ある文民警察官の死
文化庁芸術祭賞の昨年度の審査過程の興味深い記事が東京新聞のサイト(2017年9月9日)に出ていました。
引用
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昨年十二月上旬、全作品を見た各審査委員が受賞作を決めるため、文化庁内で「ある文民警察官の死」の評価を話し合っていた際、事務局の文化庁芸術文化課の職員が「国からの賞なのに、国を批判するような番組を賞に選ぶのはいかがなものか」との趣旨の発言をした。
職員に審査権限はない。複数の審査委員から「それは違う」とその場で異議が上がり、最終的に優秀賞の一つに選ばれた。
作品はNHK大阪放送局の「NHKスペシャル ある文民警察官の死~カンボジアPKO23年目の告白」。一九九三年、岡山県警の高田晴行さん=当時(33)=が武装ゲリラに襲撃され死亡した事件を、隊員らの証言や手記などから丹念に検証した。
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http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2017090990070732.html
このドキュメンタリーは私も見ました。カンボジアの国連PKOに狩り出された警察官が現地があまりにも危険なため、個人でマシンガンを購入して移動中にゲリラと撃ち合いになり死亡したという話です。これは日本政府が武器を携帯させなかったという問題もありますが、現地の国連関係者の認識が甘すぎたこともあります。私も彼らの立場なら、武器を購入したと思います。
生死に関わることなので、国連や政府がどう言おうが臨機応変に対応すれば良いことだと思いますが、そうして複数の人間がマシンガンを保有していても、襲撃で被害が出たわけですから、それだけ危険な場所だったということなのでしょう。このような場所でPKOを行うのは尚早だったと思いますし、やるなら完全武装で行うべきだったでしょう。PKOは国連の予算で行なう国連の活動であり、責任は基本的に国連にあります。
多くの人は知らないと思いますが、ホー・チミン勢力がカンボジアに浸透するのを恐れて、米国はプノンペン周辺をB52で無差別爆撃し、数万人の市民が殺害されました。1965年から1973年の間に米国がカンボジアに投下した爆弾は270万トン以上で、これは連合国が第二次世界大戦で投下した総量より多かったそうです(1)。
しかしようやくできた反米ポル・ポト政権はたちまち堕落していき、反対派を虐殺するようになっていきました。その後ポル・ポト派は辺縁に追いやられ、国連が現地を平定するためにPKOを発動していたわけです。そのような背景で起きた事件でした。
みんなが忘れた頃に、このような番組で問題提起してくれたNHKに目を見張りました。確かにこれは、日本の部隊が戦後初めて撃ち合いの実戦を経験した機会だったのでしょう。
1)舟越美夏 「人はなぜ人を殺したのか ポル・ポト派、語る」 毎日新聞社 (2013)
(写真はポル・ポトの墓 ウィキペディアより)
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