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2022年8月15日 (月)

続・生物学茶話186: ナメクジウオの4種の眼

環境省のサイトにはナメクジウオには眼がないと書いてありますが(1)、それは脊椎動物のような形の眼はないという意味で、光受容器官がないという意味ではありません。それぞれ原始的な形態ではありますがナメクジウオの眼は4種類あるというのが事実です(2)。光受容細胞は全身に分散していますが、まとまって存在する部分も確かにあって、眼がないというのは言い過ぎのように思います。ウィキペディアには体の先端に眼点が存在すると書いてあります(1-3)。

ナメクジウオの眼点の構造を解析し、構成している細胞によって発現しているタンパク質に差があるという研究結果を報告したヴォパレンスキーらの功績は大です(4)。彼らの研究室はプラハにあるので、どうやってナメクジウオを手に入れたのかと気になったのですが、フロリダのタンパまで採集に行ったり、米国やドイツの研究者にもらったりと、かなり苦労して入手しているようでした(4)。

ナメクジウオの受光組織のうち、一番前方にあるものをフロンタルアイ(frontal eye)といいます。図186-1A(頭部の垂直断面)の長方形枠内の部分について、コズミク研で調べた各種転写調節因子・神経伝達物質の局在を示したのが図186-1です(2)。Aで黒く見える部分は色素細胞です。色素とはメラニンのことです。B-Fは免疫組織化学で各種転写因子を染色した図です。Bのシアン矢尻で示した細胞がその色素細胞で、隣のオレンジ矢尻で示したのが Row1光受容細胞です。Row1 細胞は Otx の抗体できれいに水色に染まっています(2)。

赤紺縞の矢尻で示された Row2 細胞は 5-HT(セロトニン)抗体で明瞭にに染まっています。セロトナージックな細胞はこれだけのようです。紺白縞・赤白縞の矢尻でそれぞれ示された Row3 および Row4 の細胞は Pax4/6 抗体で弱く染まっています。それぞれの識別はできないようです(図186-1B)。図186-1のCとFは水平横断面ですが、各列の細胞が複数染まっています。Row1 はアーチ状、Row2 は横1列、Row3&4 は分散状に分布している様子が見えます。

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図186-1 ナメクジウオ・フロンタルアイに発現する因子

図186-2に描かれているイラストは左がナメクジウオのフロンタルアイ、右は脊椎動物の網膜です。色素細胞(pigment cell)が左端にあるのは同じです。ナメクジウオではおそらく反射によるバックグラウンドを低下させる役割を担っていると思われますが、脊椎動物の網膜の場合、それとともに視細胞の活動をサポートするために様々な別の役割をこなしています(5)。ひょっとするとナメクジウオの場合もそうかもしれません。

色素細胞は光受容細胞や神経細胞とは役割がはっきり異なるので、発現する転写調節因子も異なるはずです。Mitfというのはメラニン生合成の調節などを行うこの種の細胞に特徴的な因子です(6)。色素細胞では光受容細胞に発現する Pax4/6 ではなく Pax2/5/8 が発現しています。オプシンや神経伝達物質は発現していません。これらの特徴はナメクジウオでも脊椎動物でも概略変わりません(2、7、図186-2)。

Row1 細胞は脊椎動物の桿体細胞に対応する光受容細胞と思われ、オプシンを保有していて光シグナル→化学シグナル→電気シグナルの変換を行う機能を持つと考えられます。Row2-4 はいわゆる中間ニューロンだと思われますが、Row2 は唯一セロトナージックな神経細胞と思われ、脊椎動物の謎深きアマクリン細胞の萌芽かもしれません。ただ GABA は検出されませんでした(図186-2)。Row3-4 にはグルタミン酸が検出されていますが、脊椎動物でも網膜の主要な興奮性トランスミッターはグルタミン酸です(8、図186-2)。

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図186-2 ナメクジウオ・フロンタルアイと脊椎動物網膜に発現する因子の比較

フロンタルアイのオプシンに結合するGαはGiで、脊椎動物のGtとは異なります。したがってナメクジウオのシグナル伝達はフォスフォジエステラーゼではなく、アデニル酸シクラーゼを介して行われます。ペルグナーらはGiの遺伝子が進化の過程でタンデムに2倍化してGtが形成されたと考えています。彼らによればこのタンデム2倍化は全ゲノム重複よりも前におこった現象とのこと(2)。フロンタルアイにおけるオプシン合成は、幼生が餌を食べる時期になるとはじまるので、眼と食事というのはナメクジウオにおいても直結しているようです(4)。

ナメクジウオと脊椎動物の比較しうる点について述べてきましたが、脊椎動物の中で最も原始的な特徴を残していると思われる円口類ですら、圧倒的にマッチョで活動的な生物であり、あまりに弱々しいナメクジウオの形態や活動とはかけ離れています。最近の研究によればナメクジウオの脳は萌芽的な間脳と中脳が一体となっていますが、ヤツメウナギでははっきり「終脳+間脳(prosencephalon)」と「中脳」が分かれて存在しています(9、図186-3)。そして運動神経の中枢は脳に取り込まれています。ナメクジウオの運動中枢は脳の外にあります(2、図186-3)。つまりヤツメウナギの場合は、眼で得た情報を脳ですべて処理する方向に進化していて、それは私たちにも引き継がれているわけです。ヤツメウナギは脳に情報を集中させるとともに軟骨ではありますが頭蓋骨も持つようになりました(10)。このように脳が周辺組織も含めて複雑化すると、脊索の誘導では不都合になって、脊索から離れて独自に活動する誘導性の細胞群が進化の結果生まれてきたと推測できます。

ナメクジウオの視神経は交叉していませんが、ヤツメウナギの視神経ははっきり交叉しています(10、図186-3)。一般に魚類は全交叉なので、これは圧倒的な違いで、頭索動物と脊椎動物の関係がはるかに遠いことを示すように見えますが、実は私たちヒトの場合は交叉している神経としていない神経の両者を持っていますし、オタマジャクシはカエルになるときに、それまで全交叉だったのが一部非交叉の神経ができるなど結構フレキシブルです(11)。それでもカンブリア紀にはすでに魚類(ミロクンミンギア)が存在していたので、ナメクジウオの祖先から脊椎動物が枝分かれしたのは、おそらくエディアカラ紀以前ということになります。

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図186-3 ナメクジウオとヤツメウナギの眼と脳

185で掲載していたナメクジウオ光受容器の図を図186-4として再掲します(2、13)。フロンタルアイに次いでもうひとつの繊毛型光受容器としてラメラ-ボディがありますが、ここでは層状体と訳します。これについては古くから脊椎動物の松果体と相同ではないかと指摘されてきました。例えば中尾は1964年の論文の中で、電子顕微鏡による観察からこれはカエルの松果体と似ているとしています(12)。このような見方は現在でも認められています。Bowmaker と Wagner の電子顕微鏡写真を見てもその類似性は驚くほどです(14)。興味深いのはこの光受容細胞の繊毛が9+2型で、これは運動性能を持つ繊毛に特徴的な構造です(2、15)。構造の類似性から、当然層状体は日周リズムに関係していると考えられますが、これをきちんと証明する実験はまだ行われていないようです。

あと二つの光受容器は、微絨毛性の感桿型光受容細胞からなっているジョセフ細胞(Joseph cells) とヘッセ器官(dorsal ocelli)です。ジョセフ細胞の近傍には色素を持った細胞がありませんが、ヘッセ器官の光受容細胞は必ず色素細胞とペアで存在するので、後者の場合光の方向をある程度感知できる光受容器官と思われます。またヘッセ器官ではメラノプシンを発現しています(2)。メラノプシン神経節細胞は第三の光受容体としてヒトでもみつかっているので(16)、その遺伝子は数億年以上の期間にわたって頭索動物でも脊椎動物でも保存されていることになりますが、オプシンとくらべて研究はまだ途上にあります。

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図186-4 ナメクジウオの4種の受光装置

ナメクジウオの脳は、脊索動物としては最も萌芽的な構造と機能を持っていると思われる私たちの脳のプロトタイプなので、モデル動物としてナメクジウオは重要であり、その研究には興味をそそられます。

 

参照

1)環境省 せとうちネット ナメクジウオ
https://www.env.go.jp/water/heisa/heisa_net/setouchiNet/seto/setonaikai/clm3.html

2)Jiri Pergner and Zbynek Kozmik, Amphioxus photoreceptors - insights into the evolution of vertebrate opsins, vision and circadian rhythmicity., Int. J. Dev. Biol. vol.61: pp.665-681 (2017) doi: 10.1387/ijdb.170230zk

3)ウィキペディア:頭索動物
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A0%AD%E7%B4%A2%E5%8B%95%E7%89%A9

4)Pavel Vopalensky, Jiri Pergnera, Michaela Liegertovaa, Elia Benito-Gutierrezb, Detlev Arendtb, and Zbynek Kozmik, Proc. Natl. Acad. Sci. USA, vol.109, no.38, pp.15383-15388 (2012)
https://www.pnas.org/doi/epdf/10.1073/pnas.1207580109

5)Medipedia: 網膜色素上皮
http://medipedia.jp/article/%E7%B6%B2%E8%86%9C%E8%89%B2%E7%B4%A0%E4%B8%8A%E7%9A%AE

6)JCGA(Japanese version of the Cancer Genome Atlas):MITF
https://www.jcga-scc.jp/ja/gene/MITF

7)脳科学辞典:PAX遺伝子群
https://bsd.neuroinf.jp/wiki/PAX%E9%81%BA%E4%BC%9D%E5%AD%90%E7%BE%A4

8)Connaughton, V., Glutamate and Glutamate Receptors in the Vertebrate
Retina. Kolb H, Fernandez E, Nelson R, editors. Webvision: The Organization of
the Retina and Visual System [Internet]. Salt Lake City (UT): University of Utah Health Sciences Center (2005, updated 2007)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/books/NBK11526/

9)Albuixech-Crespo B, López-Blanch L, Burguera D, Maeso I, Sánchez-Arrones L, Moreno-Bravo JA, et al. (2017) Molecular regionalization of the developing amphioxus neural tube challenges major partitions of the vertebrate brain. PLoS Biol 15(4): e2001573. https://doi.org/10.1371/journal.pbio.2001573
https://journals.plos.org/plosbiology/article?id=10.1371/journal.pbio.2001573

10)Tadashi Isa, Emmanuel Marquez-Legorreta, Sten Grillner and Ethan K. Scott (2021). The tectum/superior colliculus as the vertebrate solution for spatial sensory integration and action. Current Bilology, volume 31, issue 11, DOI: https://doi.org/10.1016/j.cub.2021.04.001
https://www.cell.com/current-biology/fulltext/S0960-9822(21)00479-6?_returnURL=https%3A%2F%2Flinkinghub.elsevier.com%2Fretrieve%2Fpii%2FS0960982221004796%3Fshowall%3Dtrue

11)今井眼科医院:視交叉
http://www5b.biglobe.ne.jp/~i-ganka/2006-5.htm

12)T.Nakao, On the Fine Structure of the Amphioxus Photoreceptor., Tohoku J. Exp.Med., vol.82, pp.349-369 (1964) https://doi.org/10.1620/tjem.82.349
https://www.jstage.jst.go.jp/article/tjem1920/82/4/82_4_349/_article

13)Trevor D Lamb, Evolution of Phototransduction, Vertebrate Photoreceptors and Retina. Chapter I. Origin of Vertebrates and the Diversity of Extant Chordate Eyes
http://retina.umh.es/webvision/Evolution.%20PART%20I.html

14)James K. Bowmaker and Hans-Joachim Wagner, Pineal organs of deep-sea fish: photopigments and structure., J Exp Biol, vol.207 (14): pp.2379–2387. (2004) https://doi.org/10.1242/jeb.01033
https://journals.biologists.com/jeb/article/207/14/2379/14738/Pineal-organs-of-deep-sea-fish-photopigments-and

15)RUIZ, S. and ANADON, R., The fine structure of lamellate cells in the brain of amphioxus (Branchiostoma lanceolatum, Cephalochordata). Cell Tiss Res vol.263: pp.597-600. (1991) DOI: 10.1007/BF00327295
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/1878939/

16)辻村誠一 第三の光受容体メラノプシン神経節細胞と明るさの知覚 光学 43巻12号 pp.556-562 (2014)
file:///C:/Users/Owner/Desktop/43-12-kaisetsu4.pdf

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