やぶにらみ生物論102: ニューロン
脳神経組織の主役はニューロンという細胞(神経細胞)です。どんな細胞なのでしょうか? この細胞は電気的および化学的に情報を伝達する能力に長けていることが特徴であり、典型的なものを図1に示します。とりあえずここではニューロンの細かい分類などは避けて、おおざっぱにどういうものかをみていきましょう。
細胞核周辺の神経細胞体と呼ばれる部分から樹状突起や軸索という細長い枝がでたような構造の細胞です。これらの枝には数マイクロメーター以下の樹状突起から、脊髄にある1メートルに及ぶ軸索突起まで、10の6乗のバラエティーで様々な長さのものがあります。
軸索はシュワン細胞による鞘のような構造(ミエリン鞘=髄鞘)で被われていますが、皮膚の痛覚神経のようにこのような被覆組織で被われていない軸索もあります。鞘が途切れている部分をランヴィエ絞輪(こうりん)と呼びます。これは発見者であるルイ=アントワーヌ・ランヴィエ(1、図8)にちなんで命名されました。
ニューロンはみんな図1のような形態かというとそうではなくて、たとえば軸索が枝分かれしているとか、複数の軸索があるとか、樹状突起がないとか、様々なバラエティーがあります(2、3)。ニューロンの構造を精細に記載し、その機能について正しく指摘したのはスペインの神経科学者カハールでした(図2)。
それまで中枢神経は多核の細胞が切れ目の無い網のような構造とっていると考えられていたのですが、カハールは図1のようなニューロンが多数集合した、非連続的な細胞の集合体であるという・・・いわゆる「ニューロン説」・・・を唱えました。さらにニューロン同士はシナプスという特殊な接合部で連絡すると考えました(図5)。
カハールは1906年にノーベル生理学・医学賞を受賞しています。ニューロン説は後にシナプスの構造が電子顕微鏡で明らかにされることによって、正しい学説であることが証明されました(図6)。
さて、ではニューロンはどのような方法で情報を伝達するのでしょうか? それは軸索とシナプスで大きく異なります。軸索での情報伝達に主役として関わるのは NaK-ATPase という細胞膜にはめ込まれた酵素です。この酵素を発見したのはロバート・ポストとイェンス・スコウです。
イェンス・スコウは麻酔薬の作用機構を研究していて、麻酔薬がナトリウムチャンネルを解放することによって神経細胞内のイオン濃度を変化させ、麻酔の効果が現われると考えていました。チャンネルというのは水路という意味ですが、細胞にはさまざまなチャンネルがあり、それぞれ水門を持っていて開けたり閉じたりすることができます。ただし水位(濃度)が低いところから高いところへは水(イオンなど)を移動させることはできません。そのためにはポンプが必要です。
イェンス・スコウは1958年にウィーンの学会でロバート・ポストに会い、ポストが赤血球で2分子のカリウムイオンが細胞内に汲み入れられると同時に3分子のナトリウムイオンが細胞外に汲み出されることを発見していたことを知りました。ポストはそのポンプの阻害剤としてウアバインを使っていましたが、スコウが研究していた神経細胞のナトリウムポンプ酵素もウアバインで阻害されることがわかり、スコウの酵素NaK-ATPaseがNaKポンプの実体であること判明しました(4、図3)。
イェンス・スコウはNa+K+-ATPaseの発見の功績によって、1997年のノーベル化学賞を受賞していますが、この発見にはロバート・ポストも大きく貢献したことは間違いありません。これを端緒として、軸索における情報伝達は何らかの刺激によってNa+チャンネルが解放されて、Naイオンが細胞内に流入することによって活動電位が発生し、それが軸索に沿って伝播することによって情報が伝達されることがわかりました(図4)。
ニューロンは通常はNa+を細胞外に排出するために(ナトリウムポンプを動かすために)、生成したATPの70%を消費しています(5)。カリウムはNa+K+-ATPaseのはたらきで細胞内にとりこまれますが、実はカリウムイオン漏洩チャンネルという常時開放している穴を通って外に出てしまうため、イオンの密度勾配にはあまり貢献せず、実質ナトリウムの濃度勾配が電位を決めています(6)。ナトリウムイオンのチャンネルは通常は閉じていて、活動電位を発生させるときに開きます(6、図4)。
活動電位は両側に伝播しますが、神経細胞体が刺激を受けた場合、軸索が1本の細胞では軸索と反対側は行き止まりで、実質軸索内を軸索末端の方向に伝播します(図4)。軸索まで到達したシグナルは、さらに軸索末端からシナプスを通じて隣接する細胞に受け渡されます(図5)。シナプスでの信号伝達は後記するように一方通行なので、活動電位が両側性であっても、神経系における信号の流れは結果的に一方通行になります。
シナプスはカハールのニューロン説の基盤になっていたわけですが、その名付け親はカハールではなくシェリントン(Charles Scott Sherrington 1857-1952)です。シェリントンは筋が収縮すると、その逆側の筋(拮抗筋)が弛緩するという「シェリントンの法則」を発見したことで有名ですが、「脳は多数の反射を有機的に統合して複雑な運動を作り上げる作用をもっている」という学説を提唱して、近代神経生理学の基礎を築いた人です(7)。1932年にアクションポテンシャルの研究で有名なエドガー・エイドリアンとともにノーベル生理学・医学賞を受賞しています。
ニューロン説やシナプスが19世紀から唱えられ、また発見されていたにもかかわらず、20世紀の半ば以降にシナプスが電子顕微鏡で観察されるようになるまで、それらは一般に認知されませんでした。このあたりの事情は齋藤基一郎と佐々木薫の総説などに詳述されています(8、9)。カハールのニューロン説を勝利に導いたのは、エドゥアルド・デ・ロバーティス、ジョージ・パラーデらによる電子顕微鏡観察の研究結果でした(10、11、図6)。
文献8によると、デ・ロバーティス、パラーデ達の研究結果から「これによるとシナプス前膜とシナプス後膜は二枚の離れた厚さ7nmの膜であり,両者はシナプス溝(幅約20nm)の間隙によって隔てられており,シナプス前膜側にある神経伝達物質を含むシナプス小胞は直径50nmのサイズであることが明らかにされた」とあります。
前膜・後膜という名前からわかるように、シナプスにおける情報伝達には方向性があり、シナプス小胞が存在する側から存在しない側に情報が伝達されます。シナプス小胞には神経伝達物質が含まれており、エキソサイトーシスまたは輸送体によってシナプス間隙に放出され、シナプス後膜の受容体によって受け取られます(12、図5)。
神経伝達物質としては 1.アミノ酸(グルタミン酸、γ-アミノ酪酸、アスパラギン酸、グリシンなど)、2.ペプチド類(バソプレシン、ソマトスタチン、ニューロテンシンなど)、3.モノアミン類(ノルアドレナリン、ドパミン、セロトニン)とアセチルコリンなどが知られています(13)。神経伝達物質の種類によってその受容体が異なるので、その後に起こることも違ってきますが、典型的には受容体がイオンチャンネルであり、伝達物質の結合によってナトリウムが通過して活動電位が発生します。これによって電気シグナル(軸索)→化学シグナル(シナプス)→電気シグナル(樹状突起)→電気シグナル(軸索)という形でシグナル伝達が行なわれることになります(図5)。
シナプスにおける化学情報伝達の典型例は次のように考えられています(14)。
1.前シナプス細胞の軸索を活動電位が伝わり、軸索末端に達する。
2.活動電位によ軸索末端膜上に位置する電位依存性カルシウムイオンチャネルが開く。
3.するとカルシウムイオンがシナプス内に流入し、シナプス小胞がエクソサイト-シスにより細胞外に放出される。
4.神経伝達物質はシナプス間隙を拡散し、後シナプス細胞の細胞膜上に分布する神経伝達物質受容体に結合する。
5.後シナプス細胞のイオンチャネルが開き、細胞膜内外の電位差が変化する。
シナプスは軸索末端と樹状突起をつなぐような典型例以外に、図7のようにさまざまな場合が存在し、それぞれ異なる意義を持つと考えられます。
軸索はミエリン鞘(髄鞘)で被われていると前に述べましたが、このミエリン鞘はルドルフ・フィルヒョウ(図8-脳科学辞典 髄鞘より)によって1858年に発見され記載されたグリア細胞がその実体です(15)。このグリア細胞は中枢ではオリゴデンドロサイト、末梢ではシュワン細胞と呼ばれています。オリゴデンドロサイトやシュワン細胞はニューロンの軸索を毛布でぐるぐる巻きにするように被覆し(図8)、軸索を絶縁することによって軸索の電気伝導速度を高めています。また軸索の物理的保護や栄養供給などさまざまなサポートを行なっていると考えられています(16-18)。
ミエリン鞘が軸索から脱落する病気は脱髄疾患と呼ばれており、大原麗子が罹患していたといわれるギラン・バレー症候群はその例として有名になりました。多発性硬化症や白質ジストロフィーも含まれます(18)。ミエリン鞘は脊椎動物だけでなく、エビやミミズにも存在するそうです(18)。
このミエリン鞘に切れ目があることを発見したのがルイ・ランヴィエです(図8)。彼の名前をとってランヴィエ紋輪と呼ばれています(図1、図9)。ランヴィエの絞輪は単に細胞の切れ目ではなありません。ミエリン鞘を持つ軸索は活動電位(脱分極)を連続的に移動させるのではなく、ランヴィエ絞輪の部分だけでとびとびにイオンの出し入れを行なって、高速に伝導をおこなっている(跳躍伝導)ことがわかっています(図9)。
このメカニズムを発見したのは戦後ロックフェラー財団の援助で渡米し、そのまま米国籍を取得した日系アメリカ人の生理学者田崎一二(たさき・いちじ)です(19、図9)。彼は97才までNIHで働いていたそうで、これはNIHのレコードだそうです(20)。奥様も一緒に写真に写っていますが、奥様(Nobuko氏)は70年近くにわたって彼のアシスタントを勤めてこられたそうで、そのことはNIHのマイルストーンにも記載されています(20)。
活動電位(アクション・ポテンデャル)という言葉がこの記事にもしばしば登場しましたが、この測定に成功したのがホジキンとハクスレイで、彼らはイカの神経軸索に金属製の電極を用いて膜電位とその変化を記録して解析した功績によって、1963年のノーベル生理学・医学賞を受賞しています(21、図10、図11)。それ以来イカは神経の研究にとって大事な素材となっており、脳神経科学の進歩に大きな貢献をしました。
イカの人工飼育は1970年代まで非常に困難でしたが、物理学者だった松本元はその原因が水槽のアンモニア濃度にあることを喝破し、アンモニアを分解するバクテリアのバイオフィルターで水を浄化することによって飼育に成功しました(22)。これは神経科学の進歩におおいに役立ちました。彼は「愛は脳を活性化する」(23)という本を執筆しており、「情がマスターで、知はスレイヴ」と述べているそうです(私は未読)。
参照
1)https://en.wikipedia.org/wiki/Louis-Antoine_Ranvier
2)http://web2.chubu-gu.ac.jp/web_labo/mikami/brain/10-1/index-10-1.html
3)https://en.wikipedia.org/wiki/Neuron
4)https://en.wikipedia.org/wiki/Jens_Christian_Skou
5)https://ja.wikipedia.org/wiki/Na%2B/K%2B-ATP%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%82%BC
6)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%86%9C%E9%9B%BB%E4%BD%8D
7)サイエンスジャーナル 第32回ノーベル生理学・医学賞 シェリントン・エイドリアン「All or none low」 (2012)
http://sciencejournal.livedoor.biz/archives/3778846.html
8)齋藤基一郎、佐々木薫.電子顕微鏡によるシナプス研究の歩み その超微構造と働き、茨城県立医療大学紀要第6巻 pp.23-36(2001)
https://ci.nii.ac.jp/els/contents110000487031.pdf?id=ART0000878702
9)William A. Wells.From the archive., The discovery of synaptic
vesicles.
Published Online: 3 January, 2005 | Supp Info: http://doi.org/10.1083/jcb1681fta4
http://jcb.rupress.org/content/jcb/168/1/13.2.full.pdf
10)De Robertis, E.D.P., and H.S. Bennett., Some features of the
submicroscopic morphology of synapses in frog and earthworm., J. Biophys. Biochem. Cytol. vol.1, pp. 47–58 (1955)
http://jcb.rupress.org/content/1/1/47?ijkey=606ed65709e41ffb73559e700fc15f6bfac2c752&keytype2=tf_ipsecsha
11)Palade, G.E., and S.L. Palay. 1954. Anat. Rec. 118:335. (1954)
12)脳科学辞典 シナプス小胞
https://bsd.neuroinf.jp/wiki/%E3%82%B7%E3%83%8A%E3%83%97%E3%82%B9%E5%B0%8F%E8%83%9E
13)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E7%B5%8C%E4%BC%9D%E9%81%94%E7%89%A9%E8%B3%AA
14)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%8A%E3%83%97%E3%82%B9
15)脳科学辞典 グリア細胞
https://bsd.neuroinf.jp/wiki/%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%82%A2%E7%B4%B0%E8%83%9E
16)Nave KA, Trapp BD., Axon-glial signaling and the glial support of axon
function., Annu Rev Neurosci. vol. 31, pp. 535-561. doi: 10.1146/annurev.neuro.30.051606.094309. (2008)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/18558866
17)Nave K., Myelination and the trophic support of long axons., Nat Rev
Neurosci., vol. 11(4), pp. 275-283., doi: 10.1038/nrn2797. (2010)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/20216548
18)脳科学辞典 髄鞘
https://bsd.neuroinf.jp/wiki/%E9%AB%84%E9%9E%98
19)Tasaki, I., The electro-saltatory transmission of the nerve impulse and the effect of narcosis upon the nerve fiber. Am. J. Physiol. vol. 127, pp. 211-227 (1939)
20)NIH record - mile stones - Biophysicist Tasaki Leaves Extraordinary
Scientific Legacy
https://nihrecord.nih.gov/newsletters/2009/02_20_2009/milestones.htm
21)The Nobel Prize in Physiology or Medicine 1963. Award Ceremony
Speech.
https://www.nobelprize.org/nobel_prizes/medicine/laureates/1963/press.html
22)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E6%9C%AC%E5%85%83
23)松本元 「愛は脳を活性化する 」 岩波科学ライブラリー (1996)
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