表紙ともくじ

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             生物学茶話

   @渋めのダージリンはいかが

            Vol.I

          森岡清和 著

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第1章 生物の歴史

1.生物とは何か   リンク1  
2.地球のはじまり リンク2
3.真核生物 リンク3
4.スノーボールアース リンク4
5.生命の起源についての学説 リンク5
6.シアノバクテリア リンク6
7.生物を3つのドメインにわける リンク7
8.系統樹とその逸脱  リンク8
9.ミトコンドリアの役割 リンク9
10.オピストコンタ リンク10
11.エディアカラ紀の生物 リンク11
12.カンブリア紀の生物 Ⅰ リンク12
13.カンブリア紀の生物 Ⅱ リンク13
14.オルドビス紀の生物 リンク14
15.シルル紀の生物 リンク15
16.デボン紀の生物 Ⅰ リンク16
17.デボン紀の生物 Ⅱ リンク17
18.石炭紀の生物 Ⅰ リンク18
19.石炭紀の生物 Ⅱ リンク19
20.ペルム紀の生物 Ⅰ リンク20
21.ペルム紀の生物 Ⅱ リンク21
22.三畳紀の生物 Ⅰ リンク22
23.三畳紀の生物 Ⅱ リンク23
24.ジュラ紀の生物 Ⅰ リンク24
25.ジュラ紀の生物 Ⅱ リンク25
26.白亜紀の生物 Ⅰ リンク26
27.白亜紀の生物 Ⅱ リンク27
28.白亜紀の生物 Ⅲ リンク28
29.白亜紀の生物 Ⅳ リンク29
30.古第三紀以降の生物 Ⅰ 哺乳類・犬・猫 リンク30
31.古第三紀以降の生物 Ⅱ 猿 リンク31
32.現代の大絶滅 リンク32
33.わたしたち以外の人類 リンク33

第2章 遺伝の本質

34.19世紀のヨーロッパ リンク34
35.メンデルの法則 リンク35
36.メンデルの再発見 リンク36
37.染色体説 リンク37
38.ハエ部屋 リンク38
39.DNAの発見 リンク39
40.核酸構造解析のはじまり リンク40
41.遺伝情報を担う物質は何か リンク41
42.二重らせん リンク42
43.DNAの半保存的複製 リンク43

第3章 分子生物学の勃興

44.メッセンジャーRNA(mRNA) リンク44
45.トランスファーRNA(tRNA) リンク45
46.リボソーム リンク46
47.DNA複製機構 リンク47  
48.岡崎フラグメント リンク48
49.DNA修復 Ⅰ リンク49
50.DNA修復 Ⅱ リンク50
51.オペロン説 リンク51
52.転写 Ⅰ リンク52
53.転写 Ⅱ リンク53
54.真核生物メッセンジャーRNAの成熟 Ⅰ リンク54
55.真核生物メッセンジャーRNAの成熟 Ⅱ リンク55

第4章 生命を構成する化学物質

56.アミノ酸 リンク56
57.ペプチド結合・αヘリックス・βシート リンク57
58.オリゴペプチド・ポリペプチド リンク58
59.タンパク質の基本 Ⅰ リンク59
60.タンパク質の基本 Ⅱ リンク60
61.酵素 Ⅰ リンク61
62.酵素 Ⅱ リンク62
63.構造タンパク質 リンク63
64.制御タンパク質他 リンク64
65.糖質 リンク65
66.多糖類 リンク66
67.糖タンパク質 リンク67
68.脂肪酸と油脂 リンク68
69.糖脂質 リンク69
70.ステロイド リンク70

第5章 生命現象のルーチン

71.解糖 リンク71
72.呼吸 リンク72
73.細胞膜 リンク73
74.細胞骨格 Ⅰ リンク74
75.細胞骨格 Ⅱ リンク75
76.細胞骨格 Ⅲ リンク76
77.ミトコンドリア リンク77
78.リソソームとオートファジー リンク78
79.核膜 リンク79
80.染色体 Ⅰ リンク80
81.染色体 Ⅱ リンク81
82.染色体 Ⅲ リンク82

第6章 ゲノムや細胞を操作する

83.制限酵素 リンク83
84.DNA塩基配列の解読 リンク84
85.ベクター リンク85
86.PCR リンク86
87.トランスポゾン Ⅰ リンク87
88.トランスポゾン Ⅱ リンク88
89.ヒトゲノム リンク89
90.染色体の数と性 リンク90
91.有性生殖 リンク91
92.幹細胞 リンク92
93.ES細胞と iPS細胞 リンク93
94.ノックアウトマウス リンク94
95.クリスパー リンク95
96.クリスパー(補足) リンク96


第7章 生物の発生

97.体軸形成 リンク97
98.原腸と胚葉 リンク98
99.初期発生と情報伝達 Ⅰ リンク99
100.初期発生と情報伝達 Ⅱ リンク100

 

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2020年1月27日 (月)

100.初期発生と情報伝達 Ⅱ

 遺伝子発現と初期発生現象のかかわりを研究する上で、遺伝学の研究でよく使われるショウジョウバエやマウスには若干不都合な事情があります。ショウジョウバエの場合、初期発生は表割という特殊な様式で行なわれるので(1)、両生類・魚類・爬虫類・鳥類・哺乳類で構成されるグループとの関連性がつかみにくいという問題があります。マウスのような哺乳類の場合、発生は母親の用意した環境(子宮)で行なわれるので、初期発生が物質の濃度勾配による影響などを含めて母体環境に依存したメカニズムで進展する可能性があります。ショウジョウバエの場合も発生はナース細胞によってサポートされています。
 この点両生類は卵割で形成された割球のすべてがその個体の細胞になること、外界に産み落とされるので分化はすべて自前のプログラムで行なわれること、シュペーマンが使った材料であり、オーガナイザーの分子生物学による説明の素材として適していることなど、実験動物として適している点が多いと思われます。特にアフリカツメガエルは肺を持ちながら陸上では生活しない、すなわち水槽だけで飼育できるという利点があるので良く用いられます(図100-1)。

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図100-1 アフリカツメガエルとその卵

 すでに体軸形成のセクションで述べたように、カエルの原腸陥入の位置にはβ-カテニンが局在し、Wntシグナルの標準型経路(キャノニカル・パスウェイ)が関与していると思われます(2、図100-1)。最近の研究ではキャノニカル・パスウェイとノンキャノニカル・パスウェイ(3)は、細胞膜における第2受容体の違いでは識別できるものの、細胞内の錯綜した生化学経路のなかでお互いに干渉し合っており、簡単には分離できないことが判明しています(4、図100-2)。

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図100-2 初期発生とWnt経路

 そういう複雑さは前提となりますが、Wnt経路と発生との関連についてはクー(Ku)とメルトン(Melton)がツメガエルの成熟した卵母細胞において、Wnt11のmRNAが植物極側のコーテックス(細胞膜のすぐ内側の細胞質)に局在していることを、すでに20世紀に発見していました(5)。Wnt11のmRNAはその後陥入が起こる背側帯域(dorsal marginal zone) に高濃度で局在します(5)。 彼らはWnt11はノンキャノニカル・パスウェイを介して発生を制御していると考えていました。
 しかしヒースマン研のコフロンらは2001年に、β-カテニン分解複合体の構成因子である母親由来のアキシンを欠く胚では、β-カテニンが安定化されて胚の過剰の背側化( dorsalization )がおこり、過大な脊索や頭部の構造、縮退した尾や腹部が形成されることを明らかにしました(6、図100-3)。このことは腹背の決定にキャノニカル・パスウェイが関与していることを意味します。
 ツメガエルWnt11についての研究は、その後ヒースマンの研究室で大きく進展しました。中心となって研究を進めたのはタオとヨコタです(7、図100-4)。彼らは成熟した卵母細胞にWnt11のアンチセンスオリゴマーを投与して、Wnt11 mRNAのレベルを20%まで下げ、このような胚は腹側に偏った発生を行ない、神経褶が形成されないことを証明しました。このような胚に Wnt11  mRNA を注入すると背側化が部分的に再促進されることもわかりました。彼らはさらにWnt過剰発現は 背側化転写因子である siamois や Xnr3 の発現をβ-カテニンに依存して促進することや、卵割の途中で細胞膜直下のコーテックスに局在していたWnt11のmRNAが細胞質に広がっていくことを確認しました(7)。

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図100-3 β-カテニン分解複合体の構成因子である母親由来のアキシンを欠く胚では、β-カテニンが安定化されて胚の過剰の背側化がおこる

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図100-4 Wnt11による背側化を証明した研究者達

 2016年にようやくアフリカツメガエルの全ゲノム解析結果が発表されました(8)。これによってトランスクリプト-ム解析が可能となり、シュペーマンオーガナイザーの分子的実体についての全容が明らかになる日も近いと思われます。初期胚は形態形成という1点をめざした細胞集合体とも考えられるので、母親由来のmRNAのプロファイリングと共に、特にトランスクリプト-ム解析を綿密に行なうことがメカニズム解明のために有効だと思われます。
 トランスクリプト-ム解析などによって ディ・ロバーティス(de Robertis)のチームが明らかにしたことの一部を図100-5に示します。彼らの図式によれば、シュペーマンオーガナイザーを構成する多くの因子は、母親Wntシグナル → β - カテニン → Siamois(シャム)の下流にあることになっています。詳しくは文献(9)を参照して下さい。もちろんこの仕事によってシュペーマンオーガナイザーのすべてが明らかになったわけではなく、今後の進展に期待したいところです。

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図100-5 Wntシグナルからシュペーマンオーガナイザーへの道

 STAP細胞の件で自殺した笹井芳樹は、ディ・ロバーティス(de Robertis)の研究室でアフリカツメガエルを使って、シュペーマンオーガナイザーの構成分子のひとつである コーディン(chordin)の研究をしていました(10)。ご冥福をお祈りします。
 先日平良眞規先生の退官記念シンポジウムに行ってきました。三井らもWntシグナルは重視しているようでしたが、ノンキャノニカルシグナルに重点を置いて研究されているように思いました。Wntが N-sulfo-rich へパラン硫酸に結合しているという知見は斬新です(11)。哺乳類においてもWntシグナル、特にキャノニカルパスウェイが初期発生において重要な役割を果たしていることは証明されています(12)。

 

参照

1.卵割 自宅で学ぶ高校生物
http://manabu-biology.com/archives/42123775.html
2.生物学茶話@渋めのダージリンはいかが97: 体軸形成
https://morph.way-nifty.com/lecture/2017/12/post-1408.html
3.生物学茶話@渋めのダージリンはいかが99: 初期発生と情報伝達1
https://morph.way-nifty.com/lecture/2018/01/post-8af9.html
4.F.Fagotto, Wnt signaling during early Xenopus development. in "Xenopus development" ed., M. Kloc and J.Z.Kubiak., John Wiley & Sons Inc., (2014)
5.Ku M and Melton DA, Xwnt-11: a maternally expressed Xenopus wnt gene., Development.  vol.119 (4): pp. 1161-1173 (1993).
http://www.xenbase.org/literature/article.do?method=display&articleId=21903
6.Kofron M1, Klein P, Zhang F, Houston DW, Schaible K, Wylie C, Heasman J., The role of maternal axin in patterning the Xenopus embryo., Dev Biol. vol. 237(1):  pp. 183-201 (2001)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/11518515
7.Qinghua Tao, Chika Yokota (same contribution) et al., Maternal Wnt11 Activates the Canonical Wnt Signaling Pathway Required for Axis Formation in Xenopus Embryos., Cell, Vol. 120, pp. 857–871, (2005)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/15797385
8.Adam M. Session et al., Genome evolution in the allotetraploid frog Xenopus laevis., Nature volume 538, pages 336–343 (2016) doi:10.1038/nature19840
https://www.nature.com/articles/nature19840
9.Yi Ding, Diego Ploper (same contribution), Eric A. Sosa, Gabriele Colozza, Yuki Moriyama, Maria D. J. Benitez,
Kelvin Zhang, Daria Merkurjevc, and Edward M. De Robertis, Spemann organizer transcriptome induction by earlybeta-catenin, Wnt, Nodal, and Siamois signals in Xenopus laevis., PNAS April 11, 2017. 114 (15) E3081-E3090 (2017)
http://www.pnas.org/content/114/15/E3081.long
10.Yoshiki Sasai, Bin Lu, Herbert Steinbeisser, Douglas Geissert, Linda K. Gont, and Eddy M. De Robertis., Xenopus chordin: A Novel Dorsalizing Factor Activated by Organizer-Specific Homeobox Genes.,
Cell. vol. 79 (5): pp. 779–790 (1994)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC3082463/
11.Mii Y, Yamamoto T, Takada R, Mizumoto S, Matsuyama M, Yamada S, Takada S, Taira M.Roles of two types of heparan sulfate clusters in Wnt distribution and signaling in Xenopus. 
Nat Commun. vol. 8(1):1973. doi: 10.1038/s41467-017-02076-0. (2017)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC5719454/
12.Jianbo Wang, Tanvi Sinha, and Anthony Wynshaw-Boris, Wnt Signaling in Mammalian Development:
Lessons from Mouse Genetics., Cold Spring Harb Perspect Biol vol.4, no.5 :a007963 (2012)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC3331704/

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99.初期発生と情報伝達 I

 ヒトは一人では生きられないといいますが、一般に多細胞生物の細胞は1個では生きられません。他の細胞が発したシグナルを受け取って、自分が何をすべきかを判断するというシグナル伝達のウェブのなかで多細胞生物の個々の細胞は生きています。情報はホルモン、フェロモン、サイトカインなどの生理活性物質、神経伝達物質、臭い、光などで細胞に伝えられますが、それらを細胞膜で受け取って細胞内に伝えるのがGタンパク質共役受容体(G protein coupled receptor = GPCR)であり、これは生命の本質と極めてかかわりの深い物質と言えます(1)。
 GPCRはヘビのようにクネクネと分子を折れ曲がらせて細胞膜を7回貫通しているタンパク質で、糖鎖(N-グリカン)と脂質(パルミトイルグループ)を結合しています(図99-1)。細胞膜の外側にはみ出した部分に情報物質を受け取る受容体部分があり、ここにリガンドが結合することによってタンパク質全体が構造変化を起こして細胞内に情報を伝えます(図99-1)。現在ヒトでは約800種類のGPCRの存在が報告されています。ほとんどの動物は膨大なGPCR分子群を保持していると考えられています(1)。この分子を発見した功績でブライアン・コビルカとロバート・レフコヴィッツは2012年のノーベル化学賞を受賞しました(2、図99-1)。後に出てくる wnt (ウィント)もGPCRグループの分子です。
 図99-1はウィキペディアから借用した図で、細かいことが色々掲載されていますが、とりあえずGPCRには細胞外につきだした部分、細胞膜に埋め込まれた部分、細胞内に垂れ下がっている部分の3つの領域があること、そしてペプチド鎖が細胞膜を7回貫通していることを見ておいて下さい。

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図99-1 Gタンパク質共役受容体(GPCR)

 幹細胞などの未分化な細胞に何ができるかというと、それは分化と増殖です。それともうひとつ、なにも変化しないでそのまま待機するというのも大事な役割ではあります。極限的な幹細胞は卵ですが、卵も受精するまではなるべく変化しないで待機しているのが普通です。そして受精すると一気に活性化します。受精したばかりの卵は細胞分裂を行なうと共に、あらゆる細胞に分化するポテンシャルを持っており、さまざまなシグナルによって制御されながら分化への道を歩み始めます。細胞を導くシグナルは多様ですが、とりわけ Wnt、TGF-β、FGFなどのグループに所属する分子群は様々な指示を細胞に与える情報伝達物質で、初期発生においても重要な役割を果たしています。
 Wnt1は例えばマウスでは370個のアミノ酸からなる分子量41,086のタンパク質で、4ヶ所に糖鎖が結合し、1ヶ所に脂質が結合しています(3)。Wntシグナル伝達経路は単細胞生物・植物・カビ・細菌などにはみられませんが、海綿を含むほとんどの動物(メタゾア=後生動物)には存在すると考えられています(4)。また単細胞生物にもいくつかのモジュール(経路の一部)は存在するので、これらをうまく組み合わせることによって多細胞生物が成立し得たとも考えられます(4)。
 Wntシグナルはショウジョウバエの wingless変異体をショウプ(Shope)が発見したことが発見の契機となったと様々な文献に書いてあるのですが(4-6)、オリジナルの引用はありません。ひょっとするとヒンディー語で書いてあるので引用できないなどということがあるのでしょうか? そういうわけで肖像写真も発見できず、図99-2に載せられなくて残念です。Wingless変異体群のなかにはWntだけでなく、dishevelled などさまざまなWntシグナル伝達経路の要素となる分子の遺伝子変異体が網羅されていました。
 哺乳類の Wnt はショウジョウバエのホモログを探索してみつかったのではなく、図99-2に写真を掲載したヌッセとヴァーマスがマウスの乳がん原因遺伝子としてint-1をクローニングしたら(7)、それがたまたまショウジョウバエのwinglessのホモログらしいことがわかって、折半して Wnt-1と改名したのが真相のようです(8)。現在では哺乳類においては19種類のWntが同定されています(9)。

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図99-2 Wntシグナル研究のパイオニア ロエル・ヌッセとハロルド・ヴァーマス

 標準的なWntシグナル伝達系で重要な役割を果たすのが β-カテニンというタンパク質です。β-カテニン(β-Cat)は通常は構造タンパク質として図99-3の左図のように、カドヘリンに結合して細胞接着を実行する複合体の一部に組み込まれています。このとき余剰のβ-Catは分解複合体に吸収されてリン酸化され、これが目印となって分解されてしまいます(10、図99-3)。ところが Wnt シグナルが存在するとβ-Cat分解複合体が形成されず、細胞質に浮遊するβ-Cat は核にとりこまれて転写因子として機能します(11-12、図99-3)。同じ分子に全く異なる機能を持たせるというのは危険な選択だと思いますが、このようなやり方を生物は選択したわけです。

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図99-3 Wntシグナル(標準型)の作用機構

 Wntシグナル伝達系はβ-カテニンを介した転写制御以外にも、プロフィリンをはじめとするアクチン結合因子などを介して細胞骨格を制御する機能も持っています(13-15、図99-3)。胞胚から嚢胚に移行する過程で細胞は変形したり、テンションを与えたり、移動したりするので、Wntシグナル伝達系は様々な方法でこのようなプロセスを制御していると考えられます。Wnt に関してはNusseがWntホームページを運営しているようなので、わからないことがあれば訪問してみると良いかもしれません(16)。 
 Wntシグナル伝達系には標準的(canonical)経路以外に、いくつかの非標準的(noncanonical)なβ-Catを介さない経路も報告されています。発展途上の分野でもありこれらの経路について詳しく述べることはできませんが、アクチン結合タンパク質を介してアクチンの重合を制御し、細胞骨格の再編成をおこなうという効果をもたらす経路があるようです(17、図99-4)。胞胚から嚢胚に至る過程で、細胞はさかんに形態変化や移動を行なうので、活発な細胞骨格の活動は欠かせません。

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図99-4 Wntシグナル(非標準型)の作用機構

 さてWntシグナルに続いて重要な情報伝達系としてTGF-β スーパーファミリーが関与するものがあります。最初の発見者はアソイアンらとされています(18)。リチャード・アソイアンは現在ペンシルベニア大学で薬理学の教授をやっていますが、若い頃ニューヨーク市街をドライヴ中に銃撃され左目を失うという悲劇を経験しています(19)。運が悪かったのでしょうか、それとも命があっただけ運が良かったのでしょうか?
 Wntと同様TGF-βも様々な多細胞生物にユニバーサルに存在し、23の異なる遺伝子がみつかっています(20)。アンドリュー・ヒンクによって、それらの分子進化的な関係も明らかにされています(21、図99-5)。

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図99-5 TGF-βスーパーファミリーのメンバー

 これらのTGF-β スーパーファミリーのなかから、まずBMPをみてみましょう。BMPはbone morphogenetic protein = 骨形成因子の略称で、ウォズニーらによって1988年に遺伝子が同定されて、TGF-β スーパーファミリーのメンバーであることがわかりました(22)。現在BMPと名前が付けられている分子はヒトでは12種類あるそうですが(図99-5でGDFという名前がつけられているものも含めると15種類)、それらが本当に近縁なグループではかならずしもありませんし(図99-5)、またすべてに骨形成活性があるわけでもありません。モノマーの分子量は多くは2~3万程度です。
 このファミリーのタンパク質は wnt と同様、細胞の外から細胞膜の受容体に結合することによって生理作用を惹起するリガンドです。その受容体はwnt とはことなり、1回膜貫通タンパク質です(図99-6)。細胞内の領域にはセリン・スレオニンキナーゼの活性部位があります。BMPは骨形成促進作用とは別に、初期発生においても中胚葉の誘導などに重要な役割を果たしていることが示唆されています(23-25)
 BMP受容体(レセプター)単分子には1型と2型があり、それぞれ2分子づつ合計4分子でリガンドを受け止めます(図99-6)。4つの分子が受容体のサブユニットのような形になっています。リガンドが結合すると2型のセリン・スレオニンキナーゼによって1型のGSボックスという部位がリン酸化されて、1型のセリン・スレオニンキナーゼ酵素活性部位が活性化されます(23、図99-6)。これによってsmad1、smad5、smad9がリン酸化され,次いでこれらがsmad4と複合体を作ることによって核へ移行し,転写活性を制御することになります。またsmad を介さない経路もあることがわかっています(23、図99-6)。

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図99-6 BMPシグナル受容体と情報伝達

 次にFGFについてもふれておきましょう。FGFはfibroblast growth factor = 繊維芽細胞増殖因子)の略称で、最初はフーゴ・アーメリンによって報告されました(26)。現在脊椎動物には22種類のFGFが報告されており、ヒトも22種類のFGFを持っています(27-28)。分子量は17kDa~34kDaで様々であり、FGFグループに所属する分子種間の相同性は高くないようですが、それぞれの分子種の動物種間での相同性は極めて高いそうです(28)。NCBIのデータバンクで fibroblast growth factor 遺伝子の塩基配列を検索すると33610件ヒットしたのでびっくりしました(29)。
 FGF受容体は免疫グロブリンスーパーファミリーに所属するタンパク質で1回膜貫通タンパク質です。脊椎動物は4種類のFGF受容体を持つことが知られています。受容体分子は細胞外に免疫グロブリン様ドメインを2または3個持っています(オルタナティヴスプライシングによって変化する)。免疫グロブリンでは抗原を結合するサイトですが、FGF受容体ではFGFを結合します(29-30、図99-7)。
 免疫グロブリンドメインは図7のようにβシートがいくつも折り重なったような構造になっています。FGF受容体は細胞内にチロシンキナーゼドメインを1分子について2個づつ持っており、これでさまざまな分子をリン酸化することによって最終的に転写因子を核内に送り込む役割を持つカスケードを発動します。

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図99-7 FGFシグナル

 

参照

1)Wikipedia: G protein-coupled receptor
https://en.wikipedia.org/wiki/G_protein-coupled_receptor
2)Kungul. Vetenskapsakademien, Press release, The Nobel Prize
https://www.nobelprize.org/prizes/chemistry/2012/press-release/
3)UniProtKB - P04426 http://www.uniprot.org/uniprot/P04426
4)Thomas W. Holstein, The Evolution of the Wnt Pathway., Cold Spring Harb Perspect Biol. (2012)  Jul; 4(7): a007922. doi:  10.1101/cshperspect.a007922
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC3385961/
5)太田 訓正、河野 利恵、脳科学辞典「wnt」 
https://bsd.neuroinf.jp/wiki/Wnt
6)wikipathologica WntタンパクとWnt/βカテニン経路
http://www.ft-patho.net/index.php?Wnt%20protein
7)R Nusse, H E Varmus,  Many tumors induced by the mouse mammary tumor virus contain a provirus integrated in the same region of the host genome. ,
Cell: vol. 31(1); pp. 99-109 (1982)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/6297757
8)濃野勉 「Wntファミリーと形態形成」 現代医療 vol. 32, pp. 1912-1921 (2000)
http://www.kawasaki-m.ac.jp/molbiol/WntRevMS00.pdf
9)山本英樹 「Wnt シグナル伝達経路の活性制御と発がんとの関連」 生化学第80巻第12号,pp.1079-1093,(2008)
10)Liu C, Li Y, Semenov M, Han C, Baeg GH, Tan Y, Zhang Z, Lin X, He X. Control of beta-catenin phosphorylation/degradation by a dual-kinase mechanism. Cell  Vol. 108: pp. 837–847. (2002)
http://www.cell.com/cell/fulltext/S0092-8674(02)00685-2?_returnURL=http%3A%2F%2Flinkinghub.elsevier.com%2Fretrieve%2Fpii%2FS0092867402006852%3Fshowall%3Dtrue
11)Miranda Molenaar et al., XTcf-3 Transcription Factor Mediates β-Catenin-Induced Axis Formation in Xenopus Embryos., Cell Vol. 86, Issue 3, pp.391–399, (2009)
https://www.morebooks.de/store/gb/book/role-of-tcf-in-body-axis-formation/isbn/978-3-8383-2052-6
12)Behrens, J., von Kries, J. P., Kuhl, M., Bruhn, L., Wedlich, D., Grosschedl, R., and Birchmeier, W.,  Functional interaction of beta-catenin with the transcription factor LEF-1. Nature 382, pp. 638-642. (1996)
13)Patricia C. Salinas, Modulation of the microtubule cytoskeleton: a role for a divergent canonical Wnt pathway., Trends in Cell Biology., Vol. 17, Issue 7, pp. 333–342,  (2007)  http://dx.doi.org/10.1016/j.tcb.2007.07.003
http://www.cell.com/trends/cell-biology/fulltext/S0962-8924(07)00136-5
14) Stamatakou E, Hoyos-Flight M, Salinas PC, Wnt Signalling Promotes Actin Dynamics during Axon Remodelling through the Actin-Binding Protein Eps 8.
PLoS One. 2015 Aug 7;10(8):e0134976. doi: 10.1371/journal.pone.0134976. eCollection (2015)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/26252776
15)Akira Sato, Deepak K. Khadka, Wei Liu, Ritu Bharti, Loren W. Runnels, Igor B. Dawid, Raymond Habas, Profilin is an effector for Daam1 in non-canonical Wnt signaling and is required for vertebrate gastrulation., Development  Vol. 133:  pp. 4219-4231 (2006)  doi: 10.1242/dev.02590
16)Roel Nusse:The Wnt homepage:
https://web.stanford.edu/group/nusselab/cgi-bin/wnt/node/269
17)Yuko Komiya and Raymond Habas, Wnt signal transduction pathways., Organogenesis. , Vo. 4 (2):  pp. 68–75. (2008)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC2634250/#__sec4title
18)Assoian RK, Komoriya A, Meyers CA, Miller DM, Sporn MB,  "Transforming growth factor-beta in human platelets. Identification of a major storage site, purification, and characterization". J. Biol. Chem. vol. 258 (11): pp. 7155–7160. (1983)
19)Todd S. Purdum, The New York Times, Professor loses eye in shooting on broadway., http://www.nytimes.com/1987/03/21/nyregion/professor-loses-eye-in-shooting-on-broadway.html
20)Wikipedia: Transforming growth factor beta superfamily.,
https://en.wikipedia.org/wiki/Transforming_growth_factor_beta_superfamily
21)Andrew P. Hinck, Structural studies of the TGF-βs and their receptors – insights into evolution of the TGF-β superfamily., FEBS Letters, Vol. 586, Issue 14, pp. 1860-1870 (2012)
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22)JM Wozney et al., Novel regulators of bone formation: molecular clones and activities., Science Vol. 242, Issue 4885, pp. 1528-1534 (1988)
DOI: 10.1126/science.3201241
http://science.sciencemag.org/content/242/4885/1528
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https://seikagaku.jbsoc.or.jp/10.14952/SEIKAGAKU.2017.890400/data/index.html
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http://genesdev.cshlp.org/content/9/24/3027
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26)Hugo A. Armelin, Pituitary Extracts and Steroid Hormones in the Control of 3T3 Cell Growth., Proc Natl Acad Sci U S A.,  Vol. 70(9): pp. 2702–2706. (1973)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC427087/
27)Wikipedia: Fibroblast growth factor, https://en.wikipedia.org/wiki/Fibroblast_growth_factor
28)David M Ornitz and Nobuyuki Itoh, Fibroblast growth factors.,  Genome Biology vol. 2: reviews 3005.1 (2001)
https://genomebiology.biomedcentral.com/articles/10.1186/gb-2001-2-3-reviews3005
29)https://www.ncbi.nlm.nih.gov/nuccore/?term=fibroblast+growth+factor
30)Wikipedia: Fibroblast growth factor receptor,
https://en.wikipedia.org/wiki/Fibroblast_growth_factor_receptor

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98.原腸と胚葉

 動物の発生を研究業績として残した最初の人はアリストテレスということになっています。彼が残した「De Generatione Animalium」という本は詳細な研究書で、アリストテレスがかなり熱心に動物の発生を観察した結果が記載されています。Arthur Platt が英語に翻訳して1910年に出版した本をウェブサイトで読むことができます(1、図98-1)。
 私は「De Generatione Animalium」を全部読むつもりはありませんが、例えば毛髪については「老化するにつれて少なくなるが、生命が存在する限り伸びる」と書いてありました。さらに「死後も伸びる」と書いてありますが、これは現在では皮膚がひからびるために「伸びたように見える」という錯覚に基づくものとされています。それにしても死後の毛髪まで観察しているとは、彼の観察意欲の旺盛さがうかがえます。

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図98-1 アリストテレスの著作 「De Generatione Animalium(動物の発生)」

 近代になって発生学を生物学の中でメジャーなものとしたのは、シュペーマンと彼の研究室の大学院生であったマンゴルトによるオーガナイザーの発見でしょう。彼らはイモリの原腸胚の原口背唇部(図98-2の橙色の部分)を反対側にも移植すると、反対側にも神経管・頭部が形成されて、いわゆるシャム双生児のような上半身がふたつある個体の生物が発生してくることを発見しました(2-3、図98-2)。しかし原腸胚の時期を過ぎると、移植してもそのようなことは起こりません(2)。またホストとドナーで違う色のイモリを使った実験で、ドナーのオーガナイザーはそれ自身が新たな体軸を形成するのではなく、ホストの組織を誘導して結合双生児を形成することを証明しました。
 このことは、原腸胚という特定の時期に、オーガナイザーという胚の中の小さな部域のはたらきによって、神経管、上半身、脳などの発生が誘導されることを意味します。すなわち発生は決して神秘的な現象ではなく、科学で追求できる現象であることが明らかになりました。ヒルデ・マンゴルトはこのような大発見をしたことによって、カイザー・ウィルヘルム生物学研究所で研究指導者のポジションを獲得し、私生活でも図98-2のように子供を設けて順風満帆の輝かしい未来が開けたわけですが、まさにその時にキッチンでのガスストーブの爆発事故によって、1924年にわずか25才で世を去りました(4)。誠に人生は理不尽です。一方ハンス・シュペーマンは72才まで生きて、1935年にはノーベル生理学・医学賞を授賞しました(5)。

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図98-2 オーガナイザーの発見 シュペーマンとマンゴルト 右下はオーガナイザー移植によって発生したシャム双生児のようなイモリ

 動物発生の最初に起こるべき事は体軸の形成ですが(6)、その次に起こるべき事は口から肛門に至る消化管という管の形成です。それまで球形だった胚を貫通するトンネルができるわけです。ウニなどの場合、シンプルに球の一部がへこんで、そのままへこみが拡大伸長してトンネルが形成されます。このトンネルが原腸です。原腸形成は、将来消化管となるトンネルができること以外にも重要な意味を持っています。
 すなわちへこんだ部分の細胞と外側に残った細胞では、それぞれ将来どのような生体構造を分化させるかという運命が違うことになります。へこんだ部分の細胞を内胚葉、外側に残った細胞を外胚葉といいます。これ以外に、卵割腔のなかに落とし込まれた細胞(図98-3のウニ卵の中の赤い細胞)が中胚葉を形成します。なお図98-3の一部はKasui's Family のサイト(http://y-arisa.sakura.ne.jp)から借用させていただきました。御礼申し上げます。
 カエルなどの場合少し複雑で、最初にへこんだ部分そのものが原腸になるわけではなく、その周辺の細胞が引きずられて内部に陥入し原腸を形成します(図98-3)。脊椎動物では一般に陥入した細胞は内胚葉を形成せず、中胚葉に分類される細胞群となり、分化して脊索という結合組織を形成して、それに沿って脊索の背側に神経管が誘導形成されます。ウニなどと違ってカエルの場合、卵の内部が原腸陥入以前から、かなり細胞で埋まっています(図98-3)。この内部を埋めている細胞が内胚葉を形成します。

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図98-3 原腸の形成と3胚葉(外胚葉・中胚葉・内胚葉)の分化

 原腸形成の契機となる原口の形成はどのようなメカニズムではじまるのでしょうか?

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図98-4 原口形成のメカニズム

 それは外胚葉の一部にボトル細胞群という部分があり、ここにある細胞(ボトル細胞)は最初は円柱状ですが、外側の外界と接している部分が収縮して縮まり、コルベンをさかさにしたような形(逆3角形)が形成されます(図98-4)。 この「へこみ」に沿って図98-4のように細胞が胚の内部に陥入していって原腸が形成されます。ボトル細胞底面の収縮は筋肉と同様F-アクチンとミオシンの相互作用によります(図98-4)。このことを解明したのは Jen-Yi Lee と Richard Harland です(7)。ハーランド研のホームページに Jen-Yi Lee の名前はありますが、残念ながら消息はつかめませんでした(8)。
 鳥類や哺乳類では原口(ブラストポア)ではなく、原条(プリミティヴストリーク)という渓谷状の構造ができて、そこに細胞群が落ち込んでいきます(図98-5、図98-6)。ジオメトリックな意味で、両生類とくらべて陥入の方向が90度回転し、かつ2方向に分かれています。落ち込んだ細胞は中胚葉を形成し、残った細胞は外胚葉を形成します。同時に内胚葉も形成されます(図98-6)。鳥類・哺乳類におけるヘンゼン結節(図6)は、両生類の原口背唇部(オーガナイザー)に相当します。図98-6はodontologi.wikispaces.com のサイトから借用しました(9)。

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図98-5 胚内部に陥入する細胞群  原口から、原条から

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図98-6 ヒト胚原条に陥入する細胞の流れと3胚葉の形成

 胚葉という概念はラトヴィア出身の発生学者クリスチャン・ハインリッヒ・パンダーによってもたらされました(10、11、図98-7)。彼はニワトリの発生の形態学的研究から、中胚葉から血管が発生することを発見しました。図98-7のニワトリ胚の血管の図はパンダ-が描いたものです(10)。彼はニワトリ発生の研究を深く掘り下げないで、後に動物化石の研究者になりました。ドイツにはパンダ-協会という組織がありますが、これは発生学者の会ではなく、考古学者の会です。
 しかし彼の発生学における業績は、エストニア出身の友人であるカール・エルンスト・フォン・ベーア(図98-7)によって引き継がれました。ベーアはヒトを含む哺乳類の卵を発見したほか、脊椎動物の特徴として、まず脊索ができるということを示しました。また動物は発生の初期ほどよく似ていて、発生が進むにつれて違いがでてくるという考え方を生み出しました(12)。これはベーアの法則「胚の形成において,ある群のすべての構成員にみられる器官の一般的な性質のほうが,その群の個々の構成員を識別する特殊な性質よりも前に出現する・・・他」の根幹をなす考え方です。
 フォン・ベーアは1828年に「Über Entwickelungsgeschichte der Thiere」という本を出版していて、この本はパンダ-に捧げられています(13)。倉谷滋はこの本を読んだらしく、評論しています(14)。少し引用させていただきます。ちなみにパンダーやフォン・ベーアはチャールズ・ダーウィンより十数年前に生まれています。この本が出版されたとき、まだエルンスト・ヘッケルは生まれていません。

(引用開始)・・・「進化の認識が標準となったヘッケル以前は、発生が「進化を反復する」のではなく、「生物の序列を反復する」と考えられた。アリストテレス以来、この世には「下等な長虫」から始まり、カエルやトカゲを経て哺乳類、さらにヒトへと至る序列があり、この順番とヒトの発生過程、化石が出現する順序に並行関係があると考えられた。しかも哺乳類の胎児は、硬骨魚や両生類の親と直接比較されていた。フォン=ベーアは、この古典的反復説を現代的バージョンへと改訂するための橋渡しをした人物である。
 本書のなかで彼は「発生法則」を提唱、ある動物の胚が別の動物の親ではなく、胚に似ること、動物の一般的特徴が個別的特徴よりも早く現れることなどを指摘した。そうして彼は、当時の反復説を「否定」していたのだ。ところが同時にフォン=ベーアの考えは、胚の発生過程が、脊椎動物→四足動物→羊膜類→哺乳類→霊長類→ヒトのように、分類学的入れ子の順序で進行することを主張するものでもある。これを系統的に焼き直せば、ヘッケルの反復説そのものになる。
 このようなわけで現代の我々には、反復説の父として、また、その否定者としてのフォン=ベーアがともに現われることになる。彼自身はあくまで「否定」しているつもりだった。が、歴史を振り返る機会を与えられている我々は、はっきりと「現代版反復説の父」として記憶にとどめるべきだろう。ちなみに本書は、ニワトリ胚に3つの胚葉があること(胚葉説)を記した最初でもある。これによって比較形態学は発生学的根拠を得、同時に前成説も力を失ってゆく。当時にあって、実に画期的に科学的な本なのである。」・・・(引用終了)

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図98-7 発生学の創始者達 パンダーとフォン=ベーア

 原腸形成と同時に生成された内胚葉・中胚葉・外胚葉から、その後の発生過程の中でさまざまな臓器や生体組織が形成されてくるわけですが、それぞれの胚葉からどんな臓器・組織ができあがってくるかリストアップしておきます(図98-8)。より詳細を知りたい方は文献(15)などを参照して下さい。3胚葉からそれぞれの臓器・組織が分化してくるというのは非常に伝統的な知見で、もちろん根拠はそれなりにあるのですが、実はそれ以外にX胚葉とかY胚葉というものを想定して、そこから分化してきたと考える方が実態に近い可能性も残されています。つまり3胚葉に分化する時期前後に、ある別の細胞グループが独自に発生運命を定められているという可能性はあります。例えば図98-8の外胚葉系に含まれる神経堤は別の胚葉とした方が良いという考え方もあります。

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図98-8 3胚葉から分化する組織・器官(脊椎動物の場合)

 神経堤(Neural crest)という言葉はいままで出てこなかったので、図98-9で説明します。両生類・爬虫類・鳥類・哺乳類のグループは、原腸陥入によって陥入した細胞の一部が脊索という組織をを形成し、その脊索の誘導によって背側の外胚葉が第2の陥入を起こして神経管が形成されます。このとき陥入して神経になる細胞群と、とどまって表皮組織になる細胞群の中間の位置に、図98-9で緑色に彩色した細胞群があります。この細胞群は神経管が形成される途中で、堤防のような位置に存在することから神経堤とよばれることになりました(図98-9)。

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図98-9 神経管と神経堤の形成   外胚葉が脊索方向に落ち込んで神経溝を形成する際に、神経管になる細胞と表皮になる細胞の間に、神経堤細胞という別グループの細胞群が発生する

 神経堤細胞群は自身が様々な細胞に分化すると共に、他の細胞の分化を誘導する役目も果たしているとされています(16、図98-10)。この細胞群が神経節の原基であることを同定したのはウィルヘルム・ヘスです(17)。江戸時代が終わった1868年のことでした。その後さまざまな組織がこの細胞群にルーツを持つことが示されました。ウィキペディア(16)にしたがって、図98-10にそれら、およびこの細胞群が誘導する組織をリストアップします。

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図98-10 神経堤細胞が分化する組織および誘導する組織

 

参照

1)Aristotole「De Generatione Animalium」translated by Arthur Platt
Oxford at the Clarendon Press (1910)
https://archive.org/details/worksofaristotle512aris
2)Spemann, Hans und Mangold, Hilde (1924) Über Induktion von Embryonalanlagen durch Implantation artfremder Organisatoren. Archiv für mikroskopische Anatomie und Entwicklungsmechanik
, Volume 100, Issue 3–4,  pp. 599–638 (1924)
https://link.springer.com/article/10.1007%2FBF02108133
英訳:http://www.sns.ias.edu/~tlusty/courses/landmark/Spemann1923.pdf
3)シュペーマン&マンゴルトの方法で作成した双頭のオタマジャクシ
https://neurophilosophy.wordpress.com/2006/12/20/how-to-create-siamese-twins-or-an-embryo-with-2-heads/
4)Maria Doty, The embryo project encyclopedia. Hilde Mangold (1898-1924)
http://embryo.asu.edu/pages/hilde-mangold-1898-1924
5)Wikipedia: Hans Spemann
https://en.wikipedia.org/wiki/Hans_Spemann
6)https://morph.way-nifty.com/lecture/2017/12/post-1408.html
https://morph.way-nifty.com/grey/2017/12/post-7bba.html
7)Lee, J.; Harland, R. M. (2007). "Actomyosin contractility and microtubules drive apical constriction in Xenopus bottle cells". Developmental Biology. 311: 40–52. doi:10.1016/j.ydbio.2007.08.010. PMC 2744900 Freely accessible. PMID
http://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0012160607012559?via%3Dihub
8)Harland研究室のメンバー:http://mcb.berkeley.edu/labs/harland/formerpeeps.html
9)https://odontologi.wikispaces.com/Embryologi%2C+instuderingshj%C3%A4lp
(2005年から活動してきたこのサイトは2018年に閉鎖されました)
10)Christian Heinrich Pander, Beitrage zur Entwickelungsgeschichte des Huhnchens im eye. (1817)
https://books.google.co.jp/books?id=cEdfAAAAcAAJ&pg=PA1&lpg=PA1&dq=Beitr%C3%A4ge+zur+Entwicklungsgeschichte+des+H%C3%BChnchens+im+Eie&source=bl&ots=wY5sKluEHN&sig=tvPTHU-Fn2B7VggwjbJ7LkpbeQc&hl=ja&sa=X&ved=0ahUKEwiVpp3QrdnYAhVBErwKHbnvBzsQ6AEILzAB#v=onepage&q=Beitr%C3%A4ge%20zur%20Entwicklungsgeschichte%20des%20H%C3%BChnchens%20im%20Eie&f=false
11)The Embryo Project Encyclopedia. Christian Heinrich Pander (1794-1865)
https://embryo.asu.edu/pages/christian-heinrich-pander-1794-1865
12)The Embryo Project Encyclopedia. Karl Ernst von Baer (1792-1876)
https://embryo.asu.edu/pages/karl-ernst-von-baer-1792-1876
13)Karl Ernst von Baer, Über Entwickelungsgeschichte der Thiere. (1828)
https://archive.org/details/berentwickelun01baer
14)倉谷滋: 反復するのか、しないのか ー フォン=ベーアの反復説? (2005)
http://www.cdb.riken.jp/emo/clm/clmj/0510j.html
15)Life Map Discovery, Embryonic Development of the Primitive Streak
https://discovery.lifemapsc.com/in-vivo-development/primitive-streak
16)ウィキペディア: 神経堤
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E7%B5%8C%E5%A0%A4
17)Full text of "Untersuchungen über die erste Anlage des Wirbelthierleibes : die erste Entwickelung des Hühnchens im Ei"
https://archive.org/stream/untersuchungen1868hisw/untersuchungen1868hisw_djvu.txt

 

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97.体軸形成

 生物学のさまざまなジャンルの中で発生という現象、すなわち1個の卵=ひとつの細胞が分裂を繰り返すと同時に形態を形成し、機能を分化させ、最終的に1個の生物に至るという驚異のプロセスは最も興味をひくと思われますが、最近は iPS細胞や遺伝子編集などに主役を奪われがちです。しかし発生生物学の分野はまだまだ謎だらけで、解明すべきことは山積されています。
 生物学の教科書に必ず出てくるクシクラゲという海洋生物がいます(図97-1)。水族館に行けばたいてい実物をみられます(1-2)。クラゲと呼ばれている生物には大きく分けて二つのグループがあり、ひとつは刺胞を持つミズクラゲなどの刺胞動物門、いまひとつは刺胞を持たないフウセンクラゲなどのクシクラゲ類が属する有櫛(ゆうしつ)動物門です。最近このクシクラゲで、生物学の根幹をゆるがすような大発見がありました。動物が生きていく上でエサを食べて消化し排泄するというのは基本です。これまでクラゲの仲間は口からエサをとって、排泄も口から行なうというのが常識でした。
 ところがプレスネル、ブラウニーら(図97-1)のグループは、クシクラゲが肛門を持つことを発見したのです(3-4)。どうしてこんなことが21世紀の今日までわかっていなかったというと、クシクラゲを飼育する際に、あまり彼らが好む、あるいは適したエサを与えていなかったので「こんなもの食えるか」と口から吐き出したのを排泄したと勘違いしていたわけです。これには私も腰が抜けるほどびっくりしました。研究者達はエサの小魚のDNAに赤い色素の遺伝子を導入し、肛門から赤い排泄物が排出されるのを確認しました。
 肛門のあるクシクラゲの図を描いてみると(図97-1)、口があってのどがあって胃があって肛門があって、泳ぐための櫛板(繊毛の束)があり、エサをつかむための触手もあり、基本私達と大して違わないような気もします。すでにカンブリア紀にはもっと進化していた仲間の種もいたようです(5)。

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図97-1 有櫛動物(クシクラゲ)

 さてクシクラゲが教科書に出てくるのは、その卵が典型的なモザイク卵だからです。モザイク卵というのは図97-2のように受精卵がふたつの細胞に分裂したときに細胞を分けると、それぞれの細胞からできてくる個体は、本来8つあるはずの櫛板がそれぞれ4つづつしかないという結果になります。4つの細胞ができてから分けると、それぞれ2つの櫛板をもつ不完全な個体が発生します(6)。すなわち未受精卵のうちにどの部分がどう分化するかという設計図が書き込まれていて、あとで修正できないということです。ですからクシクラゲに親と同じ形をした完全体の双生児はいません。ヒトで言えば、左手と左足だけの子と右手と右足だけの子が生まれるようなものです。
 これに対してウニの卵は2細胞期、または4細胞期に細胞を分けると、それぞれ普通の形態をもつ幼生(プルテウス)が発生します。このような卵を調節卵と言います。ヒトの場合も一卵性双生児が存在しますから調節卵と言えます。もちろん調節卵といえども、発生のどこかのステージで分化は決定されるので、モザイク卵と調節卵の違いは分化決定のタイミングが早いか遅いかの違いに起因します。

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図97-2 モザイク卵と調節卵

 生物の形をおおざっぱにみると、前後(口側と肛門側)、背腹、左右という3つの軸が基本になっています。両生類-爬虫類-鳥類-哺乳類を含む生物グループの卵は、発生の際に細胞がダイナミックに動き回るので、軸形成のメカニズムの研究においては難解な応用問題であり、基本的な問題を解決する素材としては不向きです。頭の良い人々はショウジョウバエを材料として課題に取り組みました。
 エドワード・ルイスはいわゆる「ホメオティック遺伝子群」によって生物の形態が定められることを発見しました(7)。名詞のホメオーシスはハエの触覚が脚に変わるように、遺伝的要因によってある器官が別の器官に変わることを意味します。ホメオティック遺伝子はウィキペディアの定義によれば「動物の胚発生の初期において組織の前後軸および体節制を決定する遺伝子である。この遺伝子は、胚段階で体節にかかわる構造(たとえば脚、触角、目など)の適切な数量と配置について決定的な役割を持つ」とされています。これについては後述します。少し横道にそれますが、ルイスホメオティック遺伝子以外に広島・長崎における被曝の影響についても詳細な研究を行ないました。この方面での業績はジェニファー・カロンによってまとめられています(8)。
 ニュスライン=フォルハルトとヴィーシャウスはエドワード・ルイスのショウジョウバエの発生に関する仕事を発展させ、多数の突然変異体を分離して発生に関与する遺伝子を包括的に分析し、その機能を解明しました(9-10)。これらの業績によって3人は1995年度のノーベル生理学医学賞を受賞しました(図97-3)。

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 そしてドリーヴァーとニュスライン=フォルハルトはついにビコイド(bicoid)にたどりつきました(11、図97-4)。ショウジョウバエの未受精卵にはすでに母親の遺言のようなビコイドmRNAの「頭部では濃く尾部では薄い」という濃度勾配が形成されており、受精とともにこのmRNAは翻訳されてビコイドタンパク質が合成されます。ビコイドタンパク質は胚の後方部位の特徴を表現するためのコーダルmRNAに結合して、その機能を阻害します。ビコイドタンパク質の濃度は頭部(前方)では高いので、コーダルmRNAの翻訳は行なわれませんが、尾部では低いのでコーダルmRNAの翻訳がさかんに行なわれることになり、尾部の特徴が現われることになります(図97-4)。

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図97-4 ショウジョウバエ前後軸形成におけるビコイドおよびナノスの役割

 一方ナノスmRNAはビコイドと逆に「頭部で薄く尾部で濃い」という濃度勾配が形成されています。受精とともにナノスタンパク質がこの勾配にしたがって合成され、前方部位の特徴を表現するためのハンチバックmRNAに結合して、その機能を阻害します(12)。ナノスタンパク質の濃度は尾部(後方)では高いので、ハンチバックmRNAの翻訳は行なわれませんが、頭部では低いのでハンチバックmRNAの翻訳がさかんに行なわれることになり、頭部の特徴が現われることになります(図97-4)。コーダルやハンチバックのmRNAには濃度勾配がなく、その翻訳はビコイドタンパク質やナノスタンパク質によって制御されているわけです。
 ここで注意しておきたいのは、ショウジョウバエのような昆虫の場合、他の多くの生物と違って胚発生の初期には細胞分裂は行なわれず、核だけ分裂して卵全体に分布し、その後核が卵表層に移行してから仕切りができて細胞が形成されるという経緯をたどります(表割)。したがって胚発生初期においては細胞の移動や細胞間の物質輸送などは考慮せず、純粋にmRNAとタンパク質の濃度勾配で説明できるところがミソです。
 さて前後軸に続いて腹背軸についてみていきましょう。前後軸があり海底を這って移動する生物は、腹側には移動手段(足など)、背側には防御手段(硬い皮膚やトゲなど)が
あることがベストで、そのような必要性から背と腹が分化してきたのでしょう。

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図97-5 ショウジョウバエ腹背軸の形成

 ショウジョウバエの腹背軸形成については、Robin L. Cooper 氏が作成した図(13、図97-5)をお借りして説明しますと、まず初期胚の腹側でシュペッツレというホルモン様の物質がトールという細胞膜の受容体に結合し(14)、これがシグナルとなってペレというタンパク質分解酵素が活性化されます。ペレはドーサルに結合して不活化していたタンパク質カクタスを分解し、ドーサルが活性化されます。活性化されたドーサルは核に侵入し、腹形成に必要な遺伝子を活性化します。活性化されたドーサルの濃度が低い背側では別の遺伝子が活性化されて背が形成されます(15、図97-5)。
  ドーサルというのは「背中」のという意味なので、その濃度が濃いと腹が形成されるというのは奇妙な印象を受けるかもしれませんが、ドーサルという遺伝子を欠損させると腹側も背中のような生物ができあがるので、遺伝学の習慣として「背中ばかりにさせる遺伝子」としてドーサルと命名されたわけです。赤眼を形成させる遺伝子も、欠損すると白眼になることからホワイトと命名されています。
 昆虫などとは系統樹でいえば別の幹に分かれた両生類-爬虫類-鳥類-哺乳類を含む生物グループでは軸決定の詳細は判明していませんが、βカテニン-Wntシグナル経路が重要な役割を果たしていることはわかっています。カエルの場合腹背軸の決定が最初に行なわれますが、これには精子が卵に侵入する位置がかかわっています。
 カエルの未受精卵は図97-6の一番左側の写真のように、上部にはメラニン色素があり、下部には卵黄があるのでその不均一性は明らかです。メラニン色素は保護色、卵黄は比重のためとされています。重要なのは下部の表層にディシェベルドという情報伝達タンパク質が局在していることです。受精するとその表層が約30度回転して、ディシェベルドの位置も30度ずれます(図97-6)。精子はかならず卵の上部から進入するので、ほぼその進入位置の反対側がずれたディシェベルドの位置となり、その周辺が背側になります(15)。ディシェベルドはWnt(ウィント)情報伝達経路という多くの生物にとって大変重要な経路をはたらかせ、通常は単独分子の状態ではすぐに分解されてしまう β-カテニンの分解を停止し(脱リン酸化される)、核に侵入させてTCF/LEFファミリーの転写因子を活性化し、その転写因子が様々な背側形成遺伝子を活性化します(16)。

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図97-6 カエル腹背軸の形成

 哺乳類における体軸決定はより複雑でここでは述べませんが、興味のある方は文献を参照して下さい(17-19)。カエルと同様Wntシグナルが関与していることは間違いないでしょう。ケンブリッジ大学のイワン・ベドゾフ(Ivan Bedzhov) らのグループは、マウス胚の前後軸は母親から残されたシグナルによらないで決まると主張しています(20)。

 

参照

1)海遊館日記 http://www.kaiyukan.com/blog/2013/01/post-58.html
2)新江ノ島水族館 えのすいトリーター日誌
http://www.enosui.com/diaryentry.php?eid=02647
3)Jason S. Presnell, Lauren E. Vandepas, Kaitlyn J. Warren, Billie J. Swalla, Chris T. Amemiya, William E. Browne
The Presence of a Functionally Tripartite Through-Gut in Ctenophora Has Implications for Metazoan Character Trait Evolution
Curr. Biol., Volume 26, Issue 20, p2814–2820, 24 October 2016
http://www.cell.com/current-biology/fulltext/S0960-9822(16)30931-
4)ナショナルジオグラフィック日本版 肛門の起源の定説白紙に、クシクラゲも「うんち」 未知のタイプの肛門を確認、教科書書き換える発見
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/16/082400314/
5)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%89%E6%AB%9B%E5%8B%95%E7%89%A9
6)ウィキペディア: 有櫛動物
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%82%B6%E3%82%A4%E3%82%AF%E5%8D%B5
7)Lewis Edward. A gene complex controlling segmentation in Drosophila. Nature. 1978;277(5688):565-570. doi:10.1038/276565a0.
http://sns.ias.edu/~tlusty/courses/landmark/Lewis1978.pdf
8)Jennifer Caron, Edward Lewis and radioactive fallout. The impact of caltech biologists on the debate over nuclear weapons testing in the 1950s and 60s. (2003)
https://thesis.library.caltech.edu/1190/1/LewisandFallout.pdf
9)Nüsslein-Volhard C, Wieschaus E (October 1980). "Mutations affecting segment number and polarity in Drosophila". Nature. 287 (5785): 795–801. doi:10.1038/287795a0. PMID 6776413
https://web.stanford.edu/class/cs379c/archive/2012/suggested_reading_list/supplements/documents/Nusslein-VolhardandWieschausNATURE-80.pdf
10)The Nobel Prize in Physiology or Medicine 1995
https://www.nobelprize.org/nobel_prizes/medicine/laureates/1995/
11)Driever, W., Nüsslein-Volhard, C., "The bicoid protein determines position in the Drosophila embryo in a concentration-dependent manner".,  Cell. vol. 54: pp. 95–104. (1988) doi:10.1016/0092-8674(88)90183-3.
http://www.mbl.edu/physiology/files/2014/06/Driever-1988.pdf
12)Irish V, Lehmann R, Akam M., The Drosophila posterior-group gene nanos functions by repressing hunchback activity. Nature., vol. 338 (6217)  pp. 646-648(1989). DOI: 10.1038/338646a0
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/2704419
13)Robin L. Cooper,  Chapter 8: Development of the Fruit Fly Drosophila melanogaster
http://web.as.uky.edu/Biology/faculty/cooper/Population%20dynamics%20examples%20with%20fruit%20flies/08Drosophila.pdf#search=%27drosophila+development%27
14)Miranda Lewis et al., Cytokine Spätzle binds to the Drosophila immunoreceptor Toll with a neurotrophin-like specificity and couples receptor activation., Proc Natl Acad Sci U S A. 2013 Dec 17; 110(51): 20461–20466.
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC3870763/
15)東中川徹・八杉貞雄・西駕秀俊編 ベーシックマスター 「発生生物学」 第6章 オーム社 2008年刊
16)Wikipedia: Wnt signaling pathway  https://en.wikipedia.org/wiki/Wnt_signaling_pathway
17)吉田千春 マウス胚の前後軸決定におけるシグナル因子の挙動とその役割 上原記念生命科学財団研究報告集22(2008)
https://ueharazaidan.yoshida-p.net/houkokushu/Vol.22/pdf/096_report.pdf#search=%27%E3%83%9E%E3%82%A6%E3%82%B9+%E5%89%8D%E5%BE%8C%E8%BB%B8%27
18)大阪大学 生命機能研究科  発生遺伝学グループ 体軸の始まり(前後軸形成からのアプローチ) 
http://www.fbs.osaka-u.ac.jp/labs/hamada/%E5%89%8D%E5%BE%8C.html
19)平松竜司・松尾 勲 マウスの胚における前後軸の形成は子宮から胚への力学的な作用により開始される (2013)
http://first.lifesciencedb.jp/archives/7892
20)Ivan Bedzhov et al., Development of the anterior-posterior axis is a self-organizing process in the absence of maternal cues in the mouse embryo.
Cell Research vol. 25, pp. 1368-1371. (2015) doi:10.1038/cr.2015.104
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC4670986/pdf/cr2015104a.pdf

 

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2020年1月26日 (日)

96. クリスパー(補足)

 95.で、、「クリスパーシステムを用いた遺伝子治療を行なうには、プラスミドかウィルスにCAS-クリスパーを潜入させて、標的になる細胞にとりこませなければなりません。受精卵は大きいのでマイクロインジェクションで注入できますが、体細胞にはこのやり方は向いていません。このあたりがなかなか難しいところです。」と記述しました。 動物では上記のように難しいのですが、植物の場合この困難をうまく乗り越えられる方法があります。アグロバクテリウムというグループの土壌細菌(1)は、植物の根に感染すると、自分の遺伝子を植物細胞のゲノムの任意の位置に組み込む性質を持っています(2、図96-1)。この細菌にCas9(タンパク質)とsgRNAをとりこませ(またはこれらの遺伝情報を持ったプラスミドをとりこませ)植物に感染させると、任意の位置ではなく、狙った植物の遺伝子に変異を導入して無効化することができます。

961

図96-1 アグロバクテリウムによって誘導された虫こぶ(参照文献1より)

 この方法でALS(アセト乳酸合成酵素)の遺伝子を無効化すると、除草剤耐性の植物ができあがります。最初はジャガイモで成功しました(2)。最近では、Cas9の代わりにシトシン→チミンの変換を行なう酵素を使って(TargetAID)、除草剤耐性のイネを作成したという報告があります(3、4)。このような除草剤耐性を付与されるタイプの作物は需要が大きいらしく、次々と製造されると思われますが、それぞれの除草剤の安全性チェックが形ばかりで実質後手になる可能性が大きく、このために折角の叡智であるクリスパーが十把一絡げで悪者になってしまうのはあまりにも残念です。
 モンサント社のラウンドアップを農家が大量散布したため、土壌が汚染された上に耐性雑草が蔓延してどうにもならなくなったという歴史に学ぶ必要があります(5、6)。これでラウンドアップをやめたのはいいけれど、次々に新しい農薬で汚染に汚染を重ね、多剤耐性の雑草が蔓延するような世界はみたくありません。モンサントも会社が立ちゆかなくなり、バイエルに買収されました(7)。世界各国で禁止されているラウンドアップですが、日本では大手を振って販売されています(8)。
 ここでひとつ指摘したいのは、グローバル企業が自社の利益のために人類に多大な損害を与える恐れがあるとき、それを規制するシステムがないということです。インターポールは国外逃亡犯を逮捕するのがせいぜいのところで、各国の法律が異なるため、国際的な企業の暴走をを制御するなどということは不可能に近いと思われます。他国の農民に種を採取してはならないなどという規制をかけるのは、グローバル企業が国家権力を超越した指令をだしているも同然で、決して許して良いことではありません。現在クリスパーを利用した品種改良はほとんど特定の位置で遺伝子に変異を導入するという形(NHEJ)で行なわれており、遺伝子組み換えはありません(11)。これはほぼ今まで行なわれてきた品種改良と同じで、遺伝子組み換え作物と比べて安全性は高いと思われますが、ひとつ心配なのはその改良の速度が速すぎて安全性のチェックが後手に回る恐れがあることです。現に2016年時点での遺伝子組み換え作物の日本への輸入量は約1471万トンということで(11)、商品の表示とはほど遠い数値であり、人体実験をやりながら食事をしているような状況でしょう。いずれクリスパーで改良した作物由来の食品はもっと大量に輸入されるでしょうし、この種の作物は国内でも生産されるでしょう。
 クリスパーは本来医学でも活用されるべきものであり、特に遺伝病の治療や予防に有効だと思われます。ただそれを理想的に行なうには今の技術には足りない部分が多々あり、特に人工遺伝子の移入にはもっと新しい技術が求められます。私はそれが完成したときに、はじめて遺伝子編集という言葉を使っても良いと思います。
 そのような技術が完成した際には、当然親が子のゲノムのデザインをやってもいいかという議論になるとおもいますが、私はそれには「否」を唱えます。ただ重篤な遺伝病がみつかったときには、治療してから受胎するという行為は許容されるべきです。私達には病気を治療する権利があり、それは卵や胎児にもあると思うからです。どこまで遺伝子の変換を認めるかかというのは、厚生労働省がガイドラインを作成して医師に守らせるように指導するしかありませんし、守らない医師は処罰することも必要でしょう。

 

参照

1)ウィキペディア: アグロバクテリウム
2)Nathaniel M. Butler, Paul A. Atkins, Daniel F. Voytas, David S. Douches., Generation and Inheritance of TargetedMutations in Potato (Solanum tuberosum L.)Using the CRISPR/Cas System., PLoS ONE 10(12):e0144591.(2015) doi:10.1371/journal.pone.0144591
http://journals.plos.org/plosone/article/file?id=10.1371/journal.pone.0144591&type=printable
3)神戸大学広報 DNAを切らずに書き換える新たなゲノム編集技術を作物に応用 ― 新しい品種開発技術として期待 ―
http://www.kobe-u.ac.jp/research_at_kobe/NEWS/news/2017_03_28_01.html
4)Nishida, K., T. Arazoe, N. Yachie, S. Banno, M. Kakimoto, M. Tabata, M. Mochizuki, A. Miyabe, M. Araki, K. Y. Hara, Z. Shimatani and A. Kondo: Targeted nucleotide editing using hybrid prokaryotic and vertebrate adaptive immune systems. Science, 10.1126/science.aaf8729 (2016).
5)ウィキペディア:ラウンドアップ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%83%89%E3%82%A2%E3%83%83%E3%83%97#ラウンドアップ耐性雑草の世界的な問題
6)深刻化する除草剤耐性雑草~傾向と対策
http://www.foocom.net/column/gmo2/6839/
7)7兆円を超える大型買収、100年以上続いた「モンサント」の名を消すバイエルの思惑
https://www.businessinsider.jp/post-169013
8)世界中が禁止するラウンドアップ 余剰分が日本で溢れかえる
https://www.chosyu-journal.jp/shakai/11791
9)消えるハチ Bees in decline
http://www.greenpeace.org/japan/Global/japan/pdf/201404_BeesInDecline.pdf
10)猪瀬聖 ガラパゴス化する日本の食品安全行政
https://news.yahoo.co.jp/byline/inosehijiri/20150623-00046911/
11)石井哲也 ゲノム編集を問う-作物からヒトまで 岩波新書 (2017)

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95.クリスパー

 遺伝病は遺伝子のたった一組の塩基対の異常によっても発生し、それが原因で落命するということもあり得ます。有名なのは鎌形赤血球貧血症で、わずか一対の塩基対の異常によって、ヘモグロビンベータ分子を構成する1ヶ所のアミノ酸であるグルタミン酸がバリンに代わり、この結果ヘモグロビンの機能が低下して貧血になります。どの遺伝子のどの塩基対が変異をきたしても病気になる可能性があるので、遺伝病のバラエティは無数にあります。
 これらの遺伝子を正常にもどして病気を治療するというのは、分子生物学者にとってのひとつの夢でした。当初考えられたのは、レトロウィルスベクターを使って正常な遺伝子を細胞に注入するというやり方でした。しかしそこで予想もしなかった事態が発生しました。まず1999年にゲルシンガー事件というのがおこりました。患者のゲルシンガー氏の免疫系がベクターに異常に強い反応を起こして、患者が死亡してしまったのです。2000年代のはじめには、X連鎖重症複合型免疫不全症(SCID-X1)と呼ばれる疾患に対して、20人の小児患者が遺伝子治療を受けましたが、そのうちの5人が白血病を発症し、1人が死亡するという事件が起きました。この原因は患者のゲノムに挿入された治療用遺伝子が「がん遺伝子」を活性化したためと考えられています(1、2)。現在ではレトロウィルスベクターのかわりに、より安全性を担保されたレンチウィルスベクターが用いられ、ウィルスベクターによる遺伝子治療が再出発しています(3)。
 しかしこのようなウィルスベクターによる治療にはいつくか問題点があります。ひとつは遺伝子が挿入される場所を指定できないので、何が起こるか判らないという怖さがあること。いまひとつはハンチントン病のように、変異遺伝子が生成する異常タンパク質が、正常なタンパク質の作用を妨害するような場合には無効であることです(4)。したがって、そのようなウィルスベクターによる治療に危惧を抱いていたグループの中では、前稿でとりあげたカペッキやスミティーズの相同遺伝子組み換え技術によって、異常遺伝子を正常遺伝子に組み換えるという可能性を追求しようという機運がひろがっていました。
 そもそも相同遺伝子組み換えというのは、真核生物では主に減数分裂の時におこる現象ですが、どのようなメカニズムで行なわれるのでしょうか? このそもそも論に取り組んだのがジャック・ショスタクです。彼はテロメア・テロメラーゼ関連でノーベル賞を受賞しましたが、それ以外の仕事でもその天才ぶりを遺憾なく発揮しました。
 DNAは常に放射線・紫外線・化学物質などにさらされており、日常的に損傷を受けています。損傷のタイプは大きく分けて二つあり、ひとつは1本鎖の切断で、これは修復機構が数多く知られています(5-6、図96-1)。いまひとつは2本鎖の切断で、1本鎖の切断の場合と異なり、断点でDNAが生き別れてしまうおそれがあるという生命にとって極めて危険な状況が発生します。しかし生命はあえて損傷時以外にも、減数分裂時には染色体の組み換えを行なって、遺伝子のシャフリングを行なっています。そのためには2本鎖の切断と修復が必要です(図96-1)。

951

図95-1 DNAの損傷:1本鎖切断と2本鎖切断

 ショスタクらは1983年に、2本鎖切断を修復する機構のモデル(仮説)を発表しました(7、図95-2)。今見てみると非常に味わい深いモデルだと思いますが、発表された当時はあまりに都合の良いことを単純につなぎ合わせたような気がして、信じ難い感じがしました。多くの研究者が当時はそう思っていたのではないでしょうか。しかし現在では着々とその正しさが証明されつつあります(8)。
 図95-2を使ってショスタクのモデルを説明すると次のようになります。2本鎖の断点から、まず1本鎖が断点の5’側からエクソヌクレアーゼによってかじられ(タンパク質がとりつくスペースを空けるためでしょう)、かじられなかったもう1本の鎖にRAD51(図95-2の赤丸)というタンパク質がとりつきます。これとRAD54(図95-2のオレンジ楕円)などが協力して相同染色体の対応部位をさがしてとりつきます。ここで相同染色体にある塩基配列を利用して図95-2の黒点線ような修復を行ないます。結果的に染色体の組み換えが行なわれていることに注意して下さい。修復に利用された相同染色体側から見れば、染色体の一部が切り取られて移動しただけですが、2本鎖切断を受けた側の染色体では、極めて複雑なプロセスがあることがわかります。図では概要だけを示しており、このプロセスの全貌はまだ解明されていません。重要なのは、生物が本来持っている遺伝子組み換え機構を発動するには、DNA2本鎖切断、相同染色体、DNA加工酵素群、相同部位を探すために必要なタンパク質、の4者が必要だということです。

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図95-2 ショスタクのDNA2本鎖切断修復モデル

 DNAの2本鎖修復が、切断を受けたDNA以外のDNAを利用して行なわれることの証拠をはじめて示したのはマリア・ジャシンらでした。彼女らは18塩基配列を認識して2本鎖DNAを切断する特殊なエンドヌクレアーゼをマウスに導入し(マウスにはこの18塩基配列がひとつもないため、ずっと発現していても何もおこらない)、18塩基配列をマウスゲノムに埋め込むとともに、この配列に相補的なDNA断片を供給すると、約10%の細胞が相同組み換えによってDNAを修復することができました(9)。
 ジェニファー・ダウドナはショスタクの研究室で博士号を得ているので、当然相同遺伝子組み換えには関心を持っていたはずですが、ポストドクはコロラド大学のトム・チェックの研究室でリボザイムの研究を行なっていました。DNAの修復や相同遺伝子組み換えとは全く畑違いの分野です。彼女が就職してから最初に取り組んだのは、「細菌の免疫機構」というテーマでした。
 参照文献(4)によると、2006年のある日、面識のないジリアン・バンフィールド(ジル)という研究者から電話がかかってきて、共同研究のオファーがあったそうです。よくわけがわからなかったそうですが、ダウドナはその熱意にほだされて会って話を聴くことにしました。ジルはあらゆる細菌DNAが規則的にとびとびに並んだクラスター状の回文反復配列を持っており、その反復配列の間に異なる配列がはさまれているという話をしました(図95-3、灰色部が反復配列、赤・青・緑がそれぞれ異なる配列)。この回文反復配列は、もともと別の大腸菌遺伝子の研究をしていた石野良純がその隣接領域に発見して報告していたものです(10、図95-3の赤枠の中)。当時は石野も含めてこの配列の重要性に誰も気づきませんでしたが、かなり後になって、この配列が多くの細菌・古細菌にみられるということをフランシスコ・モヒカらが報告しました(11)。ウィキペディアによれば、配列決定された原核生物のうち真正細菌の4割と古細菌の9割に見出されているそうです。この配列は2002年にルート・ヤンセンらによってCRISPR(クリスパー=Clustered Regularly Interspersed Short Palindromic Repeats)と命名され、この近傍にはCAS遺伝子群(CRISPR-associated genes)が存在することも明らかになりました(12)。

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図95-3 CAS-CRISPRの発見

 ダウドナがジルに会う少し前に、アレグザンダー・ボロティンらが、反復配列にはさまれた赤・青・緑の領域がウィルスの塩基配列とホモロジーがあることを発表していました(13)。さらにジルはダウドナにマカロヴァらの最新の論文を見せ、そこにはクリスパーが細菌の免疫機構のひとつであることが示唆されていました(14)。 ダウドナは自分がそれまで研究していたRNA干渉(mRNAの相補配列をもつRNAが転写を制御する機構)が、原核生物の免疫に関与しているという話に驚愕し、ただちに食いつきました(4)。ダウドナの本には、海中の細菌の40%が毎日ウィルス感染によって死んでいると書いてあります。細菌にはすごい増殖能力があるのでウィルス感染なんて「へ」でもないというわけにはいかないようです。彼らにも高度な免疫機能が必要でした。
 ちょうどその頃、ロドルフ・バランガウ(Rodolphe Barrangou)らはウィルス抵抗性を獲得した細菌のクリスパーを調べて、新規にそのウィルスのゲノム配列がスペーサー部にコピーされていることを発見し、クリスパーが細菌の獲得免疫をになう機構であることを証明しました(15)。この免疫機構が素晴らしいのは、いったん獲得するとそれが子孫にも受け継がれるという点です。
 2008年になりスタン・ブロウンズらは、まずクリスパー全体が転写され、次に転写されたRNAがリピート部分でRNA分解酵素によって切断されて、各スペーサー部分と相補的なRNA分子が生成されることを示しました(16、図95-4)。この短いRNAはウィルスゲノムと相補的な構造をもっているため、ウィルスを不活化することができると考えられます。しかしそのメカニズムはそのようなシンプルなものなのでしょうか? 最近の研究ではこのメカニズムは大きくわけて大腸菌などに適用される I 型と レンサ球菌などに適用される II型があることがわかってます。

954

図95-4 CRISPRは転写されRNAレベルでスペーサー部位が切断されて、免疫反応のツールとなる短いRNAがつくられる

 ダウドナの研究室では2011年頃までは主に特異性の低いクリスパー I 型について研究していたのですが、プエルトリコのカフェで偶然エマニュエル・シャルパンティエと出会って共同研究を始めた頃から、特異性の高い II 型の研究に重心を移しました(4)。エマニュエルは II 型クリスパーシステムを持つレンサ球菌のCAS9という酵素(DNase )を研究していて、この遺伝子の突然変異によって免疫機構が失われることをみつけていました。ダウドナ研ではエマニュエルの研究室の他各地から人材を集めてCAS9の機能分析を行ないました。中心となったのはダウドナ研のマーティン・イーネック(Martin Jinek) とシャルパンディエ研の クシシュトフ・チリンスキ(Krzysztof Chylinski)です(図95-5)。二人ともポーランド語を話せたので意思疎通はうまくいったようです。
 当初はクリスパーRNAとCAS9でファージDNAを切断できると思っていたわけですが、実はそれ以外に tracrRNA(trans-activated crRNA)というもうひとつの役者が必要であることがわかりました。このRNAはクリスパーRNAと相補配列をもち、ハイブリッドを形成してCAS9を分解すべきDNAの特定部位に導きます。PAM配列という、生物種や関連分子種によって異なる特異配列が誘導に介在しています。CAS9がDNAの2本鎖をこじ開けると、クリスパーRNAがその片側と結合します。その状態でCAS9のふたつのヌクレアーゼサイトを同時に使って2本鎖の両方を同時に切断します(17、図95-5)。
 ダウドナ研で tracrRNAとクリスパーRNA(crRNA)を人工RNAで接続し1分子(キメラ分子)に統合してもCAS9を切断部位に誘導できることが示され、図95-5のようにクリスパーをツールとして用いるときは、このようなキメラ分子を使うのが便利ということになりました(図95-5)。この人工キメラ分子はsgRNA(シングルガイドRNA)と名付けられました。

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図95-5 CAS-CRISPRがウィルスDNAを切断するメカニズムと、crRNAとtracrRNAの人工的接続による効率化

 図95-6はクリスパーの基礎研究を主導した3人の女性研究者です。彼女たちは研究者としてのみならずマネージャーとしても一流で、多額の研究費を得て大規模な研究室を維持し切り盛りしています。ダウドナ研のHPは(18)です。CAS-クリスパーシステムのもう少し専門的または詳しい日本語解説をみたい方は(19、22)などを参照されるとよいでしょう。

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図95-6 バンフィールド シャルパンティエ ダウドナ

 CAS-CRISPRシステム(sgRNA+Cas)と挿入用のDNAを使えば、正確な位置にDNAを挿入することができます(図95-7)。といっても遺伝子をまるごと挿入できるわけではありません。ダウドナはその著書のなかで「CRISPRは私たちに生命の分子そのものを思うままに書き換える手段を与え」と述べていますが、それはちょっと大げさです。たとえば2種類のsgRNAを用いてひとつの遺伝子を両端で切断してとりはずし、別の遺伝子と入れ換えるなどということはできません。2本鎖切断が行われると、その場所でさまざまなDNAの加工が発生します。相同組み換えという生体が持っている非効率なシステムに全面的に依存しているというのも弱点です。

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図95-7 CAS-CRISPRシステムによるDNA挿入

 CAS-クリスパーシステム(sgRNA+Cas)を使ってDNAを切断すると2本鎖切断がおきるので、鋳型に依存しない通常不正確な修復機構によってDNAがつながります。この結果しばしば遺伝情報のフレームシフト(横ずれ)によってコードが意味をなさなくなり、遺伝子の機能が失われます(図95-8)。もともとCAS-CRISPRシステムはDNAを無効化するためのシステムなので、遺伝子破壊は得意です。遺伝子に突然変異を導入する効率は飛躍的に向上しました。

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図95-8 CAS-CRISPRシステムによる遺伝子の破壊(ノックアウト)

 マウスの受精卵にCAS-クリスパーシステム(sgRNA+Cas)を注入し、胚盤胞まで培養して仮親に育てさせると(図95-9)、狙った遺伝子が図95-8のような機構で無効化し、ノックアウトマウスを作成できます。また同時にオリゴDNAを注入すると、そのオリゴDNAをゲノムDNAにとりこんだ動物ができます。たとえば点突然変異を持つ動物を作成できます(20、図95-7)。

959

図95-9 CAS-CRISPRシステムを卵核に注入する

 ある遺伝子に変異を導入して病原菌のターゲットにならないように遺伝子を改変するというのは、CAS-CRISPRシステムの得意とするところです。うどんこ病に抵抗性のコムギなどは大きな成功でしょう(21)。このシステムでは狙った特定の位置に正確に変異を導入できるので、X線・ガンマ線・化学物質などを使ってランダムに導入された変異などとはわけが違う、素性のはっきりした品種改良であり、これは私達が慎重さを確保した上で受け入れるべきものでしょう。注意すべきはCASはあくまでもDNA分解酵素なので、条件によっては切ってはならないところでDNAを切断する可能性があることを心に留めておくことが必要です(22)。
 ダウドナの本(4)は非常によくまとめられていて、著者の頭の良さをうかがわせますが、同時にCAS-CRISPRシステムのプロパガンダの本でもあります。クリスパーはもともとウィルスのDNAを破壊するためのシステムであり、特定の配列を認識してDNAを切断することはできますが、これを遺伝子編集というのはかなりおおげさな表現だと思います。CAS-CRISPRシステムが制限酵素のシステムと違うのは、ひとつはウィルスのDNA配列を記憶しておけるということ。もうひとつは制限酵素よりはるかに長い配列(20塩基)を認識できるので、自分のDNAを間違って切断する心配はない(したがってメチル化による保護は不要)ということです。
 CAS-CRISPRシステムを用いた遺伝子治療を行なうには、プラスミドかウィルスにCAS-CRISPRを潜入させて、標的になる細胞にとりこませなければなりません。受精卵は大きいのでマイクロインジェクションで注入できますが、体細胞にはこのやり方は向いていません。このあたりがなかなか難しいところです。

 

参照

1)免疫不全症の遺伝子治療 AASJ
http://aasj.jp/news/watch/2281
2)遺伝子治療の現状と課題 PMDA科学委員会
https://www.pmda.go.jp/files/000156275.pdf
3)遺伝子治療の再来 北青山Dクリニック がん遺伝子治療センター
https://cancergenetherapy-dclinic.info/knowledge/treatment/457/
4)ジェニファー・ダウドナ、サミュエル・スターンバーグ著 櫻井裕子訳 「クリスパー 究極の遺伝子編集技術の発見」文藝春秋社(2017)
5)https://morph.way-nifty.com/grey/2016/11/post-4728.html
6)https://morph.way-nifty.com/grey/2016/12/post-1ebc.html
7)Jack W. Szostak , Terry L. Orr-Weaver , Rodney J. Rothstein , Franklin W. Stahl., The double-strand-break repair model for recombination., Cell Vol. 33, Issue 1,  pp. 25-35 (1983)
https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/0092867483903318
8)黒沢綾、足立典隆 ヒト細胞における DNA 二本鎖切断の修復 Isotope News  2014 年 5 月号 No.721、 pp. 8-14
https://www.jrias.or.jp/books/pdf/201405_TENBO_KUROSAWA_ADACHI.pdf#search=%27%E9%BB%92%E6%B2%A2%E7%B6%BE%E3%80%81%E8%B6%B3%E7%AB%8B%E5%85%B8%E9%9A%86%27
9)Philippe Rouet, Fatima Smih and Maria Jasin., Expression of a Site-Specific Endonuclease Stimulates Homologous Recombination in Mammalian Cells., Proc. NAS., Vol. 91, No. 13, pp. 6064-6068 (1994)
https://www.jstor.org/stable/2365114
10)Ishino, Y., Shinagawa, H., Makino, K., Amemura, M., and Nakata, A. (1987) Nucleotide sequence of the iap gene, responsible for alkaline phosphatase isozyme conversion in Escherichia coli, and identification of the gene product. J. Bacteriol. 169, 5429-5433.
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC213968/pdf/jbacter00202-0107.pdf
11)Francisco J. M. Mojica, Cesar Díez-Villaseñor, Elena Soria, Guadalupe Juez., Biological significance of a family of regularly spaced repeats in the genomes of Archaea, Bacteria and mitochondria., Molec. Microbiol., vol. 36, Issue 1, pp. 244–246 (2000)
http://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1046/j.1365-2958.2000.01838.x/full
12)Jansen R, Embden JD, Gaastra W, Schouls LM.,  “Identification of genes that are associated with DNA repeats in prokaryotes”. Mol Microbiol vol. 43 (6): pp. 1565–1575. (2002) doi:10.1046/j.1365-2958.2002.02839.x. PMID 11952905
13)Bolotin A, Quinquis B, Sorokin A, Ehrlich SD., Clustered regularly interspaced short palindrome repeats (CRISPRs) have spacers of extrachromosomal origin., Microbiology. vol. 151(Pt 8): pp. 2551-2261. (2005)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/16079334
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15)Rodolphe Barrangou et al., CRISPR Provides Acquired Resistance Against Viruses in Prokaryotes., Science vol. 315, Issue 5819, pp. 1709-1712 (2007)
DOI: 10.1126/science.1138140
http://science.sciencemag.org/content/315/5819/1709.long
16)Brouns SJ et al., Small CRISPR RNAs guide antiviral defense in prokaryotes., Science. vol. 321 (5891): pp. 960-964. (2008)  doi: 10.1126/science.1159689.
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/18703739
17)Jinek M, Chylinski K, Fonfara I, Hauer M, Doudna JA, Charpentier E., A programmable dual-RNA-guided DNA endonuclease in adaptive bacterial immunity.,
Science vol. 337(6096):  pp. 816-821. (2012)  doi: 10.1126/science.1225829. Epub 2012 Jun 28.
18)http://doudnalab.org/
19)新海暁男  CRISPR-Casシステムの構造と機能 生物物理 vol. 54(5),pp. 247-252(2014)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/biophys/54/5/54_247/_pdf
20)H Wang et al., One step generation of mice carrying mutations in multiple genes by CRISPR/Cas-mediated genome engineering., Cell vol. 153 pp. 910-918 (2013)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC3969854/
21)Yanpeng Wang et al., Simultaneous editing of three homoeoalleles in hexaploid bread wheat confers heritable resistance  to powdery mildew., Nature Biotechnology, vol. 32, pp. 947-952  (2014 ) DOI: 10.1038/nbt.2969
22)https://syodokukai.exblog.jp/19701018/

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94.ノックアウトマウス

 1970年代後半から、遺伝子クローニングやDNA塩基配列解析の技術が飛躍的に進歩しました。それにともなって、構造はわかったが機能がわからない遺伝子がたまっていくことになりました。このような未知遺伝子の機能を解析するには、とりあえずその遺伝子を無効化して何が起こるか見てみたいわけです。
 1980年代になってエヴァンスらが胚盤胞の内部細胞塊から多分化能をもつ細胞株(ES細胞)の樹立に成功し(1、図94-1~3)、ES細胞由来のマウスを作成することが可能になりました。1985年には、スミティーズらが相同遺伝子組み換え法によって、ベータグロビン遺伝子領域に外来のDNAを挿入できることを示しました(2、図94-1~3)。そしてついに1987年になって、カペッキらは、ヒポキサンチン-グアニンホスホリボシルトランスフェラーゼ (HPRT)という酵素の遺伝子の一部に、ネオマイシン耐性遺伝子を組み込んだベクタ-を作成し、ES細胞内で相同遺伝子組み換えを起こさせてHPRTを欠損する細胞を作成しました(3、図94-1~3)。個体レベルでは、HPRTを欠損すると体内に尿酸が蓄積して痛風や腎不全が引き起こされます(4)。
 エヴァンス・スミティーズ・カペッキらによって開発された技術は一般化され、どの遺伝子でも人為的に欠損させてその機能を調べられるようになりました。この功績によって彼ら3人に2007年のノーベル生理学・医学賞が授与されました(5、図94-1)。
 マリオ・カペッキはイタリア人ですが、父親は戦死、母親は反ファシスト運動を行ったかどで、ドイツのダッハウ強制収容所に送られ、孤児となったカペッキは4才からヴェローナの街を放浪して、数年間コチェビのような生活(ストリート・チルドレン)をしていたそうです(6)。幸いなことに母親は殺害を免れ、必死の捜索を行って戦後息子と再会。叔父の援助で渡米し、マリオは米国で教育を受けてハーバード大学大学院に進学することができました。

941

図94-1 ノックアウトマウスの開発

 ノックアウトマウス(KOマウス)作成の概要は次のようになります。まず標的遺伝子と似ているが不活化した遺伝子を含むベクターを用意します。通常この内部にはネオマイシン耐性遺伝子などの、組み換えが成功した細胞を選択するための遺伝子を挿入しておきます。このベクターを胚性幹細胞(ES細胞)を培養しているシャーレに投入して、電気ショックやリン酸カルシウム処理などで細胞内に侵入させ、標的遺伝子との組み換えを行なわせます(図94-2)。
 組み換えに成功した細胞はネオマイシン耐性などで選別します。生き残ったES細胞(相同遺伝子組み換えに成功した細胞)を胚盤胞に注入します(図94-2)。注入された細胞は、内部細胞塊の細胞と混ざって、これから生まれる個体の一部になります。つまりこの胚盤胞はキメラ動物になります。

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図94-2 ノックアウトマウスの作成1 遺伝子を組み換えた細胞を杯盤胞に注入

 ノックアウトマウスを作成するためには熟練した研究者がチームを組んで、緊密なチームワークで行わなければなりません。通常図94-2~4のような研究を行なう場合、分子生物学担当者、細胞培養・胚操作担当者、などとは別に動物実験担当者を決めておく必要があります。動物実験担当者はまず研究の進行状態にあわせて、パイプカット手術(無精子となる)をした♂と正常な♀を交配させて、偽妊娠状態の♀を作成しておきます。偽妊娠状態の♀に図94-2のような方法で作成した胚盤胞を移植して着床させます(図94-3)。こうして仮親となった♀から生まれた子供は、本来の親由来の細胞と外部から注入したES細胞由来の細胞の両者を持っており、いわゆるキメラの状態になります(図94-3)。

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図94-3 ノックアウトマウスの作成2 キメラマウスの作成

 キメラマウスの卵または精子のなかにはES細胞由来の遺伝子を持つものがあるはずで、そのような生殖細胞と正常な動物の生殖細胞が接合すると、ES細胞由来の遺伝子をヘテロで保有する動物が生まれてきます(図94-4)。そのヘテロ動物同士をかけあわせると、メンデルの法則に基づいて25%の確率でホモの生物が生まれます。このホモマウスは本来持つべき遺伝子を2本の染色体共に喪失しているので、当該遺伝子に関していわゆるノックアウト状態になります(図94-4)。このような状態のマウスをノックアウトマウスとよびます。

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図94-3 ノックアウトマウスの作成3 ノックアウトマウス(ヘテロおよびホモ)の作成

 相同組み換えを起こさせるために、通常はES細胞の培養系にベクターを投入するのですが、もともとは図94-5のように、受精卵の核にDNAを注射する(マイクロインジェクション)という方法も採られました。吸引用の毛細管で吸引することによって卵を固定し、反対側から注射用毛細管でDNAを卵核に注入します。難しい技術で効率もよくないのですが、この方法でもノックアウトマウス作成が可能です(図94-5)。

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図94-5 毛細管をもちいて受精卵の核に遺伝子改変用DNAを注入する

 そもそも遺伝子は必要であるからこそ代々受け継がれてくるわけで、ノックアウトすれば当然不都合が発生するはずです。特に日常的に必要とされるタンパク質をコードする遺伝子をノックアウトすると、胚または胎仔のうちに死亡して生まれてさえこないということになります。それでは遺伝子の機能解析ができません。
 そこで外部からなんらかのシグナルを送らない限り遺伝子の喪失がおこらないような生物が、ブライアン・ザウアーらによって考案されました(7-8、図94-6)。それはCre/loxPというシステムですが、このシステムのルーツはバクテリオファージP1にあります。このファージは環状化するためにloxPという配列(図94-6)を両端に持っており、この2ヶ所にCreというリコンビナーゼが結合し、その後それぞれのCreが結合することによって反応がはじまって、ホストDNAからファージDNAが切り出されて環状化します。
 ブライアン・ザウアーという人はもともと天文学者になりたかったそうですが、ウィスコンシン大学の数学科を卒業してから縁あってデュポン社の研究所で仕事をするようになり、そこで同僚がバクテリオファージのCre/loxPシステムを研究していたので、それを真核生物の研究に役立てる方法はないかと考えるうちに、遺伝子ノックアウトに使えるのではないかと思いついたそうです(9)。
 標的遺伝子と相同組み換えを行なうDNAの両端にloxP配列を入れておくと、そのDNAが標的遺伝子と同じ機能を持つとしても、Creが作用すればloxPにはさまれた部分は環状化してゲノムから切り離され、遺伝子機能は失われます(図94-6)。ここでCreを核内に侵入させる方法を考えます。あるシグナルがあると核内に移行するタンパク質があれば使えるかもしれません。たとえばエストロジェン受容体にCreを結合し、タモキシフェンを作用させるとエストロジェン受容体はCreと共に核内に移行します。そうするとCreはloxPと反応して標的DNAを切り出し無効化させることができます。すなわちタモキシフェンの投与によって、随時遺伝子をノックアウトできるのです(10、図94-6)。

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図94-6 Cre/loxPシステムによる標的遺伝子の切り出し

 このCre/loxPというシステムは大変便利なもので、Creの遺伝子をゲノムにあらかじめ組み込んでおき、その上流にあるプロモーターを組織特異的に機能するプロモーターに付け替えておくと、例えば筋組織だけで機能するプロモーターだと、筋組織だけである時期にCreが発現して遺伝子を無効化する生物を作成することができます(図94-7)。エストロジェン受容体を利用する方法だと任意の時間に遺伝子を無効化できるのに対して、この方法だと組織特異的に任意の遺伝子を無効化できるということになります。したがって個体全体の遺伝子を無効化すると死亡するような場合でも、ある組織だけだと死亡させないでその効果をみることができます。

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図94-7 遺伝子の組織特異的ノックアウト

 また、標的遺伝子をloxPではさみ、さらにレポーター遺伝子(たとえば細胞を緑色に光らせるGFP遺伝子など)をつないだ相同組み換えを行なったマウス(floxedマウス)を作成し、これとCreをゲノムに組み込んだマウスを交配するとCre/loxPマウスが作成できます(図94-8)。図94-8について説明すると、まずCreを遺伝子導入したマウス(左上)と、解析対象の遺伝子をloxPで囲み下流にGFP遺伝子を配置したマウス(右上)とを掛け合わせます。Creが発現した細胞(左下)では解析対象の遺伝子が排除されるため、仮にその遺伝子が発現すべき時には代わりに下流に導入したGFPが発現します。Creが発現しない細胞(右下)では元々の遺伝子が発現します。あとは上記の通り、時期特異的なり組織特異的なりの方法で、本来なら発現しているはずの遺伝子が発現していない場所を光らせてマーキングすることができ、このことを利用して遺伝子機能を解析することができます。
 実はこれらのプロセスのかなりの部分は、お金さえあればコンディショナルノックアウトマウス作製受託サービス業者に委託してやってもらうことも可能です(11)。また胚や精子を大学や業者に預けて保存してもらうことも可能です(12、13)。マウス以外の遺伝子をマウスゲノムに導入し、かつその外来遺伝子に対応するマウスにおける相同遺伝子を破壊するするような高度な技術を用いた実験も業者に委託することが可能です(11)。

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図94-8 Cre-loxPの下流にGFP遺伝子を導入したシステム

 

参照

1) Evans, M. J., and Kaufman, M. H. Establishment in culture of pluripotential cells from mouse embryos. Nature, vol. 292, pp. 154-156 (1981). doi:10.1038/292154a0
http://www.nature.com/articles/292154a0
2) Oliver Smithies, Ronald G. Gregg, Sallie S. Boggs, Michael A. Koralewski & Raju S. Kucherlapati., Insertion of DNA sequences into the human chromosomal β-globin locus by homologous recombination., Nature vol. 317, pp. 230–234 (1985) doi:10.1038/317230a0
http://www.nature.com/articles/317230a0
3)Thomas, K. R., and Capecchi, M. R. Site-directed mutagenesis by gene targeting in mouse embryo-derived stem cells. Cell, vol. 51, pp. 503-512 (1987).
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/2822260
4)Weblio辞書 レッシュ・ナイハン症候群
5)The Nobel Prizein Physiology or Medicine 2007 is awarded jointly to Mario R. Capecchi, Martin J. Evans and Oliver Smithiesfor their discoveries of “principles for introducing specific gene modifications in mice by the use of embryonic stem cells”
https://www.nobelprize.org/nobel_prizes/medicine/laureates/2007/popular-medicineprize2007.pdf
6)Wikipedia: Mario Capecchi
https://en.wikipedia.org/wiki/Mario_Capecchi
7)Sauer, B. "Functional expression of the Cre-Lox site-specific recombination system in the yeast Saccharomyces cerevisiae". Mol Cell Biol. vol. 7 (6): pp. 2087–2096. (1987)doi:10.1128/mcb.7.6.2087. PMC 365329 Freely accessible. PMID 3037344.
8)Sauer, B.; Henderson, N. (1988). "Site-specific DNA recombination in mammalian cells by the Cre recombinase of bacteriophage P1". Proc. Natl. Acad. Sci. USA. vol.85 (14): pp. 5166–5170. (1988)  doi:10.1073/pnas.85.14.5166. PMC 281709 Freely accessible. PMID
9)DNA Learning Center, Biography 41: Brian Sauer
https://www.dnalc.org/view/16868-Biography-41-Brian-Sauer-1949-.html
10)D Metzger, J Clifford, H Chiba, P Chambon.,  Conditional site-specific recombination in mammalian cells using a ligand-dependent chimeric Cre recombinase. Proc. Natl. Acad. Sci. U.S.A., vol. 92(15); pp. 6991-6995 (1995) [PubMed:7624356]  [WorldCat.org]
11)(株)トランスジェニック
http://www.funakoshi.co.jp/contents/7812
12)(株)トランスジェニック
http://www.transgenic.co.jp/products/mice-service/modified_mouse/icsi.php
13)京都大学医学部附属動物実験施設報 第2号
http://www.anim.med.kyoto-u.ac.jp/NEW_ILA/reports/v2/2seijyou.htm

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93.ES細胞とiPS細胞

 哺乳動物はプラナリアのように分断してもまた個体が再生されるという生物ではありません。トカゲのようにしっぽを切ったらまた生やすという能力もありません。カエルも哺乳動物と同様足を切ったらまた生えてくるわけではない生物ですが、1958年にガードン( J. B. Gurdon )が、カエルの腸の細胞の核を予め除核した卵に移植すると、低い確率ですがカエルが発生することを発見していました(1)。
 すなわちカエルはプラナリアのように体を切り刻んでも個体の再生はできないけれど、少なくとも一部の体細胞には発生の全過程をサポートする能力のある遺伝子が残っているということが示されました。この実験は後に ワブル(M. R. Wabl )らによって検証され、たまたま腸に残存していた多能性幹細胞の核が採取されたのではなく、実際に分化が完了している細胞のDNAに、発生の全過程をサポートする遺伝情報のフルセットが存在することが証明されました(2)。また哺乳類でもテラトカルシノーマという癌は内部に様々な分化した細胞を内包することは昔から知られていました(3)。これらのことは組織や臓器を培養容器内で生成しようとする人々に勇気を与えました。
 1996年になって、キース・キャンベルとイアン・ウィルムット(Keith Campbell and Ian Wilmut )らは羊の乳腺細胞を通常の血清濃度の1/20で培養して多能性を復活させ、別の個体から得られた未受精卵の核を除去して、多能性復活処理した乳腺細胞と電気刺激で融合させました。さらにその細胞を胚盤胞まで体外で育て(図93-1、図93-2)、代理母の子宮に移植すると子羊が誕生しました。

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図93-1 クローン羊ドリーの登場

 この子羊は乳腺細胞を採取した羊のクローンであり、ドリーと名付けられました(4、図93-1)。ドリーは哺乳類初のクローン個体であり、その誕生は畏怖の念をもって世界から注目されました。ノーベル文学賞のカズオ・イシグロの「わたしを離さないで」(2005年刊)でも、ヒトのクローンがとりあげられました。
 同じ方法ではありませんが、クローン動物は優秀な種牛の保存などに実用化されました。ペット(イヌ・ネコ)を復活させようという試みも成功しています。遺伝子は同じでも全く別の個体なので、こんな技術は倫理的にも問題があり無用という人もいますが、私もペットを飼育しているので、永年寄り添って生きてきたペットが死んだ後、姿形だけでも同じ個体が再生できるというのは心がさわぎます。中国などではもうクローンペットのビジネスは普及していますが、クローンといえども毛色の模様などは必ずしも同じでないというのは少しほっとさせられます。
 学術的な見地からは、絶滅危惧種の保存などには有用でしょう。哺乳類成体の組織から幹細胞を採取してドリーのようなクローンをつくる技術は、非常に成功率が低い上にヒトに応用するにはあまりにも倫理的な問題が大きすぎて、その後華々しく発展することはありませんでした。とはいえ多能性幹細胞を採取して研究しようという試みの際には、常にバックグラウンドとなっていることに間違いはありません。
 医学的な応用や分子生物学的な研究のためには、やはり多能性幹細胞を培養器の中で制御しながら分化させる技術が必要です。さて組織や臓器を培養容器内で高い効率で作成するには、その種すなわち実験材料となる細胞をどこから採ってきましょうか? 哺乳類の場合図93-2のように、受精した卵はまず不規則に卵割し桑実胚という細胞の集塊を形成します。その後細胞は2つのグループに分かれ、片方は栄養細胞層、他方は内部細胞塊を形成します。その際に卵割腔という空洞も形成されます(図93-2)。この内部細胞塊を構成する細胞はまだ多能性を保持していて、ここから図93-2に示したような様々な組織・器官が発生するわけです。実験技術上の観点や実用的な観点から言えば、その多能性幹細胞をシャーレで培養し、何らかの方法で筋肉や皮膚などの組織を誘導できれば有難いわけです。
 ドリーから少し時代をさかのぼりますが、1981年マーチン・エヴァンス のグループと彼の弟子である ゲイル・マーチン は、独立にそれぞれヒト胚の内部細胞塊から細胞を取り出して培養し、さまざまな細胞に分化させることに成功しました(5-6、図93-2、図93-3)。
 女性が生涯に生み出せる卵子は400個くらいですが、そのひとつをもらって人工受精させ、培養容器内で胚盤胞(図93-2)まで発生させます。前述したように、この胚盤胞の中にある内部細胞塊は、このあとヒトの様々な組織をつくる未分化な細胞群です。マーチン・エヴァンスはこの未分化細胞にレトロウィルスベクターを用いて遺伝子を導入し、代理母の子宮で育てさせてトランスジェニックマウスの作成に成功しました。マーチン・エヴァンスは2007年にノーベル生理学医学賞を授賞しました。

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図93-2 哺乳類胚と内部細胞塊

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図93-3 内部細胞塊から細胞を取り出して培養する

 エヴァンスやゲイル・マーチンが開発した多能性幹細胞培養技術を飛躍的に進化させたのはジェームス・トムソン(James A. Thomson、図93-3)でした。トムソンはまずサルの内部細胞塊からES細胞(胚性幹細胞 embryonic stem cell)の株を樹立することに成功しました(7)。細胞株というのは、長期間にわたってシャーレ内で細胞分裂を繰り返しても、分化して分裂を停止することなく、そのままの状態で継代しながら培養可能な細胞のことです。通常癌化した細胞を継代培養して樹立されますが、哺乳類の多能性幹細胞でこのような株がつくられたのははじめてのことです。トムソンはこれですぐ誰かがヒトのES細胞株をつくるだろうと予想したそうですが、意外にも誰も手を出さず、ならばと自分でとヒトES細胞株を自作しました(8-9)。トムソンの株は8ヶ月培養しても変化なく、カリオタイプも安定していて優秀な細胞株でした。
 トムソン自身は医学的利用にはあまり関心がなく、この細胞株を使ってヒトの発生過程における遺伝子発現の変化などを研究しようと考えていたようです(9)。一方でこれで様々な組織や臓器を作成して、病気の治療に利用しようとするグループは勢いづきました。クローン人間も容易に制作できそうでした。そのためこの分野の研究に危機感を抱くグループ、特に宗教関係者からは激しい拒否反応がおきました(9)。胚を実験に使うのは殺人行為で許されないという主張です。ジョージ・ブッシュ大統領はこの勢力に同調し、2001年にはES細胞研究には助成金を出さないことを決定しました(10)。この措置はオバマ大統領に代わるまで継続しました。
 もし胚の細胞ではなく、成体の幹細胞から株を作成できれば反対派の主張を回避できます。乳腺細胞からクローン羊ができたわけですから、そのような細胞株ができても不思議ではありません。ここで登場したのが黄禹錫(ファン・ウソク)です。黄禹錫事件に興味のある方は私のブログ記事(11-13)などを参照して下さい。黄禹錫の実験の概要は、成体の幹細胞(体性幹細胞)の核を除核した受精卵に移植し、電気ショックを与えるとES細胞ができるというものでした(図93-4)。彼の論文は続けざまにサイエンス誌に掲載され、世界の大注目を浴びましたが、これが捏造論文だということがわかって、韓国のみならず世界の科学界は底知れぬ衝撃を受け、かつ信用を失ってしまいました。

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図93-4 黄禹錫の捏造(ねつぞう)論文

 黄禹錫事件の影響もあって、ヒト胚の幹細胞を使って研究や医療技術の開発を進めることは困難になってきました。そうなると幹細胞は成人の組織にひそんでいるものを探し出すか、それともすでに分化が進んだ細胞を幹細胞に若返らせるかしかありません。
 それを実現したのが奈良先端科学技術大学院大学の山中グループでした。徳澤佳美(図93-5)は初期胚や多能性幹細胞で強く発現している Fbx15 という遺伝子に注目し、この遺伝子をDNAから除外して、その場所にネオマイシン耐性遺伝子を挿入したノックインマウスを作成しました。
 このマウスは多能性幹細胞をつくることができず、胎仔期に死亡することが期待されましたが、予想に反して健康に成長し、子孫をつくることもできたのです(14)。残念な結果でしたが、このようなことはままあることで、生物はフェイルセーフ機能を持つ場合があって、ある遺伝子が損傷をうけても他の遺伝子が機能を代替することがあります。この場合は Fbx15遺伝子を喪失しても、他の遺伝子が機能を代替したわけです。重要な機能であればあるほどその可能性は高まります。とはいってもFbx15遺伝子は多能性幹細胞で発現しているので、Fbx15遺伝子の上流には多能性幹細胞が生成する物質を関知して、Fbx15に置き換えられたネオマイシン耐性遺伝子を活性化する領域が存在します。したがって、細胞に様々な候補遺伝子をレトロウィルスベクターを用いて投入し、遺伝子が多能性幹細胞の出現や維持に関係あれば、ネオマイシンを含む培地で生存できるというテストシステムとして使えます。
 その頃には多能性幹細胞に関係がありそうな候補がかなり報告されていたので、高橋和利(図93-5)は24の遺伝子を選んで、それぞれひとつづつを線維芽細胞(真皮の細胞)に導入し徳澤のテストシステムにかけてみましたが、すべての細胞はネオマイシン培地で生き残ることができませんでした。そこで高橋は24遺伝子を全部挿入したらどうなるか試してみました。24遺伝子を同時に導入すると(といっても全部が挿入されるわけではなく、ランダムにいくつかの遺伝子が導入される可能性が高い)、一部の細胞はネオマイシン培地で生き延びました。そこで高橋は24遺伝子から順次ひとつづつ遺伝子を減らした23遺伝子を挿入するという膨大な実験で、Oct3/4・Klf4・Sox2・c-Mycの遺伝子導入が多能性幹細胞形成に必須であることを示しました。つまりこの4因子のひとつを欠くと、多能性幹細胞ができないわけです。実際この4因子を導入すると、0.1%以下の低い確率とはいえ、見事に人工多能性幹細胞(iPS細胞=induced pluripotent stem cell)が生成されました(15)。2006年のことです。
 徳澤はアッセイシステムを作成したばかりでなく、マウスES細胞を用いてKlf4が多能性幹細胞の維持に必要であることを示していたので、当然参照論文(15)の共著者になるべきだったと思いますが、山中によれば自分が黄禹錫のようになった場合を恐れて除外したそうです(16-17)。このエクスキューズには、ちょっと納得できかねるものがあります。私はこの件についてはもっと裏があるような気がします。
 この論文発表(15)の翌年には、山中グループはヒトの線維芽細胞を用いて、同様な方法で ヒトiPS細胞 の作成に成功しました(18)。ローマ法王庁は受精卵を破壊しない山中の手法を絶賛するコメントを発表しました(19)。山中伸弥はJ.B.ガードンと共に2012年のノーベル生理学・医学賞を受賞しています。

935

図93-5 iPS細胞の作成

 iPS細胞の培養法をウィキペディアからコピペしたのが図93-6です。成体から採取した細胞を培養してある程度シャーレで増殖したら、必要な遺伝子を組み込んだベクターを投入して細胞内にとりこませ、薬剤耐性テストでとりこんだと確認された細胞をフィーダー細胞(シャーレの底に張り付いて、増殖をサポートする細胞)の上で培養し、増殖させてコロニーを形成させます。一つのコロニーを取り上げて別のシャーレで培養することにより、継代培養が可能なiPS細胞の株ができたことになります。さまざまな微量成分を含むフィーダー細胞や血清を利用すると、それらが放出する、あるいはそれらに含まれているどんな成分が培養に必要なのかというのがブラックボックスになるので、できれば使いたくないのですが、それほど細胞培養はデリケートなものであるということは言えます。山中は「京都の水を使ったからできたなどと言われないようにしよう」と言ったそうです。
 ES細胞やiPS細胞は未分化で無限増殖能を持つわけですが、これを様々な組織に分化誘導するにはどうすればよいのでしょうか? 神経系の細胞に誘導するのは簡単で、血清や増殖因子無しで培養すると、自然に神経系細胞に分化します。上谷らは細胞内における誘導因子としてZpf521というタンパク質を同定しました(20)。高橋らによると網膜細胞はDkk-1 と Lefty-A という因子を培養に添加することによって分化誘導できるそうです(21)。
 最近ではシステマティックな誘導も部分的には可能になっているようです(22)。すでにヒトiPS細胞を心筋細胞に分化させるキットなども販売されています(23)。このような方法で作成した細胞のシートを組織や器官にはりつけると、細胞は自然に組織や器官の一部となって再生医療ができる場合があります。京都大学のiPS細胞研究所では3次元的な心臓組織の作成にも成功しています(24)。このような直接治療に関わる利用以外にも、ES細胞やiPS細胞は薬剤が有効かどうか、どのような副作用があるかなどのさまざまな試験を、実験動物を使用しないで行なうことができるというメリットもあります(25)。

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図93-6 iPS細胞の培養法

 iPS細胞作成に必要な山中4因子のうち c-Mycは癌を発生させる可能性がある危険な因子ですが、その後 Glis1という因子を代用することができて、こちらのほうが効率が良く、癌化の危険性も少ないということがわかりました(26-27、図7)

937

図93-7 Glis1の利用

 iPS細胞を使った治療は、本人のiPS細胞を用いるのが理想なのですが、それには多大な費用が必要で普及させることは困難です。免疫拒否反応について配慮されたストックを使うという道が現実的です。他人のiPS細胞から誘導された網膜の移植によって滲出型加齢黄斑変性の治療を行なうという手術がすでに行なわれており、現在経過観察中だそうです(28)。良い結果となることを期待したいですね。
 最近iPS細胞の作成を支援する政府の大型予算が2022年度で終了するということが明らかになりましたが、ここまできてこの分野の研究開発が頓挫するというのは残念なので何とかしてほしいです(29)。報道によると、iPS細胞の研究開発があまり企業を潤わすような結果になりそうもないからということでした。私はこれにはもう少し裏があるような気がします。

 

参照

1)Gurdon, J. B.; Elsdale, T. R.; Fischberg, M. (1958). "Sexually Mature Individuals of Xenopus laevis from the Transplantation of Single Somatic Nuclei". Nature. 182 (4627): 64?65. doi:10.1038/182064a0. PMID 13566187.
2)Wabl, M. R.; Brun, R. B.; Du Pasquier, L. (1975). "Lymphocytes of the toad Xenopus laevis have the gene set for promoting tadpole development". Science. 190 (4221): 1310?1312. doi:10.1126/science.1198115. PMID 1198115.
3)ギズモード・ジャパン 少女の卵巣から小さな脳と頭蓋骨の一部、髪の毛が発見される http://news.livedoor.com/article/detail/12531644/
4)Campbell K. H.,  McWhir J.,  Ritchie W. A., Wilmut I., "Sheep cloned by nuclear transfer from a cultured cell line". Nature. vol. 380 (6569): pp. 64–66. (1996) Bibcode:1996Natur.380...64C. PMID 8598906. doi:10.1038/380064a0.
5)Evans M, Kaufman M., Establishment in culture of pluripotent cells from mouse embryos. Nature vol. 292 (5819): pp. 154–156. (1981) doi:10.1038/292154a0. PMID 7242681.
6)Martin G., “Isolation of a pluripotent cell line from early mouse embryos cultured in medium conditioned by teratocarcinoma stem cells”. Proc Natl Acad Sci USA vol. 78 (12): pp. 7634–7638.  (1981) doi:10.1073/pnas.78.12.7634. PMC 349323. PMID 6950406.
7)Thomson, J. A., Kalishman, J., Golos, T. G., et al., Isolation of a primate embryonic stem cell line. Proc. Natl. Acad. Sci. USA vol. 92, pp. 7844–7848. (1995)
8)James A. Thomson et al "Embryonic Stem Cell Lines Derived from Human Blastocysts", Science, vol. 282, 5391, pp. 1145-1147 (1998)
9)クリストファー・スコット著 矢野真千子訳 「ES細胞の最前線(原題: Stem Cell Now)」 河出書房新社 (2006)
10)井樋三枝子 ES 細胞研究に関連する法案の動向 外国の立法 vol. 230 pp. 167-175 (2006)
http://www.ndl.go.jp/jp/diet/publication/legis/230/023008.pdf
11)黄禹錫(ファン・ウソク) 転落の経緯1
https://morph.way-nifty.com/grey/2007/07/post_5a4b.html
12)黄禹錫(ファン・ウソク) 転落の経緯2
https://morph.way-nifty.com/grey/2007/07/post_5dd2.html
13)黄禹錫(ファン・ウソク) 転落の経緯3
https://morph.way-nifty.com/grey/2007/07/post_aab3.html
14)田中幹人編著 「iPS細胞 ヒトはどこまで再生できるのか」 日本実業出版社 (2008) 
15)Kazutoshi Takahashi, Shinya Yamanaka., Induction of Pluripotent Stem Cells from Mouse Embryonic and Adult Fibroblast Cultures by Defined Factors., Cell Vol. 126, Issue 4,  pp. 663–676 (2006)
http://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0092867406009767
16)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3%E6%BE%A4%E4%BD%B3%E7%BE%8E
17)せるてく・あらかると iPS細胞の樹立--若い力がもたらした幸運 (特集 iPS細胞が与えた衝撃). 細胞工学 28(3), 242-244, (2009)
http://gakken-mesh.jp/journal/detail/9784879624949.html
18)Takahashi, K.; Tanabe, K.; Ohnuki, M.; Narita, M.; Ichisaka, T.; Tomoda, K.; Yamanaka, S.,  "Induction of Pluripotent Stem Cells from Adult Human Fibroblasts by Defined Factors". Cell. 131 (5): 861–872. (2007)  PMID 18035408. doi:10.1016/j.cell.2007.11.019.
19)万能細胞とバチカン 科学に問う生命の根源 朝日新聞 2008年01月13日
http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY200801130045.html
20)理研プレスリリース ES細胞から神経細胞へ分化開始させるスイッチ因子を解明
http://www.riken.jp/pr/press/2011/20110217/
21)iPS細胞から網膜細胞を作る方法 http://kankyo-j.sakura.ne.jp/kuma2-iPS-RPE1.html
22)iPSポータル(株)のサイト http://ips-guide.com/induction/
23)ヒト多能性幹細胞を心筋細胞に分化させるキット  PSdif-Cardio Cardiomyocyte Differentiation Kit   http://www.funakoshi.co.jp/contents/7324
24)理研プレスリリース ヒトiPS細胞から3次元的な心臓組織を作製し、 致死性不整脈の複雑な特徴を培養下に再現することに成功
http://www.cira.kyoto-u.ac.jp/j/pressrelease/news/171023-160000.html
25)iPS細胞とはなにか 朝日新聞大阪本社科学医療グループ (2011)
26)Maekawa M, Yamaguchi K, Nakamura T, Shibukawa R, Kodanaka I, Ichisaka T, Kawamura Y, Mochizuki H, Goshima N, Yamanaka S.,  "Direct reprogramming of somatic cells is promoted by maternal transcription factor Glis1". Nature. 474 (7350): 225–9. (2011)  doi:10.1038/nature10106. PMID 21654807. Lay summary – AsianScientist.
27)前川桃子助教インタビュー 工夫を重ねて出会えたGlis1 が見せてくれた可能性
http://www.cira.kyoto-u.ac.jp/j/pressrelease/html-newsletters/201106/#page_4
28)https://mainichi.jp/articles/20170329/k00/00m/040/124000c
29)日本経済新聞 iPS研究予算「いきなりゼロは理不尽」 山中伸弥所長 
支援継続を政府に求める
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO52033220R11C19A1000000/?fbclid=IwAR2DBRXZdXG-AhPLTgRgtGxRbKDG8BFMpQrpBi3StLPJRIdAVixwWjWqFHk

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92.幹細胞

 幹細胞という言葉はES細胞や iPS細胞のおかげですっかり世の中に定着しました。しかし改めてきちんとその意味を復習しておきましょう。すでに述べたように、多細胞生物は不死の生殖細胞系列と死を運命付けられた体細胞系列からなります。確かに体細胞は死する運命にありますが、なにしろヒトの体細胞は数十兆個あります。まず大量の細胞をつくらなければなりません。その上で細胞分裂を繰り返しながら3つのグループ(外胚葉・中胚葉・内胚葉)に分かれ、それぞれがまた小グループに分かれて表皮・骨格・消化管などになります(図92-1)。
 体細胞は分裂を繰り返すごとに自分の可能性を狭めていき、最終的にひとつの目標に到達します。これは小学校ではまだ無数の可能性を秘めていた少年が、やがて進学校に合格、受験勉強を経て医学部に入学して卒業し医師免許を取得、医師として一生働くというようなことでしょう。体細胞は通常人為的な操作を加えない限り、可能性を狭めることはできても広げることはできません。これは至極当然で、皮膚の中に突然消化管が現われては困るわけです。
 脳神経細胞や心臓の筋細胞などは終末分化した細胞の典型例で、幼少時に分化した細胞はそのまま死ぬまで同じ場所で働きます。ここでひとつの疑問が生じます。なぜ大人になっても髪の毛は伸びるのでしょうか? 
 ヒトの毛髪は3日で約1ミリメーターくらい伸びるわけですが、細胞は高さが数マイクロメーターくらいの大きさなので、髪の毛の中の細胞縦1列について3日間で200個弱くらい新しい細胞が生み出されていることになります。1日60個とすると1時間で2.5個の細胞が毛根で生み出されていることになります。これは縦1列の分だけですから、毛1本分ではその数百倍の細胞ができているわけです。これは細菌の増殖速度にも匹敵するハイスピードです。ヒトは衣服を発明して毛は退化途上にありますが、サルまでの動物においては、寒さをしのいだり、何かとぶつかったときの皮膚の損傷を防いだり、紫外線が直接皮膚に当たるのを避けるために、毛はなくてはならない器官でした。しかも暑い季節になると毛を落とす必要があります。こうした理由から毛は高速増殖が必要だと考えられます。
 このように多細胞生物が体を構築するシステムは、必要な体細胞を最初に大量に作っておいて、あとはそれらが分化して死んだら個体も死ぬという単純なものではなく、同じ体細胞でも途中で自己複製し補充しながら成人の体をささえていくような細胞も存在します。毛髪・皮膚・爪・血液・小腸などは特に毎日大量の細胞をつくっています。これらの元になる自己複製しながら組織の細胞を供給していく細胞が幹細胞といわれるものです。幹細胞は細胞分裂が可能な若い細胞なのですが、かといって毛髪の幹細胞から爪や赤血球ができては困ります。各組織の幹細胞は、それぞれ運命が限定されています(1)。
 図92-1のように受精卵は成体のあらゆる細胞を製造する能力を秘めていますが、やがて生殖細胞系と体細胞系というグループにわかれ、体細胞系は外胚葉・中胚葉・内胚葉という能力が限定されたグループにわかれ、それぞれから様々な臓器が生まれてくるわけです。

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図92-1 生殖細胞と体細胞

 様々な臓器をつくるとき、例えば脳になるべき細胞群の中に爪になる予定の細胞が混じっているとか、筋肉になるべき細胞群の中に腎臓に予定の細胞が混じっているなどということは避けなければならないので、細胞分裂が可能な細胞は、分化が進行しつつある中間点のあるタイミングで、デジタル的に自分の運命をはっきりと決定しなければなりません。これが図2のA、B、Cのプロセスです。
 色がついている細胞は実際に分化した細胞ではなく、白い細胞に比べて分化する可能性が限定された細胞を意味します。A、Bの過程だけだと白丸で示した未分化細胞がなくなってしまうので、細胞がダメージを受けたり老化が進んだ場合、組織や臓器が必要とする細胞を補充することができません。脳神経細胞や心筋細胞は一生同じ細胞を使う場合が一般的なので、AやBのプロセスを経た色つきの細胞集団に近いと言えます。
 一方毛髪など生きている間は常時補填が必要な臓器はCやDの自己複製が可能な細胞(幹細胞)を維持していかなければなりません。幹細胞を定義すればCのように、細胞分裂した際に自分自身のコピーと分化していく運命にある娘細胞を作り出す細胞ということになりますが、実際には幹細胞のある場所にはCとDが共存していると思われます。A、Bのプロセスが活発に進行している組織では、Dのプロセスがなければ細胞が足りなくなってしまう可能性があります。

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図92-2 体細胞の4つの分裂様式  ここでは未分化細胞について記していますが、すでに分化決定した細胞(着色細胞)がそのプログラムを維持したまま細胞分裂を行う場合もあります。

 成人の体にも自己複製できる細胞が存在することは容易に想像できたわけですが、それを科学的に証明するのはなかなか困難でした。それを最初に行なったのはカナダの研究者 ティルとマックローチ(Till & McCulloch) で、1961年のことでした。放射線医学生物学分野の研究者なら、Till と McCulloch の業績は誰でも知っていますが、意外に他分野の研究者達は知らないのではないでしょうか。幹細胞の研究は長い間、ごく一部の研究者しか興味を持たないような不遇の時代が続いたという事情があります。
 Till と McCulloch の実験の概要を図92-3に示します。致死量の放射線を当てたマウスは造血ができなくなって、脾臓も紙のように薄くなって死亡します。マウスはヒトなどと異なり、主要な造血器官は骨髄ではなく脾臓です。放射線を当てたマウスが死亡する前に、他のマウスの骨髄細胞を注射すると、脾臓に「こぶ」のような細胞の固まり=コロニーができて造血を行い、本来なら死亡するはずのマウスが生き延びることを彼らは実証しました(2、図92-3)。つまり他の個体の骨髄に含まれていた造血幹細胞が脾臓に定着し、図92-8にみられるような様々な血液細胞が生成されて生き延びることができたということになります。

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図92-3 造血幹細胞の存在を証明したティルとマックローチの実験

 ジョンソンとメットカーフ(Johnson & Metcalf) はさらに造血幹細胞をシャーレの中で培養し、シャーレの中で1個の細胞からコロニーを作らせることに成功しました(3、図92-4)。そのコロニーの中に、様々な血液細胞が生成されていました。

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図92-4 ドナルド・メットカーフとシャーレの中で生育した血液細胞のコロニー

 その後血液幹細胞を培養するという実験は大流行し、そこからES細胞(胚性幹細胞)へと研究がつながっていったわけです。
 ES細胞やiPS細胞は血液細胞だけでなく、あらゆる細胞に分化する能力を持っています。幹細胞の分野ではES細胞や iPS細胞の作成で複数の研究者がノーベル賞を受賞していますが(4-5)、これらはむしろ応用技術であり、幹細胞の存在を証明したというルーツの業績を残した人々、すなわちティル・マックローチ・ジョンソン・メットカーフらが蚊帳の外というのは納得できないところです。応用技術というのは次々と技術革新が行なわれることによって乗り越えられていくものですが、ルーツを作ったあるいは原理を証明したという業績は永遠に残るべきものです。
 ヒトの体内にはさまざまな幹細胞が存在します。表皮の幹細胞のように表皮にしかならないもの、毛髪の幹細胞のように毛髪だけでなく、やけどをしたときは表皮も再生できるもの、造血幹細胞のように赤血球、血小板、白血球、リンパ球など様々なタイプの細胞をつくりだせるものなど様々ですが、そのまま個体を再生できる体細胞はありません。
 生物学の研究材料としては比較的ポピュラーな、プラナリアという生物がいます。水の綺麗な小川の底石をはがすとみつかることがあります。長さが1cmくらいの扁平な生き物です。プラナリアは体を切断すると、断片から個体を再生できます(図92-5)。このことは究極の幹細胞、すなわちあらゆる成体の組織を新生できる能力を持つ幹細胞を、彼らは多数体内に維持していることを意味します。
 体を細かく分断しても断片から全体を再生できるというのはいわゆる無性生殖であり、彼らは有性生殖も行なうので、進化の途上で体細胞に含まれる全能性の幹細胞を失わなかったというのが彼らの生き方です。ES細胞や iPS細胞はヒトのプラナリア化を可能にする技術とも言えます。

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図92-5 プラナリアの切断と再生

 一方線虫の1種であるC.エレガンス(Caenorhabditis elegans)は私達と同じく、体細胞は細胞分裂を繰り返すにつれてその可能性を狭めていき、最終的には特定の臓器に分化して死ぬという運命を持っています。違うのは成人が数十兆個の細胞を持っているのに対して、C.エレガンスの大人(雌雄同体)は959個の細胞しか持っていません。それらの細胞はひとつひとつ受精卵から終末分化するまで、まるで家系図のように出処進退が明らかにされています。
 C.エレガンスは結構個体そのものが活発に動きますし、さらに細胞は位置が固定されて動かないわけではなく、発生の過程で複雑に動くので、個々の細胞それぞれをきちんと最後まで見届けるのは途方もない作業ですが、サルストン(Sulston)と共同研究者達は、細胞に色をつけたりして綿密に追跡し、ついにその途方もない観察を成し遂げました(7、図92-6)。56ページの長大な論文ですが、専門外にもかかわらず私は手元に置いています。まさに人類の宝のような論文です。ウェブサイトにも公開されています(8)。サルストンは2002年のノーベル生理学・医学賞を受賞しています。図92-6の右下の系譜は大幅に省略した記載です。詳しくは原著をご覧下さい。

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図92-6 サルストンとC.エレガンスの細胞系譜

 サルストンらの驚異の業績と比べると小さな知見ですが、ヒトの造血幹細胞の分化系譜も明らかになってきました。まず古典的な系譜を示します(図92-7)。この図では、造血幹細胞はリンパ系の細胞と骨髄系の細胞に分かれます。骨髄系の細胞は好酸球・好中球・好塩基球のグループと単球(マクロファージ・樹状細胞)のグループ、そしてそれらとは別の系譜の赤血球・血小板系のグループに分かれたあと、それぞれの細胞系譜に分化していきます。
 赤血球・血小板系以外の細胞はすべて免疫関連細胞で、異物を排除するためのシステムに所属しますが、赤血球・血小板系は全く異なる役割を持っており、赤血球は呼吸=ガス交換、血小板は血液凝固=傷対策という機能を果たしています(1)。ただし、リンパ系のT細胞と骨髄系の単球に分化できる細胞(赤矢印)が存在するとの報告もあります(9)。この件について河本宏と桂義元が日本語で詳しく解説しています(10-11)。最近ではT細胞系は他の細胞と別系列だという考え方が主流のようです(図92-8)。

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図92-7 伝統的な血液細胞の細胞系譜

 骨髄にはおそらく図92-2のA~Dタイプの細胞が棲み着いており、条件によってコントロールされた増殖・分化を行なっていると思われます。最近の知見に基づけば、T細胞系の前駆細胞は骨髄に定着するB細胞とは離れた細胞系列で、胸腺に定着して増殖・分化してT細胞を生成するとされています。T細胞は抗体(イムノグロブリン)を産生する以外のさまざまな免疫機能、たとえば細菌に感染した細胞を識別して殺す、免疫機能を活性化するサイトカインを分泌する、B細胞の成熟分化をサポートする、などさまざまな機能を持っています。B細胞は抗体を産生する細胞です。図92-8をみると、B細胞はT細胞よりむしろ単球やマクロファージと近いことになり、B細胞とT細胞をまとめてリンパ球と称するのも疑問ということになります。

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図92-8 血液細胞の系譜(修正版)

 

参照

1)森岡清和著 「素顔の赤血球-その生いたちと運命をさぐる」 金原出版(1994)
2)Till JE, McCulloch EA: A direct measurement of the radiation sensitivity of normal mouse bone marrow cells. Rad. Res. 14, 213-222 (1961)
3)Johnson GR, Metcalf D: Pure and mixed erythroid colony formation in vitro stimulated by spleen conditioned medium with no detectable erythropoietin. Proc. Natl. Acad. Sci. USA pp. 3879-3882 (1977) 
4)https://www.nobelprize.org/nobel_prizes/medicine/laureates/2007/evans-bio.html
5)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E4%B8%AD%E4%BC%B8%E5%BC%A5
6)動物トリビアんワールド http://animalkun.org/archives/943
7)J.E. Sulston, E. Schierenberg, J.G. White and J.N. Thomson., The Embryonic Cell Lineage of the Nematode Caenorhabditis elegans., Developmental Biology vol. 100: pp. 64-119  (1983)  doi: 10.1016/0012-1606(83)90201-4
8)Wormatlas,  JE Sulston et al., The Embryonic Cell Lineage of the Nematode Caenorhabditis elegans.
http://www.wormatlas.org/SulstonembCellLin_1983/SulstonembCellLin1983.html
9)Nature 免疫:血液細胞の系譜を作り直す
http://www.natureasia.com/ja-jp/nature/highlights/18591
10)河本宏・桂義元 “リンパ球系列” という既成概念からの解放 科学 vol. 79, no.6, pp. 605-613 (2009)
http://kawamoto.frontier.kyoto-u.ac.jp/common/images/contents_for_researchers/d_03/kagakusousetu.pdf
11)河本宏 免疫細胞はどこで、どんな細胞からつくられるの? 
http://www.jsi-men-eki.org/general/qa_pdf/kawamoto.pdf

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91. 有性生殖

 細菌も真核生物も日常的に、活性酸素や環境毒素や放射線・紫外線などによって、細胞を構成するタンパク質・核酸・脂質が変質するという危機にさらされており、これをどう乗り越えて若々しい個体を維持していくかということが、あらゆる生物にとって大きな課題です。
 細菌はコンパクトで無駄のないゲノムを保持し、高速度の増殖能によって、突然変異の蓄積でダメになった細胞を棄てても、種としては生き残れるという生き方を選択しました。それに加えてDNAの高度な修復システムやプラスミドの移動なども彼らの生存に役立っています。真核生物の中でも多細胞生物の生存戦略は細菌とは全く異なっていて、個体の大部分の細胞(体細胞)を使い捨て、一部の細胞だけを変質要因からなるべく遠ざけて、生殖細胞系(ジャームライン)として保護して子孫に伝えるという生き方を選択しました。
 細菌は主として点突然変異によってゲノムの多様性を維持するという戦略をとっていますが、真核生物は生殖細胞系で減数分裂を行ない、その際の組み換えによってゲノムの多様性を維持するシステムを選択しました。減数分裂によって多様性を獲得したゲノムは1倍体なので、もとにもどるには2倍体にならなければなりません。そこで受精というメカニズム、すなわち有性生殖が誕生したと思われます。
 有性生殖について語るには、まずトレーシー・ソネボーン(図91-1)の業績からはじめるべきでしょう。彼は分子生物学が華やかに進展した20世紀の半ばに、近所の池にいるゾウリムシと顕微鏡と培養容器だけで素晴らしい成果を得た研究者です。

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図91-1 トレーシー・ソネボーンとゾウリムシ

 ゾウリムシは他の繊毛虫同様、体軸方向の前後の部分に分かれるようにして細胞分裂するするというのが通常の増殖の方式で、これは無性生殖です。有性生殖としては細胞の接合が行われます。接合に先立ち大核(転写が主目的の栄養核)が消失するとともに生殖核である小核が減数分裂を行い、4つの核に分かれます。このうち3つは消失し、残った1つがさらに2つに分裂し、このうち1つの核を、接合した細胞が互いに交換します(図91-2)。その後、それぞれの細胞内の2核が融合することで接合は完了します。大核はこの後それぞれの細胞で新規につくられます(1)。
 興味深いことに、この4つの生殖核のうち3つが消失するというのは、ヒトのメスの卵母細胞が減数分裂したときに生まれた4つの卵細胞のうち3つは極体として消滅するというのと似ています。無駄をはぶくということなのでしょうか。それにしても神秘的な類似です。
 ソネボーンはゾウリムシをエサが枯渇した条件に置くと、上記のような接合だけでなく、図91-2のようにひとつの細胞の中でnの核とnの核が融合して2nの核ができるオートガミーという現象を発見しました(2)。エサを常に十分に与えておくと、ゾウリムシは接合やオートガミーという有性生殖を起こさず無性生殖で増殖しますが、それらの細胞は次第に老化して全滅します。エサが十分にあるのに死滅してしまうというのは、一見種の存続に不利なように感じますが、ひとつの池に大量発生すると、いずれエサ不足で全滅することになるので、それほど問題にならないかもしれません。それよりこのような寿命のある細胞があることが、多細胞生物出現の基盤になったと思われます。

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図91-2 ゾウリムシの接合とオートガミー

 接合にせよオートガミーにせよ、有性生殖を行うと細胞はリセットされて若返り、集団(クローン)全体が老化するということはありません。つまりときどきエサが枯渇するような条件でゾウリムシを飼育すると、寿命とは関係なく長期間飼育できるということになります。オートガミーでは同じDNAを交換するのですから、遺伝情報は全く変わりません。にもかかわらず有性生殖を行うことによって細胞は若返り、新しい生命史をきざむことができるのです。すなわち有性生殖を行なう生物は、有性生殖を行った細胞だけが生き残り、有性生殖を行わなかった細胞には寿命があって必ず死ぬということを意味します(3)。余談になりますが、満年齢というのは出産を寿命のはじまりとしていて胎内での経過を無視しているので、生物学的には正しくなく、むしろ数え年のほうが受精をはじまりとしているので正しいと言えます。
 ゾウリムシがなぜ有性生殖をするか、その理由のひとつは大核と小核に分業をさせることにしたからでしょう。大核はハウスキーピングな転写を常に行っていて、DNAに変異をきたしやすいいわば消耗品であるのに対して、小核は遺伝子の保存を主目的としているため日常は使われません。このことによって遺伝子を修復するという負担が著しく軽減されるのが大きなメリットです。ある一定の期間が過ぎると、変異が蓄積された大核DNAを捨てて、新鮮な小核DNAを元に再出発するという作戦です。
 真核生物はゾウリムシのような単細胞生物から多細胞生物に進化することによって、核の分業は細胞の分業に進化し、生殖細胞と体細胞が生まれました。このことにより、生殖細胞には寿命がなく、体細胞には寿命があるというはっきりとした区別が発生しました。
 ところが多細胞生物にも例外的に個体全体をリセットできるものがいることがわかっています。そのひとつはベニクラゲです(4、7、図91-3)。久保田信氏によると、このクラゲを100回くらい針で刺すと、彼らは死期を予感するのか若返るそうです。そうして世代を引き継ぐ培養を行ない、2年間で10回も若返らせることに成功しました(5、6)。もちろんそのような人為的な操作を行なわなくても、死期が迫ると彼らは若返ります(7)。まさしく自らを多能性幹細胞に還元して、新しい世代を作成するわけです。

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図91-3 久保田信とベニクラゲ

 ところで読者の皆さんは、では細菌の接合は有性生殖なのかという疑問を抱かれると思います。真核生物のトランズポゾンの伝播と同様、遺伝子の水平伝播と考えるむきもあります。しかしこれはそう単純には決められないことでもあります。有性生殖を遺伝情報の多様化とする見方からすると、細菌の接合は薬剤耐性を獲得したり、有機化合物に対する分解活性を付与するなどの遺伝情報の受け渡しに貢献しているので、有性生殖の1種と考えられないわけではありません。
 という訳で、定義上は細菌の接合も有性生殖としてもいいのですが、真核生物は通常2n(2倍のゲノム情報)とn(1倍のゲノム情報)の世代を持っていて、2n→(減数分裂)→n(生殖細胞)→受精→2n というライフサイクルを繰り返します。細菌はnだけなのですが、進化の過程のどこかでこれがまず2倍になって細胞分裂も2n→4n→2n+2nにならなければなりません。これはニワトリが先か卵が先かという話ではなく、nが先なのはわかっているので、どこで2nの細胞になったかという話です。
 2nになると不利なことがあります。それは突然変異がおきても、スペアのDNAが代替してまずいところがすぐ表に出ないので、進化のスピードが著しく低下するということです。そこを乗り越えて減数分裂という作業で組み換えを行ない、ようやく進化のスピードを上げることができるのです。
 この細菌:1倍体→古細菌:1倍体→古細菌:2倍体→減数分裂→受精:真核生物というプロセスの中で、2倍体の古細菌というのがミッシングリンクになっています。ひょっとすると適者生存の圧力がほとんどかからなかったと思われる深海の海底に、このような生物がいるのかもしれません(8)。ただ原生生物の中には、ある種の粘菌のように、接合や受精とは関係なくnと2nの細胞が現われる例もあるようです(9)。ですから、ひょっとすると原生生物に進化してから2n世代が出現したのかもしれません。皮肉なことに2nになってはみたものの、前記したように2nの生物は進化上の不利が生じます。これを回避するため、彼らはときどきn世代の生物に回帰する必要が生じたと考えられます。
 高木由臣は図91-4のような細胞分裂の様式を考えています(3)。2n→4n→2nで細胞分裂を繰り返している生物が、あるとき2nの細胞が分裂した際に、ランダムに染色体を娘細胞に分配し、n、n、2n、染色体無しの娘細胞ができることを仮定します。nの細胞ができることを仮定したのは、染色体に蓄積された突然変異が生存に役立たない場合、それを排除するのに有利であるからです。nの細胞は致命的な遺伝的欠陥が生じるとバックアップの遺伝情報がないため、ただちに死滅し、これによって有害な突然変異を排除することができます。たとえば図91-4で遺伝子Aが突然変異を起こして遺伝子aができたとします。遺伝子aが生存に不利な変異だった場合、aしかもたないn世代細胞は死滅するでしょう。
 このような細胞分裂様式を獲得した生物のなかから減数分裂・受精を行なうものが現われて、現在の標準的な真核生物に進化したというわけです。減数分裂の際の組み換えシステムを確立した生物は、おそらく2n世代での選別でも事足りるようになったので、生存のためには不利と考えられるn世代の期間をなるべく短くするような方向に進化しているようにみえます。
 前期のゾウリムシは減数分裂と接合(ある種の受精)を行なっているわけですが、ここから多細胞生物に進化すると、このシステムは非常に有効に機能します。それは生殖細胞と体細胞という分業を行なうことによって、体細胞は遺伝子を最大限に活用して、動いたり、栄養をとりこんだり、見たり、聴いたり、感じたりと様々な機能を持って活動し、一方で生殖細胞はひっそりと遺伝子を守ることに専念します。これによって多細胞生物は驚異的な進化を遂げることができました。体細胞の遺伝子はきちんと守る必要がなく、どんどん使って(増殖と分化)ボロボロになれば棄てればいいのです。ここで体細胞の寿命が発生しました。そのかわり生殖細胞の遺伝子はきちんと守って、次の世代に引き継ぐという生き方になります。

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図91-4 減数分裂を行う生物がまだ居なかった時代の無性的1倍体を仮定する仮説

 最近有性生殖は減数分裂によって遺伝子を混ぜ合わせると言う意義だけではないことが証明されました。ゴミムシダマシというと見たことがない方が多いと思いますが、幼虫はミールワームといわれて、ペットのエサなどに利用されているポピュラーな昆虫です。この生物を使って、アリソン・ラムリーらは多数のオスが少数のメスを争う環境と少数のオスが少数のメスを争う環境を設定し、同系(遺伝子のエラーが蓄積しやすい近親)の集団を7年にわたって飼育してみました。するとオスが交配するメスを争わなくて良いグループは近親交配による弊害で10世代で絶滅したのに対して、厳しくメスを争ったグループは20世代まで生き延びたという実験結果を得ました(10-11、図91-5)。

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図91-5 アリソン・ラムリーとマシュー・ゲイジらのグループはゴミムシダマシを用いた実験で、オスがメスを争うことの意義を解明した。

 ラムリーらは「自身のライバルを効果的に打ち負かし、争いのなかで生殖のパートナーを見つけるためには、個体はあらゆる分野で優秀でなくてはなりません。このため、性淘汰は種の遺伝的優位性を維持・改善する、重要で効果的なフィルターとなります」と結論しています。平たく言えばオスがいかにしてメスにもてようかと努力することが、生物の生存と進化にとって重要であるということでしょう。
 有性生殖は遺伝子のまぜあわせによって進化するために必要と思われますが、より短期的には進化と言うより感染あるいは寄生しようという生物にとりつかれないために変化することが必要なのだという考え方があります。
 ウィキペディアによると 「ウィリアム・ハミルトン(図91-6)は1980年から90年にかけて、M・ズック、I・イーシェル、J・シーゲル、R・アクセルロッドらと共に、遺伝的多様性が適応や進化の速度を向上させるという従来の説を種の利益論法だと批判し、多くの生物で遺伝的多型が保持されているのは多型を支持するような選択圧が常に働いているためで、その選択圧をもたらす者は寄生者であると主張しました。種やその他の集団レベルにおける進化を認めてきた古典的な理論とは対照的に、赤の女王効果は遺伝子レベルでの有性生殖の利点を説明することが可能である」 の記載があります(12)。「赤の女王」とはルイス・キャロルの小説『鏡の国のアリス』に登場する人物で、彼女が作中で発した「その場にとどまるためには、全力で走り続けなければならない(It takes all the running you can do, to keep in the same place.)」という台詞から、種・個体・遺伝子が生き残るためには進化し続けなければならないことの比喩として用いられています。

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図91-6 マット・リドレーとウィリアム・ハミルトン 右端は「赤の女王」

 サイエンスライターのマット・リドレー(図91-6)は、1993年の著書「赤の女王 性とヒトの進化」(13)の中で、「有性生殖の有利さは、常に変化するような環境に棲む生物で発揮される。有性生殖する生物にそのような環境の変化をもたらす者は寄生者(寄生虫、ウイルス、細菌など)と考えられる。寄生者と宿主の間での恒常的な軍拡競争において、この具体例が確認できる。一般に寄生者はその寿命の短さにより、より速く進化する。そのような寄生者の進化は、宿主に対する攻撃方法の多様化を招く(つまり、宿主にとって環境が変化する)。このような場合、有性生殖による組み替えで常に遺伝子を混ぜ合わせ、短期間で集団の遺伝的多様性を増加させ続けることは、寄生者の大規模な侵略を止める効果を果たすと考えられる。実際、ボトルネック効果(14)などによって遺伝的多様性が失われた個体群は感染症に弱いことがわかっている。通常分裂(無性生殖の一つ)を行う生物(ゾウリムシや大腸菌など)でも環境によっては接合(有性生殖の一つ)によって遺伝子を混ぜ合わせることは可能である。すなわち寄生者との間で周期的な軍拡競争を行っている生物では、性が寄生者に対する抵抗性を維持するための仕組みであると考えられる。赤の女王仮説は性の起源を説明する理論ではなく、性が維持されるメリットの一つを説明する理論である」と述べています(13)。

 

参照

1)ウィキペディア: ゾウリムシ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BE%E3%82%A6%E3%83%AA%E3%83%A0%E3%82%B7
2)John R. Preer, JR., Biographical Memoir:Tracy Morton Sonneborn, National Academy of Sciences (1996)
http://www.nasonline.org/publications/biographical-memoirs/memoir-pdfs/sonneborn-tracy.pdf
3)高木由臣著 有性生殖論 「性」と「死」はなぜ生まれたのか NHKブックス(2014)
4)Wikipedia: Turritopsis dohrnii,  https://en.wikipedia.org/wiki/Turritopsis_dohrnii
5)Shin Kubota, Repeating rejuvenation in Turritopsis, an immortal hydrozoan (Cnidaria, Hydrozoa). Biogeography vol. 13, pp. 101-103.101-103. (2011)
6)太田出版 ケトルニュース 「若返り」を研究する京大准教授 クラゲを若返らせることに成功
http://www.ohtabooks.com/qjkettle/news/2013/01/28111848.html
7)Piraino S, Boero F, Aeschbach B, Schmid V., “Reversing the Life Cycle: Medusae Transforming into Polyps and Cell Transdifferentiation in Turritopsis nutricula (Cnidaria, Hydrozoa)”. The Biological Bulletin 190 (3): 302-12. (1996)
http://www.journals.uchicago.edu/doi/pdfplus/10.2307/1543022
8)日本語版:ガリレオ-矢倉美登里/高橋朋子
https://wired.jp/2008/08/05/%e3%80%8c%e3%81%bb%e3%81%a8%e3%82%93%e3%81%a9%e6%ad%bb%e3%82%93%e3%81%a7%e3%81%84%e3%82%8b%e3%80%8d%e7%94%9f%e7%89%a9%e3%80%81%e6%b5%b7%e5%ba%95%e5%9c%b0%e4%b8%8b%e3%81%ae%e3%80%8c%e5%8f%a4%e7%b4%b0/
9)R. R. Sussman AND M. Sussman., Ploidal Inheritance in the Slime Mould Dictyostelium discoideum: Haploidization and Genetic Segregationof Diploid Strains., J . gen. Microbial.,  vol. 30, pp. 349-355 (1963)
http://www.microbiologyresearch.org/docserver/fulltext/micro/30/3/mic-30-3-349.pdf?expires=1509070562&id=id&accname=guest&checksum=AD51BC0EA0609F7EBD6956F7F7A46D94
10)Alyson J. Lumley, Lukasz Michalczyk, James J. N. Kitson, Lewis G. Spurgin, Catriona A. Morrison, Joanne L. Godwin1, Matthew E. Dickinson, Oliver Y. Martin, Brent C. Emerson, Tracey Chapman & Matthew J. G. Gage.,Sexual selection protects against extinction., Nature vol. 522, pp. 470–473 (2015)  doi:10.1038/nature14419
https://www.researchgate.net/publication/276849836_Sexual_selection_protects_against_extinction
11)Wired News: オスの存在理由、実験で証明される
https://wired.jp/2015/06/15/sexual-reproduction/
12)ウィキペディア: 赤の女王仮説 
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%A4%E3%81%AE%E5%A5%B3%E7%8E%8B%E4%BB%AE%E8%AA%AC
13)The Red Queen: Sex and the Evolution of Human Nature, (1993) 長谷川真理子訳 『赤の女王 性とヒトの進化』 翔泳社 (1995)
14)ウィキペディア: ボトルネック効果
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%83%88%E3%83%AB%E3%83%8D%E3%83%83%E3%82%AF%E5%8A%B9%E6%9E%9C

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90.染色体の数と性

 いろいろな生物で染色体の数はさまざまですが、それには意味があるのでしょうか。また性染色体の数や種類が性によってどう定まっているかについてもみてみましょう。染色体の数について論じる上でよく話題になるのがホエジカです。
 ホエジカ属(ムンチャック Muntjac) のシカは東南アジア、中国南部、インドなどに分布しています。図90-1左はインドホエジカ、右は中国ホエジカ(キョン)で、とても良く似た動物です。キョンは行川アイランドなどの動物園から逃げ出した個体が房総半島や伊豆大島で野生化し、食害が問題になっています(1)。千葉県などは駆除にやっきになっています。もともと古代の琉球以外の日本にはいなくて、人間が持ち込んだ動物なので、駆除というのも身勝手な話です。現在は特定外来生物に指定されており、許可なく日本国内に持ち込んだり国内で飼育したりすることは禁止されています。

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図90-1 インドホエジカと中国ホエジカ(キョン)

 ホエジカ(Muntiacus)属はウシ科のダイカー(https://en.wikipedia.org/wiki/Duiker)から分岐したグループです。分岐はミトコンドリアDNAから推定されました(2)。染色体の数が近縁種でも著しく異なることで有名です(図90-2)。図90-2の学名のあとについている数字は、さまざまな亜種があることを意味します。M.reevesi は更新世初期(100万年以前)に化石がみつかっていますが、M. muntjak と M. feae は更新世中期(50~100万年前)からしか化石がみつかりません。たかだか50万年くらいの間に染色体数が変化し、新しい種が生まれたことになります。

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図90-2 ホエジカ属の起源・分岐と染色体数の変化

 インドホエジカとキョンのカリオタイプを比較すると図90-3のようになります(3)。キョンは私達ヒトと同じ46本の染色体を持ち、そのなかにメスはXX、オスはXYという性染色体が含まれます。ところがインドホエジカはメスは6本、オスは7本の染色体を持ち、オスに余分にある1本がY染色体に相当すると思われますが、最近の文献(4)にY2などという記載があるように、一筋縄ではいかないようです。いずれにしても染色体の数が劇的に変化しても、同じ遺伝子のセットが存在すれば、それほど生物の特徴に変化は発生しないということは結論できそうです。ただ、もしY染色体が単独の染色体であるとすると、減数分裂の際の組み換えの可能性がゼロになるので進化上不利になるのは否めません。

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図90-3 インドホエジカとキョンのカリオタイプ

 前のパラグラフで「染色体の数が劇的に変化しても、同じ遺伝子のセットが存在すれば、それほど生物の特徴に変化は発生しない」と述べましたが、性に関する染色体の問題は特別です。ヒトではメスはXX、オスはXYという組み合わせの染色体が性を指定しています。他の動物ではどうでしょうか? 図90-4のように大きく分けてXY型(オスがヘテロ)とZW型(メスがヘテロ)があります(5、図90-4)。
 有羊膜類では哺乳類・単孔類がXY型、鳥類・ヘビ類がZW型です。おそらくペルム紀にZW型の爬虫類からXY型の哺乳類型爬虫類が分かれたと思われますが、定かではありません。XY型というのはここではXY型=メスXX&オスXY・XO型=メスXX・オスXO・XnYn型・XnO型を含む総称です。カモノハシは雄・・・X1Y1X2Y2X3Y3X4Y4X5Y5:雌・・・ X1X1X2X2X3X3X4X4X5X5 という奇妙なカリオタイプですが(XnYn型)(6)、XY型の1種とされています。
 ZW型にはメスZW・オスZZというタイプと、メスZO・オスZZというタイプがあります。O(オー)というのは染色体がないという意味です。

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図90-4 有羊膜類の性染色体の分岐と、性決定の様々な様式

 現在生きているヘビ以外の爬虫類は、環境の温度によってオスかメスかが決まる場合が多いようです(図90-5)。たとえばカミツキガメ(Chelydra serpentina) では、20°C以下の低温と30°C以上の高温の環境ではメスが産まれ、中間の22~28°Cでは主にオスが産まれます(7)。アオウミガメの場合は、28℃以下ならオス、28~29℃ならオスメス半々、30℃以上の高温だとメスとなります(7)。
 一般に遺伝子にバラエティーをつくるより、ともかく種の絶滅を防ぐことを優先しなければならないときは、メスを増やすのが得策です。ただそれぞれの生物が生きている環境によって、オス・メスどちらを優先的に作成すべきかは微妙に異なるでしょう。図90-5の最も古いタイプの爬虫類に似ていて生きた化石といわれるムカシトカゲが、性染色体による性決定を行うとしてありますが、ウィキペディア(8)をみると、「21℃では雌雄比は半々だが、22℃では80%がオスになる。さらに20℃では80%が、18℃でほぼ100%がメスになる。ただしムカシトカゲの性決定は環境要因(温度)だけでなく遺伝子要因も関係している複雑なものらしいという説がある」 と詳細に記載してあります。
 爬虫類の場合、単為生殖を行なう生物も少なくないようです(9-10)。この場合メス1匹だけ生き残った場合も、単為生殖を行なってオスを産めば絶滅を免れる可能性があるという利点があります。哺乳類の場合実験的操作を伴なわない限り、単為生殖を行なうのは不可能だとされています。どうしてそうなったかは未解決のひとつの謎です。

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図90-5 爬虫類の性決定機構

 図90-4に示したように、哺乳類ではXXはメス、XYはオスという染色体型によって性が決定されますが、性を決定する遺伝子はアンドリュー・シンクレア、ピーター・グッドフェローらによって解明されました(11、図90-6)。彼らによればY染色体上のSRY遺伝子が精巣形成を決定しているということです。クープマン、ラベル=バッジらは、さらにマウスXX胚にSRY遺伝子を導入すると、本来メスになるべきXX胚がオスになることを証明しました(12、図90-6)。
 性決定遺伝子の発見はめざましい業績だと思いますが、図90-6の4人はノーベル賞にはとどいていません。その理由はいろいろあると思いますが、ひとつはSRY遺伝子の上流に別の遺伝子があるかもしれないということです。すなわちその遺伝子がまずONになって、その遺伝子産物がSRY遺伝子を活性化するのかもしれません。性決定に関連する遺伝子も数多くあることがわかってきました(13)。もちろんSRY遺伝子の下流には、性ホルモンの産生など実際に精巣を形成するためにかかわっている遺伝子群が働いているでしょう。

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図90-6 性決定機構機構を解明した研究者達

 驚くべき事に、トゲネズミという日本にだけ棲息する絶滅危惧種3種(オキナワトゲネズミ、アマミトゲネズミ、トクノシマトゲネズミ)のうち、アマミトゲネズミとトクノシマトゲネズミは染色体がXO型で、Y染色体が存在しません(14)。黒岩麻里氏によると、これらのネズミはY染色体の一部に変異が生じて、減数分裂がうまくいかなくなり、性決定関連部位がX染色体に転移することによって生き延びたそうです(15)。その転移の際にSRY遺伝子は失われ、CBX2という遺伝子が機能を代替することになったのでしょう。図90-7のように、XX/XY型の一般的な哺乳類と同じ性決定様式だったオキナワトゲネズミからアマミトゲネズミやトクノシマトゲネズミが派生したと考えられます。

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図90-7 トゲネズミの染色体

 ショウジョウバエは哺乳類と同じくメスはXX、オスはXYの染色体型ですが、性決定のメカニズムは全然違うことがわかっています。Y染色体にはSRYのような性決定遺伝子がなく、常染色体とX染色体の比率で性が決定されます。すなわちショウジョウバエの染色体は2n=8本ですが、Aを常染色体としますと、AAAAAAXX or AAAAAAXXY=♀(A:X=3:1)、AAAAAAXYor AAAAAAXO=♂(A:X=6:1)、となりますが、A:Xの比が大きい場合(6:1)は♂、小さい場合(3:1)は♀となります(16)。
 哺乳類の場合原則的にY染色体が1本あればオス、鳥類の場合W染色体が1本あればメスになります。魚類は爬虫類と近いところがあって、性決定遺伝子は存在しますが(メダカでDMY遺伝子がみつかっている)、一筋縄ではいきません。たとえばヒラメはXX/XY型の性決定機構を持っているものの、XX稚魚を18°Cで飼育するとすべてメスになり、同じXX稚魚を20°Cで飼育するとすべてオスになることがわかっています(17)。
 またベラは一夫多妻制ですが、その家族のなかで1匹のオスが死ぬと、一番大きなメスがオスに性転換することが知られています(17)。よくテレビなどに登場するコブダイはタイではなく、ベラ科の魚です。このように魚類では遺伝要因よりしばしば環境要因が優先されます。ソードテイルは一度稚魚を産むと、オスに性転換するとされています(図90-8)。

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図90-8 ソードテイルの♂♀

 性は2種類というのが私達の常識ですが、繊毛虫(原生動物)のなかには10種類あるいはそれ以上の性をもつものがいるそうです(18)。こうなると交配する相手を見つけるのが大変だと思いますが、それはフェロモンで解決しているようです。原核生物にも性は存在し、たとえば大腸菌で性を担う遺伝子は、Fプラスミドという形でゲノム本体からは分離独立して存在し、接合(conjugation)の際に相手の細胞に注入されます。

 

参照

1)キョン房総で大繁殖14年で50倍5万頭 農業被害拡大
https://mainichi.jp/articles/20170413/k00/00e/040/242000c
2)Wen Wang, Hong Lan., Rapid and parallel chromosomal number reductions in muntjac deer inferred from mitochondrial DNA phylogeny., Molecular Biology and Evolution, vol.17,
pp.1326-1333 (2000)
https://doi.org/10.1093/oxfordjournals.molbev.a026416
3)Doris H. Wurster, Kurt Benirschke., Indian Momtjac, Muntiacus muntiak: A Deer with a Low Diploid Chromosome Number., Science  Vol. 168, Issue 3937, pp. 1364-1366 (1970)
DOI: 10.1126/science.168.3937.1364
4)Crancot Nature, Le Sambar et le Cerf aboyeur - Thaïlande
http://crancot-nature.blogspot.jp/2016/08/le-sambar-et-le-cerf-aboyeur-deux.html#!/2016/08/le-sambar-et-le-cerf-aboyeur-deux.html
5)ウィキペディア: 性染色体
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%80%A7%E6%9F%93%E8%89%B2%E4%BD%93
6)生物史から、自然の摂理を読み解く カモノハシの不思議?
http://www.seibutsushi.net/blog/2008/02/386.html
7)https://matome.naver.jp/odai/2138201788384062201
8)ウィキペディア: ムカシトカゲ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A0%E3%82%AB%E3%82%B7%E3%83%88%E3%82%AB%E3%82%B2
9)池田清彦 President online,  トカゲ・ヘビ・カメは、オス抜きで子がつくれます
https://president.jp/articles/-/7527
10)ナショナルジオグラフィック日本版 オスがいても“単為生殖”する野生ヘビ
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/6745/
11)Sinclair AH, Berta P, Palmer MS, Hawkins JR, Griffiths BL, Smith MJ, Foster JW, Frischauf AM, Lovell-Badge R, Goodfellow PN (1990). “A gene from the human sex-determining region encodes a protein with homology to a conserved DNA-binding motif”. Nature vol. 346: pp. 216-217. (1990)   doi:doi:10.1038/346240a0. PMID 1695712.
12)Koopman P, Gubbay J, Vivian N, Goodfellow P, Lovell-Badge R,  “Male development of chromosomally female mice transgenic for SRY”.,  Nature vol. 351: pp.117-121. (1991) doi:10.1038/351117a0. PMID 2030730.
13)諸橋憲一郎 性の決定に働く遺伝子たち 季刊誌「生命誌」通 巻24号
https://www.brh.co.jp/seimeishi/journal/024/ss_4.html
14)ウィキペディア: トゲネズミ属
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%82%B2%E3%83%8D%E3%82%BA%E3%83%9F%E5%B1%9E
15)黒岩麻里 Y 染色体をもたない哺乳類の性決定メカニズム 生化学 第84巻 第11号 pp. 931-934 (2012)
file:///C:/Users/User/AppData/Local/Microsoft/Windows/INetCache/IE/C8FQEO1U/84-11-04.pdf
16)啓林館 生物 I :
http://www.keirinkan.com/kori/kori_biology/kori_biology_1_kaitei/contents/bi-1/2-bu/2-3-4.htm
17)長濱嘉孝、小林亨、松田勝., 魚類の性決定と生殖腺の性分化/性転換 タンパク質・核酸・酵素 vol. 49, no. 2, pp. 116-123 (2004)
18)高木由臣著 有性生殖論 「性」と「死」は何故生まれたのか NHKブックス (2014)

 

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2020年1月25日 (土)

89.ヒトゲノム

 ヒトゲノムについて語る前に、まずゲノム(英語ではジノム)とはなにか、どう定義するのでしょうか? これがなかなか一筋縄ではいきません。とりあえずウィキペディアの定義では下記のようになっています(1)。

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In modern molecular biology and genetics, a genome is the genetic material of an organism. It consists of DNA (or RNA in RNA viruses). The genome includes both the genes (the coding regions), the noncoding DNA and the genetic material of the mitochondria and chloroplasts.

拙訳:現代の分子生物学および遺伝学において、ゲノムはひとつの生命体の遺伝物質を指します。それはDNA(RNAウィルスではRNA)で構成されています。ゲノムは遺伝子(コーディング領域)、非コーディングDNA、ミトコンドリアと葉緑体の遺伝物質を含みます。
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 ところが日本語版のウィキペディアでは、たとえばヒトゲノムといった場合、ヒトのミトコンドリアの遺伝物質は含まないとも解釈できる記載があるので、英語版とは若干ニュアンスの違いが感じられます(2)。日本語版の方がわかりやすい感じもするので、ここではミトコンドリアのゲノムは含まないことにします。
 ここでコーディング、非コーディングという言葉が出てきました。コーディングDNAとは、その部分のDNAが転写されてmRNAとなり、さらに翻訳されてタンパク質となるDNAの領域を意味します。エクソンはコーディング領域と同義ではなく、エクソンのなかにもタンパク質に翻訳されない領域があり、また当然tRNAのエクソンはすべて翻訳されません。エクソン以外の部分はイントロンも含めてすべて非コーディングDNAです。非コーディングDNAには転写されてリボソームRNAやトランスファーRNAを生成するための領域、転写調節因子の結合部位、偽遺伝子、トランスポゾンなどを含みます。
 ではヒトゲノムにおいて、コーディング領域、非コーディング領域はそれぞれどのくらいの割合になっているのでしょうか? 図89-1をみてみましょう(図89-1は文献3、4などを参照して作成しました)。実際にその塩基配列がタンパク質と対応しているコーディング領域は全ゲノムの1.3%に過ぎません。ヒトをマシンとしてみると、非常に効率が悪いシステムです。それはもちろんヒトは誰かが設計して作った作品ではなく、進化の結果として様々な歴史をしょって生まれてきたからです。
 エクソン以外にイントロンは遺伝子の一部です。rRNA、tRNA、snRNA、miRNAなどさまざまなRNAに対応するDNAも遺伝子です。進化の過程で不要になり崩壊過程にある遺伝子は偽遺伝子です。また遺伝子を制御するために、転写因子と結合するDNAの領域もその意義が明確です。しかしこれら素性と意義が明確なDNA領域を全部たしても、ゲノムの半分にもなりません。ゲノムのそれ以外のほとんどの部分は機能のわからない未解明領域とトランスポゾンで構成されています。

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図89-1 ヒトゲノムの構成  遺伝子部分は34.3%しかなくトランスポゾンがより多くの領域を占めている

 トランスポゾンはその転移能力が活発に発揮されると、頻繁に遺伝子に割り込んだり非相補的な組み換えがおこったりしてホストが死んでしまうので、ある程度暴れたら転移能力を失ってホストと共存します。そうなった生き物しか生き残れません。ヒトのトランスポゾンもその原理は同様で、ほぼすべてのトランスポゾンにおいてトランスポゼースの遺伝子が壊れて不活化しているので、転移することはできません(5)。
 万一転移がおこってその細胞に不具合が発生しても、体細胞では代替する他の細胞がいるので、がんが引き起こされるような特殊な場合を除いては問題はおこりません。しかし生殖細胞ではそこに起源を持つ細胞がすべて転移したトランスポゾンを保有することになるので、深刻な疾病を引き起こす可能性があります。例えばAluの転移が原因とみられる疾病も数多く知られていますが(6)、それらのほとんどは遺伝病であり、遠い過去に起こったことが現在まで引き継がれていると考えられます。現在のAluに転移する能力はありません。ただしAluも含めてSineは生殖巣において転写されることが知られており、しかもホストにストレスがかかると意外にもその転写量が膨大になるそうです(7)。このことは何か意味がありそうな気がします。Aluの歴史については文献(7)を参照してください。
 コーディング領域の遺伝子については、ウィキペディアにグラフが出ていたので転載しておきます(8)。意外に構造タンパク質や酵素の割合は高くなく、転写因子・DNA結合因子・トランスポーターなどの遺伝子が多くの領域を占めていることがわかります。

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図89-2 タンパク質をコードする各種遺伝子の分類と割合

 ヒトゲノムという概念は抽象的なものですが、その実体は染色体にあります。染色体を顕微鏡で見て形態を観察する技術は19世紀から開発されており、サットンはそれによって20世紀初頭に遺伝因子=染色体という説を唱えました。しかしそれからヒトの染色体は何本あるかという結論までは50年以上の歳月を要しました。アルベルト・ルヴァンとジョー・ヒン・チョー(図89-3)がヒトの染色体は46本であると報告したのは、ワトソンとクリックがDNAの構造を解明してから3年も後の1956年でした(9)。
 ジェローム・ルジェーヌは体細胞の21番染色体が3本存在することによって、ダウン症候群が発生することをみつけました。

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図89-3 ヒト染色体研究のパイオニア達

 色素による染色で分別されたヒト染色体一覧を図89-4に示します。点線はセントロメアの位置です。X染色体とY染色体はあまりにも形態が異なっており、相同性が保たれている部分も短いので厳密には相同染色体とはいえませんが、細胞分裂の際には相同染色体のように行動します。

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図89-4 ヒトの染色体一覧

 古典的なギムザ染色法によって染色体を分別する方法をGバンド法といいます。図89-5にその例を示します。ATリッチな部位が濃く染まり、GCリッチな部位は薄く染まるとされています(10)。

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図89-5 Gバンド法およびAlu染色を行ったヒト染色体

 現在ではFISH(Fluorescent InSitu Hybridization)法によって染色体の分別がよくおこなわれます。この原理は図89-6で説明しますが、図89-5の下図ではAlu配列を標的として、緑色蛍光色素で染色しています(11)。Aluの多い場所が緑色に染色されます。Alu配列のある場所に大きな偏りがあることがわかります。21番の染色体セットは片方が染色され、片方は染色されていませんが(11)、これが実験上のエラーなのか実際にそうなのかはわかりません。
 それぞれの染色体には別の遺伝子が乗っているわけですし、遺伝子以外の決まった配列もそこそこあるわけですから、その相補性配列を持つDNAを合成して標識をつければ正確かつ容易に各染色体を分別できるはずです。図89-6のように相補性のDNAに例えばビオチンを結合させ、これに「アビジン+蛍光色素」を結合させると(ビオチンとアビジンは強力に結合する)、染色体をそれぞれ特異的に染色することができます。ビオチン-アビジンのセットでなくても、強力に接着する化学物質でDNAまたは蛍光色素と結合する組み合わせのセットなら使えます。
 それぞれ別の色に光る蛍光色素を使えば、23対の染色体をそれぞれ色で識別することができます(図89-6)。100年も四苦八苦して分別していた染色体を、科学技術のちょっとした進展によって、わずかな時間で正確に分別できるようになりました。

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図89-6 FISH法の原理とマルチカラーFISH

 遺伝病の中には遺伝子のミクロな変化に起因するもの他に、染色体の本数の異常などダイナミックな染色体の変化によるものがあり、それらは染色体検査によって診断できます。最も有名なのはダウン症候群で、この疾患の原因が21番染色体が3本ある(トリソミー)ことによることを解明したのはジェローム・ルジューヌでした(図89-3、図89-7の〇で囲んだ部分)。彼は敬虔なキリスト教徒で、生涯妊娠中絶に反対し、このため女性や遺伝学者らから強い反発をうけました。胎児の染色体を検査し、異常な場合には中絶を行う-という道を拓いたことを後悔していたのかもしれません。彼の人となりは映画になっており、DVDはジェローム・ルジューヌ財団から入手できます(12)。ジェローム・ルジューヌ財団はダウン症の親子をケアするための活動を行っています。
 日本では敬虔なキリスト教徒が少ないせいでしょうか、ルジューヌが恐れていたことがまさしく現出しています。ある調査では胎児の染色体異常が確定した886人の妊婦のうち819人が人工妊娠中絶手術で堕胎したということです(13)。
 ターナー症候群は通常女性が2本持つX染色体を1本しかもたない(もちろんY染色体はない)患者で(図89-7)、低身長で第二次性徴を欠くなどの症状を発症します(14)。ウィリアムズ症候群は第7染色体セットの1本のエラスチン遺伝子周辺の複数の遺伝子が欠失する病気で(図89-7)、知能低下などの精神遅滞・心臓疾患などを発症するとされています(15)。

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 遺伝子は各染色体に同じ密度で存在するのではなく、疎な染色体と密な染色体があります(16)。図89-8で塩基対(緑 Base pairs)の数に対して遺伝子の数(ピンク)が多い場合密ということになります。13番・18番・Y染色体が特に遺伝子がまばらにしか存在しない染色体であることがわかります。13番・18番の染色体は、図89-5ではAlu配列が特に少ない染色体であることがわかります。関連性があるようにみえますが、これは偶然なのでしょうか?

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図89-8 核染色体における遺伝子の密度(緑:DNAのサイズ、ピンク:遺伝子の数)

 さまざまな遺伝子の中でもリボソームRNAの遺伝子は特別です。なにしろリボソームRNAは、細胞内全RNAの60%の重量を占めるほど大量に存在し(17)、遺伝子も400コピーが存在するほどゲノムの中でメジャーな存在なのです(18、文献19では350コピーになっています)。リボソーム遺伝子は図89-9のような構造をとっています。すなわち18S、5.8S、28Sがスペーサーをはさんで連結しており、ひとつのオペロンを構成しています。このスペーサーはITSと呼ばれており、イントロンのように転写されます。オペロンとオペロンの間にはNTSという転写されないスペーサーが存在します。ヒト染色体においては13番・14番・15番・21番・22番染色体の短腕の大部分がリボソーム遺伝子領域とされています(20)。
 リボソームにはもう1種5Sタイプがありますが、これは1番目の染色体に遺伝子のクラスターが存在します(21)。図89-9のリボソーム遺伝子群はRNAポリメラーゼ I によって転写されますが、5SRNA遺伝子はRNAポリメラーゼ III という特殊なRNAポリメラーゼによって転写されることが知られています。
 トランスファーRNA遺伝子も、リボソームRNA遺伝子に次いでゲノムの大きな領域を占めていると思われます。ウィキペディアのよると「ゲノム中のtRNA遺伝子の数は生物により様々である。線虫C. elegansの核ゲノムには全部で19000遺伝子があるが、そのうち659がtRNAをコードしている。出芽酵母では275である。ヒトでは497個が知られており、アンチコドンごとに整理すると49種となる」とされています。これ以外の非コード領域には図89-10で示すようなもの(1から7まで)があります。

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図89-9 真核生物のリボソーム遺伝子

 細菌はゲノムのサイズが小さく、サーキュラーなので複製開始点がひとつでいいのですが、真核生物はゲノムのサイズが大きく、複数の直鎖状DNAからなるので、1本のDNAについて複数の開始点があることは必須で、図89-10の1のような形になります。メガネのような形になるので、レプリケーション・アイともいいます。
 複製開始点には多くのタンパク質が結合して鎖を大きくほどかなくてはなりません。したがって、このための塩基配列をDNAが用意しなければなりません。各遺伝子ごとに、それぞれ特に上流にはプロモーターやエンハンサーが必須で、ここにも特定の塩基配列が必要です。なかには下流にもエンハンサーをもつ遺伝子もあります。
 この他染色体組み換えに必要な構造、セントロメア、テロメア、相同染色体が対合するための構造、核膜や核の構造タンパク質にDNAを結合させる部位などに、コーディング領域ではない特定の塩基配列が必要です。このようなコーディング領域ではないのに特定の塩基配列が必要で、リボソームRNAやトランスファーRNAに対応したDNAの領域とは異なる部分を分類し、図89-10にまとめて示しました。

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図89-10 非コード領域で特定の塩基配列が必要な部位

 

参照

1)Wikipedia: Genome,  https://en.wikipedia.org/wiki/Genome
2)ウィキペディア: ゲノム
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B2%E3%83%8E%E3%83%A0
3)Research Map  悪のペンギン帝国
http://researchmap.jp/jo6z5r93q-17709/#_17709
4)Genomes 2nd ed.,  Chapter 1 The Human Genome
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/books/NBK21134/
5)西川伸一 JT生命誌研究館 ゲノムの解剖学 (2015)
https://www.brh.co.jp/communication/shinka/2015/post_000011.html
6)小林武彦編 「ゲノムを司るインターメア 非コードDNAの新たな展開」 化学同人 p. 209  (2015)
7)東京工業大学大学院 生命理工学研究科 進化・統御学講座(岡田研究室)HP:
http://www.fais.or.jp/okada/okada-past/research/keywords/m01_alu.html
8)Wikipedia; Human genome,  https://en.wikipedia.org/wiki/Human_genome
9)Joe Hin Tjio and Albert Levan., The chromosome number of man. , Hereditas vol. 42:  pages 1–6, (1956)
http://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1111/j.1601-5223.1956.tb03010.x/pdf
10)リンク切れ http://ipsgene.com/genome/dna/band-method
11)Wikipedia: Karyotype
https://en.wikipedia.org/wiki/Karyotype
12)ジェローム・ルジューヌ財団 https://lejeunefoundation.org/
または https://www.ds21.info/?p=8644
13)Abema Times ”9割が中絶を選択” 出生前診断を受け、「命の選択」を迫られた夫婦の苦悩 (2019)
https://times.abema.tv/posts/7000165
14)Wikipedia: Turner symdrome
https://en.wikipedia.org/wiki/Turner_syndrome
15)Wikipedia: Williams symdrome
https://en.wikipedia.org/wiki/Williams_syndrome
16)Wikipedia: Chromosome
https://en.wikipedia.org/wiki/Chromosome
17)小林武彦、赤松由布子 リボソームRNA 遺伝子の不安定性と生理作用-出芽酵母を中心にして 生化学 第85巻 第10号,pp. 839-844,(2013)
http://www.jbsoc.or.jp/seika/wp-content/uploads/2014/06/85-10-03.pdf
18)奥脇暢 リボソームRNA 遺伝子と核小体構造の調節  生化学 第85巻 第10号,pp. 845-851,(2013)
http://www.jbsoc.or.jp/seika/wp-content/uploads/2014/06/85-10-04.pdf
19)小林武彦編 「ゲノムを司るインターメア 非コードDNAの新たな展開」 化学同人 p. 111 (2015)
20)小林武彦編 「ゲノムを司るインターメア 非コードDNAの新たな展開」 化学同人 p. 2 (2015)
21)Timofeeva Mla et al.,  Organization of a 5S ribosomal RNA gene cluster in the human genome., Mol Biol (Mosk). vol. 27(4):  pp. 861-868. (1993)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/8395649

 

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88.トランスポゾン Ⅱ

 細菌から私達人類まで、あらゆる生物はファージ(細菌に感染するウィルス)やウィルスの脅威にさらされています。しかしファージやウィルスは細胞に感染するとすぐに増殖して細胞を破壊するようなタイプのものばかりではなく、なかにはホストのDNAに組み込まれて、あたかもホストのDNAの一部であるように振る舞うタイプもあります(1)。すなわち太古の昔から、素性の知れない外界DNAをホストのDNAの中に埋め込む生化学的システムは存在したと考えられます。そのために必要な最小限のメカニズムには、ホストのDNAと親和性を持つ(侵入DNAの)塩基配列、ホストDNA(と感染DNAの境目)に切れ目を入れるエンドヌクレアーゼ活性(侵入DNAの遺伝子由来)、ホストのDNAと接続するためのDNAリガーゼ活性(これはホストのものでよい)などが含まれているはずです。
 ホストのDNAに埋め込まれたウィルスのDNAの一部に突然変異が生じて、例えば殻のタンパク質をコードする遺伝子が使えなくなってしまったらどうなるでしょう。もはやウィルスはホストの外では活動できません。しかしDNAを切り出したり、埋め込んだりする活性が残っていればホストのDNAの中で移動することは可能かもしれません。
 真核生物の場合は、このようなDNAを遺伝物質として持つウィルス以外に、RNAを遺伝物質として持つレトロウィルスが感染する場合があります。この場合レトロは「昔の」という意味ではなく、「逆の」という意味です。普通の生物がやっているDNAからRNAへの転写ではなく、レトロウィルスはRNAを鋳型として、逆転写酵素によりDNAを合成する(=逆転写)ことができます。レトロウィルスとは、ヒトに感染するものではインフルエンザウィルス、HIV、はしかウィルス、ムンプス(おたふくかぜ)ウィルス、B型以外の肝炎ウィルスなどがそうです。この場合も逆転写されたDNAがたまたまホストのDNAに組み込まれてプロウィルスの状態になることがあります
 プロウィルスとなっても細胞に感染するための遺伝子が変異して役立たなくなることはあり得ます。このように感染力を失ったウィルスは、本来持っていた 1)細胞に外から感染するシステム、2)遺伝子を殻内部にパッケージングするためのシステム、3)遺伝子を包む殻、4)細胞を破壊するためのシステム などに関連する多くの遺伝子はすべて正常であっても、感染できないという意味で結果は同じになるので、最初に変異した遺伝子以外の上記1)~4)の遺伝子にも全く選択圧力がかからなくなり、荒れ放題(変異放題)となります。こうなるともう永遠に感染性を持った生物(?)として生きることは不可能となりますが、細菌のプラスミドのようにホストの体内で生き延びる可能性は残されています。哺乳類の場合プラスミドとして存続するDNAはみつかっていませんが、ホストのDNAに組み込まれたまま存続するDNAは存在します。特にそのDNAにDNAを切り出す遺伝子と、再度ホストDNAに組み込む遺伝子が残されていれば、ホストのシステムを使って増殖することすら可能です。
 細菌のトランスポゾンはすべてDNAトランスポゾンですが、真核生物のトランスポゾンにはDNAトランスポゾンとレトロトランスポゾンが存在します。まずDNAトランスポゾンからみていきましょう(2、図88-1)。
 DNAトランスポゾンには両端にダイレクトリピート(DR)という同方向を向いた反復配列がある場合があります。これはターゲットのDNAにトランスポゾンを挿入する際に使われると考えられます。ダイレクトリピートの内側にITR(inverted terminal repeat)、またはTIR(terminal inverted repeat)という逆向きの反復配列があります(図88-1)。これは図88-3であらためて説明しますが、トランスポゾンのDNAを切り出すときに認識する配列です。これらの反復配列以外に、DNAトランスポゾンはDNAトランズポゼースの遺伝子をもっており、この他にこの遺伝子を転写するために必要な配列があれば、最小限の構成を確保できます(図88-1)。なお図88-1の塩基配列は1例であり、実際の配列とは関係ありません。実例についてもっと詳しく知りたい方は文献(3、4)などが参考になると思います。

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図88-1 DNAトランスポゾン

 細菌のトランスポゾンはDNAトランズポゾンですし、植物の中には稲のようにゲノムの大部分がDNAトランスポゾンで構成されているものも多いと思われるので、おそらく真核生物が持つ世界最多遺伝子は「DNAトランスポゼースという酵素の遺伝子」でしょう。DNAトランスポゾンには図88-2のように2つのタイプがあり、ひとつは二重鎖ごとカットして他の部位にペーストする移動型、いまひとつは一重鎖のみ切り出して、複製して二重鎖としてから他の部位に挿入する増殖型です。増殖型の場合、切り出された一重鎖の部分は残された鎖を鋳型としてホストの酵素で複製されるので、結果的にコピー&ペーストとなり、トランスポゾンが2倍に増幅されます。移動型は基本的にカット&ペーストですが、切り出されている間にホストのシステムで複製されないとは限りません。

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図88-2 DNAトランスポゾン 移動型と増殖型

 Inverted terminal repeat ( ITR ) がDNAトランスポゾンの両端にあることは、DNAトランスポゼースの作用機構と密接な関連があります。図88-3のようにDNAトランスポゼースはダイマーとしてそれぞれがITRを認識して働く、すなわちDNAを切断するので、ITRがトランズポゾンの両端にあることは都合が良いのです。このことはトランスポゾンのエリアを2つのITRにはさまれた部分という認識を酵素が行う上でも重要です(5)。図88-3右図はプロテイン・データバンク・ジャパンのイラストです。DNAトランスポゼースとDNAの関係を3Dで表現したものです。

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図88-3 トランスポゾンの切り離しとインバーテッド・ターミナル・リピート(ITR)

 DNAトランスポゾンをDNAに挿入するときに、ギャップができることがわかっており、ここがダイレクトリピート(DR)あるいはターゲット・サイト・デュプリケーション(TSD)と呼ばれるサイトと考えられています(5)。この部分は当然修復されDNAの接続(ライゲーション)が行われなければなりません。
 図88-4にみられるように、トランスポゾンが挿入されたあと、ホストの酵素によってギャップは修復されます(6)。修復された部分はトランスポゾンの両端に存在し、同じ方向を向いた同じ配列となります(ダイレクトリピート=DR)。次にこの位置のトランスポゾンを切り出すときにDRを置いていくと、DNA上に昔トランスポゾンがあったという痕跡が残りますし、持ち出すとDR配列付きのトランスポゾンができます。

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図88- トランスポゾンの挿入とダイレクトリピート(DR)

 ここまでDNAトランスポゾンについて述べてきましたが、トランスポゾンにはもうひとつレトロトランスポゾンというジャンルのものがあります。細菌にはこのタイプのトランスポゾンはみられず、真核生物だけに存在するものです。レトロトランスポゾンの場合、潜伏するトランスポゾンDNAは普通の遺伝子のようにいったんRNAに転写され、そのRNAを鋳型として逆転写によってDNAが合成され、さらにその単鎖DNAを鋳型として二重鎖DNAが合成され、ホストのDNAに埋め込まれます(7、図88-5)。

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図88-5 レトロトランスポゾン

 大変複雑なように見えますが、実はありふれたウィルスであるインフルエンザウィルス、HIV、B型以外の肝炎ウィルス、おたふく風邪ウィルス、はしかウィルスなどはみんなRNAの形でホストに感染し、逆転写によって相補的なDNAを合成してホストDNAにプロウィルスという形で埋め込まれた状態で潜伏し、転写によって遺伝子RNAと必要なタンパク質を合成してウィルス粒子を作り、外に出るという生活史を繰り返します。
 ホストのDNAに遺伝子のセットを埋め込んで仮住まいしたのはいいとして、その一部が壊れてしまったらどうなるでしょう。ウィルス粒子を作って他の細胞に感染することができなくなるので、プロウィルスのままホストのDNAにとどまるしかありません。いったんとどまってしまったら、プロウィルスとしてホストの細胞内で存続するための遺伝子を除いて、他の遺伝子は壊れ放題になってしまいます。そうなるとプロウィルスは原型をとどめないトランスポゾンとなってしまいます。これをレトロトランスポゾンといいます。
 レトロトランスポゾンの中で、一番ウィルスの原型をとどめているのはLTR型レトロトランスポゾンで、図88-6に示すように、両端にLTR(long terminal repeat)という構造を持っています。ロングと言っても数百から数千塩基対というバラエティーがあって、その機能は十分には解明されていませんが、レトロウィルスはこの部位を利用してホストDNAに逆転写したDNAを組み込んでいることは間違いなさそうです(8)。そのレトロウィルスの機能を使ってトランスポゾンをホスト内部で移動させようというのが、LTR型レトロトランスポゾンです。このトランスポゾンは内部にエンドヌクレアーゼ(DNAを切断する酵素)と逆転写酵素(リバーストランスクリプターゼ)の有効な遺伝子を保存していますが、他の構造タンパク質などの遺伝子(gag、env など)は変異して無効になっています(図88-6)。

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図88-6 LTR型レトロトランスポゾンとLine

 そのウィルスの遺産であるLTRを失った長鎖トランスポゾンをLine(long interspersed nuclear elements)といいます。LTRのかわりにやや長いダイレクトリピートDR=TSDがあり、さらに長い非翻訳領域が3’と5’の両端にTSDに続いて存在し、これらが何らかの形でLTRのかわりにトランスポゾンのDNA組み込みのメカニズムにかかわっていると思われます。LineはLTR型と同様内部にエンドヌクレアーゼとリバーストランスクリプターゼの遺伝子を持っており、それゆえに短くはなれません。だいたい4,000~10,000塩基対(bp)となっています。
 これに対してSine(short interspersed nuclear elements)はLTRのみならず、内部のエンドヌクレアーゼとリバーストランスクリプターゼの遺伝子も失っており、そもそもレトロウィルスを起源とするものかどうかも定かではありません。内部にtRNA、5SrRNA、7SL-RNAなどの機能RNAの一部に類似した塩基配列を持っており、3’末にはLineと相同な配列とポリAテイルがあります。おそらくレトロウィルスとは関係なく二次的に発生したものなのでしょう。転移するための酵素がないので、Lineなどが持っている酵素の支援がなければ転移することができません。構造に大きなバラエティーがあるのも特徴です(9)。

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図88-7 非LTR型短鎖レトロトランスポゾン(Sine)

 霊長類は霊長類にしかないAluエレメントというSineの1種を持っています。Aluエレメントという名は、Aluという制限酵素で切断される部位があることから名付けられました(図88-8)。ヒトの場合、全ゲノムの11%がAluエレメントだとされています(10)。なぜこんなに大量の特殊なトランスポゾンがヒトのゲノムにあるのかは謎です。このトランスポゾンは7SL-RNAという、タンパク質を細胞外に分泌するためのメカニズムの一翼をになうRNAの遺伝子と共通な配列の断片を数多く持っています(図88-8)。図88-8に両者のフルシーケンスを示しましたので、目をこらして比較してみて下さい。Aluエレメントを発見したのは、カール・シュミット(Carl W. Schmid )とプレスコット・ダイニンジャー(Prescott Deininger)(11、図88-8)ですが、こんな特殊なトランスポゾンがヒトのゲノムに大量にあるとわかって、さぞかしびっくりしたことでしょう。

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図88-8 Aluエレメントと7SL-RNA遺伝子

 さまざまな生物のなかには、DNAトランスポゾンを多く持つグループとレトロトランスポゾンを多く持つグループがあります(12、図88-9)。この中で注目したいのは、Entamoeba histolytica という哺乳類に感染する赤痢アメーバはレトロトランスポゾンを圧倒的に多く持っている一方で、Entamoeba invadense という爬虫類に感染する赤痢アメーバはDNAトランスポゾンが圧倒的に多いという研究結果です。つまりトランスポゾンが蔓延するために要する期間は、進化のスケールで考えるとかなり短いのではないかということが示唆されています。
 実際ショウジョウバエのPエレメントというDNAトランスポゾンは、ほとんどの自然界のハエが持っているにもかかわらず、古くから自然から隔離されてヒトに飼い継がれている実験用のハエには、どれにも全くみられないということが知られており、この場合数十年の内にPエレメントが自然界で蔓延したと思われます(13)。

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図88-9 生物種によるトランスポゾンの相違

 

参照

1)ウィキペディア: プロファージ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%82%B8
2)Transposons: Mobile DNA
http://grupo.us.es/gfnl/dna/genetic_ingeniering/transposons.htm
3)  Kosuke Yusa, piggyBac Transposon., Microbiolspec, vol. 3 no. 2  (2015)
doi:10.1128/microbiolspec.MDNA3-0028-2014
http://www.asmscience.org/content/journal/microbiolspec/10.1128/microbiolspec.MDNA3-0028-2014
4)Narayanavari SA, Chilkunda SS, Ivics Z, Izsvák Z., Sleeping Beauty transposition: from biology to applications., Crit Rev Biochem Mol Biol.  vol.52, no.1, pp. 18-44. (2017) doi:
10.1080/10409238.2016.1237935. Epub 2016 Oct 4.
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/27696897
5)JD Watson, Molecular Biology of the Gene., 6th edn., pp.334-370, Cold Spring Harbor Laboratory Press (2008)
6)Jennifer McDowall, Transposase.
http://www.ebi.ac.uk/interpro/potm/2006_12/Page1.htm
7)Wikipedia: Retrotransposon
https://en.wikipedia.org/wiki/Retrotransposon
8)what-when-how In Depth Tutorials and Information
Long Terminal Repeats
http://what-when-how.com/molecular-biology/long-terminal-repeats-molecular-biology/
9)http://sines.eimb.ru/Help.html
10)Prescott Deininger, Alu elements: know the SINEs.,  Genome Biol. 2011; vo. 12(12): pp. 236-248. Published online 2011 Dec 28.  doi:  10.1186/gb-2011-12-12-236
11)Schmid CW, Deininger PL  "Sequence organization of the human genome". Cell. 6: 345–358. (1975)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC3334610/
12)Leslie A. Pray, Transposons: The Jumping Genes, Nature Education vol.1(1), p. 204 (2008)
https://www.nature.com/scitable/nated/article?action=showContentInPopup&contentPK=518
13)ウィキペディア: トランスポゾン
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%9D%E3%82%BE%E3%83%B3 (具体例のセクションを参照)

 

 

 

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87.トランスポゾン I

 トランスポゾンとは染色体上での位置を変えることができるDNA断片のことですが、発見したのはバーバラ・マクリントックという女性科学者です(図87-1)。彼女は1902年の生まれで日本では明治の末期ですが、当時は米国でも女性が科学者になるのはまれなことでした。実際コーネル大学の農学部に進学したのですが、希望した植物育種学科は女人禁制で、大学院も遺伝学は女性は専攻できなかったので、やむなく植物学を専攻することになりました。
 マクリントックが最初に目指したのは、当時モーガン研のスターティヴァントがショウジョウバエの4つの染色体を識別し、それぞれにおける遺伝子の場所を記した染色体地図を発表していたので、彼女が研究材料としていたトウモロコシでも染色体地図を作成するということでした。彼女はまず染色体を識別する上で助けになる酢酸カーミン染色法を開発しました。これは図87-1のカルミン酸を酢酸に溶かして鉄イオンなどを加えた染色液を用いる方法で、現在でも使われています。カルミン酸はある種のカイガラムシが合成する色素で、1991年まで人工合成はできませんでした。

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図87-1 バーバラ・マクリントックとカルミン酸

 クレイトンとマクリントックは、染色体の両端にそれぞれ特徴的な構造、すなわちノブとしっぽ(非染色体DNA)を持つ変異体をみつけて、ノブとしっぽが組み換えによっていれかわることを示しました。これによって組み換えが可視化され、誰もが染色体の切断と再結合(交叉)によって組み換えが行われることを納得しました(2)。
 図87-2をみると、CとWという2つの遺伝子の間で組み換えがおこると、本来ならCはノブとしっぽを伴ってF2に出現すべきところ、Cはノブ、Wはしっぽという組み合わせでF2に出現することになり、物理的な染色体の切断・結合と、形質から判断される遺伝子の組み換えが同時に起こっていることがわかります。

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図87-2 染色体の切断・結合の可視化

 私はこの文章を書くに当たって、マクリントックが後にトランスポゾンの理論をうちたてるきっかけとなった論文のことを調べるために文献(3)にあたりました。その中には 「1931年の秋、彼女はカリフォルニア大学バークレイ校の研究者から送られてきた別刷りを受け取った。そこに彼女がミズーリで見たものと同じ種類の斑入りが載っていた。バークレイの研究者たちもまた、染色体の切断あるいは欠落で生じた小さな染色体について触れていた」 という記述があります。ところがこのバークレイの研究者が誰なのかは書かれていません。
 疑問を感じながら調べたところ、マクリントックの論文(4)に引用文献がありました。この論文には引用文献が2つしかなく、そのひとつでした。Nawashin M. という人物の論文なのですが、さらに調べると、どうもこの引用文献のスペルが間違っているらしくて、Navashin M. (ナヴァシン M.)という人物なら当時バークレイ校で植物の遺伝学をやっていたようなのですが、Nawashin M. という人物は見当たりませんでした。これからは全く私の想像ですが、Navasin さんはドイツ語でも論文を書いているのでドイツ人で、本来は Nawashin だったわけですが、米国では名前の発音が違って呼ばれるのが嫌で Navashin にスペルを代えたのではないでしょうか?マクリントックへの手紙には Nawashin と書いたのかもしれません。この人物の貢献があったことは確かでしょう。
 マクリントックは斑入りの原因が、環状染色体(5、図87-3)内における染色分体間での姉妹鎖交換によって、セントロメアを2個含む染色体と全く含まない染色体が形成され、セントロメアを含まない染色体は細胞分裂によって娘細胞に分配されないため、色に関する遺伝子が無効になった細胞集団ができることによって斑入りが発生することを示しました(4)。

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図87-3 斑入りのトウモロコシが発生する原因

 マクリントックは米国学術研究会議から奨学金をもらって、コーネル大学、ミシガン大学、カルテックなどを渡り歩いて研究をしていましたが、その奨学金が切れてしまって、ドイツで研究を続けることにしました(6)。1933年~1934年はやむなくドイツで核小体と染色体の関係について研究していましたが、ナチス勢力の台頭もあって、コーネル大学に戻ることになりました。そして1936年に、30才代半ばでようやくミズーリ大学での定職(assistant professor)を得ることができました。Assistant professor といえば日本では助教のようなポストでしたが、その状態で彼女は米国遺伝学会の会長になりました。マクリントックは全く協調性がなく、喧嘩っ早い人間だったので、業績は大いに評価されてもポストは与えられず、女性の地位が低かった時代とは言え、あとからきた女性に先に准教授(associate professor)のポストが与えられるという有様でした(3)。
 マクリントックが幸運だったのは、このような状況の中で旧友のマーカス・ローズがコールド・スプリング・ハーバー研究所に誘ってくれたことでした。ここは分子生物学のジャンルでは最も有名なシンポジウム「Cold Spring Harbor Laboratory Symposium on Quantitative Biology」が開催される場所として業界で知らない人はいません。夏期休暇を利用して多くの研究者が集まる施設ですが、冬は静かな環境で思う存分研究ができる場所でした(図87-4)。
 この研究所のたたずまいはちょっと変わっていて、図87-4に示されているように、普通のビルディングではなく、敷地に散在する個人の住宅のような建物がひとつの研究室になっています。右はマクリントックの研究室で、彼女が亡くなったあともそのまま保存されていました。このような施設をみると、某国は科学を利用しようとするだけで、愛してはいないということを痛感させられます。ちなみに2009年にはコールド・スプリング・ハーバー・アジアが中国の蘇州に開設され、活動を開始しました。これからの科学は中国によって牽引されることが予感させられます。

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図87-4 コールド・スプリング・ハーバー研究所に保存されているマクリントックの研究室

 これからの話を理解するためにアントシアニジンという色素について説明しなければなりません。この色素は多くの植物で花や実の色に関与しており、複雑な過程を経て合成され、しかも図87-5のように側鎖の種類によって様々な発色が可能です。実際にはこの色素に糖が結合した配糖体の形で花や実に存在しています。多くの植物はこの色素を合成する酵素の遺伝子を保持しており、それが働かない場合色は失われます。

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図87-5 アントシアニジンは側鎖の種類によって、様々な発色を行う

 マクリントックは1941年12月から、ほとんどの残りの人生をコールド・スプリング・ハーバーで過ごしました。1941年12月といえば、8日の真珠湾攻撃から太平洋戦争が勃発した時期でした。彼女が「動く遺伝子」の研究を始めたのは1944年ですから、日本軍が太平洋の島々で玉砕を重ねていた時期です。「動く遺伝子」に関する仕事は非常に困難だったので、数年間は論文が書けませんでしたが、戦争中にもかかわらずカーネギー財団はずっとこの仕事に援助を続けました。
 この間にマクリントックは、Ac と Ds というDNA上の因子が、DNA上で他の部位にジャンプして遺伝子発現の調節を行っていることをつきとめ、例えば図87-6で言えば、通常は紫色の実が、Dsがアントシアニジン合成遺伝子の位置に移動してくると、その合成遺伝子の発現が抑制されて実の色が白くなり、Dsがそこから抜けて移動すると、ふたたび色素が合成されるようになります。どの程度元に戻れるかによって発色の状況が違っていきます。これが斑入りの原因になります。

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図87-6 トランスポゾンと斑入りの発生

 マクリントックは1951年にコールド・スプリング・ハーバー研究所のシンポジウムで「動く遺伝子」に関する永年の研究成果を発表しました。しかし予想に反して全く反響はなく、誰も彼女が何を言っているのか理解できませんでした。ジャコブとモノーのオペロン仮説よりも前、ワトソンとクリックの二重らせんよりも前だったので、当時としては想像もできないようなお話だったようです。DNAの一部が遺伝子の活動を制御するなどと言う概念すらなかった時代だったということもありますが、当時は遺伝学者の興味がファージや大腸菌に大きく傾いていた時代だったので、トウモロコシの話題などみんなあまり興味がなかったということもあるのでしょう。
 その後も分子生物学的な裏付けがなかったので、「動く遺伝子(トランスポゾン)」はなかなか業界で認められませんでしたが、1982年にスプラドリングとルビン(図87-7)がショウジョウバエにPエレメントが存在することを証明し(8、9)、ついに1983年にフェドロフ(図87-7)がトウモロコシのAcとDsの分子的実体とその動きを解明した(10)ことで、間髪を入れずマクリントックはノーベル生理学医学賞を授けられることになりました。
 授賞時マクリントックは80才を越えていましたが、メンデルと違って生きているうちにきちんと再評価されたのはよかったと思います。ただ私の意見としては、ニーナ・フェドロフと共に授賞すべきだったのではないか、そのほうがマクリントックも嬉しかったのではないかと思いますね。天才だけでなく、実験的証明を行った人々についても、きちんとした評価がなされて然るべきです。

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図87-7 トランスポゾンの存在を実験的に証明した研究者達

 現在ではトランスポゾンは細菌からヒトに至るまでユニバーサルに存在することが知られていますし、種類も様々です。

 

参照

1) B. McClintock.,  Chromosome Morphology in Zea mays. Science 69: 629 (1929)
http://science.sciencemag.org/content/69/1798/629.long
2)Creighton, H., and McClintock, B. 1931 A correlation of cytological and genetical crossing-over in Zea mays. PNAS vol. 17: pp. 492–497 (1931)
http://www.esp.org/foundations/genetics/classical/holdings/m/hc-bm-31.pdf
3)Ray Spangenberg  and  Diane Kit Moser  著,  大坪 久子 (翻訳)  「ノーベル賞学者バーバラ・マクリントックの生涯 動く遺伝子の発見」  養賢堂 2016年刊
4)B. McClintock., A correlation of ring-shaped chromosomes with variegation in zea mays., Natl. Acad. Sci. USA, vol.18, no.12, pp. 677-681 (1932)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC1076312/pdf/pnas01740-0003.pdf
5)Lillian V. Morgan., Correlation between shape and behavior of archromosome., Proc. Natl. Acad. Sci. USA, vol. 12., pp.180-181 (1926)
http://www.pnas.org/content/12/3/180
6)Famous scientists. Barbara McClintock.,
https://www.famousscientists.org/barbara-mcclintock/
7)Barbara McClintock, The origin and behavior of mutable loci in maize., Proc. Natl. Acad. Sci. USA vol. 36,  pp. 344-355 (1950)
8)Spradling AC, Rubin GM,  "Transposition of cloned P elements into Drosophila germ line chromosomes". Science. vol. 218 (4570): pp. 341–347. (1982)
Bibcode:1982Sci...218..341S. PMID 6289435. doi:10.1126/science.6289435.
9)Rubin GM, Spradling AC, "Genetic transformation of Drosophila with transposable element vectors". Science. vol. 218 (4570): pp. 348–353. (1982)
Bibcode:1982Sci...218..348R. PMID 6289436. doi:10.1126/science.6289436.
10)N. Fedoroff, S. Wessler, and M. Shure, Isolation of the transposable maize controlling elements Ac and Ds., Cell vol. 35, pp. 235-242 (1983)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/6313225

 

 

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86.PCR

 PCRとはポリメラーゼ・チェイン・リアクションの略称で、DNAを大量に増やす方法です。痕跡的少量のDNAでも検査に十分な量まで増やせるので、今では警察の捜査でも定番になるほど普及しました。本題に入る前に、少し歴史的経緯をみてみましょう。
 一般には大腸菌くらい簡単に培養できるのだろうと思われがちですが、昭和時代にはそういうわけにはいきませんでした。私が学生時代、同じ建物に微生物学教室がありましたが、そこには宇宙船のハッチのようなものがあって中に入ると数人が作業できるような部屋があり、各種実験器具、培地、シャーレ、Lブロス、ピペットなどが大量に積み重ねられていました。これは高温高圧で滅菌作業をするボイラー室でした。空気中には雑菌が浮遊しているので、これらを芽胞を含めて完全に死滅させるには高温高圧(たとえば121℃、20分)で処理しなければいけません。上記の実験器具などは使う前にすべてこのボイラー室に入れて高温高圧処理します。
 ボイラー室を管理運営するためには、資格を持った技術員を雇用しなければなりません(1)。実験は普通の実験台ではできず、クリーンベンチという、外から雑菌が流入しないように空気の流れをコントロールした、巨大な無菌ボックスの中に手を突っ込んで行わなければなりません。現在では実験器具はすでに企業で滅菌した使い捨て製品を買って使う場合が多く、このてのプラスチック製品は使った後棄てるだけなので、よほど特殊な実験でなければボイラー室を使うことはなく、廊下の隅にでも置けるようなオートクレーヴ装置(高圧蒸気滅菌)で事足ります(2)。ただしクリーンベンチで仕事をしなければいけないことに変わりはありません。
 ですから当時の生命科学研究者にとって、大腸菌にプラスミドを入れて遺伝子を増幅させるという作業は、大がかりな設備が整った微生物学の研究室以外ではじめるには大きな壁がありました。増幅させたいのはDNAという化学物質なので、なんとか細菌を使わず酵素を使ってやりたいと思うのは当然です。そこに登場したのがマリス(図86-1、Kary Banks Mullis)でした。
 マリスはカリフォルニア大学バークレイ校で学位を取った後、カンザス大学の小児心臓病研究室のポストドクになり(1972年)、1975年までに2度離婚して仕事も辞めバークレーに舞い戻りました。バークレーでは最初の妻が経営するコーヒーショップで店長をやっていたそうです(3)。そんなある日、バークレー校時代の友人であるトーマス・ホワイト(図86-1)と再会し、ホワイトの紹介でカリフォルニア大学サンフランシスコ校のポストドクになり、脳研究をはじめました。しかしそこも結局すぐにやめてしまい、困ったホワイトは自分が幹部社員であるシ-タス社に、技術員としてもぐりこませることにしました(3、4)。持つべきものは友です。

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図86-1 トーマス・ホワイトとキャリー・マリス

 マリスは著しく協調性を欠く性格で、会社でまわりと衝突をくりかえすやっかいものでしたが、ホワイトはあえてDNA合成室長に抜擢しました。ここでマリスはDNA合成自動化装置の製品化で貢献して、ようやく会社での自分の立場を確立しました。そうして1983年、有名な出来事が起こります。文献4の記述をあえて英語のまま引用します。

 In 1983, while driving along the Pacific Coast Highway 128 of California in his Honda Civic from San Francisco to his home in La Jolla, California, USA, Kary Mullis was thinking about a simple method of determining a specific nucleotide from along a stretch of DNA. He then, like many great scientists, claimed having a sudden flash of inspirational vision. He had conceived a way to start and stop DNA polymerase action and repeating numerously, a way of exponentially amplifying a DNA sequence in a test tube(4).

 ドライブ中に突然あるアイデアが浮かんだというわけです。それはPCR(ポリメラーゼ・チェイン・リアクション)法の根幹となるすばらしいアイデアだったのですが、マリスは相変わらず喧嘩をくりかえし、アイデアが採用されるどころか「早くクビにしろ」という多くの研究員からの要請がホワイトのもとに届く有様でした。
 ホワイトはそのアイデアを評価しましたが、実験が下手くそな上に室員との折り合いも最悪なマリスにまかせておいてはどうにもならないと考え、マリスを棚上げして、彼のアイデアを実現するプロジェクトを別の研究室で立ち上げました。そうしてからはランディ・サイキとスティーヴン・シャーフという優秀な研究者達が中心となって、順調に仕事は進み完成しました。
 論文のファースト・オーサーはマリスで、マリスがまとめる予定だったのですが、さっぱり論文を書かないので、結局1985年にサイキ(5)、1986年にシャーフ(6)が論文を書くことになりました。マリスがやっとこさ論文を書いたのはオリジナルペーパーというより実験技術の本で、1987年になってしましました(7)。そこまで待っていたらシータス社は特許をとれなかったでしょう。それでもマリスは1993年にノーベル化学賞を単独で受賞しました。マリスというのは本当にツキのある人です。
 ここでPCR法の基盤となるDNAの性質を簡単に述べます。DNAの二重鎖は高温(図86-2では94℃)で解離し一重鎖となります。ゆっくり低温にもどすとアニーリングがおこって、再び二重鎖が形成されますが、急速に温度を下げると長いDNA鎖はアニーリングをおこしにくく、一重鎖のままとなります。ここに短いプライマーを投入すると相方の相補鎖より優先的にDNA鎖に結合することができます。

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図86-2 DNAの熱変成

 そこで一重鎖DNAをつくるべく50℃~60℃に急冷した後、プライマーを大過剰に投入してDNAと結合させます(図86-3)。プライマーとは鎖長が短い相補性DNAです(赤線 図86-3)。一重鎖DNAが元の相方を見つけて二重鎖に戻らないうちに、プライマーが先に結合する条件をみつけることがポイントです。

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図86-3 プライマーを目的のDNAと結合させる

 次に72℃に温度を上げて高分子DNAのアニーリングを阻止しながら、DNAポリメラーゼと基質を投入してDNA合成を行わせます(図86-4)。この温度でDNA合成を行わせるには、後述のTaqポリメラーゼという特殊な耐熱性のDNAポリメラーゼが必要です。

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図86-4 高温でのDNA合成

 もともと生物が出現しはじめた頃の地球は高温で、当然その頃の細菌・古細菌は好熱性だったわけです(8)。そして現在でも一部の真正細菌や多くの古細菌は温泉などの高温環境で生活しています。しかしはるか昔の地質時代とはことなり、現在は芽胞という熱に強い特殊な仮死状態で生きている生物も多く、そのような生物では酵素がすべて耐熱性とは限りません。トーマス・ブロックとハドソン・フリーズ(図86-5)はそんななかから、Thermus aquaticus という至適増殖温度が70℃~72℃の真正細菌を分離しました(9)。これは当時としては驚異的な高温で生育する生物でした。しかもこの温度はPCR法を実行する上で都合の良い温度でした。
 アリス・チエン(図86-5、現アリス・チエン・チャン)は Thermus aquaticus からDNAポリメラーゼを抽出・精製し、これは後に学名の頭文字から Taqポリメラーゼと名付けられました(10)。ブロック、フリーズ、チエンらはこんな面白いめずらしいものがあるよというような感覚で研究していたと思いますが、これが20世紀でも指折りのイノベーションになるとは、全く予想していなかったでしょう。科学の進展はしばしば思わぬところからもやってくるというのは繰り返し述べているところです。

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図86-5 Taqポリメラーゼの発見と実用化に貢献した研究者達

 通常のDNAポリメラーゼを使ってPCR法をやろうとすると、37℃でDNA合成を行わなければならず、この間にもとの巨大分子であるDNAのアニーリングがおこるために効率が下がり、さらにまずいことに94℃に温度をあげるとDNAポリメラーゼは失活します。そうすると1サイクルごとに酵素を新たに添加することが必要で、かつだんだん効率が悪くなるわけです。こんなところが誰もPCRなどということを考えなかった理由なのでしょう。
 しかしTaqポリメラーゼを使うと状況は一変します。72℃で絶好調、94℃でも失活しないので酵素の添加は不要ですし、72℃の反応では長鎖DNAのアニーリングはおこらないので、効率も落ちません。つまり温度をたとえば 96℃→56℃→72℃→96℃→56℃→72℃→ というように繰り返し変化させるだけで、魔法のようにDNAが増幅されていきます(11)。このようなことを考えると、Taqポリメラーゼの発見を差し置いて、マリスが単独でノーベル賞を受賞したことには疑問が感じられます。
 図86-6をみていただくと2サイクル目で、目的のDNAが1本鎖だけですが(緑)生成されていることがわかります。図86-7の3サイクル目では8本生成される二重鎖DNAのうち、2本が目的DNAの二重鎖です(緑・緑)。いったん二重鎖目的DNAが生成されると次のサイクルではその二重鎖DNA(緑・緑)が複製されます。こうして4サイクル目には16本生成される二重鎖DNAのうち8本が目的の二重鎖DNAとなり、サイクルが進むにつれて目的DNAの純度は上がって、最終的にはそれ以外のDNAは無視できるくらいの割合になります。
 図86-6、図86-7をじっくりとよく眺めてください。最初は様々なDNAが合成されますが、同じことを繰り返しているうちに目的のDNA(緑)=黒の元DNAを複製したもの、が自動的にメインになっていく。そう、まるで魔法のようなギミックに茫然とします。このプロセスを続けていくと、最終的にはほとんどが緑:緑の二重鎖DNAとなり、これが目的のPCR産物です。

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図86-6 PCR法によるDNAの複製I サイクル1とサイクル2

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図86-7 PCR法によるDNAの複製II サイクル3

 先輩からはこのPCRの作業をやるために、何時間トイレを我慢したというような話を聞かされました。3つのウォーターバスを用意して、それぞれ96℃、56℃、72℃に設定し、やることと言えば、時間が来ると試験管をあっちからこっちのバス移動させるだけの作業を延々と繰り返すだけなのです。お疲れ様。
 しかし当然2~3年もすれば自動的に移動させる装置が発売され(図86-8A)、さらに同じ試験管の液体を極めて短い時間で温度変化させる新機軸の開発もあって、やがて水槽は不要となり、極めて小型の装置で作業を行えるようになりました(図86-8B)。現在では生成したDNAをモニターできるような光学系を装備したリアルタイムPCR装置が主流となっています(図86-8C)。
 PCRが普及することによって、バイオテクノロジーの研究室や工場のみならず、科学捜査や感染微生物の同定など社会の様々な場面で、この技術が利用されるようになりました。本物のジュラシック・パークも開園できるかもしれません。

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図86-8 PCR装置

 ひとつ気をつけなければならないのは、もとのサンプルに微量の目的とは異なるDNAが混在していた場合、それも増幅されてしまうということです。生成物を電気泳動法などで解析すれば、何種類のDNAが生成されたかわかります。エラーで実験失敗程度なら笑えますが、科学捜査の失敗や、思わぬ病原遺伝子の増幅などということがおこればしゃれになりません。

 

参照

1)2級ボイラー技士の合格率と資格取得後のキャリアアップ
https://www.sat-co.info/boiler-engineer
2)オートクレーヴ
http://www.zetadental.jp/category-1888-b0-%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%88%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%96.html?_ad=1&gclid=EAIaIQobChMIx5K-37OK1gIVywcqCh11wg9bEAAYASAAEgKsi_D_BwE
3)野島博著 「分子生物学の軌跡」 化学同人 (2007)
4)Ma Hongbao, Development Application of Polymerase Chain Reaction (PCR), The Journal of American Science vol. 1, no. 3, pp.1-47 (2005)
5)Randall K. Saiki, Stephen Scharf, Fred Faloona, Kary B. Mullis, Glenn T. Horn, Henry A. Erlich, Norman Arnheim. "Enzymatic Amplification of β-globin Genomic Sequences and Restriction Site Analysis for Diagnosis of Sickle Cell Anemia" Science vol. 230 pp. 1350-1354 (1985).
http://www.sciencemag.org/site/feature/data/genomes/230-4732-1350.pdf
6)SJ Scharf, GT Horn, HA Erlich "Direct Cloning and Sequence Analysis of Enzymatically Amplified Genomic Sequences" Science vol. 233, pp.1076-1078 (1986).
7)Mullis KB and Faloona FA  "Specific Synthesis of DNA in vitro via a Polymerase-Catalyzed Chain Reaction."  Methods in Enzymology vol. 155(F) pp. 335-350 (1987).
8)https://morph.way-nifty.com/lecture/2016/09/post-1be1.html
9)Brock, Thomas D.; Hudson Freeze (August 1969). "Thermus aquaticus gen. n. and sp. n., a nonsporulating extreme thermophile". Journal of Bacteriology. American Society for Microbiology. 98 (1): 289–297. PMC 249935 Freely accessible. PMID 5781580.
10)A Chien, D B Edgar, and J M Trela., Deoxyribonucleic acid polymerase from the extreme thermophile Thermus aquaticus. J Bacteriol. 1976 Sep; 127(3): 1550–1557.
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC232952/
11)RK Saiki, DH Gelfand, S Stoffel, SJ Scharf, R Higuchi, GT Horn, KB Mullis, HA Erlich.,  Primer-directed enzymatic amplification of DNA with a thermostable DNA polymerase.,  Science  29 Jan 1988: Vol. 239, Issue 4839, pp. 487-491DOI: 10.1126/science.2448875

 

 

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85.ベクター

 ベクターというのはラテン語で運搬者という意味だそうです。分子生物学では主に遺伝子の運搬者という意味で使います。これまでの話で明らかなように、制限酵素で切断したDNAは断点の周辺に相補的な構造ができるので、別々のソースから得た2本鎖DNAを同じ制限酵素で切った場合に、別々のDNAであっても自在に接続できることがわかりました。ここですぐに思いつくのは遺伝子を細胞に導入したいということです。それによって人工的な「進化」が可能になります。ところがDNAは簡単には細胞に入り込めません。これは当たり前で、DNAがどんどん細胞に入ってくれば、ウィルス感染の危機はもちろん、様々なタンパク質が野放図に合成される可能性があり、代謝のバランスが崩壊して生命を維持することができなくなると思われますし、例え崩壊しなくても種という概念が成立せず、生物のあり方が地球上の生物とは全く異なることになるからです。
 しかし、ひとつの遺伝子を細胞に導入するということは、未知遺伝子の機能をさぐるのはもちろん、「ある遺伝子を欠損した細胞に、もとのあるべき遺伝子を導入すると失われた機能が回復する」ということがわかれば、その遺伝子の機能を確認できるという目的も果たせますし、生物に新しい機能を付加するとか、細菌に有用なタンパク質を合成させるとか、遺伝子治療を行なうとかの野心的な目標も当然めざしたいわけです。
 そこでスタンレー・コーエン、ポール・バーグ、ハーバート・ボイヤーらが目を付けたのがプラスミドというDNAです(図85-1)。これは生物が本来持っているゲノム以外に、独立に増殖する機能を持って住み着いているDNAで、原核生物には一般的に存在するものですが、酵母にも存在することが知られています。プラスミドは宿を借りているといっても、寄生虫のようなわるさはしませんし、むしろホストにとって有用な役割を果たしています。ですからホストによってそのDNAはメチル化されて保護されており、ファージのように分解されることがありません。この意味では真核生物における共生に近い関係だと思われます。

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図85-1 プラスミドとは  F因子は♂の細胞質にあり、F繊毛を作って♀をトラップし、♀にコピーを送り込んで♂化することができる
(♂♀は便宜的な用語)

 例えばコリシンというプラスミドはホストには無害で他の細菌を殺す物質の遺伝子ですし、R因子プラスミドは薬剤抵抗性をホストに付与します。F因子プラスミドはF繊毛を作り出す遺伝子を持っており、F繊毛でF因子をもたない細菌をひきよせて接合状態をつくり、複製したF因子や他のプラスミドを送り込むことができます(図85-1)。F因子が細菌本体のゲノムに組み込まれるとゲノム自体が他の細胞に送り込まれることもあるので、これが細菌の有性生殖だとも言えますが、これは性をどのように定義するかによって考え方が変わります(1)。
 ベクターに送り込みたい遺伝子を含むDNAを、その遺伝子の両側で制限酵素 EcoRI を使って切断すると、図85-2のように AATT---TTAA フラグメントができます。同じ酵素でベクターとして用いるプラスミドを切断して---TTAA  AATT---という断端を作成すれば、そこにアニーリングによってフラグメントを挿入することができます。

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図85-2 組み替え型プラスミドの作成

 アニーリングというのは、もともと二重鎖を構成していたDNAが100°Cで変性して一重鎖になったとしても、60°Cくらいの温度を保つことによって、相補的な配列が水素結合をつくってもとの二重鎖にもどるという現象です。相補的付着末端一本鎖を持つ二本鎖DNA同士も、条件を最適化すれば同じメカニズムで付着末端同士で結合して、結果的に環状DNAをつくり、最後にDNAリガーゼで3’OHと5’Pをつないであげると、切れ目のない新しい環状二重鎖DNAを形成することができます(図85-2)。
 この方法で、遺伝子をプラスミドに組み込むことができます。プラスミドは独自に複製を行うための複製開始点領域を持っていますが、それ以外に抗生物質耐性のゲノムを持たせておきます。こうするとプラスミドを増やしたときにその抗生物質の存在下で細菌を培養すると、抗生物質耐性の遺伝子を持つプラスミドを取り込んだ細菌だけが抗生物質の影響を受けずに増殖するので、プラスミドを取り込んだ細菌を見つけやすくなります。図85-2ではテトラサイクリン耐性のプラスミドが用いられています。
 初期の組み換え実験に頻繁に用いられたベクターは、図85-3のようなものです。pBR322と名付けられましたが、pはプラスミド、BRは写真のボイヤーの研究室で働いていたポストドクの Bolivar と Rodriguez の頭文字をとったものです。さまざまな制限酵素でそれぞれ1ヶ所で切断されるように設計されています。抗生物質耐性領域に断点があると、そこが切断された場合耐性が失われるので、2ヶ所に抗生物質耐性領域があります。図85-3の場合アンピシリン(amp)とテトラサイクリン(tet)に耐性の領域左右にがあります。Eco RI または Nde I を用いた場合には、断点がこれらの領域の外なので、両方の抗生物質耐性領域が分断されることなく生きていることになります。

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図85-3 ベクターpBR322

 遺伝子操作においては、しばしばDNAリガーゼという言葉が登場します。この酵素については私も何度か取り上げていますが(4-5)、基本的に図85-4Aの様に付着末端同士がくっついた状態で、最終的に3’OHと5’Pを結合させて断点のないDNAを完成させる役割をもっています。図85-4Bのような平滑末端同士を結合させるのは苦手です。ところがヴィットリオ・スガラメッラ(6、図85-4)らは、T4ファージのDNAリガーゼはある条件で平滑末端を結合させることを発見したのです(7、図85-4B)。

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図85-4 T4 DNAリガーゼ

 細胞内では、しばしばDNAの損傷や修復、ウィルスによるDNA合成などに伴って、不要なDNA断片が発生します。これらはすみやかにDNA分解酵素で分解してしまわなければいけません。このような浮遊するジャンクDNAを、非特異的に結合して巨大DNAにしてしまうような酵素はあってはならないものです。実際に細菌や真核生物はこのような酵素を保持しませんが、ファージの中になぜかこのような酵素を持つ者がいたわけです。平滑末端同士を結合できる酵素がみつかったことは、遺伝子組み換えの作業には福音でした。

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図85-5 リンカーを用いた組み換えDNAの作成

 例えば図85-5のように Eco RI による切断部位を1ヶ所持つ短い鎖長のリンカーDNA(青灰色)を作成しておき、この断片を研究したいDNA(黄緑色)の両端に前述のT4リガーゼで接続して、その後 Eco RI で切断し、同様に Eco RI で切断したベクターとくっつけると組み換えDNAが完成します(図85-5)。こうして作成された環状組み換えDNAは、基本的にプラスミドと同じなので、大腸菌に挿入して大腸菌を培養すると、自然にベクターも倍々ゲームで増殖し、したがって目的のDNAを爆発的に増やすことができます。
 もうひとつ、奇妙な酵素について言及しなければなりません。それはターミナルヌクレオチジルトランスフェラーゼ(terminal deoxynucleotidyl transferase)という酵素で、名前が長いのでよく TdT という略称が使われます。この酵素は鋳型(テンプレート)非依存的にDNAを3’OHから延長するというユニークな機能を持っています。図85-6に示したように、1本鎖または2本鎖でも3’OHが突出したDNAを延長するのが得意ですが(活性大 図85-6)、平滑末端を持つ2本鎖の末端3’OHからの延長も可能です(活性中)。5’Pが突出した2本鎖DNAの3’OHから延長するのは得意ではありませんが、不可能ではないようです(活性小)。
 この酵素はAGCTをランダムに付加していくので、DNAを合成することはできても複製することはできません。しかし実験室では基質としてdATPだけを与えることもできるので、こうするとTdTはAAAAAnのように、DNAの末端にホモポリマーを付加していくような形での反応を行わせることができます(図85-6)。そもそもなぜこんな奇妙な酵素が存在するのかということですが、哺乳類では抗体やT細胞抗原受容体の多様性を確保するために重要な役割を果たしているようです(8)。DNA合成酵素とは本来DNAの複製や修復に使われるはずだったのですが、本来の役割とは全く異なる用途に用いられる・・・・・まさしく進化は「ケガの功名」を積み上げたものであることを教えてくれる酵素です。

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図85-6 TdT(ターミナルデオキシヌクレオチジルトランスフェラーゼ)

 ポリAとポリTなど相補的ホモポリマーの親和性は高いので、これを利用して図85-7のように組み換えDNAをつくることができます。両端が平滑のDNAにまずポリAを結合させ、ベクターにはポリTを結合させてアニールすると、組み換えDNAが作成できます。ただAおよびTの数は同じにできないので、あとで調整が必要になります。予め塩基数が決まったホモポリマーを用意して、T4リガーゼで結合しても同様な実験ができます。制限酵素による切断部位からポリAとポリTを延ばすようにすれば、あとで制限酵素によって目的部位を切り出すこともできます。

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図85-7 TdTを用いた組み替えDNAの作成

 ここまで述べてきた組み換えDNA作成技術の前提となる大腸菌にファージやプラスミドを導入する技術は、1970年にハワイ大学のモートン・マンデルと比嘉昭子によって開発されました。彼らは制限能(免疫能)のない大腸菌を、低温下で塩化カルシウム処理すると、外界のDNA断片を菌体内に取り込ませることができることを証明しました(9-10、図8)。
 外界DNAを取り込めるようになった細胞をコンピテントセルといいます。コンピテントセルに組み換え型プラスミドを取り込ませ培養すれば増殖させることができます。取り込まなかった細胞を排除するには、たとえばアンピシリン耐性の遺伝子を持つプラスミドを取り込ませた場合、アンピシリンを培地に入れるとプラスミドを取り込まなかった細胞は死滅するので、取り込んだ細胞を選択することができます。
 モートン・マンデルと比嘉昭子の写真は、ウェブサイトを探しましたが、残念ながらみつかりませんでした。彼らが先鞭を付けたトランスフェクション(遺伝子導入)の技術は現在にもひきつがれ、さらに哺乳動物細胞や個体への遺伝子導入の方法が盛んに研究されています。

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図85-8 形質転換(DNAを細胞にとりこませる技術)

 プラスミドを使わず、バクテリオファージやウィルスを用いた遺伝子導入の手法があります(11)。ラムダファージが最も有名です。ラムダファージのDNAはファージの殻の中では線状なのですが、両端にCOSという相補的な部位があり、大腸菌に感染すると環状化します(図85-9)。このDNAをベクター(コスミドベクター)として使いやすいように改変して使用します。
 プラスミドと比べてファージ(ウィルス)ペクターの欠点は、ファージ(ウィルス)の殻の中は狭いので、長いDNAを組み込むとはいりきらなくなることです。このため増殖に必要がないファージの遺伝子の一部を切り取って短いベクターをつくり、ある程度長めの遺伝子でも組み込めるようにします(図85-9)。ファージ(ウィルス)ベクターの利点は、トランスフェクションで苦労しなくても自動的にホストの細胞に侵入してくれることです。
 哺乳動物細胞への遺伝子導入については、未知遺伝子なら導入した遺伝子を発現させて機能を研究する、遺伝子発現を制御する機構について研究する、実験動物に変異遺伝子を発現させて遺伝病を発症させる、遺伝病の動物に正常遺伝子などを移入して治療するなどの研究が行われています。
 遺伝子導入の方法はいろいろあって、タカラバイオのサイトから図85-10にコピペしておきます(12)。いろいろあるといっても、それは試験管の中での実験についての話であって、患者の遺伝子治療に使えそうなのは、今のところウィルスベクターを使う方法しかありません。

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図85-9 ラムダファージベクターを用いた細菌細胞への遺伝子導入

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図85-10 哺乳類細胞への遺伝子導入

 ウィルスの場合、ウィルスの中に目的の遺伝子を入れさえすれば感染によって自動的に細胞にはいるので、遺伝子移入は容易なのですが、問題は安全性です。ウィルスもどきが体内で増殖したり、炎症を引き起こしたり、遺伝子発現に影響を与えて病気になるのではお話になりません。実際1990年代にはすぐにでも臨床に使えるような雰囲気でしたが、どうなったかというと、1999年にペンシルベニア大学で治療中の患者で、注入したアデノウィルスベクターによって全身性の炎症反応がおきて、患者が死亡するという事故が発生し(ゲルジンジャー事件)、さらに2002年にはフランスで2名の患者が白血病を発症するなどの問題がおきて(13)、一気に研究は停滞しました。フランスの事故の場合、レトロウィルスベクターが癌遺伝子の上流に導入されたために、癌遺伝子が活性化して発病したようです(14)。医師・研究者が前のめりになりすぎた結果だと思います。 とはいえ、最近再び遺伝子治療(疾病の治療を目的として遺伝子または遺伝子を導入した細胞を人の体内に投与すること)の機運が盛り上がっています。まあ過大な期待はしないで研究の進展を見守りましょう(15-16)。

 

参考

1)プラスミドってなに? 
http://www.seibutsushi.net/blog/2008/07/513.html
2)Bolivar F, Rodriguez RL, Betlach MC, Boyer HW (1977). "Construction and characterization of new cloning vehicles. I. Ampicillin-resistant derivatives of the plasmid pMB9". Gene. 2 (2): 75–93. PMID 344136. doi:10.1016/0378-1119(77)90074-9.
3)Bolivar F, Rodriguez RL, Greene PJ, Betlach MC, Heyneker HL, Boyer HW, Crosa JH, Falkow S (1977). "Construction and characterization of new cloning vehicles. II. A multipurpose cloning system". Gene. 2 (2): 95–113. PMID 344137. doi:10.1016/0378-1119(77)90000-2.
4)ワイス博士の不遇 
http://app.cocolog-nifty.com/t/app/weblog/post?__mode=edit_entry&id=17207703&blog_id=203765
5)岡崎フラグメント
http://app.cocolog-nifty.com/t/app/weblog/post?__mode=edit_entry&id=86368774&blog_id=203765
6)Vittorio Sgaramella
http://www.scienzainrete.it/documenti/autori/vittorio-sgaramella
7)Sgaramella V, Van de Sande JH, Khorana HG., Studies on polynucleotides, C. A novel joining reaction catalyzed by the T4-polynucleotide ligase. Proc Natl Acad Sci U S A. 1970 Nov;67(3):1468-75. (1970)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/5274471
8)Edward A. Motea and Anthony J. Berdis, Terminal Deoxynucleotidyl Transferase: The Story of a Misguided DNA Polymerase.,  Biochim Biophys Acta. vol.1804(5):  pp. 1151–1166. (2010)  doi:  10.1016/j.bbapap.2009.06.030
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC2846215/
9)Mandel, M. and Higa, A. (1970). “Calcium-dependent bacteriophage DNA infection”. Journal of Molecular Biology 53 (1): 159-162. PMID 4922220.
http://www.sciencedirect.com/science/article/pii/0022283670900513
10)Akiko Higa,  Morton Mandel, Factors Influencing Competence of Escherichia coli for Lambda-Phage Deoxyribonucleic Acid Infection., Japanese Journal of Microbiology, Vol. 16, No. 4,  pp. 251-257 (1972)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/mandi1957/16/4/16_4_251/_article/-char/ja/
11)R. W. オールド、S.B. プリムローズ著 「遺伝子操作の原理」第5版 倍風館 (2000)
12)タカラバイオ 遺伝子導入実験ハンドブック
http://catalog.takara-bio.co.jp/PDFS/transgenesis_experiment.pdf
13)小澤敬也 遺伝子治療テクノロジーの開発とその応用 ウィルス vol.54, no.1, pp. 49-57 (2004)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsv/54/1/54_1_49/_pdf
14)島田隆 日本の遺伝子治療の課題 (2013)
http://www.mhlw.go.jp/file.jsp?id=146735&name=2r98520000033pt6.pdf
15)市場調査レポート 2017年版 遺伝子治療薬の将来展望 Seed Planning
http://store.seedplanning.co.jp/item/9516.html
16)CAR-T療法 リンパ球バンク株式会社 (2016)
https://www.lymphocyte-bank.co.jp/blog/medicine/%EF%BD%83%EF%BD%81%EF%BD%92%EF%BC%8D%EF%BD%94%E7%99%82%E6%B3%95/

 

 

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2020年1月24日 (金)

84.DNA塩基配列の解読

 フレデリック・サンガーという人(図84-1)の偉大さは驚異的です。なにしろ生物の主成分である核酸とタンパク質の構成単位(ヌクレオチドとアミノ酸)がどのように配列しているか解析する方法を、両方とも開発したわけですから。彼はまずタンパク質を構成するアミノ酸の配列を解析する手法を開発し、1953年にインシュリンの全一次構造を明らかにして、1958年度のノーベル化学賞を受賞しています。
 さらに彼の研究グループは、1977年にジデオキシ法によるDNAの塩基配列解析に成功し(1)、この業績によってサンガーは1980年に2度目のノーベル化学賞を受賞しました。同じ分野のノーベル賞を2回受賞した人は彼以外にはジョン・バーディーン(トランジスタの発明と超伝導理論で2回物理学賞を受賞)しかいませんし、他にノーベル賞を2回受賞した人はマリ・キュリー(物理学賞と化学賞)とライナス・ポーリング(化学賞と平和賞)のみです。
 本当は彼はRNAの塩基配列解読も1番乗りしたかったと思いますが、これはロバート・ホリ-に先を越されてしまいました(2)。サンガーにとっては、大変残念なことだったと思います。

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図84-1 フレデリック・サンガー

 ジデオキシ法のミソは、通常デオキシリボース5員環の2の位置はHで、3の位置はOHのデオキシヌクレオチジル3リン酸(dNTP)ですが、その3の位置のOHをHに置換したジデオキシヌクレオチジル3リン酸(ddNTP、図84-2)を、DNA合成の基質に紛れ込ませることにあります。これまでにも何度も述べているように3の位置にOHがないと、DNAポリメラーゼは鎖を延長できません。したがって運悪くddNTPを取り込んだ場合、DNA合成はそこで停止します。このことを利用してサンガーは巧妙なDNA塩基配列解析法を開発しました。

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図84-2 ddNTP(ジデオキシまたはダイデオキシNTP)

 ここでdATPにddATP(dideoxy ATP)を紛れ込ませたとしましょう。他の3種のデオキシヌクレオチドdTTP、dGTP、dCTPは純粋品でdd型を含みません。そうするとdATPのかわりに、運悪くddATPを取り込んだ場合にだけDNA合成が停止します。従って停止した位置の対面にある鋳型の塩基はTということになります。図84-3の場合、3、9、15番目の位置で停止するのでその位置の鋳型DNAの塩基がTであることがわかります。反応を途中で停止した3種の短いDNA(左端が3’H)は、電気泳動法などによってサイズで識別します。

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図84-3 ジデオキシ法によるDNA塩基配列の決定

 新生DNAのサイズを識別するには、鋳型DNAと新生DNAを分離しなければなりません。これにはいくつか方法がありますが、図84-4のように尿素などを添加して2本鎖のDNAを結びつけている水素結合を引きはがすのが一般的な方法です。尿素は塩基と塩基同士より強力な水素結合をつくることによって、塩基同士の水素結合形成を妨害します(図84-4)。

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図84-4 二重鎖DNAは尿素の存在によって一重鎖に分離する

 高濃度の尿素の存在下で図5のように通電して、DNA断片をポリアクリルアミドゲルの中に誘導すると、ポリアクリルアミドの架橋した立体構造の中で動きにくい高分子のDNA断片は遅く、動きやすい低分子の断片は早く移動し、図3の右図のように分離することができ、かつレファレンスと同時に泳動することによって分子量(鎖長)も決定できます(3-4)。DNAは酸性(マイナスチャージ)なので、電流とは逆方向に移動することになります。

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図84-5 ポリアクリルアミドゲル電気泳動法によるDNA断片の長さによる分離

 塩基配列決定を効率的に行うための技術開発は現在に至るまで活発に行われていますが、そのきっかけになったのはジデオキシヌクレオチドを蛍光物質で標識しておくという技術です。この技術を開発したのは誰なのかということに興味を持って少し調べましたが、ちょっと複雑な経緯があるので最後に述べます。実際にはサーモフィッシャーという会社で売っている Big Dye(5)などを使ってシーケンシングは実行されています。
 4種のddNTPをそれぞれ別の蛍光色素で標識しておくと、同時にひとつの試験管で反応させても、色つきの生成物を分析すれば一挙に塩基配列が可能となります。さらに図84-6のようなオートメーションを使えば、簡単に塩基配列のチャートが入手できます。

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図84-6 DNA塩基配列決定の自動化

 サンガー法ではDNAポリメラーゼという酵素を使うので、それなりの不安定性やエラーがあります。マクサム・ギルバート法では化学的に特定の塩基の部分でDNAを切断します(図84-7)。できた断片を長さによって分離するのはジデオキシ法と変わりません。この方法は安定性は高いのですが、試薬の特異性に問題があり、かつ使用する試薬はすべてDNAを切断する作用を持つ危険な化合物なので、現在ではほとんど使用されていません。

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図84-7 マクサム・ギルバート法によるDNA塩基配列の決定

 しかしこの方法を開発したウォルター・ギルバートは、フレデリック・サンガーと共に1980にノーベル化学賞を受賞しています。テクノロジーで授賞すると、それより便利なテクノロジーが出現した途端に使われなくなり忘れ去られるというリスクがありますが、ギルバートの場合もそれに近いような状況です。アラン・マクサムに至っては写真もみつかりませんでした。
 ジア・グオはジデオキシ法をさらに発展させました。彼はddNTPにとりはずしのできる蛍光色素を結合させ、さらに3’OHも付け外しができるようなシステムを開発しました(6、図84-8)。反応開始後最初に結合したddNTPを同定し、色を確認してから蛍光色素をとりはずして、さらに3’Hを3’OHにして次の反応を行うというプロセスを繰り返すことによって、理論的には無限の長さのDNAシーケンシングをオートメーションで行うことが可能となりました。

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図84-8 ジア・グオによる改良法

 もうすこし具体的に書けば

1)DNAの断片を作成し、断片末端にアダプターを結合させる。
2)PCR法(後のセクションで述べる予定)で大量にDNA断片を複製したのち精製する。
3)DNA断片のアダプターを相補的配列を持つオリゴDNAで捕捉し、捕捉したDNAを増幅してクローンを作成する。
4)可変型蛍光標識ターミネータ(それぞれddNTPに代替する)4種を入れてフローセルでDNA合成を行わせる。
5)フローセル内でDNAクローンにとりこまれた最初のターミネータを蛍光励起法で同定する。
6)いったんDNA断片端の蛍光をはずし、3’OHを付けてDNA鎖を伸長させる。
7)4、5、6のステップを n回繰り返して、長さ n の断片のシーケンシングを実行する。
8)数百万個の断片を大量並列的に解析するので、高速でシーケンシングすることが可能になった。
9)各断片の塩基配列を、コンピュータを用いてアラインメント(図84-9、後述)を行い、断片化する前の全DNAの配列を決定する。
10)DNAライブラリーごとに、別のアダプターを結合させておけば、3のステップでクローンごとにどのライブラリーのDNAか識別できるので、一気に複数のライブラリーのDNAを解析することが可能です。

 ここでアラインメントという言葉が出てきましたが、これはDNAシーケンシングで得られたDNA断片のデータをもとに、より長いDNAの塩基配列を決めるプロセスのことで、図84-9で説明しますと、5つのDNA断片セットをそれぞれサンガー法で解析して、より長い青色のDNAの全塩基配列が明らかになって、それをコンティグ1としますと、同様にコンティグ5までのデータを得て、それぞれの末端の配列を比較することによって各コンティグの並び方を決め、さらに長いDNAの配列を確定します。このような作業をアラインメントといいます。

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図84-9 DNA塩基配列のアラインメント

 シーケンシングの技術は日進月歩で、イルミナ社の「次世代シーケンステクノロジーのご紹介」というパンフレットをみると、図84-10のような進歩の歴史が書いてありました(7)。

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図84-10 DNA塩基配列決定に要するコストの変遷

 新しい情報はオミックスクラブ(8)などで知ることができます。私が少し興味をひかれたのは、電子顕微鏡を用いたDNAシーケンシングで、この場合dNTPは重金属でラベルしておき、1本鎖DNAを視野にきれいに並べて、視野の広さ分の塩基配列を一気に読み取るというやり方です(9)。しかしサンプルを重ならないようきれいに並べるというのは、電子顕微鏡レベルでは非常に難しい技術で、成功寸前まで行きながら資金ショートで倒産した会社もあるようです。
 ところでddNTPに4種の蛍光物質を結合させてシーケンシングを効率的に行うというアイデアはもともと伏見譲のアイデアで、1982年10月の第20回日本生物物理学会で発表されたそうです(10)。1983年に研究を実際に担当していた土屋政幸は修士論文を発表しました(10)。当然ネイチャーかサイエンスに発表すべき研究結果でしたが、伏見は十分な自信を持てないという理由でそれをしませんでした。それでも1983年に特許は申請しました。ところが1984年になって、当時の科学技術庁が「国から研究資金をもらっておいて、特許はないんじゃないですか」という横やりが入って、伏見は特許申請を取り下げるという、現在からみると驚くべき経緯があって、結局カリフォルニア工科大学のグループ(Mike Hunkapiller, Tim Hunkapillar, and Applied Biosystems)が1984年に申請した特許が結局最終的に有効となって、伏見は完敗となりました(11)。
 この話はこれで終わりではなく、このアイデアは Hunkapillar 兄弟のものではなく自分のものだという同じ研究室にいた人物が現れたのです。それは Henry Huang という人で、裁判をおこしましたが敗北しました(11)。そういうわけで、4種の蛍光物質でddNTPをラベルしてシーケンシングするというアイデアは誰のものなのかは霧の中で、特許だけが厳然と残るという結果になりました。
 私は基礎研究に多額の公的資金が投入されているのは事実なので、当時の科学技術庁の横やりはもっともだと思います。特許争いに大きなエネルギーをそそぐくらいなら、さっさと公表して誰でも使えるようにしたほうがよいと思いますし、国際社会が基礎科学の分野については特許至上主義から抜け出すべきだとも思います。研究者は研究資金とポストで処遇されるべきでしょう。
 これに対する反論は、研究者といえども前に特許というニンジンをつるしたほうが、一生懸命走るという考え方に基づいています。それはそうかもしれませんが、上記の理由の他、特許獲得には研究と同様大きなエネルギ-が必要ですし、ダークな側面がつきまとうということも事実です。

 

参照

1)F. Sanger, S. Nicklen, and A. R. Coulson, DNA sequencing with chain-terminating inhibitors., Proc. Nati. Acad. Sci. USAVol.74, No.12, pp.5463-5467,(1977)
http://www.pnas.org/content/74/12/5463.full.pdf
2)Holley, R. W.; Apgar, J.; Everett, G. A.; Madison, J. T.; Marquisee, M.; Merrill, S. H.; Penswick, J. R.; Zamir, A. (1965). "Structure of a Ribonucleic Acid". Science. 147 (3664): 1462–1465. Bibcode:1965Sci...147.1462H. doi:10.1126/science.147.3664.1462. PMID 1426376
3)Heike Summer, René Grämer, and Peter Dröge, Denaturing Urea Polyacrylamide Gel Electrophoresis (Urea PAGE).,  J Vis Exp.,  vol. 32., p. 1485. (2009)
doi:  10.3791/1485
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC3329804/
4)Denaturing Polyacrylamide/Urea Gel Electrophoresis
https://tools.thermofisher.com/content/sfs/manuals/MAN0011970_Denaturing_PolyacrylamideUrea_Gel_Electrophoresis_UG.pdf
5)ThermoFisher  https://www.thermofisher.com/order/catalog/product/4337455
6)Jia Guo et al, Four-color DNA sequencing with 3′-O-modified nucleotide reversible terminators and chemically cleavable fluorescent dideoxynucleotides, Proc. Natl. Acad. Sci. USA,  vol. 105 (27), pp.9145-9150 (2008)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/18591653
7)jp.illumina.com/technology/next-generation-sequencing.html
8)http://omics-club.blogspot.jp/
9)http://omics-club.blogspot.jp/2013/08/20130820.html
10)岸宣仁著 「ゲノム敗北 知財立国日本が危ない!」ダイヤモンド社(2004) URLが非常に長いですが、あえて掲載しました
https://books.google.co.jp/books?id=IVRKAAAAQBAJ&pg=PT36&lpg=PT36&dq=%E3%83%9E%E3%82%AF%E3%82%B5%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%88%E6%B3%95&source=bl&ots=c7UnsDbmjl&sig=3ssOCV3KUo0X6Hk0RbxgfyWqNdY&hl=ja&sa=X&ved=0ahUKEwjWkbvHtezVAhXKp5QKHXrIBc04ChDoAQhIMAc#v=onepage&q=%E3%83%9E%E3%82%AF%E3%82%B5%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%88%E6%B3%95&f=false
11)https://plaza.rakuten.co.jp/cozycoach/diary/200412260000/

 

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83.制限酵素

 細菌にとって最大の天敵はバクテリオファージ(ウィルス)です。この寄生体はホスト細菌の細胞壁にとりついて、注射器のようなツールでDNAを注入し、細菌のDNAにまぎれこませたり、あるいは直ちに細菌の中にある栄養物質を使って増殖し、殻もつくってホストを殺して外に出たりするわけです。
 ベルタ-ニとワイグルはファージの細菌感染を研究しているうちに、不思議な現象を発見しました(1、図83-1)。それは、ある系統の大腸菌(図83-1、斜線)で生育させたファージを取り出して、別系統の大腸菌(図83-1、ドット)に感染させると、斜線の大腸菌で生育したファージはドットの大腸菌に対する感染能を失っている場合があるということです(赤で示した!は感染能の喪失を示します)。すなわち大腸菌はP2やλファージの感染性を制御する、あるいは不活化する能力を持っているということを意味します。彼らはこの現象が遺伝子の突然変異によるものではないことを示しましたが、そのメカニズムは解明できませんでした。ヒトはインフルエンザウィルスに感染すると、抗体を作るなど免疫機構を発動して対抗しますが、細菌もなんらかの防御機構を持っているのでしょうか? 他にもこの現象に気がついていた研究者もいましたが、誰もメカニズムを解明できませんでした(2)。

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図83-1 バクテリオファージの感染能力はホストの細菌によって制御される場合がある  この図について本文より詳細な説明をご覧になりたい方は、文献(1)を参照して下さい。

 アルバー(図83-2)はジュネーヴ大学を卒業して、電子顕微鏡のオペレーターの仕事をしていましたが、そこからファージの研究に転身して、λファージを大腸菌に感染させる仕事をしていました。そしてλファージが大腸菌の中で、うまく増殖してくれないことに関心を持って研究を進めるうちに、λファージDNAを放射性のP(32P)でラベルして感染させると、大腸菌のなかでDNAが分解され、32Pは可溶性分画に出てくることがわかりました(3)。大腸菌の免疫機構が発動して、ファージを分解していたのです。

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図83-2 制限酵素の発見者達  ウェルナー・アルバー ハミルトン・スミス ダニエル・ネイサンズ

 1960年代には、この免疫機構にS-アデノシルメチオニンが必要なことや、DNAのメチル化がかかわっていることがわかってきました。すなわち修飾がないとファージと同様にみずからの分解酵素でアタックされるはずの大腸菌DNAの切断部位が、メチル化されることによって切断を免れることが判明しました(4)。ファージのDNAを分解する酵素を制限酵素 (ファージの増殖を制限するという意味 英語では restriction endonuclease) といい、ホストのDNAを保護するDNAメチラーゼとあわせて制限修飾系(R-Mシステム)ともいいます。
 制限酵素を大腸菌から最初に精製したのはメセルソンとユアンでした(5)。この酵素はその後 I 型制限酵素と呼ばれ、DNA鎖上の特異的な塩基配列を認識しますが、DNAを切断する部位は認識部位から400~7000塩基(bp)も離れたところにあるので、遺伝子工学の研究者からは「使えない」酵素として忘れ去られました。大腸菌にしてみれば、自分のゲノムは切断されず、進入してきたファージDNAを切断してくれるわけですから、I 型でも十分用は足りているわけです。
 I 型制限酵素はDNAを切断するRサブユニット2個、DNAをメチル化するMサブユニット2個、DNAの塩基配列を認識するSサブユニット1個の計5つのサブユニットからなり、同じ塩基配列を認識しても、ホストのDNAはメチル化し、ファージのDNAは切断するという複数の役割をひとつの分子が行なうことができます(6、図83-3)。Sサブユニットもふたつのドメインが逆向きに重なったような構造で、2本の αヘリックスからなるバーの両端に塩基配列認識部位があるので、離れた2ヶ所で塩基配列を認識します。非常に高度な機能を持った有能な酵素なのですが、I 型制限酵素は認識した塩基配列から離れた位置でDNAを切断する点、そしてメチラーゼ活性を持っているという点で遺伝子工学のツールとしては不適切でした。

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図83-3 I型制限酵素

 ハミルトン・スミス(図83-2)は大学では数学を専攻していました。その後カリフォルニア大学、ジョンズ・ホプキンス大学と渡り歩いて医師になりました(7-8)。ところが彼はアルバーが制限酵素を発見したことに興味を持ち、ちょうど自分の研究室を持てることになったので、せっかく資格を得た医師の仕事を棄てて研究者になりました。同じ材料で追試するだけではつまらないので、彼はアルバーが使った大腸菌とは異なるインフルエンザ菌(昔この菌がインフルエンザの病原体と考えられていた時期があり、その名残で名前が残っている)の制限酵素を調べてみました(8)。実験材料だけ換えて追試するというのはバカにされがちですが、これも必要な研究ですし、ときには思いがけない重要な発見もあるのです。まさにハミルトン・スミスは彼の最初の学生だったケント・ウィルコックスと共に驚きの実験結果を得ました。
 インフルエンザ菌の制限酵素はなんと認識した塩基配列を、その位置で切断したのです(9、図83-4)。この酵素は現在 HincⅡ(または HindⅡ) とよばれています。図83-4にみられるように HincⅡ は1種類の塩基配列だけ認識するわけではなく、若干の幅があって、4種類の塩基配列を認識し、その中央でDNAを切断します。II 型制限酵素は、I 型のようにATPやS-アデノシルメチオニンを必要とせず、マグネシウムイオンのみを要求する酵素反応を行います。またほとんどはDNAメチラーゼの活性をもっておらず、制限修飾系は別の分子であるDNAメチラーゼと協力して成立します。

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図83-4 II型制限酵素

 ハミルトン・スミスの研究結果は分子生物学の分野で燎原の火のように広がり、われもわれもと新しい制限酵素の発見競争がはじまりました。そのなかのひとりがダニエル・ネイサンズ(図83-2)でした。彼はSV40というヒトやサルに感染するウィルスを研究していましたが、このウィルスのDNAをハミルトン・スミスの酵素で処理すると最大11個の断片に切断することができました(10)。これはDNAの塩基配列の研究に非常に有用であり、かつ塩基配列レベルでの遺伝子地図の作成が可能であることを示唆しました(図83-5)。
 例えば図83-5で、あるDNAを制限酵素「赤」で切断して3つの断片A,B,Cが得られたとします。それだけでは各断片の塩基配列を解析してもABCの順番はわかりません。しかし同じDNAを別の制限酵素「青」で切断して4つの断片が得られ、そのうちひとつの断片の左側(2’)が断片Aの右側(2)と一致し、右側(3’)が断片Bの左側(3)と一致すれば、断片Aは断片Bの左隣であることがわかります。同様に断片B、Cについても調べれば、BがCの左隣であることがわかり、制限酵素「赤」で切断した結果の3断片はABCの順に並んでいることがわかります。

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図83-5 制限酵素を用いた塩基配列レベルでの遺伝子マッピング

 アルバー、スミス、ネイサンズの3人(図83-2)は1978年にノーベル生理学医学賞を受賞しました(11)。その受賞理由は「for the discovery of restriction enzymes and their application to problems of molecular genetics」となっています。生理学医学賞で application to という言葉が使われたのははじめてです。すなわち生理学医学の領域においてもサイエンスのみならず、テクノロジーの分野における貢献もノーベル賞の対象になるということを、彼らは示しました。
 さて、次々とみつかった II 型制限酵素を統一的に命名し整理することが必要になりました。スミスとネイサンズは1978年に命名法の基準を提案しましたが(12)、現在でもほぼ彼らの考え方に沿った形で命名が行われています。

1.当該制限酵素を産生する生物の属名の先頭の1文字、種名の先頭の2文字を記す。例えば大腸菌なら学名は Escherichia Coli ですから Eco、インフルエンザ菌なら Haemophilus influenzae ですから Hin となります。

2.制限酵素の由来がその生物のゲノムではなく、潜在ウィルスやプラスミドに由来する場合はそれらの頭文字(大文字)を記す。例えば EcoR。

3.生物の株によって産生する酵素が異なる場合、株名を記す。例えばHaemophilus influenzae のd 株(小文字)なら Hind となる。

4.同じ株が複数の制限酵素を産生する場合は、それぞれローマ数字をつける。例えばHaemophilus influenzae のd 株は3種の制限酵素を産生するので、それぞれ Hind I, Hind II, Hind III となります。

 制限酵素によるDNA切断の様式を大きく分類すると、図83-6のような3種類になります。平滑末端を作るタイプの制限酵素は、リボンをハサミで切断するように、突出部位の無い平滑な末端(blunt end)をつくります。5’ が突出するタイプの末端をつくる酵素は、DNAの両鎖ともに5’ が突出した末端が形成されます。Hind III の場合TCGAとAGCTという相補的な末端ができるので、これらは再びくっつき易いという特徴をもっています(cohesive end)。また3’-OH があって鋳型もあるわけですから、DNAポリメラーゼのよい標的になります。3’ が突出するタイプの末端を作る酵素は5’突出型と同様な特徴がありますが、DNAポリメラーゼの標的にはなりません(3’-OHはありますが鋳型がありません)(図83-6)。

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図83-6 制限酵素による切断部位の種類  平滑末端 5’突出末端 3’突出末端

 現在4000種類の制限酵素がみつかっており、そのうち600種類は市販されているそうです(13)。
 ところで図83-6の塩基配列をみればわかりますが、制限酵素が認識する部位は塩基配列が回文構造になっています。回文とはアニマルマニアのように前から読んでも後ろから読んでも同じ文のことですが、たとえばHind Ⅲが認識する配列は、AAGCTTであり、これ自体は回文ではありませんが、対面するDNAの塩基配列はTTCGAAであり、180度回転対称となっているので、この意味で回文構造と称しているわけです。
 どうしてこのような構造になったのかの説明ですが、図83-7に示したように、回文配列はDNAの裏から酵素がアプローチしても塩基配列を認識できることから、酵素による認識効率が2倍になるためという説がありますが、どうでしょう? 2倍の効率というのは、この様式が固定されるにはちょっと低すぎると思います。回文配列の部分が特異な構造なので、熱力学的に切断に要する化学エネルギーが少なくて済むからという可能性もあると思います。またII型制限酵素はホモダイマーあるいはテトラマーであり、同時にDNAの表裏を認識していると思われ、このような様式を利用してDNA塩基配列を認識し切断するというやり方が、このシステムができた初期の頃に定まったというのがひとつの理由なのかもしれません(14)。
 II 型制限酵素を使うと、自在にDNAを切断して再連結することができるので、例えば図83-8のように別種のDNA(AとB)をそれぞれHind III で処理し混合すると、それぞれAGCT、TCGAという相補的な突出部位を持っているので、再連結させることができます(アニーリング)。そしてDNAリガーゼで3’OHと5’Pを接続すると、AとBを連結したハイブリッドDNAができあがります(15)。

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図83-7 制限酵素は回文構造を認識してオペレーションを開始する

  これはAという菌とBという別種の菌を融合した新種の菌ABができる可能性を示唆しており、まさしく科学が神(=創造主)の領域にまで進出したということで騒ぎになりました。またこの種の研究がきっかけとなって、日本でも分子生物学会が設立されました(1978年)。しかし誰も科学技術の進歩は止められず、20世紀末にDNAの加工に関連したテクノロジーは大発展をとげることになります。とは言っても、ハミルトン・スミスの論文が出版されてから50年を経過する今日に至っても、疾病原因遺伝子を自在に正常遺伝子に置き換えるというような治療には程遠いというのが現実です。

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図83-8 ハイブリッドDNAの作成

 細菌は I、II 型とは異なるタイプの制限酵素ももっていて、むしろ III 型はより一般的なのかもしれません。III 型制限酵素はメチル化活性を持つ酵素ですが、エンドヌクレアーゼのサブユニットx2+DNAメチラーゼのサブユニットx2で構成されていて、I型のように塩基配列認識のためのサブユニットがないので、それぞれの酵素活性をもつサブユニットが認識していると思われます(16)。
 例えばサルモネラ菌の StyL TI は5’-CAGAG-3’ という塩基配列を認識します。III 型はこの認識部位でDNAを切断するのではなく、25-27bp下流(3’側)で切断します。DNA切断にはマグネシウムイオンとATP、メチル化にはマグネシウムイオンとS-アデノシルメチオニンが必要です。細菌とファージの戦いは熾烈で永遠です。このほかにも IV型、V型などの制限酵素がみつかっているようです(17)。
 ともあれ細菌の免疫機構という地味な研究の中で見つかった制限酵素を使うことによって、分子生物学が飛躍的な進歩をとげたことは奇跡的な幸運としか思えません。まさに目的指向的な研究だけをやっていては開かれない扉があることの証といえるでしょう。

 

参照

1)G. Bertani and J. J. Weigle., HOST CONTROLLED VARIATION IN BACTERIAL VIRUSES, J Bacteriol., vol. 65(2), pp.113-121. (1953)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC169650/
2)Luria SE. Host-induced modifications of viruses, Cold Spring Harb. Symp. Quant. Biol., vol.18, pp.237-244 (1953)
3)Daisy Dussoix,Werner Arber., Host specificity of DNA produced by Escherichia coli: II. Control over acceptance of DNA from infecting phage λ., Journal of Molecular Biology, Vol.5, Issue 1, pp.37-49 (1962)
http://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S002228366280059X?via%3Dihub
4)Werner Arber and Stuart Linn., DNA modification and restriction.,  Annual Review of Biochemistry., Vol.38, pp.467-500 (1969)
5)Matthew Meselson and Robert Yuan., DNA restriction enzyme from E.Coli., Nature 217, 1110-1114 (1968). doi:10.1038/2171110a0
https://www.nature.com/scitable/content/DNA-Restriction-Enzyme-from-E-coli-12388
6)Wil A. M. Loenen, David T. F. Dryden, Elisabeth A. Raleigh and Geoffrey G. Wilson., SURVEY AND SUMMARY  Type I restriction enzymes and their relatives.,  Nucleic Acids Research, Vol. 42, No. 1, pp. 20-44 (2014)
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7)https://en.wikipedia.org/wiki/Hamilton_O._Smith
8)Jane Gitschier, A Half-Century of Inspiration: An Interview with Hamilton Smith. PLoS Genetics vol. 8, pp. 1-5 (2012)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC3257296/pdf/pgen.1002466.pdf
9)Hamilton O. Smith and Kent W. Welcox., A Restriction enzyme from Hemophilus influenzae: I. Purification and general properties., Journal of Molecular Biology
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http://www.sciencedirect.com/science/article/pii/002228367090149X?via%3Dihub
10)The Daniel Nathans Papers.  Restriction Enzymes and the "New Genetics," 1970-1980. US National Library of Medicine., NIH
https://profiles.nlm.nih.gov/ps/retrieve/Narrative/PD/p-nid/325
11)The Nobel Prize in Physiology or Medicine 1978
http://www.nobelprize.org/nobel_prizes/medicine/laureates/1978/
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13)Thermo Fischer Scientific  制限酵素の基礎知識
https://www.thermofisher.com/jp/ja/home/life-science/cloning/cloning-learning-center/invitrogen-school-of-molecular-biology/molecular-cloning/restriction-enzymes/restriction-enzyme-basics.html
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https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/15770420
15)R.W.オールド、S.B.プリムローズ 「遺伝子操作の原理」 第5版 関口睦夫監訳 培風館 (2000)
16)Desirazu N. Rao, David T. F. Dryden and Shivakumara Bheemanaik., SURVEY AND SUMMARY Type III restriction-modification enzymes: a historical perspective., Nucleic Acids Research, Vol. 42, No. 1 pp. 45–55 (2014)  doi:10.1093/nar/gkt616
17)Wikipedia: Restriction enzyme,  https://en.wikipedia.org/wiki/Restriction_enzyme

 

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82.染色体 Ⅲ

   減数分裂がおこるときには、体細胞分裂ではおこらない不思議な染色体の行動が観察されます。それは相同染色体を探してペアを形成することです。それぞれの染色体は2nですから、このペアは4nの遺伝情報を持っていることになります(図82-1)。このペアリングのことを日本語では相同染色体対合、英語では homologous chromosome pairing といいます。ペアリングの後2回の細胞分裂が起こって、4個の細胞(遺伝情報はそれぞれn)が生まれ、精子あるいは卵子となります。図82-1はこの1回目の減数分裂と、通常の体細胞分裂を比較して示したものです。減数分裂の最初のステップで、染色体はどうやって相同染色体を探してペアリング(対合)するのでしょうか? 私はこの現象に関連する研究はやったことがありませんが、このことは学生時代からとても不思議で、いつも頭の片隅にひっかかっていました。

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図82-1 体細胞分裂と1回目の減数分裂の比較

 ペアリングがおこると染色分体同士がキアズマを形成して一部の遺伝情報を交換し、いわゆる染色体の組み換えを行うことが容易になるという利点があります(1、図82-2)。ただこのためだけにペアリングが行われるのかどうかはわかりません。その後の減数分裂の進行に必要なのかもしれません。
 減数分裂時の相同染色体ペアリングは、マウス・ショウジョウバエ・酵母・シロイヌナズナ・小麦・コメ・たまねぎなどさまざまな生物で確認されています(3)。不可解なのは、相同染色体のペアリングの前に非特異的な染色体のペアリングがみられることです。Obeso(オベソ)らはこれをペアリングと呼ぶのはおかしいということで、カップリングと呼んでいます(3)。

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図82-2 染色分体が遺伝情報を交換するための3つのステップ 染色体の対合 キアズマ形成 染色体の組み替え

 オベソらはカップリングからペアリングへの切り替えは、セントロメア近辺でおこるプログラムされたDNA損傷修復が引き金となっておこると述べています(3)。このことはカップルとなっている染色体を切り離すと言う意味があるかもしれません。しかしペアリングそのもののプロセスや染色体ペアの安定化はDNA損傷修復とは関係がないというのがコンセンサスになっています(4-5)。
 現在問題となっているのは、ペアリングがセントロメア主導なのか、短腕・長腕での相互作用が機能しているのかという非常にプリミティヴなことで、まだまだ解決にはほど遠い感じがします。ただZip1というタンパク質が関係していると言うことは昔から言われています(6、7)。Zip1を欠く突然変異体では、ペアリングは成功しません(8、9)。オベソらのモデルを図82-3に示しますが、これが正しいかどうかはわかりませんし、これはあくまでもペアリングした結果であって、どのような機構で染色体が正しいペアリングの相手をみつけたかはわかりません。

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図82-3 相同染色体対合に関する Obeso モデル

 非コードRNAが相同染色体の相互認識に寄与していることを報告した論文は注目すべきだと思います(10)。今後の研究の進展に期待したいところです。
 染色体というセクションの中で、もうひとつ述べておかなければならないことがあります。細菌や古細菌のDNAは環状であるのに対して、真核生物のDNA(クロマチン)は線状です。おそらく古細菌の中に線状のDNAを持つグループがいて、そのなかから真核生物が生まれたのではないでしょうか。現在ではその真核生物のルーツとおぼしきグループは絶滅したために、古細菌と真核生物のつながりがたどれなくなったと思われます。
 線状DNAのメリットあるいはアドバンテージが何であるかということはよくわかりません。ただ原核生物にも真核生物にも線状のプラスミドを持つ生物がいることが知られています(11)。おそらく最初に線状化したのはプラスミドで、そのメカニズムを利用して、本家のDNAを線状化することに成功したのでしょう。線状DNAは環状DNAと違って、積み木のパーツとして使うことができるというメリットがあるかもしれません。例えば(本家DNA)-(プラスミド)-(別個体のDNA)という風につなげば、2n分のDNAを1分子としてまとめることができます。
 メリットはともかくとして、線状DNAには大きなデメリットがあります。それは複製したDNAが短くなってしまうからです。どうしてそんなバカなことになるのでしょうか? それはやはり生物が歴史の産物だからです。DNAは創生以来ずっとプライマーRNAの3’OHを起点として複製されてきたので(12)、図82-4のように複製された新DNAの端にあるRNAプライマー(赤の点線)を除去したときに、線状DNAだと5’PのDNA末端をどうしようもないのです。地球上のどんなDNAポリメラーゼも5’P側からDNA鎖を延長することはできません。もしこれが環状DNAならば、ぐるっと一周した反対側に3’OHがあるので、そこからDNAを伸ばして連結できるのですが、線状だと何もないのでプライマーRNAの分だけDNA鎖が短くなってしまいます。

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図82-4 線状DNAだと複製するごとに短縮する

 それともうひとつの問題は、DNAに端が存在するとそこから核酸分解酵素(エクソヌクレアーゼ)にDNAがかじられて、さらに鎖長が短くなってしまうおそれがあるということです。メッセンジャーRNAのように一時的にしか存在しない核酸分子でさえも、端はキャップとポリAでブロックされています。
 この問題に最初に言及したのはハーマン・マラー(13)でした。マラーはX線によって生物に突然変異が発生することを発見し、それによって1946年にノーベル生理学医学賞を受賞しています。マラーはテロメアという言葉を発明し、染色体の逆位の研究などから染色体の末端が特別な構造になっていると予測しました。また動く遺伝子で後にノーベル賞を受賞したバーバラ・マクリントックも、染色体の端にはなんらかの先端キャップのような構造があることを指摘しました(14)。
 しかしテロメアの構造と合成酵素が解明されたのは1970年代後半からで、エリザベス・ブラックバーン、キャロライン(キャロル)・グライダー、ジャック・ショスタクの3人が、この功績で2009年にノーベル生理学医学賞を受賞しています。彼らは鋳型RNAをかかえこんでいる酵素テロメラーゼによって、その鋳型を使用して線状DNAの末端に特殊な繰り返し構造が作られることを解明しました(15-16、図82-5)。

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図82-5 テロメアの構造解明とテロメラーゼの発見

 なおテロメアの塩基配列は生物によって異なっています(図82-6)。初期はテトラヒメナ(繊毛虫)を用いた研究が多かったので、図82-5ではTTGGGGという塩基配列が採用されています。かなり異なる塩基配列を用いている生物もいますが、ヒト・アカパンカビ(Neurospora crassa)・モジホコリ(Physarum polycephalum)・トリパノソーマで共通(TTAGGG)、昆虫(TTAGG)や植物の一部(TTTAGGG)とも1塩基違いというのは、強く保存された塩基配列と言えます。

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図82-6 様々な生物におけるテロメアの塩基配列

 テロメア形成の方法は図82-5では簡単すぎるので、別に図85-7(17)を示して説明します。

1.複製終了後のDNA末端は5’末端のプライマーRNAが分解されて、その後を埋められず片鎖が短い状態です。

2.DNA末端にはテロメアに特異的な塩基配列があり、テロメラーゼは保有するRNAの相補的配列を利用してテロメアの末端に結合します。

3.テロメラーゼはテロメアDNA末端の3’OHと、自分が保有する鋳型RNAを使って、RNA-directed DNA polymerase 活性でテロメアを延長することができます。

4.2と3を繰り返すことによって、どんどんテロメアを延長します。したがってテロメアの塩基配列は同じ塩基配列がリピートした構造になります。

5.2~4の反応とは別に、テロメラーゼが保有するRNAの3’OH末端から、ギャップを埋め戻す反応をDNAポリメラーゼ(これはテロメラーゼではなく、DNA-directed DNA polymerase) を用いて行うことができます。この場合テロメラーゼのRNAはプライマーとして用いられます。

 おそらく最初にDNA末端と結合したテロメラーゼはテロメアを自分保有の鋳型分延長すると、鋳型だけ残してDNAから離れるのではないでしょうか。このときに逆方向のDNA埋め戻しが行われ、鋳型RNAが分解されてから再びテロメラーゼが結合すると考えると説明しやすく感じます。図82-7をみれば容易に理解できます。

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図82-7 テロメラーゼによるテロメア作成と延長の反応

 いずれにしても、このようにテロメラーゼがテロメアに結合することによって、テロメアの延長と短くなったDNAの修復が同時にできるので、これは素晴らしいメカニズムです。古細菌から真核生物に進化する過程で獲得された、このエンジニアが設計図を描いて制作したような巧妙な仕掛けに、私は茫然とするしかありません。
 テロメアはテロメラーゼの活性が強いか弱いかなどの影響で、長い細胞と短い細胞があります。生物種によっても違います。一般的に通常の体細胞は培養していると、50~70回細胞分裂を繰り返すと、分裂を停止します。図82-8(18)には分裂回数が省略して書いてありますが(実際には50~70回)、テロメラーゼの活性が無いか低くてテロメアが短くなってくると、安全装置のようなものが働いて細胞分裂が停止すると考えられています。一方生殖細胞・がん細胞などではテロメラーゼ活性が強く、細胞分裂を行ってもテロメアは短縮されにくいようです。

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図82-8 テロメアの長さ

 明らかにテロメアは細胞の寿命に関係していますが、テロメアを延長さえすれば細胞寿命が長くなると考えるのは早計です。実験用のマウスはヒトの数倍の長いテロメアを持っている上に、体細胞にもテロメラーゼの発現があることが知られています。しかしマウスの体細胞を培養すると、ヒトより早く分裂を停止しますし、そのときのテロメアは長いままです。だいたいマウスの寿命はヒトより30倍も短いので、テロメアが長ければ長生きできるというわけではありません。しかしテロメラーゼを欠損するマウスを作成すると、寿命が短縮されるというのもまた事実です。そしてこのようなマウスでテロメアを復活させると、若返りが実現します(19)。
 しかし生きるために必要な遺伝子の変異や欠損は寿命の短縮を招く可能性があるわけで、テロメラーゼの変異だけが寿命を短縮させるわけではありません。さらにテロメアの短縮以外にも老化の理由は存在するということで、それらを解明しない限り不老不死は実現できません。たとえばDNAの修復に欠陥があれば、老化は進むでしょう。ただテロメラーゼを活性化すれば、肌の若返りくらいは可能かもしれません。ビル・アンドリュースなど大まじめに取り組んでいる人々もいます(20)。

 

参照

1)Bruce Alberts et al., Essential Cell Biology 4th edn., pp.645-657, Garland Science (2014)
2)染色体とその組み換え 遺伝子博物館
https://www.nig.ac.jp/museum/history/06_d.html
3)David Obeso, Roberto J Pezza, and Dean Dawson, Couples, Pairs, and Clusters: Mechanisms and Implications of Centromere Associations in Meiosis., Chromosoma., vol.123, pp.43-55. (2014) doi:10.1007/s00412-013-0439-4.
4)Clarke L, Carbon J. Genomic substitutions of centromeres in Saccharomyces cerevisiae. Nature, vol.305, pp.23-28.(1983)
5)Bisig C.G.et al., Synaptonemal complex components persist at centromeres and are required for homologous centromere pairing in mouse spermatocytes. PLoS genetics. Published: June 28, 2012
http://journals.plos.org/plosgenetics/article?id=10.1371/journal.pgen.1002701
6)Sym M, Roeder GS. Zip1-induced changes in synaptonemal complex structure and polycomplexassembly. J Cell Biol., vol.128, pp.455-466.(1995) PMID: 7860625
7)Xiangyu Chen et al., Phosphorylation of the Synaptonemal Complex Protein Zip1 Regulates the Crossover/Noncrossover Decision during Yeast Meiosis. PLoS Biol 13(12): e1002329. doi:10.1371/journal.pbio.1002329
8)Gladstone MN, Obeso D, Chuong H, Dawson DS. The synaptonemal complex protein Zip1 promotes bi-orientation of centromeres at meiosis I. PLoS genetics. 2009; 5:e1000771.
9)Newnham L, Jordan P, Rockmill B, Roeder GS, Hoffmann E. The synaptonemal complex protein Zip1, promotes the segregation of nonexchange chromosomes at meiosis I. Proc Natl Acad Sci USA., vol.107, pp.781-785. (2010)
10)ライフサイエンス 新着論文レビュー 丁 大橋・平岡 泰 減数分裂前期の相同染色体の認識と対合に非コードRNAが関与する
http://first.lifesciencedb.jp/archives/5031
11)郡家徳郎, 徳永正雄 酵母線状DNAプラスミドとキラーシステム ウイルスとの接点 化学と生物 vol. 41, pp. 832-841 (2003)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/kagakutoseibutsu1962/41/12/41_12_832/_pdf
12)やぶにらみ生物論48 岡崎フラグメント
https://morph.way-nifty.com/grey/2016/11/post-7f79.html
13)Muller, H.J. The remaking of chromosomes. Collect. Net, vol. 13, pp. 181–195. (1938)
14)McClintock, B. The Association of Mutants with Homozygous Deficiencies in Zea Mays. Genetics, vol. 26, pp. 542–571. (1941)
15)The Nobel Prize in Physiology or Medicine 2009, Elizabeth H. Blackburn, Carol W. Greider and Jack W. Szostak., How chromosomes are protected by telomeres and the enzyme telomerase,  https://www.nobelprize.org/prizes/medicine/2009/press-release/
16)中山潤一 解説 2009年ノーベル賞を読み解く 生理学医学賞 細胞のがん化・老化にかかわるテロメアとは? 
http://www.nsc.nagoya-cu.ac.jp/~jnakayam/_src/sc734/pubj12.pdf
17)Wikipedia: Telomerase,  https://en.wikipedia.org/wiki/Telomerase
18)Wikipedia: Telomere, https://en.wikipedia.org/wiki/Telomere
19)Mariela Jaskelioff et al., Telomerase reactivation reverses tissue degeneration in aged telomerase deficient mice., Nature, vol. 469(7328): pp. 102–106 (2011)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC3057569/
http://www.med.keio.ac.jp/gcoe-stemcell/treatise/2011/20110725_02.html
20)https://テロメア.com/

 

 

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81.染色体 Ⅱ

 再確認となりますが、一般的に真核生物のDNAは核内においてタンパク質との複合体である「クロマチン(Chromatin)」の状態で存在します。その構成単位はヌクレオソーム(Nucleosome)と呼ばれ、4種類のヒストン(Histone)、すなわちヒストンH2A、ヒストンH2B、ヒストンH3、ヒストンH4それぞれ2つずつのタンパク質分子から成る8量体のコア・ヒストンに、DNA が巻きついた構造を取ります。ヒストンH1はコア・ヒストンには含まれず、リンカー・ヒストンと呼ばれ、ヌクレオソーム内のDNAを安定化する役割があります。
 細胞が分裂するM期においては、クロマチンは極端に凝縮した染色体という構造をとります(図81-1A)。このような状態では転写やDNA複製のための複合体はDNAにアクセスできないため、DNAの情報の読み取りという観点から言えば、染色体は極めて不活性な状態にあります。一方未分化な状態の細胞、たとえば卵割期の細胞や幹細胞などでは、様々なDNAの情報が読み取り可能で、ヌクレオソームとヌクレオソームの間に広い間隙が存在します(図81-1C)。
 そして最も一般的な核の状態は、図80-1Bのように一部はヘテロクロマチンを形成して核膜の裏側に結合して不活性な状態にあり、一部は核内で流動的な状態で、図80-1Cと同様ヌクレオソーム間に広い間隙が存在するユークロマチンとなっている状況です。この状態では一部のクロマチンでのみ転写が可能になっています。分化というのは特定の遺伝子しか転写されないというのとほぼ同義なので、図80-1Bの状態は合理的です。分化した細胞は通常細胞分裂しないか、しても通常は長い間隔をおいて分裂するという状態です。どのようなメカニズムでヘテロクロマチンが核膜の内側に結合するかは現在活発に研究が行われています(1)。

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図81-1 核の3状態 A.M期 B.通常 C.卵割期など

 ヌクレオソームを構成する4種のヒストン(コアヒストン)は、そのポリペプチド鎖がC末からN末まできっちりヌクレオソーム内に収納されているわけではなく、一部は「しっぽ」のようにヌクレオソーム外にはみ出しています(図81-2)。ヌクレオソームはポリペプチド鎖が折りたたまれた上に、まわりにDNAが巻き付いているので、アミノ酸を修飾する酵素が非常にアクセスしにくい状態であるのに比べ、ヌクレオソーム外にはみ出している「しっぽ」部分は修飾酵素が容易にアプローチできそうです。実際図81-2に示すような、様々な修飾が行われていることがわかっています。

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図81-2 コアヒストン分子の化学修飾

 ヒストンの「しっぽ」がどのように修飾されるかによって、クロマチンの存在状態、DNA複製のタイミング、アクセスできる転写複合体などが選別されます。つまりDNAやクロマチンにアクセスしたいタンパク質群は、ヒストンの状況によって許可・却下が決まることから、そのヒストンの修飾状況を「ヒストンコード」と呼ぶことがあります(2)。翻訳すると意味不明になる恐れがあるので、提唱者の定義のままに記すと 「We propose that distinct histone modifications, on one or more tails, act sequentially or in combination to form a 'histone code' that is, read by other proteins to bring about distinct downstream events」 とのことです。
 ではそれぞれの修飾について個別に見ていきましょう。まずメチル化ですが、メチル化されるアミノ酸残基はリジンとアルギニンです。リジンの場合 mono, di, tri と3種類の修飾が存在します(図81-3)。アルギニンの場合メチル基が3つ付くことはありませんが、やはりmono, di(asymmetric), di(symmetric) の3種類の修飾があります。メチル基を供給するのはSアデノシルメチオニンで、転移酵素によってヒストンに転移します(図81-3)。ヒストンからメチル基をはずす酵素(ヒストンデメチラーゼ)も知られています(3)。ヒストンのメチル化はクロマチンの凝集や転写の活性化および不活性化を制御します。DNAの修復と複製の制御も行います(4)。また性決定にも関与しています(3)。X染色体の不活化の際には、DNAだけではなくヒストンH3がメチル化されていることが知られています(5)。
 X染色体の不活化はすべての細胞で同じ染色体が不活化されるのではなく、細胞によって対立遺伝子が乗っているX染色体が不活化される場合もあるので、三毛猫のような細胞によってフェオメラニンが発現したり、ユーメラニンが発現したりするような個体が現れます。雄では通常X染色体はひとつなので三毛猫は生まれません。ヒストンのメチル化もDNAのメチル化とリンクしていると思われます。

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図81-3 ヒストンのメチル化

 アルギニンの脱イミノ化反応(シトルリン化)は尿素回路などでもおなじみですが、ヒストンのアルギニン残基の脱イミノ化は核移行シグナルを持つPAD4(Peptidylarginine deiminase 4)によって実行されます(図81-4)。この化学修飾はヒストンのメチル化と転写制御に関して拮抗的に働くことがあるようです(6、7)。またこの修飾が著しく進むと、クロマチンの脱凝縮が行われることが示唆されています(8)。自己免疫疾患が持つ患者の抗体が、脱イミノ化されたタンパク質を攻撃することが知られています(6、9)。

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図81-4 ヒストンのアルギニン残基のシトルリン化(脱イミノ化)

 ヒストンのアセチル化は、ヒストンの修飾のなかでもメジャーなものです。図81-2にみられるように、コアヒストン(H2A、H2B、H3、H4)のしっぽには、いずれも多くのリジン残基が存在しますが、ほとんどは側鎖のアセチル化(図81-5)が可能です。アセチル基を供給するのはアセチルCoAです(図81-5)。ヒストンアセチル化酵素(HAT)の作用によって、アセチル化が進行するとヒストンの塩基性が失われ、一般にDNAのリン酸との結合が弱くなってヒストンとDNAが解離し、転写が活性化されます。逆にヒストン脱アセチル化酵素(HDAC)の作用によって、ユークロマチンはヘテロクロマチンに移行し、転写は抑制されます(10-11、図81-5、図81-6)。

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図81-5 ヒストンのアセチル化

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図81-6 ヒストンのアセチル化とクロマチンの状態

 ヒストンのリン酸化は、セリン・スレオニン・チロシン残基の側鎖OHがヒストンキナーゼでリン酸化されることによって行われます(図81-7)。ヒストンH3のN末から10番目のセリンのリン酸化がM期における染色体凝縮にかかわっていることが知られています(12-13)。またDNAがダメージを受けた際にヒストンH2Aなどのリン酸化がおこり、このことがDNA修復開始のシグナルになると言われています(13)。単純に考えるとヒストンのリン酸化はヒストンの塩基性を消滅させる方向の変化なので、ヒストンとDNAの結合を弱めます。例えばDNAの修復システムがアクセスするには有効かもしれませんが、染色体凝縮にどのようにかかわっているかは謎です。
 最近ではヒストンのリン酸化が転写の制御に関わっているとか、ヒストンアセチル化・メチル化などのカスケードの起点になっているとかの報告もあるようです(13)。またH2AのバリアントであるH2AXのリン酸化がアポトーシスに関与しているとの報告もあります(14)。

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図81-7 ヒストンのリン酸化

 最近注目されているヒストンの修飾反応にポリADPリボシル化があります。シャンボンらによって1966年に発見されましたが、その後京都大学の上田国寛のグループと国立がんセンターの三輪正直のグループを中心に、わが国において反応の全体像が明らかにされました(図81-8)。

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図81-8 上田国寛と三輪正直

 この反応はNAD+を基質としてタンパク質のグルタミン酸あるいはアスパラギン酸側鎖のカルボキシル基に、NAD+からニコチン酸アミドを切り離してADP-リボースを結合し、さらに次々とADPリボースを添加してポリマーを形成するものです(15、図81-9)。ヒストンもその主要なターゲットになります(16-17)。反応はポリADPリボースポリメラーゼ(PARP)によって行われますが、別に分解酵素も存在するので、他のヒストン修飾と同様結果的に反応は可逆です。

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図81-9 ヒストンのポリADPリボシル化

 このほかにもヒストンの化学修飾にはユビキチン化(19)などが知られています。

 

参照

1)Jennifer C Harr, Adriana Gonzalez-Sandoval, & Susan M Gasser, Histones and histone modifications in perinuclear chromatin anchoring: from yeast to man.
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http://embor.embopress.org/content/early/2016/01/20/embr.201541809
2)Strahl BD1, Allis CD., The language of covalent histone modifications., Nature., vol. 403 (6765), pp. 41-45., (2000)
http://www.gs.washington.edu/academics/courses/braun/55105/readings/strahl.pdf
3)S Kuroki, S Matoba, M Akiyoshi, Y Matsumura, H Miyachi, et al., Epigenetic Regulation of Mouse Sex Determination by the Histone Demethylase Jmjd1a., Science vol. 341 (6150): pp. 1106-1109. doi:10.1126/science.1239864. (2013)
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6)有田恭平他 ヒストン修飾酵素 Peptidylarginine deiminase 4 (PAD4) の活性化とヒストン認識 PF NEWS vol. 42, no.2, pp. 16-22 (2006)
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https://en.wikipedia.org/wiki/Poly_(ADP-ribose)_polymerase
16)Morioka K., Tanaka K., Ono T., Poly(ADP-ribose) and differentiation of Friend leukemia cells.,  J. Biochem., vol. 88, pp. 517-524 (1980)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/biochemistry1922/88/2/88_2_517/_pdf
17)Morioka K., Tanaka K., Ono T., Acceptors of poly(ADP-ribosylation) in differentiation inducer-treated and untreated Friend erythroleukemia cells., Biochimica et Biophysica Acta (BBA) - Gene Structure and Expression, Vol. 699, Issue 3, pp. 255-263 (1982)
http://www.sciencedirect.com/science/article/pii/0167478182901154
18)Rebecca Gupte, Ziying Liu, and W. Lee Kraus., PARPs and ADP-ribosylation: recentadvances linking molecular functionsto biological outcomes., GENES & DEVELOPMENT vol. 3, pp. 101–126 (2017)
http://genesdev.cshlp.org/content/31/2/101
19)伊藤敬 ヒストンH2A のユビキチン化と遺伝子転写抑制 生化学 第82巻第3号,pp.232-236,(2010)
http://www.jbsoc.or.jp/seika/wp-content/uploads/2013/10/82-03-08.pdf#search=%27%E3%83%92%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%B3%E3%81%AE%E3%83%A6%E3%83%93%E3%82%AD%E3%83%81%E3%83%B3%E5%8C%96%27

 

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80.染色体 I

 ほとんどの細胞は膨大な情報を持つ生命の糸=DNAをそれぞれ抱え込んでいます。これはPCで言えばハードディスクのようなものであり、PCなら外付けもできますが、細胞はそういうわけにはいきません。これはもともと生物は単細胞であったということに起因しています。生物は進化がつくったものであり、過去の蓄積の上に現在があるということからは逃れられません。私達多細胞生物も元はと言えば単細胞生物であり、生涯の一時期ではありますが、精子や卵子の間はいまでも単細胞生物であった歴史を再現しています。
 DNAの長さはヒトの場合細胞当たり2mくらいで、これはさまざまな生物の中で、とびきり長いとも言えないくらいの長さです。それでもある計算では、バスケットボールに髪の毛くらいの太さのひもが100kmぶんくらい入っているくらいの感じだそうです(1)。大腸菌ですら細胞の長さの200倍のDNAを抱え込んでいるので、いかにしてこのDNAをコンパクトに収納するかというのは何十億年も前から生物の重要な課題のひとつであったはずです。
 細菌には核膜はありませんが、DNAは裸ではなく数多くのタンパク質によって被われていて、真核生物と同様クロマチンのような構造を形成しています。それは昔からヌクレオイド(核様体)として知られていましたが、その実体はよくわかっていなくて、ようやく20世紀の終盤に研究が進み始めました(2)。DNAをコンパクトに収納するだけでなく、遺伝子の発現やDNAの複製などに応じて適切にリモデリングも行うことが明らかになりました(3)。とはいっても細菌のヌクレオイドが真核生物と同様、ヌクレオソームのような構造をとっているかどうかはわかっていません。
 そんななかで理研の研究グループは古細菌のAlba2 というタンパク質がDNAを包み込むパイプのような構造をとっていることを解明し、業界を驚かせました(図80-1、4-5)。ただこの論文を読むと、要旨はもちろん、イントロでも全く細菌のクロマチンには言及しておらず、議論もしていません。細菌についてはまだよくわかっていないのでしょう・

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図80-1 好気性超好熱古細菌のクロマチン

 細菌・古細菌にくらべて、真核生物のクロマチンおよび染色体ははるかに詳しく研究されています。DNAは通常ヒストンなどのタンパク質と共にクロマチンを形成して存在しているわけですが、細胞分裂する場合、一時的に凝縮して棒状の構造になります。これを染色体(クロモソーム=chromosome)といいます。染色体を発見したのはネーゲリとされています(6)。クロモソーム(ドイツ語なので chromosomen : 常に複数あるので複数を用語とした)という言葉をはじめて使ったのは Heinrich Wilhelm Gottfried von Waldeyer-Hartz (ハインリッヒ・ウィルヘルム・ワルダイエル、図80-2)です(7)。彼は解剖学者で、いまでもワルダイエル咽頭輪などにその名を残しています。中西宥によると、これを染色体と訳したのは石川千代松(図80-2)だそうです(8)。
 染色体=クロモソームの定義が明確なのに対して、「クロマチン」はあまり明確ではありません。もともとは「細胞核内の染色されやすい物質」として定義されたのですが、ウィキペディアを引用すると「その後の研究の発展と共にクロマチンという語のもつ意味合いは変わってきた。クロマチンに含まれるDNAが遺伝情報の担体であると認識されてからは、その貯蔵形態としての役割が強調されてきたが、最近では、遺伝子の発現・複製・分離・修復等、DNAが関わるあらゆる機能の制御に積極的な役割を果たしていると考えられるようになってきた」となっています(9)。染色体は有糸分裂期にクロマチンがとる特殊な形態と理解されています。

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図80-2 クロモソーム・染色体の発見と命名にかかわった人物

 ワルダイエルは染色体の研究を本格的に行ったわけではありませんが、石川千代松は染色体研究の草分けのひとりで(もちろんわが国では初)、アウグスト・ワイスマンの研究室に留学して、共著でエビの染色体の論文を執筆したほか、帰国後にネギの染色体についても研究しています。世界ではじめて染色体の図を描いたのは、あのメンデルの論文を全く評価せず闇に葬ったことで有名なドイツの遺伝学者カール・ネーゲリ(図80-2)で、1842年の論文にその図が掲載されています(7-8)。
 染色体研究の次のエポックはもちろんサットンの染色体説です。これについてはすでに私も紹介しています(6)。サットンの1902年と1903年の論文によって、染色体が遺伝因子の担体であることが明らかになり、さらにモーガンらによって遺伝子は染色体上に直線的に配置されているということが証明されました(10-11)。
 染色体を光学顕微鏡で観察する方法はいろいろありますが、現在でもヒトの細胞の標本からきっちり46本の染色体を識別すること(カリオタイピング)は難しい作業です。実際19世紀から20世紀の中盤まで、ヒトの染色体の数・性決定染色体については長い論争があり、最終的に チョー(Joe Hin Tjio 1919-2001)と Albert Levan が1956年の論文で46本で性染色体はXY型であることを確定しました(12)。仕事はスウェーデンで行われましたが、チョーはインドネシア人です。彼はスペインのサラゴサで仕事をしていたのですが、たまたま夏休みに訪れたスウェーデンのレヴァンの研究室で、短期間にこの仕事を成し遂げたわけです(13)。図80-3にヒト染色体を示します。

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図80-3 ヒト染色体の顕微鏡写真とカリオタイプ

 分裂する細胞はS→G2→M→G1→Sという細胞周期のサイクルを繰り返しますが、光学顕微鏡による観察ではM期(分裂期)にしか染色体はみつかりません。もはや分裂しない終末分化した細胞や静止期の細胞では観察できません。M期以外の染色体というよりクロマチンといった方が正確ですが、その構造が観察できるようになったのは電子顕微鏡の技術が発達した後になります。
 DNAはすでにS期に倍化されていますが、細胞分裂の際にはその遺伝情報を均等に娘細胞に分配しなければなりません。M期にはDNAは染色体という著しく凝縮した構造体にたたみ込まれ、それぞれの娘細胞に分配されるべく2分されます。その片方を染色分体と呼びます。2つの染色分体は一ヶ所で結合されていて、勝手に分離しないようになっています。その結合部位をセントロメアと呼びます。セントロメアと言っても染色体の中央にあるわけではなく、さまざまな場所にあります。セントロメアからクロマチンの端までの距離が短い部分を短腕、長い部分を長腕と呼びます(図80-4)。

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図80-4 染色体のパーツの名前

 M期にはセントロメアに多くのタンパク質が集積されて動原体(キネトコア)という構造が形成され、染色分体の分離や紡錘糸(チューブリン線維=微小管)との結合などが行われます(図80-5)。M期の中期にはきちんと紡錘体が形成され、それぞれの染色体が紡錘糸と結合して細胞中央に整列している=細胞分裂の準備が整っていることがチェックされ、OKであれば、動原体にあるコヒーシンによって結合されていた染色分体が、プロテアーゼによるコヒーシン切断によって分離し、それぞれ娘細胞に運ばれます。

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図80-5 体細胞分裂時の染色体の挙動  Mitotic checkpoint: 細胞分裂の準備が整っているかどうかチェックする

 クロマチンにはさまざまな構成要素がありますが、もちろん主成分はDNAとヒストンです。ヒストンはすでに1884年にアルブレヒト・コッセル(図80-6)によって発見されていましたが、その機能は永年謎でした(14)。1973年に至って、Hewish と Burgoyne は裸のDNAを分解酵素で処理すると不規則に分解されていくのに対して、クロマチンのDNAは一定のサイズに分解されることを示しました(15、図80-6)。このことはクロマチンがサブユニットから成り立っていることを示唆します。そのサブユニットの存在は Olins 夫妻(16、図80-6)が電子顕微鏡を用いて証明しました。

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図80-6 ヒストンとヌクレオソーム構造の発見者

 現在ではH2A・H2B・H3・H4というヒストンが各2分子づつ、計8つの分子がヌクレオソームという糸巻きのような構造を形成し、DNAはそれをひとつにつき1.75回転しながらその構造体の外側に巻き付いていることがわかっています(図80-7)。

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図80-7 ヌクレオソームの構造

 ヒストンにはもうひとつH1というグループがあり、これはヌクレオソーム内には存在していません。DNAがヌクレオソームに巻き付く際には出口と入口があるわけですが、その両方の位置でクリップのようにDNAを固定しているようです(17、図80-8)。ヒトやマウスの場合、ヒストンH1に属するグループの遺伝子は11個知られており、6個は細胞が増殖する際に発現し、残りは細胞増殖とはあまり関係がないとされています(18)。それぞれ少しづつ構造が異なっており、同じ機能または別々の機能を持つと考えられます。系統樹の上の種ほど多くのバリアントがあるとは限りません(図80-8)。

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図80-8 ヒストンH1

 ヌクレオソームがたがいに近接した位置にあり、さらに高次構造を作っているような場合、ヌクレオソーム間にあるDNAに転写複合体がアクセスできるようなスペースがありません。したがってクロマチンは不活性な状態になります。このようなクロマチンをヘテロクロマチンと呼びます。一方ヌクレオソーム間にある程度のスペースがある場合、転写複合体がDNAにアクセスして pre-mRNA を転写することができます。このような状態にあるクロマチンをユークロマチンと呼びます(図80-9)。凝縮したヘテロクロマチンをほどいてユークロマチンに変化させることをクロマチンリモデリングといい、このプロセスではATPを加水分解してそのエネルギーが使われます(19-20、 図80-9)。

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図80-9 クロマチン凝縮とリモデリング

 DNAがもっともコンパクトに折りたたまれるのは細胞増殖のM期で、染色体を形成するときです。このときヒト細胞に含まれる染色体の全長は230µmとなり、2mの長さのDNAがこのサイズに折りたたまれていることになります。これは約8700分の1の長さに、非常にコンパクトに折りたたまれたということであり、そのメカニズムや構造の全貌はあきらかになっていませんが、コンデンシンというタンパク質複合体が関与すると言われています。コンデンシンはATPアーゼ活性を持っており、ATPを加水分解して生じるエネルギーを使って作業を進めています。またヒストンの化学修飾がキーポイントであるようです(20-22、図80-10)。Nucleoplasmin, Nap1, FACT, topoisomerase II (topo II), condensin I の5種の因子とコアヒストンを用いて、染色体凝縮に成功したという報告があります(23)。
 どうしてそこまでして複雑で大規模な染色体凝縮という作業を行わなければならないか、その理由はいろいろあると思いますが、細胞分裂を行った時にはDNAを2つの細胞に分けなければいけないのですが、その際にDNAがちぎれてしまわないように力学的強度を与える必要があるというのは、説得力のあるひとつの理由です(20)。

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図89-10 DNAを折りたたむ

 

参照

1)アルブリの部屋 DNA分子の長さ (2010)
https://thompsons.exblog.jp/12917630/
2)Karl Drlica and Josette Rouviere-Yaniv., Histonelike Proteins of Bacteria, MICROBIOIOGICAL REVIEWS,vol.51(3), 301-319 (1987)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC373113/pdf/microrev00050-0009.pdf
3)Martin Thanbichler, Sherry C Wong, Lucy Shapiro., The Bacterial Nucleoid: A Highly Organized and Dynamic Structure., J. Cellular Biochemistry vol.96, pp. 506-521 (2005)
http://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1002/jcb.20519/epdf
4)理研 プレスリリース 原始的な生命の染色体立体構造を初めて解明
-パイプ型タンパク質が保護する遺伝情報- (2012)
https://www.riken.jp/press/2012/20120224_3/
5)Tomoyuki Tanaka, Sivaraman Padavattan, and Thirumananseri Kumarevel., Crystal Structure of Archaeal Chromatin Protein Alba2-Double-stranded DNA Complex from Aeropyrum pernix K1. The Journal of Biological Chemistry, Vol. 287, No.13, pp.10394-10402, (2012)
6)ウィキペディア: 染色体
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%93%E8%89%B2%E4%BD%93
7)Heinrich Wilhelm Gottfried von Waldeyer-Hartz., Über Karyokinese und ihre Beziehungen zu den Befruchtungsvorgängen. Archiv für mikroskopische Anatomie und Entwicklungsmechanik, vol. 32: pp. 1–122. (1888)
8)中西宥 「染色体の研究」 UP Biology シリーズ 東京大学出版会 (1981)
9)ウィキペディア: クロマチン
10)やぶにらみ生物論37:染色体説
https://morph.way-nifty.com/grey/2016/10/post-6236.html
11)ウィキペディア: トーマス・ハント・モーガン
12)Joe Hin Tjio and Albert Levan, The chromosome number of man., Hereditas,  vol. 42, pp. 1-6 (1956)
13)Wikipedia: Joe Hin Tjio,  https://en.wikipedia.org/wiki/Joe_Hin_Tjio
14)網代廣三 ヌクレオソーム発見25周年 蛋白質 核酸 酵素 vol. 45, pp. 721-726  (2000)
http://lifesciencedb.jp/dbsearch/Literature/get_pne_cgpdf.php?year=2000&number=4505&file=BXGPLUSbCJM6Y15Uh4jxPLUSAbLA==
15)D.R. Hewish and L. A. Burgoyne, Chromatin sub-structure. The digestion of chromatin DNA at regularly spaced sites by a nuclear deoxyribonuclease.  Biochem Biophys Res Commun, vol. 52, pp. 504-510 (1973)
16)Olins AL, Olins DE (1974). “Spheroid chromatin units (v bodies)”. Science 183: 330-332. PMID 4128918.
17)Wikipedia: Histone H1,  https://en.wikipedia.org/wiki/Histone_H1
18)Wikipedia: Linker histone H1variants,
https://en.wikipedia.org/wiki/Linker_histone_H1_variants
19)Wkikipedia: Chromatin remodeling,  https://en.wikipedia.org/wiki/Chromatin_remodeling
20)Wikipathologia: chromatin remodeling factor クロマチンリモデリング因子
http://www.ft-patho.net/index.php?chromatin%20remodeling%20factor%20%A5%AF%A5%ED%A5%DE%A5%C1%A5%F3%A5%EA%A5%E2%A5%C7%A5%EA%A5%F3%A5%B0%B0%F8%BB%D2
21)ウィキペディア: 染色体凝縮
22)Bryan J. Wilkins et al., A Cascade of Histone Modifications Induces Chromatin Condensation in Mitosis., Science  Vol. 343, Issue 6166, pp. 77-80 (2014)
doi: 10.1126/science.1244508
http://science.sciencemag.org/content/343/6166/77
23)Shintomi K, Takahashi TS, Hirano T, Reconstitution of mitotic chromatids with a minimum set of purified factors. Nature Cell Biol., vol. 17(8): pp. 1014-23 (2015)
doi: 10.1038/ncb3187
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/26075356

 

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2020年1月23日 (木)

79.核膜

 生きとし生けるものを最もおおざっぱに分類するとすれば、現代生物学ではその生物の細胞に核膜があるか、ないか、で2つに分けるということになります。フランスの海洋生物学者エドゥアール・シャトン(図79-1)は1925年に前者を Eukaryote(真核生物)、 後者を Prokaryote (原核生物)と名付けました(1-2)。この考え方は後に彼の友人アンドレ・ルウォフと、カナダの微生物学者ロジェ・スタニエ(図79-1)によって、電子顕微鏡による観察を基盤とした洗練された形で発表され、現在の分類学の基本となりました(3)。

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図79-1 真核生物と原核生物の概念をつくった研究者達

 真核生物にとって、核膜は必須のツールです。たとえば私達の遺伝子はたいてい分断されており、転写の際には、まず分断されている部分(イントロン)もまとめてPre-mRNAがつくられ、それがスプライシングをうけてmRNAがつくられます(4)。核膜がなければPre-mRNAにリボソームがとりついて、意味のないタンパク質がどんどん合成されるという悲惨な状況になるかもしれません。核膜があれば、リボソームは核内に侵入できません。プロセッシングが終了した正規の mRNA に加工されてから順に核の外に出して、正確なタンパク質合成を行うことができます。細菌では大部分の遺伝子は分断されていないので、RNAに転写されると直ちにリボソームがとりついてタンパク質が合成されても問題ありません。
 しかし進化という観点から言えば、分断された遺伝子から正しいタンパク質を製造するために核膜が形成されたかというと、それはないだろうと思われます。多くの場合遺伝子が分断された個体は死んで生物の歴史から排除されたであろうからです。むしろ核膜が形成されたために、遺伝子の分断が許容されたと考えるべきでしょう。細菌にも分断された遺伝子が全くないわけではなく、それらは特殊な形をしていてリボソームが単純には仕事ができないようになっていると思われますが、特殊化というのは往々にして進化の障害となります。
 このようなことを考えると、真核生物の核膜には進化の当初から核膜孔が存在していたと思われます。核膜孔の存在をはじめて示したのはカランとトムリンとされています(5)。R.W.メリアムはカエルの卵母細胞を電子顕微鏡で観察することによって、核膜に多数の孔のようなものが見えることを報告しました。1962年のことです(6)。メリアムの論文の General discussion というセクションには初期の核膜孔の研究状況が詳しく記してあります。
 核膜孔複合体(NPC=nuclear pore complex)に対する蛍光抗体を作成して、図79-2の赤で示したのが核膜孔複合体(NPC)です。NPCは一定の間隔で並んでいるのではなく、ほぼランダムに配置されています。緑色は「細胞骨格3」(7)に登場したラミンを示します。ラミンは核膜の裏側にびっしりと張り付いています。核膜の構造を強化するには有用でしょう。染色体は多くの場合核膜の内側に接するように存在します(図79-2)。ひとつの核にいくつNPCがあるかというと、参照文献(8)によれば酵母で200、増殖中のヒト細胞で2000~5000、アフリカツメガエルの卵母細胞で5000万とされています。細胞のサイズ・種類・状態によって、大きくその数は異なります。

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図79-2 核膜における核膜孔複合体の配置、および核膜の裏打ちとなるラミンBの可視化(蛍光抗体による)

 哺乳類の核膜孔複合体(nuclear pore complex=NPC)全体のサイズは直径1200nmと非常に大きいものですが、開いている孔そのものの内径は5~10nmくらいの小さなものです。哺乳類NPCの分子量は124メガダルトン(1億2400万ダルトン)という巨大なもので、30種類くらいのタンパク質(ヌクレオポリン=Nup)のそれぞれマルチコピー(総数500~1000分子)によって構成されています。その全体像は図3のようになります。孔の周りに分厚いリング状の構造物があり、核の内部と外部では形態が異なります。このようなおおざっぱな形態は各種の生物でほとんど同じです。
 NPCの詳細な構造は参照文献(8)や(9)をみるとよくわかります。NPCを構成するタンパク質複合体は次の6つのグループに分類されています。

1:通常の核膜とNPCの境目にあって、NPC形成の基盤となる膜タンパク質
2:膜並置ヌクレオポリン
3:アダプターヌクレオポリン
4:チャネルヌクレオポリン
5:核バスケットヌクレオポリン
6:細胞質側フィラメントヌクレオポリン。

 それぞれのグループの位置関係は図79-3に示します。

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図79-3 核膜孔複合体の構造

 NPCについてひとつの困った問題は、細胞分裂の際に染色体が分離してから分裂が完了するまでの間核膜がなくなり、NPCも崩壊してしまうということです。これは細胞質に形成された紡錘糸が染色体にコンタクトするためには、核膜がじゃまになるからです。したがって図79-4に示すように、M期(細胞分裂期)のはじめに核膜は崩壊し、おわりに再構築されます。そのため核膜に付属する核膜孔も細胞分裂のたびにいったん崩壊し、再構築されなければなりません。数万個以上の分子を正しく集合させて巨大なNPCをつくるわけですから大変な作業であり、その全貌は現在も明らかではありません。

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図79-4 細胞周期と核・核膜孔の消長

 NPCを分子が通過する機構は核内への移行と核外への移行で異なります。まず核内への移行には積荷となるタンパク質が核移行シグナル(NLS=nuclear localization signal)をもっていることが重要で、これに kap α (インポーチン)が結合し、さらに kap β(エクスポーチン)が結合して通過複合体を形成することによって、核膜孔を通過することができます。
 通過後核内のRan-GTPと 通過複合体の kap β が結合することによって通過複合体は解離し、核内移行が完了します。Ran-GTPと結合した kap β は再び核膜孔を通過し細胞質に移行します。このときRan-GTPはRan-GDPとなって、エネルギーを消費します(8、図79-5)。

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図79-5 核膜孔を通って、細胞質から核内に移行する機構

 核外への移行はタンパク質だけでなく各種RNAも輸送しなければならないので、核内への移行とくらべて積荷の種類が多くてはるかに複雑です。積荷がタンパク質だった場合、核外移行シグナルを持っていれば、kap β が認識して「積荷-kap β-Ran-GTP」複合体が形成され、核外に移行できます(図79-6)。核外移行の際Ran-GTPはRan-GDPとなって、エネルギーを消費します。tRNAも kap β が認識して結合し同様に核外に輸送されます(8)。
 rRNAやmRNAも核外に輸送する必要がありますが、mRNAはアダプタータンパク質などを用いた独自の複合体を形成して輸送されます(9)。rRNAも特殊な方法で輸送されるようですが、基本的にはリボソームのサブユニットとしてタンパク質と結合した状態で輸送されるので、タンパク質の核外移行シグナルを使って kap β の輸送システムを利用します(10)。発展途上分野なので詳述はいたしません。興味ある方は、文献9、10などを参考にして下さい。
 核膜孔移行に用いられるタンパク質はカリオフェリンまたはトランスポーチンと呼ばれています。ただ kap β (カリオフェリンβ)は核内移行にも関与しているので、エクスポーチンという名前はふさわしくないと思いますが、普通に使われているようです。

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図79-6 タンパク質やtRNAの核外輸送システム

 核膜の内側はラミンという細胞骨格タンパク質が主体となっている核ラミナという網目構造によって裏打ちされています。核ラミナはさまざまなタンパク質と結合しており、たとえばネスプリンという膜貫通タンパク質は細胞質のアクチンフィラメントや中間径フィラメントと接続することが可能で(11)、核が細胞内をピンボールのように自由に動かないように係留することができます。また核ラミナは染色体と結合して、染色体を核膜の内側に係留することができます(図79-7)。

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図79-7 核ラミナ

 

参照

1)Chatton E. Pansporella perplexa: Reflexions sur la biologie et la
phylogenie des protozoaires. Ann Sci Nat Zool vol.8:pp.5-84 (1925)
2)Soyer-Gobillard MO. Scientific research at the Laboratoire Arago (Banyuls, France) in the twentieth Century: Edouard Chatton, the“master”, and Andre Lwoff, the “pupil”. Int Microbiol vol.5:pp.37-42 (2002)
3)Stanier R, Lwoff A. Le concept de microbe de Pasteur a nos jours.
La Nouvelle Presse Medicale vol.2:pp.1191-1198 (1973)
4)https://morph.way-nifty.com/grey/2016/12/post-b88f.html
5)Callan H. G., Tomlin S. G. Experimental studies on amphibian oocyte nuclei. I. Investigation of the structure of the nuclear membrane by means of the electron microscope. Proc. R. Soc. B vol. 137, pp. 367–378 (1950)  10.1098/rspb.1950.0047
6)R.W. Merriam, Some dynamic aspects of the nuclear envelope., J. Cell Biol., vol.12, pp. 79-90 (1962)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC2106017/pdf/79.pdf
7)「細胞骨格3」https://morph.way-nifty.com/lecture/2017/06/post-8a89.html
8)橋爪智恵子,Richard W. Wong、 核膜孔複合体の構造と機能、生化学 vol.83(10), pp. 957-965 (2011)
http://www.jbsoc.or.jp/seika/wp-content/uploads/2013/05/83-10-09.pdf#search=%27%E6%A0%B8%E8%86%9C%E8%A4%87%E5%90%88%E4%BD%93+%EF%BC%AE%EF%BD%95%EF%BD%90%EF%BD%93%27
9)片平じゅん、mRNA核外輸送複合体の形成機構 生化学 vol. 87(1): pp. 75-81 (2015)
https://seikagaku.jbsoc.or.jp/10.14952/SEIKAGAKU.2015.870075/data/index.html
10)松尾芳隆、核外輸送の過程におけるリボソームの品質管理の機構、ライフサイエンス 新着論文レビュー DOI: 10.7875/first.author.2013.158
http://first.lifesciencedb.jp/archives/8023
Coupled GTPase and remodelling ATPase activities form a checkpoint for ribosome export. Yoshitaka Matsuo, Sander Granneman, Matthias Thoms, Rizos-Georgios Manikas, David Tollervey, Ed Hurt., Nature, vo. 505, pp. 112-116 (2014)
11)Wikipedia: Nesprin,  https://en.wikipedia.org/wiki/Nesprin

 

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78.リソソームとオートファジー

 電子顕微鏡で細胞を観察していると、しばしば細胞内に何かわけのわからない内容物を含んだ閉じた袋のような構造体をみかけます。たとえば図78-1の細胞Aや細胞B(ラット真皮の細胞)の矢印の構造体です。矢印以外にも数多くみられます。これらの構造体は外界から取り込んだ固形物や液体、あるいは細胞内で生じた不要物などを集めて分解し、無害化したり、栄養として再利用したりするための、リソソーム(英語ではライソソーム)を主役とした「ごみ処理・再利用システム」の一部と考えられています。

781

図78-1 毛包と真皮の電子顕微鏡写真  Dermis: 真皮 Hari follicle: 毛包 Deremal sheath: 真皮性毛根鞘  ― : 1μm

 リソソームはすでに1950年代にクリスチャン・ド・デューブ(図78-3)によって発見されており、ド・デューブは1974年にノーベル賞を受賞しています。彼のグループはラットの肝臓をすりつぶし、遠心力で分画して、マイクロソームとミトコンドリアの中間の画分にリソソームというオルガネラ(細胞内小器官)が存在し、その画分には酸性で稼働する加水分解酵素が多く含まれていることを証明しました。さらにファゴソームと名付けられた小胞が細胞質成分を包み込み、それがリソソームと融合して消化されるというシステムの存在を示唆しました(1-2)。
 現在わかっていることを大まかに示すと図78-2のようになります。細胞膜ではファゴサイトーシスやピノサイトーシス(まとめてエンドサイト-シス)によって、細胞外からウィルスなどの固形物や、溶液などを取り込むという活動が行われています。ファゴサイトーシスが細胞外に浮遊する粒子(細胞破片、細菌、ウィルス)を選択的に細胞内に取り込むことを指すのに対し、ピノサイトーシスは細胞外液を非選択的に細胞内に取り込むことを指します。ファゴは食べる、ピノは飲むという意味です。これは細胞近傍の有害物質を無害化したり、高分子の栄養物質をとりこんだりするために行われています。細胞膜の1部を使ってしまいますが、考えようによっては細胞膜一部を更新するという新陳代謝を行っているともいえます。
 集めた外界の物質などはエンドソームに集められ、次に内部がpH5のリソソームと融合してファゴリソソームとなり、ゴルジ体からリソソームやエンドソームに供給された数十種類の加水分解酵素が働いて消化活動を行います。これらの酵素はpH5周辺が至適の酵素なので、細胞質に漏れ出ても細胞を破壊することはありません。ファゴリソソームでの消化が終了すると、ファゴリソソームはリソソームに戻って次の機会を待ちます(図78-2)。
 ゴルジ体で作られた酸性が至適pHの加水分解酵素群はそれぞれマンノース6リン酸と結合し、マンノース6リン酸がマーカーとなってレセプターと結合し、ゴルジ体から分離した小胞でリソソームなどに運ばれます。ここでレセプターから離れた加水分解酵素は仕事をはじめます。エンドソームもリソソームほどではなくてもpHは酸性になっているので加水分解は可能ですが、もちろんリソソームと融合すると効率的に消化がすすみます(図78-2)。

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図78-2 エンドソーム・リソソームシステムによる高分子分解機構

 リソソームシステムは細胞外の物質だけではなく、細胞内の物質も消化することがわかっています(1-4)。この場合ファゴソームはオートファゴソーム、ファゴリソソームはオートリソソームといいます(オートは自分自身という意味)。そしてこのような自己消化活動全体を指してオートファジーといいます。ド・デューブの時代からオートファジーという現象があると言われていたのですが、その後細胞外から貪食作用(ファゴサイトーシス)によってとりこまれたものはリソソームシステムによって消化されるが、細胞内のものは消化されないとか、タンパク質のターンオーバーにはリソソームは関与しないという批判があり、さらにプロテアソームによる不要タンパク質分解機構が発見されるに至って、オートファジーは冬の自体を迎えることになりました(3)。
 そのような冬の時代にも、出芽酵母(お酒やパンをつくるのに使われる酵母です)のオートファジーに関心を持っていたのが大隅良典(図78-3)で、彼は出芽酵母の突然変異体を5000体作成し、そのなかからたったひとつのオートファジーを行わない突然変異体を分離しました(3)。この変異体は通常は普通に増殖しますが、栄養状態が悪くなると早死にしてしまいます。すなわちオートファジーとは飢餓時に自食することによって生きながらえるためのメカニズムであることが示唆されました。

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図78-3 リソソーム・オートファジー研究のパイオニア

 最新科学や先進技術もその歴史をひもとくと、実は知らない人から見ると全く個人の趣味・カルトな興味・重要性が全く見いだせないとしか思えない研究に行き着く場合が多いのです。DNAを切り貼りしてゲノムを編集するなどという技術も、もとをたどれば、細菌がいかにしてウィルスの攻撃を逃れるかという「細菌の免疫機構」の研究から生まれた代物であって、最初からDNAの改変を目的として開発された技術ではありません。大隅先生がよく基礎科学の重要性を強調されるのはそういうことだと思います。
 ですから研究費はばらまくことが必要なのです。どんな研究が科学の飛躍的発展につながるかなんて、神様しか知ることはできないのです。私は少額の科学研究費は抽選にしましょうと昔から主張しています。まともな研究者はそういうことがよくわかっているので、同じ研究分野の貧困研究者にこっそり30万円づつ配っていた先生もおられました。
 出芽酵母は図78-4のようにゲノムが1セットのn世代と2セットの2n世代があり、n世代のα タイプと a タイプが接合することによって2n世代がはじまります。このn世代(ゲノムが1セット)でも2n世代と同様な状態で普通に生きられる生物であることが味噌です。1ヶ所の遺伝子の傷によって表現型が変化する可能性が高いので、遺伝学の世界では重宝されています。哺乳類だと精子・卵子以外はすべて2nなので、1ヶ所の傷だと+/+が+/-になるだけで、健全な遺伝子が傷ついた遺伝子の働きを代替する場合が多く、遺伝子型と表現型は1:1に対応しません。研究に都合の良い素材を選ぶことは重要です。
 出芽酵母の2n世代は胞子をつくることができます。非常に興味深いことに、オートファジーができないミュータントは胞子をつくることができないそうです(3)。胞子は飢餓など環境の悪化に抵抗性の高い状態です。すなわち酵母のような10億年前から生きている原始的な生物においても、オートファジーは自食だけでなく、もっと複雑なサバイバル戦略の要になっていることがわかります。

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図78-4 出芽酵母のライフサイクル  a or α:1倍体 a/α:2倍体

 大隅らの研究によって、オートファジーができないミュータントはApg1というタンパク質が欠損していることがわかりましたが、次にはその他にオートファジーに関与しているタンパク質(遺伝子)はないのかということになります。この研究を実行したのが埼玉大学から東大駒場キャンパスの大隅研にやってきた大学院生の塚田美樹でした(図78-3)。それまで5000体の変異体からわずかひとつだけしか分離できなかったオートファジーのミュータントを、彼女は38,000体の変異体から何と15体も分離し、FEBS lett. に発表しました(5)。この論文がその後のオートファジー研究の出発点となりました。私もこの論文を読む機会があって、大変感動したことを覚えています。大隅は2016年のノーベル生理学医学賞を受賞しましたが、当時の研究室の思い出を弟子の方々がつづった思い出文集「駒場での大隅研究室」がウェブサイトで公開されています(6)。
 塚田・大隅の論文が出版された頃にはもうヒトやマウスの全DNA配列が解明されてきていて、酵母でオートファジーを担う遺伝子に対応した哺乳類の遺伝子も明らかになり、2000年前後から一瀉千里に研究は発展しました。オートファジーは真核生物全般に見られ、原核生物にはみられません。まず細胞質に脂質2重膜が2枚重なったようなお椀のような構造体が現れ、やがて球形に閉じて中身を閉じ込め(オートファゴソーム)、その外側の膜とリソソームの膜が融合してオートリソソームが完成します(図78-5、文献7より)。そのなかで構造体の分解消化が行われます。哺乳類でも酵母と同様、飢餓状態になると盛大にオートファジーが行われます。図78-5Cは飢餓状態にしたラットの肝臓のオートファジーを観察したものです。

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図78-5 オートファジー

 水島(図78-3)によると、哺乳類では受精直後(卵巣から離れると、着床するまでしばらく母親が残したタンパク質を栄養源として生き延びる)、出生直後(へその緒からの栄養供給がなくなるので自食で補う)、成体が飢餓状態・・・のような時にオートファジーが特に活発になるそうです(8)。もちろんオートファジーのシステムは普段から細胞内の老廃物を分解し、再利用したり廃棄したりするゴミ処理場の役割を果たしています。変性したタンパク質はオートファジーだけでなく、プロテアソームシステムでも排除できますが、不良ミトコンドリアはオートファジーまたは未知のシステムを使わなければ排除できません(4)。赤血球からミトコンドリアを排除する際にも、オートファジーのシステムが使われているようですが、未知のシステムが関与している可能性も残されています(4、9、10)。
 タンパク質を分解するシステムは前記のようにプロテアソームというのがあるのですが、プロテアソームは多糖類や糖脂質を分解することはできません。したがってこれらを分解するリソソーム酵素が欠損すると、細胞内に不要な多糖類や糖脂質が蓄積して病気が発生します。どんな病気があるかは Lyso Life というサイト(11)を参照し、主要なものだけ列挙しておきます。詳しくはサイト(11)をご覧下さい。

ゴーシェ病
グルコセレブロシダーゼという酵素の働きがなかったり、低くなったりしていることで、グルコセレブロシドという物質が分解されにくくなります。肝臓や脾臓が大きくなる、貧血や血小板の減少、骨症状などがみられ、けいれんや斜視(左右の目の視線が一致しない)などの神経症状が現れることもあります。

ファブリー病
α−ガラクトシダーゼ(α‐GAL)という酵素の働きがなかったり、低くなったりしていることで、グロボトリアオシルセラミド(GL-3)という物質が分解されにくくなります。手足の痛みや汗をかきにくいといった症状や、腎機能障害、心機能障害、脳血管障害などが現れます。

ポンペ病(糖原病Ⅱ型)
酸性α−グルコシダーゼという酵素の働きがなかったり、低くなったりしていることで、グリコーゲンという物質が分解されにくくなります。骨格を支える筋肉や呼吸に必要な筋肉の力が弱くなり、体重が増えにくい、心臓の働きが悪くなるなどの症状が現れることもあります。

ムコ多糖症Ⅰ型
α−L−イズロニダーゼという酵素の働きがなかったり、低くなったりしていることで、グリコサミノグリカン(ムコ多糖)という物質が分解されにくくなります。関節のこわばり、骨の変形、肝臓や脾臓が大きくなる、むくむくとした顔立ち、水頭症(頭の中に水がたまる)などの症状がみられ、知的な発達の遅れなどが現れることもあります。

ムコ多糖症Ⅱ型
イズロン酸−2−スルファターゼという酵素の働きがなかったり、低くなったりしていることで、グリコサミノグリカン(ムコ多糖)という物質が分解されにくくなります。関節のこわばり、骨の変形、肝臓や脾臓が大きくなる、むくむくとした顔立ちなどの症状がみられ、知的な発達の遅れなどが現れることもあります。

 

参照

1)C. De Dube, B. C. Pressman, R. Gianetto, R. Wattiaux and F. Applemans. Tissue Fractionation Studies. 6. INTRACELLULAR DISTRIBUTION PATTERNS OF ENZYMES IN RAT-LIVER TISSUE. Biochem J. vol. 60(4): pp. 604–617.
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC1216159/
2)Alex B. Novikoff, H. Beaufay,  and C. De Duve. ELECTRON MICROSCOPY OF LYSOSOME-RICHFRACTIONS FROM RAT LIVER.  J. Biophys. Biochem. Cytol., Vol. 2, NO. 4, Suppl. pp.179-190 (1956)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC2229688/pdf/179.pdf
3)荒木保弘・大隅良典 「オートファジーを長き眠りからめざめさせた酵母」 領域融合レビュー, 1, e005 (2012) DOI: 10.7875/leading.author.1.e005
Yasuhiro Araki & Yoshinori Ohsumi: Awakening the hibernation of autophagy research using yeast.
http://leading.lifesciencedb.jp/1-e005/
4)水島昇 「細胞が自分を食べる オートファジーの謎」 PHPサイエンスワールド新書 PHP研究所 (2011)
5)Miki Tsukada, Yoshinori Ohsumi., Isofation and characterization of autophagy-defective mutants of Saccharomyces cerevisiae., FEBS lett. Volume 333, number 1,2, pp. 169-174 (1993)
http://www.selectividad.pt/uploads/8/7/4/5/87451854/tsukada_et_al-1993-febs_letters.pdf
6)大隅良典先生ノーベル賞受賞記念思い出文集「駒場での大隅研究室」
http://bio.c.u-tokyo.ac.jp/file/OHSUMI.pdf
7)Wikipedia: Autophagy,  https://en.wikipedia.org/wiki/Autophagy
8)水島昇 哺乳類胚発生におけるオートファジーの役割を解明-マウス受精卵、自身の細胞内たんぱく質を分解して栄養に-
http://www.jst.go.jp/pr/announce/20080704/index.html?newwindow=true
9)H. Takano-Ohmuro, M. Mukaida, E. Kominami, K. Morioka., Autophagy in embryonic erythroid cells: its role in maturation. Eur. J. Cell Biol., vol. 79, pp. 759-764 (2000).
10)S. Honda et al., Ulk1-mediated Atg5-independent macroautophagy mediates elimination of mitochondria from embryonic reticulocytes. Nat. Commun.  Jun 4; vol. 5: 4004. (2014) doi: 10.1038/ncomms5004
11)Lyso Life,  ライソゾーム病とは http://www.lysolife.jp/about/about/kind.html

 

 

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77.ミトコンドリア

 ここではミトコンドリアというオルガネラについて、最も基本的なところからあらためて展開したいと思います。本書ですでに述べた部分もありますし、一部私がウェブサイトで記述している部分もあります(1)。
 ミトコンドリアを発見したのは、ミーシャーの協力者であり、「nuclein ヌクレイン」 を正しく 「nucleic acid 核酸」 と改名したリヒャルト・アルトマンです。ミトコンドリアは光学顕微鏡による観察ではサイズが小さすぎて見えないのですが、適切に固定・染色すれば細菌と同様観察することができます。アルトマンはその固定法や染色法を工夫して、あらゆる細胞の中に細菌のような生物が棲息していることを示唆しました。1890年頃のことです。アルトマンはそれをバイオブラストと命名し、シンビオント(共生体、ヒトとこの微生物が共生している)であることを早くも予想していました(2、3)。
 現在ではゲノムの解析などから、ミトコンドリアが αプロテオバクテリア にその起源を持つことは一般的に認められていますが、当時ではまさに荒唐無稽な説であり、アルトマンが言うところのバイオブラストは固定・染色のアーティファクトだとされて、全く相手にされなかったようです。そのためアルトマンは晩年は自室に引きこもって隠遁生活を余儀なくされたそうです(2-3)。アルトマンは21世紀になってから再評価されて、著書も復刻されました(図77-1)。彼はわずか48歳で他界していますが、その肖像は異様に年老いてみえます(図77-1)。悩みの多い人生だったことがうかがえますが、私はまだこの写真(4)が本当にアルトマンなのか疑いを禁じ得ません。
 しかし当時から小数ながら彼を支持する研究者もいて、1898年にカール・ベンダはアルトマンのバイオブラストが、あるときには糸(mito in Greek)、あるときには顆粒(chondros in Greek)に見えることから、改めてミトコンドリオン(複数はミトコンドリア)と命名しました。さらに1900年にはレノア・ミカエリスが生細胞をヤヌス・グリーンという色素で染めてミトコンドリアを観察することに成功し、しだいにミトコンドリアはその存在を認められるようになりました(3)。1960年代にはリン・マーギュリスがミトコンドリア=シンビオント説を再興し(5、図77-1)、現在ではそれが広く認められるようになりました。文献5の著者のファミリーネームがセーガンとなっているのは、当時彼女がカール・セーガン(映画「コンタクト」の原作者:主演ジョディ・フォスターが素晴らしく、ストーリーもうまくできているのでおすすめします)の奥様だったからです。
 ウィキペディアによると、ヒトの場合ミトコンドリアの総重量は体重の約10%を占めるとされています(6)。確かに肝臓の細胞などを観察していると、そのことが納得できるくらい頻繁にミトコンドリアをみつけることができます。ヒトの場合ひとつの細胞に、平均すると数百個のミトコンドリアが存在すると言われています。ただ酸素を運ぶのが仕事の赤血球では、おそらくミトコンドリアが途中で酸素を使ってしまうのを防ぐために、ミトコンドリアを消滅させています(7-8)。消滅させるメカニズムは、大隅良典のノーベル賞授賞で有名になったオートファジーなどです(7-8)。角質化した細胞(表皮上層部・爪・毛など)にもミトコンドリアはみられません。

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図77-1 リヒャルト・アルトマンと彼の復刻された著書および彼のシンビオント説を復活させたリン・マーギュリス

 ミトコンドリアは図77-2のように、いちばん外側は進化上真核生物に由来すると思われる外膜に包まれ、その内側に細菌(シンビオント)由来と思われる内膜が存在します。内膜は外膜をぴったりと裏打ちしているわけではなく、ときおり細胞内に突出する場合があり、この構造をクリステといいます(図77-2)。外膜と内膜の間やクリステには膜間腔という狭い空間があります。内膜の内側にはマトリックスと呼ばれる細胞質があり、核はなくミトコンドリアDNAがあります(図77-2)。ひとつのミトコンドリアには通常数コピーのミトコンドリアDNAを保有しています。またそれらのDNAは裸ではなくタンパク質でラップされている状態にあります(6)。

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図77-2 ミトコンドリアの内部構造

 ヒトを含めて多くの動物のミトコンドリアDNAに含まれる遺伝子は、リボソームRNAが2個、トランスファーRNAが22個、その他ATP合成酵素などが13個、計37個(9、図77-3)で、大腸菌が約4000個の遺伝子を持つことを考えると、シンビオントが共生をはじめてから、進化の過程でほとんどの遺伝子がホスト(ヒト)のゲノムに移行または吸収されてしまったことが示唆されます。これはおそらくミトコンドリアが独立した生物として、勝手に増殖や機能発現を行わないように制御するためと思われますが、ここまで徹底的に移転させたのには、それなりの理由または特別なイベントがあったのかもしれません。ミトコンドリアの呼吸鎖複合体4つのすべては、ホストのゲノムにコードされているタンパク質がなければ活動できないので、ミトコンドリアにおけるATP産生はホストによって決定的に規制されています。

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図77-3 ミトコンドリアに残された遺伝子

 ミトコンドリアDNAは円形(サーキュラー)でかつ非常に小さいので、ウィルスやプラスミドが行うようなローリングサークル型DNA複製を行います。これは図77-4のように、トイレットペーパーを引き出すような形で、とりあえず片側のDNAだけをタンデムに複数コピーして作成し、切断・二重鎖化・環状化はそのあとゆっくり進行させるというやり方です。
 このやり方のひとつの利点は、1個のミトコンドリアに「変異が蓄積して不要なDNA」と「無傷のDNA」が共存した場合、ミトコンドリアが分裂したときに無傷のDNAをローリングサークルで多数複製し、それを娘ミトコンドリアに送り込むことができるということです。これは1種のクローニングで、そうしてできた娘ミトコンドリアは新品同様なので、卵母細胞などメスの生殖細胞ではこのようなミトコンドリアが使われていると考えられます(10)。
 ミトコンドリアは静的な存在ではなく、しばしば融合や分裂を繰り返す動的な存在です。ミトコンドリアを縊り切って分裂させる装置の主役となるタンパク質は、細菌のチュブリンファミリーや真核生物のアクチンファミリ-ではなく、なんとダイナミンファミリーの Drp (哺乳類の場合)です(11-12、図77-5)。驚くべき事に彼らは過去に装備していた分裂装置を捨て去り、かと言ってホストの分裂装置も借りないで、全く新しい生き方を選びました。ホストの細胞内という環境の中で、ホストと自分自身の生存に有利な方向に進化してきたのでしょう。

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図77-4 ミトコンドリアのDNA複製

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図77-5 ミトコンドリアの分裂・融合・係留

 しかも新しい分裂装置を獲得する中で、ミトコンドリア同士を融合するシステムを獲得しました(図77-5)。図77-5に示したダイナミンファミリーの Drp、 Mfn、Opa、の他にも多くのタンパク質が細胞融合にかかわっているようです(11)。獲得したと言いましたが、もちろんミトコンドリアが独自に進化したのではなく、これらのダイナミンファミリーの遺伝子はすべてホストのゲノムに存在しているので、ホストの進化といっても良いわけです。
 ミトコンドリアの融合がなぜ有用なのかは、まだ完全に理解されているわけではありませんが、例えばDrp1の突然変異が重篤な新生児致死の原因となる、Mfn2 に変異が生じると末梢神経に障害をもつ神経変性疾患である Charcot-Marie-Tooth 病に罹患する、Opa1 の変異は視神経形成異常となるDominant Optic Atrophy (優性視神経萎縮症)の原因となるなどが報告されています(11、12)。ローリングサークルで大量のDNAを合成した場合、その事後処理のため大型のミトコンドリアが必要とも考えられます。心筋などでは多量のATPが必要とされるので、ミトコンドリアが巨大化し、かつびっしりと繋がって存在する場合があります(13)。
  ミトコンドリアは現在ではリボソームRNA遺伝子やシトクロムc遺伝子の構造比較から、αプロテオバクテリアに起源するとされており、そのなかでもリケッチアあるいはその祖先に近いとされるペラジバクター(現在でも海洋に浮遊する普通種)が起源ではないかと言われています(6)。
 話は変わりますが、ミトコンドリアは母親から受け継がれるので、ミトコンドリアDNAの塩基配列を解析し系統樹を作成すると、最初の一人の母親にたどりつくという研究があります。そのアフリカに住んでいたとされる母親はミトコンドリア・イヴと呼ばれることもあります。ただし聖書のようにその母親からすべての人類が生まれたわけではなく、たまたま20万年もの間、子供に必ず女性がいたというとてもめずらしい家系の頂点にいる女性ということです。ミトコンドリアが母親から受け継がれるというのは真実で、それなら精子のミトコンドリアは受精後どうなってしまうのでしょうか? 図77-6のように受精後しばらくは精子のミトコンドリアも受精卵の中で生きているのですが、融合や増殖は禁止されています。そして受精卵が分裂を繰り返し個体に発生していく過程で、父系のミトコンドリアはオートファゴソームという袋につつまれて分解(オートファジー)されてしまいます(14、15)。父系のミトコンドリアをすべて殺してしまうというのが生物にどんなメリットを与えるのかはよくわかっていません。卵子ではミトコンドリアの品質がきちんと管理されているが、精子では管理されていないということも考えられます。

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図77-6 ミトコンドリアは母親のみから受け継がれる

 ミトコンドリアは酸素を使って代謝を行っている上、鉄も多く含むため、活性酸素が発生しやすい条件が整っています。活性酸素はタンパク質・脂質・核酸などの生体物質と反応して変質させることがあります。したがってミトコンドリアは常に劣化する危険にさらされています。劣化したミトコンドリアは通常オートファジーによって排除されますが、それでも間に合わない場合、ミトコンドリア内部からシトクロムcというタンパク質が放出され、ホストの細胞ごと自殺に導くという究極のプロセスが発動します。
 このプロセスはアポトーシスと呼ばれており、もともと細胞が修復不能なダメージを受けたとき、p53というタンパク質がシグナルとなってミトコンドリアに情報を伝え、それにミトコンドリアが反応してシトクロムcを放出するというメカニズムがあるのですが(図77-7)、それを利用してミトコンドリアの品質管理が行われることもあり得るということです。
 真核生物はミトコンドリアからほとんどの遺伝子を奪い取りましたが、一方で自らの生死をミトコンドリアの指令によって決めるというメカニズムを構築しました。不思議な進化の物語です。

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図77-7 アポトーシス

 ミトコンドリア遺伝子の異常、ミトコンドリア品質管理の異常などが原因の疾患はいろいろ知られています。詳しくはウィキペディアのミトコンドリア病の項などを参照していただきたいですが、アルツハイマー病やパーキンソン病にミトコンドリアの機能不全が原因とおぼしきものがあるらしいそうで、これはちょっとした驚きです(16)。

参照

1)https://morph.way-nifty.com/grey/2017/05/post-d4be.html
2)Brian O'Rourke, From Bioblasts to Mitochondria: Ever Expanding Roles of Mitochondria in Cell Physiology., Front Physiol., vol. 1: article 7, pp. 1-4 (2010)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC3059936/pdf/fphys-01-00007.pdf
3)Carolyn Csanyi, Discovery of the Mitochondria, Sciencing (2017)
http://sciencing.com/discovery-mitochondria-20329.html
4)Ecu Red  Richard Altmann, https://www.ecured.cu/Richard_Altmann
5)Lynn Sagan  On the origin of mitosing cells. J. Theoretical Biology vol. 14(3), pp. 255-274. (1967) PMID 11541392 doi:10.1016/0022-5193(67)90079-3
6)ウィキペディア: ミトコンドリア
7)H. Takano-Ohmuro, M. Mukaida, E. Kominami, K. Morioka., Autophagy in embryonic erythroid cells: its role in maturation. Eur. J. Cell Biol., vol. 79, pp. 759-764 (2000).
8)S. Honda et al., Ulk1-mediated Atg5-independent macroautophagy mediates elimination of mitochondria from embryonic reticulocytes. Nat. Commun.  Jun 4; vol. 5: 4004. (2014) doi: 10.1038/ncomms5004
http://www.natureasia.com/ja-jp/jobs/tokushu/detail/329
http://www.nature.com/articles/ncomms5004
9)Jeffrey L. Boore, Animal mitochondrial genomes., Nucleic Acids Res., vol. 27 (8): pp. 1767-1780 (1999),  DOI: https://doi.org/10.1093/nar/27.8.1767
https://academic.oup.com/nar/article/27/8/1767/2847916/Animal-mitochondrial-genomes
10)石原直忠、 融合と分裂によるミトコンドリアの形態制御の分子機構と生理機能 生化学 vol. 83, no.5, pp. 365-373 (2011)
11)伴 匡人,後藤雅史,石原直忠、ミトコンドリアの融合と分裂 その意義と制御機構 化学と生物 vol. 53, no.1, pp. 27-33 (2015)
12)H. R. Waterham, J. Koster, C. W. T. van Roermund, P. A. W. Mooyer, R. J. A. Wanders & J. V. Leonard:  A Lethal Defect of Mitochondrial and Peroxisomal Fission.  N. Engl. J. Med., vol. 356, pp.1736-1741, (2007).
13)Cell image library,  http://www.cellimagelibrary.org/images/7567
14)佐藤美由紀  父由来のミトコンドリアが消されるしくみ 生命誌 vol.84-87 「つむぐ」 新曜社 pp. 100-105 (2016)
http://www.brh.co.jp/seimeishi/journal/085/research/2.html
15)佐藤美由紀、佐藤健  ミトコンドリアゲノムの母性遺伝のメカニズム オートファジーによる父性ミトコンドリアの分解 化学と生物 vol. 50 (7) pp. 479-480 (2012)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/kagakutoseibutsu/50/7/50_479/_pdf
16)田中敦、Richard J Youle  ミトコンドリアの品質維持とパーキンソン病 細胞工学 vol. 29 (5) pp. 431-437 (2010)

 

 

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76.細胞骨格 Ⅲ

 ここまで述べてきましたように、マイクロフィラメントや微小管は細胞骨格とはいえ 、むしろ細胞移動・細胞内輸送・細胞分裂などダイナミックな作業を実行するためのツールであり、変動も激しく、形成や活動にATPやGTPを大量に使用します。それらと比較すると中間径線維は安定で、線維の形成にATPやGTPを必要としないので、細胞骨格という名前にふさわしいかもしれません。中間径というのは、約6nm径のマイクロフィラメントと約25nmの微小管の中間のサイズ=約10nmという意味です。
 図76-1はケラチンを例にとりましたが、Ⅰ型とⅡ型のケラチンがヘテロ2量体をつくり、そのヘテロ2量体がアンチパラレルに結合して4量体を形成し、それらが4本集まってプロトフィブリルを形成します。プロトフィブリルが多数集まって、中間径線維ができあがります。このような構造を形成するためにATPやGTPは消費しません。

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図76-1 中間系線維の構築

 中間径線維も伸長や短縮を行いますが頻繁ではなく、基本的には細胞の形態を決めるのに役立っているとも言えますが、実際にはそんなに単純ではなくて、例えばケラチンの場合、その生理的意義・機能は非常に多岐にわたっており、角化によって水分の蒸発を防ぐ、細菌やウィルスの侵入を防ぐ、紫外線のダメージを吸収する、体温を維持する、捕殺や負傷を防ぐ、敵を突き殺す、指先に力を与える、蹄で体重をささえて走る、羽毛で空を飛ぶ、など数えきれません。
 中間径線維を構成するタンパク質は図76-2のように多数のグループがあり、通常それぞれのグループに複数の種類のタンパク質が所属します。グループを越えて複合的な繊維をつくることは一般的にはありません。ケラチンは上皮組織、ビメンチンは間充織、デスミンは筋肉、ニューロフィラメントは神経など特定の組織で発現するタンパク質が多いのですが、ラミンだけは例外的に広汎な組織にみられます。

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図76-2 中間系線維の種類と局在

 各タンパク質の分子構造をみていきますと、図76-3のように、すべてNH2側(N末)とCOOH側(C末)にαヘリックスやβシートを形成しない領域があり、中央にαヘリックスからなるロッド領域があるという形で、3つのドメインで構成されています。ロッド領域は2~3ヶ所の非αヘリックスリンカーで分断されています。ロッド領域で多数の分子がパラレルに結合することによって太いケーブルが形成され、C末とN末がタンデムに結合して長いケーブルとなります。中間系線維を構成する分子はすべて細胞質にありますが、ラミンだけは例外的に核にあるのでC末ドメインに核局在配列が存在します。(分子量は5万~7万です)。

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図76-3 中間系線維を構成する様々なタンパク質の構造を比較する

 ケラチンは生化学者には嫌われているタンパク質です。というのはラーメン店でスープを指にかけながら持ってくるウェイトレスのような研究者もいて、電気泳動槽のバッファに指をちゃぽちゃぽ浸しながら移動すると、目的のタンパク質以外に皮膚のケラチンが検出されます。頭を洗っていない研究者だとフケが落下したりもします。
 ケラチンにはSHが多く(髪が焦げると硫黄の臭いがします)、となりの分子のSHと結合してSS(ジスルフィド結合)を形成するので、分子の独立性は失われ、やや大げさに言えば毛髪・爪・角・鱗などはひとつで1巨大分子ということになります。ケラチンは肝臓のような柔らかい組織にもあるので、存在場所に応じて多くの種類があります。ヒトを含めて動物は数十種類のケラチン分子種すなわち遺伝子を保有しています。
 ケラチンを発見したのは誰だか判りませんが、16世紀の中国の薬草学者李時珍(Li Shih-chen 図76-4)が治療に用いていたことが、私は未読ですが、彼の大著「本草綱目Compendium of Materia Medica」から読み取れるそうです(1-2)。最初にケラチン遺伝子の配列を決めたのはハヌコグルとフックスです(3、図76-4)。

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図76-4 ケラチン研究の先覚者達

 これはややめずらしいことだと思いますが、たとえばヒトの場合、I 型ケラチングループの各遺伝子は第17染色体の特定部位(17q21.2)に、II 型ケラチングループの各遺伝子は第12染色体の特定部位(12q13.13)にぎっしりかたまって存在しています。しかも上皮ケラチン・毛根鞘ケラチン・毛&爪ケラチンはそれぞれクラスターを形成しています。偽遺伝子もいくつかみつかっています(図76-5)。ケラチンの大きな特徴として、表皮・毛髪・爪・角・鱗などの死細胞においても、垢・雲脂・生え替わりなどで外界に廃棄されるまで、その機能を果たしていることが上げられます。

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図76-5染色体上のケラチン遺伝子の位置とクラスター

 ビメンチン(分子量57,000)は発見者がはっきりしています。ドイツのマックス・プランク研究所の Franke WW, Schmid E, Osborn M, and Weber K. です(4)。オズボーンとウィーバー(夫妻)は生化学に手を染めた者なら誰でも使ったことがあるはずの「SDS-PAGE」という分析法を開発したことで有名な研究者です(図76-6)。フランケは近年はアンチ・ドーピングの研究者としても有名です(図76-6)。

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図76-6 ビメンチンの発見者達

  図76-7Aはラット胎児の皮膚で私が撮影したものですが、ビメンチンが茶色に染まっています。表皮や毛包の上皮性組織はほとんど染まらず、間充織である真皮や毛乳頭はよく染まっていることがわかります。違いが明白なので腫瘍が上皮性か間充織性かを判別するのに、ビメンチンの染色が使われています。図76-7Bは細胞内におけるビメンチンの分布です。核を包み込むような感じですが、ミトコンドリアや小胞体と結合する場合もあるようです(6)。

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図76-7ビメンチンの染色  HF: Hari follicle(毛包) ED: Epidermis(表皮) D: Dermis(真皮) ↑: Dermal papilla(毛乳頭)

 ビメンチンの機能はかなり微小管が代替することができるようで、両者の機能の切り分けがはっきりとわかっていませんが、ビメンチンには細胞に弾力を与えたり、オルガネラを保護するような役割があるようです(6)。ビメンチンの遺伝子を欠損すると負傷からの回復が遅れるという報告もあります(7)。
  デスミン(分子量53,500)は筋細胞に特異的に存在するタンパク質で、デスミンがつくる線維は細胞骨格と言うより筋組織のパーツとしての役割を担っています。。ラザリデスのグループによって発見され(8)、遺伝子配列はLi Zhenlin(9)らによって解明されました。デスミン遺伝子を欠損させたマウスでは、正常な筋肉組織が形成されないことが明らかになっています(10)。デスミン遺伝子の突然変異によるヒト筋肉疾患も報告されています(11)。
 デスミン線維は横紋筋細胞では図76-8のように配置されていて、筋原線維のZディスク同士、Zディスクと筋鞘(サルコレンマ)のコスタメア、Zディスクとミトコンドリアや核を連結しています(12、図76-8)。

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図76-8 横紋筋細胞におけるデスミン線維の配置

 ニューロフィラメントは神経細胞に特異的に出現する中間径繊維で、発見者は F.C. Huneeus(イヌ) & P.F. Davison です(13)。構成しているタンパク質は3種類の分子量がかなり異なるアイソフォームで、それぞれNF-H (分子量 200-220 kDa)、 NF-M (分子量145-160 kDa)、 NF-L (分子量68-70 kDa)と命名されています。軸索の内径を広げて、神経伝達がスムースに行われるようにするという説があります(14)。
 類似したタンパク質にα-インターネキシン(分子量66kDa)というのがありますが、図76-9のようにニューロフィラメントタンパク質(グリーン)とは異なる細胞(図76-9の場合は未分化な神経細胞 レッド)に発現する場合があります。神経細胞にはこの他にネスチン、ペリフェリンなどの中間径繊維形成タンパク質も発現します。
  最後にラミンですが、ラミンだけは核に局在しているタンパク質で、ラミン線維は核ラミナと呼ばれる核膜を裏打ちしている構造となっています。初期の研究は Aaronson RP と Blobel G によって行われました(15)。10年後には遺伝子配列も明らかになりました(16)。ラミンは真核生物が出現すると同時に生まれたのではないようです。ヒドラからヒトまですべての動物(後生生物)にあるのですが、植物・カビ・単細胞生物は持っていません。このことはラミンが動物独特の体細胞分裂に関与していることを示唆しています(17、18)。また核内での染色体の位置決めとかDNAの転写にも関与しているかもしれません(18)。

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図76-9 脳細胞におけるニューロフィラメントL(緑)とα-インターネキシン(赤)

 ラミンにはAタイプとBタイプがあり、それぞれ別の遺伝子にコードされています。これ以外にCタイプというのがあるのですが、CタイプとAタイプは同じ遺伝子にコードされており、Cタイプは選択的スプライシングによって生成されたものです。Cタイプも含めたAタイプは胎生期にしか発現しません。一方BタイプはB1・B2が別の遺伝子にコードされており、これらはすべての細胞に認められます。AタイプはBタイプから進化的に派生したと考えられています(17、18)。Aラミンの機能をBラミンがすべて代替できるわけではなく、マウスではAタイプラミンの欠損によって、成長が著しく遅れ、筋ジストロフィーが発生するそうです。またラミンBの欠損は致死です(18)。ラミンの局在に関心がある方は、参照に記載したサイトをご覧ください(19-22)。

 

参照

1)Compendium of Materia Medica:https://en.wikipedia.org/wiki/Compendium_of_Materia_Medica
2)The discovery of keratin. http://keratininformation.weebly.com/discovery.html
3)Hanukoglu, I.; Fuchs, E., "The cDNA sequence of a human epidermal keratin: divergence of sequence but conservation of structure among intermediate filament proteins". Cell. vol. 31 (1): pp. 243–252.  (1982) doi:10.1016/0092-8674(82)90424-X. PMID 6186381.
4) Franke WW, Schmid E, Osborn M, Weber K. Different intermediate-sized filaments distinguished by immunofluorescence microscopy. Proc Natl Acad Sci USA vol. 75: pp. 5034-5038 (1978)
5)Wikipedia(German): Werner Franke (Biologe), https://de.wikipedia.org/wiki/Werner_Franke_(Biologe)
6)Wikipedia: Vimentin,  https://en.wikipedia.org/wiki/Vimentin
7)Eckes B, Colucci-Guyon E, Smola H, Nodder S, Babinet C, Krieg T, Martin P., "Impaired wound healing in embryonic and adult mice lacking vimentin.". Journal of Cell Science. vol. 113: pp. 2455–2462. (2000) PMID 10852824.
8) Izant JG, Lazarides E.,  "Invariance and heterogeneity in the major structural and regulatory proteins of chick muscle cells revealed by two-dimensional gel electrophoresis". Proc. Natl. Acad. Sci. U.S.A. vol. 74 (4): pp. 1450–1454. (1977) PMID 266185. doi:10.1073/pnas.74.4.145
9)Li Zhenlin, Alain Lilienbauma, Gillian Butler-Browneb, Denise Paulin., Human desmin-coding gene: complete nucleotide sequence, characterization and regulation of expression during myogenesis and development., Gene, vol. 78, Issue 2,  pp. 243–254 (1989)
http://www.sciencedirect.com/science/article/pii/0378111989902278
10)Capetanaki Y1, Milner DJ, Weitzer G., Desmin in muscle formation and maintenance: knockouts and consequences., Cell Struct Funct., vol. 22(1): pp. 103-116. (1997)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/9113396
11)デスミンミオパシー,デスミン遺伝子の突然変異による心筋ミオパシーを伴った骨格筋ミオパシー: 
http://www.nejm.jp/abstract/vol342.p770
12)Panagiotis Koutakis et al., Abnormal Accumulation of Desmin in Gastrocnemius Myofibers of Patients with Peripheral Artery Disease: Association with Altered Myofiber Morphology and Density, Mitochondrial Dysfunction and Impaired Limb Function., Journal of Histochemistry and Cytochemistry (2015)
https://www.researchgate.net/publication/270705709_Abnormal_Accumulation_of_Desmin_in_Gastrocnemius_Myofibers_of_Patients_with_Peripheral_Artery_Disease_Association_with_Altered_Myofiber_Morphology_and_Density_Mitochondrial_Dysfunction_and_Impaired_Li
13)F.C. Huneeus. and P.F. Davison,  Fibrillar proteins from squid axons: I. Neurofilament protein, Journal of Molecular Biology, vol. 52, Issue 3, pp. 415-418 (1970).
http://www.sciencedirect.com/science/article/pii/0022283670904109#
14)Wikipedia: Neurofilament,  https://en.wikipedia.org/wiki/Neurofilament
15)Aaronson RP, Blobel G., Isolation of nuclear pore complexes in association with a lamina. Proc Natl Acad Sci vol. 72: pp. 1007–1011 (1975)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC2964183/
16)McKeon FD, Kirschner MW, Caput D., Homologies in both primary and secondary structure between nuclear envelope and intermediate filament proteins. Nature 319: 463–468 (1986)
17)Wikipedia: Lamin,  https://en.wikipedia.org/wiki/Lamin
18)Thomas Dechat, Stephen A. Adam, Pekka Taimen, Takeshi Shimi,and Robert D. Goldman, Nuclear Lamins., Cold Spring Harb Perspect Biol;2:a000547 (2010)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC2964183/
19)http://www.abcam.co.jp/lamin-b1-antibody-nuclear-envelope-marker-ab16048.html
20)http://www.abcam.co.jp/lamin-a-antibody-ab26300.html
21)https://www.thermofisher.com/jp/ja/home/life-science/antibodies

 

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75.細胞骨格 Ⅱ

 真核生物のチュブリン・アクチン・ケラチンについて、基本的なことはすでに述べています(1)。ここではもう少し進んだ話題を取り上げます。
 まずチュブリンについて。チュブリンにはいずれも分子量約5万の α と β があり、通常 α と β が結合してαβ の形で存在します。このほか動原体にある γ 、中心体にある δ と ε などが知られています。微小管はαβ がタンデムに連結したプロトフィラメント(αβαβαβαβ・・・)同士がパラレルに11~16本結合して、中空のチューブを形成しています(図75-1)。微小管は細胞分裂の際には紡錘体を形成し(図75-2)、鞭毛・繊毛においても特殊な配列をとりますが(図75-2)、一般的には細胞質全体にひろがって存在します(図75-1)。

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図75-1 微小管線維とチュブリンの配列

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図75-2 微小管が形成する特殊な構造  左:細胞分裂時 右:繊毛・鞭毛の横断面

 α  と β はヘテロダイマーとして行動し、αβαβαβαβ・・・という形でプロトフィラメントが形成されるので、プロトフィラメントには極性が存在します。しかもフィラメント同士はパラレルなので、微小管全体として極性が発生し、β側を+末端、α側を-末端と呼びます。β 側でフィラメントが伸長し、α 側で崩壊するという意味での+-なのですが、-末端は比較的安定で、+末端は-末端より頻繁に大規模な崩壊(カタストロフ)や修復(レスキュー)を繰り返していることがわかってきました(2-3、図75-3)。 カタストロフの過程では、プロトフィラメントの末端からGTP結合チュブリンの脱落からはじまるフィラメントの短縮だけでなく、フィラメント同士の接着もはがれるようです(3、図75-3)。

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 図75-3 微小管のプラス末端とマイナス末端

 このような微小管の動態を制御しているタンパク質群はMAPS(microtubule-associated proteins、4、5)、+TIPS(6)など非常に数多く、微小管の機能や制御の多彩さを示しています。あまりに複雑なため、現在でも未知の領域が数多く残されていると思われます。
 もうひとつ微小管の重要な役割は、細胞の中の道路として機能することです。ダイニンやキネシンはATPをエネルギー源として微小管上を袋(ベシクル)をかついで「歩行」し、細胞の隅々まで物質を届けます(7、図75-4)。神経細胞の軸索などは1mくらいの場合もあるので(通常、細胞の直径は5~10μm程度です)、ダイニンやキネシンのようなモータータンパク質を使わないと、必要な物質を末端まで短時間では供給できません。ダイニンはもともと繊毛や鞭毛の運動を生み出す分子として同定されましたが、その後細胞内の分子の移動にかかわる種類が存在することがわかりました(7)。キネシンはキネシンスーパーファミリータンパク質という一群を形成するほど多彩なメンバーを持っています(8-9)。

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図75-4 ダイニンとキネシン

 次はアクチンです。チュブリンを発見・精製・命名したのは戦後間もない日本の毛利秀雄でしたが、アクチンの発見者も当時科学では辺境の地であったハンガリーのブルノ・フェレンツ・シュトラウプでした。彼はハトの筋肉をすりつぶし、アセトンにいったん溶かして乾燥し、アセトンパウダーを作成して、そこからアクチンを抽出・精製しました。今でもアクチンの精製には、基本的にシュトラウプの方法が使われています(10)。
 アクチンは単独の分子の場合G-アクチンともいい、G-アクチンが連結して線維を形成している場合F-アクチンといいます。Fアクチンにざまざまな制御タンパク質が結合してマイクロフィラメントが形成されますが、図75-5ではアクチンのポリマーとして示してあります。

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図75-5 アクチン分子とその集合体であるマイクロフィラメント

 マイクロフィラメントには微小管と同様+末端と-末端があり、ATPが結合したGアクチンが+末端に結合してフィラメントを伸ばし、ADP-Gアクチンが-末端から脱落してフィラメントを縮めるということになります。図5の下図をみると、マイクロフィラメントは細胞がある方向に伸長している場合、その伸長方向に平行に伸びている場合が多いことがわかります。また細胞膜近傍に顕著に観察されます。
 真核生物が誕生したとき、生物の生き方に関するひとつの革命が起きました。それは固体に密着して生き、移動には鞭毛ではなくアメーバ運動を利用するということです。アメーバ運動をするためには仮足が必要です。仮足には図75-6Bのような糸状仮足(フィロポディウム)と図6Cのような葉状仮足(ラメリポディウム)があります。いずれも仮足の先端部にはマイクロフィラメントが密集していて、マイクロフィラメントの伸長・短縮によって仮足が動いていることが示唆されます。
 一方でマイクロフィラメントの基部には微小管が集結しています。あたかもマイクロフィラメントの枝を微小管の幹がささえているようなイメージです。糸状仮足が伸びるということは、マイクロフィラメントの+末端にGアクチンが次々と結合している状態に他なりません。
 75-6BC図と異なり、75-6A図ではマイクロフィラメントが赤になっていることに注意してください。動いていない図75-6Aのような細胞では、マイクロフィラメントは細胞膜の裏打ち構造を形成しています。まるで細胞膜の輪郭線をなぞっているように見えます。細胞質のマイクロフィラメントは太い束にならず、細胞全体に分散しているように見えます。ただし方向はランダムではなく、パラレルな感じで分布しています。一方微小管(緑)は核の周辺に密集し、そこから部分的に細胞の辺縁に伸びているように見えます。

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図75-6 アクチンとチュブリンの細胞内での分布

 アクチンは細胞の形態を決める細胞骨格としての役割以外に、細胞運動にもかかわっていますが、さらに細菌や古細菌ではFtsZが担っていた細胞分裂の主役も、真核生物ではアクチンが担うようになりました。図75-7のようにアクチンが分裂溝に集結しています。

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図75-7 細胞分裂時にアクチンは分裂溝に集合する

 私達のような動物では、アクチンはミオシンという別グループのタンパク質と協力して筋肉という組織を形成して、これを使って歩行したり、キーボードをたたいたり、胃腸を動かしたり、心臓を収縮させたりしています。横紋筋にはサルコメア(筋節)という収縮の単位構造があり、この中にアクチン線維とミオシン線維が交互に配置されていて、その相互作用により筋収縮が行われています(図75-8)。

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図75-8 筋細胞におけるアクチンとミオシン

 このことは1954年に Andrew Fielding Huxley ら(11、図75-9)と Hugh Esmor Huxley ら(12、図75-9)によって同時に発表されました。しかしミオシン線維の中にアクチン線維が滑り込むといういわゆる「すべり説」は、現在でも基本的に正しいとされているにもかかわらず(13)、二人ともこの件ではノーベル賞を授与されていません。江橋節郎(図75-9)がカルシウムが筋収縮のシグナルであることを発見したにもかかわらずノーベル賞を授与されなかったのも、このことが影響していると思われます。
 江橋節郎は「カルシウムと私」という文のなかで、カルシウム説を学会で発表した当時の様子を次のように述べています: 「 “座長のハンス・ウェーバーが 「討議の結果、カルシウム説は明らかに否定された」と宣言するや、娘のアンネマリー・ウェーバーは激昂して絶叫し、エバシは日本語でわめいた。皆は腹をかかえて笑った” 。座長は、皮肉なことにアンネマリーの父であり、当時筋研究の泰斗として世界に知られるハンス・ウェーバーだった。アンネマリーが激昂して絶叫したのも本当だし、私がわめいたのも本当である。しかし、いかに興奮したとはいえ、日本語を使うはずがない。私の英語が誰も理解できなかったのである。この会議で、2人はまさにピエロだった。厳格な父親のウェーバーは、娘が変な日本人に引っ掛かって困っていると言っていたそうだ。 」(14)。

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図75-9 筋収縮機構の基本を解明した3人

 勿論現在では「カルシウムがトロポニン・トロポミオシンを介して筋収縮を制御している・・・細胞内のカルシウム濃度が上昇する際に収縮し、下降するとき弛緩する・・・」ということは明らかとなっています(図75-10)。

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図75-10 筋収縮とカルシウム

 「すべり」は当然ミオシンとアクチンの分子的相互作用によっておこるわけですが、そのメカニズムについては当初ミオシン分子がATPのエネルギーを用いて変形し、そっれに伴ってアクチンが動くという「首振り説」(図75-8)が有力でしたが、その後柳田敏男らがミオシン分子滑走モデルを提出し(15、図75-8)、激烈な論争になりました。私にはこの論争の詳細はよくわかりませんが、首振りのような動作ではなくても、ミオシンの分子変形がアクチンの動きに関与していることは否定しがたい事実のようです(16-17)。ただし1個のミオシン分子の変形によって、接するアクチンの移動する距離を説明することはできないので、さらなる研究が必要です(18)。

参照

1)渋めのダージリンはいかが
https://morph.way-nifty.com/grey/2017/02/post-ef6b.html
https://morph.way-nifty.com/lecture/2017/02/post-2862.html
2)Tim Mitchison & Marc Kirschner, Dynamic instability of microtubule growth., Nature vol. 312, pp. 237 - 242 (1984); doi:10.1038/312237a0
3)伊藤知彦: 微小管 動態の基礎 in  「細胞骨格と細胞接着」 蛋白質 核酸 酵素 vol. 51, pp. 529 - 534 (2006)
4)小谷 亨、松島一幸、久永眞市: 微小管結合タンパク質の構造と機能 蛋白質 核酸 酵素 vol. 51, pp. 535 - 542 (2006)
5)Wikipedia: Microtubule-associated protein,  https://en.wikipedia.org/wiki/Microtubule-associated_protein
6)Anna Akhmanova and Michel O. Steinmetz, Microtubule +TIPs at a glance.,  J Cell Sci., vol. 123(10), pp. 3415 - 3419 (2010)
https://pdfs.semanticscholar.org/3f9f/197f841548e9cd9f886ca76e58bfe77b7942.pdf
7)Wikipedia: dynein,  https://en.wikipedia.org/wiki/Dynein
8)近藤誠、廣川信隆 脳科学辞典 キネシン
https://bsd.neuroinf.jp/wiki/%E3%82%AD%E3%83%8D%E3%82%B7%E3%83%B3
9)Wikipedia: kinesin,  https://en.wikipedia.org/wiki/Kinesin
10)水野 裕昭、山城 佐和子: アセトンパウダーからのATP, ADPアクチンの精製 日本細胞生物学会HP http://www.jscb.gr.jp/protocol/protocol.html?id=25
11)Huxley A.F., Niedergerke R., Structural changes in muscle during contraction; interference microscopy of living muscle fibres. Nature. Vol. 22;173(4412): pp. 971-973. (1954)
12)Huxley H, Hanson J., Changes in the cross-striations of muscle during contraction and stretch and their structural interpretation. Nature. Vol. 22;173(4412): pp. 973-976. (1954)
13)W. O.Williams, Huxley’s Model of Muscle Contraction with Compliance., Journal of Elasticity, Vol. 105, Issue 1,  pp. 365–380 (2011)
http://www.math.cmu.edu/~wow/papers/complmusc.pdf
14)江橋節郎 「カルシウムと私」 生命誌ジャーナル12号 JT生命誌研究館
15)Wedge Infinity, 柳田敏雄 ふらふらしている人がいい仕事をする
https://wedge.ismedia.jp/articles/-/1140
16)上田太郎、ミオシン首振り説:部位特異的変異による検証から構造遺伝学によるメカニズム解明へ。生物物理 Vol. 37 No.1 pp.331-335 (1997)
17)Lauren J. Dupuis, Joost Lumens, Theo Arts, Tammo Delhaas, Mechano-chemical Interactions in Cardiac Sarcomere Contraction: A Computational
Modeling Study., PLOS Computational Biology,  | DOI:10.1371/journal.pcbi.1005126 October 7, (2016)
18)http://brownian.motion.ne.jp/16_FlexibleMolMachine/03_IsMascleMorter.html

 

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74.細胞骨格 I

 ボートは船の格好をしている堅い構造体なので漕げば思う方向に進むわけですが、これが方向性のない円形の形態をとったり不定形のふにゃふにゃとしたものであれば、乱流が発生して漕ぐのはとても困難になるでしょう。佐渡のたらい船ですが、実際にこれを漕いでみた方は、その困難さに驚いたのではないでしょうか(1)。
 ですから細菌がピンと張った船あるいは棒状の細胞であることは重要です。彼らは保有している唯一の複雑で高級な備品である鞭毛を動かし、栄養物質を求めて泳ぎます。細菌はアメーバのような方法で移動することはできません。脂質で構成されている細胞膜ではこのような堅さは実現できません。そこで細菌は糖ペプチドや糖脂質でできた細胞壁で細胞を被って、丈夫でかつ鞭毛で泳ぎやすい細胞を作り出しました。細菌にも細胞骨格があるという話を聞いたときには、おそらく硬い屋根のような構造には梁が必要だろうと予想できたわけですが、事はそう単純ではありませんでした。
 真核生物の細胞骨格には、チュブリン系・アクチン系・ケラチン系の3つのグループのタンパク質群が存在します。細胞骨格という名前からは骨のような硬い物質が連想されますが、そうではなく、分子が重合して繊維状の構造を形成できる物質と考えた方が近いと思います。ひとつ注意したいのはカイコの繭やクモの糸などは繊維状のタンパク質重合体ではありますが、細胞の外に出て機能するものは細胞骨格とは言いません。
 細菌の細胞骨格研究の萌芽は、1991年のバイとルトケンハウスによるFtsZの局在に関する研究でした(2)。どうして真核生物に比べて、細菌の細胞骨格研究が著しく遅れたかというと、それは細菌におけるタンパク質の局在は、光学顕微鏡で研究するのはターゲットが小さいためなかなか難しく、電子顕微鏡に頼らざるを得なかったからです。電子顕微鏡によるタンパク質の同定(免疫電顕)には多くの技術的制限があって、一筋縄ではいかないことが多いのです。
 バイとルトケンハウスの研究をまとめたのが図74-1です。真核生物の収縮環にアクチンが集合するのはわかっていたので(右の緑色に染められた細胞)、細菌型アクチンかと色めき立ったのですが、真相はもっと驚くべきことでした。デブール(図74-1)らとレイチャンドゥーリらは1992年、FtsZがアクチンではなくチュブリンのホモログであることを発表したのです(3-4)。細菌ばかりでなく、一般的に古細菌もFtsZを使っているようです(5)。

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図74-1 FtsZは細菌の細胞分裂時に、分裂溝に集合する

 FtsZは20世紀の中頃、広田幸敬が細胞分裂の温度感受性突然変異体を多数作ったなかに、この遺伝子のミュータントがみつかっていました(6)。これがチュブリンのホモログだなんてきっと広田は墓の中で驚いていることでしょう。ようやく1990年代になってその研究が端緒についたわけです。まだFtsZがどのように分裂溝形成にかかわっているかということは完全には解明されていませんが、細胞膜と結合するためのアンカーや制御因子の研究は進んでいるようです。この遺伝子を分裂酵母に組み込んで発現させると、やはり分裂溝に集まってくるそうです(7)。
 FtsZは葉緑体にも存在し、驚くべきことに真核生物においては真核生物にしかないダイナミンファミリーのタンパク質が、太古のタンパク質FtsZと共同して分裂装置を形成するそうで、まさに10億年の時空を越えたコラボレーションです(8)。私達ヒトのミトコンドリアはもはやFtsZを持っていませんが、原生動物・藻類・粘菌など古参の真核生物のミトコンドリアはFtsZを使って分裂しているようです(9)。
 クインとマーゴリンは、大腸菌の細胞分裂時におけるFtsZの局在をGFPラベルで示した美しい写真を教育用に提供してくれているので図74-2に示しました。平常時にはラベルが分散しているのではっきりとはみえませんが、細胞分裂時には分裂溝に集結するのでよく見えます(明るく光っています)。オリジナル論文は(10)です。

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図74-2 大腸菌の細胞分裂時におけるFtsZの局在

 図74-3は β-チュブリンとFtsZの分子構造を比較したものですが(11)、素人目にもかなり似ている部分(サークル内)があるように思いました。

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図74-3 β-チュブリンとFtsZの構造的類似性

 このようにしてチュブリンのホモログはみつかりましたが、ではアクチンに類似した細菌タンパク質もあるのでしょうか? このことが判明したのは21世紀になってからでした。
 MreBというアクチンスーパーファミリーに属するタンパク質が細菌に存在することを発見したのはフシニータ・ファン・デン・エントらでした(12)。アラインメントの結果、MreBは真核生物のアクチンとはわずか15%の一致でしたが、重合してケーブルを形成することや、細胞の形態を維持するために必須であること、3次元構造がよく似ていること(13、図74-4)などから、ホモログであると考えられています。MreBを欠損すると、大腸菌は棒状(ロッド状)の形態を失って球形の大きな細胞になり、娘細胞への染色体の分配がうまくできなくなって致命的となります(14)。

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図74-4 アクチンと類縁関係にある細菌のタンパク質

 MreBは細胞膜直下でコイル状やリング状に重合したケーブルとなって、細菌のロッド状構造を維持することができます(15、図74-5)。これはシュラフからテントへの昇格に例えられるでしょう。ほとんどの原核生物はMreBを使って形態を維持しているようです。 細胞分裂の際には真核生物の紡錘糸のような役割も果たしているようです(16)。しかしそれではチュブリンとアクチンの役割が細菌と真核生物で入れ替わったということになり、奇怪なミステリーです。このような奇怪な役割交代がなぜおこったかについては全くわかっていません。ただチュブリン系は重合にGTPのエネルギーを、アクチン系はATPのエネルギーを使うという方式は十億年以上の時を越えてほぼ維持されているようです。

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図74-5 MreBの役割

 MreBそのものは膜結合タンパク質または膜に埋め込まれるタンパク質ではないため、細胞膜直下に局在するためには他のタンパク質がアシストしてあげなければなりません。ファン・デン・エントらは図6のようなモデルを提出しています(17)。このモデルではRodZというタンパク質がMreBと膜貫通タンパク質の両者と結合して、クランプの役割をはたしていることになります。
 細菌のアクチンホモログの研究は21世紀になってからはじまったので、まだまだ解決しなければいけない課題は多いと思います。ただ研究費が続くかどうかはわかりません。病気と直接関係の無い細菌や古細菌の研究は趣味的とされがちですが、それでもこれは生身の生物についての科学ですから、どんなところに人類に有用な知識が潜んでいるかわかりません。それはこれまでの経験によって証明されています。

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図74-6 MreBを細胞膜にアンカーするモデル

 細菌のアクチンホモログはMreBだけではなく、同じオペロンに含まれるMreC、MreDなどのほか、ParMというグループもみつかっています(13、図74-4、図74-7)。ParM の役割としては、細胞分裂の際に図74-7のようにプラスミドDNAを細胞の両端に押し分け、片方の娘細胞に偏ってプラスミドが分配されないようにすることがわかっています(11、13)。図74-7の右側の図は、ParMがプラスミドDNAに結合したParRと結合していることを示しています。さらにフリーのParMは、ATPのエネルギーを使ってParM線維にDNA側から結合し、線維を伸長させることを示唆しています。 ジェケリーはその総説の中で、原核生物のタンパク質ネットワークは、1)プラスミドのパーティショニング(ParMの語源)、2)細胞分裂のための装置、3)細胞膜の合成と細胞の骨組み のために発達してきたと述べています(18)。

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図74-7 ParMの役割と線維伸長の機構

 古細菌の細胞骨格研究はあまり進んでいないようですが、クレナクチンという真核生物のアクチンとよく似たアクチンホモログがみつかっています(19-20)。アクチンホモログの分子進化はおおまかには図74-8のようになっています。FtsAは分裂溝に出現するタンパク質です。

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図74-8 細菌におけるアクチン類縁タンパク質の分子系統図

 最後にケラチン系のタンパク質についてみてみましょう。このグループのタンパク質がつくるケーブルは中間径線維と呼ばれています。真核生物の場合、アクチンがつくるケーブルはマイクロフィラメントと呼ばれており、径は5~9nm。チュブリンがつくるケーブルは微小管と呼ばれていて、径は約25nm。中間径線維のケーブルの径は8~12nmで、マイクロフィラメントと微小管の中間的なサイズです。
 真核生物の中間径繊維をつくるタンパク質は多様で、ケラチン・ビメンチン・ニューロフィラメント・核ラミンなどがあります。細菌にもこのグループのタンパク質はみつかっていて、それはクレセンチンです(21-22)。細胞がロッド状でなくジェリービーンズのような格好をした菌、あるいはヘビのようにくねくねした形態の菌に、図74-9のように片側に偏った感じで配置されています。クレセンチンがあるサイドはテンションがかかっていて縮み、逆サイドは延びるということになります。両サイドが交互に重合と解離を繰り返せば泳げるかもしれません。何かに付着したい場合、湾曲の角度を変えてぴったり密着させることができるかもしれません。
 クレセンチンはウィキペディアによると、ケラチン19のアミノ酸配列を比較すると25%が一致し40% の領域で相同性が認められるそうです。核ラミンと比較しても同様なホモロジーがあるそうで、ケラチン系タンパク質の祖先であることは間違いないと思われます。

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図74-9 クレセンチンによる細胞の屈曲と発見したアスミーズ

 脂質二重層でDNAを被えば、それは生物としての出発点といえるでしょうが、脂質だけの細胞膜は脆弱すぎるという問題があります。ですから細胞膜を多糖類やタンパク質で裏打ちしたり、その工事のために足場をつくったりするために細胞骨格が必要であったとは容易に想像できます。しかしジェケリーが言うように(18)、とりわけプラスミドDNAをうまく娘細胞に分離するために必要だったという考え方にもうなづけるものがあります。例えば図74-8の分子系統図をみるとMreBやFtsAより、ParMファミリーの方が古いタンパク質とされています。

 

参照

1)力屋観光汽船 意外と漕ぐのが難しいたらい舟
https://www.tripadvisor.jp/ShowUserReviews-g1021355-d1947724-r278970072-Rikiya_Kanko_Kisen-Sado_Niigata_Prefecture_Koshinetsu_Chubu.html
2)Erfei Bi and Joe Lutkenhaus, FtsZ ring structure associated with division in Escherichia coli., Nature vol.354, pp.161-163 (1991)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/1944597
https://www.researchgate.net/publication/21210591_FtsZ_ring_structure_associated_with_division_in_Escherichia_coli
3)de Boer P., Crossley R., Rothfield L., The essential bacterial cell division protein FtsZ is a GTPase., Nature vol. 359, pp. 254-256 (1992)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/1528268
4)RayChandhuri D., Park J. T., Escherichia coli cell-division gene ftsZ encodes a novel GTP-binding protein. Nature vol. 359, pp. 251-254 (1992)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/1528267
5)亀井綾美、山岸明彦 原核生物における細胞骨格の進化 蛋白質 核酸 酵素 vol.53, no.13 pp. 1759-1764 (2008)
file:///C:/Users/User/AppData/Local/Microsoft/Windows/INetCache/IE/C8FQEO1U/1759_53_2008.pdf
6)ウィキペディア FtsZ  https://ja.wikipedia.org/wiki/FtsZ
7)Ramanujam Srinivasan et al., The bacterial cell division protein FtsZ assembles into cytoplasmic rings in fission yeast. Genes and Development vol. 22, pp.1741-1746 (2008)
http://genesdev.cshlp.org/content/22/13/1741.full
8)宮城島進也、葉緑体の分裂制御機構とその進化 植物科学最前線 vol. 5, pp. 21-36 (2014)
9)Kiefel BR1, Gilson PR, Beech PL., Diverse eukaryotes have retained mitochondrial homologues of the bacterial division protein FtsZ., Protist.  vol. 155 (1), pp. 105-115. (2004)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/15144062
10)Qin Sun and William Margolin, FtsZ Dynamics during the Division Cycle of Live Escherichia coli Cells., J Bacteriol. vol.180(8):  pp. 2050–2056. (1998)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC107129/
11)Yu-Ling Shih and Lawrence Rothfield, The bacterial cytoskeleton., Microbiol Molec Biol Reviews pp. 729-754 (2006)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC1594594/figure/f1/
12)Fusinita van den Ent, Linda A. Amos & Jan Lowe, Prokaryotic origin of the actin cytoskeleton. Nature vol. 413, pp. 39-44 (2001)
http://www.ibt.unam.mx/computo/pdfs/cursosviejos/bcelular/procaryoticoriginofactin.pdf
13)Joshua W. Shaevitz and Zemer Gitai, The Structure and Function of Bacterial Actin Homologs, Cold Spring Harb Perspect Biol, 2:a000364 (2010)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/20630996
14)Kruse T, and Gerdes K., Bacterial DNA segregation by the actin-like MreB protein. Trends Cell Biol. vo. 15(7), pp. 343-345. (2005)
15)Figge RM, Divakaruni AV, Gober JW., MreB, the cell shape-determining bacterial actin homologue, co-ordinates cell wall morphogenesis in Caulobacter crescentus. Mol Microbiol. Vol. 51(5), pp. 1321-32. (2004)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/14982627
16)生物史から、自然の摂理を読み解く 
http://www.seibutsushi.net/blog/2008/09/566.html
17)Fusinita van den Ent, Christopher M Johnson, Logan Persons, Piet de Boer, and Jan  Löwe, Bacterial actin MreB assembles in complex
with cell shape protein RodZ., EMBO J., Vol. 29(6), pp. 1081–1090 (2010)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC2845281/
18)Gaspar Jekely, Origin and evolution of the self-organizing cytoskeleton in the network of eukaryotic organelles. Cold Spring Harb Perspect Biol, 6:a016030 (2014)
19)Thierry Izoré, Danguole Kureisaite-Ciziene, Stephen H McLaughlin,  Jan Löwe,  Crenactin forms actin-like double helical filaments regulated by arcadin-2, eLife Vol.5:e21600 (2016)
https://elifesciences.org/content/5/e21600
20)Tatjana Brauna et al., Archaeal actin from a hyperthermophile forms a single-stranded filament.,Proc NAS USA vol.112, pp. 9340-9345 (2015)
http://www.pnas.org/content/112/30/9340.full
21)Nora Ausmees, Jeffrey R Kuhn, Christine Jacobs-Wagner, The Bacterial Cytoskeleton. An Intermediate Filament-Like Function in Cell Shape. Cell,Vol.115, Issue 6, pp. 705–713, 12 December (2003)
http://www.cell.com/cell/fulltext/S0092-8674(03)00935-8?_returnURL=http%3A%2F%2Flinkinghub.elsevier.com%2Fretrieve%2Fpii%2FS0092867403009358%3Fshowall%3Dtrue
22)Ausmees N, Intermediate filament-like cytoskeleton of Caulobacter crescentus. J Mol Microbiol Biotechnol. 2006;11(3-5):152-8.

 

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73.細胞膜

 生命の起源をたどっていけば様々な触媒物質上での生化学的化学反応にたどりつくのでしょうが、これが生物であると言うためには外界との仕切りが必要であり、それは細胞膜以外にありません。生命にとって最も基本的なツールである細胞膜ですが、意外なことにその基本的な構造がわかってきたのは20世紀終盤でした。
 現在では細胞膜は脂質二重層からなることは明らかとなっていますが(図73-1)、最初に脂質二重層仮説を提出したのはゴーターとグレンデルです。1925年のことでした。彼らは赤血球から脂質を抽出し、それが水面を完全に覆ったときの面積を赤血球の表面積で割るとほぼ2という値が得られたことから、赤血球の細胞膜は脂質二重層で構成されていると考えました(1)。
 その後 Davson-Danielliのモデル、すなわちタンパク質が脂質二重層でサンドイッチされているというような考え方もありましたが(2)、結局シンガーとニコルソンが1972年に提出した流動体モザイクモデル=脂質二重層モデル(3)が、その後多くの検証を経て現在では基本的に正しいと考えられています(4)。
 デジタル大辞泉では「(生体膜は)リン脂質分子の二重層からなり、親水性の部分を外側に向け、疎水性部分を内側に挟み込むように向い合い、たんぱく質分子がその表面や内部もしくは上下に貫通するようにモザイク状に入り混じっており、脂質・たんぱく質ともに流動性をもつ」と説明されています。模式図で示すと図73-1のようになり、電子顕微鏡でも二重層を見ることができます。
 ニコルソンはこのモデルが認められたことで有名になりましたが、もうひとつ彼を有名にした事件があります。余談となりますが、このことに触れないわけにはいきません。ニコルソンは Ph D であり、経歴を見ると医学を学んだ形跡はありませんが、次第に医学に傾斜し、湾岸戦争症候群の原因解明に主導的な役割を果たしました。
 彼とナンシー夫人は、湾岸戦争症候群の主要な原因が、マイコプラズマであることを妨害を乗り越えてつきとめ、多くの患者を救いました(5-9)。これが生物兵器かどうかは別として、政府の失態であったことは確かで、そのためにニコルソン夫妻は盗聴やさまざまな生活妨害を受け、そのうち研究を停止させられるという目に遭いました。結局カリフォルニアに自分で分子医学研究所を設立して、そこで研究を続けることになりました。
 生物兵器をいったん世の中に出してしまうと、それを完全に回収することはできません。したがっていつパンデミックが発生してもおかしくない事態になります。慢性疲労症候群などの原因がマイコプラズマである可能性は高く(10)、これが生物兵器由来である可能性は否定できないと思います。また生物兵器を使用するには、人体実験をしなければならないので、政府にとっては調査・研究が行われたことが明るみに出ると、甚だまずい事態となります。ニコルソン夫妻は有名人だったので消されずにすんだのだと思います。

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図73-1 脂質二重層と流動体モザイクモデル

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図73-2 ガース・ニコルソンとセイモア・シンガー

 さてこれまでにも述べてきましたが、細胞膜を構成する脂質は主にフォスファチジルセリン、フォスファチジルエタノールアミン、フォスファチジルコリン、スフィンゴミエリン、グリコシルセレブロシドの5種類です(図73-3)。すべて親水性の頭部と疎水性の尾部という構造になっており、同じ方向を向いた層と、逆向きの層とが合体して脂質二重層を形成しています(図73-1)。脂質の比率は生物種・細胞によって異なり、たとえば大腸菌ではほとんどがフォスファチジルエタノールアミンであり、ヒト赤血球ではフォスファチジルセリン・フォスファチジルエタノールアミン・フォスファチジルコリン・スフィンゴミエリンの4種がバランス良く配合されています(11)。脳神経系ではグリコセレブロシドの比率が高まるでしょう。

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図73-3 細胞膜の主要な脂質

 シンガーとニコルソンの流動体モザイクモデルは細胞膜一般についてのモデルですが、細胞膜はどこでも均一ではなく、マイクロドメインが存在するということは電子顕微鏡を用いた観察から、1950年代にはすでに話題となっていたそうです(12)。しかしそれが脂質ラフトという名で、機能的にも重要であることが認識されてきたのは20世紀末のことです(13)。ラフトというのはいかだを意味し、細胞膜という湖にいかだが浮かんでいるということなのでしょう。この「いかだ」は通常の脂質以外にコレステロールとタンパク質が多く含まれていることがわかっています(14)。
 図73-4にウィキペディアに出ていた脂質ラフトのイラストを転載します。ラフトには膜貫通タンパク質やグリコフォスファチジルイノシトールという柄のついた傘のようなタンパク質、さらに糖タンパク質、糖脂質、コレステロールなどが集結しています。通常の部分が細胞を外界と仕切る壁とすれば、ラフトは細胞膜の特別な機能を果たす場所と言えます。コレステロールはこの特殊な場所が他の場所と混じり合わないよう、ラフト領域の流動性を低下させていると考えられます(15)。また脂質ラフトは、脂肪酸として飽和脂肪酸を含むスフィンゴ脂質あるいはスフィンゴ糖脂質を主成分としています。飽和脂肪酸は分子が直線状であるため立体障害が少なく分子が密に会合しています。一方、折れ曲がった分子である不飽和脂肪酸で構成される他の領域は比較的緩やかに会合しています。このような性状により、脂質ラフトは他の領域と比較して流動性が比較的低くなっているようです(12)。また脂質ラフトは他の部分に比べて厚みがあるので、膜貫通領域が長いタンパク質を収容することができます。

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図73-4 細胞膜の脂質ラフト

 膜貫通タンパク質は細胞の外側と内側をつなぐ物質と情報の中継点であり、また内外の分子の濃度差を利用してエネルギーやパルスをつくることもできます。膜貫通タンパク質は次の4つのグループに分けられます。

1.1回貫通タンパク質
2.イオンチャネル
3.7回貫通タンパク質(Gタンパク質共役受容体)
4.その他

 まず1回貫通タンパク質ですが、多くはチロシンキナーゼ活性またはセリン/スレオニンキナーゼ活性をもつ酵素です。細胞外からシグナル因子がくると、それの受容体となって結合し、構造変化を起こしてチロシンキナーゼ活性を発動させ、細胞内の因子をリン酸化してなんらかの効果を得るという機能を持つタンパク質です。インスリン受容体、上皮成長因子(EGF)受容体、神経成長因子(NGF)受容体、血管内皮細胞増殖因子(VEGF)受容体、インスリン様増殖因子(IGF)受容体、繊維芽細胞増殖因子(FGF)受容体、肝細胞増殖因子(HGF)受容体、血小板由来成長因子(PDGF)受容体、サイトカイン受容体、細胞接着因子受容体など多くのタンパク質がこのグループに所属します(16)。
 代表例としてインスリン受容体を図73-5に示しました。ちなみにインスリンがどのようにインスリン受容体と結合するかが解明されたのはごく最近のことです(17)。図をみると一見2回貫通しているように見えますが、細胞外でダイマーを形成しているわけで、それぞれの酵素は1回貫通です。ただしダイマーのうち片方にしかインスリンは結合しません。インスリン結合によって受容体は活性化され、細胞内のチロシンキナーゼ活性によってIRS-1という因子がリン酸化され、さまざまな反応が連鎖しておこります。この結果グルコースが細胞にとりこまれ血糖値は低下します(図73-5)。

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図73-5 インスリン受容体

 次にイオンチャネルですが、細胞には適切なイオン濃度があって適宜調節が必要です。もちろん最適なイオン濃度はイオンによって異なりますし、細胞によっても異なります。ロデリック・マッキノンら(図73-6)は放線菌のカリウムチャネルタンパク質を結晶化して構造解析することに成功しました(18)。

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図73-6 ロデリック・マッキノンとピーター・アグレ

 カリウムチャネルは1回膜貫通タンパク質であり、中心に穴が開いていてイオンが通過できる構造になっています(図73-7)。ただし図73-8左図のようにイオンを選別するフィルター様の構造があり、ここのドメインにうまく結合しないとチャネルを通過できないようになっているため、各イオンチャネルは特定のイオンだけを選別して通す機能を持っています。イオンチャネルは濃度勾配でイオンを移動させるわけですが、開閉によってイオン濃度を調節することができます。開閉のシグナルは、膜電位・リガンド・機械刺激・温度・リン酸化などさまざまです(19)。

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図73-7 上から俯瞰したカリウムチャネル

 水を選択的に透過させるチャンネルもみつかっています。解明したのはピーター・アグレらで(20、図6)、アクアポリン(水チャンネル)と呼ばれるこのタンパク質は6回膜貫通タンパク質であり、イオンチャネルとは全く素性の異なる物質です。前記の膜貫通タンパク質の分類では「4.その他」になるタンパク質で、N末とC末の両者が細胞内にあります。多数の種類があり、水以外の物質を通過させるものもあるようです(21)。

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図73-8 イオンチャネルと水チャネル(アクアポリン)

 マッキノンとアグレはここに述べた業績で、2003年のノーベル化学賞を受賞しました。マッキノンは医学への道を棄てて基礎科学に転じた人ですが、東洋系の奥さんが支えてくれたおかげでポストドク時代の困難な生活を乗り切ることができたそうです(22)。基礎科学では飯が食えないので医師に転じたという知人・友人は多いですが、逆のケースはほとんど知りません。フランソワ・ジャコブが戦傷で医師への道を断念して基礎科学に転じたというのは有名な話ですが。一方アグレはしばしばキューバに渡航して、学会や講義活動を行ったばかりでなく、フィデル・カストロ首相と会ったりして外交的活動にも関心があったようです。また北朝鮮にも渡航して学術交流を行うなど、学問を通した国際交流にも熱心で、一時は上院議員を志したこともあるそうです。
 最後に7回膜貫通タンパク質について少し述べておきます。その構造を二次元的に展開したのが図73-9ですが、細胞膜を7回貫通し、細胞外にN末端、細胞内にC末端があります。7回膜貫通タンパク質はすべてGタンパク質共役受容体です。すなわちGタンパク質が、7回膜貫通タンパク質がループを形成している細胞内の青色などの部分に結合すると、Gタンパク質は結合していたGDPをリリースしGTPと結合します。同時に、Gタンパク質はサブユニットGαとGβγに分離し、それぞれの機能を発揮します。その後GαはGTPを加水分解し、そのエネルギーを用いてGβγと再結合します。
 7回膜貫通タンパク質は外界からの情報を受け取る、すなわち細胞外にある受容体にリガンドが結合すると、細胞内部分がGタンパク質と結合し、その結果Gタンパク質が活性化されて、生化学反応のカスケードが起動されるという機能を持っています。このタンパク質については、この後もしばしば登場すると思います。

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図73-9 細胞膜7回膜貫通タンパク質=Gタンパク質共役受容体

 7回膜貫通タンパク質=Gタンパク質共役受容体はメジャーなホルモンなどの受容体なので、市販の薬の約60%がこのグループをターゲットとしていると言われています。主なものを図73-10に示しました。ほぼ同じ長さの7本のαヘリックスが円筒状の構造を形成しているタンパク質であることがわかります。このほかにも嗅覚受容体・光受容体など非常に生理的に重要な物質も含まれています。

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図73-10 Gタンパク質共役受容体の主要な例

 Gタンパク質共役受容体(GPCR=G protein-coupled receptor)の研究で、ブライアン・コビルカとロバート・レフコウィッツの2名が2012年のノーベル化学賞を共同で受賞しています(図73-11)。

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図73-11 ブライアン・コビルカとロバート・レフコウィッツ

 細胞膜を職場としているタンパク質には、膜貫通タンパク質以外に、特殊なアンカー(GPIアンカー、GPI:Glycosylphosphatidylinositol )で膜とつながり、膜の外に突き出た状態で機能するものがあります(図73-4、図73-12)。GPIアンカーの構造は図73-12のようなもので、タンパク質-フォスフォエタノールアミン-3マンノース&Nアセチルグルコサミン-フォスファチジルイノシトール-2脂肪酸という順につながっています。最後の脂肪酸が細胞膜に埋め込まれている部分です。GPIアンカー型タンパク質は原生生物・酵母・カビ・粘菌・植物・無脊椎動物を含む真核生物全域でみつかっています(23)。

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図73-12 GPIアンカーを持つタンパク質

 細胞膜の外側で酵素を働かせようとした場合にGPIアンカーが使われるようです。リストを図73-13に示しますが、酵素の他、細胞接着、補体の制御、神経系のレセプターなどの機能があるようです。FGFの活性を制御していると言われるグリピカンファミリーもこのグループに属します(24)。Gタンパク質共役受容体のグループに比べると地味な感じですが、薬剤のターゲットとして注目されているようです。

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図73-13 哺乳類に見られるGPIアンカー型タンパク質のリスト

参照

1)E. Gorter and F. Grendel, On bimolecular layers of lipoids on the chromocytes of the blood., J Exp Med. vol. 41(4): pp. 439-443. (1925)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC2130960/pdf/439.pdf
2)J. Danielli and H. Davson, A contribution to the theory of permeability of the films.,  J.Cellul.Physiol. vol. 5, Issue 4, pp. 495-508 (1935)
3)S. J. Singer, and Garth L. Nicolson, The Fluid Mosaic Model of the Structure of Cell Membranes., Science. vol.175 (no.4023): pp.720-723 (1972)
http://www.jstor.org/stable/1733071?origin=JSTOR-pdf&seq=1#page_scan_tab_contents
4)Garth L. Nicolson, The Fluid—Mosaic Model of Membrane Structure: Still relevant to understanding the structure, function and dynamics of biological membranes after more than 40 years. Biochimica et Biophysica Acta (BBA) - Biomembranes, Vol. 1838, Issue 6,  pp. 1451–1466 (2014)
http://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0005273613003933
5)Garth L. Nicolson, Ph.D. and Nancy L. Nicolson, Ph.D. Chronic Fatigue Illnesses Associatedwith Service in Operation Desert Storm. Were Biological Weapons Used Against our Forcesin the Gulf War?  TOWNSEND LETTER FOR DOCTORS 1996; 156:42-48.
http://www.immed.org/GWI%20Research%20docs/06.26.12.updates.pdfs.gwi/TownsendLettGWI1996.pdf
6)湾岸戦争症候群に罹患した復員軍人の「家族」の血液から生物兵器?を続々検出
http://www.asyura2.com/0311/war41/msg/282.html
7)白血球から検出のマイコプラズマにエイズウイルスの被膜遺伝子配列:生物兵器の証拠文献
http://www.asyura2.com/0311/war41/msg/582.html
8)米軍病理学研究所へようこそ!:これが米国のばら撒いた「免疫不全」マイコ生物兵器:全訳付き
http://www.asyura2.com/0311/war41/msg/707.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/141.html
9)ニコルソン博士夫妻に驚くべき妨害
http://satehate.exblog.jp/11649060/
10)Endresen, G.K., Mycoplasma blood infection in chronic fatigue and fibromyalgia syndromes., Rheumatol Int. vo. 23(5), pp. 211-215. Epub 2003 Jul 16.
http://link.springer.com/article/10.1007%2Fs00296-003-0355-7
11)京都大学大学院 梅田研究室
http://www.sbchem.kyoto-u.ac.jp/umeda-lab/research/hikaku.html
12)ウィキペディア: 脂質ラフト
13)Kai Simons & Elina Ikonen, Functional rafts in cell membranes., Nature vol. 387, pp. 569-572 (1997) | doi:10.1038/42408
14)Richard M. Epand, Proteins and cholesterol-rich domains., Biochimica et Biophysica Acta (BBA) - Biomembranes, Vol. 1778, pp. 1576-1582 (2008)
http://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S000527360800120X
15)慶應義塾大学環境情報学部・基礎分子生物学3 「膜の構造と機能」
http://chianti.ucsd.edu/~rsaito/ENTRY1/WEB_RS3/PDF/JPN/Texts/biobasic3-2-7.pdf#search=%27%E3%82%B3%E3%83%AC%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%AB++%E8%86%9C%E6%B5%81%E5%8B%95%E6%80%A7%E3%81%AE%E4%BD%8E%E4%B8%8B%27
16)薬のすべてがわかる!薬学まとめ
http://kusuri-yakugaku.com/pharmaceutical-field/pharmacolory/receptor/membrane-receptor/1tm-receptor/
17)John G. Menting et al., How insulin engages its primary binding site on the insulin receptor., Nature  vol. 493, pp. 241–245 (2013) doi:10.1038/nature11781
18)Doyle DA, Morais Cabral J, Pfuetzner RA, Kuo A, Gulbis JM, Cohen SL, Chait BT, MacKinnon R.,  The structure of the potassium channel: molecular basis of K+ conduction and selectivity.,  Science vol. 280 (5360): pp. 69–77. (1998)  doi:10.1126/science.280.5360.69. PMID 9525859
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22)The Nobel Prize.,  Roderick MacKinnon Biographical
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2020年1月22日 (水)

72.呼吸

 ハンス・クレブスやフリッツ・リップマンらの研究によって、クエン酸回路の全貌が明らかとなり、ブドウ糖が体内でどのように代謝されるかが解明されました(図72-1)。しかし図72-1にATPという文字はどこにも書かれていません。酸素もどこにも現れません。クエン酸回路は呼吸の要(かなめ)なのにどうなっているのでしょうか?
 クエン酸回路は、TCA回路、TCAサイクル (tricarboxylic acid cycle) 、トリカルボン酸回路、クレブス回路などとよばれることがありますが、すべて同じ意味です。

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図72-1 クエン酸回路

 まずクエン酸回路に投入される物質(インプット)と、クエン酸回路で生成される物質(アウトプット)を図72-2にまとめてみました。科学者に課せられた課題は、このアウトプットがどのようにATP生成や酸素の消費にかかわっているかということでした。

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図72-2 クエン酸回路に投入される分子と、クエン酸回路で生成される分子

 クエン酸回路の反応が行われている場所がミトコンドリアであることは、当時から推測されていたわけですが、その反応系を試験管の中に取り出すことは誰にもできませんでした。そのためにはまず細胞を壊して、反応系が無傷で保存されているミトコンドリアを取り出さなければいけません。つまり細胞は壊れているけれど、ミトコンドリアは壊れていないという状態です。これに成功したのがアルベール・クロード(図72-3)でした。
 クロードはベルギー人で、子供の頃に母親を亡くして叔母の手で貧困の中で育ちましたが、第一次世界大戦がはじまったときにチャーチルにあこがれて英国のスパイ組織に従事し、戦後連合国のメダルと退役軍人のステータスを獲得することができて、進学の機会を与えられました。彼は高校に行ってなかったので、リエ-ジュ大学医学部に入学する前に鉱山学校で勉強することが必要でしたが、そこで鉱石を遠心分離機で分離する技術を知ることができました。何が幸いするかわかりません。彼はこれを細胞にも応用して、ミトコンドリアを遠心分離機を使って無傷で取り出すことに成功したのです。この技術は細胞分画法とよばれるもので、後の生化学の発展に大きく寄与しました(1)。
 ミトコンドリアはサイズが小さすぎて光学顕微鏡ではうまく観察できないので、構造を解明するためには電子顕微鏡を用いた研究が必要でした。クロードはルーマニア人のジョージ・パラディー(図72-3)を誘って、電子顕微鏡を生物試料に適用する研究を進めてもらいました。二人は後年(1974年)ノーベル医学生理学賞を受賞しました。

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図72-3 アルベール・クロードとジョージ・パラディー

 さてそのミトコンドリアですが、もともとは細菌だったと考えられているわけです。真核生物にとりこまれ、紆余曲折を経て現在のようにオルガネラとして細胞の中で生きています。ミトコンドリアの最もシンプルな構造図を図72-4に記します。外膜は真核生物由来らしく、細菌から引き継いだ特異な機構は内膜に集中しています。ウィキペディアによるとミトコンドリアの重量は人間の体重の10%を占めるそうで、私達はまさしく真核生物と細菌の合作であることを思い起こさせます。
 ミトコンドリアは真核生物に取り込まれる前から、クエン酸回路で生成したNADHやFADH2、および取り込んだ酸素を使ってH+(プロトン)を膜間腔に追い出し、マトリックスと膜間腔の間に形成されたH+の濃度差による化学浸透圧を利用してATPを合成しています。このようなメカニズムに最初に気がついたのはピーター・ミッチェル(図72-5)でした。彼はその研究結果を1961年にNature誌に報告しました(2)。しかしその理論はあまりにも斬新なものだったので信じる人が少なく、職を得ることができなかったので、自宅をGlynn研究所と名付けて自費で研究を続けるしかありませんでした(3、4)。

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図72-4 ミトコンドリアの模式的構造図

 この困難な状況はエフレム・ラッカー、香川靖雄(図72-5)らによって、ミトコンドリアの内膜に埋め込まれたATP合成酵素が発見されたことで劇的に改善され、ピーター・ミッチェルは1978年にノーベル化学賞を受賞しました。このあたりの事情は参照文献(3)に詳述されています。図72-4の膜内粒子とはATP合成酵素でした。この酵素は複雑で巨大な構造をとっており、まだ正確な分子量は明らかになっておりません。

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図72-5 ピーター・ミッチェルと香川靖雄

 現在の理解では、図72-6に示されるように膜貫通システム複合体 I、III、IV、およびそれを補佐するシステムIIによって、NADH、FADH2、酸素を使ってプロトン(H+)をマトリックスから膜間腔に排出するポンプを駆動し、排出されたプロトンが化学浸透圧によってマトリックスに回帰する際に、そのエネルギーを利用してATP合成酵素がADPからATPを合成するということになっています(5、6)。

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図72-6 ミトコンドリアにおける内膜からの水素イオン排出とATPの産生

 複合体 I についてウィキペディアの受け売りをしますと、図72-7のように、「複合体 I では、解糖系およびクエン酸回路から得られた NADH から2つの電子が取り除かれ、脂質可溶キャリアであるユビキノンに移される。ユビキノンの還元生成物であるユビキノールは膜の内部を自由に拡散し、次の複合体 III に電子伝達を行なう。複合体 I はプロトンポンプ機構(プロトンが膜を通過する機構)およびキノンサイクル機構を用いて4つのプロトンを膜を通して移動させ、プロトン勾配を作る」 ということになっているそうです(7)。ユビキノンの還元について関心のある方は(8)をご覧下さい。複合体 I が行っていることの収支式は:
NADH + ユビキノン(Q) + 5H+ in → NAD+ + ユビキノール(QH2) + 4H+out です。

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図72-7 ミトコンドリアの膜貫通システム電子伝達系複合体

 プロトンの排出を行っている複合体は細菌とミトコンドリアではかなり異なっているようですが(7)、ATP合成酵素は全生物共通で進化の痕跡がみられない(9)というのは驚異的です。
 ATP合成酵素の研究でポール・ボイヤーとジョン・ウォーカーが1997年にノーベル化学賞を受賞しましたが(10、図72-8)、その影には木下一彦(図72-8)らの革命的な研究があったことは確かでしょう。ボイヤーらはATP合成酵素がタービンのように回転するという仮説をたてていましたが、誰もそれを証明することができなかったのです。しかし木下らは酵素を標識することによって、顕微鏡下でその回転を可視化することに成功しました(11)。これによってボイヤーは高齢でノーベル賞を受賞することができたと思われます。
 木下一彦や吉田賢右(12-13)は当然ノーベル賞を受賞すべき成果を上げましたが、ボイヤーが高齢であることから迅速にということで、彼と結晶化して分子構造を解析したジョン・ウォーカーが、とってつけたような Na-K-ATPase のイェンス・スコウと共に授賞されました。論文発表の年に授賞というのはいくらなんでも無理だったのでこういうことになったのでしょう。

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図72-8 ポール・ボイヤー(1918~2018) ジョン・ウォーカー(1941~) 木下一彦(1946~2015)

 ATP合成酵素は膜間腔につきだしているF1部位と、ミトコンドリア内膜に埋め込まれているFo(エフオー)部位からなる巨大なタンパク質複合体です(図72-9)。プロトンの流れによってF1部位の γ サブユニットがタービンのように回転し(反時計回り)、ATPを合成するエネルギーを生み出していると考えられます(13)。ATP合成酵素によってマトリックスにとりこまれたプロトンは、すぐに酸素と結合して水になってしまうので、クエン酸回路とプロトンポンプが動いている限り、内膜の外と内でプロトンの濃度差がなくなる状態にはなりません。
 以上のようにエムデン・マイヤーホフ系はミトコンドリア外の細胞質で、クエン酸回路はミトコンドリアマトリックスで、プロトンポンプとATP合成酵素はミトコンドリア内膜で機能しています。

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図72-9 モーターとして機能するATP合成酵素

 木下一彦氏は2015年の秋に、南アルプス小仙丈岳付近で滑落死するという不慮の死をとげています(14)。私もこのあたりは何度も歩いたことがありますが、夏山では何の問題もないハイキングコースのようなところでも、凍結していると危険なことをあらためて痛感しました。故木下氏にお線香やお花を手向けるサイトが開設されています(15)。ご冥福をお祈りします。

参照

1)Wikipedia: Albert Claude,  https://en.wikipedia.org/wiki/Albert_Claude
2)Peter Mitchell, Coupling of phosphorylation to electron and hydrogen transfer by a chemi-osmotic type of mechanism. Nature  vol. 4784, pp. 144 - 148 (1961)
3)香川靖雄 「ATP合成酵素の発見から人体エネルギー学まで」 日本蛋白質科学会 シリーズ「わが国の蛋白質科学研究発展の歴史」第4回 pp. 23-32
http://www.pssj.jp/archives/files/ps_history/PS_History_04.pdf
(筆者註:この文献はいつ出版されたのか確認できませんでした。日本蛋白質科学会が設立されたのが2001年なので、それ以降であることは確かです)
4)杉晴夫 「栄養学を拓いた巨人たち」 講談社ブルーバックス (2013)
5)ウィキペディア: ミトコンドリア
6)役に立つ薬の情報~専門薬学 電子伝達系と酸化的リン酸化
http://kusuri-jouhou.com/creature1/dentatu.html
7)ウィキペディア: 電子伝達系
8)CoQ10(ユビキノン) http://hobab.fc2web.com/sub4-CoQ.htm
9)ウィキペディア: ATP合成酵素
https://ja.wikipedia.org/wiki/ATP%E5%90%88%E6%88%90%E9%85%B5%E7%B4%A0
10) The Nobel Prize in Chemistry 1997,
https://www.nobelprize.org/nobel_prizes/chemistry/laureates/1997/
11)Noji H1, Yasuda R, Yoshida M, Kinosita K Jr.,  Direct observation of the rotation of F1-ATPase.,  Nature, vol. 386(6622): pp. 299-302. (1997)
12)京都産業大学 吉田賢右教授 https://www.kyoto-su.ac.jp/liaison/kenkyu/message48.html
13)野地博行 安田涼平 木下一彦 「回る酵素の観察」 バイオサイエンスとインダストリー vol. 56, no.10, pp. 665-670 (1998)
http://www.k2.phys.waseda.ac.jp/PDF/1998BioSI_Noji_RotEnz.pdf
14)明滅する一筋の光が我々にみせたもの ~木下一彦さんの追悼に代えて~
http://slight-bright.hatenablog.com/entry/2016/01/28/225438
15)https://mairi.me/-/1135542

 

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71.解糖

 17世紀英国の天才化学者ジョン・メイヨー(図71-1)は、密閉容器にねずみとろうそくを入れ、ろうそくを燃やすと、まずろうそくが消えて、そのあとねずみが死ぬことを発見しました。ろうそくを燃やさないと、ねずみは燃やしたときと比べてもっと永く生きられました。ボイルがすでに燃焼には空気が必要であることを主張していましたが、メイヨーは燃焼および生命現象には、空気の成分の1部だけが必要であるとし、その要素を酸素と命名しました。彼は肺が空気から酸素をより分けて血液に供給していると考え、さらに筋肉の活動も体温維持も酸素の燃焼によって行われていると考えていました(1)。メイヨーの慧眼には恐るべきものがあります。
 メイヨーの学説はほぼ100年後に、ジョゼフ・プリーストリーとアントワーヌ・ラボアジェ(1743~1794、図71-1)によって再発見され、特にラボアジェは当時流布していたフロギストン説(「燃焼」はフロギストンという物質の放出の過程である)を否定し、物質と酸素が結合することが燃焼の本質であることを証明しました。彼はこのことを契機に質量保存の法則をみつけました。

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図71-1 ジョン・メイヨーとアントワーヌ・ラボアジェ

 ラボアジェはメイヨーの考えを正しく引き継ぎ、生命の本質とは、呼吸によって体内に取り込まれた酸素によって、体内の物質を燃焼させることであると考えました。彼の著書 "Elements of Chemistry" は英文版もあり、無料でダウンロードして読むことができます(2)。業績をわかりやすくまとめたサイトもあります(3)。
  彼は炭の燃焼を研究し、その本質が炭素と酸素の結合によって二酸化炭素が発生することであることを発見しました。さらに人間の呼吸もこれと類似した現象で、体内にとりこまれた酸素が、体内の炭素と結合して炭酸になることであるとしました。図71-2(4より)はラボアジェと共同研究者達が人の吐く息を集めて、成分を分析する実験を行っているところです。一番右でノートをとっているのが彼の妻マリー=アンヌ・ピエレット・ポールズで、なんと13才でラボアジェに嫁ぎ、その後彼のために多大な貢献をしました。彼女は実験ノートをとるだけでなく、実験器具や実験を実施している状況を正確に絵に描いたり、実験の手伝いや英語の論文の翻訳(仏語・英語・イタリア語・ラテン語に堪能でした)など八面六臂の大活躍で、世界最初の女性科学者とされています(5)。また自宅にサロンをひらいて、国内外から著名な科学者らを集め議論したそうです(6)。

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図71-2 ラボアジェの実験室

 ラボアジェは徴税請負人の仕事で研究費を稼いでいました。この仕事は当然庶民から恨みを買う仕事であり、フランス革命において断罪され処刑される結果となりました。彼の名はもちろんエッフェル塔に刻まれています。フランス革命政府のとりかえしのつかない失策でした。彼を訴追した男は夫人の抗議で、後に逮捕されたそうですがラボアジェが処刑された後のことでした(6)。
 さて、ではラボアジェの言う酸素と結合して燃焼する生体物質とは何なのでしょうか? この答えを得るために大きな貢献をしたのがクロード・ベルナール(1813~1878、図71-3)でした。彼はエネルギー源となる物質はブドウ糖であること、ブドウ糖はグリコゲンという形で肝臓に貯蔵され、グリコゲンは必要時にブドウ糖に分解されることなどを証明しました。このほかにも膵液がタンパク質や多糖類を消化する、胆汁は脂質の消化を助ける、など栄養学の基盤となるような現象を次々と解明しました(7)。ただベルナールの時代には実験動物の取り扱いが悲惨なものだったので、彼の家族は動物実験に反対してみんな出て行ってしまいました(3)。国葬までされた偉大な科学者でしたが、プライベートは寂しい人生だったようです。
 クロード・ベルナールは科学哲学者でもあり、松岡正剛がまとめた彼の言葉(8)から少し引用してみました。

● 実験は客観と主観のあいだの唯一の仲介者である。
● 実験的方法とは、精神と思想の自由を宣言する科学的方法である。
● われわれは疑念をおこすべきなのであって、懐疑的であってはならない。
● 実験的見解は完成した科学の最終仕上げである。

 いくら自分の見解を声高に主張しても、それは単なる主観であって、その正当性は実験によってしか証明できません。ベルナールの「実験医学序説」は私も学生時代に読んだ記憶があります。現在も岩波文庫で出版されているようです(9、図71-3)。

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図71-3 クロード・ベルナールと実験医学序説

 エネルギー源がブドウ糖であることがわかったので、次はブドウ糖がどのように代謝されてエネルギーが生み出されるのかという問題でした。この問題を解明したのはグスタフ・エムデン(1874~1933、図71-4)とオットー・マイヤーホフ(1884~1951、図71-4)でした。
 エムデンとマイヤーホフは共にユダヤ人だったので、ヒトラーが台頭してからは悲惨な人生でした。エムデンはヒトラー・ユーゲントの乱入で講義を妨害され、自宅に引きこもって失意のうちに病死、マイヤーホフはフランスからピレネー山脈を越えてスペインに逃れ、さらにアメリカに亡命しました。このあたりの事情は木村光が詳細を記述しています(10)。彼の文章を読むと、マイヤーホフがアメリカに亡命できたのはまさに奇跡であったことがわかります。

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図71-4 グスタフ・エムデンとオットー・マイヤーホフ

 エムデンとマイヤーホフと彼らの協力者達が解明したブドウ糖からピルビン酸への代謝経路を図71-5に示します。現代的知見では、この経路で1分子のブドウ糖の代謝によって4分子のATPが生成され、2分子のATPが消費されます。またNADHが2分子生成されます。図71-5で計算が合わないと思われる方もおられるかもしれませんが、グルコース1分子からグリセルアルデヒド-3-リン酸2分子が生成されるので計算は合っています。この代謝経路は解糖におけるエムデン-マイヤーホフ経路と呼ばれています。エムデンとマイヤーホフはまさしくライバルであり、競い合ってこの経路を解明しました。
 エムデン-マイヤーホフ経路は、多少のバリエーションはありますが、細菌・古細菌・真核生物それぞれの、ドメインを問わない共通の代謝経路です。酸素がなくてもATPを産生できるので、地球の大気に酸素がなかった時代から完成していたと思われます。地球の生物がひとつのファミリーであることの証左でもあります。

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図71-5 エムデン-マイヤーホフ経路

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図71-6 牧野堅とその経歴・業績

 すでに核酸のところでも出ましたが、ATPの構造を再揭します(図711-7)。ATPは図のように高エネルギー結合を2ヶ所に持っており、加水分解されてADPあるいはAMPに代謝されると、エネルギーを放出します。狭い場所に酸素原子が5個も存在して、電気的反発で非常に居心地が悪いのに、酸素を挟んで並ぶPとPが中間にある酸素のローンペアを綱引きしているので、いわゆる共鳴による安定化ができないため、非常に不安定な状態にあります(図71-7)。両側からバネで無理矢理圧縮されているような状態なので、加水分解で解放されると激しく振動し、温度を上昇させます。

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図71-7 アデノシン3リン酸(ATP)の構造と高エネルギー結合

 またATPは図71-8に示したように、共役反応によって、基質Aをより自由エネルギーの高い活性化状態に担ぎ上げることができます。この状態でBと反応が進行し、リン酸を放出して化合物A-Bが生成します。この場合AとBと酵素を単にまぜあわせても、ATPがなければA-Bという化合物はできません。ATPを使う共役反応で、生物は必要な物質を、高分子物質すら合成することができます。ATPはこのように生合成や発熱に使われるだけでなく、筋収縮や能動輸送など生物に特異な現象に幅広く関わっています。

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図71-8 ATPを用いた共役反応

 1937年ハンス・クレブス(1900~1981、図71-9、14)はハト胸筋のスライスにピルビン酸とオキザロ酢酸を加えるとクエン酸が生成されることを発見しました。その頃までにコハク酸からオキザロ酢酸への経路はセント・ジェルジによって、クエン酸からα-ケトグルタル酸への経路はカール・マルチウスとフランツ・クヌープによって明らかにされていたので、この両者をつなぐことができたことで、一気にクエン酸回路の完成に近づきました(5)。彼は尿素回路も発見した、まさに天才的科学者でかつ医師でしたが、ユダヤ人であったためにドイツで働くことができず、英国に移住して研究を行いました。
 クレブスの実験はあくまでも細胞にピルビン酸とオキザロ酢酸を加えると、途中の経路はブラックボックスで、結果的に細胞がクエン酸を生成するというもので、反応の実体は不明でした。このブラックボックスを解明したのがフリッツ・リップマン(1899~1986、図71-9、15)でした。リップマンもユダヤ人であり、ナチスの迫害を逃れて米国で研究を行いました。彼らに限らず、20世紀における科学の重要な進展の多くは、ナチスに追われたユダヤ人によって成し遂げられました。

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図71-9 ハンス・クレブスとフリッツ・リップマン

 解糖によって生成されたピルビン酸が、どのようにしてクエン酸回路に投入されるかという問題はリップマンによって解明されました。キーとなる因子はリップマンが発見したコエンザイムA(CoA あるいは HSCoA などとも表記します)でした(図71-10)。まずピルビン酸はコエンザイムAと反応してコエンザイムをアセチル化し、アセチルCoAを生成します(図71-10、図71-11)。この反応で二酸化炭素とプロトンが発生し、二酸化炭素は肺から外界に排出されます。プロトンはミトコンドリアに蓄積されます。
 次にアセチルCoAはオキザロ酢酸とアセチル基を連結させてクエン酸とHSCoAを生成します。クエン酸はクエン酸回路に投入され、HSCoAは再利用されるということになります。クレブスとリップマンはクエン酸回路の解明によって、1953年にノーベル医学・生理学賞を受賞しています(16-18)。
 余談ですが、クエン酸回路を記憶するための歌が YouTube に発表されています(19)。

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図71-10 コエンザイムAとアセチルコエンザイムA

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図71-11 クエン酸回路へのクエン酸の投入

 コエンザイムAのような非常に複雑な分子が、どのような経緯で酸素存在下での生物の大発展のためのキーファクターになったのか、それは謎です。

 

参照

1)J.J.Beringer,  John Mayow: Chemist and Physician.,  Journal of the Royal Institution of Cornwall. Royal Institution of Cornwall. vol.IX, pp.319-324
https://books.google.co.jp/books?id=10MBAAAAYAAJ&pg=PA319&redir_esc=y&hl=ja#v=onepage&q&f=false
2)Internet Archive:  Elements of chemistry by Lavoisier, Antoine Laurent, 1743-1794
https://archive.org/details/elementschemist00kerrgoog/page/n14
3)近代化学の父:ラボアジェ
https://istudy.konan.ed.jp/renandi/materialcontents/107932/101920/2016PreLabo09.pdf
4)ウィキペディア: アントワーヌ・ラヴォアジエ
5)杉晴夫著 「栄養学を拓いた巨人たち」 講談社ブルーバックスB-1811 (2013)
6)ウィキペディア: マリー=アンヌ・ピエレット・ポールズ
7)F. G. Young, Claude Bernard And The Discovery Of Glycogen: A Century Of Retrospect., The British Medical Journal, Vol. 1, pp. 1431-1437  (1957)
https://www.jstor.org/stable/25382898?seq=1#page_scan_tab_contents
8)松岡正剛の千夜千冊 クロード・ベルナール「実験医学序説」
https://1000ya.isis.ne.jp/0175.html
9)クロード・ベルナール著、三浦岱栄訳 「実験医学序説」 岩波文庫 青916-1(1970)
10)木村光、オットー・マイヤーホッフのヒトラーとナチスからの逃脱-ピレネー越えの真相 化学と生物 vol. 53 (11), pp.792-796 (2015)
https://katosei.jsbba.or.jp/view_html.php?aid=478
11)Fiske CH, Subbarow Y.,  Phosphorus compounds of muscle and liver. Science 1929, vo. 70, pp. 381-382 (1929)
12)Makino K., Ueber die Konstitution der Adenosin-Triphosphorsaeure. Biochem Z. vol. 278, pp. 161-163 (1935)
13)松田誠 牧野堅によるATP構造解明 慈恵医大誌 vol. 125, pp. 239-248 (2010)
http://ir.jikei.ac.jp/bitstream/10328/6505/1/125-6-239.pdf
14)ウィキペディア: ハンス・クレブス
15)ウィキペディア: フリッツ・アルベルト・リップマン
16)Award Ceremony Speech.
https://www.nobelprize.org/nobel_prizes/medicine/laureates/1953/press.html
17)Hans Krebs: Nobel lecture, The citric acid cycle.
https://www.nobelprize.org/nobel_prizes/medicine/laureates/1953/krebs-lecture.pdf
18)Marc A. Shampo and Robert A. Kyle., Fritz Lipmann—Nobel Prize in Discovery of Coenzyme A. Mayo Clinic Proceedings, Volume 75, Issue 1,  Page 30
http://www.mayoclinicproceedings.org/article/S0025-6196(11)64252-3/pdf
19)https://www.youtube.com/watch?v=9bpdMyxNLfQ

 

 

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70.ステロイド

   ステロイドというと一般的には炎症を抑えるために処方されるコルチゾール系の薬品を意味しますが、学術的にはもっと幅広く、性ホルモン・胆汁酸・コレステロールなども含みます。ステロイドという生体物質は、脂肪酸や油脂とは全く異なり、図70-1に示されるような風変わりな基本構造(ステロイド骨格)を持っています。この基本構造はA,B,Cという3つの6員環とDというひとつの5員環からなり、通常3の位置がヒドロキシル化(-OH)またはカルボニル化(=O)されています。また10と13の位置はメチル化、17の位置はアルキル化されています。アルキル化というのはCH3、CH2CH3、CH2CH2CH3、・・・ などCnH2n+1が結合するという意味です。
 ステロイド骨格そのものは脂溶性で水に不溶ですが、ヒドロキシル化されていると多少水に溶ける場合があります。17位に結合しているアルキル基がヒドロキシル化されることもあります。

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図70-1 ステロイド骨格における炭素の番号

 ステロイドはほとんどの真核生物の体内で生合成され、細胞膜の重要な構成成分となっているほか、胆汁に含まれる胆汁酸やホルモン類(性ホルモン・副腎皮質ホルモンや昆虫の変態ホルモンなど)として、幅広く利用されています。ただしステロイドは真核生物だけに合成能力があり、細菌や古細菌にはみられません。したがって例えば化石にステロイドが含まれていれば真核生物と示唆されます。もちろん現生生物による汚染の問題は常に考慮されなければなりません(1)。
 話は変わりますが、多くの硬骨魚類は鰾(うきぶくろ)を持っていますが、サメなどの軟骨魚類はもっていません。従って泳がないと海底に沈んでしまいます。このような事態をさけるために、一部のサメは肝臓に多量のスクワレンという脂質を蓄えて浮力の足しにしています(2、3)。サプリメントの肝油というのはこの種のサメの肝臓の抽出物です(4)。辻本満丸は1906年にサメの肝油からスクワレンを発見して記載しています(5、図70-2左)。後日書籍にもなっているようです(図70-2右)。

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図70-2 辻本満丸によるスクワレンの発見

 スクワレンの分子構造は、1929年になってイアン(イシドール)・ヒールブロンによって明らかにされました(6)。 スクワレンはクエン酸回路やβ酸化にもかかわっている、いわば代謝の交差点のようなアセチルCoAから生合成されます(図70-3)。そしてスクワレンがステロイド合成の起点となります。

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図70-3 スクワレンの合成経路  スクワレンが起点となってステロイドが合成される

 スクワレンはスクワレンエポキシデース(7)とラノステロールシンテース(8)という2種の酵素のはたらきで、ラノステロールというステロイド骨格をもつ化合物に変化します。

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図70-4 スクワレン(スクアレン)からステロイドへの合成経路 ラノステロールの合成

 ラノステロールはあらゆるステロイド化合物の前駆体ですが、自身もラノリンの成分として動物の皮脂腺から分泌されており、毛皮に水分が浸透しないように保護する役割があるとされています(9)。実は毛根は表皮を経由せず直接外界と接しているので、もし皮脂がなければ容易にウィルスや細菌が侵入してきます。したがって毛穴を皮脂で埋めておくことは大事なことです。ですから、毛根鞘の死細胞を取り除くというメリットがあるとしても、毎日髪をシャンプーで洗うことは健康には良くないと言えます。髪を洗うと風邪を引くというのは、バリヤフリーとなった毛根にウィルスが感染するからかもしれません。なのにどうしてヒトは髪を洗うと気分が良くなるのか、生物学的には不思議な現象です。もちろん毎日シャンプーで毛を洗う生物なんて、ヒト以外にあり得ません。
 ラノステロールからコレステロールが合成される経路をステロイド合成3として図70-5に掲載しました(10)。

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図70-5 ラノステロールからステロイド骨格形成に至る経路

 これらの複雑なステロイド生合成経路を解明した業績で、コンラート・ブロッホとフェオドル・リュネン(図70-6)が1964年のノーベル生理学・医学賞を受賞しています。ブロッホはユダヤ人で、ナチスから逃れて米国にたどりついた人です。リュネンはミュンヘンで生まれ育ち、ミュンヘン大学教授からミュンヘンのマックス・プランク細胞化学研究所の研究所長になりました。伝説の京都大学故沼正作先生はこの方のお弟子さんだそうです(11)。

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図70-6 コンラート・ブロッホ(1912~2000)とフェオドル・リュネン(1911~1979)

 代表的なステロイド系化合物の構造を図70-7に示しました。コレステロールは細胞膜の構成要素、コール酸は胆汁の成分、テストステロンは男性ホルモン、エストラディオールは女性ホルモン、コルチゾールは副腎皮質ホルモンです。

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図70-7 代表的なステロイド系化合物

 ではステロイド系化合物は生体内でどんな役割を果たしているのでしょうか。図70-8にみられるように、コレステロールは細胞膜の構成要素です。細胞膜の基本構造はリン脂質が「親水部位」を細胞外および細胞内の外側向け、「疎水部位」を膜内部にむけて整列した2重膜構造になっていますが(12)、コレステロールも親水側を細胞外または細胞内に向け、疎水部をリン脂質の疎水部位に埋め込んだ形で存在します。
 コレステロールが膜構造に加わることによって、膜の流動性(しなやかさ)が高くなり、温度が下がることによって発生する相転移(硬くなる)が阻止されます。細胞膜は単なる壁ではなくて、その中で化学反応や分子構造の変化、物質の出し入れなどが行われているので、それなりの可塑性の高さが必要です。

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図70-8 細胞膜の構成要素  コレステロールは細胞膜の構成要素のひとつ

 コレステロールが特に集積している組織として、ミエリン鞘が知られています。ミエリン鞘は神経細胞の軸索を被うカバーのような組織です。その実体は図70-9に示すように、シュワン細胞はが「ふとん」で軸索が「人」だとすると、「ふとん」でぐるぐる巻きにしたような構造になっています。すなわち細胞膜が何重にもなっているような構造なので、細胞膜の脂質は当然大量に含まれることになります(13)。脳の白質はミエリン鞘が集積している組織なので、特に脂質が豊富です。

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図70-9 ミエリン鞘

  コレステロールというと、すぐに健康診断でのHDL・LDLの値が頭に浮かぶわけで、ここを避けては通れません。コレステロールは水への溶解度が低く(95マイクログラム/リットル)、体の中を移動するにはタンパク質と結合して、リポタンパク質の形をとらなければなりません。コレステロールは主としてLDL(low density lipoprotein)またはHDL(high density lipoprotein)というリポタンパク質として移動します。LDLはコレステロールを肝臓から末梢組織へ供給し、HDLは過剰なコレステロールを末梢組織から肝臓に戻す役割があると言われています。HDLでもLDLでもコレステロール自体の分子構造に変わりはなくて、結合するタンパク質の方が異なっています。
 LDLは悪玉コレステロール、HDLは善玉コレステロールと呼ばれていますが、これは害虫と益虫のような自然科学とは乖離した命名で、科学者としては使いたくないのですが、LDLが動脈硬化の一因であることは確かなようです(14)。
 LDLが細胞内で発生する活性酸素によって酸化されると、マクロファージに貪食され、大量にLDLを取り込んだそのマクロファージが死ぬと、死んだ場所にコレステロールの塊(胆石はコレステロールまたはビリルビンの塊です)が残されます。これによって動脈硬化が促進され、最悪心筋梗塞や脳梗塞に至ります。
 HDLが少なすぎても、余分なコレステロールを肝臓にもどせなくなって動脈硬化が進展すると思われますが、かといってどんどんもどすと肝臓の脂肪細胞が巨大になって、脂肪細胞が分泌するホルモンなどが過剰になり生理活性物質のバランスがくずれると思うのですが、そのあたりのことは解明されていません。
 肥満になると脂肪細胞から分泌される物質(アディポサイトカイン)が異常となり、生活習慣病を誘発すると指摘している書物はあります(15)。ただウィキペディアをのぞいてみると、意外なことにHDLのないマウスも生きているみたいなので、コレステロールを運搬する別経路があることも示唆されています(16)。ならば健康診断の結果を見て、指導員がHDLが少ないからどうしろこうしろというのも、本当に妥当な指示なのでしょうか。まだまだ基礎研究によって確認しなければいけないことが山積しているように思われます。
 コレステロールは最終産物として機能するだけはなく、さらに有用な物質の中間生成物でもあります。コール酸は肝臓でコレステロールから合成されてたあと、グリシンやタウリンと結合してグリココール酸やタウロコール酸となります(図70-10)。これらは抱合胆汁酸と呼ばれますが、胆嚢に蓄積された後、胆汁の成分として腸内に放出され、脂肪をミセル化して腸に吸収されやすくします。脂肪をミセル化した代表的食品として図70-10のマヨネーズがあります。
  コレステロールから生合成されるさまざまな性ホルモンについては、あらためて述べる機会もあると思います。ここでは最後に糖質コルチコイド(=グルココルチコイド)について少し述べておきます。コルチコステロン・コルチゾール(図70-7)・コルチゾンなどがこれに相当します。デキサメタゾンなどは自然に存在するものではなく、人工的に合成された薬剤であり、主として炎症をおさえるため、または免疫反応を抑制するために使用されます。

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図70-10 グリココール酸とタウロコール酸

 生体に存在する糖質コルチコイドは副腎皮質で作られ、抗炎症作用や免疫抑制作用のほか、図70-11のようにインスリンと逆の役割で、血糖値を上昇させる作用があります。主に生体がストレスを感じたときに分泌されます。
 糖質コルチコイドなどのステロイドホルモンは一般的に細胞膜を通過することができ、細胞質にある転写調節因子と結合して核内に侵入し、転写を調節することによって機能が発揮されます(17)。

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図70-11 インスリンと糖質コルチコイド

参照

1)神無久 サイエンスあれこれ 真核生物の起源再考
http://blog.livedoor.jp/science_q/archives/1861037.html
2)松縄正彦 mark の部屋 浮き袋を持たない魚、なぜ浮き袋がないのか?
http://markpine.blog95.fc2.com/blog-entry-69.html
3)ウィキペディア: スクワレン
4)えがおの肝油 鮫珠
http://www.241241.jp/products/supplement/same/
5)辻本満丸  “黒子鮫油に就て”. 工業化学雑誌 vol. 9 (10): pp. 953-958. doi:10.1246/nikkashi1898.9.953 (1906)
6)Heilbron, I. M.; Thompson, A. ,  "CXV.—The unsaponifiable matter from the oils of elasmobranch fish. Part VI. The constitution of squalene as deduced froma study of the decahydrosqualenes."  J. Chem. Soc. pp. 883–892. (1929)  doi:10.1039/JR9290000883.
7)榊原順、小野輝夫、スクアレンエポキシダーゼ -もうひとつのコレステロール合成律速酵素 蛋白質 核酸 酵素 vol. 39 (9), pp. 1508-1517 (1994)
http://lifesciencedb.jp/dbsearch/Literature/get_pne_cgpdf.php?year=1994&number=3909&file=j9768PH3xxMJB18tkcGRUQ==
8)阿部郁朗、スクワレン閉環酵素の生物有機化学 蛋白質 核酸 酵素 vol. 39 (10),  pp. 1613-1624 (1994)
http://lifesciencedb.jp/dbsearch/Literature/get_pne_cgpdf.php?year=1994&number=3910&file=c/RbruPLUSYUeEJB18tkcGRUQ==
9)ウィキペディア: ラノリン
10)ウィキペディア: コレステロール
11)日本の科学と技術 ~研究の世界~  沼研の伝説的なエピソード 
http://scienceandtechnology.jp/archives/9655
12)ウィキペディア: 細胞膜
13)Wikipedia: Myelin.  https://en.wikipedia.org/wiki/Myelin
14)FMD検査 動脈硬化の進展を知る http://fmd-kensa.jp/pg2.html
15)近藤和雄 「人のアブラはなぜ嫌われるのか」 ~脂質「コレステロール・中性脂肪など」の正しい科学 技術評論社 (2015)
16)Wikipedia: High-density lipoprotein.  https://en.wikipedia.org/wiki/High-density_lipoprotei
17)管理薬剤師.com  ステロイドの作用機序  https://kanri.nkdesk.com/hifuka/ste2.php

 

 

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69.糖脂質

 セクション68で、スフィンゴシンやセラミドの発見者としてトゥーディヒョウムの名前を出しましたが、彼は臨床医で科学実験は自宅でやっていたこともあって、当時の学会からは嘲笑・圧殺されるような存在だったそうです。しかし彼はスフィンゴシンやセラミドのみならず、糖脂質の研究も創始しました。トゥーディヒョウムは1901年に死亡しましたが、死後1910年代になって再評価が進み、1913年以降1870年代に彼が脳から抽出精製した糖脂質(セレブロシド)の構造が解明されて、埋もれていた研究が日の目を見ることになり、トゥーディヒョウムが正当に評価されるようになりました(1)。
 セレブロシドの構造を解明したのはオットー・ローゼンハイムやハンス・ティーレフェルダーらで、トゥーディヒョウムが脳から抽出して精製した物質はガラクトース-スフィンゴシン-リグノセリン酸およびガラクトース-スフィンゴシン-セレブロン酸の2種であることがわかりました(図69-1)。セレブロン酸は、HOOC-C(OH)-(CH2)22CH3という構造のヒドロキシ酸です。いずれもスフィンゴシンに糖と脂肪酸が結合した化合物であり、これが糖脂質(スフィンゴ糖脂質)の基本構造になります。
 光合成細菌や植物はスフィンゴ糖脂質とは異なるグリセロ糖脂質(図69-1右下)を持っており、これはグリセリンの3つのOHのうち、2つに脂肪酸、1つにガラクトースが結合している構造になります(2)。機能も研究されています(3)。私たち動物の体にも多少見つかるようですがその機能はよくわかっていないようです。

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図69-1 スフィンゴ糖脂質

 その後エルンスト・クレンクやアルバート・キンバルらによって、セレブロシドの脂肪酸の部分が、リグノセリン酸とセレブロン酸以外にネルボン酸や α-オキシネルボン酸 の場合もあることが示されました(4-5、図69-2)。

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図69-2 ネルボン酸とα-オキシネルボン酸

 セレブロシドに含まれる糖はガラクトースだけでなく、グルコースの場合もあります(図69-3)。ガラクトセレブロシドが脳に多いのに対して、グルコセレブロシドは全身に存在します。グルコセレブロシドをグルコースとセラミドに分解する酵素(グルコセレブロシダーゼ)に遺伝的欠陥または欠損があった場合ゴーシェ病となり、肝臓・脾臓・骨髄・脳などにグルコセレブロシドが蓄積して様々な症状を発症します。
 グルコースを含むセレブロシドの存在は、ゴーシェ病の患者さんに蓄積されたセレブロシドの解析から明らかになりました(1)。病気の解析が基礎科学の進歩に寄与することはよくあることです。

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図69-3 グルコセレブロシド

 実はクレンクらが提出していたセレブロシドの構造式には間違ってい点があって、ハーバート・E・カーターらはそれまでの間違いを正し最終的にスフィンゴシンの構造を確定しました(6)。もちろん図69-1に示した構造は確定されたものです。第二次世界大戦後の糖脂質の研究は、ハーバート・E・カーター(図69-4)を中心に進められました。彼の人となりなどは「参照」に示したメモアールに記載されていますが、学会の前日でも雨のゴルフコースに出て行くほどゴルフ好きだったようです(7)。ちなみに山川民夫も平日定期的に仕事を休んプレイするほどのゴルフ好きでした。

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図69-4 ハーバート・E.カーター

 さてスフィンゴ糖脂質にはセレブロシド以外にもうひとつ大きなグループがあり、それはウィキペディアの定義によれば、糖がセレブロシドでは単糖であるのに対してオリゴ糖の物質ということで、ガングリオシドと呼ばれています。ガングリオシドの名の由来はガングリオン(神経節)で、脳の灰白質に多いことからクレンクが命名しました(8)。図69-5に代表的なガングリオシドであるGM1の構造式を示しました。ノイラミン酸という新顔も登場します。これらで構成されるオリゴ糖には多様性があり、図69-6に示されるように、外からひとつづつ糖を削っていくとGM2、GM3となりますし、追加や枝分かれもあるので、非常に多様な構造になり得ます。

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図69-5 ガングリオシド

 図69-6にはガングリオシドを3種に分類したGM1、GM2、GM3の関係を示します。

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図69-6 ガングリオシドの分類 GM1、GM2、GM3  NANAとはN-アセチル-α-ノイラミン酸を意味する

 ノイラミン酸は糖脂質だけでなく、糖タンパク質においても頻出しますが、ノイラミン酸そのものは生体には存在せず、アミノ基や水酸基の水素が置換されてできた化合物が重要な役割を果たしているようです。N-アセチルノイラミン酸やN-グリコリルノイラミン酸はその例で、これらをまとめてシアル酸とよびます(図69-7)。

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図69-7 シアル酸とは

 細胞膜は脂質でできているので、ガングリオシドはそのスフィンゴシンやステアリン酸の疎水性の部分を細胞膜に埋め込み、オリゴ糖部分を細胞外に突き出すことができます。まさしく樹木の地下部分と地上部分のようなイメージです。そうすると地上部分のオリゴ糖の構造によって、細胞を識別することが可能です。つまり接着しやすい構造の細胞が集まって組織をつくることができるわけです。また細胞外からの情報を、あるグループの細胞だけが受けとることもできます。
 第二次世界大戦前後の頃は、そんな糖脂質の機能など想像もされていなかったのですが、突破口を開いたのは戦後間もない日本の山川民夫(図69-8)でした。彼が目を付けたのは、ウマの赤血球をウサギに注射すると、ウマの赤血球を凝集する抗体がウサギの血清中に産生されますが、その血清は、ウシやヒツジなどの赤血球を凝集することはできないという、いわゆる種特異性凝集反応でした。彼は赤血球膜には種特異性を示す何かがあるかもしれないと考えました。
 まずウシの赤血球を水に投入して溶血させ、細胞膜を遠心分離によって沈殿させます。その沈殿(ゴースト)を多量に集めて脂質を抽出すると、セレブロシドではなくガングリオシドに似た物質が抽出されました。これを山川はヘマトシドと名付け、ブタの脳のガングリオシドと比較研究をはじめました。ヘマトシドにはブタの脳のサンプルと異なりノイラミン酸が含まれていることがわかりました。その後ヒトの赤血球の糖脂質とも比較しましたが、それはウマの糖脂質とはかなり成分が異なっており、グロボシドと名付けられました。グロボシドには脂肪酸・スフィンゴシン・グルコース・ガラクトース・アセチルガラクトサミンが含まれていました。

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図69-8 カール・ラントシュタイナーと山川民夫

 いろいろな動物で調べてみると、ノイラミン酸がなくてガラクトサミンがあるタイプ(グロボシド型、ヒト・ブタ・モルモット・ヒツジ・ヤギ)と、ノイラミン酸があってガラクトサミンがないタイプ(ヘマトシド型、ウマ・イヌ・ネコ)に分かれていることがわかりました(1)。
 カール・ラントシュタイナー(図69-8)がABO血液型を発見したのは1901年のことでした。1960年になって、山川らはグロボシドと抗A抗体の沈殿から糖脂質を抽出し、ラントシュタイナーが示した血液型物質の実体が糖脂質であることを示唆しました。このことは多くの研究者によって追試され、赤血球表層にある血液型物質が糖脂質であることが確定しました(1)。
 図69-9をみるとわかるように、ガングリオシド(グロボシド)のオリゴ糖部分はO型が基本となっており根元がフコースで、ガラクトース・Nアセチルグルコサミン・ガラクトースとつながっています、A型ではフコースの次に位置するガラクトースにN-アセチルガラクトサミンの側鎖があり、B型では同じガラクトースにガラクトースの側鎖がついています。AB型ではA型の側鎖があるガングリオシドとB型の側鎖があるガングリオシドの両者があります。

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図69-9 ABO式血液型

 血液型についての詳細な説明は下にウィキペディアをコピペしておきます。内容はちょっと難しいかもしれませんが、興味のある方はご覧下さい。H抗原というのは図69-9ですべての型の人が持っているフコース+ガラクトース+Nアセチルグルコサミン+ガラクトースのチェインのことだと思います。このチェインにNアセチルガラクトサミンまたはガラクトースを結合させる際に、それぞれ別の酵素が必要で、それがA型、B型の人は1種づつ、AB型の人は2種もっていて、O型の人は両方とも持っていないということでしょう。ただそのH抗原の糖鎖をつくるのにも酵素が必要なので、この土台をつくる酵素が欠損している場合、Nアセチルガラクトサミンまたはガラクトースを結合させる酵素が存在しても、実際にはA抗原もB抗原も形成されず、見かけ上O型と同じになってしまうので注意が必要です。

(wikipedia の引用 開始)
A型はA抗原を発現する遺伝子(A型転移酵素をコードする遺伝子)を持っており、B型はB抗原を発現する遺伝子(B型転移酵素をコードする遺伝子)を、AB型は両方の抗原を発現する遺伝子を持っている。A抗原、B抗原はH抗原からそれぞれA型転移酵素、B型転移酵素によって化学的に変換される。

3種の遺伝子の組み合わせによる表現型、ABO式血液型を決定する遺伝子は第9染色体に存在する。H物質発現をコードする遺伝子は第19染色体に位置し、H前駆物質をH物質へ変換させる。この遺伝子が発現しない場合はボンベイ型となる(後述)。
◦A型 - A遺伝子をすくなくとも一つ持ち、B遺伝子は持たない(AA型、AO型)→A抗原を持つ。B抗原に対する抗体βが形成
◦B型 - B遺伝子をすくなくとも一つ持ち、A遺伝子は持たない(BB型、BO型)→B抗原を持つ。A抗原に対する抗体αが形成
◦O型 - A遺伝子・B遺伝子ともに無い(OO型)→H抗原のみ持つ。A,B抗原それぞれに対する抗体α、抗体βが形成
•AB型 - A遺伝子・B遺伝子を一つずつ持つ(AB型)→A抗原、B抗原両方を持つ。抗体形成なし

A抗原とB抗原は、持っていないとそれに対する自然抗体が形成されることが多く、この場合、型違い輸血により即時拒絶が起こる。自然抗体がなくとも型違い輸血により1週間程度で新しいIgM抗体が生産されこれが拒絶反応をおこす。そのため、基本的には型違い輸血は行われない。輸血される血液は受血者の血液より少量のため、血漿によって希釈されて抗原抗体反応が起こらなくなる。そのため、かつてはO型は全能供血者、AB型は全能受血者と呼ばれていたが、ABO以外の型物質(Rh因子やMN式血液型など)が存在することもあり現在では緊急時を除いては通常行われない。2010年4月には大阪大学医学部附属病院で治療を受けた60代の患者が同型の赤血球製剤とO型の新鮮凍結血漿の輸血後に死亡する事故が発生している(但し、この患者は搬送当時すでに意識がなかったことから輸血が原因でない可能性もある)。

なお、自然抗体を持っている理由は、細菌やウイルスが唾液や性的接触などにより人間間で感染するように、人間の細胞や細胞の断片も人間間を移動するからであり、移動した断片はマクロファージによりファゴサイトーシスされ、これがT細胞に提示され抗体が作られる。主にIgMが作られるが、IgG抗体も作られることもある。
(引用終了)

 糖脂質についてもっと詳しく知りたい方には総説(9、10)などがあります。

 

参照

1)山川民夫著 「糖脂質物語」講談社学術文庫 (1981)
2)日本光合成学会 モノガラクトシルジアシルグリセロール[monogalactosyl diacylglycerol (MGDG)]
http://photosyn.jp/pwiki/index.php?%E3%83%A2%E3%83%8E%E3%82%AC%E3%83%A9%E3%82%AF%E3%83%88%E3%82%B7%E3%83%AB%E3%82%B8%E3%82%A2%E3%82%B7%E3%83%AB%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%82%BB%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%AB
3)下嶋美恵・小林康一・太田啓之 葉緑体チラコイド膜を構成するグリセロ糖脂質の生合成と機能 化学と生物 vol.46, pp.330-337 (2008)
4)H.Thierfelder and E.Klenk., Die Chemie der Cerebroside und Phosphatide. (1930)
5)A.C.Chimball, S.H.Piper, and E.F.Williams.,  XVIII.THE FATTY ACIDS OF PHRENOSIN AND KERASIN. Biochem.XXX pp.100-114 (1936)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC1263366/pdf/biochemj01065-0112.pdf#search=%27Thierfelder+and+Klenk+1930%27
6)Herbert E. Carter et al., Biochemistry of the sphingolipides. III. Structure of sphingosine.  J. Biol. Chem. vol.170, pp.285-294 (1947)
http://www.jbc.org/content/170/1/285.full.pdf
7)National Academy of Sciences, Herbert Edmund Carter 1910-2007 A Biographical Memoir by Robert K. Yu and John H. Law (2009)
http://www.nasonline.org/publications/biographical-memoirs/memoir-pdfs/carter-herbert-e.pdf
8)William W. Christie., GANGLIOSIDES STRUCTURE, OCCURRENCE, BIOLOGY AND ANALYSIS (2012)
https://web.archive.org/web/20120328213709/http://lipidlibrary.aocs.org/lipids/gang/file.pdf
https://web.archive.org/web/20091217095434/http://lipidlibrary.aocs.org:80/Lipids/gang/index.htm
9)Sen-itiroh Hakomori., Structure and function of glycosphingolipids and sphingolipids: Recollections and future trends. Biochim Biophys Acta. vol. 1780(3)  pp.325–346. (2008)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC2312460/
10)Zhou and Blom. Trafficking and Functions of Bioactive Sphingolipids: Lessons from Cells and Model Membranes. Lipid Insights vol. 8 (S1)  pp. 11–20  (2015) doi:10.4137/LPI .S31615.
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC4685176/pdf/lpi-suppl.1-2015-011.pdf

 

 

 

 

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68.脂肪酸と油脂

 脂肪というとすぐ中性脂肪とかセルライトが気になるわけですが、エネルギーを蓄えておくためのツールとして脂肪は重要です。動物にとって飢餓は日常的であり、いざというときに生き残れるかどうかは、水があるとすればどれだけ脂肪とグリコーゲンを体内に蓄えておけるかにかかっています。人間については、現在世界で9億2500万人が飢餓状態にあり(1)、日本でも2011年の厚生労働省の調査では年間1746人が餓死しています(食糧不足+栄養不足、2)。現在でも貧困化が進んでいるので、この数字が減っているとは思えません。食べ物がないときに生き残るには冬眠・夏眠が有効ですが、残念ながらヒトにはその能力はありません。かといって冬眠・夏眠の研究が進むと、その成果が為政者によって都合よく利用されるという恐ろしい社会が現実化するかもしれません。日本の食料自給率はカロリーベースで37%です(3)。
 しかし生物にとって飢餓対策が課題になるより進化上はるかに前の段階で、脂肪は細胞膜の最も主要な成分として、すなわち生命と外界を分かつパーティションとしての役割がはじまったはずです。これは生命誕生のひとつの条件であり、たとえ熱水噴出口近傍の金属片の上で核酸や酵素が生成されたとしても、それらが細胞膜で包み込まれるまでは生命体とは言えないでしょう。そして現在では、脂肪はホルモンや情報伝達物質としても重要な役割を果たしていることがわかっています。
 脂肪の基本は脂肪酸です。最初に脂肪酸を発見したのは誰だか私にはわかりませんが、ステアリン酸やオレイン酸を発見して精製したのはミシェル=ウジェーヌ・シュヴルールです(4、図68-1)。彼はフランス革命とエッフェル塔建設の両方を目撃した数少ないフランス人だそうです。エッフェル塔の展望室の少し下の壁に、フランスの偉人の名前が刻まれていますが、シュヴルールの名も図68-2の赤の矢印の下にみつけることができます(5)。

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図68-1 ミシェル=ウジェーヌ・シュヴルール(1786~1889)

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図68-2 エッフェル塔にはフランスの偉人の名前が刻まれています(黄色枠の中段あたり) 赤矢印の下にシュヴルールの名があります。

 脂質は脂肪酸関連物質、芳香族化合物の環構造を持つ物質、複合脂質の3つのグループにわけられると思いますが(図68-3)、量的に言えば脂肪酸関連物質が生体内には圧倒的に多量に存在します。カルボン酸をR-COOHと書くとすると、Rが水に溶けないCとHからなる場合脂肪酸といいます。ただしRがH、CH3、CH3CH2あたりまではカルボキシル基の影響が強く、脂肪らしくない性質なので、通常脂肪酸とは呼びません。CH3CH2CH2(酪酸)あたりからは脂肪酸と呼びます(図68-4)。これらの脂肪の性質を与える炭素+水素の鎖を、鎖の長さを問わずアシル基と呼ぶことがあります。

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図68-3 脂質の分類(3グループ)

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図68-4 脂肪酸とは

 常温で液体の脂肪酸は世の中で最も「臭い」物質の1グループだと思います。吉草酸やカプロン酸の臭さは半端じゃありません。私が学生実習などでかいだ臭いの中では、ピリジンとトップを争う悪臭と思います。屍体の臭いは多数の物質の混合臭なので比較することはできません。
 これらの低分子量の脂肪酸は確かに毒性の強い物質ですが(6)、特別にそのような脂肪酸を忌避する能力(臭いと感じる能力)が私たちに備わっていることには何らかの理由があるまたはあったのでしょう。炭素原子数が10くらいになると常温で固体なので、臭いは気にならなくなります(図68-5)。図5にはR-COOHのR部分にC=Cの二重結合がない、いわゆる飽和脂肪酸のリストを示しました。カプリル酸より分子量が大きい脂肪酸は食用に使えます。

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図68-5 飽和脂肪酸(炭素と炭素の結合がC-Cのみで、C=Cはない) 数値の:より左側の数値は炭素原子の数、右側の0は二重結合が無いことを意味する

 カプリル酸はウィキペディアによると母乳に含まれているそうですが、カプリル酸には殺菌作用があるので、免疫機構が未発達の新生児には有益なのかもしれません。
 脂肪酸は生合成されるときに炭素が2個単位で重合していくため(7-8)、生体内に存在する主要な脂肪酸の炭素の数は偶数になります(7、図68-5)。ただしメインであるアセチルCoAとマロニルCoAとの縮合ではなく、プロピオニルCoAとマロニルCoAの縮合を出発点とする経路もあるので、炭素が奇数の脂肪酸が全く存在しないわけではありません。
 脂肪酸は数値表現されることがあり、図68-5の左端列に示してあります。コロンの左側が炭素分子の数。コロンの右側が二重結合(C=C)の数になります。飽和脂肪酸の場合二重結合がないのでコロンの右は0になります。数値表現はわかりやすくて便利です。
 二重結合(C=C)が分子内に存在する脂肪酸を不飽和脂肪酸と呼びます。炭素数が18の例を図68-6に示しますが、例えば18:2(9、12)というのは炭素数=18、二重結合が2ヶ所に存在し、(9、12)は二重結合がカルボキシル基から数えて9番目と10番目および12番目と13番目の炭素によって形成されているという意味です。オレイン酸はステアリン酸から生合成されますが、ヒトの場合、生きていく上で必要なのにもかかわらず、リノール酸、リノレン酸、EPA、DHAなどは生合成できないので、これらは必須脂肪酸とされています。

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図68-6 不飽和脂肪酸  図68-5と同じですが、( )内の数値はC=Cの位置を示します

 図68-6では炭素の鎖が途中で180度折れているように描いてありますが、慣用表記のひとつであり、実際にこのような急角度で分子が折れているわけではありません。分子の屈曲は二重結合の性質(シスかトランスか)、数、位置によって異なります。図68-7に例を示します。αリノレン酸は大きく屈曲しています。

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図68-7 脂肪酸の立体構造  二重結合の存在によって、脂肪酸が大きく屈曲した構造をとることがあります

 混乱して困る話なのですが、脂肪酸の命名法のなかに、カルボキシル基と反対側のCH3から数える方法もあって、ω:オメガ法ではα-リノレン酸は3つめに最初の二重結合があるのでω3脂肪酸、γ-リノレン酸は6つめに最初の二重結合があるのでω6脂肪酸などと呼ばれます(図68-8)。n-数値という表現も逆から数えた表現法です。α と γ は習慣的に使用している表現法に過ぎません。

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図68-8 オメガ(ω)法による脂肪酸の命名

 C=Cの二重結合にはシス型とトランス型があって、一般にシス型すなわち二重結合の片方にふたつのHが来る場合、図68-9のように分枝は屈曲します。自然界に存在するオレイン酸はほとんどシス型なので、通常オレイン酸と言った場合シス型を意味します。シス型の二重結合が二つあった場合、屈曲が修正されることがあります。人工的に製造されたトランス脂肪酸は食べると健康に悪影響があることがわかっています(9)。アメリカの食品医薬品局(FDA)は、マーガリンなどに含まれる「トランス脂肪酸」の発生源となる油の食品への使用を、2018年以降原則禁止すると発表しました(10-11)。

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図68-9 脂肪酸の二重結合におけるシス型とトランス型

 グリセリン+脂肪酸=油脂+水という公式は、中学の化学の時間に皆さん習ったはずですが、再掲しておきます(図68-10)。油脂は生体内では最もメジャーな脂質です。油脂は図68-10のように、グリセリン(グリセロール)1分子に脂肪酸3分子がエステル結合(-OC[=O]-)したものです。これによってグリセリンのOH、脂肪酸のCOOHという親水性の部分が消滅するので、典型的な疎水性の物質ができます。
 3分子の脂肪酸はそれぞれ種類が指定されないので、例えば10種類の脂肪酸が用いられるとすると、10x10x10で1000種類の油脂ができ得ることになります。実際には脂肪酸の種類はもっと多いので、油脂の種類は無数にあることになります。

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図68-10 油脂(トリアシルグリセロール)

 グリセロリン脂質はグリセリンのOHのうち、R1・R2は油脂と同じ脂肪酸と結合し、R3のOHがリン酸エステル(-OP[=O、-O]-)結合したものです。リン酸に結合する物質によって、フォスファチジルコリン・フォスファチジルセリン・フォスファチジルエタノールアミンなどが知られています(図68-11)。これらは脂質であるにもかかわらず、親水的な部分が存在するという特異な性質を持っています。この性質は細胞の内側と外側の両方で水と接触する細胞膜にとって、あるいは脂肪を血液中で運搬する作業にとって重要です。これらについては別のセクションで述べます。

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図68-11 グリセロリン脂質  フォスファチジルコリン フォスファチジルセリン フォスファチジルエタノールアミン

 動植物の細胞膜中に最も多量にあるのはグリセロリン脂質ですが、次に多いのはスフィンゴ脂質です。哺乳類では特に中枢神経に多いとされています(12)。スフィンゴ脂質の基本骨格はスフィンゴシンです。アミノ基1個とOHを2つ持つ直鎖状の分子です(図12)。このアミノ基に1分子の脂肪酸がアミド結合したものがセラミドです。 
 セラミドの末端のOHにフォスフォコリンやフォスフォエタノールアミンが結合したものを、スフィンゴミエリンといいます。スフィンゴミエリンは神経のサヤである神経鞘の主成分です。セラミドは保湿剤として化粧品に配合されている場合があります(13)。「うるむセラミド」などというキャッチフレーズもありました。

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図68-12 スフィンゴシン セラミド スフィンゴリン脂質

 スフィンゴシンやセラミドを発見したのはトゥーディヒョウム(図68-13 日本ではツディクムとも発音されます Johann Ludwig Wilhelm Thudichum 1829~1901)。1884年に刊行された ”Chemische Konstitution des Gehirns des Menschen und die Tiere(Chemical constitution of the brain)” という本に彼の業績が記載されているようですが私は読んでおりません。
 竹富保の「"神経化学の父"ツディクム」という文献が、廃刊となった「自然」誌に掲載されています(14)。 トゥーディヒョウムはドイツ生まれで、主にイングランドで仕事をしました。英国ではJohn Louis William Thudichum と名乗っていました。彼の業績はNIHが公開しています(15)
  トゥーディヒョウムは多才な人だったようで、ウィキペディアにはお料理の本を出版しているという記載があります(16)。日本の糖脂質研究の泰斗である山川民夫は、トゥーディヒョウムの故郷であるビューディンゲンまで行って(とんでもない田舎)で記念碑の除幕式に出席したそうです(17)。当時の欧州には、どんな田舎からも天才を発掘する力があったということなのでしょう。

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図68-13 神経化学の父 トゥーディヒョウム

 アラキドン酸(5,8,11,14-Eicosatetraenoic acid)は図68-14のとおり何の変哲もない不飽和脂肪酸の1種なのですが、そこからプロスタグランディン、トロンボキサン、ロイコトリエン(すべて総称で特定の化学物質を指しているわけではありません)を生合成する経路が派生しています(アラキドン酸カスケード)。これらの物質は免疫反応と深い関わりがあり、薬学の分野では数十年間、間断なく注目を集めています。

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図68-14 アラキドン酸カスケード(エイコサノイドはアラキドン酸を骨格に持つ化合物またはその誘導体)

 

参照

1)JIFH(日本国際飢餓対策機構)集計: https://www.jifh.org/joinus/know/population.html
2)国家公務員一般労働組合 5時間ごとに1人、1日に5人近くが餓死する日本-生活保護改悪は国家による殺人を増幅させるhttp://ameblo.jp/kokkoippan/entry-11541237843.html
3)農林水産省 日本の食料自給率 http://www.maff.go.jp/j/zyukyu/zikyu_ritu/012.html
4)Michel Eugène Chevreul, Recherches chimiques sur les corps gras d'origine animale. (1823)
https://books.google.co.jp/books?id=94_H7hfQfS0C&hl=fr&redir_esc=y
5)生物学茶話@渋めのダージリンはいかが68: 脂肪酸と油脂
https://morph.way-nifty.com/lecture/2017/04/post-684d.html
6)職場の安全サイト ヘキサン酸 https://anzeninfo.mhlw.go.jp/anzen/gmsds/142-62-1.html
7)福岡大学教育資料 脂肪酸の合成 
http://www.sc.fukuoka-u.ac.jp/~bc1/Biochem/fa-syn.htm
8)ウィキペディア: 脂肪酸
9)ウィキペディア: トランス脂肪酸
10)農林水産省 トランス脂肪酸の摂取と健康への影響
http://www.maff.go.jp/j/syouan/seisaku/trans_fat/t_eikyou/trans_eikyou.html
11)日本経済新聞 米、トランス脂肪酸の食品添加禁止 18年6月から 
https://www.nikkei.com/article/DGXLASDZ17HQH_X10C15A6000000/
12)ホートン 生化学第3版 東京化学同人(2003)
13)【スキンケア】肌に必要なセラミドって何!?【skin care】
https://www.youtube.com/watch?v=8RtDw0FKzPk
14)竹富保「"神経化学の父"ツディクム」 自然 / 中央公論社 vol. 29, 12号、pp.44-52 (1974)  国会図書館に収蔵されているようですが、デジタルコンテンツとして読むことはできませんでした。
15)J.L.W. Thudichum Papers 1885-1942 
https://oculus.nlm.nih.gov/cgi/f/findaid/findaid-idx?c=nlmfindaid;idno=thudichum122
16)Wikipedia: Johann Ludwig Wilhelm Thudichum                              https://en.wikipedia.org/wiki/Johann_Ludwig_Wilhelm_Thudichum
17)山川民夫 「糖脂質物語」 講談社(1881)

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2020年1月21日 (火)

67.糖タンパク質

 糖が生体構成成分となる場合、しばしばタンパク質や脂質と共有結合した複合分子として存在する場合があります。今回は糖とタンパク質の複合体に着目します。谷口直之によると「タンパク質のおよそ50%以上には糖鎖が付加されている」そうです(1)。これが多少盛った話だとしても、糖タンパク質が生体内でありふれた存在であることに間違いはありません。
 糖がタンパク質と共有結合する場合に通常2つの方法があって、ひとつはN-結合型、いまひとつはO-結合型です(2)。N-結合型の場合、タンパク質のアスパラギンの側鎖アミノ酸の窒素原子(N)にグリコシド結合します(図67-1)。アスパラギンならどれでも良いわけではなく、アスパラギン-(任意アミノ酸)-セリン/スレオニンという配列に限られます。最初の糖鎖は多くの場合N-アセチルグルコサミン(GlcNAc)です。
 O-結合型の場合は、タンパク質のセリンまたはスレオニンの水酸基とO-グリコシド結合します。タンパク質と結合する最初の糖鎖は多くの場合N-アセチルガラクトサミンです(GalNAc、図67-1)。ひとつのタンパク質分子が複数の糖鎖をもつこともありますし、N-結合型とO-結合型の両者の糖鎖をもつこともあります。同じ種類のタンパク質でも糖鎖の付いている分子と付いていない分子がありますし、糖鎖が付いていてもその構造が異なる場合もあります。

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図67-1 糖タンパク質 N-グリコシル結合とO-グリコシル結合

 糖には無数のバラエティーがありますが、タンパク質に結合する糖鎖を構成する単糖は、ほぼ図67-2に示した8種に限られています。これは合成する酵素の自由度やバラエティーに限界があるからでしょう。8種類とは少ないようですが、DNAが4種の塩基で構成されていることを考えると、8種類でも順列組み合わせを考えると膨大な種類の糖鎖ができ得ることは明らかです。この中にアミノ糖が3種はいっていることは特徴的です。N-アセチルグルコサミンはグルクナック、Nーアセチルガラクトサミンはギャルナックとよばれることもあります。1種の愛称のようなものです

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図67-2 糖タンパク質の糖鎖を構成する単糖

 N-グリコシド結合を行ってできる糖鎖は3つのグループ、すなわち複合型(コンプレックス型)・高マンノース型(ハイマンノース型)・混成型(ハイブリッド型)に分類できます(3)。いずれもアスパラギンにN-アセチルグルコサミンが結合し、図67-3の破線に囲まれた部分は共通の構造(コア)ですが、さらにその先複合型ではN-アセチルグルコサミン→ガラクトースという順に並び、高マンノース型ではマンノース→マンノース、混成型ではマンノース・N-アセチルグルコサミン・N-アセチルグルコサミン→ガラクトースという3種類構成になっています。

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図67-3 N-グリコシル結合型糖タンパク質に用いられる糖鎖コアの構造  破線内は共通で、その先の構造により3種類に分類される

 O-グリコシド結合を行ってできる糖鎖は、N-グリコシド結合の場合よりもバラエティーに富んでいますが、コアは8種類に分類できます(3-4)。いずれもタンパク質のセリンまたはスレオニン残基と最初に結合する糖はN-アセチルガラクトサミンで、α型結合でアミノ酸と結合します。2番目の糖がガラクトース・N-アセチルガラクトサミン・N-アセチルグルコサミンなどとなり、分岐もあるので、8種類のバラエティーが発生します(3-4、図67-4)。図67-4下方のエピトープは抗体によって認識される部位(抗原)のことで、血液型については糖脂質のところで述べます。3番目以降は千差万別で、分類する意味も多分ありません。

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図67-4 O-グリコシル結合型糖タンパク質に用いられる糖鎖コアの構造

 これらの糖鎖の構造決定には多くの人々が関わって解明されてきましたが、N-結合型糖鎖の根元、すなわちタンパク質と結合している糖がN-アセチルグルコサミンであることを解明したのはサウル・ローズマン (図67-4)です(5-6)。彼は「セレンディピティー(思いがけない発見)のプリンス」と呼ばれていたそうです(7)。

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図67-5 サウル・ローズマン(1921~2011)

 では個別の例についてみていきましょう。まずエリスロポエチンをみてみますと、3ヶ所にN-結合型糖鎖が、1ヶ所にO結合型糖鎖が認められます(図67-6)。エリスロポエチンは主に腎臓で合成されるタンパク質ホルモンで、赤血球の増殖や分化を促進します。腎不全が貧血を伴うのは、このホルモンの合成が低下するからです。糖鎖がついていないホルモンも生理活性がないわけではないのですが、糖鎖が付くことによって生理活性が高まり、安定性も増加します。
 図67-6に示された所定の場所に糖鎖が結合することによって最大の活性が得られることが、村上真淑らによって最近証明されました(8)。糖鎖の位置にそこまで遺伝的セレクションがかかっているとは、私にとってはちょっとした驚きでした。腎不全による貧血をエリスロポエチン投与によって治療するというやり方は、かなり以前から行なわれています。

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図67-6 エリスロポエチンのアミノ酸配列と糖鎖が結合する位置

 ムチンは動物粘液の主成分でヒトの胃液や粘液などにも含まれています。なんとヒトは20種類以上のムチン遺伝子を保有しているそうです(9)。セリンとスレオニンを多数含んでいるアミノ酸配列なので、O結合型糖鎖が非常にできやすい状態にあり、タンパク質の周りに密林のように糖鎖が生えています(図67-7)。そのため抜群の水分保持力があり、乾燥を防ぐほか、体表にゲル状に広がっていると感染を防ぐこともできます。粘膜を保護する役割も重要です。これだけ多数の糖鎖に被われていると、タンパク質分解酵素がアクセスしにくくなるので、壊されにくい分子になっています。胃が消化液で消化されないのも、胃粘膜のムチンのおかげなのでしょう。
 日本ではムチンは納豆や山芋などネバネバした食品に含まれている糖タンパク質だとされていますが、これは国際的には認められておらず、植物性のネバネバ物質は動物のムチンとは全く異なる物質なので、科学的に正しくはありません(10)

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図67-7 ムチン

 最後に細菌の細胞壁に使われているペプチドグリカンをみてみましょう。図67-8は典型例(黄色ブドウ球菌)ですが、N-アセチルグルコサミンとN-アセチルムラミン酸がひとつのユニットになっており、糖鎖はN-アセチルムラミン酸の乳酸残基にテトラペプチド(TP)が結合しています(図67-8左図)。このユニットがタンデム、およびペプチドを介してラテラルに結合して細胞壁を形成しています(図67-8右図)。
 細菌によって使われている糖の種類も変わり、ペプチドの種類や長さも変わりますが、グラム陽性菌は分厚いペプチドグリカン層で細胞全体が被われており、細胞膜が脆弱であっても生きていけるわけです(4、11)。分厚いペプチドグリカン層がクリスタルバイオレットという色素で染まるので、グラム陽性菌という名前になりました。

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図67-8 細菌のペプチドグリカン

 

参照

1)谷口直之 生命誌研究館 サイエンティスト・ライブラリー No.64
グルタチオン代謝から糖鎖生物学への広がり  http://brh.co.jp/s_library/interview/64/
2)IonSource (Mass Spectrometry Educational Resource)
http://www.ionsource.com/Card/carbo/nolink.htm
3)大阪大学 Kajihara Laboratory: 
http://www.chem.sci.osaka-u.ac.jp/lab/kajihara/background.html
4)Lianchun Wang, O-GalNAc Glycans:
https://www.ccrc.uga.edu/~lwang/bcmb8020/O-glycans-B.pdf
5)Fabrizio Monaco and Jacob Robbins,  Incorporation of N-Acetylmannosamine and N-Acetylglucosamine into Thyroglobulin in Rat.  Thyroid in Vitro.,  J. Biol. Chem., Vol. 248, No. 6,  pp. 2072-2077 (1973)
http://www.jbc.org/content/248/6/2072.full.pdf?sid=b4c0f52f-ec70-497d-b615-fe3651ae6f9b
6)Saul Roseman, The synthesis of complex carbohydrates by multigulycosyltransferase systems and their potential function in intercellular adheshion. Chem. Phys. Lipids vol. 5, pp. 270-297 (1970)
7)Biologist Saul Roseman, 90, champion of serendipitous discovery
http://archive.gazette.jhu.edu/2011/07/18/biologist-saul-roseman-90-champion-of-serendipitous-discovery/
8)ResOU(Research at Osaka Univ.): 精密化学合成により調整した糖タンパク質:エリスロポエチンの糖鎖機能を解明 http://resou.osaka-u.ac.jp/ja/research/2016/20160116_1
9)ウィキペディア: ムチン
10)丑田公規 ムチン奇譚:我が国における誤った名称の起源  生物工学 第97巻 第1号 pp. 48-49(2019)
file:///C:/Users/User/AppData/Local/Microsoft/Windows/INetCache/IE/CFQW7HJS/9701_kaisetsu.pdf
11)Wikipedia: Peptidoglycan,  https://en.wikipedia.org/wiki/Peptidoglycan

 

 

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66.多糖類

   多糖類はタンパク質と異なり、その構造が遺伝子によって指定されていないので、例えばグリコーゲンといっても、同じグリコーゲン分子はないというくらい多様性があります。これはたとえばケヤキの幹や枝が同じ形の樹木がないのと似ています。それでもケヤキをクスノキや桜と識別できるように、多糖類も構成ユニットである単糖の種類、結合の様式などで分類することはもちろん可能です。1種類の単糖で構成されている多糖類をホモグリカン、複数の単糖で構成されているものをヘテログリカンといいます(1)。
 まずホモグリカンの代表として、グルコースだけで構成される多糖類をみていきましょう。私たちが主食としている米や芋の主成分はでんぷんです。デンプンは主に植物によってつくられる多糖類で、α-1,4-結合でグルコースが直鎖状に重合したアミロースと、α-1,4結合だけでなく、ところどころでα-1,6-結合で分岐しているアミロペクチンがあります(1-2、図66-1)。
 お米の場合、うるち米はアミロースとアミロペクチンがおよそ2:8なのに対して、「もち米」はアミロペクチンのみでアミロースを含んでいないので、枝分かれ構造のあるアミロペクチンがお餅の粘りのもとなのでしょう(3)。アミロースもアミロペクチンもα-D-グルコースだけが重合したもので、β-D-グルコースは含まれていません(図66-1)。

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図66-1 でんぷんの構造 アミロースとアミロペクチン

 デンプンは唾液や膵液に含まれるアミラーゼによって分解されますが、アミラーゼは1種類ではなく、図66-2のようなα型、β型、γ型、イソ型という4種類があります。α型はいわゆるエンドタイプの分解酵素で鎖の任意の位置で切断します。ただし切断できるのは 1,4 結合のみで、1,6結合(分枝する位置)は切断できません。グルコースダイマーのマルトースは切断できません。
 β型は植物などに存在するエクソタイプの分解酵素で、鎖の末端から2つのグルコースをマルトースの形で切り離します。γ型は同じくエクソタイプで、鎖の末端からひとつづつグルコースを切り離します。ヒトの場合マルトースを2つのグルコースに分解する活性も高いとされていて、マルターゼあるいはグルコアミラーゼとも呼ばれています。1,4 結合のみならず1,6結合も分解できるので(4)、αタイプとγタイプのアミラーゼがあればデンプンをグルコースにほぼ分解できます。イソアミラーゼは植物などに存在する酵素で1,6結合を特異的に切断します。

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図66-2 でんぷんの分解 αアミラーゼ(黒)(1,4結合を切断するエンド型)、 βアミラーゼ(赤)(エクソ型)、 γアミラーゼ(青)(エクソ型)、 イソアミラーゼ(黄)枝分かれの部分で枝を切断

 セルロースはβ-D-グルコースだけが重合した多糖類で、α-D-グルコースは含まれていません(図66-3)。セルロースは主に植物によって作られますが、草食動物はセルロースを主な栄養分としています。草食動物やシロアリは腸内細菌によってセルロースを分解しており、これらの細菌を体内に共生させることによって生体の素材やエネルギーを得ているわけです。
 セルロースはβ-D-グルコースがβ-1,4-結合によって重合した直鎖状のポリマーですが、直鎖同士が非常に水素結合をつくりやすい構造になっているので、シート状の形態になります(図66-3)。構造は非常に安定で、熱水や酸・アルカリに溶けません。ヒトはこのことを利用して衣服(木綿)や紙を製造しました。
 木綿は8000年前からメキシコで、7000年前からインド・バングラデシュで栽培されていた証拠があるようです。しかしその技術が欧州にもたらされたのは9世紀になってからです(5)。紙は中国で紀元前から使用されていたようですが、紀元後の後漢王朝の頃、宦官の蔡倫が製造法を確立して現在に至ります(6)。紙が欧州にもたらされたのはルネサンスの頃で、ルイ・ロベールが紙漉き用の機械を製造してから一般的に使われるようになりました(7)。

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図66-3 セルロース

 細菌などが持つセルロース分解システムは複雑ですが、大まかには図66-4のような3種類の酵素の作用で行われます。このような分解系を利用してさまざまな有用物質を生産しようとする試みは盛んに行われています(8)。特にセルロースからエタノールを得てエネルギー源にしようとする試みは注目されています。セルロースというタイトルの専門誌も存在します(9)。

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図66-4 セルロースの分解

 植物がデンプンを貯蔵するのに対して、動物はグリコーゲンを貯蔵します。グリコーゲンはα-D-グルコースが α1,4 および α1,6結合で重合しているという意味ではデンプンと同じです。ただ分岐は非常に多く編目のような構造になっています(図66-5)。分岐が多いということの利点は、少ない容積に多数のグルコースを詰め込むことができるということです。もうひとつグリコーゲンに特徴的なのは、最初にグリコジェニンという特異な酵素が働くことです。この酵素は自らが基質となり、自分のチロシンのOHにグルコースを結合させ、そこからグルコース鎖を延長させることができます(10-11)。

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図66-5 グリコーゲン 複雑で不規則な枝分かれ構造を形成するが、中心に位置しているのはグリコジェニンという酵素兼基質

グリコーゲンをつくるための最初の反応は

UDP-alpha-D-glucose + glycogenin ⇌ UDP + alpha-D-glucosylglycogenin

次の反応は

alpha-D-glucosylglycogenin + UDP-alpha-D-glucose ⇌ UDP + alpha-D-glucosylglycosylglycogenin

となります。グルコースにUDP(ウリジン2リン酸)がくっついているのは、反応を進行させるためにグルコースを活性化するというしかけです。

 ある程度鎖が延長されるとグリコジェニンはお役御免となり、グリコーゲンシンテースや分岐酵素にバトンタッチして鎖延長や分岐が続行されます。グリコジェニンという奇妙な酵素はクララ・クリスマン、ウィリアム・ウェランらによって発見されました(10-13、図66-6)。クララ・クリスマンらはUDP-グルコ-スを14Cでラベルして肝臓抽出液に投入してインキュベートすると、トリクロル酢酸で沈殿する分画にラベルが移行し、これによってグルコースオリゴマーがタンパク質に結合していることを示唆しました。ウェランらはこの結合が共有結合であることを証明しました。グリコーゲンがタンパク質と共有結合しているかどうかは、昔激しい論争があったようで、ウェランも刺激的なタイトルの総説を書いています(12)。自分が基質になる酵素というのは他にないわけではなく、たとえばタンパク質分解酵素のなかには自己消化を行うものもありますが、それはある酵素分子が自分自身を消化するという意味ではありません。

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図66-6 ウィリアム・ウェラン

 グルコースの誘導体のひとつとしてN-アセチルグルコサミンについては前回述べましたが、N-アセチルグルコサミンがβ-1,4-結合を繰り返してポリマーになったものがキチンです(図66-7)。節足動物の体表を被う外骨格の素材として用いられています。セルロースと同様に分子間の水素結合が強力で、丈夫な線維・シートを形成することができます。創傷治癒のための医療用品・化粧品・衣料・農薬などの素材に用いられています(14)。

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図66-7 キチンの構造単位

 さて私たちオピストコンタと植物(プランタ=アーケプラスチダ)というかけ離れた分類学上の位置にある生物が似たような多糖類、すなわちデンプンとグリコーゲンをエネルギー源として貯蔵しているのはちょっとした驚きですが、両者と分類学上離れた位置にあり、ストラメノパイルというスーパーグループに属する昆布などはどのような多糖類を合成しているのでしょうか? 
 ウィキペディアによると昆布は夏から秋にかけて重量の40~50%を占めるくらい大量のラミナランという多糖類を合成して貯蔵しておくそうです。それはやはりグルコースのポリマーなのですが、結合様式が β1,3結合 と β1,6結合 からなっていて、オピストコンタやプランタとは大きく異なっています(15、図66-8)。

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図66-8 ラミナラン


 ヘテログリカンの代表としてヒアルロン酸を紹介しておきます。ヒアルロン酸はN-アセチルグルコサミンとグルクロン酸がβ-1,4-結合した2糖を基本単位として、これらがβ-1,3-結合で重合したものです(図66-9)。ヒアルロン酸は主に細胞外に放出されて、細胞間のマトリクスとして存在します。ぬめぬめしたゲルのような性質で、関節がなめらかに動くように機能しています。また皮下の結合組織や眼球の硝子体に多量に存在しますが、これはヒアルロン酸が水を保持する能力に優れ、組織や細胞をひからびさせないようにする作用があるためと思われます。

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図66-9 ヒアルロン酸

 膝の関節に注入することによって疼痛を軽減できますが、徐々に分解されるので、ある期間が過ぎると追加が必要になります。経口ではほぼ効かないようです(16)。毒性がほとんどないのでシワとりなど美容整形にもよく用いられますが、この場合も徐々に分解することは避けられません。また間違って動脈に針が入ると、血管が詰まって悲惨なことになってしまうので、個人的にはあまりおすすめできません。

参照

1)研究.net  研究用語辞典 「多糖」 http://www.kenq.net/dic/157.html
2)ホートン 生化学第3版 p.183 東京化学同人(2002)
3)JA全農やまぐち http://www.yc.zennoh.or.jp/rice/mamechishiki/mame01-4.html
4)酵素辞典 http://www.amano-enzyme.co.jp/jp/enzyme/4.html
5)ウィキペディア: 木綿
6)中国の歴史 紙の発明と歴史 【古代中国での発明と蔡倫による改良】
http://chugokugo-script.net/rekishi/kami.html
7)飯田清昭 抄紙機における技術開発の歴史:ロベールから始まる100年間 第1部:フォードリニヤー抄紙機及び円網抄紙機の誕生
 紙パ技協誌 68 巻 4 号(2014)
8)三重大学 教育資料 セルラーゼの話題 http://www.bio.mie-u.ac.jp/~karita/sub3.html
9)Cellulose,  Springer  https://link.springer.com/journal/10570
10)Krisman CR, Barengo R., A precursor of glycogen biosynthesis: alpha-1,4-glucan-protein. Eur. J. Biochem. vol.52, pp. 117–23 (1975)  doi:10.1111/j.1432-1033. 1975. tb03979.x. PMID 809265
11)Whelan WJ., The initiation of glycogen synthesis. BioEssays vol.5, pp. 136-140 (1986)
12)Whelan WJ., Pride and prejudice: the discovery of the primer for glycogen synthesis., Protein Sci. vol.7, 2038–2041 (1998)  doi:10.1002/pro.5560070921. PMC 2144155Freely accessible. PMID 9761486
13)Whelan WJ., My Favorite Enzyme Glycogenin., IUBMB Life, Vol. 61, pp. 1099-1100 (2009)
14)キチン・キトサン利用技術:http://www.inpit.go.jp/blob/katsuyo/pdf/chart/fkagaku19.pdf
15)ウィキペディア: ラミナラン
16)変形性膝関節症: http://www.jcoa.gr.jp/health/clinic/knee/koa.pdf
file:///C:/Users/User/AppData/Local/Microsoft/Windows/INetCache/IE/PVA09UPG/koa.pdf

 

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65.糖質

 生体は核酸とタンパク質だけでできているわけではなく、糖質や脂質ももちろんその構成要素です。糖質の構造の基本は19世紀末にここにも何度も登場しているエミール・フィッシャーによって明らかにされ、構造式の書き方も彼が考案したものが現在も使われています(1)。糖質でやっかいなのは異性体が非常に多いことで、きちんと整理しておかないと混乱します。まず図65-1におおまかな異性体の分類を示しておきます。
 異性体は大きく分けて、構造異性体と立体異性体があり、立体異性体にはさらにジアステレオマーとエナンシオマーがあります。

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図65-1 異性体の分類

いろいろな異性体について定義したいのですが、これがなかなか難しい。一応考えてみましたが、これでは不十分だと思います。

1.異性体:異性体(isomer)とは、同じ数、同じ種類の原子を持っているが、違う構造をしている物質のこと。

2.構造異性体:構造異性体(structural isomer)とは、組成式は等しいが原子の間の結合関係が異なる分子のこと。ブタンと2-メチルプロパン:組成式はともに C4H10 であるが、ブタンの構造式は H3C-CH2-CH2-CH3 であるのに対し、2-メチルプロパンは H3C-CH(CH3)-CH3 です。

3.立体異性体:立体異性体(stereoisomer)は、同じ構造異性体同士で、3次元空間内ではどう移動しても重ね合わせる(スーパーインポーズする)ことができない分子。

4.鏡像異性体:鏡像異性体(enantiomer)とは立体異性体のうち、左手と右手のように鏡に映した形ふたつの分子の関係を意味し、鏡像異性体をもつ分子をキラル分子といいます。炭素原子が持つ4価の共有結合の相手がすべて異なる場合、必ず鏡像異性体があり得るので、このような結合を行っている炭素を不斉炭素(キラル炭素)といいます。例えばアラニンは不斉炭素にNH2、CH3、H、COOHという4種のグループが結合しているので、LアラニンとDアラニンという互いに鏡に映した形の鏡像異性体が存在します。

5.ジアステレオマー(Diastereomer):立体異性体のうち鏡像異性体でない分子。シス-トランス異性体などはジアステレオマーです。

 

 糖類を代表する分子としてまずグルコースをとりあげましょう。グルコースは水溶液中では図65-2のように、α型とβ型の環状体と中央の鎖状体の3つの形が平衡状態にあります。鎖状体はα型またはβ型に対して構造異性体、α型とβ型は立体異性体ということになります(1-2)。α型とβ型を互いにアノマーであるという表現も用いられます。

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図65-2 水溶液中でのグルコースの構造 α型、鎖状構造、β型が平衡状態にある

 ここで鎖状構造のグルコースの異性体に着目してみます(図65-3)。上から炭素に番号を付けると、2番目から5番目の炭素が不斉炭素です。ここで5番目の炭素の左右と下の構造を固定し(赤で示したOHが右にある)、上だけ可変とすると、図65-3のように8種類の異性体が考えられます。それぞれの異性体に鏡像異性体が存在するので16の異性体が存在します。5番目の炭素のOHを左側にもってくると異性体の数は32となります。それぞれの異性体には名前があります。なかなかこの全部の名前を書いてある文献はありませんでしたが、masaさんのブログに書いてありました(3)。フィッシャーは分析機器が乏しい当時の研究法で III がグルコースであることを示しました。

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図65-3 鎖状構造グルコースの異性体

 32種でも混乱するのですが、グルコースには図65-2で示した3つの形があるので、32x3=96の異性体があることになります。さらにいす型やふね型の立体配座の異性体があるので(4)、それらをカウントすると、とんでもない数になります。糖質化学のおそるべき複雑さを垣間見ましたが、自然界に存在するグルコースはほとんどが 図65-3-III の5番目のCの右側にOHがあるD体です(5)。歴史的には結晶に光を照射したときに、右にまがる(dextro-rotatory)か左にまがる(levo-rotatory)かで判定されました(DL法)。もっと理論的な命名法がRS法ですが、ここでは詳しく説明しないので正確な情報を知りたい方は文献(6)を見て下さい。簡単に言うと、不斉炭素が結合している原子団に原子番号などによって優先順位を決め、2位の原子団のどちら側に3位の原子団があるかによってRかSかを決める方法です。糖とアミノ酸の場合RS法はあまり使われません。
 グルコースのようにひとつの環でできている糖を単糖とよびます。単糖にはグルコースのように5つのCとひとつのOで構成される環が基本となっているヘキソースと、リボースやキシロースのように4つのCとひとつのOで構成される環が基本となっているペントースが存在します(図65-4)。この6員環(5炭素+1酸素)をピラン、5員環(4炭素+1酸素)をフランとよびます。ピラン環でもフラン環でもOと結合している炭素は、O以外にC・H・OHと結合している場合不斉炭素であり、HとOHが上下逆のα型とβ型を生じます。リボースはRNAの構成成分ですが、2の位置のOHがHに変わったデオキシリボースはDNAの構成成分です。

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図65-4 ピラン環(グルコース)とフラン環(リボース、デオキシリボース)

 グルコースの2の位置のOHはアミノ基と置換されることもあり、この場合はグルコサミンとよばれます。一般的にOHがアミノ基と置換された糖をアミノ糖といいます。またアミノ基がアセチル化された場合、N-アセチルグルコサミンとよばれます。グルコサミンやN-アセチルグルコサミンは後に述べる複合糖質・ヒアルロン酸・糖脂質の材料として重要な物質です。グルコサミンはサプリメントとしても有名ですが、関節症などに効くかどうかは疑わしいと考えられています(7)。


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図65-5 グルコサミンとN-アセチルグルコサミン

 糖を鎖状に書くと(たとえば図65-3)、上端はCHO(アルデヒド)、下端はCH2OHとなります。上端に書かれたアルデヒドのOと、下端のCH2OHのH2のうちひとつのHが失われて環状化するとラクトンが形成されます。グルコースの場合グルコノラクトンとなります。このグループの化合物にはビタミンC(アスコルビン酸)という人類には必須の物質があります(図65-6)。ビタミンCはグルコースからやや複雑な経路で合成されます(8)。ビタミンCは私たちの体の中でコラーゲン合成、スーパーオキサイドの除去などの重要な役割を果たしています。
 私たちはビタミンCを体内で合成できません。私たちの祖先のサルが果実を主食としてビタミンCを日常的に外界から得ていたため、合成経路をになう酵素が突然変異したまま活性が失われたと考えられています。霊長類の中でも、キツネザル・アイアイ・ロリスという原始的なグループはビタミンCを合成することができますが、ヒトを含めたそれ以外のグループは合成できません(8)。

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図65-6 グルコノラクトンとビタミンC(アスコルビン酸)  ビタミンCはC=OのOがO- になったとき、負電荷をフラン環で共有して安定化することができ、アスコルビン酸という酸として挙動します。

 さて単糖だけでも膨大な異性体が存在するわけですが、これが2糖となるとそのかけ算となる上多彩な結合が存在しますから手に負えません。とはいえスキップするのもどうかと思うので、少しだけ紹介しておきます(図65-7)。グルコース+グルコースでできている麦芽糖(マルトース)は、デンプンがαまたはβアミラーゼによって分解されたときに生成する2糖類です。甘味料の他点滴にも使用されています。急激な血糖値の上昇を防ぐには2糖が有効です。麦芽糖はαグルコシダーゼの作用によって徐々に分解され、2分子のグルコースになります。

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図65-7 麦芽糖とショ糖

 ショ糖(シュークロース)はグルコース+フルクトース(フラクトース)で構成される、自然界に最も多量に存在する2糖です。自然界では植物だけが合成できる化合物です。動物はインベルターゼという酵素でグルコースとフラクトースに分解して利用することができます。どうしてサトウキビやテンサイがショ糖を大量に蓄積するのか、調べましたがわかりませんでした。私が想像するに、ショ糖はデンプンなどと違って草食動物に対して歯を溶かすなどなんらかの毒性があり、サトウキビやテンサイを好んで食べる動物に危害を与えて、それらの動物に食べ尽くされるのを防いでいるのかもしれません。

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図65-8 サトウキビとテンサイ

 糖の正式な命名法は(9)を参照していただくことをおすすめします。ただIUPACが推薦する正式名称は、専門家が論文を書くときに使うくらいで、あまり普及しているとは言えないと思います。

参照

1)フィッシャー投影式を使って単糖の構造式の暗記量を激減させる方法
https://受験理系特化プログラム.xyz/organic/fischer-3
2)グルコースの構造式: http://sci-pursuit.com/chem/organic/glucose_structure.html
3)32個の異性体: https://ameblo.jp/apium/entry-10212514628.html
4)ウィキペディア: シクロヘキサンの立体配座
5)役に立つ薬の情報 専門薬学 糖の性質
https://kusuri-jouhou.com/creature1/suger.html
6)立体配置の記述法: http://www.chiral.jp/main/R%26S.html
7)Wandel, Simon; Jüni, Peter; Tendal, Britta; Nüesch, Eveline; Villiger, Peter M; Welton, Nicky J; Reichenbach, Stephan; Trelle, Sven (2010). “Effects of glucosamine, chondroitin, or placebo in patients with osteoarthritis of hip or knee: network meta-analysis”. BMJ 341. doi:10.1136/bmj.c4675. ISSN 0959-8138. http://www.bmj.com/content/341/bmj.c4675
8)ビタミンCの真実: http://www.vit-c.jp/vitaminc/vc-02.html
9)http://nomenclator.la.coocan.jp/chem/text/carbohy.htm

 

 

 

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64.制御タンパク質他

 数回にわたってタンパク質とはどんなものかをざっくり述べてきましたが、最後に「制御タンパク質他」のジャンルに属するものについてふれておきましょう。
 酵素などは基本的には作られる量と壊される量によって制御されています。その他に他の酵素によって化学修飾されたり、ビタミンや生成物などの低分子物質によっても制御されます。しかし中にはわざわざ自分の活性を制御する専門のタンパク質が遺伝子として存在するようなラグジュアリーな酵素も存在します。ODC(オルニチン脱炭酸酵素)はそのひとつです。
 オルニチンはすでに述べたように(1)、尿素サイクルに含まれる物質で、アンモニアを解毒し排出するうえで重要な位置にありますが、それ以外にODCによってオルニチンはプトレシンに代謝されます。

H2N-(CH2)3-CH(NH2)-COOH(オルニチン) → H2N–(CH2)4–NH2 (プトレシン)+ CO2

 プトレシンを起点として、いわゆるポリアミン類-スペルミジン・スペルミンが合成されます。ポリアミンは精液に多量に含まれますが、その機能は細胞増殖、イオンチャンネルの制御、DNAの安定化など多岐にわたっており、まだ完全には解明されていません(2)。ポリアミンは多すぎても少なすぎても生物が生きていく上で障害になるので、ODCの活性は厳密に制御されなければなりません。余談ですが、そういう意味ではオルニチンをサプリメントとして摂取するのは、体に負担をかけることになるのではないかと危惧されます。
 そこで登場するのがODCアンチザイムという制御因子で、このタンパク質がODCに結合することによって、ODCは迅速に分解されます(3、図64-1)。結合状態での分子形態なども報告されています(4)。ODCアンチザイム自身がODCを分解するわけではなく、あくまでもODCの形態(コンフォメーション)を変化させて、タンパク質分解酵素が見つけやすいターゲットにするということです。アンチザイム自身は分解されないので、再利用されます。
  アンチザイムは特殊な例ですが、もっと一般的で重要なアロステリックモデュレーターとして機能する因子があります。

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 図64-1 オルニチンデカルボキシラーゼ(ODC)とアンチザイム

 図64-2のように細胞膜を何度も貫通するタンパク質は数多く存在しますが、それらは外界からのシグナル(例えばホルモン)を受けて、分子形態が変化し、細胞内に出ている部分を使って外界からきたシグナルを細胞内に反映させるべく仕事をします。このような機能を正方向(+)あるいは負方向(-)に導くためのタンパク質性制御因子が存在します(5-6、図64-2)。このような制御因子(アロステリックモデュレーター)は膜貫通タンパク質等に結合することによって、その構造を変化させ機能に影響を与えます。

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図64-2 細胞膜の膜貫通タンパク質とそのアロステリックモデュレーター 膜貫通タンパク質に作用し、正方向(+)または負方向(-)の制御を行なう

 制御因子のなかにはDNAと結合して転写を制御しているものもあります。これらは通常転写因子(transcription factor)とよばれています。例えばbZipは、C末側でαヘリックスがロイシンなどを介して結合してダイマーを形成し、N末側ではキッチン用品のトングのようにDNAをはさんで転写を制御します(図64-3)。2本のαヘリックスがジッパーのように重なりあって結合している部位をロイシンジッパーといいます。


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図64-3 転写因子の例 bZip ロイシンジッパー

 またZif268(またはEGR1)という転写因子は、分子内にジンクフィンガーという部位(図64-4A)を3ヶ所持っており、その特異な構造を使ってDNAに結合します(図64-4B)。ジンクフィンガーというのは亜鉛原子を抱え込んだ指のような構造で、図64-4Aでは2つのシステインと2つのヒスチジンが亜鉛原子と結合しています。2つのβシートと1つのαヘリックスを含んだ構造が亜鉛原子によって安定化されているようです(7、図64-4B)

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図64-4 転写因子の例 Zif268 ジンクフィンガー

 ロイシンジッパーやジンクフィンガー部位をもつタンパク質は数多く存在し、またそれぞれがさまざまな遺伝子を発現させるので、機能によって分類や命名ができないため、酵素などと違って暗号のような名前になっています。タンパク質分子をいくつかの領域に分けて、それぞれをドメインとよぶことがあります。その場合ロイシンジッパードメインとかジンクフィンガードメインなどとよばれます。
 もうひとつ、bHLH(basic helix-loop-helix)というドメイン(図64-5A)をもつ転写因子について述べておきます。このドメインは図64-5Aのように、2つの短いαヘリックスがループ状の構造でつながっています。このグループを代表する転写因子はMyoDです。MyoDはE12という別の転写因子とヘテロダイマーを形成して2本足のような構造をつくり、塩基性アミノ酸を使ってDNAと結合します(図64-5B)。

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図64-5 転写因子の例 MyoD  bHLH(basic helix-loop-helix)

 MyoDはデイヴィス(R.L. Davis)らが発見した元締め的転写因子で、筋肉形成という極めて複雑なプロセスにゴーサインを出すマスター制御因子とされています(8-9)。発生の途中で未分化細胞を筋細胞に分化させるだけでなく、例えば筋トレをしたときもこれが発現して筋肉が増強されると考えられています。将来工場で細胞を分化させて食糧を製造するというようなことがあるとすれば、MyoDはキーファクターとして使われるかもしれません。
 転写因子にはこれらの他にも非常に多くの種類があり、きりがありませんが、細胞がそれぞれ特徴を出すためにどの道を行くか決めるハンドルのようなものです。ノーベル賞の山中4因子(Oct3/4、Sox2、Klf4、c-Myc)もすべて転写因子です(10)。これらはいったん来た道を逆行して元に戻るプログラムを進行させる因子とも言えます。
 最初に 「制御因子他」 と書きましたが、「他」 というのは例えばヘモグロビンです(図64-6)。ヘモグロビンは(グロビン+ヘム)x4(テトラマー)で構成されるタンパク質で、モノマーのグロビンも含めると真核生物のみならず、酸素を利用する生物には細菌も含めて広範囲に分布しています(11)。このタンパク質は酵素でも、構造タンパク質でも、制御因子でもなく、酸素や二酸化炭素を運搬する担体として使われています。

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図64-6 A.ヘモグロビンの立体構造(グロビン+ヘム)x4 B.ヘムの分子構造

 そのほかにもリボソームというタンパク質製造マシーンではRNAと共に100種類近いタンパク質が、そのパーツとして働いています。メッセンジャ-RNAを製造する工場であるスプライソソームでも多くのタンパク質がそれぞれ役割を果たしています。すなわち酵素・構造タンパク質・制御因子以外にも重要な役割を担っているタンパク質は数多く存在します。

参照

1)https://morph.way-nifty.com/grey/2016/05/post-8705.html
2)栗原新、ポリアミンのとても多彩な機能、生物工学会誌 vol.89,p.555 (2011)
https://www.sbj.or.jp/wp-content/uploads/file/sbj/8909/8909_biomedia_3.pdf
3)村上安子, 松藤千弥、迅速なポリアミン制御を可能にするオルニチン脱炭酸酵素の分解系、化学と生物 Vol. 39, No. 3, pp.171-176 (2001)・・・アンチザイム
https://www.jstage.jst.go.jp/article/kagakutoseibutsu1962/39/3/39_3_171/_pdf
4)Hsiang-Yi Wu et al., Structural basis of antizyme-mediated regulation of polyamine homeostasis. Proc Natl Acad Sci USA, vol. 112 no. 36, pp. 11229–11234 (2015)
http://www.pnas.org/content/112/36/11229.full.pdf
5)Lauren T. May, Katie Leach, Patrick M. Sexton, and Arthur Christopoulos, Allosteric Modulation of G Protein-Coupled Receptors.Annual Review of Pharmacology and Toxicology  Vol. 47, pp. 1-51 (Volume publication date 10 February 2007)
http://www.annualreviews.org/doi/10.1146/annurev.pharmtox.47.120505.105159
6)J.N. Kew, Positive and negative allosteric modulation of metabotropic glutamate receptors: emerging therapeutic potential., Pharmacol Ther. vol.104(3), pp. 233-244 (2004)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/15556676
7)Wikipedia: Zinc Finger,  https://en.wikipedia.org/wiki/Zinc_finger
8)Robert L. Davis, Harold Weintraub, Andrew B. Lassa, Expression of a single transfected cDNA converts fibroblasts to myoblasts.  Cell, Vol.51, Issue 6, pp. 987–1000 (1987)
9)Ma, P.C.,Rould, M.A.,Weintraub, H.,Pabo, C.O.Crystal structure of MyoD bHLH domain-DNA complex: perspectives on DNA recognition and implications for transcriptional activation. Cell vol.77, pp. 451-459 (1994)
10)iPSビズ ヤマナカファクターとは http://ips 細胞.biz/dic/30.html
11)ウィキペディア: ヘモグロビン

 

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63.構造タンパク質

 タンパク質をその役割で分類すると、最もおおざっぱには酵素、制御因子、構造タンパク質、その他ということになります。ここでは構造タンパク質の概要についてみてみましょう。構造タンパク質を代表するものとして、その地球上での量ではダントツのアクチンとミオシンがあります(ミオシンは酵素でもありますが)。これらは筋肉の主成分であり、肉食動物はこの2種類のタンパク質を主な栄養源として生きています。人間は雑食ですが、多くの人々は穀物(炭水化物)の他に、特に南米などではアクチンとミオシンを主要な栄養源としています。日本人も次第にそのようなライフスタイルに近づきつつあります。動物を殺さなくても美味な食事ができるようになれば、人間はもう少し高尚な生物になれると思いますが、エミール・フィッシャーの夢はなかなか実現しそうにありません。
 生物が生物であるためには、生物と外界との間に仕切りが必要ですが、それは脂質が中心となった細胞膜です。細菌や植物はその外にさらに多糖類でできた細胞壁という構造を持っています。細胞壁はいわゆる動物にはありません。脂質の膜は細胞の内部にもあり、コンパートメントや物質輸送の役を果たしています。
 ではタンパク質は細胞の構造形成にどのような役割を果たしているのでしょうか。ひとつは家で言えば柱とか梁のような、細胞に一定の形をとらせることです。細胞壁のない細胞は柱や梁に相当する構造がなければ一定の形態を保つことは不可能です。とは言っても家屋のような静的な恒久構造ではなく、ダイナミックに変化します。もうひとつは、これは特殊な役割ですが、細胞分裂を実行する構造ツールとしてタンパク質が機能するということがあります。
 これらに関与しているタンパク質はほぼ3つのグループ、すなわちチュブリン、アクチン、中間系線維(線維という漢字が好まれますが、繊維でもかまいません)に分類できます。この3つのグループは、細菌・古細菌・真核生物のすべてに存在するユニバーサルなタンパク質です。
 細菌では図63-1のように、チュブリン系のタンパク質であるFtsZは細胞分裂の際にZリングという構造を作って細胞と細胞の仕切りを形成する役割を果たしています。アクチン系のMreBは細胞膜の直下に、細胞の全長に及ぶ繊維構造からなる螺旋状のネットワークを形成しており、細菌がロッド状の形態をとるために必要な役割を果たしています。またある種の細菌では真核生物の場合と同様、収縮リングをつくって細胞分裂を実行する役割を担っているようです(図63-1)。
 中間系繊維グループのクレセンチンは、細胞が三日月のある種の細菌に存在し、細胞を屈曲させる役割を果たしています(図63-1)。人間の胃に住んでいるヘリコバクター・ピロリ、いわゆるピロリ菌もこの仲間のようです。栄養リッチな環境に住んでいる細菌は、その場所から流されたくないので、ひっかかりやすい構造をめざしたのでしょうか? 細菌の細胞骨格については、ウィキペディアにもう少し詳しい解説があります(1)。

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図63-1 細菌の細胞骨格 真核生物との比較

 真核生物におけるチュブリンは毛利秀雄(図63-2)によって発見・命名された分子量約5万の球状タンパク質で(2)、通常重合して微小管などの構造を形成しています。αチュブリンとβチュブリンは図63-3のようにヘテロダイマーαβを形成し、さらにそのヘテロダイマーが連結して線維状のプロトフィラメントを形成し、13本のプロトフィラメントが集合して管になったような形の微小管が形成されます(3)。微小管の直径は約25nmです。

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図63-2 毛利秀雄(1930~)とフェレンツ・ブルノ・シュトラウプ(1914~1996)

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図63-3 チュブリンと微小管

 微小管が最も規則的で美しい形態ととっているのは精子の鞭毛です。私たちオピストコンタの精子は、細胞の進行方向後方に1本の精子の鞭毛を持っています。鞭毛を輪切り(クロスセクション)にすると、中心にある1対=2本の微小管を、9ペア=18本の微小管が取り囲むという美しい規則的な構造になっています(図63-4)。微小管の周囲に存在するダイニンはATPが持つ化学エネルギーを運動エネルギーに変換することができるタンパク質(モータータンパク質)であり、これらの作用によって精子は鞭毛を動かし、泳いで卵に到達することができます。この9+2の構造は繊毛でも同じで、しかも原生動物からヒトに至るまで同じです(4)。

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図63-4 精子の鞭毛 クロスセクション

 アクチンはF.B.シュトラウプ(図63-2)によって発見された、分子量約4万2千の球状タンパク質です(5)。微妙に異なる6種類があり、冒頭で述べた筋肉を作るタイプのものとは異なるβ型アクチンは、重合してマイクロフィラメントという直径6nm前後の線維を形成し、微小管と同様細胞骨格の役割を果たしています(図63-5)。アクチン自体はモータータンパク質ではありませんが、ATPやADPと結合することによって線維形成が制御されています(6-7)。

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図63-5 アクチンとアクチン線維赤丸のATPが結合することによって、アクチンが重合し線維が形成される。 線維が形成された後、ATPはADPとなるので、アクチン線維(マイクロフィラメント)には前後の方向性が存在する。

 細胞形態がいかにチュブリンやアクチンに依存しているかということは、図63-6をみれば一目瞭然です。細胞質の中は微小管やマイクロフィラメントのジャングルジムのようです。これらの細胞骨格はジャングルジムと違ってフレキシブルで、次の瞬間には別の形になることもあります。微小管やマイクロフィラメントは常に多くの分子が参加したり離脱したりしているので、細胞の柱や梁といっても、非常に流動的なパーツではあります(8)。

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図63-6 蛍光染色によって可視化された細胞骨格  緑:微小管(マイクロチューブル) 赤:微笑線維(マイクロフィラメント)

 細胞骨格にはもうひとつの要素、すなわち中間径線維があります。中間径というのは線維の直径が微小管とマイクロフィラメントの中間という意味で、約10nmのサイズになります。中間径フィラメントを構成するタンパク質には、ケラチン、ニューロフィラメントタンパク質、デスミン、ビメンチン、ラミンなどがあり、細胞の種類によって特異性があります。ミオシンもこのグループに近いタンパク質です。
 中間径線維の代表としてケラチンに注目してみましょう。ケラチンは毛髪・羽毛・爪・表皮・角・くちばし・魚類以外のウロコなどの主成分となるタンパク質です。ケラチンはヒトのものだけでも54種類あり、まだ増えるかもしれません(9-10)。ケラチン分子は細長い線維性(フィブラス)の分子で、図63-7のようにまず2分子が同じ方向性でダイマーを形成し、2つのダイマーが互いに逆方向で重合して4量体(テトラマー)をつくり、そのテトラマーがタンデムに結合してマイクロフィラメントが形成されます。8本のマイクロフィラメント(これはアクチンが形成するマイクロフィラメントと同じ用語なので感心しません)が集合してマイクロフィブリルを形成し、マイクロフィブリルがさらに集合して毛や皮膚などの細胞に充満しています(図63-7)。
 ケラチン分子はシステインを多く含んでいる場合があり、システインが分子間で共有結合(S-S)を多数形成すると、非常に強靱な構造をつくることができます。こうなると物理的に強靱であるばかりでなく、酵素による分解も受けにくくなり、場合によっては羽毛恐竜のように1億年以上前の化石からも検出できるようなことがあります。

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図63-7 ケラチン線維の形成

 図63-8は私が撮影した毛の断面の電子顕微鏡写真で、まだ完全にケラチン線維で埋め尽くされていない未分化な下部の構造です。ケラチン線維の束(マイクロフィブリル)の間に隙間がまだみられます(9)。

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図63-8 毛の電子顕微鏡写真(クロスセクション)

 筋肉は中間径線維グループに近縁のミオシンと、全く別オリジンのアクチンなどのタンパク質が共同して作った驚異的な芸術的作品です。筋肉によって動物は歩行し、呼吸し、消化し、出産し、飛翔し、遊泳し、目のピントを合わせ、キーボードをたたくことができます。いずれまた話題になると思いますのが、ここでは1枚の私が撮影した電子顕微鏡写真だけ貼っておきます(9、図63-9)。ケラチンについては文献(10-11)などにも簡潔にまとめてあり、フリーで読めます。より詳しい情報を得たい方は、この分野の世界的権威であるラングバイン博士と共同研究者達が多数のレビューを書いており、一部(12など)はフリーで読むことができます。

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図63-9 筋線維の電子顕微鏡写真 mtはミトコンドリア  筋肉はアクチンとミオシンの相互作用によって収縮する
A帯はその相互作用が行われている場所 I帯はアクチンフィラメント H帯はミオシンフィラメント

参照

1)ウィキペディア: 原核生物の細胞骨格
2)Mohri H., “Amino-acid composition of Tubulin constituting microtubules of sperm flagella.”. Nature vol. 217, pp. 1053-1054 (1968)  PMID 4296139
3)Nogales, E., Wolf, S.G., Downing, K.H. , Structure of the alpha beta tubulin dimer by electron crystallography. Nature vol. 391, pp. 199-203 (1998)
4)廣野雅文 東京大学理学部広報プレスリリース (2011)
https://www.s.u-tokyo.ac.jp/ja/press/2011/06.html
5)Straub FB., Actin,  Studies Inst Med Chem Univ Szeged. vol.2, pp. 3–16 (1942)
http://actin.aok.pte.hu/archives/pdf/StudiesII_1.pdf
6)ウィキペディア: アクチン
7)Geoffrey M Cooper, Structure and Organization of Actin Filaments. The Cell: A Molecular Approach. 2nd edition. Sunderland (MA) (2000).
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/books/NBK9908/
8)Wikipedia: Cytoskeleton,  https://en.wikipedia.org/wiki/Cytoskeleton
9)K. Morioka, "Hair Follicle. Differentiation under th Electron Microscope. An Atlas" Spirnger-Verlag Tokyo (2005)
https://www.amazon.co.jp/Hair-Follicle-Differentiation-Electron-Microscope-ebook/dp/B000SNUPWM/ref=sr_1_1?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&keywords=hair+follicle&qid=1572774225&s=digital-text&sr=1-1
10)京都大学教育資料 ケラチン
https://www.kuhp.kyoto-u.ac.jp/~pathology/templates/keratin.html
11)片方陽太郎 ケラチン蛋白質の生化学 -構造、機能、そして遺伝子まで-、蛋白質 核酸 酵素 vol. 38, pp. 2711-2722 (1993)
http://lifesciencedb.jp/dbsearch/Literature/get_pne_cgpdf.php?year=1993&number=3816&file=sU0K8gPLUSkWylrPLUS03QAhjDig==
12)Moll R, Divo M, Langbein L., The human keratins: biology and pathology.,
Histochem Cell Biol. vol. 129(6): pp. 705-33. (2008)  doi: 10.1007/s00418-008-0435-6. Epub 2008 May 7.
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/18461349

 



 

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62.酵素 Ⅱ

   第二次世界大戦前までに、酵素はタンパク質であり、生命現象に必要なほとんどの化学変化は、酵素によって触媒される反応であることが明らかになりました。大戦後は酵素の作用機構や制御が主要な課題となりました。
 エミール・フィッシャーの古典的な「鍵と鍵穴」説の検証と新しい概念構築の中心になったのはジャン=ピエール・シャンジューでした。シャンジュー(図62-1)は学生の頃パスツール研究所のジャコブ&モノー研究室で過ごました。彼はそこでタンパク質は固定した形を持つものではなく、基質や様々な制御因子の影響、オリゴマーの形成などによって形を変えるフレキシブルな物質であることに注目し、アロステリック変化という概念を提出しました(1-2)。この理論はダニエル・コシュランド(図62-1)らによってさらに発展し、「誘導適合説」などが提唱されました。このあたりの事情を知るには、コシュランドが書いたレビューが出版されています(3)。コシュランドは第二次世界大戦中はマンハッタン計画に参加して、原爆製造の仕事にかかわっていました(4)。

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図62-1 ジャン=ピエール・シャンジュー(1936~)とダニエル・コシュランド(1920~2007)

 簡単に説明すると、図62-2のように「鍵と鍵穴」説ではもともと鍵にぴったり合った鍵穴があることになっていますが、「誘導適合」説では、基質の接近によって酵素が形態(コンフォメーション)を変えて、基質を取り込むということになります。
 またこのコンフォーメーションの変化に伴って、ケミカルアタックを行うサイト(catalytic site、図62-2の赤のサイト) が基質と接近して活動を行うことができるようになります。このサイトは2ヶ所に分かれていて、サイト-基質-サイトという形で電子や原子の受け渡しを行ないます。

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図62-2 「鍵と鍵穴」説と「誘導適合」説

 では具体的にトリオースリン酸イソメラーゼを例にとって。酵素反応の機構をみていきましょう(5)。この酵素はジヒドロキシアセトンリン酸(DHAP)をD-グリセルアルデヒド3リン酸(GAP)に代謝するときに利用されます。これはグルコースをピルビン酸に代謝する解糖経路の要所にある重要な反応です。ケトンをアルデヒドに変換する反応のひとつという見方もできます(図62-3)。

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図62-3 トリオースリン酸イソメラーゼによる反応

 酵素のポケット(鍵穴)に取り込まれたDHAPは、まずグルタミン酸側鎖COO-の電子をうけとってC1とC2の結合を二重結合化します。このときC1とC2はそのままでは共に5価になってしまうので、C1はHをひとつ手放し、C2は酸素との二重結合を一重結合化します(図62-4、図62-5)。

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図62-4 C1とC2の二重結合化

 C2と二重結合していたOの解放された電子はヒスチジン側鎖のNHに攻撃を仕掛け、Hを奪い取ります(図62-5)。

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図62-5 ヒスチジン側鎖NHに対するアタック

Hを奪い取られたヒスチジン側鎖のNはC1からHを奪い返します(図62-6)。

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図62-6 Hを奪われたヒスチジンによるC1への逆襲

 ヒスチジンに水素を奪われたC1は、酸素との結合が二重結合になってしまうので5価となり、C2との二重結合を一重結合にします。この結果C2は3価となるので、グルタミン酸側鎖のカルボキシル基からHを奪って4価にもどします(図62-7)。

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図62-7 C1がグルタミン酸のHを奪って4価を回復


 因果は巡って、結局GAPが生成され、95番のヒスチジン側鎖と165番のグルタミン酸側鎖も元通りに戻ります。すなわち酵素はもとのままで、DHAP→GAPの化学反応が遂行されました(図62-8)。

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図62-8 反応は終了し、グルタルアルデヒド3リン酸(GAP)が生成された

 以上は単純化された仮説で、実際にはもっと複雑かもしれません。さてすべての酵素は基質濃度だけに反応して、役目を果たすのでしょうか? 答えはNoです。酵素には阻害物質を利用して反応生成物を適度な濃度で管理するという機構がしばしば存在します。
 最も単純なのは図62-9のように、基質と同じ鍵穴にアクセスできる別の鍵があり、その鍵が先にはまると基質は鍵穴にアクセスできなくなるというメカニズムです。すなわち基質と阻害剤が同じサイトに競合してアクセスしようとするわけですから、どちらがアクセスできるかはそれぞれの濃度に依存します。したがってもし大過剰の基質を投入すれば、阻害剤の影響は無視できる程度に低下するはずです。このような単純競合の場合、タンパク質自体の立体構造の変換を伴わないので、アロステリック制御とは言えません。

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図62-9 拮抗阻害  同じサイト(鍵穴)を基質と阻害剤が競い合って結合しようとする

 しかし図62-10の場合のように、阻害剤がアクセスする別のサイト(鍵穴)があって、そこに阻害剤がアクセスすると基質の鍵穴が変形して使用不能になるとすれば、これはアロステリック制御のひとつであり、このようなケースでは基質を大過剰にしても反応は抑制されることになります。この非拮抗阻害と呼ばれる方式ですと、阻害剤が高濃度に存在すると反応が完全に停止するので、反応を再開するには阻害剤が代謝されてしまうことが必要になります。

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図62-10 非拮抗阻害  阻害剤が結合すると、酵素は構造変化を起こし、基質に結合しなくなる

 阻害の様式にはもうひとつ、不拮抗阻害というのがあり(図11)、この場合フリーの酵素に阻害剤はアクセスすることができず、基質が結合した酵素にしかアクセスできません。阻害剤がアクセスに成功すると、基質結合部位がアロステリック効果により変形して基質が結合できなくなります。阻害剤がアクセスするまでの時間的余裕があるので、基質があればある程度反応は進行し、その後阻害されるということになります。

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図62-11 不拮抗阻害  基質が結合した後で、阻害剤が結合する

 阻害剤という反応進行に負の影響を及ぼす因子について述べてきましたが、このような阻害剤による負のアロステリック効果だけでなく、正のアロステリック効果も存在します(図62-12)。この場合、正のAE(アロステリックエフェクター)が酵素にアクセスすることが引き金になって、基質結合部位が形成され反応が開始します。

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図62-12 正と負のアロステリック効果

 ただし酵素反応は一般に無制限に進行することは許されず、特定のタイミングで適切な量の反応生成物を得ることを目的としています。細胞外に放出されるペプシンですら、胃に食べ物がないときには放出されないように制御されています。酵素反応をいかに制御するかということは、生命現象の本質のひとつと言えるでしょう。
 一連の酵素反応の結果生成された最終反応生成物が阻害因子となって、自らを生成した酵素反応カスケードを停止させるという場合があり、これをフィードバック制御といいます(図62-13)。

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図62-13 フィードバック制御  反応生成物が酵素-基質の結合に影響を与える

 例えばアスパラギン酸トランスカルバモイラーゼは最終反応生成物であるCTPによって阻害されます(6)。このような負のフィードバック制御が一般的ですが、なかには最終反応生成物が一連の反応を加速させる場合もあり、これは正のフィードバック制御です。途中で神経伝達が関与していますが、オキシトシンが分泌されて子宮収縮=分娩が促進されるような場合がその1例と考えられます。

参照

1)Monod, J., Wyman, J., Changeux, J. P., On the Nature of Allosteric Transitions: A Plausible Model. Journal of Molecular Biology. vol.12, pp.88-118 (1965). doi:10.1016/S0022-2836(65)80285-6. PMID 14343300.
2)ウィキペディア: アロステリック効果
3)Daniel E. Koshland Jr., The Key-Lock Theory and the Induced Fit Theory. Angewandte Chemie col.33, pp.2375-2378 (1995)
4)Wikipedia: Daniel Koshland,  https://en.wikipedia.org/wiki/Daniel_E._Koshland_Jr.
5)Proteopedia: Triose Phosphate Isomerase Structure & Mechanism.
http://proteopedia.org/wiki/index.php/Triose_Phosphate_Isomerase_Structure_%26_Mechanism
6)Berg JM, Tymoczko JL, Stryer L., Biochemistry 5th edn. Section 10.1, W. H. Freeman (2002) https://www.ncbi.nlm.nih.gov/books/NBK22460/

 

 

 

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2020年1月20日 (月)

61.酵素 I

 酵素を誰が発見したのかというのは、特定の人物を指定することがやや難しい問題です。歴史をたどっていくことにしましょう。
 1752年、フランスの科学者ルネ・レオミュール(René-Antoine Ferchault de Réaumur、図61-1)は、消化されなかった食べ物を吐き出す習性があるトンビに目を付け、金網で囲った肉を食べさせて、はき出した金網の中の肉が溶けていたことを確認ました。さらにスポンジ(当時のことですから海綿)を食べさせて、はき出したスポンジから胃液を集め、その胃液に肉片を浸すことで肉片が溶けることも観察しました(1-2)。この結果からレオミュールは、胃液には肉を分解する物質が含まれると考えました。

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図61-1 ルネ・レオミュール(1687~1757)

 レオミュールという人は偉大な昆虫学者で、全六巻からなる大著「昆虫誌」(3)を出版しました。もちろんフランス語ですが、オープンライブラリーで閲覧可能なようです。
 レオミュールの観察を受け継いだのは、イタリア人のラッザロ・スパランツァーニ(Lazzaro Spallanzani, 図61-2)というとてつもない科学者でした。彼はレオミュールの実験をさまざまな動物で追試し、吐き出した海綿中に消化を行う物質があることは間違いないという確信を持ちました。それからが彼の異常なところで、1776年に同じ実験を自分自身の体を使って追試してみようと考えたのです。といっても思いつきでやってみたのではなく、イヌやヘビに布袋を飲ませようとしてかみつかれるなどの困難に直面した後の苦渋の決断だったようです。

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図61-2 ラッザロ・スパランツァーニ(1729~1799)

 スパランツァーニはまず研究ず布袋にパンを入れて飲み込み、排泄された布袋の中からパンが無くなっていることを観察しました。次に竹を削って木筒をつくり、そのなかにパンや肉片を入れ、小さな穴を開けた木筒を布袋に入れて飲み込みました。出てきた木筒の中の食物はなくなっていました。
 これによって胃ですりつぶされて食物が粉々になったためになくなったわけではないことが証明されました。木筒に骨を入れた場合は、消化されずにそのまま出てきました。このような実験を多数繰り返して、スパランツァーニは胃には鳥類の砂嚢のように食べ物を粉々にする作用はなく、胃液に含まれる因子によって食べ物が消化されるのだという確信を持ちました。
 しかしもう一押し、胃液を取り出して、その中で食べ物が消化されるのを見たいと思うのは、科学者として必然のなりゆきでしょう。そこからがまた彼の凄いところで、指をノドに突っ込んで自分の胃液をはき出すトレーニングをして実行したのです。そして実際に自分の胃液の中で肉が消化されるのを観察しました。それは腐敗とは違うことも確認しました。さらに前記の肉片の入った木筒を飲み込み、しばらくして吐き出すという名人芸も会得し、中を調べてみると肉片が消化されかかっていました。

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図61-3 「自分の体で実験したい」Leslie Dendy and Mel Boring 著 梶山あゆみ訳、紀伊國屋書店(2007)

 スパランツァーニが一連の自分の体を使った人体実験から得た結論は、「消化は機械的粉砕や微生物による腐敗や発酵ではなく、胃液が促進する通常の化学反応だ」 というものでした。彼の功績は「自分の体で実験したい」という本に詳しく記してあります(4)。この本の表紙を図61-3に示しました。布袋を飲み込みつつあるスパランツァーニの姿が表紙になっています。
 私も購入して通読しましたが、この本にはスパランツァーニ以外にも、自分をモルモットにして命がけで実験をした大勢の科学者の業績が記されています。命を落とした人もいるということで合掌・・・・・。
 18世紀におけるレオミュールやスパランツァーニの偉大な実験にもかかわらず、多くの科学者が酵素の存在を確信するまでには、さらに1世紀もの長い時間が必要でした。19世紀に入ると、まずパヤン Anselme Payenとペルソ Jean Francois Persoz (図61-4) が、麦芽抽出液からデンプンをグルコースに分解する酵素を分離しジアスターゼと名付けました(1833年、5)。これは現在ではアミラーゼと呼ばれています。

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図61-4 アンセルム・パヤン(1795~1871)とジャン・フランソワ・ペルソ(1805~1868)

 スパランツァーニの研究もいくつかの研究室で引き続き発展しました。1834年ヨハン・エベールは乾燥させた胃の粘膜から消化能力のある溶液を調製することに成功しました。その溶液で処理すると、卵白アルブミンは溶けてしまうだけではなく、検出できなくなりました細胞説で有名なテオドール・シュワンはエベールの実験結果に注目し、1836年に胃液に含まれる成分がアルブミン以外のタンパク質も分解することを確認して、ペプシンと命名しました。しかしそのペプシンを精製することはできませんでした。19世紀の生化学で優勢だったのは、パスツールが証明した「生物は生物からしか生まれない、そして発酵や腐敗は微生物によって行われる」という考え方で、消化もやはり微生物の作用あるいは何らかの生命力によると思われていましたが、一方でパヤン&ペルソらの酵素の作用による有機物の化学変化もまた無視できないという隔靴掻痒の状況にありました。

 そうした中で、1897年エドゥアルト・ブフナー(Eduard Buchner, 図61-5)がすりつぶした酵母をろ過した抽出液(無細胞抽出液)の中で、糖が発酵してアルコールと二酸化炭素になることを発見したことは大きな衝撃でした(6)。すなわち生きた細胞がいなくてもアルコール発酵が行われることが証明されたことになります。

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図61-5 エドゥアルト・ブブナー(1860~1917)

 これは大変重要な実験でした。なぜならこれで生気説は否定され、有機物の生成や分解も普通の化学変化にすぎないという考え方が勝利したからです。ブフナーは1907年にノーベル化学賞を受賞しました。しかしその10年後に第一次世界大戦で従軍し、戦死しました。

 最終的に酵素がタンパク質であるということが証明されたのは20世紀も深まってからでした。1919年に米国の化学者ジョン・ノースロップ(John Howard Northrop, 図61-6)はペプシンを単離して結晶化し、それがタンパク質であることを証明しました(7-8)。ノースロップは1946年にノーベル化学賞を受賞しています。

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図61-6 ジョン・ハワード・ノースロップ(1891~1987)

 結論的に言えば、酵素の発見は誰がというより、ここで述べた科学者達を中心とした多くの科学者達が、200年近くの歳月をかけてなしとげた業績です。
 酵素の作用機構についてはすでに1894年からエミール・フィッシャーが「鍵と鍵穴」説を発表しており(9)、現在でも当たらずといえども遠からずという評価を受けていて、説明にはよく用いられます。すなわち酵素には基質(=鍵)を凸とすると凹の形態を持った鍵穴があり、そこに基質を収納すると基質がケミカルアタックを受けて生成物に変化するという考え方です(図61-7)。

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図67-7 エミール・フィッシャーの鍵と鍵穴説

 この過程を、レオノア・ミカエリスとモード・メンテン(図61-8)は次のような化学式で表現しました。

酵素 (E) + 基質 (S) ⇔  酵素基質複合体 (ES) → 酵素 (E) + 生成物 (P)
E: enzyme,  S: substrate,  ES: enzyme-substrate complex,  P: product

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図61-8 レオノア・ミカエリス(1875~1949)とモード・メンテン(1879~1960)

 ここで重要なのはE+S⇄ ESの1段階目の反応は可逆的なのに、2段階目のES→E+Pという反応は不可逆的だということです。もしそうでなければ、デンプンを分解してブドウ糖を生成しエネルギー源として利用しようとしても、ブドウ糖がある程度たまるとデンプンに逆戻りしてしまうという不都合が発生します。ただし生成物が少量で良い時などには、フィードバック制御という別プロセスで酵素に阻害がかかり、反応が停止するということはあります。
 酵素は触媒の1種ですが、金属触媒などを用いた無機化学反応と違って、基質濃度を上昇させてもあるところで頭打ちになってしまいます。基質濃度を横軸、反応速度を縦軸としてグラフを描くと図61-9のようになります。

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図61-9 基質濃度と反応速度  基質濃度を上げても、比例的に反応速度が上昇することはなく、頭打ちになる。

1913年にミカエリスとメンテンは、このグラフを数式で表現する、ミカエリス・メンテンの式を発表しました(10、図61-10)。

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図61-10 ミカエリス・メンテン式

 図61-9において、最大反応速度はVmax、その2分の1の反応速度で反応が進行しているときの基質濃度をKmとしています。ミカエリス・メンテン式において、[S] = Km とすると、v = 0.5 x Vmax となります。ミカエリス・メンテン式の導出のしかたについて興味がある方はサイト(11)を参照して下さい。
 本稿でもうひとつ触れておきたいのは、酵素が化学変化の過程において、活性化エネルギーを低下させるということです。物質Aは自然に自由エネルギーが低い物質Bに変化していくことは、熱力学の第2法則が示していますが、それでも物質Aが存在しているのは、物質Bに変化するために要する時間が無限大に近いことによります。酵素は物質A(基質=S)が物質B(生成物=P)に変化するために必要な、活性化エネルギーのレベルを下げる作用を持っています(図61-11、赤線)。このことによって変化に必要な時間を著しく短縮することができるので、生命現象に必要な化学変化を現実的な時間で実行することが可能になるわけです。

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図61-11 酵素はSがPに変化するために必要な中間段階の自由エネルギーレベルを引き下げる効果を持つ 酵素と基質が結合することによって(ES)、反応中間段階に到達するための活性化エネルギーが少なくなる(赤線)。

 

参照

1)ウィキペディア: ルネ・レオミュール
2)http://contest.japias.jp/tqj2005/80064/kousohakkenn.html
3)René-Antoine Ferchault de Réaumur, Memoires pour servir a l'histoire des insectes. A Paris : De l'imprimerie royale (1734) 
https://archive.org/details/memoirespourserv01ra
4)「自分の体で実験したい」 原題:Guinea Pig Scientists、 Leslie Dendy and Mel Boring 著 梶山あゆみ訳、紀伊國屋書店 (2007)
5)A. Payen and J.-F. Persoz, "Mémoire sur la diastase, les principaux produits de ses réactions et leurs applications aux arts industriels" (Memoir on diastase, the principal products of its reactions, and their applications to the industrial arts), Annales de chimie et de physique, 2nd series, vol. 53, pages 73–92 (1833)
6)Eduard Buchner, “Alkoholische Gärung ohne Hefezellen (Vorläufige Mitteilung)”. Berichte der Deutschen Chemischen Gesellschaft. vol. 30,  pp. 117–124 (1897)
7)Northrop J.H., Crystallin pepsin., Science vol. 69,  p. 580 (1929)
8)P. A. Levene, J. H. Helberger, CRYSTALLINE PEPSIN OF NORTHROP, Science Vol. 73, Issue 1897,  pp. 494 (1931) DOI: 10.1126/science.73.1897.494
https://science.sciencemag.org/content/73/1897/494.1.long
9)Emil Fischer, Einfluss der Configuration auf die Wirkung der Enzyme. Berichte der deutschen chemischen Gesellschaft, Volume 27, pp. 2985–2993 (1894)
10)Michaelis, L.,and Menten, M., Die kinetik der invertinwirkung, Biochemistry Zeitung vol. 49, pp. 333-369 (1913)
11)ウィキペディア: ミカエリス・メンテン式

 

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60.タンパク質の基本 Ⅱ

   アミノ酸はアミノ基とカルボキシル基を持っているので、酸性溶液中ではアミノ基がNH3+となって塩基、アルカリ性溶液中ではカルボキシル基がCOO-となって酸となります。すなわちアミノ酸は両性電解質であるという特性と持っています。

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図60-1 アラニンの滴定曲線  アラニンを酸に溶かした溶液に、一定量づつNaOHなどのアルカリを滴下して、pHの変化を記録していくと、滴定曲線を作成できます。

 図60-1は酸性の溶液にアラニンを溶解し、アルカリ(OH-)を加えて滴定したときのpH変化を示したものです。まずpH2あたりで勾配がゆるやかになりますが、このあたりではアラニンは

+H3N-CHCH3-COOH → +H3N-CHCH3-COO- + H+

のようになるので、加えたOH-はH+に吸収され、pHの上昇がゆるやかになります。もう1ヶ所、pH10あたりで勾配がゆるやかになりますが、これはこのあたりで

+H3N-CHCH3-COO- → H2N-CHCH3-COO- + H+

となってもう1個プロトンが放出されるので、pH上昇がもう一度ゆるやかになります。
 このような緩衝作用を2ヶ所で発揮するのが、両性電解質の特徴です。アミノ酸によって緩衝作用を発揮するpH領域は異なるので、アミノ酸の混合液は広い範囲にわたって、環境の変化に対してpHを一定に保つ働きがあり、生物に福音をもたらします。
 +H3NとCOO-が拮抗して存在するpHを等電点といいます。アラニンの場合6.00です。
 タンパク質はアミノ酸が集まってできたものですが、アミノ酸が持っているアミノ基とカルボキシル基はアミノ酸が連結してタンパク質をつくる際にペプチド結合をつくって電荷が消滅するので、両端にしか電荷が発生しません。しかし例外として酸性アミノ酸と塩基性アミノ酸は通常ペプチド結合を形成しない側鎖にアミノ基またはカルボキシル基を持っているので、それらをどのくらい含むかによって、タンパク質もバラエティーに富んだ両性電解質になり得ます(図60-2)。

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図60-2 酸性アミノ酸と塩基性アミノ酸  タンパク質はそのなかにどのくらいのアスパラギン酸・グルタミン酸・アルギニン・リジンを含むかによって、等電点にバラエティーが発生します。

 図60-2に記したアミノ酸の数・位置によって、タンパク質の性質は大きく変わります。タンパク質の種類によって、酸性アミノ酸あるいはアルカリ性アミノ酸の含有量に差があるので、例えば等電点には大きなバリエーションがあります(図60-3)。


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図60-3 さまざまなタンパク質の等電点

 例えばリゾチーム(ニワトリ卵白)という酵素のアミノ酸配列をみますと、塩基性アミノ酸の数が酸性アミノ酸の数を上回っており、このような場合タンパク質は塩基性となります(図60-4)。図60-3に示されるように、リゾチームの等電点は11を少し上回っています。

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図60-4 卵白リゾチーム(ニワトリ)の1次構造  酸性アミノ酸(ピンク)10個と塩基性アミノ酸(青)17個を含む

 一方イヌのペプシンBのアミノ酸配列をみますと、酸性アミノ酸の数が塩基性アミノ酸の数を大きく上回っています。このような場合タンパク質は酸性となります(図60-5)。ペプシンの場合偏りが極端で、等電点が1となります。胃という特殊な環境で作用する酵素なので、特殊な構造をもっていると思われます。

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図60-5 ペプシンB(イヌ)の1次構造  酸性アミノ酸(ピンク)31個と塩基性アミノ酸(青)12個を含む

 生化学実験では等電点の違いを利用してタンパク質を分離精製するという作業がよく行われます。タンパク質の混合液に電流を流して、酸性タンパク質は+側に、塩基性タンパク質は-側に移動するのを利用するわけですが、実際には自然拡散や振動の影響を回避するため、タンパク質が移動できる程度のゆるいゲルを用います(図60-6)。

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図60-6 等電点電気泳動法

 図60-6には両性電解質をゲルに溶かしておく場合を示していますが、ゲルを作成するときに予めpHの勾配を作ってあるのを購入して使うというのが簡便で、よく利用されます(1)。タンパク質は通常プラスかマイナスにチャージしているので、精製された分子同士は電荷の反発でくっつきにくいのですが、等電点周辺では分子としてはチャージがなくなるので接近しやすく、場合によっては沈殿が発生します。これは等電沈殿という現象で、等電点電気泳動を行う場合には注意しなければいけません。
 等電点電気泳動法で分離した後、分子量の差を利用してさらに分離すると、少量とは言え、かなり純度の高いタンパク質が得られる場合が多いです(2、3)。もっと大量のタンパク質を精製する技術は、今でも生化学者の腕のみせどころで、非常に多くの方法が考案されています(4、5)。
 タンパク質にはもうひとつ特徴的な性質があります。それはある条件で相転移を行うことで、典型的な例は熱変性です。図60-7のように生卵に熱を加えると、ある時点で不可逆的にゆで卵になります。これはαヘリックスやβシートというタンパク質の基本構造が、熱によって破壊されることが主な原因です。αヘリックスやβシートは弱い水素結合によって形成されているので、温度が上昇すると不安定になり、構造が破壊されてランダムに近い状態になってしまいます。これによって多数の分子がからまりあって集合し、不溶性のかたまりを形成します。ただしペプチド結合は破壊されないので、バラバラになる(アミノ酸単体に分解される)ことはありません(図60-7)。タンパク質は酸でも変性します。たとえば胃液によって胃の中のタンパク質は変性を受け、消化酵素による分解を受けやすくなります。
 100℃でも生きている耐熱菌がいますが、これらの生物は様々なストラテジーで熱耐性を獲得しました。タンパク質について言えば、熱に弱いアミノ酸の排除、αヘリックスの安定化など様々な戦略で熱変性に耐える構造となっています(6)。

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図60-7 タンパク質の変性

 タンパク質には完成後に化学的修飾を受けて機能を発揮する分子も少なくありません。非常に色々な修飾が報告されていますが、ここでもいくつか紹介します。まずリン酸化について見てみますと、セリン・スレオニン・チロシンのOHがリン酸化されてOPO3-となります(図60-8)。リン酸化されているかいないかということが、あるシリーズの生体化学反応の起動スイッチになっている場合が多く、タンパク質のリン酸化は情報伝達のキーとなるイベントになっています。この分野のパイオニアはジョージ・バーネットとユージン・ケネディでしょう(7)。最近話題の抗がん剤オプジーボのターゲットであるPD-1もリン酸化されることによってスイッチを起動するタンパク質のひとつです(8)。タンパク質のリン酸化は、いくらでも話題が出てくる広範な領域なので、レビュー(9)などをみると俯瞰できます。

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図60-8 タンパク質の翻訳後修飾1 リン酸化とアセチル化

 タンパク質のアセチル化も重要な化学修飾です。ヒストンの低アセチル化は転写が抑制されたヘテロクロマチン状態のマーカーとされています(10)。また癌抑制因子として最も有名なp53はアセチル化によって活性化あるいは安定化することも知られています(11-13)。

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図60-9 タンパク質の翻訳後修飾2 SS結合と糖の付加

 

参照

1)GEヘルスケア・ライフサイエンス 等電点電気泳動
https://www.gelifesciences.co.jp/technologies/2d-electro/guide-3.html
2)GEヘルスケア・ライフサイエンス 二次元電気泳動
https://www.gelifesciences.co.jp/technologies/2d-electro/guide.html
3)山本佳宏 一発分析? 二次元電気泳動とは 生物工学 vol. 90,  pp. 128-131 (2012)
file:///C:/Users/User/AppData/Local/Microsoft/Windows/INetCache/IE/CFQW7HJS/9003_yomoyama_2.pdf
4)マイクロソフト ネットキャッシュfile:///C:/Users/User/AppData/Local/Microsoft/Windows/INetCache/IE/C8FQEO1U/02_1analysis1.pdf
5)GEヘルスケア・ライフサイエンス バイオ実験の原理と方法
https://www.gelifesciences.co.jp/newsletter/biodirect_mail/technical_tips/
6)赤沼哲史、山岸明彦  好熱菌のタンパク質はなぜ熱に強いか 生化学 vol. 81, no.12, pp. 1064-1071 (2009)
file:///C:/Users/User/AppData/Local/Microsoft/Windows/INetCache/IE/B04HR93V/81-12-06.pdf
7)G. Burnett and E.P. Kennedy, The enzymatic phosphorylation of proteins, J. Biol. Chem. vol. 211, pp. 969–980 (1954) 
8)Programmed cell death 1, 
http://www.ft-patho.net/index.php?Programmed%20cell%20death%201
9)Joseph Schlessinger, Receptor Tyrosine Kinases: Legacy of the First Two Decades.  Cold Spring Harb Perspect Biol. vol. 6,  pp.1-13 (2014) doi: 10.1101/cshperspect.a008912.
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC3949355/pdf/cshperspect-RTK-a008912.pdf
10)Cell Signaling Technology, タンパク質のアセチル化
https://www.cellsignal.jp/contents/science-cst-pathways-epigenetics/protein-acetylation/pathways-chromatin-acetylation
11)http://www.cyclex.co.jp/resource/keyword/jkeyword_2.html
12)田中知明、転写因子p53の翻訳後修飾と転写活性化機構. 生化学 vol. 82, no.3, pp. 200-209  (2010)
13) Nature ダイジェスト : http://www.natureasia.com/ja-jp/nature/highlights/79254

 





 

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59.タンパク質の基本 I

     タンパク質は生物の体を構成する要素として最も重要な物質であり、同時に栄養源としても重要です。タンパク質に含まれるアミノ酸の数をnとすると理論上20のn乗の種類のタンパク質があり得ますが、遺伝情報としてDNAに刻まれているのは、哺乳類では2万数千種類くらいです。それらは生物の歴史を反映したものであり、なかには細菌・古細菌・真核生物のすべてにおいて機能しているタンパク質も少なくありません。
 これまでの復習もかねてタンパク質の基本構造を示すと、図59-1のようになります。まずアミノ酸がペプチド結合でつながった1次構造。すなわちつながるアミノ酸の順列が一番基本的な構造になります。次にαヘリックス・βシート・ランダムコイル(実際にはランダムじゃないので適切な言葉とはいえません)・その他の規則的な構造などのローカルな共通構造を2次構造とよびます。数学で言う「次元」とは別の概念なので注意しましょう。
 αヘリックスやβシートなどを空間に3次元的に配置したものを3次構造とよびます。図59-1のリゾチームの図(1)がそれにあたります。リゾチームは細菌の細胞膜を構成する多糖類を分解する酵素で、抗菌作用があります。ヒトの涙、鼻汁、母乳などにも含まれており、ひとつの免疫機構と考えられます。ウィルスには無効なのに風邪薬に含まれており、不可解だったのですが、ようやく2016年に無効が確認されて販売が中止されたそうです(2)。
 同じまたは異なるタンパク質が、特定の配置で集合して機能を発揮するような場合、その集合体を4次構造とよぶことがあります。これも数学の「次元」とは異なる概念です。ちょっと無理があるなので、あまり使いたくない言葉ですが他に適切な言葉がみつかりません。

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図59-1 タンパク質の構造

 タンパク質の3次元構造は、X線結晶解析によって解明されました(3-4)。この功績によりジョン・ケンドリュー(1917~1997)とマックス・ペルーツ(1914~2002)(図59-2)は1962年のノーベル化学賞を受賞しました。同じ年にワトソンとクリックもノーベル医学生理学賞を受賞したので、この年のノーベル賞は、タンパク質とDNAの構造解明者が同時に受賞するという、分子生物学の歴史上最大の出来事と言っても良いでしょう。

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図59-2 ペルーツとケンドリュー

 ペルーツはナチが台頭する前にウィーンからイングランドに留学していたのですが、ナチの侵略後は両親が難民となったため資金を絶たれピンチとなりました。しかしロックフェラー財団の援助で学業・研究を続けられたそうです。第二次世界大戦中は氷山空母(氷の上から戦闘機が飛び立つ)を建造する計画に参加していました(5)。
 ケンドリューは英国空軍の研究所でレーダーの研究をしていましたが、なぜかタンパク質に関心を持つようになって、生物物理学の分野にやってきた人です。ケンドリューとペルーツは二人ともケンブリッジ大学のキャベンディッシュ研究所に在籍し、サー・ローレンス・ブラッグの高弟でした。ワトソンとクリックがDNAの構造を解明したのも、この研究所での仕事でした。
 彼らが研究材料として用いたミオグロビンというタンパク質(図59-3)は、クジラなど海に棲む哺乳動物の筋肉に豊富なもので、酸素を強く結合して保管しておき、血液中の酸素濃度が低下したときに放出して、長い時間海に潜ったままで活動する彼らの生活をささえています。血液中の酸素リザーバーはヘモグロビンで、ミオグロビンと類似したグロビン分子4つで構成されています(図59-5)。ですので単独分子のミオグロビンはヘモグロビンよりかなりシンプルな構造であり、研究材料として好適だったわけです(6)。もちろんクジラから採取するので、サンプルが大量に確保できるという利点もありました。

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図59-3 ミオグロビン

 ただちょっと複雑なのは、ミオグロビンはアミノ酸が連結した鎖だけでできているのではなく、ヘムという非タンパク質の、いわゆる補欠分子族といわれる物質を含んでいます。ヘムはポルフィリン環と中央部の鉄原子からなり、この鉄原子は酸素分圧によって、酸素と結合したり分離したりします(図59-4)。この反応を利用してミオグロビンは酸素が必要な時に、筋肉に酸素を供給しています。ミオグロビンは8つのαヘリックスをもつ安定な構造のタンパク質で(図59-3、それぞれのヘリックスに番号がつけられています)、ヘムを組み込むことによって適切に酸素を組織に供給する役割を果たしています。

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図59-4 ヘムにおける鉄原子の挙動 酸素分圧が下がると、鉄は酸素を解離して組織に供給する。

 ヘモグロビンはミオグロビンに類似したαグロビンとβグロビンを2個づつ組み合わせた4量体タンパク質で、前述のいわゆる4次構造を持っています(図59-5)。それぞれのグロビンがひとつのヘムを持っているので、1分子のヘモグロビンには4個のヘムが存在します。ヘモグロビンのヘムは、ミオグロビンのヘムにくらべて酸素との親和性が低く、酸素を放出しやすい性質を持っています。ヘモグロビンやミオグロビンは単なるヘムの台座ではなく、必要な酸素を適切に供給できるようなシステムを提供していると言えるでしょう。


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図59-5 ヘモグロビン

 ヘムはミオグロビンやヘモグロビン以外にもいくつかのタンパク質に含まれており、シトクロムcもそのひとつです(7、図59-6)。シトクロムcはαヘリックスを4つ持ち(図59-6)、アミノ酸約100個からなる小さなタンパク質ですが、酸素呼吸を行う生物(細菌から哺乳類に至るまで)にとっては必須の生体分子です(7)。

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図59-6 シトクロムc

 シトクロムcに含まれるヘム鉄(図59-6の朱色の球)は、Fe2+とFe3+に可逆的に変換することができ、それによってシトクロムcはミトコンドリアでの電子の受け渡しに関与しています。またミトコンドリアから放出されるとアポトーシスによる細胞死を誘導することが知られています(7)。シトクロムcに含まれるヘムは、ミオグロビンやヘモグロビンのヘムbとは異なり、ヘムcという構造をとっています。ヘムcはタンパク質と硫黄原子を介して共有結合しています(8、図59-7)。

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図59-7 ヘムbとヘムc

 ヘム以外にも補欠分子族にはさまざまなものがあり、図59-8と図59-9に主要なものを示しました。タンパク質と頻繁に結合したり分離したりする分子の場合、常時タンパク質に結合している補欠分子族と区別して補酵素とよぶこともあります。補欠分子族や補酵素はタンパク質以外の物質についての命名であり、これらと同様な機能をタンパク質が持つ場合、それらはサブユニットとよばれるタンパク質の4次構造の一部または独立の制御因子とみなされます。

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図59-8 補欠分子族と補酵素 FMNなど

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図59-9 補欠分子族と補酵素 NAD+など

 補欠分子族・補酵素はビタミンと関係が深く、FMN(フラビンモノヌクレオチド)・FAD(フラビンアデニンジヌクレオチド)はリボフラビン=ビタミンB2から合成され、テトラヒドロ葉酸はメチルコバラミン(ビタミンB12)、ピリドキサルリン酸はピリドキサール(ビタミンB6)、NAD+・NADP+はナイアシンから合成されます。またビオチン=ビタミンB7、チアミン=ビタミンB1など補酵素そのものがビタミンである場合あります。
 ミオグロビン・ヘモグロビン・シトクロムcはすべてαヘリックスとランダムコイルに近いペプチド鎖で構成されたタンパク質ですが、たとえばポリンのように、主要な構造がβシートで構成されているタンパク質もあります(9、図59-10)。ポリンは細胞膜にβシートが壁に相当するトンネルを埋め込んだような形で存在し、膜を通過する低分子物質の選別を行います。βシートはその通りシート状の構造や、かごのような構造をつくることもできます。

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図59-10 ポリン

 αヘリックスやβシートとは異なる、あるいはバリエーション的な規則構造をもつタンパク質も存在します。絹フィブロインは昆虫の繭の成分ですが、 Gly-Ser-Gly-Ala-Gly-Ala というアミノ酸配列の繰り返しを多数持っていて、図59-11のようにこの構造の逆順鎖と隣接することによって、まるでファスナーのように側鎖がかみ合って、繊維状の構造を形成しています。この側鎖が大小大小と交互に並ぶ特殊なファスナー様構造によって、絹は非常にちぎれにくい丈夫な繊維になることができます。

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図59-11 シルクフィブロイン

 さまざまなタンパク質のアミノ酸配列およびその他の情報はデータベースに集積されており、誰でも閲覧することができます。たとえば pir=protein information resource (10)にアクセスして、上部のバーから search/analysis を選択してクリック、次の画面から text search を選択してクリック、そうすると選択と入力の窓がでてきますので、選択の方は protein name を選択、入力の方は globin と入力し、search をクリックします。検索結果画面の最初に Protein name and ID という欄がありますので、その HBA MOUSE をクリックすると、マウスのαグロビンに関する様々な情報が得られます。スクロールしていくと真ん中あたりにアミノ酸配列が記載してあります(図59-12)。
  またはゲノムネットにアクセスし(http://www.genome.jp/ja/)、DBget search を開いて swiss prot というデータベースを探してクリックします。でてきた入力の窓に mouse globin と入力し、リストの中から HBA MOUSE を選択すると同様なデータが得られます。Swiss prot では、最後(ボトムエンドまでスクロールする)にアミノ酸配列の情報が記載されています。

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図59-12 マウスα-グロビンのアミノ酸配列

 このようなデーターベースの情報を用いて、すべての動物が持っているタンパク質であるシトクロムcのアミノ酸配列を、さまざまな動物について打ち出してみると、興味深いことがわかります(図59-13)。

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図59-13 様々な動物のシトクロムcのアミノ酸配列

 左から3番目のアミノ酸をみてみますと、20種類の動物のうち16種類ではすべてバリンですが、七面鳥・鶏・鳩・王様ペンギンの4種類ではイソロイシン(赤囲い)になっています。哺乳類はこのアミノ酸を魚類・両生類・爬虫類から引き継いでいますが、鳥類はある時点でバリンをイソロイシンに転換したということになります。これはたまたまなのか、何らかの意義があるのかよくわかりませんが、アミノ酸配列から進化系統について論ずることが可能であることが示唆されています。
 もうひとつ興味深いのは4番目と46番目です。いずれもサル目のなかでクモザルだけが他と異なるアミノ酸になっています。ただし4番目の場合、爬虫類・鳥類・哺乳類のすべてがグルタミン酸(E)であるのにクモザルだけフェニルアラニン(F)となっています(青囲い)。対照的に46番目では爬虫類・鳥類・哺乳類のすべてがフェニルアラニン(F)なのに、クモザル以外のサル目の動物だけ(ヒト・チンパンジー・マカク)がチロシン(Y、赤囲い)となっています。これだけのデータでも、サル目のなかでクモザルだけが独立したグループであることが示唆されます。一方で11~12番目をみると、クモザルを含めたサル目が、サル目以外の哺乳類・鳥類・爬虫類・魚類とは異なる共通配列(IM=イソロイシン・メチオニン、赤囲い)を持っていることがわかります。
 たった1種のタンパク質のアミノ酸配列を比較しただけでも、様々な生物の歴史や系統関係を調べる糸口になります。実際シトクロムcのアミノ酸配列を比較するだけで系統樹を記述することができたという論文もあります(11)。ここで少し留意していただきたいのは、このような分子レベルでの変異が直接適者生存(ダーウィン的進化)にかかわる場合は少ないということです(12)。

参照

1)Wikipedia: Lysozyme,  https://en.wikipedia.org/wiki/Lysozyme
2)ウィキペディア: リゾチーム
3)John Kendrew et al., A Three-Dimensional Model of the Myoglobin Molecule Obtained by X-Ray Analysis., Nature vol. 181, pp.662 - 666 (1958); doi:10.1038/181662a0
4)Max Perutz et al., Structure of Hæmoglobin: A Three-Dimensional Fourier Synthesis at 5.5-Å. Resolution, Obtained by X-Ray Analysis., Nature vol. 185, pp. 416 - 422 (1960); doi:10.1038/185416a0
5)Reviewed by Richard E. Dickerson, "Max Perutz and the secret of life" by Georgina Ferry,
Protein Sci. vol. 17, pp. 377–379 (2008) doi:  10.1110/ps.073363908
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC2222719/
6)Myoglobin: A brief history of structural biology. Video presentation.
http://www.richannel.org/myoglobin-a-brief-history-of-structural-biology.
7)ウィキペディア: シトクロムc
8)wikipedia: Heme C,  https://en.wikipedia.org/wiki/Heme_C
9)ウィキペディア: ポリン
10)PIR(Protein Information Resource)
https://proteininformationresource.org/
11)Robert M. Schwartz and Margaret O. Dayhoff, Origins of prokaryotes eukaryotes mitochondria and chloroplasts. Science,
Vol. 199, Issue 4327, pp. 395-403 (1978)
12)ウィキペディア: 中立進化説

 

 

 

 

 

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2020年1月19日 (日)

58.オリゴペプチド・ポリペプチド

 タンパク質の話題に入る前に、構成要素であるアミノ酸の数が少ないだけの、いわば弟分にあたるオリゴペプチド・ポリペプチドについてみておきましょう。オリゴペプチドは数個、ポリペプチドは数十個までのアミノ酸で構成されています。1928年アレクサンダー・フレミング(1881~1955)は、研究のために培養していたブドウ球菌の培養皿に青カビ(ペニシリウム)が生えていることに気がつきました。初歩的な失敗でしたが、よくみると青カビの周辺ではブドウ球菌が生育していないことに気がつきました。
 フレミングはこの青カビの毒素を抽出・精製することに成功しませんでしたが、ハワード・フローリー(1898~1968)とエルンスト・チェイン(1906~1979)は1940年に、このブドウ球菌の生育を阻止する毒素を精製し、いくつかの成分があることをつきとめました。それらを総称してペニシリンと言います。これらは20世紀最大の医薬品であり、開発の功績によって3人は1945年にノーベル医学生理学賞を受賞しました(1、図58-1)。現在でもよく使われるセフェム系の抗生物質はペニシリンと構造が類似した、同じグループの医薬品です。

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図58-1 ペニシリンを開発した3人の科学者

 ペニシリンのひとつであるペニシリンNの合成過程と構造式を図58-2に示します。アミノアジピン酸+システイン+バリンのトリペプチドであることがわかります。ただしアミノアジピン酸が遺伝暗号表にはないアミノ酸であること、青点線で示したような環状構造(β-ラクタム4員環+5員環)をつくること、バリンがもとはL型なのに、ペプチドに取り込まれたときにはD型になっていることなどの特異な性質を持っています。ペニシリンはもともとペニシリウム(青カビ)が生存競争のために産生する毒素(アロモン)なので、生物が簡単には分解解毒できないように特殊な構造を持っていると考えられます。
 ペニシリンはペプチドですが、リボソームで作られるのではなく、細菌が持つ酵素によって合成されます。遺伝暗号表に書き込まれていないものは、リボソームでは合成できません。ペニシリンは細菌の細胞壁の合成を阻害する作用を持っていますが、真核生物にとっては基本的に毒物としての作用はありません。ただもともと真核生物の体内に類似物質があるわけではなく、しかも特異な分子形態なので、強いアレルギー反応がおきやすいことがわかっています。私の父も直接的にはペニシリンショックで命を落としました。当時は現在のような十分な配慮なく投与されていたと思われます。交通事故や医療事故で突然人生が終了するというのは誠に理不尽なことです。
 米国NIHはペニシリンの効果と人体への安全性を確認するため、1946年から1948年にかけてグアテマラで人体実験を行ったことが、最近になって発覚しました。オバマ大統領は2010年にグアテマラに謝罪しました(2)。

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図58-2 青カビによるペニシリンの生合成

 真核生物にもペプチド性の毒素を持つものは多く、例えばテングタケの α-アマニチン(図58-3)は8つのアミノ酸からなるオリゴペプチドです。2次元の図はまるで駐禁マークのようです。α-アマニチンはRNAポリメラーゼIIに結合し、タンパク質の合成に必要なmRNAの合成反応を阻害します。蛇毒やヒキガエルの毒もペプチド性のものです。

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図58-3 αアマニチン

 最初にいくつか毒ペプチドについて述べたわけですが、もちろんオリゴペプチドにも有用な生理作用を持つものは数多く存在します。まずグルタチオンについてみてみましょう。図58-4のようにグルタチオンはグルタミン酸+システイン+グリシンからなるトリペプチドです。青丸のHによって過酸化物や活性酸素を還元無毒化する機能があります
 生物は酸素を利用するようになってから、酸素の毒性=あらゆるものを酸化しようとする(サビさせようとする)性質、からいかにして逃れるかが大きな課題だったわけですが、そのひとつの解決策がグルタチオンでした。生体内に還元型のグルタチオンをためておいて、活性酸素が発生するとすばやく還元し、結果生成した酸化型のグルタチオンは、ただちにグルタチオンリダクターゼとNADPHの作用によってまた還元型にもどすというサイクルによって、体の「サビ」を防ぐことができます(図58-4)。ただしグルタチオンは多量にあればあるほどよいわけではなく、代謝のバランスを保つことも必要ですし、タンパク質が持つSS結合を切断する作用もあるため、濃度は適切に調節される必要があります。

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図58-4 グルタチオン(還元型と酸化型)

 図58-4のグルタチオンの構造をよく見ると、一番左側にアミノ基とカルボキシル基があります。通常のペプチドだと左端はアミノ基、右端はカルボキシル基なので、これは普通ではありません。すなわちグルタミン酸の側鎖(γ位)のカルボキシル基を使って、隣のシステインとペプチド結合を形成しています。したがってL-γ-glutamyl-L-cysteinyl-glycineという名前が正式名になります。どうしてこのような構造が選択されたのかは、おそらく酵素による分解に抵抗するためと思われます。ペプチド結合を切断する酵素は数多くありますが、ほとんどは側鎖を使った結合を切断することができないので、グルタチオンは切断されにくくなっています。ペニシリンと同様、グルタチオンもリボソームではなく専用の酵素によって合成されます。
 オキシトシンはペニシリンやグルタチオンよりアミノ酸数が多い、Gly-Leu-Pro-Cys-Asn-Gln-Ile-Tyr-Cys の9個のアミノ酸で構成されています。図58-5に構造式を示します。末端のシステインが中間部のシステインとSS結合を形成して環状構造になっています(3)。通常のペプチド鎖と異なり、カルボキシル末端が存在しません。

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 オキシトシンの9個のアミノ酸の配列は遺伝子に刻まれており、ペニシリンやグルタチオンと違ってリボソームによってまず前駆体が合成され、複雑な加工の過程を経て図58-5のような構造の分子がつくられます。生体内では脳の視床下部でつくられ、脳下垂体からホルモンとして血流に放出されます。オキシトシンの作用によって、分娩時に子宮筋の収縮が促され、また出産後には乳腺の筋肉を収縮させ乳汁分泌が促進されます。
 女性だけではなく男性でも分泌され、仲間内での親密さを増す作用があることが知られています(4)。一方で仲間でない者には反発心が強まるという副作用もあると言われています。右翼的心情のベースになる物質かもしれません。
 ペプチドホルモンとしてはじめてオキシトシン・バソプレッシンを同定し構造解析と合成を行った功績で、ヴィンセント・デュ・ヴィニョーが1955年にノーベル化学賞を受賞しています(5)。脳がホルモンを合成するということで、当時は非常な驚きを持ってむかえられた研究でした。タレントでもある脳科学者中野信子がオキシトシンの作用を研究していることでも知られています(6)。この他にもペプチド性のホルモンは多数知られています(下記)。ペプチドホルモンの作用機構などについては、いずれ稿をあらためて述べるつもりです。


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 天然のオリゴペプチド・ポリペプチドの代表的なものを並べてみますと、次のようになります。

1.ペプチドホルモン:インスリン、グルカゴン、オキシトシン、バソプレッシン、アンジオテンシン、成長ホルモン、ガストリン、セクレチン、TRH、GnRH
2.抗生物質:ペニシリン、グラミシジンS
3.真核生物の抗菌性ペプチド(7,8):マガイニン、タチプレシン、ディフェンシン
4.酵素阻害ペプチド:ロイペプチン, ペプスタチン,植物トリプシンインヒビター
5.神経伝達物質:エンケファリン、エンドルフィン、ダイノルフィン
6.毒ペプチド:アマニチン,コブラトキシン
7.細胞内還元剤:グルタチオン

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

 

 TRH(甲状腺刺激ホルモン放出ホルモン)やGnRH(性腺刺激ホルモン放出ホルモン 図58-6)はいずれも視床下部で放出されて、脳下垂体の機能を調節するホルモンですが、これらの構造決定についてはロジェ・ギヤマン(Roger Charles Louis Guillemin)とアンドリュー・シャリー(Andrzej Wiktor Schally)の歴史的死闘とも言える競争があったことは業界では有名なお話です。興味のある方は書籍(9-10)を参照して下さい。なお二人とも1977年のノーベル医学・生理学賞を受賞しました。現在お二人とも90才と超えていますが、長生きでも競争しているようです。

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図58-6 GnRH

 人工甘味料のアスパルテームも N-L-α-aspartyl-L-phenylalanine 1-methyl ester というオリゴペプチドです(図58-7)。これは天然には存在しないものですが、無害の食品添加物として広く用いられています。ただし実は有害であるとの報告も蓄積されつつあります(11)。

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図58-7 アスパルテーム

 

参照

1)Wikipedia: Penicillin,  https://en.wikipedia.org/wiki/Penicillin
2)ウィキペディア: グアテマラ人体実験
3)Wikipedia: Oxytocin,  https://en.wikipedia.org/wiki/Oxytocin
4)上田 陽一、“オキシトシン”の多彩な生理作用 公益財団法人山口内分泌疾患研究振興財団 内分泌に関する最新情報 pp. 1-7 (2015)
file:///C:/Users/User/AppData/Local/Microsoft/Windows/INetCache/IE/CFQW7HJS/ueta201508.pdf
5)Vincent du Vigneaud et al., The synthesis of an octapeptide amide with the hormonal activity of oxytocin. . Am. Chem. Soc., vol.75, pp 4879–4880 (1953)
6)天才脳科学者:中野信子の脳は今夜もドーパミンでいっぱい
https://morph.way-nifty.com/grey/2015/01/post-b78b.html
7)小林聖枝、抗菌性ペプチドMagainin 2 とTachyplesin Iの細菌選択的相乗効果 カクテル療法への可能性、YAKUGAKU ZASSHI vol. 122, pp. 967-973 (2002)
8)富田哲治・長瀬隆英、生体防御機構としてのディフェンシン、日老医誌, vol.38, pp. 440-443 (2001)
9)Wade, Nicholas (1981). The Nobel Duel. Doubleday. ISBN 978-0-385-14981-5.
10)Nicholas Wade著 丸山工作・林 泉 訳、 ノーベル賞の決闘、岩波書店 (1984)  ISBN 978-4002601243
11)人工甘味料アスパルテームの危険性とは? 【常識はウソだらけ】
https://matome.naver.jp/odai/2136780173669119701

 

 

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57.ペプチド結合・αヘリックス・βシート

 タンパク質はアミノ酸が脱水縮合して合成される物質です。このことを発見したのはエミール・フィッシャー(図57-1)です。エミール・フィッシャーは糖やプリン誘導体の研究者として有名で、それらに関する研究業績を評価されて、1902年にファント・ホッフに続いて2人目のノーベル化学賞を受賞しています。

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図57-1 エミール・フィッシャー (1852-1919)

 エミール・フィッシャーは有機化学・生化学の父とでも言うべき人で、糖やプリン誘導体以外にも多方面に業績があり、1901年にはエルネスト・フォルノー(1872~1949)と共に、グリシンとグリシンを脱水縮合させてグリシルグリシンを合成しています(1)。これがタンパク質化学のはじまりでしょう。
 彼はその後18個のアミノ酸をつないで、ポリペプチドと言えるような高分子を化学合成することに成功しました。その性質は天然のタンパク質とよく似ていたそうです(2)。論文(2)は100年以上前の文献で私は読んでいませんが、現在でも7000円くらい支払えば読むことができます。
 フィッシャーはタンパク質合成に成功したとき、これで近未来に人類の食糧問題は解決するだろうと考えましたが、残念ながら現代に至っても食糧問題は人類にとって深刻な課題のまま残されています。フィッシャーは膨大な業績を残しましたが私生活には恵まれず、奥方は結婚後7年で病死、息子3人のうちひとりは戦死、ひとりは自殺で失っています。彼自身も1919年に自殺しました(3)。リヒテンターラーが彼の生涯や業績についてレビューを出版しています(4)。自殺の原因は不明ですが、彼自身が開発して糖の構造解析に用いていたフェニルヒドラジンによって、癌になったことが原因だという説があります。
 アミノ酸の脱水縮合(アミノ酸1+アミノ酸2=ジペプチド+H2O)は図57-2のように、カルボキシル基(COOH)のOHとアミノ基(NH2)のHが結合してH2Oとなって離脱し、残されたCOとNHがO=C-N-Hという形で結合し(ペプチド結合)、2つのアミノ酸を連結する形で行われます。
 したがって反応生成物はH2N-HCR-ペプチド結合-HCR-COOH(Rはそれぞれのアミノ酸によって異なる)という形になります。図57-3のように4つのアミノ酸が連結されるとH2N-HCR-ペプチド結合-HCR-ペプチド結合-HCR-ペプチド結合-HCR-COOHとなります。

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図57-2 アミノ酸の脱水縮合 ペプチド結合の形成

 図57-3では具体的にバリン-グリシン-セリン-アラニンのテトラペプチドの構造を記してあります。連結されたアミノ酸の数が数十個以内の場合、タンパク質ではなくポリペプチドと呼ばれる場合が多いです。またより小数の場合オリゴペプチドとも呼ばれます。図57-3の青丸バックのCはアミノ酸が連結されたあとでも不斉炭素です。グリシンは側鎖がHなので不斉炭素はありません。ポリペプチド(タンパク質)の両端はそれぞれアミノ基とカルボキシル基が露出していて、それぞれN末・C末(N端・C端)などと呼ばれることがあります。

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図57-3 ペプチド結合によるアミノ酸の連結

 タンパク質構造研究の次のエポックは、ライナス・ポーリング(図57-4)によって創られました。彼は貧困家庭の生まれで、ハイスクールを卒業できなかったそうですが、苦学してオレゴン農業大学を卒業しました。そして第二次世界大戦中に、マンハッタン計画の化学部門のヘッドにハントされるほどの量子化学部門での重鎮となりました(そのポストに就くのは断ったそうです)(5)。ポーリングは化学結合に関する研究で1954年にノーベル賞を受賞していますが、タンパク質の構造については50才も近づいた頃から研究をはじめて、たちまちαヘリックス(6)やβシート(7)という概念を提唱するなど卓越した業績を残しました。これらの論文および現代的観点から見た業績の解説は無料で読むことができます(8)。

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図57-4 ライナス・ポーリング(1901~1994)

 ポーリングらがこれらの重要な発表を行った当時、米国ではマッカーシ-イズム(レッドパージ)が吹き荒れており、マンハッタン計画参加を断ったポーリングは反政府勢力とみなされてパージされそうになっていたのですが、それまでの卓越した業績によって地位を保つことができたようです(8)。ポーリングはその後も反核運動を続けて、1962年にはノーベル平和賞を受賞し、ノーベル賞を2回受賞した4人のうちのひとりとなりました。
 ポーリングはタンパク質の構造形成において水素結合が重要な役割を果たしていることを示しました。水素の原子核は小さく弱体で、保有する電子を強い(陽子の多い)原子核を持つ原子に奪われがちです。
 水の分子における水素も原子を酸素に奪われがちで、その結果水素原子はプラスのチャージを持つようになります(図57-5左)。

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図57-5 水分子は極性をもっている 

水素はプラスチャージを帯びやすく、2個のマイナスイオンの間に位置して水素結合を形成することができます。酸素原子は過剰な電子でマイナスチャージを帯びるので、水分子は片側が+、反対側が-のチャージを帯び、水分子同士が引き合って安定した構造を保ち、その結果比熱が高くなって、熱を加えてもなかなか気体になりません(図57-5左)。
 酸素分子以外でも水素は電子を奪われて+にチャージしがちなので、他の原子を引き寄せることができます。結果的に水素をはさんで他の2原子がブリッジをつくるような形になります(図57-5右)。これが水素結合です。
 DNAの塩基対ATおよびGCは水素結合によって形成され、DNAを適度に安定化しています。水素結合は分子同士ばかりでなく、分子の内部でも形成されます。タンパク質の場合はそれによってαヘリックス(図57-6)やβシート(図57-7)が形成され、分子が安定化します。αヘリックスは1本のペプチド鎖によって形成されますが、βシートは2本のペプチド鎖によって形成されます。図7のように分子内で鎖が折れ曲がって行ったり来たりすることによって、同じ分子内でβシートを形成することが可能になります。

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図57-6 αヘリックス

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図57-7 βシート

 水素結合のエネルギーは5~30KJ/モルであり、数百KJ/モルの共有結合と比べると非常に小さいので弱い結合と言えますが、DNAには分子が持つ塩基対の2~3倍の数の水素結合があるわけですし、タンパク質分子内にあるαヘリックスやβシートそれぞれの内部には非常に多数の水素結合があるので(図57-6、図57-7)、分子の安定性には相当寄与しています。

 またDNAポリメラーゼやRNAポリメラーゼがDNAの情報を読み取るには、水素結合を引きはがして単鎖にしなくてはいけないわけですし、タンパク質が他の因子によって機能を制御されたり、自身が酵素の機能を発揮するような場合には分子の形を変えなくてはいけないので、水素結合が弱い結合であることにはそれなりに意義があるわけです(9)。
 ポーリングは晩年癌のビタミンC大量投与療法の研究などでバッシングを受けて、研究ができないような状況に追いやられましたが、死後彼の研究を支持する結果も報告されて、名誉は回復されました(10)。彼自身マキシマムヘルスを実現するため、マルチビタミンの摂取を実行し、現在でも「ライナス・ポーリング博士のスーパーマルチビタミン」「ライナス・ポーリング博士のビタミンC」などという商品が販売されています(図57-8)。

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図57-8 ライナス・ポーリング博士の名前がついたマルチビタミン剤

 

参照

1)Emil Fischer and Ernest Fourneau, Berichte der deutschen chemischen Gesellschaft, vol.34, p.2868 (1901)
2)Emil Fischer, Synthese von Polypeptiden, Berichte der deutschen chemischen Gesellschaft, vol.36,pp.2982-2992 (1903) doi:10.1002/cber.19030360356.
http://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1002/cber.19030360356/abstract
3)Top 5 suicide chemists. 1) Emil Fischer (1852-1919)
http://syntheticenvironment.blogspot.jp/2007/04/top-5-suicide-chemists.html
4)Emil Fischer, His Personality, His Achievements, and His Scientific Progeny, Frieder W. Lichtenthaler, European Journal of Organic Chemistry
Volume 2002, Issue 24,  pages 4095-4122 (2002)
http://onlinelibrary.wiley.com/wol1/doi/10.1002/1099-0690(200212)2002:24%3C4095::AID-EJOC4095%3E3.0.CO;2-2/full
5)ウィキペディア: ライナス・ポーリング
6)Linus Pauling, Robert B. Corey, and H. R. Branson、The structure of proteins: two hydrogen-bonded helical configurations of the polypeptide chain. Proc. Natl. Acad. Sci. USA vol.37, pp.205-211 (1951)
http://www.pnas.org/content/37/4/205.full.pdf?sid=d8637919-9b62-43f1-b1f3-7e675806b4a5
7)Linus Pauling, and Robert B. Corey、The pleated sheet, A new layer configuration of polypeptide chains. Proc. Natl. Acad. Sci. USA vol.37, pp.251-256 (1951)
http://www.pnas.org/content/37/5/251.full.pdf?sid=585970d7-d233-401b-84a1-c5a4668381d9
8)David Eisenberg、The discovery of the α-helix and β-sheet, the principalstructural features of proteins. Proc. Natl. Acad. Sci. USA vol.100, pp.11207–11210 (2003)
http://www.pnas.org/content/100/20/11207.full
9)J. D. Watson et al., Molecular Biology of the Gene 6th edn, Chapter 5, Cold Spring Harbor Laboratory Press (2008)
10)Padayatty S, Riordan H, Hewitt S, Katz A, Hoffer L, Levine M (2006). “Intravenously administered vitamin C as cancer therapy: three cases”. CMAJ vol.174 (7), pp.937-942. PMID 16567755.

 

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56.アミノ酸

 しばらく核酸(DNA・RNA)のお話がつづきました。かなりつっこみましたので、このあたりで少しタンパク質の話題にワープしようと思います。核酸とタンパク質は生命現象をささえる両輪と言えます。タンパク質は約20種のアミノ酸からなる生体高分子ですが、まずその構成要素であるアミノ酸のお話から始めましょう。最初にアミノ酸を発見したのはフランスの薬剤師・化学者ルイ=ニコラ・ヴォークラン(1763~1829)と彼の助手だったピエール=ジャン・ロビケ(1780~1840)です(図56-1)。彼らは1806年にアスパラガスから高純度のアミノ酸を抽出し、その性質を研究してアスパラギンと命名しました(1-3)。またアンリ・ブラコノー(1780~1855、図56-1)は1820年にゼラチンの分解物からグリシンを発見しました(4)。
 結局ほぼすべてのアミノ酸が発見されるまでには100年の歳月を要しました。日本のアミノ酸研究者としては池田菊苗(1864~1936)が有名です。彼はグルタミン酸の発見者ではありませんが、このアミノ酸のナトリウム塩が「だし」のうまみ成分であることを発見しました(5)。

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図56-1 アミノ酸の発見者達

 最初にタンパク質の一次構造、すなわちアミノ酸が並ぶ順番を解明したのはフレデリック・サンガー(図56-2)でした。これによって、アミノ酸のみがつながってタンパク質を構成していることもわかりました。サンガーはこの業績によって1958年のノーベル化学賞を受賞しましたが、後にDNAの塩基配列を決定する方法も開発して、1980年に2度目のノーベル化学賞を受賞しています(6-7)。2度ノーベル賞を受賞したのはサンガー以外では、ジョン・バーディーン、マリ・キュリー、ライナス・ポーリングの3名のみです。

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図56-2 フレデリック・サンガー(1918~2013)

 サンガーが解明したのはインスリン分子におけるアミノ酸の配列ですが、その前にアミノ酸の略号による表記を図56-3に示しておきます。3文字を用いる場合と1文字を用いる場合があります。

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図56-3 アミノ酸の略称 3文字略称と1文字略称

 図56-3の1文字による表記を使ってインスリン分子の構造を示したのが図56-4です。サンガーが使用したインスリンのサンプルは牛の膵臓から抽出して、何度も結晶化することによって精製されたものです。アミノ酸の配列は動物種によって多少異なります。ですからヒトなどほかの生物のインシュリンのアミノ酸配列が教科書などに出ている場合、この配列とは異なる可能性があります。
 インスリン分子は単にアミノ酸がタンデム(直列)につながったものではなく、A鎖(21アミノ酸)・B鎖(30アミノ酸)の2列のアミノ酸が、システインのところでS-S結合(ジスルフィド結合)を形成し、接続された構造になっています(図56-4)。

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図56-4 インスリンの化学構造とSS結合の位置


 タンパク質の構造については後にまた述べることとして、まずタンパク質の構成要素であるアミノ酸についてみていきましょう。生物に含まれるアミノ酸はいろいろバリエーションはありますが、基本的には図56-3に示した20種類です。すべてのアミノ酸分子は炭素原子を中心として、これにカルボキシル基(COOH)、アミノ基(NH2)、水素(H)、側鎖が結合しています(図56-5)。この4つの要素がすべて異なる場合、図6のように鏡像の構造体=エナンティオマー(対掌体)が存在し得ます。4つの要素の中心になる炭素を不斉炭素(アシンメトリックカーボン)と呼びます。

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図56-5 アミノ酸の基本形

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図56-6 対掌体としてのアミノ酸

 対掌体は光線を当てたときの回折方向が異なるので、以前は光学異性体と呼ばれていました。対掌体のふたつの化合物はそれぞれD体、L体と呼ばれます。アミノ酸の場合、生物はほぼL体のみを用いてタンパク質を合成します。ただまれにD体を使用する場合もあるので、DL変換を行なうアミノ酸ラセマーゼという酵素も存在します(8-9)。
 アミノ酸のうちグリシンは図56-5のRの部分が水素(H)なので、図56-7のように鏡像を構成する物質は120度回転すると同じになってしまいます。したがって対掌体は存在しません。またプロリンは通常のアミノ酸と構造が異なりますが、対掌体(光学異性体)は存在します(10)。

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図56-7 グリシンにはDL対掌体が存在しない

 アミノ酸は側鎖R(図56-5)の構造によって、異なる性質をもつグループに分類できます。図56-8に示したのは中性で疎水性のグループです。球形のタンパク質をつくる場合、外側の水と接する部分を親水性のアミノ酸、内側を疎水性のアミノ酸にすれば、うまく球状の分子構造を形成することができます。また細胞膜の外側と内側に親水性、細胞膜内部に疎水性のアミノ酸を配置すれば、細胞膜を貫通するタンパク質のデザインとして好適となります。疎水性のアミノ酸をさらに細かく分類すると、芳香族のトリプトファンとフェニルアラニン、それ以外の脂肪族のグループに分けられます。

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図56-8 疎水性アミノ酸の側鎖

 次に中性で親水性のグループを図56-9に示します。1級アミド(CONH2)や水酸基など水と親和性が高い分子パーツを持っています。極性分子グループと分類されることもあります。極性とは分子の片側に電子が偏って存在することを意味します。水も極性分子で、電子は酸素側に偏っています。したがって水に極性分子を混ぜると、電子が豊富な部位と、足りない部位が引き合ってうまく混合し、溶解度は高くなります。酵素は通常水に溶解した状態で作用するので、特に表層は親水性のグループで被われている必要があります。

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図56-9 親水性アミノ酸の側鎖

 図56-10には塩基性、図56-11には酸性のアミノ酸を示します。塩基性のアミノ酸は特に核酸との相互作用を行なう上で重要です。酸性のアミノ酸はその反応性の高さを利用するため、酵素の活性中心に位置する場合があります。図56-11に示したプロリンは特異なアミノ酸で、アミノ基がありません。その代わり5員環のNHがアミノ基の役割をしていて、他のアミノ酸のカルボキシル基と反応して結合することができます。これによってアミノ酸鎖の角度を変えることができるので、球形分子などを形成するときには重要な役割を果たします。タウリンはカルボキシル基を持たず、代わりにスルホン基(-SO3H)を持っていますが、タンパク質には含まれず単独分子で機能します。

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図56-10 塩基性アミノ酸の側鎖

 

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図56-11 酸性アミノ酸の側鎖

 植物のような独立栄養生物はすべてのアミノ酸を自前で合成できますが、従属栄養生物はアミノ酸をエサとして取り込む必要があります。ヒトの場合一般に、図56-12に示される9種類のアミノ酸を外界から摂取する必要があります(11-12)。ヒスチジンは体内で作られますが、急速な発育をする幼児の食事に欠かせないことから、1985年からこれも必要なアミノ酸として加わるようになりました(13)。なお、アルギニンは体内でも合成され、成人では非必須アミノ酸ではありますが、成長の早い乳幼児期では体内での合成量が十分でなく不足しやすいため、準必須アミノ酸とされています。

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図56-12 ヒトの必須アミノ酸

 一般に肉食動物は自分とほぼ同じアミノ酸バランスの食事なので栄養的には優れていますが、それを続けていると次第にアミノ酸合成を行なう酵素に進化的欠陥が発生し、必須アミノ酸が増える可能性が高くなります。図56-13で猫とヒトを比較していますが、アルギニン・チロシン・システインなどについては、ヒトと比べて猫は要求性が高くなっているようです。また猫はタウリンを合成できません。タウリンは、心臓の筋肉や目の細胞に多く含まれ、タウリンの欠乏は 網膜の異常(失明につながることもあり) 拡張型心筋症(発病すると死に至る…)や子猫の発育異常、免疫不全などの原因になります(14-15)。

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図56-13 ネコとヒトの必須アミノ酸

 とはいえ草食動物でも羊がシステインを合成できないなどということもあり、腸内細菌にアミノ酸合成を行わせる(草食動物の腸は長いので大量の腸内細菌を維持できる)場合もあって、必須アミノ酸のお話もそう単純ではありません(16)。アブラムシはその細胞内にブフネラという細菌を飼っていて必須アミノ酸をつくらせているというような極端な場合もあります(17)。シロアリはなんと窒素固定細菌を腸内に飼っていて、この細菌に空気中の窒素からアミノ酸をつくらせているそうです(18)。

 

参照

1)ウィキペディア: ルイ=ニコラ・ヴォークラン
2)http://www.a-creation.jp/basic/history/
3)http://andantelife.co.jp/aminoacids/aminoacids.htm
4)https://glycine-corp.com/2016/08/11/what-is-glycine/
5)大越 慎一:うま味の発見と池田菊苗教授、東京大学理学部広報
http://www.s.u-tokyo.ac.jp/ja/story/newsletter/treasure/02.html
6)ウィキペディア: フレデリック・サンガー
7)Antony O. W. Stretton、The First Sequence: Fred Sanger and Insulin、Genetics vol.162, pp.527–532 (2002)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC1462286/pdf/12399368.pdf
http://www.genetics.org/content/162/2/527
8)山根隆 D-アミノ酸の効率的合成に関係する酵素の構造と機能  Japanest NIPPON (2011) http://japanest-nippon.com/jp/mbinfo/mb_detail1.php?cid=1&id=12
9)ウィキペディア: アミノ酸ラセマーゼ
10)http://www.tennoji-h.oku.ed.jp/tennoji/oka/OCDB/Protein/proline.htm
11)ウィキペディア: 必須アミノ酸
12)馬渕知子 タンパク質を構成する9種類の「必須アミノ酸」とは? 
http://www.skincare-univ.com/article/011704/
13)山口迪夫 食事:ヒスチジンが必須アミノ酸と考えられる理由
http://www.nutritio.net/question/FMPro?-db=question-bbs.fp5&-lay=main&-Format=detail.htm&hatugenID=97&-Find
14)岩田麻美子 猫の栄養学講座 タンパク質
https://allabout.co.jp/gm/gc/69259/all/
15)ロイヤルカナン イヌと猫の栄養成分辞典
https://www.royalcanin.co.jp/dictionary/nutrients/%E3%82%BF%E3%82%A6%E3%83%AA%E3%83%B3
16)Weblio辞書 https://www.weblio.jp/wkpja/content/システイン_羊
17)理化学研究所 プレスリリース(2009)
http://www.riken.jp/pr/press/2009/20090310_2/
18)理化学研究所 プレスリリース(2015)
http://www.riken.jp/pr/press/2015/20150512_2/

 

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55.真核生物メッセンジャーRNAの成熟 Ⅱ

 「真核生物メッセンジャーRNAの成熟 I」で述べたように、シャープやレダーらによって真核生物の遺伝子がイントロンによって分断されていることが明らかになり、これは真核生物の特徴であるとしばらく考えられていましたが、それは主要なモデル生物である大腸菌がたまたまイントロンを持っていなかったことの影響が強かったからと思われます。しばらくするとイントロンは細菌や古細菌にも存在し得ることがわかりました(1)。このうち古細菌のイントロンはわが国の研究者達が発見したものです(2)。
 図55-1に各種イントロンのリストをまとめて記しておきます。真核生物においてもミトコンドリアや葉緑体の遺伝子には細菌型のイントロンが存在します。またrRNAには細菌型の、tRNAには古細菌型のイントロンが存在します。細菌型のイントロンは転写されたRNA自身が酵素の機能を持っていたり、イントロンの内部に酵素の遺伝子を持っていたりして、自力でスプライシングを行うことができます。

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図55-1 生物によるイントロンとスプライシングの様式の相違

 細菌のイントロンには様々なものがありますが、いずれも構造は複雑です。本来は蛋白質である酵素の役割をRNAが代替しようというわけですから、それは当然と言えます。ここではウィキペディアからグループIIイントロンの構造を拝借して、図55-2として示しておきます(3)。

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図55-2 グループIIイントロン

 古細菌型のイントロンはリボヌクレアーゼとRNAリガーゼによってスプライシングが行われます。真核生物でもtRNAのイントロンでは古細菌型のスプライシングが行われますが、オルガネラやリボソーム遺伝子以外の大部分の遺伝子はスプライソソームというメカニズムでスプライシングが行われます。
 酵母のイントロンが飢餓に対する抵抗性を担っているという論文が出版されてから(4-5))、「イントロンというのはDNAの病気であり、スプライシングとはその治療法」という見解には疑問符がつくことになりました。ただ参照文献(1)によると、クラミドモナスという藻類ではミトコンドリアのある酵素が1~2億年の間に核に移転したことがわかっていますが、その間に真核生物型のイントロンが、この酵素の遺伝子に15個も挿入されていたそうです。1000万年に1遺伝子あたり1個のイントロンが挿入されるという計算ですね。ヒトの遺伝子は約2万あるので、1000万を2万でわると500ですから、約500年にひとつイントロンが増加する計算になります。甚だ迷惑な話ですが、イントロンも長い間「ホスト」のDNAに棲み着いていると、その内部にエンハンサーが挿入されたり、イントロンの塩基配列が変わるとスプライシングに失敗したりするので、それなりに役割を主張しはじめる、言い換えれば進化的保存を要求することになります。

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図55-3 ジョアン・スタイツ

 ともあれイントロンはタンパク質合成の際にアミノ酸配列として反映されることはないので、タンパク質をコードするRNA(すなわちmRNA)においては、必ずなんらかのメカニズムによって取り除かれなくてはいけません。ジョアン・スタイツ(1941~、図55-3)らのグループは、small nuclear RNA という機能が不明だった核内のRNAが、タンパク質と複合体をつくって1群の small nuclear ribonucleoproteins (snRNP) をつくり、このsnRNPがmRNAのスプライシングにかかわっていることを示唆しました(6)。その後このsnRNP複合体はスプライソソームあるいはスプライセオソームなどとよばれています。
 イントロンが取り除かれるプロセスを簡単に示したのが図55-4ですが、多くの場合イントロンはキャップ側の端がGU、ポリA側の端がAGとなっています。また中間部分に存在するAが重要な役割を果たします。その他ピリミジンリッチな配列とか、それぞれのsnRNPに親和性がある配列などがありますが、厳密には定められていません。
 第1のステップでは、キャップ側のGUがはずれて中間部のAと結合します。これはAの2の位置のOHがエクソン1右端の 3'-5' 結合を攻撃して切断し、AG結合をつくることによって実現します。この結果投げ縄のような構造が形成されます(図55-4)。第2のステップでは、エクソン1右端の3OHがエクソン2左端を攻撃して切断し、エクソン1とエクソン2が結合し、同時に投げ縄構造となったイントロンが切り離されます(図55-4)。

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図55-4 イントロンの除去

 真核生物のイントロンの転写物は、細菌のような複雑な構造をとっているわけではなく、リボザイム(酵素機能を持つRNA)ではないので、図55-4のようなダイナミックな反応(スプライシング)は外部因子の力を借りて行われます。スプライシングを実行する外部因子とは U1、U2、U4、U5、U6 という snRNP で構成されるスプライソソームです。snRNPとは small nuclear ribonucleoprotein (核内低分子リボ核タンパク質)の略称で、RNAとタンパク質の複合体です。真核生物でもスプライシングを行うためには、RNAの助けが必要です。他の因子もかかわっていますが、ここでは省略します。詳しく知りたい方は参照文献(7)などを参照して下さい。
 図55-5のようにまずU1がイントロンとエクソン1の境界部に結合します。U1はこの位置に結合するためのRNAを含んでいます。図ではぴったりイントロンのキャップ側(5' 側)の塩基配列と対合していますが、ぴったり対合する必要はありません。同時に中間部にあるAの近傍にU2が結合します。これにU4+U5+U6の複合体が結合してイントロンRNA(pre-mRNAの内部)にテンションを発生させ、Aをエクソン1の右端に接近させてエクソン1とイントロンを切断します。
 ここでU4がはずれ、U5+U6がエクソン1の右端とエクソン2の左端を接近させて連結させます。この反応によって、イントロンの投げ縄構造とそれに結合しているsnRNP群がはずれて、mRNAが完成します。
 こうして完成したmRNAですが、蛋白質合成に使用するためにはもう一手間かけなければなりません。それは核膜というバリアを抜けて、リボソームのある細胞質まで行かなければならないからです。核膜には核膜孔という関所のようなトンネルがあって、生体高分子はそこを通らないと核に入ったり核から出たりすることはできません。核膜を通過するためにmRNAが持つべき通行手形とその作成過程はまだ未知の部分があって、ワトソンの教科書などでもあっさりと通り過ぎています。Tapとp15という二つの蛋白質の複合体(ヘテロダイマー)が、mRNAにべったりくっつくことが重要だという説は正しいようですが(8)、まだわかっていない部分も多いと思われます。

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図55-5 スプライシングの機構

 

参照

1)大濱武 遺伝子の中の厄介者、イントロンはどうしてなくならないか 生命誌 29号 (2000)
https://www.brh.co.jp/seimeishi/journal/029/ex_1.html
2)渡邊洋一、横堀伸一、河原林裕、原核生物遺伝子のイントロン 古細菌タンパク質遺伝子のイントロンの発見 蛋白質・核酸・酵素 vol.47, pp.833-836 (2002)
3)Wikipedia: Group II intron,  https://en.wikipedia.org/wiki/Group_II_intron
4)Jeffrey T. Morgan, Gerald R. Fink & David P. Bartel, Excised linear introns regulate growth in yeast., Nature vol. 565, pp. 606–611 (2019)
5)Samantha R. Edwards & Tracy L. Johnson, Intron RNA sequences help yeast cells to survive starvation., Nature vol. 565, pp. 578-579 (2019)
6))M.R. Lerner, J.A. Boyle, S.M. Mount, S.L. Wolin & J.A. Steitz, Are snRNPs involved in splicing? Nature vol.283, pp.220 - 224 (1980); doi:10.1038/283220a0
http://www.nature.com/nature/journal/v283/n5743/abs/283220a0.html
7)J.D. Watson et al. Molecular Biology of the Gene 6th edn. (2008) or 7th edn (2013)
8)大阪大学大学院 米田研究室のサイト: 
http://www.anat3.med.osaka-u.ac.jp/research/research3_1.html

 

 

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54.真核生物メッセンジャーRNAの成熟 I

   細菌では転写が行われると、通常できたばかりのRNAにリボソームがくっついて翻訳(RNAからタンパク質へ)が開始されます。ですから鋳型DNAと転写されたRNAと翻訳工場のリボソームが一体化した状況の電子顕微鏡写真が撮影されています(44.メッセンジャーRNA)。しかし真核生物ではそうはいきません。転写は核内で行なわれますが、リボソームは核の外の細胞質内にあります。従ってRNAを核膜を通過させて核の外に出し、そのRNAをリボソームまで導かなければなりません。
 このようなプロセスを裸のRNAにやらせようとすると、リボソームにたどり着く前にヌクレアーゼで分解されて影も形もなくなってしまうでしょう。そこで転写されたRNAには直ちに5’側にはキャップ、3’側にはポリAテイルが付加されて、端からRNA分解酵素にかじられるのを防いだり、自らがmRNAであることのシグナルとして機能させたりという役割を与えられています(図54-1)。
 キャップとテイルは翻訳領域に直接つけられるのではなく、それぞれ翻訳されない領域 (5'-UTR=5' untranslated region, and 3'-UTR=3' untranslated region) で隔てられた部分につけられます。つまりmRNAはその全域がタンパク質の情報として翻訳されるのではなく、翻訳領域の両側(上流・下流)に余裕を持って非翻訳領域を配置し、さらにその両端にキャップとテイルを配置するような構造になっています(図54-1)。

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図54-1 真核生物の成熟したメッセンジャーRNA

 キャップの存在を発見したのは古市泰宏 で、当時の事情は彼自身が詳しいレビューを出版していますし(1)、日本語での自慢話も読めます(2)。図54-2に示したように、転写されたRNAの5’末端ではリボース2つの2’の位置がメチル化されていて、さらに末端に7-メチルグアノシン3リン酸が5’-5’という奇妙な配位で結合しています。通常ヌクレオチドは5’-3’結合しかしないので、生化学的にこれは特殊な例と言えます。この構造のために通常のエクソヌクレアーゼはアクセスできなくなっています。

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図54-2 メッセンジャーRNAの5’末端に付加されるキャップ構造 7メチルグアノシン3リン酸が、図の茶色〇に示したように5’-5’でメッセンジャーRNAの5’末端に結合する。

 次に3’末端ですが、ポリAポリメラーゼはすでに1960年にエドモンズらによって発見されていましたが(3、図54-3)、ながらく何のためにあるのかわかりませんでした。転写されたRNAのテイルにポリAを付加するためだとわかったのは10年以上後になります(4,5)。転写されたRNAにキャップがかぶせられるのは数秒以内。テイルが付加されるのは30秒以内だとされています(6)。


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図54-3 メアリー・エドモンズ(1922~2005)

 ポリAテイルがどのような役割を担っているかは現在でもホットな研究課題です。ポリAテイルに親和性をもつタンパク質は数多く、例えばPABP1というタンパク質ひとつとってみても、翻訳の開始、翻訳の促進、翻訳の抑制、mRNAの安定化、mRNAのターンオーバーなど驚くほど多彩なプロセスに関わっているようです(7)。
 キャップとテイルでmRNAの加工は終わりかと思われていたのですが、1977年になって予想外の事態になりました。当時DNAとDNA、DNAとRNAを試験管の中で対面させて、相補的な塩基配列を持つ部分を結合させる(ハイブリダイゼーション)という技術が開発され、また電子顕微鏡で核酸分子を検鏡する技術も開発されました。
 そこでアデノウィルスの完成された殻タンパク質をコードするmRNAと遺伝子DNAをハイブリダイズさせてみると、ぴったりとは符合せず、DNAが余ってループをつくる部分ができることがわかりました(8)。これは転写されたRNAの一部が切り離されたために、DNAの一部がハイブリッドを形成できなかったことを示唆します。フィリップ・シャープとリチャード・ロバーツはこの発見によって、1993年にノーベル生理学医学賞を受賞しています。
 このような実験結果は、図54-4のような模式図によって説明できます。切り離される部分をイントロンといいます。イントロンの塩基配列は当然タンパク質の構造には反映されず、mRNAは残されたエクソンとキャップとポリAテイルによって構成されます(図54-4)。イントロンが切り離され、エクソンが結合されるプロセスをスプライシングとよびます。イントロンが切り離される前のRNAをプレmRNAとよびます。核に存在するmRNA、rRNA、tRNA以外のRNAをまとめてhnRNA(heterogenous nuclear RNA) とよぶこともあります。hnRNA がプレmRNAを意味する場合もあります。

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図54-4 イントロン(非翻訳領域)とエクソン(翻訳領域)

 レダーらのグループはより明確にスプライシングの存在を証明しました。彼らはマウスのβグロビン遺伝子の塩基配列を完全解明し、どこからどこまでがエクソン、どこからどこまでがイントロンなどの詳しい研究結果を示しました(9、図54-5)。これによって遺伝子が内部のふたつのイントロンによって分断されていることがわかりました。福岡大学のサイトにβグロビン遺伝子の全塩基配列やエクソン・イントロンの位置などが示されています(10)。

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図54-5 βグロビンの遺伝子と完成されたmRNA

 細菌や古細菌にも遺伝子の分断はみられますが、一般的ではありません。真核生物でも酵母やカビにはごく少数しかみられませんが、ヒトやマウスでは遺伝子ひとつあたり平均7~8ヶ所の分断がみられます(11)。最近の研究結果によると、酵母のイントロンは飢餓に対する抵抗性に寄与しているそうです(12)。ですからイントロンはすべて無用とは言えません。

参照

1)Yasuhiro Furuichi,  Discovery of m7G-cap in eukaryotic mRNAs. Proceedings of the Japan Academy, Series B Vol. 91 (2015)  No. 8  p. 394-409
https://www.jstage.jst.go.jp/article/pjab/91/8/91_PJA9108B-01/_article
2)RNAJapan(日本RNA学会) 古市泰宏、 走馬灯の逆廻し:RNA研究、発見エピソードの数々 はじめに キャップ構造の発見
https://www.rnaj.org/component/k2/item/383-furuichi-1
3)Edmonds M, Abrams R., Polynucleotide biosynthesis: Formation of a sequence of adenylate units from adenosine triphosphate by an enzyme from thymus nuclei. J Biol Chem 235: 1142–1149. (1960)
4)Edmonds M, Vaughan MR, Nakazato H. 1971. Polyadenylic acid sequences in the heterogeneous nuclear RNA and rapidly-labeled polyribosomal RNA of HeLa cells: Possible evidence for a precursor relationship. Proc Natl Acad Sci 68: 1336–1340. (1971)
5)Darnell JE, Philipson L, Wall R, Adesnik M. Polyadenylic acid sequences: Role in conversion of nuclear RNA into messenger RNA. Science 174: 507–510. (1971)
6)JE. Darnell, Jr., Reflections on the history of pre-mRNA processing and highlights of current knowledge: A unified picture. RNA vol.19, pp. 443-460 (2013)
http://rnajournal.cshlp.org/content/19/4/443.full
7)Richard W.P. Smith, Tajekesa K.P. Blee and Nicola K. Gray, Poly(A)-binding proteins are required for diversebiological processes in metazoans. Biochem. Soc. Trans. vol. 42, pp. 1229–1237 (2014) doi:10.1042/BST20140111
8)Berget S.M., Moore C., Sharp P.A., Spliced segments at the 5' terminus of adenovirus 2 late mRNA. Proc. Nati. Acad. Sci. USA, Vol. 74, pp. 3171-3175, (1977)
9)Konkel DA, Tilghman SM, Leder P. The sequence of the chromosomal mouse β-globin major gene: Homologies in capping, splicing and poly(A) sites. Cell vol.15, pp.1125–1132. (1978) http://www.cell.com/cell/fulltext/0092-8674(78)90040-5
10)福岡大学教育資料 転写 http://www.sc.fukuoka-u.ac.jp/~bc1/Biochem/transcrp.htm
11)J.D. Watson et al. Molecular Biology of the Gene 6th edn p.416 (2008)
12)Nature  分子生物学:出芽酵母のイントロンは飢餓における細胞生存を調節する
(2019) https://www.natureasia.com/ja-jp/nature/highlights/96150

 



 

 

 

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53.転写 Ⅱ

 転写1では細菌の転写について述べましたが、ここでは真核生物について述べます。細菌でも真核生物でもDNAの情報をRNAにコピーして、それを設計図としてリボソームでタンパク質を合成するという方式にかわりはありません。
 まず細菌のRNAポリメラーゼと真核生物のRNAポリメラーゼ II を比較してみると、真核生物のRNAポリメラーゼ II は細菌の酵素の構成要素である5つのサブユニットと相同のサブユニットを保持していて(α2:RPB3&RPB11、β:RPB2、β’:RPB1、ω:RPB6)、これに7つのサブユニットが追加されたような構造になっています(1、図53-1。)

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図53-1 細菌と真核生物のRNAポリメラーゼ

 どうしてRNAポリメラーゼが巨大化したのか、その理由はゲノムのサイズが大きくなり、多種多様なタンパク質を適切な時期に発現させるという複雑なニーズに対応したものと考えたくなりますが、実は細菌よりゲノムサイズが小さめの古細菌(アーケア)のRNAポリメラーゼの構造は、細菌の酵素より真核生物のRNAポリメラーゼに圧倒的に近いということから(1-2)、この考え方は否定されます。古細菌は見た目は細菌と同じなのですが、生命現象の基幹的な部分が真核生物に近いという意味で、進化の最大の謎といっても過言ではありません。真核生物はこのグループから進化したと考えられていますが、その詳細は不明です。
 古細菌も真核生物も構造は異なりますがクロマチンというDNAを保護する重層的な3次元構造を持っているため(3)、そのような障害を乗り越えて転写を行うためにサブユニットが増加したという考え方は可能でしょう。このことはまた真核生物は細菌より古細菌と近縁な関係にあることのひとつの強力な証拠でもあります。真核生物のRNAポリメラーゼ I および III は II よりもさらにサブユニットが増えており(1)、II を基本としてそこから派生したものと考えられます。
 古細菌や真核生物においても転写に際しては細菌と同様なプロモーターが存在し、細菌の-10領域の配列を進化の中で引き継いだと思われるTATAボックスといわれる配列が存在します。この配列は厳密に指定されいるわけではありませんが、5'-TATA(A or T)A(A or T)G-3' のようにTATAという配列を含むものが多く、TATAボックスとかTATAエレメントなどと呼ばれています。この配列は細菌ではシグマ因子が認識するわけですが、古細菌や真核生物ではTBP(TATA binding protein)という転写因子が認識します。TBPはRNAポリメラーゼのサブユニットではなく、真核生物の場合、TFIIDという巨大な転写因子のサブユニットとして機能します(図53-2)。図53-2にみられるように、真核生物の場合細菌よりも多数のプロモーターが存在し、転写開始点をまたいでいるものや、転写開始点より下流にあるものもあります。実は真核生物の場合、転写開始点からすぐ mRNA が読み取られるのではなく、mRNAの塩基配列はかなり下流からはじまるので、このようなことが起こりうるわけです。

532

図53-2 真核生物の転写用プロモーターと主要な転写因子

 図53-2に示したように、それぞれのプロモーターにはその配列に結合する転写因子が存在し、GCボックス-Sp1、CAATボックス-NF-Y、BRE(B recognition element)-TFIIB、TATAボックス-TBP、Inr(initiator element)・DCE(downstream core element )I~III・DPE(downstream promoter element)-TFIID などという組み合わせになっています。
 当初すべての生物に普遍的に存在するTATAボックス-TBPが特に重要と考えられていましたが、真核生物ではすべての遺伝子のうちTATAボックスを持っているのは20%以下という調査結果が報告されており(4-6)、さらに同じ生物の同じ遺伝子でも組織によって使用するプロモーターが異なるというデータもあります(7)。
 TFIIDはTAF1~15とAF4B・AF9B、そしてTBPという多数のサブユニット(全部そろっているとは限らない)で構成される巨大な転写因子複合体で、転写開始に直接的にかかわっていると考えられます(8)。TATAボックスがなくTBPを欠いている場合は、転写開始の位置が正確ではなくなり、複数の位置から開始される場合があることが知られています。実際に転写が開始される場合、TFIIDだけでなく、TFIIA・TFIIB・TFIIFなども加わって、さらに巨大な転写因子複合体を形成し、RNAポリメラーゼを所定の位置に配置した後、RNAポリメラーゼの一部をリン酸化することによって複合体から解離させて転写を開始させることになります(図53-3)。

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図53-3 RNAポリメラーゼはリン酸化されることによって転写を開始する

 真核生物の場合、DNAはヌクレオソームにまきつき(後のセクションで述べます)、クロマチンという3次元構造をとっているので、それらをほぐさないと転写ができませんし、外部からの指令もさまざまな形できますので、TFIIグループの転写因子複合体だけでは遺伝子発現の調節に対応できません。したがってDNAが3次元的に折れ曲がっていることを利用して、遺伝子から離れた位置にあるプロモーターやエンハンサー配列に結合する因子なども遺伝子発現に影響を与えることができるようなシステムになっています。このため遺伝子発現を調節するためのタンパク質複合体は数メガダルトンという巨大なサイズになることもあります(図53-4)。このようなシステムは細菌や古細菌にはありません。
 このようにして転写は進みますが、どこかで終結させなければなりません。古細菌ではすでに細菌が行っているρ因子やステムループを用いる転写終結をやめていて(9)、真核生物も別のメカニズムで転写を終結させています(10)。

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図53-4 転写調節のための巨大複合体


 真核生物の場合、例としてβ-グロビンの場合を図53-5に示してありますが、転写開始がmRNAの先頭からはじまるわけではないように、転写終結も終止コドンの位置で終わらず、さらに下流まで転写は継続します。そしてDNAにAATAAAというポリA付加シグナルという塩基配列があると、その少し下流の転写終結シグナルTTTT、TTGCのところで転写は終結します。このあたりは厳密には指定されてはおらず、例えばポリA付加シグナルの何塩基下流でとか、終結シグナルがひとつでもあれば必ず止まるとかというわけではありません。実際この場合TTTTはスルーされています。転写されたRNA3’末端には、ポリAポリメラーゼという特殊なRNAポリメラーゼによって、鋳型なしにAが連続的に付加されます(図53-5)。

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図53-5 真核生物における転写終結シグナル

 

参照

1)Guy Drouin and Robert Carter, Evolution of Eukaryotic RNA Polymerases. Wiley Online Library., eLS, DOI: 10.1002/9780470015902.a0022872 (2010).
http://www.els.net/WileyCDA/ElsArticle/refId-a0022872.html
2) 平田章, 古細菌の転写装置. 生化学 vol. 81, pp. 377-381 (2009)
file:///C:/Users/User/AppData/Local/Microsoft/Windows/INetCache/IE/CFQW7HJS/81-05-04.pdf
3)Tanaka T1, Padavattan S, Kumarevel T., Crystal structure of archaeal chromatin protein Alba2-dsDNA complex from Aeropyrum pernix K1. Jornal of Biological Chemistry, vol. 287, pp. 10394-10402 (2012), doi: 10.1074/JBC.M112.343210
http://www.riken.jp/pr/press/2012/20120224_3/
4)ウィキペディア: TATAボックス
5)Civán P1, Svec M., Genome-wide analysis of rice (Oryza sativa L. subsp. japonica) TATA box and Y Patch promoterelements. Genome. vol. 52, pp. 294-297. doi: 10.1139/G09-001. (2009)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/19234558
6)Chuhu Yang et al., Prevalence of the Initiator over the TATA box in human and yeast genes and identification of DNA motifs enriched in human TATA-less core promoters. Gene., vol. 389(1): pp. 52–65. (2007) doi: 10.1016/j.gene.2006.09.029
7)Paul Gagniuc1 and Constantin Ionescu-Tirgoviste, Eukaryotic genomes may exhibit up to 10 genericclasses of gene promoters. BMC Genomics , vol.13, pp.512-527 (2012), DOI: 10.1186/1471-2164-13-512
8)Robert K. Louder,  Yuan He, José Ramón López-Blanco, Jie Fang, Pablo Chacón & Eva Nogales , Structure of promoter-bound TFIID and model of human pre-initiation complex assembly. Nature  vol. 531, pp. 604–609 (2016)
http://www.nature.com/nature/journal/v531/n7596/abs/nature17394_ja.html
9)房富 絵美子 他 古細菌型転写終結因子NusAの結晶構造解析及びRNA結合解析
file:///C:/Users/User/AppData/Local/Microsoft/Windows/INetCache/IE/CFQW7HJS/39_e.fusatomi.pdf
10)杉本崇 真核生物mRNA3′末端プロセシング研究の新展開  生化学第86巻第1号,pp. 77~80(2014)
file:///C:/Users/User/AppData/Local/Microsoft/Windows/INetCache/IE/C8FQEO1U/86-01-11.pdf

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2020年1月18日 (土)

52.転写 I

 1960年頃にはすでにリボソームがタンパク質の製造工場であることは分子生物学者の間ではコンセンサスになっていました。トランスファーRNA(tRNA)の役割もわかってきていました。すなわちアンチコドンを持ちアミノ酸を運ぶ tRNAが、順次 リボソームにアクセスすることによって、タンパク質が合成されることになります。
 しかし当初リボソームが持つRNAはそれぞれのリボソームに特異的であり、各リボソームがそれぞれ別々のタンパク質を合成するという考え方が一般的でした。この頃にはまだメッセンジャーRNA(mRNA)という概念がなかったので、こういう考え方になるのも仕方ありません。メッセンジャーRNAのところで、ブレナー・ジャコブ・メセルソンがDNAからリボソームに情報を運ぶ不安定なRNAが存在することを示唆する研究を行ったことを述べましたが、この1961年の研究を出発点としてDNAからmRNAを合成するメカニズムの研究が進展しました。DNAを鋳型としてmRNAが合成されるプロセスを転写(transcription) といいます。
 ただ彼らの実験でmRNAの構造と機能が明らかになったわけではなく、あくまでもこれは端緒にすぎません。マシュー・コブ は「誰がmRNAを発見したのか?」という科学エッセイを発表していますが(1)、どうも明快な結論はないようです。ニレンバーグとレダーは大腸菌の無細胞系(大腸菌をすりつぶした抽出液)に、ポリUを入れるとフェニルアラニンがタンパク質にとりこまれることを証明しましたが、このポリUはまさしくmRNAなわけで、ニレンバーグとレダーが発見者という見方もできます。また後にニレンバーグとマタイは大腸菌の無細胞系にさまざまなポリリボヌクレオチドを投入して、タンパク質合成がこれらのポリリボヌクレオチドに依存していることをみています(2)。コブはブレナーらの実験と共にこの仕事を重視しています
 アヴィヴとレダー(図52-1)の実験も完成品の美しさがあります。彼らはうさぎのグロビン(ヘモグロビンを構成するタンパク質)のmRNAをオリゴdTセルロース法という方法を使って精製し、がん細胞をすりつぶした抽出液の無細胞系で、うさぎのグロビンを合成することに成功しています(3)。

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図52-1 フィリップ・レダー(Philip Leder 1934- )

  大腸菌の無細胞系とファージを使った実験というのはやや一般性に欠けると思います。ファージは生物ではないという考え方もできます。上記のグロビンmRNAの実験を行ったフィリップ・レダーは、ニレンバーグと共にコドンの最初の解読者であり、mRNAの機能を確定し、後にグロビンの遺伝子が分断されていることをも発見した(4)という卓越した業績の研究者であるにもかかわらず、ノーベル賞は授与されていません。遺伝子の分断の件でも。ファージのグループが受賞して彼ははずされました。全く理不尽なことだと思います。
 リボソームRNA(rRNA)やトランスファーRNA(tRNA)が安定な物質であるのに対して、メッセンジャーRNA(mRNA)は壊れやすい不安定な物質です。rRNA・tRNAはハウスキーピングないつも必要なものであるのに対して、mRNAは必要なときだけにあればよいものだという意味で、この違いは合理的です。たとえばラクトースが周りに豊富にあるときには、大腸菌はラクトース分解系のタンパク質をコードするmRNAが必要ですが、ラクトースがなくなれば必要ありません。ジャコブとモノーは、リプレッサーが通常はオペレーター領域に結合していて、ラクトースの存在によってリプレッサーとDNAの結合が解かれ、RNA合成がはじまることを示しましたが、これは最も単純な例であって、実際のRNA合成の制御機構ははるかに複雑を極めるものです。
 DNAを複製するのはDNAポリメラーゼであるのに対して、DNAを鋳型としてRNAを合成するのがRNAポリメラーゼです。DNAポリメラーゼが dATP, dTTP, dGTP, dCTP を基質とするのに対して、RNAポリメラーゼは ATP, UTP, GTP, CTP を基質とします。DNAポリメラーゼが 3'OH を起点として必要とするのに対して、RNAポリメラーゼは必要としません。ですからRNAポリメラーゼはRNA合成をはじめる基点を他の因子に決めてもらう必要があります。DNAポリメラーゼには多くの種類がありますが、RNAポリメラーゼはごく特殊なものを除いて細菌では1種類、真核生物では3種類しかありません。真核生物の3種類とそれぞれの役割は、RNAポリメラーゼ I:rRNAの合成、RNAポリメラーゼII:mRNAの合成、RNAポリメラーゼIII:tRNAと一部のrRNAの合成となっていて、基本的に3種類のRNAを分業で合成しています。
 まず大腸菌のRNAポリメラーゼについてみていきましょう(図52-2)。RNAポリメラーゼのコア酵素は5つのサブユニット(α、α、β、β’、ω)からなり、転写を開始する際にはσ因子が結合してホロ酵素の状態になります。σ(シグマ)因子は転写を開始する位置を指定します。細菌の場合、転写を開始する位置から上流側(鋳型鎖の3’側)に10ヌクレオチドおよび35ヌクレオチドあたりにσ因子と親和性の高い塩基配列(プロモーター配列、赤で示す)があり、σ因子はこのふたつのサイト周辺の塩基配列を認識してDNAと結合し、RNAポリメラーゼが転写を始める位置を指定します。このふたつのプロモーターサイトは-35領域、-10領域と呼ばれます。

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図52-2 大腸菌のRNAポリメラーゼ

 プロモーター配列は厳密に決まっているわけではなく、一例を挙げれば TGTTGACA(-35領域)、TATAAT(-10領域)などがあります。これらにσ因子が結合することによってRNAポリメラーゼと隣接DNAの立体構造が変化して、閉じられていたDNAの2重鎖が開いて、鋳型鎖の情報をRNAポリメラーゼが読み取ることができる状況になります。そしてRNAポリメラーゼは+1の位置から転写を開始します(図52-3)。もちろんこのときリプレッサーはDNAからはずれていなければなりません。

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図52-3 プロモーター配列と転写

 大腸菌は7種類のσ因子を持っていることが知られており、分子量に応じて分類されています(例えば分子量約7万のものはσ70)。σ19、σ24、σ28、σ32,σ38、σ54、σ70のうち、通常はσ70が使われています。σ28は鞭毛専用。ヒートショックを受けた場合はσ24・σ32、飢餓の場合はσ38など用途や状況によって使い分けているようです(5)。それぞれのσ因子によって、当然親和性の高いDNA塩基配列も異なります。単細胞の細菌でも7種類の転写部位を指定する因子があるわけですが、真核生物の場合このような細菌のやり方を拡張し、非常に複雑な転写指定を行うことによって細胞の多彩なニーズに対応するように進化しました。これについては後程述べます。
  σ因子のはたらきで転写を開始したRNAポリメラーゼですが、では転写を終結する位置はどのように指定されているのでしょうか? これには2つの方法があって、ρ因子依存性と非依存性と呼ばれています(6-7)。ρ因子は図52-4Aのように6個のρタンパク質がドーナツのように集合した因子で、Cが多い rut site という配列を認識してDNAに結合し転写を終結させます(7)。ただし詳しいメカニズムはわかっていないようです。ρ因子非依存性の終結メカニズムは、転写されたmRNAがヘアピンのような構造をとることがポイントです。このような部分的二重鎖をつくるために、DNAおよびmRNAの一部に回文構造(パリンドローム)が形成されています。回文とは「竹藪焼けた」のように前から読んでも後ろから読んでも同じと言う文章ですが、塩基配列でこのようになっている部分(図52-4B赤線)がなっていない部分を挟んで存在すると、図52-4B右側の図のようにヘアピン構造を形成します。

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図52-4 ρ因子と転写の終結

 ヘアピン構造のあとにUUUUUUUUという配列がありますが、このような場合DNAとmRNAの親和性が弱いことがわかっており、転写終結後、mRNAがDNAから離れるために有効であると考えられています。ここで述べてきたのは細菌の転写機構のお話です。

 

参照

1)Matthew Cobb, Who discovered messenger RNA?,  Current Biology 25, R523-R532 (2015)
file:///C:/Users/User/AppData/Local/Microsoft/Windows/INetCache/IE/PVA09UPG/PIIS0960982215006065.pdf
2)M.W. Nirenberg  and J.H. Matthaei, The dependence of cell-free protein synthesis in E. Coli upon naturally occurring or synthetic polyribonucleotides. Proc Natl Acad Sci USA vol.47, pp.1588-1602 (1961)
https://www.pnas.org/content/47/10/1588
3)H. Aviv and P. Leder, Purification of biologically active globin messenger RNA by chromatography of oligothymidylic acid-cellulose. Proc Natl Acad Sci USA vol.69, pp.1408-1412 (1972)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/4504350
4)Konkel DA, Tilghman SM, Leder P. The sequence of the chromosomal mouse β-globin major gene: Homologies in capping, splicingand poly(A) sites. Cell vol.15, pp. 1125–1132. (1978)
https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/0092867478900405
5)Wikipedia: Sigma factor, https://en.wikipedia.org/wiki/Sigma_factor
6)J.D. Watson et al. Molecular Biology of the Gene 6th edn. pp.394-395 (2008)
7)Wikipedia: Rho factor,  https://en.wikipedia.org/wiki/Rho_factor

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51.オペロン説

 フランソワ・ジャコブ(1920~2013、図51-1)がパリ大学の医学部に入学してしばらくした頃ドイツでナチが台頭し、フランスに攻め込んでくる状況になりました。20世紀における分子生物学の爆発的進展は、二重らせんのワトソン&クリックと、岡崎フラグメントの岡崎以外は、多くはユダヤ人の業績なのですが、ジャコブもご多分に漏れずユダヤ人だったので、生命の危機を感じてロンドンに脱出しました。
 しかし彼はそこで医学生として勉強を続けるのではなく、自由フランス軍の兵士として参戦する道を選び、衛生兵としてアフリカを転戦しているうちに負傷して入院生活をおくることになりましたが、回復後再び参戦し、今度はノルマンディー上陸作戦に参加しました(1)。ノルマンディーでの戦闘がどんなにすさまじいものだったかは、スピルバーグの「プライベート・ライアン 原題:Saving private Ryan」という映画をご覧になった方ならご存じでしょう。ジャコブはこの戦闘で爆弾の破片が100個以上も体に突き刺さるという重傷を負い、九死に一生を得て野戦病院に収容され、戦争が終結してからパリに送られました。大学にもどるまでに治療とリハビリで4年もかかったそうです(2)。結局その後の研究も、体の中に摘出できなかった破片をかかえこんだままで行なわれました

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図51-1 フランソワ・ジャコブ(1920~2013)とジャック・モノー(1910~1976)

 しかし長いブランクの影響は大きく、ようやく医師の資格は得たものの、臨床医としてやっていくモチベーションもなくしてしまい、軍隊時代の伝手でペニシリンセンターに就職して研究者としての道を歩み始めました。ところがそのセンターもまもなく倒産して路頭に迷ってしまいました。そしてまたなんとか伝手をたどってパスツール研究所にもぐりこみました。そこでジャコブはルウォフの研究室に所属しモノーと出会うことになります。モノーも戦争中はレジスタンス軍の参謀としてパリで地下活動を行っていました。しかしジャコブの最初の重要な共同研究者はエリー・ウォルマンでした。エリーの両親ユージンとエリザベスは溶原性ファージ(細菌のDNAに組み込まれるファージ=プロファージ)を発見した研究者でしたが、実験室でゲシュタポに捕らえられ、アウシュビッツに送られてしまいました。エリーはそんな両親の衣鉢を継ぐために微生物の研究者になりました(3)。
 エリーと共にジャコブは大腸菌に性因子が存在すること。それはオスの大腸菌の中で別荘のような小さな独立のDNAとして存在し(現在はプラスミドと呼ばれている)、接合の際に本家のDNAと共にメスに送り込まれるということを発見しました。このことが遺伝子の制御という生物学上の大問題を解決する糸口になろうとは、当初誰も考えていなかったのでしょう。
 ジャコブと同じルウォフの研究室に所属していたジャック・モノー(1910~1976、図51-1)は、以前から大腸菌がラクトースを消化して栄養源とする過程を分析していましたが、大腸菌は普段はこのために必要な酵素をつくっていなくて、周りにラクトースが出現したときだけに合成するということを見いだしていました。ジャコブらの実験をみていたモノーは、ジャコブらと協力して、ラクトース分解酵素を合成できないメス株と合成できるオス株とを接合させ、オスのDNAがメスに取り込まれる過程を追って酵素活性を測定しました。そうするとメスに遺伝子が移転された途端に酵素活性が上がりますが、30分後には活性が失なわれたのです。これはラクトース分解酵素とは別の因子がメスに存在し、この因子(リプレッサー)が酵素の発現を抑制したと想像されました。彼らはさらに研究を続けてオペロン説という遺伝子制御の基本となる理論を打ち立てました(4)。
 オペロン説というのは図51-2Aのように、ラクトースが無い状態ではDNAにリプレッサー(緑)が結合していて、RNAポリメラーゼ(黄色)はプロモーターの位置にとどまり、DNAの情報を読み取れない状況にありますが、ラクトースが存在するとリプレッサーはラクトースと結合してDNAから離れ(図51-2B)、RNAポリメラーゼは情報を読み取り始めるという機構です。しかもラクトースの代謝に必要な酵素やタンパク質の遺伝子はオペレーター部位を先頭に並んでいて、まとめて制御されています(5)。

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図51-2 オペロン説 A:ラクトースが周辺にない場合 B:ラクトースが利用できる環境の場合

 DNA上に並ぶ遺伝子6、7、8(図51-2)がコードするタンパク質はそれぞれ、β-galactosidase (遺伝子名LacZ)、β-galactoside permease(遺伝子名LacY)、β-galactoside transacetylase (遺伝子名LacA)です。β-ガラクトシダーゼはラクトースをガラクトースとグルコースに分解する酵素(図51-3)。β-ガラクトシドパーミエースはラクトースなどを細胞に取り込むための細胞膜のタンパク質、β-ガラクトシドトランスアセチラーゼはラクトースなどにアセチル基を転移する酵素です。
 リプレッサーを精製し、それがオペレーター領域に結合することはローゼンバーグらによって後に確認されました(6)。オペロン説はもうひとつ重要な課題を提起しました。それはリプレッサーがラクトースを結合することにより構造変化をおこして、DNAとの親和性に変化をきたすという考え方で、これはアロステリック効果と呼ばれるタンパク質化学において重要なテーマであり、その後もこのラクトースオペロンにおけるリプレッサーを材料としても、現代に至るまで詳しく研究されています(7-8)。

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図51-3 β-ガラクトシダーゼによるラクトースの分解

 オペロン説は複数の遺伝子がひとつのオペレーター領域で制御されていることが注目されたため、そのようなことがほとんどない真核生物を含めると意義が薄れた感もありますが、むしろ遺伝子はタンパク質をコードする領域だけでできているのではなく、「プロモーターやオペレーターなどの制御領域とセットとなって一人前」という概念を提供したことに意義があると思われます。フランソワ・ジャコブ、ジャック・モノー、アンドレ・ルウォフは1965年度のノーベル医学生理学賞を受賞しました。ルウォフはジャコブやモノーのボスでしたが、主にバクテリオファージ合成の制御について研究を行っていました。ルウォフは「モノー君はいつも、酵素生成の誘導とファージ出現の誘導とは、同一の現象のあらわれたものであると言っておりました。これはことばのあやのように見えましたが、 実際には、きわめてすぐれた直観力のあらわれだったわけです」という意見を残しています(9)。

参照

1)Francois Jacob - Biographical.
https://www.nobelprize.org/nobel_prizes/medicine/laureates/1965/jacob-bio.html
2)野島博著 「分子生物学の軌跡」 化学同人社(2007)
3)Rudolf Hausmann, To grasp the essence of life -A history of molecular biology. Kluwer Academic Publishers (2002)
4)Francois Jacob and Jacques Monod, Genetic regulatory mechanisms in the synthesis of proteins., J. Mol. Biol. vol.3, pp.318-356 (1961)
http://libgallery.cshl.edu/items/show/74013
5)Wikipedia: lac operon.  https://en.wikipedia.org/wiki/Lac_operon
6)J M Rosenberg, O B Khallai, M L Kopka, R E Dickerson, and A D Riggs, Lac repressor purification without inactivation of DNA binding activity. Nucleic Acids Res. vol. 4, pp. 567–572. (1977)
7)Robert Daber, Steven Stayrook, Allison Rosenberg, Mitchell Lewis, Structural Analysis of Lac Repressor Bound to Allosteric Effectors. Journal of Molecular Biology, Volume 370,  Pages 609-619 (2007)
8)松下祐貴,島村香菜子,大石叡人,大山達也,栗田典之, ラクトースリプレッサーとDNA複合体へのアロステリック効果の解析:古典MD及びab initioフラグメントMO計算, 第37回情報化学討論会, P12, (2014)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/ciqs/2014/0/2014_P12/_pdf
9)"Adaptive enzymes, what is that?" http://www.din.or.jp/~mium/Monod/lwoff.html

 

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