「退院」 - newly written
ジャクリーヌ・デュプレ
退院
いかにも自信家らしい脳外科医が言った。
「人の顔が識別できなくなったということですが、専門的には相貌失認といいます。この病気は最新の技術で治療できるようになりました。AIのマイクロチップを脳に埋め込めば直ります。保険も適用できますから大丈夫ですよ。手術しますか」
私は妻に先立たれ子供も居ないので、もう勤めは辞めたし人の顔が識別できなくても特に不都合は無い・・・と思うのは早計だ。私の家はいわゆる団地なんだが、週に一度市と契約している見回り人が来て私の状態を確認することになっている。いわゆる孤独死のまま放置されるのを防ぐためだ。もちろん本人のためではなく、市や管理者の便宜のためだ。実際身寄りのない老人が孤独死したまま放置されると、市や管理人は大量の余計な仕事を抱え込むことになる。また週に2回家事手伝いの人を頼んでいるので、やはり人の顔を記憶できない識別できないということは、頼んでいる人の代わりに泥棒が来てもわからない ということなので致命的だ。
医師には「手術します」と答えるほかない。外科医は満面の笑みをうかべ「それはよい決断です。ただし病気になってから手術の前までに会った人の顔を思い出すことはできませんよ。手術後に見た人の顔を覚えることができるという手術だということをご理解ください。ただまだ例数がそれほど多くない手術なので、予想しないことが起こる確率はゼロではありません」と説明してくれた。私は了解した。
私は手続きをすませ、2週間くらい経った頃K病院に入院して手術した。以前にこの病院の近傍で仕事をしていたことがあるので土地勘はあった。だから退院して帰宅するときも当然ひとりで帰宅できると思っていた。手術はとりあえず成功した。開頭したのでしばらく病院生活を送らなければならない。その間友人がひとりだけ見舞いに来てくれた。昔勤めていた会社の同僚だ。彼の顔を覚えていて本当に良かったと思う。
入院している間、担当の看護師とはいろいろな話をした。彼女はまだ仕事をはじめて2年目だったがなんでも手際よくやっていた。それに私と同じFCバルセロナのファンだったのでつい盛り上がってしまって、同室の患者の顰蹙を買ったこともあった。考えてみるとFCバルセロナのファンと親しくお話しするのははじめてだったし、今後の私の人生でもありそうになかった。
ある意味自宅にいるより楽しい入院生活だったがそれも終わる時が来た。朝のさわやかな空気の中で、担当看護師が私を送り出してくれた。「長い間有り難うございました」と言って、私はドアを開けた。ドアのそばの花壇には夏のバラが咲いていた。看護師に手を振って、私はバス停に向かって歩き出した。両側に高く鬱蒼と成長した木々が並ぶ真っ直ぐな並木道だ。昔来たときよりも樹木は明らかに生長していた。セミがうるさく鳴いていた。
退院の開放感に浸りながら私はゆっくりとバス停まで歩いた。ちょうどバスがやってきたので何の疑問もなく乗り込んだ。駅は確か5つめの停留所のすぐ近くだ。ちょっと考え事をして、そろそろだなと窓からあたりの景色をみると、おやっ、知らない景色だ。私はあわてて電光掲示板を見た。全く記憶にない名前の停留所が並んでいた。
私は慌てて次で降りて、病院までもどらなくてはと道路を横断して道路の反対側にあるはずの停留所を探したが、どこにも停留所は見当たらなかった。どうも循環型のコミュニティーバスだったらしい。昔はそんなのはなかった。時刻表を見ると次のバスは3時間後だ。今日の午後には見回り人が自宅に来る手はずになっていて退院の報告をしなければならないので、それでは間に合わない。
仕方がないのでスマホを取り出して、タクシーを呼ぼうとした。ところがなんとしたことかスマホをうまく操作できない。病気のせいか手術のせいかわからないのだが、指の動きが不安定でなかなか思い通りにいかなくなっていた。全身から血が引いていくような感覚の中で、私は道路に座りこんだ。
私の病んだ脳はそれでも私を叱咤激励する機能は保持していた。私は立ち上がった。そう、頑張って道でタクシーを捕まえよう。タクシーを捕まえて駅に行かなければならない。しかし見知らぬ街でどこにいればタクシーを捕まえられるかわからない。10分くらい待ったが空タクシーは1台も通らなかった。少し周辺をうろうろして大通りがどこにあるか探したが、交通量の多い道はみつからなかった。
タクシー会社の電話番号を誰かに訊くしかないかもしれない。うろついているうちにようやくカフェ併設の洋菓子屋をみつけて一休みすることにした。窓際に席を取ると年配の婦人がすぐにやってきて「いらっしゃいませ。うちはモーニングはやってないけど、今の時間だとケーキをつけるとコーヒー半額になります」というので、私はチーズケーキとコーヒーを注文してやっと落ち着いた気分になった。
勘定をすませてから、ようやく私の本題を切り出した。「ところでこのあたりのタクシー会社の電話番号をご存じありませんか」と尋ねると、婦人は「タクシーはあまり使わないからわからないけど、調べてあげましょうか」と言ったので、私は渡りに舟でスマホを取り出し、「手が不自由でうまくつかえないので、お願いします」と彼女にスマホを手渡した。婦人は首尾良くタクシー会社と連絡ができたようだ。「5~6分で来るらしいから、席で待っててください」と元の席を指さした。有難い・・・助かった。
タクシーに乗り込んでほっとしたが、運転手に「どちらまで」と訊かれて、私はまた奈落の底に突き落とされた。駅の名前を思い出せないのだ。仕方なく「ここから一番近い電車の駅までお願いします」と言った。運転手は無言で5分くらい走って見知らぬ駅の前で私を降ろした。
幸いにして自宅の近傍の駅の名前は覚えていたので、駅員にその駅までどうやって行ったらいいかを訊いた。駅員は事務室にいた別の駅員を呼んで、私はその別の駅員に事務室で説明してもらった。結局紙に書いてもらってそれを渡してもらうことになった。有難い。看護師、ケーキ屋、駅員、生身の人間は少なくとも仕事にかかわることには親切なのだ。電車のなかで私はそんな人々の顔を思い出し、手術は成功したんだと確信した。
付記:ジャクリーヌ・デュ・プレ(Jacqueline du Pré) は英国の名チェリスト。指が動かなくなる病気のため12年間しか活動できなかった。早逝した彼女を偲んで、その名のバラの品種がつくられた。
ジャクリーヌ・デュプレの演奏
https://www.youtube.com/watch?v=5jgIglWnPUI
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