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2006年7月 8日 (土)

さらば文明人 その1

Saraba 「さらば文明人」は西丸震哉氏の1969年講談社刊の著書で、私が入手したのは1982年版の角川文庫版です。それ以来4-5年に一度は読んでいるので、もう数回通読したことになります。私にとっては、バイブルとまではいかなくても、こんなに何度も読んだ本はありません。ネットオークションなどで、今でも入手可能です。

内容は著者が文明人未接触の石器時代そのままの生活をおくる食人種族を求めて、ニューギニアの奥地を探索するというものですが、本題に入る前にかなり長いイントロがあります。著者は食人種探索の前に、トレーニングとして旧日本軍が行軍したスタンレー山脈横断を試みています。この経験をもとに、著者はこの山脈越えのポートモレスビー攻略作戦(レ号作戦)を計画立案した人がまだ生きながらえているならば、「お前はいますぐにでも千鳥ヶ淵の無名戦士の墓前に進み出て、腹を切るべきである」と糾弾しています。

この記述をきっかけに、私は戦記物を読むようになりました。なかでもガダルカナルとインパールを生き残った高崎伝氏の「最悪の戦場に奇蹟はなかった」(光人社)には強烈な印象を受けました。高崎氏もインパール作戦について「愚将牟田口将軍のもとに、万骨枯れた英霊の無念を思えば、故人となった将軍の屍にムチ打っても、なおあまりある痛恨限りなき地獄の戦場であった」と述べています。総理の靖国神社参拝是非が論争の的になっていますが、実は日本を戦争に導いただけでなく、無茶苦茶な作戦で多くの将兵や軍属を無駄死にさせた、悪魔のような戦争責任者である司令官達の多くが、なんのおとがめもなく生き延びたということの方がさらに重大な問題だと考えます。私は日本人の手でもう一度東京裁判をやりなおし、真のA級戦犯をあぶりだすという作業をやらない限り、太平洋戦争の総括はできないと思います。

それはともかく、西丸氏が歩いた1968年当時、もう敗戦から20年以上たっているにもかからわず、まだ遺骨が縦走路のそちこちに転がっていたようです(ほとんどは疲労餓死)。戦争当時の原住民は、なにしろ石器時代以来はじめて会った外来人が日本軍ということで、本当にびっくりしたことでしょう。

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