加藤陽子著 「戦争まで」
それでも日本人は、「戦争」を選んだ という本が面白かったので、「戦争まで 歴史を決めた交渉と日本の失敗」という続編も読んでみました。
https://morph.way-nifty.com/grey/2020/11/post-3525d4.html
この本で一番印象的だったのは、日本に「ハル・ノート」という最後通牒を突きつけて、日本を戦争に追い込んだ元凶とされるコーデル・ハル国務長官が、実は米国政府の中でも代表的なハト派だったということです。
ローズベルト大統領も日本との戦争は避けたいと思っていましたが、モーゲンソー財務長官、スチムソン陸軍長官、アチソン国務次官などは主戦派で、さっさと日本をひねり潰そうとしていたというのが米国政府の勢力分布でした。
中国の日本軍は米国の教会・学校をはじめとする諸施設や軍事施設を再三誤爆してハルの顔をつぶしていたのですが、交渉しようとするハルにとって日本軍の仏印進駐は大打撃でした。さすがに日本に対して経済制裁を行いましたが、進駐が北部にとどまっていた頃には、かなり名目的な制裁であり、日本が実質的に窮地に陥らないように配慮されていたのです。
当時の仏印の地図 現在のベトナム・ラオス・カンボジアなど
しかし1941年に南部仏印進駐がはじまってからは、これが英国や米国にとって致命的な脅威をもたらすものだったので、一気に事態は悪化していきました。もともと日本海軍は石油の備蓄が米国と開戦した場合には1年しかもたないことを知っていたので、米国とは戦争できないことを政府や国民に徹底すべきだったのですが、そんなことはメンツ上できなかったのが日本を壊滅に追いやることになりました。
それでも日本に対する1941年8月1日からの対日石油全面禁輸は、ハル長官やローズベルト大統領が用務や夏休みでワシントンに不在な時に、前記の主戦派が勝手にやってしまって、ハルやローズベルトが知ったのは1ヶ月後だったという話には驚きました。
ハルはその後もあの手この手で日米交渉によって戦争を回避しようとしましたが(*)、結局日米の主戦派によってぶち壊され、最後はハル・ノートの提示に至ったというわけで、この間の事情を知れば、開戦の本当の経緯を知ることができます。コーデル・ハルは1933年から1944年までの長きにわたって米国国務長官を務め、戦後は国連の創設に尽力して、1945にノーベル平和賞を受賞しています。
私はこの本の著者加藤陽子氏のように、政府がやってきたこと、国民が扇動されてきたことについて正確に検証することは大事なことだと思います。政府の重要な会議の議事録を廃棄したり改ざんしたりすることは許されません。
* 公文書に見る日米交渉
https://www.jacar.go.jp/nichibei/reference/index13.html
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