フルシャ-都響 ショスタコーヴィチ交響曲第10番@東京文化会館
東京文化会館でのフルシャ指揮都響A定期。コンマス(コンミス)は四方さん、サイドは山本さん。フルシャの演奏会は前回が平日昼、今回が月曜夜という不利な条件ながら大盛況です。前回のマーラーがすごかったので、今回のショスタコ-ヴィチにも期待大です。
フルシャはマルティヌー協会の会長なので、マルティヌーの交響曲を全部やるというプロジェクト進行中。つきあわされる都響も多分迷惑ですが仕方ありません。交響曲第5番も凡作で、さっぱり心に残るところがありません。
後半のショスタコーヴィチは最初の1音から心の琴線に触れるものがあります。この違いは何なのでしょうか? クラリネットが暗い風を吹かせる重厚な第1楽章の後、あの狂乱の第2楽章がやってきます。ショスタコーヴィチはこの曲を「可愛いものだ」と言ったそうですが、この楽章ほど敵意と怨念に満ちた音楽はありません。自分を否定したスターリンをダガーでグサグサ刺し続けるというイメージの楽章です。実際に大勢の人々を処刑したスターリンに比べれば、音楽で殺人などというのは遊びで可愛いものだと言いたかったのでしょう。
第2楽章はオケとしても限界の演奏で、死にものぐるいの楽章。都響は究極のアンサンブルで疾走しました。山本さんが異様な張り切りで連れていかれます。拍手。
第3楽章からは突然曲想が変わって、恋人との絡みが描かれているようです。最後にピッコロが中途半端に終わるところが、悲劇を予感させます。第4楽章は個人的にすごくよく理解できる音楽です。第3楽章もそうですが一見楽しげなパートも暗いバックグラウンドが感じられて味わい深い音楽です。オケの見せ所も満載で、ショスタコーヴィチらしいエンターテインメントも感じられます。
今回の演奏を聴いて、フルシャ-都響のコンビはことマーラーやショスタコーヴィチの演奏に関しては、世界のトップクラスだと確信しました。フルシャ自身について心配なのは、まだ30台半ばにしてプラハ・フィルとバンベルクSOというマイオーケストラを2つも手に入れてしまったので、慢心したり多忙で倒れたりしないかということくらいですが、ウィーン歌劇場の件といい、マルティヌーの件といい、やり手だけれどえぐいマネージメントなのか?
フルシャ インタビュー
https://www.youtube.com/watch?v=GjF02x7AoHI
https://www.youtube.com/watch?v=9g25LvUnN4Y
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