がん抑制のエース p53
「がん遺伝子」というのは考えてみれば奇妙な言葉です。がんを引き起こすために存在する遺伝子などというものは、生物の生存にとって有害なので、そもそもそんな遺伝子ができるわけもなければ、進化の過程で保存されるわけもないのです。これはもともと医学関係者ががんに関係していると考えられる遺伝子をそう呼んで定着してしまった言葉です。
ウィキペディアによれば、「ある正常な遺伝子が修飾を受けて発現・構造・機能に異常をきたし、その結果、正常細胞の癌化を引き起こすようなもののことをいう」と定義され、「修飾を受ける前の遺伝子をがん原遺伝子 (proto-oncogene) 」と呼ぶということになっています。まあ「がん遺伝子」でも「がん原遺伝子(がん原因遺伝子ともとられかねない)」でもたいして変わりはないと思いますが・・・。がん責任遺伝子という呼称は、これらよりはいいかもしれません。
細胞の正常な増殖や分化には無数の遺伝子がかかわっており、どれが変異しても癌になりかねないと昔は考えていました。ですから50%以上のがんに p53 遺伝子の異常がみられるということがわかってきたときには大きな衝撃を受けました。p53 の研究はいまでもがん研究のひとつの中心であり、超巨大なサイトもあります↓。
このサイトの p53 story http://p53.free.fr/p53_info/p53_story.html
の冒頭にアンデルセン童話の「みにくいあひるの子」が引用されています。このお話のあらすじは「アヒルの群の中で生まれたひな鳥が、他のアヒルの子に似ていないからという理由でいじめられる。アヒルの親は七面鳥のひなかも知れないと判断した。周りのアヒルからあまり辛く当たられるので逃げだし、他のところでやはり醜いといじめられながら一冬を過ごす。生きることに疲れ切ったひな鳥は、殺してもらおうと白鳥の住む池に行く。いつの間にやら大人になっていたひな鳥はそこで初めて、自分はアヒルではなく美しい白鳥であった事に気付く(ウィキペディアより)。」というものですが、なぜこんな引用があるかというと・・・。
p53 の p はプロテインのP、53は分子量53,000の意味ですから、誠に素っ気ない命名です。ゲノムの守護者ともいわれる重要なタンパク質なのでもっとかっこいい名前がついていても良いと思いますが、あまりに機能が多岐にわたり、紆余曲折もあったのでいい名前をつけるチャンスを失ったということかも知れません。1979年に発見されているのですが、当初研究に使われていた p53 遺伝子は、すでに変異をもったものだったので、それによってがんが引き起こされてしまい、「p53 遺伝子はがん遺伝子の一種である」という不名誉なラベルを貼られてしまいました。
その後、実は変異を持っていない遺伝子はがんを抑制するということが判明して、みにくいあひるの子が白鳥になったと言うわけです。もっともがん遺伝子もがん抑制遺伝子も、変異がなければ生物にとって重要な役割を果たしているわけですから、あひるだ白鳥だなどと差別する方がおかしい訳ですが、専門家向けのサイトでもこのような有様なので何をかいわんやです。
多くのがんで変異が見られるので、昨年から p53 の変異の検査が健康保険で受けられるようになりました。これは変な p53 が体内にできたときに、それに対する抗体が血中に現れるので、その抗体の有無を検査するものです。いまのところがんの疑いがなければ受けられないようですが、これが集団検診で受けられるようになれば、がんの早期発見におおいに有効、というかそうしなければこの検査の意味があまりないと思われます。
最近では p53 はアンチエイジングにも有効という報告があって、一部で注目されているようです(1)。
1: A Matheu et al. Delayed ageing through damage protection by the Arf/p53 pathway. Nature 448, 375-379 (2007)
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