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2025年12月 6日 (土)

続・生物学茶話288:感情とは 5.感情をともなう記憶

集中神経系に近い神経組織は最初は消化管の周辺に出現し、その発展進化とともに数億年が経過したのでしょう。その後カンブリア紀の少し前から様々な生物が遊泳や海底歩行をはじめたのにともなって運動器官を統御する中枢が発生し、天敵が生まれたカンブリア紀に飛躍的に中枢神経系が進化して始原的な脳が形成されたと思われます。天敵と言っても特定の種とは限らず、小型の生物は多くのより大きな生物の餌になっていたでしょうから、様々な形態の捕食者を恐怖という一つの感情と連結して脳に複数の記憶を保存しておくというのは、効率的で合目的的です。扁桃体と海馬あるいはその祖先組織は、そのような役割を担うために誕生した脳のパーツだと思われます。そしてそれらのメカニズムは今日に至ってようやく解明されつつあります。

理研の牧野らの実験では、扁桃体・海馬・前帯状皮質に電極を埋め込んだマウスを作成し、チェンバー内で自由に活動できるようにします。そこで彼らに電気ショックを与えてメモリーを形成させました。その後マウスをチェンバーから解放し別の場所に移します。そして1日後および26-28日後にチェンバーに戻すと、ショックを記憶していたマウスは警戒して活動停止の姿勢をとります(フリージング)。その際の各部位の電位変動データを取得します(1、2、図288-1a)。1日後に記憶に基づいてフリージング姿勢をとったマウスは約30%で、この割合は26~28日後でも変わりませんでした(図288-1b)。いったん覚えた記憶はほぼ1ヵ月たっても消えていなかったということです。

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図288-1 扁桃体基底外側核におけるスローガンマ波は1日前の恐怖記憶再生時に増強される
PSD=パワースペクトル密度=振幅スペクトル密度の2乗(単位V2乗/Hz)
振幅スペクトル密度はさまざまな周波数における信号の振幅の測定値 PSDはその周波数の信号がどのくらいのエネルギーを持っているかを示す

マウスたちがフリーズする前後の扁桃体ローカルな脳波を示したのが図288-1cです。振動力(PSD)に変換した図288-1dをみると(これは1日後のデータ)、スローガンマ波の高揚がフリーズする直前1秒~2秒くらいの間に発生していることがわかります。このような現象はフリーズ発生と同時にぴったり止まります(図288-1d)。

注目すべきは、同じようなスローガンマ波(30-50Hz)の高揚現象は26-28日後に再びチェンバーに入れた時にはおこりません(図288-2)。このことは、1日後のフリージングで発生したフリージング直前の扁桃体基底外側核におけるローカルなスローガンマ波を発生する発火が、記憶を呼び戻し定着させる契機になっていることを示しています。そして一度この発火がおこるとその結果(おそらくシナプスの数と形態の変化)は長期に保持されるのでしょう。

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図288-2 フリーズ直前と直後の扁桃体基底外側核におけるスローガンマ波およびシータ波のパワースペクトル密度

おそらくマウスたちがチェンバーに入れられるというプロセスの間に、脳の様々な部位で不安に関連する変化が起こっていて、測定した海馬(CA1)、前帯状皮質(ACC)、扁桃体基底外側核(BLA)のすべての場所でシータ波の増強がみられます(図288-3)。この増強は扁桃体基底外側核から強いスローガンマ波が発生するとともに鎮静します(図288-3)。牧野らは統計解析などをおこない、海馬などのシグナルによって扁桃体が記憶再生を定着させるメカニズム、すなわちシナプスの増強などのプロセスを起動することを示唆しました。

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図288-3 扁桃体におけるスローガンマ波発生の前に脳関係各部位から発生するシータ波
BLA:扁桃体基底外側核 CA1:海馬のCA1領域 ACC:前帯状皮質

ヒトでも類似の実験は行われています。とはいってももちろん電気ショックを感じる部屋に入ってもらう実験はできないので、マウスの実験とパラレルに比較するようなことはできません。怖い画像をみてもらうなどのマイルドな恐怖体験になります。コスタらの研究では、0.5秒づつ恐怖画像を含むいろんな画像をみてもらって、1日経過後にまたみてもらうという方法です(3、図288-4)。ヒトの場合、1日前のテストでみせてもらった画像なのか、単に見たことがある画像なのかを、remember or know or new という選択肢を設けて、エピソード記憶と意味記憶を識別することができるなどのメリットもあります。電極を扁桃体や海馬の様々な位置にセットしておくことは同じです。

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図288-4 ヒトを材料とした恐怖記憶再生についての実験

Remember の際のガンマ波をみると、扁桃体では画像を見た0.3秒後くらいから0.5秒間くらい100~120Hzの有意なクラスターが見られ(3、図288-5左上)、海馬では0.5秒後くらいからやはり0.5秒間くらい50~70Hzくらいの有意なクラスターがみられます(3、図288-5左下)。またこの間に扁桃体はシータ波を発生していて、これが海馬とのカップリングを行っている可能性があります(3、図288-5右)。まだマウスのデータとヒトのデータを比較するという段階にはないと思いますが、どちらの場合も、恐怖という感情の記憶が扁桃体や海馬の興奮によってサポートされるというのはありそうです。

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図288-5 エピソード記憶再生時の扁桃体と海馬で発生するガンマ波の周波数

恐怖という感情を伴う記憶は進化的に古く、おそらくカンブリア紀に発生したと思われますが、先カンブリア時代からエサの場所を記憶するということはあったのではないかと思います。そしてそれはおそらく空腹が満たされたという腸神経による満足感を伴うものであったと思われます。感情をともなわない記憶がいつはじまったかはよくわかりません。頭足類はエピソード記憶が可能なようです(4)。ヒトの記憶は言語の記憶が脳の大きな領域を占めており、これは繰り返し毎日反復利用するので忘れないのでしょうし、言語特有の記憶様式があるのかもしれません。しかし一度しか使わなかった電話番号なんて覚えているわけないし、毎日使うPCのパスワードとか、簡単なもの以外のパスワードはみんな忘れてしまいます。一方でたった1回の経験でも、感情を伴うエピソード記憶は忘れない場合もあります。なぜ感情をともなう記憶は忘れにくいのかというのは脳神経科学の重要なテーマです(5)。扁桃体を損傷しているウルバッハ・ヴィーテ病の患者は、通常の写真の記憶は健常者と変わらないのに、感情を伴なう写真(文献3の火事の写真のような)の記憶が健常者より有意に劣っているそうです(6)。

参照

1)理化学研究所プレスリリース 記憶の形成時期を反映する神経活動
-機械学習により記憶の古さを示す多領域活動パターンを特定-
https://www.riken.jp/press/2024/20241209_2/index.html

2)Yuichi Makino, Yi Wang & Thomas J. McHugh
Multi-regional control of amygdalar dynamics reliably reflects fear memory age.,
nature communications vo.15, no.10283 (2024)
https://doi.org/10.1038/s41467-024-54273-3
https://www.nature.com/articles/s41467-024-54273-3

3)Manuela Costa et al., Aversive memory formation in humans involves an amygdala-hippocampus phase code., Nature Communications vol.13, no.6403 (2022)
https://doi.org/10.1038/s41467-022-33828-2
https://web.archive.org/web/20221117214725id_/https://www.zora.uzh.ch/id/eprint/222866/1/Costa_2022_Aversive_memory_formation_in_humans.pdf

4)カラパイア:イカってすごい!死の数日前まで記憶力が衰えないことが判明
https://karapaia.com/archives/52305263.html

5)Wired: 「心を動かされる出来事」は、なぜ記憶に残りやすいのか? 研究から見えた脳のメカニズム
https://wired.jp/article/why-do-we-remember-emotional-events-better/

6)脳科学辞典:情動的記憶
https://bsd.neuroinf.jp/wiki/%E6%83%85%E5%8B%95%E7%9A%84%E8%A8%98%E6%86%B6

 

 

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