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2008年11月 3日 (月)

カラスの復讐

カラスの復讐

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  教会では人々が夜明け前から忙しく立ち働いていた。巨大なツリーに四方からはしごがかけられ、様々なデコレーションやイルミネーションが次々と飾られていく。2トン積みくらいの小型の幌付きトラックがゆっくりと構内にはいってきた。幌が開けられ、ドイツから到着したばかりの鐘が収納されているらしい木箱が、4人の作業員によって慎重に鐘楼に運ばれていく。空が明るくなってくる頃、鐘楼に鐘がとりつけられた。年配の司祭がよろめきながら鐘楼の階段を上っていく。やっと最上階までたどりついた司祭が、ふうと息を吐いてハンマーを握り、コーンコーンコーンと3回試打した。無垢な乾燥した音が響き渡る。信徒達から拍手と歓声がわき上がった。クリスマス・イヴのための準備が万端整った。

  教会の新しい鐘の音が9時を告げた。さすがにドイツ製の新品の鐘は響きの余韻が美しい。時を告げるのはカトリック教会のサービスだが、それはまた教会が人々の生活を支配していることのデモンストレーションでもある。私はその鐘楼の近くの建物の屋根にいた。冷たいピーンと張りつめたような空気が気持ちの良い朝だった。食事の時、私は母と行動を共にしていた。私たちの食事は多少の危険が伴うので、母が気を遣ってくれるのだ。やがていつも鐘楼の屋根の頂上に陣取っている母が飛んできて私を誘った。母はここいらのカラスの中では力強さで際だっていて、オス達も母には一目置いていた。

「さあ ごはんよ 行きましょう」 母が私に声をかけてくれた。

  人々がゴミを捨てにやってくるのは7時前から8時過ぎくらいがピークで、その後はゴミ捨て場は閑散とした感じになる。市役所がゴミを収集にくるのは10時の鐘が鳴ってからだ。その30分くらい前が私たちの勝負の時だった。母はいつも器用にゴミ袋を破ってくれる。私は母と共に残飯を探してくちばしでくわえる。そして安全な場所に飛び去って食べる。これを繰り返すのが私たちの毎日だった。

  その日もいつものようにエサを漁っていると、何か木陰で動く気配がした。そして見慣れない棒のようなものが見えたと思った次の瞬間、その棒が母の脳天に振り下ろされ、母は倒れた。私は大声で鳴いて飛び立った。上空から振り返って見ると、ステッキを持った人間が母を何度もたたき、最後は足で踏みつけて内臓が飛び出した。母は内臓が出たままつまみ上げられ、ゴミ袋に入れられた。私は動転したが、その人間の顔をしっかりと頭に焼き付け、必ずいつか復讐をしてやると心に決めた。

  しかし復讐の方法などを考える余裕はなかった。私はその日からエサ場を失い飢えた。恐怖で、もう私と母のテリトリーだったゴミ捨て場でエサをあさることができなくなってしまったのだ。あまりの空腹に遠くのゴミ捨て場までいってみた。しかしそこは他のカラスのなわばりで、エサをあさるどころか、逆に攻撃され深傷を負ってしまった。そして私は母の復讐を果たせないまま力尽きた。

☆ ☆ ☆

  私は物心ついたときには施設に居た。入り口の扉の前に、手紙もなく置き去りにされていたそうだ。だから私には人間の父母の記憶はない。そのかわり、教会の鐘楼の屋根から見下ろした美しい景色、ゴミ捨て場、振り下ろされるステッキ、無惨な母の死(そしてなぜかその母がカラスであるという鮮明な記憶)、ステッキを持つ男の顔、などが次々と浮かんでくる夢を毎日のように見た。その夢をみると、全身から血が噴き出してくるような怒りで目が覚める。

  施設を出て会社勤めをするようになって数年後、会社のルールで社員寮を出なければならなくなった。近郊で住居探しをしているときに、見覚えのある教会、見覚えのあるゴミ捨て場のある街に遭遇した。夢で見ていたのと同じ場所・・・。そんなことがあり得るのだろうか? それとも単なるデジャヴーなのか? 私は逡巡したが、どうしても奈落の底に吸い込まれるような強烈な運命の引力に逆らうことはできなかった。私はその街のアパートに住居を定めた。ここに住むことに決めた以上、私はもはや「母の仇を討つ」というさだめから逃れることはできないだろう。

  しばらくして街の自治会総会に出席したときに、私の頭に焼き付いている顔の男が自治会長になっていることがわかった。年月を経て顔に皺が刻まれていたが、私にはすぐわかった。私は復讐する前に、この老人がどのような人物であるのか知りたくなって、しばらく様子を見ることにした。彼の家は私の記憶にあるゴミ捨て場のすぐ近くにあり、いつも窓のカーテンの隙間からゴミ捨て場を監視していた。正規の時間外に捨てる人間がいると、こっそり尾行してダメだしの注意書きをその人の家のポストに投げ込んだ。不燃物と可燃物を間違えると、そのゴミを出した人の家の玄関まで、自分でそのゴミを持って返しに行った。そんなことを繰り返し、ゴミ捨て場の管理をやるのが彼の日常のようだった。

  ある日その自治会長が、袋を破ってエサを漁る野良猫をステッキで撲殺するところを目撃した。彼は猫が完全に動かなくなるまで何度も何度もステッキを振り下ろし、内蔵が飛び出したところで屍体を拾ってゴミ袋に入れた。はっきりと識別はできなかったが、そのステッキは古いもののようで、母を殺した凶器かもしれない。よく犯罪者は同じ手口で犯罪を犯しがちだといわれるが、これもそういうことなのだろう。私はそこまで残酷にはなれないという気がした。

  自治会長は週に何日か近所のコンビニに勤めていた。店員としては高齢でもあり、動作が緩慢な上に仕事の手際が悪くて、よく店長に叱責されていた。しかし自治会集会の時の彼の顔は見違えるように生気に満ち、まるで街の守護神のように輝いていた。彼は私の母を殺したことなど微塵も覚えていないだろう。彼の得意げな顔を見ると、私は不快でいたたまれない気分になった。

☆ ☆ ☆

  決行すべき時は偶然やってきた。台風の日の朝、土砂降りのなかを彼はゴミ捨て場の点検にやってきた。人間楽しいことのためには、こんなにも勤勉になれるものなのだろうか。私はある意味感嘆した。どうやら彼は手数料を支払ったという証拠のラベルが貼っていないまま出されている粗大ゴミをみつけたようで、ステッキを地面に置いて、ラベルが本当に貼られていないかどうか、大きな古い家具のまわりを1周しながら仔細に点検をはじめた。粗大ゴミを捨てるためには、あらかじめ市役所に電話して、サイズに応じた手数料を支払わなければならない。私は自分に「この瞬間を逃してはならない」と言い聞かせた。用意した軍手をはめて男のステッキを拾い上げ、思い切り後頭部に振り下ろした。倒れてからさらに2-3発頭を殴打し、ステッキを捨てて立ち去った。きちんと復讐するには、彼の内臓が飛び出すまで叩かなければいけないが、それは私にはできなかった。

  少し残念だったのは、あのステッキが母を殺したものと同じものかどうか判定できなかったことだ。そこまでの正確な記憶はなかった。できればそのステッキで復讐を果たしたかった。完璧な復讐ではなかったかもしれない。しかし私がカラスのままだったら、このような形での復讐はできなかっただろう。そのことには私は満足し、私を生まれ変わらせてくれた神に感謝した。

  私の復讐は犯罪としても完璧なものではなかった。近所のマンションの上層階から一部始終を見られていたのだ。土砂降りの日だったのでまさかとは思ったが、ゴミ捨て場を監視している人間がもうひとり居たとは不覚だった。私は逃亡はしなかった。復讐を果たしたという高揚感で心が満たされていたのと、もし逃亡すると私の神聖な復讐がスポイルされるような気がしたからだ。ほどなく私は逮捕された。

  警察にも、検事にも、弁護士にも、裁判官にも、私はきちんと自治会長を殺害した理由を述べた。もちろん彼らが私の言葉を信じるはずもない。何度も同じ話を繰り返しているうちに、誰も私の言うことなどまともに聞いてくれなくなった。それでも私は長期間拘束され、そんな寝言はいいかげんにやめて本当のことを話せと強要される。私はしだいに自暴自棄になり、わけのわからないことばかりわめくようになっていたようだ。結局、私は精神病院に強制的に収容されることになった。

  私は今措置入院させられた病院のベッドの上に座り、鉄格子の窓越しにぼんやりと青空を眺めている。これまでの私の人生のなかで、こんなに美しい空をみるのは初めてだ。いや空なんか見たこともなかったような気がする。私に「さだめ」を与え拘束していたのは神なのだろうか、それとも悪魔なのだろうか。今の私は解放され、意味もなく青空を眺めている。意味のない人生はのびのびと自由だ。もう私は生まれ変わることもないだろう。しばらくしたら、あの世で母と静かに暮らすのだ。

☆ ☆ ☆

  刑事は、あの犯人が精神病者であるとは、まだ心の中のどこかで信じられなかった。取り調べの際、特に最初の頃は、被疑者のしゃべることはある意味ハチャメチャだったが、ある意味すべて筋が通っていた。それもこれも、あの動機についての奇妙な供述が鍵になっている。犯人は自分の前世はカラスで、母カラスの復讐のためにこの世に生まれ復讐を果たしたと、何度も何度も繰り返した。そのたびごとに、刑事達はがっくり落ち込み脱力した。供述がまったくブレなかったので、そのうち誰も真面目に話を聞く気力を失い、ただストレスを解消するために被疑者をどなりつけるだけになった。そのうち被疑者もまじめに話す気がなくなったのか、荒唐無稽なウソ話をリピートするのが面倒になったのか、わけのわからないことばかりしゃべるようになった。

  裁判が終わってから、ある日ふと思いついて、刑事は自治会長殺人事件の目撃者の部屋を訪ね「例のゴミ捨て場の殺人の件なんですが、毎日チェックしていらっしゃったわけですよね。ひょっとして何か記録のようなものをつけてますか?」と訊いてみた。「ゴミ捨て場の記録なんてつけてないよ」と目撃者の住人は笑いながら言った。しかしもう一度考え直すように「でも日記なら昔から毎日書いているけどね」と言葉を続けた。

  刑事は犯人が「教会の鐘楼に新しいドイツ製の鐘がとりつけられた日に母が殺された」と供述したことを思い出した。日記をつけているのなら、記述があるかもしれない。

「昔の話ですが、教会の鐘楼にドイツ製の新しい鐘がとりつけられたことって書いてありますかね?」と刑事は目撃者に訊ねた。
「ドイツ製の鐘ねえ。それはなんとなく覚えているよ。ずいぶん昔の話だよ。私は実はカトリック教徒で、鐘が来たときには信徒がみんな集まってお祝いのパーティーをしたように思う。確かクリスマスイヴだったと思うね。もうあれから30年にもなるんだね。ちょっと待って」と答えて、目撃者はかなり長い時間あちこち探し回っていたが、押し入れの段ボールの中から古い日記の束を取り出し、さらに時間をかけて調べた。そしてついにあるページを探り当て「ああ これだ」と刑事に手渡した。

  刑事はそのページをみて目を疑った。その日に被害者がカラスをたたいて殺したことが記してあったのだ。日記の記述と照合すると、加害者の供述はきわめて正確だった。もちろんその日に加害者はまだ生まれていない。しかし供述が正確であればあるほど、そんな事件、すなわちカラスが人間に生まれ変わって復讐するなどということはあり得るはずがない。あり得ても裁判の対象にはなるはずもない。長い間じっと日記の同じページを見つめていた様子がおかしかったのだろう、持ち主が怪訝そうな眼で自分を見つめているのにふと気がついた。刑事は静かに日記を所有者に返し、丁重に礼を言ってから悄然と部屋を出てエレベーターホールの方に歩き出した。エレベーターホールまでの道のりがなんと長かったことだろう。足が地面についているような気がしなかった。それでもようやくエレベーターまでたどりつき、ふらつきながらもなんとか乗り込んだ。

  エレベーターのドアが閉じたとき、刑事は「終わりだ終わりだ。この件はもう終わりだ。クソ野郎」と吐き捨てるように叫んだ。エレベーターは静かに降りていった。

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