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2009年6月 4日 (木)

死神タンパク質 p53

140pxcolumn_temple_artemis_ephesos_ p53 というタンパク質は医学的にはがん抑制のエースなのですが、生物学的にみればまさしく「死神」といって良いタンパク質です。写真はギリシャ神話における死神タナトスです。

生物が生きていくための情報はDNAに含まれていますが、その情報を使うために、まず細胞の核のなかでDNA情報のコピー(転写)が行われます。p53 はDNAに結合して、このコピーの段階に介入します。細胞が危機に陥ったときに、p53 は細胞分裂を止めるための情報や細胞自殺を司る情報のコピーを強化します。結果的に細胞が死に導かれることも当然あります。

この意味で p53 は細胞にとって「死神」です。しかし異常な細胞が増殖を無秩序に繰り返した場合、結局癌になって個体の生命を奪うことにもなりかねません。細胞の「死神」である p53 は、個体にとっては「救いの神」でもあるわけです。

以前このブログで自己貪食について述べました。自己貪食は生物がひとつの細胞であった時代(酵母など)から存在し、飢餓などの悪条件で生き延びるために、自分自身の一部を分解してエネルギーを得るというシステムです。細胞内に生じたゴミを処理するという役割もあります。細胞にとっては「救いの神」と言えるものです。では酵母に「死神」は必要でしょうか?

その答えは明らかです。単細胞生物がたとえ癌細胞のように無秩序に増殖したとしても、誰も困らないわけです。もちろんこれはエラーが生じたときの話で、日常的に異常な増殖をする(そのような場合、染色体やDNAに異常が発生する)ようでは種の存続に問題が生じるので、もちろん単細胞生物といえども日常的には増殖はきちんと制御されていて、正しく親細胞と同じ娘細胞が2個生じるようになっています。ではありますが、もちろん単細胞生物にとって「死神」は生存のために必要ではありません。

一方多細胞生物は、構成する細胞がそれぞれ別の機能を持ち、全体の連携によって生存するわけです。個々の細胞が勝手に増殖しては全体のバランスが保たれません。腸や血管が細胞で詰まると、たちまち個体は死の脅威にさらされます。したがって異常な細胞を殺すことは個体の生存にとって重要で、「死神」あるいは死刑執行人が必要となります。

「死神」である p53 はDNAに結合して、DNA情報のコピーに関与すると上記しましたが、p53 はその実体であるタンパク質の別の部位を使って、DNAとは無関係な細胞質においても、細胞を死に導く作用を持っています。すなわち p53 はひとつのタンパク質が複数の機能を持っているわけです。

実は細胞に含まれるミトコンドリアは昔独立の生物だったのですが、ヒトがまだ単細胞生物だった頃、細胞内にとりこまれて共生をするようになったと言われています。ミトコンドリアはホストに多くの遺伝子を奪われましたが、その見返りなのかホストを死に導くシステムを獲得しました。p53 はその自殺システム(あるいはミトコンドリアによる自殺的反乱-ホストが死ねば自分も死ぬ)を起動する機能を持っています。

最近わかったことは、「死神」p53 が「救いの神」である自己貪食を抑制するという機能を持つということです(1)。詳しいメカニズムは検討中だそうです。ところが面白いことには自己貪食を司るオートファゴソームという細胞内の風呂敷のようなものは、ミトコンドリアをすっぽり包んで殺すこともできるのです。まさしく細胞の中は殺すか殺されるかの修羅場です。ミトコンドリアが殺されてしまっては、死神も自殺システムを起動することができません。

このような非常に重要な機能を持っている p53 ですが、普通このような場合、一つの遺伝子がつぶれても他の遺伝子が代わりを務めるようなスペアが存在するのですが、p53 にはそのようなものは存在しないようです。これは p53 が細胞を死に導くいくつかのラインを持っているので、一つが突然変異によって不活化されても、p53タンパク質の変異を受けなかった部分によってほかのラインが働き、なんとかなるということがその要因ではないでしょうか。

それでもほとんどの癌で p53 の遺伝子が変異しているか、p53タンパク質の量や機能が抑制されているというのは驚異です。これはまた p53 の遺伝子治療が成功すれば、多くの癌が縮退するだろうという期待にもつながるものです。

1) Cytoplasmic functions of the tumor suppressor p53. DR Green, G Kroemer, Nature 458, 1127-1130 (2009)

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