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2008年11月 3日 (月)

万福ファンタジー

万福ファンタジー

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  万福は百済宮廷お抱えだった仏師の家系に生まれた。子供の頃から卓越した絵画の才能を認められたが、当時最新の乾漆の技術に関心を持ち、祖父・父と同様仏師への道を歩み始めた。腕を磨くために寺に通ううちに、自然の成り行きで仏教徒となった。祖父も父も仏師であり、そして仏教徒でもあった。乾漆とは木と粘土で大まかに像の形をつくった後、麻布と漆と麦粉のペーストを重ねて丁寧に造形し、さらに漆と麦粉・針葉樹の葉などを混ぜ込んだペーストで細部を仕上げるという手の込んだ技術だ。

  子供の頃から万福の美術・造形の才能は抜きんでていて、住職である老師も寺に出入りする他の仏師とは桁違いであることを認めざるを得なかった。そのまま平穏に仕事を続けていれば、朝鮮半島の歴史に残る大芸術家として名を残したかもしれない。しかし運命は彼にその道を歩ませなかった。祖父の時代には隆盛を誇っていた百済も唐と新羅の連合軍に滅ぼされ、新羅の支配下でもがき苦しんでいた。万福の家もすっかり没落し、お抱え仏師だった頃の面影はなかった。百済の残党は何度も反乱を起こしたが、そのたびに鎮圧されていた。そしてまた百済再興をめざす独立派反乱軍が蜂起し、今回は万福の父もその中に巻き込まれていた。政府軍と独立派反乱軍の激しい戦闘で、あちこちで市街戦やこぜりあいが勃発していた。

  ある日万福がいつも通っている寺院から帰宅すると、家は焼失し父母兄弟の姿は見あたらなかった。政府軍の襲撃を避けて隠れていた近所の知人の話によると、独立派関係者が多く住んでいる万福の家の周辺には次々と火が放たれ、逃げ出す人々を政府軍の兵士が皆殺しにしたそうだ。万福の父母や兄弟も斬られたらしい。見覚えのある近隣の人々の悲惨な死体がいくつか放置されていた。万福は狼狽しながら家族を探そうとしたが、兵士が遠くから万福たちをみつけて、こちらに走ってくるのが見えた。万福は知人と共に必死に逃げざるを得なかった。兵士は矢を放ち、知人は背中から射貫かれて倒れた。万福は必死に走り続けた。振り向くと苦痛にゆがむ知人の顔が遠ざかる。しかし兵士達は迫り来る。知人を助ける余裕はなかった。

  やっとの思いで万福は寺に逃げ延びた。万福が老師に事情を話すと、しばらく思案していた老師は奥の部屋にこもって手紙を書き始めた。書き終えると老師は万福を呼んで、いつになく厳しい表情で言った。「政府軍の見境のない所行から見て、ここも安全とは言えない。寺は反乱軍が逃げ込む場所とみられているやもしれぬ。おまえは特別な才能を与えられた者。ここで命を落とすようなことがあってはならぬ。今しばらくは、私の知り合いの僧がいる倭国に逃れたほうがよいであろう。一筆書いたものを渡すから、これをその僧に見せて導いてもらうがよい」。

  万福は「そんな見知らぬ国に行くことはできません」と答えたが、老師はさらに「倭国は昔百済が新羅・唐の連合軍と戦ったときに援軍を派遣してくれた古い友人だ。それに倭国には百済にもない大きな都があると聞く。国は栄え、仏に帰依する人々も増えているそうじゃ。寺男の敏男がお前を倭国まで連れて行くと言っておる。敏男には武芸の心得もある。何も心配することはない。早く行くのじゃ」と強く諭した。

  万福は馬に乗り、敏男と共に間道を港の方に急いだ。振り返ると寺院の周辺にも火の手が上がっていた。矢に倒れた知人は亡くなったのか。老師は大丈夫だろうか。家族はどうなってしまうのか。しかし今はその思いも封印するしかない。やっと港に出て敏男が準備してくれていた小舟の帆を上げ、遙かな倭国に向かって出発した。敏男は漁師の家に生まれ、後に百済再興をめざす反乱軍に加わったが、敗戦の後寺に身を隠していたようだ。対馬までは行ったことがあるそうだが、その先は彼にも未知の世界だった。対馬に渡ると、初めて見る言葉の通じない倭国の人々がいたが、敏男は倭国の人々と片言で話せるようだった。彼の話では倭国の言葉は新羅の言葉より自分たちの言葉に近いそうだ。「倭国というのは多分われわれの祖先が昔海を渡って建国した国だろう」と敏男は言った。敏男の言った通りならそう恐れることはない・・・と万福は少し安堵した。

  対馬には百済や新羅の漁師が泊まる漁師小屋もいくつかあって、倭国の人々はそれを容認しているようだった。万福と敏男は百済人の漁師小屋に宿泊し、いよいよ九州に向かった。天が味方したのだろう。2日でふたりは倭国に上陸し、さらに1日歩いて太宰府にたどりついた。百済や新羅の商人が大勢いたのにはびっくりした。百済の商人のひとりに倭国の役人にとりついでもらい、万福は自分の作品である小さな仏像をプレゼントした。役人はそれを見て大いに感動し、部下のひとりを平城京までの道案内につけてもらうことになった。敏男も隠れ場所だった寺が焼失したとすると、もう半島には居場所がなく、倭国に永住したいというので都まで同行することになった。ほとんど海路での旅になったが、常に陸地が見える内海だったので、玄界灘を渡ったときのような心細さはほとんど感じなかった。むしろ旅人をもてなす港の宿屋などもあり、宿の主人と旅人達が車座になって酒を飲むこともあった。万福は異国の地で、人生ではじめて酩酊した。

☆ ☆ ☆

  平城京はうわさに違わぬ立派な都だった。さっそく老師の知人だという僧侶道源を訪ねると、大いに歓待され、寺に住まわせてもらうことになった。道源師の祖父の故郷は百済で、白村江の戦いで倭国と百済の連合軍が敗れた後、倭国に亡命してきたそうだ。倭国についていろいろ知るにつれて、百済と似ているものが多いことに気がついた。道源師は「万福よ、お前も百済の難民なら我らに協力してこの国の発展に力を尽くさねばならぬ。この国を、我々を追い出した半島の人間を見返してやるような、御仏に導かれた高い文化を持つ国に育てようではないか」と万福に言葉をかけてくれた。後になってわかったことだが、この国の都には難民やその2世・3世など、百済にかかわりのある人々が驚くほど多かった。

  道源は権力者の藤原不比等の娘である藤三娘という女性を万福に紹介した。師は敏男にも藤原家の警護員の仕事を紹介したようだった。藤三娘は熱心な仏教徒で、道源のために寺を建てたのも彼女だった。藤三娘は万福を屋敷に迎え入れ「そなたは有能な仏師と聞く。なら私の姿を描いてみよ」とモデルになった。仏像を制作するためには、角度を変えて多数のデッサンを描くことからはじめるのが万福のやり方だったので、もちろん絵画も得意とするところだった。藤三娘は万福の絵を大いに気に入って、褒美の反物まで与えてくれた。それから万福は藤三娘の屋敷にしばしば出入りするようになり、仏像や書画の制作のみならず、大工ような仕事や雑用も与えられたが、持ち前の器用さでなんとかこなすことができた。ときには重要な書類や手紙を役人にとどけるような役目までまかせられるようになった。藤原家に使いに出たときには敏男に出会うこともあった。彼によると老師は私たちが逃げ延びたあと、寺に火を放たれ焼死したらしいということだった。

  すっかり万福を信頼するようになった姫(藤三娘)は、雑事を黙々とこなしている万福に愚痴をこぼすようになった。姫は普通の女とは異なり、この国の実質支配者の娘らしく政事(まつりごと)にも深い関心を持っていたらしい。だからだろう「この国のやんごとなき男どもは皆陰謀や権力闘争に明け暮れ、国のまつりごとを真剣に考える余裕などないのだ。誠になさけないこと」などとよく嘆いていた。万福のような外国人から見ても倭国の政治はあまりうまくいっているようには見えなかった。闇の世界で陰湿な権力闘争が行われているらしく、今度は誰々が謀殺されそうだというたぐいの噂が毎日都を飛び交っていた。

  それからまもなく姫を不幸が襲った。母親が死去したのだ。姫はそれを悲しみ、供養のために興福寺にお堂を建てて、そこに仏像を安置しようと計画した。そしてその仏像制作責任者のひとりに万福を指名した。20才になったばかりの若い仏師にとっては大変な栄誉だった。むろん万福をはじめ、指名された者達は皆張り切って制作に取りかかった。

  しかし万福にはひとつ大きな問題があった。あの新羅の手先による放火と皆殺しの惨劇を経験して以来、自分で納得のいく仏像を一体もつくることができないのだ。他人が賞賛してくれても、自分はよく分かっている。あれ以来慈愛に満ちた仏の姿がまやかしのように感じられるようになってしまった。このことは誰にも打ち明けられなかった。しかし仏像の制作期限は一周忌までと定められている。このような重要な仕事をまやかしですませるわけにはいかない。かといって世話になった姫の依頼を断るなど到底考えられない。悩みに悩んだ末、万福はひとつの決断をした。それは姫をモデルとして像を制作するということだった。今の自分にはそれしかできない。それで叱責をうけることになっても仕方がないという結論に万福はたどり着いた。

  決断した後は早かった。手許にはすでに以前に肖像画を依頼されたときの数枚のデッサンがあり、それを立体化するのは万福にとっては通常のプロセスだった。得意の乾漆の技術を用いて、悩み悲しみながらも強く手を合わせ仏の道を歩もうとする姫の阿修羅像を、万福は万感の思いを込めて制作した。彼はもちろん姫を愛していたが、身分の差はその思いを遂げるには大きすぎる。姫への秘められた思いは阿修羅像をさらに輝かしいものにした。それだけに、完成した像を姫に披露するときは、どんな反応があるか心臓が止まりそうだった。しかし一方で万福は姫のさばけた性格を知っていた。密かに期待していた通り、姫は自らに生き写しの像を許してくれた。そればかりか、万福が製作した像の前で万福と共に一晩祈りをささげた。夜が明けると落涙しながら万福を抱きしめ、姫は「これはわが姿形ばかりか、わが心根をそのまま表したものぞ」と万福に礼を言った。

  共に仏像を制作していた同僚の仏師達も、あまりに当時の常識とは異なる破天荒な万福の作品に驚愕した。その姿が高貴な依頼者とそっくりだったからばかりでなく、その像の放つ激しい精神の力に圧倒された。像の目は遠い未来を予見しているような魔力を感じさせた。こんな像は万福以外誰も製作することはできない。皆それが分かっていたので、口に出して万福を批判する者はいなかった。その像に最も批判的だったのは万福自身だったかもしれない。万福はこの作品を狂おしいほど愛していた。しかしまたこの像には、自分の人間世界や仏道に対する疑念が込められている。そのことは自分が一番よく分かっているが、いずれ他人にも必ず見破られる。万福は「今回は奇策によって破滅はまぬがれたが、もう仏師としての自分の人生は終わっている」と明確に認識した。これからどうやって生きていったらよいのか・・・万福には全く見当もつかなかった。ともかくこのまま姫のお抱え仏師として生きていくことはできない。

☆ ☆ ☆

  万福は阿修羅像が安置された興福寺西金堂の完成と共に姫の元を去り、太宰府に行って故郷に帰るチャンスをうかがうことにした。風の便りによると、敏男は藤原家の命で長屋王の暗殺にかかわったそうだ。そして敏男も、暗殺を命じた藤原四兄弟すべても、長屋王の呪いで疫病にかかって死んだという恐ろしい話も聞いた。姫の悲しみはいかばかりだっただろうか。万福はあの像が少しでも彼女の苦痛をやわらげることができたら・・・と祈ることしかできなかった。

  

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