続・生物学茶話274:基底核 7.黒質
黒質はなにしろ色付きの神経細胞なので目立ちます。最初に報告したのは18世紀フランスの解剖学者フェリックス・ヴィック・ダジール(Felix Vicq d'Azyr)で1786年のことです(1)。なぜ黒いのかというと、黒質にはドーパミンを産生する細胞が集積しており、ドーパミンを素材としてこの集積した細胞に含まれるさまざまな酵素によってメラニン色素が合成されるからです。
三毛猫は黒いメラニン(ユーメラニン)と茶色のメラニン(フェオメラニン)を持っていますが、黒質のメラニンは両者の構造部分を持っているそうです(2)。これは既知の例えば皮膚のメラニンとは異なる特異な構造を持つメラニンで、ニューロメラニンと呼ばれています。現在ではニューロメラニン顆粒は分離可能で、顆粒に含まれる514種類のたんぱく質がこの種の顆粒に特異的なたんぱく質として同定されています(3)。
ドーパミンを産生するニューロンはみんなニューロメラニンをもっているかというと、そんなことはなくて、例えば腹側被蓋野は黒質とならぶドーパミン産生領域ですが黒くありません。つまりニューロメラニンを合成する酵素セットを持っていない細胞が一般的であり、黒質は特異であるわけです。皮膚の細胞がメラニンを合成するのは、紫外線によるダメージを防ぐという生理的意義がありますが、なぜ黒質の神経細胞がこのような酵素セットを持っていて、それがどのような意義を持つのかは不明です。
黒質は大脳基底核の構成要素とされていますが、それがある場所は中脳です(4)。ドーパミン系の神経伝達物質をもつニューロンが豊富で主に線条体に投射しています。トーパミン系のニューロンは近傍の腹側被蓋野にも多く存在しますが、こちらは主に前頭前野に投射しています(5、図274-1)。
図274-1 ヒト脳におけるドーパミン系の神経細胞が集積する黒質および腹側被蓋野の位置
黒質は中脳室の腹外側に形成された網様体から発生します(6)。円口類にも相同と思われる神経核が存在するので、黒質は生命史のなかでは脊椎動物の共通祖先にも存在していた非常に古いタイプの組織と思われます(7、8)。赤核が円口類にはなく、ヒレや特に四肢の発達とともに進化してきた新規の組織であることとは対照的です(9)。赤核は四肢の運動に深くかかわっているのに対して、黒質のドーパミン系細胞はウィキペディアにも「当初考えられていたように運動制御に直接関わるものではない」と記されており、むしろ報酬予測にかかわるとされています(4)。おそらくこれは以前にあまりにも黒質=運動制御というドグマが強烈だったので、そればかりではないよという意味だと私は解釈しています。
脊索動物ですが脊椎動物ではないもっと古いタイプの生物に近いと思われるナメクジウオには黒質に相当する組織はないので、黒質は脊椎動物が誕生するとほぼ同時期に生まれたと考えられます。ただしナメクジウオやホヤにもドーパミン系ニューロンは存在するので、ドーパミンによる神経伝達はプレカンブリア紀に生きていた彼らの共通祖先にも存在したのでしょう(10‐12)。
ところで黒質はドーパミン系の細胞だけでできているのではありません。マウスでもヒトでも黒質ははっきりと緻密部(pars compacta) と網様部(pars reticulata)にわかれていて、網様部はGABA系の細胞がメインになっています。図274-2の(C)図をみると、緻密部がほとんどドーパミン系の細胞からなり、網様部はほとんどGABA系の細胞からなることがわかります(矢頭で少しだけ存在するドーパミン系の細胞が示されています)。網様部には緻密部から伸びたドーパミン系細胞の軸索や樹状突起の束が多数存在するので、染色した場合ドーパミン系の染色もはっきり出ます。
黒質緻密部が脳基底核の線条体に基底核内部投射するのに対して、黒質網様部は線条体などからの入力を受けて基底核外の視床・脳幹に投射します。黒質網様部は常時運動に対する抑制シグナルを出しており、このシグナルが抑制されることによって運動が開始されるとされています(4)。
図274-2 マウス黒質の位置と構造 緻密部と網様部
ドーパミンの機能について、多くの実験によってはっきりとしていることがあります。たとえば石田らはラットの片側黒質から線条体に投射する神経線維を6-OHDAという薬剤で破壊する操作を行い、人工的なパーキンソン病動物を作成しました。この動物は興奮剤(メタンフェタミン)を投与すると、ぐるぐると一方向に回り続けます。しかしこの動物の線条体にドーパミン系の中脳神経細胞を移植すると、この病気は完治します(13、図274-3右側図1 ■が移植した動物 □は非移植コントロール)。
実際パーキンソン病の治療にはL-ドーパが有効です(14、図274-3左図)。ドーパミンそのものは脳血液関門を通過できないので、通過できる前駆体L-ドーパが使用されます。しかしそれですべて問題解決とはいきません。L-ドーパ服用は深刻な副作用をもたらすので、さらなる治療法の改善が必要とされています(15)。
図274-3 ドーパミンの合成およびドーパミン産生細胞が行動に関与していることの証明
黒質ドーパミン系ニューロンから線条体・終脳への投射経路の解剖学論文が21世紀になってから出版されてるのには少し驚きましたが、プレンサらの論文の図を引用しておきます(16、図274-4)。この図をみて気付いたのは、ドーパミン系ニューロンは視床には全く投射していませんが、視床網様核には投射しているかもしれないということです。実際ごく最近視床網様核とドーパミンシグナルに関係した論文が出版されています。著者によると視床‐大脳皮質のリレー回路を介して、覚醒や注意喚起のプロセスに影響を与える可能性があるそうです(17)。
ドーパミンシグナルは成功体験の記憶と再現をになっていて(脳科学ではTD誤差情報の伝搬などという)、生物が生きていくための方策を学習によって蓄積していく際の重要なツールとなっているようです(18)。ただ四肢動物が生まれてから、四肢の活動は赤核がになうようになったとはいえ、赤核がないヤツメウナギもヒレはもっているわけで、そのような原始的脊椎動物から哺乳類まで黒質は存在するので、当然過去に獲得した手足の制御機構の一部は黒質の機能として残っているはずで、だからこそその機能低下によってパーキンソン病のような疾病を発症すると思われます。
図274-4 ヒト脳におけるドーパミンの投射経路
実際ヤツメウナギのドーパミン系ニューロンに損傷を与えると、うまく泳げなくなりますし。嗅覚からの情報にしたがって餌の方向に泳ぎだすということもできなくなってしまいます(19)。すなわち初期脊椎動物の基本的行動についてはドーパミン系ニューロンがその責任を負っていたと思われ、それは進化の原則を考えると、哺乳類においてもそのシステムはリプレースはされないで、追加とつぎはぎによって引き継がれていると考えられます。
ペレス‐フェルナンデスらはヤツメウナギとラットの脳におけるドーパミン系ニューロンの位置を示してくれています(8、図274-5)。確かに哺乳類における黒質緻密部に相当する組織はヤツメウナギにも存在し、哺乳類と同様に上行性、すなわち線条体相当の組織への投射をおこなっています(緑の矢印)。
ここで一つ驚いたのは、ヤツメウナギでは間脳にあった黒質緻密部相当の組織が、ラットでは後ろにずれて中脳に移動していることです。これは発生生物学的な説明が必要ですし、そうなった生理学的・形態学的事情も説明されなければならないでしょう。
図274-5 ヤツメウナギおよびラットにおけるドーパミンによる情報伝達経路
哺乳類ではドーパミン系ニューロンの情報は基底核のGタンパク質共役受容体であるD1およびD2で受け止められます。D1はGsと共役し、アデニルシクラーゼの活性化を起点とした情報カスケードを発動し、D2はGiと共役しフォスフォジエステラーゼの活性化を起点とした情報カスケードを発動します(20)。
D1とD2はヤツメウナギにも存在し、2種類のドーパミン受容体による脳基底核制御は、現生するすべての脊椎動物の祖先から受け継いだ共通のメカニズムであることが示唆されます(8、図274-6)。D1およびD2がどのような形で動物の行動にかかわっているかはまだ解明途上にありますが、興味深いテーマです(21)。
図274-6 脊椎動物におけるドーパミン受容体の変遷 (Rは全ゲノム倍化イベントを示す)
参照文献
1)ウィキペディア:フェリックス・ヴィック・ダジール
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%80%E3%82%B8%E3%83%BC%E3%83%AB
2)若松一雅 ヒト脳内に存在するニューロメラニン色素の構造とその生成過程の解明 平成24年科学研究費助成事業研究成果報告書
https://kaken.nii.ac.jp/ja/file/KAKENHI-PROJECT-21500358/21500358seika.pdf
3)Maximilian Wulf et al., Laser Microdissection-Based Protocol for the LC-MS/MS Analysis of the Proteomic Profile of Neuromelanin Granules., J. Vis. Exp. (178), e63289, doi:10.3791/63289 (2021)
https://app.jove.com/t/63289/laser-microdissection-based-protocol-for-lc-msms-analysis-proteomic
4)ウィキペディア:黒質
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%92%E8%B3%AA
5)ウィキペディア:腹側被蓋野
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%85%B9%E5%81%B4%E8%A2%AB%E8%93%8B%E9%87%8E
6)神戸学院大学講義資料
https://db.kobegakuin.ac.jp/kaibo/has_pp/txt/chu4.html
7)滋野修一・野村真・村上安則著 遺伝子から解き明かす脳の不思議な世界 一色出版(2020年刊)p.271
8)Pérez-Fernández J, Barandela M, Jiménez-López C. The Dopaminergic Control of Movement-Evolutionary Considerations. Int J Mol Sci., vol.22(20):11284 (2021) doi: 10.3390/ijms222011284.
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/34681941/
9)大屋知徹、関和彦 中脳赤核と運動機能 ―系統発生的観点から― Spinal Surgery vol.28(3)pp.258-263,(2014)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/spinalsurg/28/3/28_258/_pdf
10)Elia Benito-Gutierrez, Giacomo Gattoni, Manuel Stemmer, Silvia D. Rohr, Laura N. Schuhmacher, Jocelyn Tang, Aleksandra Marconi, Gaspar Jekely and Detlev Arendt, The dorsoanterior brain of adult amphioxus shares similarities in expression profile and neuronal composition with the vertebrate telencephalon., BMC Biology vol.19: article no:110 (2021)
https://doi.org/10.1186/s12915-021-01045-w
https://bmcbiol.biomedcentral.com/articles/10.1186/s12915-021-01045-w
11)続・生物学茶話187: ナメクジウオ脳の部域化
https://morph.way-nifty.com/grey/2022/08/post-277eea.html
12)Horie T, Horie R, Chen K, Cao C, Nakagawa M, Kusakabe TG, Satoh N, Sasakura Y, Levine M. Regulatory cocktail for dopaminergic neurons in a protovertebrate identified by whole-embryo single-cell transcriptomics. Genes Dev. 2018 Oct 1;32(19-20):1297-1302. doi: 10.1101/gad.317669.118.
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/30228204/
13)石田康、上田勇人、三山吉夫 中枢ドーパミン系の破壊・移植に伴う線条体 L-DOPA・5-HTP およびカテコラミン・アミノ酸活性の変化:脳内微小透析法によるドーパミンおよびセロトニン生合成過程の同時測定を中心とした包括的研究 宮崎大学学術情報リポジトリ (2020)
http://hdl.handle.net/10458/2141
14)難病情報センター パーキンソン病(指定難病6)
https://www.nanbyou.or.jp/entry/169
15)パーキンソン病治療薬の長期服用で生じる副作用のメカニズムを解明
NIPS プレスリリース (2021)
https://www.nips.ac.jp/release/2021/03/post_433.html
16)Prensa L, Cossette M, Parent A, Dopaminergic innervation of human basal ganglia. J Chem Neuroanat., vol.20(3-4): pp.207-213. (2000)
doi: 10.1016/s0891-0618(00)00099-5.
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/11207419/
17)Mitchell J. Vaughn, Nandini Yellamelli, R. Michael Burger, and Julie S. Haas, Sensory ProcessingDopamine receptors D1, D2, and D4 modulate electrical synapses andexcitability in the thalamic reticular nucleus., J Neurophysiol vol.133: pp.374–387, (2025) doi:10.1152/jn.00260.2024
https://journals.physiology.org/doi/epdf/10.1152/jn.00260.2024
18)吉本潤一郎・伊藤真・銅谷賢治 脳の意思決定機構と強化学習 計測と制御 第 52 巻 第 8 号 2013 年 8 月号
https://www.jstage.jst.go.jp/article/sicejl/52/8/52_749/_pdf
19)R H Thompson, A Ménard, M Pombal, S Grillner, Forebrain dopamine depletion impairs motor behavior in lamprey., Eur J Neurosci vol.27(6): pp.1452-1460 (2008). DOI: 10.1111/j.1460-9568.2008.06125.x
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/18336565/
20)ウィキペディア:ドーパミン受容体
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%BC%E3%83%91%E3%83%9F%E3%83%B3%E5%8F%97%E5%AE%B9%E4%BD%93
21)齋藤奈英ほか D1 および D2 ドーパミン受容体を介する神経伝達による
運動制御と学習記憶の仕組みの理解 日本生物学的精神医学会誌 33 巻 3 号 100-105ページ(2022)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsbpjjpp/33/3/33_100/_pdf/-char/ja
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