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2026年2月 3日 (火)

続・生物学茶話292:記憶の固定をめぐって 4.BDNFとTrk

BDNF(brain-derived neurotrophic factor)はバルデらによって1982年に発見・精製された神経成長因子です(1、2、図292-1)。神経成長因子としては1956年にすでにNGF(nerve growth factor)がモンタルチーニとコーエンによって発見されており、彼らはノーベル賞を受賞しました(3)。しかし2番目となるBDNFの遺伝子配列が解明されたことがきっかけとり、1990年代になってさらにニューロトロフィン3およびニューロトロフィン4が発見されました(4)。

NGFをニューロトロフィン1、BDNFをニューロトロフィン2と呼ぶという命名法はまだ普及していないようですが、これらの因子の遺伝子は類似していて進化的に類縁関係があり、ひとつの分子群としてニューロトロフィンファミリーを形成しています(5)。これらのニューロトロフィンは低親和性神経栄養因子受容体(p75)と高親和性ニューロトロフィン受容体(Trk=トラック)という2種類の受容体に結合して細胞内にシグナルを伝達します(図292-1)。

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図292-1 バルデらが発見したBDNF(brain-derived neurotrophic factor)

p75はすべてのニューロトロフィンと結合しますが、高親和性受容体にはTrkA, TrkB, TrkC の3種類があり、TrkAにはNGFが、TrkBにはBDNFとNT4が、TrkCにはNT3がそれぞれ高親和性に結合します(6、図292-2)。またTrkA, BはNT3とも低親和性に結合します。Trkはチロシンキナーゼ活性を持ちますが、それゆえにTrkと命名されたのではなく、もともとは tropomyosin receptor kinase という名前で、トロポミオシンの受容体としてクローニングされていたという経緯があります(6)。

Trk はABCともに受容体型チロシンキナーゼであり、細胞内の部位にキナーゼドメインを持っています。細胞外には2つのシステインリッチクラスターとそれに挟まれた3つのロイシンリッチリピート、さらに2つのイムノグロブリン様ドメインがあります。細胞膜寄りのイムノグロブリン様ドメインにリガンドである各ニューロトロフィンが結合しますが、リガンドが結合することによって受容体が2量体となり、細胞内のチロシン残基を相互にリン酸化します(図292-2)。リン酸化されたチロシン残基がシグナル伝達の起点となります。つまりこの部分に接触した分子がコンフォメーションチェンジを起こしてシグナルカスケードが起動されます。

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図292-2 ニューロトロフィンとその受容体Trk

NGFのイメージが強いので、一般的にニューロトロフィンは神経細胞のサバイバルに関与していると思われがちですが、実はBDNFは生存因子としての機能は強くなく、むしろ成長因子、特に樹状突起を発達させるために重要であることが明らかになってきました(2)。実際脳が形成される過程の胎児期にはBDNFの濃度は極めて低く、出生後急増します(7、図292-3)。一方ニューロトロフィン3やニューロトロフィン4は生存因子としての機能を持つようです。

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図292-3 ラット脳におけるニューロトロフィンmRNAの出生前後における変動

BDNFは図292-4の上部に示したような、17アミノ酸のシグナルペプチドおよび111アミノ酸の加工前配列を含む形(プリプロタンパク質)で生まれます。他の分泌型ペプチドと同様にシグナルペプチドによって小胞体に導かれ、シグナルペプチド切断後に小胞体内で分子内SS結合(システインノット)などが形成されて正しい3次元構造を持つタンパク質に成熟します。このときプロ配列(図292-4の赤い部分)はフォールディングを正しく行うための分子シャペロンの役割を果たします。

このあとプロ配列が切断され、通常ならBDNF(緑の部分)が細胞外に分泌されるわけですが、BDNFの場合プロBDNFも分泌されているのではないかという疑問が最近までありました。現在では図292-4に示されているように、興奮性ニューロンは通常のBDNFと切断されたプロペプチドの両者を分泌し、それぞれ別の生理機能をもって活動するということに落ち着いたようです(2、8)。ただプロペプチドには66番目のバリンがメチオニンに置き換えられた分子が存在し、それはまた別の機能を持っているようで、まだまだ詳しい分析が必要だと思われます(2、8)。

BDNFに限らず、プロペプチドが細胞外に出てきて何らかの機能を果たしている可能性は置き忘れられた研究領域なのかもしれません。

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図292-4 BDNF:Brain-derived neurotrophic factor

BDNF-TrkB のリガンド-レセプターシステムはシナプス前部(軸索)およびシナプス後部(樹状突起)の両者に存在しますが(4)、Lin らはマウス海馬におけるコンディショナルノックアウトシステムによって、プレシナプティックなBDNF-ポストシナプティックなTrkBシステムを壊すと長期増強の形成が、ポストシナプティックなBDNF-プレシナプティックなTrkBシステムを壊すと長期増強の維持が損なわれることを示しました(9)。このことはBDNF-TrkBシステムが神経可塑性・記憶の形成と維持に深く関わっていることを示しています。もちろん海馬や周辺組織には強い局在が見られます(2、図292-5)。

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図292-5 マウス脳海馬周辺におけるBDNFの局在(緑色蛍光タンパク質=GFPによる可視化)

もちろん神経可塑性や神経細胞の成長は海馬だけに限られてはいませんし、その他の機能にも関連してニューロトロフィンは様々な組織に存在します。また齧歯類と猿類でも局在は異なります。ヘルナンデス-デルカノらが調査した結果を図292-6に示します。

BDNFについて言えば齧歯類では視床にはほとんどみられないのに、猿類でははっきりみられるという違いがあります。NGFについても齧歯類では線条体ではほとんどみられないのに、猿類でははっきりみられます。脳は他の臓器と違って脊椎動物あるいは哺乳類のなかでも、進化のスケールで言えば、極めて短期間で大きな変化を遂げているので、大きな相違があっても不思議ではありませんが、なぜそのような相違があるのかはさらなる研究が必要です。

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図292-6 成体齧歯類およびマカク猿脳におけるニューロトロフィンタンパク質の濃淡分布

 

参照文献

1)Y A Barde, D Edgar, H Thoenen, Purification of a new neurotrophic factor from mammalian brain., The EMBO journal vol.1 (5), pp.549-553 (1982)
doi: 10.1002/j.1460-2075.1982.tb01207.x.
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/7188352/

2)Yves-Alain Barde The physiopathology of brain-derived neurotrophic factor Physiol Rev., vol.105(4), pp.2073-2140 (2025)
doi: 10.1152/physrev.00038.2024.
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/40490314/.

3)ウィキペディア:神経成長因子
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E7%B5%8C%E6%88%90%E9%95%B7%E5%9B%A0%E5%AD%90

4)脳科学辞典:神経栄養因子
https://bsd.neuroinf.jp/wiki/%E7%A5%9E%E7%B5%8C%E6%A0%84%E9%A4%8A%E5%9B%A0%E5%AD%90

5)Finn Hallbook, Carlos F. Ibanez, Hakan Persson., Evolutionary studies of the nerve growth factor family reveal a novel member abundantly expressed in xenopus ovary., Neuron vol.6, issue 5, pp.845-858 (1991)
https://doi.org/10.1016/0896-6273(91)90180-8
https://www.sciencedirect.com/science/article/abs/pii/0896627391901808

6)脳科学辞典:高親和性ニューロトロフィン受容体
https://bsd.neuroinf.jp/wiki/%E9%AB%98%E8%A6%AA%E5%92%8C%E6%80%A7%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%AD%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%B3%E5%8F%97%E5%AE%B9%E4%BD%93

7)Carlos Hernandez-del Cano, Natalia Varela-Andres, Alejandro Cebrian-Leon and Ruben Deogracias, Neurotrophins and Their Receptors: BDNF's Role in GABAergic Neurodevelopment and Disease., Disease. Int. J. Mol. Sci., vol.25, no.8312. (2024)
https://doi.org/10.3390/ijms25158312
https://www.mdpi.com/1422-0067/25/15/8312

8)Mizui T, Ohira K, Kojima M. BDNF pro-peptide: a novel synaptic modulator generated as an N-terminal fragment from the BDNF precursor by proteolytic processing. Neural Regen Res. vol.12(7): pp.1024-1027 (2017)
https://doi.org/10.4103/1673-5374.211173
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/28852376/

9)Lin PY, Kavalali ET, Monteggia LM. Genetic Dissection of Presynaptic and Postsynaptic BDNF-TrkB Signaling in Synaptic Efficacy of CA3-CA1 Synapses. Cell Rep. vol.24(6): pp.1550-1561 (2018) doi: 10.1016/j.celrep.2018.07.020.
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/30089265/

 

 

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