呼吸する以外に、鰭が筋肉質であることです。これが陸上で生活する四肢動物の起源となりました。デボン紀には肉鰭類はそこそこ繁栄していたようです。板皮類やサメとは棲み分けていたのかもしれません。特に肺魚は繁栄していたようです。

彼らはおそらくローレンシア大陸に形成された広大な湿地帯で生きていて、乾燥に備えて肺呼吸が必要だったと思われます。また浅瀬では泳ぐと岩などに体をぶつけてケガをするので、底を這うような生き方の方が有利だったのかもしれません。

硬骨魚類はデボン紀にはまだマイナーな存在であり、海洋ではサメや板皮類に追われる存在だったようです。彼らの中に、ローレンシア大陸の河川や湿地帯に移住するものが出現しました。しかしこれらの淡水域には雨期と乾期が存在し、乾期には酸素の不足が顕著になります。その結果彼らの中で肺を持つものが出現し、適者として生存することになりました。

その後海洋での大絶滅などがあって、ふたたび海にもどったのが現在の魚類となりました。肺を獲得した硬骨魚類が海にもどるに際して、肺は不要になり浮き袋となりました。これは進化の妙で、浮き袋のおかげで彼らは眠ることができるようになりました。魚類は体の比重が海水より大きいので、何もしないと沈んでしまうのですが、硬骨魚類は浮くことができます。

一方サメなどはいつも沈まないように泳ぐことが必要で、骨も密度の低い軟骨でがまんしなければならないということになりました。つまり硬骨魚類はいったん海洋での生存競争に敗れましたが、河川で棲息するうちに肺を獲得したことによって、思わぬアドバンテージ=浮き袋を得て、いまや軟骨魚類を圧倒するような繁栄に至ったわけです。

硬骨魚類の中で泳ぐのが得意な条鰭類は、中生代のはじめに多くが海に戻ってしまったのですが、肉鰭類のなかには泳ぐのが困難な浅瀬や湿地帯に適応して生き延びる種があらわれました。やがて筋肉質のヒレは手足に進化し、四肢動物が誕生することになりました。

参照

1)https://morph.way-nifty.com/grey/2016/03/post-0149.html

2)Robert A. Berner, GEOCARBSULF: A combined model for Phanerozoic atmospheric
O2 and CO2. Geochimica et Cosmochimica Acta 70 (2006) 5653–5664

3)http://ameblo.jp/oldworld/entry-11182339156.html

4)http://yuihaga.blog.fc2.com/blog-entry-276.html

5)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%82%AE%E3%83%A7

 

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生物学茶話@渋めのダージリンはいかが15: シルル紀の生物

オルドビス紀の末期に気温が低下して、氷河期が到来しました。このために三葉虫や筆石は絶滅の危機に瀕しましたが、次のシルル紀(4億4300万年前~4億1600万年前)には温度が上昇し、現在よりも気温が高い温暖な気候になったため、生物は再び大繁栄することになりました。

筆石(1)はカンブリア紀から存在する生物ですが、これまで言及しなかったので、ここで触れておきたいと思います。筆石はその名前の通り最初は鉱物と思われていたのですが、最近の研究によって翼鰓綱の生物とされています。この綱は半索動物門というわれわれ脊索動物門に近いグループに所属しています。筆石は群体生活を送り、個々の生物はそれぞれ自分の分泌物を使って住居(棲管)を作ってそのなかで生きています。その棲管が化石となって残るので、古生物学者にとっては有難い生物です。実際オルドビス紀からシルル紀までの時代を、この生物の化石の細かい違いによって、100万年単位で同定できる場合もあるようです。

筆石と非常に近いと思われるフサカツギ(2)は現在も生きていますが、大変珍しいそうです(図1 東京医科歯科大学 和田勝先生描画)。半索動物にはもうひとつギボシムシ(3、4)というグループがあり、こちらは割とみつかりやすく、私も三崎の砂浜から掘り出したことがあります。フサカツギとギボシムシが近縁な生物であることはDNAの解析から証明されています。またギボシムシのゲノムには、「咽頭部形成遺伝子クラスター」という新口動物にしかない遺伝子クラスターが存在します(4、5)。新口動物(=後口動物)とは原口が口にならず、校門となり(あるいは、原口の付近に肛門が形成され)、口は別に形成される動物のことをいいます。棘皮動物門・半索動物門・脊索動物門などがこのグループに所属します。

 

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さてオルドビス紀に食物連鎖の頂点に立ったチョッカクガイの仲間たちはどうなったのでしょうか? 

彼らは氷河期に絶滅したようですが、近縁のオウムガイ(6、図2)が生き残りシルル紀に繁栄しました。しかもオウムガイは現在でも生きていて、その形態は4億年の間ほとんど変わっていません。飼育は難しいようですが、オウムガイやウミユリのような生物が5回の大絶滅時代を生き抜いてきたというのは謎です。

形態的に類似するアンモナイトはまだその起源がはっきりしませんが、シルル紀にすでに出現していた可能性もあるようです。アンモナイトは形態的にはオウムガイに似ていますが、詳細な解析により現在ではむしろイカやタコと近縁な生物と考えられています(7)。

 

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ウミサソリ(図3)はオルドビス紀末の氷河期を生き抜き、シルル紀に繁栄しました。図3にみられるように、足のうち2本が歩くためのものから泳ぐための櫂(パドル)に変化しており、これを使ってボートを漕ぐように自由に遊泳していたと思われます。サソリと言ってもしっぽの毒針で攻撃するような生き方をしていたかどうかはわかりません。近縁のカブトガニは泳ごうとしないで、ゴソゴソ海底を這い回る生き方を選択しましたが、一見不利と思われるこの生き方を選択したカブトガニが現在まで子孫を残し、ウミサソリは絶滅してしまったわけで、これも進化の皮肉のひとつなのでしょう(8)。

 

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マレッラ、三葉虫、ウミユリなどの生物もオルドビス紀からシルル紀に引き継がれました。こうしてみるとオルドビス紀とシルル紀には大差がないように思われますが、最も大きくイメージチェンジしたのは魚類です。棘魚類(きょくぎょるい)という顎と歯を持った魚類の誕生によって、それまで目立たなかった魚類が、凶暴な捕食者として台頭してきました。今でも顎と歯を持つ魚類は大繁栄していますが、一方で顎のない魚類もかろうじて現代まで生き延びていて、ヌタウナギは死体をあさる、ヤツメウナギは泥を飲み込んで有機物をエサにするというような目立たない生き方をしています。

一方で顎をもつ魚類はアグレッシヴで、のんびり遊泳している生物はたちまちバリバリと食べられてしまいます。棘魚類はその名前のように、腹びれと胸びれの間にトゲを持っているのが特徴です(図4)。この他に頭部が強力な骨のアーマーで装甲されているのが特徴の板皮類も出現しました。板皮類も棘魚類と同様、顎と歯を持っていました。これは次のデボン紀のこととなりますが、板皮類のなかには胎生のものがいたようです(へその緒の化石が2005年に発見されました、9)。棘魚類と板皮類の魚は中生代までは生き残れませんでした。現代も繁栄している軟骨魚類(サメ・エイなど)や硬骨魚類(タイ・ヒラメなど)もシルル紀に出現したとされていますが、当時はまだまだマイナーな存在だったようです。

 

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DNAの解析からは昆虫の祖先はシルル紀には出現していたはずだそうですが、化石による証明がないのでまだはっきりしていないようです。一部の植物(コケ類)はオルドビス紀から陸上に存在したと考えられていますが、シルル紀になるとシャジク藻と近縁のクックソニアという植物が本格的に上陸して生きていたことが、化石からわかっています。


参照

1)筆石
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%87%E3%82%A4%E3%82%B7

2)フサカツギ
https://www.kahaku.go.jp/research/researcher/my_research/zoology/namikawa/index_vol2.html

3)ギボシムシから新口動物の進化を探る
http://www.biol.tsukuba.ac.jp/~hwada/project4.html

4)私たちの遠い祖先の謎が明らかに!― ギボシムシのゲノムから考察する新口動物の起源 ―
https://www.oist.jp/ja/news-center/press-releases/22375

5)Oleg Simakov et al., Hemichordate genomes and deuterostome origins., Nature, vol. 527, pp. 459465 (2015)
https://www.nature.com/articles/nature16150

6)オウムガイ
http://www.ikita-kaseki.com/ikita/omugai/

7)アンモナイト
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%A2%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%83%88

8)シルル紀の海洋と大陸・ウミサソリのイラスト
http://ameblo.jp/oldworld/entry-11577621209.html

9)最初の胎生
http://ameblo.jp/oldworld/entry-10102266577.html

 

 

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生物学茶話@渋めのダージリンはいかが14: オルドビス紀の生物

  オルドビス紀はカンブリア紀に続く4億8500万年前~4億4300万年前の時代です。以前はカンブリア紀の生物はオルドビス紀がはじまる前に多くが絶滅したと考えられていましたが、現在は多くが引き継がれていることがわかっています。

カンブリア紀から現在に至るまで、生物の多様性がいかに実現されてきたのかを Raup and Sepkoski は示してくれました(1)。この論文のグラフは Sepkoski curve とよばれ、よく引用されます。ここでも図1として示します(ウィキペディア版を改変)。縦軸は属の数(生物多様性を示す)、横軸は年代です(5千万年/目盛り)。これをみると、カンブリア紀 (Cm) の後期に若干の落ち込みはみられますが、おおまかにはカンブリア紀からオルドビス紀にかけて、順調に生物は多様性を拡大しているようにみえます。

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実際カンブリア紀からオルドビス紀にかけて大きな断絶がなかったことは、モロッコのオルドビス紀の地層からアノマロカリスの化石が出土することによって象徴的に示されましたが(2)、その他にもカンブリア紀の生物であるハルキゲニア、マレラ(3)、ウミユリ、筆石、腕足類、三葉虫などがオルドビス紀にも見られるので、オルドビス紀はカンブリア紀の生物を引き継ぎ、さらに様々な多様性が獲得された時代だと思われます。

三葉虫などはオルドビス紀になってさらに多様性を獲得し、この時代の主要な生物となりました。オルドビス紀には大きな地殻変動がなく、気候も後期を除いて温暖だったことがその主な理由だと思われます。

カンブリア紀から引き継いだ生物の中で、オルドビス紀に繁栄した三葉虫以外のもうひとつのグループはコノドントです。三畳紀までの非常に長い時代を生き延びた生物なのですが、完全な化石がみつからないので議論の多い生物です。現在ではミロクンミンギアと同じく無顎の魚類だと考えられています(4)。ウミユリはカンブリア紀から現在まで生き延びている数少ない生物です。

ではカンブリア紀とオルドビス紀の違いは何なのでしょうか。サンゴとコケムシ(5)はカンブリア紀にはめだたない生物だったと思われるのですが、オルドビス紀になると繁栄して海底の様子を変えました。両者は門が違う系統的に離れた生物なのですが、どちらも炭酸カルシウムの外骨格を持っているので、死んだ後も海底の構造を複雑にして、多くの生物に隠れ家を与えることになりました。サンゴとコケムシはカンブリア紀から現代まで、おそらくあまり生き方を変えずに生き延びている生物です。彼らの遺骸のおかげで隠れ家を得て多くの生物種が生き延びることになり、サンゴとコケムシは生物多様性の拡大に寄与しました。

オルドビス紀には軟体動物が大繁栄しました。二枚貝や巻貝が発展したほか、特にチョッカクガイに代表される頭足類(現在のタコ・イカ類)はカンブリア紀のアノマロカリスに代わって、食物連鎖の頂点に立っていたようです。

チョッカクガイ目に属するカメロケラスという生物は体長6mくらいあったようです(図2)。カメロケラスは遊泳しながらエサをとらえ、当時の海洋の王者だったようです。

アノマロカリスに代わって海底で頭角を現わしてきたのはウミサソリです。現代のサソリは砂漠の生物ですが、当時は海で生活していました(6)。彼らはシルル紀には海底の王者(食物連鎖の頂点)に登りつめました。最大で体長2.5メートルに達し、地球史上最大の節足動物とされています。ウミサソリ目はペルム紀に絶滅しました。カブトガニが近縁の生物とされていましたが、最近の分類学者達の見解ではそれほど近縁ではないとされています(6)。

 

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オルドビス紀に繁栄していた魚類は主に無顎類だと思われますが、原始的な顎口類はすでにオルドビス紀に出現していたという多少の証拠はあるようですが確定的ではなく、確実なのは今のところシルル紀からのようです(7)。

顎がいつ出現したかは進化生物学において非常に重要な問題であり、これから解明すべき課題です。オルドビス紀等の生物のイラスト集のリンク(オウムガイ・ウミリンゴ・ウミサソリなどがみつかります) → こちら 

オルドビス紀の末に、カンブリア紀以降現在までに5回発生した生物の大量絶滅の最初のイベントが発生しました。図1のオルドビス紀末(黄色の逆三角形)の落ち込みで、属のレベルではそんなにひどい落ち込みではないとみえますが、種のレベルでは85%が絶滅したとされています。

この最大の原因は気温の低下だと考えられています。気温の低下により氷河が形成されて海水面がさがり、浅瀬が陸地化してそこで生活していた生物が絶滅したわけです(8)。ただそれだけでは説明できそうもないことも事実であり、これからも議論は続きそうです。ひとつの可能性としては、氷河が出来ることにより、海洋水の循環が活発になり、たとえば深海の硫化水素が浅瀬まで流入してくるとか、酸素の濃度が変わるなどについて議論されています。海中に有毒金属が溶出し、奇形が100倍にも増えたという報告もあります(9)。

参照

1.Mass Extinctions in the Marine Fossil Record. DAVID M. RAUP and J. JOHN SEPKOSKI JR.
Science Vol. 215, Issue 4539, pp. 1501-1503 (1982), DOI: 10.1126/science.215.4539.1501
(http://coleoguy.github.io/reading.group/Raup_Sepkoski_1982.pdf)

A recent result:
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC33403/figure/F1/

2. A giant ordovician anomalocaridid. Peter Van Roy and Derek E. G. Briggs. Nature 473, pp. 510-513 (2011).

3. https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%AC%E3%83%A9

4. http://www.kahaku.go.jp/research/db/botany/bikaseki/2-konodonto.html

5. http://www.u-tokyo.ac.jp/content/400009497.pdf

6. https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%9F%E3%82%B5%E3%82%BD%E3%83%AA

7. The origin and early phylogenetic history of jawed vertebrates. Martin D. Brazeau1 and Matt Friedman. Nature. 2015 Apr 23; 520(7548): 490?497.  doi:  10.1038/nature14438
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC4648279/

8)周藤瞳美 オルドビス紀末大量絶滅の地層から水銀の凝集、大火山噴火が原因か
https://news.mynavi.jp/article/20170511-a284/

9)Cheryl Katz(日本語訳=北村京子) National Geographic News  史上2番目の大量絶滅、原因は有毒金属とする新説 化石から予想の100倍超の奇形生物見つかる
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/15/a/091500035/

 

 

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生物学茶話@渋めのダージリンはいかが13: カンブリア紀の生物 2

カンブリア紀の地球は現在とは大きく異なり、現在の南アメリカ・アフリカ・南極・オーストラリア・中国が連結して巨大なゴンドワナ大陸を形成し、他の陸地は東欧のバルティカ、北米(バージェス頁岩がみつかった場所を含む)のローレンシア、シベリアの3つの島大陸となっていました(1)。バージェス(2)はたまたま化石が残りやすい条件が整っていたわけですが、他にもそんな場所はなかったのでしょうか?

 

Photoそれは中国雲南省の澄江(チェンジャン)にありました(図1)。カンブリア紀の澄江はゴンドワナ大陸の辺境地域の入江にあります(1)。外洋から保護された湾の中で、生物にとっては住みやすい場所だったのでしょう。

ここは1907年にフランスの地質学者達によって発掘されて、カンブリア紀の化石が出ることは知られていましたが、その後日中戦争などの影響で調査がおくれ、本格的な研究は1980年代以降になりました。発掘・調査は主に南京地質古生物研究所と西北大学によって行われました。

その結果驚くべきことに、バージェスと澄江は数千キロは離れていたにもかかわらず、図2のアノマロカリスやハルキゲニアなど、バージェスで発掘されたカンブリア紀を代表する生物の化石が澄江でも発掘されています。当時の地球全体で共通の生態系があったことをうかがわせる結果です。

 

 

しかしそれらは同じ種ではなく、微妙に異なっていますし、すべての生物がそれぞれの地域の化石として残っているわけではないので、現在見ることができる化石だけで判断することはできないかもしれません。

 

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私たち人類は脊索動物門というグループに所属するわけですが、ではこの脊索動物門の生物はカンブリア紀にすでに存在していたのでしょうか? 

バージェスではピカイアという生物(図3左)がみつかっています。ピカイアには脊椎はないと考えられており、脊索動物門のなかでも脊椎動物より原始的な頭索動物に分類されています。現在生きている頭索動物の代表はナメクジウオです(2)。

 

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ナメクジウオは日本でもみられ、天然記念物に指定されています。ピカイアは武器も甲冑も持たない弱々しい生物のようにみえますが、脊索という硬い組織(骨ではない)を得たことで、そこに結合する左右の強力な筋肉を得て、くねくねと素早く動いて捕食を逃れたと思われます。またうまく泳ぐためには運動神経系とその機能を統合する部位も発達する必要があります。ピカイアは澄江での発掘が進むまで、最も人類に近いカンブリア紀の生物と考えられていました。

ところがピカイアより少し古い澄江の地層から素晴らしい魚類の化石(3)がみつかったことから、カンブリア紀に早々と脊椎動物が出現していたことが示唆されました。この魚類はミロクンミンギアと名付けられました(図3右)。この魚類はアゴを持っていない無顎類なので硬いものは食べられません。現在生きている無顎類はヤツメウナギとヌタウナギです。

結論的にカンブリア紀には、現在存在するすべての生物のグループ(門)が出そろっていたと考えられます。生物の長い歴史の中で、どうしてこのような特殊な時代が存在したのかということは、単に眼が出現したということだけで説明するのは無理かもしれません。今後の研究が待たれるところです。

日本でも茨城県の常陸太田市や日立市にはカンブリア紀の地層がありますが、残念ながら化石の保存に適した条件でなかったせいか、バージェスや澄江のようなお宝はみつかっていません。

 

参照

1)http://www.geocities.co.jp/NatureLand/5218/w-kanburia.html

2)窪川かおる ナメクジウオの生物学
http://reproduction.jp/jrd/jpage/vol47/470603.html

3)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%AD%E3%82%AF%E3%83%B3%E3%83%9F%E3%83%B3%E3%82%AE%E3%82%A2

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2016年9月15日 (木)

生物学茶話@渋めのダージリンはいかが12: カンブリア紀の生物 1

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エディアカラ紀に続くのはカンブリア紀です。カンブリア紀は5億4200万年前から4億8500万年前までの時代です。カンブリア紀と、もう少し後で述べるジュラ紀は、専門用語であるにもかかわらずかなり一般に知られています。

ジュラ紀は恐竜のおかげで有名になりましたが、カンブリア紀はカンブリア爆発という、現代の生物に近縁な多くの種が生まれた時代ということで有名です。

図1のように一般向けの文庫・新書も発売されています。左のワンダフルライフの英文原著(この本によって多くの人々がカンブリア爆発について知ることになったと思われます)は1989年に出版されたものなので、そんなに昔のことではありません。しかしカンブリア紀についての研究は19世紀にさかのぼります。

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Photo2カンブリア紀の生物学はバージェス頁岩からはじまりました。バージェス頁岩(けつがん)はカナダのブリティシュコロンビア州にあります( 2図)。

頁岩というのは、まるでページが重なって分厚い本のような構造の岩といういみです。この岩に多くの生物の化石があることは1886年にリチャード・マッコネルとオットー・クロツが独立に発見したとされています。

その後チャールズ・ウォルコットは20世紀の初頭に詳しい研究をおこなって、標本を約6万5千点も収集しました。しかし彼の死後、未亡人が標本を死蔵してしまったため、バージェス頁岩は忘れられたような状況になりました。研究がハーバード大学のハリー・ウィッティントンらによって本格的に再開されたのは、1960年代になってからのことです。

ウィッティントンの仕事は、 図1の本の著者である米国のグールド、モリスやカナダのグループに引き継がれ大きく発展しました。グールドはカンブリアの生物を現代の生物とはかけ離れた存在、モリスは逆に現代の生物との関連性が深いとする考え方だったので、2人はかなり仲が悪かったそうです。カンブリア紀の生物のDNAはさすがに残っていないので、結論を出すことは困難です。カンブリア紀のいろいろな生物の図鑑はウェブサイトにもあります(1、2)。

 

地図(図2)の下の方の中国の澄江(チェンジャン)については、次回述べる予定です。

 

Photo3どうしてカンブリア紀に非常に多彩な生物が登場したのかについては、眼を持つ捕食者から逃れるために、生物は様々な進化を遂げなければならなかったということと、捕食から逃れるための固い体表が化石として残りやすかったという理由が有力です。

この考え方はアンドリュー・パーカーによって発表されましたが( 図3)、そのパーカーの本が非常な悪文で、私も読むのに大変苦労しました。このあたりのことは過去にブログに書いたことがあります(3、4)。

 

 

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アンドリュー・パーカーの考え方を簡単にまとめると 下の 図4のようになります。

 

 

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カンブリア紀に食物連鎖の頂点にいたのは、おそらくアノマロカリスという節足動物です。アノマロカリスというのは「奇妙なエビ」という意味ですが、現在のエビと直接の関係はありません(同じ節足動物ですが)。多くのカンブリア紀の生物が体長数センチくらいだったのに対して、アノマロカリスは1メートルくらいもあるものがいたので、捕食動物として圧倒的に優位だったと思われます。

 

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アノマロカリスの祖先に近縁と思われる生物が現在も生きていることが知られています。その生物はニューギニアなどに生息するカギムシという生物で、現代の分類学ではカギムシだけで構成される有爪(ゆうそう)動物門というグループに分類されています。 図5にみられるように、カギムシとアノマロカリスのルーツは同じで、両者の中間的な生物の化石もみつかっています。

実はカギムシはなぜか人気があって、ペットショップで1万円くらいで入手できるようです。カギムシは5億年の間形態があまり変わっていないようで、おそらく粘液でエサを動けなくして食べるという一芸で5億年子孫を残したすごい生物だと思われます。あの世界中で大繁栄した三葉虫が、現在全く発見されないことを考えると驚異的です。

最近の研究によって、彼らが粘液を飛ばすメカニズムが解明されたそうです(5)。カンブリア紀については次の記事でも述べる予定です。

 

参照

1)http://www.geocities.co.jp/NatureLand/5218/ba-jyesu.html

2)http://matome.naver.jp/odai/2134225448625644801

3)眼の誕生とカンブリア爆発1
https://morph.way-nifty.com/grey/2007/06/post_9cc6.html

4)眼の誕生とカンブリア爆発2
https://morph.way-nifty.com/grey/2007/06/post_9cc6_1.html

5) A. Concha et al. Nature Communications 6, Article number: 6292 (2015)doi:10.1038/ncomms7292.
http://www.nature.com/articles/ncomms7292

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2016年9月14日 (水)

生物学茶話@渋めのダージリンはいかが11: エディアカラ紀の生物

現在の生物に系統的に密接につながっていると思われる生物が出現するのはカンブリア紀からだと考えられていますが、その直前のエディアカラ紀の地層からも、これは確実に生物の化石だと思われるものが世界各地から発掘されています。

エディアカラ紀がいつからいつまでかは、文献によりまちまちで困りますが、とりあえずウィキペディア(項目:エディアカラン)に従って約6億2000万年前~約5億4200万年前ということにしておきましょう(実は各国版のウィキペディアで統一されているわけでもありませんし、日本版の場合もエディアカラ生物群という項目では6億5000万年前~5億年前としてあります)。

エディアカラ紀の生物の化石を最初に発見したのはアデレード大学のデービッドとウィラードということですが、彼らはそれらをカンブリア紀のものと考えており、その学術的意義を証明したのは同じ大学の学生だったスプリッグ(1919-1994、写真)です。

 

1

Reginald Claude Sprigg、(1919 - 1994)

 

彼はアデレード近郊のエディアカラの丘でみつけたこれらの化石が、それまで考えられていたようなカンブリア紀のものではなく、より古い時代のものではないかと提案したわけです。これが1946年のことです。すなわち第二次世界大戦の前には、誰もエディアカラ紀の存在などは頭になかったわけです。その後紆余曲折を経て、1958年頃にはほぼ学会でも認められた定説になりました(1)。

下の図はオーストラリアにおけるエディアカラの丘(*)とアデレード(赤丸)の位置を示したものです。

 

Adelaid

 

エディアカラ紀の代表的な化石はディッキンソニアという生物群で、一見左右相称のように見えます。大きさは1cm~80cm以上までいろいろ見つかっています。

1024pxdickinsoniacostata

Dickinsonia costata

 

カルニオディスクスという生物も、美しい化石がみつかっています。

Charniodiscus_arboreus

Charniodiscus arboreus

 

この生物の構造を模式図で示すと、下のようになります。

 

1

 

想像すれば海底に根のようなものがあり、海水中では海藻のようにゆらゆらしている感じですが、海藻ではないようです。注目すべきはこの生物が左右相称ではないということです。中心軸は存在しますが、左右の枝は互い違いです。ディッキンソニアの場合もよくみると、はっきり互い違いの部分もあり、これらの生物は左右相称生物ではない・・・すなわち節足動物のような体節が形成されている生物ではないと考えられています。

エディアカラ紀の生物がどのスーパーグループに属するか、あるいは近縁かというのは興味深い課題ですが、今のところはっきりしません。ただしロシアでみつかったキンベレラ(下図)という生物は、殻をもった軟体動物だという説が有力で、それなら堂々たるオピストコンタということになります(2)。

 

Kimberella quadrata.jpg

 

 

 

最後に、現在でもカルニオディスクスと一見似たような生物・・・ウミエラが日本近海にもいることがわかっていますが、両者が近縁かどうかはわかりません。下の図は広島大学臨海実験所のサイトから拝借しました(現在リンク切れ)。

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(山口信雄氏 談) 彼らはなかなか飼育することが難しく、潜る砂にも好き嫌いがあります。最初埋まってくれたウミエラですが、砂質に嫌気がさしたのか、深さが足りないのか、砂の上にゴロリと不貞寝してしまいました。

餌として3種の珪藻を当実験所で培養したものや、市販のサンゴ用液状餌等を与えています。それでも徐々に痩せていきます。また、水温が高くなるとすぐに腐ります。水温を低め(25℃以下)に保っておくことがコツです。綺麗だからといって、安易に飼育にチャレンジしないほうがよさそうです。

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参照

1)Susan Turner and David Oldroyd., The palerobiological revolution: Essay on the growth of modern paleontology. Print publication date: 2009, Print ISBN-13: 9780226748610, Published to Chicago Scholarship Online: February 2013, 
DOI: 10.7208/chicago/9780226748597.001.0001
http://chicago.universitypressscholarship.com/view/10.7208/chicago/9780226748597.001.0001/upso-9780226748610-chapter-14

2)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%83%99%E3%83%AC%E3%83%A9

 

 

 

 

 

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生物学茶話@渋めのダージリンはいかが10: オピストコンタ

「8:系統樹とその逸脱」では簡略化して、真核生物は動物・植物・菌類・原生生物としましたが、もう少し詳しく記すと下図のような分類がおこなわれています。

A


まず真核生物というドメインを3つのスーパーグループ(上界)に分類します。オピストコンタは私たち動物とカビ・キノコ・酵母を含む分類群。アメーボゾアはアメーバ類。バイコンタは植物・原生生物などを含みます。バイコンタには非常に多数の種が含まれるので、このように1本の線とボックスでひとまとめにして表現するべきかどうかは議論のあるところです。

C

オピストコンタとはギリシャ語でオピスト(=後方)+コンタ(鞭毛)だそうです(私はギリシャ語は知りませんが)。つまり進行方向の後方に1本の鞭毛があり、それをくねらせて泳ぐ生物という意味です。これは手を使わないでバタフライで泳ぐという、やってみるとかなり難しい泳法ですが、ウナギやウミヘビのようにマスターしている生物もいないわけではありません。私たちだって精子の頃にはこうやって泳いでいたわけで(上図 精子が卵子と遭遇したところ)、現在でもオピストコンタという名前にふさわしい形態が残っていると言えます(2)。

一方、原生動物や植物はバイコンタに所属します。バイコンタとはギリシャ語の2が bi なので、2本の鞭毛を持つ生物ということになります。2本持っているので平泳ぎ的な泳ぎ方で便利だろうと思うのですが、なかにはせっかく2本あるのに、下図のように1本を細くて短い毛に退化させて、エサを口にかきいれるのに使っているミドリムシのような生物もいるというのは進化の妙です。2本以上の鞭毛を持つバイコンタも数多く見られます。一方で、鞭毛が2本とも退化してしまった種類も存在します(3)。

 

Photo

 

アメーバはオピストコンタと同じルーツをもつとされる系統の生物ですが、鞭毛はもたないという生き方を選択した生物です。そのかわり伸縮自在な偽足を出して移動するという術を身につけました。不思議なのはオピストコンタである私たちの血液などに含まれるマクロファージ系の細胞は、アメーバのように偽足を使って移動します。マクロファージに限らず、私たちオピストコンタは昔アメーバと近縁な生物だったという記憶が、分子や細胞のレベルに残されているのかもしれません。


参照

1)生物学茶話@渋めのダージリンはいかが 8:系統樹とその逸脱
https://morph.way-nifty.com/lecture/2016/09/post-0b6a.html

2)オピストコンタ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%94%E3%82%B9%E3%83%88%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%82%BF

3)バイコンタ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%82%A4%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%82%BF

 

 

 

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2016年9月13日 (火)

生物学茶話@渋めのダージリンはいかが9: ミトコンドリアの役割

生物は体を構成する物質すなわち有機物を合成するために、エネルギーを必要とします。そのエネルギーとは通常ATP(アデノシン3リン酸)を分解することによって獲得することになっているわけです。

ATP → ADP + リン酸 + 化学エネルギー

またATPが上記のように分解するときに発生するエネルギーが、力学的トルクに変換される瞬間を光学顕微鏡で観察する技術なども開発されています(1、2)。

ではそのATPをどうやってつくるかというのが課題になりますが、α-プロテオ細菌は酸素を利用した素晴らしい化学反応を進行させるシステムを獲得していました。「8:系統樹とその逸脱」(3)でも示しましたが、その反応をまとめた化学式は下記のようなものです。

C6H12O6 + 6O2 + 38ADP + 38phospate → 6CO2 + 6H2O + 38ATP

α-プロテオ細菌は上記のように1分子のブドウ糖から38分子のATPを生み出すことができました。この細菌と共生することによって、真核生物は様々な有機物を製造することができるようになって、圧倒的なアドバンテージを獲得し、現在生きている真核生物のほとんどあるいはすべては共生に成功して、ミトコンドリアを作り出した個体の子孫ということになりました。

そして真核生物はミトコンドリアが勝手に増殖するのを制限するため、その遺伝子の多くをゲノムに移転しました。生物はDNAを切り貼りする機構を本来もっているため、外来のDNAをゲノムに取り込む危険とチャンスは常に存在します。ミトコンドリアに残されたDNAより、真核生物に移転したDNAの方が、細胞核に守られていたので良好に保存されたため、いかにもDNAを奪ったようにみえる結果になったのかもしれません。

結果的にミトコンドリアの自主性を奪うことになりましたが、一方で真核生物はミトコンドリアに細胞の生死を制御するシステムを持たせることにしました。なぜだかはわかりません。想像をめぐらしてみると、ゲノムに「死の司令室」を置いておくと、なにかの場合に間違って発現してしまうというリスクがあるからかもしれません。

Photo


細胞に強いストレスがかかったり、死んだ方が都合が良かったりする場合、それらのシグナルをミトコンドリアにある「死の司令室」が斟酌して、本来ミトコンドリアの内部にあるべきチトクロム c (cytochrome c) というタンパク質を外部に排出し、Apaf-1 を介してカスパーゼ9 (caspase-9) を活性化し、活性カスパーゼ9がカスパーゼ3 (caspase-3) を活性化するという一連のリアクションを起こします。その活性化されたカスパーゼ3はタンパク質を分解する機能を持つ酵素で、細胞を死に導きます。この様なプログラムされた細胞死をアポトーシスと呼びます。

α-プロテオ細菌が効率的なエネルギー反応を発明する前提として、シアノバクテリアが地球上に酸素を多量に蓄積していなければなりません。そして酸素が蓄積することによって紫外線が遮蔽されて、陸上生物が現れることになります。一方で酸素を利用する生物は酸素の毒性を緩和するシステムも発展させていかなければなりません。

ミトコンドリアにある「死の司令室」のメンバーの全容については(4)のサイトに記載してあります。

参照

1)西坂崇之、 政池知子. F1-ATPaseの化学―力学カップリング:1分子の反応を顕微鏡でとらえる 生物物理 vol.47(2),pp. 118-123 (2007)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/biophys/47/2/47_2_118/_pdf

2)Chun Biu Li et al., ATP Hydrolysis Assists Phosphate Release and Promotes Reaction Ordering in F1-ATPase., Nature Commun., 6:10223 (2015) │ DOI: 10.1038/ncomms10223
https://www.es.hokudai.ac.jp/result/2015-12-18-mlns/

3)生物学茶話@渋めのダージリンはいかが8: 系統樹とその逸脱
https://morph.way-nifty.com/lecture/2016/09/post-0b6a.html

4)Mitochondrial Control of Apoptosis. Cell Signaling Technology.
https://www.cellsignal.jp/contents/science-cst-pathways-cell-death/mitochondrial-control-of-apoptosis/pathways-apoptosis-control

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生物学茶話@渋めのダージリンはいかが8: 系統樹とその逸脱

1x

生物の系統樹はチャールス・ダーウィンの進化論をもとに、エルンスト・ヘッケルがはじめて考案したものであり、現在でも生物の進化を説明するために汎用されます。ただ系統樹では説明出来ない進化のイベントが、生物の歴史の中で、少なくとも2回おこったと考えられています。

そのうちのひとつは図のbで、細菌の一種であるα-プロテオバクテリアが、ある真核生物の細胞内に住み着いてミトコンドリアが形成され、そのミトコンドリアを持つ生物が現在まで子孫を残しているわけです(1、2)。真核生物(原生生物)の中でもまれにミトコンドリアを持たない生物がいるそうですが、それらのなかには系統樹のb地点に至る途中の生物の子孫がいるようです(1)。

そして2回目のイベントは、図のaで真核生物のなかで現在植物と呼ばれているグループの祖先が、シアノバクテリアを細胞内にとりこんで、葉緑体(クロロプラスト)を持つことになりました。

これらのとりこまれたバクテリアは、勝手に増殖するとホストが死んでしまうので、ホストが様々な手段で制御して飼い慣らしているわけです。その最たるものは、バクテリアの遺伝子の一部を奪って、ホストのDNAに組み込んでしまうというやり方です。

このような重要な生物進化の過程を系統樹は表現出来ません。葉緑体と細胞内共生については鈴木雅大氏と大田修平氏がわかりやすく説明してくれています。もうすこし専門的な知識に興味がある方は文献を参照してください(3)。

真核生物がミトコンドリアを取り込んだということには大きな意義があります。ミトコンドリアがない場合、真核生物は解糖系でグルコース1分子あたり1分子ないしは2分子のATPをつくり、二酸化炭素と水から、このATPのエネルギーを使って細々と有機物質を生成していましたが、α-プロテオ細菌は、

C6H12O6 + 6O2 + 38ADP + 38phosphate → 6CO2 + 6H2O + 38ATP
(最近の研究によれば 38ATP ではなく 28.92または27.54 ATP)(4)

という驚異的な代謝系を発明して、グルコース1分子からATP38分子を生成することができました。したがって、α-プロテオ細菌を細胞内に取り込んでミトコンドリアとして飼い慣らし共生することに成功した真核生物は、ふんだんにエネルギーを使うことができるようになりまた。

 他の生物を細胞内に取り込んで使いこなすなどということは見てきたようなおとぎ話だと思う方もおられるかもしれませんが、それに近いようなプロセスを現在進めている生物もいるのです。それはアブラムシ(アリマキ)で、体内にブフネラという細菌をとりこみつつあります(5)。


参照

1)黒岩常祥 「ミトコンドリアはどこからきたか」 NHKBooks 日本放送協会 (2000)

2)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%88%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AA%E3%82%A2#起源

3)鈴木雅大・大田修平 色素体/葉緑体の成立と多様性
http://natural-history.main.jp/Algae_review/Symbiosis/Symbiosis.html

4)Wikipedia: 呼吸
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%91%BC%E5%90%B8

5)石川統 細胞内の巧みな共生 ─ アブラムシとブフネラにみる 季刊誌「生命誌」通 巻32号 共生・共進化 時間と空間の中でつながる生きものたち
https://www.brh.co.jp/seimeishi/journal/032/ss_6.html

 

 

 

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生物学茶話@渋めのダージリンはいかが7: 生物を3つのドメインに分ける

そもそも生物の分類を体系化したのはスウェーデンの科学者カール・フォン・リンネの功績です。生物は種名・属名・命名者の名前の順で表記されます。リンネの名は省略されL.と表記されることもあります。

 

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現在ではもっとも大まかな生物の分類はドメインという名前がつけられています。すなわちすべての生物を3つのドメイン、細菌・古細菌・真核生物に分類するわけです。一番下の種(species)や属(genus)はそう簡単には変わりませんが、研究の進展につれて、上部の分類は大きく変わることがまれではありません。例えばドメインやス-パーグループという分類法は、私が学生の頃にはありませんでした。

そして3つのドメインに分けるというのもかなり便宜的なもので、学問的にシビアにみると、古細菌はロキ古細菌など別のドメインとして独立させた方がよいかもしれないグループをいくつか含んでいると思われます。
https://morph.way-nifty.com/lecture/2016/09/post-c235.html

 

0

 

生物分類学で定まっているのは種が最も下位の単位で、属科目綱門界の順に大まかなグループ分けとなります。英語では種がSpecies、だんだん下から上に大まかな単位となり、Kingdom は界に相当します。

下図は非常におおざっぱな生物の系統樹です。生命の起源はもちろん謎ですが、3つのドメイン共通の祖先がどんな生物であったかも全く謎です。ただ細菌・古細菌・真核生物ともにDNAを遺伝子とし、RNA・リボソームを主役とした転写・翻訳のメカニズムを利用して、タンパク質を合成することによって生命現象を営む点では非常によく似ています。したがってこれらが全く別のルーツから発生したと考えるには無理があると思われます。

 

Photo

 

もともと生物は熱水噴出口の近傍で生まれ、進化したと考えられています。したがって初期の生物はすべて好熱性(赤)だったとされています。細菌は比較的初期にこの状況を脱して、常温で生きる種を増やしたのですが、古細菌は現在でも温泉などの高温条件下で生きている種がメインであるという違いがあります。真核生物は基本的に好熱性ではありませんが、中にはクマムシなど高熱に耐える生き方を獲得した種も存在します。

 

 

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2016年9月12日 (月)

生物学茶話@渋めのダージリンはいかが6: シアノバクテリア

また地球史年表を示しますが、今度はシアノバクテリアという生物に注目します。シアノバクテリアとは青色細菌という意味ですが、昔は藍藻(ブルーグリーンアルジ)と呼ばれていました。藻というと植物を思わせ誤解を招くので、現在ではシアノバクテリアまたは藍色細菌 と呼ばれています。

Photo

シアノバクテリアは砂漠から氷河まで、地球上のありとあらゆる場所に住み着いています。私の家の近くの手賀沼ではときどき大発生してアオコと呼ばれています。そのような普通の環境に生きている種の他に、何年も水が無くても生存出来たり、70℃くらいの高温でも生存出来る種もあります。なにしろ30億年も、環境の変化に耐えて地球上のメジャーな生物で有り続けたのですから、分類学者もお手上げなくらい幅広いバラエティーがあり、全貌は不明です。

写真は代表的なグループでネンジュモと呼ばれているものと、培養されているシアノバクテリアです。ネンジュモは大腸菌などと比較すると細胞のサイズは大きく、ほぼヒトの細胞くらいのサイズで、しかも数珠つなぎとなって細長い形態をとります。シアノバクテリアは空気中の二酸化炭素や窒素を固定し、生物が利用できる化学物質に変換できます。

Photo

さてなぜこの細菌に注目するかというと、それはこの細菌が地球に酸素をもたらしたからです。シアノバクテリアが生まれる前から、光エネルギーを使って生きている細菌は存在したはずですが、シアノバクテリアの特徴は化学式としてまとめると

6CO2(二酸化炭素)+6H2O(水)+光エネルギー → C6H12O(ブドウ糖)+6O2(酸素)

という化学反応で光合成を行い、酸素を反応生成物として放出しました。

その結果ゆっくりと地球上に酸素が充満してきました。酸素はさまざまな物質を酸化させる(錆びさせる)力があり、生体物質も例外ではありません。したがって酸素の毒性を中和する機能を持たない生物は、そのような環境では生き延びられません。シアノバクテリアの繁栄によって、多くの生物が絶滅するか、酸素が少ない特殊な環境でしか生きられないマイナーな生物となりました。私たちはSOD(スーパーオキサイドディスムテース)という酵素とか、グルタチオンという物質とか、活性酸素の毒性を緩和するツールを持っているので、酸素が充満した大気の中で生きていくことができるのです。

ところでシアノバクテリアは細菌ですから、化石といっても頼りない物で、そんな物でどうしてシアノバクテリアが何十億年も前から生きていたことがわかるのか不思議に思われるかもしれません。それはシアノバクテリアの中でもとてもマイナーな種の中に、海中の泥や砂の上に住み着いたら、昼は光合成、夜は粘液を出すという奇妙な性質をもつものがあるということがカギとなります。彼らは粘液で砂泥を固めて特異な石のようなものをつくるのです。これをストロマトライトと呼びます。

現代でも西オーストラリアのシャーク・ベイなど、特定の場所にこのようなシアノバクテリアが生息する場所があります。彼らはバクテリアであるにもかかわらず、ストロマトライトを製造することによって、生きた痕跡を何億年も残すことができるのです。従って古い地層からストロマトライトが出てくれば、その時代にシアノバクテリアが生きていたことがわかります。現在27億年前のストロマトライトの化石がみつかっているそうです。

Stromatolites_in_sharkbay

上の写真はウィキペディアに出ていたシャークベイのストロマトライトです。

地球史年表に「32億年前 シアノバクテリア(光合成細菌)の出現」と書いてありますが、シアノバクテリアは出現したときから光合成をやっていたわけではなく、何億年もかけて光合成ができるよう進化したようです(1)。

酸素を地球に充満させたことだけでもすごいことですが、シアノバクテリアはもうひとつ、とてつもないことをやってのけました。それは真核生物の体内に入って葉緑体として生きるものが生まれたことです。これは少し後で稿を改めて述べましょう。

ストロマトライトの実物を見たい方は、国立科学博物館・地球館B2Fに展示してあります。
こちら


参照

1)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%8D%E8%97%BB

 

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生物学茶話@渋めのダージリンはいかが5: 生命の起源についての学説

先に進む前に、少し生命の起源について考えてみましょう。もちろんそれはあまりにも古い出来事であるうえ、化石などから判別することも出来ない、今でも謎の出来事であることには間違いありません。もちろん古代から多くの科学者が生命の起源について真剣に考えていたことは想像出来ます。

近代になってパスツールらは生物は生物からしか生まれないということを証明して、古来からの迷信を打破したわけですが、それでも進化という時間のスケールで考えると、無生物から生物が生まれるというイベントは必ず存在しなければなりません。

このイベントについて、1924年にはじめての科学的な生命誕生の仮説であるコアセルベート仮説を発表したのがロシアの科学者オパーリンです。まず外界から隔離された部屋が確保されることが重要だという説です(1、2)。これに対してドイツのヴェヒターホイザーは黄鉄鉱上で、まずオープンスペースで二酸化炭素から有機物質をつくる化学的なプロセスが出来て、それが生命の第一歩だと考えました(3、4)。

 

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1

 

黄鉄鉱の表面代謝仮説をサポートしたのは、米国のウッズホール海洋研究所の潜水調査船アルビン号です(下はウィキペディアにでていた写真)。この船を使って深海を探索した科学者達は、深海に熱水噴出口があり、この周辺にはよく黄鉄鉱がみられることを発見しました。そして周辺には細菌や古細菌ばかりでなく、さまざまな真核生物もみられることから、このような太陽光が届かない深海の環境が生物を生み出したという考え方に至りました。

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2010年にはケイマン諸島付近の5000mの深海で、熱水噴出口が発見され、周辺にさまざまな新種生物が発見されているそうです。太古の時代には、そこいらじゅうにこのような熱水噴出口と、それに依存する生物群が存在したのかもしれません。これらの生物はスノーボールアースにも耐え抜いて進化し、現在の地球の生命圏があるのかもしれません。

有機物質は生命にしか生み出すことができないかというと、そんなことはありません。黄鉄鉱表面というような特殊な条件でなくても、太古には普通に空気中でどんどん生成されていたということを、無機物質だけの気体中で放電することによって実験的に証明したのはスタンリー・ミラーらでしたが、この有名なユーリー&ミラーの実験については、太古の時代に存在したと予測される空気中の成分が彼らの結果と一致しないという批判があります(5)。

深海の熱水噴出口周辺では、わき出した温泉に含まれる物質を酸化して、炭酸固定する化学合成独立栄養生物(硫黄酸化細菌)などが存在し、太陽エネルギーを使用しない一次生産者となっています。つまり 2H₂S+0₂=2H₂O+2S+エネルギー などの化学反応によってエネルギーを得て、二酸化炭素から有機物質を合成しているというわけです。このような細菌が、初期の生命圏形成の基板になったのかもしれません。

一方中沢は深海ではなく、地中の鉱物周辺で生命誕生のためのイベントが進行したと考えています(6、7)。

20世紀以来さまざまな研究の進展があっても、生命の起源についてはいまだに1%も解明されていないと言っていいでしょう。遺伝子となる核酸がどのように生成し、それがどのように自己複製し、その核酸が持つ情報をタンパク質の構造に変換するシステムがどのように形成されたかなど、すべては謎に満ちています。ここでは深入りは避けます。

ひとつのキーポイントは、細胞の中にあるタンパク質合成工場=リボソームの主成分であるリボソームRNAの歴史を調べることにあります。これからの研究に注目したいところです(8、9)。

参照

1)Oparin A.I. 1924. Proiskhozhozhdenie zhizny, Moscow (translated by Ann Synge, in Bernal 1967. The Origin of Life, Weidenfeld and Nicolson, London.

2)オパーリン著 石本真訳 「生命―その本質,起源,発展 」 岩波書店(1962) 

3)https://de.wikipedia.org/wiki/G%C3%BCnter_W%C3%A4chtersh%C3%A4user

4)Origin of Life: Life as We Don’t Know It. (2000)
http://ajdubre.tripod.com/Sci-Read-0/y-OriginLife-82500/OriginLifeSci-82500.html

5)ユーリー-ミラーの実験
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%BC-%E3%83%9F%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%81%AE%E5%AE%9F%E9%A8%93

6)中沢弘基著 「生命の起源・地球が書いたシナリオ」 新日本出版社(2006)

7)中沢弘基著 「生命誕生 地球史から読み解く新しい生命像」 講談社新書(2014)

8)Ribosome and the origin of life
http://serious-science.org/ribosome-and-the-origin-of-life-5814

9)GE Fox., Origin and Evolution of the Ribosome.
Cold Spring Harb Perspect Biol. 2010 Sep; 2(9): a003483. doi:  [10.1101/cshperspect.a003483]
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC2926754/pdf/cshperspect-ORI-a003483.pdf

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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生物学茶話@渋めのダージリンはいかが4: スノーボールアース

下に再掲した地球史年表のなかに、スノーボールアース(全球凍結)という記載があります。これは地球がすべて、赤道周辺の海も含めて凍結し、雪と氷で覆われた状態を示します。22~24億年前と6~8億年前の2回、このようなことがおこったとされています。

もともと地球は大量の二酸化炭素で覆われていたと思われますが、海ができて二酸化炭素が海水に吸収されると、温暖化効果が失われて寒冷化が進みます。また地球の気温は太陽の活動に左右されます。太陽の活動は細かく変動していますが、おおざっぱには昔の方が暗かった(放出されるエネルギーが少ない)とされています。またいったん地表が氷で覆われはじめると、白い氷によって太陽光が反射されて、本来地球が吸収出来るはずのエネルギーが宇宙に放出されてしまい、加速度的に凍結が進んでしまいます。スノーボールアースでは雲が発生せず、毎日快晴です(1)。

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スノーボールアース (wikipedia より)

8~6億年前に発生したと思われるスノーボールアースは、やっと地球に生まれてきた生命を絶滅の危機にさらしました。実際大絶滅がおこったと思われますが、すべての生物が死滅したわけではありません。当時は鹿児島湾のように至る所に熱水が湧き出しているような海が現在よりも多数存在し、熱水噴出口の近くで凍結しなかった海、あるいは凍結を免れた深海で、生物は細々と生き延びたのです。

スノーボールアースはおそらく大規模な火山の噴火によって終結したと考えられています。火山の噴火により、大量の二酸化炭素が放出され、その温暖化効果によって氷が溶けたようです。海が凍結している間は、二酸化炭素が水に吸収されないので、すべて大気に蓄積し、温暖化を加速したと思われます。

スノーボールアース時代が終了し、エディアカラ時代がはじまるといろいろな生物が出現します。この頃の生物は骨格が発達していないため化石が残りにくく、そのせいで、骨格が発達して化石が残りやすくなったカンブリア紀に、爆発的に種が増えたとされているのかもしれません。エディアカラ時代の生物は、今生きている生物のボディープランとはかなり異なるプランで設計されていたと思われます。

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上記は wikipedia に出ていた、有名なディッキンソニアの化石です。大きいものでは体長が1メートル以上あります。現在このような生物は存在しません。食べられる立場にある弱い生物は、なんとか食べられないように, または食べられても繁殖でカバーしようと進化していくわけですが、生物の大絶滅が起こった場合、食べられてしまうというくびきがなくなって、弱い生物が比較的自由にボディープランを変えることが出来るという余裕が生まれます。それによって前の時代とは異なる新しい生物群がいろいろな環境に適応してはびこる(適応放散)という結果になるのかも知れません。

ところで、あと15年ほどで太陽の活動低下によって地球はミニ氷河期に突入するという説があります。単なる仮説ではなく、太陽活動の専門家が幾ばくかの科学的根拠に基づいて予測した結果が学術専門誌に報告されています(2)。


参照

1)https://en.wikipedia.org/wiki/Snowball_Earth

2)Simon J. Shepherd, Sergei I. Zharkov, and Valentina V. Zharkova (2014)
Prediction of Solar Activity from Solar Background Magnetic Field Variations in Cycles 21-23
The Astrophysical Journal  Vol. 795,   No.1,  pp. 1-8

これは無料論文で全文が読めます
http://iopscience.iop.org/article/10.1088/0004-637X/795/1/46


そのほかの参考資料

↑凍結した1677年のテムズ川(ウィキペディアより)

ミニ氷河期の到来
https://earthreview.net/category/%E3%83%9F%E3%83%8B%E6%B0%B7%E6%B2%B3%E6%9C%9F%E3%81%AE%E5%88%B0%E6%9D%A5/

酷暑の中、なぜ地球は20年後に「ミニ氷河期」に突入するのか
http://news.livedoor.com/article/detail/15114095/

【悲報】2030年までに97%の確率で氷河期が到来することが判明! 研究者「夏は消滅し、川は凍る」
https://tocana.jp/2017/02/post_12275_entry.html

ミニ氷河期の到来が確定的な中で、「太陽活動と地球寒冷化の関係」についての科学論文の掲載数が2017年だけで100本を超えていた
https://indeep.jp/mini-ice-age-is-coming-soon-2018/

管理人の旧稿
https://morph.way-nifty.com/grey/2014/01/post-afee.html
https://morph.way-nifty.com/grey/2015/07/post-24ab.html

 

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2016年9月11日 (日)

生物学茶話@渋めのダージリンはいかが3: 真核生物

地球が出来てから、カンブリア紀(いろいろな生物種が一気に出現したといわれている)に至るまでの歴史を整理しておきましょう。といってもそれぞれの出来事が起きた時期を判断する確固たる証拠があるわけでもないので、数年後には数字が書き換えられている可能性もあります。一応真核生物が出現したのは21億年前ということになっています。

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真核生物(ユーカリア)は細菌(バクテリア)や古細菌(アーキア)と違って、ゲノム(全遺伝子)が核というボール状の構造に収納されています。ゲノムの情報が核の中で読み取られてRNAが合成され(転写)、合成されたRNAは核内でメッセンジャーRNAに加工されます。加工されることによってメッセンジャーRNAは核から、核膜に開いている穴(特定の物質だけが通行できる)をくぐって細胞質に出て、細胞質でその情報を元にタンパク質が合成されます(翻訳)。つまり真核生物では、それまでワンルームだった細胞が、1DKに進化したということになります。キッチンとリビングを分けるように、転写する部屋と翻訳する部屋を分けたというわけです(1、2、下図)。

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ワンルームの細胞では、遺伝子発現ONの情報が来ると、すぐに転写→翻訳と進んでタンパク質ができますが、1DKでは、とりあえずDK(核)で転写して、それをリビングルーム(細胞質)に持っていって翻訳することになります。したがって、しばらくDKに品物を置いておき、時期をみてリビングに移動するというような融通はききます。細胞内にとりこまれたウィルスなど外界のDNAと、ゲノムのDNAが簡単には接触しないようにするというメリットもあります。細菌では外界からやってきたDNAが、比較的簡単に細胞内のDNAにもぐりこんで住み着くことができます。

DNAのサイズが大きくなると、細胞全体にDNAがランダムに分散してしまうことになり、糸が絡まり合うような混乱がおこる可能性があります。そうなると細胞分裂の時などに収拾がつかなくなるかもしれません。真核生物では、とりあえずDNAを核にとじこめておくことができます。また核膜には放射線を遮蔽して、ゲノムDNAを保護する役割もあります。

DNAは長いひものような分子なので、何かにまきつけておくとからまりにくくて便利なのですが、DNAの糸巻きのような構造を形成する能力があるヒストンというタンパク質を、ある種の古細菌と真核生物は持っています。このことは古細菌と真核生物の近縁性を示す証拠のひとつです。DNAは通常ヒストンがつくる糸巻きにまきつけられて、核に収納されています。

真核生物の細胞のサイズは普通直径10μmくらいですが、細菌は1μm以下です。そうなると体積でいえば、真核生物の細胞は細菌の1000倍以上になります。この中に含まれている各種分子の立場からみれば、犬小屋の中をうろうろしていたのがいきなり東京ドームに放り出されたような感じですから、他の分子と遭遇する機会が激減し、化学反応がうまくいきません。

そのためどこにいけば反応すべき分子と出会えるか道案内が必要であったり、化学反応を行わせるためのツールを整列させたりすることが必要で、そのためなどに細胞内膜系や細胞骨格を整備する必要があったと思われます。細胞内膜系や細胞骨格がないと、細胞は中に核やミトコンドリアというパチンコ球が動き回る袋のようになり、これも好ましくはないでしょう。

参照

1)https://en.wikipedia.org/wiki/Prokaryote

2)https://en.wikipedia.org/wiki/Eukaryote

 

 

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生物学茶話@渋めのダージリンはいかが2: 地球のはじまり

Giantimpact

私たちが住んでいる地球は、地球科学者によれば46億年前に出現し、そのできたばかりの地球に他の天体が衝突して(ジャイアントインパクト)、そのぶつかった天体は粉々になり、地球は衝突の衝撃で温度が上昇しマグマ化してしまった、あるいは粉々になってしまったとされています。気体化していたという説すらあります(1-3)。最近ではこの衝突は接触事故のようなものではなく、正面衝突の可能性が高いとされています。しかしながら、月の成分は巨大衝突説が唱えるように1回の大規模衝突によって形成されたのでは説明がつかず、微惑星の小さな衝突が20回程度繰り返されて月形成がなされたとする説があります(2-4)。私にはコメントできない天文学・地球科学の論争です。

いずれにせよ、天体衝突のときに形成された液状のマグマは現在でも地球のほとんどの体積を占め、私たちはようやく冷えて固まった卵の殻のような表層の地殻に住んでいます。地球の周りに飛び散った衝突天体のかけらは次第に集積して月となったという説が有力であり、最初は極めて近くにあった月は次第に地球から離れていきました。今でも毎年月は地球から3.8cmづつ遠ざかっています(5)。

マグマオーシャンとなった地球ですが、宇宙の低温によってしだいに冷やされ、43億年前には地殻が形成されたといわれています。地表が灼熱地獄だったときには地面までとどかなかった雨が、冷えるとともに地表に届くようになり、40億年前には海洋が形成されました。大気が無い地球の地殻表面には、とても生物が生きていけないような中性子線やγ線が降り注いでいたので、それらを遮蔽する機能がある海洋が形成されたことは、生物が生まれる上で決定的に重要なことだったと言えるでしょう。すなわち水の中で生きる生物なら宇宙線の影響を受けなくてすむわけです。

生物は化学反応の集積であると言えば、それはウソではありません。しかし45億年前の地球でも、現在の地球でも、たとえばCO2(二酸化炭素) + H2(水素)→ HCOOH(ギ酸)という化学反応は現在と全く同じであるのに対して、45億年前の地球には生物は存在しませんでした。しかし現在の地球には無数の生物が住んでいる。このことを考えれば、生物に関する科学には、化学とは異なる独自の理論や説明が必要であることがわかります。

生物学の基本は地球の歴史の中での生物の進化であり、またその進化の中で作り上げられた独特なシステムを、物理学や化学の言葉で説明することです。広い宇宙には無限のバラエティに富んだ生物が存在するでしょうが、幸か不幸か私たちがそれらに接触するチャンスはこれまで一度も無かったし、これからもわずかな可能性しかないでしょう。地球に住む生物のルーツが複数あるという証拠は、これまでのところ存在しません。すなわちすべての地球上の生物には共通の祖先があり、したがってなんらかの共通点があります。

生物学者は普通いくつかの生物種を選び、その限られた素材を用いて研究するので、その研究結果そのものは無数にある各論のひとつに過ぎませんが、それらは進化という1本の樹木につながる枝葉という意味ですべてつながっていて、それによって生物学という大伽藍が成立していると言えましょう。

さて、ではその共通の祖先である生命体はどのように「生物では無いもの」から生まれてきたのでしょうか? それについては今のところすべては仮説です。しかし無機物からどのように有機物ができたかというメカニズムについてはいろいろな実験が可能です。ただ当時の地球環境がどのようなものであったかはよくわからないので、確定的なことは何も言えません。したがってここではそれらはすべてスキップして、現在の科学の力によって解明されつつある進化という一つの樹木の根についてみてみましょう。

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図にみられるように進化系統樹の根元には5つの系統の生物群があります。一昔前までは細菌・古細菌・真核生物の3つのドメイン(領域)というのが、最もおおまかな生物の分類だったのですが、そう簡単にはいかないようです。系統樹からも想像出来るように、古細菌というのは細菌よりもむしろ真核生物と共通な部分が多い生物なのですが、その生活は地球創世時代の海底火山周辺の高温の海に生きていた頃の状況を、今でも引き継いでいる種が大部分です。そういう意味で古という枕詞がつくのも納得出来ます。ロキ古細菌については私の記事もあります(6)。興味のある方はご覧下さい。

細菌や古細菌は、一般的に細胞内の構造体と言えば、DNA複合体とリボソームくらいのものなのですが、ロキ古細菌は細胞骨格・細胞変形・小胞体などに関連する遺伝子を持っており、かなり真核生物に近づいているようです(6)。

メタン菌をメインとした多くの古細菌は「ユーリ古細菌」に属し、クレン古細菌の幹にはクレンアーキオータ、タウムアーキオータなど真核生物と共通点の多い特異な古細菌群が属します。現在でも海底に熱水が噴出している場所はいたるところにあります(7)。例えば鹿児島湾には水深100メートル以下の浅い海にも熱水噴出口がみられ、その周辺に古細菌が生きています。

多くの古細菌は高温に順化しているので、例えば酵素の場合、40℃のような低い温度では反応速度が遅すぎて役に立たず、生きていけません。彼らが生きているような100℃近い高温では、DNAもタンパク質も構造的に強い制限をうけるので、進化の速度が極めて遅くなってしまいます。そういうわけで、昔ながらの生き方しかできないのです。ごく一部の種が低温に順化し、そのなかから真核生物が生まれてきたと思われます。

参照

1)ジャイアント・インパクト説
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%82%A4%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%91%E3%82%AF%E3%83%88%E8%AA%AC

2)45億年前の巨大衝突「ジャイアント・インパクト」はもっと大きな衝突だった!? 月の起源の秘密も…
https://tocana.jp/2016/02/45_entry_2.html

3)月ができる時、地球がほぼ蒸発していた可能性が浮上
https://www.gizmodo.jp/2016/09/extremely-giant-impact.html

4)複数衝突説
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%88

5)月は少しずつ地球から遠ざかっているらしい。 では最終的にどうなるのか?
https://logmi.jp/business/articles/257365

6)https://morph.way-nifty.com/grey/2015/10/post-d3d8.html

7)熱水噴出孔
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%86%B1%E6%B0%B4%E5%99%B4%E5%87%BA%E5%AD%94

 

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