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2025年8月28日 (木)

続・生物学茶話278: 大脳辺縁系 2.海馬の形態

海馬という脳のパーツは、図278-1のようにタツノオトシゴとそっくりな形態をとっていて(1)、タツノオトシゴは英語で sea horse というので海馬という名前の語源は英語でしょう。しかし英語で海馬そのものは hippocampus で、これはギリシャ語の ヒッポカンポス=海神ポセイドンが使う上半身が馬で下半身が魚という動物が語源になっています。

海馬という言葉は専門用語でもありますが、これが曲者でいちいち定義してないと何を指しているのかわかりません。図278-1の海馬の部分だけを指しているのか、海馬+歯状回を指しているのか、海馬+歯状回+海馬台を指しているのか、海馬+歯状回+海馬足(海馬台)+海馬傍回+海馬采を指しているのか、写真全体を指しているのか、それがわかりません。図278-1では脳弓や乳頭体まで含んでいるように見えます。

広義の海馬を海馬体ということもありますが、じゃああらためて海馬体はどこまで含むのかということになって混乱は果てしなく続きます。ここでは海馬=狭義の海馬+歯状回ということにしておきます。海馬台も海馬に含まれるという定義も有力ですが、これには矛盾があります。海馬台というのは海馬の台という意味ですから、その台が海馬に含まれるというのは言葉の矛盾でしょう。アイロン台もアイロンの一部だなんてあり得ません。これはぜひ脳科学者にやめてほしいとお願いしたいです。もっと言葉の意味にセンシティブになってほしいと思います。

狭義の海馬だけを指す場合、アンモン角という言葉も使われます。私もこの言葉を使うことにします。これはエジプトの太陽神アンモンの髪が羊の角のようであることから名付けられたようで。古生物のアンモナイトもここから名付けられたようです(2、図278-1)。タツノオトシゴの頭の部分が海馬足という名前になっていますが、これも脳科学者が言葉のデリカシーに欠けていることの証明でしょう。個人的には海馬瘤とか海馬耳とかだとよかったのにと思います。

上記のさまざまなパーツが存在すること、狭義の海馬(アンモン角)にCA1、CA2、CA3という領域が存在することなどを含めて、全体のサイズ以外では大脳皮質などと違って、ヒトと実験動物の海馬の基本構造に大きな差はありません。

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図278-1 脳における海馬の位置と海馬関連組織全体の形態

海馬周辺の組織を図278-2に示します(3)。海馬の中心部は図の赤線で囲まれた部分で、歯状回とアンモン角(CA1+CA2+CA3)からなります。これらを下から支えている部分が海馬台で、ここにつながっているのが海馬傍回です。海馬傍回のなかで海馬台に近い部分を嗅内皮質と呼びます。

海馬への神経連絡(入出力)は主に海馬傍回・海馬台から行われますが、CA3の左側の組織、海馬采・脳弓・乳頭体方面(図278-2ではみえていない)や交連線維からも行われます(4)。

魚類や両生類の大脳には辺縁系しかないとされており(5)、その中心である海馬は脊椎動物が知的活動をはじめるにあたってその中心的役割を果たしてきたであろうと考えられます。

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図278-2 ヒト海馬と周辺の構造

マウス(6)・ラット(3)など実験動物の海馬の基本構造はヒトと同じです(図278-3)。嗅内皮質・海馬台から歯状回顆粒細胞(7、図278-4)への入力はグルタミン酸による興奮性入力です。この興奮はさらに顆粒細胞のからアンモン角の方向に延びる軸索(苔状線維=mossy fiber)によってアンモン角(CA3・CA2)の興奮性細胞である錐体細胞に伝えられます(図278-3、図278-4)。歯状回顆粒細胞の興奮は苔状細胞の活動によって増幅されます。ここで苔状細胞と顆粒細胞の苔状線維は関係がありません。またまずいことに苔状線維という名の軸索は小脳にも存在し、これが固有名詞なのか普通名詞なのかがはっきりしません。これも不適切用語と言えるでしょう。

歯状回顆粒細胞層の内側(多形細胞層)および外側(分子層)にはGABA系の抑制性細胞が散在し、顆粒細胞-苔状細胞の過剰な興奮を抑制しています(図278-4)。図278-4に示されるように、海馬CA3の錐体細胞層の先端は歯状回の多形細胞層に取り囲まれており、その外側に顆粒細胞層がコの字型(またはつの字型)に多形細胞層を取り囲むという形態になっています。

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図278-3 海馬(アンモン角+歯状回)と海馬台の垂直断面図


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図278-4 歯状回の層構造と細胞

海馬関連の入出力については稿を改めますが、図278-5において大まかにはアンモン角の入出力は嗅内皮質・海馬台・歯状回を介する場合(右側)と乳頭体・脳梁・海馬采を介する場合(左側)がメインで、CA1・CA2・CA3錐体細胞の軸索は左右2方向に分かれているようです。また樹状突起も上下(上層層・放線層)に多数存在し、左右両方向からの遠隔入力および介在細胞からの近傍入力に対応しています(4)。

歯状回から伸びる軸索(苔状線維)がCA3に投射する領域には形態学的に識別できる層があり、透明層(stratum lucidum)と呼ばれています(図278-5)。歯状回顆粒細胞とアンモン角錐体細胞自身はグルタミン酸投射型の興奮性細胞ですが、アンモン角錐体細胞に投射する細胞は顆粒細胞だけでなく、GABA型の介在細胞のほかドーパミン型・アドレナリン型・セロトニン型など多種多様です(4)。

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図278-5 アンモン角錐体細胞の樹状突起と軸索

 

参照

1)医療法人 さいたま記念病院 海馬
http://www.saitamakinen-h.or.jp/news_head/%E6%B5%B7%E9%A6%AC/

2)ひつじnews アンモナイトの語源
https://www.hitsuzi.jp/2005/06/182sheep.html

3)Wikipedia: Hippocampus
https://en.wikipedia.org/wiki/Hippocampus

4)脳科学辞典:海馬
https://bsd.neuroinf.jp/wiki/%E6%B5%B7%E9%A6%AC

5)理研HP 脳の進化
https://bsi.riken.jp/jp/youth/know/evolution.html

6)石原義久 熊本大学 学位論文 マウス海馬台の領域・層区分に関する免疫組織化学的研究(2016)
file:///C:/Users/Owner/Downloads/igaku_kou2079ronbun-1.pdf

7)Leifeld J, Förster E, Reiss G and Hamad MIK, Considering the Role of Extracellular Matrix Molecules, in Particular Reelin, in Granule Cell Dispersion Related to Temporal Lobe Epilepsy. Front. Cell Dev. Biol. vol.10: 917575. (2022)
https://doi.org/10.3389/fcell.2022.917575
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/35733853/

 

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コメント

> タツノオトシゴは英語で sea horse というので海馬という名前の語源は英語でしょう。

それは謬説です。海馬はもと漢方の名前とその原料となる生物のことで、例えば杜甫(712-770)の詩集に劉辰翁(1231-1291)らが注釈した集千家註杜工部詩集巻第十八には

> 夢符曰本草水馬生水中善行如馬亦謂之海馬

> 夢符(本の名前)曰はく本草(生薬)の水馬は水中に生じ善行する(水の中で活動する)こと馬の如し。亦た之を海馬と謂ふ

とあり、また本草綱目(1596)の水馬の項目には

> 藏器曰海馬出南海形如馬長五六寸鰕類也南州異物志云大小如守宫其色黄褐婦人難產割裂而出者手持此蟲即如羊之易產也

> 蔵器(本の名前)曰はく、海馬は南海に出し、形は馬の如く長さ五・六寸(15-20cm)、鰕(エビ)の類なり。南州異物志(本の名前)云はく、大小宮を守るが如く、其の色黄褐(黄土色)なり。婦人難産にして割裂して出づる者は、手に此の蟲(タツノオトシゴ)を持てば、即ち羊の産み易きが如きなり。

つまり海馬は少なくとも700年ごろには一般に知られており、1500年ごろには「海馬」という名前で生薬やお守りとして珍重されていたことがわかります。本草綱目は江戸時代に輸入され日本に普及したため、海馬がsea horseの訳語でないことは明らかです。

意味が似ているから同じ語源だと推定するのは、語源俗説のよくある誤りですから、安易に決めつけないように注意していただきたいです。

集千家註杜工部詩集巻第十八
https://zh.wikisource.org/zh-hant/%E9%9B%86%E5%8D%83%E5%AE%B6%E8%A8%BB%E6%9D%9C%E5%B7%A5%E9%83%A8%E8%A9%A9%E9%9B%86_(%E5%9B%9B%E5%BA%AB%E5%85%A8%E6%9B%B8%E6%9C%AC)/%E5%8D%B718#:~:text=%E9%9D%9C%E5%A6%82%E7%B7%B4-,%E5%A4%A2%E7%AC%A6%E6%9B%B0%E6%9C%AC%E8%8D%89%E6%B0%B4%E9%A6%AC%E7%94%9F%E6%B0%B4%E4%B8%AD%E5%96%84%E8%A1%8C%E5%A6%82%E9%A6%AC%E4%BA%A6%E8%AC%82%E4%B9%8B%E6%B5%B7%E9%A6%AC,-%E8%98%93%E6%9B%B0%E7%8E%8B

本草綱目
https://zh.wikisource.org/zh-hant/%E6%9C%AC%E8%8D%89%E7%B6%B1%E7%9B%AE/%E9%B1%97%E4%B9%8B%E5%9B%9B#%E6%B5%B7%E9%A6%AC:~:text=%E8%97%8F%E5%99%A8%E6%9B%B0%EF%B8%B0%E6%B5%B7%E9%A6%AC%E5%87%BA%E5%8D%97%E6%B5%B7%E3%80%82%E5%BD%A2%E5%A6%82%E9%A6%AC%EF%BC%8C%E9%95%B7%E4%BA%94%E5%85%AD%E5%AF%B8%EF%BC%8C%E9%B0%95%E9%A1%9E%E4%B9%9F%E3%80%82%E3%80%8A%E5%8D%97%E5%B7%9E%E7%95%B0%E7%89%A9%E5%BF%97%E3%80%8B%E9%9B%B2%EF%B8%B0%E5%A4%A7%E5%B0%8F%E5%A6%82%E5%AE%88%E5%AE%AE%EF%BC%8C%E5%85%B6%E8%89%B2%E9%BB%83%E8%A4%90%E3%80%82%E5%A9%A6%E4%BA%BA%E9%9B%A3%E7%94%A2%E5%89%B2%E8%A3%82%E8%80%8C%E5%87%BA%E8%80%85%EF%BC%8C%E6%89%8B%E6%8C%81%E6%AD%A4%E8%9F%B2%EF%BC%8C%E5%8D%B3%E5%A6%82%E7%BE%8A%E4%B9%8B%E6%98%93%E7%94%A2%E4%B9%9F%E3%80%82

投稿: NiiiNonno | 2025年9月23日 (火) 09:12

>NiiiNonnoさま

詳細に解説賜りまして有難うございます

管理人より

投稿: monchan | 2025年9月23日 (火) 17:52

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