続・生物学茶話184: 頭索動物の脊索
ヒトの脳はかなり特殊で、チンパンジーと比べても、進化のスケールで言えば極めて短い期間に激しく変化した(巨大化した)といえます(1)。そんな特殊化した脳への関心はもちろんありますが、その前に脊椎動物一般の中枢神経系の発生様式や特徴について考えておくのは王道でしょう。
まずヒト胎児の脳の模式図を見てみましょう(2、図184-1)。3~4週の胎児の場合脳は三つの膨らみからなり、前(rostral)から順に前脳胞・中脳胞・菱脳胞という名前がつけられています。5週には前脳胞から終脳胞と間脳胞が分化し、菱脳胞から後脳胞と髄脳胞が分化します。その後、終脳胞は大脳となり、間脳胞は眼と視床、後脳胞は脳橋と小脳、髄脳胞は延髄に分化します(図184-1)。
図184-1 ヒト胎児の脳形成
次に脊椎動物のなかでも進化上基底的な位置にある魚類についてみてみましょう(3、図184-2)。図184-2で、T+D:前脳胞・MB:中脳胞・HB:菱脳胞と考えると、基本はヒトと変わらないように見えます。前脳胞が終脳胞と間脳胞に分かれていくのもヒトと同じです。ひとつ異なるのは、魚類では中脳胞が視覚情報を処理する部位として分化していくのに対して、ヒトなどの哺乳類は視覚情報処理は主に前脳胞から分化する大脳が行ない、中脳は中継点となっているという点です(4)。文献3の著者たちは終脳の背側を除いて脊椎動物の脳はよく似ていると述べています。終脳の背側は哺乳類が特別に進化させました(5)。
図184-2 ゼブラフィッシュ脳の発育
生物の進化に関して、大野乾(おおのすすむ)は全ゲノム重複という全遺伝子の倍化によって進化が劇的に進行するという説を発表しました(6)。この学説はその後さまざまな生物で遺伝子構造が解明されるにつれて信憑性が高まり、現在では定説となりました(7-9)。図184-3のように、脊椎動物は硬骨魚類が生まれるまでに3回の遺伝子重複を経験したと考えられています。1回目(1R)で広義の魚類が生まれ、2回目(2R)で有顎魚類が生まれ、3回目(3R)で条鰭類が生まれました。フナや金魚は4回目の遺伝子重複を経験したともされています(10)。
このような遺伝子重複による進化から取り残されたグループとして、尾索動物と頭索動物があります(図184-3)。尾索動物は幼生期には脊索動物としての特徴を保っていますが、成体になると中枢神経系を発達させないとか、泳がないとか、本来の脊索動物としての特徴を消失し、全く別方向への進化へと舵を切りました。頭索動物(ナメクジウオ)は尾索動物に比べると保守的で、ピカイヤのようなカンブリア時代の頭索動物と大差ないような形態を保存していて、古い時代のゲノムがかなり保存されていると考えられます。
図184-3 脊索動物が進化する過程で発生した3度の遺伝子重複
図184-4は科学雑誌の表紙になったナメクジウオの上半身です。ナメクジウオは普通のガラス水槽で飼っても生きているそうですが、砂を入れるとたちまち潜り込むそうで、通常は砂の中で生活していて餌(珪藻)を食べるときに上半身を出して口から餌を吸い込むようです。好きな種類の珪藻を選り好んで食べるようです(11)。
ナメクジウオはホヤのような固着生活をするのではなく泳げるのですが、それでもカンブリア紀のピカイアのように泳ぎながら採餌するわけではありません。ですからカンブリア紀の頭索動物のままのゲノムや生態が保存されているのではなく、砂の中に隠れるという術を獲得したことによって捕食を逃れ現代まで生き延びたグループの子孫です。
カンブリア紀にはすでに脊椎動物と思われるミロクンミンギア(ハイコウイクティス)が生きていたので、ナメクジウオがそのまま脊椎動物の祖先というわけではありません。ただミロクンミンギアもピカイアも絶滅した動物なので、魚類と頭索類の共通祖先に近く、遺伝子重複も経験していないナメクジウオは貴重な研究材料です。
図184-4 科学雑誌の表紙に採用されたナメクジウオ
リンダ・ホランドらは FoxD という転写因子に注目しました(12-14)。この因子はナメクジウオでは脊索・前脳胞・体節中胚葉に発現します(図184-5)。普通遺伝子重複が起こると同じ遺伝子が複数になるので、過剰となった遺伝子はしばらくすると変異を重ねて無意味なシーケンスになると思われるのですが、この FoxD はなんと4つの重複遺伝子すべてが生き残り、しかも突然変異によってその数が増えて、脊椎動物では5種類になりました(図184-5)。そして脊索、前脳胞、体節中胚葉でそれぞれ別のパターンで発現し、さらにナメクジウオにはない神経堤で FoxD3 が発現しているという大変興味深い実験結果が得られています(12-14、図184-5)。
神経堤は頭蓋骨・眼・歯・心臓・色素細胞・神経細胞・シュワン細胞などを形成する細胞を製造するという発生途上に出現する大事な場所で、頭索動物には存在せず、脊椎動物に存在します。頭索動物と類似した祖先生物から脊椎動物が分岐する上でのエポックメーキングなキーといえます(14)。
図184-5 脊椎動物と頭索動物におけるFoxD発現の比較
フェランらは脊椎動物では頭部に脊索がなく、頭索動物では逆に頭部より前まで脊索があることに着目し、脊索およびその延長線上で発現する分化誘導因子を調べました(15)。脊椎動物の場合、脊索が頭部まで伸びていない代わりにプレコーダルプレートがあり、さらにその前部にはプレコ-ダル細胞があります(図184-6)。これらの部分では脊索でつくられるブラキウリやNogは合成されませんが、FoxA2やShhは脊索同様につくられます。このプレコ-ダル領域に特異的に発現する Six3 という因子もあります(図184-6)。
そして驚くべきことに、この Six3 と同様な因子が頭索動物の脊索前端部でつくられているのです(Six3/Six6 図184-6)。ただし前端部でもブラキウリが合成されていたり、Shhが合成されていなかったりという脊椎動物との違いもあります。ひとつの臓器のようにみえる脊索が部域によって異なる働きをしていることを示唆する研究結果です(15)。
確かに頭索動物の神経策は頭部の膨らみが小さく、見た目脳の部分がないように見えますが、実際には脊椎動物の脳のプロトタイプが存在するということが認められるようになってきました(16)。
図184-6 脊椎動物と頭索動物の脊索およびその関連組織における遺伝子発現の比較
ナメクジウオ(頭索動物)で脊索の前端部が頭部より前まで出ているということは、脊椎動物との共通祖先の時代にはより立派な脳があったのに、半固着生活をするようになってから脳が退化して小さくなってしまったからということは当然考えられますが、さてどうなのでしょう。
参照
1)京都大学広報資料 世界で初めてチンパンジー胎児の脳成長が明らかに:ヒトの脳の巨大化はすでに胎児期からスタート
https://www.kyoto-u.ac.jp/ja/archive/prev/news_data/h/h1/news6/2012/120925_1
2)Wikimedia commons: File:1302 Brain Vesicle DevN.jpg
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:1302_Brain_Vesicle_DevN.jpg
3)Martin Sebastijan Sestak and Tomislav Domazet-Loso, Phylostratigraphic Profiles in Zebrafish Uncover Chordate Origins of the Vertebrate Brain., Mol. Biol. Evol. vol.32(2): pp.299–312 (2014) doi:10.1093/molbev/msu319
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC4298178/
4)脳科学辞典:中脳
https://bsd.neuroinf.jp/wiki/%E4%B8%AD%E8%84%B3
5)脳科学辞典:終脳
https://bsd.neuroinf.jp/wiki/%E7%B5%82%E8%84%B3
6)Susumu Ohno “Evolution by Gene Duplication”Springer (1970)
https://link.springer.com/book/10.1007/978-3-642-86659-3
7)P W Holland, J Garcia-Fernàndez, N A Williams, A Sidow, Gene duplications and the origins of vertebrate development., Dev Suppl.(1994) pp.125-133. PMID: 7579513.
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/7579513/
8)Oleg Simakov et al., Deeply conserved synteny resolves early events in vertebrate evolution., Nat Ecol Evol vol.4, pp.820–830 (2020). https://doi.org/10.1038/s41559-020-1156-z
https://www.nature.com/articles/s41559-020-1156-z
9)沖縄科学技術大学院大学 公開資料 古生代における種間交雑:脊椎動物における全ゲノム重複の真実が明らかに (2020)
https://www.oist.jp/ja/news-center/press-releases/35053
10)Science Portal: キンギョの祖先は1400万年前に遺伝子が倍になり進化の原動力になった 阪大グループがゲノム解読 (2019)
https://scienceportal.jst.go.jp/newsflash/20190628_01/
11)小林真吾・村上明男 ナメクジウオの長期飼育及び生体展示に関する技術報告
愛媛県総合科学博物館研究報告,No.11,pp.77-84(2006)
file:///C:/Users/Owner/Downloads/kagaku12.pdf
12)Yu JK, Holland ND, Holland LZ. 2002 An amphioxus
winged helix/forkhead gene, AmphiFoxD: insights
into vertebrate neural crest evolution. Dev. Dyn.
225, 289–297. (doi:10.1002/dvdy.10173)
13)Yu JK, Holland ND, Holland LZ. 2004 Tissue-specific
expression of FoxD reporter constructs in amphioxus
embryos. Dev. Biol. 274, 452 –461. (doi:10.1016/j.
ydbio.2004.07.010)
14)Linda Z. Holland, The origin and evolution of chordate nervous systems., Phil.Trans.R.Soc.B370:20150048. (2015)
http://dx.doi.org/10.1098/rstb.2015.0048
15)José Luis Ferran, Manuel Irimia, Luis Puelles, Is There a Prechordal Region and an Acroterminal Domain in Amphioxus ? Brain Behav Evol vol.96: pp.334–352 (2021) DOI: 10.1159/000521966
https://www.karger.com/Article/FullText/521966
16) Beatriz Albuixech-Crespo, Laura López-Blanch,Demian Burguera et al., Molecular regionalization of the developing amphioxus neural tube challengesmajor partitions of the vertebrate brain. PLoS Biol. vol.15(4): e2001573. (2017) http: //dx.doi.org/10.1371/journal.pbio.2001573
https://journals.plos.org/plosbiology/article?id=10.1371/journal.pbio.2001573
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