カテゴリー「生物学・科学(biology/science)」の記事

2025年6月15日 (日)

続・生物学茶話272:基底核 5. 線条体

線条体には行動を行うか行わないかのスイッチがあり、意思決定の中枢としての役割があります。情報の通路として生まれた神経細胞が時を経て行動の制御を行うツールとして進化するために、線条体はキーとなるパーツであったと言えます。

線条体は外側は終脳、内側は淡蒼球と接しています。終脳にも淡蒼球にもほとんどアセチルコリン作動性のニューロンはありませんが、線条体には少数ですがアセチルコリン作動性のニューロンがあります(1)。したがってチロシン水酸化酵素の免疫組織化学を利用して線条体を特異的に染色することができます(2、図272-1)。ただし側坐核(腹側線条体とよばれることもある)にはアセチルコリン作動性ニューロンがあるので(3)、この部分と識別することはできません。

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図272-1 免疫組織化学による線条体領域の同定

図272-2は蛍光イメージング法で線条体のアセチルコリン作動性の介在ニューロン(緑)と、GABA作動性の投射ニューロン(赤)とを染め分けた研究結果です(4)。線条体の投射ニューロンには、細胞1個当たり1万個程度のシナプスがあり、そのほとんどは大脳(終脳)と視床からの入力です。これらから総和として強力な入力があったときだけに線条体の投射ニューロンは興奮します(5)。線条体における投射ニューロンの存在は圧倒的で、特にげっ歯類では全細胞数の90~95%を占めています(6)。

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図272-2 蛍光イメージング法による線条体細胞の識別 緑:アセチルコリン作動性介在ニューロン 赤:GABA作動性投射ニューロン

線条体へは終脳皮質や視床から強力な投射がありますが、線条体からは基底核内の淡蒼球や黒質に投射されるだけで、基底核外には直接の投射は行われていないとされています(5-7、図272-3)。終脳皮質や視床以外では黒質緻密部から線条体へのドーパミン系投射があり、これは線条体の活性に大きな影響を与えるとされていますが、このブログでも黒質について述べるときにとりあげたいと考えています。あともうひとつ淡蒼球外節からのフィードバックがありますが、これは271で述べたものです(8)。

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図272-3 線条体への入出力

マウス脳基底核原基は胎生11日目頃にはその形態がはっきり認められるようになり、LGE(lateral ganglionic eminence, 外側基底核原基)、MGE(medial ganglionic eminence, 内側基底核原基)、CGE(cordal ganglionic eminence 尾側基底核原基)という3つの部分に分かれます。それぞれの部分で細胞は増殖するとともに将来の運命を定められ、出生数日前から移動を開始しして出生する頃までには順次あるべき場所に落ち着きます。出生後は周辺の細胞とシナプスを作り、アポトーシスによって整理も行われて、生後10日目くらいにはそれぞれ組織として機能するようになります(9、図272-4)。乳離れまでにネットワークが完成して、脳がとりあえず機能するようになります。

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図272-4 マウス脳基底核の発生スケジュール

線条体の投射ニューロンは前述のように組織の90~95%を占めますが、これらはすべてLGEに起源を持つGABAergicな細胞です(9、図272-5)。LGEはこのほかに嗅球の細胞も産生します(10)。線条体の介在ニューロンはさまざまな出自を持つ細胞の寄せ集めで、おそらくそれぞれの生まれ故郷に関係した役割分担があるものと思われます。

線条体のニューロンの一部はMGEに起源をもちますが、淡蒼球は基本的にMGEに起源をもつものの一部はLGEに起源をもっているということで、線条体とはレシプロカルな関係にあり、かつそれらの少数細胞が異なる機能を持つそれぞれの細胞群を形成するということを考えると(11)、生まれた場所がその後の細胞運命の決定について非常に重要な意味を持っていることがわかります。それはもちろん生まれた場所に存在する分化誘導因子の種類と濃度が重要であることを意味します。

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図272-5 線条体神経細胞の出自

最後に線条体を構成する細胞の種類をリストにしておきます。文献12の記述にしたがって記しました。詳細な機能については文献をご覧ください。

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参照文献

1)ウィキペディア: 線条体
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B7%9A%E6%9D%A1%E4%BD%93

2)Anton Reiner, Loreta Medina, C. Leo Veenman, Structural and functional evolution of the basal ganglia in vertebrates.,
Brain Research Reviews vol.28 pp.235?285 (1998) DOI: 10.1016/s0165-0173(98)00016-2
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/9858740/

3)ウィキペディア: 側坐核
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%81%B4%E5%9D%90%E6%A0%B8

4)沖縄科学技術大学院大学プレスリリース 2018
https://www.oist.jp/ja/news-center/photos/32705

5)嘉戸直樹 大脳基底核の機能 関西理学 vol.5: pp.73–75 (2005)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jkpt/5/0/5_0_73/_article/-char/ja/

6)青崎敏彦 線条体ニューロンの局所回路とその働き (2004)
https://jnns.org/wp-content/uploads/previouspages/By2013Oct/niss/2003/text/textAosaki.pdf

7)続・生物学茶話268:基底核 1:イントロダクション
https://morph.way-nifty.com/grey/2025/05/post-56976e.html

8)続・生物学茶話271:基底核 4: 淡蒼球
https://morph.way-nifty.com/grey/2025/06/post-cbc07c.html

9)Rhys Knowles, Nathalie Dehorter and Tommas Ellender, From Progenitors to Progeny: Shaping Striatal Circuit Development and Function., Journal of Neuroscience 17 N, 41 (46) 9483-9502 (2021)
https://doi.org/10.1523/JNEUROSCI.0620-21.2021
https://www.jneurosci.org/content/41/46/9483.abstract

10)Stenman J, Toresson H, Campbell K., Identification of two distinct pro-
genitor populations in the lateral ganglionic eminence: implications for
striatal and olfactory bulb neurogenesis. J Neurosci 23:167–174 (2003)
https://doi.org/10.1523/JNEUROSCI.23-01-00167.2003
https://www.jneurosci.org/content/23/1/167.short

11)続・生物学茶話271:基底核 4: 淡蒼球
https://morph.way-nifty.com/grey/2025/06/post-cbc07c.html

12)青崎敏彦 線条体ニューロンの局所回路とその働き
file:///C:/Users/Owner/Desktop/272/%E7%B7%9A%E6%9D%A1%E4%BD%93%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%81%AE%E5%B1%80%E6%89%80%E5%9B%9E%E8%B7%AF%E3%81%A8%E3%81%9D%E3%81%AE%E5%83%8D%E3%81%8D.pdf

 

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2025年6月 5日 (木)

続・生物学茶話271:基底核 4. 淡蒼球

線条体や淡蒼球はおそらく脊椎動物が地球に出現したときから存在する組織で、脳全体の形が進化によって変化しても、ずっと保守的に存在して機能を保持してきたと思われます(1)。Stephenson-Jones らは円口類・肉鰭類・条鰭類・軟骨魚類のすべてに線条体と淡蒼球が存在することを示しました(2、3)。線条体と淡蒼球はともに背側は運動に、腹側はモチベーションにかかわっていると言われています。さらにそれらのサイズが変わったりアンバランスが発生したりすると脳の機能に重大な影響があり、統合失調症などを発生させると言われています(4)。ただ線条体・淡蒼球の機能はまだまだ未知な部分が多く、アプローチも難しい状況だと思います。

まずマウスでの基底核発生の状況をみていきましょう。胎生期13.5日目において、基底核原基は Islet1 をつくるLGE(外側基底核原基)と Nkx2.1/Lhx6 をつくるMGE(内側基底核原基)からなっていますが、線条体(尾状核・被殻)は主に前者、淡蒼球は主に後者から発生します(5、図271-1)。後者は視床下核・黒質網様部・マイネルト基底核などの細胞のソースにもなっているようで、より多様な可能性を包含しているように思われます(図271-1)。

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図271-1 出生前(a)と出生後(b)のマウス脳基底核周辺図(水平断面)

基底核の分化について述べる前に、基底核原基を形成するために必要なホメオボックス遺伝子について触れておくと、重要なのはLGEおよびMGEの両者に発現する DLX1/DLX2 で、これらがつくる転写因子は DLX5およびDLX6 両ホメオボックス遺伝子の中間の位置にあるエンハンサーに結合し、両遺伝子の発現をサポートすることによって基底核の分化を促進しているようです(図271-2)。DLX1/DLX2 のダブルノックアウトマウスは基底核の形成に失敗し致死となります(6)。これらの遺伝子は基底核原基が分化する以前のおおもとの細胞クラスターが形成されるために必要だと思われます。

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図271-2 Dlx遺伝子群について

LGEおよびMGEを特徴づける各遺伝子についてリストアップしたのが図271-3です。特徴づけるとはいっても、例えばPax6が線条体原基に発現しているからと言って、Pax6は眼や膵臓の発生にもかかわっているわけで、この遺伝子のプロダクトがどのように線条体の発生にかかわっているかというのはわかりません。

Parvalbumin や Enkephalin は転写因子ではないので、直接的にニューロンの機能にかかわっている物質です。ただ例えば Parvalbumin を発現しているニューロンがどのような機能を持つかということについては非常に多くの研究がありますが(7)、では Parvalbumin が機能にどうかかわっているかのプロセスについてはまだまだ不明な点が多いと思います。このたんぱく質にはカルシウムと結合する性質があるので、フリーなカルシウムの濃度を低下させ、ニューロンを発火させやすくするという効果はあるようです。

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図271-3 基底核原基に関する重要因子の一覧表

ここまではマウスの基底核原基について述べてきましたが、では他の動物ではどうなのでしょう。Medinaらはさまざまな脊椎動物の淡蒼球ついて総説でまとめています(5)。この一部を図271-4に示します。

図271-4からわかるように、どの生物も硬骨魚類を除き少なくとも Nkx2.1系とIslet1系(爬虫類はPax6)に導かれて分化した2系統の細胞群が混在する組織であることがわかります。硬骨魚類の場合もLxh7誘導ではありますが、他のグループと同様 Enkephakin を発現する細胞群を持っています。このリストから考えて、淡蒼球は少なくとも2~3種類の異なる細胞群がそれぞれ別の仕事をしていると思われます。そしてそれはおそらく先カンブリア時代から引き継がれて来たメカニズムなのでしょう。

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図271-4 様々な脊椎動物脳基底核淡蒼球に発現する転写因子とマーカーからみた淡蒼球 (参照文献5に基づくリスト)

Islet1系の細胞は淡蒼球全細胞の1/3位を占めますが、これはが一体何をやっているかというと Medina らによると線条体に投射しているそうです(5)。このことは彼らの実験から明らかですが、まだ多くの教科書にはかいてありませんし、私も基底核1の図には勉強不足で書きませんでした(8)。実際には図271-5のようになっているようです。

もし線条体から終脳皮質へ投射する経路がないのなら、淡蒼球から線条体への投射経路があることは、線条体が独自に行動するかしないかを決定する役割を持つことを意味するかもしれないので、線条体の脳における地位は今考えられているより高い可能性があります。

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図271-5 線条体と淡蒼球の関係

Medinaらがまとめたさまざまな脊椎動物の脳基底核原基の縦断面によるマップを図271-6に示します。脳基底核原基の基本的なボディプランは主な脊椎動物すべてにおいて大きな変化はないことが示されています。

彼らは視床下部の一部とされている視索前野(赤の部分)が、発生学的には淡蒼球と近縁であることを示しています。淡蒼球と視索前野の境界を終脳と間脳の境界とするのは議論があるように思います。淡蒼球と視索前野との関係についてはまだまだ研究が必要なのではないかと思います。

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図271ー6 様々な脊椎動物における脳基底核原基

私が驚いたのは、脳科学辞典に淡蒼球という項目がないことでした。業界の事情はよくわかりませんが、何を書いても反論が多く出そうで書きにくいということでしょうか? 困ったものです。

参照文献

1)続・生物学茶話270:基底核 3: 終脳と基底核 哺乳類・爬虫類・鳥類
https://morph.way-nifty.com/grey/2025/05/post-0ecc28.html

2)Stephenson-Jones M, Ericsson J, Robertson B, Grillner S., Evolution of the basal ganglia: dual-output pathways conserved throughout vertebrate phylogeny. J Comp Neurol vol.520: pp.2957-2973 (2012) DOI: 10.1002/cne.23087
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/22351244/

3)Stephenson-Jones M, Samuelsson E, Ericsson J, Robertson B, Grillner S., Evolutionary conservation of the basal ganglia as a common vertebrate mechanism for action selection. Curr Biol vol.21: pp.1081-1091 (2011)
https://doi.org/10.1016/j.cub.2011.05.001
https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0960982211005288

4)日本医療研究開発機構 プレスリリース
統合失調症の大脳皮質下領域の特徴を発見―淡蒼球の体積に左右差がある―
https://www.amed.go.jp/news/release_20160119.html

5)Loreta Medina Antonio Abellán Alba Vicario Ester Desfilis, Evolutionary and Developmental Contributions for Understanding the Organization of the Basal Ganglia., Brain Behav Evol vol.83: pp.112–125 (2014) DOI: 10.1159/000357832
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/24776992/

6)Qing-Ping Zhou et al., IdentiÆcation of a direct Dlx homeodomain target in the developing mouse forebrain and retina by optimization of chromatin immunoprecipitation., Nucleic Acids Research, Vol. 32, No. 3, pp.884-892 (2004) DOI: 10.1093/nar/gkh233
https://europepmc.org/article/med/14769946

7)橋本隆紀,金田礼三,坪本真 大脳皮質パルブアルブミン陽性ニューロンと統合失調症の認知機能障害 Japanese Journal of Biological Psychiatry Vol.28, No.1, pp.32-40 (2017)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsbpjjpp/28/1/28_32/_pdf

8)続・生物学茶話268:基底核 1:イントロダクション
https://morph.way-nifty.com/grey/2025/05/post-56976e.html

 

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2025年5月28日 (水)

続・生物学茶話270:基底核 3. 終脳と基底核 哺乳類・爬虫類・鳥類

両生類のある種が羊膜を生み出し完全に陸上で生活できるようになって、しばらくすると単弓類と双弓類というグループに分かれて進化することになりました。ペルム紀になると酸素濃度が大幅に減少し、単弓類は横隔膜、双弓類は気嚢でこれに対応するように進化しました(1)。なぜ酸素濃度が減少したかは参照文献1および7をご覧ください。

ペルム紀末の大絶滅時代を経て、両系統ともわずかな種が生き残り、三畳紀から再出発することになりました。その後単弓類は単孔類・有袋類・哺乳類(学術的には単孔類・有袋類も哺乳類に含まれる)という現存グループを生み出し、双弓類は爬虫類・鳥類という現存グループを生み出しました(2、図270-1)。

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図270-1 有羊膜類における終脳の構造と進化 日本語はすべて管理人がつけたものです。図の哺乳類というのは便宜的で、正しくは有袋類も単孔類も哺乳類に含まれます。

現存する単弓類の子孫と双弓類の子孫の2つのグループの終脳における神経細胞の分布は、それぞれ大きく異なります。単弓類を祖先とする生物群では神経細胞の細胞体は脳の辺縁に層状の構造を形成して集積し(灰白質)、内側に向かって軸索を伸ばすような構造をとっています。これに対して、双弓類を祖先とする生物群ではそのような特殊な構造はありません(3、図270-2)。

哺乳類では層ごとに類似した神経細胞が集積し、爬虫類・鳥類では類似した神経細胞は集塊を形成しています(3、図270-2)。なぜこのような差異が発生したのかはわかりませんが、終脳-視床-脳基底核のネットワークがエディアカラ時代から保存されていることを考えると(4、5)、終脳の基本的な機能とは別の派生的な分化だと思われます。しかしそれによってヒトという異常に知能が高い生物が生み出されたという事実があります。

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図270-2 有羊膜類終脳における興奮性神経細胞の分布(野村ら 2020)

単弓類子孫の終脳皮質に特異的な層状構造が形成されるようになったのがいつからかは興味深い課題です。現存のこの系統の生物の中では単孔類が最も原始的な形態と考えられますが、彼らの終脳皮質は層状構造をとっています。しかし東工大(現東京科学大学)のプレスリリースによりますと、単孔類が分岐したのは1億8760万年前のジュラ紀となっています(6)。もっと古い時代三畳紀末のハドロコディウムが終脳皮質の層状構造を保有していたかもしれません(2、図270-3)。

三畳紀からジュラ紀にかけては特に酸素濃度が低く(12~15%、7)、効率的な呼吸補助器官である気嚢を持つ恐竜が台頭し、持たない生物たちはサイズや身体能力が劣るため、彼らから隠れてひっそりと生きなければならなくなりました。おそらくそのために知能を発達させなければ生き残れないような状況だったと推測されます。このための進化が終脳皮質の層状構造だったのではないでしょうか。

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図270-3 哺乳類独特の終脳皮質はいつの時代にはじまったのか? (野村ら 2014 とウィキペディアより)

図270-4は哺乳類(ラット)と鳥類(ハト)・爬虫類(カメ)の終脳領域垂直断面図です。相対的に線条体と淡蒼球が非常に大きく見えます。これらのまわりを新皮質(ヒトにおける大脳皮質に相当する)が取り囲んでいるような構造です。一方ハトやカメではDVR(背側脳室隆起)というふくらみが新皮質に相当する構造で層状にはなっていません。彼らの終脳は線条体と淡蒼球の上にDVRが乗っているような構造になっています(8、図270-4)。鳥類には特にWULSTという隆起がありますが、これもマウスの新皮質に相当するような機能を持っています。ただしやはり層状構造ではありません。

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図270-4 終脳における線条体と淡蒼球(ラット、ハト、カメ)

カエル・ハイギョ・硬骨魚類のような歴史の古い動物においても、終脳に線条体と淡蒼球は大きな存在感を持って存在します(図270-4)。ただ両生類は食物連鎖が確立していた海洋からドロップアウトに成功し、当初は捕食を免れるための運動機能はあまり必要ではなく、陸上という新環境に耐えることが生存の条件だったと考えられるので、淡蒼球はむしろ退化したのではないかと思われます。小脳も退化しています。彼らはその後おそらく舌での捕食と跳躍能力などの運動機能を集中単純化して、現代まで生き延びてきたのではないかと思います。

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図270-5 終脳における線条体と淡蒼球(カエル、ハイギョ、硬骨魚類)

新皮質あるいはDVR、線条体、淡蒼球を構成する神経細胞は先カンブリア時代からそれぞれ機能が定められており、発生過程での細胞移動も一定の規則性をもって行われていると考えられます。マリンとルビンシュタインはマウス終脳の発生過程での細胞移動を観察し、まず増殖によって必要な細胞が作られた後、新皮質へ向かう細胞は放射状に、線条体や嗅葉にむかう細胞は表層に平行に(tangential)移動することを示しました(9、図270-6)。このような移動を正しく行うことが、ここまで述べてきたような脳の構造を正常に構築する上で重要です。

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図270-6 胎生15.5日目マウス終脳における細胞の移動

 

参照文献

1)ウィキペディア:単弓類
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%98%E5%BC%93%E9%A1%9E

2)Tadashi Nomura, Yasunori Murakami, Hitoshi Gotoh, Katsuhiko Ono, Reconstruction of ancestral brains: Exploring the evolutionary process of encephalization in amniotes.,
Neuroscience Research vol.86, pp.25-36 (2014) DOI: 10.1016/j.neures.2014.03.004
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/24671134/

3)野村真 羊膜類の脳進化機構の解明??遺伝子発現機構の可塑性と細胞型の相同性 J.Biochem., vol.92, pp.200-209 (2020)
doi:10.14952/SEIKAGAKU.2020.920200
https://seikagaku.jbsoc.or.jp/10.14952/SEIKAGAKU.2020.920200/data/index.html

4)Marcus Stephenson-Jones, Ebba Samuelsson, Jesper Ericsson, Brita Robertson, and Sten Grillner, Evolutionary Conservation of the Basal Ganglia as a Common Vertebrate Mechanism for Action Selection., Current Biology vol.21, pp.1081?1091, (2011)
DOI 10.1016/j.cub.2011.05.001
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/21700460/

5)続・生物学茶話269:基底核 2:進化
https://morph.way-nifty.com/grey/2025/05/post-246d6d.html

6)東工大ニュース(東工大は現在は東京科学大学になっています)
カモノハシとハリモグラの全ゲノム解読に成功!
https://www.titech.ac.jp/news/2021/048809

7)長谷川政美 進化の目で見る生き物たち 第14話 酸素濃度の極端な増減
https://kagakubar.com/creature/14.html

8)Anton Reiner, Loreta Medina, C. Leo Veenman, Structural and functional evolution of the basal ganglia in vertebrates.,Brain Research Reviews vol.28 pp.235–285 (1998)
DOI: 10.1016/s0165-0173(98)00016-2
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/9858740/

9)Oscar Marín and John L. R. Rubenstein、A long remarkable journey : Tangential migration in the telencephalon., Nat Rev Neurosci 2, 780–790 (2001). https://doi.org/10.1038/35097509
https://www.nature.com/articles/35097509

 

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2025年5月23日 (金)

ハーバード大学の弾圧に反対します

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管理人:私はトランプ政権によるハーバード大学の弾圧に反対します。

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ハーバード大学の衰亡は、米国の科学のみならず世界の科学の衰亡を招き、
世界はカルトと陰謀とSNS(=流言飛語)のるつぼとなってディストピア化するでしょう。

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アレクサンドリア・オカシオ=コルテスよ 今こそ立ち上がれ

JIJI.COM
ハーバード大への留学認めず トランプ米政権、圧力強化―日本人学生にも影響
https://www.jiji.com/jc/article?k=2025052300181&g=int 

Courrier
サンダースとオカシオ・コルテスの反トランプ政治集会が全米各地で盛況
https://courrier.jp/news/archives/398175/ 

GQ japan
アレクサンドリア・オカシオ=コルテス 未来への戦い
https://www.gqjapan.jp/culture/article/20221101-alexandria-ocasio-cortez-october-cover-profile

 

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2025年5月16日 (金)

続・生物学茶話269:基底核 2.進化

脳基底核のなかで黒質はそこに障害(黒質緻密部ニューロンの変性)がおきることによって、パーキンソン病などがひきおこされるとが昔から知られており、医師・医学者には深い関心を持たれています(1、2)。それでは黒質は脳のどの位置にあるのでしょうか? その存在位置を見て驚きます。図269-1(ウィキペディアの図をもとに作成)の断面図は左側の図のように、橋のすぐ上の中脳の断面を示したものです。大脳からはとても遠い位置にあります。にもかかわらず多くの教科書・文献には大脳基底核の主要構成要素と書かれています。神経連絡をみていくとそうなるということでしょう。

図269-1の白点線の上側が緻密部、下側が網様部になります。緻密部は主としてドーパミン作動性ニューロンからなり、網様部は主としてGABA作動性ニューロンからなります。268では単純化のため記してありませんが、緻密部のドーパミン作動性ニューロンは線条体のほか、黒質網様部、淡蒼球、視床下核などにも投射しています。またGABA作動性の入力を線条体や黒質網様部から受けています。網様部のGABA作動性ニューロンは脳基底核の主要な投射ニューロンであり、視床・脚橋被蓋核などに投射することによって運動が開始されると考えられています(1、3)。

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図269-1 ヒト脳における黒質の位置

脳基底核は魚類はもちろん、円口類であるヤツメウナギにも存在することが証明されています(4-6)。ヤツメウナギと魚類が分岐したのは5億6千万年前とされているので、この研究結果からみて脳基底核はそれ以前から存在していたと思われます(図269-2)。つまり脳基底核の進化についてはあまりにも古い時代の話なので研究は難しいですが、ただヌタウナギの脳基底核を調べることはできるので、もう少し知識は得られるかもしれません(7)。

諸般の状況を考慮して行動を開始するかどうか決める必要性は、弱肉強食の世界となったカンブリア紀には敵との遭遇や闘争を避けるために大いに必要だったとおもいますが。5億6千万年前といえばそれ以前の平和なエディアカラ紀です。円口類は脳基底核を持っていないナメクジウオなどとくらべると動きが活発でエレガントなので、もちろん姿勢制御などのために脳基底核が役立つのかもしれませんが、当時でも後に述べるように「諸般の状況」を考慮してから行動する個体に生存のアドバンテージがあったと思われます。「諸般の状況」についての情報が集まる場所が今も昔も脳基底核なのでしょう。黒質に相当する部分もおそらくエディアカラ紀から存在して、その後の時代になって脳が前方に進化発達するにつれて脳幹の近傍(中脳の最後部)に取り残されたのだと思います。

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図269-2 ヤツメウナギの進化上の位置

黒質のニューロンが変性するとパーキンソン病が発生することは定性的には昔からわかっていますが、これを定量化することはなかなか困難です。玉利らは3次元神経メラニン画からコンピュータプログラムを用いてその定量化を試み、2017年に発表しています(8、9)。もちろん彼らの独自基準に基づくものですが、結果は明快です(図269-3)。

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図269-3 パーキンソン病患者と健常人の黒質体積比較

哺乳類の行動に黒質が深くかかわっていることは明らかですが、では5億6千万年前に分岐したといわれるヤツメウナギの行動には脳基底核とりわけ黒質はどのようにかかわっているのでしょうか? カロリンスカ研究所のグループはこのことに関心を持って長らく研究を続け、現在では「ヤツメウナギと哺乳類の終脳・視床・基底核のネットワークは類似しており、全体的な構造、連絡網、伝達物質、受容体、ニューロペプチド、イオンチャネルの開閉などは共通である」という結論に達しました(10)。

脳基底核のシステム、あるいは終脳皮質-視床-脳基底核のシステムが5億6千万年より前から存在したということは、ひとつにはおそらく生物が餌に接近し食べようとしたときに、経験や状況を配慮していったんやめるという必要があったということだと思います。食物連鎖がない先カンブリア時代であっても、自分より強力なライバルが近傍にいる場合はいったんやめた方がアドバンテージがあったのでしょう。これは配偶者を争奪する場合にも言えます。ライバルとは関係なく、餌がそこに接近すると危険な場所にある場合、たとえば地形的に危険だったり、周りに生えている植物によって怪我をする恐れがあったりという場合などにも「やめる」ことにはメリットがあります。ですから先カンブリア時代から脳基底核のシステムがあることは、そんなに不思議なことではないと思います。ヤツメウナギにおける基底核の位置は図269-4に示しました(10)。

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図269-4 ヤツメウナギ脳基底核の位置 Figure 4-6 were made based on the figures of Suryanarayana et al (ref.10)

ヤツメウナギの終脳皮質-視床-脳基底核の信号伝達経路を示したのが図269-5です。哺乳類と同様直接路・間接路・ハイパー直接路が存在し、これらの信号伝達がグルタミン酸とGABAによって行われていることも含めて、全く哺乳類と同じです。

黒質の場合はドーパミンを用いた信号伝達を行っており、これを受け取る線条体にはD1系およびD2系の受容体があります。これらのシステムについても私たちとヤツメウナギは全く同じで、実に5億6千万年以上前に完成したものをほぼそのままの形で現在も使っていることを意味します。したがってあらゆる脊椎動物はパーキンソン病を患う可能性があります。

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図269-5 ヤツメウナギの終脳皮質・基底核・視床のネットワークシステム

黒質緻密部に着目して詳細にその作用を示したのが図269-6です。黒質緻密部からのドーパミンによる信号経路は、報酬が得られる場合には活発化し、得られなくなると不活化します。したがってそのアクティビティーは生物の活動全体に大きな影響を与えます。黒質緻密部はヤツメウナギにおいても、図269-6に示したように、終脳皮質・線条体・視床下核・感覚器官・外側手綱核・脚橋被蓋核・中脳蓋などから多くの情報を集めるとともに、線条体・視床下核・黒質網様部・間脳運動制御領域・中脳運動制御領域・中脳蓋など多くの運動制御領域に投射して、生物の運動プログラム全体に影響を及ぼしています(図269-6)。

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図269-6 ヤツメウナギにおける黒質緻密部の機能

 

参照文献

1)ウィキペディア:黒質
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%92%E8%B3%AA

2)高草木薫 大脳基底核の機能;パーキンソン病との関連において
日本生理学会誌 Vol. 65,No. 4・5 pp.113-129 2003
http://physiology.jp/wp-content/uploads/2014/01/065040113.pdf

3)脳科学辞典:脚橋被蓋核
https://bsd.neuroinf.jp/wiki/%E8%84%9A%E6%A9%8B%E8%A2%AB%E8%93%8B%E6%A0%B8

4)続・生物学茶話241:基底核の起源 ヤツメウナギの場合
https://morph.way-nifty.com/grey/2024/07/post-35ba6c.html

5)Yuki Tanimoto, Hisaya Kakinuma, Ryo Aoki, Toshiyuki Shiraki, Shin-ichi Higashijima, Hitoshi Okamoto, "Transgenic tools targeting the basal ganglia reveal both evolutionary conservation and specialization of neural circuits in zebrafish", Cell Reports 43, 113916 (2024)
https://doi.org/10.1016/j.celrep.2024.113916
https://www.cell.com/action/showPdf?pii=S2211-1247%2824%2900244-4

6)Marcus Stephenson-Jones, Ebba Samuelsson, Jesper Ericsson, Brita Robertson, and Sten Grillner, Evolutionary Conservation of the Basal Ganglia as a Common Vertebrate Mechanism for Action Selection., Current Biology vol.21, pp.1081?1091, (2011)
DOI 10.1016/j.cub.2011.05.001
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/21700460/

7)菅原文昭・倉谷滋 円口類から解き明かされる脳の領域化の進化的な起源
ライフサイエンス新着論文レビュー
DOI: 10.7875/first.author.2016.015
https://first.lifesciencedb.jp/archives/12168

8)玉利誠 国際医療福祉大学博士論文 神経メラニン画像を用いたパーキンソン病患者の黒質体積測定プログラムの開発と解析
file:///C:/Users/Owner/Downloads/32206AS262.pdf

9)玉利誠, 宇都宮英綱, 永良裕也 理学療法学 SupplementVol.44 Suppl. No.2 (2017)
MRI画像を用いたパーキンソン病患者の黒質緻密部の定量解析とHoehn & Yahr重症度との関係 
第52回日本理学療法学術大会 抄録集
https://doi.org/10.14900/cjpt.2016.1027
https://www.jstage.jst.go.jp/article/cjpt/2016/0/2016_1027/_article/-char/ja/

10)Shreyas M. Suryanarayana, Juan Pérez-Fernández, Brita Robertson, Sten Grillner, The Lamprey Forebrain – Evolutionary Implications., Brain Behav Evol., vol.96: pp.318–333 (2021)
DOI: 10.1159/000517492
https://karger.com/bbe/article/96/4-6/318/821601/The-Lamprey-Forebrain-Evolutionary-Implications

 

 

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2025年5月 9日 (金)

続・生物学茶話268:基底核 1.イントロダクション

ヒトの大脳に相当する脳のパートは魚類では主として臭いの判別に用いられていましたが、進化するにつれて大脳は多くの仕事を受け持つようになりました。なぜそうなったかはよくわかりませんが、脊椎動物は進化によって新しい仕事ができると、それを脳の前の方(ヒトの場合は上の方)の部分に細胞をつくってやらせるというのが標準となっています。魚類はヒトより高速で泳いだり、方向転換したり、転回したりできますが、餌を鰓でつかんで口に運んだり、寄生虫を鰓で払い落したりすることはできません。ヒトでは言葉を覚えたり、キーボードをたたいたり、編み物をしたりという複雑な作業を進化した脳にやらせています。

そういうわけでヒトでは大脳は巨大になり、その制御システムも複雑になりました。それを最も簡略に模式化した図で示すと図268-1のようになります。しかし言葉の定義にはいろいろ問題があります。大脳辺縁系というのは言葉のイメージとしては大脳の外側にあるような感じですが、なぜか内側にあります。英語では limbic system ですが、名詞の limbo は物事が決まらないこと、忘れられていた状況、どっちつかずの場所などを言いますが、天国と地獄の間の場所という意味もあり、誰かがこれを「辺獄」と訳したことに関係があるようです。本当は間脳と大脳の間のどっちつかずの組織という意味でしょう。

それを踏まえると、大脳基底核というのはあまりにも不適切な言葉になります。英語では basal gannglia であり、どこにも大脳という言葉はありません。中間(リンボ)より間脳寄りなのですから、大脳基底核というのは無理でしょう。脳基底核か単に基底核とするほうが妥当だと思います。さらに言えば「核」という言葉にも問題があります。普通、核=神経核は組織未満のニューロンの集合体を指しますが、たとえば線条体などは臓器と言ってもいいくらいのまとまりがあって、これを核と称するのは失礼でしょう。

視床という言葉も変です。まるで視覚だけに関係しているような印象を与えます。そもそも生物学の立場から言えば、大脳が大きいのは霊長類だけで、脊椎動物全体から見ればごくごくわずかな生物を基準にして言葉を決めるのはおかしいわけで、一般的な意味では終脳ということを生物学者達は推奨しています。ただ確かにヒトでは大脳は大きいので、ここでは大脳という言葉を使います。

どうしてこんなに脳科学の基本用語が不適切用語のオンパレードになっているのか不可解です。脳科学というのは医学・医療と深くかかわっているので用語を使う人の裾野が広大なために、一度決めるとなかなか変えられないという事情があるのかもしれません。前置きが長くなりました。御託はこの辺にして、図268-1は巨大化した大脳皮質を制御するための4層構造を示しています。実際の立体配置もこれに近い構造になっています。視床は間脳の一部ですが、特に大脳と深くかかわっています。この構造はヒエラルキーを意味しません。むしろネットワークです。

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図268-1 脳の最も簡略な模式図

図268-2も模式図ですが、図268-1よりずっと実際の配置に近く描かれています。今回の話題は基底核(脳基底核)ですので、その位置がわかるように描いてあります。基底核は見た目脳の中心周辺に位置しています。ただしこれは脳を左側から見た図で同じ構造が右側にもあります。全体の立体構造を把握するには図268-3のような水平断面図も合わせて把握することが必要です。

基底核は脊椎動物が地球上に出現した頃に近い形態のままのヤツメウナギにも存在します(1、2)。おそらく脊椎動物においては、進化の早い時期から大脳(終脳)+基底核+視床はセットで機能していたと思われます。ナメクジウオにはこのようなセットはありません。扁桃体は構造的に尾状核と連結していますが、現在の脳科学では基底核ではなく大脳辺縁系に含まれることになっています。

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図268-2 脳基底核の位置

図268-3はヒト脳を水平に切ってみた1断面ですが、これをみると脳の中心は視床で、そのまわりを基底核と脳室が取り囲む構造が見えます。模式図でなくMRIで実際に水平断面を見た構造は、例えば参照文献3に便利な画像が提供されています(3)。

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図268-3 脳の水平断面

大脳皮質と基底核、そして両者と深い関係にある視床がどのような神経回路でつながっているかは古くから研究されていて、大まかには解明されています。それをまとめたのが図268-4です。一つの神経細胞ができることは2つしかありません。それは連絡先の細胞を興奮させるか興奮を抑制するかです。そういう意味では神経系はデジタル的なシステムです。

基底核からの出力は黒質網様部と淡蒼球内節から行われますが、両者ともGABAによる抑制性の情報出力で、これは常時行われています。このことは私たちが手足を動かしていないなどのデフォルト状態のときには常に抑制性のシグナルが出ていて、その抑制性のシグナルが抑制されることによって行動が開始されるという私たちの体の基本的なメカニズムと深い関係があります(4)。

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図268-4 脳基底核・大脳皮質・視床のネットワーク

大脳皮質・基底核・視床にかかわる神経伝達については、直接路・関節路・ハイパー直接路という伝統的な分類が行われています。ウィキペディアの記述によれば(5)、下記のようになります。図268-4で赤のグルタミン酸が伝達物質となる経路は興奮、青のGABAが伝達物質となる経路は抑制行います。ピンクのドーパミンが伝達物質となる場合は受容体によって興奮・抑制の両者の場合があります。

1.直接路:
大脳皮質→線条体→淡蒼球内節・黒質網様部→運動性視床核→大脳皮質運動野

2.関接路:
大脳皮質→線条体→淡蒼球外節→視床下核→淡蒼球内節・黒質網様部→運動性視床核→大脳皮質運動野

3.ハイパー直接路:
大脳皮質→視床下核→淡蒼球内節・黒質網様部→運動性視床核→大脳皮質運動野

基底核から直接脳幹経由の運動指令が出されるケースは非常にマイナーですが、視床からは直接脳幹に投射する経路もあります(4)。多くの場合大脳皮質から脳幹に運動指令が出されます。ただ正しい運動指令を出すためには大脳皮質-基底核-視床のネットワークが必須です。

基底核は運動に関するいわば奥の院なので、ここに不具合が起こるとさまざまな病気が発生します。たとえば黒質緻密部のニューロンに不具合がおきると、線条体への興奮刺激が低下し、線条体からのGABAによる抑制シグナルが低下するため、黒質網様部や淡蒼球内節による視床への抑制シグナルをおさえられなくなり、常に運動を行わないような指示が出ている状態になります(図268-4)。このためパーキンソン病のような運動障害が発生してしまいます(6、図268-5)。逆に黒質網様部や淡蒼球内節のニューロンに不具合がおきると、視床への抑制が効かなくなり、不随意で持続的な筋収縮がおきてジストニアを発病します(7、図268-5)。またハンチントン病は尾状核のニューロンに不具合が起きた時に罹患する病気として知られています(8)。

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図268-5 脳基底核の不調によって発生する病気

ここでは運動に注目して述べてきましたが、基底核は認知機能、感情、動機づけ、学習など様々な機能に関わっているため(5)、その不具合は様々な症状を引き起こします。まだ十分に解明されていない部分も多いと思われます。

参照文献

1)Sten Grillner and Brita Robertson, The Basal Ganglia Over 500 Million Years., Current Biology 26, R1088–R1100, (2016) doi: 10.1016/j.cub.2016.06.041.
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/27780050/

2)続・生物学茶話241:基底核の起源 ヤツメウナギの場合
https://morph.way-nifty.com/grey/2024/07/post-35ba6c.html

3)病気が見える 7:脳・神経
https://www.byomie.com/gallery/vol7/mri_axial/index.html

4)国立生理学研究所 生体システム部門HP
https://www.nips.ac.jp/sysnp/ganglia.html

5)ウィキペディア:大脳基底核
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E8%84%B3%E5%9F%BA%E5%BA%95%E6%A0%B8

6)ウィキペディア:パーキンソン病
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%BD%E3%83%B3%E7%97%85

7)ウィキペディア:ジストニア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%8B%E3%82%A2

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2025年4月26日 (土)

続・生物学茶話267:視床と大脳皮質2

Edward G. Jones は2007年に出版した「The Thalamus」という本(私は未読)の中で 「All cortical areas receive thalamocortical projections from specific thalamic nuclei」(大脳皮質のすべての領域は、それぞれ特異的な視床の神経核からの投射を受けている)と書いているそうです(1)。 視床から大脳皮質への投射が意識そのものなのかどうかはわかりません。もしそうならコンピュータだって意識を持っているということになるので、それは違うのではないでしょうか。意識を持つということは記憶との照合などもう少し高次のメカニズムが必要なのでしょう。また視床と大脳皮質の連絡は一方通行ではなく相互的なものであり、意識に基づく行動は大脳皮質から視床への投射によります。このネットワークがどのように成立するのかは意識を持つ生命体にとっては核心的に重要です。

どのような細胞、どのような因子が軸索の伸長とターゲットへの接近をサポートしているかという問題は、無脊椎動物では案内する細胞を個別に破壊するという手法で確かめられていますが(2)、哺乳類の胚でそのような実験を行うことは技術的に困難です。哺乳類では発生過程で脳のネットワークを形成する段階で、大脳皮質領域から視床に向かって伸びるニューロンが、視床から大脳皮質へ延びるニューロンの道案内細胞となるという仮説(ハンドシェイク仮説)は古くからありました(3、4、図267-1)。これは大脳皮質から伸びる軸索と視床から伸びる軸索が、例えばマウスの場合胎生13~14日目に中間点で邂逅するという解剖学的・形態学的な知見に基づいています。これに失敗した場合正常なマウスは生まれません。

PC・テレビ・無線通信・有線電話などでネットワーク通信を行う場合、情報が片方向にしか流れない場合と双方向に流れる場合があります。ケーブルにも片方向用と双方向用があります。私たちの場合、腸神経系以外では多分ほとんどの神経は片方向用にできています。しかし視床と大脳皮質のように起床時には常時大容量の双方向通信を行っているネットワークでは、ハンドシェイクによって形成された双方向ケーブルによって、事実上有線電話のような常時性双方向通信ができることは合理的です。

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図267-1 ハンドシェイク仮説

ハンドシェイク仮説は興味深い仮説ですが、それを証明したのは提唱者であるオックスフォード大学のグループではなく、エジンバラ大学のグループでした。Chen らはAPCというニューロンが分化する際に必要な因子のコンディショナル・ノックアウトマウスを用いて、視床から伸びる軸索が大脳皮質に到達するためには、大脳皮質のニューロンの助力が必要だということを証明しました(5)。

彼らは大脳皮質のニューロンだけが軸索進展に必要なAPC遺伝子を失うというノックアウトマウスでは、胎生15.5日目においても視床ニューロンの軸索がPSPB(pallial-subpallial boundary=外套‐外套下部境界、すなわち将来大脳皮質などになる部分と基底核などになる部分との境界)を乗り越えることができないことを見出しました(5、図267-2B、D)。大脳皮質周辺から遠隔の細胞に届くような誘導物質は放出されていないことも証明していたので、視床ニューロンの軸索がPSPBを乗り越えるためには大脳皮質からのびてくるニューロン軸索の助力が必要であることが示唆されています(5)。

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ノックアウトマウスの予定大脳皮質領域を取り除き、正常マウスの予定大脳皮質領域を移植すると、視床ニューロンの軸索はPSPBを乗り越えられることもわかりました(5、図267-3)。大脳皮質および視床由来の軸索が伸びる領域には多くの誘導物質がそれぞれの濃度勾配を持って配置されており、基本的にそれらに導かれて軸索は伸びるものと思われますが、PSPBを乗り越えるメカニズムについてMolnarらは誘導物質というより、大脳皮質由来のニューロンが視床由来の軸索のバンドリング(束を作る)に必要な物質を供給するのだろうと述べています(6)。PSPB付近は胎生2週間にはグリア細胞が緻密に存在しており、これらをかき分けて伸びるにはバンドリングが必要なのかもしれません。

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図267-3 ミュータント大脳皮質に正常大脳皮質を移植すると、視床神経軸索はPSPBを突破できる

Molnar と Kwan は最近の総説(6)で大脳皮質‐視床ネットワーク構築に関する知見のリニューアルをおこなっています。彼らのまとめによると誘導因子のなかには欠損すると、Tbr1, Mash1, Pax6, Gbx2:大脳皮質→視床、視床→大脳皮質の双方向に伸びる軸索がともに迷子になって進めなくなる、Nkx2.1:視床→大脳皮質は到達するが大脳皮質→視床は迷子になるものがある、Ebf1:大脳皮質→視床は到達するが視床→大脳皮質は迷子になるものがある、Emx2:到達できるが経路が異なる、Dix1:到達できないばかりか大脳皮質からの軸索は消失してしまう、などさまざまな場合が示されています(図267-4、図267-5)。

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図267-4 誘導因子の影響1

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図267-5 誘導因子の影響2

特に興味深いのは Doyle らの研究結果(7)で、彼らはArid1aというクロマチンモデリング複合体の構成成分であるタンパク質の遺伝子のコンディショナルノックアウトマウスを作成し、大脳皮質-視床のネットワーク構築過程を調べたところ、この遺伝子の欠損によって特に視床→大脳皮質の軸索のバンドリングができなくなり、ハンドシェイクが成立しなくなることがわかりました。そしてハンドシェイクが成立しないと、特に視床から伸びてきた軸索はPSPBを乗り越えることがほとんどできません(図267-6)。

この動物は視床の細胞の Arid1a は正常なのですから、正常な視床ニューロン軸索の動向が、別の細胞である大脳皮質ニューロンだけに現れるクロマチン構造の変異の影響を強く受けるということになります。

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図267-6 Arid1a のコンディショナルノックアウトマウス(大脳皮質ニューロンでの変異)ではハンドシェイクが成立しない

 

参照

1)Edward G. Jones「The Thalamus」2nd Ed., (2007) Cambridge University Press

2)Bentley D, Caudy M (1983) Pioneer axons lose directed growth after selective
killing of guidepost cells. Nature vol.304: pp.62-65 (1983)
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/6866090/

3)Molnar Z, Blakemore C, Lack of regional specificity for connections formed between thalamus and cortex in coculture. Nature vol.351: pp.475–477. (1991)
https://www.nature.com/articles/351475a0

4)Zoltan Molnar, Richard Adams, Andre M. Goffinet, and Colin Blakemore, The Role of the First Postmitotic Cortical Cells in the Development of Thalamocortical Innervation in the Reeler Mouse., The Journal of Neuroscience, vol.18(15): pp.5746–5765 (1998)
doi: 10.1523/JNEUROSCI.18-15-05746.1998
https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC6793036/

5)Yijing Chen, Dario Magnani, Thomas Theil, Thomas Pratt, David J. Price, Evidence That Descending Cortical Axons Are Essential for Thalamocortical Axons to Cross the Pallial-Subpallial Boundary in the Embryonic Forebrain, PLoS ONE 7(3): e33105. (2012)
https://doi.org/10.1371/journal.pone.0033105
https://journals.plos.org/plosone/article?id=10.1371/journal.pone.0033105

6)Zoltán Molnár and Kenneth Y. Kwan, Development and Evolution of Thalamocortical Connectivity, Cold Spring Harb Perspect Biol, vol.16, no.1, a041503.
DOI: 10.1101/cshperspect.a041503
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/38167425/

7)Doyle DZ, Lam MM, Qalieh A, Qalieh Y, Sorel A, Funk OH, Kwan KY., Chromatin remodeler Arid1a regulates subplate neuron identity and wiring of cortical connectivity.,
Proc. Natl. Acad. Sci. USA Vol. 118 | No. 21 e2100686118 (2021)
https://doi.org/10.1073/pnas.2100686118
https://www.pnas.org/doi/10.1073/pnas.2100686118

 

 

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2025年4月14日 (月)

続・生物学茶話266:視床と大脳皮質1

「意識」という現象は昔は哲学や心理学で取り扱われていましたが、今では自然科学の研究対象でもあります。医学では意識レベルという段階が定義されています(Japan Coma Scale, Glasgow Coma Scale, 1)。視床という脳の領域は「意識」と深いかかわりがあり、この部分の損傷によって「意識」は障害されます(2-4)。

「意識」といっても救急医学で定義されているレベルとは違った意味で、動物によって異なるレベルがあり、それは視床や関連領域の発達の程度によって異なると思われます。また「意識」は視床という脳のパートが単独で担うものではなく、視床と大脳皮質との神経連絡を中心としたネットワークが担っていると思われます。この意味で視床と大脳皮質をつなぐ中間地点に位置する尾状核被殻領域も「意識」とは深いかかわりがあると思われます。

今回登場する関連部域(マウス脳のパーツ)の一覧を図266-1に示します。一次とか二次とかがありますが、二次というのは脳の他の領域で得た情報と照合するとか、より複雑で高級な処理をする脳の領域です。たとえば予測に基づいて環境の変化に対応する行動をとるとか(5)、音の高さや強さだけでなくハーモニー・メロディ・リズムのパターン処理をするとか(6)を受け持つ部分です。まあ実際にはそんなに単純ではないと思いますが。

視床と大脳皮質一次体性感覚野・一次視覚野は相互に投射するニューロンによって密接なネットワークを構築しています(図266-1c、7)。

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図266-1 マウス大脳皮質と視床

視床から大脳皮質への軸索の伸長、逆に大脳皮質から視床への軸索の伸長は、意識の成立のためにも非常に重要なことなので胎生期に行われます。マウスなら胎生13.5日目にはそのネットワーク構築は開始されています。軸索は大脳皮質と基底核の境界や間脳と終脳との境界を乗り越え、方向転換したのち、相互にすれ違うという形をとって進行します。

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図266-2 胎生13.5日目のマウス脳縦断面

そして胎生18.5日目には、それぞれターゲットである大脳皮質と背側視床に到達します。

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図266-3 胎生18.5日目のマウス脳縦断面

背側視床のニューロンから出発する軸索は、間脳終脳境界に至るとそれまで視床下部に向かっていた進行方向を
転換して間脳終脳境界を乗り越え、線条体方向に延びていきます。このような方向転換を実現するために視床下部領域に負の誘導因子が存在するというのが脳発生生物学が到達した結論です(8、図266-4)。

終脳領域に侵入した軸索はさらに、終脳腹側の負の誘導因子、背側の正の誘導因子に導かれて pallial–subpallial boundary を乗り越え、ようやく大脳皮質に到達します。大脳皮質から出発した軸索も同様な誘導因子に導かれて背側視床に到達します(図266-4)。

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図266-4 神経軸索ガイダンス

誘導因子の実体は遺伝子ノックアウトマウスを使った実験によって次々と明らかになってきましたが、ここではロペス=ベンディトらの論文の一部を紹介します(7)。

まずEmx2-KOマウスでは大脳皮質からの軸索、背側視床からの軸索共に遠回りしています。なかにはターゲットに到達できなかった軸索もあります。これは本来終脳間脳境界の腹側にあるはずの負の誘導因子がなかったことによるものと思われます。Tbr1-KOマウスの場合、大脳皮質からおよび背側視床からの軸索共に途中で伸長が止まっています。これは正の誘導因子が欠損していたためと思われます(図266-5)。Gbx2やMash1についても同様と思われます。Pax6も細胞移動に関わる因子とされていますが、ここでどのようにかかわっているかは図266-5からは判断できません。

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図266-5 遺伝子ノックアウトマウスによる誘導物質の探索

ニューロンのネットワークはもちろん正負の誘導因子だけで決まるものではなく、細胞接着、シナプス形成、刈込みなどそのほか多くの要因がかかわって形成されるもので、総合的な見方が必要です。

 

参照文献

1)【意識レベル評価】JCS・GCSとは?意識障害時の対応は?
https://motoyawata.clinic/blog/jcs-gcs/

2)管るみ 失語症,そして復職─私の闘病経験─
高次脳機能研究 vol.42(2):pp.207 ~ 211 (2022)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/hbfr/42/2/42_207/_article/-char/ja

3)日坂ゆかり、柿田さおり 意識障害と高次脳機能障害や片麻痺のある脳出血患者の
発症時からの意識障害の回復に伴う自己の障害に対する認識の変化
日本救急看護学会雑誌 vol.23, pp.1-8 (2020)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jaen/23/0/23_1/_article/-char/ja/

4)田上雄大 他 もやもや病に合併した穿通枝動脈瘤に対して塞栓術を施行した 1 例
脳卒中 vol.45: pp.270-276, (2023)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jstroke/45/3/45_11115/_article/-char/ja/

5)Kosuke Hamaguchi, Hiromi Takahashi-Aoki and Dai Watanabe, Prospective and retrospective values integrated in frontal cortex drive predictive choice., Proc. Natl. Acad, Sci. USA, vol.119 (48) e2206067119 (2022)
https://www.pnas.org/doi/epub/10.1073/pnas.2206067119

6)ウィキペディア:1次聴覚野
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E6%AC%A1%E8%81%B4%E8%A6%9A%E9%87%8E

7)Guillermina Lopez-Bendito and Zoltan Molnar, Thalamocortical development: how are we going to get there? Nature Rev Neuroscience vol.4, pp.276-289 (2003)
https://doi.org/10.1038/nrn1075
https://www.nature.com/articles/nrn1075

8)新明洋平 軸索ガイダンス分子 Draxin が担う脳神経回路形成機構 金沢大学十全医学会雑誌 第125 巻 第 2 号 55 -59(2016)
https://kanazawa-u.repo.nii.ac.jp/records/16615

 

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2025年4月 3日 (木)

続・生物学茶話265: 活動電位にまつわる話

生物が生まれた非常に初期のころから、外界と細胞との境界膜にNa・Kポンプは設置されていたと思われます。実際細菌や古細菌もこれを保有しています。このポンプは次のような反応を触媒します(1)。

3Na(in)+2K(out)+水1分子+ATP=3Na(out)+2K(in)+ADP+Pi

これはATP1分子と水1分子を消費して、ナトリウムイオン3つを細胞から放出し、同時にカリウムイオン2つを細胞に取り込むという意味です。この結果外界と細胞に電位差が発生し、それを使って糖・アミノ酸、リン酸などの栄養物質のとりこみ、様々なイオンの出し入れ、細胞のpHや体積の調節などが行われます(2)。Na・Kポンプはまさに細胞を電池化する革命的なアイテムでした。

神経細胞もこの電位差を使って作業することになりました。その作業の肝は活動電位の発生です。Na・Kポンプによって細胞内は常にNaイオンの濃度が外界より低く保たれているので、細胞膜に穴をあけるチャネル分子=電位依存性ナトリウムチャネル(3)があれば細胞膜からNaイオンが細胞内に流入し、電流を発生させることができます(4、図265-1)。

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図265-1 活動電位(アクションポテンシャル)

図265-1は高校の教科書などにでてくるアクションポテンシャル(活動電位)のグラフです。このグラフを見ているといろいろ疑問がわいてきます。まずその活動電位を発生させるためのチャネル=電位依存性ナトリウムチャネルの最初の活動は誰が指示しているのでしょうか? 隣のチャネルが活動すればナトリウムが細胞内に流れ込みそれが刺激となってチャネルが開き、それがまた隣に伝搬するわけですが最初はどうなのでしょう。 

通常軸索末端のシナプスから放出された神経伝達物質はシナプス後細胞表層のレセプターと結合して情報は伝達されます。レセプターがリガンド依存性イオンチャネルであった場合、リガンドが結合することによってチャネルが開き、イオンが細胞内に流入します(5、図265-2)。代表的なリガンド依存性イオンチャネルの例として、ニコチン性アセチルコリン受容体などがあげられます(6)。この受容体がリガンドと結合しナトリウムイオンが流入した結果、一定の閾値に達すると電位依存性ナトリウムチャネルが開いてアクションポテンシャルが発生するというわけです。

しかし実際にはそれほど単純ではなく、リガンド依存性チャネルの分布なども影響して、まだ知られていないメカニズムも関与しているようです。脳科学辞典の「閾値」という項目をみると「樹状突起の比較的近い部位の興奮性シナプスが一定数以上同時に活性化すると、各々による脱分極の線形和を越えた脱分極が起こり、それが細胞体に伝わる」という報告がとりあげられています(7、8)。シナプスには抑制性のものもあるので、それぞれの数やクラスター化の程度、軸索起始部との距離など複数のパラメータが関与してアクションポテンシャルの起動が決定されるものと想像できます。

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図265-2 リガンド依存性イオンチャネル 実際に通過するのはカチオン

リガンド結合型チャネルのはたらきによってナトリウムイオンが流入し、ある程度神経細胞の電位が上昇すると、電位依存型のチャネルが開口し、さらにナトリウムイオンが流入してアクションポテンシャルが発生します。リガンド結合型チャネルによるナトリウムイオンの流入は加算的である―すなわちリガンドが結合したチャネルだけが開口し二つ開口すれば流入量が2倍になるという様式なのに対して、ナトリウムイオンの細胞内濃度が閾値を超えるとそれを感知した電位依存型チャネルは原則的にはすべてが一気に開口しアクションポテンシャルを発生させます(図265-3)。

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図265-3 シナプスにおける情報伝達から活動電位発生まで

しかしここでひとつ不思議なことがあります。活動電位(アクションポテンシャル)が発生すると細胞内のナトリウムイオン濃度が爆上がりするので、電位依存型チャネルは開きっぱなしになってしまい、電位を生理的レベルに落とすことができなくなるのではないかと思うのですが、実際にはそんなことはありません。なぜなのでしょうか?

図265-4は故意に膜電位を50mⅤに維持して電位依存型ナトリウムチャネルが開放したままになるかどうか試した実験ですが、そうはならないことがわかりました(9)。電位依存型ナトリウムチャネルが開口するのはわずか10mSという短い時間だけで、すぐ自動的に閉じてしまうのです(図265-4)。この閉じたチャネルのコンフォメーションは膜電位が生理的レベルだった最初とは違った状態(不活化状態)なのですが、ナトリウムイオンが通過できないことに変わりはありません。膜電位を正常レベルに戻すとコンフォメーションも元に戻ります。つまり膜電位が上昇したときの本来のコンフォメーションは不活化状態に相当するものであり、ナトリウムイオンが通過できるのは途中の遷移段階に相当する間だけということです(図265-4)。

一方電位依存型カリウムチャネルは、ナトリウムチャネルが電位変化に素早く反応して開口するのに対して、開口まで10mS前後の時間がかかります。なので活動電位の発生を妨害することはありません。このカリウムチャネルは電位が高い間は開きっぱなしで、電位が生理的レベルに下がれば閉じるというシンプルなメカニズムで活動します。つまりナトリウムチャネルの特殊な活動と、カリウムチャネルのシンプルな活動の組み合わせによってアクションポテンシャルが発生するわけです。

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図265-4 電位依存型ナトリウムチャネルと電位依存型カリウムチャネルの作動様式

電位依存型ナトリウムチャネルのメインサブユニットはαでそれを2次元に広げた模式図が図265-5です(10)。他のサブユニットがない状態でも電位依存型ナトリウムチャネルとして機能します。前記したようにこのチャネルは膜電位が上昇すると自動的にチャネルを閉じますが、それはウィキペディアを引用すると、「ナトリウムチャネルは不活性化ゲート(inactivation gate)を閉じることで自身を不活性化する。不活性化ゲートは、αサブユニットのドメインIIIとIVをつなぐ細胞内の領域が「プラグ」のように機能することで開閉が行われていると考えられている。不活性化ゲートが閉じるとNa+の流れが止まり、膜電位の上昇は止まってチャネルは不活性化状態となる」(10)ということです。図265-5のIの部分が不活性化に関与する領域です(11)。

詳しくは不活性化はⅢ-Ⅳリンカー領域中に存在する疎水性アミノ酸配列 Ile-Phe-Met (IFMモチーフ)が IFM モチーフのレセプターである2つのリンカー(ドメインⅢのセグメント4とセグメント5を結ぶリンカー(ⅢS4-S5)及びドメインⅣのセグメント4とセグメント5を結ぶリンカー(ⅣS4-S5)と疎水性相互作用すること
により生ずると考えられているそうです(12)。

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図265-5 電位依存型ナトリウムチャネルαサブユニットの模式図

不活性化を含む電位依存型ナトリウムチャネルの立体構造に関する最新のデータについては参照文献13をご覧ください。

 

参照文献

1)ウィキペディア:Na+/K+-ATPアーゼ
https://ja.wikipedia.org/wiki/Na%2B/K%2B-ATP%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%82%BC

2)上野晋、泉太、川村越 ナトリウムポンプの構造と機能―βサブユニットの役割―
膜 (MEMBRANE), 20 (2), 115-125 (1995)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/membrane1976/20/2/20_2_115/_pdf/-char/ja

3)続・生物学茶話190: 電位依存性ナトリウムチャネル
https://morph.way-nifty.com/grey/2022/09/post-b7024f.html

4)やぶにらみ生物論118: 活動電位
https://morph.way-nifty.com/grey/2018/12/post-cf21.html

5)Wikipedia: Ligand-gated ion channel
https://en.wikipedia.org/wiki/Ligand-gated_ion_channel#:~:text=Ligand%2Dgated%20ion%20channels%20(LICs,a%20ligand)%2C%20such%20as%20a%E8%84%B3%E7%A7%91%E5%AD%A6%E8%BE%9E%E5%85%B8%E3%80%80:%E9%96%BE%E5%80%A4

6)続・生物学茶話135: アセチルコリンによる情報伝達
https://morph.way-nifty.com/grey/2021/03/post-5df6c6.html

7)脳科学辞典:閾値
https://bsd.neuroinf.jp/wiki/%E9%96%BE%E5%80%A4

8)Schiller, J., Major, G., Koester, H.J., & Schiller, Y. , NMDA spikes in basal dendrites of cortical pyramidal neurons. Nature, 404(6775), pp.285-289 (2000)

9)岡良隆 基礎から学ぶ神経生物学 オーム社 (2012) p.56

10)ウィキペディア:ナトリウムチャネル
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A6%E3%83%A0%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%8D%E3%83%AB

11)上坂伸宏 電位依存性Na+チャネルの生理機能と構造
膜(MEBRANE), vol.20(6), pp.398-405(1995)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/membrane1976/20/6/20_6_398/_pdf/-char/ja

12)宮本和英 ナトリウムチャネルの不活性化ゲート関連ペプチドの立体構造
YAKUGAKU ZASSHI vol.122(12) pp.1123―1131 (2002)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/yakushi/122/12/122_12_1123/_pdf

13)Daohua Jiang, Jiangtao Zhang and Zhanyi Xia, Structural advances in voltage-gated sodium channels., Frontiers in Pharmacology., 13:908867. doi: 10.3389/fphar.2022.908867. (2022)
https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC9204039/

 

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2025年3月18日 (火)

続・生物学茶話264:マウス脳のアトラス

私たちは左右相称動物ですが、ひとつしかない臓器もあります。代表的なのは消化管・消化管から派生した臓器・心臓・膀胱・ペニス・膣です。消化管は左右相称動物に進化する前からひとつだったと思われますが、それ以外はよくわかりません。では脳はどうでしょうか? 実はほとんど2つあると言っていいと思います。たとえば一つの出来事について記憶はひとつで良いのですが、海馬はきっちり2つあります。尾状核・被殻・淡蒼球・偏桃体・視床なども2つあります。大脳や小脳も構造を見ると実質2つあるといっていいと思います。大脳は脳梁、小脳は虫部という組織で左右がつながっている構造になっています。脳が2つあるという構造は魚類でも円口類でもはっきりしていて、さらに昆虫でも同様です。左右相称動物進化の最初期から脳があったわけではないので、なぜだかわかりませんが、この種の動物の行動様式にかかわる必然つまり収斂の結果かと思われます。

ですから脳の前後垂直断面(sagittal section)を正中線で制作すると、ほとんど空洞で主要なパーツはないということになります(図264-1、点線)。しかし困ったことに脳にはひとつしかないパーツ、たとえば脳下垂体、松果体、第3脳室などもあって、これらはすべて当然というか不都合というか真ん中にあります。このような問題があるので、説明用の脳の断面は一部パーツをずらして編集する必要があります。でなければ数枚の断面を表示しないといけません。

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図264-1 脳水平断面の正中線付近はほとんど空洞(リンパ液)

そういうわけで図264-2などは、実際とは少しずれがあるかもしれません。これはマウスの脳ですが、同じ哺乳類なのにヒトとは著しく見た目に違いがあります。しかし短い進化の期間に著しい変化も可能というのが脳という臓器の特性なのです。たとえば Gnothonemus petersii という魚は脳の体積の半分以上を小脳が占めるという、通常の魚類とはかけ離れた形態の脳を持っています(1)。一見して違うのはマウスの場合嗅覚に関係した部分が大きいことです。これはヒトの嗅覚受容体遺伝子が400種くらいなのに対して、マウスの遺伝子は1130種もあるということで(2)、においをかぐことに関してはマウスの方が圧倒的に優れていて、脳でも嗅覚関連領域が大きな部分を占めています。そのかわりヒトでは大脳皮質が巨大になっています。

嗅覚は得意ではないジャンルだといってもヒトにも嗅球が小さいながらも存在しますし、図264-2に示したすべてのマウス脳のパーツはヒトの脳にもあるので、サイズ(量)という点を除けば、それほど質的にはフレキシブルではないとも言えます。魚類の脳も延髄・橋・小脳・中脳・間脳・終脳で構成されており、嗅葉・海馬・偏桃体・大脳辺縁系も存在することがわかっていて(3)、脊椎動物の始まりの頃に主要な構成は完成されていて、あとはどのパーツが強化されたり、弱体化したりというバラエティーが生じたに過ぎないという考え方もできます。とりあえず脳は「嗅球・大脳皮質・脳梁・基底核群・海馬・視床・視床下部・中脳・小脳・橋・延髄」という11のパーツ(図264-2)に分けることができます。

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図264-2 マウス脳の垂直断面(sagittal section)

マイクロソフトの設立者のひとりでもあるポール・アレンは、2003年に1億ドルを寄付してシアトルにアレン脳科学研究所を設立し、マウスや人間の脳の切片画像を集めたアレン脳地図(Allen Brain Atlas)を制作して無料で公開しています(4)。これによって世界の脳科学者はとてつもない恩恵を受けています。

アレン脳地図は無数の切片にひとつひとつキャプションをつけた膨大なものですが、その1枚に日本語を付けたマウス脳のひとつの縦断面を図264-3に示します。ヒトの脳アトラスでは、あまりにも新皮質(大脳皮質)が巨大なために気づかないのですが、マウスのアトラス、たとえば図264-3をみると尾状核被殻・側坐核・淡蒼球・嗅結節が大きな存在感を示しています。またここでは一部しか見えていませんが、線条体も実は大きなスペースを占めています。これらの大脳基底核群はハウスキーピングな脳の機能にかかわるだけでなく、高度な機能を付加する上で重要な役割を果たしていると思われます。

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図264-3 アレンの脳アトラス(マウス脳のひとつの垂直断面)

図264-4は嗅葉から小脳にかけて少し斜め上に切った切片の模式図です。なので側坐核とか視床下部は見えていません。マウスの脳の中心が視床と中脳であることがよくわかります。また脳全体のサイズに比べて小脳のサイズが大きいことがわかります。彼らは豊かな嗅覚と優れた運動能力を武器にして生きているのでしょう。脳のどの部分が発達しているかによって、動物はそれぞれの世界観や生き方・感じ方が全く異なります。ジャネット・ジョーンズは「脳の仕組みを理解すれば、馬が思い通りに動いてくれないのも、まるで自分の心を察しているかのように動いてくれるのも、すべて脳の原則通りなのだと実感できるでしょう」と述べています(5)。

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図264-4 マウス脳の水平断面(模式図)

脳科学において核というのは中枢神経系における神経細胞の集合体を指します。図264-5はアレンのマウス脳地図(6)の1断面から視床をとりあげて、各部位の名前を付けた図ですが、ここで困るのは多くが背腹・前後・外内に「側」という接尾語をつけて名付けられていることです。どの順番になるかはわかりませんし、側をつけない場合もあります。すなわち順不同ということで、それぞれの教科書や文献によって名前がバラバラで略号も統一されていません。学術用語がこんなにいい加減なのは珍しいことです。その場その場で文献の定義にしたがって判断するしかありません。また図263-5についていえば、これは1断面なので見えていない部分もあります。

視床は感覚器官・大脳基底核・大脳皮質などをつなぐ中継部位であり、脳が高度の機能を持つにしたがってその配電盤としての機能は複雑になり重要さは増すことになります。視床各部位の機能は種によっても大きく異なります。たとえば前頭前野を持たない馬のような生物では前頭前野へ投射する、および前頭前野から投射する部位は無いはずです。

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図264-5 アレンのマウス脳アトラスから視床付近の垂直断面

ヒトの脳は言語・科学・芸術を行う上で圧倒的に秀でていますが(残念ながら政治を行うにはまだまだです)、道を歩いていて周りに何があるかには鈍感で気が付かないことが多いですし(5)、嗅覚は貧弱、身体能力も貧弱、視野は前方のみ、磁場感覚もありません(多くの哺乳類も磁場感覚を持っていることが分かっています、7)。ジャネット・ジョーンズによると、ヒトは道を歩くときその目的にとらわれて、周囲に何があるか見逃すことが多いそうですが、私もその経験があります。笛吹川の東沢を歩いて西沢渓谷へ行く道を探していたところ、はっと気が付くと周りで多数のマムシが河原の石の上で休んでいました。噛みつかれたら死んでいたかもしれません。これが人間の脳の弱点の一つです。

動物はそれぞれ特徴のある脳を持っていて、それぞれの感覚でそれぞれの脳世界で生きています。それをよく理解しながら共存していく道をさぐるのも科学そして政治の役割だと思います。

参照

1)続・生物学茶話214: 弱電魚の小脳
https://morph.way-nifty.com/grey/2023/06/post-2c8c8e.html

2)生命科学DOKIDOKI研究室 第13話 味覚の進化を探る
https://www.terumozaidan.or.jp/labo/manga/13/report.html

3)m's Academe 魚の脳
http://m-ac.jp/living_being/animal/chordates/vertebrates/fish/brain/index_j.phtml

4)ALLEN BRAIN MAP Accelerating progress toward understanding the brain.
https://portal.brain-map.org/#

5)島田明宏 熱視線 馬と人間の脳の違いが面白い
https://news.sp.netkeiba.com/?pid=column_view&cid=50756

6)ALLEN BRAIN MAP
https://atlas.brain-map.org/atlas?atlas=2#atlas=2&structure=596&resolution=9.31&x=7767.999945746527&y=4023.9999728732637&zoom=-3&plate=100883869

7)「渡り鳥」の磁場感覚、哺乳類にも存在すると判明
https://wired.jp/2016/02/26/magnetic-field-perception-dog-eyes/

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