やぶにらみ生物論41: 遺伝情報を担う物質は何か?
フレデリック・グリフィス(1879年 - 1941年)は第一次世界大戦中に設立された英国保健衛生省の病理学研究室で研究を行いました。彼の仕事は多くの患者から肺炎菌を集めて培養し、分類を行うことでした。
この仕事を進めているうちに、グリフィスは菌の種類・株によってホストの免疫機構に対する耐性が大きく異なることに気がつきました。細菌のなかには細胞壁(セルウォール)の外側に莢膜(カプセル)というオーバーコートをかぶっているものがあり、これらの菌は感染した際に、ホストの免疫機構によって排除されにくいのです。この理由としてカプセルの主成分である多糖類がタンパク質に比べて抗体との反応が弱いということがあげられますが、その他にもカプセルをもつ細菌は、白血球やマクロファージに食べられにくいという性質があります。後者の理由は正確にはいまでもわかっていないようです。
カプセルを持つ菌はヒス染色(ゲンチャナバイオレットという色素で染色する方法)という方法で識別できます。カプセルを持っている場合、菌体は強く紫色に染色され、そのまわりでピンク色で囲まれているような感じに染色されます(1)。
肺炎菌のR株(図1青)はカプセルを持たず病原性がありませんが、S株(図1赤)はカプセルを持っており病原性があります。S株は熱処理によって病原性を失いますが、この熱処理したS株と非病原性のR株を同時にマウスに投与すると、意外にも病原性が復活してマウスは死亡しました。グリフィスは死んだS株の形質転換因子(transforming principle) がR株の形質を転換し(transform)、病原性を与えたと説明しました(2)。この形質転換因子こそDNAだということが後にわかるのですが、当時は全くわかりませんでした。
形質転換のメカニズムを解明しないまま、グリフィスはナチス・ドイツによる1841年のロンドン・ブリッツ(ロンドン大空襲)によって不慮の死をとげてしまいました。
彼が実験室で爆撃を受けたという説がありますが、研究によって、自宅に居たときの空爆で死亡したということになったそうです。
1941年のランセット5月3日号には obituary (=死亡記事、参照3)が掲載されています。それによるとグリフィス(図2)は犬の散歩が趣味の、大変慎重な人で、一生涯 「Almighty God is in no hurry - why should I be?」 という主義を貫いたそうです。同じページに、彼の同僚で著名な細菌学者のウィリアム・スコットも空爆で死亡したという記事が掲載されています。
グリフィスが残した課題はオズワルド・エイヴリー(1877年 - 1955年、図3)によって引き継がれました。
彼はグリフィスが言う形質転換の原因は細菌がまわりの環境から遺伝物質をとりこむことができるからだと考えました。
そこでS菌の細胞を破壊し、内容物をタンパク質分解酵素で処理してR菌の培養液に加えました。するとこの処理が無効だったことがわかり、タンパク質は形質転換に関与していないことが示唆されました。
ところがDNA分解酵素で処理すると、R菌は形質転換を起こさなかったのです。これはDNAが形質転換に関与していることを強く示唆しました(4)。
この論文が発表されたのは1944年ですからエイヴリーはすでに67才でした。しかも太平洋戦争の真っ最中です。日本ではほとんどの学術雑誌が休刊していましたが、米国では発行されていて、しかもこのような重要な基礎研究の論文が発表されていたということです。私はこれは国力の違いもありますが、さらに文化の違いもあると思います。基礎科学の振興が民族・国家さらには人類にとって決定的に重要だということは、現在の日本人にも浸透していないと思います。
ハーシーとチェイス(図4 左:アルフレッド・ハーシー 1908年 - 1997年、右:マーサ・チェイス1927年 - 2003年)は大腸菌に感染するT2ファージ(ある種のウィルス)を使って実験しました。このときチェイスはまだ博士号を取得していませんでしたが、共同研究者の扱いになっています。T2ファージはタンパク質とDNAだけからなっており、大腸菌に感染すると菌内で増殖して、菌細胞を破壊して外界に出て、また大腸菌に感染するというライフサイクルを行います。ですから子孫をつくるための情報はタンパク質かDNAのどちらかが持っているはずです。
そこで彼らはまずシャーレAの培地に放射性のリン(P32を含むオルトリン酸)を加え、もうひとつのシャーレBには放射性の硫黄(S35を含む硫酸マグネシウム)を加えてT2ファージと大腸菌を培養します。それらからP32を含むファージとS35を含むファージを分離します。
DNAは硫黄を含まず、ファージのタンパク質はリンを含まないので、シャーレAから分離したファージはDNAが放射性Pを含み、シャーレBから分離したファージはタンパク質が放射性Sを含んでいます。それぞれを大腸菌に加えて感染させます(図5)。
ファージは細菌にくっついて自らの遺伝物質を細菌に注入します(図5の1)。
感染したタイミングを見計らって、培養液をブレンダーに入れて激しく攪拌し(図5の2)、ファージを菌体から引きはがします。次に遠心分離法によってファージと菌体を分離します(図5の3)。上清がファージで沈殿が菌体というかたちで分離できます。
そして沈殿から回収された菌体に含まれる放射性物質を検査するとそれはP32で、S35は含まれていませんでした。すなわち遺伝情報の担い手はDNAであり、タンパク質ではないことが示されました(図5の4、参照 5)。この研究はエイヴリーが提唱していた<<DNAが遺伝情報の担い手である>>という説を強くサポートするものであり、この研究などによってハーシーは1969年にノーベル医学生理学賞を授与されています。一方チェイスは離婚や痴呆症のため後半生はよい人生を送ることができなかったようです。
ウィルスによって被害を受けるのは細菌だけではなく、哺乳動物なども被害を受けるわけですが、哺乳動物に感染するウィルスはT2ファージのようにDNAを細胞に注入するというような方法ではなく、細胞に吸着したあと、そのまま細胞に食べられるというような形で取り込まれるとか、ウィルスの外殻と細胞膜が融合して、中身が細胞内にはき出されるとかさまざまな形で細胞に侵入します。メカニズムの詳細は現代医学においても重要な研究課題です。
参照:
1) http://www.mutokagaku.com/products/reagent/bacterialstain/hisstain/
2) Frederick Griffith, THE SIGNIFICANCE OF PNEUMOCOCCAL TYPES. Journal of Hygiene, vol.XXVII, pp.113-157, (1928)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC2167760/
3) Obituary, The Lancet vol.237, no.6140, pp.588-589, (1941) http://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0140673600951742
4) Oswald T. Avery, Colin M. MacLeod, and Maclyn McCarty, STUDIES ON THE CHEMICAL NATURE OF THE SUBSTANCE INDUCING TRANSFORMATION OF PNEUMOCOCCAL TYPES. Journal of Experimental Medicine vol.79, no.2, pp.137-158, (1944) https://profiles.nlm.nih.gov/CC/A/A/B/Y/_/ccaaby.pdf
5) A. D. HERSHEY AND MARTHA CHASE:INDEPENDENT FUNCTIONS OF VIRAL PROTEIN AND NUCLEIC ACID IN GROWTH OF BACTERIOPHAGE. The Journal of General Physiology vol.36, pp.39-56 (1952)
http://jgp.rupress.org/content/jgp/36/1/39.full.pdf
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