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2010年1月31日 (日)

由紀子と猫

由紀子と猫

  春の大学受験に失敗してブラブラしていたら、夏になって突然親がコンビニをやろうと言い出した。 降ってわいた話に私は少なからず動揺した。親は私が大学に入学することを期待していなかったのか・・・。中学・高校の頃はあんなに「勉強しろ勉強しろ、勉強して俺たちのようなつまらん商売人にはならないでまともな会社に就職しろ」としつこく言っていたではないか。ある意味親に自分の能力と素質を見限られたような気分になって、私は落ち込んだ。

  しかし少し時間が経つと、自分を省みる余裕ができてきた。大学に何をしに行くのか? 私が入学できるようなレベルの大学を卒業して、果たしてまともな会社に就職できるのか? とはいえ親の言うとおりコンビニで働くとして、18歳から年寄りになるまでその店でずっとあくせく働くのか? 大学に入って2年間くらいはサークル活動とか合コンとか人並みに遊んでみたい・・・などといろいろ考えてはみたが、ともかく受験勉強には身が入らなかった。とりあえず親の手伝いをするのも仕方ないかと思っていたが、結局ずるずると親のペースに巻き込まれてしまった。母は店には出ない人なので、親父と私の二人だけではとてもコンビニはやっていけない。アルバイトを雇ったが急に休むこともあって、そうなると私か親父がかぶるしかない。1日16時間勤務になることもしばしばあり、かなりきつい仕事だった。

  とりあえずという曖昧な気持ちでこんな仕事をひきうけたのは甘かった。正直きつい。とはいっても私がやめたら親父は倒れてしまうだろう。大学受験などどこかに消し飛んでしまった。ともかくなんとかやっていくしかない。がむしゃらに働いた。1年経って計算してみると、なんと年商が5000万円を越えていることがわかった。親父に訊くと、コンビニを始める前の雑貨商のときは年商2000万円がやっとで、それも毎年減っていたという話だった。努力が報われるというのは悪くない。

  こうしてあっという間に7年の年月が経ってしまった。コンビニの売り上げは毎年少しずつ増えて7000万円近くになっていた。近所に何棟かマンションができたことが影響しているのだろう。ところが思ってもいなかったところに落とし穴があった。私が25歳になった誕生日に、親父が「俺ももうすぐ65歳で体がきつい」と言いだした。あらためてしげしげと親父をみると、頭はすっかり白髪になり、顔も小じわやシミが目立つじいさんになっていた。65歳といえばサラリーマンなら定年退職の年齢ではある。あまり気乗りはしなかったのだが、結局親父に代わって店長をやることになった。親父も家に引っ込んで隠居するとは言わなかった。それでも事務関係の仕事などが増えてあまりに忙しかったので、毎日のようにぶつぶつ文句を言っていると、親父が知人の娘だという若い女性を連れてきた。なんでも経理関係の専門学校を出たばかりで、うちで働いてもいいという有難い話だった。渡りに船とばかりに即採用したが、経理の仕事はもちろん、レジの仕事もてきぱきと笑顔でできる実に有能な人材だった。

  そのうち自然にその女性、由紀子と結婚しようということになった。高校を卒業してからずっと仕事が忙しかったので、やっと自分にも春がめぐってきたという楽しい気分の毎日だった。新居となるマンションも決めた。新婚旅行の計画も進めていた。しかし好事魔多しというのはこういうものなのか。希望に満ちた幸福な日々は長くは続かなかった。健康診断で由紀子の血液に異常が発見されたのだ。精密検査で急性リンパ性白血病だということがわかり、由紀子は即入院することになった。

  私は奈落の底に落ちていった。仕事にも身が入らず、病院に見舞いに行った帰りには呆然と近所を彷徨するようになった。次第にコンビニは老父とアルバイト任せになってしまった。そんなとき、泣きっ面に蜂のようなうわさが耳にはいってきた。私たちが新婚生活を送る予定で購入した中古マンションの耐震性に問題があるということで、詳しい検査をしているらしいという話だった。由紀子の病気のこともあって、管理組合の集会には出席していなかったし、現に住んでいない人間には回覧板もまわってこない。

  私は早速マンションに行ってみた。マンションは14階建てだったが1階から7階まではシートで被われ、すっかり工事現場のようになっていた。私たちが購入したのは14階の一室で、せっかく来たのだからともかくそこまで行こうと思い、私はエレベータ-に乗った。しかしエレベーターが7階で停止して同乗していた作業員が降りたとき、つられて私も降りてしまった。気がついたときにはもうエレベーターの扉は閉じ上昇していった。とんでもないところに置き去りにされたものだ。回りをみると壁の一部は壊され、鉄筋が露出していた。誰もいない長い通路には、冷たい風が吹いていた。私は通路から身を乗り出して作業員やクレーンが動く地上をぼんやりと眺めた。これから私の人生はどうなってしまうのだろうか? 私「ふぅ」とため息をついた。

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  しばらく下を見つめていたとき、私の体に異変が起こった。私の体の一部がフワッと抜け出し、地上に静かに落ちていくような感じがしたのだ。それは灰色でやわらかく不定形だったが、頭と手足のような出っ張りがなんとなくあるような気がした。私はハッと気がついて体を触ってみた。どうやら私自身が転落したのではないようだった。私はまだ通路にいた。しかしそれから私は体の芯が抜けてしまったかのように力がはいらなくなり、アパートまではなんとかたどり着いたが、そのままどっとベッドに倒れ込んで起き上がれなくなってしまった。

  私は毎日病院に行っていたので、見舞いに来ないし電話にも出ない私を心配して、由紀子の母親が私のアパートを訪ねてくれた。鍵もかけずにベッドに倒れ込んでいたらしい。彼女が来てくれなかったら、私はどうなっていたか分からない。体調が悪いと言うと、彼女はおかゆを作って食べさせてくれた。救急車を呼びましょうかと言われたが、私はどこも痛いところはないし、熱がある感じでもなかったので「ただ疲れているだけみたいなので、安静にしていれば大丈夫です」と断った。彼女は「明日も来るから、具合が良くなっていたら病院に行きましょう」と言ってくれた。

  翌朝になっても私の体調は回復せず、あまりにだるいのでベッドに横たわりぐったりとしていたが、そのうち眠ってしまった。夕方に目が覚めると由紀子の母親のメモが見つかった。「ぐっすりお休みだったので、おみやげだけ置いていきますね。お大事に」という内容だった。私が熟睡していて来訪に気がつかなかったのだろう。万一を考えて、私はドアチェーンをはずしていた。せっかく来てくれたのに申し訳ないことをしてしまった。私は今度はドアにチェーンをかけて、また寝込んでしまった。深夜になってから目覚め、私は全身の力を振り絞ってよろよろと立ち上がり、郵便物をとりにいくために玄関の扉を開けた。ひゅーと風が舞って、メモのようなものが飛んでいった。しかしあとにバスケットがひとつ残されていた。

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  バスケットの蓋を開けると、一匹の子猫が眠っていた。そして目覚めるとキョトンと私を見つめた。数秒見つめ合っていると、不思議なことが起こった。失われていた私の体の芯が、子猫からすっと私に戻ってきたような気がしたのだ。実際それから私は普通に歩けるようになり、食欲も出てきた。私は突然一昨日の昼から由紀子のところに行っていないことに気がついた。子猫に牛乳を飲ませてタオルを敷いた段ボール箱に移し、深夜だったがタクシーを呼んで病院に急いだ。

  病院は大変なことになっていた。由紀子が意識不明に陥り危篤状態だというのだ。なんということなのだろう。訳の分からない体調不良というアクシデントのために、由紀子と最後の会話ができなかったのが悔しい。私は泣いた。親族が見つめる中、翌朝由紀子はあっけなく天国に召された。

☆ ☆ ☆

  由紀子が死んでから2年が経過した。あの時の子猫はすくすくと成長し、体重が5キロもある立派な成猫になった。それにしても不思議なのは、誰かが猫を捨てたとすると、どうして猫が飼えないアパートの住民なんかに預けようとしたのか? あの風で飛んでいったメモには何が書いてあったのだろうか?
 
  私はこの猫が私を救ってくれたと思っている。私は由紀子の思い出のためにユッキーと名付け、アパートを引き払いユッキーをつれて実家に戻っていた。これからずっとアパートでこっそり猫を飼うというのは無理だろう。実家にもどって飼育する決断をしたのは、いまでも仕方なかったと思う。ユッキーがいなければ、私はどんなに空しい2年の日々を過ごしていたかと思うとぞっとする。由紀子と住む予定だったマンションはきちんと耐震補強されたが、あの気持ち悪い幽体離脱のような出来事の再現が怖くて売却した。

  大事に飼育していたユッキーだったが、飼いはじめてから2年目の夏にどこかに出かけたまま戻ってこなかった。自分だけの家ならともかく、父母が同居している家では、完全に猫を家の中に閉じ込めておくのは至難の業だった。私は仕事が忙しくてなかなか探す余裕がなく、アルバイト達も忙しい時間を割いて手分けして探してくれたが、ついに1ヶ月経過してもユッキーはみつからなかった。

  ほとんどあきらめて、ようやく以前のようなペースで仕事をはじめた頃だった。アルバイトのひとりで、もう4年もやってくれているフミちゃんが「ちょっと話がある」と裏口の方を指さして私を誘った。ついて行くと、裏口のドアを出たところで、彼女が1枚の紙片を「これ以前に拾ったものですっかり忘れていたんですが、昨日部屋の掃除をしていたらみつかったんです。すみません。多分店長にあてたものだと思うんですけど」と私に渡すと、すぐに走って店に戻っていった。

  紙片には、「高志さん。病院に捨てられた猫です。私がミルクを与えていたのですがもう無理です。私だと思ってかわいがってね 由紀子」と書いてあった。私は体中の力が抜けて、その場に座り込んで動けなくなってしまった。これがあのときの風で飛んでいったメモなのか!由紀子はあの体でタクシーに乗り、命がけでバスケットの子猫を私に届けてくれたのだろうか?

  しばらくすると、いつまでも店に戻らない私を心配して、もうひとりのアルバイトであるチカちゃんが探しに来た。私はチカちゃんに訊いてみた「この紙切れをフミちゃんがくれたんだけど、どうして彼女が持っていたのか知ってる?」。チカちゃんはそれを読んでしばらく考えていたが「どうしてフミが持っていたかは知らないけど、フミは昔から店長が好きだったのよ。店長知らないでしょう」と、私の顔の前で指をぐるぐる回しながら答えた。さらに私の耳元に近寄って小声で「ここだけの話だけど、店長のストーカーみたいなことやってるんじゃないかってうわさになったことも・・・」とささやくと、「早く戻らないとお客さん並んでますよ」と言って彼女は店内に消えていった。

  私はゆっくりと店に戻った。フミちゃんとチカちゃんにはそれ以上何も訊かなかった。二人も帰り、夜が更けてお客さんが途切れたときに、外に出て空を見上げると満月だった。私は駐車場のストッパーに腰掛けて、じっと月をみつめた。由紀子とユッキーが並んで私に微笑んでいるような気がした。

  フミちゃんは翌日から仕事に来なくなり、音信不通になった。

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