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2020年8月14日 (金)

続・生物学茶話106: 脳のはじまり 2

セクション105でプラナリアに若干突っ込みましたが、よりシンプルと思われる神経系を持つ刺胞動物に暫時立ち戻りたいと思います。刺胞動物(ヒドラ・クラゲ・イソギンチャク)は海綿動物と違って泳いだりエサを触手で捕まえたりという複雑な作業をする生物です。このような作業を行うためには、かなり多くの細胞が協調し、統合された機能を発揮する必要があります。そのために神経系を発達させて多くの細胞から情報を集めたり、神経系の指令下で筋肉を使って統合的な行動を行なうようになりました。

刺胞動物の中でも遊泳を行わないヒドラは、始原的な神経系を持つという意味で興味深い生物です。彼らは海洋での激しい生存競争から離れて、淡水という辺境で生きることを選びました。プラナリアのように岩陰に隠れるために神経系を発達させるということはなく、隠れないで生活し、触手の毒針でエサを麻痺させて食べるために神経系を発達させたのでしょう。ヒドラとはどのような生物なのか、少し詳しく見ていきましょう? その特徴を特に神経に注目して羅列すると次のようになります。

1.ヒドラには8種類の細胞が存在します。上皮筋細胞・消化細胞・腺細胞・神経細胞・刺胞細胞・間細胞・精子・卵がその全てです。間細胞は自己複製するほか、刺胞細胞・神経細胞・腺細胞などに分化することができます(1)。

2.ヒドラの個体は10万個位の細胞から成り立っていますが、そのうち5~15個の細胞集塊から個体を復元できます。これはプラナリアよりも強力な復元力です(2)。

3.神経細胞は感覚ニューロン・運動ニューロン・介在ニューロン(感覚ニューロンから運動ニューロンへへの情報伝達を中継)・神経分泌細胞を兼任しています(3)。

4.ヒドラの神経細胞には軸索と樹状突起の分化はありませんが、シナプスがあり、神経伝達には方向性があります(4)。

5.神経伝達物質はペプチドですが、刺胞動物特有の多数の分子からなっています。神経細胞の種類によって分泌する神経ペプチドの種類は異なっています(5)。例えば胴体には RFamideペプチドが認められませんが、それより下部の足盤に近い部分には多量の RFamideペプチドが認められるなどです(5)。RFamideペプチドは哺乳動物でもみられる神経伝達物質で、C末に Arg-Phe-NH2 という構造を持つという特徴があります。

6.アセチルコリン・モノアミン類・アミノ酸などペプチド以外の神経伝達物質はおそらく使われていません(6)。

藤澤千笑によると、間細胞には(精子に分化)(卵に分化)(精子+刺胞・神経・腺に分化)(卵+刺胞・神経・腺に分化)の少なくとも4種類の細胞があるそうです(7)。刺胞細胞・神経細胞は失われやすく、常に間細胞の分裂と分化によってこれらを補給しないとヒドラは生きていけないようです。一方でこれらの細胞を間細胞が常に補給できるような良い条件で飼育すると、ヒドラの個体は自然には死なないとも言われています(8)。有性生殖は温度が下がったり、飢餓状態になったときなどに行ないます。それ以外の場合、体細胞の分裂によってポリプを生じて無性生殖を行ないます。

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図106-1 ヒドラの個体全体像(左)と胴体を構成する細胞(右)

藤澤は間細胞の研究過程で、(精子に分化)または(卵に分化)の単能性間細胞しかもたない個体を作成することに成功しました(7)。この個体は刺胞細胞や神経細胞を補給できないため「寝たきりヒドラ」と呼ばれ、無理矢理エサを口からつっこみ、胃の清掃も人が行なうことによって、なんとか生きていくことができます。はからずもなのか計画通りなのかわかりませんが、ヒドラの神経細胞の主要な機能(エサを捕獲する、口で捕食する、胃を動かして消化する)が明らかになったわけです。

Charles N.David はヒドラを単細胞に解離して放射能でラベルしたあと、ラベルした1個の細胞を非ラベルの多くの細胞と再集合させて増殖・分化させる実験系を用いて、ヒドラの間細胞は自己複製して自らとそのコピーを作成する場合と「自己+分化する細胞」に不等分裂する場合があり、後者によってすべての種類の分化した細胞を作成できることを証明しました(9、10、図106-2)。

この全能性の幹細胞は自己複製できるので、不等分裂しなくても幹細胞が枯渇することはないわけですが(分化して消失した細胞の分だけ自己複製によって補充すればよい)、それでも不等分裂するのは、おそらく特定の位置(ニッチ)に幹細胞があることによって、特定の部域に分化した細胞を遅滞なく供給できるというメリットがあるからだと思います。イメージとしては壁に幹細胞が張り付いていて、そこから分化した細胞が生まれて壁紙やフックや掛け時計になるという感じです。

全能性幹細胞が存在することは、生命の存続にとって非常に有利だと思いますが、どうして多くの生物がこのようなメリットを放棄せざるを得なかったかと言えば、様々な特殊機能を発達させようという方向に向かったという事情があるためでしょう。たとえば血液をポンプで全身に高速循環できるというメリットがある閉鎖血管系を持つ私達のような生物は、体が切断されるとたちまち出血多量で死亡するので、全能性幹細胞を持っていても宝の持ち腐れになってしまいます。おそらくカンブリア紀に多くの生物が全能性幹細胞を使った無性生殖を放棄したと思われます。

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図106-2 ヒドラ間細胞の全能性

刺胞動物と扁形動物は全能性幹細胞を用いた無性生殖を放棄しなかった少数派の生物ですが、それぞれのボディプランはかなり違います。刺胞動物はどちらかといえば放射相称、扁形動物は左右相称の生物です。これは私の勝手な推測ですが、扁形動物は刺胞動物と比べると活動力の低い地味な生物で、岩の下に隠れ住んでそんな場所でなんとか生き延びるために脳やさまざまなセンサーなどのラグジュアリーな神経系を持つことになったと思います。プラナリアはひとつの個体の中に多数の幹細胞をもっていて、体を二つに分けるという方法で何十年も無性生殖だけで生き延びられるので、その間に変異したゲノムを持つ幹細胞からバラエティに富む遺伝的背景を持った個体が生まれます(11)。そのためDNAの塩基配列から進化系統の位置を決めることがなかなか難しいグループです。ただプラナリアは数個のような少数の体細胞から1個の個体をつくることはできないので、それなりにヒドラより再生能力は低下しているとは言えます。

扁形動物は肛門をもたない(あるいは口と肛門が同じ)ので、形態学的に見れば前口動物でも後口動物でもない原始的な生物と言えます。しかしセクション103の動物分類表に示したように、遺伝学的研究からは扁形動物は前口動物に近いとされています。毛顎動物と扁形動物は両者とも肛門を持たず左右相称であり、最近の遺伝学的研究によると両者の祖先は意外に進化的に近い位置にあるのかもしれません(12)。

プラナリアの脳は図106-3Aでは腹側神経索の一部が肥大した臓器のように見えますが、実際には図106-3Bのように眼と脳は背側にあって、独立した神経によって腹側神経索と連絡しているにすぎません。プラナリアの脳はまず右脳と左脳に分かれており、それぞれから9対の神経束が周辺に伸びています(図106-3)。それぞれの神経束が収納するニューロン群が集積してドメイン構造(葉、ローブ、コンパートメントなど呼び方はいろいろ)を作っています。

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図106-3 プラナリアの脳

プラナリアの脳は前後にならんだドメインにわかれているだけでなく、表層と内部でも機能分化がみられ、図106-4のように外側から機械刺激受容(痛圧覚)、化学刺激受容(臭覚)、介在ニューロン、光刺激受容(視覚)の各部域となっています。これは梅園らが部域特異的に発現する遺伝子をマーカーとして色分けしたものです(13)。マーカーとして用いたのは各種ホメオボックス遺伝子の発現です。ホメオボックス遺伝子群は生物の発生における指揮者のような役割を持っており、これらの遺伝子が発現する転写因子がDNAに製造すべき構造タンパク質などの種類を指示します。このほか井上らによれば温度を感知する神経も全身に分布していて、情報は脳に集められ行動が決定されます(14、15)。温度が低い方に、光が当たらない方に移動するというのは辺境生物らしいプラナリアの特性です。

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図106-4 プラナリア脳の役割分化

セクション105「脳のはじまり1」で、欠損すると体全体に脳ができるという ndk遺伝子を紹介しましたが、この遺伝子は体の前後軸(したがって脳の位置)を決定する元締めではないであろうことや、さまざまな遺伝子が前後軸の決定に関与していることが最近明らかになってきました(16、17)。ヒルとピーターセン(図106-5)はプラナリアの体の前後軸を決定しているメカニズムの枢要が wnt と notum の相互の作用抑制によるコラボレーションであることを提唱しました(16)。

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図106-5 エリック・ヒルとクリスチャン・ピーターセン

通常notumは頭部の一部の細胞に、wnt1は尾部の一部の細胞にしか発現していません(図7)。プラナリアの体が切断されると前端に主としてnotum、後端に主としてwnt1が発現し、その後の頭部発生と尾部発生を統括するわけです。wnt1を欠損する個体では尾部は形成されず、本来尾部が形成されるべき位置に頭部が形成されたりします。notumの作用を抑制すると逆の効果となります。なぜ断片の前端と後端でそれぞれnotumとwnt1が発現するのかは謎ですが、wnt1はβカテニンの安定化、したがってその転写因子としての役割をサポートするのに対して、notumはwnt1の作用を抑制するのでβカテニンが不安定化し分解されてしまいます。

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図106-6 プラナリアの前後軸形成

notumとwnt1以外にも前後軸形成に関与する因子は数多く報告されつつあり(17、図106-7)、急速に研究は進展しています。腹背軸の形成に関与する因子も一部明らかになりつつあるようです。前後軸が決定された後にndkなどFGF受容体関連因子、wnt、otx、netrinなどの作用によって脳形成がおこなわれます。

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図106-7 プラナリアの頭部・尾部形成に関与する様々な因子

 

参照

1.C N David and H MacWilliams., Regulation of the self-renewal probability in Hydra stem cell clones.,PNAS February 1, 1978. 75 (2) 886-890;
https://doi.org/10.1073/pnas.75.2.886
http://www.pnas.org/content/75/2/886

2.Ulrich Technau et al., Parameters of self-organization in Hydra aggregates., PNAS October 24, 2000. 97 (22) 12127-12131;
https://doi.org/10.1073/pnas.97.22.12127
http://www.pnas.org/content/97/22/12127

3.阿形清和・小泉修共編 「神経系の多様性 その起源と進化」第1章 p.14 培風館(2007)

4.清水裕 高等動物の消化,循環機構の進化的起源を腔腸動物ヒドラに探す 比較生理生化学 Vo1.20,No.2, pp.69-81 (2003)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/hikakuseiriseika1990/20/2/20_2_69/_pdf/-char/ja

5.阿形清和・小泉修共編 「神経系の多様性 その起源と進化」第1章 pp.22-23., 培風館(2007)

6.宗岡洋二郎 神経ペプチドの比較生物学 化学と生物 Vol. 36, No. 3,  pp. 153-159 (1998)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/kagakutoseibutsu1962/36/3/36_3_153/_pdf

7.藤澤千笑 ヒドラ性決定及び性転換における間幹細胞の役割 JAIRO
http://jairo.nii.ac.jp/0201/00000897

8.Ralf Schaible et al., Constant mortality and fertility over age in Hydra., Proc. Natl. Acad. Sci. USA vol.112, pp.15701-15706 (2015)
https://www.pnas.org/content/112/51/15701.short

9.Charles N. David., Interstitial stem cells in Hydra: multipotency and decision-making., Int. J. Dev. Biol. 56: 489-497 (2012)
doi: 10.1387/ijdb.113476cd
http://www.ijdb.ehu.es/web/paper.php?doi=10.1387/ijdb.113476cd

10.http://www.cellbiology.bio.lmu.de/people/principal_investigators/charles_david/

11.西村理 京都大学学位論文 プラナリアDugesia japonicaのゲノム解析による、脳の進化および無性/有性生殖サイクルに関する考察 (2016)
https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/215189/1/yrigr01554.pdf

12.https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AF%9B%E9%A1%8E%E5%8B%95%E7%89%A9

13.Umesono, Y., Watanabe, K. & Agata, K., Distinct structural domains in the planarian brain defined by the expression ofevolutionarily conserved homeobox genes. Dev. Genes Evol. vol. 209, pp. 31-39. (1999)

14.Takeshi Inoue, Taiga Yamashita, and Kiyokazu Agata.,  Thermosensory Signaling by TRPM Is Processed by Brain Serotonergic Neurons to Produce Planarian Thermotaxis.,  The Journal of Neuroscience,  vol. 34(47): pp. 15701-15714 (2014)
http://www.jneurosci.org/content/34/47/15701

15.温度を感じる神経系の基本的なしくみ、解明される。 京都大学HP
http://www.kyoto-u.ac.jp/ja/research/research_results/2014/141119_1.html

16.Eric M. Hill, and Christian P. Petersen, Wnt/Notum spatial feedback inhibition controls neoblast differentiation to regulate reversible growth of the planarian brain., Development,  vol. 142:  pp. 4217-4229;  (2015)  doi: 10.1242/dev.123612
http://dev.biologists.org/content/142/24/4217
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC4689217/

17.Sushira Owlarn and Kerstin Bartscherer, Go ahead, grow a head! A planarian's guide to anterior regeneration. Regeneration., vol. 3(3)., pp. 139-155, (2016)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/27606065

 

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