続・生物学茶話280: 大脳辺縁系 4.記憶のメカニズム解明の第1歩
長期増強現象を発見したTerje Lφmo(タイエ・レモ)はノルウェーの医師で、大学時代は家族の期待もあって開業医をめざしていたわけですが、アルフ・ブローダルの研究室に出入りして脳幹網様体形成の話を聴いているうちにしだいに研究に興味を持って、イタリアのピサに留学して1年間の研究生活を経験するほどのめりこみました(1、2)。
大学を卒業後兵役義務で軍医として1年半勤務した後、研究への関心も薄れ、やはり医師として病院に勤務しようと仕事を探していた時に偶然ペール・アンデルセンと出会って意気投し、1964年に博士号を取得するためオスロ大学のアンデルセンの研究室に所属することになりました。ここで早速ウサギやネコを使った海馬の研究に着手しました。アンデルセンは海馬を使った電気生理学実験の手技はきちんと指導してくれましたが、1年後にはじめたD論の実験については自由にやらせてくれて、レモはこのやり方を気に入っていたようです(1、2)。
図280-1 シナプス可塑性と長期増強に関する初期の研究にかかわった人々
レモが取り組んだテーマは歯状回への入力と、その繰り返しによる周波数増強の問題でした。彼はその結果を1966年にフィンランドのトゥルクで開催された学会で発表しました。
その内容を要約すると-「海馬に反復して入力刺激を与えると、顕著にスパイク発生が増加することが知られています。しかしそのメカニズムはあまり知られていません。内嗅皮質や貫通線維からの刺激によって引き起こされる歯状回の反応を、貫通線維から顆粒細胞樹状突起へのシナプスと顆粒細胞細胞体の2ヵ所に電極を設置して記録しました。顆粒細胞の反応は刺激の頻度によって変化することがわかりました。12~15回刺激/秒の場合が最も強い反応が得られ、6回以下/秒や50回以上/秒では反応の強化はみられませんでした。5~10分の休憩をはさんで、10回/秒の反復刺激を与えると、最初よりも繰り返した方が反応のスパイクは強く高頻度でみられました。この反応増強は1時間以上継続的にみられました」-というものでした。これが長期増強(longterm potentiation=LTP)についての最初の発表とされています(2、図280-2)。
脳科学辞典をみると「一般的に、シナプス伝達効率の増強が1時間以上持続する場合をLTPと呼び、それよりも短い場合は短期増強(short-term potentiation, STP)と呼ばれることが多い。」という記載があるので、このレモの発見は長期増強とみなされます(3)。長期増強に関する最初の論文はブリスとレモの共著による文献(4)とされています。
図280-2 長期増強発見の第1歩
ここで少し不思議なのは、最初に実験に成功したのが1966年以前のはずなのに、論文による発表が1973年とかなり間が空いていることです。通常このような目覚ましい成果が出た時は、先を越されると困るので、学会発表したら間髪を入れず論文を書かなければいけません。レモは参照文献(2)でその理由について述べています。「初期の実験では実験動物のウサギは農家から格安で手に入れていましたが、後には実験動物業者から入手するようになりました。つまりウサギが育った環境が非常に違っていたのです。21世紀になってから、実験動物が受けるストレスやコルチコステロイドによって海馬における長期増強が大きな影響を受けることがわかりました(5)。また麻酔の方法に関連して、ウサギ、ラット、マウスの実験前の状況や種による違いもあり、このようなことによって再現性に問題が出ました。このほかにもノルウェーと英国を行ったりもどったりしていた混乱で遅れてしまった」とのことです。
長期記憶と言えば、文章の記憶などより走るとか自転車に乗るとか「運動の自動化」の方が確実な長期記憶なので、小脳をターゲットとした長期記憶の研究も当然行われましたが、これは海馬よりもさらに実験が技術的に困難で、プルキンエ細胞における長期抑圧(プルキンエ細胞は抑制性のニューロン)に関する最初の論文が出版されたのは1982年になります(6)。確実視されるようになったのは加納方伸と加藤誠の報告(7)が1988年に出版されてからのようです。
21世紀になって光遺伝学の手法が導入され、上記のあいまいさが回避できるようになりました。脳科学辞典を引用します:「電気刺激は特異性が低く電極の近傍に存在する軸索や細胞体を非特異的に活性化してしまう。また、脳深部電気刺激(Deep Brain Stimulation)では、局所の神経細胞を刺激していることが有効なのか、それとも抑制していることが有効なのかメカニズムが不明であった。一方、作動薬や拮抗薬等の局所投与などの薬理学的手法は、神経の活性化と抑制の両方が可能であるが、時間的精度が低いだけでなく、細胞特異性、シナプス特異性も制御できないという欠点があった。さらに、特定の遺伝子欠損動物の行動解析では、発生過程における影響や他の神経による機能補償などが起こっている可能性を払拭できなかった。光遺伝学はこれらの欠点を全て補っており、マイクロ〜ミリ秒オーダーの神経活動の活性化あるいは抑制が可能であり、特定の神経活動のみを制御できる。」(引用終わり)。膜移行シグナルを付加したチャネル2ロドプシンをベクターによって神経細胞に導入し、細胞膜に発現させ、ここに青色光を照射すると陽イオンがチャネル2ロドプシンの内部を通過してアクションポテンシャルが発生します。
もうひとつの手法はたとえばグルタミン酸に光分解性保護基をつけておき、光照射によって保護基を分解してグルタミン酸を活性化します(アンケージング)。これと2光子励起システム(8、非常に小さな領域だけに光を照射できる)を組み合わせることによって、特定のシナプスを活性化することができます。図280ー3のように、457nmの照射でグルタミン酸のシナプス、720nmの照射でドーパミンのシナプスを選択的に活性化することもできます。
図280-3 光照射システムによって、特定のニューロンを興奮させることができる
河西らはこのような実験系を用いて1μmくらいの領域を非侵襲的に活性化し、グルタミン酸によるシナプスの活性化の結果、50分くらい経過すると明らかに樹状突起のスパインが肥大化することを示しました(9、図280-4 赤い円で囲った部分が肥大化したスパイン)。スパインのサイズと生理的強度に正の相関があることはホラーらの研究によって確かめられました(10)。このことはスパインのサイズが大きく保たれている限り、記憶が保たれていることを示唆します。
図280-4 シナプスの活性化によるスパインの肥大化
スパイン拡大のメカニズムについては多くの研究者によって研究進行中ですが、おおざっぱにはカルシウムの流入によってCa2+/カルモジュリン依存性プロテインキナーゼIIが活性化され、様々な細胞骨格関連タンパク質がリン酸化されることによってアクチン繊維の空間的拡張が行われる結果だと考えられています(9)。
参照
1)Wikipedia:Terje Lφmo
https://en.wikipedia.org/wiki/Terje_L%C3%B8mo
2)Terje Lφmo, Long-Term Potentiation: The Accidental Discovery., Hippocampus, 35:e23664 (2025)
https://doi.org/10.1002/hipo.23664
3)脳科学辞典:長期増強
https://bsd.neuroinf.jp/wiki/%E9%95%B7%E6%9C%9F%E5%A2%97%E5%BC%B7
4)V.P. Bliss and T. Lømo, Long-lasting potentiation of synaptic transmissin in the dentate area of the anaesthetized rabbit following stimulation of the perforant path., J. Physiol., vol.232, pp. 331-356 (1973)
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/4727084/
5)Segal, M., G. Richter-Levin, and N. Maggio, Stress-Induced Dynamic Routing of Hippocampal Connectivity: A Hypothesis., Hippocampus vol.20, pp.1332–1338 (2010)
https://doi.org/10.1002/hipo.20751
https://onlinelibrary.wiley.com/doi/abs/10.1002/hipo.20751
6)Masao Ito, Masanobu Kano, Long-lasting depression of parallel fiber-Purkinje cell transmission induced by conjunctive stimulation of parallel fibers and climbing fibers in the cerebellar cortex., Neuroscience Letters., vol.33, issue 3, pp.253-258 (1982)
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/6298664/
7)Masanobu Kano, Makoto Kato, Mode of induction of long-term depression at parallel fibre—Purkinje cell synapses in rabbit cerebellar cortex., Neuroscience Research
vol.5, Issue 6, pp.544-556 (1988) DOI: 10.1016/0304-3940(82)90380-9
https://doi.org/10.1016/0168-0102(88)90041-7
https://www.sciencedirect.com/science/article/abs/pii/0168010288900417
8)続・生物学茶話220: 多光子顕微鏡
https://morph.way-nifty.com/grey/2023/09/post-c627c3.html
9)Haruo Kasai, Noam E. Ziv, Hitoshi Okazaki, Sho Yagishita and Taro Toyoizumi, Spine dynamics in the brain, mental disorders and artificial neural networks., Nat Rev Neurosci vol.22, pp.407–422 (2021).
https://doi.org/10.1038/s41583-021-00467-3
https://www.nature.com/articles/s41583-021-00467-3
10)Holler, S., Köstinger, G., Martin, K.A.C. et al. Structure and function of a neocortical synapse. Nature vol.591, pp.111–116 (2021). https://doi.org/10.1038/s41586-020-03134-2
https://www.nature.com/articles/s41586-020-03134-2
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