半島のマリア 第4話:ラ・ボエーム
はっきりした目標ができると、モチベーションはもちろん高まる。夏が近づくと演奏は結構手慣れた感じになってきて、レパートリー、といってもカバーばかりだが10曲くらいは何とかなりそうだった。曲目についてはバンドメンバーが好きな曲をそのままやるんじゃなくて、玲華の声質にあわせてまず達矢が慎重に選曲し、さらにメンバーがふるいにかけるという手順を踏んで決めた。誰もが知っている曲とあまり人に知られていない曲をバランスよく組み合わせることに気を配った。
しかしオリジナルが1曲もないんじゃアマチュアバンドとしてもかっこわるいということで、京子と早智が苦心してなんとか数曲を作った。早智は若いのに古い音楽が好きで、達矢が若いころによく聴いたような音楽も結構勉強しているようだった。出来上がった曲もミディアムスローのしっかりしたメロディーラインのものが多くて、達矢の世代には何の抵抗もなく受け入れられるものだった。却ってこのような曲が今の時代に受け入れられるだろうかという心配が先に立った。しかしCMなどでもやたらとオールディーズが流れている昨今だから、逆に受け入れられるのではないかと達矢は自分に言い聞かせることにした。
作詞は京子が担当した。達矢はこの分野は作曲以上に無縁の徒だったので、どう評価したものかさっぱり分からなかったが、京子は大苦戦の早智に比べてあまり苦労もしないで作業をすすめているようだった。京子に多少なりとも作詞の才能がありそうだという発見は思わぬ収穫だった。楽譜も京子がつくってくれた。このバンドをまとめられるのは京子だけかもしれない。
素人集団の作業だったが、力を合わせて何かをつくるというのは、本当にエキサイティングで楽しい経験だった。メンバー同士の絆もより深くなったと感じられた。もし彼女たちがギターを教えてくれと言ったときに断っていたら、これらのすべては起こらなかったのだ。こんなすばらしい人生の1ページができたのだから、東京でボロボロになってもいいじゃないか。またここに帰ってくればいい。
バンドの名前は京子の提案で「REIKA with Basil」ということになった。ピンと来たわけではないが、達矢もこれといったアイデアはなかったのでとりあえず了承した。渋谷でオーディションを毎月やっているライブハウスがあると聞いていたので、達矢の自宅で収録した演奏をUSBメモリーで送ったら、なんと数日後に一度うちでライヴをやってみたらという好感触の返事が来た。
このチャンスを逃してはならない。達矢は早速渋谷まで出向いて店長に会ったみた。店長は中井というやせぎすの中年の男だった。ちらちらと上目遣いに人を見る神経質そうな感じの男だったが、言葉遣いはあくまでも慇懃だった。数グループのアマチュアバンドが出演するライヴで、2-3曲づつ演奏するということであった。達矢はその場で中井が経営する渋谷のライヴハウス「ラ・ボエーム」の9月の出演を決めた。
具体的に日取りが決まったということで、さらに練習には熱が入る。達矢はこんどはブレーキをかける方に回らざるを得なかった。肝心なときに誰かが倒れたりしたら、特に玲華の声が変調をきたしたら今までの努力が水の泡だ。
こんなに簡単にステージに立つことができる、お客さんに聴いてもらえることができるとは拍子抜けだった。みんな舞い上がってしまって、明日にでも売れっ子バンドになれそうな勢いだったが、それがステージではよい方向に出て、達矢が見ても実力を存分に発揮出たと思う演奏だった。それに答えて客席の反応も上々だった。ここまではこれ以上ないくらいうまくいったといえるが、これでプロへの道が開けた訳じゃない。と気持ちを引き締めていたとき、後ろから中井が達矢の肩をたたいて言った。「ちょっと事務所の方にきてもらえませんか」 くたびれたソファーを勧められて腰をおろすと、中井は如才なく笑って見せながら「どうです、また11月に今日みたいな感じでやってみませんか」と誘ってきた。達矢はもちろん一も二もなく応諾し、懐から十万円はいった封筒をとりだして、中井に差し出した。次回の出演をお願いするため、田所があらかじめ用意していたものだ。
「なんですか? こういうのは困りますよ」と中井は受け取らなかった。しかし達矢は言葉を継いだ。「いや私たちは芸能界に知り合いもいないし、中井さんにはこれからもお世話になるわけですし」としばらく押し問答になったが、しばらくの沈黙のあと中井が「じゃあ今度は然るべきところにチケットを回しておきましょう。あと玲華ちゃんといいましたか。彼女はたいした原石だと思いますよ。知り合いにボイストレーナーがいるので面倒見てあげるようにいっておきましょうか」と折れてきた。達矢は何度も頭を下げながら「それは渡りに船だ。是非よろしくお願いします」と中井の手を握った。
2ヶ月はあっという間に過ぎる。出演の日が近づいたある日、達矢はバンドメンバーを集めてはじめて真顔で話した。そこで「今度が正念場だ。然るべき人が見に来てくれる可能性があるし、チャンスは1回しかないかもしれないぞ。ベストを尽くそう」とハッパをかけるつもりだったのが、実際に口をついてでてきたのは「5人でしっかりと手をつないで、今度も楽しい演奏をしよう」という言葉だった。
気合いの入ったリハーサルを十分に重ねた結果、11月のライヴは9月以上に素晴らしいデキだった。達矢自身も緊張のなかでも十分楽しめたくらいで、よけいなプレッシャーをかけたりしないでよかったなと胸をなでおろした。ライヴのあとで、中井は一人の男を紹介してくれた。男はきちんとしたブランドものらしいスーツに身を包み、サラリーマンとしてはちょっと派手すぎる大きな花柄のネクタイを緩めに締めていた。年は田所と同じくらいだろうか。
「こちらはバンドの後見の田所さん。こちらはマノスミュージックの長谷川さんで、うちにもときどき足を運んでくださるんですよ」
名刺を見ると、マノスミュージックエンターテインメント、企画部・部長 長谷川達夫とあった。達矢は自分も財布から名刺を出そうとしたが、それが会社の名刺だと気が付き、あわてて「名刺を切らして申し訳ありませんと」謝った。体中に冷や汗がどっとふきだした。長谷川は挨拶が終わるなり、いきなり「田所さんですか。バジルなかなかいいじゃないですか。どうでしょう、うちで面倒見る方向で検討させてもらえませんか」といきなり切り出した。達矢は突然のことだったのでどぎまぎしながら「いやー、そういうことになれば願ってもないことですが、その際は本当によろしくお願いします」と深々と頭を下げた。
「玲華君でしたっけ。彼女の素質は大いに買っていますよ」と最後にそう言って、長谷川はやはり背広姿の若い男と連れだって立ち去った。達矢と玲華達一同は、まるで凱旋する軍隊のように半島に引き上げた。引き上げてしばらくしてから、あのとき長谷川が言ったことは、単にその場の雰囲気に任せて、たいした意味もなく口をついてでた挨拶みたいなものだったのかもしれない、という疑念が達矢の頭をよぎったが、まもなくそうではないことが明らかになった。マノス社から電話がかかってきたのだ。
達矢は指定された通り会社を訪れた。青山通りに面した一等地に建つビルの2Fと3Fを占める会社の一室に、長谷川と数人の若い男女が待っていた。達矢がはいっていくと、長谷川が出迎え
「遠くからお運びいただきまして恐れ入ります。バジルの件についてはこの高野君に任せますので、こちらで話を聞いてやってください」と言いおいて出ていった。すぐにその高野という30過ぎ位の長身でハンサムな男が、名刺を取り出しながら話しかけてきた。こんどは達矢も名刺を用意しておいた。田所音楽スクール校長・田所達矢という名刺ができあがってきたとき自分でも恥ずかしかったが、こうとでも書くしかなかろう。高野は長テーブルの角の席を達也に勧めた。高野と他に2人のスタッフが席に着いた。高野の話では、驚くべきことにもう玲華たちを売り出すための担当者が決まって、今日が3回目の会議だというのだ。
「私たちは皆玲華ちゃんの素質を認めています。こんなに皆の意見が一致することなんて珍しいんですよ。で、ひとつ言いにくいことなんですが、バンドにこだわらずに彼女の将来を考えてみたいんですよ」と突然高野が切り出した。達矢にとっては寝耳の水の話だった。
「え、それはバンドを解散しろってことですか」と達矢は少し慌てて聞き直した。
「いや・・・」と高野は口を濁したが、その後は気まずい沈黙がしばらく続いた。達矢は茫然自失状態から回復するにつれて、次第に興奮してくる気持ちを抑えることができなかった。
「5人はもともと友達で、そもそものはじまりから共に練習し、喜怒哀楽を共にしてきたんですよ。高校生のバンドだって堂々とデビューしてるでしょう。夏休みにツァーをやってる連中だっているんだ。若いんだからやってるうちにどんどんうまくなります。彼女たちにはそれができないっていう根拠でもあるんですか」
「いやそういう訳じゃないんですが、玲華ちゃんの場合ちょっと違うでしょう。」
テーブルの奥の方からも、次々と遠慮無い言葉が投げつけられた。「恰好さえ付いてればなんでもいいってわけにはいかないんですよ。ちゃんと個々のキャラクターとか資質とか考えてプロジェクトを組んでいかないとね」「学芸会に毛の生えたようなのをやってるところもありますけど、うちはそういうのはやらないんですよ」「仲良しクラブじゃないんだから、勘違いされちゃ困るんだよね」
高野は「まあまあそんなに最初からガンガンやらなくても」と納めにかかったが、会議の雰囲気はすっかりしらけた。達矢はやっと「この件については持ち帰って、頭を冷やして考えてから出直したいと思います」と頭を下げて呆然と部屋を出た。しかし廊下を歩いているうちに、おみやげに持参した菓子折の袋をまだ手に下げていることに気がついて、会議室にとってかえすことにした。前まで来るとドアが少し開いていて、隙間から声がもれてきた。
「玲華ちゃんもかわいそう。あんなじじいがくっついてるんじゃ苦労するよな」
「まったく先が思いやられるわね」
「あのバンドは使えないってことがわからないんだから困っちゃうなあ」
などと口々に達矢を非難する言葉が聞こえてきた。
達矢は踵を返して足早にその場を立ち去った。
ビルを一歩出ると外はもう暗くて寒い。そういえばもう12月だ。青山通りに出てみると、クリスマスのイルミネーションがそこここに点滅している。しかし達矢にはまるでそれが奈落の底まで続いているように思われた。今日のことをどう彼女たちに伝えるかを考えると、頭が肩にめり込みそうな気分だ。しかし足はゆるゆるながらも勝手に進む。そうしてどんどん道を下っていくと、奈落の底は渋谷だった。
渋谷の喫茶店で少し頭を冷やすことにした。会議室で投げつけられた言葉は、すべて達矢も頭の片隅では気がついていたことだった。玲華をロックバンドにはめ込もうというのはやはり無理なのだ。ただ自分が作ったバンドのことだから、いろんな不安や問題点は練習を重ねることで解決できると自分に思いこませていたのかもしれない。いや、もう一度うちのバンドでコンセプトを練り直してもらうよう頼むべきじゃないのか。いろいろな考えが頭をよぎる。不意にとりあえず高野に電話しなければと思いつき会社に電話したら、もう9時を過ぎていたがまだ高野が居たので、達矢は今日の会議で興奮したことを謝罪した。高野という男は思ったとおり冷静な男だった。
「まあ長い目で考えましょう。今日明日決めなくちゃいけないってことじゃありませんし」とかえって慰めるような言葉を返してくれた。この業界で会社に捨てられたらゴミ同然であることは、もともと内部の人間じゃない達矢にもわかる。「何とか説得してみますから、少し時間をください」と電話の前で頭を下げている自分は情けないが、それ以上に今言ったことを本当に実行しようとしている自分がみじめだ。
| 固定リンク | 0
「小説(story)」カテゴリの記事
- 相貌失認(ショートショート)(2025.05.22)
- あの自動販売機まで せーので走ってみよう(2024.05.02)
- 「半島のマリア」はこんな物語です(2024.02.29)
- 半島のマリア 第14話:捜査(第1話 風穴 から続く)(2024.01.09)
- 半島のマリア 第13話:ドローン(2024.01.06)



コメント