続・生物学茶話261:脳の不思議な世界(一色出版)について 前半
脳の研究史からはじまって、脳の起源からあらゆる生物の脳について言及するという、まさしく動物の脳について知られていることを全面展開した内容豊富な本です。しかも学術的にきちんと書いてあるので気持ちいいですが、それだけにタイトルから想像できるような一般向けの本ではなく、生物学・医学を学ぼうとする学生あるいはマニア向けと言えます。
第1章はイントロダクションで、カハールとゴルジの論争などが書いてあります。ただ「心の研究」についての著者の意見や立場は明らかにされていません。
第2章で動物系統樹に沿った説明がされていますが、ここで「らせん卵割動物」とされている分類群が出版後大幅にリニューアルされたので改訂が必要かもしれません。腸管神経系について触れられていないのはやや不満があります。腸管神経系は腸を外界として認識し、運動機関として使用する、という脳のプロトタイプとして利用していた先カンブリア時代の動物群がいて、脊椎動物はそこにルーツがあると思うからです。
第3章はプラナリアの脳を中心としたお話で、この生物は栄養吸収を必ずしも腸に頼らないタイプの生物で、腸管神経系を発達させたグループとは別系統だと思いますが、脳を独自に発展させていったようです。体細胞の15%がニューロンだそうでちょっと驚きました。ここでは専門用語がバンバン出てくるので、かなりの知識がないと理解できないと思います。少なくともオプシンとイオンチャネルの関係については図を使って説明すべきだと思いました。
第4章は昆虫の脳についてです。まずこの章の執筆者である上川内あづさ氏・石川由希氏の文章の素晴らしさに舌を巻きました。わかりやすく退屈させません。必要な場所にわかりやすい図が配置されているところにも感心します。ハエの求愛歌の話とか、ハエは交尾したときに精液の味がわかるとか、ミツバチの連合学習とか、シロアリではカーストによって脳の構造が異なるとか、内容的にも興味深いお話が満載です。
第5章はほぼタコの脳についてのモノグラフです。現生動物で最大サイズの脳を持つのはダイオウイカだそうですが、タコの脳もあなどれません。マダコの視覚情報を処理するアマクリン細胞は2500万個あり、それに何しろ足(腕)は8本あってそれぞれの吸盤を制御できるというわけですから、人間には想像不可能なような運動・感覚神経の複雑な制御が行われているに違いありません。それに足には18万個の化学受容細胞があり、何に触ったかがわかるようです。
専門的になりますが、脊椎動物では最も原始的なナメクジウオから哺乳類に至るまでに2回の全ゲノム重複があり、たとえば体の構造を基本的に規定するHоx遺伝子も4倍になっているのですから、様々なバリエーションを作る上で有利でした。それに対して軟体動物ではそのような全ゲノム重複はおこらなかったそうです。にもかかわらずタコと貝では非常に形態が異なります。私たちの体の構造は基本的に魚のヒレを手足に変えると似たようなものなのですが、タコと貝にそのような類似性はありません。
タコのHоx遺伝子はなんとクラスターを形成せず分離して存在することがわかりました(下図)。一度も全ゲノム重複なく進化を成し遂げた理由としてトランスポゾンの作用と、RNA編集によってバラエティに富んだタンパク質がつくられたことが挙げられています。これはホヤについても同様です。ホヤのHox遺伝子もクラスターを形成しておらず、これによって他の脊索動物とはかけ離れた形態をとるようになったと思われます。
QRコードのリンクが切れていたのは残念。軟体動物は私たちとはかけ離れた体の構成を持つ動物なので、研究する意義などないのではないかという考えもあるかもしれませんが、アメフラシの神経やイカの巨大軸索が脳神経系の機能を知る上で果たした巨大な貢献を考えると、このような考えが愚かであることがわかるでしょう。ハエや線虫についても同様です。
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