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2015年2月23日 (月)

恥ずかしすぎて、ブログに書くのもいやになりますが

000877_li_2白川さんが私が言いたいことを言ってくれているので拡散します。

白川勝彦

衆議院議員(6期)、自治大臣、国家公安委員会委員長、新党・自由と希望代表などを歴任。

http://www.liberal-shirakawa.net/tsurezuregusa/index.php?itemid=1677

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“ストップ the 安倍”の元年

謹んで新年のお慶びを申し上げる…と言いたいところだが、私の心は晴れやかとは言えないのである。平成27年(2015年)は、内外共に万事が厳しい状況になると予想されるからである。景気の良い、いや、調子の良い話をしているのは、安倍首相と自公“合体”政権だけで、そのようになる筈がない。

諸行無常というが、因果応報でもある。この世の出来事には原因あり、それに伴う結果があるのである。政治の分野でいえば、わが国はファッショ的になっている。ファッショとは、政治の在り様が暴力的なのを批判する言葉であるが、安倍首相とその仲間が行おうとしている政治は、ナチズムにも近づいている。

ナチズムは、国家社会主義という思想的側面をもっている。国家の力で経済を良くするという考えは、一歩間違えば、国家社会主義に流れる危険性がある。ちなみに、ナチズムは自由主義や社会主義とは、何の関係もない概念であった。政労使会議で安倍首相は「儲かっている企業は賃上げをして欲しい」などというが、こんな言葉は、信じない方が良い。

私は、今年6月で満70歳になる。70年も生きていると、いろいろなことを見てきた。その中で印象に残るのは、ある人や企業やグループが悪くなる時というのは、ある日突然、何もかもが一挙にダメになっていくことであった。一挙に全てが壊れていくのだから、誰も手が付けられなくなるのだ。後で考えると、その兆候はあったし、その時ならば手が打てたのだが…。

私は、「わが国は、何もかもが一挙にダメになっていく寸前」という気がしてならないのだ。政治とか経済とか社会とじゃなくて、何もかもが一挙におかしくなっていくのだ。私は、それを“文化の崩壊”と捉えている。このことは、永田町徒然草No.1697「危険な“文化”の劣化」で述べているので、是非もう一度見てもらいたい。

安倍首相とその仲間(創価学会・公明党を含む)は、文化に最も縁遠い存在である。文化と最も縁遠い者が権力を握り、それを遠慮なく行使しているのであるから、わが国の文化が崩壊していくのは、当たり前といえば当たり前なのだ。しかし、わが国民はまだ文化を大切なものと思っていると、私は信じている。

まだそのような国民がいる限り、私は日本の未来に絶望していない。昨年の総選挙は、“ストップ the 安倍”の絶好なチャンスだったのだが、残念な結果に終わってしまった。安倍首相とその仲間は、ファッショ的に安倍政治を行おうとしている。しかし、覚醒した国民は、“ストップ the 安倍”の元年としなければならない。私は、そう心に誓っている。

それでは、また。

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安倍、こりゃもうダメだ。

もう安倍政権がやっていること、そしてこれからやろうとしていることは出鱈目・ハチャメチャである。だから一々論評することが嫌になってしまう。これは安倍晋三という政治家の特異性・異常性に起因するところ大であるが、どうもそれだけではないような気がする。日本の政治・行政・経済・文化の中心にいる人たち全体がおかしくなっていると思わざるを得ないのだ。

長い間私は日本の政治や社会の流れを見てきたが、こういう状態がわが国では時どき起ることを見てきた。大勢には逆らわないというのか、どんな時でも自己主張を止めないという風潮の乏しいのか、いろいろなことが原因となっているのだろう。あるいは“今だけ、金だけ、自分だけ”という国民が多くなって来たからなのかもしれない。

わが国はいま荒涼としている。荒涼としていると言えば、戦後の日本はまさに焼野原であり、まさに荒涼としていた。荒涼たるわが国に希望を与えたのは、自由と平和であった。そして文化国家を築くという希望であった。戦争で人間的なものをすべて否定されてきた国民は、文化に飢えていた。“今だけ、金だけ、自分だけ”では、多くの日本国民は決して満足していないであろう。私はそう信じている。
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天木直人
元駐レバノン大使。

http://www.amakiblog.com/archives/2015/02/22/#003151

もはや安倍首相の存在そのものが憲法9条違反だ。 またひとつ、安倍首相の憲法9条違反が加わった。きょう2月22日の東京新聞が一面トップで大スクープを書いた。防衛省が防衛省設置法を改正して内局(文官)と制服組自衛官とを対等におく方針を固めたというのだ。

これはシビリアンコントロールをなくすという事であり憲法9条の精神の否定だ。これまでの国会では内閣が吹っ飛ぶような大問題だった。

それにしても、あらたな安保法制に関する国会審議や報道を見ていると、ここにきて物凄いスピードで驚くような憲法9条否定の政策が次々と既成事実化されつつある。いずれも負けず劣らず明白な憲法9条違反だが、その中でも、私が最大の憲法9条否定と考えるのが、米国以外の国への集団的自衛権行使を容認するという政策だ。

憲法9条が出来た歴史的経緯を知っているものならわかるだろう。憲法9条は日米安保条約つまり日米軍事同盟と表裏一体にある。戦力を持たない代わりに国連の平和維持機能に期待し、国連がその機能を遂行するまでの間、米国の軍事力に頼る(日米同盟)という形で出来た。

つまり百歩譲って憲法9条違反が許されるのも、歴史的経緯から見て、あくまでも米国との軍事協力に限っての話しなのだ。それを、ここにきて、いきなり米国以外の国への防衛協力に拡大しようとする。

これは二重の意味で憲法9条を否定するものだ。憲法9条の歴史的経緯を無視したまったく新しい防衛政策の導入である。このような政策を平気で導入しようとする安倍首相は歴史に無知な、もはや存在自体が憲法9条違反の首相だ。

歴史に盲目な者は未来にも盲目だ、とは、故ワイゼッカー独大統領の至言である。

安倍首相を一刻も早く引きずり降ろさない限り、この国に未来はない
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香山リカ

立教大学教授

「安倍首相はオイディプスコンプレックス」

広島への対応で分かったお友達優先

――なるほど。野党に対する態度もそうですね。批判には聞く耳を持たない。説明する気もない。そんな感じを強く受けます。こういう人を精神分析すると、どうなるんですか?

 一般論ですが不安が強い人です。気弱な方です。バリアーを広げ、虚勢を張って、痛いところを突かれても、聞かなかったことにしてしまう。ただし、国会答弁では聞かなかったことにはできませんから、感情的に反発する。

 特殊な家柄じゃないですか、安倍さんは。おそらく、総理をやったことで、父親、晋太郎氏は超えたという自負があるのでしょう。安倍さんの中では祖父を乗り越え、新しい憲法を作った総理大臣として、歴史に名を刻みたい。そういう野心はあると思います。オイディプスコンプレックスですね。

――それで改憲にシャカリキなんでしょうね。まずは解釈改憲と。

 そうでしょうね。でも、これって政治的テーマというより、安倍さんの家庭内のテーマですよね。母親の洋子さんからの刷り込みも大きいような気がします。

――広島の土砂災害の時の対応は、どう見ましたか?

 国民の命は守る。こういう大きな話はするけど、土砂崩れの実情や、自衛隊の人がいかに大変かとか、そういう細かい想像力が欠けているのだと思う。だから、目の前にいる人の関係を優先してしまう。一緒にゴルフをやっていた森元首相だったり、翌日、会う予定だったJR東海の葛西名誉会長だったり。

――弱者への想像力が欠落し、エスタブリッシュメントの仲間のことばかりを優先するわけですね?

 そうです。逆にそういう鈍感力があるからこそ、リアリティーのない大きな話ができるところもある。それが一部の支持者にはビジョンに映っているのかもしれません。

――気のせいかもしれませんが、安倍政権になって、世の中、凄惨な事件が増えたように思うんですが、どう見ていますか?

 隣の人に対する想像力、ちょっとした多様性、自分とは違う考えを受け入れる寛容さがなくなっているような気がします。SNSで「いいね」と言ってくれる人しか受け付けない。100%の「いいね」はないのに、100%だと勘違いする。そんな人が増えていて「いいね」じゃない人を排除する。

――1億総安倍化?

 そうですね。安倍さんが言う美しい国とは何なのでしょうか? 謙虚さ、人を立てる心、勝ち組負け組にしない社会。そういうものが日本的美徳であるとすれば、安倍さんがやっていること、安倍さんの周囲が叫んでいることは、それとはずいぶん矛盾しているように思います。

首相になってからは、安倍さんはフェイスブックをフルに活用しました。安倍さんの書き込みに対して数万人の人から「いいね」をクリックされ、一斉に皆が自分を支持する高揚感を味わったのです。

そのように、これまで安倍さんが政権に就く前、就いてから、そして今を見ていくと、群衆の全体からの熱狂的な支持によって高揚しそしてさらにラジカルになっていくという繰り返しだったと思うのです。

それを維持するためには、自分と違う意見の人と接触するとか議論をして妥協するといったことをしてはならないのです。もしそんなことをしたら、熱狂のうちに支持され、高揚して自信を深め、さらに発言を先鋭化させてまた支持される循環が止まってしまうのです。もう後戻りできない状況になっているのだと思います。

安倍さんの場合は、理論ではなく情緒的な高揚の連鎖の中で自分が存在しているわけですから、いくら事例をあげて歴史を語って理詰めで話しても無理なのです。先ほど述べましたように、それを聞き入れてしまったり、それに耳を傾けてしまったら、情緒的な高揚が終わってしまうのです。

現実的な意見に対して理論的な反論を述べてしまっては、高揚が覚めてしまうことを自覚されているのか、あるいは無意識なのかは分かりません。ただ、理屈で反論するのではなくて、聞く耳をもたないという姿勢を見せることでしか高揚状態を維持していけないことは、ご自身も知っているのだと思います。

もし、自分の方にも修正の余地があるとか、もしかしたら論理的に破綻しているとか考えてしまったら、それは普通の考えになってしまいますので、フェイスブックでも「いいね」はもらえませんね。強気で反論をシャットアウトするとか、意見を受け付けないといった、そういう安倍さんの自信満々の姿勢を待ち望んでいる一部の群集が、また「いいね」を押すのです。そういう人たちからの支持を得るためにも、普通に話ができる人にはなるになれない状態なのではないでしょうか。

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小出裕章

京都大学助教

愚かな国民には愚かな政治

安倍晋三さんはバカだ。しかもただのバカではなく病気である。…しかし、彼が首相の座にいるのは、私たち自身が病気だからである。

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野党党首が質問しているときに、答弁の音読練習をしている晋三の姿を見て、この男は自分に話しかけている人の言葉さえも、全然聞く気持ちがないんだなということがよくわかりました。自分のプロパガンダさえ叫べばそれで終わりの人です。さらに聴く気がなくとも、聴いているようなフリすらできないのは、発達障害の疑いがあります。

予算委員会ではさすがに質問者の話を聴いていたようですが、なんとウソ八百のヤジを飛ばして陳謝とは。質問と関係の無い団体を誹謗中傷して、謝っただけですむんですかね?

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