« 上田綺世(うえだあやせ) | トップページ | カマキリの訪問 »

2025年10月16日 (木)

続・生物学茶話283: 大脳辺縁系 7.扁桃体

多細胞生物が最初に作った臓器は腸で、神経はまずその腸を動かしたり休ませたりするために機能していたに違いありません。円口類では、脳と無関係に発生し自律神経系によって支配されない腸神経が認められています(1、2)。腸神経は腸の状況に応じて様々な判断を行えるように進化し、ある種の中枢神経系として機能するようになりました。腸神経系の出現の後、どのように脳脊髄系の中枢神経系が進化したかはわかりませんが、先カンブリア時代おいて腸を動かすことの次に中枢神経系が果たすべき重要な役割は「餌をみつける→移動する→食べる」という行為を統括することだと想像できます。「餌をみつける→うれしい→移動する→食べる」というプロセスはなかったでしょう。

しかしカンブリア紀になって食物連鎖がはっきりしてくると、「捕食者や危険動物を認識する→逃げる」という行動がほとんどの動物にとって必須になります。触覚だけで判断していたときはまだシンプルでしたが、視覚・臭覚・聴覚などを動員して判断するには記憶や統合的処理が必要です。ならば「怖い」というボックスを中枢神経系に設置し、さまざまな捕食者や危険動物の画像・臭い・音などをそこに放り込んでおいて、ボックスに入力があれば記憶と照合して「逃走」という運動プログラムに出力する、というシステムは生存するために有利です。扁桃体の起源はその恐怖ボックスにあると思われます。扁桃体あるいはそれに相当する組織の研究のほとんどは哺乳類について行われているので情報は限られますが、扁桃体が情動において重要な役割を果たしていることは確実です(3)。

扁桃体(amygdala)=アミグダラ という名前はギリシャ語のアーモンドだそうで、19世紀にその形態から命名されたそうです。扁桃はアーモンドを意味する日本語です。川村光毅の記述によると「 哺乳動物の扁桃体は終脳の半球胞の腹側壁が側脳室の内腔に隆起状に発達した神経節丘の一部から生じる」とあります(4)。扁桃体は図283-1水平断面〈赤矢印)をみるとあたかも大脳皮質の一部のような位置にあります。しかしその構造は神経核の特異な集合体であり、大脳皮質の一般的構造とは異なります。また海馬と近接した位置にありますが(図283-1)、海馬とは機能的連携はあっても発生的には独立していています(3)。扁桃体は形態学的に尾状核(あるいは線条体)の尾側先端に位置しています。扁桃体からは尾状核や側坐核に出力があり、機能的にも扁桃体と線条体は深い関係があります(3、4)。

2831a

図283-1 扁桃体の位置 

古典的な方法による扁桃体の組織染色図を図283-2に示します(5)。まず神経細胞群の外側に皮質があって、神経細胞群が外部から隔離されているような構造になっていることがわかります。これは混信を防ぐためには有効でしょう。しかし尾状核(線条体)とは直接連結していて隔壁はありません。ただし図のAST(尾状核-扁桃体境界領域)を構成する細胞はみえます。この細胞はニューロンですが、どのような役割を担っているかは不明です。

アセチルコリンエステラーゼの染色では尾状核と扁桃体の基底核がよく染まっています。基底核は扁桃体の中でもアセチルコリンによる情報伝達を盛んに行っている特異的な組織であることが示唆されています。特に内側核や中心核との境界は明瞭です(図283-2)。他の染色法の図を見ても、扁桃体は均一な細胞によって構成されているのではなく、部域によって異なる種類の細胞の集合体であり、各部域の間には明瞭な境界が存在する場合が多く認められます(図283-2)。

2832a

図283-2 ラット扁桃体の切片観察 左:ニッスル染色(粗面小胞体を塩基性色素で染色する)、中:アセチルコリンエステラーゼの抗体による免疫染色、右:銀染色


げっ歯類でも霊長類でも扁桃体がその内部に複数の領域があって、それぞれ異なる機能を持った細胞集団を構成していることは確かです(3)。図283-3はヒト扁桃体の内部構造を示したものです(6)。ヒトにおいても扁桃体は尾状核の先端に位置し、尾状核と扁桃体の間には移行領域があります。海馬とも非常に近い位置にあります(図283-3)。また図の上部ではマイネルト基底核(NBM)と接しています。

2833a

図283-3 ヒト扁桃体の構造 サイエンスダイレクトの図(6)を日本語化したものです。

原図の略号:AHi, amygdalohippocampal transition area (part of the superficial amygdala); BL, basolateral nucleus; BM, basomedial nucleus; Ce, central nucleus; CM, caudomedial part; d, dorsal part; DM, dorsomedial part; I, intermediate part; L, lateral part; La, lateral nucleus; M, medial part; Me, medial nucleus (centromedial amygdala); mf, medial fiber bundle (includes icm, intermediate caudomedial fiber masses); PL, paralaminar nucleus (laterobasal amygdala); v, ventral part; VL, ventrolateral part; VM, ventromedial part (includes lm, lamella medialis of Brockhaus, 1938) and intermediate fiber bundle (corresponds to ld, lamella dorsalis of Brockhaus (1938)). Neighboring structures: AStr, amygdalostriatal transition zone; HATA, hippocampal-amygdaloid transition area; HH, hippocampal head; NBM, nucleus basalis of Meynert.(日本語表記のためつぶれているものもあります)

脳科学辞典にサルの扁桃体内部の線維投射の図がありますが、非常に複雑であり、かつそれぞれが外部に投射し、また投射を受けているので私たちの脳で総合的に理解するのは多分不可能だと思います。また個々の機能については本が何冊もできるくらいに複雑なのでここで取り扱うのは困難です。なのでここでは基底外側核と中心核についての概略図(7、Janak and Tye による図を日本語化)を図283-4として、もうすこし扁桃体外部の関連領域をひろげたもの(8、Calhoon and Tye による図を日本語化したもの)を図283-5として示しておきます。原図をそのままコピーしたものではありませんので、正確を期したい場合は原著をごらんください(7、8)。

2834a_20251017100201

図283-4 扁桃体における情報伝達の一部

2835a

図283-5 扁桃体にかかわる情報伝達の一部(広範囲版)

危険を感知する→逃げる というシンプルな行動がカンブリア紀初期生物の最初の試みだったと思われますが、生物が多様化・進化するなかでは、例えば仲間が多ければ戦って撃退するとか、隠れる場所があればそこに潜むとか、海底の砂に潜るとか、アーマーやトゲをもつものならフリーズするとか、殻をもつものなら蓋を閉めるとか、アメフラシなら粘液を吐くとか、スミを吐くとかさまざまな行動が現れ、それとともに扁桃体あるいはそれに相当する神経核に関わる経路も複雑化していったのでしょう。

ヤナクとタイによれば、扁桃体はトカゲ、マウス、ラット、猫、サル、ヒトのすべてにおいえて左右2対があり、それぞれ基底外側核と中心核が図283-6の一番右の列のような形で存在しているそうです(7、図283-6)。これをみると進化とともに基底外側核の役割が大きくなってきているようです。

2836a

図283-6 扁桃体の進化

 

参照文献

1)Stephen A. Green, Benjamin R. Uy, and Marianne E. Bronner, Ancient evolutionary origin of vertebrate enteric neurons from trunk-derived neural crest., Nature, vol.544(7648): pp.88?91. (2017) doi:10.1038/nature21679
https://www.nature.com/articles/nature21679

2)続・生物学茶話252: 腸神経
https://morph.way-nifty.com/grey/2024/11/post-73bb0d.html

3)脳科学辞典:扁桃体
https://bsd.neuroinf.jp/wiki/%E6%89%81%E6%A1%83%E4%BD%93

4)Actioforma(川村光毅):扁桃体の構成と機能
https://www.actioforma.net/kokikawa/kokikawa/amigdala/amigdala.html

5)Joseph LeDoux, The amygdala., Current Biology, Volume 17, Issue 20, R868 - R874
https://www.cell.com/current-biology/fulltext/S0960-9822(07)01779-4

6)ScienceDirect: Amygdala
https://www.sciencedirect.com/topics/neuroscience/amygdala

7)Patricia H. Janak and Kay M. Tye, From circuits to behaviour in the amygdala., Nature., vol.517(7534): pp.284–292. (2015) doi:10.1038/nature14188.
https://www.nature.com/articles/nature14188

8)Calhoon, G., Tye, K. Resolving the neural circuits of anxiety., Nat Neurosci vol.18, pp.1394–1404 (2015). https://doi.org/10.1038/nn.4101
https://www.nature.com/articles/nn.4101

| |

« 上田綺世(うえだあやせ) | トップページ | カマキリの訪問 »

生物学・科学(biology/science)」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 上田綺世(うえだあやせ) | トップページ | カマキリの訪問 »