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2020年11月20日 (金)

続・生物学茶話 119: ショウジョウバエの体節形成

体節形成は生物にとって本当に重要なのでしょうか。現にタコやイカに体節はありませんし、私達の体には背骨の構造や肋骨をみればわかるように体節が存在しますが、外見上はっきりとはわからない状態になっているので、ひょっとすると退化途上にあるのかもしれません。しかし環形動物や節足動物などカンブリア紀あるいはそれ以前から数億年の間、体節を基本としたボディープランを引き継いでいる生物が永続し繁栄していることは事実です。なかでも基本型をそのままに近い形で引き継いでいると思われる代表的生物がゴカイやムカデなどです(1、図109-1)。

図109-1のオオムカデは毒腺をもっていて刺されると痛いですし、怖いとか気持ち悪いとかの印象を刷り込まれている方が多いと思います。私もそのひとりですが、一方で生物学者としてみると、実にすっきりとしたボディプランの生物だと思います。胴体は一つの体節に2本の足というユニットの繰り返しで、あとは口と肛門。アクセサリーとして触覚と顎があるというわかりやすい構造です。頭の方の2つの体節と尾の方のひとつの体節は形が違っていて、触角・顎・毒腺・アナルバルブなどの特殊な構造が存在します。つまり、やや込み入った分化の情報は前方2節と後方1節にほぼ限定され、あとは生殖器を分化させれば良いだけということになります。

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図119-1 体節を持つ生物の典型例 オオムカデ(節足動物門ムカデ綱)

ムカデに比べるとかなり特殊化している生物と思われますが、体節形成が圧倒的に詳しく研究されているのはショウジョウバエです。ショウジョウバエでは突然変異体を得やすいので、関与する多数の遺伝子の役割りがかなり判明しています。ショウジョウバエでは体節形成やその後の発生に関与する遺伝子が多数知られており、それらのヒエラルキーもかなり明らかになっています。参照文献2などを参考に整理してリストアップしてみました(図109-2)。

一般に昆虫の卵は母親が残したmRNAが不均一に分布していて、その情報にしたがって初期発生が行われます。その最初の情報の分子的実体が、図109-2の最上段の4種のmRNA、bicoid, nanos, hunchback, caudal (maternal effect genes 由来) です。ただし種によって違いがあるので、網羅しているわけではありません。このうち bicoid, hunchback, caudal はそれぞれ転写因子をコードしていて、残る一つの nanos は翻訳阻害因子をコードしています。bicoid は翻訳阻害因子としても作用します。これらの因子の最も重要な役割は卵の前後軸を決定することです(2)。

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図119-2 ショウジョウバエの発生に関与する遺伝子のヒエラルキー

最上段の4つの因子の指令を受けて、前後軸と体節形成の準備をすすめるのがギャップ遺伝子群、実際に体節構造を製作していくのがペアルール遺伝子群、体節ごとの特徴を決めて、その位置に形成されるべき組織・器官を制作していくのがホメオティック遺伝子群とその指示を受けて発現するリアライゼーター遺伝子群ということになります(図109-2)。

図109-3の上段の2枚のパネルのように、未受精卵では bicoid mRNA は頭部に局在し、nanos mRNA は尾部に局在しています。それぞれ細胞膜や細胞骨格と結合して全体に広がらないように係留されています。一方 caudal と hunchback は局在することなく卵全体の細胞質にひろがって存在します。これが受精によって一気に活動を始めるわけです。ここで余談になりますが、ショウジョウバエは奇妙な受精システムを持っています。体長がたった3mmくらいの小さな生物なのに、メスはなぜか長さ8cmの折りたたまれた受精囊をもっていて、オスはここにフィットする長さ5cmの精子を作ります(3)。自分の身長の十数倍のサイズの精子を作る生物は他にはいないようです。非常に洗練されたボディープランを持つこの小さな生物が、なぜこのような無駄とも思える巨大な精子をつくるために多大なエネルギーを費やすのか理解できません。とはいってもヒトだってピラミッドを造ったりするわけですから、それが生物なのかもしれません。

受精すると多くの生物では細胞分裂が開始されますが、昆虫やクモはまず細胞核だけが分裂します。これは母親が残してくれた設計図(mRNAの局在)を生かすためにはベストな方法です。その理由はmRNAによって造られるタンパク質が転写因子だった場合、直接核に侵入して転写を制御できるという点にあります。これによって細胞膜の受容体などを介さず、シンプルでスピーディーな情報発現が行なわれ、発生の期間が短縮されるというメリットがあります。昆虫のようなサイズの小さい生物の場合、短期間に多くの子孫をつくるというシステムは極めて有用です。

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図119-3 受精前の母親由来mRNAと受精後に翻訳されたタンパク質の分布

hunchback と caudal mRNA は bicoid や nanos のように局在はなく、当初満遍なく分布していますが、bicoid mRNA が転写されて bicoid タンパク質が合成されると、このタンパク質は転写因子としてギャップ遺伝子の転写を促進すると共に、翻訳阻害因子として caudal mRNA の翻訳を阻害します。したがって卵の前部では caudal タンパク質の濃度は低く、後半で高いということになります(図109-4)。一方 nanos mRNA が転写されて nanos タンパク質が合成されると、これは hunchback mRNA の翻訳を阻害するため、hunchback タンパク質の濃度は前部で高く、後部で低いということになります。未受精卵にあるこれら4種のmRNAは昆虫ではすべて同じではなく、別種のmRNAで代替されることもあるようです(4)。

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図119-4 発生初期胚における情報の勾配

前後軸が形成されると、hunchback や caudal に加えて図109-5のようなギャップ遺伝子群が転写・翻訳されて前部・中央部・尾部などおおまかに各領域をわけるためのタンパク質が合成されます(5、6)。それらが図109-2の上から2段目のグループです。それぞれが発現する位置は図109-5に示してあります。ここでわかるようにひとつのギャップ遺伝子は特定の1ヵ所で発現しているわけではないので、ひとつのギャップ遺伝子が頭、別のが胸という形で1:1に形態形成を指定しているわけではありません。例えばある遺伝子を欠損するとどの体節が欠けるというような遺伝学的解析の結果があっても、その遺伝子と体節が1:1で対応しているという証明にはなりません。なぜなら複数の遺伝子産物の濃度の組み合わせによって、適切な情報がペアルール遺伝子群やホメオティック遺伝子群の発現を制御しているからです(7)。

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図119-5 ギャップ遺伝子の発現

ペアルール遺伝子群は、その発現様式が体節形成のアルゴリズムを決定するタンパク質をコードするという重要な遺伝子群です(8、9)。この遺伝子群は体節形成に直接関わっていて、厳密に体節(体の各部位を形成するための足場のような役割を持つ仮の体節)が形成される場所に発現します(図109-6)。たとえば fushi tarazu (ftz) や even-skipped (eve) 遺伝子の突然変異によって、体節の数が半分になるというような事態になります(5)。その意味ではペアルール遺伝子の発現は、体節の形成に1:1で対応しています。

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図119-6 ペアルール遺伝子の発現

Nüsslein-Volhard と Wieschaus(図109-7)は突然変異を引きおこす化学物質を用いて、約1万8千種類の劣勢致死遺伝子(ホモになったときだけ致死)を持つショウジョウバエの系統を作成し、体節形成に異常をきたすなどの発生異常が原因で胚性致死となる580の変異系統を同定し、それを分析することによって胚発生にかかわる139の遺伝子を探り出しました。この研究法を飽和遺伝子スクリーニングと言うそうです(9、10)。驚くべきことに彼らが報告した139の遺伝子のほとんどのホモログが脊椎動物でも見つかりました(10)。

Lewis (図109-7)らは彼らより前からホメオティック遺伝子の研究を行っており(11、図109-1)、Nüsslein-Volhard 、Wieschaus、Lewis は共に1995年のノーベル生理学医学賞を受賞しました。ホメオティック遺伝子はその変異によって触覚の代わりに肢が生えるというようなわかりやすいものなので、上流の遺伝子群より先にいろいろなことが知られていました。

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図119-7 1995年のノーベル生理学医学賞受賞者たち

ホメオティック遺伝子群はアンテナペディア複合遺伝子のグループ(ANT-C=アンテナペディアコンプレックス)とバイソラックス複合遺伝子(BX-C=バイソラックスコンプレックス)のグループに2分され、それぞれゲノム上にクラスターを形成しています。図109-8をみるとアンテナペディアは胸、羽、第1肢、頭部の形成を担当し、バイソラックスは第2・3肢、腹部を担当しているようです。ホメオティック遺伝子はホメオドメインという部位を持つ転写因子をコードしていて、これらの転写因子はホメオドメインでDNAの特定部位に結合し、リアライゼーター遺伝子などの発現を制御しています。ですからホメオティック遺伝子がどこで発現するかは、その場所に所定の組織や器官がつくられるかどうかを決めることになります(12)。

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図119-8 ショウジョウバエのホメオティック遺伝子と発現する体の部位

ホメオティック遺伝子はさまざまな動物でよく保存されており、例えばハエの遺伝子をニワトリの対応遺伝子と入れ替えても完全に機能するという報告があります(13)。ショウジョウバエとヒトは進化上非常に離れた位置にありますが、ショウジョウバエの主要なホメオティック遺伝子には、ヒトにもホモログが存在し、形態形成に寄与していることが判明しています(14、図109-9)。

すなわち前口動物と後口動物の共通の祖先が(もちろんエディアカラ紀より以前に)、ホメオティック遺伝子を保有していたことが示唆されます。興味深いことに、つくられる組織・器官の形態が全く異なっているにもかかわらず(ヒトには触覚はありません)、これらの遺伝子が発現する位置・前後関係が全く同じで入れ替わりがありません。つまり左右相称動物の場合、ホメオティック遺伝子の発現までには発生プランに大きな差はなく、形態の違いはリアライゼーター遺伝子より下流に発現する遺伝子の変異によって生まれたものと考えられます。

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図119-9 ショウジョウバエとヒトのホメオティック遺伝子とその発現位置の比較


参照

1)ウィキペディア: ムカデ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A0%E3%82%AB%E3%83%87

2)Wikipedia: Drosophila embryogenesis
https://en.wikipedia.org/wiki/Drosophila_embryogenesis

3)Stefan Lüpold et al., How sexual selection can drive the evolution of costly sperm ornamentation., Nature vol.533, pp.535–538, (2016)
https://www.nature.com/articles/nature18005
(日本語解説:http://www.natureasia.com/ja-jp/nature/highlights/75322)

4)Reinhard Schröder, The genes orthodenticle and hunchback substitute for bicoid in the beetle Tribolium., Nature vol.422, pp.621–625 (2003)
https://www.nature.com/articles/nature01536

5)東京医科歯科大学講義資料 個体の発生と分化Ⅱ- 発生と分化のしくみ
http://www.tmd.ac.jp/artsci/biol/textlife/develop2.htm

6)Wikipedia: Gap genes
https://en.wikipedia.org/wiki/Gap_gene

7)Ingham, P. W.; Ish-Horowicz, D. & Howard, KR., Correlative changes in homoeotic and segmentation gene expression in Krüppel mutant embryos of Drosophila., EMBO J vol.5, pp.1659-1665, (1986)
https://www.embopress.org/doi/abs/10.1002/j.1460-2075.1986.tb04409.x

8)Wikipedia: Pair-rule genes
https://en.wikipedia.org/wiki/Pair-rule_gene

9)Christiane Nüsslein-Volhard & Eric Wieschaus, Mutations affecting segment number and polarity in Drosophila., Nature vol.287, pp.795–801 (1980)
https://www.nature.com/articles/287795a0

10)林茂生 ショウジョウバエが教える驚きの発生メカニズム
https://www.chart.co.jp/subject/rika/scnet/59/Snet59-3.pdf

11)Lewis, E.B. A gene complex controlling segmentation in Drosophila. Nature vol.276, pp.565–570 (1978)
https://www.nature.com/articles/276565a0

12)遺伝子博物館 発生における遺伝子作用 ~ ホメオティック遺伝子
https://www.nig.ac.jp/museum/OLD-MS/history-x/09_b.html

13)Lutz, B.; H.C. Lu, G. Eichele, D. Miller, and T.C. Kaufman, Rescue of Drosophila labial null mutant by the chicken ortholog Hoxb-1 demonstrates that the function of Hox genes is phylogenetically conserved., Genes & Development vol.10., pp.176-184, (1996)
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/8566751/

14)Manuel Mark, Filippo M Rijli & Pierre Chambon, Homeobox Genes in Embryogenesis and Pathogenesis., Pediatric Research vol.42, pp.421–429, (1997)
https://www.nature.com/articles/pr19972506

 

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