続・生物学茶話102: ニューロンという細胞
脳神経組織の主役はニューロンという細胞(神経細胞)です。こんなに響きの美しい名前をつけられた細胞はほかにあまりみあたりません。名付け親はウィルヘルム・フォン・ワルダイエルというドイツの解剖学者で、1891年に造語したそうです。どんな細胞なのでしょうか? とりあえずウィキペディアに102-1、102-2のような模式図があります。ニューロンの特徴は核のある細胞体から細長いパイプのような構造体が突き出していることです。その突き出し方によって4種類のタイプに分類されます(図102-1)(1)。とはいっても、実際にはもっと複雑な形態のものが多いので、これらは典型的なものを示しているにすぎません。
1本の長いパイプと数本の短い突起体が突出している細胞が典型的な形態のニューロンです(図102-2)(1)。長いパイプは軸索と呼ばれ、通常ミエリン鞘というサヤで覆われています(覆われていない軸索もあります)。サヤを作っているのはシュワン細胞で、この細胞によるシールドは電線の被覆のようにぴっちり覆っているのではなく隙間が存在して、それはランヴィエ絞輪(こうりん)と呼ばれています。ミエリン鞘やランヴィエ絞輪については後に詳述します。長い軸索に対して、短い突起体は樹状突起と呼ばれています。たとえばヒト脊髄に存在する軸索には長さが1メートルくらいのものがありますが、樹状突起は数マイクロメーターの長さが普通です。ただし脳には長い樹状突起を持つ細胞もあります。
図102-2 ニューロンとシュワン細胞
複雑なニューロンの構造を精細に記載し、その機能について正しく指摘したのはスペインの神経科学者カハールでした。図102-3は彼がスズメ視蓋(脳の一部)の組織切片をスケッチしたものです(2)。カハールのスケッチはスワンソンらによって復刻され、出版されているので、現在でも容易に閲覧することができます(3)。それまで中枢神経は多核の細胞が切れ目の無い網のような構造とっていると考えられていたのですが、カハールは図102-3のようなニューロンが多数集合した、非連続的な細胞の集合体であるという、いわゆる「ニューロン説」を唱えました。さらにニューロン同士はシナプスという特殊な接合部で連絡すると考えました。
カハールは大学卒業後軍医として就職しましたが、赴任地となったキューバでマラリアと結核になり、長い療養生活を強いられました。しかしそのおかげでアカデミック世界に復帰し、マドリッド、サラゴサ、バレンシアで研究を続けましたが、バルセロナで銀染色の手技を身につけたことが、彼の人生を変えました。この方法によって神経細胞が鮮明に見えるようになったのです(4)。カハールは1906年にノーベル生理学・医学賞を受賞しています。この時同時に受賞したゴルジは網構造説を支持していました。ニューロン説は後にシナプスの構造が電子顕微鏡で明らかにされることによって、正しい学説であることが証明されました(図102-7)。
さて、ではニューロンはどのような方法で情報を伝達するのでしょうか? それは軸索とシナプスで大きく異なります。軸索での情報伝達に主役として関わるのは NaK-ATPase という細胞膜にはめ込まれた酵素です。この酵素を発見したのはロバート・ポストとイェンス・スコウです。
イェンス・スコウは麻酔薬の作用機構を研究していて、麻酔薬がナトリウムチャネルを解放することによって神経細胞内のイオン濃度を変化させ、麻酔の効果が現われると考えていました。チャネルというのは水路という意味ですが、細胞にはさまざまなチャネルがあり、それぞれ水門を持っていて開けたり閉じたりすることができます。ただし水位(濃度)が低いところから高いところへは分子を移動させることはできません。そのためにはエネルギーを消費して駆動するポンプが必要です。
イェンス・スコウは1958年にウィーンの学会でロバート・ポストに会い、ポストが赤血球で2分子のカリウムイオンが細胞内に汲み入れられると同時に3分子のナトリウムイオンが細胞外に汲み出されることを発見していたことを知りました。ポストはそのポンプの阻害剤としてウアバインを使っていましたが、スコウが研究していた神経細胞のナトリウムポンプ酵素もウアバインで阻害されることがわかり、スコウの酵素NaK-ATPaseがNaKポンプの実体であること判明しました(5、図102-4)。
イェンス・スコウはNa+K+-ATPaseの発見の功績によって、1997年のノーベル化学賞を受賞していますが、この発見にはロバート・ポストも大きく貢献したことは間違いありません。これを端緒として、軸索における情報伝達は何らかの刺激によってNa+チャネルが解放されて、Naイオンが細胞内に流入することによって活動電位が発生し、それが軸索に沿って伝播することによって情報が伝達されることがわかりました(図102-5)。
ニューロンは通常はNa+を細胞外に排出するために(ナトリウムポンプを動かすために)、生成したATPの70%を消費しています(6)。カリウムはNa+K+-ATPaseのはたらきで細胞内にとりこまれますが、実はカリウムイオン漏洩チャネルという常時開放している穴を通って外に出てしまうため、イオンの密度勾配にはあまり貢献せず、実質ナトリウムの濃度勾配が電位を決めています(7)。ナトリウムイオンのチャネルは通常は閉じていて、活動電位を発生させるときに開きます(7、図102-5)。チャネルが開くと、濃度勾配にしたがってナトリウムイオンは細胞内に流入します。
活動電位は両側に伝播しますが、神経細胞体が刺激を受けた場合、軸索が1本の細胞では軸索と反対側は行き止まりで、実質軸索内を軸索末端の方向に伝播します(図102-5)。軸索まで到達したシグナルは、さらに軸索末端からシナプスを通じて隣接する細胞に受け渡されます(図102-6)。シナプスでの信号伝達は後記するように一方通行なので、活動電位が両側性であっても、神経系における信号の流れは結果的に一方通行になります。
シナプスはカハールのニューロン説の基盤になっていたわけですが、その名付け親はカハールではなくシェリントン(Charles Scott Sherrington 1857-1952)です。シェリントンは筋が収縮すると、その逆側の筋(拮抗筋)が弛緩するという「シェリントンの法則」を発見したことで有名ですが、「脳は多数の反射を有機的に統合して複雑な運動を作り上げる作用をもっている」という学説を提唱して、近代神経生理学の基礎を築いた人です(8)。1932年にアクションポテンシャルの研究で有名なエドガー・エイドリアンとともにノーベル生理学・医学賞を受賞しています。
シナプスでは図102-6のようにシナプス小胞に含まれている化学物質が前シナプス細胞(図102-6の上側細胞)と後シナプス細胞(図102-6の下側細胞)の隙間に放出され、そのシグナルを後シナプス細胞が表層で受け取ることによって隣接する細胞に情報が伝達されます。
ニューロン説やシナプスが19世紀から唱えられ、また発見されていたにもかかわらず、20世紀の半ば以降にシナプスが電子顕微鏡で観察されるようになるまで、それらは一般に認知されませんでした。このあたりの事情は齋藤基一郎と佐々木薫の総説などに詳述されています(9、10)。カハールのニューロン説を勝利に導いたのは、エドゥアルド・デ・ロバーティス、ジョージ・パラーデらによる電子顕微鏡観察の研究結果でした(11、12、図102-7)。パラーデとは細胞分画法を確立し、リボソームと小胞体の関係を解明して1974年にノーベル生理学医学賞を受賞したあのパラーデです。
図102-7 電子顕微鏡によるシナプスの撮影
文献9によると、デ・ロバーティス、パラーデ達の研究結果から「これによるとシナプス前膜とシナプス後膜は二枚の離れた厚さ7nmの膜であり,両者はシナプス溝(幅約20nm)の間隙によって隔てられており,シナプス前膜側にある神経伝達物質を含むシナプス小胞は直径50nmのサイズであることが明らかにされた」とあります。
前膜・後膜という名前からわかるように、シナプスにおける情報伝達には方向性があり、シナプス小胞が存在する側から存在しない側に一方通行で情報が伝達されます。シナプス小胞には神経伝達物質が含まれており、エキソサイトーシスまたは輸送体によってシナプス間隙に放出され、シナプス後膜の受容体によって受け取られます(13、図102-6)。
神経伝達物質としては 1.アミノ酸(グルタミン酸、γ-アミノ酪酸、アスパラギン酸、グリシンなど)、2.ペプチド類(バソプレシン、ソマトスタチン、ニューロテンシンなど)、3.モノアミン類(ノルアドレナリン、ドパミン、セロトニン)とアセチルコリンなどが知られています(14)。神経伝達物質の種類によってその受容体が異なるので、その後に起こることも違ってきますが、典型的には受容体がイオンチャネルであり、伝達物質の結合によってナトリウムが通過して活動電位が発生します。これによって電気シグナル(軸索)→化学シグナル(シナプス)→電気シグナル(樹状突起)→電気シグナル(軸索)という形でシグナル伝達が行なわれることになります(図102-7)。
シナプスにおける化学情報伝達の典型例は次のように考えられています(15)。
1.前シナプス細胞の軸索を活動電位が伝わり、軸索末端に達する。
2.活動電位によって、軸索末端膜上に位置する電位依存性カルシウムイオンチャネルが開く。
3.するとカルシウムイオンがシナプス前細胞内に流入し、シナプス小胞がエクソサイト-シスにより細胞外に放出される。
4.神経伝達物質はシナプス間隙を拡散し、シナプス後細胞の細胞膜上に分布する神経伝達物質受容体に結合する。
5.シナプス後細胞のイオンチャネルが開き、細胞膜内外の電位差が変化する。
参照
1)Wikipedia, neruron:
https://en.wikipedia.org/wiki/Neuron
2)Santiago Ramon y Cajal、"Estructura de los centros nerviosos de las aves", Madrid, 1905
3)Larry W. Swanson et al., Beautiful Brain: The Drawings of Santiago Ramon y Cajal., Harry N. Abrams Inc., New York (2017)
4)Wikipedia, Santiago Ramon y Cajal:
https://en.wikipedia.org/wiki/Santiago_Ram%C3%B3n_y_Cajal
5)Wikipedia, Jens Christian Skou
https://en.wikipedia.org/wiki/Jens_Christian_Skou
6)Wikipedia, Na+/K+-ATPアーゼ
https://ja.wikipedia.org/wiki/Na%2B/K%2B-ATP%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%82%BC
7)Wikipedia, 膜電位
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%86%9C%E9%9B%BB%E4%BD%8D
8)サイエンスジャーナル 第32回ノーベル生理学・医学賞 シェリントン・エイドリアン「All or none low」 (2012)
http://sciencejournal.livedoor.biz/archives/3778846.html
9)齋藤基一郎、佐々木薫.電子顕微鏡によるシナプス研究の歩み その超微構造と働き、茨城県立医療大学紀要第6巻 pp.23-36(2001)
https://ci.nii.ac.jp/els/contents110000487031.pdf?id=ART0000878702
10)William A. Wells.From the archive., The discovery of synaptic vesicles.
Published Online: 3 January, 2005 | Supp Info: http://doi.org/10.1083/jcb1681fta4
http://jcb.rupress.org/content/jcb/168/1/13.2.full.pdf
11)De Robertis, E.D.P., and H.S. Bennett., Some features of the submicroscopic morphology of synapses in frog and earthworm., J. Biophys. Biochem. Cytol. vol.1, pp. 47–58 (1955)
http://jcb.rupress.org/content/1/1/47?ijkey=606ed65709e41ffb73559e700fc15f6bfac2c752&keytype2=tf_ipsecsha
12)Palade, G.E., and S.L. Palay. 1954. Anat. Rec. 118:335. (1954)
13)脳科学辞典 シナプス小胞
https://bsd.neuroinf.jp/wiki/%E3%82%B7%E3%83%8A%E3%83%97%E3%82%B9%E5%B0%8F%E8%83%9E
14)Wikipedia, 神経伝達物質
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E7%B5%8C%E4%BC%9D%E9%81%94%E7%89%A9%E8%B3%AA
15)Wikipedia, シナプス
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%8A%E3%83%97%E3%82%B9
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