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2023年10月20日 (金)

多和田葉子 「百年の散歩」

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ドイツというのはきちんとした国です。田舎に行くと4つ辻は几帳面にロータリーになっていて、真っ直ぐに進めないのでスピードは落ちますが信号待ちはありません。実に合理的です。日本人は車などめったに通らない交差点でも、人も車も青になるのをじっと待っています。几帳面のように見えますがこれは非効率です。日本では農業をやっているのはほとんど年配者ですが、ドイツではちゃんと若い人もやっています。行き当たりばったりじゃなくて、きちんと居るべきところに人が配置されるように、計画的に政治が行われているのです。サステナビリティとはそういうことでしょう。本当に人が足りなくなってきてから、バタバタやっている日本の政府とはわけが違います。

ドイツに住んでいる神保町の本屋の娘がノーベル賞候補になっているという話を聞いて興味をそそられ、その人=多和田葉子の作品「百年の散歩」を買って読んでみました。

この本のレネー・シンテニス広場の章をみると、雪が降ると早朝に誰かが来てきれいに雪かきしてくれると書いてあります。ベンチに落ち葉一つありません。そういう人を市が雇用しているからで、ドイツ人はたとえ右翼が反対しても必要な人は移民を入れて補充し、きちんと街を運営します。東京も昔は早朝に清掃車が主要な道路を回ってゴミを回収していました。ですからみんなが活動を始める頃にはチリ一つ落ちていない道路になっていました。ベルリンにはホームレスのための食堂があって、お金のない人は無料、ある人は3ユーロで食事を提供してくれるそうです(この本にもでてきます)。それはもちろん市が補助金を出しているからで、民間団体が公園で長い行列を作るホームレスに食事を配っている東京とは雲泥の差です。ホームレスが列をつくるのがみっともないと思うなら、山手線の駅ごとにひとつづづくらいこんな食堂を設置しなさい。

この本で初めて知ったのですが、ベルリンはフランスを追い出されたユグノー派(プロテスタント)のフランス人が作った街だそうです。レネー・シンテニスはゴールデンベアー賞で授与されるゴールデンベアーの彫刻を制作したアーティストだそうです。著者はどこかドイツ的でないものが散在するベルリンの街をあてもなく散歩しながら、デラシネのようでもあり、現代の鏡のようでもある心の情景を果てしなく放出します。

読者の何割かはグーグルマップで著者が歩いた道をたどりながらこの本を読むと思いますが、私もそのひとりです。これは天才小説家が思うままに書いたエッセイではなくて、バックグラウンドには常に歴史とか文学とか政治とかについて、アカデミズムの立場から吟味しているという通奏低音が流れています。巨大な根の上に気ままに咲いた花でしょうか。著者の経歴をみると博士の学位を持った人だそうで、なるほどね。でも著者は部屋でアカデミズムに浸っていられる人ではなくて、散歩する人なのです(部屋にこもっているとひからびるそうで)。

著者は森羅万象、食べ物から社会評論までさまざまなことに言及していますが、不思議なことに私の知らないことは別として「それは違うよね」と反論したくなるような記述がありませんでした。私の印象に残ったフレーズを紹介します「私は都会の木が好きだ。それぞれが孤独に大陸を歩いて横切って、やっとベルリンに到着したように見える・・・・・そして、わたしのようになぜきたのか説明はできないけれどもベルリン以外のどんな町にも住みたくないといつのまにか思い込んでいる木もあるだろう」「私は一生どこにもいきつかないことを誓います!」 ただ衝撃的なフレーズがひとつありました。それは「これまでの人生を振り返ってみても充たされた時間は、一人知らない土地を彷徨っていた時間ばかりだ」。著者は自分とは全く違う人種だと思い知らされました。

最終章はマヤコフスキー・リングという名前で、マヤコフスキーという人は知らなかったので調べてみたら、ロシアの詩人で葬儀の際には15万人の人が参列したという著名人でびっくりしました。リングという構造が街のあちこちにあるというのは良いデザインだと思います。用のある車はリングには進入しないので、静かな場所になります。この章でこの本にたびたび登場する「あのひと」の正体が明かされます。

この本で知ったのですがベルリンの通りや広場には歴史が刻み込まれており、そのネーミングには歴史を忘れないようにしようという意図が強く感じられます。歴史を忘れ去ろうとする日本人は、また同じ失敗を繰り返すのではないかと危惧します。少なくとも太平洋戦争に反対して命を落とした人々を記念する公園はひとつ存在するべきだと思いますね。

 

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