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2016年10月 5日 (水)

やぶにらみ生物論37: 染色体説

Birthofthドイツの生物学者シュライデンとシュワンが細胞説(生物の体は一般に細胞から成り立っている)を発表したのは1838・1839年ですが、1832年にベルギーの生物学者デュモルティエが細胞分裂を報告しているにもかかわらず、シュライデンとシュワンは細胞の増殖については正しい理論に到達しませんでした(1)。

ドイツの病理学者ルドルフ・フィルヒョウが「すべての細胞は細胞から生じる」という理論を提唱したのは1958年であり、メンデルが1860年代に遺伝の法則を発表する直前でした。その頃にはまだフィルヒョウの考え方が一般に認められていたわけではないようです。

ドイツの生物学者テオドール・ボヴェリはウニの発生の研究から、正常な胚発生のためには分裂した細胞それぞれにすべての染色体が存在することが必要であることを示しました。また染色体が異常になることが「がん」の原因であるという学説を提唱しました(2)。すなわち生物の形質には染色体が大きな影響を与えることを示唆したわけです。

細胞説誕生に関する詳細は文献(3、表紙は図1)に詳しい記述があると思われます(私は未読)。

Suttonメンデル再発見直前の1898年、ウォルター・サットン(図2)はカンザス大学の細胞学者クラレンス・E・マクラングの学生として染色体研究を始めました。

1900年からはマクラングの勧めでニューヨークのコロンビア大学に移り、細胞学の大家であるエドマンド・B・ウィルソンの元で博士課程の大学院生として研究を行いました。

Photoマクラングはバッタ Brachystola magna (図3)において性染色体を発見し、その研究を行っていました。このバッタは染色体が大きく、観察しやすいという細胞学研究上の利点がありました。

サットンはこの昆虫のオスの精子形成では、生殖細胞に特異的な細胞分裂=減数分裂の過程にある染色体が大きくはっきりと観察できることを見いだし、その観察を行いました。

彼はこの研究をウィルソンの研究室で発展させ、減数分裂における染色体の挙動はメンデルの法則に従うとする「染色体説」を提唱しました (4,5)。

もしメンデルの言うエレメントを母親からひとつ、父親からひとつ受け継ぐとすると、F1のもつエレメントは2つです。そうするとF2は4つ、F3は8つのエレメントをもつことになり、もしエレメントに物理的実体があるとするとすぐに膨大な数になって理論は破綻します。親が持つエレメントの数を常に同じ数にするためには、生殖細胞(動物の場合は精子と卵子)のエレメント数は親の半分でなければいけません。

サットンは精子形成過程において、この減数がおこなわれているのではないかと考え、顕微鏡で熱心に観察しました。皆さんも中高時代にムラサキツユクサ(図4)などで観察したことがあると思います。

Photo_2

この結果図5のように精子の染色体の数は体細胞の半分で、これは精子形成過程で減数分裂という特殊な細胞分裂が行われることを示しています。親細胞と同じ娘細胞が2個できる通常の体細胞分裂と違って、減数分裂では染色体の数が半分の娘細胞が4個できることがわかりました。

このことからサットンは体細胞はメンデルの言うエレメント=染色体を2セットずつ持っており、精子は1セットづつ持っていると考えると、それまで概念的な理論であったメンデルの法則が染色体という実体をともなってうまく説明できると考えました。簡単に言えばこれがサットンの「染色体説」です。サットン自身の記述を引用しておきましょう(4より)。
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I may finally call attention to the probability that the association of paternal and maternal chromosomes in pairs and their subsequent separation during the reducing division as indicated above may constitute the physical basis of the Mendelian law of heredity.
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Photo_4


きちんと述べると次のようになります。

1.メンデルの言うところの”要素=エレメント”は卵や精子(花粉)のような配偶子を通じて次世代に伝達される。卵と精子には均等に要素が含まれる。

2.細胞核の構成成分のうち、染色体は細胞分裂のとき娘細胞に均等に分配される。”要素”は卵と精子が均等にもっているはずなのに、卵の細胞質は巨大で、精子の細胞質は非常に乏しいことから、細胞質ではなく核(染色体)に要素が含まれると考えられる。

3.染色体は核の中で、メンデルの考えた”要素”という考え方に沿ったかたちで、対になって存在する(相同染色体) → ”要素”は染色体の上に乗っていることが示唆される。

4.卵や精子がつくられるときは、通常対になっているはずの染色体が分離し、そのうちの一つづつがランダムに選ばれて卵や精子に受け継がれる。たとえば体細胞がAaBbCcという要素をもっているとすると、卵や精子は、ABC, ABc, AbC, Abc, aBC, aBc, abC, abc の2の3乗通りの種類が考えられる。人の場合だと23組なので2の23乗通りの卵と精子が存在する。

5.染色体の数に比べて要素の数は非常に多いので、ひとつの染色体に多数の要素が相乗りしており、これらの相乗りしている要素についてはメンデルの独立の法則は成立しないと予測できる。

これは大発見であり、サットンは生物学を担う次代のホープと期待されました。しかし生来の熱血漢である彼は、あまり薄暗い実験室で顕微鏡を覗いてばかりというような生活は、自分の性格や生きていくポリシーと合わないと考えたのでしょう。大学院時代に歴史的論文を2編発表した後、研究をやめてカンザスにもどり外科医に転業します。そして第一次世界大戦のときにはヨーロッパに渡り、フランスで兵士の治療にあたっています。サットンの面目躍如というところです。

デンマークの遺伝学者ウィルヘルム・ヨハンセンは1909年にメンデルの「エレメント」を遺伝子(gene) と呼ぶよう提唱しました。そして形質という漠然とした概念をはっきりと「遺伝子型 genotype」と「表現型 phenotype」にわけて定義しました。

ヨーロッパから帰還してまもなく、サットンは虫垂炎にかかってしまいます。そしてこの手術が失敗に終わり、わずか39年の生涯を終えることになりました。もう少し生きていれば、間違いなく1901年からはじまったノーベル賞を受賞していたと思われるので、誠に残念な悲劇でした。彼の遺骸はサットン家の立派な霊廟に眠っています。

減数分裂について、より詳しい知識や顕微鏡写真に興味がある方はサイト(6~8)を参照されることをお勧めします。

参照:

1) 細胞説:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%B0%E8%83%9E%E8%AA%AC

2) ボヴェリ:https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC2247478/

3) 「The birth of the cell」 by Henry Harris, Yale University Press, 1999
https://www.amazon.com/Birth-Cell-Professor-Henry-Harris/dp/0300073844/ref=mt_hardcover?_encoding=UTF8&me=#reader_0300073844

4) W. S. Sutton. "On the morphology of the choromosome group in Brachystola magna" Biological Bulletin, 4:24-39, 1902.
公開されています--- http://dev.esp.org/foundations/genetics/classical/wss-02.pdf

5) W. S. Sutton. "Chromosomes in heredity" Biological Bulletin, 4:231-251, 1903.

6) 細胞分裂と細胞周期 http://www.tmd.ac.jp/artsci/biol/textbook/celldiv.htm

7) ムラサキツユクサを使った減数分裂の観察 http://www.aichi-c.ed.jp/contents/rika/koutou/seibutu/se22/gensuubunretu/gensuubunretu.html

8) 走査型電子顕微鏡による減数分裂の観察: 鈴木晶子、高橋正道 香川生物(Kagawa Seibutsu)(19):53-58,1992.   閲覧できます→AN00038146_19_53.pdf




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