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2024年5月11日 (土)

続・生物学茶話237:赤核

236で橋と延髄について述べましたが、そこに出ている魚類の脳の図には「中脳(視蓋)+橋+延髄」という脳幹の基本構造がはっきりと見られ、大脳(終脳)、間脳、小脳も私たちと同様に配置されていることがわかります(1)。カンブリア紀のヒレのない原始的魚類も、筋肉の付き方から見てくねくねと体をくねらせて泳ぐことができたと考えられます。そして円口類などの研究から、その行動をおこす神経のパターンは脳幹にある網様体が発生させたと考えられています(2)。これは大型の節足動物から逃げるための手段だと思われますが、その前に敵を目視してその情報を中脳に伝え、脳幹部で逃亡行動を決定しなければなりません。この一連のプロセスがカンブリア紀初期の激烈な生存競争の中で、脊椎動物の祖先が獲得した脳(脳幹部)の機能です。脊椎動物における中脳-橋-延髄-脊髄の連携はこの時代から存在したはずです。円口類が小脳を持っていないことは示唆的です。ヒレや足がなく、単純な動きしかできない生物は小脳がいらないのです。

これからしばらく脳幹に滞留してあれこれ調べてみたいと思います。そのまえにヒトの脳幹部を縦切りで見ておきましょう(図237-1)。カンブリア紀の脊椎動物の脳をイメージすると、この見慣れた図も別の感覚で見えてきます。原始的脊椎動物も臭球-間脳(視床)-中脳-橋-延髄という並びの脳を持っていました。ヒトの場合もこの並びは基本的に同じですが、臭球が異常に拡大して大脳となったことが顕著な進化です。このため頭が重くなって、カンブリア紀から古生代・中生代・新生代に至るまでの伝統であった背骨を地面と平行に保つという姿勢が困難となりました。直立という特殊な姿勢をとることによって、他の動物には珍しいような脊椎の病気(椎間板ヘルニア・脊柱管狭窄症・すべり症・分離症・側湾症など)にかかることも多くなりました。

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図237-1 脳脊髄の縦断面 (ヒトの場合)

図237-2は小脳を除去した背側からの脳幹部です(参照3の図をもとに作成)。脊椎動物が持つ12の主要な脳神経のうち、臭神経と視神経以外の10の神経は、脳幹部から入出力を行っています(4、図237-2)。このうちおそらく最も古くからあるのは迷走神経でしょう。カンブリア紀の激烈な進化の前から、エサを飲み込んだり消化したり排泄したりという生物としての基本動作を行うために必要でした。図237-3は腹側から見た図です。これらの図を見てひとつ気がつくのは、橋と延髄は一体の組織ではありますが、その境界あたりから外転神経・顔面神経・内耳神経・舌咽神経・中間神経が発出しているということがわかります。これが何を意味しているのかはわかりませんが、橋と延髄を区別するマーカーにはなりそうです。またここで分化誘導因子がクリティカルに作用して神経の出入り口を誘導していると思われるので、生化学的な分水嶺も確かに存在しているはずです。

ヒトは大脳を異常に発達させましたが、その旧来の機能である嗅覚は退化させました。マウスの嗅覚受容体は約1000種類もあるそうですが、ヒトでは約350種類に減少しています(5)。それでもそれぞれに対応する遺伝子が約350もあるので、遺伝子のファミリーとしては最大です。脊椎動物の中でも哺乳類は恐竜時代には夜行性だったので、嗅覚は非常に重要だったに違いありません。

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図237-2 小脳を除去した状態での背側から見たヒト脳幹 やお歯科のサイト(参照文献3)にあった図をもとに制作しました

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図237-3 腹側から見たヒト脳幹 川村光毅氏のホームページから引用しました

さて今日は赤核について書こうと思っているのですが、なぜ赤いのかがまず疑問です。Science Directの解説によると、毛細血管が特に密で鉄(=ヘモグロビン)濃度が高いからだそうで(6)、それはこの領域が脳の中でも特に活動的で酸素を大量に消費する重要な場所であることを意味しています。

赤核は中脳の腹側、大脳脚との境目にある黒質緻密部の少し内側に左右一対で存在する領域です(7、8、図237-4)。赤核には一部の生物だけが持つ小細胞領域と一般的な大細胞領域があります。ただしヒトでは大細胞が少なくなっており、図237-5には中間的なマカークサルに関する図(9)を掲載しました。文献9にはネコ、マカーク、ヒトの赤核の構造に関する図が多数掲載されています。

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図237-4 中脳上部の横断面 左の模式図はアキラマガジン(参照文献7)を借用しました。右図は参照文献8からの引用です

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図237-5 マカークサルの赤核および周辺の3D詳細構造  参照文献9の図をもとに作成しました

赤核の機能について記す前に、その系統発生をみておきましょう。赤核は肺魚のような原始的魚類にもみられますが、これを持たない生物もいます。ヘビが持っていないということは、手足がない生物には不要であることを示唆しますが、興味深いのはエイが持っているのに、近縁のサメが持っていないことです。これはエイが将来手足に進化することになる腹びれを有効活用しているのに対して、サメは極めて貧弱な腹びれしか持っておらず、オスはこれをヒレとしてよりメスに精子を渡す道具として用いていることから、赤核が進化しなかったあるいは退化したと考えられます(10、11、図237-6)。

もうひとつ興味深いのは、カエルは立派な赤核を持っていますが、オタマジャクシの段階では赤核から脊髄への投射はみられないということです(12)。つまり手足ができるまで、赤核は機能していないようなのです。

図237-6でサルの仲間だけ(赤のバー)が赤核に小細胞領域という新しいタイプのニューロンを獲得したとされています。ヒトではオレンジ色のバーが消えて赤だけになっています。これは大細胞領域が識別できなくなったということで、大細胞がなくなったということではないと思います。

サルの起源は中生代の最後の時代に生きていたプルガトリウスのような生物だとされていますが、これに似た現代の生物はツパイといわれています(13)。彼らは樹上生活という新機軸を開発しました。おそらく赤核の小細胞領域は手先の精細な感覚とそこからうまれる器用さを獲得するために存在すると思われます(14)。図236-7でクジラがピンクのバーになっていますが、これはよくわからなかったので今回はパスします。

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図237-6 系統発生から見た赤核 参照文献10の図をもとに作成しました

手足を動かすというシステムは魚類が腹びれを動かして移動するという古生代からの伝統のシステムで、赤核大細胞が大脳皮質と脊髄の中間で重要な役割をになっており、これは小脳中位核から情報を引き出すという形で進化してきましたが、サルが開発した新機軸では赤核小細胞-小脳歯状核-下オリーブ核のトライアングルを作って、指の複雑な感覚と運動を制御するという形が付け加わりました(10、15)。このトライアングルはギラン・モラレの三角または小川の三角などと呼ばれています(16)。

このような進化によってサルは木に登る、樹状の果実を上手にとって食べる、道具を使うなどの他の哺乳動物にはできなかった手足の機能を獲得し、私もこうしてPCのキーボードを操作しているというわけです。

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図237-7 大脳皮質-赤核-脊髄を結ぶ2つの径路

 


参照

1)渋めのダージリンはいかが 続・生物学茶話236:橋と延髄
https://morph.way-nifty.com/grey/2024/04/post-0d59a8.html

2)Sten Grillner and Abdeljabbar El Manira, Current Principles of Motor Control, with Special Reference to Vertebrate Locomotion., Physiol. Review vol.100, pp.271-320 (2020)
https://doi.org/10.1152/physrev.00015.2019

3)Yao dental clinic
http://www.chukai.ne.jp/~myaon80/base-med-1a-nerve.htm

4)続・生物学茶話210 脳神経整理
https://morph.way-nifty.com/grey/2023/05/post-9e5720.html

5)東邦大学理学部生物学科HP アロマと嗅覚、そしてストレス
https://www.toho-u.ac.jp/sci/bio/column/035599.html

6)B.L. Walter, A.G. Shaikh, Encyclopedia of the Neurological Sciences (Second Edition), 2014
https://www.sciencedirect.com/topics/immunology-and-microbiology/red-nucleus

7)Akira Magazine 中脳
https://www.akira3132.info/midbrain.html

8)Gianpaolo Antonio Basile et al., Red nucleus structure and function: from anatomy to clinical neurosciences., Brain Structure and Function., vol.226: pp.69–91, (2021)
https://doi.org/10.1007/s00429-020-02171-x
https://link.springer.com/article/10.1007/s00429-020-02171-x

9)Satoru Onodera and T. Philip Hicks, A Comparative Neuroanatomical Study of the Red
Nucleus of the Cat, Macaque and Human., PLoS ONE 4(8): e6623 (2009)
doi:10.1371/journal.pone.0006623
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/19675676/

10)大屋知徹、関和彦、 中脳赤核と運動機能 ―系統発生的観点から―
脊髄外科 VOL.28, NO.3, pp.258-263,(2014)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/spinalsurg/28/3/28_258/_pdf

11)豊海おさかなミュージアム 
https://museum.suisan-shinkou.or.jp/guide/im-shark/3190/

12)H. J. ten Donkelaar & R. de Boer-van Huizen
Observations on the development of descending pathways from the brain stem to the spinal cord in the clawed toad Xenopus laevis.,
Anatomy and Embryology Volume 163, pages 461–473, (1982)
https://doi.org/10.1007/BF00305559
https://link.springer.com/article/10.1007/BF00305559

13)ヒトは何を食べてヒトになったか
https://www.ne.jp/asahi/agricola/nobui/report/foodhistory_1b.pdf

14)京都大学情報リポジトリ 中枢損傷によって失われた精緻運動機能の回復
https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/192771/29/spe_282.pdf

15)栢原(かよはら)哲郎、小形晶子 マウス赤核の神経線維連絡 神戸学院総合リハビリテーション研究 vol.7, no.2, pp.147-162
http://www.reha.kobegakuin.ac.jp/~rehgakai/journal/files/no7-2/ronbun15.pdf

16)新井信隆 神経病理解析室からのつぶやき
https://pathologycenter.jp/kiasma/jo44rqjst-14304/?block_id=14304&active_action=journal_view_main_detail&post_id=484&comment_flag=1

 

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