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2023年6月11日 (日)

続・生物学茶話213:小脳とは

小脳は脊椎動物だけが持っている脳の部品です。脳の分節は脊椎動物と最も近縁とされている尾索動物の幼生などにも出現しますが、まだ小脳らしき部域は無いようです(1)。成体のホヤでは分節すらなくなり、brain ではなく cerebral ganglion と呼ばれています(2)。成体のホヤにも表層・胃・心臓・サイフォンなどには筋肉があり神経も配備されていますが、それらを適切に動かすには非常に簡単な神経系でも事足りるのでしょう。

脳の分節はおそらくPCで言えばグラフィックボードが必要になったときに始まったのでしょう。プランクトン的、あるいは植物的生き方をしている生物は、ホヤのようなわれわれと近縁な生物でも脳とは言えないようなシンプルな中枢で事足りているわけですから、脳の分節化など必要なかったでしょう。しかし周りにエサがなくなり、眼で探して移動しなければならなくなったとき、呼吸や摂食(どちらも海水を吸い込む動作なのである意味一体ともいえます)のような基礎的情報処理と、全く別の情報処理を行なう画像解析は、信号の混在を避けてそれぞれ独立した部域に分離した方がエラーが少なく、そのようなシステムを獲得した生物が生き延びたのでしょう。

さらに眼でエサの位置を特定したら、そこに移動しなければなりません。そのためには画像による位置情報と移動するための筋肉をどう動かすかという指示を頻繁にアップデートしながらエサに接近しなければいけません。このようなシステムを実現するために始原的な脳の前方に中脳ができて、おそらくエディアカラ紀の終わり頃に脳の分節化がはじまったと思われます。

そこで次に小脳ですが、これはおそらくカンブリア紀になって弱肉強食の世界がはじまってから、天敵から逃れるために高度な運動が必要になった結果生まれたと想像されます。小脳を発達させてうまく逃亡するようになったエサを捕らえるためには、捕食者もエサ以上の高度な遊泳能力を備えなければいけません。このような切磋琢磨から魚類は小脳を発達させていったのでしょう。

ではとりあえず哺乳類小脳の形態から見ていきましょう。すべての脊椎動物の小脳(ピンク色の部分ー上図、オレンジ色-下図)は後脳(橋+延髄)の背側にあります。哺乳類も例外ではありません(3、図213-1)。脳科学辞典によると、小脳は「ヒトでは脳全体の15%程度の容積しかないが、脳全体の神経細胞の約半分が存在する」と記述されています(4)。

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図213-1 脊椎動物 脳の比較と小脳の部域の名称

小脳にもいくつか解剖学的パーツがありますが、片葉・小節は始原的な部分、虫部は次に古い部分で、発生過程でもこの順にできてきます(4、図213-1)。小脳脚は脳科学辞典の小脳の項目の図には掲載されていないパーツですが、小脳の入出力を担当する部分です(5、図213-1)。

小脳の主要部分である半球の断面は図213-2のようになっています(4)。この図に線維と書いてありますが、これが細胞生物学の分野の人間にとっては困った表現で、線維と言われると普通マイクロフィラメント、微小管、中間系線維あるいはコラーゲンファイバーなどのタンパク質のポリマーを意味するのですが、脳神経科学の分野ではこれが細胞の一部(軸索)を意味するのですから混乱します。図213-2のソースは脳科学辞典ですが、なにもキャプションがないので、PC, ac, gl が何を意味しているかわかりません。またいくつか破線がありますが下降の矢印がついている破線は何を表しているのかわかりません。是非説明を追加してもらいたいものです。

図213-2をみると、最も表層に近い部域は分子層と呼ばれ、星状細胞やバスケット細胞という抑制性介在ニューロンがあります。プルキンエ細胞の膨大な樹状突起や顆粒細胞の軸索である平行線維もこの部域の主要な構成要素です。分子層のすぐ内側にプルキンエ細胞が並んでいる細胞層があります。この層はモノレイヤーでプルキンエ細胞がきれいに整列しています(7)、その内側に顆粒細胞層があります。顆粒細胞層には顆粒細胞の他、ゴルジ細胞やルガロ細胞の細胞体があります。顆粒細胞層のさらに内側はニューロンの細胞体がほとんどない所謂白質となっています。

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図213-2 小脳の主要なニューロン (脳科学辞典 小脳より)

図213-3の左側はプルキンエ細胞です(6)。この風変わりな細胞は、19世紀に活躍したチェコの解剖学・生理学の研究者Johannes Evangelista Purkyně (1787-1869)によって発見されました。この図は100年以上前に描かれたものですが、より正確な形態は蛍光染色後撮影されたものがアップされています(8)。軸索よりはるかに太い樹状突起やその枝分かれ構造の美しさに圧倒されます。細胞体そのもののサイズが直径数十μmあって巨大なのですが、樹状突起が分布する空間の直径はおそらくミリ単位です。

右側の図は文献7などを参考に描画した模式図です。現在までの知識では小脳から外部への出力は、プルキンエ細胞の軸索(下降線維)を経由して小脳核・前庭神経核へ到達する経路のみとされています。一方入力は橋核からのの苔状線維と延髄オリーブ核(下オリーブ核)からの登上線維(とじょうせんい)によって行われます。ウィキペディアによると「登上線維によるプルキンエ細胞への強力な入力は小脳皮質の前後方向のプルキンエ細胞に協調運動のための時間的情報を伝達し、また苔状繊維から平行線維を介して小脳皮質の左右方向に体性感覚の位置情報が伝達され、この両者によって協調運動の時空間的な制御が行われていると考えられている」と記述されています(9)。苔状線維からの入力は顆粒細胞を介しておこなわれ、登上線維からの入力はプルキンエ細胞のほか星状細胞やバスケット細胞にも行われます(図213-3)。前庭神経核からの入力は小脳が平衡感覚に応じて動作を調整していることを示唆しています。

橋核は大脳皮質と密接な関係があり、ここからの苔状線維を介しての入力によって大脳と小脳は密接につながっており、運動関係の記憶と調整のほか、小脳は大脳を代替する機能もあるとされています(4)。

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図213-3 プルキンエ細胞とその他のニューロンとの関係

神経核という言葉が頻出しますが、ウィキペディアの定義によると「神経核(しんけいかく、英:nucleus (pl. nuclei))は中枢神経内で主に灰白質からなり、何らかの神経系の分岐点や中継点となっている神経細胞群のこと」とされています。神経核は上記の意味だとして、神経細胞の核はDNAを包む細胞生物学で言うところの核ということになりますからあまりよい表現ではありません。ニューロンクラスターとでもすればよかったのでしょうが、これは外野席からのたわごとです。

図213-4には小脳と関連した神経核の位置を示しています。小脳核は小脳に、前庭神経核は橋の背側、橋核は橋の腹側にあります。ここで言うオリーブ核は延髄の腹側にある下オリーブ核のことで、上オリーブ核は橋の内部にあります。前庭神経核は内耳の前庭器官と直結しており、平衡感覚にかかわっています(10、11)。

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図213-4 小脳に入出力する神経核の位置 左図はウィキペディア 右図は脳科学辞典より

小脳では顆粒細胞以外のニューロンはすべてGABA作動性です(図213-5)。顆粒細胞のみグルタミン作動性ですが、その数は圧倒的に多くなっています(図213-5)。しかもそれぞれの顆粒細胞の軸索は小脳全体を被う平行線維を形成しており、ひとつのプルキンエ細胞に20万本の平行線維がシナプスを形成するとされています(7)。ただし登上線維からの入力は非常に強力なのでバランスはとれているようです(7)。星状細胞やバスケット細胞もプルキンエ細胞とシナプスを形成しますが、必ずしも抑制するだけではないようです(12)。プルキンエ細胞は抑制性のシグナルを小脳核・前庭神経核に出すことによって運動などの調節を行います。

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図213-5 小脳に存在する各種ニューロンの特徴 (脳科学辞典 小脳より)

脊椎動物のなかで最も始原的と考えられている円口類のうち、ヤツメウナギは萌芽的小脳をもっているようです。一方ヌタウナギは小脳をもっていません(13、図213-6)。小脳はおそらく5億年以上の歴史をもつことが明らかになったわけですが、ヌタウナギにはないので、どのような生活に小脳が必要なのかもこの研究はヒントを与えてくれるかもしれません。

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図213-6 円口類の脳 (Sugahara et al 2021)

図213-7は J.Meek が発表したさまざまな脊椎動物の脳ですが(14)、これをみると小脳(濃い色の部分)が進化と共に大きくなってきたわけではないことがわかります。特に両生類の小脳が小さいことが目立ちます。魚類の小脳はバラエティーに富んでいますが円口類や両生類と比較すると一般に大型です。特に弱電魚であるモルミリド科の魚類の小脳は巨大です(図213-7)。生活様式によってオプショナルに大きく変動する領域なのかもしれません。

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図213-7 様々な脊椎動物の脳を比較する


参照

1)Research gate: uploaded by Jon Moreland Mallatt
https://www.researchgate.net/figure/Comparison-of-the-brains-of-A-larval-amphioxus-B-larval-tunicate-Ciona_fig1_257600431

2)Wikipedia: Tunicate
https://en.wikipedia.org/wiki/Tunicate

3)小脳の解剖 中外医学社 アップファイル
http://www.chugaiigaku.jp/upfile/browse/browse2114.pdf

4)脳科学辞典:小脳
https://bsd.neuroinf.jp/wiki/%E5%B0%8F%E8%84%B3

5)はらかずみ 脳画像×小脳機能⑮ ~小脳脚~
https://note.com/riha_riha/n/nd5f6b0a10e51

6)ウィキペディア:プルキンエ細胞
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AB%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%A8%E7%B4%B0%E8%83%9E

7)脳科学辞典:プルキンエ細胞
https://bsd.neuroinf.jp/wiki/%E3%83%97%E3%83%AB%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%A8%E7%B4%B0%E8%83%9E

8)朝日新聞デジタル 神経細胞の美しさと不思議さ 本当に役立つ研究へ 柚﨑通介さん
https://www.asahi.com/articles/ASNCF51W6NCCPLZU001.html

9)ウィキペディア:下オリーブ核
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8B%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%96%E6%A0%B8

10)/ Wikipedia: Inferior olivary nucleus 
https://en.wikipedia.org/wiki/Inferior_olivary_nucleus

11)脳科学辞典:前庭神経核 
https://bsd.neuroinf.jp/wiki/%E5%89%8D%E5%BA%AD%E7%A5%9E%E7%B5%8C%E6%A0%B8

12)平野丈夫 小脳皮質のニューロン・回路と機能
日本神経回路学会誌 vol.11,no.1,pp.26-33 (2004)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jnns/11/1/11_1_26/_pdf

13)Fumiaki Sugahara, Yasunori Murakami, Juan Pascual-Anaya, Shigeru Kuratani
Forebrain Architecture and Development in Cyclostomes, with Reference to the Early Morphology and Evolution of the Vertebrate Head.,
Brain Behav Evol 96:305–317 (2021) DOI: 10.1159/000519026
https://karger.com/bbe/article/96/4-6/305/821612/Forebrain-Architecture-and-Development-in

14)J. Meek, Comparative aspects of cerebullar organization. From mormyrids to mammals.,
European Journal of Morphology, vol.30, no.1, pp.37-51 (1992)
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/1642952/

 

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