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2023年3月16日 (木)

続・生物学茶話205 脳神経の基本構成

ひとつ疑問に思っていることがあります。それは中枢神経系についてですが、果たして最初に脊髄があってその前端が膨らんで脳になったのでしょうか? ウルバイラテリア(始原的左右相称動物)は移動手段を獲得する前か同時期に、口から肛門へと通じる消化管・酸素を取り込むための鰓と付随する筋肉・口器とそれを動かすための筋肉を持ったに違いありません。そのようなツールを得て、はじめて藻類を探して食べるという生活が成立します。

ならば口器や鰓を動かすための統合的な神経システムが体の前部にできなければいけません。後方の神経系(始原脊髄)は主に移動手段を活用するためにやや遅れて整備された可能性があります。その後ランダムに動いていたのでは間に合わず、エサを探してみつけなければいけないような状況に変わる中で、視覚とか嗅覚とかにかかわる臓器が発達し、始原脳の前側に新しい脳(中脳・間脳・後脳)が形成されたと思われます。餌を見つけることと、その方向に動くということは連動してなければいけないので、進化した新しい脳と移動手段を制御する脳は協調して活動する必要があります。

このような考え方に立てば、円口類と魚類、そして私たち哺乳類の末梢神経系のなかで採餌や呼吸にかかわる枢要な末梢神経の脳への出入り口がほぼ同じであっても不思議ではありません。円口類と魚類が分岐したのはエディアカラ紀末とされているので(1、2)、菱脳(橋+延髄)に出入りする末梢神経系のシステムはその頃までに確立し、その後円口類と魚類に引き継がれ、さらに私たちまでマイナーチェンジしながら引き継がれてきたわけです。

システムの基本構成は図205-1のようなものです。基本構成はできてからほぼ2億年の間おそらく安定した形で保持されてきましたが、両生類が肺呼吸を開始し、舌を使った食事をはじめたことで少し複雑になりました。さらに私たちも含めて音声でコミュニケーションをとるようになったのでそれをコントロールする神経が必要になりました。これらがマイナーチェンジの要因です(図205-1)。いずれにしても、V、VⅡ、IX、Xの脳神経は始原的であり、保存的であるといえるでしょう。

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図205-1 脊椎動物が採餌と呼吸に使う枢要な脳神経

菱脳から伸びる神経に直結する始原的な組織は鰓弓と呼ばれるもので、脊索動物に特徴的な呼吸・採餌のシステムと深い関係があります。クラゲは体全体を動かして水管の海水を動かすことによって呼吸します。しかしもともとはそのような活発な全身運動をしないで、ポリプ的な海底での生活を選んだ私たち脊索動物系グループの祖先は、消化管に穴を開けて出口に筋肉を配置し、ポンプ的な動きで水流を作り出すという方式を開発しました。穴から水を強制排出すると消化管は陰圧になり、口から水を取り込むことができます。同時にエサを取り込むこともできて、呼吸と採餌が容易になります。

ヒトの解剖学では、ヒトは鰓を持たないため鰓弓は咽頭弓と呼ばれるのが普通です。鰓弓はもともとは6つあったのですが5番目が退化しているので、1~4と6の5つになります(3、4、図205-2 脊椎動物胎児の菱脳)。

菱脳(rhombencephalon)はHox遺伝子の発現などによって r1-r8 に領域がわけられていますが、各末梢神経(脳神経)はコントロールする組織ごとに同じ領域に入出力が行われます。図205-2では左が入力、右が出力としていますが、これは便宜的な表記で実際には複雑です。菱脳最前部の r1 は特別な領域で、ここにはHox遺伝子が発現していません。この領域が始原脳(橋+延髄)と進化脳(中脳・間脳・終脳)の境界となります。円口類より前から存在するナメクジウオ(頭索動物)の中枢神経系においてもある部分より前ではHoxの発現が見られないので(5、6)、視覚や嗅覚の情報を処理するためのHoxフリーな新しいタイプの脳(進化脳)のプロトタイプは、頭索動物が出現した時点ですでにできていると推察されます。

図205-2の脊椎動物における末梢神経系の標準的な出入りの状況が、ヤツメウナギの末梢神経系の出入り(7)と比較しても非常に類似しているのには驚きます。この始原脳の構造がエディアカラ紀から保存されてきたことがよくわかります。舌下神経はここでは省略されています。

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図205-2 脊椎動物の菱脳(橋+延髄)に接続する神経

哺乳類の脳神経は12対あり、I~IVは中脳より前の進化脳に接続し、V~XとXⅡは始原脳(菱脳あるいは橋・延髄)に接続しています。副神経XIは脊髄に接続している部分も多いことから脳神経と言えるかどうか微妙です(8、図205-3)。

図205-3に示したように、中脳より前に出入り口を持つ脳神経はすべて視覚または嗅覚に関連したものです。しかし始原脳から出入りする神経にも視覚に関係する外転神経があり、これは眼球の向きを制御しています。これは始原的生物が触覚の次に視覚を獲得したことを示唆しています。三叉神経はメジャーな太い脳神経ですが、これは主に触覚を担当する神経で、進化上最も古いグループの脳神経だと考えられます。この他平衡感覚を担当する内耳神経や呼吸器・消化器を担当する迷走神経なども始原的な脳神経でしょう。

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図205-3 哺乳類の脳神経

ヒトの脳でもこのような脳神経の基本配置は保存されており、図205-4のようになっています(9)。この図では嗅神経は書いてありませんが、図には描かれていない前部に接続点があります。ただヒトの場合嗅覚が退化しているので、嗅神経も退化して細くなっています。滑車神経以外はすべての脳神経は腹側で脳に接続しています。

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図205-4 ヒトの脳と脳神経

図205-5(10)は軟骨魚類であるイエロースティングレイ(エイの仲間)の脳ですが、このようにヒトとは似ても似つかない生物においても、脳神経の接続点はほぼ一致しています。終脳は嗅覚中心の情報処理を担っていると思われますが、ヒトと同様非常に巨大になっています。脳神経の中でも嗅神経が最大の太さになっています。一般にサメやエイの仲間は嗅覚が発達しています。延髄と同じくらいの太さの嗅神経を持つものもいるようです(11)。このサメの終脳(大脳)も巨大です。

もうひとつ驚いたのはイエロースティグレイの小脳の巨大さです。しかも明らかに分節していて3つのパーツ(ARc:anterior rostal cerebellum, ACc:anterior caudal cerebellum, Pc:posterior cerebellum)に分かれています(図205-5)。そして奇妙なことに ACc は左右相称ではありません。これは哺乳類の小脳より発達している可能性があり、興味深い研究対象かもしれません(10)。

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図205-5 イエロースティングレイ(エイの一種)の脳と脳神経系

Cranial Nerves: I-Olfactory, II-Optic, III-Oculomotor, IV-Trochlear, V-Trigeminal, VI-Abducens, VII-Facial, VIII-Auditory, IX-Glossopharyngeal, X-Vagus. Major Topography: ACc-Anterior caudal cerebellum, ARc-Anterior rostral cerebellum, CE-Cerebrum, H-Hypophysis, I-Inferior lobes of infundibulum, MO-Medulla oblongata, OL-Olfactory lobe, OpL-Optic Lobe, Pc-Posterior cerebellum.


参照

1)続・生物学茶話195:円口類の源流 図1
https://morph.way-nifty.com/grey/2022/11/post-1f4cf6.html

2)Tetsuto Miyashita, Michael I. Coates, Robert Farrar, Peter Larson, Phillip L. Manning, Roy A. Wogelius, Nicholas P. Edwards, Jennifer Anne, Uwe Bergmann, Richard Palmer, and Philip J. Currie, Hagfish from the Cretaceous Tethys Sea and areconciliation of the morphological?molecularconflict in early vertebrate phylogeny., Proc Natl Acad Sci USA vol.116, no.6, pp.2146-2151 (2019).
https://www.pnas.org/doi/suppl/10.1073/pnas.1814794116

3)ウィキペディア:咽頭弓
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%92%BD%E9%A0%AD%E5%BC%93

4)Shun Li and Fan Wang, Vertebrate Evolution Conserves Hindbrain Circuits despite Diverse Feeding and Breathing Modes., eNeuro vol.8(2), pp.1-15 (2021)
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/33707205/

5)ピーター・ホランド 形の進化とゲノムの変化―ナメクジウオが教えてくれること
季刊「生命誌」23号
https://www.brh.co.jp/publication/journal/023/iv_1

6)続・生物学茶話202:脳の起源をめぐって
https://morph.way-nifty.com/grey/2023/02/post-c61096.html

7)続・生物学茶話204 脳の部域化
https://morph.way-nifty.com/grey/2023/03/post-abc72d.html

8)脳科学辞典:脳神経
https://bsd.neuroinf.jp/wiki/%E8%84%B3%E7%A5%9E%E7%B5%8C

9)Nurselabs: Nervous system anatomy and physiology
https://nurseslabs.com/nervous-system/

10)Spieler, Richard & Fahy, Daniel & Sherman, Robin & Sulikowski, James & Quinn, T., The Yellow Stingray, Urobatis jamaicensis (Chondrichthyes: Urotrygonidae): a synoptic review. Caribbean Journal of Science. vol.47, pp.67-97 (2013)
https://www.researchgate.net/publication/290976197_The_Yellow_Stingray_Urobatis_jamaicensis_Chondrichthyes_Urotrygonidae_a_synoptic_review

11)Go! Joppari, サメの脳
https://jopparika.exblog.jp/10910039/

 

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