続・生物学茶話 121: NGF(Nerve growth factor)
私たちヒトは左右相称動物であり、体節を持つ動物でもあります。これは遅くともカンブリア紀にはもう決まっていたことなので、この決めごとのもとに私たち脊椎動物のボディプランは成立しています。しかし脊索動物門のなかで脊椎動物と最も近縁な尾索動物(ホヤなど)は体節を持ちません。孵化直前の幼生をみると体節があるようにも見えますが(1)、その後雲散霧消してしまいます。そもそも放射相称あるいは球状の形態の生物は体節を基本としたボディプランが向いていないという気はします。脊索動物門と最も近縁な棘皮動物門の生物にも体節はありません。こうしてみると、脊椎動物はおそらくカンブリア紀以前に生物が発明した左右相称性と体節というボディプランを、後口動物の中では頭索動物(ナメクジウオ)と共に、5億年を超えて維持してきた非常に保守的な生物群と言えます。
脊椎動物は体節を持つことを利用して脊椎をステップワイズに組み立て、そのアクセサリー構造(脊椎の背側にある椎弓)のなかに脊髄を収納して保護し、そこからステップワイズに神経を枝のように出して体の各所に伸ばしていく・・・という巧妙なボディプランを獲得しました。ヒトの脊椎とそのアクセサリー構造である椎弓の構造を図121-1に示しました(参照文献2-4)。ヒトの場合、頸椎・胸椎・腰椎ははっきりとした分節構造になっていますが、仙椎と尾椎は分節構造が不明瞭で個体差もかなりあるようです。
図121-1 ヒト脊椎と椎弓の構造
椎弓に収納されている脊髄は図121-2のような構造になっています。この図は参照文献5および6の図を改変したものです。脊髄は白質と灰白質からなっており、灰白質(図の黒っぽい部分)は主として神経細胞体やグリア細胞、白質(図の白っぽい部分)は有髄神経線維を包むミエリン鞘が主成分とされています。前根から運動神経が出ていて脳からの指示を伝え、後根からは感覚神経が入ってきて情報を脳に伝えます。後根の神経束の出口が黒っぽいのは、感覚神経から受け取った情報を処理するための神経細胞が豊富なためと思われます。
図121-2 脊髄と脊髄神経
図121-2を見ると脊髄内部も左右相称性となっていて、正中裂で分断された脊髄の左側と右側に相当程度独立した行動指示と情報処理のセットが用意されていることがわかります。椎骨と脊髄はそれぞれ体節構造になっていて、うまく連携しています。これがバラバラだと神経は骨からの出口を探さなければいけません。胎生3ヶ月くらいまで脊椎と脊髄の成長はシンクロしているので、この間に両者が連携して基本的な形態が決まるのでしょう(7)。それはいいとして、ではそれぞれの神経はターゲットとなる臓器にどうやって到達し、シナプスを形成するのでしょうか? この疑問に最初のヒントをみつけたのがリータ・レヴィ=モンタルチーニ(図121-3)でした。
モンタルチーニはトリノ出身で当地の大学の医学部を卒業したのち、教授の研究アシスタントとして大学に残る道を選びましたが、ムッソリーニが登場して成立させた人種法によって、ユダヤ人だったモンタルチーニは職を失うことになりました。しかたなく自宅の寝室に設備をととのえて研究を続けましたが、1943年にナチが侵攻してきてからは友人を頼ってフィレンツェの隠れ家ですごすことになりました。ここでも研究を続けながらパルチザンとしても活動しました。戦時中も続けてきた研究が戦後セントルイスのハンバーガー教授(図121-3)の目にとまり、ワシントン大学でポストを得て研究を継続できることになりました(8、9)。
ハンバーガー教授といえば、ニワトリの発生過程のステージを46段階に分けて定式化したハンバーガー-ハミルトン発生段階則で有名な発生学者です。モンタルチーニはここで26年を過ごすことになりました。モンタルチーニはニワトリの胚と肉腫組織をならべて培養すると、胚から肉腫の方におびただしい数の神経線維が伸長するという実験結果を得ましたが、神経線維を呼び寄せる物質がいったい何であるかをを解明するためには生化学の知識と技術が必要だったので、当時同じワシントン大学にいたスタンリー・コーエン(図121-3)に助力を求めました(10)。
当時タンパク質を精製する際に、混入する核酸をDNA・RNAまとめて分解除去する手法として、核酸分解酵素を多量に含む蛇毒を用いることはよくあることでしたが、蛇毒処理すると著しく神経伸長活性が高まることがわかり、いったいどうしてなのか調べると、なんと蛇毒にNGF(神経伸長因子)が本来のサンプルの3000倍以上の濃度で存在することがわかりました。これをもっけの幸いとして目的のタンパク質は精製されました(11)。モンタルチーニはこの業績で、コーエンはさらにEGFの発見などの業績で、共に1986年のノーベル生理学医学賞を受賞しています。
図121-3 NGFの発見者
その後哺乳類でもマウス♂の顎下腺に高濃度のNGFが検出され、NGFの実体は7Sの高分子会合体であり、そのサブユニットであるβNGFに活性があることが判明しました(10)。βNGFのアミノ酸配列は Angeletti らにより解明され、分子量13kD、118個のアミノ酸からなる分子2つが非共有結合によって会合した2量体構造をとっていることが判明しました(12、13)。またマウスと相同なヒトのβNGFもみつかり、構造が解析されています(14)。その後もNGFの構造は詳細に研究されました。ヒトでもマウスでもβNGFは3ヵ所の分子内SS結合で安定化されています。両者のアミノ酸配列を調べると、対応するアミノ酸が異なる場合も類似した構造のものに置き換わっており、相同性は高いようです(15、16、図121-4)。
図121-4 ヒトとマウスNGFアミノ酸配列の比較
NGFおよび類似した機能を持つ分子は脳科学辞典によると「神経栄養因子」と呼ばれています(17)。現在哺乳類の神経栄養因子は4種類知られていますが(NGF、BDNF、NT-3、NT-4/5)、これらは神経細胞の増殖を促進するのではなく、樹状突起の進展やシナプス形成をサポートする役割を担っています。図121-4にヒトの各種神経栄養因子のアミノ酸配列の比較を示しました。いずれも分子の同じような位置にシステインがあり、3つのSS結合(赤点線)を持つことに変わりはありません。これらの因子は神経軸索だけでなくターゲット細胞からも分泌されるので神経誘引物質としての機能もありそうですが、ネトリンにも誘因作用があり、また様々な反発性因子(神経軸索の伸長を別の方向に振り向ける)もみつかっていて、これらの相互作用によって神経軸索はターゲットに到達できるようです(18)。
図121-5 各種神経栄養因子のアミノ酸配列(赤点線はSS結合)
神経栄養因子はすべてダイマーとして機能します。Sun, H.L., and Jiang, T. によって解明されたβNGFダイマーの3次元構造を示しておきます(19、図121-6)。まるで社交ダンスを踊っているような美しい構造です。
図121-6 NGFダイマーの立体構造
参照
1)日本発生生物学会 わたしたち脊椎動物の祖先
https://www.jsdb.jp/booklet/06.html
2)ウィキペディア:脊柱
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%84%8A%E6%A4%8E
3)ウィキペディア:脊髄
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%84%8A%E9%AB%84
4)ウィキペディア:椎骨
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A4%8E%E9%AA%A8
5)Radiopedia
https://radiopaedia.org/cases/spinal-cord-cross-section-grays-illustration
6)脳のなかのこびと軍団 2.脊髄
http://noucobi.com/neuro/neuroanatomy/S2.html
7)神戸学院大学ウェブサイト I 中枢神経系の発生概説と脊髄の発生
http://db.kobegakuin.ac.jp/kaibo/has_pp/txt/chu1.html
8)Wikipedia: Rita Levi-Montalcini
https://en.wikipedia.org/wiki/Rita_Levi-Montalcini
9)Daniela Cipolloni, 最も偉大なイタリア人女性科学者、リータ・レーヴィ=モンタルチーニの103年の生涯, Wired News (translated by Takeshi Otoshi) (2013)
https://wired.jp/2013/01/12/rita-levi-montalcini-morta/
10)古川昭栄 神経栄養因子の基礎研究とその医学的応用 YAKUGAKU ZASSHI vol.135(11) pp.1213―1226 (2015)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/yakushi/135/11/135_15-00219/_article/-char/ja/
11)Stanley Cohen, Rita Levi-Montalcini, and Viktor Hamburger, A nerve growth-stimulating factor isolated from sarcomas 37 and 180, Proc. Natl. Acad. Sci. USA, vol.42, pp.571-574 (1956).
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC534215/pdf/pnas00737-0144.pdf
12)Ruth Hogue Angeletti, Delio Mercanti, and Ralph A. Bradshaw, Amino acid sequences of mouse 2.5S nerve growth factor. I. Isolation and characterization of the soluble tryptic and chymotryptic peptides., Biochemistry vol.12, no.1, pp.90–100 (1973)
https://pubs.acs.org/doi/abs/10.1021/bi00725a017
13)Ruth Hogue Angeletti, Mark A. Hermodson, and Ralph A. Bradshaw, Amino acid sequences of mouse 2.5S nerve growth factor. II. Isolation and characterization of the thermolytic and peptic peptides and the complete covalent structure. Biochemistry vol.12, no.1, pp.100–115 (1973)
https://pubs.acs.org/doi/abs/10.1021/bi00725a018
14)A Ullrich, A Gray, C Berman, T J Dull, Human beta-nerve growth factor gene sequence highly homologous to that of mouse., Nature vol.303(5920) pp.821-825. (1983) doi: 10.1038/303821a0
15)Sun, H.L., Jiang, T., The structure of nerve growth factor in complex with lysophosphatidylinositol., Acta Crystallogr section F Struct Biol Commun vol.71, pp.906-912 (2015) DOI: 10.1107/S2053230X15008870
16)Protein Data Bank Crystal structure of Nerve growth factor in complex with lysophosphatidylinositol
DOI: 10.2210/pdb4XPJ/pdb
https://www.rcsb.org/structure/4XPJ
17)脳科学辞典:神経栄養因子
https://bsd.neuroinf.jp/wiki/%E7%A5%9E%E7%B5%8C%E6%A0%84%E9%A4%8A%E5%9B%A0%E5%AD%90
18)生沼泉 神経軸索ガイダンス分子セマフォリンの情報伝達機構 Journal of Japanese Biochemical Society vol.87(4): pp.428-437 (2015)
doi:10.14952/SEIKAGAKU.2015.870428
https://seikagaku.jbsoc.or.jp/10.14952/SEIKAGAKU.2015.870428/data/index.html
19)Sun, H.L., Jiang, T., The structure of nerve growth factor in complex with lysophosphatidylinositol., Acta Crystallogr section F Struct Biol Commun vol.71: pp.906-912 (2015) DOI: 10.1107/S2053230X15008870
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