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2026年5月29日 (金)

続・生物学茶話302:低分子量Gタンパク質 Ras その2

Rasタンパク質の構造は301の冒頭でも学習しましたが(1)、ここでは少し詳しくみていきます。Rasファミリーは150種類以上の低分子量Gタンパク質からなる巨大なタンパク質群で構成されています。サブファミリーとして Ras、Rho/Rac、Rab、Arf、Ran があります。これらすべては図302-1のような分子構造でまとめられます。

赤い部分はGTP・GDPの結合に関与すると同時に、GAP(GTPase activating protein)による制御をうけ(斜線部)、さらにMAPキナーゼカスケードやP13Kカスケード(1)を起動するために必要な最重要領域です。緑色はGTP・GDPが結合する領域、網目はGEF(GDP/GTP exchange factor)の制御を受ける部位です。ファミリーに所属する多くのタンパク質のアミノ酸配列の中でも、特に保存性が高い部分は下線つきのアミノ酸配列です(2、図302-1)。

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図302-1 Rasタンパク質の1次構造とドメインの配置

C末の灰色の部分は Hypervariable Region と呼ばれていて特にアミノ酸配列のバラエティに富んだ部分です(図302-1)。例えばヒトの場合Rasタンパク質は4種類ありますが(H-Ras N-Ras K-Ras4A K-Ras4B)、それぞれ極めて類似性の乏しい配列となっています(図302-2)。ただし後で出てきますが、他の動物にも H-Ras N-Ras K-Ras4A K-Ras4B のそれぞれに類似した配列のタンパク質が存在する場合があるので、必ずしも進化的に保存性が低いとは言えません。またC末から4番目にはファルネシル化またはゲラニルゲラニル化されたシステインがあります。

おそらく膜に結合するするためには、C末から4番目だけでなく近傍のシステインがパルミトイル化されることによって疎水性が補強される必要があると思われます。パルミトイル化されるシステインは青色で記してあります(図302-2)。ただし K-Ras4B にはその代わりにリジン(K)リッチな強い塩基性領域があります。これらのことから Hypervariable Region といっても、自由な配列が許されるわけではなくて、機能によってそれぞれの分子種ごとにある程度決まった配列を持つべきものと考えられ、Ras機能の多様性と直結するものと思われます。

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図302-2 Hypervariable Region の配列と修飾

K-Ras4A と K-Ras4B はそれぞれ151番目からC末までのアミノ酸が、エクソン4Aによるものか、それともエクソン4Bによるものか・・・のオルタナティブスプライシングによってできた2種類の分子種です(3、図302-3)。H-Ras および N-Ras の遺伝子については、K-Ras4B の場合と同様、150番より前と151番より後のエクソンの間には長いイントロンがあります(図302-3)。

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図302-3 Ras遺伝子とタンパク質

タンパク質の機能を知るうえで、その遺伝子のノックアウトマウスを作成して調査することは必須です。ただRasファミリーは前記のように150以上の種類があり、ダウンストリームでもMAPキナーゼやP13Kカスケードをはじめとして重複する部分があって、他の類似分子種の機能を代替するようなプロセスがからまりあって、一筋縄ではいかないような印象を受けます。

ですから K-Ras のノックアウトマウスが心臓の形成不全により胎生致死であることは衝撃的です(4、5、図302-4)。しかし少し考えてみると、低分子量Gタンパク質分子群が細胞の増殖や分化のスイッチであるわけですから、その発現に時間的・空間的特異性があっても不思議ではありません。

K-Ras が全く発現してない状態では H-Ras、N-Ras はレスキューできないということですが、K-Ras(-/-)であっても、ヒトプロト型H-Ras遺伝子を導入したトランスジェニックマウスは正常に発生することが知られています(5、図302-4)。このトランスジェニックマウスではH-Rasの発現が増強されているようなので(6)、要は2~3倍の発現があればレスキューできるようです。

K-Ras が正常であっても、H-Ras および N-Ras ダブルKOマウスは出生前後に死亡する個体が多く、成体まで生きる個体は極めて少ないと報告されています(7、図302-4)。またK-Ras(+/-)マウスは正常に発生しますが、さらに N-Ras または H-Ras 遺伝子のどちらかがノックアウトされている場合胎生致死となります(8、図302-4)。

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図302-4 Ras遺伝子のノックアウトマウス

このようにRasアイソフォームは互いにレスキューできるかできないかが微妙な遺伝子発現の量に依存しているようです。もちろん致死かどうかという大雑把な問題の先には、脳がどのようなダメージを受けるかとか、発がんの確率がどう変化するかとか、そのほかあらゆる臓器に関係がありそうなさまざまな課題が残されています。

そもそもRasをはじめとする低分子量Gタンパク質は、細胞の増殖や分化という生命現象に本質的に重要な現象を担う物質なので、細かく役割の特異性が割り振られているはずで、簡単に他の因子で代替されては発生分化・形態形成のプログラムが破綻します。メカニズムが似ていて作業プロセスもオーバーラップがあるにもかかわらず特異的な役割を担うという、特別な地位にあるのがRasファミリーのタンパク質群です。

Rasの遺伝子に変異があって発現が低下した場合は前記したノックアウトマウスの結果に準じた状態になりますが、逆に変異があるためにGTPと結合したままになって、いわゆる gain-of-function の状態になるとその遺伝子は暴走し制御できない細胞増殖がおこって組織は破壊され、がんが発生することが予想されます。実際ヒトのがんの25%近くにRasの変異がみられます(9)。がんの発生部位によって、変異がみられる遺伝子の種類も異なることがわかっています(図302-5)。KRas・NRas・HRasそれぞれが働く場所が決められていることがよくわかります。ちょっと驚くのは膵管腺がんのほとんどはKRasの変異に起因するものであることが示されていることで(図302-5)、がんという病気に対するイメージが少し変わりました。

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図302-5 様々な“がん”にみられるRasの変異

多くのがんの原因がRas遺伝子の変異による gain-of-function にあるということは、変異があるRas遺伝子の活動を制御すればがんの治療が可能だということですが、これが最近までうまくいってなくて、Rasは「“Undruggable”なタンパク質 」といわれてきたそうです(10)。それでも最近ではセツキシマブなどの新薬がテストされているそうで、期待はできそうです(11)。

 

参照文献

1)続・生物学茶話301:低分子量Gタンパク質 Ras その1
https://morph.way-nifty.com/grey/2026/05/post-3e3aaa.html

2)Esther Castellano and Eugenio Santos, Functional Specificity of Ras Isoforms: So Similar but So Different., Genes and Cancer vol.2(3): pp.216-231 (2011)
doi:10.1177/1947601911408081
https://digital.csic.es/handle/10261/60325

3)Antonio García-España and Mark R. Philips, Origin and Evolution of RAS Membrane Targeting., Oncogene., vol.42(21): pp.1741–1750 (2023) doi:10.1038/s41388-023-02672-z
https://www.nature.com/articles/s41388-023-02672-z

4)Koera, K., Nakamura, K., Nakao, K. et al., K-Ras is essential for the development of the mouse embryo. Oncogene vol.15, pp.1151–1159 (1997).
https://doi.org/10.1038/sj.onc.1201284
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/9294608/

5)饗場篤 rasノックアウトマウスを用いた新規のRasシグナル伝達機構の研究
https://kaken.nii.ac.jp/ja/grant/KAKENHI-PROJECT-10480197/

6)常松令 マウス肝臓癌発生におけるH-ras遺伝子の役割についての検討
https://kaken.nii.ac.jp/ja/grant/KAKENHI-PROJECT-07770387/

7)Fuentes-Mateos, R., García-Navas, R., Fernández-Infante, C. et al. Combined HRAS and NRAS ablation induces a RASopathy phenotype in mice. Cell Commun Signal vol.22, no.332 (2024). https://doi.org/10.1186/s12964-024-01717-4
https://link.springer.com/article/10.1186/s12964-024-01717-4#citeas

8)市瀬広武 がん遺伝子 H- N- K-ras 多重欠損マウスを用いた Ras の生体機能の解析
東京大学大学院農学生命科学研究科 学位論文(1999)
https://gakui.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/cgi-bin/gazo.cgi?no=114441

9)G. Aaron Hobbs, Channing J. Der Corresponding Author, Kent L. Rossman, RAS isoforms and mutations in cancer at a glance., J Cell Sci, vol.129 (7): pp.1287–1292. (2016)
https://doi.org/10.1242/jcs.182873
https://journals.biologists.com/jcs/article/129/7/1287/56285/RAS-isoforms-and-mutations-in-cancer-at-a-glance

10)杉本渉 がん悪性化を惹起するRASシグナルに対する制御法の探索と解析 学位論文(2022)
https://konan-u.repo.nii.ac.jp/records/4382

11)平川晃弘、浅野淳一、佐藤宏征、手良向聡 マスタープロトコルに基づくがん臨床試験
計量生物学 vol.39, no.2, pp85-101 (2018)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjb/39/2/39_85/_pdf/-char/ja

 

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