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2025年7月19日 (土)

ゾルゲと花子2

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石井花子

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リヒャルト・ゾルゲ

1940年にゾルゲは満州を視察しています。以前にモンゴル・中国の視察もやっているので、中国大陸における日本軍の動向を探るというのも彼の仕事に含まれていたと思われます。

花子はヒトラーの「わが闘争」を読んで、ユダヤ人排斥はよくないとゾルゲに意見を求めると、ゾルゲは同意しました(当時ゾルゲはナチス党員でした)。しかしそれと同時にスターリンは偉大だと語り、このあたりから花子に本音を語るようになりました。おそらく花子をドイツに疎開させることが不可能になって、ゾルゲは花子を自分の仲間として運命を分かち合うこともやむを得ないと考えたのでしょう。実際彼女をキリスト教会に行かせて英語の勉強をさせ、自分の仕事を手伝ってもらおうとしました。しかしその教会の牧師が花子の体を触りに来たというようなことがあって、手伝いの話は立ち消えになりました。それは花子にとって幸運でした。

1941年になってゾルゲは身辺が危険な状態になってきたことを自覚するようになりました。夜中に急に泣き出したり、私には親友がいないとふさぎ込んだり、花子を日本人と結婚させようとしたりと異常な行動が目立ちました。そしてゾルゲがいないときに鳥居坂署の警察官が来て花子は署に連行され、事情聴取されました。そのあとゾルゲが鳥居坂署の刑事をなぐりましたが、それで逮捕されなかったのは不思議です。泳がせておきたかったのかもしれません。

ゾルゲは花子を上海に疎開させようとしますが、花子がパスポートを持っていないことがわかってその話は立ち消えになりました。ゾルゲは花子に「私と一緒に死にたいですか」と訊いたりします。またあなたと一緒に眠りたい、ゾルゲたくさん生きるのむつかしいなどとも言ったりします。

8月末にゾルゲと花子はドイツ大使館の通訳を交えて、日本橋の料亭で特高警察と宴会をやっています。そのうちのひとりはゾルゲが殴った警察官でした。おそらくそこで警察はゾルゲを常に見張っていると宣言したものと思われます。ゾルゲは花子に「後でゾルゲ何しましたかあなた知ります。私話しません」と宣言しました。実際逮捕されてから彼は花子が逮捕されないよう細心の注意を払って尋問に答えていたようです。彼はまた「私生きますなら、日本駄目になります。私死にますなら、日本人後で幸福あります」と語りました。彼は自分がスパイとして良い仕事ができて、日本が早く敗戦を迎えれば、日本人は幸福になれると考えていました。

彼は花子に日本はいずれアメリカと戦争することになり負けると語っています。そしてこれからは自分の家には来ないように言います。花子はそれに従って東中野の実家にひきこもることになりました。そんなある日彼女を取り調べた特高警察主任がやってきて、彼はゾルゲと花子が好きなので調書を無効にすると言って、彼女の目の前で火鉢で調書を焼きました。

ゾルゲと花子が最後に会ったのは警察が見守る中でのレストラン・ローマイヤで、日米開戦の危険性などについて話しました。しばらくして特高の主任が花子を訪ねてきてゾルゲが逮捕されたことを告げました。そして調書を焼いたことの口止めもしていきました。彼はまた後日やってきて、ゾルゲはソ連のスパイだ、死刑になると告げました。花子はその話を聞いても「日本国中が彼を敵視しようと、私は彼を愛し、彼を信じ、世界の果てまでついていく」という信念に生きる人でした。

1941年12月8日、ゾルゲが予想した通り日米は開戦しました。1942年の正月にまた特高主任がやってきて「もう駄目だ」と知らせてくれました。花子は兄に「ゾルゲを殺すであろう私の国の野蛮人どもが勝つか、物質文明を誇るアメリカが勝つか見とどける」と語りました。

1943年花子はゾルゲの女として逮捕され淀橋署に6日間拘置されますが、件の特高主任に自分がゾルゲと別れて東中野に引きこもっていたことを証言してもらって、ようやく解放されるという事件がありました。

花子がゾルゲの処刑を知ったのは終戦後1945年の新聞報道でした。しかし彼の遺体の消息は全く報道されませんでした。花子はおそらくドイツかソ連にひきわたされたのだろうと思いました。しかし1947年「尾崎ゾルゲ赤色スパイ事件の真相」という本が出版され、その中になんと「ゾルゲの死体は引き取り手がなく、拘置所の手で雑司ヶ谷の共同墓地に土葬された。木標がたてられたが燃料にされた」という記述があったのです。

花子は大きなショックを受けましたが、やがて「ゾルゲが私を待っている」と確信しました。花子は苦心してゾルゲの弁護士を探し当てましたが、彼は墓地のことは何も知りませんでした。雑司ヶ谷の共同墓地にも行きましたが、彼がどこに埋められているか知る人はいませんでした。木標は本当に燃料にされていました。

花子がすごいのはそれであきらめず東京拘置所まで調べに出かけたことです。そしてついに1949年の1月に米軍憲兵隊(MP)とともに共同墓地の調査をした人に会えそうなところまでこぎつけましたが、課長が米国に気を遣って会うことはできませんでした。

5月になって花子がゾルゲについて書いた文章が雑誌社から出版されました。それをGHQが読んで、花子は尋問されるという事件がありました。その後花子は単行本も出版しました。この年は下山事件や三鷹事件があって、GHQの反ソ連の姿勢が明確になっていく時代でした。それは花子にとっては好ましいことではありませんでした。何しろゾルゲはソ連のスパイだったわけですから。案の定小菅の東京拘置所に行ってもらちがあきませんでした。

そして目的もなくまた雑司ヶ谷の共同墓地に行ったときに、なんと管理人がゾルゲらしいと思われる遺体を掘り出してくれていたのです。墓地がないと改葬はできないということだったので、花子は多磨霊園に墓地を買い11月にいよいよ骨となったゾルゲの遺体と対面することになりました。ゾルゲが第一次世界大戦で大腿骨を骨折したこと、オートバイの事故で歯が入れ歯になっていたことを確認し、骨がゾルゲであることは明らかでした。花子は心の中で「おおゾルゲ、あなたは私の手に帰ったのだ」と叫びました。

ゾルゲは骨になっていましたが、制度上やむなくお棺に入れ霊柩車で運んで下落合で火葬し、骨灰を入れた桐箱を抱いて花子は帰宅しました。これらのことはお金のかかることでもありました。1950年11月に多磨霊園に納骨し、すべてが終了しました。しかしお墓は木標の粗末なものでした。

1953年になると花子は結核で苦しみ、治療代がままならず生活は困難を極め、さらに1954年には日赤で肺の空洞切開手術を受けました。1年近い入院生活を経て1955年の1月にようやく退院しました。そしてこの年のゾルゲの命日(11月7日)には関係者が集まって墓参が行われました。

1956年にはゾルゲの墓碑を建設しようという動きがあり、花子も本を出版してカンパに参加しました。墓碑は同年に建設され、ゾルゲ・尾崎墓参会が11月に開催されました。

ゾルゲはソ連のスパイだったのですが、彼の上司がスターリンに粛清されたことや、ドイツとの2重スパイだったという疑いが晴れず、ソ連は無視していました。しかしトップがフルシチョフに変わったころから再評価が進み、1964年にはロシアの関係者が花子の自宅を訪れ共に墓参しました。ゾルゲの処刑から20年もの月日が経っていました。同年プラウダ、イズベスチャ、タス通信の支局長も自宅に訪れました。そして11月にはゾルゲにソ連邦英雄の称号が与えられました。1965年花子はソ連政府の招待で訪ソを実現しました。

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多磨霊園にあるゾルゲの墓

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追記

ウィキペディアのリヒャルト・ゾルゲの項目を読むと、彼は本当に気の毒なひとだったということがわかります。中国ではかなり大規模な諜報団を作って、毛沢東、蒋介石、スメドレー、尾崎秀実などとも親交を得てめざましい活躍をしていたのですが、なぜか1933年に何も有力なコネクションがない日本に転勤になり、苦労してもらちがあかず、1939年にはソ連への帰国を希望していますが認められませんでした。しかも本国の上司ベルジンが粛清されて、帰国を強行すれば自分も粛清されるというどうしようもない立場に立たされました。そんな中でドイツ大使館に友人を作って食い込み、大使館で得た情報をソ連に送るというやり方を確立しました。日本に戻っていた尾崎秀実も出世して情報源になりました。

そして1940年から1941年にかけてドイツがソ連と開戦する準備を進めているという重要な情報をソ連に送りましたが無視され、その結果独ソ戦の緒戦はソ連の大敗となりました。唯一ソ連政府に採用された情報は、日本は南進が主眼でありソ連との戦争を始める確率は低いというものでした。これだけの重要な情報を送りながら、そして日本で処刑されたにもかかわらず、戦後20年間も無視され続けたたというのは気の毒というしかありません。

ゾルゲを逮捕した後、日本政府はソ連に日本人捕虜との交換を何度も要求しましたが、その都度ソ連に拒否されたそうです。ソ連政府はゾルゲが日本で得た情報をしばしばドイツ政府にも報告していたため、二重スパイだとして日本で死刑にされた方がよいと考えていたようです。これも気の毒というしかありません。

驚いたのはプーチンがフランスで制作されたゾルゲの映画を見てKGBをめざしたという記事です。

 

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