解剖男
「解剖男」 遠藤秀紀著 講談社現代新書 2006年刊 について
「解剖男」というのは、「電車男」にあやかってつけられたタイトルでしょうか? 何かカルトな内容を予想させられます。はたして読み始めてしばらくは、自己陶酔的な文章でどうだかなあという感じでした。
しかし読み進んでいくうちに、存続の危機にある解剖学を含む基礎科学を救済するには、このくらい激しくエキセントリックな表現でなければ注目してもらえない、ということも考慮に入れるべきだと思うようになりました。この本は、解剖学の面白さを一般に伝えるという目的以外に、解剖学だけでなく一般基礎科学の危機を訴えたいという意図があります。この点は私も無条件で著者のプロパガンダに賛同したいと思います。
例えば 「もちろん富国強兵の戦前も、経済発展の戦後も、知よりも現金を大切にする行革一辺倒の現在も、日本の大学が文化の継承者であろうとした形跡はきわめて希薄だ」 「国策とか生き残りとかいうキーワードで、大学の社会に対する文化的責任が軽んじられたといえる。哲学より金、文化より経済がもてはやされてしまったのだ。これでは遺体(=標本)は捨てられていくのが当然となってしまう」 「博物館の発展においては情報さえたいせつにしておけばよい。遺体や標本や資料には、たいした価値はないという暴論」 などの記述は、その通りと拍手したくなりました。
情報というのは、それを集めたときの科学のレベルが反映されるものであり、すべての情報が含まれている標本を捨ててどうするんだと思います。エジプトのミイラだって、昔はX線解析だったのが、今ではMRIでしょう。その標本を軽視した博物館がしまったと気づいても、いまや行革の時代で、リストラのためにどうにもならず、ぼろぼろに朽ち果てて行くのみとはなんとしたことでしょう!欧米でもそのような傾向がないわけではありませんが、日本のように軽薄な運営はなされておらず、大学も博物館もしっかりと資料・標本を集めて保管しています。
解剖学の内容については、特にゾウの腎臓が、鯨やイルカと同様にいくつかのローブにわかれている葉状構造であることに興味をひかれました。分子生物学的にもゾウが海の哺乳類と近いことは示唆されていますが、著者が言うように、昔はあの長い鼻をシュノーケルのように使っていたとすれば面白すぎますね。実際上野動物園の解説にはそうやって泳ぐと記述してありますが、一度見てみたい。
イノシシ(ブタ)の鼻がどうしてあんなに長いか(というより顔が長いと言ったほうがいいか?)というのも、きちんと説明してあります。シカの足が速く走るために適応しているというのはよくわかったのですが、それを食べるネコ科の猛獣の足についてもちょっと説明してほしかったと思います。
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