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2010年10月 1日 (金)

ランチタイム

ランチタイム

  小学校に通学しはじめてから2回目の引っ越しで、東京の羽田空港にほど近い小学校に転入することになった。私には父の記憶がない。父の写真も1枚もなかった。そのことを訊いても、母は何も答えてくれなかった。母は九州の建築現場でまかないの仕事をしていた。ダムの仕事があったので人里離れた山奥に3年間居たのだが、県知事が交代したときに、無駄な公共事業は廃止するという公約の関係でダムが建設中止となり、母も解雇されて私を連れて3月に東京に帰ってきたというわけだ。

  4年3組の教室は3Fにあった。知っている子が一人もいないというのは緊張する。九州で通っていた小学校では全校生徒が50人くらいで、ほぼ全員どんなキャラか知っているくらい親密だった。それにほとんどの生徒が建設作業員の子供だった。東京では一転して、たいていの親がホワイトカラーということもあって、あまりみんなとなじめなかった。しかし一番問題だったのは、長引く不況で母によい仕事がなく、うちの家計が火の車だったということだ。そのためにランチボックスの中には白飯しか入っていなかった。そのことは仕方ないことなので我慢できたが、我慢できないのはそのことをクラスメートに知られ、貧乏人の子と馬鹿にされたり、逆に同情されておかずをもらったりすることだった。

  私たちの小学校では予算不足で炊事婦がリストラされ、全員弁当持参になっていた。ランチタイムは嫌でも毎日やってくる。昼食が嫌だといっても、朝食は当然「抜き」なのでおなかはペコペコだ。私はランチボックスをかかえてゆっくりと廊下に出る。そしてゆっくりと階段を下る。毎日こんな行動をとっていると、そのうち誰かに気付かれて後をつけられるのではないかという恐怖が心をよぎる。教室が1Fにあればいいのにと思う。外に出ると裏門まで何気ない様子で歩き、門を出るとはじけるようにすぐ近くにある小さな公園に駆け込む。

A

  困ったことに数人の女子のグループがいつもその公園にきて、ベンチに座り込んで昼食をとることに気がついた。だから私は皆の視線が届かないトイレで昼食をとるしかなくなった。今でもそのトイレの「のっぺらぼう」の不思議なマークを思い出すことがある。時にはそのグループの子が隣のボックスにはいることがある。そのときは食事を中断し、音を立てないように息をひそめて彼女が出て行くのを待つしかない。食べ終わって出て行くときは、ドアの隙間から外をうかがって誰もいないことを確認し、生徒たちが座っているベンチから見えないように遠回りして裏門にもどる。ここまでの緊張感がきついので、午後はぬけがらのようになる。もともと学校のレベルが九州で通っていた学校よりもかなり高い感じなのでなかなか授業についていけない上にこれだから、次第に学校がつまらなくなった。

  学校がひけてアパートに帰っても誰もいないし、私も母も几帳面じゃなかったので散らかっていて、部屋にいるだけで気が滅入ってしまう。私はアパートの前の運河の堤防に座って、じっと母の帰りを待つことにしていた。海からはかなり離れていたが、ときどきカモメの群れが運河沿いにやってくることがあった。顔から1メートルくらいのところをビュンビュン飛んでいくカモメに目を見張った。私や母とは全く違った次元で生きている生物がいるというのが驚きだった。彼らは隠れてご飯を食べたりしないし、朝食抜きってこともないのだろう。それにしてもあんなに急いで、どこにすっ飛んでいくのだろうか?

  ほぼ決まった時間に何匹かの犬が散歩で通り過ぎる。たいていの犬は私を無視するが、1匹のラブラドゥール・レトリバーは遠くの方から私を見ながら近づいてきて、私のところまでくると足を止め、いつも腕をひとなめしてから去っていった。連れている飼い主は外国人のようにみえた。背はそれほど高くはないが、がっしりした体で、いつも大股でゆっくりと歩いていた。彼はよく変なアクセントの日本語で、「大丈夫、この犬はかみつきません」とか、「川に落ちないで 気をつけて」とか、冬には「寒くないですか」とか一言声をかけてくれた。あるとき1枚のパンフレットを私に手渡し、「何か困ったことがあったらここにいらっしゃい」と言った。見るとそれは礼拝と日曜子供英会話教室の案内で、教会のパンフレットのようだった。

  薄暮のなかで遠くに母が見えると、私は運河沿いの道を走っていって母の手をつかみ、アパートまで引っ張るようにして帰った。私はいつもランチタイムと同様おなかがペコペコで、早く母に夕食の支度をしてほしかった。でもどうして人はすぐ腹ぺこになるのだろう? 夕食は一日一回のまともな食事だった。といっても何か一品おかずがあるという意味にすぎないが。やっと1日の終わりにたどりついた楽しい時間なのに、私には何も母に話すことがなかった。母もとても疲れた顔をしていて、話すのがおっくうな感じだった。私はずっとニコニコ笑っていたそうだ。それをみて母はよく「何を考えてるかわからない子だねえ」と言っていた。私としては、当時このひとときだけが楽しみで生きていたというだけのことなのだが・・・。

☆ ☆ ☆

  そんな日々が転機を迎えたのは、私が5年生になってまもなくのことだった。母が家を空けることが多くなったのだ。家を空けるときは書き置きと、何個かのインスタント食品が置いてあった。何個あるかによって、いつ母が帰ってくるかがだいたい予想できた。たくさん置いてあるときは、寂しい気持ちですっかり滅入ってしまった。ある日私は学校をさぼって母の後をつけた。母は電車でひと駅の隣町のアパートの部屋に吸い込まれていった。ずっと見張っていると、夕方になって母が知らない男の人といっしょに出てきた。二人の後をつけると、彼らは繁華街のとあるバーにはいっていった。ずっと見張っていると、夜中の12時頃になって二人は出てきてアパートに戻っていった。母は酔っているように見えた。私はひとりで終電に乗ってアパートに帰り、インスタントラーメンを食べた。

  次の日も学校をさぼり、母がいるアパートを訪ね、今度はドアをノックしてみた。昨日見た男の人が出てきて「誰?」と言った。奥の方に母が見えた。母は私の方を見て、すごく嫌な顔をして「智子 学校はどうしたの」と強い口調で叱責した。男の人は作り笑いをしながら「君が智子ちゃんか? まあおはいり」と言った。私はその顔が気持ち悪くて、走って逃げ出した。

  それから私はアパートに引きこもり、学校に行くのはやめた。母が帰宅する頻度はますます減り、たまに帰宅しても食料の用意や洗濯をすませたらすぐに出て行った。学校の先生がときどき訪ねてきた。学校に行く気力がなかったので、先生の訪問は私にとって苦痛以外の何者でもなかった。何を言われても私はただ黙っていた。そのうち買い置きの食料もお金も途切れがちになって、空腹の日々が続くようになった。

  そんなあるとき私は思い切って通学かばんを捨ててしまおうと思いついた。どうせ学校に行かないのなら教科書も捨ててしまおうかと考えて整理していたとき、1枚のパンフレットが出てきた。あの外国人らしい犬連れの人がくれたものだ。彼が言った「何か困ったことがあったらここにいらっしゃい」という言葉を思い出した。

☆ ☆ ☆

  パンフレットの地図をたどっていくと、そこはやはり教会だった。もう夜遅い時間だった。重くて立派な作りの門扉を開けると、中にはあのラブラドゥール・レトリバーと、見覚えのある飼主の外国人がいた。私は男に「食べ物がないの」と訴えた。男は少しの間呆然と私をみつめ、はっとしたように口を開いてくれた。「ああ あのいつも運河のそばに座り込んでいた・・・」 私が頷くと、男は犬を裏の犬小屋に連れて行ってつなぎ、私を建物の中に招き入れてくれた。彼はこの教会の牧師だった。私のためにジャガイモを煮て、ドイツ製のソーセイジを焼いて食べさせてくれた。早速ソーセイジをフォークで刺して端からかぶりつこうとすると、牧師は「ダメダメ、ソーセイジはこうやってナイフで切って、一切れずつフォークで食べるんだよ」と私をたしなめた。おなかはぺこぺこだったが、牧師の指示に従って、私はぎこちなくナイフとフォークを使って、ゆっくりと少しずつ味わいながらじゃがいもとソーセイジを食べた。こんなに美味な食事をしたことを思い出せなかった。

  その日は牧師の部屋で寝ることになった。部屋に入ると、そこにもうひとりの女の子が居た。牧師は「聡子、お客さんの・・・ああまだ名前を聞いてなかったね」と私に視線をむけた。私はあわてて「中谷沙耶です」と答えた。牧師は「沙耶、これは中学1年生の聡子(サトコ)だ」と簡単に紹介した。私は思いきって牧師に「おじさんをパパと呼んでいいですか」とお願いしてみた。牧師は「智子のパパはどうしたの」と訊いてきたので、私はきちんと説明した。牧師は納得して結局パパと呼んでもいいことになった。聡子も「じゃあ私もパパと呼ぶ」と言った。牧師は自分は「ジョセッペ・ガルディオラ」だと名乗った。聡子は彼をジョセ先生と呼んでいたようだが、「ね ややこしい名前でしょう。パパの方がいいわ」と笑った。私もパパも笑った。こんな幸福な気持ちになったことはなかったように思った。パパの部屋には広いダブルベッドがあり、3人でひとつのベッドで眠った。私に突然パパと姉ができた夜だった。

  翌日は金曜日だった。金曜日は朝の礼拝がなかった。朝になると、私はパパにいろいろ訊かれた。母が不在がちなことや、あまり学校に通っていないことなどを正直に答えた。尋問が終わると、パパは先生と母に会ってくると言って昼前に出て行った。留守の間に聡子といろいろ話した。彼女の両親はこの教会の信徒だったが、交通事故で亡くなり、パパに引き取られたそうだ。彼女は「日曜日はパパが忙しいので、私が夕食を作っているの」と誇らしげに言った。

  ひとしきり話した後、彼女は私を別の部屋に連れて行った。そこは物置のような暗い部屋で、テーブルや椅子が積み重なって誰もいなかった。物置部屋の先にはもうひとつ狭い部屋があり、そこには大きな本棚があって、古い分厚い本がぎっしり並んでいた。さらに2段ベッドと小さな勉強机がふたつが置いてあって、男の子が二人座っていた。聡子はまず年長の少年の方を指さし「兄ちゃんの小学5年生の義行(ヨシユキ)よ、ちゃんとしゃべれないの」と紹介した。ヨシユキは「こここここんにちは」と必死に挨拶した。聡子は「おかしいでしょう。緊張するといつもこうなるの。でもヨシはここでひとりだけちゃんと学校に通っているし、頭はいいの」とヨシユキの頭を撫でた。次に聡子はもう一人のほうに向いて「彼はヨシの弟で小学2年生の元治(ゲンジ)。ゲンと呼んでいるの。聾唖だけどいい子よ。学校にはあまり行ってないわ」と言いながら、ゲンジの肩をポンとたたいた。

  部屋から出ると聡子は礼拝堂を案内してくれた。礼拝堂の裏には会議室のような部屋が二つあり、日曜学校や英会話教室をやっているそうだ。案内されているうちに気がついたのだが、聡子も妹分ができて嬉しそうだった。「そうそう まだ紹介してないものがあったわ」と聡子は私を裏庭に方に連れて行った。そこには犬小屋があり、あのラブラドゥール・レトリバーがつながれていた。「ジョンよ やさしいの」。私が近寄ると、覚えていたのだろうか、私の腕をペロリとなめた。私はここにずっと居ようと決めた。母があの男の人と別れて自分のところにもどってくれるまで・・・。

☆ ☆ ☆

Photo

  パパの礼拝に出席してみた。日曜礼拝は信徒が多くてほぼ満席だったが、最後尾のベンチに空きをみつけてじっとパパの話に耳を傾けた。いろいろな聖書の話をしたあと、最後にパパは「両親・親戚・友人、世の中のすべての人々があなたを見捨てても、主はあなたをお見捨てにはなりません。アーメン」と力強く結んだ。

  パパはあちこち奔走して、いろんな問題をクリアしてくれたようだった。「智子はしばらくこの教会に居ることで話がついたよ」と微笑みながら私に伝えてくれた。早速パパと聡子と私の3人で相談して、私はジョンの散歩・花壇の世話・皿洗いをやることになった。一人で切り盛りしている教会なので、パパはとても忙しかった。聡子がいなければとてもやっていけないだろうことはすぐわかった。聡子は毎朝朝食をつくっていたし、日曜日には夕食も作っていた。毎日洗濯もやっていた。礼拝堂や庭やトイレの掃除はヨシとゲンがやっていた。

☆ ☆ ☆

  しばらくの間だけ居るはずが、3年たっても母は私を迎えに来なかった。それは私にとってかえって幸福だったかもしれない。今思うとここにくる前の母との生活は悪夢のようで、2度ともどりたくはなかった。ここではみんなが力を合わせて、教会と生活をポジティヴに運営している。パパ・聡子・ヨシ・ゲンそしてジョン、みんな素晴らしい指導者であり、友達であり、家族でもある。

  そんなある日、寝苦しい夏の日だった。眠れなくてトイレに行く途中、物置部屋で物音がするのでドアを開け電気をつけると、パパと聡子が汗まみれでセックスをしていた。私はすぐにドアを閉め廊下に出た。部屋にもどったがショックで眠れなかった。私はヨシとゲンの部屋に行き、衣服を全部脱いで、ヨシにズボンを脱げと命じた。私の剣幕におそれをなしたのか、ヨシはおとなしくパンツ1枚になった。私はパンツから彼のペニスを露出させ、両手でゆっくりとしごいた。弱々しいペニスが次第に伸びて硬くなった。さらにしごきつづけると、ヨシはうーっと声を上げて射精した。私は失禁してしまった。ゲンはそんな私たちをまばたきもせずに見つめていた。どうしてこんなことをしてしまったのか、いまでもわからない。ヨシとゲンには本当に申し訳ないと思う。

  翌朝ゲンが居なくなった。聡子が私に「ゲンも見たの?」と耳打ちした。私は聡子もゲン失踪の共犯者にしたくて小さく頷いた。パパもヨシも真っ青になって慌てていた。聡子は意外に冷静で「パパとヨシは近所を探して! 私と沙耶は構内を探してみるから」とみんなに指示した。しかしゲンを発見するのにそんなに時間はかからなかった。いつもはおとなしいジョンが激しく鳴くので裏庭の方に行ってみると、ゲンが犬小屋の中に閉じこもっていた。みんなその場に倒れ込みそうな気持ちをおさえて、ゲンを小屋の外に引っ張り出し、競うように抱きついた。みんな涙があふれそうな目でゲンを見つめていた。ゲンはずっと地面を見つめていた。

  翌日パパはどこからか中古のベッドを調達してきて、物置部屋を片付け、私用のベッドを設置してくれた。私は物置を私の個室として使い、パパの部屋は聡子とパパの部屋ということになった。表向きはそれまでと同じ生活だったが、少しお互いによそよそしい、すきま風が吹き抜けるような日々になった。人間の赤裸々な営みを見たのだから、より距離が縮まってもよさそうなものだが、現実は微妙にずれていた。しかし1年も経つと、そんな違和感もうすれてきた。ただみんなが少しづつ大人になっただけという感じだ。

  私は母に手紙を書き、学費を送ってもらってミッション系の中学校に行くことにした。母も私のことを少しは気にかけていてくれたらしい。卒業したらシスターになるための研修所にいくつもりだ。そうなれば寄宿舎生活になり、この教会ともお別れになる。パパはきっと聡子と結婚するのだろう。この教会の会派では牧師の結婚は奨励されている。ヨシは勉強して大学に行きたいと言っている。父親はいなくて、母親も病気で長期療養中ということで大変だろうが、この教会の会派には奨学金制度があり、米国の系列大学に留学する場合援助してもらえるようだ。昔犬小屋で縮こまっていたゲンは、見違えるようにたくましくなった。よく働くいい子だ。きっとこの教会になくてはならない存在になるだろう。

  私は研修所で英語をマスターし、この教会に戻ってきてシスターのかたわら英会話教室を手伝って、信徒や子供たちの役に立ちたいと思う。そして教会の経営にも少しは役に立ちたい。シスターであっても、ゲンがずっと教会にいて私でいいというなら彼の女になってもいいと思っている。きっとパパは許してくれる。大人になった私、ゲン、聡子、そしてパパで新しい人間関係を築きあげ、第二の幸福を獲得するのだ。そして忘れてはいけないのがジョン! 私がここに戻ってくるまでしばらくお別れだけど、研修所から帰ってくるまできっと生きていて! 私をここに導いてくれたのはあなたなのだから。

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