清武氏の話で思い出した昔話
読売巨人軍の清武代表がビデオによる判定を強く主張しています。昔の巨人の試合を知る者にとって、これには苦笑せざるをえません。なにしろ審判が巨人からタダ券をもらっていたこともマスコミで報道されたわけですから。やるんならボール・ストライクもちゃんとセンサーで判定してよね。斉藤の外角低めなんて、ボールふたつくらいはずれていてもストライクだったんですから。ヤクルトのロジャーなんて、ボックスのかなり外寄りに立っていても、ユニホームかすりそうな球がストライクですから。Y夫人に再アクティベートされるまで、あまりにばかばかしいので、しばらくあまり野球をみなかった時代がありました。
これはあまりしゃべりたくないんですが、私は幼少時スタンカの娘と同じ絵画教室に通っていました。絵画教室に通っていた(親の趣味)のは、私の人生でも特大級の失敗で、あまりの絵の才能のなさに、いまでもがっかりします。
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下記は
http://plaza.rakuten.co.jp/imus0216/diary/200809150000/
からの引用です
1961年の巨人-南海の日本シリーズは、巨人の2勝1敗で第4戦(後楽園、10月29日)まで進んだ。この試合は9回表に南海が広瀬叔功の2ランで逆転し3対2でリード、9回裏巨人の攻撃を迎えた。南海は3番手・祓川がいきなり死球を出すと、すかさず鶴岡一人監督は、この年終盤、血行障害で戦列を離れたエース杉浦忠に代って大活躍したスタンカ(写真)を投入、スタンカは期待通り2死を取って、代打・藤尾茂も一塁への飛球に打ち取った。これで試合終了・・・と誰しもが思ったその直後、何と一塁手・寺田陽介がポロリと落球したのである。続く長嶋茂雄のサードゴロを、今度は小池兼司がファンブル、内野安打となり、これで二死満塁。巨人、1打逆転サラヨラの大チャンス、逆に南海は負ければ巨人王手を許す大ピンチに追い込まれた。バッターは、シリーズ好調のエンディ宮本。スタンカ-野村克也のバッテリーは、宮本を2-1と追い詰めた。そして野村は外角低めのフォークを要求、スタンカが自信を持って投げこんだその1球は注文通り外角低めに決まって宮本のバットは動かない。勝利を確信した野村が踊り上がって立ちあがるのと、円城寺球審の判定のコールが響くのと、ほぼ同時だった。「ボール!」。驚愕した野村は振り向いて円城寺に抗議する。スタンカもマウンドを駆け降り、円城寺に猛然と詰め寄る。鶴岡監督も出てくる。しかし判定は覆らない。やむなく南海勢が引き下がり試合再開。そしてスタンカが投じた次の1球、前の球と同じコースに入った5球目を宮本は叩き、ライト前に弾き返した。2者が帰る、サヨナラヒットである。この時、ホームカバーに走ったと見えたスタンカは、円城寺に怒りの体当たりを食らわせ暴行、試合後も南海の選手たちは円城寺に詰め寄って執拗に抗議を繰り返したが、あとの祭りであった。この後シリーズは結局、巨人が4勝2敗で日本一になった。問題のスタンカの投球は、実際にはボールだったのか、ストライクのだったのか。スタンカは、自分のフォークを見慣れたパリーグの審判だったら間違いなくストライクだっただろうと言っている(円城寺はセの審判)。当時の映像を見ると、野村は捕球するや否や、ミットを静止もせずに立ち上がっている。野村は、今でもあれはストライクだったと確信しているが、ただ、自分の未熟な捕球動作が誤審を招く元になったかもしれないと述懐している。ちなみに円城寺審判はその後、亡くなる直前、死の床でのうわ言に「あれはボールだ」と言ったとか、言わないとか。
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ある南海ファンが下記の川柳を色紙に書いてスタンカに送ったそうです。
円城寺 あれがボールか 秋の空
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