続・生物学茶話301:低分子量Gタンパク質 Ras その1
Rasはいわゆる低分子量Gタンパク質のひとつです。GTPと結合・代謝するからGタンパク質というわけですから、ATPと結合・代謝するのはAタンパク質と言うかというとそんなことはありません。それらは普通にATPase と呼ばれています。理由としては、Gタンパク質はGTPaseではあるのですが、GTPあるいは代謝されたGDPと結合していること自体に代謝より重要な意味があるから・・・ということになっています。
Gタンパク質には2つのグループがあって、ひとつは膜7回貫通受容体とセットになっているヘテロ3量体のグループ(≒100kDa)、いまひとつは単一ペプチド鎖で低分子量Gタンパク質といわれているグループ(20~30kDa)です。ここでとりあげるRasは後者に属します。Rasは Rat sarcoma という言葉にルーツがあり、もともと過剰に発現すると細胞の癌化を誘導することから主として癌の分野で研究されていましたが、現在では Rasopathies という言葉が存在するように、Rasの変異による脳の病気が数多く見つかり、脳科学分野でもさまざまな研究が行われています。この病気は高い確率で知的障害や自閉症スペクトラム障害をともない、1000人の新生児についてひとりが発症するというかなり発生頻度の高い遺伝子疾患であることが知られています(1)。
Rasタンパク質の構造は図301-1のようにN末からの大部分を占める保存的なGドメインと、C末近傍の短いハイパーバリアブルな領域(HV領域)からなります。GドメインはGTPと結合し代謝する、あるいは代謝産物であるGDPと結合するのが主な役割です(2、3)。青い部分は直接GTP・GDP・マグネシウムイオンとかかわる領域です。HV領域は脂質と結合するための領域であり、細胞内の様々な構造とのかかわりを規定する領域で、この部分の相違によって異なる役割を持つことが可能な複数のアイソフォームが存在します。ヒトの場合は図301-1に示された4種類(H-Ras、N-Ras、K-Ras4Å、K-Ras4B)になります。
図301-1 Rasタンパク質の構造
Rasファミリーの場合 GDI/GDF (GDP解離阻害因子/GDP置換因子)による制御はあまり受けないようですが、多くの低分子量Gタンパク質はこれらによる制御を受けます。すなわちGDPと結合した不活性型のGタンパク質はGDI(GDP解離阻害因子)によって通常は安定化されており、GDF(GDI置換因子)の作用によって活性化プロセスに入り得る形となり、さらにGDP/GTP交換因子の働きによってGTP結合型(活性型)になります(2、図301-2)。このシステムは菊池章らによって見つけられたもので、その経緯は文献(4)に記してあります。Rasはこのような2段階制御ではなく、GDP/GTP交換因子(GEF)およびSynGAP(5)などのGTPase活性化タンパク質によってシンプルに制御されているようです。
図301-2 低分子量Gタンパク質の制御機構
GEFの結合によって基質(たとえばGDP型Ras)からのGDPの解離が触媒され、その位置にGTP分子が結合します。通常酵素は基質と結合して分解すると生成物は離れるわけですが、低分子量Gタンパク質は基質(GTP)を分解しても、生成物であるGDPは離れていかないで酵素に結合したままなのです。これを引きはがすにはGEFが必要で、GEFが働くとGDPが解離しGTPが酵素に結合します(通常GTP濃度>GDP濃度)。そして結合したGTPは自動的には代謝されず(反応速度が非常に遅い)、酵素=Gタンパク質はGTPを結合した状態で様々な生理作用を実行します(6)。低分子量Gタンパク質は基本的にはGTPを結合している場合がONの状態、GDPを結合している状態がOFFの状態ですが、GDPを結合した状態で別の生理作用を実行する場合もあります(7、8)。
GAP(GTPase活性化タンパク質)やGEF(GDP/GTP交換因子)の種類と、それぞれがターゲットとしている低分子量Gタンパク質の種類を図301-3にリストアップしました。
図301-3 GTPase活性化タンパク質(GAP)とGDP/GTP交換因子(GEF)のターゲットとなる低分子Gタンパク質の一覧
GAPやGEFの作用は通常それらの転写や翻訳の量によって制御されるのではなく、それらのリン酸化、Caイオン/カルモデュリン/cAMPの動向、あるいは存在場所の移動などによって迅速に制御されています。
Rasファミリーのタンパク質は通常細胞膜、ER、エンドソーム、ゴルジ体などの膜系に存在し、運搬や生理作用の実行も膜にトラップされた状態で行われます。Rasは細胞外から来たシグナルを細胞質に伝える役割を持っているので、このような局在になっているのでしょう。そのために行われるのがC末の疎水化です。Rasの場合C末はファルネシル化またはゲラニルゲラニル化されます(図301-4)。
ただしその方法はやや複雑で、まずC末の3つの残基が切り離され、C末から4番目のシステインのSHがファルネシル化またはゲラニルゲラニル化されます。その後修飾末端のピロリン酸がはずされ疎水化されます。さらにシステインのCOOHはメチル化され、RasのC末は徹底的に疎水化されて膜と結合しやすい構造になります(図301-4)。Rasは膜と結合していないとその機能を発揮できません(6、9)。
図301-4 低分子量Gタンパク質C末のプレニル化
膜係留型に加工されたRasやRapは活性化されると様々な情報伝達機能を発揮します。まず第1にMAPK(mitogen-activated protein kinase)カスケードを起動します(6、10、図301-5)。
カスケードというのは多くの場合タンパク質の加工の連鎖です。代表的なのはリン酸化です。たとえばERKもリン酸化酵素ですが、この酵素は核内に侵入して転写因子を活性化することができます。あるシナプスの活動を長期間活発化するためには、これまで述べてきたような受容体・構造タンパク質・調節タンパク質などの量を増加させることが必要で、転写の活性化はその基盤になります。RapはRasの活動をカウンターとして制御するために必要と言われています(6)。
第2のカスケードはP13K(フォスファチジルイノシトール3-キナーゼ)-Akt(タンパク質キナーゼ)を経由するもので、この場合も活性化されたAktは核内に侵入して転写因子を活性化します。ウィキペディアをみるとAktの基質は〈myriad〉と書いてあるので(11)、その機能の全貌をみるのは困難だと思われます。Rap1もAktを活性化します(12)。下段にRhoが現れますが(図301-5 Type2)、Rhoは葉状仮足や糸状仮足の形成のキーファクターであるという報告があります(13)。
第3のカスケードはRasが間接的に他の低分子量Gタンパク質を活性化するというものですが、とりわけRacはアクチンの細胞骨格形成(特に葉状仮足)に関与するという報告があります(14)。
図301-5 低分子量Gタンパク質からの主要な情報伝達カスケード
Rasが記憶と深い関係にあることが最初に示されたのは、図301-3に記したGAP活性を持つニューロフィブロミンの遺伝子nf1に異常がある子供の多くに学習障害がみられることでした(15)。
これらの突然変異体ではRas-GTPをRas-GDPにする能力が低下するので、活性化された状態のRasが過剰になります。このことはnf1(+/-)の同病マウスモデルでも確認されました。興味深いことに空間認識には障害がでるのに、恐怖学習には障害が出ません。このことは前者を担当する海馬には関係があるのに、後者を担当するアミグダラ(扁桃体)には関係がないことを示唆しています(16)。
Ras-GTPが過剰であることが学習障害をまねくとすれば、その作用を減らすような操作、たとえばRasのノックアウトマウス(+/-)やファルネシルトランスフェラーゼの阻害剤を投与することによってレスキューされることが期待できますが、実際にレスキューされることが実証されています(17)。
SynGAPももちろんGAP活性を持っているので、SynGAPのノックアウトマウス(+/-)でも同様なことがおこるのでしょうか? 小宮山らによれば予想どうり空間認識についての記憶障害がおこるそうです(18)。
では逆にGEFが減少してRas-GTPが不足すればどうなるのでしょうか? Fasano らはRasGRF1(-/-)マウスを作成して実験してみたところ、海馬に依存する空間認識の記憶は正常でしたが、アミグダラに依存する恐怖記憶は損なわれることがわかりました(19、20)。
参照文献
1)Katie E. Hebronm, Edjay Ralph Hernandez, Marielle E. Yohe, The RASopathies: from pathogenetics to therapeutic., Dis Model Mech (2022) 15 (2): dmm049107.,
https://doi.org/10.1242/dmm.049107
https://journals.biologists.com/dmm/article/15/2/dmm049107/274419/The-RASopathies-from-pathogenetics-to-therapeutics
2)脳科学辞典:低分子量Gタンパク質
https://bsd.neuroinf.jp/wiki/%E4%BD%8E%E5%88%86%E5%AD%90%E9%87%8FG%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%91%E3%82%AF%E8%B3%AA
3)Wikipedia: Ras GTPase
https://en.wikipedia.org/wiki/Ras_GTPase
4)菊池章 転んでもただでは起きない ~失敗から学ぶ~
Journal of Japanese Biochemical Society vol.94(5): p.645 (2022)
doi:10.14952/SEIKAGAKU.2022.940645
https://seikagaku.jbsoc.or.jp/10.14952/SEIKAGAKU.2022.940645/
5)続・生物学茶話300:神経細胞のアクチンとその周辺 8:SynGAP
https://morph.way-nifty.com/grey/2026/04/post-82e651.html
6)Ye X, Carew TJ. Small G protein signaling in neuronal plasticity and memory formation: the specific role of ras family proteins. Neuron. 2010 Nov 4;68(3):340-61.
doi: 10.1016/j.neuron.2010.09.013.
https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC3008420/
7)Michalak DJ, Unger B, Lorimer E, Grishaev A, Williams CL, Heinrich F, Lösche M. Structural and biophysical properties of farnesylated KRas interacting with the chaperone SmgGDS-558. Biophys J., vol.121(19): pp.3684-3697. (2022)
doi: 10.1016/j.bpj.2022.05.028.
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/35614853/
8)木村俊秀、山岡真美 GDP型Gタンパク質シグナリング 生化学 第85巻第12号 pp.1079-1083 (2013)
https://www.jbsoc.or.jp/seika/wp-content/uploads/2014/07/85-12-06.pdf
9)A.M. Garcia, C. Rowell, K. Ackermann, J.J. Kowalczyk, M.D. Lewis, Peptidomimetic inhibitors of Ras farnesylation and function in whole cells., Journal of Biological Chemistry, vol.268, pp.18415-18418 (1993)
https://doi.org/10.1016/S0021-9258(17)46638-5.
https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0021925817466385
10)Wikipedia: Mitogen-activated protein kinase
https://en.wikipedia.org/wiki/Mitogen-activated_protein_kinase
11)Wikipedia: Protein kinase B (=Akt)
https://en.wikipedia.org/wiki/Protein_kinase_B
12)Yang Wang et al., Targeting the ARL4C/RAP1/PI3K-Akt-mTOR signaling loop promotes ARL4C ubiquitination and reverses oxaliplatin resistance in colorectal cancer., Theranostics, vol.16(1): pp.99-122.(2026) doi:10.7150/thno.117590
https://www.thno.org/v16p0099.htm
13)Alan Hall, Rho GTPases and the Actin Cytoskeleton., Science vol.279, no.5350, pp.509-514 (1998) DOI: 10.1126/science.279.5350.509
https://www.science.org/doi/10.1126/science.279.5350.509
14)Toshifumi Fukuda, Kazutoshi Kiuchi, Masahide Takahashi, Novel Mechanism of Regulation of Rac Activity and Lamellipodia Formation by RET Tyrosine Kinase, Journal of Biological Chemistry, vol.277, pp.19114-19121 (2002)
https://doi.org/10.1074/jbc.M200643200.
https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0021925820852016
15)North, K.N., Riccardi, V., Samango-Sprouse, C., Ferner, R., Moore, B., Legius, E., Ratner, N., and Denckla, M.B., Cognitive function and academicperformance in neurofibromatosis. 1: consensus statement from the NF1 Cognitive Disorders Task Force. Neurology vol.48, pp.1121–1127.(1997)
https://doi.org/10.1212/WNL.48.4.1121
https://www.neurology.org/doi/10.1212/wnl.48.4.1121
16)Silva, A.J., Frankland, P.W., Marowitz, Z., Friedman, E., Laszlo, G.S., Cioffi, D., Jacks, T., Bourtchuladze, R., and Lazlo, G., A mouse model for the learning and memory deficits associated with neurofibromatosis type I., Nat. Genet. vol.15, pp.281–284. (1997)
https://doi.org/10.1038/ng0397-281
https://www.nature.com/articles/ng0397-281
17)Costa, R.M., Federov, N.B., Kogan, J.H., Murphy, G.G., Stern, J., Ohno, M., Kucherlapati, R., Jacks, T., and Silva, A.J., Mechanism for the learningdeficits in a mouse model of neurofibromatosis type 1. Nature vol.415, pp.526–530. (2002)
https://doi.org/10.1038/nature711
https://www.nature.com/articles/nature711
18)Komiyama, N.H., Watabe, A.M., Carlisle, H.J., Porter, K., Charlesworth, P., Monti, J., Strathdee, D.J., O’Carroll, C.M., Martin, S.J., Morris, R.G., et al.,SynGAP regulates ERK/MAPK signaling, synaptic plasticity, and learning in the complex with postsynaptic density 95 and NMDA receptor., J. Neurosci. 22, 9721–9732. (2002)
https://doi.org/10.1523/JNEUROSCI.22-22-09721.2002
https://www.jneurosci.org/content/22/22/9721
19)Brambilla, R., Gnesutta, N., Minichiello, L., White, G., Roylance, A.J., Herron,C.E., Ramsey, M., Wolfer, D.P., Cestari, V., Rossi-Arnaud, C., et al., A role for the Ras signalling pathway in synaptic transmission and long-term memory. Nature vol.390, pp.281–286., (1997)
https://doi.org/10.1038/36849
https://www.nature.com/articles/36849
20)Fasano, S., D’Antoni, A., Orban, P.C., Valjent, E., Putignano, E., Vara, H., Pizzorusso, T., Giustetto, M., Yoon, B., Soloway, P., et al., Fasano, S., D’Antoni, A., Orban, P.C., Valjent, E., Putignano, E., Vara, H.,Pizzorusso, T., Giustetto, M., Yoon, B., Soloway, P., et al., Ras-guanine nucleotide-releasing factor 1 (Ras-GRF1) controls activation of extracellular signal-regulated kinase (ERK) signaling in the striatum and long-term behavioral responses to cocaine. Biol. Psychiatry vol.66, pp.758–768. (2009)
https://doi: 10.1016/j.biopsych.2009.03.014.
https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC2910545/
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