« 史上最高の暑さ | トップページ | 日本の没落 西欧の没落 »

2025年8月 8日 (金)

続・生物学茶話276: 情報伝達様式の進化

神経細胞における情報伝達の方式には次の3種類があります

1)電気シナプス
ギャップ結合等を介したイオンの細胞から細胞への移動によって電位変化を伝える

2)化学シナプス
化学シナプス構造を介した神経伝達物質の放出と受容体による受け取りを介して膜電位を変化させる

3)拡散性伝達(ボリューム・トランスミッション)
発信細胞から放出された化学物質を受信細胞表層のGPCR(Gタンパク質共役受容体)で受け取ることによって情報伝達を行う。

275において、脳におけるドーパミンによる情報伝達は主に3)の様式で行われることを知り(1、2)、興味を惹かれたので少しボリューム・トランスミッションについて調べてみました。

ドーパミンによる情報伝達も含めて、ボリューム・トランスミッションは一般的にGPCR(G protein-coupled receptor)によって行われます。GPCRについては拙稿(3)やウィキペディア(4)をご覧ください。GPCRという細胞膜に埋め込まれたセンサーあるいは受容体は、あらゆる真核生物に存在するタンパク質複合体であり、生物にとって必要不可欠なパーツです。

生物進化の初期においてGPCRを介した情報伝達は、ペプチドを使うことによって実現しました。この種のペプチドは現代でも海綿動物以外のすべてのメタゾア(生物学でいう動物)に存在します(5)。海綿動物は350種類以上のGPCRを持っていますが(3)、情報伝達ペプチドおよび対応したGPCRは持っていないようです(5)。したがって、おそらく刺胞動物・有櫛動物・平板動物・(左右相称動物)の共通祖先によって情報伝達ペプチドおよびそれに対応した新規のGPCRが発明されたものと思われます。

情報伝達ペプチドを分泌する細胞は、1)常に分泌する、2)外部からのCue、すなわち誘導物質や何らかの刺激があった場合に分泌する、3)細胞内部の状態(state)の変化に応じて分泌する、など様々のタイプが考えられます(図276-1)。受け取る細胞も受容体のあるなしでバラエティーをつくることができます。これが初期の多細胞生物の進化に貢献したと思われます。

2761a

図276-1 神経細胞あるいはシナプスができる以前から存在した情報伝達

情報伝達ペプチドによるパラクライン型情報伝達は、単純な go/stop だけでなく、複雑な情報伝達、あるいはアナログ的な情報伝達にも対応できます。図276-2の左側は分泌細胞(供給細胞)が2種類のシグナル分子を供給できる場合で、受容細胞が1種類の受容体を持つ場合(R1、R2)と2種類の受容体を持つ場合(R3)で3種類の状況をつくることができます。受容体がない場合も含めると4種類です。右側は供給側が一つの細胞が1種類のシグナルを出す場合で、この場合R3はD2あるいはD3それぞれとの距離など(にともなう濃度の違いなど)によって、段階的(アナログ的)なレスポンスを起こすことができます。

ペプチドを情報伝達シグナルに用いる場合、アミノ酸の並び方で情報伝達因子の構造が決まるので、たった3個でも8000種類のバラエティを持つことができ、事実上無限のバラエティを持たせることが可能です。また情報伝達ペプチドは当然それに対応する遺伝子が存在するので、突然変異によって進化することが可能です。ですから環境の変化によって進化的対応が可能という大きな利点があります。またどんな情報伝達ペプチドの受容体を発現するかによって、細胞に多様性を持たせることができます。

2762a

図276-2 情報伝達ペプチドによる伝達

神経ペプチドあるいはもっと一般的に情報伝達ペプチドの起源はどこにあるのかというのは興味深い問題ですが、その解答は思わぬ方向からもたらされました。すべての動物が持つ情報伝達ペプチドを生成するために必要なPAMという酵素(ペプチジルグリシンモノオキシゲナーゼ、6)を、ある種のクラミドモナス(緑藻)がもっているのはなぜかという問題をコネチカットのエイパーらが研究していたのですが、彼らはクラミドモナスが有性生殖をおこなう際に、繊毛からPAMによってつくられた情報伝達ペプチドを放出して、相手となるメイティングタイプの個体を誘引するために使用していることを明らかにしました(7)。

このことは情報伝達ペプチドの起源がオピストコンタ以前にさかのぼることを示唆しており、研究者たちを驚かせました。

古い起源をもち多くの利点を持つ情報伝達ペプチドですが、弱点はカテコールアミンやGABAなどの低分子物質と比べて、一桁以上拡散速度が遅いということです(図276-3)。しかも拡散という現象は、距離が遠ければ遠いほど薄まってしまうという弱点があります(8)。

J=-D(dc/dx) フィックの第1法則

J:単位時間当たりに単位面積を通過する、ある性質の量
D:拡散係数
c:濃度
x:位置

図276-3のように情報伝達ペプチドの拡散速度は低分子情報伝達物質にくらべて一桁以上遅くなります。球状タンパク質の場合さらに一桁遅くなるので、情報伝達因子としての役割を果たすには極めて不利になります。実際使われることはほぼありません。ただ後述の循環系が発達した生物では、比較的長鎖のペプチドをホルモンとして用いることは可能になりました。

2763a

図276-3 分子の種類と拡散係数

希釈と拡散速度の遅さを克服するために、生物はいくつかのメカニズムを進化によって獲得しました。そのひとつは細胞膜の一部を突出させて、ターゲットとの距離を縮めるというやり方でプロジェクションといいます(図276-4A)。この方式を発展させたものがシナプスです。シナプスの場合ターゲットとの距離が20nm程度しかありませんので、希釈と拡散速度の問題はほぼ解決されたと言えます。

それでも食物連鎖がはっきりとしてくる時代がやってくると、情報伝達の速度が遅いということは圧倒的に不利で、特に視覚で感知した情報に従って筋肉を動かすというプロセスでは特に情報伝達速度が非常に速い「シナプスと低分子物質」というコンビネーションが用いられることになりました。この方式はまた特定の細胞から特定の細胞へ情報を伝えたい場合には有利なので、神経の進化とともにメジャーな情報伝達様式となりました。

もうひとつの新しい方式は循環系を用いるもので、これは左右相称動物が発明したやり方で、それほど速度にこだわらなくてよい場合、また特定の細胞よりも組織・臓器単位で制御するような場合には有力な方式です(図276-4B)。

2764a

図276-4 情報分子の拡散による希釈と遅延を回避するための方策
A:プロジェクション B:循環系による移動

ジェケリーらは情報伝達様式の進化を図276-5のようにまとめています(5、管理人によって改変)。ここで重要なことは、先カンブリア時代から継承されている4つの様式はすべて現在においても保持されていることです。プロジェクションというのは脳科学ではあまり聞かない言葉ですが、アストロサイトの形はまさしくプロジェクションでしょう。ジェケリーらは図276-5のような知見をもとに Chemical brain hypothesis という情報伝達様式から見た脳の考え方を提唱しています(5)。

2765a

図276-5 情報伝達様式の進化
Porifera: 海綿動物門 Ctenophora: 有櫛動物門 Placozoa: 平板動物門 Cnidaria: 刺胞動物門 Protostomes: 前口動物 Xenacoelomorpha: 珍無腸動物 Ambulacraria: 歩帯動物 Chordata: 脊椎動物 Bilaterians: 左右相称動物

神経ペプチドは非常に多くの種類がみつかっていて、脳科学辞典でも個別に説明するのは放棄してデータベースを引用しています(9)。いずれにしてもシナプスだけで脳の活動を説明することは不可能なのでしょう(10)。


参照

1)続・生物学茶話275: ドーパミンをめぐって
https://morph.way-nifty.com/grey/2025/07/post-0b7a76.html

2)Kauê Machado Costa and Geoffrey Schoenbaum, Dopamine., Current Biology, Vol. 32, Issue 15, R817 - R824 (2022)
https://www.cell.com/current-biology/fulltext/S0960-9822(22)01022-3

3)続・生物学茶話138: GPCRの進化
https://morph.way-nifty.com/grey/2021/04/post-e83f2e.html

4)ウィキペディア:Gタンパク質共役受容体
https://ja.wikipedia.org/wiki/G%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%91%E3%82%AF%E8%B3%AA%E5%85%B1%E5%BD%B9%E5%8F%97%E5%AE%B9%E4%BD%93

5)Gaspar Jekely, The chemical brain hypothesis for the origin of nervous systems., Phylosophical Transactions of the Royal Society B, vol.376, issue.1821, no.20190761 (2021)
https://doi.org/10.1098/rstb.2019.0761
https://royalsocietypublishing.org/doi/10.1098/rstb.2019.0761

6)ウィキペディア:ペプチジルグリシンモノオキシゲナーゼ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9A%E3%83%97%E3%83%81%E3%82%B8%E3%83%AB%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%83%A2%E3%83%8E%E3%82%AA%E3%82%AD%E3%82%B7%E3%82%B2%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%82%BC

7)Luxmi R, Kumar D, Mains RE, King SM, Eipper BA., Cilia-based peptidergic signaling. PLoS Biol. 17, e3000566. (2019) doi:10.1371/journal.pbio.3000566
https://journals.plos.org/plosbiology/article?id=10.1371/journal.pbio.3000566

8)ウィキペディア:フィックの法則
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E3%81%AE%E6%B3%95%E5%89%87

9)脳科学辞典:神経ペプチド
https://bsd.neuroinf.jp/wiki/%E7%A5%9E%E7%B5%8C%E3%83%9A%E3%83%97%E3%83%81%E3%83%89

10)毛内拡 脳のシナプスを介さない相互作用によるアナログ的な調節機構 日本物理学会誌 Vol. 76, No. 8, pp.492-497 (2021)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/butsuri/76/8/76_492/_pdf/-char/ja

 

| |

« 史上最高の暑さ | トップページ | 日本の没落 西欧の没落 »

生物学・科学(biology/science)」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 史上最高の暑さ | トップページ | 日本の没落 西欧の没落 »