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2007年5月27日 (日)

グスタフ・マーラー 愛と苦悩の回想

Photo_166 グスタフ・マーラー(写真)夫人アルマ・マーラーが、21才で結婚し31才で夫と死別するまでの家庭生活やマーラーの人となり、芸術、などを辛辣ではあるが誠実に描いた回想録 「グスタフ・マーラー 愛と苦悩の回想」 が出版されたのは1939年でした。

結構身内や知人・友人そして夫のマーラーに対してさえも、歯に衣着せぬ辛辣な批判を投げつけた、ある意味かなり危ない本なので、さすがにアルマも生前にこの本を出版しようという意志はなかったようです。例えば・・・ ジークフリート・リピナー(作家):私はこれほど不毛な人間に会ったことはないーもし彼も人間であるとするならば  リヒャルト・シュトラウス(作曲家・指揮者):彼の念頭にはお金のことしかなかった。(演奏会が)大当たりをとればいくら、普通に行けばいくら、と正確に印税を計算すべく、いちいちマーラーにからんでいた  グスタフ・マーラー(夫):彼の頭は自分のことで一杯であり、わずかでも邪魔されると腹を立てた。作曲・高揚・自己否定、そしてつきることのない探求、といったことで彼の人生は初めから終わりまで埋まっていた ・・・ などなど。

それでもあえて出版に踏み切ったのは、「(ナチスによるユダヤ人迫害の政策で、)マーラーがヨーロッパに残した輝かしい業績がすべて抹殺され、マーラーのことを皆が忘れ去ってしまうことを恐れたからだ」とアルマは序文に書いています。グスタフ・マーラーは1897年から1907年まで、10年間にわたってウィーンの王室オペラ劇場の芸術監督の地位にあり、身を粉にしてウィーンためにつくし、アルマもおおいに自己犠牲を払ってマーラーが良い仕事をできるように尽力したという自負があったので、マーラー基金が政府に没収されたり、胸像が台座からはずされたり、マーラー大通りの地名が変更されるというような状況には我慢できなかったのでしょう。

もしもアルマが不慮の死を遂げていたりしたら、この原稿も散逸してしまったかも知れないので、マーラーファンにとって彼女の決断は素晴らしいものでした。マーラーについては最も近しい人による信頼できる文献を読めるというのは有難いことです。自分の浮気など、自分に都合の悪いことはオミットしているなどと批判する人もいますが、それはそれです。マーラーを病弱な人間のように描いているのがおかしいという人もいますが、夏の休暇にはマーラーは判で押したように午前中は作曲、午後はアルマと共に毎日4-5時間の散歩(!?)をしたということが、そのときのエピソードと共に記してあります。アルマがへたりこむと、「愛してるよ」といってまた歩かせたとか。病弱な人間が2ヶ月間も毎日こんなに歩けるでしょうか(私は健康だけれど多分無理)。

マーラーのことだけでなく、当時のウィーンやオペラの雰囲気なども生き生きと描かれていて、なかなか面白い本です。反ユダヤの雰囲気が、19世紀末から20世紀初頭のヨーロッパに蔓延していく様子も描かれています。マーラーが王室オペラ劇場をやめることになったのも、もちろん彼が独断専行の人だったせいもありますが、多分に反ユダヤの雰囲気も影響したのではないかと感じました。彼がカソリックに改宗していたにもかかわらず、演奏活動に対するいろいろな妨害があったようです。

マーラーがオペラの監督になった当時、ヨーロッパ各地のオペラハウスでは、モーツアルトのオペラはほとんど忘れ去られており、彼の尽力によって復活したという話にはちょっと驚きました。彼はオペラハウスの演目については、台本から目を通し、譜面にも手を入れ、他の指揮者に指揮をまかせるときも、事細かく指示を出したそうです(やられる方はたまらんでしょう)。オーケストラとのリハーサルでも、マーラーの指示が厳しすぎて団員が途中で出ていったり、演奏をやめてしまうなどということもよくあったようです。こうして敵をたくさん作ったことで、ストレスはたまったことでしょう。しかし演奏のレベルはすごいものだったと予想できます。

アントン・ブルックナーやリヒャルト・シュトラウスの人物像もエピソードとともに率直に描かれています。ブルックナーは神聖・荘厳な雰囲気のシンフォニーでクリスチャンに人気の作曲家であり(現在では日本でも大人気)、マーラーの先生でもありますが、実は女子校の教師をやっていたときにセクハラで免職になったという話にはのけぞりました。前の記事で話題にしたハンス・ロットの母親が、息子の成績が気になってブルックナーの自宅を訪問したときに、素っ裸で玄関に出てひんしゅくを買ったというのは有名な話らしいですが。彼は風呂で作曲するのが好きだったようです。

マーラーの交響曲は、今は亡きマエストロ:ベルティーニが、都響のコンサートで数年かけて全曲演奏してくれたので、すべてを実演で経験することができました。私の人生の中でもこれは大きなトピックでした。交響曲第5番の第4楽章はヴィスコンティの映画「ベニスに死す」のテーマ音楽で有名ですが、私もこれがマーラーの書いた最も美しい音楽だと思います。この映画の主人公の名前のグスタフは、作者のトーマス・マンが友人であったマーラーの名前からとったものであるとされています。

「グスタフ・マーラー 愛と苦悩の回想」 アルマ・マーラー 石井宏訳 中公文庫

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