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2023年9月11日 (月)

続・生物学茶話220: 多光子顕微鏡

続・生物学茶話193(1)で2光子顕微鏡についてすでに少し取り扱っています。しかし193は脳の老廃物廃棄システムという話題を主としていましたし、新たに3光子(多光子)顕微鏡などについても述べるためにここで別項を設けました。一部193の話題も引用しながら述べようと思います。

脳科学辞典によると多光子顕微鏡は「蛍光分子は光子を吸収して10~15秒程度で励起状態に遷移し、10-9~10-8秒程度の時間(蛍光寿命という)ののちに光子を放出して基底状態に戻る。自然界に一般的に見られる蛍光現象は1つの光子が1つの蛍光色素分子に吸収される1光子励起によるものである。ところが、特殊な条件下では2個以上の光子が一度に1つの蛍光色素分子に吸収される多光子励起とよばれる現象が発生する。この多光子励起による蛍光を利用して蛍光分子の分布を光学的に観察する顕微鏡を多光子顕微鏡と呼んでいる。」と説明されています(2)。

ここで言う特殊な条件下とはどういう条件なのでしょうか? 通常の蛍光顕微鏡や共焦点顕微鏡観察では蛍光分子を紫外光・可視光で励起して、基底状態に戻るときに発出する蛍光を観察します。この場合ひとつの光子が蛍光分子に当たって、蛍光分子が励起状態に遷移します。しかしエネルギーが低い(波長の長い)近赤外域の光を当てた場合も、低い確率ですが2つの光子によって同様に蛍光分子が励起状態に遷移する場合があります(2、3)。1つの光子で励起した場合と2つの光子で励起した場合でその励起状態の分子構造が違うというデータがありますが(4)、エネルギーレベルはほぼ同じなので結果的に同様な蛍光が観察され、顕微鏡を利用する立場としては気にしなくてもよいようです。

1光子励起と2光子励起(図220-1)には次のような違いがあります。

1.2光子で励起する場合、1光子励起の場合に比べてひとつの光子のエネルギ-は半分で良い。したがって波長が2倍の光子(赤外域)で励起できる。

2.2光子励起は1光子励起よりも非常に起こる確率が低く、実用的にするためには照射する光子の密度を高める必要がある。

2のため超短パルスレーザーという特殊な装置が必要ですが、光子密度の高い対物レンズの焦点付近の蛍光分子だけを励起できるという利点もあります。1については、波長の長い近赤外域の光を使えるので組織浸透性が高い(散乱が少ない)という利点があります。これらについてはまた後に述べます。

2光子励起の原理についてはマリア・ゲッパート=メイヤーが理論的予測を1931年に行っていましたが(5)、当時は超短パルスレーザーという装置がなかったので、現象を実験的に確認することはできませんでした。マリア・ゲッパート=メイヤーは原子核の安定性に関する研究で1963年にノーベル物理学賞を受賞しています。

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図220-1 1光子励起と2光子励起

共焦点顕微鏡も含めて通常の蛍光顕微鏡では、図220-2B-bのように集光点前後の鼓型の領域(ランプシェード)全体の蛍光分子が励起されバックグラウンドが増えてしまいますが、2光子顕微鏡の場合2光子による励起は非常に光子密度が高い状態だけで起こる現象なので、図220-2B-cのように集光点近傍でしか起きません。したがって集光点の深度を変えて撮影しコンピュータで処理すれば、バックグランドの低い鮮明な立体画像が得られます。

また励起光が赤外線領域の光なので試料を透過しやすく、標本の深部まで観察することができます。したがって切片を作成しなくても、スライスや生きたままの生物試料を観察できます。この特徴は1光子顕微鏡より2光子顕微鏡、2光子顕微鏡より3光子顕微鏡を用いればより深い場所まで観察できることを意味します。

2光子顕微鏡が実用上すぐれているのは、ランプシェード領域にある自家蛍光の影響も軽減できるという点で、しばしば致命的な悪影響を与える自家蛍光のバックグラウンドを軽減できるというのは革命的です。

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図220-2 2光子顕微鏡のしくみ

1光子励起による蛍光顕微鏡では既述のような理由で切片のような薄いシートを作らないと検鏡できませんが、2光子顕微鏡では数百マイクロメートル程度の深度までは検鏡できます(6、図220-3B)。それより深い部分を見るには3光子顕微鏡を用いる必要があります。このためには1300nmの赤外線を用いる必要があります。図220-3Aに示してあるように、1光子励起の場合、励起が起こる確率は光子数に比例しますが(S∝I、線形)、3光子励起の場合光子数の3乗に比例します(S∝Iの3乗、非線形)。

したがって十分な励起分子を得ようとすると、大量の光子が必要になります。赤外線を照射すると熱が発生することも考慮しなければならないので、現在実用的なのは3光子顕微鏡までということになります。3光子顕微鏡を用いれば900μmの深度でもコントラストが良好な画像を得ることができます(図220-3B)。アクバリらによれば1200μmの深度でも良好なコントラストの画像が得られることが示されています(7)。マウスの大脳皮質の厚みは800μm程度であり、この深度はそれをはるかに超えているので、マウスの頭蓋骨をはがしてガラスに変えればほとんどの脳の活動を生きたまま観察できるということになります。

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図220-3 2光子励起と3光子励起

図220-4は実際に生きているマウスの海馬錐体細胞の活動を記録したデータです(8、9)。近い未来に記憶という行為を実行しつつある海馬細胞およびそのネットワークの活動を、リアルタイムで観察した論文が出版されるに違いありません。これはかなりエキサイティングですが、最近の論文の出方をみるとどうもこの分野の主戦場は中国になりそうです。

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図220-4 3光子顕微鏡によるマウス脳の観察

参照

1)続・生物学茶話193: 脳の老廃物廃棄システム
https://morph.way-nifty.com/grey/2022/11/post-dc75c3.html

2)脳科学辞典 2光子顕微鏡(多光子顕微鏡)とは
https://bsd.neuroinf.jp/wiki/2%E5%85%89%E5%AD%90%E9%A1%95%E5%BE%AE%E9%8F%A1

3)藤崎久雄 ビデオレート2光子顕微鏡 生物物理 vol.40. no.3, pp.195-198 (2000)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/biophys/40/3/40_3_195/_pdf/-char/ja

4)細井晴子、山口祥一、水野秀昭、宮脇敦史、田原太平  理研研究紹介 蛍光タンパク質の隠れた電子励起状態
http://www2.riken.jp/ExtremePhotonics/ultrafast/No.13.pdf

5)Über Elementarakte mit zwei Quantensprüngen. Annal Physik vol.9, pp.273-294 (1931)
https://bsd.neuroinf.jp/w/images/9/99/Goeppert-Mayer_1931.pdf

6)本谷友作 3 光子顕微鏡による生体深部のイメージング 生物工学会誌 第 100 巻 第 7 号 pp.371–374 (2022)  DOI: 10.34565/seibutsukogaku.100.7_371
file:///C:/Users/Owner/Desktop/220/%E2%97%8B3%20%E5%85%89%E5%AD%90%E9%A1%95%E5%BE%AE%E9%8F%A1%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E7%94%9F%E4%BD%93%E6%B7%B1%E9%83%A8%E3%81%AE%E3%82%A4%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%B3%E3%82%B0.pdf

7)Najva Akbari, Mihailo R Rebec, Fei Xia, and Chris Xu, Imaging deeper than the transport mean free path with multiphoton microscopy., Biomedical Optics Express Vol. 13, Issue 1, pp. 452-463 (2022) https://doi.org/10.1364/BOE.444696
https://opg.optica.org/boe/fulltext.cfm?uri=boe-13-1-452&id=466263

8)Yujie Xiao, Peng Deng, Yaoguang Zhao, Shasha Yang and Bo Li, Three-photon excited fluorescence imaging in neuroscience: From principles to applications., Frontiers in Neuroscience 17, 1085682 doi: 10.3389/fnins.2023.1085682
file:///C:/Users/Owner/Desktop/3%20photon%20microscopy%20mouse%20brain.pdf

9)Ouzounov, D. G., Wang, T., Wang, M., Feng, D. D., Horton, N. G., Cruz-Hernández,
J. C., et al. (2017). In vivo three-photon imaging of activity of GcamP6-labeled neurons
deep in intact mouse brain. Nat. Methods 14, 388–390. doi: 10.1038/nmeth.4183
https://www.nature.com/articles/nmeth.4183

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