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2009年2月11日 (水)

台湾の女

台湾の女

気分の悪い朝だった。
昨日ヤケ酒を飲み過ぎたようだ。
体がだるいうえに、頭が痛い。
窓を開けると空もどんよりと曇っている。
余程会社を休もうと思ったが、習慣というのは恐ろしい。
ベッドから離れると自動的に体が動き始める。
顔を洗って、歯を磨く。
トーストを焼いて、コーヒーを淹れる。
ここまでくると、もう出勤するしかない。

昨日はもう少しでまとまりそうな大きな商談がぶち壊れて、課長にひどく怒鳴られた。
先方の事情が変わって、進められなくなったのだ。
別に私がミスをしたわけじゃないが、あくまでも責任者は私ということになる。
怒鳴りたい気持ちはわからないでもないが、もう少し言い方というものがあるだろう。
「明日から来なくてもいいから」とまで言うかい?

不快な気分が頭の中をぐるぐるまわっているうちに、勝手に足が動いて駅に着いた。
いつもの通勤電車に乗るとバカに空いている。
「あれれ 時間を間違えたか」と思って時計をみるといつもの時間だ。
ひょっとして今日は祝日・・・?
しまったと思ったときにはもうドアは閉じて、窓からゆっくりと動いていく駅名表示板が見えた。
そうか・・・。「明日から来なくてもいい」なんて言われると、意地でも出勤してやると思ったのが運の尽きか。

特急なので次の停車駅まで15分くらいかかる。
やれやれ・・・ と思ってうつらうつらしていると、隣に座った女が頭を肩に乗せてきた。
30才位の、髪が肩まである女だった。
派手目の花柄のワンピースで、赤のピンヒールを履いていた。
深紅のペディキュアが見えた。
手をみると、やや大きめのルビーの指輪を左手の人差し指にはめていた。
マニキュアも深紅だった。
香水の匂いはほとんどしなかった。

寄りかかってきたが、居眠りしている感じではない。
そのうち腕もつかんできた。
スリかなとも思ったが、その時は振り払う気力もなかった。
スられたらその時に取り押さえるか・・・などとボーっと考えていると、女が話しかけてきた。

「どこまで行くか?」

外国人? 私は事情を説明するのが面倒だったので、「終点まで」と答えた。

「私、台湾ね」
「日本は長いの?」
「1年くらいね」
「日本語うまいね」
「そうでもない」
「どうして日本に?」
「旦那さんが仕事失敗した。離婚した」

黙ってしまった私に、彼女はさらに話しかけた。

「今日は休みね。どこかに遊びに行きたい」
「どこに?」
「動物園とか、水族館とか」

私はその答えが面白くて、本当に今日はこの女とデートしてもいいと思った。

「え ほんとに。今日はあなたいくところない? 終点まで行かなくていい?」

私は説明しても彼女に理解する語学力があるかどうか不安だっし、第一恥ずかしいことだったので、シンプルに「じゃあ水族館に行こう」と言った。

会社が品川にあったので、勝手知ったエプソン・アクアスタジアムに連れて行った。
エプソン・アクアスタジアムは多くの珍しい魚類を集めて展示するというよりも、アトラクション中心の施設で、昼間は家族連れの行楽、夜はデートにふさわしい場所だ。

Photo_7

休日とはいえ、まだ午前中なので閑散としているだろうと思いきや、子供たちの団体や家族連れで結構賑わっていて、子供の歓声が小うるさいくらいだった。今日会ったばかりだというのに、彼女はまるで恋人同志のように腕を絡ませ、ぴったりと私に体をくっつけて歩いた。いるかのショーでは、水しぶきが上がるたびに女は抱きついてきた。いったい私をどうするつもりなのだろう? 生まれて初めてのスリルだ。

Photo_8

こんな調子だから、ホテルに誘えばきっとついてきただろう。
顔は十人並みだが、ボディーは申し分なくグラマラスでセクシーだった。
でも私にはその勇気がなかった。
それは彼女がスリを目的に近づいてきたとか、スキミングを狙った一味だとか疑ったからではなく、寝た後ひょっとして彼女と共に過ごすことになるかもしれない日々とか人生とかが想像つかなくて不安だったからだと思う。私は女性と一夜を過ごし、翌日には後腐れなく別れる・・・というような器用なつきあいをしたことがなかった。

ホテルに誘えなかったことに少し罪悪感と後悔を感じたので、銀座のレストランで私にしては高価な食事を彼女にご馳走した。レストランでは「台湾と日本で漢字がどう違うか」という話をかなり長い時間していたと思う。少し会話が途切れたときに、ついに私は仕事を失敗したことや、休日だということを忘れていたことを告白した。彼女は大笑いして、私も笑った。

デザートとコーヒーも終わったとき、私は「こんなデートでいいですか」と訊いてみた。ここで彼女が「ちょっと物足りない」とでも言えば、後どうなったか私にもわからない。しかし彼女は意外にも「いいです、楽しい」と言った。朝からの彼女の異常に積極的な行動とは矛盾しているように思ったが、一方で私は少しほっとした。

携帯の電話番号は交換したが、なぜかきっともう二度と会うことはないような気がした。

別れ際に、彼女は何度も振り返って手を振った。
そのことに記憶があるということは、私も何度か振り返ったのだろう。
その後やはり彼女から電話はかかってこなかった。
私の方からもかけなかった。

それから1年くらいたったとき、テレビのニュースで台湾のスリの一味が検挙されたという映像が流れた。その中に一瞬彼女の顔が見えたような気がした。確信はないが似ていたような気がする。彼女とデートした日に何も盗まれた訳じゃないし、あれから1年、私のクレジットカードやキャッシュカードには何の異常もない。きっとあの映像は彼女じゃなかったのだ。

しかし万一彼女だったとしたら・・・。
電話してみる勇気はなかった。

もしあの時をきっかけに私と交際していたら、どうなっていたのだろう・・・。あの時にはもう犯罪者集団のメンバーだったのか? ホテルに誘わせて、シャワーでも浴びている間にスキミングする手はずだったのか? ではなぜ「動物園とか水族館」などと言ったのか? なぜ食事の後、私が隙を見せているのに「いいです、楽しい」などと言って、あっさりと後腐れのないさよならをしたのだろう? 

私は今でも、あの「明日から来なくても良かった」はずの会社に通っている。私はずっと明るい大通りをとりあえずという感じで歩いてきて、一度もどこかで脇道にはいるという選択をしていないような気がする。そんな人生には、いつか「後悔」という罰が下されるのだろうか?

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