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2021年12月14日 (火)

続・生物学茶話167: C.エレガンスの神経細胞

神経堤細胞というのは、まず大工と左官によって作られた家に、後で入ってきた内装業者が人が住めるようにセットアップするという感じなのでしょう。神経板と予定皮膚外胚葉の間の領域が盛り上がるという意味での神経堤は脊椎動物独自のものですが、同じようなはたらきをする細胞は左右相称動物のはじまり(ウルバイラテリア)から存在したのでしょうか? バイラテリア一族のいわば分家である後口動物ではなく、本家の前口動物は神経堤細胞に類似した細胞を保持しているのでしょうか?

3年前に75才で亡くなったジョン・サルストンという人がいます。彼は線形動物門に属する体長約1mmの生物 Caenorhabditis elegans (通称C.エレガンス)が、ひとつの細胞から細胞数≒959個の雌雄同体または細胞数≒933個の雄ができるまでの全細胞系列をとてつもない執念で完全に明らかにして、2002年にノーベル生理学医学賞を受賞しました(1-3)。私はこれはワトソンとクリックのDNA構造解明にも匹敵する偉業だと思います。

この生物の神経細胞は302個しかなく(とは言ってもすべての体細胞の約3分の1が神経細胞!)、ひとつひとつの神経細胞がどのような役割を果たしているかについての実験研究が可能です(3)。C.エレガンスはたったこれだけの数の神経細胞で餌を探し、食べて排泄し、化学物質や温度を感知し、物理刺激を回避し、生殖し、記憶や学習を行ない、激しい運動を行なうことができます。

彼らは前口動物であり、私たち後口動物とは5億年以上前に分岐した生物です。彼らも神経堤細胞のように、適切な場所に移動しながら神経細胞としての増殖や分化を行なうタイプの細胞を保持しています。QRとQLという神経芽細胞は、右側と左側にそれぞれ6個づつ並んでいるシーム細胞列V1~V6のV4とV5の間という特定の位置に左右対称的に配置されていますが、QRは虫の成長にともない体の前方に移動し、QLは体の後方に移動します。QRとQLは移動先でそれぞれ神経細胞に分化します(4、図167-1)。いずれもひ孫世代ができるまで細胞分裂を行いますが、プログラム細胞死する細胞があるので、結局神経細胞として機能するのはそれぞれ3つで、そのうち2つは感覚ニューロン、ひとつは介在ニューロンとして機能します(4、図167-1)。

ウルバイラテリアはおそらく海底を這うために左右相称構造になったと思われますが、消化管や生殖器はひとつで良いわけですし、すべて左右相称の構造である必要はありません。非左右相称的な進化による分化、あるいはウルバイラテリア以前の伝統を引き継いだ分化が行われた可能性があり、QR・QLもおそらくそのような例と思われます。私たちも消化管や心臓はひとつです。

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図167-1 C.エレガンスの神経芽細胞QR・QL

移動する細胞はまず隣接する細胞との接着を解除し、アメーバのような仮足をつくらなければいけません。このようなスイッチを入れるのは多くの生物では Rho family GTPase であり、Cエレガンスでも UNC73(これは脊椎動物の Trio のホモログです)というグアニンヌクレオチド交換因子(GEF)が機能しています(5、6)。これによってGタンパク質が活性化されます。また PIX-1 という因子も同様な役割を果たしています(7、図167-2)。これらが起点となって細胞骨格の再編成が行われ、ラメリポディアのような移動装置が出現して移動の準備が行われます(7)。PIX-1 の機能を発見したダイヤーさんはその後多くの論文を発表していますが、多くはヒトの病気などに関するもので、C.エレガンスの研究はほとんど進展がないようです。C.エレガンスの研究にはサポートがないためと想像されますが、残念なことです。

仮足を細胞全体に出すと方向が定まらなくなるので、前または後ろに動くには一方だけに出す必要があります。このメカニズムはまだ不明な点があるようでが、最近のラングとルントクイストの論文に寄れば DPY-17 および SQT-3 というある種のコラーゲン分子が細胞が後方に動くために重要な働きをしているそうです(8)。

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図167-2 細胞骨格の再編成

コルスワゲンらはCエレガンスのQR・QLはそれぞれ移動を始めた後、特定の位置で第1回目の細胞分裂を行うことに着目しました。もしこの細胞分裂が正常な位置よりスタート地点に近ければ、移動になんらかの不具合があるという仮説のもとに、さまざまな突然変異体の解析を行いました。そうすると図167-3のような突然変異体が細胞移動に不具合を発生していることがわかりました。特にQRでは mig-21 と dpy 、QLでは cdh-4 が致命的な欠陥をもたらしました(9)。

mig-21 はロシアの戦闘機のような名前ですが、それとは関係なく wnt-signal のモディファイアーとして機能する膜貫通タンパク質であることがわかっています。dpy はC-マンノシルトランスフェラーゼで、ホモログであるヒトの dpy19L1 は精子の機能不全をもたらすので、やはり細胞運動に関与しているのでしょう。cdh-4 はヒトでは 非クラシック Fat カドヘリンとして知られているタンパク質で、ユニバーサルな細胞接着因子のひとつですが(10)、なぜこのミュータントが移動できないかは謎です。

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図167-3 細胞の移動にかかわる因子

ケニオンらも早くからCエレガンスの突然変異体の解析などから UNC-40/DCC, UNC-73/Trio and DPY-19 などが左右非相称の要因であるとの報告をしており(11)、mig-21も含めてこれらが Wntシグナリングにどうレスポンスするかを決めているとしています(12)。どうレスポンスするかは細胞によっていろいろバラエティーがあるにしても、最初のシグナルはWntがもたらすようです。QLの場合WntシグナルとしてEGL-20が最も重要なようです。図167-4にその体の後方での発現が記してあります。これによってキャノニカルパスウェイが起動し、最終的には mab-5 が移動のスイッチになるようです(4)。QRについてははっきりしていないようですが、ミドルスクープらはCWN-1、2、EGL-20のレベルが低いことによるシグナルが重要であるとしています(4)。MOM-2とLIN-44はQR・QLの移動のメカニズムには関与していないようです(4、図167-4)。

ケニオンさんはその後C.エレガンスの長生きミュータントを発見し、そちらの方面に精力を傾注しているようです(13)。いつかここでもとりあげられればいいなと思います。

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図167-4 各種Wntシグナルが発現する位置

C.エレガンスの特定の神経細胞に分化するわずかな数の神経芽細胞の移動に関しても、分子レベルのメカニズムの解明にてこずるわけですから、さまざまな種類の細胞に分化する脊椎動物の神経堤細胞の解明にはまだまだ時間がかかりそうです。ただ初期発生が終わった後、細胞が個々に移動して分化するというメカニズムは、おそらくウルバイラテリア誕生以前から存在し、現存する生物たちもさまざまに修飾した上でその伝統的メカニズムを利用しているのだろうとは推測できるでしょう。節足動物や環形動物でもそれを示唆するデータが報告されています(14)。

C.エレガンスのQR・QL細胞に関する研究からもうひとつわかることは、これらの細胞が最初から運命を決定されているわけではないということです。これらの子孫の細胞はあるものはプログラム細胞死しますし、感覚ニューロンになるものもあれば、介在ニューロンになるものもあります。それらは子孫細胞において、それらが置かれている環境の影響によって決定されるものと思われます。

参照

1)J.E.Sulston, E.Schierenberg, J.G.White, J.N.Thomson, The embryonic cell lineage of the nematode Caenorhabditis elegans., Develop. Biol., vol.100, pp.64-119 (1983), https://doi.org/10.1016/0012-1606(83)90201-4
https://www.sciencedirect.com/science/article/abs/pii/0012160683902014?via%3Dihub

2)Wikipedia: John Sulston
https://en.wikipedia.org/wiki/John_Sulston

3)ウィキペディア:カエノラブディティス・エレガンス
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%82%A8%E3%83%8E%E3%83%A9%E3%83%96%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%83%AC%E3%82%AC%E3%83%B3%E3%82%B9

4)Teije C. Middelkoop and Hendrik C. Korswagen, Development and migration of the C.
elegans Q neuroblasts and their descendants., Worm Book edited by Joel H. Rothman and Andrew Singson, (2014) doi/10.1895/wormbook.1.173.1
http://www.wormbook.org/chapters/www_qneuroblasts/qneuroblasts.html

5)Robert Steven, Lijia Zhang, Joseph Culotti, Tony Pawson, The UNC-73/Trio RhoGEF-2 domain is required in separate isoforms for the regulation of pharynx pumping and normal neurotransmission in C. elegans., Genes Dev, vol.19(17): pp.2016-2029 (2005)
doi: 10.1101/gad.1319905.
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/16140983/

6)Shuang Hu, Tony Pawson, Robert M Steven, UNC-73/trio RhoGEF-2 activity modulates Caenorhabditis elegans motility through changes in neurotransmitter signaling upstream of the GSA-1/Galphas pathway., Genetics, vol.189(1):pp.137-151 (2011) doi:10.1534/genetics.111.131227.
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/21750262/

7)Jamie O. Dyer, Rafael S. Demarco and Erik A. Lundquist, Distinct roles of Rac GTPases and the UNC-73/Trio and PIX-1 Rac GTP exchange factors in neuroblast protrusion and migration in C. elegans., Small GTPases vol.1: no.1, pp.44-61 (2010)
DOI: 10.4161/sgtp.1.1.12991
https://www.researchgate.net/publication/51231563

8)Angelica E Lang, Erik A Lundquist, The Collagens DPY-17 and SQT-3 Direct Anterior-Posterior Migration of the Q Neuroblasts in C. elegans.,
J Dev Biol, vol.9, no.1, pp.7-21 (2021) DOI: 10.3390/jdb9010007
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC8006237/

9)Annabel Ebbing, Teije C. Middelkoop, Marco C. Betist, Eduard Bodewes and Hendrik C. Korswagen, Partially overlapping guidance pathways focus the activity of UNC-40/DCC along the anteroposterior axis of polarizing neuroblasts. Development vol.146, dev180059. (2019) doi:10.1242/dev.180059
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/31488562/

10)Seth Blair, Helen McNeill, Big roles for Fat cadherins., Curr Opin Cell Biol, vol.51 pp.73-80 (2018) doi: 10.1016/j.ceb.2017.11.006.
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/29258012/

11)L Honigberg, C Kenyon, Establishment of left/right asymmetry in neuroblast migration by UNC-40/DCC, UNC-73/Trio and DPY-19 proteins in C. elegans, Development vol.127, no.21, pp.4655-4668 (2000) PMID: 11023868
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/11023868/

12)Teije C. Middelkoop, Lisa Williams, Pei-Tzu Yang, Jeroen Luchtenberg, Marco C Betist, Ni Ji, Alexander van Oudenaarden, Cynthia Kenyon, Hendrik C Korswagen, The thrombospondin repeat containing protein MIG-21 controls a left-right asymmetric Wnt signaling response in migrating C. elegans neuroblasts.,
Dev Biol vol.361, no.2, pp.338-348 (2012) doi: 10.1016/j.ydbio.2011.10.029.
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/22074987/

13)Cynthia Kenyon, The first long-lived mutants: discovery of the insulin/IGF-1 pathway for ageing., Philos Trans R Soc Lond B Biol Sci, vol.366 pp.9-16 (2011)
DOI: 10.1098/rstb.2010.0276
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/21115525/

14)Yongbin Li et al., Conserved gene regulatory module specifies lateral neural borders across bilaterians., Proc. Natl. Acad. Sci. USA, vol.114, E6352–E6360 (2017) 







 

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