今回は脳神経系とは少し離れますが、Rasファミリーは生命現象の根幹を担うタンパク質群ということで、 García-España and Philips(1) の研究の跡をたどってやや詳しく扱ってみようと思います。
まず有顎魚類出現以前からいる生物の現存種はどのようなRasをもっているのでしょうか? 無顎魚類のヌタウナギやヤツメウナギは KRas4B と HRas という2タイプのRasだけを保持しています(図303-1)。脊椎動物(当時は魚類)は約5億年前に2回の全ゲノム重複を経験しました(2)。この過程で新しいタイプの NRas ができたと思われます。KRas4A は KRas4B の第3イントロンに NRas の第4エクソンが移転するすることによって生じました(2)。したがって Kras4A はこの2回の全ゲノム重複と直接的な関係はないと思われますが、それでもなんらかの関連がある可能性はあるかもしれません。その結果古い時代からある KRas は KRas4B と呼ばれることになりました。ここでも KRas4A が出現する以前の KRas も含めて KRas4B と呼ぶことにします。
なぜ 4B なのかといえば、それは第4エクソンの違いを 4A 4B と表現したため、それがそのまま分子の名前になったからです。現存の脊椎動物はすべて有顎魚類から進化したので、KRas4A・KRas4B・HRas・NRasの4種類がすべての脊椎動物に継承されています(図303-1)。哺乳類・鳥類・無顎類以外の現存脊椎動物は、その4種類に加えてKRasBLというKRas4Bと類似した分子種を持っています。KRasBLの起源はまだわかっていませんし、なぜKRasBLが哺乳類と鳥類にはないのかも明確ではありません(1)。

図303-1 脊索動物・棘皮動物のRas C末領域アミノ酸配列の比較
すべてのRas分子はC末にHVR(Hypervariable region)をもっていますが、この部分はどんなアミノ酸でも良いというわけではもちろんなくて、この部分のバラエティーによって、Rasの機能的多様性が担保されています(3)。
Rasはすべて膜に結合した形で機能するのが特徴で、古来からあるKRas4BはC末から4番目のシステインのパルミトイル化(4)と、そのN末側に位置するポリリジン領域の存在によって膜への結合を実現してきました。ポリリジンは親水性ですが、細胞膜は常にマイナスに荷電しているので膜に結合するためにアンカーとして使えるのです。このような構造はすべての脊索動物で維持されいますし(図303-1)、そればかりか単細胞生物に至るまで同じ方式です(図303-3)。
しかし KRas4B の次に古い HRas ではその状況が一変します。たとえば HRas を持つ現存最古種のヌタウナギでは KKKKKRS が EDNGGGC に代わっていてむしろ酸性領域になっていますが、右端のC(システイン)がキーで、ここをプレニル化(5)することによって膜への結合を実現するという KRas4B とは異なる戦略に変化しました。そのような戦略の変化はすべての脊椎動物に引き継がれています(図303-1)。このような変化のなかでもC末から4番目のシステインがパルミトイル化されるという方式は不変で維持されました(図303-1)。
脊索動物におけるRasの変遷をまとめると図303-2のようになります。頭索動物(ナメクジウオ)や棘皮動物は KRas4B しか持っていなくて、これは驚くべきことに単細胞生物と同じです(図303-2、図303-3)。尾索動物ではまだみつかっていないらしく、なかったら大変ですがそのうちみつかるでしょう(図303-2)。

図303-2 脊索動物におけるRas分子種の変遷
軟骨魚類と四足動物は2回、硬骨魚類は3回の全ゲノム重複を経験していますが、KRasBL は軟骨魚類(サメ・エイ)にもあるそうなので、3回目の全ゲノム重複は KRasBL の出現には関係していないようです。鳥類や哺乳類は KRasBL を持っていません。 理由は不明です。García-España and Philips の論文には爬虫類に関する記載がないので、さらなる調査が必要でしょう。
単細胞生物においてもC末から4番目のアミノ酸がシステインであることは同じであり、隣接して萌芽的なポリリジン領域も存在すると考えられていますが生物によってアミノ酸配列にはばらつきがあります(図303-3)。一方この領域に隣接するGドメインの領域は非常に保存性が高く LVREIR という配列はアメーバからヒトまで同じです(図303-3)。

図303-3 単細胞生物から脊索動物に至るまでのRasの変遷
Ras分子Gドメインアミノ酸配列(N末から1~166残基)の生物進化過程における保存性は極めて高く、ヒトとの類似性は脊椎動物では93~100%、非脊椎動物では80~91%、単細胞真核生物でも72~80%です(1)。特にGTP・GDPとの結合にかかわるスイッチIとスイッチIIの領域(6)は強く保存されています(図303-4)。
N末から31~42番目残基間の EYDPTIEDSYRK という配列は、NCBIのプロテインデータベースによれば、今まで報告されているすべての生物間で保存されているそうです(1)。また59~72番目残基間の AGQEEYSAMRDQYM という配列も、ごくわずかな例外を除いて、すべての生物間で保存されています(図303-4)。その他の部分も刺胞動物以降はほとんど差がなく強く保存されています(図303-4)。単細胞の真核生物はおそらく15億年前には存在していたと思われるので(7)、まさに15億年もの間保存されているという配列です。
真菌(きのこ・カビ・酵母など)のゲノムは彼ら独自の全ゲノム重複(8)の結果、ゲノムに大きなバラエティーが発生し、図303-4でも特に他の生物とは異なるアミノ酸配列となっています。

図303-4 Ras Gドメインアミノ酸配列の15億年前からの保存
García-EspañaとPhilipsはHVRやイントロンの解析を進めて、図303-5のようなRas分子進化のまとめを行っています(1)。5億年くらい前に原始的な魚類において全ゲノム重複がおこり、魚類は KRas4B系 と HRas系 の2種類のRasを持つことになりました。棘皮動物はそれ以前に魚類と分岐したためずっと現在に至るまで Kras4B系 のRasだけを持つことになります。この分子はカンブリア紀には棘皮動物と魚類でほとんど同じだったと思われますが、その後魚類における KRas4B系 の分岐がおこって KRasBL や lancelet1 などのバラエティーができました。棘皮動物は魚類ほどバラエティーに富んだ子孫をつくれなかったこともあり、現在に至るまで KRas4B のみの系統を保存して使っているわけです。
一方魚類は KRas4B系 のバラエティーのほか、HRas系分子は NRas系 を分岐し、さらに KRas4B系遺伝子とのハイブリッドである KRas4A を分岐しました。分子系統樹的に言えば KRas4B 系統は脊索動物以外のすべての動物も持っている太い幹であり、HRas 系統は脊索動物だけのための細い枝ということになります。

図303-5 脊索動物および棘皮動物におけるRasの分子進化
参照文献
1)García-España A, Philips MR. Origin and Evolution of RAS Membrane Targeting. Oncogene., vol.42(21): pp.1741-1750 (2023). doi: 10.1038/s41388-023-02672-z.
https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC10413328/
2)沖縄科学技術大学院大学 研究関連ニュース 魚類ゲノム進化3億年の謎に迫る
https://www.oist.jp/ja/news-center/press-releases/22387
3)続・生物学茶話302:低分子量Gタンパク質 Ras その2
https://morph.way-nifty.com/grey/2026/05/post-a1ccfa.html
4)ウィキペディア:パルミトイル化
https://bsd.neuroinf.jp/wiki/%E3%83%91%E3%83%AB%E3%83%9F%E3%83%88%E3%82%A4%E3%83%AB%E5%8C%96
5)Wikipedia: Prenylation
https://en.wikipedia.org/wiki/Prenylation
6)続・生物学茶話301:低分子量Gタンパク質 Ras その1
https://morph.way-nifty.com/grey/2026/05/post-3e3aaa.html
7)長谷川政美 僕たちの祖先をめぐる15億年の旅
https://www.kagakubar.com/mandala/mandala19.html
8)ゲノム世界真菌データ:シンテニーパート
https://jglobal.jst.go.jp/detail?JGLOBAL_ID=202402259714274073
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